閔公
單伯至自齊。大夫執則致,致則名;此其不名,何也?天子之命大夫也。
單伯、齊より至る。大夫執えられればすなわち歸國を書き、歸國を書けばすなわち名を稱す。ここに名を稱せざるは何ぞや。彼天子任命の大夫なればなり。
秋,齊人侵我西鄙。其曰鄙,遠之也。其遠之,何也?不以難介我國也。
秋、齊人、我が魯の西鄙に侵す。「鄙」と稱するは、戰事を國都より遠く言うなり。何を以て遠く言うか。禍難をしてわが魯の腹地に夾在せしめざるがためなり。
十有二月,齊人來歸子叔姬。其曰子叔姬,貴之也。其言來歸,何也?父母之於子,雖有罪,猶欲其免也。
十二月、齊人、子叔姬を娘家に歸す。「子叔姬」と稱するは、彼女を擡舉するなり。「來歸」と書くは何ぞや。父母の子女に於ては、罪有りと雖ども、なほ彼女をして罪を免れしめんと欲すなり。
十有六年春,季孫行父會齊侯於陽穀。齊侯弗及盟。弗及者,內辭也。行父失命矣,齊得內辭也。
十六年春、季孫行父、陽谷に齊侯を會見す。齊侯、彼と盟せず。「弗及」は魯の方に就きて言うの辭なり。行父すでに使命を失えり、齊は反りてこの魯の方に就きて言うの寫法を得たり。
夏,五月,公四不視朔。天子告朔於諸侯,諸侯受乎禰廟,禮也。公四不視朔,公不臣也。以公為厭政以甚矣。
夏五月、文公、四たび朔を視ず。天子、朔政を諸侯に告げ、諸侯父の禰廟に於いて受くるは、これ禮に合す。文公、四たび朔を視ざれば、すなわち臣に似ず。經文は文公、政事を厭倦することすでに太だ過ぎたりと見做す!
六月戊辰,公子遂及齊侯盟於師丘。復行父之盟也。
六月戊辰、公子遂、齊侯と師丘に盟す。これ行父のあの訂まり成らざりし盟を再び訂めたるなり。
毀泉臺。喪不貳事;貳事,緩喪也。以文為多失道矣!自古為之,今毀之,不如勿處而已矣。
泉台を毀す。喪事を辦ずるに同時に第二の事を爲す能わず。第二の事を爲せば、すなわち喪事を後に拖くなり。經文は文公の正の道を失える處、太だ多しと見做す!この台は古人の造れしなり。今之を拆くは、そこに住まざれば罷むるに如かず。
十有七年春,晉人、衛人、陳人、鄭人伐宋。
十七年春、晋人・衛人・陳人・鄭人、宋を伐つ。
十有八年春,王二月丁丑,公薨於臺下。臺下,非正也。
十八年春、王二月丁丑、文公、台下に薨す。台下に死するは、正の道に合せず。
秋,公子遂、叔孫得臣如齊。使舉上客,而不稱介。不正其同倫而相介,故列而數之也。
秋、公子遂・叔孫得臣、齊に如く。使いを出すに正使のみを擧げ、副使を稱せず。彼ら本より同一等の人なるに互いに副使と爲せるを滿とせず、故に一箇一箇數え出だす。
夫人姜氏歸於齊。惡宣公也。有不待貶絕,而罪惡見者;有待貶絕,而惡從之者。侄娣者,不孤子之意也。一人有子,三人緩帶。一曰:就賢也。
夫人姜氏、齊に歸る。これ宣公を惡むなり。罪惡或いは貶斥・斷絕を俟たずして自ら顯れ出づること有り、或いは貶斥・斷絕を俟ちて、罪惡ついに顯れ出づること有り。侄娣跟嫁するは、本より嫡子をして孤單ならしめざるの意なり。一人に子有れば、三人皆衣帶を放寬す可し。一説曰く、賢者に投奔しに往くなりと。
(闕文)
(闕文)
宣公
元年春,王正月,公即位。繼故而言即位,與聞乎故也。
元年春、王正月、宣公卽位す。先君の變故に死せし後に接ぎて「卽位」と書くは、彼あの變故に參與せるを表す。
