白虎通义 · 第8巻
遣女於禰廟者,重先人之遺支體也,不敢自專,故告禰也。父母親男女何?親親之至也。父曰:“誡之,敬之,夙夜無違命。”女必有端繡衣若笄之。母施襟結曰:“勉之,敬之,夙夜無違宮事。”父誡於阼階,母誡於西階,庶母及門內施ひ,祭糹由以母之命,命曰:“敬恭聽爾父母言,夙夜無愆。”視衿ひ。祭去不辭,誡不諾者,蓋恥之,重去也。
禰廟に於て女を遣るは、先人の遺留せる支体を重んじ、自ら専断することを敢えてせず、故に禰に告ぐ。父母が親ら男女を送るはなぜでしょうか。親親の極まるなり。父曰く「之を誡め、之を敬え、夙夜に命に違うなかれ」と。女に必ず端繍衣を笄を加うるがごとくせしむ。母は彼女に襟を施し帨を結び、曰く「之を勉め、之を敬え、夙夜に宮事に違うなかれ」と。父は阼階に於て告誡し、母は西階に於て告誡し、庶母は門内に至りて彼女に蔽膝を繋げ、祭述は母の命を用いて、命令して曰く「爾の父母の言を敬恭して聴け、夙夜に愆なかれ」と。衿と蔽膝を看る。祭り畢りて去りて告辞せず、告誡に答応せざるは、蓋し羞恥にして、去るを重んずるなり。
《禮》曰:“嫁女之家,不絕火三日,思相離也。娶婦之家,三日不舉樂,思嗣親也。”感親年衰老代至也。《禮》曰:“婚禮不賀,人之序也。”
《礼》に「女を嫁がすの家は、三日火を熄めず、相分離するを思念す。婦を娶るの家は、三日楽を挙げず、双親を接続するを思念す」とあり、双親の年衰老し替代来るを感傷す。《礼》に「婚礼は賀せず、是れ人の次序なり」とあります。
授綏,姆辭曰:“未教,未乞與為禮也。”始親迎,於詞曰:“吾子命某以茲初昏,使某將請承命。”主人曰:“某故敬具以酒。”父命醮子,遣之迎,命曰:“往迎爾相,承我宗事,率以敬先妣之嗣,若則有常。”子曰:“諾,惟恐不堪,不敢忘命。”
綏を授るに、姆の辞曰く「未だ教えず、未だ彼と礼を行わんことを乞わず」と。始めて親迎するに、詞曰く「吾子、某に命じて此の初昏に於て、某を遣わして將に命を承けんことを請わしむ」と。主人曰く「某、これに因りて敬して酒を備う」と。父命じ、子を醮し、彼を遣わして迎えんことを、命令して曰く「往きて汝の輔助を迎え、我が宗事を承奉し、彼女を率いて先妣の嗣続を敬奉せよ、汝則ち常規有るべし」と。子曰く「諾、ただ勝任し得ざるを恐れ、敢えて命を忘れず」と。
娶妻不先告廟到者,示不必安也。婚禮請期,不敢必也。婦入三月,然後祭行。舅姑既歿,亦婦入三月,奠採於廟。三月一時,物有成者,人之善惡可得知也。然後可得事宗廟之禮。曾子曰:“女未廟見而死,歸葬於女氏之黨,示未成婦也。”
妻を娶るに先に廟に告げずして至るは、必ずしも安からざるを表す。婚礼に期を請うは、敢えて必定せず。婦入りて三箇月、然る後に祭祀して事を行う。舅姑すでに去世せば、亦た婦入りて三箇月、廟に於て菜を奠す。三箇月は一時令にして、物に成就有り、人の善悪は知るべし。然る後に乃ち宗廟に事奉するの礼を得。《曾子》曰く「女、未だ廟見せずして死せば、女氏之党に帰葬す、未だ婦と為らざるを表す」と。
嫁娶必以春者?春天地交通,萬物始生,陰陽交接之時也。《詩》云:“士如歸妻,迨冰未泮。”《周官》曰:“仲春之月,合會男女。令男三十娶,女二十嫁。”《夏小正》曰:“二月,冠子娶婦之時。”
嫁娶は必ず春に於てするはなぜでしょうか。春は天地交通し、万物始めて生長す、是れ陰陽交接の時なり。《詩経》に「士、妻に帰せば、氷の未だ泮せざるに迨れ」とあり、《周官》に「仲春の月、男女を会合せしむ。男は三十にして娶り、女は二十にして嫁ぐことを令す」とあり、《夏小正》に「二月は、是れ子を冠し婦を娶るの時なり」とあります。
夫有惡行,妻不得去者,地無去天之義也。夫雖有惡,不得去也。故《禮?郊特牲》曰:“一與之齊,終身不改。”悖逆人倫,殺妻父母,廢絕綱紀,亂之大者,義絕乃得去也。
夫に悪行ありても、妻は離去すること能わず、地に天を離るるの義なければなり。夫悪ありといえども、亦た離去すること能わず。故に《礼・郊特牲》に「一たび之と斉しければ、終身改めず」とあります。人倫に悖逆し、妻の父母を殺し、綱紀を廃絶するは、乱の中の最大なり、義絶して乃ち離去すること能くす。
天子、諸侯,一娶九女者何?重國廣繼嗣也。適也者何?法地有九州,承天之施,無所不生也。娶九女,亦足以成君施也。九而無子,百亦無益也。《王度記》曰:“天子,一娶九女。”《春秋公羊傳》曰:“諸侯娶一國,則二國往媵之,以侄娣從之。”侄者何?兄之子也。娣者何?女弟也。
天子・諸侯が一娶に九女を娶るはなぜでしょうか。国家を重んじ継嗣を推広す。嫡とは何か。地に九州あるに取法し、天の施予を承け、生ぜざる所なし。九女を娶るも、また君の施予を成就するに足り。九人子無ければ、百人もまた益なし。《王度記》に「天子は一娶に九女」とあり、《春秋公羊伝》に「諸侯、一国を娶れば、則ち二国往きて媵し、姪娣を帯びて隨従す」とあります。姪とは何か。兄の女なり。娣とは何か。女弟なり。
或曰:天子娶十二女,法天有十二月,萬物必生也。必一娶何?防淫也,為其棄德嗜色,故一娶而已,人君無再娶之義也。
或る人曰く、天子は十二女を娶る、天に十二月あるに取法し、万物必ず生長す。必ず一娶するはなぜでしょうか。淫「(底本の此字は生僻字)」を防止す、其の徳を棄て色を嗜好せんことを怕れば、故に一娶するのみ、人君に再娶の義なし。
備侄娣從者,為其必不相嫉妒也。一人有子,三人共之,若己生之。不娶兩娣何?博異氣也。娶三國女何?廣異類也。恐一國血脈相似,俱無子也。侄娣年雖少,猶從適人者,明人者。明人君無再娶之義也。還待年於父母之國,未任答君子也。《詩》云:“侄娣從之,祁祁如雲。韓侯顧之,爛其盈門。”《公羊傳》曰:“叔姬歸於紀。”明待年也。二國來媵,誰為尊者?大國為尊,國等以德,德同以色。質家法天尊左,文家法地尊右。
