Libo

白虎通义 · 第1巻

东汉 · 班固 · 第1巻 / 9

白虎通義

儒家典籍

初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。

白虎通義

白虎通義

●卷一

●巻一

○爵

○爵

天子者,爵稱也。爵所以稱天子者何?王者父天母地,為天之子也。故《援神契》曰:天覆地載謂之天子,上法斗極。”《鉤命決》曰:“天子,爵稱也。”帝王之德有優劣,所以俱稱天子者何?以其俱命於天,而王治五千裡內也。《尚書》曰:天子作民父母,以為天下王。”何以知帝亦稱天子也,以法天下也?《中候》曰:“天子臣放勳。”《書?逸篇》曰:“厥兆天子爵。”何以“言皇”亦稱天子也?以其言天覆地載俱王天下也。故《易》曰:“伏羲氏之王天下也。”

「天子」は一種の爵称です(爵とは等級の封号)。爵位の中でなぜ天子と称するのでしょうか。王者が天を父とし、地を母とする、天の子だからです。だから《援神契》に「天が覆い、地が載せる、これを天子という。上は北斗の天極に法る」とあります。《鉤命決》に「天子とは爵称である」とあります。帝王の徳には優劣がありますが、みな天子と称するのはなぜでしょうか。みな天より命を受け、五千里の内で王として治めるからです。《尚書》に「天子は百姓の父母となり、それによって天下の王となる」とあります。帝も天子と称すると何によって知るのでしょうか。天下に法るからです。《中候》に「天子の臣放勳」とあります。《尚書》逸篇に「あの兆象は天子の爵である」とあります。皇も天子と称するとはなぜでしょうか。天が覆い地が載せると言う以上、みな天下に王となるからです。だから《周易》に「伏羲氏、天下に王たり」とあります。

爵有五等,以法五行也;或三等者,法三光也。或法三光,或法五行何?質家者據天,故法三光;文家者據地,故法五行。《含文嘉》曰:“殷爵三等,周爵五等,各有宜也。”《王制》曰:“王者之制祿爵凡五等。”謂公、侯、伯、子、男。此周制也。所以名之為公侯者何。公者通公正無私之意也。侯者,候也。候逆順也。《春秋傳》曰:“王者之後稱公,其餘人皆千乘,象雷震百里所潤同。大國稱侯,小者伯、子、男也。”《王制》曰:“公、侯田方百里,伯七十里,子、男五十里。”伯者百也。子者孳也孳孳無已也。男者,任也。人皆五十里,差次功德,小者不滿為附庸,附庸者,附大國以名通也。百里兩爵、公侯共之,七十里一爵,五十里復兩爵何?公者,加尊二王之後,侯者百里之正爵士,上有可次,下有可第,中央故無二。五十里有兩爵者,所以加勉進人也。小國下爵,猶有尊卑,亦以勸人也。殷爵三等,謂公、侯、伯也,所以合子、男從伯者何?王者受命,改文從質,無虛退人之義,故上就伯也。《尚書》曰:“侯、甸、任、衛,作國伯。”謂殷也。《春秋傳》曰:“合伯、子、男為一爵。”或曰:合從子,貴中也。以《春秋》名鄭忽,忽者,鄭伯也。此未逾年之君當稱子,嫌為改赴。故名之也。地有三等不變,至爵獨變者何?地比爵為質,故不變。為質故不變,王者有改道之文,無改道之實。家所以令公居百里、侯居七十里何也?封賢極於百里。其政也,不可空退人,示優賢之意,欲褒尊而上之。何以知殷家侯人不過七十里者也?曰:士上有三等,有百里、有七十里,有五十里。其地半者其數倍,制地之理體也,多少不相配。

爵を五等に分けるのは五行に法り、あるいは三等に分けるのは三光(日・月・星)に法ったものです。なぜ三光に法るものと五行に法るものがあるのでしょうか。質朴を尊ぶ代(質家)は天に依るので三光に法り、文飾を尊ぶ代(文家)は地に依るので五行に法ります。《含文嘉》に「殷の爵は三等、周の爵は五等、それぞれ当を得たところがある」とあります。《礼記・王制》に「王者は禄と爵を制して、あわせて五等」とあります。すなわち公・侯・伯・子・男です。これは周の制度です。なぜ公・侯と呼ぶのでしょうか。「公」は公正を通し私がないという意味、「侯」は候望、すなわち人心の逆順を候望することです。《春秋伝》に「王者の後裔は公と称し、その余はみな千乗の国。雷が百里を震わせ、雨の潤すも百里であるように。大国は侯と称し、小は伯・子・男と称す」とあります。《王制》に「公・侯の田は方百里、伯は七十里、子・男は五十里」とあります。「伯」は百であり、「子」は孳生、孳々として止まないこと、「男」は任ずることです。子・男はともに五十里で、功徳によって等差をつけ、さらに小さく数に足りないものを附庸といいます――附庸とは大国に依附し、大国の名を借りて上に通じるものです。百里の地に二種の爵があり公と侯が共用し、七十里には一種の爵のみ、五十里にまた二種の爵があるのはなぜでしょうか。「公」は格別に二王の後裔を尊顕するもので、侯こそ百里の正しい爵土です。上に排すべき等次があり、下にも排すべき等第があり、ちょうど中なので第二種を設けません。五十里に二等の爵を設けるのは、力を添えて人の向上を励ますためです。小国は下爵にあってもなお尊卑があり、これも人を勧めるためです。殷の爵は三等、公・侯・伯です。なぜ子・男を併せて伯に従わせるのでしょうか。王者は命を受け、文を改めて質に従うのに、むやみに人を下に落とす道理はないので、上に帰して伯とします。《尚書》に「侯・甸・任・衛、国伯を作す」とあるのは殷のことです。《春秋伝》に「伯・子・男を合わせて一等の爵とする」とあります。もう一説では、併せて「子」に従うのは、中間のこの一等を重んじるからです。《春秋》が鄭の忽を名で呼ぶのは、忽は実は鄭伯であり、満一年に満たない国君は本来「子」と称すべきところ、訃告を改めたと誤解されるのを恐れて名で呼んだのです。土地は依然として三等のまま変わらず、爵だけが変わったのはなぜでしょうか。土地は爵に比べて質朴なので変えません。質朴ゆえに変えないのです。王者には道を改める文飾はあっても、道を改める実質はありません。殷家はなぜ公を百里、侯を七十里に居らせるのでしょうか。賢人を封ずるのは百里を極みとします。このように按排するのは、むやみに人を下に落とせないということ、賢人を優遇し、褒めて上に推尊することを示すためです。殷家の侯の封が七十里を超えないと何によって知るのでしょうか。答えて曰く、土地の上に三等あり、百里あり、七十里あり、五十里あります。地が半分に減れば国の数は倍になる、これが地を画する体例で、多少は誤配できません。

公、卿、大夫者,何謂也?內爵稱也。曰公、卿、大夫何?爵者,盡也,各量其職盡其才也。公之為言公正無私也;卿之為言章,善明理也;大夫之為言大,扶進人者也。故《傳》曰:“進賢達能,謂之大夫也。士者事也,任事之稱也。”故《傳》曰:“古今辯然否,謂之士。”《禮》曰:“四十強而士。”不言“爵為士”。至五十爵為大夫何。何以知士非爵?何以知卿為爵也。以大夫知卿亦爵也。何以知公為爵也?《春秋傳》曰:“諸侯四佾,諸公六佾。”合而言之,以是知公卿為爵。內爵所以三等何?亦法三光也。所以不變質文何?內者為本,故不改內也。諸侯所以無公爵者,下天子也。故《王制》曰:“上大夫、下大夫、上士、中士、下士,凡五等。”此謂諸侯臣也。大夫但有上、下何?明卑者多也。爵皆一字也,大夫獨兩字何?《春秋傳》曰:“大夫無遂事。”以為大夫,職在之適四方,受君之法,施之於民,故獨兩字下之。或曰大夫,爵之下者也。稱大夫,明從大夫以上受下施,皆大自著也。天子之士獨稱元士何?士賤不得體君之尊,故加元以別諸侯之士也。《禮經》曰:“士見大夫。”諸侯之士。《王制》曰:“王者八十一元士。”天子爵連言天子,諸侯爵不連言王侯何?即言王侯,以王者同稱,為衰弱亻替差生篡弒,猶不能為天子也,故連言天子也。或曰:王者天爵,王者不能生諸侯,故不言王侯;諸侯人事自著,故不著也。王者太子亦稱士何?舉從下升,以為人無生得貴者,莫不由士起,是以舜時稱為天子,必先試於士禮。《士冠經》曰:“天子之元子士也。”

