Libo

強國篇第十六

战国 · 荀况 · 第6巻 / 12

刑範正,金錫美,工冶巧,火齊得,剖刑而莫邪已。然而不剝脫,不砥厲,則不可以斷繩。剝脫之,砥厲之,則劙盤盂,刎牛馬,忽然耳。彼國者,亦強國之剖刑已。然而不教誨,不調一,則入不可以守,出不可以戰。教誨之,調一之,則兵勁城固,敵國不敢嬰也。彼國者亦有砥厲,禮義節奏是也。故人之命在天,國之命在禮。人君者,隆禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆幽險而亡。

型範正しく、金錫美しく、工冶巧にして、火候斉しく得れば、型範を剖開して莫邪は成る。然りて剥脫せず、砥礪せざれば、則ち以て繩を切断すべからず。それを剥脫し、それを砥礪すれば、則ち盤盂を割り、牛馬を刎るは、忽然の間のみ。あの国も、また強国の剖開する型範なり。然りて教誨せず、調一せざれば、則ち入りて守るべからず、出でて戰うべからず。それを教誨し、それを調一すれば、則ち兵勁く城固くして、敵国は觸犯を敢えてせず。あの国もまた砥礪あり。礼義節奏は即ちこれなり。だから人の命は天に在り、国の命は礼に在り。人君と為るは、礼を尊崇し賢を尊敬すれば王と称し、法を看重し民を愛すれば覇と称し、利を喜好し詐多ければ危険にして、権謀傾覆幽險なれば滅亡す。

威有三:有道德之威者,有暴察之威者,有狂妄之威者--此三威者,不可不孰察也。禮義則修,分義則明,舉錯則時,愛利則形。如是,百姓貴之如帝,高之如天,親之如父母,畏之如神明。故賞不用而民勸,罰不用而威行,夫是之謂道德之威。禮樂則不修,分義則不明,舉錯則不時,愛利則不形;然而其禁暴也察,其誅不服也審,其刑罰重而信,其誅殺猛而必,黭然而雷擊之,如牆厭之。如是,百姓劫則致畏,嬴則敖上,執拘則[最]聚,得間則散,敵中則奪,非劫之以形埶,非振之以誅殺,則無以有其下,夫是之謂暴察之威。無愛人之心,無利人之事,而日為亂人之道,百姓讙敖,則從而執縛之,刑灼之,不和人心。如是,下比周賁潰以離上矣,傾覆滅亡,可立而待也,夫是之謂狂妄之威。--此三威者,不可不孰察也。道德之威成乎安強,暴察之威成乎危弱,狂妄之威成乎滅亡也。

威に三种あり――道徳の威あり、暴察の威あり、狂妄の威あり。――この三种の威は、仔細に審察せざるべからず。礼義は即ち修整し、分義は即ち顯明にして、挙措は即ち時に合し、愛利は即ち顯現す。これのごとくなれば、百姓は彼を看重すること帝のごとく、彼を抬高すること天のごとく、彼に親しむこと父母のごとく、彼を畏懼すること神明のごとし。だから賞を用いずして民は勸勉し、罰を用いずして威は實行す。これを道徳の威という。礼楽は即ち修整せず、分義は即ち顯明せず、挙措は即ち時に合せず、愛利は即ち顯現せず。然りて彼は暴を禁止するに明察にして、彼は服從せざるを誅殺するに審慎にして、その刑罰は重くして信あり、その誅殺は猛にして一定なり。黯然として雷擊のごとく、墻の壓し來るがごとし。これのごとくなれば、百姓は脅迫せられれば畏を致し、寛縱せられれば上に傲り、執拘せられれば聚集し、間隙を得れば离散し、敵人の打中するは奪取す。形勢を以て脅迫せざれば、誅殺を以て震動せざれば、下を保有する由なし。これを暴察の威という。人を愛するの心なく、人を利するの事なくして、而して日々人を乱るの道を為せば、百姓は喧譁傲慢せば、則ち從いて彼らを執縛し、刑を以て彼らを灼燒して、人心を和せず。これのごとくなれば、下は比周奔潰して以て上を離る。傾覆滅亡は、立ちて待つべし。これを狂妄の威という。――この三种の威は、仔細に審察せざるべからず。道徳の威は安強に成就し、暴察の威は危弱に成就し、狂妄の威は滅亡に成就す。

公孫子曰:子發將西伐蔡,克蔡,獲蔡侯,歸致命曰:"蔡侯奉其社稷,而歸之楚;舍屬二三子而治其地。"既,楚發其賞,子發辭曰:"發誡布令而敵退,是主威也;徙舉相攻而敵退,是將威也;合戰用力而敵退,是眾威也。臣舍不宜以眾威受賞。"

公孫子曰く、子發は將に西に向かいて蔡を伐たんとして、蔡を攻克し、蔡侯を獲得して、歸來して致命して曰く、「蔡侯はその社稷を奉じて、而して楚に歸還せり。我は二三子を屬託してあの地を治理せしむ」と。事後、楚は賞を發出す。子發は推辭して曰く、「戒を吿げ令を布きて敵人退けるは、主の威なり。遷徙して相い攻めて敵人退けるは、將の威なり。合戰して力を用いて敵人退けるは、衆の威なり。臣舍は衆の威を凭って賞を受くべからず」と。

譏之曰:子發之致命也恭,其辭賞也固。夫尚賢使能,賞有功,罰有罪,非獨一人為之也,彼先王之道也,一人之本也,善善惡惡之應也,治必由之,古今一也。古者明主之舉大事,立大功也,大事已博,大功已立,則君享其成,群臣享其功,士大夫益爵,官人益秩,庶人益祿。是以為善者勸,為不善者沮,上下一心,三軍同力,是以百事成,而功名大也。今子發獨不然:反先王之道,亂楚國之法,墮興功之臣,恥受賞之屬,無僇乎族黨,而抑卑其後世,案獨以為私廉,豈不過甚矣哉!故曰:子發之致命也恭,其辭賞也固。

彼を譏評して曰く、子發は致命するに恭敬なれど、彼の賞を推辭するは固陋なり。あの賢を崇尚し能を使用し、功あるを賞し、罪あるを罰するは、並びに獨自一人の為す所にあらず。あれは先王の道にして、人を斉一にするの根本にして、善を善し惡を惡しむの應驗にして、治は必ずこれを經由し、古今は一事なり。古代の明主は大事を擧辦し、大功を樹立して、大事已に博取し、大功已に樹立せば、則ち君はあの成を享受し、群臣はあの功を享受し、士大夫は爵を増加し、官人は秩を増加し、庶人は禄を増加す。これに因って善を為すは勸勉し、不善を為すは沮喪し、上下一心にして三軍同力して、これに因って百事成就して、而して功名大なり。如今子發は独りこれにあらず。先王の道を違反し、楚国の法を擾乱し、功を立つの臣を毁堕して、賞を受くる一類をして以て耻と為さしむ。戮は族黨に及ばざるも、然りてその後世を壓抑卑下す。ここに獨自以て私廉と為す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。だから言う、子發は致命するに恭敬なれど、彼の賞を推辭するは固陋なり、と。

荀卿子說齊相曰:處勝人之埶,行勝人之道,天下莫忿,湯武是也。處勝人之埶,不以勝人之道,厚於有天下之埶,索為匹夫不可得也,桀紂是也。然則得勝人之埶者,其不如勝人之道遠矣!夫主相者,勝人以埶也,是為是,非為非,能為能,不能為不能,並己之私慾,必以道,夫公道通義之可以相兼容者,是勝人之道也。今相國上則得專主,下則得專國,相國之於勝人之埶,亶有之矣。然則胡不驅此勝人之埶,赴勝人之道,求仁厚明通之君子而托王焉,與之參國政,正是非!如是,則國孰敢不為義矣!君臣上下,貴賤長少,至於庶人,莫不為義,則天下孰不欲合義矣!賢士願相國之朝,能士願相國之官,好利之民莫不願以齊為歸,是一天下也。相國舍是而不為,案直為是世俗之所以為,則女主亂之宮,詐臣亂之朝,貪吏亂之官,眾庶百姓皆以爭奪貪利為俗,曷若是而可以持國乎?今巨楚縣吾前,大燕(魚酋)吾後,勁魏鉤吾右,西壤之不絕若繩,楚人則乃有襄賁開陽以臨吾左,是一國作謀,則三國必起而乘我。如是,則齊必斷而為四、三,國若假城然耳,必為天下大笑。曷若兩者孰足為也!夫桀紂,聖王之後子孫也,有天下者之世也,埶籍之所存,天下之宗室也,土地之大,封內千里,人之眾數以億萬,俄而天下倜然舉去桀紂而奔湯武,反然舉惡桀紂而貴湯武。是何也?夫桀紂何失?而湯武何得也?曰:是無它故焉,桀紂者善為人所惡也,而湯武者善為人所好也。人之所惡何也?曰:汙漫、爭奪、貪利是也。人之所好者何也?曰:禮義、辭讓、忠信是也。今君人者,譬稱比方則欲自並乎湯武,若其所以統之,則無以異於桀紂,而求有湯武之功名,可乎?故凡得勝者,必與人也;凡得人者,必與道也。道也者,何也?禮義、辭讓、忠信是也。故自四五萬而往者,強勝非眾之力也,隆在信矣。

