栄辱篇第四
憍洩者,人之殃也;恭儉者,偋五兵也。雖有戈矛之刺,不如恭儉之利也。故與人善言,暖於布帛;傷人之言,深於矛戟。故薄薄之地,不得履之,非地不安也,危足無所履者,凡在言也。巨塗則讓,小塗則殆,雖欲不謹,若雲不使。
驕傲軽慢は人の災殃であり、恭敬節倹は兵器を避けるものである。たとえ戈矛の鋒刺があっても、恭敬節倹の鋭さには及ばない。だから人に善言を説けば布帛より暖かく、人を傷つける言は矛戟より深い。だから薄薄たる土地は踏むことができない。地が安穏でないのではなく、足を側せば踏む所がないので、全て言語に在り。大路なら譲り、小路なら危ない。たとえ慎まないよう願っても、何かがそうさせないようだ。
快快而亡者、怒也,察察而殘者、忮也,博而窮者、訾也,清之而俞濁者、口也,豢之而俞瘠者、交也,辯而不說者、爭也,直立而不見知者、勝也,廉而不見貴者、劌也,勇而不見憚者、貪也,信而不見敬者、好剸行也。此小人之所務,而君子之所不為也。
一時の痛快で亡ぶは怒であり、明察苛細にして残害するは忌恨であり、広博にして窮するは詆毀であり、澄まそうとして却って濁るは口であり、豢って却って瘠せるは交遊であり、善弁にして説得できないは争いであり、身を正しく立てて了解されないは好勝であり、棱角あって重んぜられないは人を割傷することであり、勇猛にして忌まれないは貪であり、信を守りて敬われないは専断自行を好むことである。これらは小人の務め求める所にして、君子の為さない所である。
鬥者,忘其身者也,忘其親者也,忘其君者也。行其少頃之怒,而喪終身之軀,然且為之,是忘其身也;家室立殘,親戚不免乎刑戮,然且為之,是忘其親也;君上之所惡也,刑法之所大禁也,然且為之,是忘其君也。憂忘其身,內忘其親,上忘其君,是刑法之所不捨也,聖王之所不畜也。乳彘觸虎,乳狗不遠遊,不忘其親也。人也,憂忘其身,內忘其親,上忘其君,則是人也,而曾狗彘之不若也。
争い闘う者は、己の身を忘れた者であり、親を忘れた者であり、君を忘れた者である。その片時の怒りを行って、終身の躯を喪うに、なおかつ為す。これは身を忘れたのである。家室はたちまち残破し、親戚は刑戮を免れないに、なおかつ為す。これは親を忘れたのである。これは君上の悪む所であり、刑法の大いに禁ずる所であるに、なおかつ為す。これは君を忘れたのである。己において身を忘れ、内において親を忘れ、上において君を忘れるは、刑法の赦さない所、聖王の畜わない所である。乳をやる牝豚は虎に触れ、乳をやる牝犬は遠く遊ばない。親を忘れないからである。人として、己において身を忘れ、内において親を忘れ、上において君を忘れるならば、その人は犬豚にも及ばないではないか。
凡鬥者,必自以為是,而以人為非也。己誠是也,人誠非也,則是己君子,而人小人也;以君子與小人相賊害也,憂以忘其身,內以忘其親,上以忘其君,豈不過甚矣哉!是人也,所謂以狐父之戈钃牛矢也。將以為智邪?則愚莫大焉;將以為利邪?則害莫大焉;將以為榮邪?則辱莫大焉;將以為安邪?則危莫大焉。人之有鬥,何哉?我欲屬之狂惑疾病邪?則不可,聖王又誅之。我欲屬之鳥鼠禽獸邪?則又不可,其形體又人,而好惡多同。人之有鬥,何哉?我甚醜之。
およそ争い闘う者は、必ず自らを是とし、人を以て非とする。己が誠に是で人が誠に非ならば、己は君子で人は小人である。君子を以て小人と互いに賊害すれば、己においてこれに因りて身を忘れ、内においてこれに因りて親を忘れ、上においてこれに因りて君を忘れる。過分の甚だしきではないか。このような者は、いわゆる狐父の戈を以て牛屎を斬るようなものである。これを以て智と為さんとするか。ならば愚これより大なるはなし。これを以て利と為さんとするか。ならば害これより大なるはなし。これを以て栄と為さんとするか。ならば辱これより大なるはなし。これを以て安と為さんとするか。ならば危これより大なるはなし。人に争闘あるは何ゆえか。私はこれを狂惑の疾病に帰さんと欲するも不可ならず、聖王また彼を誅殺せんとする。私はこれを鳥鼠禽獣に帰さんと欲するもまた不可ならず、その形体はまた人で、好悪もまた多く同じである。人に争闘あるは何ゆえか。私は甚だこれを醜しと思う。
有狗彘之勇者,有賈盜之勇者,有小人之勇者,有士君子之勇者。爭飲食,無廉恥,不知是非,不闢死傷,不畏眾強,牟牟然惟利飲食之見,是狗彘之勇也。為事利,爭貨財,無辭讓,果敢而振,猛貪而戾,牟牟然惟利之見,是賈盜之勇也。輕死而暴,是小人之勇也。義之所在,不傾於權,不顧其利,舉國而與之不為改視,重死持義而不橈,是士君子之勇也。
狗彘の勇あり、商賈盗賊の勇あり、小人の勇あり、士君子の勇あり。飲食を争奪し、廉恥なく、是非を知らず、死傷を避けず、衆強を畏れず、貪貪然としてただ飲食の利のみ見る。これは狗彘の勇である。事利のために貨財を争奪し、辞譲なく、果敢にして振奮し、猛貪にして暴戻、貪貪然としてただ利のみ見る。これは商賈盗賊の勇である。死を軽く見て暴虐なは、小人の勇である。義の在る所にあって、権勢に傾側せず、その利を顧みず、国を挙げて彼に与えてもこれに因りて見を改めず、死を重んじ義を持守して橈屈しない。これは士君子の勇である。
鯈魾者,浮陽之魚也,胠於沙而思水,則無逮矣。掛於患而思謹,則無益矣。自知者不怨人,知命者不怨天;怨人者窮,怨天者無志。失之己,反之人,豈不迂乎哉!
