成公
十有二月,公圍成。非國言圍。圍成,大公也。
十二月、定公、成を圍む。一箇の國家にあらざるに「圍」を書く。成を圍むは、定公を大に書くなり。
公至自圍成。何以致?危之也。何危爾?邊乎齊也。
定公、圍成の軍中より至る。何を以て歸國を書くか。彼のために心配するなり。何を心配するか。齊に靠近すればなり。
秋,晉趙鞅入於晉陽以叛。以者,不以者也。叛,直叛也。
秋、晋の趙鞅、晋陽に入りて叛す。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。謂うところの叛は、卽直截了當の叛なり。
晉趙鞅歸於晉。此叛也,其以歸言之,何也?貴其以地反也。貴其以地反,則是大利也?非大利也,許悔過也。許悔過,則何以言叛也?以地正國也。以地正國,則何以言叛?其入無君命也。
晋の趙鞅、晋に歸る。これ叛なり。何を以て「歸」を以て言うか。彼が土地を帶び歸れるを重んずるなり。彼が土地を帶び歸れるを重んずれば、卽大貪利にあらずや。併せて大貪利にあらず。彼の悔過を允許するなり。悔過を允許すれば、何を以てなほ「叛」を書くか。彼土地を以て國家を匡正せればなり。土地を以て國家を匡正するに、何を以てなほ「叛」を書くか。彼入るの時、國君の命令なければなり。
二月辛巳,楚公子結、陳公孫佗人帥師滅頓,以頓子牂歸。
二月辛巳、楚の公子結・陳の公孫佗人、師を率いて頓を滅ぼし、頓子牂を帶り歸る。
天王使石尚來歸脤。脤者,何也?俎實也,祭肉也。生曰脤,熟曰膰。其辭石尚,士也。何以知其士也?天子之大夫不名。石尚欲書《春秋》,諫曰:「久矣周之不行禮於魯也!請行脤,貴復正也。」
周天子、石尚をして脴を贈りに來らしむ。「脴」は何ぞや。俎上の祭肉なり。生なるを脴と曰い、熟なるを膰と曰う。石尚の名を稱出するは、彼士なればなり。如何にして彼の士たるを知るか。天子の大夫、名を稱せず。石尚、己をして『春秋』に寫き入れられんことを欲し、勸諫して曰く、「周室、魯國に行禮せざること、すでに久しきなり!請う、脴を送らん。重んずる所は正の道を恢復するなり」と。
秋,七月壬申,弋氏卒。妾辭也,哀公之母也。
秋七月壬申、弋氏卒す。これ妾の辭なり。彼女は哀公の母なり。
九月,滕子來會葬。丁巳,葬我君定公。雨不克葬。葬既有日,不為雨止,禮也。雨不克葬,喪不以制也。
九月、滕子、來りて葬禮に參加す。丁巳、我が君定公を葬る。雨降りて、葬る能わず。葬の日すでに定まりて、雨に因りて止めざるは、これ禮に合す。雨降れば葬る能わざるは、喪事、制度に按じて辦ぜざるなり。
戊午,日下稷,乃克葬。乃,急辭也,不足乎日之辭也。
戊午、日下昃して、始めて葬るを得たり。「乃」の字を用うるは、急促の辭にして、またこの日の時間すでに足らざるを言うなり。
(闕文)
(闕文)
哀公
鼷鼠食郊牛角,改卜牛。夏,四月辛巳,郊。此該之變而道之也。於變之中,又有言焉。「鼷鼠食郊牛角,改卜牛」,志不敬也。郊牛日展觓角而知傷,展道盡矣!郊自正月至於三月,郊之時也。夏四月郊,不時也;五月郊,不時也。夏之始可以承春,以秋之末,承春之始,蓋不可矣!九月用郊,用者,不宜用者也。郊三卜,禮也;四卜,非禮也;五卜,強也。卜免牲者,吉則免之,不吉則否。牛傷,不言傷之者,傷自牛作也,故其辭緩。全曰牲,傷曰牛,未牲曰牛,其牛一也;其所以為牛者異。有變而不郊,故卜免牛也。已牛矣,其尚卜免之,何也?禮,與其亡也寧有。嘗置之上帝矣,故卜而後免之,不敢專也。卜之不吉,則如之何?不免,安置之,系而待六月上甲,始庀牲,然後左右之。子之所言者,牲之變也。而曰:我一該郊之變而道之,何也?我以六月上甲,始庀牲;十月上甲,始系牲。十一月、十二月,牲雖有變,不道也。待正月,然後言牲之變,此乃所以該郊。郊,享道也。貴其時,大其禮,其養牲雖小,不備可也。子不忘三月卜郊,何也?郊自正月至於三月,郊之時也。我以十二月下辛卜正月上辛;如不從,則以正月下辛卜二月上辛;如不從,則以二月下辛卜三月上辛;如不從,則不郊矣!