姪娣を備斉して隨従せしむるは、彼らは必ず互相嫉妬せざればなり。一人子あれば、三人共にす、己の生めるが如し。二娣を娶らざるはなぜでしょうか。異なる気を広博す。三国の女を娶るはなぜでしょうか。異なる類を推広す。一国の血脉相似たるを怕り、皆子なからん。姪娣の年紀小なしといえども、なお従いて人に適く、人君に再娶の義なきを表明す。なお父母の国に在りて年歳を待ち、未だ君子に応答すること能わず。《詩経》に「姪娣之に従い、祁々として雲の如し。韓侯之を顧み、爛として門に盈つ」とあり、《公羊伝》に「叔姫、紀に帰す」とあるは、年歳を待つを表明す。二国來りて媵する、誰を尊と為すか。大国を尊と為し、国相ひ等しければ則ち徳を比べ、徳相同じければ則ち色を比ぶ。質家は天に取法して左を尊び、文家は地に取法して右を尊ぶ。
所以不聘妾何?人有子孫,欲尊之義,義不可求人以為賤也。《春秋傳》曰:“二國來媵。”可求人為士,不可求人為妾何?士即尊之漸,賢,不止於士,妾雖賢,不得為。
妾を聘せざる所以はなぜでしょうか。人に子孫あり、尊ぶの義を要せんと欲すれば、義上に於て人を求めて以て賤と為すべからず。《春秋伝》に「二国來りて媵す」とあります。人を求めて士と為すは可なり、人を求めて妾と為すは不可なりはなぜでしょうか。士は即ち尊の開端にして、賢なれば、士に止まらず。妾は賢なりといえども、亦た嫡と為ること能わず。
娶妻卜之何?卜女之德,知相宜否。《昏禮經》曰:“將加諸卜,敢問女為誰氏也。”
妻を娶るに卜するはなぜでしょうか。女の徳を卜し、宜しきか否かを知る。《昏礼経》に「將に上に於て卜せんとす、敢えて女は誰氏なるかを問わん」とあります。
人君及宗子父母,自定娶者,卑不主尊,賤不主貴,故自定之也。《昏禮經》曰:“親皆沒,己聘命之。”《詩》云:“文定厥祥,親迎於渭。”
人君及び宗子の父母は、自ら娶るを決定す、卑は尊を主管せず、賤は貴を主管せざれば、故に自ら決定す。《昏礼経》に「双親皆没せば、自ら聘命す」とあり、《詩経》に「文、その祥を定め、渭に於て親迎す」とあります。
大夫功成受封,得備八妾者,重國廣繼嗣也。不更聘大國者,不忘本也。故《禮》曰:“納女於諸侯,曰:備掃灑。”天子、諸侯之世子,皆以諸侯禮娶,與君同,示無再娶之義也。
大夫功成就して封を受け、能く八妾を備うるは、国家を重んじ継嗣を推広す。再び大国を聘せざるは、本嫡を忘れざるなり。故に《礼》に「諸侯に女を納るるに、曰く掃洒を備えんと」とあります。天子・諸侯の世子は、皆諸侯の礼を以て娶る、君と相同じ、再娶の義なきを表す。
王者之娶,必先選於大國之女,禮儀備,所見多。《詩》云:“大邦有子,亻見天之妹。文定厥祥,親迎於渭。”明王者必娶大國也。《春秋》曰:“紀侯來朝。”紀子以嫁女於天子,故增爵稱侯,至數十年之間,紀侯無他功,但以子為天王后,故爵稱侯。知雖小國者必封以大國,明其尊所不臣也。王者娶及庶人者何?開天下之賢示不遺善也。故《春秋》曰:“紀侯來朝。”文加為侯,明封之也,先封之,明不與聖人交禮也。
王者が妻を娶るに、必ず先に大国の女を選ぶは、礼儀完備にして見る所の多ければなり。《詩経》に「大邦に子あり、天の妹を倪す。文、その祥を定め、渭に於て親迎す」とあるは、王者は必ず大国を娶るを表明す。《春秋》に「紀侯來朝す」とあり、紀子は女を以て天子に嫁せしめたるに因り、故に爵を増して侯と称し、数十年の間に至るまで、紀侯は別の功なく、ただ女児の天王の后と為りしを以てのみ、故に爵は侯と称す。小国なりといえども必ず大国を以て封ずるを知る、其の臣とせざる所を尊ぶを表明す。王者が庶人に及びて娶るはなぜでしょうか。天下の賢を開通し、善を遺漏せざるを表す。故に《春秋》に「紀侯來朝す」とあり、文は加えて侯と為すは、彼を封じたるを表明し、先に彼を封ずるは、聖人と交接して礼を行わざるを表明す。
女行虧缺而去其國,如之何以封為諸侯比例矣。諸侯所以不得自趣國中何?諸侯不得專封,義不可臣其父母。《春秋傳》曰:“宋三代無大夫,惡其內娶也。”
女の行が虧缺して其の国を離るるに、封を以て諸侯と為すを如何せんや、比况す。諸侯が自ら国中に趨向すること能わざる所以はなぜでしょうか。諸侯は封を専らにすること能わず、義上に於て父母を以て臣と為すべからず。《春秋伝》に「宋は三代大夫なし、其の内娶を悪む」とあります。
不娶同姓者,重人倫,防淫,恥與禽獸同也。《論語》曰:“君娶於吳為同姓,謂之吳孟子。”《曲禮》曰:“買妾不知姓則卜之。”外屬小功已上亦不得娶也,以《春秋傳》曰:“譏娶母黨也。”
同姓を娶らざるは、人倫を重んじ、淫「(底本の此字は生僻字)」を防止し、禽獣と相同じくするを羞恥す。《論語》に「君、呉に娶るは同姓なり、之を呉孟子と謂う」とあり、《曲礼》に「妾を買うに姓を知らざれば則ち卜す」とあります。外属小功以上も亦た娶ること能わず、《春秋伝》に「母党を娶るを譏る」とあるを以てなり。
王者嫁女必使同姓諸侯主之何?婚禮貴和,不可相答,為傷君臣之義,亦欲使女不以天子尊乘諸侯也。《春秋傳》曰:“天子嫁女於諸侯,必使諸侯同姓者主之;諸侯嫁女於大夫,使大夫同姓者主之。”以其同宗共祖可以主親也,故使攝父事。不使同姓卿主之何?尊加諸侯,為威厭不得舒也。
王者が女を嫁がすに必ず同姓の諸侯をして主婚せしむるはなぜでしょうか。婚礼は和を重んじ、相答礼すべからず、君臣の義を傷害せんがためなり、また女をして天子の尊に凭りて諸侯を凌駕せしめざらんと欲す。《春秋伝》に「天子、諸侯に女を嫁がするに、必ず同姓の諸侯をして主婚せしむ。諸侯、大夫に女を嫁がするに、同姓の大夫をして主婚せしむ」とあるは、同宗共祖は親事を主持すべきを以て、故に彼をして父の事を代理せしむ。同姓の卿をして主婚せしめざるはなぜでしょうか。尊は諸侯の上に加わり、威圧して彼をして舒展すること能わざらしむ。
