Libo

君子篇第二十四

战国 · 荀况 · 第11巻 / 12

曾子食魚,有餘,曰:"泔之。"門人曰:"泔之傷人,不若奧之。"曾子泣涕曰:"有異心乎哉!"傷其聞之晚也。

曾子は魚を吃して、余剩有りて曰く、「米汁を以てそれを浸泡せよ」と。門人曰く、「米汁に浸泡するは人を傷害して、鹽に以てそれを腌するに如かず」と。曾子は哭泣して曰く、「我は異心有るか」と。彼がこの話を聞くの晚きを傷感す。

無用吾之所短,遇人之所長。故塞而避所短,移而從所仕。疏知而不法,辨察而操僻,勇果而無禮,君子之所憎惡也。

我が短き所を以て、别人の長き所に遇うるなかれ。だから堵塞して短き所を避開して、轉移して能くする所に從う。智識は疎闊して而して法なく、辯察して而して僻を操持し、勇果して而して礼なきは、君子の憎惡する所なり。

多言而類,聖人也;少言而法,君子也;多言無法,而流湎然,雖辯,小人也。

話は多くして而して倫類有るは、聖人なり。話は少なくして而して法有るは、君子なり。話は多くして法なくして、而して放縱沉湎するは、たとえ辯に善くとも、小人なり。

國法禁拾遺,惡民之串以無分得也,有夫分義,則容天下而治;無分義,則一妻一妾而亂。

国法は拾取遺失物を禁止するは、民が分際なく得到するに習慣するを厭惡するなり。あの分際と義有れば、則ち天下を容納して而して能く治め、分際と義なければ、則ち一妻一妾なりとも亦乱れん。

天下之人,唯各特意哉,然而有所共予也。言味者予易牙,言音者予師曠,言治者予三王。三王既以定法度,制禮樂而傳之,有不用而改自作,何以異於變易牙之和,更師曠之律?無三王之法,天下不待亡,國不待死。

天下の人は、たとえ各々独特の意有るとも、然りて共同の称許有り。滋味を談ずるは易牙を称許し、音楽を談ずるは師曠を称許し、治理を談ずるは三王を称許す。三王は已に法度を確定して、礼楽を制定して而して流傳して來たり。人あるいはこれを用いずして自ら改作するは、易牙の調和を改變し、師曠の楽律を更換するとなんの異有らん。三王の法なければ、天下は己を亡ぼすを待たずして、国家は己を死せるを待たず。

飲而不食者,蟬也;不飲不食者,浮蝣也。

ただ飲みて吃せざるは、蟬なり。飲まず吃せざるは、浮蝣なり。

虞舜、孝己孝而親不愛,比干、子胥忠而君不用,仲尼、顏淵知而窮於世。劫迫於暴國而無所闢之,則崇其善,揚其美,言其所長,而不稱其所短也。

虞舜・孝己は孝して而して雙親は愛さず、比干・子胥は忠して而して君は任用せず、仲尼・顔淵は智して而して世上に窮困す。暴国に脅迫せられて而して避開する處なければ、則ちその善を崇尚し、その美を發揚して、その長ずる所を説きて、而してその短き所を称説せず。

惟惟而亡者,誹也;博而窮者,訾也;清之而俞濁者,口也。

唯唯諾諾して而して滅亡するは、誹謗に因るなり。廣博して而して困窮するは、詆毀に因るなり。それを澄清して而して更に渾濁するは、口に因るなり。

君子能為可貴,不能使人必貴己;能為可用,不能使人必用己。

君子は能く貴くすべきを為して、能く人をして必ず己を看重せしむる能わず。能く用いるべきを為して、能く人をして必ず己を任用せしむる能わず。

誥誓不及五帝,盟詛不及三王,交質子不及五伯。

誥誓は五帝の時代に到らず、盟詛は三王の時代に到らず、人質を交換するは五霸の時代に到らず。

宥坐篇第二十八

孔子觀於魯桓公之廟,有欹器焉,孔子問於守廟者曰:"此為何器?"守廟者曰:"此蓋為宥坐之器,"孔子曰:"吾聞宥坐之器者,虛則欹,中則正,滿則覆。"孔子顧謂弟子曰:"注水焉。"弟子挹水而注之。中而正,滿而覆,虛而欹,孔子喟然而嘆曰:"籲!惡有滿而不覆者哉!"子路曰:"敢問持滿有道乎?"孔子曰:"聰明聖知,守之以愚;功被天下,守之以讓;勇力撫世,守之以怯,富有四海,守之以謙:此所謂挹而損之之道也。"

孔子は魯桓公の廟を觀看して、一件の傾斜の器有り。孔子は廟を守る人に問うて曰く、「これは何の器ぞ」と。廟を守る人曰く、「これはほぼ宥坐の器ならん」と。孔子曰く、「我は聞く、宥坐の器は、空なれば則ち傾斜し、適中なれば則ち正しく、滿なれば則ち翻覆す」と。孔子は頭を回らして弟子に對して曰く、「水を注ぎて進入せよ」と。弟子は水を舀いて注入す。適中なれば則ち正しく、滿なれば則ち翻覆し、空なれば則ち傾斜す。孔子は嘆息して曰く、「嗚呼。どうして滿して而して翻覆せざる有らんや」と。子路曰く、「敢えて問う、滿を保持するに道有るか」と。孔子曰く、「聰明聖智は、愚を以て持守し、功は天下を覆蓋するは、謙讓を以て持守し、勇力は世を蓋うは、怯を以て持守し、富は四海を有するは、謙を以て持守す。これは則ち所謂挹取して減損するの道なり」と。

孔子為魯攝相,朝七日而誅少正卯。門人進問曰:"夫少正卯魯之聞人也,夫子為政而始誅之,得無失乎,"孔子曰:"居,吾語女其故。人有惡者五,而盜竊不與焉:一曰:心達而險;二曰:行闢而堅;三曰:言偽而辯;四曰:記醜而博;五曰:順非而澤--此五者有一於人,則不得免於君子之誅,而少正卯兼有之。故居處足以聚徒成群,言談足飾邪營眾,強足以反是獨立,此小人之桀雄也,不可不誅也。是以湯誅尹諧,文王誅潘止,周公誅管叔,太公誅華仕,管仲誅付裡乙,子產誅鄧析史付,此七子者,皆異世同心,不可不誅也。詩曰:'憂心悄悄,慍於群小。'小人成群,斯足憂也。"