浮陽の魚は、沙上に擱いて後に水を想えば及ばない。禍患に牽绊されて後に謹慎を想えば益なし。己を知る者は人を怨まず、命を知る者は天を怨まない。人を怨む者は窮し、天を怨む者は志なし。過失は己に在るのに、反って人に求めるは、迂闊ではないか。
榮辱之大分,安危利害之常體:先義而後利者榮,先利而後義者辱;榮者常通,辱者常窮;通者常制人,窮者常制於人:是榮辱之大分也。材愨者常安利,蕩悍者常危害;安利者常樂易,危害者常憂險;樂易者常壽長,憂險者常夭折:是安危利害之常體也。
栄辱の大きな分際、安危利害の常体――先に義して後に利するは栄、先に利して後に義するは辱。栄の者は常に通達し、辱の者は常に窮困す。通達する者は常に人を制し、窮困する者は常に人に制せられる。これが栄辱の大きな分際である。材性端謹の者は常に安くして利を得、放蕩凶悍の者は常に危うくして害を受く。安くして利を得る者は常に和楽平易、危うくして害を受くる者は常に憂惧険阻。和楽平易の者は常に寿命長く、憂惧険阻の者は常に夭折す。これが安危利害の常体である。
夫天生蒸民,有所以取之:志意致修,德行致厚,智慮致明,是天子之所以取天下也。政令法,舉措時,聽斷公,上則能順天子之命,下則能保百姓,是諸侯之所以取國家也。志行修,臨官治,上則能順上,下則能保其職,是士大夫之所以取田邑也。循法則、度量、刑辟、圖籍、不知其義,謹守其數,慎不敢損益也;父子相傳,以持王公,是故三代雖亡,治法猶存,是官人百吏之所以取祿職也。孝弟原愨,軥錄疾力,以敦比其事業,而不敢怠傲,是庶人之所以取暖衣飽食,長生久視,以免於刑戮也。飾邪說,文奸言,為倚事,陶誕突盜,惕悍憍暴,以偷生反側於亂世之間,是奸人之所以取危辱死刑也。其慮之不深,其擇之不謹,其定取捨楛僈,是其所以危也。
あの天が衆民を生むや、各々取る所以あり。志意極めて修整、德行極めて厚く、智慮極めて明なは、天子の天下を取る所以である。政令法に合し、挙措時に合し、聴断公正にして、上に能く天子の命に順い、下に能く百姓を保つは、諸侯の国家を取る所以である。志行修整にして官に臨みて治め、上に能く上に順い、下に能く職事を保つは、士大夫の田邑を取る所以である。法則・度量・刑辟・図籍に遵循してその義を知らずも、謹んでその数を守り、慎んで増減敢えてせず、父子相伝えて王公を持守す。それゆえ三代たとえ亡んでも治法はなお在るは、官人百吏の俸禄職事を取る所以である。孝悌朴素端謹にして、劬労して力を尽くし、その事業を敦勉して怠慢驕傲敢えてせざるは、庶人の暖衣飽食・長生久視を取りて刑戮を免れる所以である。邪説を文飾し、奸言を粉飾し、怪異の事を為し、荒誕強横盗竊、放蕩驕暴にして、乱世の間に偷生反側するは、奸人の危辱死刑を取る所以である。彼の思慮は深からず、選択は慎まず、取捨の決定は粗慢なり。これが彼の危殆なる所以である。
材性知能,君子小人一也;好榮惡辱,好利惡害,是君子小人之所同也;若其所以求之之道則異矣:小人也者,疾為誕而欲人之信己也,疾為詐而欲人之親己也,禽獸之行而欲人之善己也;慮之難知也,行之難安也,持之難立也,成則必不得其所好,必遇其所惡焉。故君子者,信矣,而亦欲人之信己也;忠矣,而亦欲人之親己也;修正治辨矣,而亦欲人之善己也;慮之易知也,行之易安也,持之易立也,成則必得其所好,必不遇其所惡焉。是故窮則不隱,通則大明,身死而名彌白。小人莫不延頸舉踵而願曰:"知慮材性,固有以賢人矣。"夫不知其與己無以異也。則君子注錯之當,而小人注錯之過也。故孰察小人之知能,足以知其有餘,可以為君子之所為也。譬之越人安越,楚人安楚,君子安雅。是非知能材性然也,是注錯習俗之節異也。仁義德行,常安之術也,然而未必不危也;汙僈突盜,常危之術也,然而未必不安也。故君子道其常,而小人道其怪。
材性知能は君子小人一様である。栄を好み辱を悪み、利を好み害を悪むは、君子小人の同じき所である。その取り求めるに用いる道に至っては同じからず。小人は誕妄の事を為すに急なるに人に己を信ぜしめんと欲し、欺詐の事を為すに急なるに人に己を親しましめんと欲し、禽獣の行いにして人に己を善と為さしめんと欲す。思慮は人を知らしめ難く、行いは安んじ難く、持守は立ち難い。終に必ず好む所を得ず、必ず悪む所に遇う。だから君子は信なりてまた人に己を信ぜしめんと欲し、忠なりてまた人に己を親しましめんと欲し、修正治辨にしてまた人に己を善と為さしめんと欲す。思慮は人を知らしめ易く、行いは安んじ���く、持守は立ち易い。終に必ず好む所を得、必ず悪む所に遇わない。それゆえ窮困しても隠没せず、通達すれば大いに顕明となり、身死して名声はいよいよ白し。小人は頸を伸ばし踵を踮げて願い言わざるなし。「智慮材性は、もとより人に勝る所以あるなり」と。しかし彼と己に異なるなきを知らず。然らば君子は措置宜しきを得、小人は措置に過ちあるのである。だから小人の知能を熟く察すれば、余力ありて君子の為す所を為すに足るを知るに足る。越人の越に安んじ、楚人の楚に安んじ、君子の雅正に安んずるがごとし。これは知能材性の然らしむるにあらず、措置習俗の節度の同じからざるである。仁義德行は常に安き方なれど、必ずしも危うからざるにあらず。污漫強横盗竊は常に危うき方なれど、必ずしも安からざるにあらず。だから君子はその常道を行き、小人はその怪道を行く。
凡人有所一同:飢而欲食,寒而欲暖,勞而欲息,好利而惡害,是人之所生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。目辨白黑美惡,耳辨聲音清濁,口辨酸鹹甘苦,鼻辨芬芳腥臊,骨體膚理辨寒暑疾養,是又人之所常生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。可以為堯禹,可以為桀蹠,可以為工匠,可以為農賈,在埶注錯習俗之所積耳。是又人之所生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。為堯禹則常安榮,為桀蹠則常危辱;為堯禹則常愉佚,為工匠農賈則常煩勞;然而人力為此,而寡為彼,何也?曰:陋也。堯禹者,非生而具者也,夫起於變故,成乎修為,待盡而後備者也。人之生固小人,無師無法則唯利之見耳。人之生固小人,又以遇亂世,得亂俗,是以小重小也,以亂得亂也。君子非得埶以臨之,則無由得開內焉。今是人之口腹,安知禮義?安知辭讓?安知廉恥隅積?亦呥呥而嚼,鄉鄉而飽已矣。人無師無法,則其心正其口腹也。今使人生而未嘗睹芻豢稻粱也,惟菽藿糟糠之為睹,則以至足為在此也,俄而粲然有秉芻豢稻梁而至者,則瞲然視之曰:此何怪也?彼臭之而嗛於鼻,嘗之而甘於口,食之而安於體,則莫不棄此而取彼矣。今以夫先王之道,仁義之統,以相群居,以相持養,以相藩飾,以相安固邪。以夫桀蹠之道,是其為相縣也,幾直夫芻豢稻梁之縣糟糠爾哉!然而人力為此,而寡為彼,何也?曰:陋也。陋也者,天下之公患也,人之大殃大害也。故曰:仁者好告示人。告之、示之、靡之、儇之、鈆之、重之,則夫塞者俄且通也,陋者俄且僩也,愚者俄且知也。是若不行,則湯武在上曷益?桀紂在上曷損?湯武存,則天下從而治,桀紂存,則天下從而亂。如是者,豈非人之情,固可與如此,可與如彼也哉!
