成公
夏,五月戊辰,許世子止弒其君買。日弒,正卒也。正卒,則止不弒也。不弒而曰弒,責止也。止曰:「我與夫弒者,不立乎其位。」以與其弟虺。哭泣歠飦粥,嗌不容粒。未逾年而死,故君子即止自責而責之也。
夏五月戊辰、許の太子止、その君買を殺す。「弑」の日を記し出だすは、實は正常の卒なり。すでに正常の卒なれば、止併せて弑せず。弑せざるに弑と寫成するは、止を責むるなり。止曰く、「われあの弑君の事に參與せり。此の位に立つ能わず」と。位を弟虺に讓る。哭泣して厚粥を飲むに、咽喉一粒の米をも容納する能わず。いまだ年を過ごさずして死す。ゆえに君子、止の自責に就きて彼を責む。
冬,葬許悼公。日卒時葬,不使止為弒父也。曰:子既生,不免乎水火,母之罪也。羈貫成童,不就師傅,父之罪也。就師學問無方,心志不通,身之罪也。心志既通,而名譽不聞,友之罪也。名譽既聞,有司不舉,有司之罪也。有司舉之,王者不用,王者之過也。許世子不知嘗藥,累及許君也。
冬、許悼公を葬る。卒するに日を記し、葬るに季節を記するは、止をして父を弑する者と爲らしめざるなり。曰く、兒子すでに生み下されて、水火を免るる能わざるは、母の罪なり。頭髮束ねて兒童に長成して、なほ師傅に跟ざざるは、父の罪なり。師傅に跟いて、學問に方法なく、心通ぜざるは、己の罪なり。心すでに通じて、名譽傳開せざるは、朋友の罪なり。名譽すでに傳開して、有司擧薦せざるは、有司の罪なり。有司擧薦して、王者用ゐざるは、王者の過失なり。許の太子、先に藥を嘗むるを曉らずして、許の國君に牽連せり。
夏,曹公孫會自夢出奔宋。自夢者,專乎夢也。曹無大夫,其曰公孫,何也?言其以貴取之,而不以叛也。
夏、曹の公孫會、夢より宋に出奔す。「自夢」と書くは、彼夢邑に於いて專權せればなり。曹國に命大夫なし。ここに「公孫」と稱するは何ぞや。彼貴重に憑りてこの地方を取得して、併せて叛せざるを言うなり。
秋,盜殺衛侯之兄輒。盜賤也。其曰兄,母兄也。目衛侯,衛侯累也。然則何為不為君也?曰:有天疾者,不得入乎宗廟。輒者,何也?曰:兩足不能相過,齊謂之綦,楚謂之踂,衛謂之輒。
秋、盜賊、衛侯の兄輒を殺す。盜は低賤なり。「兄」と稱するは、同母兄なり。衛侯を點出するは、衛侯は牽連せられたるなり。然らば彼、何を以て國君たる能わざるか。答えて曰く、天生疾病有る者は、宗廟に進入する能わず。輒は何ぞや。答えて曰く、兩隻の脚、交錯して邁過する能わず。齊は之を綦と叫び、楚は之を踂と叫び、衛は之を輒と叫ぶ、と。
宋華亥、向寧、華定自陳入於宋南里以叛。自陳,陳有奉焉爾。入者,內弗受也。其曰宋南里,宋之南鄙也。以者,不以者也。叛,直叛也。
宋の華亥・向寧・華定、陳より宋の南里に入りて叛す。「自陳」と書くは、陳彼らに護送・幇助有るを表す。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。「宋南里」と稱するは、宋國南部の邊邑なり。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。謂うところの叛は、卽直截了當の叛なり。
冬,蔡侯東出奔楚。東者,東國也。何為謂之東也?王父誘而殺焉,父執而用焉。奔而又奔之。曰東,惡之而貶之也。
