勧学篇第一 脩身篇第二
解蔽篇第二十一 正名篇第二十二
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
荀子
荀子
不苟篇第三 栄辱篇第四
非相篇第五 非十二子篇第六
仲尼篇第七 儒效篇第八
王制篇第九 富国篇第十
王覇篇第十一 君道篇第十二
臣道篇第十三 致士篇第十四
議兵篇第十五 強国篇第十六
天論篇第十七 正論篇第十八
礼論篇第十九 楽論篇第二十
解蔽篇第二十一 正名篇第二十二
性悪篇第二十三 君子篇第二十四
成相篇第二十五 賦篇第二十六
大略篇第二十七 宥坐篇第二十八
子道篇第二十九 法行篇第三十
哀公篇第三十一 尭問篇第三十二
勧学篇第一
君子曰:學不可以已。青、取之於藍,而青於藍;冰、水為之,而寒於水。木直中繩,輮以為輪,其曲中規,雖有槁暴,不復挺者,輮使之然也。故木受繩則直,金就礪則利,君子博學而日參省乎己,則知明而行無過矣。故不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也;不聞先王之遺言,不知學問之大也。幹、越、夷、貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。詩曰:"嗟爾君子,無恆安息。靖共爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。"神莫大於化道,福莫長於無禍。
君子は言う。学ぶことは止めてはならない。藍の青は藍草から採るが、藍草よりも青い。氷は水が結んでできたものだが、水よりも冷たい。木材は直くて墨縄に合うが、火で焙って曲げて車輪にすれば、その曲がり具合は円規に合い、たとえ枯れて日に曝されても、再びまっすぐに戻ることはない。揉み焙りがそうさせたのである。だから木材は墨縄にかければ直くなり、金属は砥石にかければ鋭くなる。君子が広く学び、日々自分を省察すれば、知は明らかになり行いに過ちがなくなる。だから高山に登らなければ天の高さを知らず、深い渓に臨まなければ地の厚さを知らず、先王の遺した言葉を聞かなければ学問の大きさを知らない。干・越・夷・貉の子は、生まれた時は同じ声だが、育てば習俗が異なる。教化がそうさせるのである。『詩経・小雅・小明』に言う。「ああ君子よ、常に安らぐな。おのが位を静かに敬い、この正しきを好め。神はこれを聴きて、大きな福を与えん」と。神は道に化されるより大きいものはなく、福は禍なきより長きものはない。
吾嘗終日而思矣,不如須臾之所學也。吾嘗跂而望矣,不如登高之博見也。登高而招,臂非加長也,而見者遠;順風而呼,聲非加疾也,而聞者彰。假輿馬者,非利足也,而致千里;假舟楫者,非能水也,而絕江河。君子生非異也,善假於物也。
私はかつて終日思い巡らしたが、片時の学びに及ばなかった。かつて爪先立ちして遠くを望んだが、高い所に登って見渡すほど広くは見えなかった。高い所に登って手を招けば、腕は長くなっていないのに、見る人は遠くまで届く。風に順って呼べば、声は速くなっていないのに、聴く人にははっきり聞こえる。車馬を凭りにする者は、足が速いわけではないが千里に至る。舟船を凭りにする者は、泳げるわけではないが江河を横断できる。君子は生まれつき人と異なるのではなく、外物をよく凭借するだけである。
南方有鳥焉,名曰蒙鳩,以羽為巢,而編之以發,系之葦苕,風至苕折,卵破子死。巢非不完也,所繫者然也。西方有木焉,名曰射干,莖長四寸,生於高山之上,而臨百仞之淵,木莖非能長也,所立者然也。蓬生麻中,不扶而直;白沙在涅,與之俱黑。蘭槐之根是為芷,其漸之滫,君子不近,庶人不服。其質非不美也,所漸者然也。故君子居必擇鄉,遊必就士,所以防邪辟而近中正也。
南方に蒙鳩という鳥がいる。羽毛で巣を作り、髪の毛で編んで葦の穂に結びつける。風が来て穂が折れ、卵は割れ雛は死ぬ。巣が完全でなかったのではなく、結びつけた場所がそうさせたのである。西方に射干という木がある。茎は四寸ほどで高山の上に生え、下に百仞の深淵に臨む。木の茎がよく伸びたのではなく、立つ場所がそうさせたのである。蓬草が麻の中に生えれば、支えなくても直くなる。白砂を黒泥に置けば、ともに黒くなる。蘭槐の根は芷であるが、臭い水に浸せば、君子は近づかず、庶人も佩びない。その質が美しくなかったのではなく、浸したものがそうさせたのである。だから君子は住むに必ず郷里を選び、交游に必ず士に近づく。邪僻を防ぎ中正に近づくためである。
物類之起,必有所始。榮辱之來,必象其德。肉腐出蟲,魚枯生蠹。怠慢忘身,禍災乃作。強自取柱,柔自取束。邪穢在身,怨之所構。施薪若一,火就燥也,平地若一,水就溼也。草木疇生,禽獸群焉,物各從其類也。是故質的張,而弓矢至焉;林木茂,而斧斤至焉;樹成蔭,而眾鳥息焉。醯酸,而蚋聚焉。故言有招禍也,行有招辱也,君子慎其所立乎!
