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閔公

战国 · 穀梁赤 · 第6巻 / 13

夏,六月,季姬及繒子遇於防,使繒子來朝。遇者,同謀也。來朝者,來請己也。朝不言使,言使,非正也。以病繒子也。

夏六月、季姬、繒子と防に遇う。繒子をして來朝せしむ。「遇」は双方同じく謀るを言うなり。來朝するは、己を娶らんことを請いに來るなり。朝するに例により「使」を書かず。「使」を書けば正の道に合せず。これ以て繒子を責むるなり。

秋,八月辛卯,沙鹿崩。林屬於山為鹿。沙,山名也。無崩道而崩,故志之也。其日,重其變也。

秋八月辛卯、沙鹿崩る。林、山に連なるを「鹿」と曰う。沙は山の名なり。崩るべきの理なくして崩れたり。ゆえにこれを記す。日を記し出だすは、この變異を重しと視ればなり。

三月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯,盟於牡丘。兵車之會也。

三月、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と會い、牡丘に盟す。これ兵車の會なり。

遂次於匡。遂,繼事也。次,止也,有畏也。

次いで匡に次る。「遂」は事に次ぐなり。「次」は止まるを曰う。畏るるところ有ればなり。

公孫敖帥師,及諸侯之大夫救徐。善救徐也。

公孫敖、師を率い、諸侯の大夫とともに徐を救う。經文は徐を救うを美とす。

八月,螽。螽,蟲災也。甚則月,不甚則時。

八月、螽あり。螽は蟲の災なり。甚しければ月を記し、甚しからざれば時を記す。

己卯,晦,震夷伯之廟。晦,冥也。震,雷也。夷伯,魯大夫也。因此以見天子至於士,皆有廟。天子七廟,諸侯五,大夫三,士二。故德厚者流光,德薄者流卑。是以貴始德之本也。始封必為祖。

己卯、晦く、夷伯の廟を震う。「晦」は暗きを曰い、「震」は雷なり。夷伯は魯の大夫なり。これを以て見べし、天子より士に至るまで、みな廟あり。天子七廟、諸侯五廟、大夫三廟、士二廟。ゆえに德厚き者はその澤流るること遠く、德薄き者はその澤流るること卑し。この故に始めを重んず。それ德の本なり。始めて封を受けし者は、必ず始祖と為さる。

十有一月壬戌,晉侯及秦伯戰於韓。獲晉侯。韓之戰,晉侯失民矣。以其民未敗而君獲也。

十一月壬戌、晋侯、秦伯と韓に戰い、晋侯獲らる。韓のこの戰い、晋侯すでに百姓を失えり。百姓いまだ敗れざるに、君獲られたればなり。

十有六年春,王正月戊申朔,隕石於宋,五。先隕而後石,何也?隕而後石也。於宋,四竟之內曰宋。後數,散辭也,耳治也。

十六年春、王正月戊申朔、宋に石隕ること五。先ず「隕」を言いて後「石」を言うは何ぞや。先ず墜つるを見て、後に石なるを知ればなり。「于宋」と書くは、国境の内、皆宋と曰うなり。數を後に書くは、散れるの辭にして、耳を以て知れるなり。

是月,六鶂退飛,過宋都。是月者,決不日而月也。六鶂退飛過宋都,先數,聚辭也,目治也。子曰:「石,無知之物;鶂微,有知之物。石無知,故日之;鶂微,有知之物,故月之。君子之於物,無所茍而已。石、鶂且猶盡其辭,而況於人乎!故五石六鶂之辭不設,則王道不亢矣!」民所聚曰都。