荀卿子は斉相に游説して曰く、人に勝るの権勢に處り、人に勝るの道を實行して、天下は忿恨せず。湯武は即ちこれなり。人に勝るの権勢に處りて、人に勝るの道を用いず、天下の権勢を擁有するに厚くして、匹夫を為さんと求めても得るべからず。桀紂は即ちこれなり。然れば則ち人に勝る権勢を得るは、人に勝る道に遠く及ばず。あの主相は、権勢を以て人に勝る者にして、是は即ち是、非は即ち非、能は即ち能、不能は即ち不能、己の私欲を屏棄して、必ず道を用い、あの公道通義は以て互相いに兼容すべきは、人に勝るの道なり。如今相國は上に對して能く君主を專有し、下に對して能く国を專有す。相國は人に勝るの権勢に於いて、確かにこれ有り。然れば則ち何ぞこの人に勝るの権勢を駆使して、人に勝るの道に奔赴し、仁厚明通の君子を求めて而して王を彼に托付し、彼と國政に參與して、是非を端正せざる。これのごとくなれば、則ち国は誰か敢えて義を實行せざらん。君臣上下・貴賤長少、庶人に至るまで、義を實行せざるなければ、則ち天下は誰か義に會合せんと欲せざらん。賢士は相國の朝廷に到らんことを願意し、能士は相國の官を為らんことを願意し、利を好む民は斉を以て歸向と為さんと願わざるなし。これは天下を統一するなり。相國はこれを舍棄して為さずして、ここにただこの世俗の為す所を為せば、則ち女主は宮中を擾乱し、詐臣は朝廷を擾乱し、貪吏は官府を擾乱し、衆庶百姓は皆争奪貪利を以て習俗と為す。これのごとくどうして以て国を持守せんや。如今巨大の楚は我らの前に懸り、大燕は後面より逼近し、強勁の魏は我らの右辺を鉤住し、西辺の疆土は斷えずして繩のごとく、楚人は則ちまた襄賁・開陽有りて以て我らの左辺に臨む。こ一個の国が謀劃すれば、則ち三個の国は必ず起きて我らに乘ず。これのごとくなれば、則ち斉は必ず斷裂して三四と成り、国は借來の城のごとくして、必ず天下に大笑せられん。こ両樣はどれか以て為すに足らん。あの桀紂は、聖王の後子孫にして、天下を有する者の世系にして、権勢名籍の在る所にして、天下の宗室にして、土地廣大にして、封内千里にして、人の衆は億万を以て數す。久しからずして天下は超然として皆桀紂を離れて湯武に奔向し、反って皆桀紂を惡みて湯武を看重す。これは何ぞや。桀紂は何を失いたる。湯武は何を得たる。曰く、これ他の故なし、桀紂は人の惡む所を為すに善くして、而して湯武は人の喜好する所を為すに善し。人の惡む所は何ぞ。曰く、污漫・争奪・貪利は即ちこれなり。人の喜好する所は何ぞ。曰く、礼義・辭讓・忠信は即ちこれなり。如今人君と為るは、譬稱比方して即ち己を湯武に並列せんと欲し、彼の統領する所以に至れば、則ち桀紂と不同なくして、而して湯武の功名有らんを求むれば、可ならんや。だからおよそ勝を得るは、必ず人に給し、およそ人を得るは、必ず道に給す。道とは何ぞ。礼義・辭讓・忠信は即ちこれなり。だから四五万より上のは、強勝は並びに衆の力にあらず、尊崇する所は信に在り

自數百里而往者,安固非大之力也,隆在修政矣。今已有數萬之眾者也,陶誕比周以爭與;已有數百里之國者也,汙漫突盜以爭地;然則是棄己之所安強,而爭己之所以危弱也;損己之所不足,以重己之所有餘。若是其悖繆也,而求有湯武之功名,可乎!闢之,是猶伏而咶天,救經而引其足也。說必不行矣,愈務而愈遠。為人臣者,不恤己行之不行,苟得利而已矣,是渠沖入穴而求利也,是仁人之所羞而不為也。故人莫貴乎生,莫樂乎安;所以養生安樂者,莫大乎禮義。人知貴生樂安而棄禮義,闢之,是猶欲壽而歾頸也,愚莫大焉。故君人者,愛民而安,好士而榮,兩者亡一焉而亡。詩曰:"價人維藩,大師維垣。"此之謂也。

(続いて言う:)数百里より上のは、安固は並びに大の力にあらず、尊崇する所は政を修するに在り。如今已に数万の衆有るは、荒誕比周を以て与国を争い、已に数百里の国有るは、污漫強橫盗竊を以て地を争う。然れば則ちこれは己の安強する所以を拋棄して、己の危弱する所以を争うなり。己の足らざる所を減損して、以て己の余り有る所を加重す。これのごとく悖謬して、而して湯武の功名有らんを求むれば、可ならんや。譬えば趴伏して天を舐めに行き、上吊する人を救いて却ってその脚を拉くがごとし。この説法は必ず行うべからず。愈々務求すれば愈々遠し。人臣と為るは、その行為の行わるるや否やを顧みずして、苟且に利を得るのみ。これは城を攻める大衝車を拿て洞穴に入りて利を求むるがごとく、仁人の為さざるを羞とする所なり。だから人は生より貴きなく、安より楽しきなし。だから生を養い安を楽しむるは、礼義より大きなるなし。人は生を貴び安を楽しむるを知りて、而して礼義を拋棄すれば、譬えば長寿を欲して頸を刎るがごとし。愚はこれより大きなるなし。だから人君と為るは、民を愛して安んじ、士を好みて栄え、両者一を缺けば滅亡す。『詩経・大雅・板』に言う。「甲士は藩籬、大衆は垣墻」と。これを言うのである。

力術止,義術行,曷謂也?曰:秦之謂也。威強乎湯武,廣大乎舜禹,然而憂患不可勝校也。諰諰然常恐天下之一合而軋己也,此所謂力術止也。曷謂乎威強乎湯武?湯武也者,乃能使說己者使耳。今楚、父死焉,國舉焉,負三王之廟,而闢於陳蔡之間,視可司間,案欲剡其脛而以蹈秦之腹,然而秦使左案左,使右案右,是乃使讎人役也;此所謂威強乎湯武也。曷謂廣大乎舜禹也?曰:古者百王之一天下,臣諸侯也,未有過封內千里者也。今秦南乃有沙羨與俱,是乃江南也。北與胡貉為鄰,西有巴戎,東在楚者乃界於齊,在韓者踰常山乃有臨慮,在魏者乃據圉津--即去大梁百有二十里耳!其在趙者剡然有苓而據松柏之塞,負西海而固常山,是地遍天下也。威動海內,強殆中國,然而憂患不可勝校也,諰諰然常恐天下之一合而軋己也;此所謂廣大乎舜禹也。然則奈何?曰:節威反文,案用夫端誠信全之君子治天下焉,因與之參國政,正是非,治曲直,聽咸陽,順者錯之,不順者而後誅之。若是,則兵不復出於塞外,而令行於天下矣。若是,則雖為之築明堂於塞外而朝諸侯,殆可矣。假今之世,益地不如益信之務也。

力術停止して義術實行すとは、どう言う。曰く、秦を言うなり。威強は湯武に超過し、廣大は舜禹に超過すれど、然りて憂患は計って勝つべからず。惴惴然として常に天下が一たび会合すれば己を傾軋せんことを恐怕す。これ即ち所謂力術停止すなり。どうして威強は湯武に超過すると言う。湯武は、即ち能く己を喜悅する人をして役使を供せしむるのみ。如今楚は、父はそこに死し、国は攻取せられ、三王の廟を背負いて、陳蔡の間に躲避して、可を看て間隙を窺伺して、ここに小腿を擧げて秦の腹を踩らんと欲するも、然りて秦は彼をして左に向かわしめれば左に向かい、彼をして右に向かわしめれば右に向かう。これ即ち仇人をして役使を供せしむるなり。これ即ち所謂威強は湯武に超過すなり。どうして廣大は舜禹に超過すると言う。曰く、古代百王の天下を統一し諸侯を臣服せしめしに、未だ嘗て封内千里に超過する有らず。如今秦の南辺は即ち沙羨有りて彼とともに在り。これ即ち江南なり。北辺は胡貉と鄰を為し、西辺は巴戎有り、東辺は楚に在りては即ち斉と交界し、韓に在りては常山を越えて即ち臨慮有り、魏に在りては即ち圉津を占據す。大梁を離るるはただ百二十里のみ。それが趙に在りての尖削の地は苓有りて松柏の塞を占據し、西海を背負して常山を固守す。これは地は天下に遍し。威は海内を震動し、強は中国を危殆にすれど、然りて憂患は計って勝つべからず、惴惴然として常に天下が一たび会合すれば己を傾軋せんことを恐怕す。これ即ち所謂廣大は舜禹に超過すなり。然れば則ちどうせん。曰く、威を節制し文に返回して、ここにあの端誠信全の君子を以て天下を治理し、因って彼と國政に參與して、是非を端正し、曲直を治理し、咸陽に在りて政を聴き、順從するは彼を安置し、順從せざるは然る後に彼を誅殺す。これのごとくなれば、則ち兵は再び塞外に出でずして、而して命令は天下に實行さる。これのごとくなれば、則ちたとえ彼のために塞外に明堂を築きて諸侯を朝せしむるも、ほぼ可ならん。如今の世は、土地を増益するは信を増益するよりも當務に如かず。

應侯問孫卿子曰:入秦何見?

