荘公
元年春,王正月。繼弒君不言即位,正也。繼弒君不言即位之為正,何也?曰:先君不以其道終,則子不忍即位也。
元年春、周歴正月。弑されたる国君の後に接するに、経文は「即位」を書かず、これ正例なり。なぜこれを正例というか。答えて曰く、先君が善終を得ざれば、子は即位の礼を行うに忍びざればなり。
三月,夫人孫於齊。孫之為言猶孫也。諱奔也。接練時,錄母之變,始人之也。不言氏姓,貶之也。人之於天也,以道受命;於人也,以言受命。不若於道者,天絕之也;不若於言者,人絕之也。臣子大受命。
三月、夫人、斉国に逃げ往く。「孫」の意は「遜」のごとく、彼女の実は出奔なるを隠諱するなり。練祭の時に至りて、母の身分の変故を記し、始めて彼女を普通の人として遇す。彼女の氏姓を書かざるは、彼女を貶むるなり。人は天に対しては正道によりて天命を受け、人に対しては言辞によりて使命を受く。道に順わざるは天これを棄て、言に順わざるは人これを棄つ。臣子は大いに君父より命を受くるなり。
夏,單伯逆王姬。單伯者何?吾大夫之命乎天子者也。命大夫,故不名也。其不言如,何也?其義不可受於京師也。其義不可受於京師,何也?曰:躬君弒於齊,使之主婚姻,與齊為禮,其義固不可受也。
夏、単伯、王姫を迎娶す。単伯とは何者か。我が魯国の天子より任命を受けたる大夫なり。天子の任命せる大夫なるがゆえ名を称せず。なぜ「京師に如く」と書かざるか。道理によりこの事は京師にて受くべからざればなり。なぜ京師にて受くべからざるか。答えて曰く、国君本人が先ほど斉国にて殺害されしに、魯国をしてこの婚事を主し、斉国と礼を行わしむるは、道理により本より受くべからざればなり。
秋,築王姬之館於外。築,禮也。於外,非禮也。築之為禮,何也?主王姬者,必自公門出。於廟則已尊,於寢則已卑。為之築,節矣。築之外,變之正也。築之外,變之為正,何也?仇讎之人非所以接婚姻也,衰麻非所以接弁冕也。其不言齊侯之來逆,何也?不使齊侯得與吾為禮也。
秋、城外に王姫の館舎を修建す。館舎を修建するは礼に合す。城外に修するは礼に合せず。なぜ修建するが礼に合すというか。王姫の出嫁を主るは、必ず公宮の門より送り出すべし。太廟に置けば尊に過ぎ、路寝に置けばまた卑に過ぎ、彼女に別に一所を建つるを乃ち得体と為す。城外に修するは変通の中の正道なり。なぜこの変通がなお正道というか。仇敵の人はもって婚姻を交接するに用いず、衰麻を著るもまた冕服を著る人を交接するに用いざればなり。なぜ斉侯の前來して迎娶すると書かざるか。斉侯をして我が魯国と礼を行うを得しめざればなり。
冬,十月乙亥,陳侯林卒。諸侯日卒,正也。
冬十月乙亥、陳侯林卒す。諸侯の去世に日を記し出すは、常規に合するなり。
王使榮叔來錫桓公命。禮有受命,無來錫命;錫命非正也。生服之,死行之,禮也。生不服,死追錫之,不正甚矣。
周の天子、栄叔を遣わして來りて桓公の命服を追賜せしむ。礼によりて、ただ親身に往きて任命を受くるあり、天子の門に送り來りて命を賜うなし。命を賜うこの事自体すなわち正道に合せず。生ける時これを著て、死して後これに按じて喪を行うを乃ち礼に合す。生ける時著ず、死して後に乃ち追賜するは、更に正道に合せず。
齊師遷紀,郱、鄑、郚。紀,國也。郱、鄑、郚,國也。或曰遷紀於郱、鄑、郚。
斉国の軍隊、紀国及び郱・鄑・郚を遷す。紀は一国なり。郱・鄑・郚もまた国なり。別の説に、紀国を郱・鄑・郚に遷せしなりと。
夏,公子慶父帥師,伐於餘丘。國而曰伐。於餘丘,邾之邑也。其曰伐何也?公子貴矣,師重矣。而敵人之邑,公子病矣。病公子,所以譏乎公也。其一曰君在而重之也。
夏、公子慶父、軍隊を帥いて余丘を攻む。一国に対して乃ち「伐」を用う。余丘は邾国の城邑なり。ここになぜ「伐」を用うるか。公子の地位既に貴く軍隊も足りて大なるに、人の一座の城邑と対敵しに往くは、公子は難堪を顯す。公子を難堪ならしむるは、正に莊公を譏刺するに用うるなり。別の説に、相手方の国君彼処に在るがゆえ、この事を重く書けりと。