公・卿・大夫とは何を言うのでしょうか。朝廷内部の爵称です。なぜ公・卿・大夫と呼ぶのでしょうか。「爵」は尽くすこと、それぞれ自分の職分を量り、才力を尽くすことです。「公」は公正で私がないことを言い、「卿」は彰明、道理をよく言い明らかにすること、「大夫」は大、人材を扶え引き入れることができる者です。だから《伝》に「賢者を進め能者を通ずるを大夫という。士とは事であり、事務を担任する呼称である」とあります。だから《伝》に「古今の是と非を弁別できるを士という」とあります。《礼》に「四十にして強くして士となる」とあり、「爵を士とする」とは言いません。五十歳になって初めて爵を大夫とするのはなぜでしょうか。士が爵でないと何によって知るのでしょうか。卿が爵であると何によって知るのでしょうか。大夫が爵であることから、卿も爵であると知れます。公が爵であると何によって知るのでしょうか。《春秋伝》に「諸侯は四佾を用い、諸公は六佾を用いる」とあります。合わせて見れば、これによって公・卿が爵であると知れます。内部の爵がなぜ三等に分かれるのでしょうか。これも三光に法ったものです。なぜ質・文に従って改めないのでしょうか。内部は根本なので、内部は改めません。諸侯に「公」という公爵がないのは、天子より下にあるためです。だから《王制》に「上大夫・下大夫・上士・中士・下士、あわせて五等」とあるのは、諸侯の臣を言ったものです。大夫に上・下しかないのはなぜでしょうか。卑しい者ほど多いことを示すためです。爵名はみな一字なのに、大夫だけが二字なのはなぜでしょうか。《春秋伝》に「大夫には自ら専らにして最後まで成し遂げるべき事がない」とあります。大夫の職分は四方に出て、国君の法度を受け、百姓に施すので、独り二字を用いて下にあることを表します。もう一説では、大夫は爵の最も下の等です。大夫と称するのは、大夫以上は上にある者の施すところを受けてさらに下に施し、みな大いに自らを著わすことを表明するためです。天子の士だけが「元士」と称するのはなぜでしょうか。士は低賤で、国君の尊さに体合できないので、「元」を加えて諸侯の士と区別します。《礼経》に「士、大夫に見ゆ」とあるのは諸侯の士です。《王制》に「王者に元士八十一名あり」とあります。天子の爵は「天子」と連ねて言い、諸侯の爵は「王侯」と連ねて言わないのはなぜでしょうか。もしそのまま「王侯」と言えば王者と混称し、衰弱・僭差が生じて篡弑が起こり、それでも天子にはなれないので、「天子」と連言します。底本は「亻替」と作るが、「僭」の字を拆いた訛りです。もう一説では、王者は天の授けた爵であり、王者は諸侯を生み出せないので「王侯」と言わず、諸侯の人事は自ら著しいので、改めて標明しません。王者の太子も士と称するのはなぜでしょうか。下から上に昇るという義を挙げたもので、人は生まれながらに貴い者はなく、士から始まらない者はないと考えるので、舜が後に天子と称されたのも、必ず先に士礼をもって試されたのです。《士冠経》に「天子の嫡長子もまた士なり」とあります。

婦人無爵何?陰卑無外事,是以有“三從”之義:未嫁從父,既嫁從夫,夫死從子。故夫尊於朝,妻榮於室,隨夫之行,故《禮?郊特牲》曰:“婦人無爵,坐以夫之齒。”《禮》曰:“生無爵,死無諡。”《春秋》錄夫人皆有諡,夫人何以知非爵也?《論語》曰:“邦君之妻,君稱之曰夫人,國人稱之曰君夫人。”即令是爵,君稱之與國人稱之不當異也。庶人,稱匹夫者。匹,偶也。與其妻為偶,陰陽相成之義也,一夫一婦成一室。明君人者,不當使男女有過,時無匹偶也。《論語》曰:“匹夫匹婦之為諒也。”

婦人に爵がないのはなぜでしょうか。陰の方は卑下で、外朝の職事がないので、「三従」の義があります。嫁がざるは父に従い、嫁いでは夫に従い、夫が死ねば子に従います。それゆえ夫が朝廷で尊ければ、妻は室内で栄え、夫の行跡に従います。だから《礼記・郊特牲》に「婦人に爵なく、坐次は夫の年歯による」とあります。《礼》に「生きて爵なく、死して謚(生前の事跡によって議定する死後の称号)なし」とあります。《春秋》には夫人に謚があると記されていますが、夫人が爵でないと何によって知るのでしょうか。《論語》に「国君の妻を、国君は彼女を夫人と称し、国人は彼女を君夫人と称す」とあります。もしこれが爵なら、国君の呼称と国人の呼称が異なるはずがありません。庶人は「匹夫」と称します。「匹」は配偶であり、妻と一対を結ぶ、陰陽が相成るという意味で、一夫一婦で初めて一室を成します。これは人君たる者は、男女に婚時を過ぎさせ配偶なくしてはならないことを表明しています。《論語》に「匹夫匹婦のごとく小信を拘守する」とあります。

爵人於朝者,示不私人以官,與眾共之義也。封諸侯於廟者,示不自專也,明法度,皆祖之制也,舉事必告焉。《王制》曰:“爵人於朝,與眾共之也。”《詩》云:“王命卿士,南仲太祖。”《禮?祭統》曰:“古者明君爵有德,必於太祖。君降立於阼階南面向,所命北向,央由君右執策命之。”

朝廷で人に爵を授けるのは、官職を私の恵みとしないこと、衆人と共にするという意味を表します。宗廟で諸侯を封ずるのは、自ら専断しないことを表し、法度はみな祖先の定めた制度であり、事を行うには必ず祭告することを表明します。《王制》に「朝廷で人に爵を授けるのは、衆人と共にするなり」とあります。《詩経》に「王が卿士を冊命するは南仲にして、太祖の廟にあり」とあります。《礼記・祭統》に「古の明君は爵を徳ある者に授けるに、必ず太祖の廟にてす。君は階を降りて阼階の南に立ち南面し、命を受くる者は北面し、史官は君の右より策書を執りて冊命を宣ぶ」とあります。底本は「央」と作るが、「央」は「史」の訛りです。

大夫功成未封而死,不得追爵賜之者,以其未當股肱也。《春秋穀梁傳》曰:“追錫死者,非禮也。”《王制》曰:“葬從死者,祭從生者,所以追孝繼養也。”葬從死者何?子無爵父之義也。《禮?中庸》記曰:“父為大夫,子為士,葬以大夫祭以士;子為大夫,父為士,祭以大夫葬以士也。”

大夫が功業を成してまだ封を受けずに死んだ場合、爵賜を追授しないのは、まだ真に股肱となったことがないからです。《春秋穀梁伝》に「死者に追賜するは礼に非ず」とあります。《王制》に「葬事は死者の生前の身分に従い、祭事は生ける者の身分に従う。孝を追い尽くし、供養を継ぐためである」とあります。葬事がなぜ死者に従うのでしょうか。子が父に爵を加える道理はないからです。《礼記・中庸》に記して「父が大夫で子が士ならば、葬は大夫の礼を用い、祭は士の礼を用いる。子が大夫で父が士ならば、祭は大夫の礼を用い、葬は士の礼を用いる」とあります。

父在稱世子何?繫於君也。父沒稱子某者何?屈於屍柩也。既葬稱小子者,即尊之漸也。逾年稱公者,緣民之心不可一日無君也。緣終始之義,一年不可有二君也。故逾年即位,所以系民臣之心也。然後爵者,緣孝子之心未忍安吉。故《春秋》:“魯僖公三十三年十二月乙巳,薨於小寢。文公元年春,王正月,公即位。四月丁巳葬我君僖公。”《韓詩內傳》曰:“諸侯世子三年喪畢,上受爵命於天子。”所以名之為世子何?言欲其世世不絕也。何以知天子子亦稱世子也?《春秋傳》曰:“公會世子於首止。”或曰:天子之子稱太子。《尚書》曰:“太子發升於舟也。”或曰:“諸侯之稱代子。”則傳曰:晉有太子申生,鄭有太子華齊。有太子光。由是觀之,周制太子代子亦不定也。漢制天子稱皇帝。其嫡嗣稱皇太子。諸侯王之嫡稱代子。後代鹹因之。世子三年喪畢,必上受爵命於天子何?明爵土者天子之有也,臣無自爵之義。童子當受父爵命,使大夫就其國命之,明王者不與童子為禮也。以《春秋》魯成公幼少,與諸侯會,公不見之,《經》不以為魯恥,明不與童子為禮也。世子上受爵命,衣士服何?謙不敢自專也。故《詩》曰:“有。”世子始行也。

父が在世の間は「世子」と称するのはなぜでしょうか。国君に系属しているからです。父が去世して「子某」と称するのはなぜでしょうか。尸柩に対して屈抑を表すためです。葬り終えて後は「小子」と称し、次第に尊位に就きます。年を越えて「公」と称するのは民心に順うため――一日も君主なしではいけません。また終始の理に順うため――一年の内に二人の君主があってはいけません。だから年を越えて即位するのは、臣民の心を繋ぐためです。それから正式の爵を授けるのは孝子の心に順い、まだ吉位に安んずるに忍びないからです。だから《春秋》に「魯僖公三十三年十二月乙巳、小寝にて薨ず。文公元年春、周王正月、公即位す。四月丁巳、わが君僖公を葬る」と記します。《韓詩内伝》に「諸侯の世子は三年の喪を満て、朝して天子の爵命を受く」とあります。なぜ世子と呼ぶのでしょうか。世々絶えないことを望むと言うのです。天子の子も世子と称すると何によって知るのでしょうか。《春秋伝》に「公、首止にて世子に会す」とあります。もう一説では、天子の子は太子と称します。《尚書》に「太子発、舟に登る」とあります。また一説に「諸侯は代子と称す」とあります。しかし伝には、晋に太子申生あり、鄭に太子華あり、斉に太子光ありと言います。これより見れば、周制では太子・代子も一定しません。漢制は、天子を皇帝と称し、嫡嗣を皇太子と称し、諸侯王の嫡子を代子と称し、後代みなこれに沿いました。世子が三年の喪を満てて必ず朝して天子の爵命を受けるのはなぜでしょうか。爵土が天子の所有であることを表明し、臣下に自ら爵を授ける道理がないためです。童子が父の爵命を継ぐべきときは、大夫をその国に遣わして宣布します。王者が童子と対等の礼を行わないことを表明するためです。《春秋》で魯成公が年幼で諸侯と会するにあたり、成公が出て相見なかったのを、《経》は魯国の恥としません。童子と対等の礼を行わないことを表明するためです。世子が朝して爵命を受けるのに士の服を著るのはなぜでしょうか。謙退して自ら専断しようとしないからです。だから《詩経》に「(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)」とあるのは、世子が出行を始めることを言っています。