孔子は魯の代理相を為して、上朝七日にして則ち少正卯を誅殺す。門人は進み前りて問うて曰く、「少正卯は魯の有名の人にして、夫子は政を執りて開始に彼を誅殺すは、該り過失あらざらんか」と。孔子曰く、「坐せ。我はなんぢに緣故を吿げん。人に五种の惡有りて、而して盗竊はその中に在らず。一は、心は通達して而して險し。二は、行為は僻にして而して堅定なり。三は、言は虚僞して而して辯に善し。四は、記述は醜惡して而して廣博なり。五は、錯誤に順從して而して潤澤す。こ五樣の人は一樣有れば、則ち能く君子の誅殺を免れずして、而して少正卯はそれらを兼有す。だから居處は以て徒衆を聚集して群と成すに足り、言談は以て邪説を文飾して衆人を迷惑するに足り、強は以て正道に反對して獨立するに足る。これは小人の中の豪雄にして、以て誅殺せざるべからず。これに因って湯は尹諧を誅殺し、文王は潘止を誅殺し、周公は管叔を誅殺し、太公は華仕を誅殺し、管仲は付里乙を誅殺し、子産は鄧析・史付を誅殺す。こ七個の人は、皆世代を同じくせずして而して心は相同じくして、以て誅殺せざるべからず。『詩経・邶風・柏舟』に言う。「憂心は悄悄として、群小に怨怒せらる」と。小人は群と成れば、これは以て憂うに値するなり」と。

孔子為魯司寇,有父子訟者,孔子拘之,三月不別。其父請止,孔子舍之。季孫聞之,不說,曰:"是老也欺予。語予曰:為國家必以孝。今殺一人以戮不孝!又舍之。"冉子以告。孔子慨然嘆曰:"嗚呼!上失之,下殺之,其可乎?不教其民,而聽其獄,殺不辜也。三軍大敗,不可斬也;獄犴不治,不可刑也,罪不在民故也。嫚令謹誅,賊也。今生也有時,斂也無時,暴也;不教而責成功,虐也。--已此三者,然後刑可即也。書曰:'義刑義殺,勿庸以即,予維曰未有順事。'言先教也。故先王既陳之以道,上先服之;若不可,尚賢以綦之;若不可,廢不能以單之;綦三年而百姓從風矣。邪民不從,然後俟之以刑,則民知罪矣。詩曰:'尹氏大師,維周之氐;秉國之均,四方是維;天子是庳,卑民不迷。'是以威厲而不試,刑錯而不用,此之謂也。今之世則不然:亂其教,繁其刑,其民迷惑而墮焉,則從而制之,是以刑彌繁,而邪不勝。三尺之岸而虛車不能登也,百仞之山任負車登焉,何則?陵遲故也。數仞之牆而民不踰也,百仞之山而豎子馮而遊焉,陵遲故也。今之世陵遲已久矣,而能使民勿踰乎,詩曰:'周道如砥,其直如矢。君子所履,小人所視。眷焉顧之,潸焉出涕。'豈不哀哉!"

孔子は魯の司寇を為して、父子の訴訟有るに、孔子は彼を拘留して、三個月は判決せず。その父は停止を請求して、孔子は彼を釋放せり。季孫は聴聞して、喜悅せずして曰く、「この老頭子は我を欺騙す。我に吿曰く、国家を治理するは必ず孝を用うと。如今一人を殺して以て不孝を懲戒せんとすれど、却って彼を釋放せり」と。冉子はこの話を以て孔子に吿げり。孔子は感慨嘆息して曰く、「嗚呼。上は教化を失うて、下は殺戮するは、豈に以て可ならんや。その民を教育せずして、而して��の獄訟を聽斷するは、無辜を殺すなり。三軍は大敗せば、以て斬殺すべからず。監獄は治理せざれば、以て刑を動かすべからず。罪は民に在らざるの故なり。法令は怠慢して而して誅殺は急迫なるは、賊なり。如今生產に時節有りて、斂取に時節なきは、暴なり。教育せずして而して成功を責求するは、虐なり。――こ三樣を止息して、然る後に刑は乃ち以て就近使用すべし。『尚書』に言う。「正当の刑・正当の殺は、就きて以て即ち施行するなかれ。我はただいまだ事情を理順せずと言う」と。是れ先に教育するを言うなり。だから先王は已に道を陳列して、上は先ず自ら實行す。もし猶行はれざれば、則ち賢を崇尚して極力に引導す。もし猶行はれざれば、則ち不能のを廢して以て彼らを警惕す。三年を滿して而して百姓は風に從えり。邪民は猶從わざれば、然る後に刑を以て彼らを待てば、則ち民は罪を知る。『詩経・小雅・節南山』に言う。「尹氏太師は、周の根基にして、国家の均平を執掌して、四方は彼に靠って維繫して、天子は彼に靠って輔佐して、民をして迷惑せざらしむ」と。これに因って威厳は厲にして而して試用せず、刑罰は擱置して而して用いず。言う所はこれなり。如今の世道は則ちこれにあらず。あの教化を擾乱して、あの刑罰を繁多して、民は迷惑して堕落せば、則ち從りて彼らを制裁す。これに因って刑は更に繁多して、而して邪は能く勝えず。三尺の陡岸にして而して空車は能く登上せず、百仞の山にして負重の車は能く登上するは、何ぞや。坡度は平緩なるに因るなり。幾仞の牆にして而して民は越えず、百仞の山にして而して孩子は登上去して游玩するは、坡度は平緩なるに因るなり。如今の世道は平緩なりて已に久し。還って能く民をして越えざらしめんや。『詩経・小雅・大東』に言う。「周道は磨石のごとく、その直は箭のごとし。君子の踐履する所にして、小人の注視する所なり。頭を回らしてそれを看れば、眼淚は落下す」と。豈に悲哀ならざらんや」と。

詩曰:"瞻彼日月,悠悠我思。道之雲遠,曷雲能來。"子曰:"伊稽首不其有來乎?"

