Libo

白虎通义 · 第4巻

东汉 · 班固 · 第4巻 / 9

天子所以射熊何?示服猛,巧佞也。熊為獸猛巧者,非但當服猛也。示當服天下巧佞之臣也。諸侯射麋者,示達遠迷惑人也。麋之言迷也。大夫射虎豹何?示服猛也。士射鹿、豕者?示除害也。各取德所能服也。

天子が熊を射る所以はなぜでしょうか。猛・巧佞を制服することを表します。熊は獣中の猛にして巧なるもの、ただ猛を制服すべきのみならず、また天下の巧佞の臣を制服すべきを表します。諸侯が麋を射るは、遠きを通達し迷惑の人を醒悟せしむるを表します。麋の意は迷なり。大夫が虎豹を射るはなぜでしょうか。猛を制服するを表します。士が鹿・豕を射るはなぜでしょうか。害を除去するを表します。各々徳の制服し得る所を取るなり。

大夫、士兩射者人臣,示為君親視事,身勞苦也。或曰:臣陰,故數偶也。侯者,以布為之何,用人事之始也。本正則末正矣。所以名為侯何?明諸侯有不朝者,則射之,故《禮?射祝》曰:“嗟爾不寧侯,爾不朝於王所,以故天下失業。亢而射爾。”所以不射正身何?君子重同類,不忍射之,故畫獸而射之。

大夫・士の両種とも射るは、人臣なれば、君のために親ら事を辨じ身自ら労苦することを表すなり。ある人曰く、臣は陰なり、故に数は偶数を用う。侯は布を以て作るはなぜでしょうか。人事の始めを用う。本正ければ末正し。故に侯と名づくる所以はなぜでしょうか。諸侯に來朝せざる者あれば、則ち彼を射るを表明す。故に《礼・射祝》に「嗟、爾の寧ならざる侯、汝、王の所に朝せず、因りて天下業を失う。昂りて汝を射ん」とあります。正身を射ざる所以はなぜでしょうか。君子は同類を重んじ、彼を射るに忍びず、故に獣を画きて以て射る。

射正何為乎?曰:射義非一也。夫射者,執弓堅固,心平體正,然後中也。二人爭勝,樂以德養也。勝負俱降,以宗禮讓,可以選士。故射選士,大夫勝者。發近而制遠也,其兵短而害長也,故可以戒難也。所以必因射助陽選士者,所以扶助微弱而抑其強,和調陰陽,戒不虞也。何以知為戒難也?《詩》曰:“四矢反兮,以御亂兮。”因射習禮樂,射於堂上何?示從上制下也。《禮》曰:“賓主執弓請升,射於兩楹之間。”天子射百二十步,諸侯九十步,大夫七十步,士五十步。明尊者所服遠也,卑者所服近也。

射正は何を為すか。曰く、射の義は一に止まらず。射は、弓を執ること堅固に、心平にして体正しくして、然る後に中る。二人が勝を争うは、徳を以て養うを楽しむ。勝負ともに降下するは、礼譲を尊崇するを以て、士を選ぶべし。故に射を以て士を選ぶは、大夫の勝を取るなり。近きより発して遠きを制す、兵器は短くして害は長し、故を以て禍難を戒備すべし。故に必ず射を借りて陽を助け士を選ぶは、微弱を扶助して強を抑制し、陰陽を和調し、不測を戒備するを以てす。何を以て禍難を戒備と知るや。《詩経》に「四矢反なり、以て乱を御せん」とあります。射を借りて礼楽を演習す。堂上に射るはなぜでしょうか。上より下を制するを表します。《礼》に「賓主、弓を執りて堂に升るを請い、両楹の間に射つ」とあります。天子は百二十步を射、諸侯は九十歩、大夫は七十歩、士は五十歩。尊者の制服する所は遠く、卑者の制服する所は近きを表明す。

所以十月行鄉飲酒之禮何?所以復尊卑長幼之義。春夏事急,俊井次牆,至有子使父,弟使兄,故以事閒暇,復長幼之序也。

十月に郷飲酒の礼を挙行する所以はなぜでしょうか。尊卑長幼の義を恢復せんがためなり。春夏は事が緊急にして、俊才は井を打ち順次墻を築き、至りて子が父を役使し弟が兄を役使するあり、故に事の閑暇に趁りて、長幼の次序を恢復す。

王者父事三老,兄事五更者何?欲陳孝悌之德,以示天下也。故雖天子,必有尊也,言有父也;必有先也,言有兄也。天子臨辟雍,親袒割牲。尊三老,父象也。謁忠奉几杖,授安車濡輪,恭綏執授。兄事五更,寵接禮交加客謙敬順貌也。《禮記?祭義》云:“祀於明堂,所以教諸侯之孝也。享三老、五更於太學者,所以諸侯悌也。”不正言父、兄,言五更者何,老者壽考也,欲言所令者多也。更者更也,所更歷者,眾也。即如是,不但言老言三何?欲言其明於天地人之道而老也,五更者,欲言其明於五行之道而更事也。三老、五更幾人乎?曰:各一人。何以知之?既以父事,父一而己,不宜有三。

王者が三老を以て父と事奉し五更を以て兄と事奉する所以はなぜでしょうか。孝悌の徳を陳列して天下に示さんとするなり。故に天子といえども、必ず尊ぶ所有り、是れ父あるを言う。必ず先とする所有り、是れ兄あるを言う。天子が辟雍に光臨し、親ら袒衣して牲を割く。三老を尊ぶは、父の象なり。忠信を謁告し、几杖を奉上し、安車を授与して車輪を潤湿し、恭しく綏帯を持ちて彼に授与す。五更を以て兄と事奉するは、寵接し礼遇交加して、賓客に対するがごとき謙敬順貌なり。《礼記・祭義》に「明堂に祭祀するは、以て諸侯に孝を教う。太学に於て三老・五更を宴享するは、以て諸侯に悌を教う」とあります。直ちに父・兄と言わずして五更と言うはなぜでしょうか。老は寿考なり、命する所の多きを言おうとするなり。更は更なり、経歴する所の衆多なり。若し此の如し、ただ老と言わずして三と言うはなぜでしょうか。彼が天地人の道に明らかにして老なるを言おうとするなり。五更は、彼が五行の道に明らかにして事を更るを言おうとするなり。三老・五更は幾人か。曰く、各々一人。何を以て知るや。すでに父と事奉するなれば、父はただ一あるのみ、三あるべからず。

○致仕

○致仕

臣七十懸車致仕者,臣以執事趨走為職,七十陽道極,耳目不聰明,之屬,是以退去,避賢者,所以長庶恥也。懸車,示不用也。致仕者,致其事於君。君不使自去者,尊賢者也。故《曲禮》曰:“大夫七十而致仕。”《王制》曰:“七十致政。”

臣は七十歳にして車を懸けて致仕す。臣は事を執りて趨走するを職と為すが故に、七十は陽道極まり、耳目聡明ならず、「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」の類、此れを以て退去し、賢人を避け、以て庶人の廉恥を長ず。車を懸くるは、再び用いざるを表す。致仕は、事を君に交るなり。君が彼をして自ら去らしめざるは、賢を尊ぶなり。故に《曲礼》に「大夫は七十にして致仕す」とあり、《王制》に「七十にして政を致す」とあります。

