荘公
秋,公子結媵陳人之婦於鄄,遂及齊侯、宋公盟。媵,淺事也,不志;此其志何也?闢要盟也。何以見其闢要盟也?媵,禮之輕者也;盟,國之重也。以輕事遂乎國重無說,其曰陳人之婦,略之也。其不日,數渝,惡之也。
秋、公子結、陪嫁の女子を送り、鄄の地に至りて陳国の人の新婦のために媵と為し、続いて斉侯・宋公と結盟す。媵を送るは浅き事にして、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。脅迫されて訂盟せし事を避くればなり。何を凭じて脅迫の訂盟を避けしと見出すか。媵を送るは礼の最も軽き事にして、結盟は国家の最も重き事なり。軽き事を「続きて」弁じて国家の重事と為すは、説き通らず。「陳人之婦」と称するは、彼女を簡略に書くなり。日を記さざるは、この盟約が多次毀棄されたるがゆえ、これを憎むるなり。
夫人姜氏如莒。婦人既嫁不逾竟,逾竟非正也。
夫人姜氏、莒国に至る。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。
冬,齊人、宋人、陳人伐我西鄙。其曰鄙,遠之也。其遠之何也?不以難邇我國也。
冬、斉国の人・宋国の人・陳国の人、我が魯国の西部の辺邑を攻む。「鄙」と称するは、战事を国都より遠くに言うなり。なぜ遠くに言うか。禍難をして既に我が魯国の腹地に逼近せしがごとく見せしめざればなり。
二十年春,王二月,夫人姜氏如莒。婦人既嫁不逾竟,逾竟非正也。
二十年春、周歴二月、夫人姜氏、莒国に至る。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。
二十有二年春,王正月,肆大眚。肆,失也。眚,災也。災紀也,失故也,為嫌天子之葬也。
二十二年春、周歴正月、罪過を大赦す。「肆」はすなわち放免、「眚」はすなわち災禍なり。災禍を記すは紀事なり。旧悪を放免するは、「天子の葬を弁ずるがごとし」のあの一層の嫌疑を避けんがためなり。
癸丑,葬我小君文姜。小君非君也,其曰君何也?以其為公配,可以言小君也。
癸丑、我が魯国の小君文姜を安葬す。小君は国君にあらざるに、なぜまた「君」と称するか。彼女は国君の配偶なるがゆえ、小君と称すべし。
陳人殺其公子禦寇。言公子而不言大夫,公子未命為大夫也;其曰公子,何也?公子之重視大夫,命以執公子。
陳国の人、その公子御寇を殺す。「公子」と称して「大夫」と称せざるは、この公子未だ命を受けて大夫と為らざればなり。なぜなお「公子」と称するか。公子の貴重は大夫と同じ。命を受けて來りて彼を処決するに、なお公子に按じて書く。
秋,七月丙申,及齊高傒盟於防。不言公,高傒伉也。
秋七月丙申、斉国の高傒と防の地に会盟す。「公」を書かざるは、高傒が国君と匹敵する架子を摆出せしがゆえなり。
冬,公如齊納幣。納幣,大夫之事也。禮有納采,有問名,有納徵,有告期,四者備而後娶,禮也。公之親納幣,非禮也,故譏之。
冬、莊公、斉国に至りて聘礼を送る。聘礼を送るは本より大夫の為す事なり。礼に納采あり、問名あり、納征あり、告期あり、四样斉備して然る後に迎娶するを乃ち礼に合す。莊公自ら往きて聘礼を送るは礼に合せず。ゆえに彼を譏刺す。
祭叔來聘。其不言使,何也?天子之內臣也。不正其外交,故不與使也。
祭叔、魯国に來り聘問す。なぜ「天王使」と書かざるか。彼は天子の畿内の臣なればなり。経文は彼のこの私の外交を認めず、ゆえに彼に「使」の言を与えず。
夏,公如齊觀社。常事曰視,非常曰觀。觀,無事之辭也,以是為屍女也,無事不出竟。公至自齊。公如,往時,正也。致月,故也。如往月致,月有懼焉爾。