冬,十有二月,夫人姜氏會齊侯於禚。婦人既嫁不逾竟,逾竟非正也。婦人不言會,言會非正也。饗甚矣。
冬十二月、夫人姜氏、禚の地に斉侯と相会す。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。婦人は例により「会」を書かず、「会」を書けばすなわち正道に合せず。若し更に宴を設けて招待せば、更に過分なり。
三年春,王正月。溺會齊侯伐衛。溺者何也?公子溺也。其不稱公子,何也?惡其會仇讎而伐同姓,故貶而名之也。
三年春、周歴正月。溺、斉侯に会合して衛国を攻む。溺とは何者か。すなわち公子溺なり。なぜ彼を「公子」と称せざるか。彼が仇敵に会合し同姓の国を攻めしを憎み、ゆえに彼を貶めてただ名を称す。
五月,葬桓王。傳曰:改葬也。改葬之禮緦,舉下,緬也。或曰卻屍以求諸侯。天子志崩不志葬,必其時也。何必焉?舉天下而葬一人,其義不疑也。志葬,故也,危不得葬也。曰:近不失崩。不志崩,失天下也。獨陰不生,獨陽不生,獨天不生,三合然後生。故曰:母之子也可,天之子也可。尊者取尊稱焉,卑者取卑稱焉。其曰王者,民之所歸往也。
五月、桓王を安葬す。伝文に曰く、これ改葬なり。改葬の喪服はただ緦麻を用い、最も軽き一等を挙ぐるは、遥かに追念するなり。別の説に、遺体を停め置きて、諸侯の皆到り齐うを待つなりと。天子は「崩」を記して葬礼を記さず、葬礼の時日は一定なればなり。なぜ一定か。全天下ただこの一人を葬るのみ、疑うべきところなし。ここに葬礼を記すは、変故ありて、時に按じて葬を報ずること能わざらんを憂うればなり。また言うべし、近代以來「崩」は漏れ記することなし。「崩」を記さざれば、すなわち天下を失うに等し。単に陰のみにては生ぜず、単に陽のみにても生ぜず、単に天のみにても生ぜず、三つ合いまさりて然る後に乃ち生ず。ゆえに曰く、「母の子」と称するも可、「天の子」と称するも可。尊貴なるは尊貴の称呼を取り、卑下なるは卑下の称呼を取る。「王」と称するは、百姓皆彼に帰往すればなり。
秋,紀季以酅入於齊。酅,紀之邑也。入於齊者,以酅事齊也。入者,內弗受也。
秋、紀季、酅邑を帶して斉国に帰入す。酅は紀国の城邑なり。「斉に入る」と言うは、酅邑を取りて斉国に事えに往くなり。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。
冬,公次於郎。次,止也,有畏也。欲救紀而不能也。
冬、莊公、郎の地に駐扎す。「次」はすなわち停止するなり、畏るるところあるがゆえなり。紀国を救わんと欲すれど、弁ずること能わず。
四年春,王二月,夫人姜氏饗齊侯於祝丘。饗,甚矣。饗齊侯,所以病齊侯也。
四年春、周歴二月、夫人姜氏、祝丘に斉侯を設宴して招待す。宴を設けて招待するは既に過分なり。「斉侯を饗す」と書くは、正に斉侯を難堪ならしむるに用うるなり。
三月,紀伯姬卒。外夫人不卒,此其言卒,何也?吾女也。適諸侯則尊同,以吾為之變,卒之也。
三月、紀伯姬卒す。外国の夫人の去世は、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼女は我が魯国の娘なればなり。諸侯に嫁ぐは、尊貴すなわち諸侯と相同じ。魯国彼女のために服喪して礼を変ず。ゆえに彼女の死を記す。
紀侯大去其國。大去者,不遺一人之辭也,言民之從者四年而後畢也。紀侯賢而齊侯滅之。不言滅,而曰大去其國者,不使小人加乎君子。
紀侯、大いにその国を去る。「大去」は一人も留め置かざるの言にして、彼に随いて去る百姓、四年を過ぎて乃ち尽く去るを言う。紀侯賢明なるに、斉侯かえってその国を滅ぼせり。「滅」を書かずして「大いにその国を去る」と書くは、小人をして君子の上に加わらしめざればなり。
六月乙丑,齊侯葬紀伯姬。外夫人不書葬,此其書葬,何也?吾女也。失國,故隱而葬之。
六月乙丑、斉侯、紀伯姬を安葬す。外国の夫人は、経文例により葬礼を記さず。ここに記せるはなぜか。彼女は我が魯国の娘なればなり。彼女の国既になくなりしかば、彼女を哀憐して安葬を記す。
