白虎通义 · 第5巻
二王后不貶黜者何?尊賓客、重先王也,以其當公也。罪惡足以絕之即絕,更立其次。周公誅祿甫,立微子。
二王の後を貶黜せざるはなぜでしょうか。賓客を尊び先王を重んずるは、彼らが公に相当すればなり。罪悪が絶するに足れば絶し、再び其の次なるを立つ。周公が禄甫を誅して微子を立てしがごとし。
妻父母不削,己昆弟削而不黜何?非以賢能得之也。至於老小但令得大夫受其罪而已。
妻の父母は削らず、己の昆弟は削りて黜せざるはなぜでしょうか。賢能に凭りて得たるに非ざればなり。老小に至りては、ただ大夫の位を得せしめ自ら罪を受くるのみ。
諸侯喑聾跛惡疾,不免黜者何?尊人君也。《春秋》曰:“甲戌、己丑,陳侯鮑卒。”《傳》曰:“甲戌之日亡,己丑之死而得。”有狂易之病,蜚亡而死,由不絕也。
諸侯が瘖唖・耳聾・跛・「(底本の此字は生僻字)」・悪疾あれば、黜せられるを免れざるはなぜでしょうか。人君を尊ぶなり。《春秋》に「甲戌・己丑、陳侯鮑卒す」とあり、《伝》に「甲戌の日に亡失し、己丑の日に其の死の訃を得たり」とあります。狂易の病あり、飛亡して死す、これに因りて絶せず。
世子有惡疾廢者何?以其不可承先祖也,故《春秋傳》曰:“兄弟何以不立?疾也。何疾?惡疾也。”
世子に悪疾あって廃せらるるはなぜでしょうか。彼は先祖を承奉すべからざればなり。故に《春秋伝》に「兄弟何ぞ立てざるや。疾有ればなり。何の疾ぞや。悪疾なり」とあります。
●卷六
●巻六
○王者不臣
○王者不臣
王者所以不臣三,何也?謂天王之後,妻之父母,夷狄也。不臣二王之後者,尊先王通天下之三統也。《詩》云:“有客有客,亦白其馬。”謂微子朝周也。《尚書》曰:“虞賓在位。”不臣丹朱也。不臣妻父母何?妻者,與己一體,恭承宗廟,欲得其歡心,上承先祖,下繼萬世,傳於無窮,故不臣也。《春秋》曰:“紀季姜歸於京師。”父母之於子,雖為王后,尊不加於父母,加王何。王者不臣也。又譏宋三世內娶於國中,謂無臣也。夷狄者,與中國絕域異俗,非中和氣所生,非禮義所能化,故不臣也。《春秋傳》曰:“夷狄相誘,君子不疾。”《尚書大傳》曰:“正朔所不加,即君子所不臣也。”
王者が臣とせざる所に三類あり、何ぞや。是れ二王の後・妻の父母・夷狄を言うなり。二王の後を臣とせざるは、先王を尊び天下の三統を貫通す。《詩経》に「客あり客あり、亦た其の馬白し」とあるは、微子が周に朝することを言うなり。《尚書》に「虞の賓位に在り」とあるは、丹朱を臣とせざるなり。妻の父母を臣とせざるはなぜでしょうか。妻は己と一体にして、恭敬して宗廟を承奉す、彼らの歓心を得んと欲し、上は先祖を承け、下は万世に継ぎ、伝えて無窮ならん、故に臣とせず。《春秋》に「紀季姜、京師に帰す」とあります。父母の子女に対しては、王后と為るといえども、尊は父母の上に加わらず、しかして王に加わるはなぜでしょうか。王者は臣とせざるなり。また宋が三世に國中に内娶するを譏るは、臣なしを言うなり。夷狄は中国と絶域にして俗を異にし、中和の気の生ずる所に非ず、礼義の教化し得る所に非ず、故に臣とせず。《春秋伝》に「夷狄は相誘騙す、君子は痛恨せず」とあり、《尚書大伝》に「正朔の加わらざる所は、則ち君子の臣とせざる所なり」とあります。
王者有不臣者五,謂祭尸、受授之師,將帥用兵、三老、五更。不臣祭尸者,方與尊者配也。不臣受授之師者,尊師重道,欲使極陳天人之意也,故《禮?學記》曰:“當其為師,則不臣也。當其為屍,則不臣也。”不臣將帥用兵者,重士眾為敵國,國不可從外治,兵不可從內御,欲成其威,一其令。《春秋》之義,兵不稱使,明不可臣也。不臣三老、五更者,欲率天下,為人子弟。《禮》曰:“父事三老,兄事五更。”
王者に「(底本の此字は生僻字)」臣とせざる五種あり、是れ祭尸・伝授の師・将帥の用兵・三老・五更を言うなり。祭尸を臣とせざるは、正に尊者と配せんとするが故なり。伝授の師を臣とせざるは、師を尊び道を重んじ、彼をして天人の意を極尽して陳説せしめんと欲すればなり。故に《礼・学記》に「其の師を為すに當りては、則ち臣とせず。其の尸を為すに當りては、則ち臣とせず」とあります。将帥の用兵を臣とせざるは、士衆を重んじ敵国と為す、国は外より治むべからず、兵は内より遥制すべからず、其の威を成就し其の令を統一せんと欲すればなり。《春秋》の義は、兵に「使」と称せず、臣とすべからざるを表明す。三老・五更を臣とせざるは、天下を率いて人の子弟を為らしめんと欲するなり。《礼》に「三老を以て父と事奉し、五更を以て兄と事奉せよ」とあります。
王者不純臣諸侯何?尊重之。以其列土傳子孫,世世稱君,南面而治。凡不臣異。朝則迎之於著,覲則待之於阼階,升階自西階,為庭燎,設九賓,享禮而後歸。是異於眾臣也。