應侯は孫卿子に問うて曰く、秦に入りて何を見たる。

孫卿子曰:其固塞險,形埶便,山林川穀美,天材之利多,是形勝也。入境,觀其風俗,其百姓樸,其聲樂不流汙,其服不佻,甚畏有司而順,古之民也。及都邑官府,其百吏肅然,莫不恭儉、敦敬、忠信而不楛,古之吏也。入其國,觀其士大夫,出於其門,入於公門;出於公門,歸於其家,無有私事也;不比周,不朋黨,倜然莫不明通而公也,古之士大夫也。觀其朝廷,其朝閒,聽決百事不留,恬然如無治者,古之朝也。故四世有勝,非幸也,數也。是所見也。故曰:佚而治,約而詳,不煩而功,治之至也,秦類之矣。雖然,則有其諰矣。兼是數具者而盡有之,然而縣之以王者之功名,則倜倜然其不及遠矣!是何也?則其殆無儒邪!故曰粹而王,駁而霸,無一焉而亡。此亦秦之所短也。

孫卿子曰く、あの固塞は險要にして、形勢便利にして、山林谿谷美しく、天材の利多し。これは形勝なり。境に入りて、風俗を観れば、あの百姓は樸實にして、あの声楽は放蕩汚穢せず、あの衣服は輕佻せず、甚だ有司を畏懼して順從す。これは古代の民なり。都邑官府に至れば、あの百吏は肅然として、恭儉・敦敬・忠信にして粗惡ならざるなし。これは古代の吏なり。国都に入りて、士大夫を観れば、その門より出でて、公門に入り、公門より出でて、その家に歸り、私事なく、比周せず、朋黨せず、超然として明通にして公ならざるなし。これは古代の士大夫なり。その朝廷を観れば、あの朝は閑暇にして、百事を聴決して滞留せず、恬然として治理する人なきがごとし。これは古代の朝廷なり。だから四世勝あるは、僥幸にあらず、数なり。これは見る所なり。だから言う、安逸にして治まり、簡約にして詳備、煩わずして功ありは、治の極致なり。秦は類似せり、と。然りと雖も、あの憂懼あり。これらの幾項を兼ねて全て有するも、然りて王者の功名を以て衡量すれば、則ち超然として差遠きこと甚だし。これは何ぞや。ほぼ儒なきならん。だから言う、純粹なれば王と称し、駁雜なれば覇と称し、一樣もなくんば滅亡す、と。これもまた秦の短ずる所なり。

積微:月不勝日,時不勝月,歲不勝時。凡人好敖慢小事,大事至然後興之務之,如是,則常不勝夫敦比於小事者矣。是何也?則小事之至也數,其縣日也博,其為積也大;大事之至也希,其縣日也淺,其為積也小。故善日者王,善時者霸,補漏者危,大荒者亡。故王者敬日,霸者敬時,僅存之國危而後戚之。亡國至亡而後知亡,至死而後知死,亡國之禍敗,不可勝悔也。霸者之善箸焉,可以時托也;王者之功名,不可勝日誌也。財物貨寶以大為重,政教功名反是--能積微者速成。詩曰:"德輶如毛,民鮮克舉之。"此之謂也。

微細を積累す――月は日に勝る能わず、時は月に勝る能わず、歳は時に勝る能わず。凡人は小事を傲慢を喜好し、大事到来して然る後に興起して務求す。これのごとく、則ち常にあの小事に敦勉して從事する人に勝る能わず。これは何ぞや。則ち小事の到来するは頻繁にして、それの懸挂する日は廣博にして、それの積累と為すは大なり。大事の到来するは稀少にして、それの懸挂する日は淺くして、それの積累と為すは小なり。だから日に善きは王と称し、時に善きは覇と称し、漏を補うは危うく、大いに荒廢するは滅亡す。だから王者は日を敬し、覇者は時を敬し、僅かに存在する国は危険なりて然る後に憂戚す。亡国は滅亡に至りて然る後に亡を知り、死に至りて然る後に死を知る。亡国の禍敗は、後悔は來り及ばざるなり。覇者の善は顯著にして、以て時候に按じて托付すべし。王者の功名は、以て日を勝べく記すべからず。財物貨宝は大を以て重と為し、政教功名は相反る。能く微細を積累するは迅速に成就す。『詩経・大雅・烝民』に言う。「徳は毛のごとく輕く、民はそれを擧げる能くすること稀なり」と。これを言うのである。

凡奸人之所以起者,以上之不貴義,不敬義也。夫義者,所以限禁人之為惡與奸者也。今上不貴義,不敬義,如是,則天下之人百姓,皆有棄義之志,而有趨奸之心矣,此奸人之所以起也。且上者下之師也,夫下之和上,譬之猶響之應聲,影之像形也。故為人上者,不可不順也。夫義者,內節於人,而外節於萬物者也;上安於主,而下調於民者也;內外上下節者,義之情也。然則凡為天下之要,義為本,而信次之。古者禹湯本義務信而天下治,桀紂棄義倍信而天下亂。故為人上者,必將慎禮義,務忠信,然後可。此君人者之大本也。堂上不糞,則郊草不瞻曠芸;白刃扞乎胸,則目不見流矢;拔戟加乎首,則十指不辭斷;非不以此為務也,疾養緩急之有相先者也。

およそ奸人の興起する所以は、上が義を看重せず、義を敬せざるに因るなり。あの義は、以て人を限禁して惡と奸を為さしめざるなり。如今上が義を看重せず、義を敬せざれば、これのごとくなれば、則ち天下の百姓は��皆義を拋棄の志向有りて、奸に趨向の心有り。これは奸人の興起する所以なり。況んや上は下の老師なり。あの下の上に應和するは、譬えば回声の声に應和し、影子の形體に似るがごとし。だから人の上と為るは、順は、順從せざるべからず。あの義は、内は人を節制し、而外は万物を節制し、上は主を安定し、而して下は民を調適す。内外上下に節ありは、義の情なり。然れば則ちおよそ天下の要約を為すは、義は根本にして、而して信はその次なり。古代禹湯は義に本づき信を務求して天下治まり、桀紂は義を拋棄し信を背叛して天下乱る。だから人の上と為るは、必ず將に礼義を謹慎し、忠信を務求して、然る後に可ならん。これは人君と為るの大根本なり。堂上掃除せざれば、則ち郊野の草は除くに及ばず。白刃は胸前に横たわれば、則ち目は飛來の矢を見ず。拔出の戟は頭上に加われば、則ち十指は斬斷せらるるを辭せず。並びにあれらを事務と為さざるにあらず、痛痒緩急に互相いに先在する有るなり。

天論篇第十七

天行有常,不為堯存,不為桀亡。應之以治則吉,應之以亂則兇。強本而節用,則天不能貧;養備而動時,則天不能病;修道而不貳,則天不能禍。故水旱不能使之飢,寒暑不能使之疾,祆怪不能使之兇。本荒而用侈,則天不能使之富;養略而動罕,則天不能使之全;倍道而妄行,則天不能使之吉。故水旱未至而飢,寒暑未薄而疾,祆怪未至而兇--受時與治世同,而殃禍與治世異,不可以怨天,其道然也。故明於天人之分,則可謂至人矣。

天の運行は常規あり。尭を以て存せず、桀を以て亡ばず。治を以て應ずれば吉し、乱を以て應ずれば凶なり。根本を加強して用度を節約すれば、則ち天は彼を貧しくする能わず。給養は完備して挙動は時に合せば、則ち天は彼を病しくする能わず。道を修整して二心せざれば、則ち天は彼に禍を與うる能わず。だから水旱は彼を饑えしむる能わず、寒暑は彼を疾病せしむる能わず、妖怪は彼を凶ならしむる能わず。根本は荒廢して用度は奢侈すれば、則ち天は彼を富ましむる能わず。給養は簡略にして挙動は稀少なれば、則ち天は彼を保全する能わず。道を背叛して妄行すれば、則ち天は彼を吉ならしむる能わず。だから水旱いまだ至らずして饑え、寒暑いまだ迫近せずして疾病し、妖怪いまだ至らずして凶なり。承受する所の時は治世と相同じくして、而して殃禍は治世と相同じからず。天を怨むべからず、あの道の然らしむるなり。だから天と人の分際を明了すれば、以て至人と称すべし。