天子大斂之後稱王者,明士不可一日無君也。故《尚書》曰:“王麻冕黼裳。”此斂之後也。何以知王從死後加王也?以尚書言迎子劉。不言迎王。王者既殯而即繼體之位何?緣民臣之心不可一日無君,故先君不可得見則後君繼體矣。《尚書》曰:“再拜興對,乃受銅。”明為繼體君也。緣始終之義,一年不可有二君也。故《尚書》曰:“王釋冕喪服。”吉冕受銅稱王,以接諸侯,明己繼體為君也。釋冕藏銅,反喪,明未稱王以統事也。不曠年無君,故逾年乃即位改元,名元年,年以紀事,君名其事矣,而未發號令也。何以言逾年即位謂改元位?《春秋傳》曰:“以諸侯逾年即位,亦知,天子逾年即位也。”《春秋》曰:“元年春王正月,公即位。”改元位也。王者改元年,即事天地;諸侯改元,即事社稷。《王制》曰:“夫喪三年不祭,唯祭天地社稷,為越紼而行事。”《春秋傳》曰“天子三年然後稱王”者,謂稱王統事發號令也。《尚書》曰“高宗諒陰三年”是也。《論語》曰:“君薨,百官總己聽於冢宰三年。”緣孝子之心,則三年不當也,故三年除喪,乃即位統事。即位踐阼為主,南面朝臣下稱王,以發號令也。故天子、諸侯凡三年即位,終始之義乃備,所以諒陰三年,卒孝子之道。故《論語》曰:“古之人皆然,君薨,百官總己聽於冢宰三年。”所以聽於冢宰三年者何?以為冢宰職在制國之用,是以由之也,故《王制》曰:“大冢宰制國用。”所以名之為冢宰何?冢者,大也;宰者,制也;大制事也。故《王度記》曰:“天子冢宰一人,爵祿如天子之大夫。”或曰冢宰視卿,《周官》所云也。

天子は大斂の後に王と称します。士民が一日も君主なしではいけないことを表明するためです。だから《尚書》に「王、麻冕を戴き黼裳を著す」とあります。これは大斂の後です。「王」が人の死後に加わると何によって知るのでしょうか。《尚書》に「子劉を迎う」と言って「王を迎う」と言わないからです。王者は殯ぞりしてすなわち継体の位に登ります。なぜでしょうか。臣民の心に順い、一日も君主なしではいけず、先君はすでに見えず、後君が継体するのです。《尚書》に「再拝して起ち答え、ここに銅(銅は銅製の瑞信を指す)を受く」とあるのは、すでに継体の君であることを表明します。終始の理に順えば、一年の内に二人の君主はいられません。だから《尚書》に「王、冕を脱ぎ喪服に換える」とあります。吉冕を著けて銅を受け王と称するのは諸侯を接見するためで、すでに継体して君となったことを表明します。冕を脱ぎ銅を収めて喪事に帰るのは、まだ王と称して政事を統理していないことを表明します。また一年を空しく君主なしにできないので、年を越えて即位し改元し、元年と称します――年は事を紀るためのもので、国君がこれらの事に名を定めたが、まだ号令は発していません。逾年即位が改元の位であると何によって言うのでしょうか。《春秋伝》に「諸侯が逾年即位するによって、天子も逾年即位すると知れる」とあります。《春秋》に「元年春、王正月、公即位す」とあるのが、これが改元の位です。王者が元年を改めれば天地に事え、諸侯が元を改めれば社稷に事えます。《王制》に「喪に居る三年は祭らず、ただ天地・社稷を祭るのみ、喪の縄を越えて事を行う」とあります。《春秋伝》に「天子は三年にして後に王たる」と言うのは、王と称して政事を統理し号令を発することを言います。《尚書》に「高宗、諒陰三年」とあるのがこれです。《論語》に「国君が薨ずれば、百官は各々己の職事を管し、冢宰に聴命すること三年」とあります。孝子の心に順えば、この三年は本来国を当たるべきではないので、三年喪を除いて初めて即位して事を統べます。即位して阼階を踏み主人となり、南面して臣下の朝見を受け王と称し、号令を発します。だから天子・諸侯はみな三年を満てて初めて真に即位し、終始の義が初めて備わります。それゆえ諒陰三年は孝子の道を尽くすのです。だから《論語》に「古の人は皆然り、君が薨ずれば、百官は各々己の職事を管し、冢宰に聴命すること三年」とあります。なぜ冢宰に聴命すること三年なのでしょうか。冢宰の職分は国家の用度を制することなので、彼が主催するのです。《王制》に「大冢宰は国用を制す」とあります。なぜ冢宰と呼ぶのでしょうか。「冢」は大であり、「宰」は裁制で、政事を大規模に裁制することです。だから《王度記》に「天子の冢宰一人、爵禄は天子の大夫のごとし」とあります。もう一説では、冢宰は卿に比す、《周官》の言うところです。

○號

○号

帝王者何?號也。號者,功之表也,所以表功明德,號令臣下者也。德合天地者稱帝,仁義合者稱王,別優劣也。《禮記?諡法》曰:“德象天地稱帝,仁義所在稱王。”帝者天號,王者五行之稱也。皇者何謂也?亦號也。皇,君也,美也,大也。天之總,美大稱也,時質,故總之也。號之為皇者,煌煌人莫違也。煩一夫、擾一士以勞天下不為皇也,不擾匹夫匹婦故為皇。故黃金棄于山,珠玉捐於淵,巖居穴處,衣皮毛,飲泉液,吮露英,虛無寥廓,與天地通靈也。號言為帝者何?帝者,諦也,象可承也;王者,往也,天下所歸往。《鉤命決》曰:“三皇步,五帝趨,三王馳,五伯騖。”

帝王とは何でしょうか。号です(功徳を顕揚し、臣下に号令するための名号)。号は功業の表徴で、功徳を表彰し徳行を顕明にし、臣下に号令します。徳行が天地と合する者を帝と称し、仁と義に合する者を王と称し、優劣を分別します。《礼記》に載る諡法に「徳行が天地のごときを帝と称し、仁義の存するところを王と称す」とあります。帝は天の名号、王は五行の意義上の呼称です。皇とはまた何でしょうか。これも号です。「皇」は君であり、美であり、大であり、天に対する総括的で美大な呼称です。その時の風気が質朴なので、総じてこのように呼びます。皇と称するのは光明輝煌で、敢えて違抗する者がないことを言います。一つの匹夫を煩労させ一士人を攪擾して天下を苦労させるなら、皇と呼べません。匹夫匹婦を攪擾しないから皇です。それゆえ黄金は山に棄てられ、珠玉は深淵に丢なげられ、岩穴に住み、皮毛を著、泉水を飲み、露水の英華を吮い、虚無寥廓として天地と通霊します。帝と称するのはなぜでしょうか。「帝」は諦審で、承け継ぐべきさまのようです。「王」は帰往であり、天下の帰往する人です。《鉤命決》に「三皇は緩く歩み、五帝は小歩を疾くし、三王は奔馳し、五伯は急ぐ」とあります。

或稱天子,或稱帝王何?以為接上稱天子者,明以爵事天也;接下稱帝王者,得號天下至尊言稱,以號令臣下也。故《尚書》曰:“‘諮四嶽’,曰:‘裕汝眾’。”或有一人。王者自謂一人者,謙也,欲言巳材能當一人耳。故《論語》曰:“百姓有過,在予一人。”臣謂之一人何?亦所以尊王者也。以天下之大、四海之內,所共尊者一人耳。故《尚書》曰:“不施予一人。”或稱朕何?亦王者之謙也。朕,我也。或稱予者,予亦我也。不以尊稱自也,但自我皆謙。

あるいは天子と称し、あるいは帝王と称するのはなぜでしょうか。上に交接する時は天子と称し、爵をもって天に事えることを表明します。下に交接する時は帝王と称し、天下の至尊に号令する呼称を取得して臣下に号令します。だから《尚書》に「四岳を咨問す」と言い、また「汝ら衆人を寛待せん」と言います。また自ら「一人」と称するものもあります。王者が一人と自称するのは謙虚で、自分の才能は一人にしか相当しないと言おうとするのです。だから《論語》に「百姓に過ちあらば、責めは我が一人に在り」とあります。臣下が彼を「一人」と称するのはなぜでしょうか。これも王者を尊崇するためです。天下の大、四海の内に、共に尊奉するはただ一人です。だから《尚書》に「我が一人に加えるなかれ」とあります。あるいは「朕」と称するのも王者の謙辞です。「朕」は我です。あるいは「予」と称し、「予」も我です。尊称をもって自称せず、ただ自己を称するのは、みな謙です。

或稱君子何?道德之稱也。君之為言群也;子者,丈夫之通稱也。故《孝經》曰:“君子之教以孝也,下言敬天下之為人父者也。”何以言知其通稱也,以天子至於民。故《詩》云:“凱弟君子,民之父母。”《論語》云:“君子哉若人。”此謂弟子。弟子者,民也。

あるいは君子と称するのはなぜでしょうか。これは道徳上の呼称です。「君」は能く群れることを言い、「子」は成年男子の通称です。だから《孝経》に「君子は孝をもって教化す」とあり、下に「天下の父たる者を敬う」と続きます。これが通称であると何によって知るのでしょうか。天子から民に至るまでこのように用います。だから《詩経》に「和楽平易の君子は、民の父母なり」とあります。《論語》に「この人は真に君子かな」とあるのは弟子を言っています。弟子とはすなわち民です。

三皇者,何謂也?謂伏羲、神農、燧人也。或曰伏羲、神農、祝融也。《禮》曰:“伏羲、神農、祝融,三皇也。”謂之伏羲者何。古之時未有三綱、六紀,民人但知其母,不知其父,能覆前而不能覆後,臥之訁去訁去,起之吁吁,飢即求食,飽即棄餘,茹毛飲血而衣皮葦。於是伏羲仰觀象於天,俯察法於地,因夫婦正五行,始定人道,畫八卦以治下。治下伏而化之,故謂之伏羲也。謂之神農何?古之人民,皆食禽獸肉,至於神農,人民眾多,禽獸不足。於是神農因天之時,分地之利,制耒耜,教民農作。神而化之,使民宜之,故謂之神農也。謂之燧人何?鑽木燧取火,教民熟食,養人利性,避臭去毒,謂之燧人也。謂之祝融何?祝者,屬也;融者,續也。言能屬續三皇之道而行之,故謂祝融也。