王者が諸侯を完全に臣と為さざるはなぜでしょうか。彼らを尊重すればなり。彼らは土を列し子孫に伝え、世世君と称し、南面して治むればなり。およそ臣とせざるは皆同じからず。朝見すれば則ち著に於て迎接し、覲見すれば則ち阼階に於て等待し、西階より升り、庭燎を設け、九賓を設け、享礼を挙行して然る後に帰る。是れ衆臣と異なるなり。
始封之君不臣諸父、弟何?不忍以己一日之功德加於諸父、昆弟也。故《禮?服傳》曰:“封君之子不臣諸父,封君之孫盡臣之。”
始封の君が諸父・弟を臣と為さざるはなぜでしょうか。己の一日の功徳を以て諸父・昆弟の上に加うるに忍びざるなり。故に《礼・服伝》に「封君の子は諸父を臣と為さず、封君の孫は則ち悉く臣と為す」とあります。
《禮?服傳》曰:“子得為父臣者,不遺善之義也。”《詩》云:“文武受命,召公雖翰。”召公,文王子也。《傳》曰:“子不得為父臣者,閨門尚和,朝廷尚敬,人不能無過失,為恩傷義也。”
《礼・服伝》に「子は能く父の臣と為るは、善を遺棄せざるの義なり」とあります。《詩経》に「文武命を受く、召公維れ翰なり」とあり、召公は文王の子なり。《伝》に「子は父の臣と為ること能わず、閨門は和を崇尚し朝廷は敬を崇尚す、人に過失無きこと能わず、恩に因りて義を傷害せん」とあります。
王者臣不得為諸侯臣,以其尊當與諸侯同。《春秋傳》曰:“許公不世,待以初。”或曰:王者臣得復為諸侯臣者,為衰世主上不明,賢者非其罪而去,道不施行,百姓不得其所,復令得為諸侯臣,施行其道。《易》曰:“不事王侯。”此據言王之致仕臣也,言不事王可知,復言侯者,明年少復得仕於諸侯也。
王者の臣は諸侯の臣と為ること能わず、其の尊は諸侯と相同じきべければなり。《春秋伝》に「許公は世襲せず、当初の礼を以て待つ」とあります。或る人曰く、王者の臣は能く諸侯の臣と為る、衰世は主上明ならず、賢人は己の罪に因らずして去り、道は施行すること能わず、百姓は其の所を得ず、再び彼をして諸侯の臣と為ることを得せしめ、其の道を施行せしむ。《易》に「王侯に事えず」とあるは、王の致仕の臣に拠りて言うなり、王に事えざるはすでに知るべし、また侯と言うは、年少にしてなお諸侯に在りて官を為すべきを表明す。
王者臣有不名者五:先王老臣不名。親與先王戮力共治國同功於天下,故尊而不名也。《尚書》曰:“諮,爾伯。”不言名也,不名者,貴賢者而已。共成先祖功德,德加於百姓者也。《春秋》曰:“單父不言名。”《傳》曰:“大夫之命於天子者大也。”盛德之士不名,尊賢也。《春秋》曰:“公弟叔ツ。”諸父、諸兄不名。諸父、諸兄者,親與己父、兄有敵體之義也。《詩》云:“王曰叔父。”《春秋傳》曰:“王禮者何?無長之稱也。不名盛德之士者,不可屈爵祿也。”故《韓詩內傳》曰:“師臣者帝,交友受臣者王,臣臣者爵,魯臣者亡不行。”
王者の臣に五種の名を称せざるあり。先王の老臣は名を称せず。親ら先王と力を合せ共に国を治め、天下に功を同じくしたれば、故に尊びて名を称せず。《尚書》に「咨、爾伯」とあり、名を称せず。名を称せざるは、ただ賢人を貴ぶのみ。共に先祖の功徳を成就し徳を百姓に加えたる。《春秋》に「単父は名を称せず」とあり、《伝》に「大夫の天子の任命する所は、是大なり」とあります。盛徳の士は名を称せざるは、賢を尊ぶなり。《春秋》に「公の弟叔肸」とあります。諸父・諸兄は名を称せず。諸父・諸兄は、親にして己の父・兄と匹敵の体の義あり。《詩経》に「王曰く叔父」とあり、《春秋伝》に「王礼とは何ぞや。是れ長幼の称呼なきなり。盛徳の士の名を称せざるは、以て爵禄を以て彼に屈加すべからざるなり」とあります。故に《韓詩内伝》に「師を以て臣と為すは帝なり、交友を以て臣を受くるは王なり、臣を以て臣と為すは爵を得、臣を以て奴虜と為すは滅亡して行われず」とあります。
○蓍龜
○蓍亀
天子下至士,皆有蓍龜者,重事決疑,亦不自專。《尚書》曰:“女則有大疑,謀及卿士,謀及庶人,謀及卜筮。”定天下之吉凶,成天下之者,莫善乎蓍龜。
天子より下りて士に至るまで、皆蓍亀あり、事を重んじ疑惑を決断し、また自ら専断せざるなり。《尚書》に「汝若し大疑有らば、卿士に謀り、庶人に謀り、卜筮に謀れ」とあります。天下の吉凶を確定し、天下の「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」を成就するに、蓍亀より善きはなし。
《禮三正記》曰:“天子龜長一尺二寸,諸侯一尺,大夫八寸,士六寸。龜陰,故數偶也。天子蓍長九尺,諸侯七尺,大夫五尺,士三尺。蓍陽,故數奇也。”