夏、莊公、斉国に至りて社祭を観看す。例の事は「視」と書き、常規に合せざるを乃ち「観」と書く。「観」は並びに弁ずべき公事なしと言うにして、この出行を彼が女人を看に往きしと見なすなり。公事なくしては国境を出でるべからず。莊公、斉国より帰る。国を出ずるに季によりて來を記し季によりて回を記するは正例なり。回国に月を記し出すは、すなわち変故あるがゆえなり。出ずるに月に按じて記し帰るにまた月に按じて記せば、その一月の中に懼るべき事あり。
荊人來聘。善累而後進之。其曰人何也?舉道不待再。
荊人、來り聘問す。善事一件一件積累して、然る後に乃ち彼を上に進め一等す。「人」と称するはなぜか。一旦彼の上進の路を挙げれば、必ずしも再び下次を待たず。
公及齊侯遇於谷。及者,內為志焉爾。遇者,志相得也。
莊公、斉侯と穀の地に相遇す。「及」の字を用うるは、これ魯国の側の主動なるを示す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。
蕭叔朝公。微國之君,未爵命者,其不言來,於外也。朝於廟,正也;於外,非正也。
蕭叔、莊公を朝見す。彼は小国の国君にして、未だ爵命を受けず。「來」を書かざるは、朝見が国外に発生せしがゆえなり。太廟に朝見するを乃ち正道に合し、外に朝見するは正道に合せず。
秋,丹桓宮楹。禮:天子、諸侯黝堊,大夫倉,士黈。丹楹,非禮也。
秋、桓公廟の柱を紅色に漆す。礼によりて、天子・諸侯の柱は黒と白を用い、大夫は青を用い、士は黄を用う。柱を紅く漆するは礼に合せず。
二十有四年春,王三月,刻桓宮桷。禮:天子之桷,斲之礱之,加密石焉;諸侯之桷,斲之礱之。大夫斲之,士斲木刻桷,非正也。夫人,所以崇宗廟也。取非禮與非正,而加之於宗廟,以飾夫人,非正也。刻桓宮桷,丹桓宮楹,斥言桓宮,以惡莊也。
二十四年春、周歴三月、桓公廟の椽子に花を彫る。礼によりて、天子の椽子は砍き磨き更に細石をもって打光し、諸侯の椽子は砍き磨く。大夫はただ砍き、士はただ木を砍く。椽子に花を彫るは正道に合せず。夫人は本より宗廟を尊崇するに用うるなり。礼に合せず正道に合せざる做法を宗廟に加えて、もって夫人を妝飾するは正道に合せず。桓公廟の椽を刻み桓公廟の柱を漆するに、特に「桓宮」を點出するは、莊公を憎むるなり。
夏,公如齊逆女。親迎,恆事也,不志,此其志何也?不正其親迎於齊也。
夏、莊公、斉国に至りて新婦を迎娶す。自ら親を迎うるは常事にして、経文例により記さず。ここに記せるはなぜか。彼が斉国に至りて自ら親を迎えしに満たざればなり。
秋,公至自齊。迎者,行見諸,舍見諸。先至,非正也。
秋、莊公、斉国より帰る。親を迎いに往く人は、路を行くに彼女を見、住み止まるにも彼女を見るべし。自ら先に帰るは正道に合せず。
八月丁丑,夫人姜氏入。入者,內弗受也。日入,惡入者也。何用不受也?以宗廟弗受也。其以宗廟弗受,何也?娶仇人子弟,以薦舍於前,其義不可受也。
八月丁丑、夫人姜氏、入り來る。「入」の字を用うるは、魯国が受け入れざるを示す。日を記し出すは、この入った人を憎むるなり。何を凭じて受け入れざるか。宗廟の受け入れざるがゆえなり。宗廟なぜ受け入れざるか。仇人の娘を娶り、彼女を進献し先君の面前に安置するは、道理により受け入るべからざればなり。
戊寅,大夫宗婦,覿用幣。覿,見也。禮:大夫不見夫人,不言及不正,其行婦道,故列數之也。男子之贄,羔雁雉腒;婦人之贄,棗栗鍛修。用幣,非禮也。用者,不宜用者也。大夫,國體也,而行婦道,惡之,故謹而日之也。