およそ人に同じき所有り。飢えれば食を欲し、寒ければ暖を欲し、労すれば息を欲し、利を好み害を悪むは、人生まれて有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。目は白黑美悪を辨え、耳は声音の清濁を辨え、口は酸鹹甘苦を辨え、鼻は芬芳腥臊を辨え、骨体肤理は寒暑痛痒を辨える。これもまた人生まれて常有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。堯禹と為るべく、桀跖と為るべく、工匠と為るべく、農賈と為るべく、勢・措置・習俗の積む所に在るのみ。これもまた人生まれて有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。堯禹と為れば常に安栄し、桀跖と為れば常に危辱す。堯禹と為れば常に愉楽安逸し、工匠農賈と為れば常に煩労す。しかるに人はこのを為すに力むも彼を為すは少ない。何ゆえか。曰く、固陋なり。堯禹は生まれて具わるにあらず、故習を変えて興り、修为に成り、窮めて後に備わるのである。人生まれてもとより小人、師なく法なくばただ利を見るのみ。人生まれてもとより小人、また乱世に遇い乱俗を得れば、それゆえ小に小を加え、乱を以て乱を得る。君子もし権勢を得てこれに臨まざれば、開導し納入する由なし。今人の口腹は、どうして礼義を知らん。どうして辞譲を知らん。どうして廉恥と局部整体を知らん。ただ咀嚼して香甜に飽くのみ。人に師なく法なくば、その心はただその口腹のみ。たとえ人生まれて未だ肉食稻粱を見ず、ただ豆葉糟糠のみ見たれば、至足ここに在りと為さん。忽然として鮮明に人の肉食稻粱を持ちて至る有れば、驚視して曰わん、これは何の怪物ぞと。彼これを聞けば鼻は満足し、嘗めれば口は甘美し、食えば身は安適なれば、これを棄てて彼を取らざるなし。今あの先王の道・仁義の統紀を以て、互いに群居し、互いに持養し、互いに藩飾し、互いに安固せん。あの桀跖の道を以てすれば、その相差は、豈に肉食稻粱と糟糠の相差のみならんや。しかるに人はこのを為すに力むも彼を為すは少ない。何ゆえか。曰く、固陋なり。固陋は天下の公患、人の大殃大害なり。だから言う。仁者は人に告げ示すを好む。彼に告げ、彼に示し、彼に順習し、彼に積漸し、彼に導引し、彼に重複すれば、塞がる者は久しからずして通じ、固陋なる者は久しからずして広くなり、愚なる者は久しからずして智となる。これらもし行わざれば、湯武上に在りて何の益かあらん、桀紂上に在りて何の損かあらん。湯武在れば天下は従って治まり、桀紂在れば天下は従って乱れる。かくのごとくなれば、人情はもとよりこのようになることもでき、あのようになることもできるではないか。
人之情,食慾有芻豢,衣欲有文繡,行欲有輿馬,又欲夫餘財蓄積之富也;然而窮年累世不知不足,是人之情也。今人之生也,方知畜雞狗豬彘,又蓄牛羊,然而食不敢有酒肉;餘刀布,有囷窌,然而衣不敢有絲帛;約者有筐篋之藏,然而行不敢有輿馬。是何也?非不欲也,幾不長慮顧後,而恐無以繼之故也?於是又節用御欲,收斂蓄藏以繼之也。是於己長慮顧後,幾不甚善矣哉!今夫偷生淺知之屬,曾此而不知也,糧食大侈,不顧其後,俄則屈安窮矣。是其所以不免於凍餓,操瓢囊為溝壑中瘠者也。況夫先王之道,仁義之統,詩書禮樂之分乎!彼固為天下之大慮也,將為天下生民之屬,長慮顧後而保萬世也。其流長矣,其溫厚矣,其功盛姚遠矣,非順孰修為之君子,莫之能知也。故曰:短綆不可以汲深井之泉,知不幾者不可與及聖人之言。夫詩書禮樂之分,固非庸人之所知也。故曰:一之而可再也,有之而可久也,廣之而可通也,慮之而可安也,反鈆察之而俞可好也。以治情則利,以為名則榮,以群則和,以獨則足,樂意者其是邪!
人の情――食は肉食を欲し、衣は文繍を欲し、出行は車馬を欲し、また余財貨貨蓄積の富を欲す。しかるに窮年累世も足らざるを知らず。これは人の情である。今人は生きて、初めて鶏狗猪彘を畜養することを知り、また牛羊を蓄養す。しかるに食は酒肉敢えてせず。余の刀布銭幣は、糧倉地窖あり。しかるに衣は糸帛敢えてせず。節約する者は筐篋の儲蔵あり。しかるに出行は車馬敢えてせず。これは何ゆえか。欲せざるにあらず。長遠に慮り後を顧みて、以て接続する無きを恐れる故ではないか。そこでまた用度を節約し欲望を制御し、収斂蓄蔵してこれを接続する。これは己に対し長遠に慮り後を顧むる、豈に善からざらんや。今あの偷生浅知の類は、このをも知らず、糧食を大いに奢侈し、後を顧みず、久しからずして窮尽して窮に陷る。これが彼の凍餓を免れず、瓢囊を持ちて溝壑の餓死者と為る所以である。況んやあの先王の道・仁義の統紀・詩書礼楽の分際をや。それはもとより天下の大慮を為し、天下の生民を類とし、長遠に慮り後を顧みて万世を保せんとするものである。その流沢は長く、その温厚は厚く、その功業は盛大にして遠い。精熟修为の君子に順わずして能く知る者なし。だから言う。短き縄は以て深井の泉を汲むべからず、智識及ばざる者は以て聖人の言を論ずべからず。あの詩書礼楽の分際は、もとより庸人の知る能く所にあらず。だから言う。これを一にすれば以て再来すべく、これ有れば以て長久すべく、これを推広すれば以て貫通すべく、これを慮及すれば以て安定すべく、これを反復循察すれば益々喜好すべしと。以て情を治めれば利あり、以て名を求めれば栄あり、以て群居すれば和あり、以て独処すれば足るあり。楽しむ所はおそらくこれであろう。