冬,公及齊人狩於郜。齊人者,齊侯也,其曰人何也?卑公之敵,所以卑公也。何為卑公也?不復讎,而怨不釋,刺釋怨也。
冬、莊公、斉国の人と郜の地に打猟す。「斉人」は実は斉侯なるに、経文「人」と称するはなぜか。莊公の对手を卑しく書くは、すなわち莊公を卑しく書くなり。なぜ莊公を卑しく書くか。仇未だ報ぜられず怨未だ解かれざるに、かえって仇人とともに打猟に往くは、これ彼の解くべからざる怨を解きしを譏刺するなり。
夏,夫人姜氏如齊師。師而曰如,眾也。婦人既嫁不逾竟,逾竟非禮也。
夏、夫人姜氏、斉国の軍隊のところに至る。一支の軍隊に対しても「如」を用うるは、人の衆多なるがゆえなり。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは礼に合せず。
秋,郳黎來來朝。郳,國也。黎來,微國之君,未爵命者也。
秋、郳国の黎來、來り朝見す。郳は一国なり。黎來は小国の国君にして、未だ周の天子より爵命を得ざるなり。
冬,公會齊人、宋人、陳人、蔡人伐衛。是齊侯、宋公也,其曰人何也?人諸侯,所以人公也。其人公何也?逆天王之命也。
冬、莊公、斉国の人・宋国の人・陳国の人・蔡国の人に会合して衛国を攻む。ここの「斉人」「宋人」は実は斉侯・宋公なるに、経文「人」と称するはなぜか。諸侯を「人」と書き成すは、すなわち莊公を「人」と書き成すなり。なぜ莊公を「人」と書き成すか。彼が周の天子の命令に違逆せしがゆえなり。
六年春,王二月,王人子突救衛。王人,卑者也。稱名,貴之也。善救衛也。救者善,則伐者不正矣。
六年春、周歴二月、周王室の人子突、衛国を救いに往く。「王人」は地位低微の人なり。その名を称し出すは、彼を抬擧するなり。経文は衛を救うを賛成す。救う人正しければ、攻めに往く人は正道に合せず。
夏,六月,衛侯朔,入於衛。其不言伐衛納朔,何也?不逆天王之命也。入者,內弗受也。何用弗受也?為以王命絕之也。朔之名惡也,朔入逆,則出順矣;朔出入名,以王命絕之也。
夏六月、衛侯朔、衛国に入る。なぜ「衛を伐ち朔を送り入る」と書かざるか。魯国が天子の命令に違逆するがごとく書きたからざればなり。「入」の字を用うるは、衛国が受け入れざるを示す。何を凭じて受け入れざるか。天子既に王命をもって彼を断絶せしがゆえなり。直に朔の名を書くは、是とせざるを示す。朔のこの入るは逆なれば、彼の従前の出づるは順なるなり。朔の出づる・入る皆名を称するは、天子既に王命をもって彼を断絶せしがゆえなり。
秋,公至自伐衛。惡事不致,此其致,何也?不致,則無用見公之惡、事之成也。
秋、莊公、衛を伐つ軍より帰る。悪事は例により回国を書かず。ここに書けるはなぜか。回国を書かざれば、莊公の悪を見出すに従なく、またこの事の既に為し成されしを見出すに従なし。
冬,齊人來歸衛寶。以齊首之分惡於齊也。使之如下齊而來我然,惡戰則殺矣。
冬、斉国の人、來りて衛国の宝器を帰還す。斉国を頭に書くは、悪を一部分斉国に分け与え、この事を斉国の主動に下り來りて我が魯国に送りしがごとく見せしむるなり。かくすれば、あの战事への憎悪減軽せらる。
七年春,夫人姜氏會齊侯於防。婦人不會,會非正也。
七年春、夫人姜氏、防の地に斉侯と相会す。婦人は例により相会せず、相会すればすなわち正道に合せず。
夏,四月辛卯,昔,恆星不見。恆星者,經星也。日入至於星出謂之昔。不見者,可以見也。
夏四月辛卯、黄昏の時分、恒星見えず。恒星はすなわち経星、すなわち常年見うべきあの星どもなり。太陽落ちて星出づるまで、この時間を「昔」と言う。「見えず」と言うは、本来見うべきなればなり。
夜中星隕如雨。其隕也如雨,是夜中與?《春秋》著以傳著,疑以傳疑。中之,幾也;而曰夜中,著焉爾。何用見其中也?失變而錄其時,則夜中矣!其不曰恆星之隕何也?我知恆星之不見,而不知其隕也。我見其隕而接於地者,則是雨說也。著於上,見於下,謂之雨;著於下,不見於上,謂之隕。豈雨說哉!