冬、蔡侯東、楚に逃亡す。「東」はすなわち東國なり。何を以て彼を「東」と稱するか。祖父誘引されて殺害せられ、父執えられて社を祭るに用ゐられき。逃亡してまたそこに逃げ往けり。「東」と稱するは、彼を惡み彼を貶すなり。
宋華亥、向寧、華定自宋南里出奔楚。自宋南里者,專也。
宋の華亥・向寧・華定、宋の南里より楚に逃亡す。「自宋南里」と書くは、彼らそこに於いて專權せればなり。
大搜於昌間。秋而曰搜,此春也,其曰搜,何也?以搜事也。
昌間に於いて大蒐を舉行す。秋にして始めて「蒐」と曰う。これ春なり。何を以てまた「蒐」と稱するか。蒐獵のあの一套の做法を用ゐればなり。
劉子、單子以王猛居於皇。以者,不以者也。王猛,嫌也。
劉子・單子、王猛を以て皇に居る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼を用ゐべからざるを表す。「王猛」と稱するは、ここに一層の嫌疑有ればなり。
秋,劉子、單子以王猛入於王城。以者,不以者也。入者,內弗受也。
秋、劉子・單子、王猛を以て王城に入る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼を用ゐべからざるを表す。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。
冬,十月,王子猛卒。此不卒者也。其曰卒,失嫌也。
冬十月、王子猛卒す。これ本より卒を記すべからざる人なり。ここに「卒」を記するは、彼のあの嫌疑、すでに更に點ずるを要せざればなり。
戊辰,吳敗頓、胡、沈、蔡、陳、許之師於雞甫。鬍子髡、沈子盈滅。中國不言敗,此其言敗,何也?中國不敗,鬍子髡、沈子盈,其滅乎?其言敗,釋其滅也。
戊辰、呉、雞甫に頓・胡・沈・蔡・陳・許の軍隊を敗る。胡子髡・沈子盈滅亡す。中原之國の交戰は、經文例により「敗」を書かず。ここに書くは何ぞや。中原之國、若し「敗」を書かざれば、胡子髡・沈子盈の滅亡せるこの事、なほ如何に交代せんや。「敗」を書くは、彼らの滅亡を解釋し開くなり。
獲陳夏齧。獲者,非與之辭也,上下之稱也。
陳の夏齧を俘獲す。「獲」は贊成の辭にあらず。上下の名分に就きて言うなり。
天王居於狄泉。始王也。其曰天王,因其居而王之也。
天子、狄泉に居る。これ彼の始めて王を爲すなり。「天王」と稱するは、彼がそこに居るに就きて、彼を以て王と成すなり。
尹氏立王子朝。立者,不宜立者也。朝之不名,何也?別嫌乎尹氏之朝也。
尹氏、王子朝を立つ。「立」の字を用うるは、此人本より立つべからざるを表す。朝に名を稱せざるは何ぞや。「尹氏之朝」のあの一層の嫌疑と分開せんと欲するなり。
冬,公如晉。至河,公有疾,乃復。疾不志,此其志,何也?釋不得入乎晉也。
冬、昭公、晋に如く、黄河に至りて、昭公病有りて、乃ち還る。病は例により記さず。ここに記すは何ぞや。彼の何を以て晋に進入する能わざりしかを解釋するなり。
婼至自晉。大夫執則致,致則挈。由上致之也。
婼、晋より至る。大夫執えられればすなわち歸國を書き、歸國を書けば卽名字を單に提け出だす。上彼を送り歸れしなり。
夏,叔倪會晉趙鞅、宋樂大心、衛北宮喜、鄭遊吉、曹人、邾人、滕人、薛人、小邾人於黃父。