是月、鶂六つ退飛して宋都を過ぐ。「是月」と書くは、決して日を記さずして月を記するのみなり。鶂六つ退飛して宋都を過ぐるは、數を先に書くは、聚まれるの辭にして、目を以て見たるなり。孔子曰く、「石は知覺なき物なり。鶂は小と雖ども、知覺有る物なり。石知覺なし。ゆえに日を記す。鶂小なりと雖ども知覺有り。ゆえに月を記するのみ。君子の物に對するや、ただ少しも苟且ならざるのみ。石と鶂とすらなほ辭を盡くさんとす。況んや人に於いてをや。ゆえに五石・六鶂の辭、設けざれば、王道擧げる能わざるなり」と。百姓聚居する所を「都」と曰う。

三月壬申,公子季友卒。大夫日卒,正也。稱公弟叔仲,賢也。大夫不言公子公孫,疏之也。

三月壬申、公子季友卒す。大夫卒するに日を記するは正例なり。「公弟叔仲」と稱するは、彼賢なればなり。大夫に公子・公孫を稱せざるは、彼を疎んずるなり。

秋,七月甲子,公孫茲卒。大夫日卒,正也。

秋七月甲子、公孫茲卒す。大夫卒するに日を記するは正例なり。

冬,十有二月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、邢侯、曹伯於淮。兵車之會也。

冬十二月、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・邢侯・曹伯と淮に會す。これ兵車の會なり。

夏,滅項。孰滅之?桓公也。何以不言桓公也?為賢者諱也。項,國也,不可滅而滅之乎,桓公知項之可滅也,而不知己之不可以滅也。既滅人之國矣,何賢乎?君子惡惡疾其始,善善樂其終。桓公嘗有存亡繼絕之功,故君子為之諱也。

夏、項を滅ぼす。滅ぼしたるは誰ぞ。桓公なり。桓公を書かざるは何ぞや。賢者のために諱するなり。項は一國なり。滅ぼすべからざるを滅ぼしたるか。桓公、項の滅ぼすべきを知れりと雖ども、己が滅ぼすべからざるを知らざりき。すでに人の國を滅ぼして、何の賢かあらん。君子は惡を惡み、その始めを疾む。善を稱し、その始め有りて終わるを樂しむ。桓公かつて亡國を存し繼絕の功あり。ゆえに君子彼のために諱す。

秋,夫人姜氏會齊侯於卞。九月,公至自會。

秋、夫人姜氏、卞にて齊侯と會す。九月、僖公、會より至る。

冬,十有二月乙亥,齊侯小白卒。此不正,其日之,何也?其不正前見矣。其不正之前見,何也?以不正入虛國,故稱嫌焉爾。

冬十二月乙亥、齊侯小白卒す。彼の繼位は本より正の道に合せず。ここに日を記すは何ぞや。彼正の道に合せざること、前にすでに顯れたり。前に如何に顯れたるか。彼正ならざるを以て虛の國に入る。ゆえにあの時すでにあの嫌疑を點出せり。

十有八年春,王正月,宋公、曹伯、衛人、邾人伐齊。非伐喪也。

十八年春、王正月、宋公・曹伯・衛人・邾人、齊を伐つ。これ齊に喪有る時に往きて伐つべきにあらざるなり。

五月戊寅,宋師及齊師戰於甗。齊師敗績。戰不言伐,客不言及。言及,惡宋也。

五月戊寅、宋師、齊師と甗に戰い、齊師敗績す。すでに戰えば別に伐を書かず。客たる者、例により「及」を用ゐず。ここに「及」を用うるは、宋を惡めばなり。

冬,邢人、狄人伐衛。狄其稱人,何也?善累而後進之。伐衛,所以救齊也。

冬、邢人・狄人、衛を伐つ。狄を「人」と稱するは何ぞや。善事一件一件積みて、後に始めて彼を上に一等進むるなり。衛を伐つは、齊を救うがためなり。

己酉,邾人執繒子,用之。微國之君,因邾以求與之盟。人因己以求與之盟,己迎而執之

己酉、邾人、繒子を執えて彼を用う。彼は小國の君にして、邾に倚りて盟を求めんと欲す。人己に倚りて盟を求めんと欲するに、己迎えて彼を執う。

惡之,故謹而日之也。用之者,叩其鼻以衈社也。

(傳文續きて曰く:)この事を惡む。ゆえに鄭重に日を記す。謂うところの「用」は、彼の鼻を敲き破り、鼻血を取りて社を衅るなり。

梁亡。自亡也。湎於酒,淫於色,心昏,耳目塞;上無正長之治,大臣背叛,民為寇盜。梁亡,自亡也。如加力役焉,湎不足道也。梁亡,鄭棄其師,我無加損焉,正名而已矣!梁亡,出惡正也。鄭棄其師,惡其長也。