鼷鼠、郊牛の角を嚙食す。別に卜を問うて牛を換う。夏四月辛巳、郊祭を行う。この一段は、郊祭の諸種の變故を併せて收斂して言うなり。卽これらの變故の中に在りて、なほ言うべきの話有り。「鼷鼠、郊牛の角を嚙食す。別に卜を問うて牛を換う」と書くは、不敬を記下するなり。郊牛、日ごとにあの彎曲の角を察看し、なほ傷を發見す。察看、爲すべきを皆爲し盡くせり!郊祭、正月より三月は、郊の時令なり。夏四月に郊を行うは、時にあらず。五月に郊を行うは、時にあらず。夏の開頭、なほ春に接續す可し。秋の末尾を以て春の開頭に接ぐるは、大概不可ならん!九月「用郊」。「用」は用ゐべからざるを表す。郊祭、卜を三たび問うは、禮に合す。卜を四たび問うは、禮に合せず。卜を五たび問うは、勉强なり。卜してこの牲を免ずべきや否やを問うに、吉利なればすなわち免じ、不吉利なれば免ぜず。牛傷つきて、誰の傷つけしかを書き出ださざるは、傷は牛の自身より來れば、故に辭を寬松す。完好するを「牲」と曰い、傷つきたるを「牛」と曰い、いまだ牲と爲らざるもまた「牛」と曰う。あの牛は同一の牛なれども、之を「牛」と稱する所以は相同ならず。變故出でて郊を行わざれば、故に牛を免ずべきや否やを卜問す。すでにただ「牛」なり。何を以てなほ卜問して彼を免ぜんや。禮に拠れば、なきに與しんより、寧ろ有らん。彼かつて上帝に供奉せられたり。ゆえに卜問して後に免ず。敢えて自ら作主せず。卜問、若し吉利ならざれば、如何せん。免ぜず。彼を安頓し、拴いで六月上甲を俟ち、牲を備辦し始め、後に處置に聽憑す。貴下、剛に牲の變故を言えりと雖ども、卻てまた曰く、「われ郊祭の變故を併せて收斂して言わん」と。何ぞや。われ六月上甲より牲を備辦し始め、十月上甲より牲を拴ぎ始む。十一月・十二月、牲卽變故有るとも、また言わず。正月に至るを俟ちて、後に始めて牲の變故を言う。これ正に以て郊祭を收斂するの辦法なり。郊は、神を饗るの道理なり。時令を重んじ、禮を大に寫き、牲を養うに卽稍も完備せざるとも、なほ可なり。貴下、三月の郊祭を卜問せるを忘掉せず。何ぞや。郊祭、正月より三月は、郊の時令なり。われ十二月下辛を以て正月上辛を卜問し、若し從わざれば、正月下辛を以て二月上辛を卜問し、若し從わざれば、二月下辛を以て三月上辛を卜問し、若し從わざれば、郊を行わざらん!
