白虎通义 · 第7巻
《春秋》譏二名何?所以譏者乃謂其無常者也,若乍為名,祿甫元言武庚名。
《春秋》が二名を譏るはなぜでしょうか。譏る所以は、常規なき者を言う、名を為すこと忽然とするがごとき、禄甫はもともと武庚の名を言えりき。
不以日月山川為名者,少賤卑己之稱也,臣子當諱為物示通故避之也。
日月山川を用いて名と為さざるは、是れ少賤・自ら謙卑するの称呼なれば、臣子は當に避諱すべく、物をして通を示さしめんがためなり、故に避く。
《禮》曰:“二名不偏諱,逮事父母則諱王父母,不逮父母則不諱王父母也。君前不諱諱,詩書不諱,臨文不諱,郊廟中不諱。”又曰:“君前臣名,父前子名”謂大夫名卿、弟名兄也。明不敢諱於尊者之前也。太古之時,所不諱者何?尚質也,故臣子不言其君父之名。故《禮記》曰:“朝日上值,不諱,正天名也。”
《礼》に「二名は偏諱せず。父母に事うるに及べば則ち王父母を諱し、父母に及ばざれば則ち王父母を諱せず。君の前に諱せず、詩書に諱せず、文に臨んで諱せず、郊廟の中に諱せず」とあり、また曰く「君の前には臣は名を称し、父の前には子は名を称す」とあるは、大夫が卿の名を称し弟が兄の名を称することを言うなり。尊者の前に於て避諱することを敢えてせざるを表明す。太古の時に諱せざる所以はなぜでしょうか。質朴を崇尚し、故に臣子は其の君父の名を称せず。故に《礼記》に「朝日に値る上は、諱せず、是れ天の名を端正す」とあります。
人所以十月而生者何?人,天子之也,經天地之數五,故十月而備,乃成人也。
人が十月にして生ずる所以はなぜでしょうか。人は天の子にして、天地の数を経ること五、故に十月にして完備し、乃ち人と成る。
人生所以位何?本一干而分,得氣異息,故泣,重離母之義也。《尚書》曰:“啟呱呱而泣也。”
人が生まれて哭する所以はなぜでしょうか。もともと一干にして分かる、気を得ること呼吸同じからず、故に哭す、母を離るるの義を重んずるなり。《尚書》に「啓、呱呱として泣く」とあります。
人拜所以自名何?所以立號自紀禮拜。自後不自名何?備陰陽也。
人が拝して自ら名を称する所以はなぜでしょうか。以て号を立て自ら紀理し、礼拜せんがためなり。此より以後自ら名を称せざるはなぜでしょうか。陰陽を完備す。
人所以相拜者何?所以表情見意屈節卑體,尊事人者也,拜之言服也。
人が相拝する所以はなぜでしょうか。以て情を表達し意を顕現し、節を屈し体を卑くして、人を尊事す。拝の意は服なり。
所以必再拜何?法陰陽也。《尚書》曰:“再拜稽首也。”必稽首何?敬之至也。頭至地何?以言首謂頭也,《禮》曰:“首有瘍則沐。”
必ず再拝する所以はなぜでしょうか。陰陽に取法す。《尚書》に「再拝稽首」とあります。必ず稽首するはなぜでしょうか。敬の極まるなり。頭が地に至るはなぜでしょうか。首は即ち頭と言うを以てなり、《礼》に「首に瘍あれば則ち沐す」とあります。
所以先拜首後稽首何?名順其文質也。《尚書》曰:“周公拜首稽首。”
先に手を拝し後に稽首する所以はなぜでしょうか。名称は文質に順うなり。《尚書》に「周公、手を拝し稽首す」とあります。
人所以有字何?冠德明功,敬成人也。故《禮?士冠經》曰:“賓北面,字之曰伯某甫。”又曰:“冠而字之。”敬其名也。所以五十乃稱伯仲者,五十知天命、思慮定也,能順四時長幼之序,故以伯仲號之。《禮?檀弓》曰:“幼名,冠字,五十乃稱伯仲。”《論語》曰:“五十而知天命。”
人に字ある所以はなぜでしょうか。徳を冠し功を明らかにし、成人を敬重す。故に《礼・士冠経》に「賓、北に向かい、彼に字を与えて伯某甫と曰う」とあり、また曰く「冠して之に字す」とあるは、其の名を敬すなり。故に五十にして始めて伯仲と称するは、五十にして天命を知り思慮安定す、能く四時・長幼の序に順う、故に伯仲を以て称号と為す。《礼・檀弓》に「幼には名し、冠には字し、五十にして乃ち伯仲と称す」とあり、《論語》に「五十にして天命を知る」とあります。