夫貴為天子,富有天下,是人情之所同欲也;然則從人之慾,則埶不能容,物不能贍也。故先王案為之制禮義以分之,使有貴賤之等,長幼之差,知愚能不能之分,皆使人載其事,而各得其宜。然後使谷祿多少厚薄之稱,是夫群居和一之道也。故仁人在上,則農以力盡田,賈以察盡財,百工以巧盡械器,士大夫以上至於公侯,莫不以仁厚知能盡官職。夫是之謂至平。故或祿天下,而不自以為多,或監門御旅,抱關擊柝,而不自以為寡。故曰:"斬而齊,枉而順,不同而一。"夫是之謂人倫。詩曰:"受小共大共,為下國駿蒙。"此之謂也。
あの尊貴は天子に至り、富は天下を有す。これは人情の共に欲する所である。しかるにもし人の欲を放縦せば、勢い容れること能わず、物も供養すること能わず。だから先王はここに彼らのために礼義を制してこれを分かち、貴賤の等級、長幼の差別、智愚能与不能の分際あらしめ、皆人にその事を担わしめて、各々宜しきを得しめた。然る後に谷禄の多少厚薄を相称えらしむ。これが群居和一の道である。だから仁人上に在れば、農夫は力を以て田に尽くし、商人は明察を以て財に尽くし、百工は巧を以て器械に尽くし、士大夫以上公侯に至るまで、仁厚知能を以て官職に尽くさざるなし。これを至平という。だからある者は禄天下に及ぶも自ら多しと為さず、ある者は門を守り客を迎え、関を抱き柝を撃つも自ら少しと為さず。だから言う。「斉からずして斉しく、枉れて順い、同じからずして一つ」と。これを人倫という。『詩経・商頌・長発』に言う。「小法を受け大法を受け、下国の庇を為す」と。これを言うのである。
非相篇第五
相人,古之人無有也,學者不道也。古者有姑布子卿,今之世梁有唐舉,相人之形狀顏色,而知其吉凶妖祥,世俗稱之。古之人無有也,學者不道也。故相形不如論心,論心不如擇術;形不勝心,心不勝術;術正而心順之,則形相雖惡而心術善,無害為君子也。形相雖善而心術惡,無害為小人也。君子之謂吉,小人之謂兇。故長短小大,善惡形相,非吉凶也。古之人無有也,學者不道也。
人を相するは、古の人にはなく、学者はこれを称し道わない。古に姑布子卿あり、今の世に梁の唐挙あり。人の形状顔色を相看てその吉凶妖祥を知るを、世俗はこれを称し道う。古の人にはなく、学者はこれを称し道わない。だから形状を相看るは心を論ずるに如かず、心を論ずるは術を選ぶに如かず。形状は心に勝たず、心は術に勝たず。術正しくして心これに順えば、形相たとえ悪くとも心術善ければ、君子と為るを妨害せず。形相たとえ善くとも心術悪ければ、小人と為るを妨げず。君子を吉といい、小人を凶という。だから長短小大・善悪の形相は吉凶にあらず。古の人にはなく、学者はこれを称し道わない。
蓋帝堯長,帝舜短;文王長,周公短;仲尼長,子弓短。昔者衛靈公有臣曰公孫呂,身長七尺,面長三尺,焉廣三寸,鼻目耳具,而名動天下。楚之孫叔敖,期思之鄙人也,突禿長左,軒較之下,而以楚霸。葉公子高,微小短瘠,行若將不勝其衣然。白公之亂也,令尹子西,司馬子期,皆死焉,葉公子高入據楚,誅白公,定楚國,如反手爾,仁義功名善於後世。故事不揣長,不揳大,不權輕重,亦將志乎爾。長短大小,美惡形相,豈論也哉!且徐偃王之狀,目可瞻馬。仲尼之狀,面如蒙倛。周公之狀,身如斷菑。皋陶之狀,色如削瓜。閎夭之狀,面無見膚。傅說之狀,身如植鰭。伊尹之狀,面無須麋。禹跳湯偏。堯舜參牟子。從者將論志意,比類文學邪?直將差長短,辨美惡,而相欺傲邪?
帝堯は高く、帝舜は矮い。文王は高く、周公は矮い。仲尼は高く、子弓は矮い。昔衛の霊公に臣の公孫呂あり。身の長さ七尺、面の長さ三尺、額の広さ三寸、鼻目耳皆具われど、名声は天下を震動す。楚の孫叔敖は期思の鄙人で、髪は短く秃げ、左手は長く、身材は軒較の下に在りしかど、楚をして覇を成さしめた。葉公子高は微小矮瘦にして、歩くこと衣を支えられざらんとするがごとし。白公乱を為し、令尹子西・司馬子期皆死せり。葉公子高入りて楚を據り、白公を誅殺し楚国を安定す。手を反すがごときのみ。仁義功名は後世に称善せり。だから事に対して長短を揣度せず、大小を度量せず、軽重を称量せず、また志向を見るのみ。長短大小・美悪の形相は、何ぞ論ずるに足らん。況んや徐偃王の形状は、目は馬を見るべし。仲尼の形状は、面は蒙ぎの仮面のごとし。周公の形状は、身は断折の枯木のごとし。皐陶の形状は、臉色は削りたる瓜のごとし。閎夭の形状は、面上肌膚を見ず。傅説の形状は、身は竪てたる鰭のごとし。伊尹の形状は、面上須眉なし。禹は跛脚し、湯は半身偏枯す。堯舜は重瞳あり。従う者は志向を論じ文学を比類せんとするか、それともただ長短を比べ美悪を辨えて、互いに欺傲せんとするか。
古者桀紂長巨姣美,天下之傑也。筋力越勁,百人之敵也,然而身死國亡,為天下大僇,後世言惡,則必稽焉。是非容貌之患也,聞見之不眾,議論之卑爾。今世俗之亂君,鄉曲之儇子,莫不美麗姚冶,奇衣婦飾,血氣態度擬於女子;婦人莫不願得以為夫,處女莫不願得以為士,棄其親家而欲奔之者,比肩並起;然而中君羞以為臣,中父羞以為子,中兄羞以為弟,中人羞以為友;俄則束乎有司,而戮乎大市,莫不呼天啼哭,苦傷其今,而後悔其始,是非容貌之患也,聞見之不眾,議論之卑爾!然則,從者將孰可也!