二年春,王二月,季孫斯、叔孫州仇、仲孫何忌帥師伐邾,取漷東田。漷東未盡也。
二年春、王二月、季孫斯・叔孫州仇・仲孫何忌、師を率いて邾を伐ち、漷東の田を取る。漷東、併せて盡く取り盡くせざりき。
癸巳,叔孫州仇、仲孫何忌及邾子盟於句繹。三人伐而二人盟,何也?各盟其得也。
癸巳、叔孫州仇・仲孫何忌、邾子と句繹に盟す。三人往きて攻伐するに、ただ二人のみ來りて會盟すは何ぞや。各自己が得たる所に就きて結盟するなり。
晉趙鞅帥師,納衛世子蒯瞶於戚。納者,內弗受也。帥師而後納者,有伐也。何用弗受也?以輒不受也。以輒不受父之命,受之王父也。信父而辭王父,則是不尊王父也。其弗受,以尊王父也。
晋の趙鞅、師を率いて、衛の世子蒯瞶を戚に納る。「納」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。師を率いて後に送入れるは、攻伐有ればなり。何を以て接纳せざるか。輒の接纳せざるがためなり。輒、父の命令を接受せずは、すでに祖父の命令を接受せればなり。若し父を信從して祖父を推辭せば、卽祖父を尊敬せざるなり。彼の接纳せざるは、正に以て祖父を尊敬するなり。
秋,八月甲戌,晉趙鞅帥師,及鄭罕達帥師,戰於鐵。鄭師敗績。
秋八月甲戌、晋の趙鞅、師を率いて、鄭の罕達の率ゐる師と鐵に戰い、鄭師敗績す。
三年春,齊國夏、衛石曼姑帥師圍戚。此衛事也,其先國夏,何也?子不圍父也。不繫戚於衛者,子不有父也。
三年春、齊の國夏・衛の石曼姑、師を率いて戚を圍む。これ本より衛國の事なり。何を以て國夏を前に書くか。子、父を圍むべからざればなり。戚を衛國の名下に係せざるは、子、父を以て己が有と爲すべからざればなり。
五月辛卯,桓宮、僖宮災。言及,則祖有尊卑;由我言之,則一也。
五月辛卯、桓宮・僖宮災す。若し「及」の字を以て連結せば、祖廟すなわち尊卑を分かつ。われらの方より言えば、兩座の廟は一樣なり。
四年春,王二月庚戌,盜弒蔡侯申。稱盜以弒君,不以上下道道也。內其君而外弒者,不以弒道道也。《春秋》有三盜:微殺大夫,謂之盜;非所取而取之,謂之盜;闢中國之正道以襲利,謂之盜。
四年春、王二月庚戌、盜賊、蔡侯申を弑す。「盜」と稱して弑君を記するは、上下の名分の路子に按じて言わざるなり。國君を以て己が方に算え、弑君の人を外に算えれば、卽「弑」の路子に按じて言わず。『春秋』に三種の盜有り。地位低微の人、大夫を殺すを、盜と曰い。取るべからざるを取るを、盜と曰い。中原の正道を避けて利益を襲取するを、盜と曰う。
六月,辛丑,亳社災。亳社者,亳之社也。亳,亡國也。亡國之社以為廟,屏戒也。其屋亡國之社,不得達上也。
六月辛丑、亳社災す。亳社は、亳地の社なり。亳は、すでに滅亡せし國なり。亡國の社を宗廟の傍に立てて屛障と爲すは、以て警戒するなり。亡國之社、上に屋有りて、上天に通達するを得ず。
齊陽生入於齊。齊陳乞弒其君荼。陽生入而弒其君,以陳乞主之,何也?不以陽生君荼也。其不以陽生君荼,何也?陽生正,荼不正。不正則其曰君,何也?荼雖不正,已受命矣!入者,內弗受也。荼不正,何用弗受?以其受命,可以言弗受也。陽生其以國氏,何也?取國於荼也。
齊の陽生、齊に入る。齊の陳乞、その君荼を弑す。陽生入りて國君弑さるるに、卻て陳乞を以て主名と作すは何ぞや。陽生をして荼を以て己が國君と爲さしめざるなり。何を以て陽生をして荼を以て國君と爲さしめざるか。陽生は正にして、荼は正ならず。すでに正ならざれば、何を以てなほ「君」と稱するか。荼正ならずと雖ども、すでに任命を接受せり!「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。荼正ならざれば、何を以てなほ接纳せざるか。彼すでに命を受けたれば、接纳せざると言うを得るなり。陽生、國名を以て氏と爲すは何ぞや。彼荼の手裡より國家を取り過ごせればなり。
八月己酉,入邾,以邾子益來。以者,不以者也。益之名,惡也。《春秋》有臨天下之言焉,有臨一國之言焉,有臨一家之言焉。其言來者,有外魯之辭焉。
八月己酉、邾に入り、邾子益を以て歸る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。益の名を稱出するは、彼を惡むなり。『春秋』に天下に臨むの辭有り、一國に臨むの辭有り、一家に臨むの辭有り。ここに「來」を書くは、魯國を以て外邊と爲すの辭有り。
宋皇瑗帥師取鄭師於雍丘。取,易辭也。以師而易取,鄭病矣!