公子遂如齊逆女。三月,遂以夫人婦姜至自齊。其不言氏,喪未畢,故略之也。其曰婦,緣姑言之之辭也。遂之挈,由上致之也。
公子遂、齊に往きて新婦を逆え娶る。三月、遂、夫人婦姜を以て齊より至る。氏を書かざるは、喪事いまだ辦じ畢らざれば、故に簡略に書くなり。「婦」と稱するは、姑の面に順りて言うの辭なり。「遂」を單に提け出だして直呼するは、上すでに彼を送り來たればなり。
晉放其大夫胥甲父於衛。放,猶屏也。稱國以放,放無罪也。
晋、大夫胥甲父を衛に放つ。「放」は屏退のごとし。國を稱して放逐を記するは、放たれたるは罪なき人なるを表す。
公會齊侯於平州。公子遂如齊。六月,齊人取濟西田。內不言取,言取,授之也。以是為賂齊也。
宣公、平州に齊侯と會す。公子遂、齊に往く。六月、齊人、濟西の田を取る。魯、己が事は例により「取」を書かず。「取」を書くは、魯、田を彼らに交與するなり。これを以て齊に賄賂するに見做す。
宋公、陳侯、衛侯、曹伯會晉師於棐林,伐鄭。列數諸侯而會晉趙盾,大趙盾之事也。其曰師,何也?以其大之也。於棐林地,而後伐鄭,疑辭也。此其地何?則著其美也。
宋公・陳侯・衛侯・曹伯、棐林に晋師を會合し、鄭を伐つ。一箇一箇諸侯を列出して晋の趙盾に會せしめたるは、趙盾の事を大に書くなり。「師」と稱するは何ぞや。すでに彼を大に書ければなり。先ず棐林のこの地を書き、後に鄭を伐つを書くは、遲疑帶するの辭なり。ここに何を以て地を記すや。反りて彼の好の好處を顯出せんと欲するなり。
二年春,王二月,壬子,宋華元帥師,及鄭公子歸生帥師,戰於大棘。宋師敗績,獲宋華元。獲者,不與之辭也。言盡其眾,以救其將也。以三軍敵華元,華元雖獲,不病矣。
二年春、王二月壬子、宋の華元、師を率いて、鄭の公子歸生の率ゐる師と大棘に戰う。宋師敗績し、華元獲らる。「獲」は贊成せざるの辭なり。部下、人馬を盡くして以て彼らの將を救うを言う。三軍を以て華元に抵擋すれば、華元獲られたりと雖ども、また恥を含まざるなり。
秋,九月乙丑,晉趙盾弒其君夷皋。穿弒也,盾不弒,而曰盾弒,何也?以罪盾也。其以罪盾,何也?曰:靈公朝諸大夫而暴彈之,觀其闢丸也。趙盾入諫,不聽。出亡,至於郊,趙穿弒公,而後反趙盾。史狐書賊曰:「趙盾弒公。」盾曰:「天乎!天乎!予無罪。孰為盾而忍弒其君者乎?」史狐曰:「子為正卿,入諫不聽。出亡不遠,君弒,反不討賊,則志同。志同則書重,非子而誰?故書之曰『晉趙盾弒其君夷皋』者,過在下也。」曰:於盾也,見忠臣之至;於許世子止,見孝子之至。
秋九月乙丑、晋の趙盾、その君夷皋を殺す。人を殺せしは趙穿なり。趙盾併せて殺さざるに、趙盾の君を弑すと寫成するは何ぞや。罪を盾の身上に加うるなり。何を以て罪を盾の身上に加うるか。答えて曰く、靈公、大夫たちを朝見するに、忽に彈丸を以て彼らを彈き、彼らの彈丸を躲避するを視る。趙盾入りて勸諫す。靈公聽かず。盾出奔し、郊外に走り至りて、趙穿、靈公を殺し、後に趙盾始めて歸る。太史狐、凶を記して曰く、「趙盾、公を弑す」と。盾曰く、「天なるかな!天なるかな!われ罪なし。誰か趙盾なる、何ぞ忍びて己が國君を殺さんや」と。太史狐曰く、「汝は正卿なり。入りて勸諫して、國君聽かず。出奔するもまた走ること遠からず。國君弑されて、歸りて賊を討たず。すなわち心意相同なり。心意相同なれば、すなわち分量更重なるを記す。汝ならずして誰か!ゆえに『晋趙盾其の君夷皋を弑す』と寫成す。過ちは下のこの人に在り」と。また言うべし、趙盾の身より、忠臣の極致を見、許國の太子止の身より、孝子の極致を見ん、と。