三皇とは誰を言うのでしょうか。伏羲・神農・燧人です。もう一説は伏羲・神農・祝融です。《礼》に「伏羲・神農・祝融は三皇なり」とあります。なぜ伏羲と呼ぶのでしょうか。上古にはまだ三綱・六紀がなく、人々は母を知るのみで父を知らず、眼前には及ぶも身後には及ばず、臥せば口を張って気を出し、起きれば吁々として喘ぎ、底本は「訁去」と作るが「呿」の字を拆いた訛りであり、飢えれば食を求め、飽きれば余りを棄て、毛を茹で血を飲み、獣皮・蘆葦を著ていました。ここに伏羲は頭を擡げて天の象を観察し、頭を垂れて地の法度に法り、夫婦によって五行を端正し、初めて人道を立定し、八卦を画いて下民を治めました。下民は信服して感化を受けたので、伏羲と呼ばれます。なぜ神農と呼ぶのでしょうか。上古の人民は皆、禽獣の肉を食べていましたが、神農に至って人民が多くなり禽獣が足りなくなりました。ここに神農は天時に順い地利を分かち、耒耜を製し、人民に耕作を教えました。神妙な方式で彼らを感化し、人民をして各々その宜しきを得させたので、神農と呼ばれます。なぜ燧人と呼ぶのでしょうか。木を鑽りて火を取り、人民に熟食を教え、人を養護し性情を便利にし、腥臭を避け毒性を去ったので、燧人と呼ばれます。なぜ祝融と呼ぶのでしょうか。「祝」は連属であり、「融」は接続です。三皇の道を連属接続してこれを行えることを言うので、祝融と呼ばれます。

五帝者,何謂也?《禮》曰:黃帝、顓頊、帝嚳、帝堯、帝舜,五帝也。《易》曰:“黃帝、堯舜、氏作。”《書》曰:“帝堯、帝舜。”黃者中和之色,自然之姓,萬世不易。黃帝始作制度,得其中和,萬世常存,故稱黃帝也。謂之顓頊何?顓者,專也;頊者,正也;能專正天人之道,故謂之顓頊也。謂之帝嚳者何也?嚳者,極也,言其能施行窮極道德也。謂之堯者何?堯猶也,至高之貌,清妙高遠,優遊博衍,眾聖之主,百王之長也。謂之舜者何?舜猶舛舛也,言能推信堯道而行之。

五帝とは誰を言うのでしょうか。《礼》に黄帝・顓頊・帝嚳・帝尭・帝舜、これを五帝というとあります。《周易》に「黄帝・尭・舜が興る」とあります。《尚書》に「帝尭・帝舜」とあります。黄は中和の色、自然の姓で、万世変わりません。黄帝は初めて制度を制定し、その中和を得て万世常に存するので、黄帝と称します。なぜ顓頊と呼ぶのでしょうか。「顓」は専であり、「頊」は正で、天人の道を専一に端正できるので顓頊と呼ばれます。帝嚳はまたなぜでしょうか。「嚳」は極であり、道徳を窮極まで施行できることを言います。尭はまたなぜでしょうか。尭は(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)のごとく、極めて高い形貌で、清妙高遠、従容広大、衆聖の盟主、百王の首長です。舜はまたなぜでしょうか。舜は「舛舛」のごとく、尭の道を広げ信を守りてこれを行えることを言います。

三王者,何謂也?夏、殷、周也。故《禮?士冠經》曰:“周弁、殷鼾、夏收,三王共皮弁也。”所以有夏殷周號何,以為王者受命,必立天下之美號以表功自克,明易姓為子孫制也。夏、殷、周者,有天下之大號也。百王同天下,無以相別,改制天子之大禮號,以自別於前,所以表著已之功業也。必改號者,所以明天命巳著,欲顯揚巳於天下也。己復襲先王之號與繼體守文之君,無以異也,不顯不明,非天意也。故受命王者必擇天下美號,表著已之功業,明當致施是也。所以預自表克於前也。

三王とは誰を言うのでしょうか。夏・殷・周です。だから《礼・士冠経》に「周は弁を用い、殷は冔を用い、夏は收を用い、三王は皆皮弁を共にす」とあります。底本は「鼾」と作るが、「鼾」は「冔」の訛りです。なぜ夏・殷・周という号があるのでしょうか。王者は命を受ければ、必ず天下の美号を立てて功業を表彰し自ら克制し、姓を改め子孫に制度を立定することを表明します。夏・殷・周は天下を据える大号です。百王は同じくこの天下に在って互いに区別する術がないので、天子の大礼号を改定して前代と区別し、それによって自らの功業を表彰します。必ず号を改めるのは、天命がすでに顕著で天下に自らを顕揚せんとすることを表明するためです。自己が再び先王の号を襲用すれば、継体守文の国君と分別なく、顕にも明にもあらず、天意ではありません。だから命を受けた王者は必ず天下の美号を選択し、自らの功業を表彰し、このように施行すべきことを表明します。これは予め自ら表彰し、前代に対して克制するのです。

帝王者居天下之尊號也。所以差優號令臣下。諡者行之跡也。所以別於後代。著善惡。重無窮,無自推觀施後世皆以勸善著戒惡。明不勉也,不以姓為號何?姓者,一定之稱也,尊卑所同也。諸侯各稱一國之號而有百姓矣,天子至尊,即備有天下之號,而兼萬國矣。夏者,大也,明當守持大道。殷者,中也,明當為中和之道也。聞也,見也,謂當道著見中和之為也。周者,至也,密也,道德周密,無所不至也。何以知即政立號也?《詩》云:“命此文王,於周於京。”此改號為周,易邑為京也。《春秋傳》曰:“王者受命而王,必擇天下之美號以自稱也。”五帝無有天下之號何?五帝德大能禪,以民為子,成於天下,無為立號也。或曰:唐、虞皆號也。唐,蕩蕩也,蕩蕩者,道德至大之貌也。虞者,樂也,言天下有道,人皆樂也。故《論語》曰:“唐、虞之際。”帝嚳有天下,號高辛,顓頊有天下。號曰高陽,黃帝有天號曰自然者,獨宏大道德也。高陽者,陽猶明也,道德高明也。高辛者,道德大信也。

帝王とは天下の至尊に居る号で、優劣を分別し臣下に号令します。諡は行事の痕跡で、後代と区別し善悪を著し、鄭重は無窮にして、後人をして推観し後世に施行せしめ、みな善を勧め悪を顕著に戒めます。勉力せざるべからずを表明します。姓をもって号としないのはなぜでしょうか。姓は固定の呼称で尊卑の同じくするところです。諸侯は各々一国の号を称し、それによって百姓を有します。天子は至尊なので天下の号を備え、万国を兼ねます。夏とはすなわち大で、大道を守持すべきことを表明します。殷とはすなわち中で、中和の道を行うべきことを表明します。もまた聞であり見であり、中和の作為を顕著に可視すべきことを言います。周とはすなわち至であり密であり、道徳が周密で至らざるなしです。政に即けばすなわち号を立てると何によって知るのでしょうか。《詩経》に「天、この文王に命ず。周に在り、京に在り」とあります。これは号を改めて周とし、邑を改めて京としたのです。《春秋伝》に「王者は命を受け王と称すに、必ず天下の美号を選択して自ら称す」とあります。五帝に天下の号がないのはなぜでしょうか。五帝は徳が大きく、禅譲でき、民を子とし、天下に成就するので、別に号を立てるまでもありません。もう一説では、唐・虞はみな号です。唐とはすなわち蕩蕩で、蕩蕩は道徳の極めて大なるさまです。虞とはすなわち楽で、天下に道あれば人皆安楽することを言います。だから《論語》に「唐・虞の際」とあります。帝嚳は天下を有し、号を高辛といい、顓頊は天下を有し、号を高陽といい、黄帝は天下を有し、号を自然という、独り宏大に道徳を成すのです。高陽の「陽」はすなわち明で、道徳が高明です。高辛は道徳が大信です。

五霸者,何謂也?昆吾氏、大彭氏、豕韋氏、齊桓公、晉文公也。昔三王之道衰,而五霸存其政,率諸侯朝天子,正天下之化,興復中國,攘除夷狄,故謂之霸也。昔昆吾氏,霸於夏者也;大彭氏、豕韋氏,霸於殷者也;齊桓、晉文,霸於周者也。或曰:五霸,謂齊桓公、晉文公、秦穆公、楚莊王、吳王闔閭也。霸者,伯也,行方伯之職,會諸侯,朝天子,不失人臣之義,故聖人與之。非明王之張法。霸猶迫也,把也,迫脅諸侯,把持其政。《論語》曰:“管仲相桓公,霸諸侯。”《春秋》曰:“公朝於王所。”於是時晉文之霸。《尚書》曰:“邦之榮懷,亦尚一人之慶。”知秦穆之霸也。楚勝鄭而不告,從而攻之,又令還師,而佚晉寇。圍宋,宋因而與之平,引師而去。知楚莊之霸也。蔡侯無罪而拘於楚,吳有憂中國心,興師伐楚,諸侯莫敢不至。知吳之霸也。或曰:五霸,謂齊桓公、晉文公、秦穆公、宋襄公、楚莊王也。宋襄伐齊,亂齊桓公,不擒二毛,不鼓不成烈。《春秋傳》曰:“雖文王之戰不是過。”知其霸也。

五覇とは誰を言うのでしょうか。昆吾氏・大彭氏・豕韋氏・斉桓公・晋文公です。昔、三王の道が衰微し、五覇がその政教を保存し、諸侯を率いて天子に朝見し、天下の教化を端正し、中原の諸夏を興復し夷狄を攘除したので、覇と呼ばれます。昔、昆吾氏は夏に覇し、大彭氏・豕韋氏は殷に覇し、斉桓・晋文は周に覇しました。もう一説では、五覇は斉桓公・晋文公・秦穆公・楚荘王・呉王闔閭です。「覇」はすなわち伯で、方伯の職分を行い、諸侯を会合し天子に朝見し、人臣の義を失わないので、聖人がこれを認めました。これは明王の張設する常法ではありません。「覇」はまた「迫」に似、「把」に似て、諸侯を脅迫し、その政を把持します。《論語》に「管仲は桓公を輔けて、諸侯に覇称す」とあります。《春秋》に「公、王の在るところに朝す」とあります。その時はまさに晋文が覇していました。《尚書》に「邦国の光栄安寧も、また一人の福慶による」とあります。これによって秦穆の覇を知ります。楚は鄭に戦勝しても窮追せず、従ってまた攻め、また回師を下令し、晋の兵寇を放ちました。宋を囲み、宋がそれによって和を講じると、すなわち師を引いて去りました。これによって楚荘の覇を知ります。蔡侯に罪がないのに楚に拘えられ、呉に中原を憂念する心があり、師を興して楚を伐ち、諸侯で敢えて至らぬ者はありませんでした。これによって呉の覇を知ります。また一説に、五覇は斉桓公・晋文公・秦穆公・宋襄公・楚荘王です。宋襄は斉を伐ち、斉桓公死後の変乱の中で、頭髪の白んだ者を擒えず、陣列を成さない軍に鼓を擂って攻めませんでした。《春秋伝》に「文王の戦といえどもこれに過ぎざるのみ」とあります。これによって彼の覇を知ります。