夏、叔倪、晋の趙鞅・宋の樂大心・衛の北宮喜・鄭の游吉・曹人・邾人・滕人・薛人・小邾人と黄父に會す。
有鴝鵒來巢。一有一亡曰有。來者,來中國也。鴝鵒穴者而曰巢,或曰增之也。
鴝鵒有りて飛び來りて巢を爲す。一現一隱するを「有」と曰う。「來」は中原に來至するを言うなり。鴝鵒は本より洞穴の中に住むなり。ここに卻て「巢」と言う。一の說曰く、事を更に重く言うなりと。
秋,七月上辛,大雩。季辛,又雩。季者,有中之辭也。又,有繼之辭也。
秋七月上辛、大雩を行う。季辛、また雩祭を行う。「季」と稱するは、中間にまた有るを言うの辭なり。「又」は接續有るの辭なり。
九月乙亥,公孫於齊。孫之為言猶孫也。諱奔也。
九月乙亥、昭公、齊に孫す。「孫」の意は「遜」のごとく、彼の實は出奔なるを隱諱するなり。
齊侯唁公於野井。吊失國曰唁。唁公不得入於魯也。
齊侯、野井に昭公を慰問す。國を失せし人に對して慰問を表示するを「唁」と曰う。これ昭公の魯に進入する能わざるを慰問するなり。
十有二月,齊侯取鄆。取,易辭也。內不言取,以其為公取之,故易言之也。
十二月、齊侯、鄆を奪取す。「取」はこの事の來ること容易を言うなり。魯、己が事は例により「取」を書かず。昭公のために奪回せしがゆえに、容易の字眼を以て言うなり。
三月,公至自齊,居於鄆。公次於陽州,其曰至自齊,何也?以齊侯之見公,可以言至自齊也。居於鄆者,公在外也。至自齊,道義不外公也。
三月、昭公、齊より至り、鄆に居る。昭公本より陽州に駐在す。何を以て「至自齊」を書くか。齊侯彼を會見せれば、齊より至ると言う可し。「居于鄆」と書くは、國君外に在ればなり。「至自齊」と書くは、道義に按じて國君を外に排除せざるなり。
夏,公圍成。非國不言圍,所以言圍者,以大公也。
夏、昭公、成を圍む。一箇の國家にあらざれば例により「圍」を書かず。ここに「圍」を書くは、昭公を大に書くなり。
秋,公會齊侯、莒子、邾子、杞伯,盟於鄟陵。公至自會,居於鄆。公在外也。至自會,道義不外公也。
秋、昭公、齊侯・莒子・邾子・杞伯に會し、鄆陵に盟す。昭公、會より至り、鄆に居る。國君外に在り。「至自會」と書くは、道義に按じて國君を外に排除せざるなり。
尹氏、召伯、毛伯,以王子朝奔楚。遠矣非也。奔,直奔也。
尹氏・召伯・毛伯、王子朝を以て楚に逃亡す。走ること太だ遠し。これ對せず。謂うところの奔は、卽直截了當の奔なり。
二十有七年春,公如齊。公至自齊,居於鄆。公在外也。
二十七年春、昭公、齊に如く。昭公、齊より至り、鄆に居る。國君外に在り。
秋,晉士鞅、宋樂祁犁、衛北宮喜、曹人、邾人、滕人會於扈。
秋、晋の士鞅・宋の樂祁犁・衛の北宮喜・曹人・邾人・滕人、扈に相會す。
夏,四月庚子,叔倪卒。季孫意如曰:「叔倪無病而死,此皆無公也。是天命也,非我罪也。」
夏四月庚子、叔倪卒す。季孫意如曰く、「叔倪、病なくして死せり。これら皆國君なきの兆頭なり。これ天命なり。わが罪にあらず」と。
冬,十月,鄆潰。潰之為言,上下不相得也。上下不相得則惡矣,亦譏公也。昭公出奔,民如釋重負。
冬十月、鄆潰す。「潰」は上下相得ざるを言うなり。上下相得ざれば、すでに惡なり。また昭公を譏刺す。昭公出奔して、百姓重擔を放下せるがごとし。