《礼三正記》に「天子の亀は長さ一尺二寸、諸侯は一尺、大夫は八寸、士は六寸。亀は陰なり、故に数は偶数を用う。天子の蓍は長さ九尺、諸侯は七尺、大夫は五尺、士は三尺。蓍は陽なり、故に数は奇数を用う」とあります。
所以先謀及卿士何?先盡人事,念而不能得,思而不能知,然後問於蓍龜。聖人獨見先睹,必問著龜何?示不自專也。或曰:清微無端緒,非聖人所及,聖人亦疑之。《尚書》曰:“女則有疑。”謂武王也。乾草枯骨,眾多非一,獨以灼龜何?此天地之間壽考之物,故問之也。龜之為言久也,蓍之為言耆也,久長意也。龜曰卜、蓍曰筮何?卜,赴也,爆見兆也;者信也,見其卦也。《尚書》曰:“卜三龜。”《禮?士冠經》曰:“筮於廟門外。”
先に卿士に謀る所以はなぜでしょうか。先に人事を尽くし、念じて得ること能わず、思うて知ること能わざれば、然る後に蓍亀に問う。聖人は独自に預見し先に見る、必ずなお蓍亀に問うはなぜでしょうか。自ら専断せざるを表すなり。或る人曰く、清微に端緒なく、聖人の及ぶ能くする所に非ず、聖人もまた疑惑す。《尚書》に「汝若し疑有らば」とあるは、武王を言うなり。干草枯骨、衆多にして一ならず、しかして独り灼亀を用うるはなぜでしょうか。是れ天地の間の寿考の物なれば、故に之に問う。亀の意は久なり、蓍の意は耆なり、是れ久長の意なり。亀は卜と曰い蓍は筮と曰うはなぜでしょうか。卜は赴なり、爆裂して兆「(底本の此字は生僻字)」を現出す。蓍は信なり、其の卦を現出す。《尚書》に「三亀を卜す」とあり、《礼・士冠経》に「廟門の外に於て筮す」とあります。
筮畫卦所以必於廟何?托義歸智於先祖至尊,故因先祖而問之也。
筮して卦を画くに必ず廟に於てする所以はなぜでしょうか。義を寄託し智を先祖の至尊に帰す、故に先祖を借りて以て問う。
卜,春秋何方?以為於西方東面,蓋蓍之處也。卜時西向,己卜退,東向。問蓍於東方面,以少問老之義。
卜は、春秋いずれの方位に在るか。西方に在りて東に朝すと考え、蓋し蓍の処所なり。卜する時に西に向かい、卜し畢りて退下して、東に向かう。東方に於て蓍に面問するは、少を以て老に問うの義なり。
皮弁素積,求之於質也。《禮》曰:“皮弁素積,筮於廟門之外。”
皮弁・素積は、質朴に向かいて求取す。《礼》に「皮弁素積、廟門の外に於て筮す」とあります。
或曰:天子占卜九人,諸侯七人,大夫五人,士三人。又《尚書》曰:“三人占,則從二人之言。”
或る人曰く、天子の占卜は九人、諸侯は七人、大夫は五人、士は三人。また《尚書》に「三人占すれば、則ち二人の言に依従せよ」とあります。
不見吉凶於蓍,復以卜何?蓍者,陽道多變,變乃成。
蓍の上に吉凶を見ること能わざれば、再用して卜するはなぜでしょうか。蓍は陽道にして多変、変じて初めて成就す。
龜以荊火灼之何?《禮?雜記》曰:“龜,陰之老也。蓍,陽之老也。龍非水不處,龜非火不兆。以陽動陰也。”必以荊者,取其究音也。《禮三正記》曰:“灼龜以荊。”以火動龜,不以水動蓍何?以為嘔則是也。
亀は荆火を以て灼くはなぜでしょうか。《礼・雑記》に「亀は陰の老なり。蓍は陽の老なり。龍は水なくんば居処せず、亀は火なくんば兆を現わさず。陽を以て陰を発動す」とあります。必ず荆を用うるは、其の究尽の音を取るなり。《礼三正記》に「荆を以て亀を灼く」とあります。火を以て亀を発動し、水を以て蓍を発動せざるはなぜでしょうか。嘔は即ち此の如しと考えるなり。
蓍龜敗則埋之何?重之,不欲人襲尊者也。
蓍亀が敗壊すれば則ち埋掉するはなぜでしょうか。之を重んじ、人をして此の尊貴の物を沿袭せしめんと欲せざるなり。
《周官》曰:“凡國之大事,先筮而後卜。凡卜,人君視體,大夫視色,士視墨。”“凡人卜事,視高,揚火以作龜。”“凡取龜用秋時,攻龜用冬時。”
《周官》に「およそ国の大事は、先に筮して後に卜す。およそ卜は、人君は体を看、大夫は色を看、士は墨を看る」「およそ人の卜事は、高きを看、火を揚げて以て亀を作す」「およそ亀を取るは秋の時を用い、亀を整治するは冬の時を用う」とあります。
○聖人
○聖人
聖人者何?聖者,通也,道也,聲也。道無所不通,明無所不照,聞聲知情,與天地合德,日月合明,四時合序,鬼神合吉凶。《禮別名記》曰:“五人曰茂,十人曰選,百人曰俊,千人曰英,倍英曰賢,萬人曰傑,萬傑曰聖。”
聖人とは何か。聖は通なり、道なり、声なり。道に通達せざるなく、明に照らさざるなく、声音を聞けば即ち情を知り、天地と徳を合し、日月と明を合し、四時と序を合し、鬼神と吉凶を合す。《礼別名記》に「五人は茂と曰い、十人は選と曰い、百人は俊と曰い、千人は英と曰い、英に倍するは賢と曰い、万人は杰と曰い、万杰は聖と曰う」とあります。