稱號所以有四何?法四時用事先後,長幼兄弟之象也,故以時長幼號曰伯、仲、叔、季也。伯者,長也,伯者子最長,迫近父也。仲者,中也。叔者,少也。季者,幼也。適長稱伯,伯禽是也。庶長稱孟,以魯大夫孟氏。
称号に四種ある所以はなぜでしょうか。四時の事を用うるの先後に取法し、是れ長幼兄弟の象なり、故に時令長幼に按じて伯・仲・叔・季と号称す。伯は長なり、伯は子の最も長にして、父に迫近す。仲は中なり。叔は少なり。季は幼なり。嫡長は伯と称す、伯禽即ち是れ。庶長は孟と称す、魯大夫の孟氏の如し。
男女異長,各自有伯仲,法陰陽各自有終始也。《春秋傳》曰:“伯姬者何?內女稱也。”婦人十五稱伯仲何?婦人值,少變。陰陽道促,蚤成。十五通乎織糹任之事,思慮定,故許嫁笄而字。故《禮經》曰:“女子十五許嫁,笄。禮之稱字之。“婦姓以配字何?明不娶同姓也,故《春秋》曰:“伯姬歸於宋。”姬者,姓也。
男女は分別して長を論じ、各々伯仲有り、陰陽各々終始有るに取法す。《春秋伝》に「伯姫とは何か。是れ内女の称なり」とあります。婦人は十五にして伯仲と称するはなぜでしょうか。婦人は質直にして変化少なし。陰陽の道は急促にして早く成る。十五にして織紝の事を通暁し思慮安定す、故に嫁を許し笄を加えて字す。故に《礼経》に「女子は十五にして嫁を許し、笄す。礼は其の字を称す」とあります。婦人の姓は以て字に配するはなぜでしょうか。同姓を娶らざるを表明す、故に《春秋》に「伯姫、宋に帰す」とあり、姫は姓なり。
值字所以於仲春何?值者親,故近於仲;文子尊尊,故於伯仲之時物尚值,叔之時物失之章,即如是,周有八士。《論語》曰:“伯達,伯適,仲突,仲忽,叔夜,叔夏,季隨,季”,積於叔何?蓋以兩兩俱生故也。不積於伯,季,明其無二也。
質字が仲春に在る所以はなぜでしょうか。質は親なり、故に仲に近し。文子は尊々なれば、故に伯仲の時に物なお質直にして、叔の時に物は章顕を失う。若し此の如し、周に八士あり。《論語》に「伯達、伯適、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季「(底本の此字は生僻字)」」とあり、叔に積むるはなぜでしょうか。蓋し両両一斉に生ずるを以てなり。伯・季に積まざるは、二なきを表明す。
文王十子,《詩傳》曰:“伯邑考,武王發,周公旦,管叔鮮,蔡叔鐸,成叔處,霍叔武,康叔封,南季載。”載所以或上其叔何也?管、蔡、霍、成、康、南,皆採也,故上置叔上。伯邑叔震也,以獨無乎?蓋以為大夫者,不是采地也。
文王の十子、《詩伝》に「伯邑考、武王発、周公旦、管叔鮮、蔡叔鐸、成叔処、霍叔武、康叔封、南季載」とあります。載が或る時叔を上に置く所以はなぜでしょうか。管・蔡・霍・成・康・南は皆采地なれば、故に叔を上に置く。伯邑は叔震か、何ぞ独り無きや。蓋し大夫を為す者と考え、采地に非ず。
○天地
○天地
天者何也?天之為言鎮也,居高理下,為人鎮也。地者,易也。言養萬物懷任,交易變化也。
天とは何か。天の意は鎮なり、高きに居りて下を治理し、人の鎮を為す。地は易なり、是れ万物を養育し懐妊し、変化を交易するを言う。
始起之天,始起先有太初,後有太始,形兆既成,名曰太素。混沌相連,視之不見,聽之不聞,然後剖判清濁。既分,精出曜布,度物施生。精者為三光,號者為五行。行生情,情生汁中,汁中生神明,神明生道德,道德生文章。故《乾鑿度》云:“太初者,氣之始也。太始者,形兆之始也;太素者,質之始也。陽唱陰和,男行婦隨也。”
始めて興るの天、始め先に太初有り、後に太始有り、形兆すでに成就して、名づけて太素と曰う。混沌相連なり、視ても見えず聴いても聞こえず、然る後に清濁を剖判す。分かれたる後、精出でて照耀分布し、物を度量して施生す。精なるは三光、号するは五行。行は情を生じ、情は汁中を生じ、汁中は神明を生じ、神明は道徳を生じ、道徳は文章を生ず。故に《乾鑿度》に「太初は気の始めなり。太始は形兆の始めなり。太素は質の始めなり。陽唱え陰和し、男行き婦随う」とあります。
