白虎通义 · 第9巻
○崩薨
○崩薨
《書》曰:“成王崩。”天子稱崩何?別尊卑,異死生也。天子曰崩,大尊像,崩之為言,崩伏強天下,撫擊,失神明,黎庶殞涕,海內悲涼。諸侯曰薨,國失陽。薨之言奄也,奄然亡也。大夫曰卒,精耀終卒。卒之為言終於國也。士曰不祿,失其忠節,不忠終君之綠。綠之言消也,身消名彰。庶人曰死,魂去亡。死之為言澌,精氣窮也。崩、薨紀於國何?以為有尊卑之禮,諡號之制即有矣。禮始於黃帝,至舜堯而備。《易》言復者,據遂也。《書》殂落、死者矣,各自見義。堯皆僭痛之,舜見終,各一也。
《書》に「成王崩ず」とあります。天子は崩と称するはなぜでしょうか。尊卑を分別し、死生を区分す。天子を崩と曰うは、大尊の象なり、崩の意は崩伏して天下に强加し、撫撃し、神明を失い、黎庶は涙を落とし、海内悲涼たり。諸侯を薨と曰うは、国は陽を失う。薨の意は奄なり、奄然として亡去す。大夫を卒と曰うは、精耀終卒す。卒の意は国に終るなり。士を不禄と曰うは、忠節を失い、能く忠心に君を事うるの禄を終えざるなり。禄の意は消なり、身消えて名彰る。庶人を死と曰うは、魂離去して亡失す。死の意は澌なり、精気窮尽す。崩・薨は国に記載するはなぜでしょうか。尊卑の礼有りと考え、諡号の制度すでに有ればなり。礼は黄帝より始まり、舜尭に至りて備わる。《易》が復と言うは、遂に依拠す。《書》の殂落・死は、各々義を顕現す。尭は皆僭越して痛惜し、舜は終を見る、各々一種なり。
喪者,何謂也?喪者,亡。人死謂之喪何?言其亡,不可復得見也。不直言喪何?為孝子心不忍言。《尚書》曰:“武王既喪。”《喪終》曰:“死為室。”知據死者稱喪也,生者喪痛之亦稱喪。《禮》曰:“喪服斬衰。”《易》曰:“不封不樹,喪期無數。”《孝經》曰:“孝子之喪親也,是施生者也。”天子下至庶人,俱言喪何?欲言身體髮膚,俱受之父母,其痛一也。
喪とは何の意か。喪は亡なり。人の死を喪と曰うはなぜでしょうか。是れ其の亡びたるを言う、再び見ることを得べからざればなり。直ちに喪と言わざるはなぜでしょうか。孝子の心は言うに忍びざればなり。《尚書》に「武王すでに喪せり」とあり、《喪終》に「死は適室と為す」とあるは、死者に依拠して喪と称するを知る。生者の喪痛もまた喪と称す。《礼》に「喪服は斬衰」とあり、《易》に「封せず樹えず、喪期は数なし」とあり、《孝経》に「孝子の親を喪するや、是れ生者に施す」とあります。天子より下りて庶人に至るまで、皆喪と曰うはなぜでしょうか。身体髪膚は皆父母より之を受け、痛は一なりと言わんと欲するなり。
天子崩,計告諸侯何?緣臣子喪君,哀痛憤懣,無能不告語人者也。諸侯欲聞之,又當持土地所出以供喪事,故《禮》曰:“天子崩,遣使者計諸侯。”
天子崩じ、諸侯に訃告するはなぜでしょうか。臣子が君を喪するに順い、哀痛憤懣にして、人に告げざる能わざるなし。諸侯は聞かんと欲し、また當に土地の出づる所を以て喪事に供給すべし、故に《礼》に「天子崩ずれば、使者を派遣して諸侯に訃告す」とあります。
王者崩,諸侯悉奔喪何?臣子悲哀慟怛,莫不欲觀君父之棺柩,盡悲哀者也。又為天子守蕃,不可頓空也,故分為三部:有始死先奔者,有得中來盡其哀者,有得會喪奉送君者。七月之間,諸侯有在京師親供臣子之事者也,號泣悲哀奔走道路者,有居其國哭痛思慕,竭盡所供,以助喪事者。是四海之內鹹悲,臣下若喪考妣之義也。葬有會者,親疏遠近盡至,親親之義也。童諸侯不朝而來奔喪者何?明臣子於其君父,非有老少也,亦因喪質,無般旋之禮,但盡悲哀而已。