卿大夫老,有盛德者留,賜之几杖,不備之以筋力之禮。在家者,三分其祿,以一與之,所以厚賢也。人年七十,臥非人不溫,適四方,乘安車,與婦人俱,自稱曰老夫。《曲禮》曰:“大夫致仕,若不得謝,則必賜之几杖。”《王記》曰:“臣致仕於君者,養之以其祿之半。”几杖所以扶助衰也,故《王制》曰:“五十杖於家,六十杖於鄉,七十杖於國,八十杖於朝。”臣老歸,年九十,君欲有問,則就其室,以珍從,明尊賢也。故《禮?祭義》云:“八十不仕朝,於君問就之。”大夫老歸死,以大夫禮葬,車馬衣服如之何?曰:盡如故也。

卿大夫の年老いたるに、盛徳ある者は留め、彼に几杖を賜い、筋力の礼を以て彼に完備を求めず。家に在るは、その禄を三份に分かち、一份を取りて彼に与え、以て賢人を厚待す。人年七十に至れば、睡臥して人なくんば温まらず、四方に至れば、安車に乗り、婦人と同行して、自ら老夫と称す。《曲礼》に「大夫が致仕し、若し辞謝すること能わざれば、必ず几杖を賜う」とあり、《王記》に「臣が君に致仕する者は、其の禄の半を以て彼を養う」とあります。几杖は衰弱を扶助するに用い、故に《王制》に「五十は家に杖し、六十は郷に杖し、七十は国に杖し、八十は朝に杖す」とあります。臣が年老いて帰り、年九十に至れば、君に問うべき問あれば、則ち其の家に至り、珍物を帯びて隨従す、賢を尊ぶを表明す。故に《礼・祭義》に「八十は朝に在りて官せず、君に問あれば彼に就く」とあります。大夫が年老いて帰りて死せば、大夫の礼を以て葬る、車馬衣服は如何。曰く、完全に昔の如し。

○辟雍

○辟雍

古者所以年十五入太學何?以為八歲毀齒,始有識知,入學學書計。七八十五,陰陽備,故十五成童志明,入太學,學經術。學之為言覺也,悟所不知也。故學以治性,慮以變情。故玉不琢,不成器;人不學,不知道。子夏曰:“百工居肆以致其事,君子學以致其道。”故《禮》曰:“十年曰幼,學。”《論語》曰:“吾十有五而志於學,三十而立。”又曰:“生而知之者,上也;學而知之者,次也。”是以雖有自然之性,必立師傅焉。《論語讖》曰:“五帝立師,三王制之。傳曰:黃帝師力牧。帝顓頊師綠圖,帝嚳師赤松子,帝堯師務成子,帝舜師尹壽,禹師國先生,湯師伊尹,文王師呂望,武王師尚父,周公師虢叔,孔子師老聃。”天子太子,諸侯世子,皆就師於外,尊師重先生之道也。《禮》曰:“有來學者,無往教者也。”《易》曰:“匪我求童蒙,童蒙求我。”《王制》曰:“小學在公宮南之左,太學在郊。”又曰:“天子、太子、群后之太子、公卿大夫之元士嫡子皆造焉。”

古が十五歳にして太学に入る所以はなぜでしょうか。八歳にして歯を換え、始めて識知あり、学に入りて書写・計算を学ぶと考えるなり。七に八を加えて十五、陰陽具備し、故に十五にして成童、志向明白にして、太学に入り、経術を学ぶ。学の意は覚なり、知らざる所を覚悟す。故に学は以て性を治め、思慮は以て情を変ず。故に玉は雕琢せざれば器を成さず、人は学習せざれば道を知らず。子夏曰く「百工は肆に居りて以て其の事を成し、君子は学習して以て其の道を成す」と。故に《礼》に「十年は幼と曰い、学ぶ」とあり、《論語》に「吾十有五にして学に志し、三十にして立つ」とあり、また曰く「生まれて之を知る者は上なり、学びて之を知る者は次なり」と。此れを以て自然の性ありといえども、必ず師傅を立つ。《論語谶》に「五帝は師を立て、三王は制定す」とあります。伝記に曰く、黄帝は力牧を以て師と為し、帝顓頊は緑図を以て師と為し、帝嚳は赤松子を以て師と為し、帝堯は務成子を以て師と為し、帝舜は尹寿を以て師と為し、禹は国先生を以て師と為し、湯は伊尹を以て師と為し、文王は呂望を以て師と為し、武王は尚父を以て師と為し、周公は虢叔を以て師と為し、孔子は老聃を以て師と為す。天子の太子・諸侯の世子は、皆外に出でて師に就くは、師を尊び先生の道を重んずるなり。《礼》に「学びに來る者あり、教えに往く者なし」とあり、《易》に「我が童蒙を求むるに非ず、童蒙が我を求むるなり」とあり、《王制》に「小学は公宮の南の左にあり、太学は郊にあり」とあり、また曰く「天子・太子・群后の太子・公卿大夫の元士の嫡子は、皆彼に至る」と。

父所以不自教子何?為世瀆也。又授之道當極說陰陽、夫婦變化之事,不可父子相教也。

父が自ら子を教えざる所以はなぜでしょうか。世々褻瀆するを以てなり。また、伝授の道は陰陽・夫婦変化の事を極尽して説明すべく、父子もって互相教すべからず。

師弟子之道有三:《論語》:“朋友自遠方來。”朋友之道也。又曰:“回也,視予猶父也。”父子之道也。以君臣之義教之。君臣之道也。

師弟子の道に三種あり。《論語》に「朋友遠方より來るあり」とあるは、朋友の道なり。また曰く「回や、我を視ること父の如し」とあるは、父子の道なり。君臣の義を以て彼を教えるは、君臣の道なり。

天子立辟雍何?所以行禮樂、宣德化也。闢者壁也,象璧圓又以法天;於雍水,側象教化流行也。闢之為言積也,積天下之道德也;雍之為言壅也,壅天下之殘賊。故謂之辟雍也。《王制》曰:“天子曰辟雍,諸侯曰泮宮。”外圓者,欲使觀之均平也。又欲言外圓內方。明德當圓、行當方也。不言圓闢何?又圓於闢何?以知其圓也,以其言闢也。何以知有外也?又《詩》云:“思樂泮水,薄採其荇。”《詩訓》曰:“水圓如璧。”諸侯曰泮宮者,半於天子宮也,明尊卑有差,所化少也。半者象璜也,獨南面禮儀之方有水耳,其餘壅之,言垣,宮名之別尊卑也。明不得化四方也。不曰泮雍何?嫌但半天子制度也。《詩》云:“穆穆魯侯,克明其德。既作泮宮,淮夷攸服。”

天子が辟雍を設立するはなぜでしょうか。礼楽を挙行し徳化を宣布せんがためなり。辟は即ち璧なり、璧の円に象り、また以て天に法る。雍水の旁に在りて、教化の流行に象る。辟の意は積なり、天下の道徳を積聚す。雍の意は壅なり、天下の残賊を壅塞す。故に辟雍と曰う。《王制》に「天子は辟雍と曰い、諸侯は泮宮と曰う」とあります。外が円なるは、観る者をして均平ならしめんと欲するなり。また外円内方と言おうとするは、徳は円なるべく行は方なるべきを表明す。円辟と言わざるはなぜでしょうか。また辟に円なるはなぜでしょうか。それに凭りて辟と言えば、円なるを知る。何を以て外あるを知るや。また《詩経》に「泮水を思楽み、薄く其の荇を采る」とあり、《詩訓》に「水は璧の如く円なり」とあります。諸侯を泮宮と曰うは、天子の宮の半なり、尊卑に差別ありて教化する所の少なきを表明す。半は璜に象り、ただ南面の礼儀の方位に水あるのみ、其余は壅塞し、垣と曰い、宮の名を以て尊卑を分別す。四方を教化すること能わざるを表明す。泮雍と曰わざるはなぜでしょうか。ただ天子の制度の半ならんことを嫌うなり。《詩経》に「穆々たる魯侯、克く其の徳を明らかにす。すでに泮宮を作れば、淮夷の服する所なり」とあります。