戊寅、大夫と同宗の婦人、進見し、幣帛をもって見面の礼と為す。「覿」はすなわち進見なり。礼によりて、大夫は夫人に見えず。ここに「及」を書かざるは、彼らのかく為すが本より正道に合せざるに、婦人の礼数を履行しに往きしかば、彼らを一個一個数え出すなり。男子の見面の礼は羔・雁・雉・干肉、婦人の見面の礼は棗・栗・捶干の肉脯なり。幣帛を用うるは礼に合せず。「用」の字を用うるは、正に用うべからざるを示す。大夫は国家の躯干なるに、婦人の礼数を履行しに往く。経文はこの事を憎み、ゆえに鄭重に日を記し出すなり。
赤歸於曹郭公。赤蓋,郭公也,何為名也?禮:諸侯無外歸之義。外歸,非正也。
赤、曹国に帰る――郭公。赤はおそらく郭公なり。なぜ名を称するか。礼によりて、諸侯に外に投奔し別国を帰宿とするの道理なし。外に投奔するは正道に合せず。
二十有五年春,陳侯使女叔來聘。其不名,何也?天子之命大夫也。
二十五年春、陳侯、女叔を遣わして魯国に聘問せしむ。なぜ名を称せざるか。彼は天子の任命せる大夫なればなり。
六月辛未朔,日有食之。言日言朔,食正朔也。
六月辛未の朔、日食発生す。日を記しまた「朔」を記すは、日食の正に初一に発生せしを示す。
鼓用牲於社。鼓,禮也;用牲,非禮也。天子救日,置五麾,陳五兵、五鼓;諸侯置三麾,陳三鼓、三兵;大夫擊門,士擊柝,言充其陽也。
鼓を撃ち、犠牲をもって社を祭る。鼓を撃つは礼に合す。犠牲を用うるは礼に合せず。天子の日食を搶救するは、五面の旌旗を設立し、五種の兵器・五面の鼓を陳列す。諸侯は三面の旌旗を設立し、三面の鼓・三種の兵器を陳列す。大夫は大門を敲き、士は梆子を敲く。皆陽気を充盛ならしめんと言うなり。
伯姬歸於杞。其不言逆,何也?逆之道微,無足道焉爾。
伯姬、杞国に嫁ぐ。なぜ相手方の來りて親を迎うと書かざるか。この迎親の格が甚だ低く言うに足らざればなり。
秋,大水,鼓用牲於社於門。高下有水災曰大水。既戒鼓而駭眾,用牲可以已矣。救日以鼓兵,救水以鼓眾。
秋、大水を発し、鼓を撃ち、社壇と城門に犠牲をもって祭祀す。高きところ低きところ皆水災あるを乃ち「大水」と言う。既に鼓を敲きて警戒し衆人を驚動せしむれば、犠牲をもって止むべし。日食を搶救するに鼓と兵器を用い、水災を搶救するに鼓をもって衆人を聚合す。
曹殺其大夫。言大夫而不稱名姓,無命大夫也。無命大夫而曰大夫,賢也。為曹羈崇也。
曹国の人、その大夫を殺す。「大夫」と称して名姓を称せざるは、曹国に周の天子の爵命を受けたる大夫なければなり。命の大夫なくして「大夫」と称するは、彼の賢なるがゆえなり。これは曹羈を推崇せんがためなり。
夏,六月,公會齊侯、宋公、陳侯、鄭伯,同盟於幽。同者,有同也,同尊周也,於是而後授之諸侯也。其授之諸侯何也?齊侯得眾也。桓會不致,安之也。桓盟不日,信之也。信其信,仁其仁。衣裳之會十有一,未嘗有歃血之盟也
夏六月、莊公、斉侯・宋公・陳侯・鄭伯に会合して幽の地に同盟す。「同」は共同の目標あるを言う、すなわち共同に周室を尊奉するなり。この時以後に至りて、乃ち諸侯の事を彼に交托す。なぜ彼に交托するか。斉侯が衆人の擁護を得たればなり。斉桓公の主せし会は、魯君の回国を書かず、心安んずべしと為せばなり。彼の主せし盟会は日を記さず、彼を信任すればなり。彼の信を信とし、彼の仁を仁とす。衣裳の会十一次あり、皆かつて歃血の盟なかりき。
秋,公子友如陳,葬原仲。言葬不言卒,不葬者也。不葬而曰葬,諱出奔也。
秋、公子友、陳国に至りて原仲の葬礼に参列す。ただ葬を書きて去世を書かざるは、本より彼の葬礼を記すべからざるを説明す。記すべからざるに「葬」と書き成すは、公子友の実は出奔なるを隠諱するなり。