『詩経・邶風・雄雉』に言う。「あの日月を看れば、悠悠として我は想念す。道路はあれほど遠くして、どうして能く來らん」と。孔子曰く、「もし能く本原を稽考せば、豈に來る有らざらんや」と。

孔子觀於東流之水。子貢問於孔子曰:"君子之所以見大水必觀焉者,是何?"孔子曰:"夫水遍與諸生而無為也,似德。其流也埤下,裾拘必循其理,似義,其洸洸乎不淈盡,似道。若有決行之,其應佚若聲響,其赴百仞之谷不懼,似勇。主量必平,似法。盈不求概,似正。淖約微達,似察。以出以入以就鮮絜,似善化。其萬折也必東,似志。是故見大水必觀焉。

孔子は東に向かいて流るる水を觀看す。子貢は孔子に問うて曰く、「君子の大水を見れば必ず觀看する所以は、何を為とす」と。孔子曰く、「水は普遍に各種の生物に給与して而して己は無為にして、徳に象る。それは流るれば則ち低下に向かいて、彎彎曲曲して必ずあの理に順いて、義に象る。それは浩浩して枯竭せずして、道に象る。もし決開して而してそれを行かしむ有れば、それは應和奔放するは聲響のごとくして、それは百仞の山谷に奔赴して懼れずして、勇に象る。容器に注入すれば必ず平にして、法に象る。滿ちて而して概を以て刮平を求めずして、正に象る。柔弱細微して而して能く通達して、察に象る。出去進來して而して鮮潔に就て、教化に善きに象る。それは万次曲折するも必ず東に向かうて、志に象る。これに因って大水を見れば必ず觀看す」と。

孔子曰:"吾有恥也,吾有鄙也,吾有殆也:幼不能強學,老無以教之,吾恥之,去其故鄉,事君而達,卒遇故人曾無舊言,吾鄙之;與小人處者,吾殆之也。"

孔子曰く、「我は以て恥と為す有り、我は以て鄙と為す有り、我は以て危殆と為す有り。年幼して努力学習せず、老して以て人を教えるなきは、我は以て恥と為す。その故郷を離れて、君に事えて顯達して、突然故人に遇見して竟に旧日の話なきは、我は以て鄙と為す。小人と相處するは、我は以て危殆と為す」と。

孔子曰:"如垤而進,吾與之;如丘而止,吾已矣。"今學曾未如(月尤)贅,則具然欲為人師。

孔子曰く、「螻蟻塚のごとく前進するは、我は彼を許贊す。山丘のごとく停止するは、我は完了せり」と。如今学問は還って贅疣に如かずして、却って自滿して人の老師を為さんと欲す。

孔子南適楚,厄於陳蔡之間,七日不火食,藜羹不糝,弟子皆有飢色。子路進而問之曰:"由聞之:為善者天報之以福,為不善者天報之以禍,今夫子累德積義懷美,行之日久矣,奚居之隱也?"孔子曰:"由不識,吾語女。女以知者為必用邪?王子比干不見剖心乎!女以忠者為必用邪?關龍逢不見刑乎!女以諫者為必用邪?吳子胥不磔姑蘇東門外乎!夫遇不遇者,時也;賢不肖者,材也;君子博學深謀,不遇時者多矣!由是觀之,不遇世者眾矣,何獨丘也哉!且夫芷蘭生於深林,非以無人而不芳。君子之學,非為通也,為窮而不困,憂而意不衰也,知禍福終始而心不惑也。夫賢不肖者,材也;為不為者,人也;遇不遇者,時也;死生者,命也。今有其人,不遇其時,雖賢,其能行乎?苟遇其時,何難之有!故君子博學深謀,修身端行,以俟其時。"孔子曰:"由!居!吾語女。昔晉公子重耳霸心生於曹,越王句踐霸心生於會稽,齊桓公小白霸心生於莒。故居不隱者思不遠,身不佚者志不廣;女庸安知吾不得之桑落之下?"

孔子は南して楚に至りて、陳蔡の間に困窮して、七日は火を燒いて飯を為さずして、藜菜の湯は米粒なくして、弟子は皆飢色有り。子路は進み前りて彼に問うて曰く、「由は聞く、善を為すは天は福を以て彼に報い、不善を為すは天は禍を以て彼に報うと。如今夫子は徳を積累して義を積累して美を懷抱して、實行して已に日子久し。どうして處境はこのごとく困窮する」と。孔子曰く、「由は明白せず。我はなんぢに吿げん。なんぢは以て智者は必ず任用せらるると為すか。王子比干は心を剖かれたるにあらずや。なんぢは以て忠者は必ず任用せらるると為すか。關龍逢は刑を受けたるにあらずや。なんぢは以て勸諫する人は必ず任用せらるると為すか。呉国の子胥は姑蘇東門の外に肢體を分裂せられたるにあらずや。遇上するやせざるやは、時運なり。賢と不肖とは、材料なり。君子は博学深謀して、時運に遇上せざるは多し。これより觀れば、世に遇上せざる人は多し。どうしてただ丘のみならん。況んや芷蘭は深林に生るるは、並びに人なきに因って香ならざらず。君子の学は、顯達のためならずして、窮困して而して困窘せざるのため、憂愁して而して意は衰減せざるのため、禍福終始を知りて而して心は迷惑せざるのためなり。賢と不肖とは、材料なり。為すと為さざるとは、人なり。遇上するやせざるやは、時運なり。死生は、命なり。如今あのごとき人にして、あのごとき時運に遇上せざれば、たとえ賢なるも、彼は能く實行せんや。もしあのごとき時運に遇上せば、何の難有らん。だから君子は博学深謀して、身を修め行を端正して、以てその時運を待つ」と。孔子曰く、「由。坐せ。我はなんぢに吿げん。從前晋公子重耳の覇心は曹に生じ、越王勾践の覇心は會稽に生じ、齊桓公小白の覇心は莒に生じたり。だから處境困窮せざる人は思慮は深遠ならず、自身は逃逸せざる人は志向は廣大ならず。なんぢはどうして我は能く桑落の下に得る所有るを知らんや」と。

子貢觀於魯廟之北堂,出而問於孔子曰:"鄉者賜觀於太廟之北堂,吾亦未輟,還復瞻被九蓋皆繼,被有說邪?匠過絕邪?"孔子曰:"太廟之堂亦嘗有說,官致良工,因麗節文,非無良材也,蓋曰貴文也。"