鄉曰庠,裡曰序。庠者,庠禮義;序者,序長幼也。《禮?五帝記》曰:“帝庠序之學,則父子有親,長幼有序,善如爾舍。”明令必次外然後前民者也,未見於仁,故立庠序以導之也。教民者,皆裡中之老而有道德者,為右師,教裡中之子弟以道藝、孝悌、行義。立五帝之德,朝則坐於裡之門,弟子皆出就農而後罷。示如之,皆入而復罷。其有出入不時,早晏不節,有過,故使語之,言心無由生也。若既收藏,皆入教學,立春而就事,其有賢才美質知學者,足以聞其心,頑鈍之民亦足以別於禽獸,而知人倫,故無不教之民。孔子曰:“以不教民戰,是謂棄之。”明無不教民也。

郷は庠と曰い、里は序と曰う。庠は、庠序して礼義なり。序は、序次して長幼なり。《礼・五帝記》に「庠序の学を設立すれば、則ち父子に親あり、長幼に序あり、善は汝の房舎の如し」とあるは、必ず先に外に於て次序を排して、然る後に民を誘導するを表明す。未だ仁を見ざれば、故に庠序を設立して以て誘導す。民を教うる者は、皆里中の年老いて道徳ある者にして、右師を為し、道藝・孝悌・行義を以て里中の子弟を教う。五帝の徳を樹立し、朝に里門に坐し、弟子皆出でて農に就きて然る後に罷む。此の如くを表せば、皆入りて來りて再び罷む。出入に時を以てせず、早晚に節を守らず、過失ある者あれば、人をして彼に告げしむ、是れ悪の心の生ずるに由無きを言うなり。收藏完畢するに及びて、皆入りて來りて教学し、立春すれば則ち事を為しに行く。其の中に賢才美質ありて学を知る者は、其の心を开通するに足り。頑鈍の民もまた禽獣と分別し人倫を知るに足り。故に教えざるの民なし。孔子曰く「教えざるの民を以て戦うは、之を棄てると謂う」と。教えざるの民なきを表明す。

天子所以有靈臺者何?所以考天人之心,察陰陽之會,揆星辰之證驗,為萬物獲福無方之元。《詩》云:“經始靈臺。”天子立明堂者,所以通神靈,感天地,正四時,出教化,宗有德,重有道,顯有能,褒有行者也。明堂,上圓下方,八窗四闥,佈政之宮,在國之陽。上圓法天,下方法地,八窗象八風,四闥法四時,九室法九州,十二坐法十二月,三十六戶法三十六兩,七十二牖法七十二風。

天子に霊台ある所以はなぜでしょうか。天人の心を考察し、陰陽の会合を観察し、星辰の証験を揆度し、万物のために福を求め無方の元始と為さんがためなり。《詩経》に「霊台を経始す」とあります。天子が明堂を設立するは、神霊を通じ、天地を感じ、四時を正し、教化を発出し、徳あるを尊崇し、道あるを重んじ、能あるを顕揚し、行あるを褒奨せんがためなり。明堂は、上円にして下方、八窓四門、是れ布政の宮にして、国の南面に在り。上円は天に法り、下方は地に法り、八窓は八風に象り、四門は四時に法り、九室は九州に法り、十二座は十二月に法り、三十六戸は三十六雨に法り、七十二牖は七十二風に法る。

○災變

○災変

天所以有災變何?所以譴告人君,覺悟其行,欲令悔過修德,深思慮也。《授神契》曰:“行有玷缺,氣逆於天,情感變出,以戒人也。”

天に災変ある所以はなぜでしょうか。人君を譴告し、彼をして其の行を覚悟せしめ、彼をして悔過修徳し深く思慮せしめんがためなり。《授神契》に「行に玷缺ありて気が天に逆う、情感変化して発出す、以て人を警戒す」とあります。

災異者,何謂也?《春秋潛潭巴》曰:“災之言傷也,隨事而誅;異之言怪也,先發感動之也。”何以言災有哭也?《春秋》曰:“新宮火,三日哭。”《傳》曰:“必三日哭何?禮也。”災三日哭,所以然者,宗廟先禮所處,鬼神無形體,曰今忽得天火,得無為災所中乎?故哭也。變者何謂也?變者,非常也。《耀嘉》曰;“禹將受位,天意大變,迅風靡木,雷雨晝冥。”服秉者何謂也?衣服乍大乍小,言語非常。故《尚書大傳》曰:“時則有服秉也。”孽者何謂也?曰:介蟲生為非常。《尚書大傳》曰:“時則介蟲之孽,時則有龜孽。”堯遭洪水,湯遭大旱,示有譴告乎?堯遭洪水,湯遭大旱,命運時然。所以或災變或異何?各隨其行,因其事也。

災異とは何の意か。《春秋潜潭巴》に「災の意は傷なり、事に随いて誅す。異の意は怪なり、先に発動して以て彼を感動す」とあります。何を以て災に哭あると言うや。《春秋》に「新宮に火失し、三日哭す」とあり、《伝》に「必ず三日哭するは何ぞや。礼なり」とあります。災に三日哭する所以此の如きは、宗廟は先代が礼を行うの処所、鬼神は形体なし、今や忽然と天火に遭う、將に災に中れられんとするや、故に哭す。変とは何の意か。変は非常なり。《耀嘉》に「禹、將に位を受けんとす、天意大いに変じ、迅風は樹木を吹倒し、雷雨は白昼昏暗たり」とあります。服妖とは何の意か。衣服が忽ち大に忽ち小、言語非常なり。故に《尚書大伝》に「この時に服妖あり」とあります。孽とは何の意か。曰く、介虫の生出するは非常なり。《尚書大伝》に「この時に介虫の孽あり、この時に亀孽あり」とあります。堯が洪水に遭遇し湯が大旱に遭遇するは、譴告あるを表すか。堯が洪水に遭遇し湯が大旱に遭遇するは、命运時勢此の如きなり。故に或るは災変、或るは異なるはなぜでしょうか。各々其の行に随い其の事に因るなり。

霜之為言亡也,陽以散雲。雹之為言合也,陰氣專精,積合為雹。

霜の意は亡なり、陽は以て雲気を散開す。雹の意は合なり、陰気は専精にして、積合して雹と為る。

日食者必殺之何?陰侵陽也。鼓用牲於社。社者眾陰之主,以朱絲縈之,鳴鼓攻之,以陽責陰也。故《春秋傳》曰:“日食鼓用牲於社。”所以必用牲者,社,地別神也,尊之,故不敢虛責也。日食,大水則鼓於用牲於社,大旱則祭未雨,非苟虛也,助陽責下,求陰之道也。月食救之者,陰失明也,故角尾交日。月食救之者,謂夫人擊鏡,傅人擊杖,庶人之妻楔搔。太平之時,時雨時霽,下以恆陽而以時陽,天地之氣宣也。