梁亡ぶ。自ら滅亡せるなり。酒に沈湎し、色に放縱し、心昏く、耳目皆塞がる。上に正直の官長の治なく、大臣背叛し、百姓盜寇と為る。梁亡ぶとは、自ら滅亡せるなり。假令へば人の役使に加はらば、酒に沈湎するも言うに足らず。梁亡、鄭其の師を棄つ。われ辭を加減するなく、ただ名稱を擺正せるのみ。「梁亡」は、惡を以て正面の名稱として書き出だすなり。「鄭棄其師」は、その將を惡むなり。

二十年春,新作南門。作,為也,有加其度也。言新,有故也,非作也。南門者,法門也。

二十年春、南門を新作す。「作」は為すなり。規模を加大せるなり。「新」と曰うは、もと舊有るが故にして、無より有にあらず。南門は、制度に拠りて設くる門なり。

五月乙巳,西宮災。謂之新宮,則近為禰宮;以諡言之,則如疏之然。以是為閔宮也。

五月乙巳、西宮災す。若し「新宮」と稱せば、父の禰廟に近し。若し諡號を以て言わば、また彼を疎んずるに似たり。ゆえにこれを閔公の廟と見做す。

秋,齊人、狄人盟於邢。邢為主焉爾。邢小,其為主,何也?其為主乎救齊。

秋、齊人・狄人、邢に盟す。邢國、この次の主なり。邢國小なり。何を以て主と為るを得るか。齊を救うの事に於いて主なればなり。

秋,宋公、楚子、陳侯、蔡侯、鄭伯、許男、曹伯會於雩,執宋公以伐宋。以,重辭也。

秋、宋公・楚子・陳侯・蔡侯・鄭伯・許男・曹伯、雩に會し、宋公を執えて以て宋を伐つ。「以」の字を用うるは、分量甚だ重きの辭なり。

楚人使宜申來獻捷。捷,軍得也。其不曰宋捷,何也?不與楚捷於宋也。

楚人、宜申をして捷を獻せしむ。「捷」は軍中の所得なり。「宋捷」と書かざるは何ぞや。楚の宋に於いて俘獲を得るを贊せざるなり。

十有二月癸丑,公會諸侯盟於薄。會者,外為主焉爾。

十二月癸丑、僖公、諸侯に會し、薄に盟す。「會」の字を用うるは、この相會は彼方の主動なるを表す。

釋宋公。外釋不志,此其志,何也?以公之與之盟目之也。不言楚,不與楚專釋也。

宋公を釋す。外國の人を釋するに、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。僖公あの盟會に與りたれば、故に點出す。楚を書かざるは、楚の獨り作主にて釋するを贊せざるなり。

秋,八月丁未,及邾人戰於升陘。內諱敗,舉其可道者也。不言其人,以吾敗也。不言及之者,為內諱也。

秋八月丁未、邾人と升陘に戰う。魯は己が敗敗績を隱諱し、ただなほ言い出だすべきの面を擧げて書く。敵方の將の名を書かざるは、わが魯、敗戰せしがためなり。「及邾子」と言わざるは、魯のために隱諱するなり。

