Libo

成公

战国 · 穀梁赤 · 第9巻 / 13

無冰。終時無冰則志,此未終時而言無冰,何也?終無冰矣。加之寒之辭也。

冰結せず。一季節、頭より尾まで冰なきを記す。ここに季節いまだ過ぎ畢らざるに「無冰」を書くは何ぞや。すでに斷じて終に冰なからんとすべければなり。これ「寒」の一層を加上するの辭なり。

三月,作丘甲。作,為也。丘,為甲也。丘甲,國之事也。丘作甲,非正也。丘作甲之為非正,何也?古者立國家,百官具,農工皆有職以事上。古者有四民:有士民,有商民、有農民、有工民。夫甲,非人人之所能為也。丘作甲,非正也。

三月、始めて丘に按じて鎧甲を出す。「作」は爲すなり。丘に按じて甲を出す。甲を出すは本より國家の事なり。丘に按じて甲を出すは、正の道に合せず。何を以て正の道に合せざるか。古、國家を建立するに、百官齊備し、農工皆職事有りて以て上に侍奉す。古に四民有り。士民有り、商民有り、農民有り、工民有り。鎧甲は併せて人人の能く爲す所にあらず。丘に按じて甲を出すは、正の道に合せず。

秋,王師敗績於貿戎。不言戰,莫之敢敵也。為尊者諱,敵不諱敗;為親者諱,敗不諱敵。尊尊親親之義也。然則孰敗之?晉也。

秋、周天子の軍隊、貿戎に敗績す。「戰」を書かざるは、敢えて天子と敵と爲る者なければなり。尊者のために隱諱するに、彼に對手有るを隱諱して、彼の戰に敗れたるを隱諱せず。親者のために隱諱するに、彼の戰に敗れたるを隱諱して、彼に對手有るを隱諱せず。これ尊尊・親親の義なり。然らば彼を敗りたるは誰ぞ。晋なり。

冬,十月。季孫行父禿,晉郤克眇,衛孫良夫跛,曹公子手僂,同時而聘於齊。齊使禿者御禿者,使眇者御眇者,使跛者御跛者,使僂者御僂者。蕭同侄子處臺上而笑之;聞於客,客不說而去。相與立胥閭而語,移日不解。齊人有知之者,曰:「齊之患,必自此始矣!」

冬十月。季孫行父は秃なり、晋の郤克は隻眼なり、衛の孫良夫は跛なり、曹の公子手は駝背なり。同時に齊に聘問す。齊、秃を遣りて秃を接待し、隻眼を遣りて隻眼を接待し、跛を遣りて跛を接待し、駝背を遣りて駝背を接待す。蕭同侄子、台上に於いて彼らを笑話す。聲賓客の耳に傳はり、賓客喜ばずして去る。彼ら共に胥閭に立ちて言うに、日位を挪かしてなほ散ぜず。齊に明白の人有りて曰く、「齊國の禍患、必ずここより始まらん」と。

夏,四月丙戌,衛孫良夫帥師,及齊師戰於新築。衛師敗績。

夏四月丙戌、衛の孫良夫、師を率いて、齊師と新築に戰い、衛師敗績す。

六月癸酉,季孫行父、臧孫許、叔孫僑如、公孫嬰齊帥師,會晉郤克、衛孫良夫、曹公子手,及齊侯戰於鞍。齊師敗績。其日,或曰日,其戰也;或曰日,其悉也。曹無大夫,其曰公子,何也?以吾之四大夫在焉,舉其貴者也。

六月癸酉、季孫行父・臧孫許・叔孫僑如・公孫嬰齊、師を率い、晋の郤克・衛の孫良夫・曹の公子手に會して、齊侯と鞌に戰い、齊師敗績す。日を記す。一の說はこの戰を記するがためなり。一の說は人の齊に到りしを記するがためなり。曹國に命大夫なし。ここに「公子」と稱するは何ぞや。わが魯に四位の大夫場に在れば、故に彼の尊貴の身分を擧げて言うなり。