不使同姓諸侯就京師主之何?諸侯親迎入京師,當朝天子,為禮不兼。《春秋傳》曰:“築王姬觀於外。”明不往京師也。
同姓の諸侯をして京師に至りて主婚せしめざるはなぜでしょうか。諸侯が親迎して京師に入れば、當に天子に朝見すべく、礼は兼ねて行うこと能わず。《春秋伝》に「外に於て王姫の館を築く」とあるは、京師に至らざるを表明す。
所以必更築觀者何?尊之也,不於路寢,路寢本所以行政處,非婦人之居也。小寢則嫌群公子之舍則已卑矣,故必改築於城郭之內。《傳》曰:“築之,禮也。於外,非禮也。”
必ず別に館を築く所以はなぜでしょうか。彼女を尊ぶなり。路寝に在らざるは、路寝はもともと行政の処所にして、婦人の居処する所に非ざればなり。小寝は則ち群公子の舎に嫌はれてすでに卑下なり、故に必ず城郭の内に改築す。《伝》に「築くは礼なり。外に於てするは、礼に非ず」とあります。
卿、大夫一妻二妾者何?尊賢重繼嗣也。不備侄娣何?北面之臣賤,不足盡執人骨肉之親。《禮?服經》曰:“貴臣貴妾。”明有卑賤妾也。士一妻何?下卿大夫禮。《喪服小記》曰:“士妾有子,則為之緦。”
卿・大夫は一妻二妾なりはなぜでしょうか。賢を尊び継嗣を重んず。姪娣を備えざるはなぜでしょうか。北面の臣は賤しく、人家の骨肉の親を尽く取るに足らず。《礼・服経》に「貴臣貴妾」とあるは、卑賤の妾有るを表明す。士は一妻なりはなぜでしょうか。卿大夫の礼より下るなり。《喪服小記》に「士の妾に子あれば、則ち彼女のために緦を服す」とあります。
聘嫡夫往而死,媵當往否乎?人君不再娶之義也。天命不可保,故一娶九女。以《春秋》伯姬卒,時娣季姬更嫁曾阝,《春秋》譏之。夫人死後更立夫人者,不敢以卑賤承宗廟。自立其娣者,尊大國也。《春秋傳》曰:“叔姬歸於紀。”叔姬者,伯姬之娣也。伯姬卒,叔姬升於嫡,《經》不譏也。或曰:嫡死不復更立,明嫡無二,防篡煞也。祭宗廟攝而已。以禮不聘為妾,明不升。
嫡を聘して夫が往きて死せば、媵は當に往くべきか。人君に再娶せざるの義あり。天命は保つべからず、故に一娶に九女。《春秋》に伯姫卒すとあるを以て、当時娣季姫は鄫に改嫁し、《春秋》之を譏る。嫡夫人が死して別に夫人を立つるは、卑賤を以て宗廟を承奉するを敢えてせざるなり。自ら其の娣を立つるは、大国を尊ぶなり。《春秋伝》に「叔姫、紀に帰す」とあり、叔姫は伯姫の娣なり。伯姫卒し、叔姫升りて嫡と為る、《経》は譏らず。或る人曰く、嫡死すれば再び別に立てず、嫡に二なきを表明し、篡殺を防止す。宗廟を祭るはただ攝理するのみ。礼に按じて聘して妾と為さず、升らざるを表明す。
《曾子問》曰:“昏禮既納幣,有吉日,女之父母死,何如?孔子曰:“婿使人吊之,如婿之父母死,女亦使人吊之。父喪稱父,母喪稱母。父母不在,則稱伯父、世尊。婿已葬,婿之伯父、叔父使人致命女氏曰:某子有父母之喪,不得嗣為兄弟,使某致命。女氏許諾不敢嫁,禮也。婿免喪,女父使人請,婿不娶而後嫁之,禮也。女之父母死,婿亦如之。’”
《曾子問》に「婚礼すでに幣を納め、吉日有りて、女の父母死せば、如何」。孔子曰く「婿、人を遣わして吊す。婿の父母死するが如く、女もまた人を遣わして吊す。父の喪は父を称し、母の喪は母を称す。父母在らざれば、則ち伯父・世母を称す。婿すでに葬り、婿の伯父・叔父は人を遣わして女氏に致命して曰く、某の子に父母の喪あり、継続して兄弟を為すこと能わず、某を遣わして致命せしむ、と。女氏は嫁がざるを敢えてせずと許るは、礼なり。婿が喪を除き、女の父は人を遣わして請う、婿娶らずして然る後彼女を嫁がすは、礼なり。女の父母死せば、婿もまた此の如し」とあります。
婦人所以有師何?學事人之道也。《詩》云:“言告師氏,言告言歸。”《昏禮經》曰:“告於公宮三月,婦人學一時,足以成矣。”與君無親者,各教於宗廟婦之室。國君取大夫之妾、士之妻老無子者而明於婦道,又祿之,使教宗室五屬之女,大夫、士皆有宗族,自於宗子之室學事人也。女必有傅姆何?尊之也。《春秋傳》曰:“傅至矣,姆未至。”
婦人に師ある所以はなぜでしょうか。人に事奉するの道を学習す。《詩経》に「師氏に言告げ、言告げて帰ると言う」とあり、《昏礼経》に「公宮に於て告ぐること三箇月、婦人が一時令を学べば、成就するに足り」とあります。君と親なき者は、各々宗廟婦の室に於て教を受く。国君は大夫の妾・士の妻の年老いて子なくして婦道に明らかなるを取り、また彼女に禄を与え、彼女をして宗室五属の女を教えしむ。大夫・士は皆宗族あり、自ら宗子の室に於て人に事奉するを学習す。女に必ず傅姆あるはなぜでしょうか。彼女を尊ぶなり。《春秋伝》に「傅至る、姆未だ至らず」とあります。
婦人學事舅姑,不學事必父母者,示婦與夫一體也。《禮?內則》曰:“妾事夫人如事舅姑,尊嫡絕妒嫉之原。”《禮?服傳》曰:“妾事女君與事舅姑同也。”婦事夫有四禮焉:雞初鳴,鹹盥漱,櫛縱笄總而朝,君臣之道也;惻隱之恩,父子之道也;會計有無,兄弟之道也;閨閫之內,衽席之上,朋友之道也。聞見異詞,故設此也。
婦人は舅姑に事奉するを学習し、必ず父母に事奉するを学習せざるは、婦が夫と一体なるを表す。《礼・内則》に「妾は夫人に事奉すること舅姑に事奉するが如く、嫡を尊び妒嫉の源を断絶す」とあり、《礼・服伝》に「妾は女君に事奉すること舅姑に事奉するに相同じ」とあります。婦が夫に事奉するに四礼あり。鶏剛く鳴けば、皆盥漱し、梳篦し笄を加え総を束ねて朝見するは、君臣の道なり。惻隠の恩は、父子の道なり。有無を会計するは、兄弟の道なり。閨閫の内・衽席の上は、朋友の道なり。聞き見るに言詞同じからざれば、故に此れらを設立す。