古に桀紂は高大姣美にして、天下の杰出者なり。筋力敏捷強勁にして、百人の敵手なり。しかるに身死し国亡び、天下の大恥辱と為る。後世悪を説くや必ず彼らを稽考す。これは容貌の禍患にあらず、聞見広からず議論卑下なるのみ。今世俗の乱君、郷里の軽薄子弟は、美麗妖冶ならざるなし。奇異の衣服、婦人の妝飾、血気態度は女子に比擬す。婦人は彼を得て夫と為さんと願わざるなし、処女は彼を得て士と為さんと願わざるなし。親家を棄てて彼に投奔せんと欲する者は比肩并起す。しかるに中等の君主は彼を臣と為すを羞じ、中等の父は彼を子と為すを羞じ、中等の兄は彼を弟と為すを羞じ、中等の人は彼を友と為すを羞じる。久しからずして有司に捆绑せられ、大市に戮せられ、天を呼び啼哭し、今日を苦傷して初めを後悔せざるなし。これは容貌の禍患にあらず、聞見広からず議論卑下なるのみ。然らば従う者はどれを以て可とせん。
人有三不祥:幼而不肯事長,賤而不肯事貴,不肖而不肯事賢,是人之三不祥也。人有三必窮:為上則不能愛下,為下則好非其上,是人之一必窮也;鄉則不若,偝則謾之,是人之二必窮也;知行淺薄,曲直有以相縣矣,然而仁人不能推,知士不能明,是人之三必窮也。--人有此三數行者,以為上則必危,為下則必滅。詩曰:"雨雪瀌瀌,宴然聿消,莫肯下隧,式居屢驕。"此之謂也。
人に三つの不祥あり。年幼にして長上に事えるを肯んぜず、低賤にして尊貴に事えるを肯んぜず、不肖にして賢人に事えるを肯んぜず。これは人の三つの不祥である。人に三つの必窮あり。上を為して下を愛すること能わず、下を為して上を非議するを好む。これは人の第一の必窮である。面は人に如かずして、背は彼を毀謗す。これは人の第二の必窮である。知行浅薄にして曲直已にこれに因りて相差る。しかるに仁人を推挙すること能わず、智士を顕明すること能わず。これは人の第三の必窮である。――人にこれらの德行あれば、上を為れば必ず危うく、下を為れば必ず亡ぶ。『詩経・小雅・角弓』に言う。「雨雪は紛紛たり、太陽出でれば消融す。降りて相随うを肯んぜず、安居して屡々驕傲なり」と。これを言うのである。
人之所以為人者何已也?曰:以其有辨也。飢而欲食,寒而欲暖,勞而欲息,好利而惡害,是人之所生而有也,是無待而然者也,是禹桀之所同也。然則人之所以為人者,非特以二足而無毛也,以其有辨也。今夫狌狌形狀亦二足而無毛也,然而君子啜其羹,食其胾。故人之所以為人者,非特以其二足而無毛也,以其有辨也。夫禽獸有父子,而無父子之親,有牝牡而無男女之別。故人道莫不有辨。
人の人たる所以は何を以てするか。曰く、分辯あるを以てす。飢えれば食を欲し、寒ければ暖を欲し、労すれば息を欲し、利を好み害を悪むは、人生まれて有する所、待たずして然るもの、禹と桀の同じき所である。然らば人の人たる所以は、ただ両足ありて毛なきに因るのみにあらず、分辯有るに因る。今猩猩の形状もまた両足ありて毛なし。しかるに君子はその羹を啜りその肉を食う。だから人の人たる所以は、両足ありて毛なきに因るのみにあらず、分辯有るに因る。あの禽獣は父子有れど父子の親なく、牝牡有れど男女の別なし。だから人道は分辯なきなし。
辨莫大於分,分莫大於禮,禮莫大於聖王;聖王有百,吾孰法焉?曰:文久而滅,節族久而絕,守法數之有司,極禮而褫。故曰:欲觀聖王之跡,則於其粲然者矣,后王是也。彼后王者,天下之君也;舍后王而道上古,譬之是猶捨己之君,而事人之君也。故曰:欲觀千歲,則數今日;欲知億萬,則審一二;欲知上世,則審周道;欲審周道,則審其人所貴君子。故曰:以近知遠,以一知萬,以微知明,此之謂也。
分辯は分際より大なるなく、分際は礼より大なるなく、礼は聖王より大なるなし。聖王は百あり、我はどれに取法せん。曰く、文彩は久しければ滅び、節奏は久しければ絶え、法数を守る有司は、礼極まれば褫奪せらる。だから言う。聖王の事跡を観んと欲せば、その鮮明なるを観よ。即ち後王である。あの後王は天下の君なり。後王を捨てて上古を称道するは、己の君を捨てて人の君に事えるがごとし。だから言う。千年を観んと欲せば今日を数えよ、億万を知らんと欲せば一二を審察せよ、上世を知らんと欲せば周の道を審察せよ、周の道を審察せんと欲せばその人の重んずる君子を審察せよ。だから言う。近を以て遠を知り、一を以て万を知り、微を以て明を知る。これを言うのである。
夫妄人曰:"古今異情,其所以治亂者異道。"而眾人惑焉。彼眾人者,愚而無說,陋而無度者也。其所見焉,猶可欺也,而況於千世之傳也?妄人者,門庭之間,猶可誣欺也,而況於千世之上乎?聖人何以不可欺?曰:聖人者,以己度者也。故以人度人,以情度情,以類度類,以說度功,以道觀盡,古今一也。類不悖,雖久同理,故鄉乎邪曲而不迷,觀乎雜物而不惑,以此度之。五帝之外無傳人,非無賢人也,久故也。五帝之中無傳政,非無善政也,久故也。禹湯有傳政而不若周之察也,非無善政也,久故也。傳者久則論略,近則論詳,略則舉大,詳則舉小。愚者聞其略而不知其詳,聞其詳而不知其大也。是以文久而滅,節族久而絕。
あの妄人は言う。「古今の情形は同じからず、それらの治乱する所以の道もまた同じからず」と。衆人はこれに迷惑す。あの衆人は愚昧にして解説なく、固陋にして法度なき者である。彼らの親く見た所すら欺くべき、況んや千年の伝聞をや。妄人は門庭の間すら誣骗すべき、況んや千年の上をや。聖人は何ゆえ欺かるべからざるか。曰く、聖人は己を以て度る者なり。だから人を以て人を度り、情を以て情を度り、類を以て類を度り、学説を以て功業を度り、道を以て窮尽を観る。古今は一つの事である。類は悖乱せず、たとえ久しくとも理は同じ。それゆえ邪曲に面向して迷わず、雑物を観て惑わず。これを以て度るのである。五帝の外に伝わる人なきは、賢人なきにあらず、久しき故なり。五帝の中に伝わる政なきは、善政なきにあらず、久しき故なり。禹湯に伝わる政ありて周の詳察に如かざるは、善政なきにあらず、久しき故なり。伝聞久しければ論説は簡略となり、近ければ論説は詳備となる。簡略なれば大を挙げ、詳備なれば小を挙ぐ。愚なる者は簡略を聞きて詳備を知らず、詳備を聞きて大を知らず。それゆえ文彩は久しければ滅び、節奏は久しければ絶ゆ。