三十年春,王正月,公在幹侯。中國不存公,存公故也。
三十年春、王正月、昭公、乾侯に在り(底本此の字を乾坤之乾と作す)。中原之國、例により國君なほ在るを書かず。ここに「公在」と書くは、變故有れば、以て彼を保存せんがためなり。
晉侯使荀櫟唁公於幹侯。唁公不得入於魯也。曰:「既為君言之矣,不可者意如也」。
晋侯、荀櫟をして乾侯に往きて昭公を慰問せしむ。これ彼の魯に進入する能わざるを慰問するなり。曰く、「すでに國君のために言いたり。肯んぜざるは意如なり」と。
冬,黑肱以濫來奔。其不言邾黑肱何也?別乎邾也。其不言濫子,何也?非天子所封也。來奔內,不言叛也。
冬、黑肱、濫を以て來奔す。何を以て「邾黑肱」と稱せざるか。邾國と分開せんと欲するなり。何を以て「濫子」と稱せざるか。天子の封ずる所にあらざればなり。來りて魯に奔するに、卽叛する所以を書かず。
冬,仲孫何忌會晉韓不信、齊高張、宋仲幾、衛太叔申、鄭國參、曹人、莒人、邾人、薛人、杞人、小邾人,城成周。天子微,諸侯不享覲。天子之在者,惟祭與號。故諸侯之大夫,相帥以城之。此變之正也。
冬、仲孫何忌、晋の韓不信・齊の高張・宋の仲幾・衛の太叔申・鄭の國參・曹人・莒人・邾人・薛人・杞人・小邾人に會して成周を築く。天子衰微し、諸侯進貢朝見に往かず。天子なほ在る所、ただ祭祀と名號のみ殘れり。ゆえに諸侯の大夫、彼此率ゐて往きて城を築く。これ變通の中の正道なり。
(闕文)
(闕文)
定公
元年春王。不言正月,定無正也。定之無正,何也?昭公之終,非正終也。定之始,非正始也。昭無正終,故定無正始。不言即位,喪在外也。
元年春、ただ「王」のみを書く。「正月」を書かざるは、定公に「正」なければなり。定公、何を以て「正」なきか。昭公の終結は、正當の終結にあらず。定公の開始は、正當の開始にあらず。昭公に正當の終結なければ、故に定公に正當の開始なし。「卽位」を書かざるは、喪事なほ國外に在ればなり。
三月,晉人執宋仲幾於京師。此其大夫。其曰人,何也?微之也。何為微之?不正其執人於尊者之所也,不與大夫之伯討也。
三月、晋人、京師に於いて宋の仲幾を執う。此人は晋の大夫なり。「人」と稱するは何ぞや。彼を低微に書くなり。何を以て低微に書くか。彼が尊者の在る所に於いて人を執えしを滿とせず。大夫の霸主の方式を以て討つを贊成せざるなり。
夏,六月癸亥,公之喪至自幹侯。戊辰,公即位。殯,然後即位也。定無正,見無以正也。逾年不言即位,是有故公也。言即位,是無故公也。即位,授受之道也。先君無正終,則後君無正始也。先君有正終,則後君有正始也。「戊辰,公即位」,謹之也。定之即位,不可不察也。公即位,何以日也?戊辰之日,然後即位也。癸亥,公之喪至自幹侯,何為戊辰之日,然後即位也?正君乎國,然後即位也。沈子曰:「正棺乎兩楹之間,然後即位也。」內之大事日,即位,君之大事也,其不日,何也?以年決者,不以日決也。此則其日,何也?著之也。何著焉?逾年即位,厲也。於厲之中,又有義焉!未殯,雖有天子之命猶不敢,況臨諸臣乎!周人有喪,魯人有喪,周人吊,魯人不弔。周人曰:「固吾臣也,使人可也。」魯人曰:「吾君也,親之者也,使大夫則不可也。」故周人吊,魯人不弔,以其下成康為未久也。君至尊也,去父之殯而往吊,猶不敢,況未殯而臨諸臣乎!