有五不娶:亂家之子不娶,逆家之子,世有刑人,惡疾,喪婦長子,此不娶也。
五不娶あり。乱家の子女は娶らず、逆家の子女、世々刑を受くる人有り、悪疾、婦を喪える長子、此れらは娶らず。
出婦之義,必送之。接以賓客之禮,君子絕愈於小人之交。《詩》云:“薄送我畿。”
出婦の義は、必ず彼女を送る。賓客の礼を以て接待す、君子の交を絶つは小人の交往に勝るなり。《詩経》に「薄く我を畿に送る」とあります。
天子妃謂之後何?後君也。天下尊之妃至尊,故謂之後,明海內小人之君子也,天下尊之,故系王言之。《春秋傳》曰:“迎王后於紀。”國君之妻稱之曰夫人何?明當扶進夫人,謂八妾也。國人尊之,故稱君夫人也。自稱小童者,謙也,言己智能寡少如童蒙也。《論語》曰:“國君之妻,稱之曰夫人,夫人自稱曰小童,國人稱之曰君夫人,稱諸異邦曰寡小君。”謂聘問兄弟之國及臣他國稱之。謙之詞也。
天子の妃を后と曰うはなぜでしょうか。后は君なり。天下は此の妃を尊ぶこと至尊に至る、故に后と曰う、海内小人中の君子なるを表明す、天下之を尊ぶ、故に王に繋げて言うなり。《春秋伝》に「紀に至りて王后を迎う」とあります。国君の妻は彼女を夫人と称するはなぜでしょうか。當に夫人を扶進すべきを表明す、是れ八妾を言う。国人は彼女を尊び、故に君夫人と称す。自ら小童と称するは、謙なり、自ら言うに智能寡少にして童蒙の如しと。《論語》に「国君の妻は、之を称して夫人と曰い、夫人は自ら称して小童と曰い、国人は之を称して君夫人と曰い、諸の異邦に称して寡小君と曰う」とあるは、聘問して兄弟の国に及び臣の他国に在りて称呼するを言う、是れ謙の詞なり。
妻者,何謂?妻者,齊也,與夫齊體,自天子下至庶人其義一也。妾者,接也,以時接見也。
妻とは何の意か。妻は斉なり、夫と体を斉しくす、天子より下りて庶人に至るまで義は一なり。妾は接なり、時に按じて接見す。
嫁娶者,何謂也?嫁者,家也,婦人外成,以出人為家。娶者,取也。男女謂男者,任也,任功業也;女者,如也,從如人也。在家從父母,既嫁從夫,夫歿從子也。《傳》曰:“婦人有三從之義也。”夫婦者,何謂也?夫者,扶也,扶以人道者也;婦者,服也,服於家事,事人者也。配疋者何?謂相與為偶也。婚姻者,何謂也?昏時行禮,故謂之婚也,婦人因夫而成;故曰姻。《詩》云:“不惟舊因。”謂夫也。又曰:“燕爾新婚。”謂婦也。所以昏時行禮何?示陽下陰也,婚亦陰陽交時也。
嫁娶とは何の意か。嫁は家なり、婦人は外に於て成就す、出でて人に適きて以て家と為すればなり。娶は取なり。男女:男は任なり、功業を担任す。女は如なり、従い人に如す。家に在れば父母に従い、すでに嫁せば夫に従い、夫死すれば子に従う。《伝》に「婦人に三従の義あり」とあります。夫婦とは何の意か。夫は扶なり、人道を以て扶ぐ。婦は服なり、家事に服し人に事奉す。匹配とは何か。是れ相配偶するを言うなり。婚姻とは何の意か。昏の時に礼を行う、故に婚と曰う、婦人は夫に因りて成就す、故に姻と曰う。《詩経》に「惟れ旧因ならず」とあるは、夫を言うなり。また曰く「燕爾新婚」とあるは、婦を言うなり。必ず昏の時に礼を行う所以はなぜでしょうか。陽が陰に下るを表す、婚もまた陰陽交接の時なり。
男子六十閉房何?所以輔衰也,故重性命也。又曰:父子不同礻施。為亂長幼之序也。《禮?內則》曰:“妾雖老,未滿五十,必預五日之御,滿五十不御,俱為助衰也。至七十大衰,食非肉不飽,寢非人不暖;七十復開房也。”
男子は六十にして房を閉ずるはなぜでしょうか。以て衰弱を輔助し、故に性命を重んず。又曰く、父子は席を同じくせず。長幼の序を乱さざらんがためなり。《礼・内則》に「妾は老いたるといえども、五十に満たざれば、必ず五日の御に参預す。五十に満てば御せず、皆衰を助くるがためなり。七十に至りて大いに衰え、食は肉に非ざれば飽かず、睡は人に非ざれば温まらず。七十は再び房を開く」とあります。
●卷十
●巻十
○紼冕
○紼冕
紼者,何謂也?紼者,蔽也,行以蔽前,紼蔽者小。有事因以別尊卑,彰有德也。天子朱紼,諸侯赤紼。《詩》云:“朱紼斯皇,室家君王。”又云:“赤紼金舄,會同有繹。”又云:“赤紼在股。”皆謂諸侯也。《書》曰:“黼黻衣,黃朱紼。”亦謂諸侯也。並見衣服之制,故遠別之,謂黃朱亦赤矣。大夫蔥衡,別於君矣。天子大夫赤紱蔥衡,士。朱赤者,或盛色也,是以聖人塗法之用為紼服,為百王不易也。紼以韋為之者,反古不忘本也。上廣一尺,下廣二尺,天一地二也;長三尺,法天、地、人也。
紼とは何の意か。紼は蔽なり、行走する時前面を遮蔽す。紼蔽は小なり。事有りて因りて尊卑を分別し、徳有るを彰顯す。天子は朱紼、諸侯は赤紼。《詩経》に「朱紼斯に皇たり、室家君王」とあり、また曰く「赤紼金舄、会同繹々あり」とあり、また曰く「赤紼股に在り」とあるは、皆諸侯を言うなり。《書》に「黼黻の衣、黄朱の紼」とあるも、亦た諸侯を言うなり。併せて衣服の制度を見る、故に遠く分別し、黄朱と曰うも亦た赤なり。大夫は葱衡、君と別あり。天子の大夫は赤紱葱衡、士は「(底本の此字は生僻字)」「(底本の此字は生僻字)」。朱赤は、或る時は盛色なり、これに因りて聖人取法して以て紼服と為す、是れ百王の易えざるなり。紼は韋を以て作るは、古に返りて本を忘れざるなり。上の寛さ一尺、下の寛さ二尺、天一地二なり。長さ三尺、天・地・人に取法す。
所以有冠者卷也?所以卷持其發也。人懷五常,莫不貴德,示成禮有修飾首,別成人也。《士冠經》曰:“冠而字之,敬其名也。”《論語》曰:“冠者五六人,童子六七人。”禮所以十九見正而冠何?漸三十之人耳。男子陽也,成於陰,故二十而冠,《曲禮》曰:“二十弱冠。”言見正。何以知不謂正月也?以《禮?士冠經》曰:“夏葛屨,冬皮屨。”明非歲之正月也。