宋の皇瑗、師を率いて雍丘に鄭の軍隊を奪取す。「取」はこの事の來ること容易を言うなり。整支の軍隊なるに容易の字眼を以て「取」と言うは、鄭國、病みたること輕からざるなり!
甲戌,齊國書帥師,及吳戰於艾陵。齊師敗績。獲齊國書。
甲戌、齊の國書、師を率いて、呉と艾陵に戰い、齊師敗績す。齊の國書を俘獲す。
十有二年春,用田賦。古者公田什一。用田賦,非正也。
十二年春、田賦を實行す。古、公田十分に一を取る。田賦を實行するは、正の道に合せず。
夏,五月甲辰,孟子卒。孟子者,何也?昭公夫人也。其不言夫人,何也?諱取同姓也。
夏五月甲辰、孟子卒す。孟子は何人ぞや。昭公の夫人なり。何を以て「夫人」と稱せざるか。同姓を娶れりを隱諱するなり。
十有三年春,鄭罕達帥師取宋師於嵒。取,易辭也。以師而易取,宋病矣。
十三年春、鄭の罕達、師を率いて嵒に宋の軍隊を奪取す。「取」はこの事の來ること容易を言うなり。整支の軍隊なるに容易の字眼を以て「取」と言うは、宋國、病みたること輕からざるなり。
公會晉侯及吳子於黃池。黃池之會,吳子進乎哉!遂子矣。吳,夷狄之國也,祝髮文身,欲因魯之禮,因晉之權,而請冠端而襲。其藉於成周,以尊天王,吳進矣。吳,東方之大國也,累累致小國以會諸侯,以合乎中國。吳能為之,則不臣乎!吳進矣。王,尊稱也;子,卑稱也。辭尊稱而居卑稱,以會乎諸侯,以尊天王。吳王夫差曰:「好冠來。」孔子曰:「大矣哉!夫差未能言冠而欲冠也。」
哀公、晋侯と呉子と黄池に會す。黄池のこの會、呉子、一等を進めたりかな!ここにおいて彼を「子」と稱す。呉は、夷狄之國にして、髮を剪り身を文せども、魯國の禮を借り、晋國の權勢を藉りて、冠を戴き端正の衣裳を穿たんことを請求す。彼成周を憑藉して、以て天子を尊敬す。呉國、一等を進めたり。呉は東方の大國にして、一度又一回小國を帶びて來りて諸侯に會し、中原と相合せんと欲す。呉國能くかくのごとく爲せば、それ臣を稱せざらんや!呉國、一等を進めたり。王は、尊貴の稱呼にして、子は、卑微の稱呼なり。尊稱を推辭して卑稱に處りて、以て諸侯と相會し、以て天子を尊敬す。呉王夫差曰く、「好き冠を來れ」と。孔子曰く、「太だ大なり!夫差、なほ冠を講ずる能わざるに、卻てすでに冠を戴かんと欲す」と。
十有四年春,西狩獲麟。引取之也。狩地,不地不狩也。非狩而曰狩,大獲麟,故大其適也。其不言來,不外麟於中國也。其不言有,不使麟不恆於中國也。
十四年春、西に於いて狩りて、麒麟を獲たり。これ引きて往きて彼を取るなり。狩りは地を記すべし。地を記さざれば卽狩りにあらず。狩りにあらざるに「狩」を書くは、麒麟を獲たるを重んずれば、故にこの出行を大に寫す。「來」を書かざるは、麒麟を中原の外に排除せざるなり。「有」を書かざるは、麒麟をして中原に於いて常有ならざるに顯れざらしめざるなり。
(闕文)
(闕文)