物類の興起には必ず始まりがある。栄辱の到来は必ずその徳に応じる。肉が腐れば虫が生じ、魚が枯れれば蠹が生じる。怠慢で身を忘れれば、禍災が発する。剛強なものは自ら折れることを招き、柔軟なものは自ら束ねられることを招く。邪穢が身にあれば、怨みはここに構える。薪を並べて置けば同じようでも、火は乾いた方に向かう。平地は同じようでも、水は湿った方に向かう。草木は叢をなして生え、禽獣は群れをなして集まる。物はそれぞれその類に従うのである。それゆえ的を張り設ければ弓矢が至り、林が茂れば斧斤が至る。木が陰を成せば衆鳥が棲み、酢が酸くなれば蚋が集まる。だから言論には禍を招くものがあり、行いには辱を招くものがある。君子はその立つ所を慎まねばならない。
積土成山,風雨興焉;積水成淵,蛟龍生焉;積善成德,而神明自得,聖心備焉。故不積蹞步,無以致千里;不積小流,無以成江海。騏驥一躍,不能十步;駑馬十駕,功在不捨。鍥而舍之,朽木不折;鍥而不捨,金石可鏤。螾無爪牙之利,筋骨之強,上食埃土,下飲黃泉,用心一也。蟹八跪而二螯,非蛇蟺之穴,無可寄託者,用心躁也。是故無冥冥之志者,無昭昭之明;無惛惛之事者,無赫赫之功。行衢道者不至,事兩君者不容。目不能兩視而明,耳不能兩聽而聰。螣蛇無足而飛,梧鼠五技而窮。詩曰:"尸鳩在桑,其子七兮。淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮。"故君子結於一也。
土を積んで山になれば、風雨はそこに興る。水を積んで深淵になれば、蛟竜はそこに生まれる。善を積んで徳になれば、神明は自ずから得られ、聖心が備わる。だから半步を積まなければ千里に至る術なく、小流を積まなければ江海を成す術ない。騏驥が一躍しても十歩に及ばず、駑馬が十日走れば成功は捨てないことにある。一刻して止めれば朽木も折れず、刻み続けて捨てなければ金石も鏤められる。蚯蚓は鋭い爪牙も強健な筋骨もないが、上は埃土を食み、下は黄泉を飲む。心を一にするからである。蟹は八本の脚と二つの螯があるが、蛇や鱔の穴がなければ託する所がない。心が躁るからである。それゆえ黙々たる専一の志なければ昭昭たる明察なく、昏昏たる専一の事なければ赫赫たる功績ない。岐路を行く者は至らず、二君に事える者は容れられない。目は両方を同時に見て明らかならず、耳は両方を同時に聴いて聡くない。螣蛇は足なくして飛び、梧鼠は五技あるのに窮する。『詩経・曹風・鳲鳩』に言う。「鳲鳩は桑に在り、その子は七つ。善人君子、その儀は一つ。儀が一なれば、心は結びのごとし」と。だから君子は心を専一に結びつけるのである。
昔者瓠巴鼓瑟,而流魚出聽;伯牙鼓琴,而六馬仰秣。故聲無小而不聞,行無隱而不形。玉在山而草木潤,淵生珠而崖不枯。為善不積邪,安有不聞者乎!
昔、瓠巴が瑟を鼓すと、沈んでいた魚がみな出て聴いた。伯牙が琴を鼓すと、車を駕す六馬が首を仰いで秣を食んだ。だから音は小さくても聞こえないことはなく、行いは隠れても形を現さないことはない。玉が山にあれば草木は潤い、淵に珠が生まれれば崖岸は枯れない。善をなしてまだ積まないだけであろう。どうして聞こえないことがあろうか。
學惡乎始?惡乎終?曰:其數則始乎誦經,終乎讀禮;其義則始乎為士,終乎為聖人。真積力久則入。學至乎沒而後止也。故學數有終,若其義則不可須臾舍也。為之人也,舍之禽獸也。故書者、政事之紀也;詩者、中聲之所止也;禮者、法之大兮,類之綱紀也。故學至乎禮而止矣。夫是之謂道德之極。禮之敬文也,樂之中和也,詩書之博也,春秋之微也,在天地之間者畢矣。
学びはどこから始まり、どこで終わるのか。曰く、学びの課程で言えば、経を誦読することに始まり、礼を読むことに終わる。学びの意義で言えば、士となることに始まり、聖人となることに終わる。誠実に積み、力を久しく用いれば入ることができる。学びは死して後やむ。だから学びの課程には終わりがあるが、その意義は片時も捨ててはならない。これを為せば人であり、これを捨てれば禽獣である。『書』は政事の記載であり、『詩』は中正の声が止まる所であり、礼は法の大分(底本は「大兮」、兮は分の誤り)、類の綱紀である。だから学びは礼に至って止まる。これを道徳の極致という。礼の恭敬と文飾、楽の中和、詩書の広博、春秋の微言、天地の間にあるものは皆備わっている。
君子之學也,入乎耳,著乎心,布乎四體,形乎動靜。端而言,蝡而動,一可以為法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者為己,今之學者為人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以為禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也;君子如向矣。
君子の学びは、耳に入り、心に現れ、四肢に布かれ、動静に表れる。極めて細かい言や蠕動も、法則とすることができる。小人の学びは、耳に入って口から出る。口と耳の間は四寸に過ぎず、どうして七尺の身を美しくするに足りようか。古の学ぶ者は己のためであり、今の学ぶ者は人のためである。君子の学びは己を美しくするためであり、小人の学びはそれを禽犢のような贈り物にするのである。だから人が問わないのに告げることを傲といい、一つを問えば二つを告げることを囂噪という。傲は非であり、囂噪も非である。君子は回声のごとく応える。