夜半、星墜ちて雨の下るがごとし。墜ちて雨の下るがごときは、あれ真に夜半なりや。《春秋》は確かなるを確かのままに伝え、疑わしきを疑わしきのままに伝う。正中と言うは本より約略の言にして、「夜中」と書き成すはこれを説き定めたるなり。何を凭じて正中と見出すか。変異既に消失せり、当時の時刻を記せば、すなわち夜半なり。なぜ「恒星陨落」と言わざるか。我ただ恒星の見えざりしを知りて、彼らの墜ち下りしを知らず。我墜ち下りて地上に接するを見たる、それ乃ち「雨」という言い方なり。先に天上に顯現し再び地下に落つるを見るを「雨」といい、ただ地下に在るを見てかつて天上より墜つるを見ざるを「陨」という。これ豈に「雨」の言い方ならんや。
冬,夫人姜氏會齊侯於谷。婦人不會,會非正也。
冬、夫人姜氏、穀の地に斉侯と相会す。婦人は例により相会せず、相会すればすなわち正道に合せず。
八年春,王正月,師次於郎,以俟陳人、蔡人。次,止也。俟,待也。
八年春、周歴正月、軍隊、郎の地に駐扎して陳国の人・蔡国の人を待つ。「次」はすなわち停止するなり。「俟」はすなわち等待するなり。
甲午,治兵。出曰治兵,習戰也。入曰振旅,習戰也。治兵而陳、蔡不至矣。兵事以嚴終,故曰善陳者不戰,此之謂也。善為國者不師,善師者不陳,善陳者不戰,善戰者不死,善死者不亡。
甲午、治兵を行う。兵を出すとき「治兵」と言うは、作戦を演習するなり。帰り來るとき「振旅」と言うも、また作戦を演習するなり。治兵の後、陳国・蔡国しかし來らず。兵を用うる事は厳整をもって収場すべし。ゆえに曰く、陣を布くに善き者は交戦するを要せず、この意なり。国を治むるに善き者は師を興すを用いず、兵を用うるに善き者は陣を布くを必せず、陣を布くに善き者は交戦するを必せず、戦うに善き者は軽々しく死を送らず、死に赴くに善き者は国を亡ぼさず。
夏,師及齊師圍郕。郕降於齊師。其曰降於齊師何?不使齊師加威於郕也。
夏、魯国の軍隊と斉国の軍隊、郕国を包囲す。郕国、斉国の軍隊に投降す。なぜ「斉師に降る」と書き成すか。斉国の軍隊をして郕国に威勢を施加せしがごとく見せしめざればなり。
冬,十有一月癸未,齊無知弒其君諸兒。大夫弒其君,以國氏者,嫌也。弒而代之也。
冬十一月癸未、斉国の無知、その君諸児を殺す。大夫がその君を弑するに、経文はかえって国名「斉」をその名に冠するは、ここに指し示すべき一層の嫌疑あるがゆえなり――彼が君を弑して後、自らこれに代わりたるなり。
九年春,齊人殺無知。無知之挈,失嫌也。稱人以殺大夫,殺有罪也。
九年春、斉国の人、無知を殺す。ここに「無知」を単に挙げて直にその名を呼ぶは、彼の篡位の嫌疑は既に再び指すを要せざればなり。「某国の人大夫を殺す」と書くは、殺されたる者が罪あるを示す。
公及齊大夫盟於暨。公不及大夫,大夫不名,無君也。盟納子糾也。不日,其盟渝也。當齊無君,制在公矣。當可納而不納,故惡內也。
莊公、斉国の大夫と暨の地に会盟す。国君は別国の大夫と「及」をもって並列しえず。大夫の名を称せざるは、斉国当時国君なかりしがゆえなり。この会盟は、子糾を斉国に送り入れんがためなり。日を記さざるは、この盟約が後に毀棄されたればなり。正に斉国に国君なきに当たりて、裁断の権は本より莊公の手に在り。送り入るべきときに送らざりしかば、ゆえに経文は魯国の側を憎む。
夏,公伐齊,納糾。當可納而不納,齊變而後伐,故干時之戰不諱敗,惡內也。