天道所以左旋、地道右周何?以為天地動而不別,行而不離。所以左旋、右周者,猶君臣、陰陽相對之義。
天道が左旋し地道が右周する所以はなぜでしょうか。天地は動いて分別せず、行って離れずと考えるなり。故に左旋・右周は、君臣・陰陽の相対するの義に猶ほごとし。
男女總名為人,天地所以無總名何?曰:天圓地方,不相類,故無總名也。
男女は人を総名とす、天地に総名なき所以はなぜでしょうか。曰く、天は円にして地は方、相類似せず、故に総名なし。
君舒臣疾,卑者宜勞,天所以反常行何?以為陽不動,無以行其教;陰不靜,無以成其化。雖終日干乾,亦不離其處也。故《易》曰:“終日干乾,反覆道也。”
君は舒緩にして臣は急速、卑者は當に労苦すべし、天が反りて常に行う所以はなぜでしょうか。陽動かざれば、其の教を施行するに由無し。陰静かならざれば、其の化を成就するに由無し。終日乾乾すといえども、其の処所を離れず。故に《易》に「終日乾乾、反覆は道なり」とあります。
○日月
○日月
天左旋,日、月、五星右行何?日、月、五星比天為陰,故右行。右行者,猶臣對君也。《含文嘉》曰:“計日月,右行也。”《刑德放》曰:“日月東行。”
天は左旋し、日・月・五星は右行するはなぜでしょうか。日・月・五星は天に比べて陰なれば、故に右行す。右行は、臣の君に対するに猶ほごとし。《含文嘉》に「日月を計算すれば、右行」とあり、《刑徳放》に「日月は東行す」とあります。
而日行遲,月行疾何?君舒臣勞也。日日行一度,月日行十三度十九分度之七。《感精符》曰:“三綱之義,日為君,月為臣也。”日月所以懸晝夜者何?助天行化,照明下地。故《易》曰:“懸象著明,莫大乎日月。”
而して日は行くこと遅く月は行くこと疾きはなぜでしょうか。君は舒緩にして臣は労苦す。日は毎日一度を行き、月は毎日十三度又十九分の七を行く。《感精符》に「三綱の義は、日は君、月は臣」とあります。日月が昼夜に懸る所以はなぜでしょうか。天を助けて教化を施行し、下地を照明す。故に《易》に「象を懸けて著明するは、日月より大なるはなし」とあります。
日之為言實也,常滿有節。月之為言闕也,有滿有闕也。所以有缺何?歸功於日也。八日成光,二八十六日轉而歸功,晦至朔旦,受符復行。故《援神契》曰:“月三日成魄也。”所以名之為星何?星者,精也,據日節言也。一日一夜適行一度,一日夜為一日,剩復分天為三十六度,周天三百六十五度四分度之一。日月徑千里也。
日の意は実なり、常に満ちて節あり。月の意は闕なり、満ちる有り闕く有り。缺有る所以はなぜでしょうか。功を日に帰す。八日にして光を成就し、二八十六日に転じて功を帰し、晦より朔旦に至り、符を受けて再び行走す。故に《援神契》に「月三日にして魄を成す」とあります。星と名づくる所以はなぜでしょうか。星は精なり、日の節に依拠して言う。一日一夜に恰好一度を行き、一日夜を以て一日と為し、再び天を分かちて三百六十五度又四分度の一と為す。日月の径は千里なり。
所以必有晝夜何?備陰陽也。日照晝,月照夜。日所以有長短何?陰陽更相用事也,故夏節晝長,冬節夜長。夏日宿在東井,出寅入戌;冬日宿在牽牛,出辰入申。
必ず昼夜ある所以はなぜでしょうか。陰陽を完備す。日は昼を照らし月は夜を照らす。日に長短ある所以はなぜでしょうか。陰陽は更迭に事を用う、故に夏節は昼長く冬節は夜長し。夏日は宿を東井に在りて、寅より出で戌に入る。冬日は宿を牽牛に在りて、辰より出で申に入る。
月小大何?天道左旋,日月東行。日日行一度,月日行十三度,月及日為一月,至二十九日未及七度,即三十日者過行七度。日不可分,故月乍大小,明有陰陽也。故《春秋》曰:“九月庚戌朔,日有食之。”“十月庚辰朔,日有食之。”此三十日也。又曰:“七月甲子朔,日有食之。”“八月癸已朔日有食之。”此二十九日也。