冠ある所以は、「(底本の此字は生僻字)」か。以て「(底本の此字は生僻字)」頭髪を持住す。人は五常を懐き、徳を貴ばざるなし、礼を成就し首に修飾有るを表し、成人を分別す。《士冠経》に「冠して之に字す、其の名を敬するなり」とあり、《論語》に「冠者五六人、童子六七人」とあります。礼が十九にして正を見て冠する所以はなぜでしょうか。漸々三十の人に近づくのみ。男子は陽にして、陰に於て成る、故に二十にして冠す。《曲礼》に「二十にして弱冠」とあるは、正を見るを言うなり。何を以て正月を言うに非ざるを知るや。《礼・士冠経》に「夏は葛屨、冬は皮屨」とあるを以て、歳の正月に非ざるを表明す。
皮弁者,何謂也?所以法古,至質冠名也。弁之言攀也,所以攀持其發也。上古之時質,先加服皮以鹿皮者,取其文章也。《禮》曰:“三王共皮弁素積。”裳也,腰中闢積,至質不易之服,反古不忘本也。戰伐田獵,此皆服之。
皮弁とは何の意か。以て古に取法し、是れ至質の冠名なり。弁の意は攀なり、以て頭髪を攀持す。上古の時は質朴にして、先に服皮を加え、鹿皮を用い、其の文章を取る。《礼》に「三王は皆皮弁素積を用う」とあります。裳は、腰中に襞積し、是れ至質不易の服にして、古に返りて本を忘れざるなり。戦伐田猎は、此れらを皆服す。
麻冕者何?周宗廟之冠也。《禮》曰:“周冕而祭。”又曰:“殷旱夏收而祭。”此三代宗廟之冠也。十一月之時,陽氣冕仰黃泉之下,萬物被施前冕,而後仰,故謂之冕。謂之詡者,十二月之時,施氣受化詡張而後得牙,故謂之詡。謂之收者,十三月之時,氣收本,舉生萬物而達出之,故謂之收。冕仰不同,故前後乖也。詡張,故萌大,時物亦牙萌大也。收而達,故前蔥大者,在後時物亦前蔥也。糹免所以用麻為之者,女功之始,亦不忘本也。即不忘本不用皮,皮乃太古未有禮文之服,故《論語》曰:“麻冕,禮也。”《尚書》曰:“王麻冕。”冕所以前後遞延者何?示進賢退不能也。垂旒者,示不現邪。纊塞耳,示不聽讒也。故水清無魚,人察無徒,明不尚極知下。故《禮》云:“王藻曰,十有二旒,前後遞延。”《禮器》云:“天子麻冕,朱綠藻,垂十有二旒者,法四時十二月也。諸侯九旒。大夫七旒。士爵弁,無旒。”
麻冕とは何か。是れ周の宗廟の冠なり。《礼》に「周は冕を以て祭る」とあり、また曰く「殷は冔を用い夏は収を用いて祭る」とあるは、是れ三代の宗廟の冠なり。十一月の時は、陽気は黄泉の下に冕仰し、万物は施予を被り先に冕して後に仰ぐ、故に冕と曰う。詡と曰うは、十二月の時に、気を施し化を受け、詡張して然る後に能く萌芽すれば、故に詡と曰う。収と曰うは、十三月の時に、気は収めて本に帰り、挙げて万物を生育して通達して出づれば、故に収と曰う。冕仰同じからざれば、故に前後乖離す。詡張すれば、故に萌芽大なり、時の物もまた牙萌大なり。収めて通達すれば、故に前に葱大なるは後に在り、時の物もまた前に葱なり。冕が麻を以て作る所以は、女功の始めなり、亦た本を忘れざるなり。すでに本を忘れずして皮を用いざるは、皮は乃ち太古に未だ礼文なきの服なれば、故に《論語》に「麻冕は、礼なり」とあり、《尚書》に「王、麻冕」とあります。冕の前後遞延する所以はなぜでしょうか。賢を進め不能の人を退去するを表す。旒を垂るるは、邪を視ざるを表す。纊は耳を塞ぐは、讒を聴かざるを表す。故に水清ければ魚なく、人察すれば徒衆なし、下を極尽して知るを崇尚せざるを表明す。故に《礼》に「《玉藻》に曰く、十有二旒、前後遞延」とあり、《礼器》に「天子は麻冕、朱緑藻、十有二旒を垂る、四時十二月に取法す。諸侯は九旒。大夫は七旒。士は爵弁、旒なし」とあります。
委貌者,何謂也?周朝廷理政事、行道德之冠名。《士冠經》曰:“委貌周道,章甫殷道,毋追夏后氏之道。”所以謂之委貌何?周統十一月為正,萬物萌小,故為冠飾最小,故曰委貌。委貌者,委曲有貌也。殷統十二月為正,其飾微大,故曰章甫。章甫者,尚未與極其本相當也。夏者統十三月為正,其飾最大,故曰毋追。毋追者,言其追大也。
委貌とは何の意か。是れ周の朝廷が政事を治理し道徳を施行するの冠名なり。《士冠経》に「委貌は周の道、章甫は殷の道、毋追は夏后氏の道なり」とあります。委貌と曰う所以はなぜでしょうか。周は十一月を統べて正と為し、万物の萌芽小なれば、故に冠飾最も小、故に委貌と曰う。委貌は、委曲にして貌有るなり。殷は十二月を統べて正と為し、飾稍大なれば、故に章甫と曰う。章甫は、未だ其の本の極に相当せざるなり。夏は十三月を統べて正と為し、飾最も大なれば、故に毋追と曰う。毋追は、其の追大するを言うなり。
爵弁者,周人宗廟士之冠也。《禮?郊特牲》曰:“周弁”,《士冠經》曰“周弁,殷旱,夏收”。爵何以知指謂其色?又乍言爵弁,乍但言弁。周之冠色所以爵何?為周尚赤,所以不純赤。但如爵頭何?以本制冠者法天。天色玄者,不失其質,故周加赤,殷加白,夏之冠色純玄。何以知殷加白也?周加赤,知殷加白也。夏、殷士冠不異何?古質也,以《士冠禮》知之。
爵弁は、周人の宗廟士の冠なり。《礼・郊特牲》に「周弁」とあり、《士冠経》に「周弁、殷冔、夏収」とあります。爵は何を以て其の色を指すと知るや。また忽ち爵弁と曰い、忽ちただ弁と曰う。周の冠色が爵なる所以はなぜでしょうか。周は赤を崇尚するを以て、故に純赤ならず。ただ爵頭に似るのみはなぜでしょうか。もともと冠を制するに天に取法するを以てなり。天色は玄、質を失わず、故に周は赤を加え、殷は白を加え、夏の冠色は純玄なり。何を以て殷が白を加えたるを知るや。周が赤を加えれば、則ち殷が白を加えたるを知る。夏・殷の士の冠に異同なきはなぜでしょうか。古は質朴なれば、《士冠礼》に依りて知る。