秋,七月,齊侯使國佐如師。己酉,及國佐盟於爰婁。鞍,去國五百里。爰婁,去國五十里。一戰綿地五百里,焚雍門之茨,侵車東至海。君子聞之曰:「夫甚甚之辭焉。齊有以取之也。」齊之有以取之,何也?敗衛師於新築,侵我北鄙,敖郤獻子,齊有以取之也。爰婁在師之外,郤克曰:「反魯、衛之侵地,以紀侯之甗來,以蕭同侄子之母為質,使耕者皆東其畝,然後與子盟。」國佐曰:「反魯、衛之侵地,以紀侯之甗來,則諾。以蕭同侄子之母為質,則是齊侯之母也。齊侯之母猶晉君之母也,晉君之母猶齊侯之母也。使耕者盡東其畝,則是終土齊也。不可,請一戰。一戰不克,請再。再不克,請三。三不克,請四。四不克,請五。五不克,舉國而授。」於是而與之盟。

秋七月、齊侯、國佐をして軍中に如かしむ。己酉、國佐と爰婁に盟す。鞌は齊の國都を離るること五百里、爰婁は國都を離るること五十里。一仗打ち下せば、綿延五百里、雍門上の茅を燒掉し、侵掠の兵車東に海邊に至るまで。君子之を聞きて曰く、「これ事を太だ過ぎたると言うの辭なり。齊國もまた自ら招來せるなり」と。齊國如何にして自ら招來せしか。新築に衛師を敗り、我が魯の北鄙に侵し、また郤獻子を傲視せり。齊國、卽かくのごとく自ら招來せり。爰婁は軍營の外に在り。郤克曰く、「魯・衛を侵占せし土地を歸還し、紀侯の甗を送り來り、蕭同侄子の母を以て人質と爲し、耕田の人をして皆田壟を東西向に改成せしめ、後に始めて汝と盟せん」と。國佐曰く、「魯・衛を侵占せし土地を歸還し、紀侯の甗を送り來るは、これ可なり。蕭同侄子の母を以て人質と爲さば、すなわち齊侯の母なり。齊侯の母は晋君の母のごとく、晋君の母は齊侯の母のごとし。耕田の人をして皆田壟を東西向に改成せしめば、すなわち齊國の土地を以て己が物と爲すなり。不可なり。請う、再び一戰せん。一戰勝たざれば、請う、第二戰せん。第二戰勝たざれば、請う、第三戰せん。第三戰勝たざれば、請う、第四戰せん。第四戰勝たざれば、請う、第五戰せん。第五戰なほ勝たざれば、全國を交與せん」と。すなわち彼と盟す。

十有一月,公會楚公子嬰齊於蜀。楚無大夫,其曰公子,何也?嬰齊,亢也。

十一月、成公、蜀に楚の公子嬰齊を會見す。楚國に命大夫なし。ここに「公子」と稱するは何ぞや。嬰齊、匹敵の架子を擺ければなり。

丙申,公及楚人、秦人、宋人、陳人、衛人、鄭人、齊人、曹人、邾人、薛人、繒人盟於蜀。楚其稱人,何也?於是而後,公得其所也。會與盟同月,則地會,不地盟。不同月,則地會,地盟。此其地會,地盟,何也?以公得其所,申其事也。今之屈,向之驕也。

丙申、成公、楚人・秦人・宋人・陳人・衛人・鄭人・齊人・曹人・邾人・薛人・繒人と蜀に盟す。楚を「人」と稱するは何ぞや。この時に到りて後、成公始めて彼の當に在るべき位置を得たり。會と盟、同月に在れば、ただ會の地を記して盟の地を記さず。同月に在らざれば、會も盟も皆地を記す。ここに會も地を記し盟も地を記すは何ぞや。成公、彼の當に在るべき位置を得たれば、以てこの事を申明せんとす。今の屈服は、正に先前の驕慢に對應す。

三年春,王正月,公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯伐鄭。

三年春、王正月、成公、晋侯・宋公・衛侯・曹伯に會して鄭を伐つ。

甲子,新宮災,三日哭。新宮者,禰宮也。三日哭,哀也。其哀,禮也。迫近不敢稱禰,恭也。其辭恭且哀,以成公為無譏矣。

甲子、新宮災し、三日哭す。新宮はすなわち父の禰廟なり。三日哭するは、哀痛なり。かくのごとく哀痛するは、禮に合す。迫近なれば、敢えて「禰」と稱せず。恭敬なり。辭また恭くまた哀なり。經文、成公に譏刺すべきなしと見做す。