月に小有り大有るはなぜでしょうか。天道は左旋し、日月は東行す。日は毎日一度を行き、月は毎日十三度を行き、月が日に及ぶは一月なり、二十九日に至ればなお七度を差し、三十日に至れば則ち多く七度を行く。日は分割すべからず、故に月は忽ち大に忽ち小、陰陽有るを表明す。故に《春秋》に「九月庚戌朔、日これに食わる」「十月庚辰朔、日これに食わる」とあるは、是れ三十日なり。また曰く「七月甲子朔、日これに食わる」「八月癸巳朔、日これに食わる」とあるは、是れ二十九日なり。
月有閏餘何?周天三百六十五日度四分度之一,歲十二月,日過十二度,故三年一閏,五年再閏,明陰不足,陽有餘也,故《讖》曰:“閏者陽之餘。”
月に閏余あるはなぜでしょうか。周天は三百六十五日又四分度の一、一年十二月にして、日は十二度を超過す、故に三年一閏、五年再閏す、陰不足にして陽有余なるを表明す、故に《谶》に「閏は陽の余なり」とあります。
○四時
○四時
所以名為歲何?歲者,遂也。三百六十六日一周天,萬物畢死,故為一歲也。《尚書》曰:“期三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。”
歳と名づくる所以はなぜでしょうか。歳は遂なり。三百六十六日にして周天を一し、万物皆死す、故に是れ一歳なり。《尚書》に「期は三百有六旬有六日、閏月を以て四時を定め、歳を成す」とあります。
春夏秋冬。時者,期也,陰陽消息之期也。四時天異名何?天尊各據其盛者為名也。春秋物變盛,冬夏氣變盛。春曰蒼天,夏曰昊天,秋曰天,冬曰上天。《爾雅》曰:“一說春為蒼天等是也。”四時不隨正朔變何?以為四時據物為名,春當生,冬當終,皆以正為時也。
春夏秋冬。時は期なり、是れ陰陽消息の期なり。四時に天の名称同じからざるはなぜでしょうか。天は尊し、各々最も盛なるに依拠して命名す。春秋は物変盛ん、冬夏は気変盛ん。春は蒼天と曰い、夏は昊天と曰い、秋は「(底本の此字は生僻字)」天と曰い、冬は上天と曰う。《爾雅》に「一説に春を蒼天と為す等即ち是れ」とあります。四時が正朔に随いて変ぜざるはなぜでしょうか。四時は物に依拠して命名すと考え、春は當に生ずべく、冬は當に終わるべし、皆正を以て時と為す。
或言歲,或言載,或言年何?言歲者,以紀氣物,帝王共之,據曰為歲。《春秋》曰:“元年正月。”“十有二月朔。”有朔有晦,知據月斷為言年。載之言成也,載成萬物,終始言之也。二帝言載,三王言年,皆謂窺窬。故《尚書》曰:“三載四海遏密八音。”謂二帝也。又曰:“諒陰三年。”謂三王也。《春秋傳》曰:“三年之喪,其實二十五月。”知闕。
或るは歳と言い、或るは載と言い、或るは年と言うはなぜでしょうか。歳と言うは、以て気物を紀理し、帝王共用し、日に依拠して歳と為す。《春秋》に「元年正月」「十有二月朔」とあり、朔有り晦有れば、月に依拠して断するを知り、年と称す。載の意は成なり、万物を載成し、終始より言う。二帝は載と言い、三王は年と言う、皆窺窬を言うなり。故に《尚書》に「三載、四海八音を遏密す」とあるは、二帝を言うなり。また曰く「陰に諒むこと三年」とあるは、三王を言うなり。《春秋伝》に「三年の喪は、其の実二十五月」とあるは、缺有るを知る。
日言夜,月言晦,月言朔,日言朝何?朔之言蘇也,明消更生,故言朔。日晝見夜藏,有朝夕,故言朝也。
日は夜と言い、月は晦と言い、月は朔と言い、日は朝と言うはなぜでしょうか。朔の意は蘇なり、光明消退して再生す、故に朔と曰う。日は昼に出現し夜に潜蔵し、朝夕有り、故に朝と曰う。
○衣裳
○衣裳