夏六月癸亥、昭公の靈柩、乾侯より至る。戊辰、定公卽位す。先ず殯して、後に卽位す。定公に「正」なきは、以て正すべきを顯出する無きを顯出すなり。年を過ごしてなほ卽位を書かざるは、先君なほ在ればなり。卽位を書けば、すなわちこの先君なきがごとし。卽位は、授與と受くるの道理なり。先君に正當の終結なければ、後君に正當の開始なし。先君に正當の終結有れば、後君始めて正當の開始有り。「戊辰、公卽位」と書くは、鄭重その事なり。定公の卽位、細看すべからざるなし。國君卽位するに、何を以て日を記すか。戊辰のこの日に到りて、後に始めて卽位す。癸亥、靈柩乾侯より至る。何を以て戊辰に至りて始めて卽位するか。國君を國内に擺正して、後に始めて卽位す。沈子曰く、「棺を兩楹の間に擺正して、後に始めて卽位す」と。國内の大事は日を記す。卽位は國君の大事にして、例により日を記さず。何ぞや。年に按じて決斷するは、日に按じて決斷せざるなり。ここに卻て日を記すは何ぞや。以て之を顯出せんと欲するなり。何を顯出するか。年を過ごして卽位するは、本より凶危なり。卽この凶危の中に在りて、また義有り!いまだ殯せざれば、卽天子の命令有りとも敢えて卽位せず。況んや群臣に面對してをや!周室に喪有り、魯國に喪有り。周室來りて弔うに、魯國往きて弔わず。周室曰く、「本より我が臣なり。人を遣りて往かば可なり」と。魯國曰く、「あれは我が國君なり。わが親とする所なり。大夫を遣りて往かば不可なり」と。ゆえに周室來りて弔うに、魯國往きて弔わず。成王・康王の時代を距ることなほ久しからざればなり。國君は至尊なり。父の殯を離れて弔喪に往くもなほ敢えず。況んやいまだ殯せざるに群臣に面對せんや!
九月,大雩。雩月,雩之正也。秋大雩,非正也。冬大雩,非正也。秋大雩,雩之為非正,何也?毛澤未盡,人力未竭,未可以雩也。雩月,雩之正也。月之為雩之正,何也?其時窮,人力盡,然後雩,雩之正也。何謂其時窮、人力盡?是月不雨,則無及矣;是年不艾,則無食矣,是謂其時窮、人力盡也。雩之必待其時窮、人力盡,何也?雩者,為旱求者也。求者,請也,古之人重請。何重乎請?人之所以為人者,讓也。請道去讓也,則是舍其所以為人也,是以重之,焉請哉?請乎應上公。古之神人有應上公者,通乎陰陽,君親帥諸大夫道之而以請焉。夫請者,非可詒托而往也,必親之者也,是以重之。
九月、大雩を行う。雩祭、月を記するは雩の正例なり。秋に大雩を行うは、正の道に合せず。冬に大雩を行うも、正の道に合せず。秋の大雩、何を以て正の道に合せざるか。草木の潤澤いまだ盡きず、人力いまだ用竭せず。雩すべからず。月を記するは雩の正例なり。何を以て月を記して正例と爲すか。時令窮盡し、人力用盡するに到りて、後に始めて雩す。これこそ雩の正例なり。何を時令窮盡・人力用盡と謂うか。この月再び雨降らざれば、來るに及ばず。この年再び收割せざれば、食う所なし。これを時令窮盡・人力用盡と謂うなり。雩は必ず時令窮盡・人力用盡を俟つは何ぞや。雩は旱のために求むるなり。求は卽請求なり。古人、請求を甚だ重く視たり。何を以て請求を重んずるか。人の人たる所以は、謙讓に靠る。請求のこの路は謙讓を離るるなり。卽人の人たる所以を丟掉せるなり。ゆえに之を重んず。誰に請求するか。應上公に請求す。古に應上公と曰う神人有り。陰陽を通達し、國君自ら大夫を率いて、導引して往きて請求す。請求のこの事、人に托して往くべきにあらず。必ず自ら往かんことを要す。ゆえに之を重んず。
冬,十月,隕霜殺菽。未可以殺而殺,舉重;可殺而不殺,舉輕。其曰菽,舉重也。