夏、莊公、斉国を攻めて糾を送り入れんと欲す。送り入るべきときに送らず、斉国の局勢変わりて後に乃ち兵を出せしかば、干時のあの一戦に魯国の敗績を隠諱せざるは、魯国の側を憎めばなり。
齊小白入於齊。大夫出奔反,以好曰歸,以惡曰入。齊公孫無知弒襄公,公子糾、公子小白不能存,出亡。齊人殺無知,而迎公子糾於魯,公子小白不讓公子糾,先入,又殺之於魯。故曰齊小白入於齊,惡之也。
斉国の小白、斉国に入る。大夫出奔して後再び帰るに、善意の帰るを「歸」といい、悪意の帰るを「入」という。斉国の公孫無知、襄公を殺し、公子糾・公子小白自ら存すること能わず、国外に逃げたり。斉国の人無知を殺し、魯国に來りて公子糾を迎えんとすに、公子小白、公子糾に譲らずして自ら先一步入り、後にまた公子糾を魯国にて殺せり。ゆえに「斉小白斉に入る」と書き成すは、彼を憎むるなり。
九月,齊人取子糾殺之。外不言取,言取,病內也。取,易辭也,猶曰取其子糾而殺之云爾。十室之邑,可以逃難;百室之邑,可以隱死。以千乘之魯,而不能存子糾,以公為病矣。
九月、斉国の人、子糾を取り去りて殺す。外国の事は例により「取」を書かず。「取」を書けるは、魯国の側を責むるなり。「取」はこの事の來ること容易なりを言う、彼らが子糾を取り來りて殺せしのみに等し。十戸の城邑もなお難を逃るべく、百戸の城邑もなお死なんとする一人を蔵め得べし。魯国のごとき千乗の国を凭じて、子糾を保全すること能わず。経文は莊公を病あると見なすなり。
十年春,王正月,公敗齊師於長勺。不日,疑戰也。疑戰而曰敗,勝內也。
十年春、周歴正月、莊公、長勺に斉国の軍隊を敗る。日を記さざるは、これ約束なき遭遇戦なればなり。約束なくして「敗」と書き成すは、勝利の魯国の側に在るを示す。
二月,公侵宋。侵時,此其月何也?乃深其怨於齊,又退侵宋以眾其敵,惡之。故謹而月之。
二月、莊公、宋国に侵入す。侵入は本より季によりて記すに、ここに月を記し出すはなぜか。彼は先ほど斉国と深怨を結び、また退き返りて宋国に侵入し、自らの敵人を更に多くせり。経文彼を憎み、ゆえに鄭重に月を記し出すなり。
三月,宋人遷宿。遷,亡辭也。其不地,宿不復見也。遷者,猶未失其國家以往者也。
三月、宋国の人、宿国を遷す。「遷」は亡国の措辞なり。どこに遷せしかを記さざるは、宿国これより再びあらわれざればなり。「遷」と言うは、未だ完全に自らの国家を失わずして去りしという情形なり。
夏,六月,齊師、宋師次於郎。次,止也。畏我也。
夏六月、斉国の軍隊・宋国の軍隊、郎の地に駐扎す。「次」はすなわち停止するなり、我が魯国を畏るればなり。
公敗宋師於乘丘。不日,疑戰也。疑戰而曰敗,勝內也。
莊公、乘丘に宋国の軍隊を敗る。日を記さざるは、これ約束なき遭遇戦なればなり。約束なくして「敗」と書き成すは、勝利の魯国の側に在るを示す。
秋,九月,荊敗蔡師於莘,以蔡侯獻武歸。荊者,楚也。何為謂之荊?狄之也。何為狄之?聖人立,必後至;天子弱,必先叛。故曰荊,狄之也。蔡侯何以名也?絕之也。何為絕之?獲也。中國不言敗,此其言敗何也?中國不言敗,蔡侯其見獲乎!其言敗何也?釋蔡侯之獲也。以歸,猶愈乎執也。
秋九月、荊、莘の地に蔡国の軍隊を敗り、蔡侯献武を帶し帰る。「荊」はすなわち楚なり。なぜ「荊」と称するか。これを狄人として遇すればなり。なぜ狄人として遇するか。聖人在位すれば彼ら必ず最後に至り、天子衰弱すれば彼ら必ず最先に反叛す。ゆえに「荊」と称するは、これを狄人として遇するなり。蔡侯なぜ名を称するか。彼を断絶するなり。なぜ断絶するか。彼が俘獲されたればなり。中原の国の交戦は、経文例により「敗」を書かず。ここに「敗」を書けるはなぜか。中原の国に「敗」を書かざれば、蔡侯俘獲されたるこの事は何をもって交代せん。蔡侯俘獲されたるを記すはなぜか。この事を解き釋さんがためなり。「以歸」と書くは、「執」と書くよりなお稍勝れり。