學莫便乎近其人。禮樂法而不說,詩書故而不切,春秋約而不速。方其人之習君子之說,則尊以遍矣,周於世矣。故曰:學莫便乎近其人。
学びにはその人に近づくより便なるものはない。礼楽は法度があっても詳しく説かず、詩書は旧事であって切実でなく、春秋は簡約であって速やかに要領を得られない。その人に倣って君子の学説に熟習すれば、尊くもあり周遍もし、世に通達する。だから言う。学びにはその人に近づくより便なるものはないと。
學之經莫速乎好其人,隆禮次之。上不能好其人,下不能隆禮,安特將學雜識志,順詩書而已耳。則末世窮年,不免為陋儒而已。將原先王,本仁義,則禮正其經緯蹊徑也。若挈裘領,詘五指而頓之,順者不可勝數也。不道禮憲,以詩書為之,譬之猶以指測河也,以戈舂黍也,以錐餐壺也,不可以得之矣。故隆禮,雖未明,法士也;不隆禮,雖察辯,散儒也。
学びの途はその人を好むより速いものはなく、礼を崇むのがその次である。上にその人を好むことができず、下に礼を崇むことができなければ、ただ雑記を学び、詩書に順って説くのみである。そうなれば末世窮年に至っても、陋儒に過ぎない。先王を推し原め仁義に本づくには、礼こそがその経緯の路である。皮衣の襟を提げて五指を屈めて払えば、順うものは数え切れない。礼法に遵わず詩書のみで為すのは、指で河を測り、戈で黍を舂き、錐で壺の飯を食うようなもので、得ることはできない。だから礼を崇めば、まだ明達でなくとも法を守る士であり、礼を崇めなければ、明察善弁でも散儒である。
問楛者,勿告也;告楛者,勿問也;說楛者,勿聽也。有爭氣者,勿與辯也。故必由其道至,然後接之;非其道則避之。故禮恭,而後可與言道之方;辭順,而後可與言道之理;色從而後可與言道之致。故未可與言而言,謂之傲;可與言而不言,謂之隱;不觀氣色而言,謂瞽。故君子不傲、不隱、不瞽,謹順其身。詩曰:"匪交匪舒,天子所予。"此之謂也。
粗悪な事を問う者には告げるな。粗悪な事を告げる者には問うな。粗悪な事を説く者には聴くな。争競の気ある者とは弁論するな。必ず道に順って来る者を待って後に接待し、その道でなければ避ける。だから礼節が恭敬して後、道の方向を語ることができ、言辞が順して後、道の条理を語ることができ、神色が従順して後、道の極致を語ることができる。語るべからざるに語れば傲といい、語るべきに語らなければ隠といい、気色を観ずに語れば瞽という。だから君子は傲せず、隠さず、瞽せず、慎んで相手そのものに順う。『詩経・小雅・采菽』に言う。「急がず怠らず、天子の賜う所」と。これを言うのである。
百發失一,不足謂善射;千里蹞步不至,不足謂善御;倫類不通,仁義不一,不足謂善學。學也者,固學一之也。一齣焉,一入焉,塗巷之人也;其善者少,不善者多,桀紂盜跖也;全之盡之,然後學者也。
射を百回して一回外しても、善く射るとは言えない。千里を行って半步足りなければ、善く御するとは言えない。倫類を貫通できず、仁義を一にできなければ、善く学ぶとは言えない。学びとはもとよりその一を学ぶことである。出たり入ったりするのは街巷の普通人であり、善が少なく不善が多いのは桀・紂・盗跖の類である。それを全く備え、それを窮めて、後に学者となるのである。
君子知夫不全不粹之不足以為美也,故誦數以貫之,思索以通之,為其人以處之,除其害者以持養之。使目非是無慾見也,使口非是無慾言也,使心非是無慾慮也。及至其致好之也,目好之五色,耳好之五聲,口好之五味,心利之有天下。是故權利不能傾也,群眾不能移也,天下不能蕩也。生乎由是,死乎由是,夫是之謂德操。德操然後能定,能定然後能應。能定能應,夫是之謂成人。天見其明,地見其光,君子貴其全也。
君子は完備し純粋でないものが美を成すに足りないことを知っている。だから誦読して数えてそれを貫通し、思索してそれを疎通し、その人に倣って身を処して実践し、害するものを除いてそれを持養する。目はこれでなければ見たがらず、口はこれでなければ言いたがらず、心はこれでなければ慮りたがらない。その好むところが極致に至れば、目は五色のごとくそれを好み、耳は五声のごとくそれを好み、口は五味のごとくそれを好み、心は天下を有するがごとくそれを利とする。ゆえに権利も彼を傾覆できず、衆人も彼を動かせず、天下も彼を揺るがせない。生きてもこれに由り、死してもこれに由る。これを徳操という。徳操あれば後に定まることができ、定まれば後に応じることができる。能く定まり能く応ずれば、これを成人という。天はその明を現し、地はその光を現し、君子はその全を重んずるのである。
脩身篇第二
見善,修然必以自存也;見不善,愀然必以自省也。善在身,介然必以自好也;不善在身,菑然必以自惡也。故非我而當者,吾師也;是我而當者,吾友也;諂諛我者,吾賊也。故君子隆師而親友,以致惡其賊。好善無厭,受諫而能誡,雖欲無進,得乎哉!小人反是:致亂而惡人之非己也;致不肖而欲人之賢己也;心如虎狼,行如禽獸,而又惡人之賊己也。諂諛者親,諫爭者疏,修正為笑,至忠為賊,雖欲無滅亡,得乎哉!詩曰:"嗡嗡呰呰,亦孔之哀。謀之其臧,則具是違;謀之不臧,則具是依。"此之謂也。