衛侯使孫良夫來聘。丙午,及荀庚盟。丁未,及孫良夫盟。其日,公也,來聘而求盟。不言及者,以國與之也。不言其人,亦以國與之也。不言求,兩欲之也。

衛侯、孫良夫をして來聘せしむ。丙午、荀庚と盟す。丁未、孫良夫と盟す。日を記すは、國君在ればなり。來聘して卽盟を求む。「及」を用ゐざるは、國家を彼方に交托するなり。彼方の人を書き出ださざるも、また國家を彼方に交托するなり。「求」を書かざるは、兩邊皆願えればなり。

五年春,王正月,杞叔姬來歸。婦人之義,嫁曰歸,反曰來歸。

五年春、王正月、杞叔姬、娘家に遣歸せらる。婦人の名分、出嫁を「歸」と曰い、遣歸せられて「來歸」と曰う。

梁山崩。不日,何也?高者有崩道也。有崩道,則何以書也?曰:梁山崩,壅遏河三日不流,晉君召伯尊而問焉。伯尊來遇輦者,輦者不闢,使車右下而鞭之。輦者曰:「所以鞭我者,其取道遠矣。」伯尊下車而問焉,曰:「子有聞乎?」對曰:「梁山崩,壅遏河三日不流。」伯尊曰:「君為此召我也,為之奈何?」輦者曰:「天有山,天崩之;天有河,天壅之。雖召伯尊如之何?」伯尊由忠問焉。輦者曰:「君親素縞、帥群臣而哭之,既而祠焉,斯流矣。」伯尊至,君問之曰:「梁山崩,壅遏河三日不流,為之奈何?」伯尊曰:「君親素縞、帥群臣而哭之,既而祠焉,斯流矣。」孔子聞之曰:「伯尊其無績乎!攘善也。」

梁山崩る。日を記さざるは何ぞや。高き物、本より崩壞の理有り。崩壞の理有れば、何を以てまた記すか。答えて曰く、梁山崩れ、黄河を壅塞し、三日流れず。晋君、伯尊を召して問わんとす。伯尊の來るの途、輦を輓く人に遇う。輦を輓く人、路を讓らず。伯尊、車右をして下りて彼を鞭打せしむ。輦を輓く人曰く、「子の我を鞭打するに用ゐるこの法、祗怕なほ遠き路を走らん」と。伯尊、車を下りて彼に問うて曰く、「子聞く所ありや」と。答えて曰く、「梁山崩れ、黄河を壅塞し、三日流れず」と。伯尊曰く、「國君この事のために我を召す。當に如何なすべきか」と。輦を輓く人曰く、「天に山有り、天之を崩せしむ。天に河有り、天之を壅せしむ。伯尊を召來すと雖ども、また如何にせん」と。伯尊、誠心に再び問う。輦を輓く人曰く、「國君自ら素縞を服して、群臣を率いて往きて哭し、哭し畢りて祭祀せば、河流れん」と。伯尊至り、國君彼に問うて曰く、「梁山崩れ、黄河を壅塞し、三日流れず。當に如何なすべきか」と。伯尊曰く、「國君自ら素縞を服して、群臣を率いて往きて哭し、哭し畢りて祭祀せば、河流れん」と。孔子之を聞きて曰く、「伯尊、祗怕功績なからん!これ他人の好處を以て己が物と爲すなり」と。

十有二月己丑,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、邾子、杞伯,同盟於蟲牢。

十二月己丑、成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・邾子・杞伯に會し、蟲牢に同盟す。

七年春,王正月,鼷鼠食郊牛角。不言日,急辭也,過有司也。郊牛日,展觓角而知傷,展道盡矣!其所以備災之道不盡也。

七年春、王正月、鼷鼠、郊祭用牛の角を嚙食す。日を記さざるは、急ぎの辭にして、過ち有司に在り。郊牛、日ごとに彎角を察看し、傷有るを發見す。察看の程序、すでに盡くせり!以て災害を防備するの法は盡くさざれり。