莒慶來逆叔姬。諸侯之嫁子於大夫,主大夫以與之。來者接內也,不正其接內,故不與夫婦之稱也。
莒慶、來りて叔姬を迎娶す。諸侯が娘を大夫に嫁がするは、大夫を主として交接するを由とす。相手方が門に上り來るは、直に魯国の公室と交接するなり。経文はこの交接に満たざるゆえ、彼らに夫婦の称呼を与えず。
二十有八年春,王三月甲寅,齊人伐衛,衛人及齊人戰。衛人敗績。於伐與戰,安戰也。戰衛,戰則是師也,其曰人,何也?微之也。何為微之也?今授之諸侯,而後有侵伐之事,故微之也。其人衛,何也?以其人齊,不可不人衛也。衛小齊大,其以衛及之,何也?以其微之,可以言及也。其稱人以敗,何也?不以師敗於人也。
二十八年春、周歴三月甲寅、斉国の人、衛国を攻め、衛国の人、斉国の人と交戦し、衛国の人大敗す。正に攻伐の中にまた交戦を書くは、この仗がどこに打たれしかを問うなり。既に衛国の作戦せるなれば、軍隊なるべきに、経文はかえって「人」と称するはなぜか。彼らを低微に書くなり。なぜ低微に書くか。先ほど諸侯の事を斉侯に交托せしに、続いて侵伐の事あり。ゆえに彼を低微に書く。衛国をも「人」と称するはなぜか。既に斉国を「人」と書き成せりしかば、衛国をも「人」と書かざるべからず。衛国小さく斉国大なるに、衛国をもって斉国に「及」ぶるはなぜか。既に斉国を低微に書けりしかば、「及」を用うべきなり。「人」を書きて敗績を記すはなぜか。軍隊が「人」に敗れたりと書きたからざればなり。
秋,荊伐鄭。荊者,楚也。其曰荊,州舉之也。
秋、荊、鄭国を攻む。「荊」はすなわち楚なり。「荊」と称するは、州名をもってこれを称するなり。
冬,築微。山林藪澤之利,所以與民共也。虞之,非正也。
冬、微の地に城を築く。山林湖沢の物産は、本より百姓と共享するに用うるなり。人を遣わして守り独占せしむるは正道に合せず。
大無麥禾。大者,有顧之辭也,於無禾及無麥也。
麦と禾、皆大いに収穫なし。「大」を用うるは、顧及する所ある措辞にして、禾なきより麦なきに及べるを言うなり。
臧孫辰告糴於齊。國無三年之畜,曰國非其國也。一年不升,告糴諸侯。告,請也。糴,糴也。不正,故舉臧孫辰以為私行也。國無九年之畜,曰不足;無六年之畜,曰急;無三年之畜,曰國非其國也。諸侯無粟,諸侯相歸粟,正也。臧孫辰告糴於齊,告,然後與之,言內之無外交也。古者稅什一,豐年補敗,不外求而上下皆足也,雖累凶年民弗病也。一年不艾而百姓飢,君子非之。不言如,為內諱也。
臧孫辰、斉国に向かい粮を買うを請う。一国に三年の積蓄なければ、この国は既に国に似ずと言う。一年収成好からずして、諸侯に向かい粮を買うを請う。「告」はすなわち請求、「糴」はすなわち粮食を買い入るなり。この事正道に合せず、ゆえに臧孫辰の名を提出してこれを私人の行為と書き成す。国家に九年の積蓄なくば「不足」と言い、六年の積蓄なくば「急」と言い、三年の積蓄なくばこの国は既に国に似ずと言う。諸侯に粮食なくば、諸侯互いに粮を送るを乃ち正道に合す。臧孫辰、斉国に向かい粮を買うを請い、請いて然る後に与えられしは、魯国の外に邦交なきを見べし。古時十分之一の税を収め、豊年をもって歉年を補い、外に求援するを必せず、上下皆足り用う。たとえ連ねて災年なるとも、百姓は困病せず。一年收割せざれば、百姓すなわち飢餓す。君子この事を責む。「斉に如く」と書かざるは、魯国のために隠諱するなり。
二十有九年春,新延廄。延廄者,法廄也。其言新有故也。有故則何為書也?古之君人者,必時視民之所勤。民勤於力,則功築罕;民勤於財,則貢賦少;民勤於食,則百事廢矣。冬築微,春新延廄,以其用民力為已悉矣!