聖人未沒時,寧知其聖乎?曰知之。《論語》曰:“太宰問子貢曰:‘夫子聖者歟?’孔子曰:‘太宰知我乎?’”聖人亦自知聖乎?曰:知之。孔子曰:“文王既沒,文不在茲乎。”
聖人未だ去世せざる時、豈に彼の聖なるを知るや。曰く、知る。《論語》に「太宰、子貢に問う『夫子は聖人か』。孔子曰く『太宰は我を知るか』」とあります。聖人もまた自ら聖を知るや。曰く、知る。孔子曰く「文王すでに没し、文はここに在らずや」と。
何以知帝、王聖人也?《易》曰:“古者伏羲氏之王天下也,於是始作八卦。”又曰:“聖人之作易也。”又曰:“伏羲氏沒,神農氏作。神農沒,黃帝、堯、舜氏作。”文俱言作,明皆聖人也。《論語》曰:“聖乎堯舜,其由病諸。”
何を以て帝・王は聖人と知るや。《易》に「古、伏犧氏天下に王と称し、是に於て始めて八卦を作る」とあり、また曰く「聖人《易》を作る」とあり、また曰く「伏犧氏没し、神農氏興る。神農没し、黄帝・尭・舜氏興る」とあります。文は皆「作」と曰う、皆聖人なるを表明す。《論語》に「聖なること尭舜の如きも、蓋しなおこれらを憂う」とあります。
何以言禹、湯聖人?《論語》曰:“巍巍乎舜、禹之有天下而不預焉。”與舜比方巍巍,知禹、湯聖人。《春秋傳》曰:“湯以盛德,故放桀。”
何を以て禹・湯は聖人と言うや。《論語》に「巍巍乎、舜・禹の天下を有ちて預らざる」とあり、舜と比方して巍巍なれば、禹・湯は聖人と知る。《春秋伝》に「湯は盛徳を以て、故に桀を放つ」とあります。
何以言文王、武王、周公皆聖人?《詩》曰:“文王受命。”非聖不能受命。《易》曰:“湯武革命,順乎天。”湯武與文王比方。《孝經》曰:“則周公其人也。”下言“夫聖人之德,又何以加於孝乎?”
何を以て文王・武王・周公は皆聖人と言うや。《詩経》に「文王命を受く」とあり、聖に非ざれば命を受くること能わず。《易》に「湯武革命、天に順う」とあり、湯武は文王と比方す。《孝経》に「則ち周公其の人なり」とあり、下に曰く「夫れ聖人の徳、又何を以て孝に加えん」と。
何以言皋陶聖人也?以《自篇》曰:“若稽古皋陶”。聖人而能為舜陳道。“朕言惠可底行。”又:“旁施象刑,維明”。
何を以て皐陶は聖人と言うや。《皐陶謨》に「若し古を稽うれば皐陶」とあるを以てなり。聖人なればこそ能く舜のために道を陳説す。「朕が言、惠、行に底り可なり」とあり、また「旁ら象刑を施し、維れ明なり」と。
又聖人皆有表異,《傳》曰:“伏羲祿、衡連珠、唯大目、鼻龍伏,作《易》八卦以應樞。黃帝顏,得天匡陽,上法中宿,取象文昌。顓頊戴午,是謂清明,發節移度,蓋象招搖。帝嚳駢齒,上法月參,康度成紀,取理陰陽。堯眉八彩,是謂通明,曆象日月、璇璣玉衡。舜重瞳子,是謂玄景,上應攝提,以象三光。”
また聖人は皆表異あり、《伝》に「伏犧は禄・衡連珠にして、大目・鼻は龍伏に象り、《易》八卦を作りて以て枢に応ず。黄帝は顔、天匡陽を得、上は中宿に法り、象を文昌に取る。顓頊は午を戴く、此を清明と謂い、節を発し度を移し、象を招揺に取る。帝嚳は駢歯、上は月参に法り、康度紀を成し、取りて以て陰陽を治理す。尭は眉八彩、此を通明と謂い、象を日月・璇璣玉衡に歴す。舜は重瞳子、此を玄景と謂い、上は摂提に応じ、象を三光に取る」とあります。
《禮》曰:“禹耳三漏,是謂大通,興利除害,決河疏江。皋陶馬喙,是謂至誠,決獄明白,察於人情。湯臂三肘,是謂柳翼,攘去不義,萬民鹹息。文王四乳,是謂至仁,天下所歸,百姓所親。武王望羊,是謂攝揚,盱目陳兵,天下富昌。周公背僂,是謂強俊,成就周道,輔於幼主。孔子反宇,是謂尼甫,立德澤所興,藏元通流。”聖人所以能獨見前睹,與神通精者,蓋皆天所生也。
《礼》に「禹は耳三漏、此を大通と謂い、利を興し害を除き、河を決し江を疏す。皐陶は馬喙、此を至誠と謂い、獄を決し明白にして、人情に察す。湯は臂三肘、此を柳翼と謂い、不義を攘去し、万民皆安息す。文王は四乳、此を至仁と謂い、天下の帰する所、百姓の親する所。武王は望羊、此を摂揚と謂い、目を張り兵を陳じ、天下富昌す。周公は背僂、此を強俊と謂い、周道を成就し、幼主を輔佐す。孔子は反宇、此を尼甫と謂い、徳沢の興る所を立て、元を蔵し流を通ず」とあります。聖人が独自に預見し預め見ること能くし、神と通精する所以は、蓋し皆天の生ずる所なり。
○八風
○八風
風者何謂也?風之為言萌也,養物成功,所以象八卦。
風とは何の意か。風の意は萌なり、物を養い功を成し、以て八卦に象る。