凡言不合先王,不順禮義,謂之奸言;雖辯,君子不聽。法先王,順禮義,黨學者,然而不好言,不樂言,則必非誠士也。故君子之於言也,志好之,行安之,樂言之,故君子必辯。凡人莫不好言其所善,而君子為甚。故贈人以言,重於金石珠玉;觀人以言,美於黼黻文章;聽人以言,樂於鐘鼓琴瑟。故君子之於言無厭。鄙夫反是:好其實不恤其文,是以終身不免埤汙傭俗。故易曰:"括囊無咎無譽。"腐儒之謂也。
およそ言論の先王に合せず礼義に順わざるを奸言という。たとえ善弁でも君子は聴かず。先王に取法し礼義に順い学者に親しむも、言説を好まず言説を楽しまざれば、必ず誠士にあらず。だから君子は言説に対し、心これを好み、行これに安んじ、楽しんでこれを説く。それゆえ君子は必ず辨す。凡人はその善と為す所を説くを好まざるなし。君子はなお甚だし。だから言を以て人に贈るは金石珠玉より重く、言辞を以て人に観せるは黼黻文章より美しく、言を以て人に聴かせるは鐘鼓琴瑟より楽し。だから君子は言説に対し厭倦なし。鄙夫はこれに反す。実質を好みて文彩を顧みず。それゆえ終身卑污庸俗を免れず。だから『周易』に言う。「囊を括む、咎なく誉なし」と。腐儒を言うのである。
凡說之難,以至高遇至卑,以至治接至亂。未可直至也,遠舉則病繆,近世則病傭。善者於是間也,亦必遠舉而不繆,近世而不傭,與時遷徙,與世偃仰,緩急嬴絀,府然若渠匽檃栝之於己也。曲得所謂焉,然而不折傷。故君子之度己則以繩,接人則用抴。度己以繩,故足以為天下法則矣;接人用抴,故能寬容,因眾以成天下之大事矣。故君子賢而能容罷,知而能容愚,博而能容淺,粹而能容雜,夫是之謂兼術。詩曰:"徐方既同,天子之功。"此之謂也。
およそ游説の難きは、至高を以て至卑に遇い、至治を以て至乱に接するである。直接到達すべからず。遠く上古を挙げれば謬誤に病み、近く近世を挙げれば庸俗に病む。游説に善き者はこの中間に在りても、必ず遠く挙げて謬誤せず、近く挙げて庸俗せず、時勢に随って遷徙し、世俗に随って俯仰し、緩急伸屈し、渠堰・檃栝の己に対するがごとく贴合し、曲折して説く所を得て、然るに折傷せず。だから君子は己を度量するに墨縄を用い、人を接待するに舟楫を以て引導す。墨縄を以て己を度量すれば、それゆえ天下の法則を為すに足る。引導を以て人を接待すれば、それゆえ寛容して衆人を凭借して天下の大事を成就することができる。だから君子は賢にして疲弱を容れ、智にして愚を容れ、博にして浅を容れ、純粋にして駁雑を容る。これを兼術という。『詩経・大雅・常武』に言う。「徐方已に会同せり、天子の功なり」と。これを言うのである。
談說之術:矜莊以蒞之,端誠以處之,堅強以持之,譬稱以喻之,分別以明之,欣驩芬薌以送之,寶之,珍之,貴之,神之。如是則說常無不受。雖不說人,人莫不貴。夫是之謂為能貴其所貴。傳曰:"唯君子為能貴其所貴。"此之謂也。
談説の術――矜庄を以て臨対し、端誠を以て身を処し、堅強を以て持守し、譬喻称引を以て曉喻し、分別を以て顕明にし、欣喜芬芳を以て送出し、これを宝し、これを惜しみ、これを重んじ、これを神化す。かくのごとくすれば游説は常に受けられざるなし。たとえ人を説得せずとも、人は重んざらざるなし。これをその重んずる所を重んずること能くするという。伝記に言う。「君子のみその重んずる所を重んずること能くす」と。これを言うのである。
君子必辯。凡人莫不好言其所善,而君子為甚焉。是以小人辯言險,而君子辯言仁也。言而非仁之中也,則其言不若其默也,其辯不若其吶也。言而仁之中也,則好言者上矣,不好言者下也。故仁言大矣:起於上所以道於下,政令是也;起於下所以忠於上,謀救是也。故君子之行仁也無厭、志好之、行安之,樂言之;故言君子必辯。小辯不如見端,見端不如見本分。小辯而察,見端而明,本分而理;聖人士君子之分具矣。有小人之辯者,有士君子之辯者,有聖人之辯者:不先慮,不早謀,發之而當,成文而類,居錯遷徙,應變不窮,是聖人之辯者也。先慮之,早謀之,斯須之言而足聽,文而致實,博而黨正,是士君子之辯者也。聽其言則辭辯而無統,用其身則多詐而無功,上不足以順明王,下不足以和齊百姓,然而口舌之均,應唯則節,足以為奇偉偃卻之屬,夫是之謂奸人之雄。聖王起,所以先誅也,然後盜賊次之。盜賊得變,此不得變也。
君子は必ず辨す。凡人はその善と為す所を説くを好まざるなし。君子はなお甚だし。それゆえ小人は険悪を辨説し、君子は仁を辨説す。言論もし仁の中にあらざれば、彼の言うは沈黙に如かず、彼の善弁は吃に如かず。言論もし仁の中にあれば、説くを好むは上に在り、説くを好まざるは下に在り。だから仁の言論は大きい。上より興りて下を引導するは政令であり、下より興りて上に忠なるは謀救である。だから君子は仁を行うに厭倦なし。心これを好み、行これに安んじ、楽しんでこれを説く。それゆえ君子は必ず辨すという。小さき辨説は端緒を見るに如かず、端緒を見るは本分を見るに如かず。小さき辨説にして明察、端緒を見て顕明、本分にして条理あり。聖人・士君子の分際は具わる。小人の辨あり、士君子の辨あり、聖人の辨あり。先だって慮らず、早めに謀らず、発すれば恰当、文を成して類推し、措置遷徙し、変に応じて窮まりなし。これは聖人の辨である。先だってこれを慮り、早めにこれを謀り、片刻の言も聴くに足り、文ありて実に帰り、広博にして正直。これは士君子の辨である。その言を聴けば言辞善弁にして統紀なく、その身を用いれば欺詐多くして功なく、上は明王に順うに足らず、下は百姓を和斉するに足らず。しかるに口舌調匀にして応対唯喏に節あり、奇偉偃蹇の類を為すに足る。これを奸人の中の雄傑という。聖王興れば、まずこの種の人を誅殺して、然る後に盗賊はその次である。盗賊はなお改変すべきも、こういう人は改変すべからず。
非十二子篇第六
假今之世,飾邪說,文奸言,以梟亂天下,矞宇嵬瑣使天下混然不知是非治亂之所在者,有人矣。
今の世、邪説を文飾し、奸言を粉飾して天下を撓乱し、詭詐瑣碎にして天下を混然として是非治乱の在る所を知らしめざる者は、已にこのような人あり。
縱情性,安恣孳,禽獸行,不足以合文通治;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾;是它囂魏牟也。
情性を放縦し、恣肆に安んじ、禽獣の行いにして、文に合し治に通ずるに足らず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは它嚣・魏牟である。