伯、子、男臣子於其國中,褒其君為公。王者臣子獨不得襄其君謂之為帝何?以為諸侯有會聚之事,相朝聘之道。或稱公而尊,或稱伯、子、男而卑。為交接之時,不私其臣子之義,心俱欲尊其君父,故皆令臣子得稱其君為公也。帝、王異時,無會同之義,故無為同也。何以諸侯德公齊侯桓公。《尚書》曰:“公曰:‘嗟。’”秦伯也。《詩》云:“覃公惟私。”覃子也。《春秋》曰:“葬皆繆公”,許男也。《禮?大射經》曰:“則擇獲。”大射者,諸侯之禮也,伯、子、男皆在也。

伯・子・男の臣子は自国の中で国君を褒めて公と称します。王者の臣子だけが独り自らの君を褒めて帝と称することができません。なぜでしょうか。諸侯には会聚の事があり互いに朝聘する理があり、あるいは公と称して尊く、あるいは伯・子・男と称して卑いのです。交接の時、臣子が君を尊ぶ心意を私義とせず、心には皆自らの君父を尊びたいので、みな臣子に自らの君を公と称させます。帝と王は異なる時代に処り、会同の理がないので、同じくするを求めなくてよいのです。諸侯の中で公と称するのは、たとえば斉侯桓公です。《尚書》に「公曰く『嗟』」とあるのは秦伯です。《詩経》に「覃公はただ私家を顧る」とあり、覃は子爵です。《春秋》に「許繆公を葬る」とあり、許は男爵です。《礼・大射経》に「すなわち獲者を選択す」とあり、大射は諸侯の礼で、伯・子・男はみなその中に在ります。

○諡

○諡

諡者何也?諡之為言引也,引烈行之跡也。所以進勸成德,使上務節也。故《禮?特牲》曰:“古者生無爵,死無諡。”此言生有爵,死當有諡也。死乃諡之何?言人行終始不能若一,故據其終始,後可知也。士冠經曰:“死而諡之。今也所以臨葬而諡之何?因眾會,欲顯揚之也。故《春秋》曰:“公之喪自乾侯。”昭公死於晉乾侯之地,數月歸,至急,當未有諡也。《春秋》曰:“丁巳葬,戊午日下側,乃克葬。”明祖載而有諡也。

諡とは何でしょうか。「諡」の意味は引で、剛烈な行事の痕跡を引出すことです。徳行を推進・勧勉・成就し、上にある者をして節操に専心せしめるために用います。だから《礼・特牲》に「古は生きて爵なく、死して諡なし」とあります。この言は、生きて爵あれば死して諡あるべしと言うのです。なぜ死を待って諡するのでしょうか。人の行事は始めから終わりまで終始一貫できないので、その終始に依拠して後に知れるのです。《士冠経》に「死して後に之に諡を与う」とあります。今はなぜ葬に臨んで諡するのでしょうか。衆人が会集するので、この時に乗じて彼を顕揚するためです。だから《春秋》に「公の喪、乾侯より帰る」とあります。昭公は晋の地乾侯で死し、数月にして帰り、事は急迫して当時まだ諡がありませんでした。《春秋》に「丁巳に葬り、戊午に日偏西して初めて葬を成す」とあります。祖祭・載柩の時にはすでに諡があったことを表明します。

黃帝,先黃后帝何?古者順死生之稱。各持行合而言之。美者在上,黃帝始製法度。得道之中,萬世不易。名黃自然也,後世雖聖,莫能與同也。後世得與天同,亦得稱帝,不能立製作之時,故不得復黃也。諡,或一言,或兩言何?文者,以一言為諡;質者,以兩言為諡。故尚書曰:高宗殷宗也。湯死後稱成湯,以兩言為諡也。號無質文、諡有質文何?號者,始也,為本,故不可變也。周巳後用意,尤文以為本。生時號令善,故有善諡,故舍文武王也。合言之,則上其諡,明別善惡,所以勸人為善、戒人為惡也。

黄帝はなぜ先に「黄」を言い後に「帝」を言うのでしょうか。古は死と生の呼称に順い、各々その行事に就いて合わせて言い、美しきを上に置きました。黄帝は初めて法度を制定し、道の中を得て万世変わりません。「黄」という名は自然にして然りで、後世は聖人といえども彼と同じくすることはできません。後世は天と同じくして帝と称することもできますが、創立制作の時世に処ることはできないので、再び「黄」と称することができません。諡に一字のものと二字のものがあるのはなぜでしょうか。文の代は一字をもって諡とし、質の代は二字をもって諡とします。だから《尚書》に高宗と称すのは殷の宗であり、湯は死して成湯と称すのは二字をもって諡としたのです。号に質・文の分別がないのに、諡に質・文があるのはなぜでしょうか。号は始めであり根本なので変えられません。周以後は心思を用い、ことさら文を根本としました。生きて号令が善なれば善諡があり、それゆえ文・武の王のごとき合称を捨てます。合わせて言えば、諡を上に置いて善悪を分別し、人を勧めて善に向かわせ、人を戒めて悪をなさしめません。

帝者,天號也,以為堯猶諡,顧上世質直,死後以其名為號耳。所以諡之為堯何?為諡有七十二品。《禮?記諡法》曰:“翼善傳聖諡曰堯,仁聖盛明諡曰舜,慈惠愛民諡曰文,強理直諡曰武。”

帝は天の名号です。尭に至ってもまた諡のごとくですが、上世は質直で、死後はその名をもって号としました。なぜ尭と諡するのでしょうか。諡に七十二品あるからです。《礼記》に載る諡法に「善道を輔翼し聖徳を伝えるを、諡を尭という。仁聖にして盛明なるを、諡を舜という。慈恵にして民を愛するを、諡を文という。強毅にして理直なるを、諡を武という」とあります。

天子崩,臣下至南郊諡之者何?以為人臣之義,莫不欲褒大其君,掩惡揚善者也。故之南郊,明不得欺天也。故《曾子問》:“孔子曰:天子崩,臣下之南郊,告諡之。”

天子が崩ずると、臣下は南郊に至って諡を上ります。なぜでしょうか。人臣の義は、君主を褒大し悪を掩い善を揚げたいと思わざるはないからです。だから南郊に至るのは、天を欺けないことを表明します。だから《曽子問》に孔子曰く「天子崩ずれば、臣下は南郊に至り、祭告して諡を上る」とあります。

諸侯薨,世子赴告天子,天子遣大夫會其葬而諡之何?幼不誄長,賤不誄貴,諸侯相誄,非禮也。臣當受諡於君也。

諸侯が薨ずると、世子が天子に赴告し、天子は大夫を遣わして葬に会し彼に諡を与えます。なぜでしょうか。年幼者は年長者に誄を作らず、低賤者は尊貴者に誄を作らず、諸侯が互いに誄を作るのは礼に合いません。臣は君から諡を受けるべきです。

卿大夫老歸死有諡何?諡者,別尊卑、彰有德也。卿大夫歸,無過,猶有祿位,故有諡也。

卿大夫が年老いて家に帰り、死して諡を有するのはなぜでしょうか。諡は尊卑を分別し徳ある者を彰顕するために用います。卿大夫が家に帰るに、過ちなくなお禄位を有するので、諡を有します。

夫人無諡者何?無爵故無諡。或曰:夫人有諡。夫人一國之母,修閨門之內,群下亦化之,故設諡以彰其善惡。《春秋傳》曰:“葬宗恭姬。”《傳》曰:“稱諡何?賢也。”《傳》曰:“哀姜者何?莊公夫人也。”卿大夫妻無諡何?賤也。八妾所以無諡何?卑賤無所能務,猶士卑小,不得有諡也。太子夫人無諡何?本婦人隨夫,太子無諡,其夫人不得有諡也。天子太子元士也。士無諡,知太子亦無諡也。附庸所以無諡何?卑小無爵也。《王制》曰:“爵祿凡五等。”附庸本非爵也。

夫人に諡がないのはなぜでしょうか。爵がないので諡がありません。もう一説では、夫人には諡があります。夫人は一国の母で、閨門の内を修治し、群下も感化を受けるので、諡を設けて彼女の善悪を彰顕します。《春秋伝》に「共姫を葬る」とあります。《伝》に「諡を称するは何のためか。彼女が賢なればなり」とあります。《伝》に「哀姜は誰か。荘公の夫人なり」とあります。卿大夫の妻に諡がないのはなぜでしょうか。低賤だからです。八妾に諡がないのは、卑賤で専ら力を致すべきことがないからで、士が卑小で諡を得ないのと同じです。太子の夫人に諡がないのはなぜでしょうか。婦人は本来夫に従うので、太子に諡がなければ、その夫人も諡を得られません。天子の太子は元士です。士に諡がないので、これによって太子にも諡がないと知れます。附庸に諡がないのは、卑小で爵がないからです。《王制》に「爵禄あわせて五等」とあり、附庸は本来爵ではありません。

後夫人於何所諡之?以為於朝廷。朝廷本所以治政之處,臣子共審諡,白之於君,然後加之。婦人大夫,故但白君而已。何以知不之南郊也?婦人本無外事,何為於郊也?《禮?曾子問》曰:“唯天子稱天以誅之。”唯者,獨也,明天子獨於南郊耳。