善を見れば整然として必ず自ら存するのに用い、不善を見れば憂惧して必ず自ら省察するのに用いる。善が身にあれば堅固に必ず自ら好み、不善が身にあれば災害のごとく必ず自ら悪む。だから私を批評して当を得る者は我が師であり、私を是として当を得る者は我が友であり、私に諂い阿谀する者は我を賊害する者である。君子は師を尊び友に親しみ、賊害する者を極めて悪む。善を好むこと満足せず、勧諫を受けて戒めることができれば、進まないようにしようとしてもできるものか。小人はその反対である。自ら極めて昏乱しながら人が己を批評するのを悪み、自ら極めて不肖でありながら人が己を賢人とするのを欲し、心は虎狼のごとく行は禽獣のごとくでありながら、人が己を賊害と指摘するのを悪む。諂谀する者には親しみ、諫争する者には疎んじ、修正の言を笑話とし、至忠を賊害とする。亡びないようにしようとしてもできるものか。『詩経・小雅・小旻』に言う。「翕翕として訾訾、亦た哀れむべきかな。謀を善くすれば皆これに違い、謀を不善にすれば皆これに依る」と。これを言うのである。
扁善之度--以治氣養生,則後彭祖;以修身自名,則配堯禹。宜於時通,利以處窮,禮信是也。凡用血氣、志意、知慮,由禮則治通,不由禮則勃亂提僈;食飲,衣服、居處、動靜,由禮則和節,不由禮則觸陷生疾;容貌、態度、進退、趨行,由禮則雅,不由禮則夷固、僻違、庸眾而野。故人無禮則不生,事無禮則不成,國家無禮則不寧。詩曰:"禮儀卒度,笑語卒獲。"此之謂也。
遍く善を為す法度――これを以て気を治め生を養えば彭祖に後れず、これを以て身を修め名を求めば堯禹に匹敵する。時運の達するに宜しく、窮困に処るにも利あるは、礼と信である。およそ血気・志意・智慮を用いるに、礼に由れば通達整治し、礼に由らなければ悖乱怠慢となる。飲食・衣服・居処・動静は、礼に由れば和諧して節あり、礼に由らなければ触れ陷り病を生ずる。容貌・態度・進退・趨行は、礼に由れば雅正であり、礼に由らなければ倨傲固陋・邪僻背理・平庸粗野となる。だから人は礼なくして生きられず、事は礼なくして成らず、国家は礼なくして安寧を得ない。『詩経・小雅・楚茨』に言う。「礼儀は度に尽く合い、笑語は宜しきを尽く得たり」と。これを言うのである。
以善先人者謂之教,以善和人者謂之順;以不善先人者謂之諂,以不善和人者謂之諛。是是非非謂之知,非是是非謂之愚。傷良曰讒,害良曰賊。是謂是,非謂非曰直。竊貨曰盜,匿行曰詐,易言曰誕。趣舍無定謂之無常。保利棄義謂之至賊。多聞曰博,少聞曰淺。多見曰閒,少見曰陋。難進曰偍,易忘曰漏。少而理曰治,多而亂曰秏。
善を以て人を導くを教といい、善を以て人に応和するを順という。不善を以て人を導くを諂といい、不善を以て人に応和するを谀という。是を是とし非を非とするを知といい、是を非とし非を是とするを愚という。良人を傷つけるを讒といい、良人を残害するを賊という。是なれば是と言い、非なれば非と言うを直という。財物を偸むを盗といい、行いを隠匿するを詐といい、軽々しく言うを誕という。取捨に定まりなきを無常という。利を保ち義を棄てるを至賊という。多く聴くを博といい、少なく聴くを浅という。多く見るを嫻習といい、少なく見るを陋という。進み難きを遅緩といい、忘れ易きを漏という。少なくして条理あるを治といい、多くして混乱するを耗乱という。
治氣養心之術:血氣剛強,則柔之以調和;知慮漸深,則一之以易良;勇膽猛戾,則輔之以道順;齊給便利,則節之以動止;狹隘褊小,則廓之以廣大;卑溼重遲貪利,則抗之以高志;庸眾駑散,則劫之以師友;怠慢僄棄,則照之以禍災;愚款端愨,則合之以禮樂,通之以思索。凡治氣養心之術,莫徑由禮,莫要得師,莫神一好。夫是之謂治氣養心之術也。
気を治め心を養う術――血気が剛強なら調和を以てこれを柔らかくし、智慮が深沈に過ぎれば平易良善を以てこれを一にし、勇猛暴戻なら道順を以てこれを輔け、敏捷便利なら動止を以てこれを節し、狭隘褊小なら広大を以てこれを開き、卑下遅緩貪利なら高志を以てこれを抗挙し、平庸駑散なら師友を以てこれを約束し、怠慢軽忽拋棄なら禍災を以てこれを照鑑し、愚拙朴素端謹なら礼楽を以てこれに合し、思索を以てこれを通ず。およそ気を治め心を養う術は、礼に由るより直接なるはなく、師を得るより緊要なるはなく、所好を一にするより神妙なるはない。これを気を治め心を養う術という。
志意修則驕富貴,道義重則輕王公;內省而外物輕矣。傳曰:"君子役物,小人役於物。"此之謂矣。身勞而心安,為之;利少而義多,為之;事亂君而通,不如事窮君而順焉。故良農不為水旱不耕,良賈不為折閱不市,士君子不為貧窮怠乎道。
志意が修まれば富貴を傲視し、道義が重んぜられれば王公を軽んず。内に省察すれば外物は軽くなる。伝記に言う。「君子は物を役し、小人は物に役せられる」と。これを言うのである。身は労苦して心安らかならば為し、利少なく義多ければ為す。乱君に事えて顕達するは、窮君に事えて道に順うに如かず。だから良い農夫は水旱のために耕さざるなく、良い商人は損亏のために売買せざるなく、士君子は貧窮のために道に怠らざるなし。
體恭敬而心忠信,術禮義而情愛人;橫行天下,雖困四夷,人莫不貴。勞苦之事則爭先,饒樂之事則能讓,端愨誠信,拘守而詳;橫行天下,雖困四夷,人莫不任。體倨固而心埶詐,術順墨而精雜汙;橫行天下,雖達四方,人莫不賤。勞苦之事則偷儒轉脫,饒樂之事則佞兌而不曲,辟違而不愨,程役而不錄:橫行天下,雖達四方,人莫不棄。