日食には必ず救うはなぜでしょうか。陰が陽を侵すなり。社に於て鼓を撃ち牲を用う。社は衆陰の主なり、朱絲を以て之を纏繞し、鼓を敲いて之を攻む、陽を以て陰を責むるなり。故に《春秋伝》に「日食、鼓を鳴らし牲を社に用う」とあります。必ず牲を用いる所以は、社は地の別神、之を尊び、故に敢えて空に責めず。日食・大水なれば則ち鼓を撃ち牲を社に用い。大旱なれば則ち「(底本の此字は生僻字)」祭して雨を求む。随便に空虚なるに非ず、是れ陽を助け下を責め陰を求むるの道なり。月食を救うは、陰が光明を失うなり、故に角・尾は日と相交る。月食を救うは、夫人は鏡を撃ち、傅人は杖を撃ち、庶人の妻は楔搔すると曰うなり。太平の時は、雨すべきに雨し晴るべきに晴れ、下は恒常の陽に因りて時を以て陽を得、天地の気は宣通す。

○耕桑

○耕桑

王者所以親耕、後親桑何?以率天下農蠶也。天子親耕以供郊廟之祭,後之親桑以供祭服。《祭義》曰:“天子三推,三公五推,卿大夫七推。”耕於東郊何?東方少陽,農事始起。桑於西郊?西方少陰,女功所成。故《曾子問》曰:“天子耕東田而三反之。”《周官》曰:“後親桑,率外內婦蠶於北郊。”《禮?祭義》曰:“古者天子諸侯,必有公桑蠶室,近外水為之,築周棘牆,而外閉之者也。”

王者が自ら耕し后が自ら蚕桑する所以はなぜでしょうか。以て天下の農蚕を率いるためです。天子が自ら耕すは郊廟の祭を供給し、后が自ら蚕桑するは祭服を供給するためです。《祭義》に「天子は三たび推し、三公は五たび推し、卿大夫は七たび推す」とあります。東郊に耕すはなぜでしょうか。東方は少陽にして農事始めて興る。西郊に桑するはなぜでしょうか。西方は少陰にして女功の成就する所なり。故に《曾子問》に「天子は東田に耕して往反すること三たびす」とあり、《周官》に「后は自ら蚕桑し、内外の婦人を率いて北郊に於て蚕を養う」とあり、《礼・祭義》に「古は天子諸侯に必ず公桑の蚕室あり、外の水に近づけて為し、周囲の棘墻を築き、外より閉じる」とあります。

●卷五

●巻五

○封禪

○封禅

王者易姓而起,必升封泰山何?教告之義也。始受命之時,改制應天,天下太平,功成封禪,以告太平也。所以必於泰山何?萬物所交代之處也。必於其於何?因高告高,順其類也,故升封者增高也,下禪梁甫之山基廣厚也。刻石紀號者,著己之功跡也,以自效放也。天以高為尊,地以厚為德,故增泰山之高以放天,附梁甫之基以報地,明天地之所命,功成事遂,有益於天地,若高者加高,厚者加厚矣。或曰:封者,金泥銀繩。或曰:石泥金繩,封以印璽。故孔子曰:“升泰山,觀易姓之王,可得而數者七十有餘。

王者が姓を換えて興るに、必ず泰山に升りて封礼を挙行するはなぜでしょうか。是れ教告の義なり。始めて命を受くる時、改制して天に応え、天下太平、功成りて封禅するは、以て太平を報告す。必ず泰山に於てする所以はなぜでしょうか。是れ万物の交代する処所なり。必ず其の山頂に於てするはなぜでしょうか。高を借りて高に告げ、其の類に順うなり。故に升封は以て増高し、下禅して梁甫の山は、其の基址を広厚ならしむ。石を刻みて名号を記すは、己の功績を顕明し、以て自ら効法し放效せんがためなり。天は高を以て尊と為し、地は厚を以て徳と為す。故に泰山を増高して天に効法し、梁甫の基に附着して地に報答す。天地の命ずる所を表明し、功成り事遂ぐれば、天地に益あること、高きの更に高く厚きの更に厚きがごとし。或る人曰く、封は金泥銀縄なり。或る人曰く、石泥金縄にして、印璽を以て封ず。故に孔子曰く「泰山に升りて、姓を換えたるの王を観るに、数え得るもの七十有餘なり」と。

封者廣也,言禪者,明以成功相傳也。梁甫者,太山旁山名,正於梁甫何?以三皇禪於繹繹之山,明己成功而去,有德者居之。繹繹者,無窮之意也。五帝禪於亭亭者,制度審諦、德著明也。三王禪於梁甫之山者,梁信也,甫輔也,輔天地之道而行之也。太平乃封知告於天,必也於岱宗何?明知易姓也。刻石紀號,知自紀於百王也。燎祭天,報之義也,望祭山川,祀群神也。《詩》云:“於皇明周,陟其高山。”言周太平,封太山也。又曰:“墮山喬獄,允猶翕河。”言望祭山川百神來歸也。

封は、広なり。禅と曰うは、成功を相伝することを表明す。梁甫は、太山の旁の山名なり。梁甫に正するはなぜでしょうか。三皇は繹繹の山に禅したりき、己れ成功して去るを表明し、徳ある人の居処する所なり。繹繹は無窮の意なり。五帝は亭亭に禅したりき、是れ制度審諦にして徳顕著明白なり。三王は梁甫の山に禅したりき、梁は信なり甫は輔なり、天地の道を輔助して実行之。太平にして初めて封すは、天に告ぐるを知るなり。必ず岱宗に於てするはなぜでしょうか。姓を換えたることを明確に知るなり。石を刻みて名号を記すは、己れ百王の中間に記せるを知るなり。燎して天を祭るは、報答の義なり。山川を望祭するは、群神を祀るなり。《詩経》に「于皇たる明周、その高山に陟る」とあるは、周が太平にして太山に於て封礼を挙行することを言うなり。また曰く「堕山喬嶽、允猶翕河」とあるは、山川を望祭して百神来り帰することを言うなり。

天下太平符瑞所以來至者,以為王者承統理,調和陰陽,陰陽和,萬物序,休氣充塞,故符瑞並臻,皆應德而至。德至天則斗極明,日月光,甘露降;德至地則嘉禾生,{艹}莢起,鬯出,太平感;德至文表則景星見,五緯順軌;德至草木朱草生,木連理;德至鳥獸則鳳皇翔,鸞鳥舞,麒麟臻,白虎到,狐九尾,白雉降,白鹿見,白鳥下;德至山陵則景雲出,芝實茂,陵出異丹,阜出蓮莆,山出器車,澤出神鼎;德至淵泉則黃龍見,醴泉通,河出龍圖,洛出龜書,江出大貝,海出明珠;德至八方則祥風至佳氣時喜,鐘律調,音度施,四夷化,越裳貢。

天下太平にして符瑞の来る所以は、王者が統を承けて治理し、陰陽を調和すればなり。陰陽和し、万物有序あり、休美の気充塞すれば、故に符瑞一斉に来る、皆徳に応じて至るなり。徳が天に至れば、則ち北斗・北極明亮にして、日月に光あり、甘露降下す。徳が地に至れば、則ち嘉禾生じ、「(底本の此字は生僻字)」莢興起し、「(底本の此字は生僻字)」鬯出現し、太平感応す。徳が文表に至れば、則ち景星出現し、五緯軌道に順う。徳が草木に至れば、朱草生じ樹木連理す。徳が鳥獣に至れば、則ち鳳凰飛翔し、鸞鳥起舞し、麒麟到来し、白虎来至し、狐九尾、白雉降下し、白鹿出現し、白鳥下来る。徳が山陵に至れば、則ち景雲出で、芝実茂盛し、陵は異丹を出し、阜は蓮莆を出し、山は器車を出し、沢は神鼎を出す。徳が淵泉に至れば、則ち黄龍出現し、醴泉流通し、河は龍図を出し、洛は亀書を出し、江は大貝を出し、海は明珠を出す。徳が八方に至れば、則ち祥風至り、佳気時に按じて喜悅し、鐘律調和し、音度施行し、四夷化を被り、越裳来りて貢す。