子貢は魯廟の北堂を觀看して、出でて孔子に問うて曰く、「さっき賜は太廟の北堂を觀看して、我は亦停止せずして、回来して再びあの門扇を看れば皆拼接にして、あの説法有るか。是れ工匠は過失にて截斷したるか」と。孔子曰く、「太廟の堂もまた嘗て説法有りて、官府は良工を招來して、華麗に就着して文飾を節制したり。良材なきにあらずして、ほぼ文を看重するを言うならん」と。

子道篇第二十九

入孝出弟,人之小行也。上順下篤,人之中行也;從道不從君,從義不從父,人之大行也。若夫志以禮安,言以類使,則儒道畢矣。雖堯舜不能加毫末於是矣。孝子所不從命有三:從命則親危,不從命則親安,孝子不從命乃衷;從命則親辱,不從命則親榮,孝子不從命乃義;從命則禽獸,不從命則修飾,孝子不從命乃敬。故可以從命而不從,是不子也;未可以從而從,是不衷也;明於從不從之義,而能致恭敬,忠信、端愨、以慎行之,則可謂大孝矣。傳曰:"從道不從君,從義不從父。"此之謂也。故勞苦、雕萃而能無失其敬,災禍、患難而能無失其義,則不幸不順見惡而能無失其愛,非仁人莫能行。詩曰:"孝子不匱。"此之謂也。

家に在りて孝して、門を出でて悌するは、人の小行なり。上に對して順從して下に對して篤厚するは、人の中行なり。道に從いて君に從わず、義に從いて父に從わざるは、人の大行なり。志向は礼を以て安んじ、言語は類に按じて使用するに至れば、則ち儒者の道は完備せり。たとえ尭舜なりともこの上に毫末を增加する能わず。孝子の從命せざる所以は三樣有りて、從命すれば則ち雙親は危うく、從命せざれば則ち雙親は安んず。孝子は從命せずして乃ち衷心なり。從命すれば則ち雙親は辱められ、從命せざれば則ち雙親は栄す。孝子は從命せずして乃ち義なり。從命すれば則ち禽獸と成りて、從命せざれば則ち修治文飾す。孝子は從命せずして乃ち敬なり。だから以て從命すべくして而して從わざるは、兒子に象らず。未だ以て從うべからざるに却って從うは、衷心ならず。從うと從わざるの義を明白して、而して能く恭敬・忠信・端謹を極尽して、以て謹慎に實行せば、則ち以て大孝と称すべし。傳記に言う。「道に從いて君に從わず、義に從いて父に從わず」と。これを言うのである。だから労苦・憔悴して而して能くあの敬を失わず、災禍・患難して而して能くあの義を失わず、たとえ不幸にして順ならずして厭惡せられても能くあの愛を失わざるは、仁人にあらざれば能く實行するなし。『詩経・大雅・既醉』に言う。「孝子は窮尽なし」と。これを言うのである。

魯哀公問於孔子曰:"子從父命,孝乎?臣從君命,貞乎?"三問,孔子不對。孔子趨出以語子貢曰:"鄉者,君問丘也,曰:'子從父命,孝乎?臣從君命,貞乎?'三問而丘不對,賜以為何如?"子貢曰:"子從父命,孝矣。臣從君命,貞矣,夫子有奚對焉?"孔子曰:"小人哉!賜不識也!昔萬乘之國,有爭臣四人,則封疆不削;千乘之國,有爭臣三人,則社稷不危;百乘之家,有爭臣二人,則宗廟不毀。父有爭子,不行無禮;士有爭友,不為不義。故子從父,奚子孝?臣從君,奚臣貞?審其所以從之之謂孝、之謂貞也。"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「兒子は父の命に聽從するは、孝なるか。臣は君の命に聽從するは、貞なるか」と。三たび問うて、孔子は回答せず。孔子は快步して出でて子貢に吿げて曰く、「さっき、君は丘に問うて曰く、『兒子は父の命に聽從するは、孝なるか。臣は君の命に聽從するは、貞なるか』と。三たび問うて而して丘は回答せず。賜は以て如何ぞや」と。子貢曰く、「兒子は父の命に聽從するは、孝なり。臣は君の命に聽從するは、貞なり。夫子はまた何の對答か有らん」と。孔子曰く、「小人なりや。賜は明白せず。從前万乘の国は、諫争の臣四個有れば、則ち疆界は削られず。千乘の国は、諫争の臣三個有れば、則ち社稷は危ならず。百乘の家は、諫争の臣兩個有れば、則ち宗廟は毁られず。父は諫争の兒子有れば、无礼を實行せず。士は諫争の朋友有れば、不義を為さず。だから兒子は父に聽從するは、どうして則ち兒子は孝ならん。臣は君に聽從するは、どうして則ち臣は貞ならん。聽從する所以を審察して乃ちこれを孝といい貞という」と。

子路問於孔子曰:"有人於此,夙興夜寐,耕耘樹藝,手足胼胝,以養其親,然而無孝之名,何也?"孔子曰:"意者身不敬與?辭不遜與?色不順與?古之人有言曰:'衣與!繆與!不女聊。'今夙興夜寐,耕耘樹藝,手足胼胝,以養其親,無此三者,則何為而無孝之名也?意者所友非人邪?"孔子曰:"由志之,吾語女。雖有國士之力,不能自舉其身。非無力也,勢不可也。故入而行不修,身之罪也;出而名不章,友之過也。故君子入則篤行,出則友賢,何為而無孝之名也!"

子路は孔子に問うて曰く、「人あるいはここに在りて、早起きて晚睡して、耕耘種植して、手脚は繭を磨出して、以てその雙親を養活して、然りて孝の名声なし。何ぞや」と。孔子曰く、「想来は自身は敬ならざるか。言辭は遜ならざるか。臉色は順ならざるか。古時の人に話有りて曰く、「衣服や。綢繆や。汝に靠って過活せず」と。如今早起きて晚睡して、耕耘種植して、手脚は繭を磨出して、以てその雙親を養活して、こ三樣の缺失なければ、則ちどうして孝の名声なからんや。想来は交る友は人にあらざるか」と。孔子曰く、「由は記住せよ。我はなんぢに吿げん。たとえ国士の力氣有るとも、能く自ら自身を擧起せず。力氣なきにあらずして、勢は以て可ならず。だから家に在りて徳行は修治せざるは、自身の罪なり。門を出でて名声は顯明ならざるは、朋友の過錯なり。だから君子は家に在れば則ち篤行して、門を出でば則ち賢友を交る。どうして孝の名声なからんや」と。