王后・夫人はどこで諡を上るのでしょうか。朝廷においてと考えます。朝廷は本来政事を治める場所で、臣子が共に諡を審定し、国君に報告して、それから加えます。婦人は大夫に比するので、ただ国君に報告するのみです。南郊に至らないと何によって知るのでしょうか。婦人は本来外朝の事がないので、何のために郊に至りましょうか。《礼記・曽子問》に「ただ天子のみ天を称して彼を誄諡す」とあります。「唯」はすなわち独で、天子のみ南郊に在ることを表明します。

顯號諡何法?法曰未出而明。已入有餘光也。

顕赫たる号と諡は何に法るのでしょうか。太陽がまだ出でざるにすでに明亮し、すでに落ちてなお余光あるに法ります。

●卷二

●巻二

○五祀

○五祀

五祀者,何謂也?謂門、戶、井、灶、中ニ也。所以祭何?人之所處出入、所飲食,故為神而祭之。何以知五祀謂門、戶、井、灶、中ニ也?《月令》曰:“其祀戶。”又曰:“其祀灶。”“其祀中ニ。”“其祀門。”“其祀井。”

五祀とは何を言うのでしょうか。門・戸・井・竈・中霤です。底本は「中ニ」と作るが、「ニ」は「霤」の訛りです。なぜ祭るのでしょうか。これらは人の居処し出入りし飲食する場所なので、これらを神として祭ります。五祀が門・戸・井・竈・中霤であると何によって知るのでしょうか。《月令》に「祀るは戸なり」と言い、また「祀るは竈なり」「祀るは中霤なり」「祀るは門なり」「祀るは井なり」とあります。

獨大夫已上得祭之何?士者,位卑祿薄,但祭其先祖耳。《禮》曰:“天子祭天地,諸侯祭山川,卿、大夫祭五祀,士祭其祖。”《曲禮》曰:“天地四時山川五祀,歲遍;諸侯方祀,山川五祀,歲遍;卿大夫祭五祀;士祭其先。非所當祭而祭之名曰淫祀。淫祀無福。”

ただ大夫以上のみ祭ることができるのはなぜでしょうか。士は地位が卑しく俸禄が薄く、ただ自らの先祖を祭るのみです。《礼》に「天子は天地を祭り、諸侯は山川を祭り、卿・大夫は五祀を祭り、士は自らの祖を祭る」とあります。《曲礼》に「天地・四時・山川・五祀は一年に遍く祭る。諸侯は自らのその方を祭り、山川・五祀は一年に遍く祭る。卿大夫は五祀を祭り、士は自らの先人を祭る。祭るべからざるを祭るを淫祀という。淫祀に福なし」とあります。

祭五祀所以歲一遍何?順五行也。故春即祭戶。戶者,人所出入,亦春萬物始觸戶而出也。夏祭灶者,火之主人,所以自養也,夏亦火王,長養萬物。秋祭門。門以閉藏自固也,秋亦萬物成熟,內備自守也。冬祭井。井者,水之生藏任地中,冬亦水王,萬物伏藏。六月祭中ニ。中ニ者,象土在中央也,六月亦土王也。故《月令》春言“其祀戶,祭先脾”,夏言“其祀灶,祭先肺”,秋言“其祀門,祭先肝”,冬言“其祀井,祭先腎”,中央言“其祀中ニ,祭先心。”春祀戶,祭所以時先脾者何?脾者,土也,春木王煞土,故以所勝祭之也;是冬腎,六月心,非所勝也,以祭何?以為土位在中央,至尊,故祭以心。心者,藏之尊者。水最卑,不得食其所勝。

五祀を祭るに、なぜ一年に各々一遍祭るのでしょうか。五行に順うためです。だから春は戸を祭ります。戸は人の出入りする所で、春は万物も初めて戸に触れて出ます。夏は竈を祭ります。竈は火の主人で、自らを養うために用いられ、夏もまた火が当令し万物を長養します。秋は門を祭ります。門は閉蔵し自らを固くするために用いられ、秋もまた万物が成熟し内に儲え自ら守ります。冬は井を祭ります。井は水の生成し潜蔵し地中に托する所で、冬もまた水が当令し万物が伏蔵します。六月は中霤を祭ります。中霤は土のごとく中央に在り、六月もまた土が当令します。だから《月令》は春に「祀るは戸なり、祭に先ず脾を用い」と言い、夏に「祀るは竈なり、祭に先ず肺を用い」と言い、秋に「祀るは門なり、祭に先ず肝を用い」と言い、冬に「祀るは井なり、祭に先ず腎を用い」と言い、中央に「祀るは中霤なり、祭に先ず心を用い」と言います。春に戸を祀り祭に先ず脾を用いるのはなぜでしょうか。脾は土に属し、春は木が当令して土を克すので、勝つ所のものをもって祭ります。冬に腎を用い六月に心を用いるのは、勝つ所ではないのに、なぜこのように祭るのでしょうか。土の位は中央に在って最も至尊なので、祭に心を用います。心は五臓の最も尊いものです。水は最も卑しいので、その勝つ所を食用にしません。

祭五祀,天子、諸侯以牛,卿、大夫以羊,因四時祭牲也。一說:戶以羊,灶以雞,中ニ以豚,門以犬,井以豕。或曰:中ニ用牛,餘不得用豚,井以魚。

五祀を祭るに、天子・諸侯は牛を用い、卿・大夫は羊を用います。四時の正祭の牲に就くのです。一説に、戸は羊を用い、竈は鶏を用い、中霤は豚を用い、門は犬を用い、井は豕を用います。また一説に、中霤は牛を用い、その余は豚を用いるを得ず、井は魚を用います。

○社稷

○社稷

王者所以有社稷何?為天下求福報功。人非土不立,非谷不食。土地廣博,不可遍敬也;五穀眾多,不可一一祭也。故封土立社,示有土尊。稷,五穀之長,故封稷而祭之也。尚書曰:乃社於新邑孝經曰。保其社稷而和其民人。蓋諸侯之孝也。稷者,得陰陽中和之氣,而用尤多,故為長也。

王者が社稷(土神と穀神)を有するのは、天下のために福を求め功徳に報いるためです。人は土なくして立身できず、穀なくして食できません。土地は広大で、処処に敬い尽くすことは不可能です。五穀は種類が多く、一種一種祭ることは不可能です。だから土を封じて社を立て、土あることの尊厳を表します。稷は五穀の長なので、稷を封じてこれを祭ります。《尚書》に「ここに新邑に社を立つ」とあります。《孝経》に「社稷を保全し、民人を和諧す」とあります。これはおそらく諸侯の孝です。稷は陰陽中和の気を得て、用いられること最も多いので、長となります。

歲再祭何?春求谷之義也。故《月令》,仲春之月,擇元日命人社。”《援神契》曰:“仲春獲禾,報社祭稷。”

一年に二度祭るのはなぜでしょうか。春は穀を求める意です。だから《月令》に、仲春この月、良き日を選択し、人民に命じて社を祭らしむとあります。《援神契》に「仲春に禾稼を収穫し、社を報祭し稷を祭る」とあります。

以三牲何?重功故也。《尚書》曰:“乃社於新邑,羊一、牛一、豕一。”《王制》曰:“天子社稷皆大牢,諸侯社稷皆少牢。”宗廟俱大牢,社稷獨少牢何?宗廟大牢,所以廣孝道也。社稷為報功,諸侯一國,所報者少故也。

三牲を用いるのはなぜでしょうか。この功徳を重んじるからです。《尚書》に「ここに新邑に社を立て、羊一頭・牛一頭・豕一頭」とあります。《王制》に「天子の社稷はみな太牢を用い、諸侯の社稷はみな少牢を用いる」とあります。宗廟はみな太牢を用いるのに、社稷だけが少牢を用いるのはなぜでしょうか。宗廟に太牢を用いるのは孝道を推し広めるため、社稷は功に報いるもので、諸侯は一国にすぎず報いるところが少ないので、このようになります。

王者、諸侯俱兩社何?俱有土之君,《禮記?三正記》曰:“王者二社,為天下立禮曰太社,自為立社曰王社;諸侯為百姓立社曰國社,自為立社曰侯社。太社為天下報功,王社為京師報功,太社尊於王社。土地故兩報之。

王者・諸侯はみな二か所の社を持ちます。なぜでしょうか。みな土ある君だからです。《礼記・三正記》に「王者には二社あり、天下のために立てるを太社といい、自分のために立てるを王社という。諸侯は百姓のために立てるを国社といい、自分のために立てるを侯社という。太社は天下のために功に報い、王社は京師のために功に報い、太社は王社より尊い。土地は(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)ので、二か所に功に報いる」とあります。

王者、諸侯必有誡社何?示有存亡也。明為善者得之,惡者失之。故《春秋公羊傳》曰:“亡國之社,奄其上,柴其下。”《郊特牲》曰:“喪國之社,屋之。”自言與天地絕也。在門東,明自下之無事處也。或曰:皆當著明誡,當近君,置宗廟之牆南。《禮》曰:“亡國之社稷,必以為宗廟之屏。”示賤之也。

王者・諸侯は必ず誡社(警戒用の亡国の社)を設けます。なぜでしょうか。存するものと亡びるものがあることを表します。善をなす者はこれを得て、悪をなす者はこれを失うことを表明します。だから《春秋公羊伝》に「亡国の社は、上を遮り下を柴で塞ぐ」とあります。《郊特牲》に「滅亡の国の社は、これに屋を蓋う」とあります。自分で天地と隔絶したと言うのです。門の東に置くのは、下に在り事なき所に処ることを表明します。もう一説では、みな明るい所に置いて警戒とすべきで、国君に近く、宗廟の墻の南に置くべきとします。《礼》に「亡国の社稷は、必ず取りて宗廟の屏とす」とあるのは、これを賤視することを表します。

社稷在中門之外、外門之內何?尊而親之,與先祖同也。不置中門內何?敬之,示不褻瀆也。《論語》曰:“譬諸宮牆,不得其門而入。不見宗廟之美,百官之富。”《祭義》曰:“右社稷,左宗廟。”