聖人所以製衣服何?以為■蔽形,表德勸善,別尊卑也。所以名為衣裳何?衣者,隱也;裳者,障也。所以隱形自障閉也。《易》曰:“黃帝堯舜垂衣裳而天下治。”何以知上為衣下為裳?以其先言衣也。《詩》曰:“褰裳涉溱。”所以合為衣也。《弟子職》言“摳衣而降也。”名為衣何?上兼下也。
聖人が衣服を制定する所以はなぜでしょうか。「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は残欠)」形体を遮蔽し、徳を表彰し善を勧勉し、尊卑を分別するを以てなり。衣裳と名づくる所以はなぜでしょうか。衣は隠なり、裳は障なり。以て形体を隠藏し自ら障閉す。《易》に「黄帝尭舜、衣裳を垂れて天下治まる」とあります。何を以て上は衣・下は裳と知るや。先に衣を言うを以てなり。《詩経》に「裳を褰りて溱を渉る」とあるは、故に合せて衣と為す。《弟子職》に「衣を抠りて降る」とあり、衣と名づくるはなぜでしょうか。上が下を兼ぬるを以てなり。
獨以羔裘何?取輕暖。因狐死首丘,明君子不忘本也。羔者取跪乳遜順也。故天子狐白,諸侯狐黃,大夫狐蒼,士羔裘,亦因別尊卑也。
独り羔裘を用うるはなぜでしょうか。軽暖を取る。また狐は死するに頭を丘に向くるを以て、君子は本を忘れざるを表明す。羔は跪きて乳を食い遜順するを取る。故に天子は狐白、諸侯は狐黄、大夫は狐蒼、士は羔裘、亦た因りて尊卑を分別す。
所以必有紳帶者,示謹敬自約整。繢繒為結於前,下垂三分,身半,紳居二焉。必有ひ帶者,示有事也。
必ず紳帯ある所以は、謹敬にして自ら約束斉整することを表す。繢繒を以て前に於て結を打ち、下垂すること三分、身の半、紳は其の二を占む。必ず蔽膝之帯あるは、事有るを表す。
所以必有佩者,《論語》曰:“去喪,無所不佩。”天子佩白玉,諸侯佩山玄玉,大夫佩水蒼玉,士佩需珉石。佩即象其事。若農夫佩其耒耜,工匠佩其斧斤,婦人佩其釒鹹鏤,何以知婦人亦佩玉?《詩》云:“將翱將翔,佩玉將將。彼美孟姜,德音不忘。”
必ず佩ある所以は、《論語》に「喪を去りて、佩せざる所なし」とあります。天子は白玉を佩し、諸侯は山玄玉を佩し、大夫は水蒼玉を佩し、士は「(底本の此字は生僻字)」珉石を佩す。佩は即ち其の事に象る。農夫が其の耒耜を佩び、工匠が其の斧斤を佩し、婦人が其の針縷を佩するが如し、何を以て婦人もまた玉を佩するを知るや。《詩経》に「將に翱り將に翔んとす、佩玉將將たり。彼の美しき孟姜、徳音忘れ難し」とあります。
○五刑
○五刑
聖人治天下,必有刑罰何?所以佐德助治,順天之度也。故懸爵賞者,示有勸也;設刑罰者,明有所懼也。刑所以五何?法五行也。科條三千者,應天地人情也。五刑之屬三千,大辟之屬二百,宮闢之屬三百,腓闢之屬五百,劓、墨闢之屬各千。張布羅眾,非五刑不見。劓、墨何,其下刑者也。腓者其臏。宮者,女子淫,執置宮中,不得出也;丈夫淫,割去其勢也。大辟者,謂死也。
聖人が天下を治理するに必ず刑罰あるはなぜでしょうか。以て徳を輔助し治を助け、天の法度に順従す。故に爵賞を懸挂するは、勧勉有るを表し、刑罰を設立するは、懼怕する所有るを表明す。刑が五種なる所以はなぜでしょうか。五行に取法す。科条三千は、天地人情に応ず。五刑の属三千:大辟の属二百、宮辟の属三百、腓辟の属五百、劓・墨辟の属各々千。張開して布列し衆人を羅列す、五刑に非ざれば見えず。劓・墨は、下の刑なり。腓は臏なり。宮は、女子淫なれば、捉えて宮中に置き、出ること能わせず。丈夫淫なれば、其の勢を割去す。大辟は、死を言うなり。
刑不上大夫何?尊大夫。禮不下庶人,欲勉民使至於士。故禮為有知制,刑為無知設也。庶人雖有千金衣幣,不得服。刑不上大夫者,據禮無大夫刑。或曰:撻笞之刑也。禮不及庶人者,謂酬酢之禮也。
刑は大夫に上らざるはなぜでしょうか。大夫を尊ぶなり。礼は庶人に下らざるは、民を勉励して士に達せしめんと欲するなり。故に礼は知有る人のために制定し、刑は知無き人のために設立す。庶人は千金の衣幣有るといえども、服すこと能わず。刑は大夫に上らざるは、礼に大夫の刑なきに依拠す。或る人曰く、是れ撻笞の刑なり。礼は庶人に及ばざるは、酬酢の礼を言うなり。