冬十月、霜降りて豆を凍死せしむ。いまだ凍死すべからざるに凍死せば、分量重きを擧げて言う。凍死すべきにして凍死せざれば、分量輕きを擧げて言う。ここに「菽」を書くは、分量重きを擧ぐるなり。
夏,五月壬辰,雉門及兩觀災。其不曰「雉門災及兩觀」,何也?災自兩觀始也,不以尊者親災也;先言雉門,尊尊也。
夏五月壬辰、雉門と兩觀災す。何を以て「雉門災及兩觀」を書かざるか。火は兩觀より燒き起これり。尊貴のあの一邊をして火災に親附せしめず。先ず雉門を書くは、尊貴を尊崇するなり。
冬,十月,新作雉門及兩觀。言新,有舊也。作,為也,有加其度也。此不正其以尊者親之,何也?雖不正也,於美猶可也。
冬十月、雉門と兩觀とを新作す。「新」と言うは、もと舊有ればなり。「作」は爲すなり。規模を加大せるなり。ここに本より彼らの尊貴の一邊をしてこの事に親附せしめしを滿とせず。何を以てなほ記すか。卽正の道に合せずとも、美好のあの一面に就きて言えば、なほ可なり。
三月,公會劉子、晉侯、宋公、蔡侯、衛侯、陳子、鄭伯、許男、曹伯、莒子、邾子、頓子、鬍子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子、齊國夏於召陵,侵楚。
三月、定公、劉子・晋侯・宋公・蔡侯・衛侯・陳子・鄭伯・許男・曹伯・莒子・邾子・頓子・胡子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子・齊の國夏と召陵に會して、楚に侵す。
夏,四月庚辰,蔡公孫姓帥師滅沈,以沈子嘉歸,殺之。
夏四月庚辰、蔡の公孫姓、師を率いて沈を滅ぼし、沈子嘉を帶り歸りて、彼を殺す。
五月,公及諸侯盟於皋鼬。後而再會,公志於後會也。後,志疑也。
五月、定公、諸侯と皋鼬に盟す。後にまた再び相會す。定公の心意、後の一次の會に在り。「后」は遲疑を記下すなり。
劉卷卒。此不卒而卒者,賢之也。寰內諸侯也,非列土諸侯,此何以卒也?天王崩,為諸侯主也。
劉卷卒す。これ本より卒を記すべからざる人なり。ここに記すは、彼を賢と認むるなり。彼は王畿以内の諸侯にして、土を受け列封せられたる諸侯にあらず。何を以て彼の死を記すか。天子卒するの時、彼諸侯のために弔喪の事を主持せしなり。
冬,十有一月庚午,蔡侯以吳子及楚人戰於伯舉。楚師敗績。吳其稱子,何也?以蔡侯之以之,舉其貴者也。蔡侯之以之,則其舉貴者,何也?吳信中國而攘夷狄,吳進矣。其信中國而攘夷狄奈何?子胥父誅於楚也,挾弓持矢而幹闔廬,闔廬曰:「大之甚!勇之甚!為是欲興師而伐楚。」子胥諫曰:「臣聞之:君不為匹夫興師。且事君猶事父也,虧君之義,復父之讎,臣弗為也。」於是止。蔡昭公朝於楚,有美裘,正是日,囊瓦求之,昭公不與。為是拘昭公於南郢。數年,然後得歸。歸乃用事乎漢,曰:「茍諸侯有欲伐楚者,寡人請為前列焉!」楚人聞之而怒,為是興師而伐蔡。蔡請救於吳,子胥曰:「蔡非有罪,楚無道也。君若有憂中國之心,則若此時可矣!」為是興師而伐楚。何以不言救也?救大也。