子路問於孔子曰:"魯大夫練而床,禮邪?"孔子曰:"吾不知也。"子路出,謂子貢曰:"吾以為夫子無所不知,夫子徒有所不知。"子貢曰:"汝何問哉?"子路曰:"由問:'魯大夫練而床,禮邪?'夫子曰:'吾不知也。'"子貢曰:"吾將為女問之。"子貢問曰:"練而床,禮邪?"孔子曰;"非禮也。"子貢出,謂子路曰:"女謂夫子為有所不知乎!夫子徒無所不知。女問非也。禮:居是邑不非其大夫。"

子路は孔子に問うて曰く、「魯大夫は練祭して而して床に睡るは、礼なるか」と。孔子曰く、「我は知らず」と。子路は出でて、子貢に對して曰く、「我は以て夫子は知らざるなしと為すも、夫子はただ知らざる有り」と。子貢曰く、「なんぢは何を問いてし」と。子路曰く、「由は問う、『魯大夫は練祭して而して床に睡るは、礼なるか』と。夫子曰く、『我は知らず』と」と。子貢曰く、「我は將になんぢのために問わん」と。子貢は問うて曰く、「練祭して而して床に睡るは、礼なるか」と。孔子曰く、「礼にあらず」と。子貢は出でて、子路に對して曰く、「なんぢは言う、夫子は知らざる有るかと。夫子はただ知らざるなし。なんぢの問うは不對なり。礼は、この邑に住めばその大夫を非議せず」と。

子路盛服而見孔子,孔子曰:"由,是裾裾何也?昔者江出於岷山,其始出也,其源可以濫觴,及其至江之津也,不放舟,不避風,則不可涉也。非維下流水多邪?今女衣服既盛,顏色充盈,天下且孰肯諫女矣!子路趨而出,改服而入,蓋猶若也。孔子曰:"由志之!吾語汝:奮於言者華,奮於行者伐,色知而有能者,小人也。故君子知之曰知之,不知曰不知,言之要也;能之曰能之,不能曰不能,行之至也。言要則知,行至則仁;既仁且知,夫惡有不足矣哉!"

子路は衣服は盛大にして孔子に見えり。孔子曰く、「由。このごとく衣服斉整するは何を為とす。從前江は岷山より出でて、それ剛て出づるは、あの源頭は以て酒杯を浮起すべく、それは江の渡口に到るを待てば、船を竝せず、風を避開せざれば、則ち以て渉るべからず。下游の水は多きにあらずや。如今なんぢは衣服已に盛大にして、臉色は充盈して、天下は將に誰かなんぢを勸諫せんを肯んずん」と。子路は快步して出でて、衣服を改換して再び進入して、ほぼ舒緩の樣子なり。孔子曰く、「由は記住せよ。我はなんぢに吿げん。言語の上に奮發するは浮華にして、行為の上に奮發するは自誇にして、臉色の上に知有りて能有るを顯するは、小人なり。だから君子は知れば則ち知ると説き、知らざれば則ち知らずと説くは、言の要約なり。能ければ則ち能くと説き、能くせざれば則ち能くせずと説くは、行の極致なり。言は要約を得れば則ち智にして、行は極致に至れば則ち仁なり。既に仁して而して智なるは、どうして還って不足か有らん」と。

子路入,子曰:"由!知者若何?仁者若何?"子路對曰:"知者使人知己,仁者使人愛己。"子曰:"可謂士矣。"子貢入,子曰:"賜!知者若何?仁者若何?"子貢對曰:"知者知人,仁者愛人。"子曰:"可謂士君子矣。"顏淵入,子曰:"回!知者若何?仁者若何?"顏淵對曰:"知者自知,仁者自愛。"子曰:"可謂明君子矣。"

子路は進入して、孔子曰く、「由。智者は如何ぞ。仁者は如何ぞ」と。子路は對答して曰く、「智者は人をして己を知らしめ、仁者は人をして己を愛せしむ」と。孔子曰く、「以て士と称すべし」と。子貢は進入して、孔子曰く、「賜。智者は如何���。仁者は如何ぞ」と。子貢は對答して曰く、「智者は人を知りて、仁者は人を愛す」と。孔子曰く、「以て士君子と称すべし」と。顔淵は進入して、孔子曰く、「回。智者は如何ぞ。仁者は如何ぞ」と。顔淵は對答して曰く、「智者は自ら知りて、仁者は自ら愛す」と。孔子曰く、「以て明君子と称すべし」と。

子路問於孔子曰:"君子亦有憂乎?"孔子曰:"君子其未得也,則樂其意,既已得之,又樂其治。是以有終生之樂,無一日之憂。小人者其未得也,則憂不得;既已得之,又恐失之。是以有終身之憂,無一日之樂也。"

子路は孔子に問うて曰く、「君子もまた憂有るか」と。孔子曰く、「君子は未だ得ざるの時に在りては、則ちその意を楽しみ、已に得之ば、またその治を楽しむ。これに因って終生の乐有りて、一日の憂なし。小人は未だ得ざるの時に在りては、則ち得られざるを憂愁して、已に得之ば、また失わんを恐怕る。これに因って終身の憂有りて、一日の乐なし」と。

法行篇第三十

公輸不能加於繩墨,聖人不能加於禮。禮者,眾人法而不知,聖人法而知之。

公輸は能く繩墨を超過せず、聖人は能く礼を超過せず。礼は、衆人は取法して而して知らず、聖人は取法して而してそれを知る。

曾子曰:"無內人之疏而外人之親,無身不善而怨人,無刑己至而呼天。內人之疏而外人之親,不亦反乎!身不善而怨人,不亦遠乎!刑己至而呼天,不亦晚乎!詩曰:'涓涓源水,不雝不塞。轂已破碎,乃大其輻。事已敗矣,乃重太息。'其雲益乎!"