三年春,王正月,郊牛之口傷。之口,緩辭也,傷自牛作也。
三年春、王正月、郊祭に用ゐる牛、口傷つきたり。「之口」と寫成するは、舒緩の辭にして、傷は牛の自身より起これり。
改卜牛,牛死,乃不郊。事之變也。乃者,亡乎人之辭也。
別に占いて牛を換え、牛また死す。すなわち郊祭を行わず。これ事の變故なり。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。
四年春,王正月,公及齊侯平莒及郯,莒人不肯。及者,內為志焉爾。平者,成也。不肯者,可以肯也。
四年春、王正月、宣公、齊侯と莒・郯とを調停す。莒人肯んぜず。「及」の字を用うるは、これ魯の方主動なるを表す。「平」はすなわち講和なり。「不肯」と言うは、本より肯んずべければなり。
公伐莒取向。伐猶可,取向甚矣,莒人辭不受治也。伐莒,義兵也;取向,非也,乘義而為利也。
宣公、莒を伐ち、向を取る。伐つは猶ほ罷る。向を取るは太だ過ぎたり。莒人この處治を拒み受けず。莒を伐つは義兵なり。向を取ればすなわち對せず。義に藉りて利を謀るなり。
秋,九月,齊高固來逆子叔姬。諸侯之嫁子於大夫,主大夫以與之。來者,接內也;不正其接內,故不與夫婦之稱也。
秋九月、齊の高固、來りて子叔姬を逆え娶る。諸侯、女を大夫に嫁するに、大夫主と爲りて交接す。彼方上門して來るは、直に魯の公室と交接するなり。經文この交接を滿とせず、故に彼らに夫婦の稱呼を與えず。
冬,齊高固及子叔姬來。及者,及吾子叔姬也。為使來者,不使得歸之意也。
冬、齊の高固、子叔姬と來る。「及」を用うるは、わが魯の子叔姬に「及」するなり。彼らを奉使して來ると寫成するは、彼女をして娘家に遣歸せられたるに顯れざらしめんがためなり。
六年春,晉趙盾、衛孫免侵陳。此帥師也,其不言帥師,何也?不正其敗前事,故不與帥師也。
六年春、晋の趙盾・衛の孫免、陳に侵す。これ本より師を率ゐるなり。何を以て「帥師」を書かざるか。彼が先前の事を敗壞せるを滿とせず、故に彼に「帥師」の說を與えず。
七年春,衛侯使孫良夫來盟。來盟,前定也。不言及者,以國與之。不言其人,亦以國與之。不日,前定之盟不日。
七年春、衛侯、孫良夫をして來りて盟せしむ。來盟するは、事先に約し定めたるなり。「及」を用ゐざるは、國家を彼方に交托するなり。彼方の人を書き出ださざるも、また國家を彼方に交托するなり。日を記さず。事先に約し定めたる盟會は日を記さず。
冬,公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯於黑壤。
冬、宣公、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯と黑壤に會す。
夏,六月,公子遂如齊,至黃乃復。乃者,亡乎人之辭也。復者,事畢也,不專公命也。
夏六月、公子遂、齊に往き、黄に至りて乃ち復る。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。「復」は事辦じ畢れり。併せて國君の命を以て自ら作主すべきと爲さざるなり。