冬十一月庚午、蔡侯、呉子を以て楚人と伯舉に戰い、楚師敗績す。呉に「子」を稱するは何ぞや。蔡侯彼を用ゐれば、故に彼の尊貴の身分を擧げて言うなり。蔡侯彼を用うるに、何を以てなほ彼の貴を擧ぐるか。呉、中原を信從し、夷狄を排斥す。呉、一等を進めたり。彼如何にして中原を信從し夷狄を排斥せしか。子胥の父、楚に於いて殺され、彼弓箭を帶びて闔廬を求見しに往く。闔廬曰く、「仇太だ大なり!勇氣もまた太だ大なり!このために師を興して楚を伐たんと欲す」と。子胥勸諫して曰く、「臣聞く、國君、一箇の匹夫のために師を興さず。況んや國君に侍奉するは父に侍奉するがごとし。國君の義を虧損して、父の仇を報ずるは、臣の爲さざる所なり」と。すなわち停まる。蔡昭公、楚に朝見しに往くに、一件の美麗の裘有り。卽この日、囊瓦來りて求む。昭公與えず。これに因りて昭公を南郢に拘し、幾年を過ごして始めて歸るを得たり。歸ればすなわち漢水のほとりに於いて祭祀して曰く、「假如諸侯に楚を伐たんと欲する者有らば、寡人、前隊と爲らんことを請わん」と。楚人之を聞きて怒り、これに因りて師を興して蔡を伐つ。蔡、呉に救を求む。子胥曰く、「蔡併せて罪なし。楚無道なり。君王、若し中原を憂念するの心有らば、この時、可なり」と。これに因りて師を興して楚を伐つ。何を以て「救」を書かざるか。「救」は更に大なる字なればなり。
庚辰,吳入楚。日入,易無楚也。易無楚者,壞宗廟,徙陳器,撻平王之墓。何以不言滅也?欲存楚也。其欲存楚奈何?昭王之軍敗而逃,父老送之,曰:「寡人不肖,亡先君之邑。父老反矣,何憂無君?寡人且用此入海矣!」父老曰:「有君如此其賢也!」以眾不如吳,以必死不如楚,相與擊之,一夜而三敗吳人,復立。何以謂之吳也?狄之也。何謂狄之也?君居其君之寢,而妻其君之妻;大夫居其大夫之寢,而妻其大夫之妻。蓋有欲妻楚王之母者,不正乘敗人之績而深為利。居人之國,故反其狄道也。
庚辰、呉、楚に入る。入るの日を記すは、楚を以て無きがごとく視るなり。謂うところの無きがごとしは、宗廟を毀壞し、陳設の祭器を搬去し、平王の墳墓を鞭打するなり。何を以て「滅」を書かざるか。楚を保存せんと欲するなり。如何にして楚を保存せんと欲するか。昭王の軍隊、戰敗して走るに、父老彼を送る。彼曰く、「寡人出息なく、先君の城邑を丟掉せり。父老歸れ。何ぞ國君なきを擔憂せんや。寡人將にここより海に入らんとす」と。父老曰く、「かくのごとき賢の國君有り」と。人衆を論ずれば呉に及ばず、死を拼するを論ずれば楚に及ばず。すなわち一起に反擊し、一夜の間に三たび呉人を敗りて、重新に立住れり。何を以て「呉」と稱するか。之を狄人と爲せばなり。何を以て狄人と爲すか。國君、人の國君の寢に住み、人の國君の妻を娶る。大夫、人の大夫の寢に住み、人の大夫の妻を娶る。據説なほ楚王の母を娶らんと欲する者有り。彼らの人を打敗するに趁りて大に好處を撈るを滿とせず、人の國の中に住す。ゆえに之を狄人の路に打ち歸す。
夏,歸粟於蔡。諸侯無粟,諸侯相歸粟,正也。孰歸之?諸侯也。不言歸之者,專辭也,義邇也。
夏、蔡國に糧食を送る。諸侯に糧食なく、諸侯互いに糧を送るは、始めて正の道に合す。送りしは誰ぞ。諸侯なり。誰の送りしかを書き出ださざるは、獨り作主するの辭なり。義に按じて本より身邊の爲すべきなればなり。
六年春,王正月癸亥,鄭遊速帥師滅許,以許男斯歸。
六年春、王正月癸亥、鄭の游速、師を率いて許を滅ぼし、許男斯を帶り歸る。
冬,城中城。城中城者,三家張也。或曰非外民也。
冬、中城を築く。中城を築くは、三家の擴張するなり。一の說曰く、併せて百姓を外に排除せんと欲するにあらずと。
秋,齊侯、鄭伯盟於鹹。齊人執衛行人北宮結以侵衛。以,重辭也。衛人重北宮結。
秋、齊侯・鄭伯、咸に盟す。齊人、衛の行人北宮結を執えて以て衛に侵す。「以」の字を用うるは、分量甚だ重きの辭なり。衛人、北宮結を重んず。
八年春,王正月,公侵齊。公至自侵齊。二月,公侵齊。三月,公至自侵齊。公如,往時致月,危致也;往月致時,危往也;往月致月,惡之也。