社稷は中門の外・外門の内にあります。なぜでしょうか。これを尊びまたこれを親しみ、先祖と同じくするのです。中門の内に置かないのはなぜでしょうか。これを敬い、褻しないことを表します。《論語》に「たとえば宮墻、その門を得て入らざれば、宗廟の美・百官の富盛を見ることなし」とあります。《祭義》に「右は社稷、左は宗廟」とあります。

大夫有民,其有社稷者,亦為報功也。《禮?祭法》曰:“大夫成群立社,曰置在。”《月令》曰:“擇元日,命人社。”《論語》曰:“季路使子羔為費宰,曰:‘有民人馬,有社稷焉。’”

大夫に民あれば、彼らに社稷を持つのもまた功に報いるためです。《礼記・祭法》に「大夫は群を聚めて社を立て、これを置社という」とあります。底本は「置在」と作るが、「在」は「社」の訛りです。《月令》に「良き日を選択し、人民に命じて社を祭らしむ」とあります。《論語》に「季路は子羔をして費の宰たらしめ、曰く『民ありて社稷あり』」とあります。底本は「馬」と作るが、「馬」は「焉」の訛りです。

不謂之土何?封土為社,故變名謂之社,別於眾土也。為社立祀,始謂之稷,語亦自變,有內外。或曰:至社稷,不以稷為社,故不變其名事,自可知也。不正月祭稷何?禮不常存,養人為用,故立其神。

「土」と呼ばないのはなぜでしょうか。土を封じて社となるので、改めて社と名づけ、普通の土と区別します。社に祭祀を設けて初めて稷と呼び、用語自体も変わり、内あり外あります。もう一説では、社稷と言っても稷を社とはせず、その名を改めなくても事は自ずから知れます。なぜ正月に稷を祭らないのでしょうか。礼は常設して済むものではなく、人を養うのは用のためなので、それに神を立てます。

社無屋何?達天地氣。故《郊特牲》曰:“太社稷,必受霜露風雨,以達天地之氣。”社稷所以有樹何?尊而識之,使民人望見師敬之,又所以表功也。故《周官》曰:“司社而樹之,各以土地所生。”《尚書》亡篇曰:“太社唯松,東社唯柏,南社唯梓,西社唯栗,北社唯槐。”

社に屋がないのはなぜでしょうか。天地の気を通達するためです。だから《郊特牲》に「太社稷は必ず霜露風雨を受け、天地の気を通達する」とあります。社稷に樹があるのはなぜでしょうか。これを尊び標識とし、人民に望見させて敬を生ぜしめ、また功徳を表彰するためです。だから《周官》に「社を掌り、これに樹を種うに、各々その土地の生ずる所を用い」とあります。《尚書》亡佚の篇に「太社は松のみ、東社は柏のみ、南社は梓のみ、西社は栗のみ、北社は槐のみ」とあります。

王者自親祭社稷何?社者,土地之神也。土生萬物,天下之所主也,尊重之,故自祭也。

王者が自ら社稷を祭るのはなぜでしょうか。社は土地の神です。土は万物を生じ、天下の依拠する主体なので、これを尊重して自ら祭ります。

其壇大何?如《春秋文義》曰:“天子之社稷廣五丈,諸侯半之。”其色如何?《春秋傳》曰:“天子有太社焉,東方青色,南方赤色,西方白色,北方黑色,上冒以黃土。故將封東方諸侯,青土,苴以白茅。謹敬潔清也。”

壇の大きさはどのくらいでしょうか。《春秋文義》に「天子の社稷は広さ五丈、諸侯はその半」とあります。色はどうでしょうか。《春秋伝》に「天子に太社あり。東方は青色、南方は赤色、西方は白色、北方は黒色、上は黄土をもって覆う。故に東方の諸侯を分封せんとするときは、青土を用い、白茅をもって墊す。これは謹慎・恭敬・清潔なり」とあります。

祭社有樂,《樂記》曰:“樂之施於金石絲竹,越於聲音,用之於宗廟社稷。”

社を祭るに楽があります。《楽記》に「楽は金石絲竹に施し、声音を発し、宗廟・社稷に用いる」とあります。

《曾子問》曰:“諸侯之祭社稷,俎豆既陳,聞天子崩,如之何?孔子曰:廢。”臣子哀痛之,不敢終於禮也。

《曽子問》に「諸侯が社稷を祭るに、俎豆すでに陳設を終えたとき、天子が崩じたと聞かば、どうすべきか。孔子曰く、廃止せよ」とあります。臣子が哀痛して、礼を尽くすことを敢えてしません。

禮樂者,何謂也?禮之為言履也,可履踐而行樂者;樂也,君子樂得其道,小人樂得其欲。王者所以盛禮樂何?節文之喜怒。樂以象天,禮以法地。人無不含天地之氣,有五常之性者,故樂所以盪滌,反其邪惡也,禮所以防淫佚,節其侈靡也。故《孝經》曰:“安上治民,莫善於禮;移風易俗,莫善於樂。”子曰:“樂在宗廟之中,君臣上下同聽之,則莫不和敬;族長鄉里之中,長幼同聽之,則莫不和順;在閨門之內,父子兄弟同聽之,則莫不和親。故樂者,所以崇和順,比物飾節,節奏合以成文,所以合和父子、君臣,附親萬民也。是先王立樂之意也。故聽其雅、頌之聲,志意得廣焉,執干鏚習俯仰屈信,容貌得齊焉;其輟兆,要其節奏,行列得正焉,進退得齊焉。故樂者天地之命、中和之紀、人情之所不能免焉也。夫樂者,先王之所以飾喜也;軍旅鉞,所以飾怒也。故先王之喜怒,皆得其齊焉,喜則天下和之,怒則暴亂者畏之。先王之道,禮樂可謂盛矣。”聞角聲,莫不惻隱而慈者;聞徵聲,莫不喜養好施者;聞聲,莫不剛斷而立事者;聞羽聲,莫不深思而遠慮者;聞宮聲,莫不溫潤而寬和者也。

礼楽とは何でしょうか。「礼」の意味は履で、踏み行うことができます。「楽」はすなわち喜楽で、君子は道を得るを楽しみ、小人は欲望を得るを楽しみます。王者が礼楽を盛大に作るのは、喜と怒を節制・文飾するためです。楽は天に象を取り、礼は地に法ります。人は天地の気を含まざるなく五常の性を具えているので、楽はもって滌い邪悪を正途に返らせ、礼はもって淫佚を防ぎ侈靡を節制します。だから《孝経》に「上にある者を安んじ百姓を治めるは、礼より善きはなし。風を移し俗を易るるは、楽より善きはなし」とあります。孔子曰く「楽を宗廟の中に在らしめば、君臣上下ともに聴きて、和し敬せざるなし。族長郷里の中に在らしめば、長幼ともに聴きて、和し順わざるなし。閨門の内に在らしめば、父子兄弟ともに聴きて、和し親しまざるなし。故に楽は和順を崇め、事物を比次し節奏を文飾し、節奏相合して文采となり、父子・君臣を和合させ、万民を親附せしめるに用いる。これ先王が楽を立てた本意なり。故に雅・頌の声を聴けば志意は広くなり、干(盾)と戚(斧)を執りて俯仰屈伸を習えば容貌は斉くなり、舞位を踏み節奏を扣えば行列は正しく、進退は斉う。故に楽は天地の命令・中和の綱紀・人情の免れざる所なり。楽とは、先王が喜を文飾するに用いたもの、軍旅の(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)鉞は、怒を文飾するに用いたもの。故に先王の喜怒はみな各々その宜しきを得、喜べば天下応和し、怒れば暴乱の人は畏れる。先王の道、礼楽盛大というべし」。角声を聞けば惻隠して慈愛せざるなし、徵声を聞けば長養を喜び施与を楽しまざるなし、(底本の此字は生僻字で転写後に失われた)声を聞けば剛毅にして決断し事を立つること能くせざるなし、羽声を聞けば深く思い遠く慮らざるなし、宮声を聞けば温潤寛和せざるなし。

禮所揖讓何?所以尊人自損也,不爭。《論語》曰:“揖讓而升,下而飲,其爭也君子。”故“君使臣以禮,臣事君以忠。”“謙謙君子,利涉大川。”以貴下賤,大得民也。屈己敬人,君子之心。故孔子曰:“為禮不敬,吾何以觀之哉!”夫禮者,陰陽之際也,百事之會也,所以尊天地,儐鬼神,序上下,正人道也。

礼が揖譲する所以はなぜでしょうか。人を尊び自ら退譲し、争わないためです。《論語》に「揖譲して後に堂に升り、下りて酒を飲む、この争もまた君子の争なり」とあります。故に「君は臣を使うに礼をもってし、臣は君に事うるに忠をもってす」「謙謙の君子、大河を渡るに利あり」。尊貴をもって下賤に就けば、大いに民心を得ます。己を屈して人を敬するは君子の心です。だから孔子曰く「礼を行いて敬せざれば、我は何をもって彼を見ん!」。礼は陰陽交接の所、百事会合の枢紐で、天地を尊び鬼神を迎え上下の序を排し人道を端正するに用います。

樂所以必歌者何?夫歌者,口言之也。中心喜樂,口欲歌之,手欲舞之,足欲蹈之。故《尚書》曰:“前歌後舞,假於上下。”禮貴忠何?禮者,盛不足節有餘,使豐年不奢,凶年不儉,貧富不相懸也。樂尚雅?雅者,古正也,所以遠鄭聲也。孔子曰:“鄭聲淫何?鄭國土地民人,山居谷浴,男女錯雜,為鄭聲以相悅懌,故邪僻聲,皆淫色之聲也。”

楽が必ず歌う所以はなぜでしょうか。歌はすなわち口をもって言い出すことです。心に喜楽あれば、口は歌おうとし、手は舞おうとし、足は蹈もうとします。だから《尚書》に「前に唱え後に舞い、上下を感通す」とあります。礼が忠を重んじるのはなぜでしょうか。礼は不足を補い有余を節し、豊年に奢侈せず荒年に過倹に至らず、貧富が懸殊しないようにします。楽が雅を尚ぶのはなぜでしょうか。雅はすなわち古正で、鄭声を遠ざけるに用います。孔子曰く「鄭声はなぜ淫か。鄭国の土地人民、山に居り山谷に浴し、男女錯雑し、鄭声を作りて互いに取悦す。故にその邪僻の声は、みな女色に淫する声なり」。