改卜牛,鼷鼠又食其角。又,有繼之辭也。其緩辭也,曰:亡乎人矣!非人之所能也。所以免有司之過也。

別に占いて牛を換え、鼷鼠またその角を嚙食す。「又」は接續有るの辭なり。ここに舒緩の辭を用うるは、人の意願に在らず!人の能く爲す所にあらざるを言う。以て有司の過ちを免除す。

乃免牛。乃者,亡乎人之辭也。免牲者,為之緇衣纁裳,有司玄端,奉送至於南郊。免牛亦然。免牲不曰不郊,免牛亦然。

すなわちこの牛を免ず。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。謂うところの免牲は、彼に玄の上衣・纁の下裳を着せ、有司玄端を服して恭く送り、南郊に至る。免牛もまたかくのごとし。免牲、更に「不郊」を言うを要せず。免牛もまたかくのごとし。

公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、曹伯、莒子、邾子、杞伯,救鄭。

成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・曹伯・莒子・邾子・杞伯に會して鄭を救う。

冬,大雩。雩不月而時,非之也。冬無為雩也。

冬、大雩を行う。雩祭、月を記さずして季節を記するは、この事を責むるなり。冬に雩祭を行うの理由なし。

八年春,晉侯使韓穿來言汶陽之田,歸之於齊。於齊,緩辭也。不使盡我也。

八年春、晋侯、韓穿をして汶陽の田を言いに來らしめ、之を齊に歸せしむ。「于齊」と書くは、舒緩の辭にして、晋をしてわが魯の事を辦じ盡くせるに顯れざらしめざるなり。

秋,七月,天子使召伯來錫公命。禮有受命,無來錫命,錫命非正也。曰「天子」,何也?曰:見一稱也。

秋七月、天子、召伯をして來りて成公に命服を賜はらしむ。禮に拠れば、ただ自ら往きて任命を受くる有りて、天子の上門して賜命するを聽かず。賜命、正の道に合せず。何を以て「天子」と稱するか。答えて曰く、人をしてなほこの一種の稱呼有るを見せしめんと欲すなり。

衛人來媵。媵,淺事也,不志;此其志,何也?以伯姬之不得其所,故盡其事也。

衛人、陪嫁の女子を送り來る。媵を送るは淺き事にして、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。伯姬後に其の所を得ざれば、故に相關の事を寫し全くす。

九年春,王正月,杞伯來逆叔姬之喪以歸。傳曰:夫無逆出妻之喪而為之也。

九年春、王正月、杞伯、來りて叔姬の靈柩を迎えて歸る。傳文曰く、丈夫、遣棄せられたる妻の靈柩を迎え歸りて再び彼女のために喪を辦ずるの理なし、と。

公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、杞伯,同盟於蒲。公至自會。

成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・杞伯に會し、蒲に同盟す。成公、會より至る。

夏,季孫行父如宋致女。致者,不致者也。婦人在家制於父,既嫁制於夫。如宋致女,是以我盡之也。不正,故不與內稱也。逆者微,故致女。詳其事,賢伯姬也。

夏、季孫行父、宋に往きて女を致す。「致」は本より致すべからざるなり。婦人、未嫁の時は父に聽命し、出嫁して後は夫に聽命す。宋に往きて女を致すは、なほわが魯彼女を底まで管するがごとし。正の道に合せず。故に行父に國内の稱呼を與えず。往きて親迎する人の地位低微なれば、故に女を致すを要す。この事を寫すこと詳細なるは、伯姬を賢と認めればなり。

晉人來媵。媵,淺事也,不志;此其志,何也?以伯姬之不得其所,故盡其事也。

晋人、陪嫁の女子を送り來る。媵を送るは淺き事にして、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。伯姬後に其の所を得ざれば、故に相關の事を寫し全くす。