八年春、王正月、定公、齊に侵す。定公、侵齊の軍中より至る。二月、定公、また齊に侵す。三月、定公、侵齊の軍中より至る。國を出づるに季節を記し、國に歸るに月を記するは、歸るを心配するなり。出づるに月を記し、歸るに季節を記するは、出づるを心配するなり。出づるに月を記し、歸るにも月を記するは、彼を惡むなり。
盜竊寶玉、大弓。寶玉者,封圭也。大弓者,武王之戎弓也。周公受賜,藏之魯。非其所以與人而與人,謂之亡;非其所取而取之,謂之盜。
盜賊、寶玉・大弓を偷去す。寶玉は、封國の時の圭なり。大弓は、武王の戎弓なり。周公賞賜を受けて、魯國に藏す。人に與うべからざるを人に與うるを、亡と曰い。取るべからざるを取るを、盜と曰う。
得寶玉、大弓。其不地,何也?寶玉、大弓,在家則羞不目羞也。惡得之,得之堤下。或曰陽虎以解眾也。
寶玉・大弓を得たり。何を以て地を記さざるか。寶玉・大弓、若し大夫の家に在らば、卽羞恥なり。經文、この層の羞恥を點明せず。如何にして得たるか。堤の下に於いて得たり。一の說曰く、陽虎の以て衆人を解散せしめしなりと。
夏,公會齊侯於頰谷。公至自頰谷。離會不致,何為致也?危之也。危之則以地致,何也?為危之也。其危奈何?曰:頰谷之會,孔子相焉。兩君就壇,兩相相揖,齊人鼓譟而起,欲以執魯君。孔子歷階而上,不盡一等,而視歸乎齊侯,曰:「兩君合好,夷狄之民,何為來為?」命司馬止之。齊侯逡巡而謝曰:「寡人之過也。」退而屬其二三大夫曰:「夫人率其君與之行古人之道,二三子獨率我而入夷狄之俗,何為?」罷會。齊人使優施舞於魯君之幕下。孔子曰:「笑君者罪當死。」使司馬行法焉,首足異門而出。齊人來歸鄆、讙、龜、陰之田者,蓋為此也。因是以見:雖有文事,必有武備。孔子於頰谷之會見之矣。
夏、定公、頰谷に齊侯を會見す。定公、頰谷より至る。分開の會、例により歸國を書かず。何を以て書けるか。彼のために心配するなり。彼のために心配するに、地に按じて歸國を書くは何ぞや。正に以てこの層の心配を寫き出ださんがためなり。何を心配するか。答えて曰く、頰谷のこの會、孔子、儐相を擔任す。兩位の國君、壇に走上る。兩位の儐相、揖す。齊人、鼓を擊ち諱嘩して立起りて、魯君を執えんと欲す。孔子、一歩一歩階に登り、なほ一級を差して、眼齊侯を視て曰く、「兩國の國君好を合せり。夷狄の民、何を以てここに來るか」と。司馬に命じて彼らを制止せしむ。齊侯、遲疑して謝罪して曰く、「是れ寡人の過なり」と。退き下りて彼の幾位の大夫に曰く、「あの人、彼の國君を率いて、彼とともに古人の路を走る。爾ら卻てただ我を率いて夷狄の習俗に走り入らしむ。何ぞや」と。すなわち散會す。齊人、優施をして魯君の帳幕の下に舞わしむ。孔子曰く、「國君を取笑する者、罪死に當たるべし」と。司馬をして刑法を執行せしめ、頭と脚と不同の門より送出せり。齊人、後に來りて鄆・讙・龜陰の田を歸還す。大概卽このためなり。これを以て見べし。卽文事有るとも、亦必ず武備有るを要す。孔子、頰谷のこの會に於いて人をして此の一點を見せしめたり。
叔孫州仇、仲孫何忌帥師圍郈。秋,叔孫州仇、仲孫何忌帥師圍郈。
叔孫州仇・仲孫何忌、師を率いて郈を圍む。秋、叔孫州仇・仲孫何忌、師を率いて郈を圍む。
入於蕭以叛,入者,內弗受也;以者,不以也;叛,直叛也。
蕭に入りて叛す。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。「以」の字を用うるは、正にかくのごとくすべからざるを表す。謂うところの叛は、卽直截了當の叛なり。