不為而成,不求而得,夫是之謂天職。如是者,雖深、其人不加慮焉;雖大、不加能焉;雖精、不加察焉,夫是之謂不與天爭職。天有其時,地有其財,人有其治,夫是之謂能參。舍其所以參,而願其所參,則惑矣。

為さずして成就し、求めずして得到す。これを天職という。これのごときは、たとえ深しとも、あの人は思慮を加えず。たとえ大なりとも、才能を加えず。たとえ精なりとも、察辨を加えず。これを天と職を争わずという。天はその時あり、地はその財あり、人はその治あり。これを能く參配するという。參配する所以を舍棄して、而してあの參配する所を願望すれば、則ち惑う。

列星隨旋,日月遞照,四時代御,陰陽大化,風雨博施,萬物各得其和以生,各得其養以成,不見其事,而見其功,夫是之謂神。皆知其所以成,莫知其無形,夫是之謂天功。唯聖人為不求知天。

列星は旋轉に随い、日月は更迭して照臨し、四時は更迭して駕御し、陰陽は大いに化育し、風雨は廣博に施予して、万物は各自和を得て生じ、各自養を得て成就す。あの事を見ずして、あの功を見る。これを神という。皆成就する所以を知りて、あの無形を知るなし。これを天功という。ただ聖人のみ天を知らんことを求めず。

天職既立,天功既成,形具而神生,好惡喜怒哀樂臧焉,夫是之謂天情。耳目鼻口形能各有接而不相能也,夫是之謂天官。心居中虛,以治五官,夫是之謂天君。財非其類以養其類,夫是之謂天養。順其類者謂之福,逆其類者謂之禍,夫是之謂天政。暗其天君,亂其天官,棄其天養,逆其天政,背其天情,以喪天功,夫是之謂大凶。聖人清其天君,正其天官,備其天養,順其天政,養其天情,以全其天功。如是,則知其所為,知其所不為矣;則天地官而萬物役矣。其行曲治,其養曲適,其生不傷,夫是之謂知天。

天職已に立ち、天功已に成り、形體具備して神生出す。好惡喜怒哀楽はそこに藏る。これを天情という。耳目鼻口形體の官能は各自接する所有りて互相いに替代する能わず。これを天官という。心は中間の虚處に居りて、以て五官を治理す。これを天君という。己の類にあらざるを裁成して以て己の類を養う。これを天養という。その類に順從するを福といい、その類に違逆するを禍という。これを天政という。あの天君を昏暗し、あの天官を擾乱し、あの天養を拋棄し、あの天政に違逆し、あの天情に背離して、以て天功を喪失す。これを大凶という。聖人は天君を清明にし、天官を端正し、天養を具備し、天政に順從し、天情を養護して、以て天功を保全す。これのごとくなれば、則ち為す所を知り、為さざる所を知る。則ち天地は任官せられて万物は役使せらる。彼の行為の曲折は皆治まり、彼の養の曲折は皆適宜し、彼の生は傷害せられず。これを天を知るという。

故大巧在所不為,大智在所不慮。所志於天者,已其見象之可以期者矣;所志於地者,已其見宜之可以息者矣:所志於四時者,已其見數之可以事者矣;所志於陰陽者,已其見和之可以治者矣。官人守天,而自為守道也。

だから大巧は為さざる所に在り、大智は慮らざる所に在り。天に於いて志向する所は、已にあの顯現する天象は以て預期すべし。地に於いて志向する所は、已にあの顯現する宜しき所は以て蕃息すべし。四時に於いて志向する所は、已にあの顯現する数は以て從事すべし。陰陽に於いて志向する所は、已にあの顯現する和は以て治理すべし。官人は天を守りて、而して己は道を守るを為す。

治亂,天邪?曰:日月星辰瑞歷,是禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非天也。

治乱は天か。曰く、日月星辰瑞暦は、禹と桀の相同じき所にして、禹はこれに因って治まり、桀はこれに因って乱る。治乱は天にあらず。

時邪?曰:繁啟蕃長於春夏,畜積收臧於秋冬,是禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非時也。

時か。曰く、春夏に在りては繁衍生發蕃長し、秋冬に在りては畜積收蔵す。これは禹と桀の相同じき所にして、禹はこれに因って治まり、桀はこれに因って乱る。治乱は時にあらず。

地邪?曰:得地則生,失地則死,是又禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非地也。詩曰:"天作高山,大王荒之。彼作矣,文王康之。"此之謂也。

���か。曰く、地を得れば生き、地を失えば死す。これまた禹と桀の相同じき所にして、禹はこれに因って治まり、桀はこれに因って乱る。治乱は地にあらず。『詩経・周頌・天作』に言う。「天は高山を生じ、太王これを開墾し、あれ已に興起せり、文王これを安定せり」と。これを言うのである。

天不為人之惡寒也輟冬,地不為人之惡遼遠也輟廣,君子不為小人之匈匈也輟行。天有常道矣,地有常數矣,君子有常體矣。君子道其常,而小人計其功。詩曰:"禮義之不愆,何恤人之言兮!"此之謂也。

天は人の寒を惡むを以て冬を停止せず、地は人の遼遠を惡むを以て廣を停止せず、君子は小人の喧譁を以て行を停止せず。天に常道有り、地に常数有り、君子に常體有り。君子はあの常道を走りて、而して小人はあの功を計算す。『詩経』に言う。「礼義に愆過なければ、何ぞ必ず人の話を憂慮せん」と。これを言うのである。

楚王后車千乘,非知也;君子啜菽飲水,非愚也;是節然也。若夫志意修,德行厚,知慮明,生於今而志乎古,則是其在我者也。故君子敬其在己者,而不慕其在天者;小人錯其在己者,而慕其在天者。君子敬其在己者,而不慕其在天者,是以日進也;小人錯其在己者,而慕其在天者,是以日退也。故君子之所以日進,與小人之所以日退,一也。君子小人之所以相縣者,在此耳。

楚王の後面の車は千乘なれど、並びに智にあらず。君子は豆粥を啜り水を飲むも、並びに愚にあらず。これは節度の然らしむるなり。志意修整し、徳行厚く、智慮明らかにして、如今に生まれて志向は古に在るに至れば、則ちこれは我に在るなり。だから君子はあの己に在るを敬重して、あの天に在るを羨慕せず。小人はあの己に在るを放下して、あの天に在るを羨慕す。君子はあの己に在るを敬重して、あの天に在るを羨慕せざれば、これに因って日々に進步す。小人はあの己に在るを放下して、あの天に在るを羨慕すれば、これに因って日々に退步す。だから君子の日々に進步する所以と、小人の日々に退步する所以は、一事なり。君子小人の相差する所以は、ここに在るのみ。

星隊木鳴,國人皆恐。曰:是何也?曰:無何也!是天地之變,陰陽之化,物之罕至者也。怪之,可也;而畏之,非也。夫日月之有蝕,風雨之不時,怪星之黨見,是無世而不常有之。上明而政平,則是雖並世起,無傷也;上闇而政險,則是雖無一至者,無益也。夫星之隊,木之鳴,是天地之變,陰陽之化,物之罕至者也;怪之,可也;而畏之,非也。

星墜落し、樹木鳴叫すれば、国人は皆恐懼す。曰く、これは何ぞ。曰く、何もなし。これは天地の變、陰陽の化にして、物中の罕見して到来するなり。以て怪と為すは、可なり。而してこれを畏懼するは、然らず。あの日月の蝕有り、風雨は時に合せず、怪星は偶爾出現するは、世代に常々有らざるなし。上明にして政平かなれば、則ちこれらたとえ併せて世に興起するとも、傷害なし。上昏にして政險なれば、則ちこれらたとえ一個も至らずとも、益処なし。あの星の墜落、樹木の鳴叫は、天地の變、陰陽の化にして、物中の罕見して到来するなり。以て怪と為すは、可なり。而してこれを畏懼するは、然らず。

物之已至者,人祆則可畏也:楛耕傷稼,楛耨失歲,政險失民;田薉稼惡,糴貴民飢,道路有死人:夫是之謂人祆。政令不明,舉錯不時,本事不理,勉力不時,則牛馬相生,六畜作祆:夫是之謂人祆。禮義不修,內外無別,男女淫亂,則父子相疑,上下乖離,寇難並至:夫是之謂人祆。祆是生於亂。三者錯,無安國。其說甚爾,其菑甚慘。勉力不時,則牛馬相生,六畜作祆,可怪也,而亦可畏也。傳曰:"萬物之怪書不說。"無用之辯,不急之察,棄而不治。若夫君臣之義,父子之親,夫婦之別,則日切瑳而不捨也。