冬,十有一月己巳朔,宋公及楚人戰於泓。宋師敗績。日事遇朔曰朔。《春秋》三十有四戰,未有以尊敗乎卑、以師敗乎人者也。以尊敗乎卑、以師敗乎人,則驕其敵。襄公以師敗乎人,而不驕其敵,何也?責之也。泓之戰,以為復雩之恥也。雩之恥,宋襄公有以自取之。伐齊之喪,執滕子,圍曹,為雩之會,不顧其力之不足,而致楚成王。成王怒而執之,故曰:禮人而不答,則反其敬;愛人而不親,則反其仁;治人而不治,則反其知。過而不改,又之,是謂之過。襄公之謂也。古者被甲嬰胄,非以興國也,則以徵無道也。豈曰以報其恥哉!宋公與楚人戰於泓水之上,司馬子反曰:「楚眾我少,鼓險而擊之,勝無幸焉!」襄公曰:「君子不推人危,不攻人厄,須其出。」既出,旌亂於上,陳亂於下。子反曰:「楚眾我少,擊之,勝無幸焉!」襄公曰:「不鼓不成列,須其成列而後擊之。」則眾敗而身傷焉,七月而死。倍則攻,敵則戰,少則守。人之所以為人者,言也;人而不能言,何以為人?言之所以為言也,信也;言而不信,何以為言?信之所以為信者,道也;信而不道,何以為道?道之貴者時,其行勢也。

冬十一月己巳朔、宋公、楚人と泓に戰い、宋師敗績す。事朔に當れば、すなわち「朔」と書く。『春秋』、戰事三十四を記し、いまだかつて尊者を以て卑者に敗れ、師を以て「人」に敗れたることなし。尊者を以て卑者に敗れ、師を以て「人」に敗るるは、己が敵を視ること驕慢なり。宋襄公、師を以て「人」に敗るれども、敵を視ること驕慢にあらず。何ぞや。彼を責むるなり。泓のこの戰い、本より雩に執えられし恥を報いんと欲せり。雩の恥は、宋襄公自ら求めたるなり。齊に喪あるに乘じて伐ち、滕子を執え、曹を圍み、雩の會を招き、己が力足らざるを顧みずして、楚成王を招來せり。成王怒りて、彼を執う。ゆえに曰く、人に禮有りて彼應えざれば、反りて己が敬を察べよ。人を愛して彼親しまざれば、反りて己が仁を察べよ。人を治めて治まらざれば、反りて己が智を察べよ。過ち有りて改めず、再び犯す。これを真の過ちと謂うなり。言うところは襄公なり。古、甲を披き胄を戴くは、以て己が國を振興するか、以て無道を征討するかなり。何ぞ以て私の恥を報いるに用いんや!宋公、楚人と泓水のほとりに戰う。司馬子反曰く、「楚衆く、我寡し。彼の險なるに趁ひて、鼓して擊てば、勝は僥倖にあらず」と。襄公曰く、「君子、人の危うきに推さず、人の困阨なるに攻めず。彼の出づるを俟て」と。彼出づるを俟ちて、上旌旗すでに亂れ、下陳列すでに亂る。子反曰く、「楚衆く、我寡し。今擊てば、勝は僥倖にあらず」と。襄公曰く、「いまだ陳列成らざる者に鼓せず。彼の陳列成るを俟ちて後攻めよ」と。ここにおいて部下敗れ、己も傷を受け、七月過ぎて死す。倍すればすなわち擊ち、敵すればすなわち戰い、少なければすなわち守る。人の人たる所以は、言辭に依る。人、言う能わざれば、何を以て人と為らん。言辭の言辭たる所以は、信に依る。言うて信ならざれば、何を以て言と謂わん。信の信たる所以は、道に依る。信にして道に合わざれば、何を以て道と謂わん。道の重んずる所は時機に在りて、之を行うに形勢を視る。

二十有三年春,齊侯伐宋,圍閔。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?不正其以惡報惡也。

二十三年春、齊侯、宋を伐ち、閔を圍む。一國を伐つに、經文例によりその城邑を圍むを書かず。ここに「圍」を書くは何は何ぞや。惡を以て惡に報ゆるを滿とせざるなり。

夏,五月庚寅,宋公茲父卒。茲父之不葬,何也?失民也。其失民,何也?以其不教民戰,則是棄其師也。為人君而棄其師,其民孰以為君哉!