仲遂卒於垂。為若反命而後卒也。此公子也,其曰仲,何也?疏之也。何為疏之也?是不卒者也。不疏,則無用見其不卒也,則其卒之,何也?以譏乎宣也。其譏乎宣,何也?聞大夫之喪,則去樂卒事。
仲遂、垂に於いて卒す。經文、彼すでに復命し歸りて後に死せるがごとく書く。彼は公子なり。何を以て「仲」と稱するか。彼を疎んずるなり。何を以て彼を疎んずるか。彼本より卒を記すべからざる人なり。若し疎まざれば、彼の記さるべからざるを視るに由無し。然らば何を以てなほ彼の死を記すか。以て宣公を譏刺するなり。宣公の何を譏刺するか。大夫の喪事を聞けば、すなわち音樂を撤し、事を辦じ畢るべし。
壬午,猶繹。猶者,可以已之辭也。繹者,祭之旦日之享賓也。
壬午、なほ繹祭を行う。「猶」は止むべきにしてなほ爲すを言うの辭なり。「繹」は正祭の明日に賓客を宴するの祭なり。
冬,十月己丑,葬我小君頃熊。雨不克葬。葬既有日,不為雨止,禮也。雨不克葬,喪不以制也。
冬十月己丑、我が小君頃熊を葬る。雨降りて、葬る能わず。葬の日すでに定まりて、雨に因りて止めざるは、これ禮に合す。雨降れば葬る能わざるは、喪事、制度に按じて辦ぜざるなり。
庚寅,日中而克葬。而,緩辭也,足乎日之辭也。
庚寅、日中に至りて始めて葬るを得たり。「而」の字を用うるは、舒緩の辭にして、またこの日の時間なほ足るを言うなり。
九月,晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯會於扈。
九月、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯、扈に相會す。
辛酉,晉侯黑臀卒於扈。其地於外也,其日未逾竟也。
辛酉、晋侯黑臀、扈に於いて卒す。地を記すは、彼外國に死せればなり。日を記すは、いまだ國境を走出でざればなり。
冬,十月癸酉,衛侯鄭卒。宋人圍滕。楚子伐鄭。晉郤缺帥師救鄭。
冬十月癸酉、衛侯鄭卒す。宋人、滕を圍む。楚子、鄭を伐つ。晋の郤缺、師を率いて鄭を救う。
陳殺其大夫洩冶。稱國以殺其大夫,殺無罪也。洩冶之無罪如何?陳靈公通於夏徵舒之家,公孫寧、儀行父,亦通其家。或衣其衣,或衷其襦,以相戲於朝。洩冶聞之,入諫曰:「使國人聞之則猶可,使仁人聞之則不可。」君愧於洩冶,不能用其言而殺之。
陳、その大夫泄冶を殺す。國を稱して大夫の殺を記するは、殺されたるは罪なき人なるを表す。泄冶、如何にして罪なきや。陳靈公、夏徵舒の家と通姦し、公孫寧・儀行父もまたあの家と通ず。或いは彼女の衣を服し、或いは身に彼女の短衣を貼着して、朝廷に於いて互いに戲弄す。泄冶之を聞きて、入りて勸諫して曰く、「國人に聞かせば、猶ほ勉强可なり。仁人に聞かせば、不可なり」と。國君、泄冶の面前に於いて慚愧を覺えれども、彼の言を用ゐる能わずして、反りて彼を殺せり。
十年春,公如齊。公至自齊。齊人歸我濟西田。公娶齊,齊由以為兄弟,反之,不言來。公如齊,受之也。
十年春、宣公、齊に如く。宣公、齊より至る。齊人、濟西の田を我が魯に歸す。宣公、齊の女子を娶り、齊これに因りて彼を以て兄弟と爲し、田を歸し來れり。「來」を書かざるは、宣公、齊に往きて接受せしがためなり。
秋,天王使王季子來聘。其曰王季,王子也。其曰子,尊之也。聘,問也。