王者崩ずれば、諸侯皆奔喪するはなぜでしょうか。臣子は悲哀慟怛にして、君父の棺柩を見て哀を尽くさんことを欲せざるなし。また天子のために蕃を守り、一度に空しくすべからず、故に三部に分かつ。剛く死して先に奔る有り、能く中間に來りて哀を尽くす有り、能く喪に趕付きて君を奉送する有り。七月の間、諸侯に京師に在りて親ら臣子の事を供奉する有り、号泣して悲哀し道路を奔走する有り、自国に住して痛を哭し思慕して、供する所を竭くして以て喪事を助ける有り。是れ四海の内皆悲しみ、臣下は考妣を喪するが如きの義なり。葬に会有り、親疏遠近皆至るは、親親の義なり。童の諸侯は朝せずして來りて奔喪するはなぜでしょうか。臣子が君父に対するは、老少なきを表明す、亦た喪は質朴にして、盤旋の礼なく、ただ悲哀を尽くすのみを以てなり。
臣死亦赴告於君何?此君哀痛於臣子也,欲聞之加賻之禮。故《春秋》曰:“蔡侯考父卒。”《傳》曰:“卒赴而葬,禮也。”
臣死するも亦た君に赴告するはなぜでしょうか。是れ君の臣子を哀痛し、聞かんと欲し、賻を加うるの礼なり。故に《春秋》に「蔡侯考父卒す」とあり、《伝》に「卒して赴き葬るは、礼なり」とあります。
諸侯薨,赴告鄰國何?緣鄰國欲有禮也。《春秋傳》曰:“桓母喪,告於諸侯。”桓母賤尚告於諸侯,諸侯薨告鄰國,明矣。
諸侯薨じ、隣国に赴告するはなぜでしょうか。隣国の礼有らんと欲するに順うなり。《春秋伝》に「桓母喪し、諸侯に告ぐ」とあり、桓母は賤しといえどもなお諸侯に告ぐ、諸侯薨じて隣国に告ぐれば、則ち明らかなり。
諸侯夫人薨,告天子者,不敢自廢政事,天子亦欲知之當有禮也。《春秋》曰:“天子使宰喧來歸惠公仲子之。”譏不及事。仲子者,魯君之貴妾也,何況於夫人乎?
諸侯の夫人薨じ、天子に告ぐるは、自ら政事を廃弃することを敢えてせざるなり、天子もまた知らんと欲し當に礼有るべし。《春秋》に「天子、宰咺を遣わして惠公仲子の賵を帰らしむ」とあるは、事に及ばざるを譏る。仲子は魯君の貴妾なり、況んや夫人をや。
諸侯薨,使臣歸瑞於天子何?諸侯以瑞為信,今死矣,嗣子諒暗三年之後,當乃更爵命,故歸之,推讓之義也。《禮》曰:“諸侯薨,使臣歸瑞於天子。”
諸侯薨ずれば、臣を遣わして瑞圭を以て天子に帰還せしむるはなぜでしょうか。諸侯は瑞圭を以て信と為す、今や死せば、嗣子は諒闇三年の後、乃ち當に再び爵命を受くべし、故に帰還す、是れ推譲の義なり。《礼》に「諸侯薨ずれば、臣を遣わして瑞圭を以て天子に帰還せしむ」とあります。
天子聞諸侯薨,哭之何?慘怛發中,哀痛之至也。使大夫吊之,追遠重終之義也。故《禮?檀弓》曰:“天子哭諸侯,爵弁,純衣。”又曰:“遣大夫弔詞曰:‘皇天降災,子遭離之難,嗚呼哀哉!大王使臣某吊。’”
天子、諸侯の薨ずるを聞き、彼を哭するはなぜでしょうか。慘怛は中より発し、哀痛極まるなり。大夫を遣わして彼を吊うは、遠きを追い終を重んずるの義なり。故に《礼・檀弓》に「天子は諸侯を哭すに、爵弁・純衣」とあり、また曰く「大夫を派遣するの吊詞に曰く『皇天災を降し、爾離難に遭遇す、嗚呼哀しきかな!大王、臣某を遣わして來りて吊せしむ』」と。
臣子死,君往吊之何?親與之共治民,恩深義重厚,欲躬見之。故《禮?雜記》曰:“君吊臣,主人待於門外,見馬首不哭。君至,主人先入,君升自阼階,西向哭。主人居中庭,從哭。”或曰:“大夫疾,君問之無數;士疾,二問之而大夫卒,比葬,不食肉;比卒哭不舉樂。士比殯,不舉樂。”玄冠不以吊者,不以吉服臨人兇,示助哀也。《論語》曰:“羔裘,玄冠不以吊。”