身は恭敬して心は忠信、礼義に取法して性は人を愛する。天下を横行し、四夷に困んでも、人は重んざらざるなし。労苦の事には争って先んじ、豊饒安楽の事には譲ることができ、端謹誠信、拘守して周詳である。天下を横行し、四夷に困んでも、人は信ぜざるなし。身は倨傲頑固にして心は勢利欺詐、慎到・墨翟に取法して精神は駁雑汚穢である。天下を横行し、四方に通達しても、人は賤しめざるなし。労苦の事には偷安懦弱して輾転逃脱し、豊饒安楽の事には巧佞敏捷にして譲らず、邪僻背理して端謹せず、事務を度量しても檢束せず。天下を横行し、四方に通達しても、人は棄てざるなし。
行而供冀,非漬淖也;行而俯項,非擊戾也;偶視而先俯,非恐懼也。然夫士欲獨修其身,不以得罪於比俗之人也。
歩くに恭敬謹慎なのは、泥淖に沾るを怕れるが故ではない。歩くに頸項を低くするのは、碰撞を怕れるが故ではない。対視するに自ら先に頭を低くするのは、恐懼するが故ではない。これは士が独り己の身を修めようとするのであって、流俗に比する者に罪を犯すを怕れるのではない。
夫驥一日而千里,駑馬十駕,則亦及之矣。將以窮無窮,逐無極與?其折骨絕筋,終身不可以相及也。將有所止之,則千里雖遠,亦或遲、或速、或先、或後,胡為乎其不可以相及也!不識步道者,將以窮無窮,逐無極與?意亦有所止之與?夫"堅白"、"同異"、"有厚無厚"之察,非不察也,然而君子不辯,止之也。倚魁之行,非不難也,然而君子不行,止之也。故學曰遲。彼止而待我,我行而就之,則亦或遲、或速、或先、或後,胡為乎其不可以同至也!故蹞步而不休,跛鱉千里;累土而不輟,丘山崇成。厭其源,開其瀆,江河可竭。一進一退,一左一右,六驥不致。彼人之才性之相縣也,豈若跛鱉之與六驥足哉!然而跛鱉致之,六驥不致,是無它故焉,或為之,或不為爾!道雖邇,不行不至;事雖小,不為不成。其為人也多暇日者,其出入不遠矣。
あの騏驥は一日に千里を走るが、駑馬が十日の路程を行けば追いつく。これを以て無窮を窮め、無極を追逐せんとするか。ならば骨を折り筋を絶ち、終身相い追いつくことはできない。止境を有せば、千里は遠いと雖も、或いは遅く或いは速く、或いは先に或いは後に、どうして互いに追いつけないことがあろうか。あの行く者が、これを以て無窮を窮め無極を逐うのか、それとも止境を有するのかを知らない。「堅白」「同異」「有厚無厚」の察辨は、明察でないことはないが、君子は辨わない。止まる所有りである。怪異極端の行いは、容易でないことはないが、君子は為さない。止まる所有りである。だから学びを為すを遅れて前行するという。あの止境がそこに在って我を待ち、我が往きてこれに近づけば、或いは遅く或いは速く、或いは先に或いは後に、どうして同じく到達できないことがあろうか。だから半步を停めなければ跛けた鼈も千里を行き、累土を止めなければ丘山も堆み成る。その源を塞ぎ、その溝瀆を開けば、江河も竭きる。一進一退、一左一右では、六匹の驥も到達できない。人の才性の差が、跛鼈と六驥の脚のごとく懸殊であることはあろうか。然るに跛鼈は至ることができ、六驥は至ることができない。他の故なく、ある者は為しある者は為さないだけである。道は近くとも行かなければ至らず、事は小さくとも為さなければ成らない。人として暇日の多い者は、その出入の成就もまた遠くないのである。
好法而行,士也;篤志而體,君子也;齊明而不竭,聖人也。人無法,則倀倀然;有法而無志其義,則渠渠然;依乎法,而又深其類,然後溫溫然。
法を好みてこれを行うは士であり、志が篤実にして身を以て行うは君子であり、斉粛明察して竭きないは聖人である。人は法なければ茫茫然とし、法ありてその義を識らなければ局促不安となり、法に依りてまたその類に深く通ずれば、後に温温然となるのである。
禮者、所以正身也,師者、所以正禮也。無禮何以正身?無師吾安知禮之為是也?禮然而然,則是情安禮也;師云而云,則是知若師也。情安禮,知若師,則是聖人也。故非禮,是無法也;非師,是無師也。不是師法,而好自用,譬之是猶以盲辨色,以聾辨聲也,舍亂妄無為也。故學也者,禮法也。夫師、以身為正儀,而貴自安者也。詩云:"不識不知,順帝之則。"此之謂也。
礼は身を正すものであり、師は礼を正すものである。礼なくして何を以て身を正さん。師なくして何を以て礼がこのようであることを知らん。礼の定めるごとく為せば、それは性情が礼に安んじているのであり、師の言うごとく言えば、それは智識が師に似ているのである。性情が礼に安んじ、智識が師に似ていれば、それが聖人である。だから礼に背けば法なきであり、師に背けば師なきである。師法を是とせずして自ら是を好むは、瞽者を以て色を辨え、聾者を以て声を辨えるようなもので、昏乱妄為のほか為す所なし。だから学びとは礼法である。あの師は、身を以て正しい儀法となし、自らこれに安んずるを貴ぶ者である。『詩経・大雅・皇矣』に言う。「識らず知らず、天帝の則に順う」と。これを言うのである。
端愨順弟,則可謂善少者矣;加好學遜敏焉,則有鈞無上,可以為君子者矣。偷儒憚事,無廉恥而嗜乎飲食,則可謂惡少者矣;加愓悍而不順,險賊而不弟焉,則可謂不詳少者矣,雖陷刑戮可也。老老而壯者歸焉,不窮窮而通者積焉,行乎冥冥而施乎無報,而賢不肖一焉。人有此三行,雖有大過,天其不遂乎!