陽立於五,極於九,五九四十五日變,變以為風,陰合陽以生風。距冬至四十五日條風至。條者,王也。四十五日明庶風至。明庶者,迎眾也。四十五日清明風至。清明者,青芒也。四十五日景風至。景大風,陽氣長養。四十五日涼風至。涼,寒也,行陰氣也。四十五日昌盍風至。戒收藏也。四十五日不周風至。不周者,不交也,陰陽未合化也。四十五日廣莫風。廣莫者,大也,同陽氣也。
陽は五に立ち、九に極まり、五九四十五日に一変し、変じて則ち風と為る、陰は陽に合して以て風を生ず。冬至に距ること四十五日にして条風至る。条は、王なり。四十五日にして明庶風至る。明庶は、衆を迎うるなり。四十五日にして清明風至る。清明は、青芒なり。四十五日にして景風至る。景は大風なり、陽気は長養す。四十五日にして涼風至る。涼は寒なり、陰気を行う。四十五日にして閶闔風至る。収蔵を警戒す。四十五日にして不周風至る。不周は、不交なり、陰陽未だ合化せず。四十五日にして広莫風。広莫は大なり、陽気に会同す。
故曰:條風至地暖,明庶風至萬物產,清明風至物形乾,景風至棘造實,涼風至黍禾乾,昌盍風至生薺麥,不周風至蟄蟲匿,廣莫風至則萬物伏。是以王者承順之,條風至則出輕刑、解稽留,明庶風至則修封疆、埋田疇,清明風至出幣帛、使諸侯,景風至則爵有德、封有功,涼風至報地德,化四鄉,昌盍風至則申象刑、飾倉,不周風至則築宮室、修城郭,廣莫風至則斷大辟、行獄刑。
故に曰く、条風至れば地暖かなり、明庶風至れば万物産出し、清明風至れば物形乾燥し、景風至れば棘実を結び、涼風至れば黍禾乾燥し、閶闔風至れば薺麦生長し、不周風至れば蟄虫蔵匿し、広莫風至れば則ち万物伏蔵す。これに因りて王者は之を承順す。条風至れば則ち刑罰を軽減し稽留を解除し、明庶風至れば則ち封疆を修め田疇を治理し、清明風至れば則ち幣帛を拿出し諸侯に出使し、景風至れば則ち徳ある者に爵を与え功ある者を封じ、涼風至れば則ち地徳に報答し四方を教化し、閶闔風至れば則ち象刑を申明し「(底本の此字は生僻字)」倉を整飾し、不周風至れば則ち宮室を築き城郭を修め、広莫風至れば則ち大辟を決断し獄刑を施行す。
○商賈
○商賈
商、賈何謂也?商之為言,商其遠近、度其有亡、通四方之物,故謂之商也。賈之為言固,固有其用物以待民來,以求其利者也。行曰商,止曰賈。《易》曰:“先王以至日閉關,商旅不行,後不省方。”《論語》曰:“沽之哉,我待賈者也。”即如是,《尚書》曰:“肇牽車牛,遠服賈用”?方言遠行可知也。方言欽厥父母,欲留供養之也。
商・賈とは何の意か。商の意は遠近を商量し有無を度量し四方の物を流通す、故に商と曰う。賈の意は固なり、己有の用物を固守して以て民の來るを待ち、利益を求取す。行走するを商と曰い、停住するを賈と曰う。《易》に「先王は至日に関を閉じ、商旅は行かず、后は再び四方を巡省せず」とあり、《論語》に「沽んかな、我は賈を待つ者なり」とあります。若し此の如し、《尚書》に「肇めて車牛を牽き、遠く賈用に服す」とあるは又如何。曰く、遠行と言えば則ち知るべし。厥の父母を欽と曰うは、留めて供養せんと欲するなり。
●卷七
●巻七
○文質
○文質
王者始立,諸侯皆見何?當受法稟正教也。《尚書》:“輯五瑞,覲四嶽。”謂舜始即位,見四方諸侯,合符信。《詩》云:“玄王桓撥,受小國是達,受大國是達。”言湯王天下,大小國諸侯皆來見,湯能通達以禮義也。《周頌》曰:“烈文闢公,錫茲祉福。”言武王伐紂定天下,諸侯來會,聚於京師受法度也。遠近莫不至,受命之君天之所興,四方莫敢違,夷狄鹹率服故也。
王者が剛く立てば、諸侯皆來り見ゆるはなぜでしょうか。法を受け正教を禀受すべきなればなり。《尚書》に「五瑞を輯め、四嶽に覲す」とあるは、舜が剛く位に即き、四方の諸侯に会見し、符信を合することを言うなり。《詩経》に「玄王桓撥、小国を受けてこれ達し、大国を受けてこれ達す」とあるは、湯が天下に王と称し、大小国の諸侯皆來り見え、湯は能く礼義を以て通達することを言うなり。《周頌》に「烈文たる辟公、茲の祉福を錫う」とあるは、武王が紂を伐ちて天下を安んじ、諸侯來り会し、京師に聚りて法度を受くるを言うなり。遠近に至らざるなきは、命を受けたるの君は天の興す所なれば、四方敢えて違わず、夷狄皆率服す。
何謂五瑞,謂、璧、琮、璜、璋也。《禮》曰:“天子尺有二寸。”又曰:“博三寸,剡上寸半,厚半寸。半為璋。方中圓外曰璧。半璧曰璜。圓中牙身玄外曰琮。《禮記王度》曰:“王者,有象君之德,燥不輕,溼不重,薄不澆,廉不傷,疵不掩,是以人君寶之。”天子之純玉尺有二寸。公侯九寸,四玉一石也。伯、子、男俱三玉二石也。