太平乃制禮作樂何?夫禮樂,所以防奢淫。天下人民飢寒,何樂之乎!功成作樂,治定製禮。樂言作、禮言制何?樂者,陽也,陽倡始,故言作;禮者,陰也,陰制度於陽,故言制。樂象陽,禮法陰也。

天下が太平して初めて礼を制し楽を作るのはなぜでしょうか。礼楽は奢侈淫逸を防ぐために用います。天下の人民がなお飢寒にあるのに、何の楽すべきことがあらん!功業が成就して初めて楽を作り、治まり安んじて初めて礼を制します。楽は「作」と言い礼は「制」と言うのはなぜでしょうか。楽は陽に属し、陽は始めを倡導するので「作」と言い、礼は陰に属し、陰は陽において制度を受けるので「制」と言います。楽は陽に象を取り、礼は陰に法ります。

王者始起,何用正民?以為且用先王之禮樂,天下太平,乃更製作焉。《書》曰:“肇修殷殷禮,祀新邑。”此言太平去殷禮。《春秋傳》曰:“昌何為不修乎近而修乎遠,同己也,可因先以太平也。”必復更制者,示不襲也,又天下樂之者。樂者所以象德表功殊名。《禮記》曰:“黃帝樂曰《咸池》,顓頊樂曰《六莖》,帝嚳樂曰《五英》,堯樂曰《大章》,舜樂曰《簫韶》,禹樂曰《大夏》,湯樂曰《大護》。周樂曰《大武象》,周公之樂曰《酌》,合曰《大武》。”黃帝曰《咸池》者,言大施天下之道而行之,天之所生,地之所載,鹹蒙德施也;顓頊曰《六莖》者,言和律歷以調陰陽,莖者著萬物也;帝嚳曰《五英》者,言能調和五聲以養萬物,調其英華也;堯曰《大章》,大明天地人之道也;舜曰《簫韶》者,舜能繼堯之道也,禹曰《大夏》者,言禹能順二聖之道而行之,故曰《大夏》也;湯曰《大護》者,言湯承衰,能護民之急也;周公曰《酌合》者,言周公輔成王,能斟酌文武之道而成之也;武王曰《象》者,象太平而作樂,示已太平也;合曰《大武》者,天下始樂周之徵伐行武,故詩人歌之:“王赫斯怒,爰整其旅。”當此之時,天下樂文王之怒,以定天下,故樂其武也。周室中制《象湯》樂何?殷紂為惡日久,其惡最甚,斫涉刳胎,殘賊天下。武王起兵,前歌後舞。克殷之後,民人大喜,故中作所以節喜盛。

王者が初めて興るとき、何をもって人民を端正するのでしょうか。暫く先王の礼楽を用い、天下太平して後、別に制作すると考えます。《尚書》に「初めて殷礼を修め、新邑にて祭祀す」とあり、これは太平の後に殷礼を去ることを言います。《春秋伝》に「なぜ近きを修めずして遠きを修むるか。己と同じくして、先代に沿い用いて太平を待つべきなり」とあります。必ず改めて制定するのは、沿襲しないことを表し、また天下の楽しむところです。楽は徳に象り功を表し名号を区別するに用います。《礼記》に「黄帝の楽を《咸池》といい、顓頊の楽を《六茎》といい、帝嚳の楽を《五英》といい、尭の楽を《大章》といい、舜の楽を《簫韶》といい、禹の楽を《大夏》といい、湯の楽を《大護》という。周の楽を《大武象》といい、周公の楽を《酌》といい、合わせて《大武》という」とあります。黄帝が《咸池》というのは、天下の道を普遍に施行し、天の生ずる所・地の載する所、みな徳の施与を承け受けることを言います。顓頊が《六茎》というのは、律暦を調和して陰陽を調うことを言い、「茎」は万物を顕著にするです。帝嚳が《五英》というのは、五声を調和して万物を養い、英華を調理することを言います。尭が《大章》というのは、天地人の道を大いに彰明することです。舜が《簫韶》というのは、舜が尭の道を継承できたことです。禹が《大夏》というのは、禹が二位の聖人の道に順ってこれを行えたので《大夏》といいます。湯が《大護》というのは、湯が衰世を承け継いで人民の急難を救護できたことです。周公が《酌》というのは、周公が成王を輔佐して文王・武王の道を斟酌してこれを成就したことです。武王が《象》というのは、太平に象を取って楽を作り、自らすでに太平であることを表します。合わせて《大武》というのは、天下が初めて周の征伐行武を楽しんだので、詩人が唱えて「王、赫然として怒り、ここに軍旅を整う」と言いました。この時、天下は文王の怒を楽しみ、もって天下を安定したので、その武を楽しみました。周室が中途で《象》のごとき楽を制作したのはなぜでしょうか。殷の紂が悪をなす日が久しく悪が最も甚だしく、渉水する者の脛を断ち妊婦を剖き、天下を残害しました。武王が兵を起こすに、前に唱え後に舞いました。殷を克して後、人民は大いに喜んだので、中途で制作して喜びの過盛を節制しました。

天子八佾,諸侯四佾,所以別尊卑。樂者陽也,故以陰數。法八風、六律、四時也。八風、六律者,天氣也,助天地成萬物者也,亦猶樂,所以順氣,變化萬民,成其性命也。故《春秋公羊傳》曰:“天子八佾,諸公六佾,諸侯四佾。”《詩》曰:“大夫士,琴瑟御。”八佾者何謂也,佾者列也,以八人為行,列八八六十四人也。諸公六六為行;諸侯四四為行。諸公謂三公、二王后。大夫士,北面之臣,非專事子民者也,故但琴瑟而已。

天子は八佾、諸侯は四佾で、尊卑を分別します。楽は陽に属するので陰数を用います。八風・六律・四時に法ります。八風・六律は天気で、天地を助けて万物を成就し、また楽のごとく、気を順にし万民を変化し、その性命を成就するに用います。だから《春秋公羊伝》に「天子八佾、諸公六佾、諸侯四佾」とあります。《詩経》に「大夫・士は、琴瑟をもって事奉す」とあります。八佾とは何でしょうか。「佾」はすなわち列で、八人を一行とし、列して八八六十四人です。諸公は六六をもって行とし、諸侯は四四をもって行とします。諸公とは三公・二王の後裔を指します。大夫・士は北面の臣で、子民を治める専職ではないので、琴瑟を用いるのみです。

王者有六樂者,貴公美德也。所以作供養。傾先王之樂,明有法,示亡其本。興己所以自作樂,明作己也。

王者に六楽があるのは、公正を重んじ徳行を讃美し、供養に用いるためです。先王の楽に心を傾けるのは、依拠すべき法度あることを表明し、根本を失わないことを表します。自らを興しまた自ら楽を作るのは、制作が自己より出ることを表明します。

樂所以作四夷之樂何?德廣及之也。《易》曰:“先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。《詩》云:“奏鼓簡簡,ぅ我烈祖。”《樂元語》曰:“受命而六樂。樂先王之樂,明有法也;與其所自作,明有制;興四夷之樂,明德廣及之也。故南夷之樂曰《兜》,西夷之樂曰《禁》,北夷之樂曰《昧》,東夷之樂曰《離》。合歡之樂亻舞於堂,四夷之樂陳於右,先王所以得之,順命重始也。

楽が四夷の楽を作る所以はなぜでしょうか。徳が広く、彼らに達するからです。《周易》に「先王は楽を作るをもって徳を崇め、殷にして上帝に薦げ、祖考に配享するをもってす」とあります。《詩経》に「鼓を敲く声は堂堂として、歓楽せり、我ら功烈ある祖先をば」とあります。底本は「ぅ」と作るが、「ぅ」は「衎」の訛りです。《楽元語》に「命を受けて六楽あり。先王の楽を奏するは、法度あることを表明す。己の作る所を加うるは、制度あることを表明す。四夷の楽を興すは、徳が広く彼らに達することを表明す。故に南夷の楽を《兜》といい、西夷の楽を《禁》といい、北夷の楽を《昧》といい、東夷の楽を《離》という。合歓の楽は堂上に舞い、四夷の楽は右に陳列す」とあります。底本は「亻舞」と作るが、「舞」の字を拆いた訛りです。先王がこれらを得たのは、天命に順い始めを重んじたからです。

此言以人得之,先以文,謂持羽毛亻舞也;以武得之,先以武,謂持干鏚亻舞也。《樂元語》曰:“東夷之樂持矛舞,助時生也;南夷之樂持羽舞,助時養也;西夷之樂持戰舞,助時煞也。”北夷之樂持幹舞助時藏也,誰制夷狄之樂?以為先聖王也。先王惟行道德,和調陰陽,覆被夷狄,故夷狄安樂,來朝中國,於是作樂樂之。《南》之為言任也,任養萬物;《味》之為言昧也,昧者,萬物老衰,禁者萬物禁藏,侏離者萬物微離地而生。

この言は、文徳をもって天下を得た者は先に文を用い、すなわち羽毛を執りて舞い、武功をもって天下を得た者は先に武を用い、すなわち干戚を執りて舞うということです。底本は「亻舞」と作るが、「舞」の字を拆いた訛りです。《楽元語》に「東夷の楽は矛を執りて舞い、時令の生育を助く。南夷の楽は羽を執りて舞い、時令の長養を助く。西夷の楽は戈戟を執りて舞い、時令の粛殺を助く。北夷の楽は盾牌を執りて舞い、時令の閉蔵を助く」とあります。誰が夷狄の楽を制定したのでしょうか。先代の聖王と考えます。先王はただ道徳を行い、陰陽を調和し、夷狄にまで覆及したので、夷狄が安楽して中原に朝し、ここに楽を作って彼らを歓楽させました。《南》は「任」の意で、万物の長養を担任します。《昧》は「昧」の意で、昧は万物の衰老です。禁は万物が禁閉収蔵することです。侏離は万物が微微として土地を離れて生ずることです。

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