曾子曰く、「家裏の人に對して疎遠して而して外面の人に對して親近するなかれ。自身は不善にして而して人を怨むるなかれ。刑罰は已に到りて而して乃ち天を呼ぶなかれ。家裏の人に對して疎遠して而して外面の人に對して親近するは、亦反るにあらずや。自身は不善にして而して人を怨むるは、亦題を離れ遠きにあらずや。刑罰は已に到りて而して乃ち天を呼ぶは、亦晚きにあらずや。『詩経』に言う。「涓涓の源水は、壅塞せざらず。車轂已に破碎して、乃ちあの輻を加大す。事情已に失敗して、乃ち長嘆を重复す」と。あのまた何の増益か有らん」と。

曾子病,曾元持足,曾子曰:"元!志之!吾語汝。夫魚鱉黿鼉猶以淵為淺而堀其中,鷹鳶猶以山為卑而增巢其上,及其得也必以餌。故君子能無以利害義,則恥辱亦無由至矣。"

曾子は病えり。曾元はその脚を握りて、曾子曰く、「元。記住せよ。我はなんぢに吿げん。魚鱉黿鼉は猶以て淵は淺すぎと為してその中に洞を打ちて、鷹鳶は猶以て山は低すぎと為してその上に巢を加高して、彼らの捕獲せらるるを待てば必ず誘餌に因る。だから君子は能く利に因って義を害せざれば、則ち耻辱もまた來るの無し」と。

子貢問於孔子曰:"君子之所以貴玉而賤(王民)者,何也?為夫玉之少而(王民)之多邪?"孔子曰:"惡!賜!是何言也!夫君子豈多而賤之,少而貴之哉!夫玉者,君子比德焉。溫潤而澤,仁也;栗而理,知也;堅剛而不屈,義也;廉而不劌,行也;折而不撓,勇也;瑕適並見,情也;扣之,其聲清揚而遠聞,其止輟然,辭也。故雖有(王民)之雕雕,不若玉之章章。詩曰:'言念君子,溫其如玉。'此之謂也。"

子貢は孔子に問うて曰く、「君子の玉を看重して珉を賤視する所以は、何を為とす。是れ玉は少くして珉は多きに因るか」と。孔子曰く、「惡。賜。これは何の話ぞ。君子は豈に多ければ則ちそれを賤視し、少ければ則ちそれを看重せんや。玉は、君子は以て徳を比ぶるなり。温潤して而して光澤有るは、仁なり。堅實して而して紋理有るは、智なり。堅剛して而して屈曲せざるは、義なり。棱角有りて而して割傷せざるは、行なり。折斷して而して撓曲せざるは、勇なり。瑕疵と美好とは一竝して顯現するは、情なり。それを敲けば、あの聲音は清揚して而して遠く傳ぇて、停止の時は截然たるは、辭なり。だからたとえ珉の雕琢文飾有るとも、玉の彰明に如かず。『詩経・秦風・小戎』に言う。「君子を想念するは、温和し���玉のごとし」と。これを言うのである」と。

曾子曰:"同遊而不見愛者,吾必不仁也;交而不見敬者,吾必不長也;臨財而不見信者,吾必不信也。三者在身曷怨人!怨人者窮,怨天者無識。失之己而反諸人,豈不亦迂哉!"

曾子曰く、「一同游處して而して愛せられざるは、我は必ず不仁なり。交往して而して敬せられざるは、我は必ず能く長と為るなし。財に面對して而して信任せられざるは、我は必ず信ならず。三樣は自身に在りて何ぞ必ずしも人を怨まん。人を怨むるは窮困にして、天を怨むるは見識なし。過失は己に在りて却って别人を求むるは、豈に亦迂闊ならざらんや」と。

南郭惠子問於子貢曰:"夫子之門何其雜也?"子貢曰:"君子正身以俟,欲來者不距,欲去者不止。且夫良醫之門多病人,檃栝之側多枉木,是以雜也。"

南郭惠子は子貢に問うて曰く、「夫子の門はどうしてあれほど雜なるか」と。子貢曰く、「君子は自身を端正して以て待ちて、來らんと欲するは拒絕せず、去らんと欲するは阻止せず。況んや良医の門の前は病人は多く、矯正器の旁边は彎曲の木は多し。これに因って雜なり」と。

孔子曰:"君子有三恕:有君不能事,有臣而求其使,非恕也;有親不能報,有子而求其孝,非恕也;有兄不能敬,有弟而求其聽令,非恕也。士明於此三恕,則可以端身矣。"

孔子曰く、「君子に三恕有りて、君有りて能く事奉せずして、臣有りて却って彼に役使を求むるは、恕にあらず。雙親有りて能く報答せずして、兒子有りて却って彼に孝を求むるは、恕にあらず。兄有りて能く敬せずして、弟有りて却って彼に聽令を求むるは、恕にあらず。士はこ三恕を明白せば、則ち以て身を端正すべし」と。

孔子曰:"君子有三思而不可不思也:少而不學,長無能也;老而不教,死無思也;有而不施,窮無與也。是故君子少思長,則學;老思死,則教;有思窮,則施也。"

孔子曰く、「君子に三思して而して以て想わざるべからざる有り。年少にして学ばざれば、長大すれば則ち能なし。老了して而して教えざれば、死すれば則ち人の思念するなし。有して而して施与せざれば、窮困すれば則ち人の幫助するなし。これに因って君子は年少の時は長大を想到して、則ち学び、老了の時は死を想到して、則ち教え、有の時は窮困を想到して、則ち施与す」と。

哀公篇第三十一

魯哀公問於孔子曰:"吾欲論吾國之士,與之治國,敢問如何取之邪?"孔子對曰:"生今之世,志古之道:居今之俗,服古之服;舍此而為非者,不亦鮮乎!"哀公曰:"然則夫章甫絇屨,紳帶而搢笏者,此賢乎?"孔子對曰:"不必然,夫端衣玄裳,絻而乘路者,志不在於食葷;斬衰菅屨,杖而啜粥者,志不在於酒肉。生今之世,志古之道;居今之俗,服古之服;舍此而為非者,雖有,不亦鮮乎!"哀公曰:"善!"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「我は我が国の士を論選して、彼らと国家を治理せんと欲す。敢えて問う、どうして彼らを選取せん」と。孔子は對答して曰く、「當今の世に生れて、志向は古代の道に在り。當今の習俗に處りて、古代の衣服を穿す。これを舍てて而して壊事を為すは、亦少からざらん」と。哀公曰く、「然れば則ちあの章甫を戴き、鈎有る鞋を穿し、大帶して笏を插すは、これは則ち賢なるか」と。孔子は對答して曰く、「必ずしもならず。あの端衣玄裳を穿し、冕を戴いて而して大路車に乘るは、志向は葷を吃するに在らず。斬衰菅履を穿し、杖を拄して而して粥を喝するは、志向は酒肉に在らず。當今の世に生れて、志向は古代の道に在り。當今の習俗に處りて、古代の衣服を穿す。これを舍てて而して壊事を為すは、たとえ有るとも、亦少からざらん」と。哀公曰く、「善し」と。