孝道至則以蓮莆者,樹名也,其葉大於門扇,不搖自扇,於飲食清涼,助供養也。繼嗣平明則賓連生於房戶。賓連者,木名也,連累相承,故在於房戶,象繼嗣也。日曆得其分度,則{艹}莢生於階間。{艹}莢樹名也,月一日生一莢,十五日畢,至十六日去莢,故莢階生似日月也。賢不肖位不相逾,則平路生於庭。平路者,樹名也,官位得其人則生,失其人則死。

孝道極まれば、則ち蓮莆あり、是れ樹の名なり。葉は門扇より大にして、揺れずして自ら扇ぎ、飲食を清凉ならしめ、供養を幇助す。継嗣平明なれば、則ち賓連は房戸に生ず。賓連は木の名なり、連累相承するなり、故に房戸に在り、継嗣に象る。日暦その分度を得れば、則ち「(底本の此字は生僻字)」莢は階間に生ず。「(底本の此字は生僻字)」莢は樹の名なり、毎月一日に一莢を生じ、十五日に畢り、十六日に至りて莢を去る。故に莢は階上に生ずること日月に似たり。賢と不肖の位が相踰越せざれば、則ち平路は庭に生ず。平路は樹の名なり、官位其の人に適えば生じ、其の人を失えば死す。

狐九尾何?狐死首丘,不忘本也,明安不忘危也。必九尾者也?九妃得其所,子孫繁息也。於尾者何?明後當盛也。

狐が九尾なるはなぜでしょうか。狐は死するに頭を丘に向くは、本を忘れず、安きに在りて危を忘れざるを表明す。必ず九尾なるはなぜでしょうか。九妃各々其の所を得て、子孫繁息す。尾の上に在るはなぜでしょうか。後嗣當に昌盛すべきを表明す。

景星者,大星也。月或不見,景星常見,可以夜作,有益於人民也。

景星は、大星なり。月は或る時見えずとも、景星は常に出現す、以て夜に労作すべく、人民に益あり。

甘露者,美露也,降則物無不盛者也。

甘露は、美露なり、降下すれば物に盛ならざるなし。

朱草者,赤草也,可以染絳,別尊卑也。

朱草は、赤草なり、以て絳色を染むべく、尊卑を分別す。

醴泉者,美泉也,狀若醴酒,可以養老也。

醴泉は、美泉なり、形状は醴酒に似たり、以て老を養うべし。

嘉禾者,大禾也,成王時有三苗異畝而生,同為一穗大幾盈車,長几充箱。民有得而上之者,成王訪周公而問之,公曰:“三苗為一穗,天下當和為一乎!”以是果有越裳氏重九譯而來矣。

嘉禾は、大禾なり。成王の時、三苗の異なる田畝より出て、合して一穂と為り、大きさほとんど車を装満せんとし、長さほとんど箱を充満せんとしたり。民に得て献上する者あり、成王、周公を訪問して問う。周公曰く「三苗合して一穂と為るは、天下當に和合して一と為るべきか」と。これに因りて果して越裳氏あり、九度の翻訳を経て來れり。

○巡狩

○巡狩

王者所以巡狩者何?巡者循也,狩牧也,為天下循行守牧民也。道德太平,恐遠近不同化,幽隱有不得所,考禮義,正法度,同律歷,計時月,皆為民也。《尚書》曰:“遂覲東後,葉時月,正日,同律度量衡,修五禮。”《尚書大傳》曰:“見諸侯,問百年,太師陳詩,以觀民命風俗;命市納賈,以觀民好惡;山川神祗,有不舉者為不敬,不敬者削以地;宗廟有不順者為不孝,不孝者黜以爵;變禮易樂為不從,不從君流;改制度衣服為畔,畔者君討,有功者賞之。”《尚書》曰:“明試以功,車服以庸。”

王者が巡狩する所以はなぜでしょうか。巡は循なり、狩は牧なり、天下のために循行し守りて民を牧するなり。道徳太平なるに、遠近の教化の同じからざるを怕り、幽隠の人に其の所を得ざる有らんことを。礼義を考校し、法度を端正し、律暦を同一し、時月を計算するは、皆民のためなり。《尚書》に「是に於て東方の諸侯に覲見し、時月を協調し、日を端正し、律度量衡を同一にし、五礼を修明す」とあり、《尚書大伝》に「諸侯に会見し、百年の老人に問う。太師は詩を陳じて以て民命風俗を観察す。市場に物価を交納せしめて以て民の好悪を観察す。山川神祇に祭祀せざる有れば是不敬なり、不敬は地を削る。宗廟に順ならざる有れば是不孝なり、不孝は爵を黜す。礼楽を改変するは不従なり、不従の君は彼を流放す。制度衣服を改むるは畔なり、畔の君は討伐す。功あるは彼を賞す」とあります。《尚書》に「明白に功を以て試験し、車服を以て庸に酬ゆ」とあります。

巡狩所以四時出何?當承宗廟,故不逾時也。以夏之仲月者,同律度當得其中也。二月、八月晝夜分,五月、十一月陰陽終。《尚書》曰:“二月東巡守,至於岱宗柴。五月南巡狩,至於南嶽,八月西巡狩,至於西嶽。十有一月朔巡狩,至於北嶽。”

巡狩が四時に按じて出行する所以はなぜでしょうか。宗廟を承奉すべきなれば、故に一時令を過ぎず。夏の仲月を用うるは、律度を同一にして其の中を得べければなり。二月・八月は昼夜平分し、五月・十一月は陰陽終結す。《尚書》に「二月、東に巡守し、岱宗に至り、柴を焼く。五月、南に巡狩し、南嶽に至る。八月、西に巡狩し、西嶽に至る。十一月、朔に巡狩し、北嶽に至る」とあります。

所以五歲巡狩何?為大煩也,過五年為太疏也。因天道時有所生,歲有所成。三歲一閏,天道小備;五歲再閏,天道大備。故五歲一巡狩,三年小備,二伯出,述職黜陟。

五年に巡狩する所以はなぜでしょうか。頻繁なれば則ち煩擾にして、五年を過ぎればまた疏なり。天道に借りて時に生ずる所有り歳に成す所有るに因る。三年に一閏すれば天道小備し、五年に再閏すれば天道大備す。故に五年に一巡狩す。三年小備すれば、二伯出行し、述職し黜陟す。

一年物有終始,歲有所成,方伯行國;時有所生,諸侯行邑。《傳》曰:“周公入為三公,出為二伯,中分天下,出黜陟。”《詩》曰:“周公東征,四國是皇。”言東征述職,周公黜陟而天下皆正也。又曰:“蔽芾甘棠,勿翦勿伐,召伯所茇。”言邵公述職,親說舍於野樹之下也。《春秋梁傳》曰:“古之君民以時視民之勤。”

一年に物に終始あり、歳に成す所有れば、方伯は各国を巡行す。時に生ずる所有れば、諸侯は属邑を巡行す。《伝》に「周公、入朝して三公と為り、出でて二伯と為り、中分して天下を、出行して黜陟す」とあり、《詩経》に「周公東征すれば、四国これ皇なり」とあるは、東征して述職し、周公が黜陟して天下皆正しきを言うなり。また曰く「蔽芾たる甘棠、翦る勿れ伐る勿れ、召伯の茇る所」とあるは、召公が述職して親ら野樹の下に休息することを言うなり。《春秋穀梁伝》に「古は君民、時に按じて往きて民の勤労を看る」とあります。