○五經
○五経
孔子所以定《五經》者何?以為孔子居周之末世,王道陵遲,禮樂廢壞,強陵弱,眾暴寡,天子不敢誅,方伯不敢伐。閔道德之不行,故周流應聘,冀行其聖德。自衛反魯,自知不用,故追定《五經》以行其道。故孔子曰:“《書》曰:“孝乎,惟孝,友于兄弟,施於有政。是以為政也。”孔子未定《五經》如何?周衰道失,綱散紀亂,五教廢壞,故五常之經鹹失其所,象《易》失理,則陰陽萬物失其性而乖。設法謗之言,並作《書》三千篇,作《詩》三百篇,而歌謠怨誹也。
孔子が《五経》を勘定する所以はなぜでしょうか。孔子は周の末世に処り、王道陵遅し、礼楽廃壊し、強きは弱きを欺凌し、衆は寡を暴虐し、天子は誅することを敢えてせず、方伯は伐つことを敢えてせずと考えたればなり。道徳の施行し得ざるを憫み、故に周流して聘に応じ、其の聖徳を施行せんことを希望せり。衛より魯に帰り、自ら用いられざるを知り、故に《五経》を追定して以て其の道を施行す。故に孔子曰く「《書》に曰く『孝なるかな、惟れ孝、兄弟に友し、政有るに施す』。これ即ち政を為すなり」と。孔子未だ《五経》を定めざる時は如何。周衰え道失われ、綱散じ紀乱れ、五教廃壊し、故に五常の経皆其の所を失い、《易》の理を失えば、則ち陰陽万物は性を失いて乖離す。毁謗の言を設立し、併せて《書》三千篇を作り、《詩》三百篇を作り、而して歌謡は怨诽す。
已作《春秋》,後作《孝經》何?欲專制正。於《孝經》何?夫孝者,自天子下至庶人,上下通《孝經》者。夫製作禮樂,仁之本,聖人道德已備,弟子所以復記《論語》何?見夫子遭事異變,出之號令,失法。
すでに《春秋》を作り、後に《孝経》を作るはなぜでしょうか。専制して正しからんと欲するなり。《孝経》に対しては如何。孝は、天子より下りて庶人に至るまで、上下《孝経》に貫通す。礼楽を制作するは、仁の根本なり、聖人の道徳すでに完備せり、弟子が再び《論語》を記する所以はなぜでしょうか。夫子が事変に遭遇し、号令を発出し、法を失えるを見ればなり。
文王所以演《易》何?文王受王不率仁義之道,失為人法矣,己之調和陰陽尚微,故演《易》,使我得卒,至於太平。日月之光明則如《易》矣。
文王が《易》を演ずる所以はなぜでしょうか。文王は王業を受け、人に仁義の道を遵循せざる有り、人と為るの法を失えり、自ら陰陽を調和すれどもなお微なり、故に《易》を演じ、我をして能く完成せしめ、太平に到達せしむ。日月の光明は《易》の如くなれば即ち是れ。
伏羲作八卦何?伏羲始王天下,未有前聖法度,故仰則觀象於天,俯則察法於地,觀鳥獸之文與地之宜。近取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以象萬物之情也。
伏犧が八卦を作るはなぜでしょうか。伏犧始めて天下に王と称し、未だ前聖の法度なし、故に仰げば則ち天に象を観、俯せば則ち地に法を察し、鳥獣の文と地の宜しき所を観看す。近くは物に取り、是に於て始めて八卦を作り、以て神明の徳を貫通し、万物の情に取象す。
經所以有五何?經,常也。有五常之道,故曰《五經》:《樂》仁、《書》義、《禮》禮、《易》智、《詩》信也。人情有五性,懷五常,不能自成,是以聖人象天五常之道而明之,以教人成其德也。
経が五種なる所以はなぜでしょうか。経は常なり。五常の道有り、故に《五経》と曰う。《楽》は仁、《書》は義、《礼》は礼、《易》は智、《詩》は信。人情に五性あり、五常を懐き、自ら成就すること能わず、これに因りて聖人は天の五常の道に取象して之を彰明し、以て人を教えて其の徳を成就せしむ。
《五經》何謂?謂《易》、《尚書》、《詩》、《禮》、《春秋》也?《禮?解》曰:“溫柔寬厚,《詩》教也;疏通知遠,《書》教也;廣博易良,《樂》教也;潔靜精微,《易》教也;恭儉莊敬,《禮》教也;屬詞比事,《春秋》教也。”