孔子曰:"人有五儀:有庸人,有士,有君子,有賢人,有大聖。"哀公曰:"敢問何如斯可謂庸人矣?"孔子對曰:"所謂庸人者,口不道善言,心不知邑邑;不知選賢人善士托其身焉以為己憂;動行不知所務,止立不知所定;日選擇於物,不知所貴;從物如流,不知所歸;五鑿為正,心從而壞:如此則可謂庸人矣。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂士矣?"孔子對曰:"所謂士者,雖不能盡道術,必有率也;雖不能遍美善,必有處也。是故知不務多,務審其所知;言不務多,務審其所謂;行不務多,務審其所由。故知既已知之矣,言既已謂之矣,行既已由之矣,則若性命肌膚之不可易也。故富貴不足以益也,卑賤不足以損也:如此則可謂士矣。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂之君子矣?"孔子對曰:"所謂君子者,言忠信而心不德,仁義在身而色不伐,思慮明通而辭不爭,故猶然如將可及者,君子也。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂賢人矣?"孔子對曰:"所謂賢人者,行中規繩而不傷於本,言足法於天下而不傷於身,富有天下而無怨財,佈施天下而不病貧:如此則可謂賢人矣。"哀公曰:"善!敢問何如斯可謂大聖矣?"孔子對曰:"所謂大聖者,知通乎大道,應變而不窮,辨乎萬物之情性者也。大道者,所以變化遂成萬物也;情性者,所以理然不取捨也。是故其事大辨乎天地,明察乎日月,總要萬物於風雨,繆繆肫肫,其事不可循,若天之嗣,其事不可識,百姓淺然不識其鄰:若此則可謂大聖矣。"哀公曰:"善!"

孔子曰く、「人に五种の儀則有りて、庸人有り、士有り、君子有り、賢人有り、大聖有り」と。哀公曰く、「敢えて問う、どうして以て庸人と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂庸人は、口は善言を説かず、心は憂郁を知らず。賢人善士を選擇して自身を托付して以て己のために憂を分けるを知らず。動作行事は專力する所を知らず、停止站立は定まる所を知らず。天天に物の上に選擇して、看重する所を知らず。物に隨從するは流水のごとくして、歸向する所を知らず。五官の欲望は主を為して、心は從りて敗壞す。これのごとく以て庸人と称すべし」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て士と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂士は、たとえ能く道術を窮尽せずとも、必ず遵循する所有り。たとえ能く美善を周遍せずとも、必ず處守する所有り。これに因って知は多を求めずして、彼の知る所を審察せんと求め、言は多を求めずして、彼の説く所を審察せんと求め、行は多を求めずして、彼の由る所を審察せんと求む。だから知は已に知りて、言は已に説きて、行は已に由れば、則ち性命肌膚の以て改易すべからざるがごとし。だから富貴は以て増益するに足らず、卑賤は以て減損するに足らず。これのごとく以て士と称すべし」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て君子と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂君子は、言は忠信して而して心里は自ら以て徳有りと為さず、仁義は身に在りて而して神色は自誇せず、思慮は明通して而して辭は争わずして、だから舒緩なるは將に趕上すべきのごとくなるは、君子なり」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て賢人と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂賢人は、行為は規矩繩墨に合して而して本を傷害せず、言論は以て天下に取法せらるるに足りて而して自身を傷害せず、富は天下を有して而して囤積の財なく、布施は天下して而して貧を憂えず。これのごとく以て賢人と称すべし」と。哀公曰く、「善し。敢えて問う、どうして以て大聖と称せん」と。孔子は對答して曰く、「所謂大聖は、智は大道に通達して、應變して而して窮尽せず、万物の情性を辨別する人なり。大道は、以て萬物を變化成就する所以にして、情性は、以て然否取舍を治理する所以なり。これに因ってその事は廣大して天地に於いて辨別し、日月に於いて明察して、万物を風雨に於いて總括要約して、穆穆純純として、その事は以て循りて為すべからずして、天の嗣續のごとく、その事は以て識破すべからずして、百姓は淺薄してその隣近を認識せず。これのごとく以て大聖と称すべし」と。哀公曰く、「善し」と。

魯哀公問舜冠於孔子,孔子不對。三問不對。哀公曰:"寡人問舜冠於子,何以不言也?"孔子曰:"古之王者,有務而拘領者矣,其政好生而惡殺焉。是以鳳在列樹,麟在郊野,烏鵲之巢可俯而窺也。君不此問,而問舜冠,所以不對也。"

魯哀公は孔子に舜の冠を問うて、孔子は回答せず。三たび問うて回答せず。哀公曰く、「寡人は汝に舜の冠を問う。何を以て話せざる」と。孔子曰く、「古時の王者は、ただ帽を戴きて曲領なる有りて、彼らの政は生を喜好して殺を厭惡せり。これに因って鳳凰は列樹に在り、麒麟は郊野に在り、烏鴉喜鵲の巢は頭を俯せば窺看すべし。君はこれを問わずして、而して舜の冠を問う。だから回答せず」と。