夏,五月戊寅,公敗宋師於鄑。內事不言戰,舉其大者,其日,成敗之也。宋萬之獲也。
夏五月戊寅、莊公、鄑の地に宋国の軍隊を敗る。およそ魯国自らの战事は、経文は「戦」と書かず、分量のより重き一面を挙げて書く。日を記し出すは、勝利を説き定めたるなり。この一仗は、なお宋万を俘獲せり。
秋,宋大水。外災不書,此何以書?王者之後也。高下有水災曰大水。
秋、宋国、大水を発す。外国の災害は、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。宋は先王の後なればなり。高きところ低きところ皆水災あるを乃ち「大水」と言う。
十有二年春,王三月,紀叔姬歸於酅。國而曰歸,此邑也,其曰歸何也?吾女也,失國喜得其所,故言歸焉爾。
十二年春、周歴三月、紀叔姬、酅邑に帰る。一国に対して乃ち「歸」を用う。ここは城邑なるに、なぜまた「歸」を用うるか。彼女は我が魯国の娘にして、国既になくなれり。彼女がなお安身の処を得たるを幸いす。ゆえに「歸」をもって言う。
秋,八月甲午,宋萬弒其君捷。宋萬,宋之卑者也。卑者以國氏,及其大夫仇牧以尊及卑也。仇牧,閒也。
秋八月甲午、宋万、その君捷を殺す。宋万は宋国の地位低微の人なり。地位低微の人は国名を名に冠す。また「其の大夫仇牧に及ぶ」と書くは、先に尊者を書き再び「及」をもって卑者に連ねるなり。仇牧は中に遮りて国君を護衛する者なり。
十有三年春,齊人、宋人、陳人、蔡人、邾人會於北杏。是齊侯、宋公也,其曰人何也?始疑之。何疑焉?桓非受命之伯也,將以事授之者也。曰:可矣乎?未乎?舉人,眾之辭也。
十三年春、斉国の人・宋国の人・陳国の人・蔡国の人・邾国の人、北杏に相会す。ここの「斉人」「宋人」は実は斉侯・宋公なるに、経文「人」と称するはなぜか。彼に対し疑慮を始めたればなり。何を疑慮するか。斉桓公は天子の任命を受けたる霸主にあらざるに、盟会の事を彼に交托せんと欲す。問うところは、可なりや、未だ可ならずや。「人」と称するは、衆人の言を示すなり。
夏,六月,齊人滅遂。遂,國也。其不日,微國也。
夏六月、斉国の人、遂国を滅ぼす。遂は一国なり。日を記さざるは、それ小国なればなり。
冬,公會齊侯盟於柯。曹劌之盟也,信齊侯也。桓盟雖內與,不日,信也。
冬、莊公、斉侯と柯の地に会盟す。これすなわち曹劌のあの訂盟にして、斉侯を信任するなり。斉桓公の主せし盟会は、たとえ魯国参加すとも日を記さず、彼を信任すればなり。
秋,七月,荊入蔡。荊者,楚也,其曰荊何也?州舉之也。州不如國,國不如名,名不如字。
秋七月、荊、蔡国に攻入す。「荊」はすなわち楚、なぜ「荊」と称するか。州名をもってこれを称するなり。州名をもって称するは国名を用うるに如かず、国名を用うるは名を称するに如かず、名を称するは字を称するに如かず。
冬,單伯會齊侯、宋公、衛侯、鄭伯於鄄。復同會也。
冬、単伯、鄄の地に斉侯・宋公・衛侯・鄭伯に会合す。これ再びの共同集会なり。
十有五年春,齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯會於鄄。復同會也。