《五経》とは何か。是れ《易》・《尚書》・《詩》・《礼》・《春秋》を言うか。《礼・解》に「温柔寛厚は《詩》の教、疏通知遠は《書》の教、広博易良は《楽》の教、潔静精微は《易》の教、恭倹荘敬は《礼》の教、属詞比事は《春秋》の教なり」とあります。
《春秋》何常也?則黃帝已來何以言之?《易》曰:“上古結繩以治,後世聖人易之以書契,百官以理,萬民以察。”後世聖人者謂五常也。《傳》曰:“三王百世計神元書,五帝之受錄圖,世史記從政錄帝魁已來,除禮樂之書三千二百四十篇也。”
《春秋》は何を以て常と為すか。黄帝以来、何を以て此の如く言うや。《易》に「上古は縄を結びて以て治め、後世の聖人は之を書契に易う、百官はこれに因りて治め、万民はこれに因りて察す」とあり、後世の聖人とは五帝を言うなり。《伝》に「三王百世、神元の書を計算し、五帝は録図を受け、世史は政に従い記し、帝魁以来を記録し、礼楽の書三千二百四十篇を除去す」とあります。
●卷九
●巻九
○嫁娶
○嫁娶
人道所以有嫁娶何?以為情性之大,莫若男女。男女之交,人情之始,莫若夫婦。《易》曰:“天地氤氳,萬物化淳。男女稱精,萬物化生。”人承天地施陰陽,故設嫁娶之禮者,重人倫、廣繼嗣也。《禮?保傅》記曰:“謹為子嫁娶,必擇世有仁義者。”
人道に嫁娶ある所以はなぜでしょうか。情性の大は、男女より大なるはなしと考えるなり。男女の交は、人情の始めにして、夫婦より甚だしきはなし。《易》に「天地氤氳、万物化淳す。男女構精し、万物化生す」とあります。人は天地を承け陰陽を施行す、故に嫁娶の礼を設立するは、人倫を重んじ継嗣を推広するなり。《礼・保傅》記に「子のために嫁娶するを謹慎し、必ず世々仁義あるを選擇せよ」とあります。
禮男娶女嫁何?陰卑不得自專,就陽而成之,故《傳》曰:“陽倡陰和,男行女隨。”
礼は男娶り女嫁ぐはなぜでしょうか。陰は卑しく自ら専断すること能わず、陽に就いて以て成就す、故に《伝》に「陽倡え陰和し、男行き女随う」とあります。
男不自專娶,女不自專嫁,必由父母,須媒妁何?遠恥防淫佚也。《詩》云:“娶妻如之何?必告父母。”又曰:“娶妻如之何?匪媒不得。”
男は自ら娶るを専らにせず、女は自ら嫁ぐを専らにせず、必ず父母を経由し、媒妁を須つるはなぜでしょうか。羞恥を遠離し淫佚を防止せんがためなり。《詩経》に「妻を娶るを如何。必ず父母に告げよ」とあり、また曰く「妻を娶るを如何。媒に匪ざれば得ず」と。
男三十而娶,女二十而嫁,陽數奇,陰數偶。男長女幼者,陽舒,陰促。男三十,筋骨堅強,任為人父;女二十,肌膚充盛,任為人母。合為五十,應大衍之數,生萬物也。故《禮?內則》曰:“男五十壯有室,女二十壯而嫁。”
男は三十にして娶り、女は二十にして嫁ぐ、陽数は奇、陰数は偶。男長じ女幼し、陽は舒緩にして陰は急促なればなり。男三十は筋骨堅強にして、能く父を為すを担任し、女二十は肌膚充盛にして、能く母を為すを担任す。合して五十と為り、大衍の数に応じ、万物を生育す。故に《礼・内則》に「男は三十壮にして室有り、女は二十壮にして嫁ぐ」とあります。
七歲之陽也,八歲陰也,七八十五陰陽之數備,有相偶之志。故《禮記》曰:“女子十五許嫁,笄而字。”禮之稱字,陰繫於陽,所以專一之節也。陽尊無所繫,二十五系者,就陰節也。陽舒而陰促。三十數三終,奇,陽節也。二十數再終,偶,陰節也。陽小成於陰,大成於陽,故二十而冠,三十而娶。陰小成於陽,大成於陰,故十五而笄,二十而嫁也。
七歳は陽、八歳は陰、七八十五にして陰陽の数完備し、相匹配するの志有り。故に《礼記》に「女子は十五にして嫁を許し、笄して字す」とあります。礼は字を称す、陰は陽に繋り、以て専一の節と為す。陽は尊く繋る所なし、二十五にして始めて繋るは、陰の節に就くなり。陽は舒緩にして陰は急促なり。三十は三終にして奇、是れ陽の節なり。二十は再終にして偶、是れ陰の節なり。陽は小成を陰に於てし、大成を陽に於てす、故に二十にして冠し、三十にして娶る。陰は小成を陽に於てし、大成を陰に於てす、故に十五にして笄し、二十にして嫁ぐ。