晉欒書帥師伐鄭。不言戰,以鄭伯也。為尊者諱恥,為賢者諱過,為親者諱疾。

晋の欒書、師を率いて鄭を伐つ。「戰」を書かざるは、鄭伯に就きて言うなり。尊者のために恥辱を隱諱し、賢者のために過失を隱諱し、親者のために毛病を隱諱す。

庚申,莒潰。其日,莒雖夷狄,猶中國也。大夫潰莒而之楚,是以知其上為事也。惡之,故謹而日之也。

庚申、莒潰す。日を記すは、莒國夷狄なりと雖ども、なほ中原之國に似たればなり。大夫、莒國を潰散せしめて自ら楚に走る。これを以て彼らの己が上司を以て事を爲すの工具と爲せるを知る。を知るべし。この事を惡む。ゆえに鄭重に日を記す。

夏,四月,五卜郊不從,乃不郊。「夏,四月」,不時也。五卜,強也。乃者,亡乎人之辭也。

夏四月、郊祭を五卜して皆從わず。すなわち郊祭を行わず。「夏、四月」と書くは、時令に合せず。五卜するは、勉强なり。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。

五月,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、曹伯伐鄭。

五月、成公、晋侯・齊侯・宋公・衛侯・曹伯に會して鄭を伐つ。

十有二年春,周公出奔晉。周有入無出,其曰出,上下一見之也。言其上下之道,無以存也。上雖失之,下孰敢有之?今上下皆失之矣!

十二年春、周公、晋に逃亡す。周室は「入」有りて「出」なし。ここに「出」を書くは、上と下とに一度見せしむるなり。彼ら上下の道理、すでに自ら存すべきなきを言うなり。上すでに失うと雖ども、下誰か敢えて以て己が物と爲さんや。今上下皆失えり!

秋,晉人敗狄於交剛。中國與夷狄不言戰,皆曰敗之,夷狄不日。

秋、晋人、交剛に狄人を敗る。中原と夷狄、經文「戰」を書かず、皆「敗之」と曰う。夷狄は日を記さず。

十有三年春,晉侯使郤錡來乞師。乞,重辭也。古之人重師,故以乞言之也。

十三年春、晋侯、郤錡をして來りて出兵を請はしむ。「乞」は分量重きの字なり。古人軍隊を重んず。ゆえに「乞」を以て言う。

三月,公如京師。公如京師不月,月非如也。非如而曰如,不叛京師也。

三月、成公、京師に如く。國君京師に至るに、例により月を記さず。月を記せば、すなわち真に朝見しに往くにあらず。真に朝見しに往かざるに「如」と寫成するは、京師を背叛せざるを表す。

夏,五月,公至自京師,遂會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、邾人、滕人,伐秦。言受命,不敢叛周也。

夏五月、成公、京師より至り、次いで晋侯・齊侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・邾人・滕人に會して秦を伐つ。これ彼が王命を接受して、敢えて周室を背叛せざるを言うなり。

曹伯廬卒於師。傳曰:閔之也。公大夫在師曰師,在會曰會。

曹伯廬、軍中に於いて卒す。傳文曰く、これ彼を哀れむなりと。國君の大夫、軍中に在ればすなわち「師」と稱し、會上に在ればすなわち「會」と稱す。

九月,僑如以夫人婦姜氏至自齊。大夫不以夫人;以夫人,非正也。刺不親迎也。僑如之挈,由上致之也。

九月、僑如、夫人婦姜氏を以て齊より至る。大夫、「以」を以て夫人を帶る能わず。「以」を用ゐれば、正の道に合せず。これ國君の自ら親迎せざるを譏刺するなり。「僑如」を單に提け出だして直呼するは、上すでに彼を送り來たればなり。

十有五年春,王二月,葬衛定公。三月乙巳,仲嬰齊卒。此公孫也,其曰仲,何也?子由父疏之也。

十五年春、王二月、衛定公を葬る。三月乙巳、仲嬰齊卒す。彼は公孫なり。何を以て「仲」と稱するか。子、父に因りて疎まる。

癸丑,公會晉侯、衛侯、鄭伯、曹伯、宋世子成、齊國佐、邾人,同盟於戚。晉侯執曹伯,歸於京師。以晉侯而斥執曹伯,惡晉侯也,不言之急辭也,斷在晉侯也。

癸丑、成公、晋侯・衛侯・鄭伯・曹伯・宋の太子成・齊の國佐・邾人に會し、戚に同盟す。晋侯、曹伯を執えて京師に送る。晋侯の身分を以て直に曹伯を執うを書くは、晋侯を惡むなり。「以歸之于」を書かざるは、急促の辭にして、裁斷晋侯に在るなり。