物の已に到来するは、人の妖の長じて畏るべきなり。耕作粗惡して稼を傷害し、除草粗惡して年成を失い、政險にして民を失う。田地は荒秽して稼惡しく、糴貴くして民饑え、道路に死人あり。これを人妖という。政令顯明ならず、挙措は時に合せず、本事は料理せず、勉力は時に合せざれば、則ち牛馬は互相いに生じ、六畜は妖を發作す。これを人妖という。礼義修整せず、内外は分別なく、男女淫乱すれば、則ち父子は互相いに懐疑し、上下乖離して、寇難は併せて到來す。これを人妖という。妖は乱より生出するなり。三者交錯すれば、安定の国なし。あの説法は甚だ淺近にして、あの災害は甚だ慘なり。勉力は時に合せざれば、則ち牛馬は互相いに生じ、六畜は妖を發作す。以て怪とすべくして、而してまた畏るべし。傳記に言う。「万物の怪は、書は解説せず」と。用なきの辯、急ならざるの察は、拋棄して治理せず。君臣の義、父子の親、夫婦の分別に至れば、則ち日々切磋して舍棄せず。

雩而雨,何也?曰:無何也,猶不雩而雨也。日月食而救之,天旱而雩,卜筮然後決大事,非以為得求也,以文之也。故君子以為文,而百姓以為神。以為文則吉,以為神則兇也。

雩祭を擧行して雨降るは、何ぞや。曰く、何もなし。雩祭を擧行せずして雨降るがごとし。日月食して往きて救い、天旱して雩祭を擧行し、卜筮を問いて然る後に大事を決斷するは、並びに以て求得と為すにあらず、以て文を為すなり。だから君子はこれを以て文と為して、而して百姓はこれを以て神と為す。以て文と為せば吉し、以て神と為せば凶なり。

在天者莫明於日月,在地者莫明於水火,在物者莫明於珠玉,在人者莫明於禮義。故日月不高,則光明不赫;水火不積,則暉潤不博;珠玉不睹乎外,則王公不以為寶;禮義不加於國家,則功名不白。故人之命在天,國之命在禮。君人者,隆禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆幽險而亡矣。

天に在りては日月より明なるなく、地に在りては水火より明なるなく、物に在りては珠玉より明なるなく、人に在りては礼義より明なるなし。だから日月高からざれば、則ち光明は顯赫せず。水火積累せざれば、則ち光暉潤澤は廣博せず。珠玉は外に顯現せざれば、則ち王公はこれを以て宝と為さず。礼義は国家に加えざれば、則ち功名は顯白ならず。だから人の命は天に在り、国の命は礼に在り。人君と為るは、礼を尊崇し賢を尊敬すれば王と称し、法を看重し民を愛すれば覇と称し、利を喜好し詐多ければ危険にして、権謀傾覆幽險なれば滅亡せり。

大天而思之,孰與物畜而制之!從天而頌之,孰與制天命而用之!望時而待之,孰與應時而使之!因物而多之,孰與騁能而化之!思物而物之,孰與理物而勿失之也!願於物之所以生,孰與有物之所以成!故錯人而思天,則失萬物之情。

大いなる天を尊崇してこれを思慕するは、どうして物を畜養してこれを制約するに及ばん。天に順從してこれを頌美するは、どうして天命を制約してこれを用うるに及ばん。時を盼望してこれを待つは、どうして時に應じてこれを役使するに及ばん。物に因ってこれを増多するは、どうして才能を馳騁してこれを化するに及ばん。物を思慕して物を役使するは、どうして物を料理してこれを失わざるに及ばん。物の生ずる所以に願望するは、どうして物の成る所以を持有するに及ばん。だから人を放下して天を思慕すれば、則ち万物の情を失う。

百王之無變,足以為道貫。一廢一起,應之以貫,理貫不亂。不知貫,不知應變。貫之大體未嘗亡也。亂生其差,治盡其詳。故道之所善,中則可從,畸則不可為,匿則大惑。水行者表深,表不明則陷。治民者表道,表不明則亂。禮者,表也。非禮,昏世也;昏世,大亂也。故道無不明,外內異表,隱顯有常,民陷乃去。

百王の改變せざる所は、以て道の貫と為すに足る。一廢一擧、貫を以て應対し、貫を料理すれば乱れず。貫を知らざれば、変に應ずるを知らず。貫の大体は未だ嘗て滅亡せず。乱はあの差失より生じ、治はあの詳備を窮尽す。だから道の善くする所は、中なれば以て從うべく、偏斜なれば以て為すべからず、差錯なれば大いに惑う。水路を走る者は深度を表出し、表顯明ならざれば陷入す。民を治むる者は道を表出し、表顯明ならざれば乱る。礼は表なり。礼にあらざれば、昏世なり。昏世は大乱なり。だから道は顯明ならざるなく、外内に不同の表あり、隱顯に常規あれば、民の陷入は去る。

萬物為道一偏,一物為萬物一偏。愚者為一物一偏,而自以為知道,無知也。慎子有見於後,無見於先。老子有見於詘,無見於信。墨子有見於齊,無見於畸。宋子有見於少,無見於多。有後而無先,則群眾無門。有詘而無信,則貴賤不分。有齊而無畸,則政令不施,有少而無多,則群眾不化。書曰:"無有作好,遵王之道;無有作惡,遵王之路。"此之謂也。

万物は道の一偏、一物は万物の一偏。愚の者は一物の一偏にして、却って自ら道を知ると以為す。これは無知なり。慎子は後に見有りて、先に見なし。老子は屈に見有りて、伸に見なし。墨子は斉に見有りて、不斉に見なし。宋子は少に見有りて、多に見なし。後有りて先なければ、則ち群衆は門なし。屈有りて伸なければ、則ち貴賤は分別せず。斉有りて不斉なければ、則ち政令は施行する能わず。少有りて多なければ、則ち群衆は教化せられず。『書』に言う。「私好有るなかれ、王の道を遵循せよ。私惡有るなかれ、王の路を遵循せよ」と。これを言うのである。

正論篇第十八

世俗之為說者曰:"主道利周。"

世俗に説法を為す者は言う、「主の道は周密を以て利と為す」と。

是不然。主者、民之唱也,上者、下之儀也。彼將聽唱而應,視儀而動;唱默則民無應也,儀隱則下無動也;不應不動,則上下無以相有也。若是,則與無上同也!不祥莫大焉。故上者、下之本也。上宣明,則下治辨矣;上端誠,則下願愨矣;上公正,則下易直矣。治辨則易一,願愨則易使,易直則易知。易一則強,易使則功,易知則明,是治之所由生也。上週密,則下疑玄矣;上幽險,則下漸詐矣;上偏曲,則下比周矣。疑玄則難一,漸詐則難使,比周則難知。難一則不強,難使則不功,難知則不明,是亂之所由作也。故主道利明不利幽,利宣不利周。故主道明則下安,主道幽則下危。故下安則貴上,下危則賤上。故上易知,則下親上矣;上難知,則下畏上矣。下親上則上安,下畏上則上危。故主道莫惡乎難知,莫危乎使下畏己。傳曰:"惡之者眾則危。"書曰:"克明明德。"詩曰:"明明在下。"故先王明之,豈特玄之耳哉!

これ然らず。主は、民の倡導。上は、下の儀表なり。彼は將に倡導を聴きて應和し、儀表を看て動かんとす。倡導沉默せば則ち民は應和なく、儀表隱藏せば則ち下は動なし。應和なく動なくんば、則ち上下は互相いに保有する由なし。これのごとくなれば、即ち上なきと同じ。不祥はこれより大きなるなし。だから上は下の根本なり。上宣明なれば、則ち下は治辨す。上端誠なれば、則ち下は謹愿端謹す。上公正なれば、則ち下は平易正直す。治辨すれば則ち斉一し易く、謹愿端謹すれば則ち役使し易く、平易正直すれば則ち知り易し。斉一し易ければ強く、役使し易ければ功あり、知り易ければ明なり。これは治の生出する所以なり。上周密なれば、則ち下は疑惑昏眩す。上幽險なれば、則ち下は漸染欺詐す。上偏曲なれば、則ち下は比周す。疑惑昏眩すれば則ち斉一し難く、漸染欺詐すれば則ち役使し難く、比周すれば則ち知り難し。斉一し難ければ強からず、役使し難ければ功なく、知り難ければ明ならず。これは乱の發作する所以なり。だから主の道は明を以て利と為して幽を以て利と為さず、宣を以て利と為して周密を以て利と為さず。だから主の道明なれば則ち下安んじ、主の道幽なれば則ち下危うし。だから下安んずれば上を看重し、下危うければ上を賤視す。だから上知り易ければ、則ち下は上に親しみ、上知り難ければ、則ち下は上を畏懼す。下上に親しめば則ち上安んじ、下上を畏懼すれば則ち上危うし。だから主の道は知り難きより惡きなく、下をして己を畏懼せしむるより危きなし。傳記に言う。「彼を惡む者は衆ければ則ち危うし」と。『書』に言う。「能く明德を顯明す」と。『詩経』に言う。「明明として下に在り」と。だから先王はこれを顯明にす。どうしてただこれを幽玄にするのみならんや。