夏五月庚寅、宋公茲父卒す。茲父、葬を記さざるは何ぞや。彼百姓を失えればなり。如何にして百姓を失えりや。彼百姓に戰いを敎練せざれば、すなわち己が軍隊を棄てたるなり。國君たりて己が軍隊を棄つれば、百姓誰か彼を以て國君と爲さんや!

冬,天王出居於鄭。天子無出。出,失天下也。居者,居其所也。雖失天下,莫敢有也。

冬、周天子出でて、鄭に居る。天子に「出」の言なし。「出」と書くは、すなわち天下を失えり。「居」はその當に居るべき所に居るなり。天下を失うと雖ども、敢えて以て己が物と爲す者なし。

二十有五年春,王正月丙午,衛侯毀滅邢。毀之名何也?不正其伐本而滅同姓也。

二十五年春、王正月丙午、衛侯、邢を毀滅す。毀、名を稱するは何ぞや。彼が己が根本を斫斷し、同姓之國を滅ぼせるを滿とせざるなり。

宋蕩伯姬來逆婦。婦人既嫁,不逾竟。宋蕩伯姬來逆婦,非正也。其曰婦,何也?緣姑言之之辭也。

宋の蕩氏の伯姬、婦を迎え娶りに來る。婦人嫁して後、再び國境を出ずべからず。宋蕩伯姬の婦を迎え娶りに來る、正の道に合せず。「婦」と稱するは何ぞや。姑の面に順りて言うの辭なり。

宋殺其大夫。其不稱名姓,以其在祖之位,尊之也。

宋、その大夫を殺す。名姓を稱せざるは、彼祖先の位に在れば、故に彼を尊崇するなり。

秋,楚人圍陳,納頓子於頓。納者,內弗受也。圍,一事也;納,一事也;而遂言之,蓋納頓子者,陳也。

秋、楚人、陳を圍み、頓子を頓に納る。「納」は彼方接纳せざるを表す。「圍」是一事、「納」是一事、連ねて言い下せども、頓子を送入れたるは、實は陳なり。

冬,十有二月癸亥,公會衛子、莒慶,盟於洮。莒無大夫,其曰莒慶,何也?以公之會目之也。

冬十二月癸亥、僖公、衛子・莒慶に會し、洮に盟す。莒國に命大夫なし。ここに「莒慶」と稱するは何ぞや。國君彼と會するがゆえに點出すなり。

二十有六年春,王正月己未,公會莒子、衛寧速盟於向。公不會大夫,其曰寧速,何也?以其隨莒子可以言會也。

二十六年春、王正月己未、僖公、莒子・衛の寧速に會し、向に盟す。國君、大夫と會せず。ここに「寧速」と稱するは何ぞや。彼莒子に隨從すれば、「會」と書くを得るなり。

齊人侵我西鄙,公追齊師至巂,弗及。人,微者也。侵,淺事也。公之追之,非正也。至巂,急辭也。弗及者,弗與也,可以及而不敢及也。其侵也,曰人;其追也,曰師。以公之弗及,大之也。弗及,內辭也。

齊人、我が魯の西鄙に侵し、僖公、齊師を追いて巂に至るも、及ばず。「人」と稱するは、地位低微の人なり。侵入は淺き事なり。國君自ら追うは、正の道に合せず。「至巂」と書くは、急ぎの辭なり。「弗及」は戰わざるを言う。本より追及すべきを、敢えて追はざるなり。彼らの侵入を書くに「人」と稱し、追趕を書くに「師」と稱するは、國君及ばざれば、彼方を大に書くなり。「弗及」は魯の方に就きて言うの辭なり。