巡狩祭天何?本巡狩為祭天,告至。《尚書》曰:“東巡狩,至於岱宗,柴也。”王者出必告廟何?孝子出辭、反面,事死如事生。《尚書》曰:“歸假於祖禰。”《曾子問》曰:“王者、諸侯出,稱告祖禰,使祝遍告五廟。”尊親也。王者將出告天者,示不專也。故《王制》曰:“類於上帝,宜乎社,造於禰。”類祭以祖配不曰接者,尊無二禮,尊尊之義。造於禰,獨見禰何?辭從卑,不復留尊者之命,至禰不嫌不至祖。即祭告天,為告事也,祖,為出辭也。義異。告於尊者,然後乃辭出。

巡狩して天を祭るはなぜでしょうか。もともと巡狩は天を祭り至るを報告するがためなり。《尚書》に「東に巡狩し、岱宗に至り、柴を焼く」とあります。王者が出行すれば必ず廟に告ぐるはなぜでしょうか。孝子は門を出でれば告辞し、帰れば面して報告す、死に事えること生に事えるが如し。《尚書》に「帰りて祖禰に假告す」とあり、《曾子問》に「王者・諸侯出行すれば、祖禰を名称して告げ、祝をして五廟に遍告せしむ」とあるは、親を尊ぶなり。王者將に出でんとして天に告ぐるは、専断せざるを表す。故に《王制》に「上帝に類し、社に宜え、禰に造る」とあります。類祭は祖を以て配し、接と言わざるは、尊に二礼なきを以て、是れ尊々の義なり。禰に造るに、ただ禰に見るるはなぜでしょうか。告辞は卑より始め、再び尊者の命を滞留せず、禰に至れば則ち祖に至らざるを嫌わず。祭告天は、事を報告す。祖に告ぐるは、出行告辞す。義同じからず。先に尊者に告げて、然る後に告辞して出行す。

王者、諸侯出,必將主何?示有所尊。故《曾子問》曰:“王者將出,必以遷廟主行,載於齊車,示有尊也。”無遷主以幣帛主告於祖禰廟,遂奉以出,每舍奠焉。”蓋貴命也。”必以遷主者,明廟不可空也。

王者・諸侯が出行すれば、必ず廟主を携帯するはなぜでしょうか。尊ぶ所有るを表す。故に《曾子問》に「王者將に出でんとすれば、必ず遷廟主を帯びて出行し、斎車に載せ、尊ぶ所有るを表す」とあります。遷主なければ、則ち幣帛を以て主と為し、祖禰廟に告げ、是に奉じて出行し、一舎に至る毎に奠す。「是れ命を貴ぶなり」。必ず遷主を用うるは、廟は空にすべからざるを表明す。

王者巡狩,諸侯待於境者何?諸侯以守蕃為職也。《禮?祭義》曰:“天子巡狩,諸侯待於境也。”

王者が巡狩するに、諸侯は境上に於て等待するはなぜでしょうか。諸侯は蕃を守るを以て職と為すなり。《礼・祭義》に「天子巡狩すれば、諸侯は境上に於て等待す」とあります。

王者巡狩,必舍諸侯祖廟何?明尊無二上也,故《禮?坊記》曰:“君適其臣,升自阼階。”示不敢有其室也。《禮》曰:“天子適諸侯,必舍其祖廟。”

王者が巡狩するに、必ず諸侯の祖廟に住するはなぜでしょうか。尊に二上なきを表明す。故に《礼・坊記》に「君、其の臣に至れば、阼階より升る」とあるは、敢えて其の室を据有せざるを表す。《礼》に「天子、諸侯に至れば、必ず其の祖廟に住す」とあります。

王者出,一公以其屬守,二公以其屬從也。

王者が出行すれば、一の公は属官を帯びて留守し、二の公は属官を帯びて隨従す。

王者巡狩,崩於道,歸葬何?夫太子當為喪主,天下皆來奔喪。京師,四方之中也。即如是,舜葬蒼梧、禹葬會稽?於時尚質,故死則止葬,不重煩擾也。

王者が巡狩するに、路上に於て崩逝すれば、運び帰りて葬るはなぜでしょうか。太子は當に喪主と為すべし、天下皆奔喪に來る。京師は四方の中央なり。若し此の如くならば、舜は蒼梧に葬られ禹は会稽に葬られたるは又如何。当時なお質朴なれば、故に死すれば則ち彼に停めて葬り、再び煩擾せざりき。

何以知太平乃巡狩?以武王不巡狩,至成王乃巡狩。

何を以て太平にして初めて巡狩するを知るや。武王は巡狩せざりき、成王に至りて初めて巡狩せり。

嶽者何謂也?嶽之為言桶,桶功德。東方為岱宗者?言萬物更相代於東方也。南方為霍山者?霍之為言護也,言萬物護也,太陽用事,護養萬物也。西方為華山者?華之為言獲也,言萬物成熟,可得獲也。北方為恆山?恆者,常也,萬物伏藏於北方,有常也。中央為嵩山,言其後大之也。故《尚書大傳》曰:“五嶽謂岱山、霍山、華山、恆山、嵩山也。”謂之瀆何?瀆者,濁也,中國垢濁,發源,東注海,其功著大,故稱瀆也。《爾雅》云:“江、河、淮、濟,為四瀆也。”

嶽とは何の意か。嶽の意は桷なり、功徳を衡量す。東方は岱宗なり、是れ万物東方に於て更相替代することを言う。南方は霍山なり。霍の意は護なり、是れ万物の護られ、太陽當令して、万物を護養することを言う。西方は華山なり。華の意は獲なり、是れ万物成熟して収穫すべきを言う。北方は恒山なり。恒は常なり、万物北方に於て伏蔵し、常規あり。中央は嵩山なり、是れ之を更に大ならしむるを言う。故に《尚書大伝》に「五嶽は岱山・霍山・華山・恒山・嵩山なり」とあります。瀆と曰うはなぜでしょうか。瀆は濁なり、中国の垢濁、源を発して後に東に注ぎ海に入る、功労顕著にして大なれば、故に瀆と称す。《爾雅》に「江・河・淮・済は四瀆なり」とあります。

○考黜

○考黜

諸侯所以考黜何?王者所以勉賢抑惡,重民之至也。《尚書》曰:“三載考績,三考黜陟。”

諸侯が考校黜陟する所以はなぜでしょうか。王者は以て賢人を勉励し悪を抑制し、民を重んずること極まるなり。《尚書》に「三年績を考え、三考にして黜陟す」とあります。

禮記九錫:車馬、衣服、樂、朱戶、納陛、虎賁、鉞、弓矢、鬯,皆隨其德可行而賜車馬,能安民者賜衣服,能使民和樂者賜以樂,民眾多者賜以朱戶,能進善者賜以納陛,能退惡者賜虎賁,能誅有罪者賜以鉞,能徵不義者賜以弓矢,孝道備者賜以鬯,以先後與施行之次,自不相逾,相為本末。然安民然後富貴而後樂,樂而後眾乃多賢,賢乃能進善,進善乃能退惡,退惡乃能斷刑。內能正已,外能正人,內外行備,孝道乃生。