世俗之為說者曰:"桀紂有天下,湯武篡而奪之。"

世俗に説法を為す者は言う、「桀紂は天下を有し、湯武は篡奪してこれを奪取せり」と。

是不然。以桀紂為常有天下之籍則然,親有天下之籍則不然,天下謂在桀紂則不然。古者天子千官,諸侯百官。以是千官也,令行於諸夏之國,謂之王。以是百官也,令行於境內,國雖不安,不至於廢易遂亡,謂之君。聖王之子也,有天下之後也,埶籍之所在也,天下之宗室也,然而不材不中,內則百姓疾之,外則諸侯叛之,近者境內不一,遙者諸侯不聽,令不行於境內,甚者諸侯侵削之,攻伐之。若是,則雖未亡,吾謂之無天下矣。聖王沒,有埶籍者罷不足以縣天下,天下無君;諸侯有能德明威積,海內之民莫不願得以為君師;然而暴國獨侈,安能誅之,必不傷害無罪之民,誅暴國之君,若誅獨夫。若是,則可謂能用天下矣。能用天下之謂王。湯武非取天下也,修其道,行其義,興天下之同利,除天下之同害,而天下歸之也。桀紂非去天下也,反禹湯之德,亂禮義之分,禽獸之行,積其兇,全其惡,而天下去之也。天下歸之之謂王,天下去之之謂亡。故桀紂無天下,湯武不弒君,由此效之也。湯武者,民之父母也;桀紂者、民之怨賊也。今世俗之為說者,以桀紂為君,而以湯武為弒,然則是誅民之父母,而師民之怨賊也,不祥莫大焉。以天下之合為君,則天下未嘗合於桀紂也。然則以湯武為弒,則天下未嘗有說也,直墮之耳。

これ然らず。以て桀紂は常に天下の名籍を有すと為せば則ちこのごとく、親ら天下の名籍を有すと為せば則ちこのごとくならず、天下は桀紂に在りと言えば則ちこのごとくならず。古代天子は千官有り、諸侯は百官有り。この千官を以て、命令は諸夏の国に實行するを、王という。この百官を以て、命令は境内に實行し、国たとえ安んぜずとも、廢易滅亡に至らずを、君という。聖王の子は、天下の後嗣有りて、権勢名籍の在る所にして、天下の宗室なり。然りて不材不中にして、内は則ち百姓は彼を憎疾し、外は則ち諸侯は彼に反叛し、近きは境内は斉一せず、遠きは諸侯は聴かず、命令は境内に實行する能わず、厲きは諸侯は彼を侵削し、彼を攻伐す。これのごとくなれば、則ちたとえいまだ滅亡せずとも、我は彼を天下なしと言う。聖王沒して、権勢名籍有るは疲弱して以て天下を維係するに足らず、天下に君なし。諸侯は能く徳明威積なる有れば、海内の民は彼を得て君師と為さんことを願わざるなし。然りて暴国は独り奢侈すれば、ここに能く彼を誅殺して、必ず無罪の民を傷害せず、暴国の君を誅殺するは、獨夫を誅殺するがごとし。これのごとくなれば、則ち以て天下を用うる能くすると称すべし。能く天下を用うるを王という。湯武は並びに天下を奪取するにあらず、その道を修習し、その義を實行し、天下の共同の利を興起し、天下の共同の害を除去して、而して天下は彼に歸向せり。桀紂は並びに天下を離去するにあらず、禹湯の徳に違反し、礼義の分際を擾乱し、禽獣の行為を積累し、凶を全備し、惡を成就して、而して天下は彼を離れたり。天下彼に歸向するを王といい、天下彼を離るるを亡という。だから桀紂は天下を有せずして、湯武は君を弑せず。ここより效驗す。湯武は、民の父母。桀紂は、民の怨賊なり。如今世俗に説法を為す者は、桀紂を以て君と為して、而して湯武を以て弑と為す。然れば則ちこれは民の父母を誅殺して、而して民の怨賊を效法す。不祥はこれより大きなるなし。天下の會合を以て君と為せば、則ち天下は未だ嘗て桀紂に會合せず。然れば則ち湯武を以て弑と為すは、則ち天下は未だ嘗てこの説法有らず、ただ彼らを毁堕するのみ。

故天子唯其人。天下者,至重也,非至強莫之能任;至大也,非至辨莫之能分;至眾也,非至明莫之能和。此三至者,非聖人莫之能盡。故非聖人莫之能王。聖人備道全美者也,是縣天下之權稱也。桀紂者、其志慮至險也,其志意至闇也,其行為至亂也;親者疏之,賢者賤之,生民怨之。禹湯之後也,而不得一人之與;刳比干,囚箕子,身死國亡,為天下之大僇,後世之言惡者必稽焉,是不容妻子之數也。故至賢疇四海,湯武是也;至罷不能容妻子,桀紂是也。今世俗之為說者,以桀紂為有天下,而臣湯武,豈不過甚矣哉!譬之,是猶傴巫跛匡大自以為有知也。

だから天子はただあの人に在るのみ。天下は至重にして、至強にあらざれば擔任する能くするなし。至大にして、至辨にあらざれば分別する能くするなし。至衆にして、至明にあらざれば和する能くするなし。この三至は、聖人にあらざれば窮尽する能くするなし。だから聖人にあらざれば王と称する能くするなし。聖人は道を備え美を全うする人にして、天下を維係するの権衡なり。桀紂は、その志慮は至險にして、その志意は至昏にして、その行為は至乱なり。親の者は彼を疎遠し、賢の者は彼を賤視し、生民は彼を怨恨す���これは禹湯の後嗣なれど、一人の黨与を得ず。比干を剖き、箕子を囚禁して、身死に国亡びて、天下の大耻辱と為り、後世は惡を言い起こせば必ず彼らを稽考す。これは妻子を容下する能わざるの数なり。だから至賢は四海を疇有す。湯武は即ちこれなり。至疲弱は妻子を容納する能わず。桀紂は即ちこれなり。如今世俗に説法を為す者は、以て桀紂は天下を有して、而して湯武を臣服せしむと為す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。譬えば駝背の巫・跛脚の匡が大大に自ら知あると以為すがごとし。

故可以有奪人國,不可以有奪人天下;可以有竊國,不可以有竊天下也。可以奪之者可以有國,而不可以有天下;竊可以得國,而不可以得天下。是何也?曰:國、小具也,可以小人有也,可以小道得也,可以小力持也;天下者、大具也,不可以小人有也,不可以小道得也,不可以小力持也。國者、小人可以有之,然而未必不亡也;天下者,至大也,非聖人莫之能有也。

だから以て人の国を奪取する有るべくして、以て人の天下を奪取する有るべからず。以て国を竊むる有るべくして、以て天下を竊むる有るべからず。以て奪取するは以て国を有るべくして、以て天下を有るべからず。竊むるは以て国を得べくして、以て天下を得べからず。これは何ぞや。曰く、国は小器具にして、以て小人に有らしむべく、以て小道に得べく、以て小力に持守すべし。天下は大器具にして、以て小人に有らしむべからず、以て小道に得べからず、以て小力に持守すべからず。国は小人はこれを有るべくも、然りて必ずしも滅亡せざらず。天下は至大にして、聖人にあらざれば有る能くするなし。

世俗之為說者曰:"治古無肉刑,而有象刑:墨黥,慅嬰,共、艾畢,剕、枲屨,殺、赭衣而不純。治古如是。"

世俗に説法を為す者は言う、「治古は肉刑なくして、而して象刑有り――墨黥は、草を以て帽纓と為し、衣の蔽膝を割去り、脚を砍ぎ、麻鞋を穿ち、殺は、紅衣を穿ちて鑲辺せず。治古はこのごとし」と。

是不然。以為治邪?則人固莫觸罪,非獨不用肉刑,亦不用象刑矣。以為人或觸罪矣,而直輕其刑,然則是殺人者不死,傷人者不刑也。罪至重而刑至輕,庸人不知惡矣,亂莫大焉。凡刑人之本,禁暴惡惡,且懲其未也。殺人者不死,而傷人者不刑,是謂惠暴而寬賊也,非惡惡也。故象刑殆非生於治古,並起於亂今也。