○喪服
○喪服
諸侯為天子斬衰三年何?普天之下,莫非王土。率土之賓,莫非王臣。臣之於君,猶子之於父。明至尊、臣子之義也。《喪服經》曰:“諸侯為天子,斬衰三年。”天子為諸侯。絕其何?示同愛百姓,明不獨親也。故《禮?中庸》曰:“期之喪達乎諸侯,三年之喪達乎天子。”卿大夫降緦,重公正也。
諸侯が天子のために斬衰三年を服するはなぜでしょうか。普天の下、王土に非ざるなし。率土の濱、王臣に非ざるなし。臣の君に対するは、子の父に対するに猶ほごとし。至尊・臣子の義を表明す。《喪服経》に「諸侯は天子のために、斬衰三年」とあります。天子が諸侯のために服を絶するはなぜでしょうか。同じく百姓を愛するを表し、独り親しまざるを表明す。故に《礼・中庸》に「期の喪は諸侯に達し、三年の喪は天子に達す」とあり、卿大夫は緦に降るは、公正を重んずるなり。
禮,庶人國君服齊衰三月。王者崩,京師之民喪三月何?民賤,故思淺,故三月而已。天子七月而葬,諸侯五月而葬者,則民始哭,素服;先葬三月,成齊衰;期月以成禮,葬君也。禮不下庶人何?所以為民制何?禮不下庶人者,尊卑制度也。服者,恩從內發,故為之制也。
礼は、庶人は国君のために斉衰三月を服す。王者崩ずれば、京師の民は三月喪するはなぜでしょうか。民は賤し、故に恩浅し、故に三月のみ。天子は七月にして葬り、諸侯は五月にして葬れば、則ち民は始めて哭し、素服を服す。葬ること三箇月を先にして、斉衰を作成し、月を満てて以て礼を成就し、君を葬る。礼は庶人に下らざるはなぜでしょうか。民のために制定する所以はなぜでしょうか。礼は庶人に下らざるは、尊卑の制度なり。服は、恩は内より発す、故に彼らのために制定す。
王者崩,臣下服之有先後何?恩有淺深遠近,故制有日月。《檀弓》記曰:“天子崩,三日祝先服,五日官長服,七日國中男女服,三月天下服。”
王者崩ずれば、臣下の服喪に先後あるはなぜでしょうか。恩に浅深遠近あり、故に制度に日月あり。《檀弓》記に「天子崩ずれば、三日にして祝先に服し、五日にして官長服し、七日にして国中の男女服し、三月にして天下服す」とあります。
三年之喪何二十五月?以為古民質,痛於死者,不封不樹,喪期無數,亡之則除。後代聖人因天地萬物有終始而為之制,以期斷之。父至尊,母至親,故為於隆,以盡孝子恩。恩愛至深,加之則倍,故再期二十五月也。禮有取於三,故謂之三年,緣其漸三年之氣也。故《春秋傳》曰:“三年之喪,其實二十五月也。”三年之喪不以閏月數何?以言其期也。期者,復其時也。大功已下月數,故以閏月除。《禮?士虞經》曰:“言期而小祥。”“又期而大祥。”
三年の喪が二十五月なるは何ぞや。古は民質朴にして、死者を痛み、封せず樹えず、喪期に定数なく、忘れれば則ち除去すと考えるなり。後代の聖人は天地万物に終始あるに因りて彼らのために制定し、期を以て截断す。父は最も尊く、母は最も親し、故に彼らのために隆重にして、以て孝子の恩を尽くす。恩愛深きに至り、加うれば則ち倍す、故に再期して二十五月。礼は三に取る所有り、故に三年と曰う、漸々三年の気に縁る。故に《春秋伝》に「三年の喪は、其の実二十五月」とあります。三年の喪は閏月を以て数えざるはなぜでしょうか。其の期を言うを以てなり。期は、其の時に回復す。大功以下は月を以て数う、故に閏月を以て除去す。《礼・士虞経》に「期に至りて小祥と曰う」「又期にして大祥」とあります。
喪禮必制衰麻何?以副意也。服以飾情,情貌相配,中外相應,故吉凶不同服,歌哭不同聲。所以表中誠也。布衰裳、麻、箭笄、繩纓、苴杖,為略及本者,亦示也。故總而載之,示有喪也。腰者,以代紳帶也,所以結之何?思慕腸若結也。必再結之何?明思慕無已。
喪礼に必ず衰麻を制作するはなぜでしょうか。以て意に符合す。服は以て情を修飾し、情貌相配し、中外相応ず、故に吉凶は服を同じくせず、歌哭は声を同じくせず。以て中の誠を表彰す。布衰裳・麻経・箭笄・縄纓・苴杖は、是れ簡略にして本に及ぶなり。経もまた、是れ表なり。故に総じて記載し、喪有るを表す。腰経は以て紳帯に代わる。之を結ぶ所以はなぜでしょうか。思慕の腸は結を打つが如し。必ず再結するはなぜでしょうか。思慕に止境なきを表明す。
所以必杖者,孝子失親,悲哀哭泣,三日不食,身體羸病,故杖以扶身,明不以死傷生也。禮童子婦人不杖者,以其不能病也。《禮》曰:“斬衰三日不食,齊衰二日不食,大功一日不食,小功、緦麻一日不食再不食可也。”以竹何?取其名也。竹者蹙也,桐者痛也。父以竹,母以桐何?竹者陽也,桐者陰也。竹何以為陽?竹斷而用之,質,故為陽;桐削而用之,加人功,文,故為陰也。故《禮》曰:“苴杖,竹也。削杖,桐也。”
必ず杖を用うる所以は、孝子が親を失い、悲哀哭泣し、三日食せず、身体羸病せば、故に杖を以て身を扶ぐ、死を以て生を傷害せざるを表明す。礼は童子婦人は杖を用いず、彼らは病すること能わざればなり。《礼》に「斬衰は三日食せず、斉衰は二日食せず、大功は一日食せず、小功・緦麻は一日食せず再び食せずとも可なり」とあります。竹を用うるはなぜでしょうか。其の名を取る。竹は蹙なり、桐は痛なり。父は竹を用い、母は桐を用うるはなぜでしょうか。竹は陽、桐は陰。竹が陽なるは何ぞや。竹は截断すれば則ち用い、質なれば、故に陽と為す。桐は削りて乃ち用い、人の功を加う、文なれば、故に陰と為す。故に《礼》に「苴杖は、竹。削杖は、桐」とあります。
所以必居倚廬何?孝子哀,不欲聞人之聲,又不欲居故處,居中門之外。倚木為廬,質反古也。不在門外何?戒不虞故也。故《禮?大傳》曰:“父母之喪,居倚廬。”於中門外,東牆下,戶北面。練而居堊室,無餘之室。又曰:“婦人不居倚廬。”又曰:“天子七日,又曰:“公、諸侯五日,卿、大夫三日而成服。”