秋、周天子、王季子をして來聘せしむ。「王季」と稱するは、彼天子の子なればなり。「子」と稱するは、彼を尊崇するなり。「聘」はすなわち問候なり。
冬,十月,楚人殺陳夏徵舒。此入而殺也,其不言入,何也?外徵舒於陳也。其外徵舒於陳,何也?明楚之討有罪也。
冬十月、楚人、陳の夏徵舒を殺す。これ陳に入りて後殺せしに、何を以て「入」を書かざるか。徵舒を陳國の外に排除するなり。何を以て陳國の外に排除するか。以て楚の討伐せるは罪有る人なるを表明せんと欲するなり。
丁亥,楚子入陳。入者,內弗受也。日入,惡入者也。何用弗受也?不使夷狄為中國也。
丁亥、楚子、陳に入る。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。日を記するは、この入る者を惡むなり。何を以て接纳せざるか。夷狄をして中原の主と爲らしめざるがためなり。
納公孫寧、儀行父於陳。納者,內弗受也。輔人之不能民而討,猶可;入人之國,制人之上下,使不得其君臣之道,不可。
公孫寧・儀行父を陳に納る。「納」は彼方接纳せざるを表す。人を幇けて百姓を安撫する能わざるを討伐するは、猶ほ勉强可なり。人の國に入り、人の上下を控制し、彼らをして君臣の道理に按じて相處する能わざらしむるは、不可なり。
夏,六月乙卯,晉荀林父帥師,及楚子戰於邲。晉師敗績。
夏六月乙卯、晋の荀林父、師を率いて、楚子と邲に戰い、晋師敗績す。
夏,五月,宋人及楚人平。平者,成也,善其量力而反義也。人者,眾辭也。平稱眾,上下欲之也。外平不道,以吾人之存焉道之也。
夏五月、宋人、楚人と平す。「平」はすなわち講和なり。彼らの己が力を量りて義に歸るを贊成す。「人」と稱するは、衆人の說を表すなり。講和して衆人と稱するは、上下皆願えり。外國の間の講和は、經文例により記さず。わが魯の人あそこに在るがゆえに、記すなり。
六月,癸卯,晉師滅赤狄潞氏,以潞子嬰兒歸。滅國有三術:中國謹日,卑國月,夷狄不日。其日潞子嬰兒,賢也。
六月癸卯、晋師、赤狄潞氏を滅ぼし、潞子嬰兒を以て歸る。國を滅ぼすに三種の記法有り。中原之國は鄭重に日を記し、低微の國は月を記し、夷狄は日を記さず。ここに潞子嬰兒に日を記すは、彼賢なればなり。
王札子殺召伯、毛伯。王札子者,當上之辭也。殺召伯、毛伯,不言其,何也?兩下相殺也。兩下相殺,不志乎《春秋》,此其志,何也?矯王命以殺之,非忿怒相殺也,故曰:以王命殺也。以王命殺,則何志焉?為天下主者,天也;繼天者,君也;君之所存者,命也。為人臣而侵其君之命而用之,是不臣也;為人君而失其命,是不君也。君不君,臣不臣,此天下所以傾也。
王札子、召伯・毛伯を殺す。「王札子」は君上の位に處するの辭なり。召伯・毛伯を殺すに、何を以て「其」を書かざるか。地位相當の人互いに殺し合えばなり。地位相當の人互いに殺し合うは、『春秋』例により記さず。ここに記すは何ぞや。彼王命を假托して殺せしなり。併せて一時の忿怒に互いに殺し合うにあらず。ゆえに曰く、王命を以て殺せるなり。王命を以て殺すに、何を以てまた記すか。天下のために主と爲るは天にして、天を繼承するは君にして、君の依りて存在する所は命令なり。臣子たりて國君の命令を侵奪して使用するは、これ臣に似ず。國君たりて己が命令を丟棄するは、これ君に似ず。君臣に似ず、臣臣に似ざれば、天下このに因りて傾覆するなり。