礼記九錫:車馬・衣服・楽・朱戸・納陛・虎賁・「(底本の此字は生僻字)」鉞・弓矢・「(底本の此字は生僻字)」鬯、皆其の徳の行うべきに随い而して賜う。能く民を安んずれば車馬を賜い、能く民を和楽せしむれば楽を以て賜い、民衆多ければ朱戸を以て賜い、能く善を進めば納陛を以て賜い、能く悪を退けば虎賁を賜い、能く有罪を誅すれば「(底本の此字は生僻字)」鉞を以て賜い、能く不義を征すれば弓矢を以て賜い、孝道完備なれば「(底本の此字は生僻字)」鬯を以て賜う。先後と施行の次序に按ずれば、自然相踰越せず、互いに本末と為す。然るに民を安んじて然る後に富貴し、而後楽し、楽して而後人衆く、才多く賢く、賢ければ善を進めること能く、善を進むれば悪を退くること能く、悪を退くれば刑を断ずること能し。内に己を正し、外に人を正し、内外の行完備せば、孝道乃ち生出す。

能安民故賜車馬,以著其功德,安其身。能使人富足,衣食倉廩實,故賜衣服,以彰其體。能使民和樂,故賜之樂,以事其先也。《禮》曰:“夫賜樂者,不得以時王之樂,事其宗廟也。”朱,盛色,戶,所以紀民數也,故民眾多賜朱戶也。古者人君下賢,降階一等而禮之,故進賢賜之納陛,以優之也。既能進善,當能戒惡,故賜虎賁。虎賁者所以戒不虞而距惡。距惡當斷刑,故賜之鉞,所以斷大刑。刑罰既中,則能徵不義,故賜弓矢,弓矢所以徵不義、伐無道也。圭瓚鬯,宗廟之盛禮,故孝道備而賜之鬯,所以極著孝道。孝道純備,故內和外榮,玉以象德,金以配情,芬香條鬯以通神靈。玉飾其本君子之性,金飾其中君子之道。君子有黃中通理之道美素德。金者,精和之至也;玉者,德美之至也;鬯者,芬香之至也。君子有玉瓚、鬯乎,車者以配道德也,其至矣,合天下之極美以通其志也,其唯玉瓚、鬯乎。

能く民を安んずる故に車馬を賜うは、以て其の功徳を彰顯し、其の身を安んず。能く人を富足せしむる、衣食倉廩充実せば、故に衣服を賜う、以て其の体を彰明す。能く民を和楽せしむれば、故に楽を賜う、以て其の先人に事奉せんがためなり。《礼》に「楽を賜わる者は、時王の楽を以て其の宗廟に事奉すべからず」とあります。朱は盛色なり、戸は以て民数を記録す、故に民衆多ければ朱戸を賜う。古は人君賢人を礼下し、階を降りること一等にして彼を礼遇す、故に賢を進むれば納陛を賜う、以て彼を優待す。すでに能く善を進むれば、則ち能く悪を戒むべし、故に虎賁を賜う。虎賁は以て不測を戒備し悪を抗拒す。悪を抗拒すれば則ち刑を断ずべし、故に「(底本の此字は生僻字)」鉞を賜う、以て大刑を決断す。刑罰すでに中を得れば、則ち能く不義を征す、故に弓矢を賜う。弓矢は以て不義を征し無道を伐つ。圭瓚・「(底本の此字は生僻字)」鬯は宗廟の盛礼なり、故に孝道完備して初めて「(底本の此字は生僻字)」鬯を賜う、以て孝道を極尽して彰顯す。孝道純備なれば、故に内和・外栄す、玉は以て徳に象り、金は以て情に配し、芬香条鬯は以て神霊に通ず。玉は其の本を装飾す、是れ君子の性なり。金は其の中を装飾す、是れ君子の道なり。君子は黄中通理の道・美好質素の徳あり。金は精和の極まるなり、玉は徳美の極まるなり、鬯は芬香の極まるなり。君子に玉瓚・「(底本の此字は生僻字)」鬯あらんか、車は以て道徳に配し、極まりぬ、天下の最美に会合して其の志を通ずるは、蓋し玉瓚・「(底本の此字は生僻字)」鬯のみか。

車者,謂有赤有青之蓋,朱輪、特能居前左右寢米庶也。以其進止有節,德綏民,路車乘馬,以安其身。言成章,行成規,卷龍之衣服,表顯其德。長於教誨,內懷至仁,則賜時王樂,以化其民。尊賢達德,動作有禮,賜之納陛以安其體,居處修治,房內節,男女時配,貴賤有別,則賜朱戶,以明其德列。威武有矜,嚴仁堅強,賜以虎賁,以備非常。喜怒有節,誅伐刑,賜以鉞,使得專殺。好惡無私,執義不傾,賜以弓矢,使得專征。孝道之美,百行之本也,故賜以瓚,得專為賜也。故《王制》曰:“賜之弓矢然後專殺。”又曰:“賜圭瓚然後為暢,未賜者,資暢於天子。”《王度記》曰:“天子鬯、諸侯薰、大夫杞蘭、庶人艾。”

車とは、赤あり青あるの蓋あり、朱輪あり、特に能く前に居り、左右寝息して米庶を。彼の進止に節あり、徳能く民を安撫するを以て、路車乘馬、以て其の身を安んず。言成章し行成規すれば、巻龍の衣服、其の徳を表顕す。教誨に長じ、内に至仁を懐けば、則ち時王の楽を賜い、以て其の民を教化す。賢を尊び徳に達し、動作に礼あれば、納陛を賜いて以て其の体を安んず。居処修治して、房内に節あり、男女時に按じて匹配し、貴賤別あれば、則ち朱戸を賜い、以て其の徳の等列を彰明す。威武に矜あり、厳仁堅強なれば、虎賁を以て賜い、以て非常に防備す。喜怒に節あり、誅伐に刑を用いれば、「(底本の此字は生僻字)」鉞を以て賜い、彼をして能く殺を専らにせしむ。好悪私なく、義を執りて傾側せざれば、弓矢を以て賜い、彼をして能く征を専らにせしむ。孝道の美は、百行の根本なり、故に瓚を賜い、彼をして能く賜を専らにせしむ。故に《王制》に「弓矢を賜わりて而後殺を専らにす」とあり、また曰く「圭瓚を賜わりて而後鬯を為す、賜わらざるは、天子に向かいて鬯を求取す」と。《王度記》に「天子は鬯を用い、諸侯は薫を用い、大夫は杞蘭を用い、庶人は艾を用う」とあります。

車馬、衣服、樂三等者,賜與其物,《禮》:“天子賜諸侯民服車,路先設,路下四惡之。”又曰:“諸公奉選服。”《王制》曰:“天子賜諸侯樂則,以將之。”《詩》曰:“君子來朝,何錫與之。雖無與之,路車乘馬,又何與之?玄袞及黼。”《書》曰:“明試以功,車服以庸。”朱戶、納陛、虎賁者,皆與之制度,而鉞、弓矢、玉釒贊皆與之,物各因其宜也。者,黑黍,一稃二米。鬯者,以百草之香郁金合而釀之成為鬯。陽達於牆屋,入於淵泉,所以灌地降神也。玉瓚者,器名也,所以灌鬯之器也,以圭飾其柄,灌鬯貴玉器也。

車馬・衣服・楽の三等は、彼に実物を賜う。《礼》に「天子、諸侯に民服車を賜う、路車は先に陳設し、路下は車下四匹」とあり、また曰く「諸公は選定の服を奉進す」と。《王制》に「天子、諸侯に楽を賜えば、則ち「(底本の此字は生僻字)」を以て將送す」とあり、《詩経》に「君子來朝すれば、何を錫い之に与えん。与える無しといえども、路車乘馬、また何を之に与えん。玄袞及び黼」とあり、《書》に「明白に功を以て試験し、車服を以て庸に酬ゆ」とあります。朱戸・納陛・虎賁は、皆彼に制度を与え、而「(底本の此字は生僻字)」鉞・弓矢・玉瓚は皆彼に実物を与え、各々宜しき所に按ず。「(底本の此字は生僻字)」は、黒黍なり、一稃二米。鬯は、百草の香・郁金を合せて鬯を醸成す。陽は墻屋に通達し、淵泉に入り、以て地を灌ぎ神を降す。玉瓚は器の名なり、以て鬯を灌ぐの器、圭を以て其の柄を装飾し、鬯を灌ぐに玉器を以て貴しと為す。