必ず倚廬に住する所以はなぜでしょうか。孝子哀にして、人の声を聞くことを欲せず、また旧処に住することを欲せず、中門の外に住す。木に倚りて廬を為すは、質朴にして古に返る。門外に在らざるはなぜでしょうか。不測を戒備す。故に《礼・大伝》に「父母の喪は、倚廬に居る」とあります。中門の外・東墻の下、門は北に向かう。練の後は堊室に住す、是れ余室なきなり。また曰く「婦人は倚廬に居らず」。また曰く「天子は七日」、また曰く「公・諸侯は五日、卿・大夫は三日にして服を成す」。
居外門內、東壁下、為廬,寢苫塊,哭無夜時,不脫帶。既虞,寢有席,疏食飲水,朝一哭,夕一哭而已。既練,舍外寢,居堊室,始食菜果,及素食,哭無時。二十五月而大祥,飲醴酒,食乾肉。二十七月而礻覃,通祭宗廟,去喪之殺也。
外門の内・東壁の下に住し廬を為し、苫の上に睡り土塊を枕し、哭するに夜の定時なく、経帯を解开せず。すでに虞祭せば、睡るに席有り、粗食し水を飲み、朝に一哭し夕に一哭するのみ。すでに練せば、外寝を離れ、堊室に住し、始めて菜果及び素食を食し、哭するに定時なし。二十五月にして大祥し、醴酒を飲み乾肉を食す。二十七月にして禫し、通じて宗廟を祭るは、喪を去るの減殺なり。
喪禮不言者何?思慕盡情也。言不文者,指謂士民。不言而事成者,國君、卿、大夫杖而謝賓。財少恃力,面垢作身。不言而事具者,故號哭盡情。
喪礼に言語せざるはなぜでしょうか。思慕は情を尽くす。言は文ならずとは、士民を指す。言語せずして事成就する者は、国君・卿・大夫は杖を拄いて賓に謝す。財少なければ則ち力に依仗し、面に垢ありて身を労動す。言語せずして事具備する者は、故に号哭して情を尽くす。
喪有病得飲酒食肉何?所以輔人生己,重先祖遺支體也。故《曲禮》曰:“居喪之禮,頭有瘡則沐,身有瘍則浴,有疾則飲酒食肉。五十不致毀,七十唯衰麻在身,飲酒食肉。”又曰:“父母有疾,食肉不至變味,飲酒不至變貌,笑不至矧,怒不至詈,琴瑟不御。”《曾子問》曰:“三年之喪,練不群立,不旅行,禮以飾情。三年之喪而吊哭,不亦虛乎!”《禮?檀弓》曰:“曾子有母之喪,吊子張。”子張者,朋友,有服,雖重服吊之,可也。《曾子問》曰:“小功可以與祭乎?孔子曰:‘斬衰已下,與祭,禮也。’”此謂君喪然也。子夏問:“三年之喪,既卒哭,金革之事無避者,禮與?”孔子曰:“吾聞諸老聃曰:‘周公伯禽,則有為之也。’今以三年之喪從其利者,吾不知也。”
喪中に病有りて能く酒を飲み肉を食するはなぜでしょうか。以て人生を輔助し己を自らし、先祖の遺留せる支体を重んず。故に《曲礼》に「喪に居るの礼は、頭に瘡あれば則ち沐し、身に瘍あれば則ち浴し、疾あれば則ち酒を飲み肉を食す。五十は毁に至らず、七十はただ衰麻を身に在らしめ、酒を飲み肉を食す」とあり、また曰く「父母に疾あれば、肉を食するも味を変ずるに至らず、酒を飲むも貌を変ずるに至らず、笑うも歯齦を露うるに至らず、怒るも罵るに至らず、琴瑟は弾かず」と。《曾子問》に「三年の喪は、練せば群立せず、旅行せず、礼は以て情を修飾す。三年の喪にして却って往きて吊哭せば、亦た虚ならずや」とあり、《礼・檀弓》に「曾子に母の喪あり、往きて子張を吊す」とあり、子張は朋友にして服あり、重服を以て往きて吊するといえども、可なり。《曾子問》に「小功は以て祭に参与すべきか。孔子曰く『斬衰以下、祭に参与するは、礼なり』」とあるは、是れ君の喪此の如しを言うなり。子夏問う「三年の喪、すでに卒哭せば、金革の事は避けざるは、礼か」。孔子曰く「我は老聃より聞く『周公・伯禽は、則ち此の如く為す者有り』と。今や三年の喪に因りて利を求むる者は、我は知らざるなり」と。
婦人不出境吊者,婦人無外事,防淫佚也。《禮?雜記》曰:“婦人越︹而吊,非禮也。”而有三年喪,君與夫人俱往。禮,妻為父母服,夫亦當服。
婦人は境を出でて吊せざるは、婦人に外事なく、淫佚を防止すればなり。《礼・雑記》に「婦人は喪経を越えて吊するは、礼に非ず」とあります。而して三年の喪あれば、君と夫人は皆往く。礼は、妻は父母のために服し、夫もまた當に服すべし。
有不弔三何?為人臣子,常懷恐懼,深思遠慮,志乃全身。今乃畏、厭、溺死,用為不義,故不弔也。《檀弓》曰:“不弔三:畏、厭、溺也。畏者,兵死也。”《禮?曾子》記曰:“大辱加於身,支體毀傷,即君不臣,士不交,祭不得為昭穆之屍,食不得昭穆之牲,死不得葬昭穆之域也。”
三種の吊せざる有るはなぜでしょうか。人の臣子を為るは、常に恐懼を懐き、深思遠慮し、志向乃ち能く自身を保全す。今や畏・圧・溺に因りて死するを以て、不義と為すを用う、故に吊せず。《檀弓》に「吊せざる三有り、畏・圧・溺。畏は、是れ兵に死す」とあり、《礼・曾子》記に「大辱身に加わり、肢体毀傷せば、則ち君は彼を以て臣と為さず、士は彼と交往せず、祭は昭穆の尸と為ること能わず、食は昭穆の牲を用うること能わず、死は昭穆の域に葬ること能わず」とあります。
弟子為師服者,弟子有君臣、父子、朋友之道也。故生則尊敬而親之,死則哀痛之,恩深義重,故為之隆服,入則,出則否也。《檀弓》曰:“昔夫子之喪顏回,若喪子而無服。喪子路亦然。請喪夫子,若喪父而無服也。”
弟子が師のために服するは、弟子に君臣・父子・朋友の道あればなり。故に生きれば尊敬して彼を親しみ、死せば哀痛し、恩深く義重し、故に彼のために隆重に服し、入れば則ち経を繋げ、出れば則ち否なり。《檀弓》に「昔、夫子、顔回を喪えり、子を喪うが如くして服なし。子路を喪うも亦た此の如し。夫子を喪せんことを請うは、父を喪うが如くして服なし」とあります。