これ然らず。以て治と為さんか。則ち人本來罪に觸るるなく、並びにただ肉刑を用いざるのみならず、象刑もまた用いず。以て人あるいは罪に觸れたりと為さんか。然りてただその刑を軽減するのみ。然れば則ちこれは人を殺すの不死、人を傷るの刑を受けざるなり。罪至重にして刑至輕ければ、庸人は惡を知らずして、乱はこれより大きなるなし。およそ人を刑するの根本は、暴を禁止し惡を惡み、且つあのいまだ為さざるを懲戒するなり。人を殺すの不死にして、而して人を傷るの刑を受けざれば、これを暴に惠を施して賊を寛容すという。惡を惡むにあらず。だから象刑はほぼ治古より生ずるにあらずして、併せて乱今より興起せり。

治古不然。凡爵列、官職、賞慶、刑罰,皆報也,以類相從者也。一物失稱,亂之端也。夫德不稱位,能不稱官,賞不當功,罰不當罪,不祥莫大焉。昔者武王伐有商,誅紂,斷其首,縣之赤旆。夫徵暴誅悍,治之盛也。殺人者死,傷人者刑,是百王之所同也,未有知其所由來者也。

治古はこれにあらず。およそ爵列・官職・賞慶・刑罰は、皆報にして、類に按じて相從するなり。一物は相称を失えば、乱の端緒なり。あの徳は位子と相称せず、才能は官と相称せず、賞は功と相當せず、罰は罪と相當せざれば、不祥はこれより大きなるなし。從前武王は有商を伐ち、紂を誅殺して、その首を斬斷して、赤旗に懸挂せり。あの暴を征討し悍を誅殺するは、治の隆盛なり。人を殺すの死、人を傷るの刑を受くるは、百王の相同じき所にして、未だ嘗てそれの何處より來るを知るなし。

刑稱罪,則治;不稱罪,則亂。故治則刑重,亂則刑輕,犯治之罪固重,犯亂之罪固輕也。書曰:"刑罰世輕世重。"此之謂也。

刑は罪と相称すれば、則ち治まり、罪と相称せざれば、則ち乱る。だから治まれば則ち刑重く、乱れば則ち刑軽し。治世の罪に觸るるは本來重く、乱世の罪に觸るるは本來軽し。『書』に言う。「刑罰は世代に軽重あり」と。これを言うのである。

世俗之為說者曰:"湯武不善禁令。"曰:"是何也?"曰:"楚越不受制。"

世俗に説法を為す者は言う、「湯武は禁令に善からず」と。問う、「これは何ぞや」。曰く、「楚越は制約を接受せず」と。

是不然。湯武者、至天下之善禁令者也。湯居亳,武王居鄗,皆百里之地也,天下為一,諸侯為臣,通達之屬,莫不振動從服以化順之,曷為楚越獨不受制也!

これ然らず。湯武は、天下の禁令に最も善き者なり。湯は亳に住し、武王は鎬に住し、皆百里の地にして天下統一し、諸侯臣を為し、通達の所は震動從服して化し従わざるなし。どうして楚越は独り制約を接受せざらんや。

彼王者之制也,視形埶而制械用,稱遠邇而等貢獻,豈必齊哉!故魯人以榶,衛人用柯,齊人用一革,土地刑制不同者,械用、備飾不可不異也。故諸夏之國同服同儀,蠻、夷、戎、狄之國同服不同制。封內甸服,封外侯服,侯衛賓服,蠻夷要服,戎狄荒服。甸服者祭,侯服者祀,賓服者享,要服者貢,荒服者終王。日祭、月祀、時享、歲貢、終王,夫是之謂視形埶而制械用,稱遠近而等貢獻;是王者之制也。

あの王者の制度は、形勢を観て器械用具を制約し、遠近を稱量して貢獻の等次を分別す。どうして必ず斉一ならんや。だから魯人は榶を用い、衛人は柯を用い、斉人は一革を用いる。土地形制の同じからざるは、器械用具・備飾は異ならざるべからず。だから諸夏の国は同じく服事して同じく儀度し、蠻・夷・戎・狄の国は同じく服事して同じからず制度す。封内は甸服、封外は侯服、侯衛は賓服、蠻夷は要服、戎狄は荒服。甸服の人は祭し、侯服の人は祀し、賓服の人は享し、要服の人は貢し、荒服の人は終生に一度王を朝す。日祭・月祀・時享・歳貢・終王。これを形勢を観て器械用具を制約し、遠近を稱量して貢獻の等次を分別すという。王者の制度なり。

彼楚越者,且時享、歲貢,終王之屬也,必齊之日祭月祀之屬,然後曰受制邪?是規磨之說也。溝中之瘠也,則未足與及王者之制也。語曰:"淺不足與測深,愚不足與謀智,坎井之蛙,不可與語東海之樂。"此之謂也。

あの楚越は、尚お時享・歳貢・終王一類なれば、必ず日祭月祀一類に斉同して、然る後に制約を接受すと称せらるべけんや。これは規磨の説法なり。溝中に餓死する人は、則ち彼と王者の制度を論及するに足らず。俗に言う、「淺は以て深を測量するに足らず、愚は以て智を謀劃するに足らず、淺井の蛙は、彼と東海の楽を講ずべからず」と。これを言うのである。

世俗之為說者曰:"堯舜擅讓。"

世���に説法を為す者は言う、「尭舜は禪讓せり」と。

是不然。天子者,埶位至尊,無敵於天下,夫有誰與讓矣?道德純備,智惠甚明,南面而聽天下,生民之屬莫不震動從服以化順之。天下無隱士,無遺善,同焉者是也,異焉者非也。夫有惡擅天下矣。

これ然らず。天子は、権勢位子至尋にして、天下に敵なし。また誰と禪讓せん。道徳は純粹完備にして、智惠は甚だ明にして、南に面して天下を聴き、生民一類は震動從服して化し從わざるなし。天下に隱士なく、遺漏の善なく、これに同じは是にして、これに同じからざるは非なり。また惡んで天下を禪讓して何を為さん。

曰:"死而擅之。"

曰く、「死して然る後に禪讓す」と。

是又不然。聖王在上,決德而定次,量能而授官,皆使民載其事而各得其宜。不能以義制利,不能以偽飾性,則兼以為民。聖王已沒,天下無聖,則固莫足以擅天下矣。天下有聖,而在後子者,則天下不離,朝不易位,國不更制,天下厭然,與鄉無以異也;以堯繼堯,夫又何變之有矣!聖不在後子而在三公,則天下如歸,猶復而振之矣。天下厭然,與鄉無以異也;以堯繼堯,夫又何變之有矣!唯其徙朝改製為難。故天子生則天下一隆,致順而治,論德而定次,死則能任天下者必有之矣。夫禮義之分盡矣,擅讓惡用矣哉!

これまた然らず。聖王上に在りて、徳を評定して等次を排定し、才能を衡量して官職を授予して、皆民をしてその事を擔負せしめて各自適宜を得しむ。能く義を以て利を制約せず、能く文を以て性を飾らざれば、則ち併せて民と為す。聖王已に沒して、天下に聖なければ、則ち本來以て天下を禪讓するに足るなし。天下に聖有りて、而して後嗣兒子に在れば、則ち天下は离散せず、朝廷は位子を改換せず、国は制度を更改せず、天下は安然として、從前と不同なし。尭を以て尭に接續せば、また何の改變かあらん。聖は後嗣兒子に在らずして三公に在れば、則ち天下は歸向するがごとくして、猶回复して振興せり。天下は安然として、從前と不同なし。尭を以て尭に接續せば、また何の改變かあらん。ただ朝廷を遷徙し制度を更改するは難し。だから天子生きて在れば則ち天下は一個を尊崇して、順を極尽して治め、徳を論定して等次を排定し、死せば則ち能く天下を擔任するは必ず有り。あの礼義の分際は窮尽せり。禪讓はどうして用いられんや。

曰:"老衰而擅。"

曰く、「老いて衰えて然る後に禪讓す」と。

是又不然。血氣筋力則有衰,若夫智慮取捨則無衰。

これまた然らず。血気筋力は則ち衰あれど、智慮取舍に至れば則ち衰なし。

曰:"老者不堪其勞而休也。"

曰く、「老の人は労苦を承受する能わずして休息す」と。

是又畏事者之議也。天子者埶至重而形至佚,心至愉而志無所詘,而形不為勞,尊無上矣。衣被則服五采,雜間色,重文繡,加飾之以珠玉;食飲則重大牢而備珍怪,期臭味,曼而饋,伐皋而食,雍而徹乎五祀,執薦者百餘人,侍西房;居則設張容,負依而坐,諸侯趨走乎堂下;出戶而巫覡有事,出門而宗祝有事,乘大路趨越席以養安,側載睪芷以養鼻,前有錯衡以養目,和鸞之聲,步中武象,趨中韶護以養耳,三公奉軶、持納,諸侯持輪、挾輿、先馬,大侯編後,大夫次之,小侯元士次之,庶士介而夾道,庶人隱竄,莫敢視望。居如大神,動如天帝。持老養衰,猶有善於是者與?不老者、休也,休猶有安樂恬愉如是者乎?故曰:諸侯有老,天子無老。