端謹にして悌道に順えば、好い少年と言うことができる。これに好学謙遜敏捷を加えれば、それに相等するものはあれどその上に立つものはなく、君子となることができる。偷懒して懦弱、事を怕れ、廉恥なく飲食を嗜めば、悪い少年と言うことができる。これに放蕩凶悍にして順わず、険険にして賊害し悌せずを加えれば、不祥の少年と言うことができる(底本は「不詳」、詳は祥の誤り)。刑戮に陷っても当然である。老人を尊敬すれば壮年の者が帰附し、窮困する者を窮めなければ通達する者が集まり、闇中に行い施して報いを求めなければ、賢も不肖も斉一する。人にこの三つの徳行があれば、大きな過失があっても、天はおそらく彼を敗らせないであろう。
君子之求利也略,其遠害也早,其避辱也懼,其行道理也勇。君子貧窮而志廣,富貴而體恭,安燕而血氣不惰,勞倦而容貌不枯,怒不過奪,喜不過予。君子貧窮而志廣,隆仁也;富貴而體恭,殺埶也;安燕而血氣不衰,柬理也;勞倦而容貌不枯,好交也;怒不過奪,喜不過予,是法勝私也。書曰:"無有作好,遵王之道。無有作惡,遵王之路。"此言君子之能以公義勝私慾也。
君子の利を求めるは簡略であり、禍害を遠ざけるは早く、恥辱を避けるは畏れ、道理を行うは勇敢である。君子は貧窮して志は広大、富貴して身は恭敬、安閑にして血気は怠らず、労倦にして容貌は枯槁せず、怒りは奪うに過ぎず、喜びは賜うに過ぎない。君子が貧窮して志が広大なのは仁を崇ぶからであり、富貴して身が恭敬なのは勢を減殺するからであり、安閑にして血気が衰えないのは理を選ぶからであり、労倦にして容貌が枯槁しないのは文を好むからであり(底本は「交」、交は文の誤り)、怒りが奪うに過ぎず喜びが賜うに過ぎないのは、法が私に勝つからである。『書』に言う。「私好なく、王の道に遵え。私悪なく、王の路に遵え」と。これは君子が公義を以て私欲に勝つことができるを言うのである。
不苟篇第三
君子行不貴苟難,說不貴苟察,名不貴苟傳,唯其當之為貴。故懷負石而投河,是行之難為者也,而申徒狄能之;然而君子不貴者,非禮義之中也。"山淵平","天地比","齊秦襲","入乎耳,出乎口","鉤有須","卵有毛",是說之難持者也,而惠施鄧析能之。然而君子不貴者,非禮義之中也。盜跖貪兇,名聲若日月,與舜禹俱傳而不息;然而君子不貴者,非禮義之中也。故曰:君子行不貴苟難,說不貴苟察,名不貴苟傳,唯其當之為貴。詩曰:"物其有矣,惟其時矣。"此之謂也。
君子の行いは苟且の難能を以て貴しとせず、学説は苟且の明察を以て貴しとせず、名声は苟且の流伝を以て貴しとせず、ただ恰当を以て貴しとする。だから石を懐に抱いて河に投じるは、行いの中の難きところで、申徒狄はこれを能くした。しかし君子は貴ばない。礼義の中にないからである。「山と淵は平し」「天と地は比し」「斉と秦は合す」「耳より入り口より出づ」「婦に須あり」「卵に毛あり」は、学説の中の持ち難きところで、恵施・鄧析はこれを持つことができた。しかし君子は貴ばない。礼義の中にないからである。盗跖は貪婪凶悪で、名声は日月のごとく、舜禹とともに流伝して息まない。しかし君子は貴ばない。礼義の中にないからである。だから言う。君子の行いは苟且の難能を以て貴しとせず、学説は苟且の明察を以て貴しとせず、名声は苟且の流伝を以て貴しとせず、ただ恰当を以て貴しとする。『詩経・小雅・魚麗』に言う。「物は已にあり、ただ時に適うに在り」と。これを言うのである。
君子易知而難狎,易懼而難脅,畏患而不避義死,欲利而不為所非,交親而不比,言辯而不辭,蕩蕩乎其有以殊於世也。
君子は交わり易くして狎れ難く、戒め易くして脅迫し難く、禍患を畏れながら義のための死を避けず、利を欲しながら為すべからざるを為さず、交遊親近しながら勾結せず、言辞は善弁ながら言辞に流れない。坦荡たり、彼には世俗と異なる所以があるのである。
君子能亦好,不能亦好;小人能亦醜,不能亦醜。君子能則寬容易直以開道人,不能則恭敬繜絀以畏事人;小人能則倨傲僻違以驕溢人,不能則妒嫉怨誹以傾覆人。故曰:君子能則人榮學焉,不能則人樂告之;小人能則人賤學焉,不能則人羞告之。是君子小人之分也。
君子は才能あれば好く、才能なくとも好い。小人は才能あっても醜く、才能なくても醜い。君子は才能あれば寛容易直にして人を開導し、才能なければ恭敬謙退にして人を敬事する。小人は才能あれば倨傲邪僻にして人に驕り、才能なければ嫉妬怨誹にして人を傾覆する。だから言う。君子に才能あれば、人は彼に学ぶを栄とし、才能なくとも、人は彼に告げるを楽しむ。小人に才能あれば、人は彼に学ぶを賤とし、才能なければ、人は彼に告げるを羞じる。これが君子と小人の分別である。
君子寬而不僈,廉而不劌,辯而不爭,察而不激,直立而不勝,堅強而不暴,柔從而不流,恭敬謹慎而容。夫是之謂至文。詩曰:"溫溫恭人,惟德之基。"此之謂也。
君子は寛緩ながら怠慢せず、棱角あっても傷つけず、善弁ながら争競せず、明察ながら偏激せず、身を立てて正直ながら盛気凌人せず、堅強ながら暴虐せず、柔従ながら波に随わず、恭敬謹慎にして容れる所あり。これを至文という。『詩経・大雅・抑』に言う。「温恭の人は、徳の基なり」と。これを言うのである。