《曾子問》曰:“‘君薨既殯,而臣有父母之喪,則如之何?’孔子曰:‘歸居於家。有殷事,則之君所,朝夕否。’曰:‘君既啟,而臣有父母之喪,則如之何?’孔子曰:‘歸哭而反送君。’曰:‘君未殯,而臣有父母之喪,則如之何?’孔子曰:‘歸殯哭而,反於君,殷事則歸,朝夕否。大夫室老行事,士則子孫行事。夫內子有殷事,則亦如之君所,朝夕否。’”
《曾子問》に「『君薨じてすでに殯せり、而して臣に父母の喪あれば、如何』。孔子曰く『帰りて家に住せ。殷事有れば、則ち君に至れ、朝夕は則ち否なり』。曰く『君すでに殯を啓せり、而して臣に父母の喪あれば、如何』。孔子曰く『帰りて哭して再び返りて君を送れ』。曰く『君未だ殯せず、而して臣に父母の喪あれば、如何』。孔子曰く『帰りて殯して哭し、再び返りて君に至れ、殷事あれば則ち帰れ、朝夕は則ち否なり。大夫は室老に行事せしめ、士は則ち子孫に行事せしむ。内子に殷事有れば、亦た君に至るが如く、朝夕は則ち否なり』」とあります。
諸侯有親喪,聞天子崩,奔喪者何?屈己,親親猶尊尊之義也。《春秋傳》曰:“天子記崩不記葬者,必其時葬也。諸侯記葬,不必有時。”諸侯為有天子喪奔,不得必以其時葬也。
諸侯に親の喪ありて、天子の崩ずるを聞けば、奔喪するはなぜでしょうか。己を屈折し、親親は尊尊の義に猶ほごとし。《春秋伝》に「天子は崩を記して葬を記せず、必ず時を以て葬るを以てなり。諸侯は葬を記す、必ずしも定時有らず」とあり、諸侯は天子の喪有るを以て奔るに、必ずしも時を以て葬ること能わざればなり。
大夫使,受命而出,聞父母之喪,非君命不反者,蓋重君也,故《春秋傳》曰:“大夫以君命出,聞喪,徐行不反。”
大夫が出使して、命を受けて出で、父母の喪を聞くに、君命に非ざれば返らざるは、蓋し君を重んずればなり。故に《春秋伝》に「大夫は君命に凭りて出行し、喪を聞けば、徐行して返らず」とあります。
諸侯朝而有私喪,得還何?凶服不入公門,君不呼之義也。凶服不敢入公門者,明尊朝廷,吉凶不相干。故《周官》曰:“凶服不入公門。”《曲禮》曰:“居喪不言樂,祭事不言兇,公庭不言婦女。”《論語》曰:“子於是日哭,則不歌。”
諸侯が朝見して私喪有るに、帰ること能くするはなぜでしょうか。凶服は公門に入らず、是れ君の召さざるの義なり。凶服は敢えて公門に入らず、朝廷を尊ぶを表明し、吉凶は相干らず。故に《周官》に「凶服は公門に入らず」とあり、《曲礼》に「喪に居りては楽を言わず、祭事に凶を言わず、公庭に婦女を言わず」とあり、《論語》に「子、是の日に哭せば、則ち歌わず」とあります。
臣下有大喪,不呼其門者,使得終其孝道,成其大禮,《春秋傳》曰:“古者臣有大喪,君三年不呼其門。”
臣下に大喪あれば、其の門を叫ばず、彼をして能く孝道を完成せしめ、大礼を成就せしむ。《春秋伝》に「古は臣に大喪あれば、君は三年其の門を叫ばず」とあります。
聞哀哭而後行何?盡哀舒憤然後行。望國境則哭,過市朝則否。君子自抑,小人勉以及禮。見星則止,日行百里,惻怛之心,但欲見屍柩汲汲。故《禮?奔喪》記曰:“以哭答使者,盡哀,問故,遂行。”曾子曰:“師三十里者行五十里,奔喪百里。”既除喪,乃歸哭於墓何?明死者不可見,痛傷之至也。謂喪不得追服者也,哭於墓而已。故《禮?奔喪》記曰:“之墓,西向哭,止。”此謂遠出,歸後葬,喪服以禮除。
哀哭を聞きて然る後に乃ち往くはなぜでしょうか。哀を尽くし憤を舒して然る後に往く。国境を望見すれば則ち哭し、市朝を経過すれば則ち否なり。君子は自ら抑制し、小人は勉力して以て礼に及ぶ。星を見れば則ち停まり、日行百里、惻怛の心は、ただ急いで尸柩を見んことを欲すのみ。故に《礼・奔喪》記に「哭を以て使者に応答し、哀を尽くし、緑故を問い、是に前行す」とあり、曾子曰く「師は三十里の走るは五十里、奔喪は百里」と。すでに喪を除きて、乃ち帰りて墓上に於て哭するはなぜでしょうか。死者は再び見るべからざるを表明し、痛傷極まるなり。言う所は喪に追服すること能わざる者は、ただ墓上に於て哭するのみ。故に《礼・奔喪》記に「墓に至り、西に向かいて哭し、止む」とあるは、是れ遠出して、帰りて後葬り、喪服は礼に按じて除去すを言うなり。
曾子與客立於門,其徒趨而出。曾子曰:“爾將何之?”曰:“吾父死,將出哭於巷。”曾子曰:“反哭於爾次。”曾子北面而吊焉。《檀弓》記曰:“孔子曰:‘吾惡乎哭諸?兄弟,吾哭諸廟門之外;師,吾哭諸寢;朋友,吾哭諸寢門外;所知,吾哭諸野。’”
曾子、客と門辺に立つ。其の門徒快步して出づ。曾子曰く「汝將に何れの処にか之かん」と。曰く「我が父死せり、將に出でて巷に於て哭さんとす」と。曾子曰く「帰りて汝の居処に於て哭せ」と。曾子、北に向かいて彼を吊う。《檀弓》記に「孔子曰く『我は何れの処に於てか哭せん。兄弟は、我は廟門の外に於て哭す。師は、我は寝に於て哭す。朋友は、我は寝門の外に於て哭す。相識るは、我は野に於て哭す』」とあります。
養從生,葬從死,周公以王禮葬何?以為周公踐祚理政,與天同志,展興周道,顯天度數,萬物鹹得,休氣允塞,原天之意,予愛周公與文武無異,故以王禮葬,使得郊祭。《尚書》曰:“今天動威,以彰周公之德。”下言:“禮亦宜之。”
養うは生に順い、葬るは死に順う、周公は王礼を以て葬らるるはなぜでしょうか。周公は阼を践みて政を理め、天と志を同じくし、周道を展興し、天の度数を顕明し、万物皆其の所を得、休美の気充満し、天の意を推原し、周公を愛することを給うるに文武と異なるなしと考えるなり、故に王礼を以て葬り、彼をして能く郊祭を挙行せしむ。《尚書》に「今天、威を動かし、以て周公の徳を彰顯す」とあり、下に曰く「礼もまた宜しきなり」と。