これまた事を怕れる人の議論なり。天子は権勢至重にして形體至安逸にして、心至愉にして志向は屈せられず、而して形體は労苦を為さず。尊は上に在るなし。衣被すれば則ち五采を穿ち、間色を間雑し、文繡を重疊して、珠玉を加うるに文飾す。食飲すれば則ち太牢を重疊して珍怪を具備し、氣味を期求して、曼延して進獻し、鼓を擊ちて吃し、雍を奏でて五祀に徹り、薦を執るは百余人にして、西房に侍候す。居住すれば則ち帳容を設置して、屏風を背負して坐し、諸侯は堂下に趨走す。戸を出れば巫覡に事有り、門を出れば宗祝に事有り、大路に乘り蒲席を踏みて以て安を養い、旁に香草を載せて以て鼻を養い、前に錯衡有りて以て目を養い、和鸞の聲は、慢歩は武象に合し、趨歩は韶護に合して以て耳を養い、三公は軛を捧げ轡を持ち、諸侯は輪を持ち車を挾み馬の前に在り、大侯は後に編し、大夫はその次に在り、小侯元士はその次に在り、庶士は甲を披き道に挾り、庶人は隱竄して、視望を敢えてするなし。居住するは大神のごとく、挙動するは天帝のごとし。老を持守し衰を養護するは、またこれより善き有らんや。老ならざるは休息す。休息はまた安楽恬愉このごとき有らんや。だから言う、諸侯に老有り、天子に老なし、と。

有擅國,無擅天下,古今一也。夫曰堯舜擅讓,是虛言也,是淺者之傳,陋者之說也,不知逆順之理,小大、至不至之變者也,未可與及天下之大理者也。

禪讓国あり、禪讓天下なし。古今は一事なり。あの尭舜禪讓と言うは、虚言にして、淺の人の傳聞にして、陋の人の説法にして、逆順の理を知らず、小大・至と不至の變化の人にして、彼と天下の大理を論及すべからず。

世俗之為說者曰:"堯舜不能教化。"是何也?曰:"朱象不化。"

世俗に説法を為す者は言う、「尭舜は能く教化せず」と。これは何ぞや。曰く、「丹朱・象は教化せられず」と。

是不然也:堯舜至天下之善教化者也。南面而聽天下,生民之屬莫不振動從服以化順之。然而朱象獨不化,是非堯舜之過,朱象之罪也。堯舜者、天下之英也;朱象者、天下之嵬,一時之瑣也。今世俗之為說者,不怪朱象,而非堯舜,豈不過甚矣哉!夫是之謂嵬說。羿蜂門者、天下之善射者也,不能以撥弓曲矢中微;王梁造父者、天下之善馭者也,不能以闢馬毀輿致遠。堯舜者、天下之善教化者也,不能使嵬瑣化。何世而無嵬?何時而無瑣?自太皞燧人莫不有也。故作者不祥,學者受其殃,非者有慶。詩曰:"下民之孽,匪降自天。噂沓背憎,職競由人。"此之謂也。

これ然らず。尭舜は天下の教化に最も善き者なり。南に面して天下を聴き、生民一類は震動從服して化し從わざるなし。然りて丹朱・象は独り教化せられず。これは尭舜の過錯にあらず、丹朱・象の罪なり。尭舜は、天下の英傑なり。丹朱・象は、天下の怪異にして、一時の瑣碎なり。如今世俗に説法を為す者は、丹朱・象を怪しまずして、而して尭舜を非議す。豈に過分甚だしきにあらざらんや。これを怪異の説法という。羿・逢蒙は、天下の射に善き者にして、以て彎弓曲矢に細微を射中する能わず。王良・造父は、天下の駕御に善き者にして、以て瘸馬毀車に遠方に到達する能わず。尭舜は、天下の教化に善き者にして、能く怪異瑣碎の人をして教化せしむる能わず。どの世代か怪異なき。どの時か瑣碎なき。太皞・燧人より無きことなし。だからこの説法を為すは不祥にして、学ぶ者はあの殃を受け、非議する者は慶有り。『詩経・小雅・十月之交』に言う。「下民の孽は、天より降るにあらず。當面は談笑して背後は憎恨す。職競は人に由る」と。これを言うのである。

世俗之為說者曰:"太古薄背,棺厚三寸,衣衾三領,葬田不妨田,故不掘也;亂今厚葬飾棺,故抇也。"

世俗に説法を為す者は言う、「太古は薄葬にして、棺は厚三寸、衣衾は三領、田里に葬りて田を妨害せず。だから挖掘せられず。乱今は厚葬して棺を文飾す。だから挖掘せらる」と。

是不及知治道,而不察於抇不抇者之所言也。凡人之盜也,必以有為,不以備不足,則以重有餘也。而聖王之生民也,皆使富厚優猶知足,而不得以有餘過度。故盜不竊,賊不刺,狗豕吐菽粟,而農賈皆能以貨財讓。風俗之美,男女自不取於塗,而百姓羞拾遺。故孔子曰:"天下有道,盜其先變乎!"雖珠玉滿體,文繡充棺,黃金充槨,加之以丹矸,重之以曾青,犀象以為樹,琅玕、龍茲、華覲以為實,人猶莫之抇也。是何故也?則求利之詭緩,而犯分之羞大也。

これは治道を知るに足らずして、而して挖掘と不挖掘を審察する人の言う所にあらざるなり。凡人の盗竊は、必ず為す所有り、以て不足を具備するに用い、即ち有余を看重す。而して聖王は民を養活して、皆彼らを富厚寛裕知足にして、而して有余過度を得ざらしむ。だから盗は竊まず、賊は刺さず、狗豬は豆粟を吐出して、而して農賈は皆能く貨財を以て謙讓す。風俗の美は、男女は自ら路上に娶せずして、而して百姓は遺を拾うを羞とす。だから孔子曰く、「天下道有れば、盗はほぼ先に改變せんや」と。たとえ珠玉身に滿ち、文繡棺に充滿し、黄金は椁に充滿して、丹干を加え、曾青を重疊し、犀象を以て樹と為し、琅玕・龍兹・華覲を以て果實と為すとも、人は猶これを挖掘するなし。これは何の故ぞや。利を求むるの詭詐は緩みて、而して分際に觸犯するの羞は大なり。

夫亂今然後反是。上以無法使,下以無度行;知者不得慮,能者不得治,賢者不得使。若是,則上失天性,下失地利,中失人和。故百事廢,財物詘,而禍亂起。王公則病不足於上,庶人則凍餧羸瘠於下。於是焉桀紂群居,而盜賊擊奪以危上矣。安禽獸行,虎狼貪,故脯巨人而炙嬰兒矣。若是則有何尤抇人之墓,抉人之口而求利矣哉!雖此裸而薶之,猶且必抇也,安得葬薶哉!彼乃將食其肉而齕其骨也。

あの乱今は然る後に相反る。上は法度以外を以て役使し、下は量度以外を以て實行す。智の者は慮を得ず、能の者は治を得ず、賢の者は使を得ず。これのごとくなれば、則ち上は天性を失い、下は地利を失い、中は人和を失う。だから百事廢し、財物は屈尽して、而して禍乱興起す。王公は則ち上に在りて不足を病み、庶人は則ち下に在りて凍餓羸瘠す。ここに桀紂は群を成して居り、而して盗賊は撃奪して以て上を危害す。ここに禽獣の行為、虎狼の貪にして、巨人を脯にし嬰兒を炙る所以なり。これのごとくなれば則ちまた何ぞ必ず人の墓を挖掘し、人の口を抉開して以て利を求むるを怨まんや。たとえこのごとく裸にして彼を埋めんとも、將に必ず挖掘せられん。どうして能く葬埋せんや。彼は即ち將にあの肉を喫してあの骨を啃まんとす。

夫曰:太古薄背,故不抇也;亂今厚葬,故抇也。是特奸人之誤於亂說,以欺愚者而淖陷之,以偷取利焉。夫是之謂大奸。傳曰:"危人而自安,害人而自利。"此之謂也。

あの言う、太古は薄葬にして、だから挖掘せられず。乱今は厚葬にして、だから挖掘せらる、とは。これはただ奸人が乱説に誤せられて、以て愚人を欺きて彼を陷溺せしめ、以て利を偷取するなり。これを大奸という。傳記に言う。「人を危害して己は安んじ、人を傷害して己は利す」と。これを言うのである。

子宋子曰:"明見侮之不辱,使人不鬥。人皆以見侮為辱,故鬥於也;知見侮之為不辱,則不鬥矣。"

子宋子曰く、「明白に侮を見るも辱と以為せざれば、人をして争鬥せざらしむ。人は皆侮を見るを以て辱と為す。だから争鬥す。侮を見るは辱ならざるを知れば、則ち争鬥せず」と。

應之曰:然則以人之情為不惡侮乎?

彼に應対して曰く、然れば則ち以て人の情は侮を惡まざると為すか。

曰:"惡而不辱也。"

曰く、「惡めども辱と以為せず」と。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.