忍情性,綦谿利跂,苟以分異人為高,不足以合大眾,明大分,然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是陳仲史也。
情性を抑制し、極めて深く人を離れ、跂きて人と異なるを顯し、苟且に人と別れるを以て高しと為す。大衆を会合し大分を顯明にするに足らず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは陳仲・史鰌(底本この字は生僻字、転写後に失落)である。
不知壹天下建國家之權稱,上功用,大儉約,而僈差等,曾不足以容辨異,縣君臣;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是墨翟宋鈃也。
天下を統一し国家を建立する権衡を知らず、功用を崇尚し、大いに倹約して差等を慢する。竟に差異を容れ君臣を分別するに足らず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは墨翟・宋鈃である。
尚法而無法,下修而好作,上則取聽於上,下則取從於俗,終日言成文典,反紃察之,則倜然無所歸宿,不可以經國定分;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是慎到田駢也。
法を尚びて法なく、修为を貶めて創作を好み、上に於ては上を聴取し、下に於ては世俗に従う。終日言して文典を成すも、反ってこれを循察すれば超然として帰宿なく、国家を経営し分際を定むべからず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは慎到・田駢である。
不法先王,不是禮義,而好治怪說,玩琦辭,甚察而不惠,辯而無用,多事而寡功,不可以為治綱紀;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾;是惠施鄧析也。
先王に取法せず、礼義を是とせず、而るに怪説を整治し奇辞を玩弄するを好む。甚だ明察なれど順わず、善弁なれど用なく、事多くして功少なく、以て治の綱紀を為すべからず。しかるにその持守に故あり、その言論理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。これは恵施・鄧析である。
略法先王而不知其統,猶然而猶材劇志大,聞見雜博。案往舊造說,謂之五行,甚僻違而無類,幽隱而無說,閉約而無解。案飾其辭,而只敬之,曰:此真先君子之言也。子思唱之,孟軻和之。世俗之溝猶瞀儒、嚾嚾然不知其所非也,遂受而傳之,以為仲尼子弓為茲厚於後世:是則子思孟軻之罪也。
粗略先王に取法してその統紀を知らず、還ってこのように材多く志大きく、聞見雑博なり。往旧に就いて学説を造り、之を五行という。甚だ邪僻背理にして類なく、幽隠にして解説なく、閉塞簡約にして解釈なし。その言辞を文飾するに就いて、而もこれを敬するのみ。曰く、これ真に先君子の言なりと。子思これを唱導し、孟軻これに応和す。世俗のあの愚昧の儒者は、喧喧然として彼らの非なるを知らず、すなわち受けて伝授し、仲尼・子弓これに因りて後世に重んぜられたりと為す。これが子思・孟軻の罪である。
若夫總方略,齊言行,壹統類,而群天下之英傑,而告之以大古,教之以至順,奧窔之間,簟席之上,斂然聖王之文章具焉,佛然平世之俗起焉,六說者不能入也,十二子者不能親也。無置錐之地,而王公不能與之爭名,在一大夫之位,則一君不能獨畜,一國不能獨容,成名況乎諸侯,莫不願以為臣,是聖人之不得埶者也,仲尼子弓是也。一天下,財萬物,長養人民,兼利天下,通達之屬莫不從服,六說者立息,十二子者遷化,則聖人之得埶者,舜禹是也。
至りて方略を総括し、言行を斉一にし、統類を統一して、天下の英傑を会合し、彼らに遠古を告げ、彼らに至順を教う。室奥簟席の上に在りて、収斂の間に聖王の文章は具わり、勃然として治平の世の習俗は興り、六家の学説は入ること能わず、十二子は親しむこと能わず。錐を立つる地なくして、王公も彼と名を争うこと能わず。一夫の大夫の位に在れば、一君も独り畜うこと能わず、一国も独り容るること能わず。成名は諸侯に比況し、彼を臣と為さんと願わざるなし。これは聖人の権勢を得ざる者、仲尼・子弓がこれである。天下を統一し、万物を裁成し、人民を長養し、天下を兼ねて利し、通達する所は従服せざるなし。六家の学説はたちまち止息し、十二子は迁化す。あれは聖人の権勢を得たる者、舜禹がこれである。
今夫仁人也,將何務哉?上則法舜禹之制,下則法仲尼子弓之義,以務息十二子之說。如是則天下之害除,仁人之事畢,聖王之跡著矣。
今仁人は何を務め求めんとするか。上は舜禹の制度に取法し、下は仲尼・子弓の義に取法して、以て十二子の学説を止息せしむるを務め求める。かくのごとくすれば天下の害は除かれ、仁人の事は畢わり、聖王の事跡は著わるるのである。
信信、信也,疑疑、亦信也。貴賢、仁也,賤不肖、亦仁也。言而當、知也,默而當,亦知也,故知默猶知言也。故多言而類,聖人也;少言而法,君子也;多言無法,而流湎然,雖辯,小人也。故勞力而不當民務,謂之奸事,勞知而不律先王,謂之奸心;辯說譬諭,齊給便利,而不順禮義,謂之奸說。此三奸者,聖王之所禁也。知而險,賊而神,為詐而巧,言無用而辯,辯不惠而察,治之大殃也。行闢而堅,飾非而好,玩奸而澤,言辯而逆,古之大禁也。知而無法,勇而無憚,察辯而操僻,淫大而用之,好奸而與眾,利足而迷,負石而墜,是天下之所棄也。
信ずべきを信ずるは信であり、疑うべきを疑うもまた信である。賢人を重んずるは仁であり、不肖を賤しむもまた仁である。言して恰当なるは知であり、黙して恰当なるもまた知である。だから黙を知るは言を知るがごとし。それゆえ言多くして能く類するは聖人、言少なくして法あるは君子、言多くして法なく、沈湎の状あるは、たとえ善弁でも小人である。だから力を労して民事に合せざるを奸事といい、智を労して先王に取法せざるを奸心といい、辨説譬喻して敏捷便利なれど礼義に順わざるを奸説という。この三つの奸は、聖王の禁ずる所である。智にして険険、賊害にして神妙、詐を為して巧く、言論用なくして善弁、辨説順わずして明察は、治の大殃である。行い邪僻にして堅く、過ちを文飾して美しく、奸を玩弄して潤沢、言論善弁にして理に背くは、古の大禁である。智にして法なく、勇にして忌憚なく、明察善弁にして操守邪僻、淫侈にして任用を加え、奸を好みて党与衆多、腿脚疾くして迷路し、石を背負いて墜落すは、天下の棄てる所である。