衛人伐齊。公子遂如楚乞師。乞,重辭也。何重焉?重人之死也,非所乞也。師出,不必反;戰,不必勝,故重之也。

衛人、齊を伐つ。公子遂、楚に往きて兵を乞う。「乞」は分量重きの字なり。重きは何に在るか。人の死を重んずるに在り。これ求むべきにあらざるなり。軍隊出づれば、必ずしも歸るを得ず。戰えば、必ずしも勝つ能わず。ゆえにこの事を重く書くなり。

秋,楚人滅夔,以夔子歸。夔,國也。不日,微國也。以歸,猶愈乎執也。

秋、楚人、夔を滅ぼし、夔子を以て歸る。夔は一國なり。日を記さざるは、彼小國なればなり。「以歸」と書くは、「執」を書くよりなほ少し勝れるなり。

冬,楚人伐宋圍閔。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?以吾用其師、目其事也,非道用師也。

冬、楚人、宋を伐ち、閔を圍む。一國を伐つに、經文例によりその城邑を圍むを書かず。ここに「圍」を書くは何ぞや。わが魯、彼らの軍隊を用ゐたれば、故にこの事を點出す。かくのごとく兵を用うるは、正の道に合せず。

公以楚師伐齊,取谷。以者,不以者也。民者,君之本也。使民以其死,非其正也。

僖公、楚師を以て齊を伐ち、穀を取る。「以」の字を用うるは、正にかくのごとく彼らを用うべからざるを表す。百姓は國君の本なり。百姓をして己がために命を賭けしむるは、正の道に合せず。

公至自伐齊。惡事不致,此其致之,何也?危之也。

僖公、伐齊の軍中より至る。惡事、例により歸國を書かず。ここに書くは何ぞや。彼のために心配するなり。

冬,楚人、陳侯、蔡侯、鄭伯、許男圍宋。楚人者,楚子也,其曰人,何也?人楚子,所以人諸侯也。其人諸侯,何也?不正其信夷狄而伐中國也。

冬、楚人・陳侯・蔡侯・鄭伯・許男、宋を圍む。「楚人」は實は楚子なり。經文「人」と稱するは何ぞや。楚子を「人」と書くは、すなわち諸侯を「人」と書くなり。何を以て諸侯を「人」と書くか。彼らの夷狄を聽信して中原を伐つを滿とせざるなり。

公子買戍衛,不卒戍,刺之。先名後刺,殺有罪也。公子啟曰:「不卒戍者,可以卒也。」可以卒而不卒,譏在公子也,刺之可也。

公子買、衛を戍りに往き、戍守卒えずして殺さる。先ず名を稱して後「刺」を書くは、殺せるは罪有る人なるを表す。公子啟曰く、「謂うところの戍守卒えずは、本より卒うべきなり」と。卒うべくして卒えざれば、譏刺公子買に在り。彼を殺すは可なり。

三月丙午,晉侯入曹,執曹伯,畀宋人。入者,內弗受也。日入,惡入者也。以晉侯而斥執曹伯,惡晉侯也。畀,與也。其曰人,何也?不以晉侯畀宋公也。

三月丙午、晋侯、曹に入り、曹伯を執えて宋人に畀る。「入」の字を用うるは、彼方接纳せざるを表す。日を記するは、この入る者を惡むなり。晋侯の身分を以て直に曹伯を執うを書くは、晋侯を惡むなり。「畀」は與うなり。「人」と稱するは何ぞや。晋侯が人を宋公に交與すと書くを願わざるなり。