一說《春秋梁傳》曰:“男二十五系,女十五許嫁,感陰陽也。”陽數七,陰數八,男八歲毀齒,女七歲毀齒。陽數奇三,三八二十四,加一為五而繫心也;陰數偶,再成十四,四加一為五,故十五許嫁也。各加一者,明專一系心。所以繫心者何?防其淫佚也。
一説に《春秋穀梁伝》に「男は二十五にして心を繋ぎ、女は十五にして嫁を許す、陰陽に感応す」とあります。陽数は七、陰数は八、男は八歳にして歯を換え、女は七歳にして歯を換う。陽数は奇、三、三八二十四、一を加えて二十五にして心を繋ぐ。陰数は偶、再成十四、一を加えて十五、故に十五にして嫁を許す。各々一を加うるは、専一に心を繋ぐを表明す。心を繋ぐ所以はなぜでしょうか。淫佚を防止す。
《禮》曰:“女子十五許嫁。納采、問名、納吉、請期、親迎,以雁贄。納徵曰玄,故不用雁。”贄用雁者,取其隨時南北,不失其節,明不奪女子之時也。又取飛成行、止成列也,明嫁娶之禮,長幼有序,不相逾越也。又婚禮贄不用死雉,故用雁也。納徵,玄、束帛、離皮,玄三法天,二法地也,陽奇陰偶,明陽道之大也。離皮者,兩皮也,以為庭實。庭實,偶也。《禮?昏經》曰:“納采、問名、納吉、請期、親迎,皆用雁。納徵束帛、離皮。”
《礼》に「女子は十五にして嫁を許す。納采・問名・納吉・請期・親迎は、雁を以て贄と為す。納徵は玄纁と曰う、雁を用いざる所以なり」とあります。贄に雁を用うるは、其の時に按じて南北し、節を失わざるを取り、女子の時を奪わざるを表明す。また飛んで行を成し止まりて列を成すを取り、嫁娶の礼は長幼有序にして相踰越せざるを表明す。また婚礼の贄は死雉を用いず、故に雁を用う。納徵:玄纁・束帛・儷皮。玄三は天に取法し、纁二は地に取法し、陽奇陰偶にして、陽道の大を表明す。儷皮は二張の皮にして、以て庭実と為す。庭実は偶なり。《礼・昏経》に「納采・問名・納吉・請期・親迎は、皆雁を用う。納徵は束帛・儷皮を用う」とあります。
納徵詞曰:“吾子有加命,貺室某也。有先人之禮,離皮、束帛,使某請納徵。”上某者聲名也,下次某者使人名也。女之父曰:“吾子順先典,貺某重禮,某不敢辭,敢不承命!”
納徵の詞に曰く「吾子に加命あり、某の室に賜う。先人の礼有り、儷皮・束帛、某を遣わして納徵を請わせむ」と。上の某は名声なり、下の某は使者の名なり。女の父曰く「吾子、先代の典に順い、某に重礼を賜う、某敢えて推辞せず、敢えて命を承受せざらんや」と。
納采詞曰:“吾子有惠,貺貺室某,某有先人之禮,使某也請納采。”對曰:“某之子蠢愚,又不能教,吾子命之,某不敢辭。”
納采の詞に曰く「吾子に恵あり、某の室に賜う、某に先人の礼有り、某を遣わして納采を請わせむ」と。対答して曰く「某の子は蠢愚にして、また能く教えず、吾子が命令す、某敢えて推辞せず」と。
天子下至士,必親迎授綏者何?以陽下陰也,欲得其歡心,示親之心也。夫親迎輪三週,下車曲顧者,防淫佚也。《詩》云:“文定厥祥,親迎於渭。造舟為梁,不顯其光。”《禮?昏經》曰:“賓升,北面奠雁,再拜拜手稽首,降出。婦從房中也,從降自西階。揖御婦車,授綏。”
天子より下りて士に至るまで、必ず親迎して綏を授るはなぜでしょうか。陽を以て陰に下り、其の歓心を得んと欲し、親近の心を表す。夫の親迎は車輪三周を転じ、車を下りて曲顧するは、淫佚を防止す。《詩経》に「文、その祥を定め、渭に於て親迎す。舟を造りて梁と為し、其の光を顕さざらんや」とあり、《礼・昏経》に「賓、堂に升り、北に向かいて雁を奠し、再拝・手を拝し稽首し、階を降りて出づ。婦は房中より出で、従いて西階より降る。揖して婦の車を駕御し、綏を授与す」とあります。