君子崇人之德,揚人之美,非諂諛也;正義直指,舉人之過,非毀疵也;言己之光美,擬於舜禹,參於天地,非夸誕也;與時屈伸,柔從若蒲葦,非懾怯也;剛強猛毅,靡所不信,非驕暴也;以義變應,知當曲直故也。詩曰:"左之左之,君子宜之;右之右之,君子有之。"此言君子以義屈信變應故也。
君子が人の徳を推し崇め、人の美を表揚するは、諂谀ではない。正誼を持し直指し、人の過ちを挙げるは、毀謗挑剔ではない。己の光美を称説し、舜禹に比擬し、天地に参配するは、夸誕ではない。時勢に随って屈伸し、蒲葦のごとく柔従するは、慑怯ではない。剛強猛毅にして伸びざる所なきは、驕暴ではない。義を以て変に応じ、当に曲すべきか直すべきかの故を知るのである。『詩経・小雅・裳裳者華』に言う。「左にすれば左、君子はこれに宜しく、右にすれば右、君子はこれを有す」と。これは君子が義を以て屈伸し変に応ずる故を言うのである。
君子小人之反也:君子大心則敬天而道,小心則畏義而節;知則明通而類,愚則端愨而法;見由則恭而止,見閉則敬而齊;喜則和而理,憂則靜而理;通則文而明,窮則約而詳。小人則不然:大心則慢而暴,小心則淫而傾;知則攫盜而漸,愚則毒賊而亂;見由則兌而倨,見閉則怨而險;喜則輕而翾,憂則挫而懾;通則驕而偏,窮則棄而儑。傳曰:"君子兩進,小人兩廢。"此之謂也。
君子と小人は相反する。君子は心志が大きければ天を敬い道に遵い、心志が小さければ義を畏れて節制あり、智なれば明通にして類を推すことができ、愚なれば端謹にして法を守り、進用されれば恭敬にして止まる所あり、閉拒されれば敬慎にして整斉し、喜べば和諧にして条理あり、憂えば安静にして条理あり、通達すれば文ありて顕明、窮困すれば簡約にして周詳である。小人は然らず。心志が大きければ傲慢にして暴虐、心志が小さければ淫邪にして傾危、智なれば攫取盗竊にして欺詐、愚なれば毒害賊乱し、進用されれば巧悦にして倨傲、閉拒されれば怨恨にして険険、喜べば軽佻にして軽挙、憂えば挫折して慑惧、通達すれば驕縦にして偏頗、窮困すれば自棄にして困窘する。伝記に言う。「君子は両境遇にも増進し、小人は両境遇にも廃壊す」と。これを言うのである。
君子治治,非治亂也。曷謂邪?曰:禮義之謂治,非禮義之謂亂也。故君子者,治禮義者也,非治非禮義者也。然則國亂將弗治與?曰:國亂而治之者,非案亂而治之之謂也。去亂而被之以治。人汙而修之者,非案汙而修之之謂也,去汙而易之以修。故去亂而非治亂也,去汙而非修汙也。治之為名,猶曰君子為治而不為亂,為修而不為汙也。
君子の治めるは治であって、乱を治めるのではない。どういうことか。曰く、礼義を治と言い、礼義ならざるを乱という。だから君子は礼義を治める者であって、礼義ならざるを治める者ではない。では国家が乱れたら治めないのか。曰く、国家が乱れてこれを治めるは、乱に就いて乱を治めるの義ではない。乱を去ってこれに治を覆うのである。人が汚穢してこれを修整するは、汚穢に就いて汚穢を修めるの義ではなく、汚穢を去って修整に換えるのである。だから乱を去るは乱を治めるにあらず、汚穢を去るは汚穢を修めるにあらず。治の名称として、君子は治を為して乱を為さず、修整を為して汚穢を為さずと言うがごとし。
君子絜其身而同焉者合矣,善其言而類焉者應矣。故馬鳴而馬應之,牛鳴而牛應之,非知也,其埶然也。故新浴者振其衣,新沐者彈其冠,人之情也。其誰能以己之潐潐,受人之掝掝者哉!
君子は身を潔くすれば同類が来り会し、その言辞を完善すれば同類が来り応ず。だから馬が鳴けば馬がこれに応え、牛が鳴けば牛がこれに応えるは、智ではなく、勢いが然らしめるのである。だから新たに浴した者はその衣を払い、新たに頭を洗った者はその冠を弾くは、人の常情である。誰が己の洁白を以て、人の汚濁を受け入れようか。
君子養心莫善於誠,致誠則無它事矣。惟仁之為守,惟義之為行。誠心守仁則形,形則神,神則能化矣。誠心行義則理,理則明,明則能變矣。變化代興,謂之天德。天不言而人推其高焉,地不言而人推其厚焉,四時不言而百姓期焉。夫此有常,以至其誠者也。君子至德,嘿然而喻,未施而親,不怒而威:夫此順命,以慎其獨者也。善之為道者,不誠則不獨,不獨則不形,不形則雖作於心,見於色,出於言,民猶若未從也;雖從必疑。天地為大矣,不誠則不能化萬物;聖人為知矣,不誠則不能化萬民;父子為親矣,不誠則疏;君上為尊矣,不誠則卑。夫誠者,君子之所守也,而政事之本也,唯所居以其類至。操之則得之,舍之則失之。操而得之則輕,輕則獨行,獨行而不捨,則濟矣。濟而材盡,長遷而不反其初,則化矣。