臣子死せば、君往きて吊うはなぜでしょうか。親ら彼と共に民を治め、恩深く義重厚なり、親ら見んことを要す。故に《礼・雑記》に「君、臣を吊うに、主人は門外に待ち、馬頭を見て哭せず。君至れば、主人先に入り、君は阼階より升り、西に向かいて哭す。主人は中庭に在り、従いて哭す」とあります。或る人曰く「大夫に疾あれば、君は問うこと数無し。士に疾あれば、問うこと再び。大夫卒すれば、葬に至るまで肉を食せず、卒哭に至るまで楽を挙げず。士は殯に至るまで、楽を挙げず」と。玄冠は以て吊せず、吉服を以て人の凶に臨まず、哀を助くるを表す。《論語》に「羔裘、玄冠は以て吊せず」とあります。
崩薨三日乃小斂何?奪孝子之恩以漸也。一日之時,屬纊於口上,以候絕氣;二日之時,尚冀其生;三日之時,魂氣不返,終不可奈何。故《禮?士喪經》曰:“御者四人皆坐,持體屬纊,以候絕氣。”《禮》曰:“天子、諸侯,三日小斂;大夫、士二日小斂。”屬纊於口者,孝子欲生其親也。
崩薨三日にして始めて小斂するはなぜでしょうか。漸々孝子の恩を奪去す。一日の時は、纊を口の上に置き、気の絶ゆるを候う。二日の時は、なお其の活きんことを冀望す。三日の時は、魂気返らず、終に如何ともすべからず。故に《礼・士喪経》に「御者四人皆坐し、体を持し纊を属し、気の絶ゆるを候う」とあり、《礼》に「天子・諸侯は三日小斂、大夫・士は二日小斂」とあります。纊を口の上に置くは、孝子は其の親をして活きしめんと欲するなり。
人死必沐浴於中ニ何?示潔淨反本也《禮?檀弓》曰:“死於牖下,沐浴於中ニ,飯含於牖下,小斂於戶內,大斂於阼階,殯於客位,祖於庭,葬於墓,所以即遠也。”奪孝子之恩以漸也。所以有飯含何?緣生食今死不欲虛其口,故含。用珠寶物何也?有益死者形體,故天子飯以玉,諸侯以珠,大夫以米,士以貝也。
人の死には必ず中霤に於て沐浴するはなぜでしょうか。潔淨にして本に返るを表す。《礼・檀弓》に「牖下に死し、中霤に於て沐浴し、牖下に於て飯含し、戸内に於て小斂し、阼階に於て大斂し、客位に於て殯し、庭に於て祖し、墓に於て葬る、漸々遠去する所以なり」とあり、漸々孝子の恩を奪去す。飯含有る所以はなぜでしょうか。生きて食するに順い、今や死して其の口を空虚ならしめんことを欲せず、故に含す。珠宝物を用うるはなぜでしょうか。死者の形体に有益なれば、故に天子は玉を以て飯し、諸侯は珠を用い、大夫は米を用い、士は貝を用う。
贈礻遂,何謂也?贈之為言稱也,玩好曰贈;礻遂之為言遺也,衣被曰曰礻遂。知死者則贈礻遂,所以助生送死,追恩重終,副至意也。贈者,何謂也?贈者,助也也。所以相佐,給不足也。故弔詞曰:“知生則賻,貨財曰賻,車馬曰。”
贈襚とは何の意か。贈の意は称なり、玩好を贈と曰う。襚の意は遺なり、衣被を襚と曰う。死者を知れば則ち贈襚し、以て生者を助けて死を送り、恩を追い終を重んじ、至意に符合す。贈賵とは何の意か。贈は助なり。以て相互に佐助し、不足に供給す。故に吊詞に「生者を知れば則ち賻し、貨財を賻と曰い、車馬を賵と曰う」とあります。
天子七日而殯,諸侯五日而殯何?事有大小,所供者不等,故《王制》曰:“天子七日而殯,諸侯五日而殯,卿大夫三日而殯。”
天子は七日にして殯し、諸侯は五日にして殯するはなぜでしょうか。事に大小あり、供する所等しからず、故に《王制》に「天子は七日にして殯し、諸侯は五日にして殯し、卿大夫は三日にして殯す」とあります。
夏后氏殯於阼階,殷人殯於兩楹之間,周人殯於西階之上何?夏后氏教以忠,忠者厚也,曰生吾親也,死亦吾親也,主人宜在阼階。殷人教以敬,曰死者將去,又不敢客也,故置之兩楹之間,周人共夾而敬之。周人教以文,曰死者將去,不可又得,故賓客之也。《檀弓》記曰:“夏后氏殯於阼階,殷人殯於兩楹之間,周人殯於西階。”