所以三歲一考績何?三年有成,故於是賞有功,黜不肖。《尚書》曰:“三載考績,三考黜陟。”何以知始考輒黜之?《尚書》曰:“三年一考,少黜以地。”《書》所以言三考黜者,謂爵土異也。小國考之有功,增土進爵;後考無功,削黜,後考有功,上而賜之矣。五十里不過五賜而進爵土,七十里不過七賜而進爵土,能有小大,行有進退也。一說:盛德始封百里者,賜三等,得征伐、專殺、斷獄。七十里伯始封賜二等,至虎賁百人。後有功,賜弓矢。後有功,賜鬯,增爵為侯,益土百里。復有功,入為三公。五十里子男始封賜一等,至樂則。復有功,稍賜至虎賁,增爵為伯。復有功,稍賜至鬯,增爵為侯。未賜鉞者,從大國連率、方伯而斷獄。

三年に一考績する所以はなぜでしょうか。三年に成有れば、故にこの時功あるを賞し不肖を黜す。《尚書》に「三載績を考え、三考にして黜陟す」とあります。何を以て初めの考に則ち黜するを知るや。《尚書》に「三年一考、稍々地を削る」とあります。《書》が三考にして初めて黜すると言う所以は、爵と土と同じからざるを言うなり。小国考して功あれば、土を増し爵を進め、後に考して功なければ、削黜し、後に考して功あれば、則ち上進して彼を賜う。五十里は五度の賜を過ぎざれば爵土を進め、七十里は七度の賜を過ぎざれば爵土を進め、能力に小大あり、行に進退あり。一説に、盛徳始めて百里を封せらるるは、三等を賜い、能く征伐し、殺を専らにし、獄を断ず。七十里の伯始封は二等を賜い、虎賁百人に至る。後に功あれば、弓矢を賜う。後に功あれば、「(底本の此字は生僻字)」鬯を賜い、爵を増して侯と為し、土を加えること百里。再び功あれば、入朝して三公と為る。五十里の子男始封は一等を賜い、楽に至る。再び功あれば、漸々賜いて虎賁に至り、爵を増して伯と為す。再び功あれば、漸々賜いて「(底本の此字は生僻字)」鬯に至り、爵を増して侯と為す。「(底本の此字は生僻字)」鉞を賜わらざる者は、大国の連率・方伯に隨従して來りて獄を断ず。

受命之五,致太平之主,美群臣上下之功,故盡封之。及中興征伐,大功皆封,所以著大功。盛德之士亦封之,所以尊有德也。以德封者,必試之為附庸,三年有功,因而封五十里。元士有功者亦為附庸,世其位。大夫有功成,封五十里。卿功成,封七十里。公功成,封百里。士有功德遷為大夫,大夫有功德遷為卿,卿有功德遷為公,故爵主有德、封主有功也。

命を受けたるの王・太平を達致したるの主は、群臣上下の功を賛美す、故に悉く彼らを封ず。中興征伐に至りて、大功皆封ず、以て大功を彰顯す。盛徳の士もまた封ず、以て徳あるを尊ぶ。徳に凭りて封を受くる者は、必ず先に附庸を為るを試み、三年功あれば、因りて五十里を封ず。元士に功ある者もまた附庸を為り、世々禄位を襲ぐ。大夫功成就すれば、五十里を封ず。卿功成れば、七十里を封ず。公功成れば、百里を封ず。士に功徳あれば大夫に升り、大夫に功徳あれば卿に升り、卿に功徳あれば公に升る。故に爵は徳あるを主管し、封は功あるを主管す。

諸侯有九賜習其賜者何?子之能否未可知也。或曰得之,但未得行其習以專也,三年有功則皆得用之矣。二考無功則削其地,而賜自並知,明本非其身所得也。身得之者,得以賜,當稍黜之,爵所以封賢也。三公功成當封而死,得立其子為附庸,賢者之體能有一也,不二矣。一削為七十里侯,再削為七十里伯,三削為寄公。七十里伯,一削為五十里伯,一削為五十里子,三削地盡。五十里子,一削為三十里子,再削為三十里男,三削地盡。五十里男,一削為三十里男,再削為三十里附庸,三削爵盡。

諸侯に九賜ありて其の賜を演習するはなぜでしょうか。子の能不能は未だ知らず。或る人曰くすでに得たり、ただ未だ能くその套の演習を専行すること能わず、三年功あれば則ち皆能く用う。二度考して功なければ則ち其の地を削り、而して賜は自然併せて知る、もともと其の身の得る所に非ざるを表明す。身の得たるは、賜に凭ること能く、當に漸々彼を黜すべし。爵は以て賢を封ず。三公功成りて封ずべきにして死せば、能く其の子を立てて附庸と為す、賢者の体は一種有るのみ、二種あること能わず。一度削れば七十里侯と為り、再び削れば七十里伯と為り、三度削れば寄公と為る。七十里伯は、一削して五十里伯と為り、再削して五十里子と為り、三削して地尽く。五十里子は、一削して三十里子と為り、再削して三十里男と為り、三削して地尽く。五十里男は、一削して三十里男と為り、再削して三十里附庸と為り、三削して爵尽く。

所以至三削何?禮成於三,三三而不改,雖反無益矣也。《尚書》曰:“三考黜陟。”

三度削るに至る所以はなぜでしょうか。礼は三に於て成る、三度にしてなお改めざれば、反るといえども益なきなり。《尚書》に「三考黜陟」とあります。

先削地、後絀爵者何?爵者,尊號也;地者,人所任也。今不能治廣土眾民,故先削其土地也。故《王制》曰:“宗廟有不順者,君絀以爵;山川神祗有不舉者,君削以地。”明爵土不相隨也。或曰:惡人貪狼重土,故先削其所重者以懼之也。

先に地を削り後に爵を黜するはなぜでしょうか。爵は尊号なり、地は人の担任する所なり。今や広土衆民を治理すること能わざれば、故に先に其の土地を削る。故に《王制》に「宗廟に順ならざる有れば、君は其の爵を黜し、山川神祇に祭祀せざる有れば、君は其の地を削る」とあるは、爵と土は相隨従せざるを表明す。或る人曰く、悪人は貪狼にして土地を重んず、故に先に其の重んずる所を削りて以て彼を懼怕せしむ。

諸侯始封爵土相隨者何?君子重德薄刑,賞疑從重,《詩》云:“三曰叔父,建爾元子,俾侯於魯。”

諸侯が始封に爵と土と相隨従するはなぜでしょうか。君子は徳を重んじ刑を軽んじ、賞に疑あれば則ち重に従う。《詩経》に「王曰く叔父、爾の元子を建て、魯に侯たらしめん」とあります。

君幼稚,唯考不黜者何?君子不備責童子也。《禮》八十曰耄,九十曰悼,悼與耄。雖有罪,不加刑焉。

君幼小にして、考するといえども黜せざるはなぜでしょうか。君子は童子を責むるに完備せざるなり。《礼》に八十は耄と曰い九十は悼と曰う。悼と耄は罪ありといえども、刑を加えず。

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