初稅畝。初者,始也。古者什一,藉而不稅。初稅畝,非正也。古者三百步為裡,名曰井田。井田者,九百畝,公田居一。私田稼不善,則非吏;公田稼不善,則非民。初稅畝者,非公之去公田,而履畝十取一也,以公之與民為已悉矣!古者公田為居,井灶蔥韭盡取焉。
始めて田畝に按じて稅を收む。「初」はすなわち始めなり。古、十分の一を收め、民力を借りて公田を耕し、併せて別に田稅を收めず。始めて畝に按じて稅を收むるは、正の道に合せず。古、三百步を一里と爲し、井田と名づく。井田九百畝、公田その中の一份を占む。私田の莊稼良からざれば、官吏を責む。公田の莊稼良からざれば、百姓を責む。始めて畝に按じて稅を收むるは、併せて國君の公田を廢して、畝に按じて十分の一を抽取するに改めたるにあらず。國君の百姓に索取することすでに太だ盡きたるなり!古、公田にもまた人住み、井・竈・葱・韭菜皆そこより取りて用ゐたり。
冬,蝝生。蝝,非災也。其曰蝝,非稅畝之災也。
冬、蝝生まる。蝝は併せて災害にあらず。經文「蝝」を書くは、これ併せて畝に按じて稅を收むるが帶來せし災害にあらざるを言うなり。
十有六年春,王正月,晉人滅赤狄甲氏,及留籲。
十六年春、王正月、晋人、赤狄甲氏と留吁とを滅ぼす。
夏,成周宣榭災。周災,不志也;其曰宣榭,何也?以樂器之所藏目之也。
夏、成周の宣榭災す。周室の災害は、經文例により記さず。ここに「宣榭」と稱するは何ぞや。彼樂器を藏する所なれば、故に點出す。
己未,公會晉侯、衛侯、曹伯、邾子,同盟於斷道。同者,有同也,同外楚也。
己未、宣公、晋侯・衛侯・曹伯・邾子に會し、斷道に同盟す。「同」は共の目標有るを言う。すなわち共に楚を抵禦するなり。
冬,十有一月壬午,公弟叔肹卒。其曰公弟叔肹,賢之也。其賢之,何也?宣弒而非之也。非之,則胡為不去也?曰:兄弟也,何去而之?與之財,則曰:「我足矣!」織屨而食,終身不食宣公之食。君子以是為通恩也,以取貴乎《春秋》。
冬十一月壬午、宣公の弟叔肸卒す。「公弟叔肸」と稱するは、彼を賢と認むるなり。何を以て彼を賢と認めるか。宣公君を弑するに、彼贊成せず。贊成せざれば、何を以てなほ離去せざるか。答えて曰く、兄弟なり。離去せば何處か往かんや。彼に財物を與えれば、彼すなわち曰く、「われ足れり!」と。草鞋を織りて以て日子を過ごし、終身宣公の飯を食らわず。君子これを恩義を通做せるに見做し、これに因りて彼『春秋』に於いて尊貴を取得せり。
秋,七月,邾人戕繒子於繒。戕,猶殘也,梲殺也。
秋七月、邾人、繒に於いて繒子を戕殺す。「戕」は「殘」のごとく、猝に虐殺するなり。
甲戌,楚子呂卒。夷狄不卒;卒,少進也。卒而不日;日,少進也。日而不言正;不正,簡之也。
甲戌、楚子呂卒す。夷狄は例により卒を記さず。記せば、すなわち稍稍一等を進めたり。卒を記して日を記さず。日を記せば、また稍稍一等を進めたり。日を記して正と不正を言わざるは、彼を簡略に書くなり。
歸父還自晉。還者,事未畢也。自晉,事畢也。與人之子,守其父之殯。捐殯而奔其父之使者,是以奔父也。
歸父、晋より還る。「還」は事いまだ辦じ畢らざるを言う。「自晋」と書くは、事すでに辦じ畢れたるなり。人の兒子をして父の靈柩を守らせ、己殯事を拋棄し、また父の使者をして出奔せしむるに逼る。これ卽父を避けて出奔するに等し。
(闕文)
(闕文)