夏,四月己巳,晉侯、齊師、宋師、秦師,及楚人戰於城濮,楚師敗績。

夏四月己巳、晋侯・齊師・宋師・秦師、楚人と城濮に戰い、楚師敗績す。

五月癸丑,公會晉侯、齊侯、宋公、蔡侯、鄭伯、衛子、莒子,盟於踐土。諱會天王也。

五月癸丑、文公、晋侯・齊侯・宋公・蔡侯・鄭伯・衛子・莒子に會し、踐土に盟す。これ實に天子に會見せしを隱諱するなり。

公朝於王所。朝不言所;言所者,非其所也。

僖公、天子の所在に往きて朝す。朝するに例により地を書かず。地を書くは、そこ朝すべきの所にあらざればなり。

六月,衛侯鄭自楚復歸於衛。自楚,楚有奉焉爾。復者,復中國也。歸者,歸其所也。鄭之名,失國也。

六月、衛侯鄭、楚より衛に復歸す。「自楚」と書くは、楚彼に護送・幇助有るを表す。「復」は中原に歸るなり。「歸」はその當に歸るべき所に歸るなり。直に鄭の名を書くは、彼己が國を丟てたればなり。

冬,公會晉侯、宋公、蔡侯、鄭伯、陳子、莒子、邾子、秦人於溫。諱會天王也。

冬、僖公、晋侯・宋公・蔡侯・鄭伯・陳子・莒子・邾子・秦人と温に會す。これ實に天子に會見せしを隱諱するなり。

天王守於河陽。全天王之行也,為若將守而遇諸侯之朝也,為天王諱也。水北為陽,山南為陽。溫,河陽也。

天子、河陽に狩す。これ天子出行の體面を成すに、彼まさに狩せんとし、諸侯の來朝に遇うがごとく書くは、天子のために隱諱するなり。水北を陽と曰い、山南を陽と曰う。温はすなわち河陽なり。

壬申,公朝於王所。朝於廟,禮也;於外,非禮也。獨公朝,與諸侯盡朝也。其日,以其再致天子,故謹而日之。主善以內,目惡以外。言曰公朝,逆辭也,而尊天子。會於溫,言小諸侯。溫,河北地,以河陽言之,大天子也。日系於月,月繫於時,「壬申,公朝於王所」,其不月,失其所繫也。以為晉文公之行事,為已傎矣!

壬申、僖公、天子の所在に往きて朝す。太廟に朝するは禮に合す。外に朝するは禮に合せず。僖公の朝するのみを書けども、實は諸侯皆朝せり。日を記すは、彼再び天子を招きしがゆえに、鄭重にこの日を記す。善を魯の方に歸し、惡を外に指す。「公朝」と書くは、本より顚倒の辭なれども、また以て天子を尊崇す。「會于温」と書くは、諸侯を小に書くなり。温は河北に在るに、改めて「河陽」を以て言うは、天子を大に書くなり。日は月に係り、月は季節に係る。「壬申、公朝于王所」と月を記さざるは、係るべきの一層を失えり。經文、晋文公の爲せるこれらの事、すでに太だ顚倒せりと見做す!

晉人執衛侯,歸之於京師。此入而執,其不言入,何也?不外王命於衛也。歸之於京師,緩辭也,斷在京師也。

晋人、衛侯を執えて、彼を京師に歸す。これ衛に入りて後執えたるに、何を以て「入」を書かざるか。王命を衛に於いて外來のごとく顯れしめざるがためなり。「歸之于京師」と書くは、舒緩の辭にして、裁斷京師に在るなり。

衛元咺自晉復歸於衛。自晉,晉有奉焉爾。復者,復中國也。歸者,歸其所也。

衛の元咺、晋より衛に復歸す。「自晋」と書くは、晋彼に護送・幇助有るを表す。「復」は中原に歸るなり。「歸」はその當に歸るべき所に歸るなり。

曹伯襄復歸於曹。復者,復中國也。天子免之,因與之會。其曰復,通王命也。

曹伯襄、曹に復歸す。「復」は中原に歸るなり。天子彼を赦したり。彼これに因りて盟會に與れり。「復」と書くは、天子の命を貫通するなり。

二十有九年春,介葛盧來。介,國也。葛盧,微國之君,未爵者也。其曰來,卑也。

二十九年春、介の葛盧來る。介は一國なり。葛盧は小國の君にして、いまだ爵命なし。「來」と書くは、彼の地位低ければなり。

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