五瑞とは何か。是れ「(底本の此字は生僻字)」・璧・琮・璜・璋を言うなり。《礼》に「天子の「(底本の此字は生僻字)」は一尺二寸」とあり、また曰く「寛さ三寸、上は削ること一寸半、厚さ半寸。「(底本の此字は生僻字)」を半ばするは璋なり。方中円外を璧と曰う。半璧を璜と曰う。円中にして牙あり玄外なるを琮と曰う」と。《礼記王度》に「玉は、君の徳に象る所有り、乾燥にして軽からず、潮湿にして重からず、薄くして澆薄ならず、廉にして人を傷つけず、疵あって掩蓋せず、これに因りて人君これを宝愛す」とあります。天子の純玉は一尺二寸。公侯は九寸、四玉一石。伯・子・男は皆三玉二石。
五玉者各何施?蓋以為璜以徵召,璧以聘問,璋以發兵,以信質,琮以起土功之事也。
五玉は各々何処に用いるか。蓋し璜は以て徵召し、璧は以て聘問し、璋は以て兵を発し、「(底本の此字は生僻字)」は以て信質と為し、琮は以て土功の事を興起す。
以為信者何?者兌上,象物皆生,見於上也。信莫著於作見,故以為信,而見萬物之始,莫不自潔。之為言潔也,上兌陽也,下方陰也。陽尊,故其禮順備也。在位東方,陽見義於上也。
「(底本の此字は生僻字)」を以て信と為すはなぜでしょうか。「(底本の此字は生僻字)」の上端は尖鋭にして、物皆生長して上に顕現するに象る。信は顕現するより著なるはなし、故に「(底本の此字は生僻字)」を以て信と為し、而して万物の始めを見れば、自ら潔浄ならざるなし。「(底本の此字は生僻字)」の意は潔なり、上鋭は陽にして下方は陰なり。陽は尊し、故に礼順にして完備す。位置は東方に在り、陽の義は上に顕現す。
璧以聘問何?璧者,方中圓外,象地,地道安寧而出財物,故以璧聘問也。方中,陰德方也。圓外,陰繫於陽也。陰德盛於內,故見象於內,位在中央。璧之為言積也,中央,故有天地之象,所以據用也。內方象地,外圓象天也。
璧を以て聘問するはなぜでしょうか。璧は方中円外にして地に象り、地道は安寧にして財物を産出す、故に璧を以て聘問す。方中は、陰徳方正なり。円外は、陰が陽に繋るなり。陰徳内に盛んなれば、故に形象は内に見え、位置は中央に在り。璧の意は積なり、中央に天地の象ある所以は、以て据持して用うるなり。内方は地に象り、外円は天に象る。
璜所以徵召何?璜者,半璧,位在北方,北陰極而陽始起,故象半陰。陽氣始施,徵召萬物,故以徵召也。不象陰何?陽始物微,未可見。璜者,橫也,質尊之命也。陽氣橫於黃泉,故曰璜。璜之為言光也,陽光所及,莫不動也。象君之威命所加,莫敢不從,陽之所施,無不節也。
璜が徵召する所以はなぜでしょうか。璜は半璧にして、位置は北方に在り、北方は陰極まりて陽始めて興る、故に半陰に象る。陽気始めて施行し、万物を徵召す、故を以て徵召に用う。陰に象らざるはなぜでしょうか。陽始めの時、物なお微にして見えず。璜は横なり、質尊の命なり。陽気黄泉に横たわる、故に璜と曰う。璜の意は光なり、陽光の到る所、動かざるなし。君の威命の加わる所に象り、敢えて従わざるなく、陽の施行する所、節制せざるなし。
璋以發兵何?璋半,位在南方,南方陽極而陰始起,兵亦陰也,故以發兵也。不象其陰何?陰始起物尚凝,未可象也。璋之為言明也,賞罰之道,使臣之禮,當章明也。南方之時,萬物莫不章,故謂之璋。
璋を以て兵を発するはなぜでしょうか。璋は半「(底本の此字は生僻字)」にして、位置は南方に在り、南方は陽極まりて陰始めて興り、兵もまた陰なり、故を以て兵を発す。其の陰に象らざるはなぜでしょうか。陰始めて興る時、物なお凝結して以て象形すべからず。璋の意は明なり、賞罰の道・使臣の礼は、當に章明なるべし。南方の時は、万物章顕ならざるなし、故に璋と曰う。
琮以起土功發聚眾何?琮之為言聖也,象萬物之宗聚聖也,功之所成,故以起土功發眾也。位西方,西方陽收功於內,陰出城於外,內圓象陽,外直為陰,外牙而內湊,象聚會也,故謂之琮。後夫人之財也。
琮を以て土功を興起し衆を発動するはなぜでしょうか。琮の意は聖なり、万物の聖に宗聚し功の成就する所に象る、故を以て土功を興起し衆人を発動す。位置は西方に在り、西方は陽が内に在りて功を収め、陰が外に在りて城を成し、内円は陽に象り外直は陰と為し、外に牙ありて内に凑合し、聚会に象る、故に琮と曰う。是れ后夫人の財なり。
五玉所施非一,不可勝條,略舉大者也。
五玉の施用する所は一に止まらず、一一条列すること能わず、ただ略その大を挙ぐるのみ。
合符信者,謂天子執瑁以朝諸侯,諸侯執圭以覲天子。瑁之為言冒也,上有所覆,下有所冒。故《覲禮》曰:“侯氏執圭升堂。”《尚書大傳》:“天子執瑁以朝諸侯。”又曰:“諸侯執所受圭與璧朝於天子,無過者復得其以歸其拜,有過者留其圭,能正行者復還其。三年不復,少絀以爵。圭所以還何?以為琮信瑞也。璧所以留者,以財幣盡輒更造。何以言之?《禮》曰:“圭造尺八寸。”有造圭,門得造璧也。公圭九寸,四玉一石。何以知不以玉為四,器石持為也?以《尚書》合言五玉也。