夏后氏は阼階に於て殯し、殷人は両楹の間に於て殯し、周人は西階の上に於て殯するはなぜでしょうか。夏后氏は忠を以て教え、忠は厚なり、生きれば我が親、死しても亦た我が親と曰い、主人は當に阼階に在るべし。殷人は敬を以て教え、死者將に去らんとす、また敢えて客に當らずと曰い、故に両楹の間に置き、周人は共に挟みて彼を敬す。周人は文を以て教え、死者將に去らんとし、再び得べからずと曰い、故に賓客に當る。《檀弓》記に「夏后氏は阼階に殯し、殷人は両楹の間に殯し、周人は西階に殯す」とあります。
《稽命徵》曰:“天子舟車殯何?為避水火災也。故棺在車上,車在舟中。”臣子更執紼,晝夜常百二十二人。紼者,所以掌持棺也。故《禮》曰:“天子舟車殯,諸侯車殯,大夫攢塗,士瘞。”尊卑之差也。
《稽命征》に「天子は舟車を以て殯するはなぜでしょうか。水火灾を避くるがためなり。故に棺は車の上に在り、車は舟の中に在り」とあります。臣子は輪番に紼を執り、昼夜常に百二十二人。紼は以て棺を掌持す。故に《礼》に「天子は舟車殯、諸侯は車殯、大夫は攅塗、士は埋む」とあるは、是れ尊卑の差別なり。
祖於庭何?盡孝子之恩也。祖者,始也,始載於庭也。乘軸車辭祖禰,故名為祖載也。《禮》曰:“祖於庭,葬於墓。”又曰:“適祖,升自西階。”
庭に於て祖するはなぜでしょうか。孝子の恩を尽くす。祖は始なり、始めて庭に載す。軸車に乗りて祖禰に辞別す、故に祖載と名づく。《礼》に「庭に於て祖し、墓に於て葬る」とあり、また曰く「祖に適くに、西階より升る」と。
所以有棺槨何?所以掩藏形惡也,不欲令孝子見其毀壞也。棺之為言之貌,所以藏屍令貌全也;槨之為言廓,所以開廓闢土無令迫棺也。《禮?王制》曰:“天子棺槨九重,衣衾百二十稱於領;大度曰:“公侯五重,衣衾九十稱;士再重。”禮曰:“大夫有大棺三重,衣衾五十稱;士無大棺二重,衣衾三十稱。單備為一稱。”《禮?檀弓》曰:“天子棺四重,水光革棺被之,其厚三寸。地棺一,梓棺二,柏槨以端,長六尺。”
棺槨ある所以はなぜでしょうか。以て形体の悪を掩藏し、孝子をして毀壊を見しめんことを欲せず。棺の意は貌なり、以て尸を藏めて貌を保全せしむ。槨の意は廓なり、以て廓を開き土を辟けて、土をして棺に迫近せしめず。《礼・王制》に「天子の棺槨九重、衣衾百二十領に称す。大度に曰く、公侯は五重、衣衾九十称。士は再重」とあり、礼に曰く「大夫は大棺三重、衣衾五十称。士は大棺なし二重、衣衾三十称。単衾備わりて一称と為す」と。《礼・檀弓》に「天子の棺四重、水兕の革棺を以て覆い、厚さ三寸。杝棺一、梓棺二、柏槨は端を用い、長さ六尺」とあります。
有虞氏瓦棺,今以木何?虞尚質,故用瓦。夏后氏益文,故易之以┾周,謂┾木相周,無膠漆之周也。殷人棺槨有膠漆之用。周人浸文,牆置た,加巧飾。喪葬之禮,緣生以事死,生時無,死亦不敢造。太古之時,穴居野處,夜皮帶革,故死衣之以薪,內藏不飾。中古之時,有宮室、衣服,故衣之幣帛,藏以棺槨,封樹識表,體以象生。夏殷彌文,齊之以器械。至周大文,緣夫婦生時同室,死同葬之。
有虞氏は瓦棺を用い、今や木を用うるはなぜでしょうか。虞は質を崇尚し、故に瓦を用う。夏后氏は更に文を加え、故に聖周に換え、是れ木材相周匝し、膠漆の周なきを言うなり。殷人は棺槨に膠漆の用有り。周人は漸々文にして、墻上に翣を設置し、巧飾を加う。喪葬の礼は、生に順いで以て死に事え、生きる時無き者は、死しても敢えて造らず。太古の時は、穴居して野に処り、夜は皮帯革せり、故に死すれば薪を以て衣と為し、内蔵に飾を加えず。中古の時は、宮室・衣服有り、故に幣帛を以て衣と為し、棺槨に蔵し、封樹して以て標識と為し、体は以て生に象る。夏殷は更に文にして、器械を以て斉整す。周に至りて大文にして、夫婦の生きて同室・死して同葬するに順う。