十五年春、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯、鄄の地に相会す。これ再びの共同集会なり。
夏,夫人姜氏如齊。婦人既嫁不逾竟,逾竟非禮也。
夏、夫人姜氏、斉国に至る。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは礼に合せず。
冬,十有二月,會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯、滑伯、滕子,同盟於幽。同者,有同也,同尊周也。不言公,外內寮一,疑之也。
冬十二月、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯・滑伯・滕子に会合して、幽の地に同盟す。「同」は共同の目標あるを言う、すなわち共同に周室を尊奉するなり。「公」を書かざるは、外の諸侯と内の魯君を同一層級に書き、彼に対し疑慮あるを示すなり。
十有七年春,齊人執鄭詹。入者,眾辭也。以人執,與之辭也。鄭詹,鄭之卑者。卑者不志,此其志何也?以其逃來志之也。逃來則何志焉?將有其末,不得不錄其本也。鄭詹,鄭之佞人也。
十七年春、斉国の人、鄭詹を捉う。「人」と称するは、衆人の言を示すなり。「人」をもって人を捉うを記すは、相手方にこの権利あるを承認する措辞なり。鄭詹は鄭国の地位低微の人なり。地位低微の人は経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼が後に魯国に逃げ來りしかば、記するを要す。逃げ來るもなぜ記するか。後に結果あれば、前の根由は記さざるべからず。鄭詹は鄭国のあの言うべく討好すべき人なり。
夏,齊人殲於遂。殲者,盡也。然則何為不言遂人?盡齊人也,無遂之辭也。無遂則何為言遂?其猶存遂也。存遂奈何?曰:齊人滅遂,使人戍之,遂之因氏飲戍者酒而殺之,齊人殲焉。此謂狎敵也。
夏、斉国の人、遂国にて殺し尽くさる。「殲」はすなわち尽くるなり。然らばなぜ「遂人」と書かざるか。殺し尽くされたるは斉国の人なるがゆえ、これは遂国を既に存在せずと為す措辞なり。遂国既に存在せず、なぜなお「遂」と言うか。あれはなお遂国を存留させんと欲すればなり。どうして遂国を存留するというか。答えて曰く、斉国の人遂を滅ぼし、人を遣わして戍守せしめたり。遂国の因氏、戍守の人に酒を請いこれを殺し、斉国の人すなわち彼処に殺し尽くされり。これすなわち言うところの敵人を見ること軽しとせるなり。
十有八年春,王三月,日有食之。不言日,不言朔,夜食也。何以知其夜食也?曰:王者朝日,故雖為天子,必有尊也;貴為諸侯,必有長也。故天子朝日,諸侯朝朔。
十八年春、周歴三月、日食発生す。干支の日子を記さず、また「朔」を記さざるは、日食の夜に発生せしがゆえなり。どうして夜に食えりと知るか。答えて曰く、天子は每日の朝に太陽を朝拜す。ゆえにたとえ天子と為るとも、上に必ずなお敬うべきあり。たとえ諸侯と為るとも、上に必ずなお尊長すべきあり。このゆえに天子は日に朝し、諸侯は朔に朝す。
夏,公追戎於濟西。其不言戎之伐我,何也?以公之追之,不使戎邇於我也。於濟西者,大之也。何大焉?為公之追之也。
夏、莊公、戎人を追撃し、済水の西に至るまで追う。なぜ戎人の來りて我が魯国を攻めしと書かざるか。経文は莊公の彼らを追いに往きしに就きて書き、戎人をして既に我が魯国に逼近せしがごとく見せしめざればなり。「済西にて」と書くは、この事を大に書くなり。なぜ大に書くか。ただ莊公自ら追いに往きしがゆえなり。