符信を合するとは、天子は瑁を執りて以て諸侯に朝見し、諸侯は圭を執りて以て天子に覲見することを言うなり。瑁の意は冒なり、上に覆う所有り、下に冒する所有り。故に《覲礼》に「侯氏、圭を執りて堂に升る」とあり、《尚書大伝》に「天子、瑁を執りて以て諸侯に朝見す」とあり、また曰く「諸侯、受けたる所の圭と璧を持ちて天子に朝見す。過錯なきは再び「(底本の此字は生僻字)」を得て帰りて拝謝し、過錯あるは其の圭を留め、行を改正し得るは再び彼に「(底本の此字は生僻字)」を還す。三年「(底本の此字は生僻字)」還さざれば、則ち稍々爵を黜す」と。圭を還す所以はなぜでしょうか。琮は信瑞と考えるなり。璧を留むる所以は、財幣尽きれば再び造るを以てなり。何を以て此の如く言うや。《礼》に「圭は造ること一尺八寸」とあり、圭を造る有れば、門は能く璧を造る。公圭は九寸、四玉一石。何を以て玉を用いて四を為さず、器石別々に作ると知るや。《尚書》が合せて五玉と言うを以てなり。
臣見君所以有贄何?贄者,質也,質己之誠,致己之悃幅也。王者緣臣子心以為之制,差其尊卑,以副其意也。公、侯以玉為贄者,玉取其燥不輕,溼不重,公之德全,輕以羔者,取其群不黨。卿職在盡忠率下,不阿黨也。大夫以雁為贄者,取其飛成行,列。大夫職在以奉命之適四方,動作當能自正以事君也。士以雉為贄者,取其不可誘之以食,懾之以威,必死不可生畜。士行威守節死義,不當移轉也。《曲禮》曰:“卿羔、大夫以雁、士以雉為贄,庶人之贄匹,童子委贄而退。野外軍中無贄,以纓、拾、矢可也。”言必有贄也。匹謂鶩也。
臣が君に見ゆるに贄ある所以はなぜでしょうか。贄は質なり、己の誠を質実し、己の悃幅を表達す。王者は臣子の心に順い而して彼らのために制定し、尊卑を分別し、以て彼らの意に符合せしむ。公・侯は玉を以て贄と為す、玉は其の乾燥にして軽からず潮湿にして重からざるを取る、公の徳は完備す。軽きは羔を用う、其の群に合して党を結ばざるを取る。卿の職は忠を尽くし下属を率いるに在り、阿党せず。大夫は雁を以て贄と為す、其の飛んで行列を成すを取る。大夫の職は命を奉じて四方に至るに在り、動作は當に能く自ら端正して以て君に事奉すべし。士は雉を以て贄と為す、其の食を以て誘うべからず威を以て懾服すべからず、必ず死して生きて畜養すること能わざるを取る。士の行は威厳にして節を守り義に死す、転移すべからず。《曲礼》に「卿は羔を用い大夫は雁を用い士は雉を用いて贄と為し、庶人の贄は匹、童子は贄を放下して即ち退く。野外軍中は贄なく、纓・拾・矢を用うれば可なり」とあるは、必ず贄あるを言うなり。匹は鶩を言うなり。
卿、大夫贄,古以鹿今以羔、雁何?以為古者質,取其內,謂得美草鳴相呼;今文取其外,謂羔跪乳、雁有行列也。《禮?相見經》曰:“上大夫相見,以羔左顧右贄執。明古以鹿,今以羔也。卿、大夫贄變,君與士贄不變何?人君至尊,極美之物以為贄;士賤伏節死義,一介之道也,故不變。私相見亦有贄何?所以相尊敬,長和睦也。朋友之際,五常之道,有通財之義,振窮救急之意,中心好之,欲飲食之,故財幣者所以副至意也。《禮?士相見經》曰:“上大夫相見以雁。士冬以雉,夏以脯也。”
卿・大夫の贄、古は「(底本の此字は生僻字)」鹿を用い、今は羔・雁を用うるはなぜでしょうか。古は質朴にして其の内を取り、是れ美草を得れば則ち鳴叫して相呼ぶを言うなり。今は文にして其の外を取り、是れ羔は跪きて乳を食い雁は行列有るを言うなり。《礼・相見経》に「上大夫相見えば、羔を用い、左顧し右し、贄は「(底本の此字は生僻字)」を執る」とあるは、古は「(底本の此字は生僻字)」鹿を用い今は羔を用うるを表明す。卿・大夫の贄は変じ、君と士の贄は変わらざるはなぜでしょうか。人君は最も尊く、極美の物を以て贄と為す。士は賤しく、節を伏して義に死す、是れ一介の道なれば、故に変わらず。私下に相見るにも贄あるはなぜでしょうか。以て互相尊敬し、和睦を長養す。朋友の際は、五常の道にして、財を通ずるの義あり、窮を振い急を救うの意あり、中心に喜好して、彼に飲食を与えんと欲す、故に財幣を以て至意に符合せしむ。《礼・士相見経》に「上大夫相見るは雁を用う。士は冬は雉を用い夏は脯を用う」とあります。
婦人之制以棗栗暇修者,婦人無專制之義,御眾之任,交接辭讓之禮,職在供養饋食之間,其義一也。故後夫人以棗栗暇修者,凡內修陰也。又取其朝早起,栗戰忄栗自正也。暇修者,脯也。故《春秋傳》曰:“宗婦覿用幣,非禮也。然則棗栗云乎?暇修云乎?”