屍柩者,何謂也?屍之為言失也,陳也,失氣亡神,形體獨陳;柩之為言究也,久也,不復章也。《曲禮》曰:“在床曰屍,在棺曰柩。”
尸柩とは何の意か。尸の意は失なり、是れ陳なり、気を失い神を亡失し、形体独り陳列す。柩の意は究なり、是れ久なり、再び章顕せず。《曲礼》に「床に在るを尸と曰い、棺に在るを柩と曰う」とあります。
崩、薨別號,至墓同,何也?時臣子藏其君父,安厝之義,貴賤同。葬之為言下藏之也。所以入地何?人生於陰,含陽光,死始入地,歸所與也。天子七月而葬,諸侯五月而葬何?尊卑有差也。天子七月而葬,同軌必至;諸侯五月而葬,同會必至,所以慎終重喪也。
崩・薨は名号を分別するに、墓に至りては相同じなるはなぜでしょうか。当時臣子は其の君父を蔵す、安厝の義は貴賤相同じ。葬の意は下に向かいて蔵すなり。地に入る所以はなぜでしょうか。人は陰に生まれ、陽光を含み、死して乃ち地に入り、与する所に帰す。天子は七月にして葬り、諸侯は五月にして葬るはなぜでしょうか。尊卑に差別あり。天子は七月にして葬れば、同軌必ず至り。諸侯は五月にして葬れば、同会必ず至る、以て終を慎み喪を重んずるなり。
《禮》曰:“冢人奉圖。先君之葬,君居以中,昭、穆為左右,群臣從葬,以貴賤序。”
《礼》に「冢人、図を奉上す。先君の葬は、君は中間に居り、昭・穆は左右に在り、群臣は従葬し、貴賤に按じて序次す」とあります。
合葬者何?所以固夫婦之道也。故《詩》曰:“谷則異室,死則同穴。”又《禮?檀弓》曰:“合葬,非古也,自周公已來未之有改也。”
合葬するはなぜでしょうか。以て夫婦の道を鞏固す。故に《詩経》に「穀すれば則ち室を異にし、死すれば則ち穴を同じくす」とあり、また《礼・檀弓》に「合葬は、古に非ず、周公以来改めず」とあります。
葬於城郭外何?死生別處,終始異居。《易》曰:“葬之中野。”所以絕孝子之思慕也。《傳》曰:“作樂於廟,不聞於墓;哭泣於墓,不聞於廟。”所以於北方何?就陰也。《檀弓》曰:“孔子卒,所以受魯君之璜玉葬魯城北。”又曰“於邑北北首,三代之達禮也。”
城郭の外に葬るはなぜでしょうか。死生は処を別にし、終始は居を同じくせず。《易》に「中野に葬る」とあり、以て孝子の思慕を断絶す。《伝》に「廟に於て楽を作れば、墓上には聞こえず。墓に於て哭泣すれば、廟には聞こえず」とあります。北方に在る所以はなぜでしょうか。陰に就くなり。《檀弓》に「孔子卒す、魯君の璜玉を受けたるを以て、魯城の北に葬る」とあり、また曰く「邑北に在り、頭は北に向かうは、三代通行の礼なり」と。
封、樹者,所以為識。故《檀弓》曰:“古也墓而不墳,今邱也。東西南北之人也,不可以不識也。於是封之,崇曰尺。”春秋《含文嘉》曰:“天子墳高三仞,樹以松;諸侯半之,樹以柏;大夫八尺,樹以欒;士四尺,樹以槐;庶人無墳,樹以楊柳。”
封・樹は、以て標識と為す。故に《檀弓》に「古は墓して墳せず、今や丘なるは、東西南北の人にして、標識なかるべからず。是に之を封じ、高さ一仞」とあり、春秋《含文嘉》に「天子の墳は高さ三仞、樹は松を用い。諸侯は半ば、樹は柏を用い。大夫は八尺、樹は欒を用い。士は四尺、樹は槐を用い。庶人は墳なし、樹は楊柳を用う」とあります。