二十九年春、延厩を翻新す。延厩は制度に按じて設置せる馬厩なり。「新」と言うは、元來旧ありしがゆえなり。旧あればなぜ記するか。古時人君たる者は、必ず時に按じて百姓の何のために労苦するかを看に往く。百姓の劳力足らざれば少なく土木を興し、百姓の財力足らざれば少なく貢賦を征し、百姓の粮食足らざれば百事皆停す。冬先ほど微の地に城を築き、春また延厩を翻新す、民力を用うること尽くし過ぎたるがゆえなり。
夏,師次於成。次,止也,有畏也。欲救鄣而不能也。不言公恥,不能救鄣也。
夏、軍隊、成の地に駐扎す。「次」はすなわち停止するなり、畏るるところあるがゆえなり。鄣を救わんと欲すれど弁ずること能わず。「公」を書かざるは、鄣を救うこと能わざるを恥じればなり。
秋,七月,齊人降鄣。降,猶下也。鄣,紀之遺邑也。
秋七月、斉国の人、鄣を降服せしむ。「降」は「攻め下る」に似たり。鄣は紀国の残れる城邑なり。
八月癸亥,葬紀叔姬。不日卒而日葬,閔紀之亡也。
八月癸亥、紀叔姬を安葬す。去世に日を記さず、安葬にかえって日を記すは、紀国の滅亡を哀憐するなり。
冬,公及齊侯遇於魯濟。及者,內為志焉爾。遇者,志相得也。
冬、莊公、斉侯と魯済に相遇す。「及」の字を用うるは、これ魯国の側の主動なるを示す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。
齊人伐山戎。齊人者,齊侯也,其曰人,何也?愛齊侯乎!山戎也,其愛之何也?桓內無因國,外無從諸侯,而越千里之險,北伐山戎,危之也,則非之乎,善之也。何善乎爾?燕,周之分子也;貢職不至,山戎為之伐矣。
斉国の人、山戎を攻む。「斉人」は実は斉侯なるに、経文「人」と称するはなぜか。斉侯を愛惜するなり。山戎に対し「人」をもって斉侯を称するは、なぜ彼を愛惜するというか。桓公は内に依托すべき属国なく、外に跟従の諸侯なくして、千里の険阻を越え北に山戎を攻む。経文は彼のために心配す。然らば彼を責むるか。彼を賛成するなり。彼の何を賛成するか。燕は周室より分かち出でたる子孫なり。職貢送り届かず、山戎これがために遮り挡げり。ゆえに攻めに往けり。
六月,齊侯來獻戎捷。齊侯來獻捷者,內齊侯也。不言使,內與同,不言使也。獻戎捷,軍得曰捷,戎菽也。
六月、斉侯、來りて山戎を攻ちし俘獲を奉献す。斉侯自ら來りて捷を献ずるは、斉侯を自己人と為すなり。「使」を書かざるは、自己人と為して共同に事を為せば、「使」を書かざるなり。戎人の俘獲を奉献す、軍中の得るところを「捷」と言い、ここに指すは戎地の豆子なり。
秋,築臺於秦。不正罷民三時,虞山林藪澤之利。且財盡則怨,力盡則懟,君子危之,故謹而志之也。或曰倚諸桓也。桓外無諸侯之變,內無國事,越千里之險,北伐山戎,為燕闢地。魯外無諸侯之變,內無國事,一年罷民三時,虞山林藪澤之利,惡內也。
秋、秦の地に台を築く。正道に合せざるは、百姓をして三季の内皆休息を得せず、山林湖沢の物産を独占せしめしなり。況んや財用尽くれば人は怨み、力尽くれば人は恨む。君子彼のために心配し、ゆえに鄭重に記したり。別の説に、斉桓公を取りて陪衬と為すなり。桓公は外に諸侯の変故なく、内に国事の身に纏うなく、千里の険阻を越え北に山戎を伐ち、燕国のために土地を開闢せり。魯国は外にも諸侯の変故なく、内にも国事なきに、一年の中に百姓をして三季休息を得せず、山林湖沢の物産を独占せしむ。経文は魯国の側を憎むるなり。
夏,宋公、齊侯遇於梁丘。遇者,志相得也。梁丘在曹、邾之間,去齊八百里,非不能從諸侯而往也。辭所遇,遇所不遇,大齊桓也。
夏、宋公、斉侯と梁丘に相遇す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。梁丘は曹国・邾国の間にあり、斉国を離るること八百里、斉侯の諸侯を約集してともに往くこと能わざるにあらず。彼は遇うべきを辞し去りて、本より遇い易からざるを遇いに往けり。これは斉桓公を大に書くなり。
八月癸亥,公薨於路寢。路寢,正寢也。寢疾居正寢,正也。男子不絕於婦人之手,以齊終也。
八月癸亥、莊公、路寝にて卒す。路寝はすなわち正寝なり。病重きとき正寝に住するは正例なり。男子は婦人の手に気絶せず、整粛に一生を終えんがためなり。
冬,十月乙未,子般卒。子卒日,正也;不日,故也。有所見則日。
冬十月乙未、子般卒す。子の去世に日を記し出すは正例なり。日を記さざれば、すなわち変故あるがゆえなり。人に見せしむべき事あれば、日を記す。
公子慶父如齊。此奔也,其曰如,何也?諱莫如深,深則隱。茍有所見,莫如深也。
公子慶父、斉国に至る。これ実は出奔なるに、なぜ「如」と書き成すか。隠諱は深藏不露より甚だしきなし。深藏すればすなわち事を遮り住む。もし人に見せしむべき事あらば、隠諱もまたこの次より深きなし。
(闕文)
(闕文)