婦人の制度は棗・栗・腶修を用う。婦人は専制の義・衆を御するの任・交接辞譲の礼なく、職分は供養饋食の間に在り、義は一なればなり。故に后夫人は棗・栗・腶修を用う、およそ内にて修するは陰なり。また早朝早起を取り、栗は戦慄して自ら端正す。腶修は脯なり。故に《春秋伝》に「宗婦、進見に幣を用うるは、礼に非ず。然らば棗栗は如何、腶修は如何」とあります。
子見父無贄何?至親也,見無時,故無贄。臣之事君以義合也,得親供養,故質己之誠,副已之意,故有贄也。
子が父に見ゆるに贄なきはなぜでしょうか。是れ至親にして、相見るに定時なく、故に贄なし。臣が君に事奉するは義を以て相合し、能く親ら供養す、故に己の誠を質実し己の意に符合し、故に贄あり。
○三正
○三正
王者受命必改朔何?明易姓,示不相襲也。明受之於天,不受之於人,所以變易民心,革其耳目,以助化也。故《喪服大傳》曰:“王始起,改正朔、易服色、殊徽號、異器械、別衣服也。”是以禹舜雖繼太平,猶宜改以應天。王者改作樂,必得天應而後作何?重改制也。《春秋瑞應傳》曰:“敬受瑞應而王,改正朔,易服色。”《易》曰:“湯武革命,順乎天而應乎民”也。
王者が命を受けて必ず正朔を改正するはなぜでしょうか。姓を換えるを表明し、相沿袭せざるを表す。之を天に受くるを表明し、之を人に受くるに非ず、以て民心を変易し、其の耳目を革新して、教化を幇助せんがためなり。故に《喪服大伝》に「王剛く興れば、正朔を改め、服色を易え、徽号を殊にし、器械を異にし、衣服を別にす」とあります。これに因りて禹・舜は太平を継承すといえども、なお當に改めて以て天に応ずべし。王者が楽を改作するに、必ず天応を得て然る後に作るはなぜでしょうか。改制を重んずるなり。《春秋瑞応伝》に「瑞応を敬受して王と称し、正朔を改正し、服色を易う」とあり、《易》に「湯武革命、天に順い民に応ず」とあります。
文家先改正、質家先改正,質家先伐何?改正者文,伐者質。文家先其文,質者先其質。《論語》曰:“予小子履,敢用玄牡,敢昭告於皇王后帝。”此湯伐桀告天以夏之牲也。《詩》云:“命此文王,於周於京。”此言文王改號為周,易邑為京也。又曰:“清酒既載,も牡既備。”言文王之牲周も。周尚赤也。
文家は先に正を改め質家は先に正を改め、質家は先に伐つはなぜでしょうか。正を改むるは文なり、伐つは質なり。文家は其の文を先にし、質は其の質を先にす。《論語》に「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて皇王后帝に昭告す」とあるは、湯が桀を伐ちて天に告ぐるに、夏の牲を用いたるなり。《詩経》に「この文王に命す、周に于り京に于り」とあるは、文王が号を改めて周と為し邑を改めて京と為すを言うなり。また曰く「清酒すでに載せ、騂牡すでに備わる」とあるは、文王の牲は周の騂なるを言うなり。周は赤を崇尚す。
正朔有三何?本天有三統,謂三微之月也。明王者當奉順而成之,故受命各統一正也,敬始重本也。朔者,蘇也,革也,言萬物革更於是,故統焉。《禮三正記》曰:“正朔三而改,文質再而復也。”
正朔に三種あるはなぜでしょうか。もともと天に三統あり、是れ三微の月を言うなり。王者當に奉順して之を成就すべきを表明す、故に命を受けて各々一つの正に統一するは、始を敬い本を重んずるなり。朔は蘇なり、革なり、是れ万物この時に於て変革更改するを言う、故に統はここに在り。《礼三正記》に「正朔は三にして改まり、文質は再にして復る」とあります。