秋,八月庚辰,葬宋共公。月卒日葬,非葬者也,此其言葬,何也?以其葬共姬,不可不葬共公也。葬共姬則其不可不葬共公,何也?夫人之義,不逾君也,為賢者崇也。

秋八月庚辰、宋共公を葬る。卒するに月を記し、葬るに日を記す。本より葬禮を記すべからざる人なり。ここに葬禮を記すは何ぞや。共姬の葬禮を記し下せば、共公の葬禮を記さざるを得ず。共姬を記せば共公を記さざるを得ざるは何ぞや。夫人の名分、國君を超過する能わず。これまた賢者のために推祟するなり。

冬,十有一月,叔孫僑如會晉士燮、齊高無咎、宋華元、衛孫林父、鄭公子鰍、邾人,會吳於鍾離。會又會,外之也。

冬十一月、叔孫僑如、晋の士燮・齊の高無咎・宋の華元・衛の孫林父・鄭の公子䲡・邾人に會して、鍾離に呉を會見す。會してまた會すは、之を外人と爲すなり。

許遷於葉。遷者,猶得其國家以往者也。其地,許復見也。

許、葉に遷す。「遷」と言うは、なほ己が國家を保有して去るのごときの情形なり。地を記すは、許國後にまた再び現れんがためなり。

十有六年春,王正月,雨木冰。雨而木冰也,誌異也。傳曰:根枝折。

十六年春、王正月、雨降りて木冰す。雨降りて木をして冰結せしむるは、變異を記するなり。傳文曰く、根と枝と皆折れたりと。

甲午,晦,晉侯及楚子、鄭伯戰於鄢陵。楚子、鄭師敗績。日事遇晦曰晦,四體偏斷曰敗。此其敗則目也。楚不言師,君重於師也。

甲午、晦、晋侯、楚子・鄭伯と鄢陵に戰い、楚子・鄭師敗績す。事晦に當れば、すなわち「晦」と書く。四肢偏斷するを「敗」と曰う。今番の敗、指す所は眼睛なり。楚に「師」を稱せざるは、國君軍隊より重ければなり。

楚殺其大夫公子側。秋,公會晉侯、齊侯、衛侯、宋華元、邾人於沙隨。不見公。不見公者,可以見公也。可以見公而不見公,譏在諸侯也。

楚、その大夫公子側を殺す。秋、成公、沙隨に晋侯・齊侯・衛侯・宋の華元・邾人を會合す。成公を會見せず。「不見公」と言うは、本より見るべければなり。見るべくして見ざれば、譏刺諸侯の身上に在り。

曹伯歸自京師。不言所歸,歸之善者也。出入不名,以為不失其國也。歸為善,自某歸次之。

曹伯、京師より歸る。何處に歸れりを書かざるは、これ歸るの中の最も好き一種なり。出づる・歸る皆名を稱せず。彼併せて己が國を丟棄せざりしと認むるなり。「歸」と書くは善なり。「自某歸」と書くは之より一等差し。

九月,晉人執季孫行父,舍之於苕丘。執者不捨;而舍,公所也。執者致;而不致,公在也。何其執而辭也?猶在公也。存意公亦存也。公存也。

九月、晋人、季孫行父を執えて、彼を苕丘に安置す。執えられたる人、例により「舍」を書かず。ここに「舍」を書くは、そこ國君の在る所なればなり。執えられたる人、例により歸國を書くべし。ここに歸國を書かざるは、國君在ればなり。何を以て執の辭を用ゐるか。彼なほ國君の身邊に在ればなり。國君の意を存すれば、國君もなほ在り。國君在り。