魯哀公問於孔子曰:"寡人生於深宮之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知勞也,未嘗知懼也,未嘗知危也。"孔子曰:"君之所問,聖君之問也,丘、小人也,何足以知之?"曰:"非吾子無所聞之也。"孔子曰:"君入廟門而右,登自胙階,仰視榱棟,俯見幾筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀將焉而不至矣?君昧爽而櫛冠,平明而聽朝,一物不應,亂之端也,君以此思憂,則憂將焉而不至矣?君平明而聽朝,日昃而退,諸侯之子孫必有在君之末庭者,君以思勞,則勞將焉而不至矣?君出魯之四門,以望魯四郊,亡國之虛則必有數蓋焉,君以此思懼,則懼將焉而不至矣?且丘聞之,君者,舟也;庶人者,水也。水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危將焉而不至矣?"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「寡人は深宮の中に生れて、婦人の手裏に長く、寡人は未だ嘗て哀を知らず、未だ嘗て憂を知らず、未だ嘗て労を知らず、未だ嘗て懼を知らず、未だ嘗て危を知らず」と。孔子曰く、「君の問う所は、聖君の問にして、丘は小人にして、どうして以て知るに足らん」と。哀公曰く、「吾子にあらざれば則ち聞くの無し」と。孔子曰く、「君は廟門に進入して而して右に向かいて、阼階より登上して、頭を擡げて椽棟を看、頭を俯して几筵を看見せば、あの器は猶在りて、あの人は亡せり。君はこれを以て哀を想えば、則ち哀は將にどうして到來せざらん。君は天未だ亮まざれば則ち梳冠して、天明して而して朝を聴きて、一件事は應せざれば、則ち乱の端緒なり。君はこれを以て憂を想えば、則ち憂は將にどうして到來せざらん。君は天明して而して朝を聴きて、日は偏西して乃ち退朝して、諸侯の子孫は必ず君の末庭に在る有りて、君は以て労を想えば、則ち労は將にどうして到來せざらん。君は魯の四門を出でて、以て魯の四郊を望めば、亡国の廢墟は則ち必ず幾處の草屋有りて、君はこれを以て懼を想えば、則ち懼は將にどうして到來せざらん。況んや丘は聞く、君は、船なり。庶人は、水なり。水は能く船を載し、水は能く船を翻す。君はこれを以て危を想えば、則ち危は將にどうして到來せざらん」と。

魯哀公問於孔子曰:"紳委章甫有益於仁乎?"孔子蹴然曰:"君號然也?資衰苴杖者不聽樂,非耳不能聞也,服使然也。黼衣黼裳者不茹葷,非口不能味也,服使然也。且丘聞之,好肆不守折,長者不為市。竊其有益與其無益,君其知之矣。"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「大帶・委貌・章甫は仁に益有るか」と。孔子は肅然として曰く、「君はどうしてこのごとく問う。齊衰を穿し苴杖を拄する人は音楽を聴かずは、耳は能く聴かざるにあらずして、喪服は彼をこのごとくせしむるなり。黼衣黼裳を穿する人は葷を吃せずは、口は能く味を辨せざるにあらずして、祭服は彼をこのごとくせしむるなり。況んや丘は聞く、商販を喜好する人は折本を守らずして、長者は市買を為さず。あの有益とあの無益を察看せば、君は當に知るべし」と。

魯哀公問於孔子曰:"請問取人。"孔子對曰:"無取健,無取詌,無取口啍。健、貪也;詌、亂也;口啍、誕也。故弓調而後求勁焉,馬服而後求良焉,士信愨而後求知能焉。士不信尒而有多知能,譬之其豺狼也,不可以身尒也。語曰:'桓公用其賊,文公用其盜。故明主任計不信怒,闇主信怒不任計。計勝怒則強,怒勝計則亡。"

魯哀公は孔子に問うて曰く、「請う、人を選取せん」と。孔子は對答して曰く、「強健貪求を取るなかれ、鉗制を取るなかれ、口甜を取るなかれ。強健は、貪なり。鉗制は、乱なり。口甜は、誕妄なり。だから弓は調順して然る後に強勁を求め、馬は馴服して然る後に良を求め、士は誠信端謹して然る後に智と能を求む。士は誠信ならずして而して智と能は多ければ、比方すれば則ち豺狼のごとくして、以て自身は接近し往くべからず。俗に曰く、「桓公はその賊を任用して、文公はその盗を任用す。だから明主は計算を任用して怒を聽任せず、昏主は怒を聽任して計算を任用せず。計算は怒に勝れば則ち強く、怒は計算に勝れば則ち亡ぶ」と」と。

定公問於顏淵曰:"子亦聞東野畢之善馭乎?"顏淵對曰:"善則善矣,雖然,其馬將失。"定公不悅,入謂左右曰:"君子固讒人乎!。"三日而校來謁,曰:"東野畢之馬失。兩驂列,兩服入廄。"定公越席而起曰:"趨駕召顏淵!"顏淵至,定公曰:"前日寡人問吾子,吾子曰:'東野畢之駛善則善矣,雖然,其馬將失。'不識吾子何以知之?"顏淵對曰:"臣以政知之。昔舜巧於使民,而造父巧於使馬;舜不窮其民,造父不窮其馬;是以舜無失民,造父無失馬。今東野畢之馭,上車執轡銜,體正矣;步驟馳騁,朝禮畢矣;歷險致遠,馬力盡矣;然猶求馬不已,是以知之也。"定公曰:"善,可得少進乎?"顏淵對曰:"臣聞之,鳥窮則啄,獸窮則攫,人窮則詐。自古及今,未有窮其下而能無危者也。"

定公は顔淵に問うて曰く、「なんぢもまた聞く、東野畢は駕馭に善きか」と。顔淵は對答して曰く、「善きは善きなり。然りても、彼の馬は將に逃失せんとす」と。定公は喜悅せずして、進入して左右に對して曰く、「君子は本來讒人なるか」と。三日の後、校人は謁見に來りて曰く、「東野畢の馬は逃失せり。兩匹の驂馬は斷裂して、兩匹の服馬は馬廄に進入せり」と。定公は席を離れて站起して曰く、「疾く車を套して顔淵を召せ」と。顔淵は到りて、定公曰く、「前天に寡人は吾子に問うて、吾子曰く、「東野畢の駕馭は善きは善きなり。然りても、彼の馬は將に逃失せんとす」と。吾子は何を凭って知るを知らず」と。顔淵は對答して曰く、「臣は政を為るより知る。從前舜は民を役使するに巧みにして、而して造父は馬を役使するに巧みなり。舜はその民を窮尽せず、造父はその馬を窮尽せず。これに因って舜は逃失の民なく、造父は逃失の馬なし。如今東野畢の駕馭は、車に上りて手は轡銜を握りて、體態は正し。步驟馳騁して、朝見の礼は畢了す。險阻を經歴して遠方に到達して、馬力は窮尽せり。然りて還って馬を求めて停まず。これに因って知る」と。定公曰く、「善し。以て稍微進みて説かんか」と。顔淵は對答して曰く、「臣は聞く、鳥は窮すれば則ち啄し、獸は窮すれば則ち抓り、人は窮すれば則ち欺詐す。古より今に至りて、未だ嘗てその下民を窮尽して而して能く危ならざる有らず」と。

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