兼服天下之心:高上尊貴,不以驕人;聰明聖知,不以窮人;齊給速通,不爭先人;剛毅勇敢,不以傷人;不知則問,不能則學,雖能必讓,然後為德。遇君則修臣下之義,遇鄉則修長幼之義,遇長則修子弟之義,遇友則修禮節辭讓之義,遇賤而少者,則修告導寬容之義。無不愛也,無不敬也,無與人爭也,恢然如天地之苞萬物。如是,則賢者貴之,不肖者親之;如是,而不服者,則可謂訞怪狡猾之人矣,雖則子弟之中,刑及之而宜。詩云:"匪上帝不時,殷不用舊;雖無老成人,尚有典刑;曾是莫聽,大命以傾。"此之謂也。
天下の心を兼ね服する――高上尊貴にして、これを以て人に驕らず。聡明聖智にして、これを以て人を窮せしめず。敏捷迅速通達にして、人と先を争わず。剛毅勇敢にして、これを以て人を傷つけず。知らざれば問い、能わざれば学び、たとえ能くとも必ず謙譲して後に徳と為る。君主に遇えば臣下の義を修め、郷里に遇えば長幼の義を修め、長上に遇えば子弟の義を修め、朋友に遇えば礼節辞譲の義を修め、低賤にして年少の者に遇えば、告導寛容の義を修む。愛せざるなく、敬せざるなく、人と争うことなし。恢廓として天地の万物を包裹するがごとし。かくのごとくなれば、賢なる者は彼を重んじ、不肖なる者は彼に親しむ。かくのごとくしてなお服せざるは、以て妖怪狡猾の人と言うべし。たとえ子弟の中に在りても、刑罰を彼に加えるは宜しし。『詩経・大雅・蕩』に言う。「上帝の不善にあらず、殷は旧法を用いず。たとえ老成人なくとも、なお典刑あり。竟にこれを聴かざれば、大命これに因りて傾覆す」と。これを言うのである。
古之所謂仕士者,厚敦者也,合群者也,樂富貴者也,樂分施者也,遠罪過者也,務事理者也,羞獨富者也。今之所謂仕士者,汙漫者也,賊亂者也,恣孳者也,貪利者也;觸抵者也,無禮義而唯權埶之嗜者也。
古のいわゆる仕士は、敦厚の人であり、群體を会合する人であり、正当の富貴を楽しむ人であり、分施を楽しむ人であり、罪過を遠ざける人であり、事理を務め求める人であり、独り富むを以て羞と為す人である。今のいわゆる仕士は、污漫の人であり、賊乱の人であり、恣肆の人であり、貪利の人であり、抵触の人であり、礼義なくしてただ権勢を嗜む人である。
古之所謂處士者,德盛者也,能靜者也,修正者也,知命者也,箸是者也。今之所謂處士者,無能而云能者也,無知而云知者也,利心無足,而佯無慾者也,行偽險穢,而強高言謹愨者也,以不俗為俗,離縱而跂訾者也。
古のいわゆる処士は��徳盛の人であり、能く静なる人であり、修正の人であり、命を知る人であり、是を顯明にする人である。今のいわゆる処士は、才能なくして才能有りと称する人であり、知識なくして知識有りと称する人であり、利心満足せずして無欲を装う人であり、行い虚偽険穢にして強いて謹愨を高談する人であり、世俗に異なるを以て世俗と為し、正道を離れて跂きて自ら異と為す人である。
士君子之所能不能為:君子能為可貴,而不能使人必貴己;能為可信,而不能使人必信己;能為可用,而不能使人必用己。故君子恥不修,不恥見汙;恥不信,不恥不見信;恥不能,不恥不見用。是以不誘於譽,不恐於誹,率道而行,端然正己,不為物傾側:夫是之謂誠君子。詩云:"溫溫恭人,維德之基。"此之謂也。
士君子の能くすると能くせざる所――君子は貴ぶべきを能くするも、人に必ず己を重んぜしむること能わず。信ずべきを能くするも、人に必ず己を信ぜしむること能わず。用うべきを能くするも、人に必ず己を任用せしむること能わず。だから君子は修せざるを以て恥と為し、污せらるるを以て恥と為さず。信ならざるを以て恥と為し、信ぜられざるを以て恥と為さず。能あらざるを以て恥と為し、任用せられざるを以て恥と為さず。それゆえ名誉に誘引せられず、誹謗に恐嚇せられず、道に循いて行い、端然として己を端正し、外物に傾側せられず。これを誠君子という。『詩経・大雅・抑』に言う。「温恭の人は、徳の基なり」と。これを言うのである。
士君子之容:其冠進,其衣逢,其容良;儼然,壯然,祺然,蕼然,恢恢然,廣廣然,昭昭然,蕩蕩然-是父兄之容也。其冠進,其衣逢,其容愨;儉然,恀然,輔然,端然,訾然,洞然,綴綴然,瞀瞀然--是子弟之容也。
士君子の容貌――冠は高く、衣は寛大、面容は和善。荘厳の状、壮盛の状、安詳の状、寛舒の状、恢廓の状、広大の状、昭明の状、坦荡の状。これは父兄の容貌である。冠は高く、衣は寛大、面容は端謹。謙倹の状、柔順の状、親附の状、端正の状、審慎の状、恭敬の状、追随の状、柔和の状。これは子弟の容貌である。
吾語汝學者之嵬容:其冠絻,其纓禁緩,其容簡連;填填然,狄狄然,莫莫然,瞡瞡然,瞿瞿然,儘儘然,盱盱然;酒食聲色之中,則瞞瞞然,瞑瞑然;禮節之中,則疾疾然,訾訾然;勞苦事業之中,則儢儢然,離離然,偷儒而罔,無廉恥而忍謑詬--是學者之嵬也。
我が汝に学者の怪異の容貌を告げん。冠は低俯し、帽纓衣帯は松緩、面容は傲慢。自満の状、跳躍の状、冷漠の状、窺視の状、張皇の状、消沉の状、眼を睜きて直視する状。酒食声色の中に在れば、沉迷の状、昏昧の状。礼節の中に在れば、憎疾の状、詆毀の状。労苦事業の中に在れば、懈怠の状、離散の状。偷懒懦弱にして定準なく、廉恥なくして詬罵を忍ぶ。これは学者の怪異である。
弟陀其冠,衶禫其辭,禹行而舜趨:是子張氏之賤儒也。正其衣冠,齊其顏色,嗛然而終日不言、是子夏氏之賤儒也。偷儒憚事,無廉恥而耆飲食,必曰君子固不用力:是子游氏之賤儒也。彼君子則不然:佚而不惰,勞而不僈,宗原應變,曲得其宜,如是然後聖人也。
冠は頽唐、言辞は淡薄、禹の走法を模倣し舜の趨歩を模倣す。これは子張氏の賤儒である。衣冠を端正し、臉色を斉整し、謙退して終日言わず。これは子夏氏の賤儒である。偷懒懦弱して事を怕れ、廉恥なくして飲食を嗜み、必ず君子はもとより力を用いずと説く。これは子游氏の賤儒である。あの君子は然らず。安逸にして怠惰せず、労苦にして怠慢せず、本原を宗守して変化に応対し、曲折して皆宜しきを得る。かくのごとくして後に聖人となる。