乙酉,刺公子偃。大夫日卒,正也。先刺後名,殺無罪也。

乙酉、公子偃を殺す。大夫卒するに日を記するは正例なり。先ず「刺」を書きて後名を稱するは、殺せるは罪なき人なるを表す。

夏,公會尹子、單子、晉侯、齊侯、宋公、衛侯、曹伯、邾人,伐鄭。六月乙酉,同盟於柯陵。柯陵之盟,謀復伐鄭也。

夏、成公、尹子・單子・晋侯・齊侯・宋公・衛侯・曹伯・邾人に會して鄭を伐つ。六月乙酉、柯陵に同盟す。柯陵のこの會盟は、再び鄭を伐たんことを謀るなり。

秋,公至自會。不曰至自伐鄭也,公不周乎伐鄭也。何以知公之不周乎伐鄭?以其以會致也。何以知其盟復伐鄭也?以其後會之人盡盟者也。不周乎伐鄭,則何為日也?言公之不背柯陵之盟也。

秋、成公、會より至る。「至自伐鄭」を書かざるは、成公併せて伐鄭のこの事を爲し周全せざればなり。如何にして彼の爲し周全せざるを知るや。「會」に按じて歸國を書けばなり。如何にしてこの會盟の再び鄭を伐たんがためなるを知るか。後に會に參加せし人、皆盟せし者なればなり。伐鄭を爲し周全せざれば、何を以てなほ日を記すか。成公併せて柯陵の盟約を背棄せざるを言うなり。

九月辛丑,用郊。夏之始可以承春,以秋之末承春之始,蓋不可矣!九月用郊,用者不宜用也。宮室不設,不可以祭;衣服不修,不可以祭;車馬器械不備,不可以祭;有司一人不備其職,不可以祭。祭者,薦其時也,薦其敬也,薦其美也,非享味也。

九月辛丑、郊祭を行う。夏の始め、なほ春に接續す可し。秋の末尾を以て春の開頭に接ぐるは、大概不可ならん!九月に郊祭を行うに「用」の字を用うるは、正に用ゐべからざるを表す。宮室設けずんば祭るべからず。衣服整えざれば祭るべからず。車馬器械備わらざれば祭るべからず。有司一人の職守を盡くさざる者有れば、また祭るべからず。祭祀は、時令を進獻し、恭敬を進獻し、美好を進獻するにして、併せて滋味を享受しに往くにあらず。

冬,公會單子、晉侯、宋公、衛侯、曹伯、齊人、邾人,伐鄭。言公不背柯陵之盟也。

冬、成公、單子・晋侯・宋公・衛侯・曹伯・齊人・邾人に會して鄭を伐つ。これ成公の柯陵の盟約を背棄せざるを言うなり。

壬申,公孫嬰齊,卒於貍蜃。十一月無壬申,壬申乃十月也。致公而後錄,臣子之義也。其地,未逾竟也。

壬申、公孫嬰齊、狸蜃に於いて卒す。十一月に壬申なし。壬申は實は十月なり。國君歸國して後始めて記下す。これ臣子の義なり。地を記すは、いまだ國境を走出でざればなり。

晉殺其大夫郤錡、郤犨、郤至。自禍於是起矣!

晋、その大夫郤錡・郤犨・郤至を殺す。災禍、卽ここより起これり!

十有八年春,王正月,晉殺其大夫胥童。庚申,晉弒其君州蒲。稱國以弒其君,君惡甚矣!

十八年春、王正月、晋、その大夫胥童を殺す。庚申、晋、その君州蒲を殺す。國を稱して弑君を記するは、この國君の惡太だ甚し!

築鹿囿。築,不志;此其志,何也?山林藪澤之利,所以與民共也;虞之,非正也。

鹿囿を築く。築造は例により記さず。ここに記すは何ぞや。山林湖澤の物産は、本より以て百姓と共享するなり。人を遣りて往きて守らせて獨占するは、正の道に合せず。

己丑,公薨於路寢。路寢,正也。男子不絕婦人之手,以齊終也。

己丑、成公、路寢に薨す。路寢に死するは正例なり。男子、婦人の手裡に於いて氣絶せず。整肅に一生を結束せんがためなり。

十有二月,仲孫蔑會晉侯、宋公、衛侯、邾子、齊崔杼,同盟於虛朾。

十二月、仲孫蔑、晋侯・宋公・衛侯・邾子・齊の崔杼に會し、虛朾に同盟す。

(闕文)

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