君子が心を養うに誠より善きはなく、誠を極致に致せば他の事はない。ただ仁を守り、ただ義を行うのみ。誠心に仁を守れば現れ、現れば神妙となり、神妙なれば化育することができる。誠心に義を行えば条理あり、条理あれば顕明となり、顕明なれば変えることができる。変化迭り興るを天徳という。天は言わずして人はその高を推許し、地は言わずして人はその厚を推許し、四時は言わずして百姓は期して待つ。これらに常あるは、誠を極致に致したからである。君子の至徳は、黙然としても人を暁喻し、未だ施さずして人を親しませ、怒らずして威ある。これは天命に順い、慎んでその独り居る所の者である。善を道と為す者は、誠なくして独り居て審らかにすることができず、独り居て審らかにすることができなければ現れず、現れなければ、たとえ心に発し、臉色に表れ、言語に出しても、民はなお従わないがごとく、たとえ従っても必ず疑惑する。天地は大きいと雖も、誠なくして万物を化育すること能わず。聖人は智あると雖も、誠なくして万民を化育すること能わず。父子は親しいと雖も、誠なくては疎んじられる。君上は尊いと雖も、誠なくては卑しめられる。あの誠は、君子の守る所にして、また政事の根本である。ただ居処する所を見れば、その同類が至る。これを操ればこれを得、これを捨てればこれを失う。操りてこれを得れば軽便となり、軽便なれば独り行い、独り行いて捨てなければ成り就く。成り就きて才性を尽くし、長く迁化して初めに返らなければ、化するのである。
君子位尊而志恭,心小而道大;所聽視者近,而所聞見者遠。是何邪?則操術然也。故千人萬人之情,一人之情也。天地始者,今日是也。百王之道,后王是也。君子審后王之道,而論百王之前,若端拜而議。推禮義之統,分是非之分,總天下之要,治海內之眾,若使一人。故操彌約,而事彌大。五寸之矩,盡天下之方也。故君子不下室堂,而海內之情舉積此者,則操術然也。
君子は地位が尊貴にして志は恭謹、心は小さくして道は大きい。聴く所見る所は近く、聞く所知る所は遠い。これは何ゆえか。操持する術が然らしめるのである。だから千人万人の情は一人の情であり、天地の始まりの情は今日このようであり、百王の道は後王このようである。君子は後王の道を審察して百王の前に論列するは、拜揖を端正して議論するがごとし。礼義の統紀を推し広め、是非の分際を分かち清め、天下の要約を総括し、海内の民衆を治めるは、一人を役使するがごとし。だから操持は越えて簡約なほど、事業は大きい。五寸の矩尺は天下の方形を窮めることができる。だから君子は堂を下らずして海内の情状は皆ここに聚まる。操持する術が然らしめるのである。
有通士者,有公士者,有直士者,有愨士者,有小人者。上則能尊君,下則能愛民,物至而應,事起而辨,若是則可謂通士矣。不下比以闇上,不上同以疾下,分爭於中,不以私害之,若是則可謂公士矣。身之所長,上雖不知,不以悖君;身之所短,上雖不知,不以取賞;長短不飾,以情自竭,若是則可謂直士矣。庸言必信之,庸行必慎之,畏法流俗,而不敢以其所獨甚,若是則可謂愨士矣。言無常信,行無常貞,唯利所在,無所不傾,若是則可謂小人矣。
通士あり、公士あり、直士あり、愨士あり、小人あり。上に能く君を尊び、下に能く民を愛し、物至れば能く応じ、事興れば能く辨別する。かくのごとくなれば通士と言うべし。下に勾結して上を蒙蔽せず、上に迎合して下を忌害せず、中に争訟を分別して私を以てこれを害せず。かくのごとくなれば公士と言うべし。身の長所は、上たとえ知らずとも、これを以て君に悖らず。身の短所は、上たとえ知らずとも、これを以て賞を求めず。長短に文飾を加えず、実情を自ら竭くして言う。かくのごとくなれば直士と言うべし。平常の言は必ず信守し、平常の行は必ず謹慎し、流俗に效うを畏れ、己れ独り是とする所を敢えて人に強いない。かくのごとくなれば愨士と言うべし。言に常信なく、行に常貞なく、ただ利の在る所を見て傾側せざるなし。かくのごとくなれば小人と言うべし。
公生明,偏生闇,端愨生通,詐偽生塞,誠信生神,夸誕生惑。此六生者,君子慎之,而禹桀所以分也。
公正は明察を生じ、偏私は昏暗を生じ、端謹は通達を生じ、詐偽は壅塞を生じ、誠信は神妙を生じ、夸誕は惑乱を生ず。この六つの生ずる所、君子はこれを慎むべし。禹と桀の分かれる所以でもある。
欲惡取捨之權:見其可欲也,則必前後慮其可惡也者;見其可利也,則必前後慮其可害也者,而兼權之,孰計之,然後定其欲惡取捨。如是則常不失陷矣。凡人之患,偏傷之也。見其可欲也,則不慮其可惡也者;見其可利也,則不慮其可害也者。是以動則必陷,為則必辱,是偏傷之患也。
欲悪取捨の権衡――その欲すべきを見れば、必ず前後してその悪すべきを慮り、その利すべきを見れば、必ず前後してその害すべきを慮る。両方面に権衡し、仔細に計算して、後に欲悪取捨を決定する。かくのごとくすれば常に失陷に陷らない。凡人の禍患は、偏頗が彼を傷つけることである。その欲すべきを見ればその悪すべきを慮らず、その利すべきを見ればその害すべきを慮らない。それゆえ一動すれば必ず陷り、一為せば必ず辱められる。これが偏頗傷害の禍患である。
人之所惡者,吾亦惡之。夫富貴者,則類傲之;夫貧賤者,則求柔之。是非仁人之情也,是奸人將以盜名於晻世者也,險莫大焉。故曰:盜名不如盜貨。田仲史不如盜也。
人の悪む所を、我もまたこれを悪む。あの富貴の者には一概に傲視し、あの貧賤の者には一概に柔順する。これは仁人の情ではなく、奸人が昏暗の世に名を盗まんとする者で、険悪これより大なるはなし。だから言う。名を盗むは貨を盗むに如かず。田仲・史鰌(底本この字は生僻字、転写後に失落)は盗賊に如かずと。
