Libo

抱朴子外篇 · 第11巻

东晋 · 葛洪 · 第11巻 / 12

抱朴子曰:理盡者不可責有餘,一至者不可求兼濟。故洪濤之末,不能蕩浮萍;沖風之後,不能颺輕塵;勁弩之餘力,不能洞霧縠;西頹之落暉,不能照山東。

抱朴子曰く、理盡くる人は可に責求して有餘す可からず、一至の人は可に求めて兼濟す可からず。ゆえに洪濤の末は、能く浮萍を蕩せず。衝風の後は、能く輕塵を揚げず。勁弩の餘力は、能く霧縠を洞穿せず。西に頹るるの落暉は、能く山東を照らさず。

抱朴子曰:懸象雖薄蝕,不可以比螢燭之貞耀;黃河雖混渾,不可以方沼沚之清澄。山雖崩,猶峻於丘垤;虎雖瘠,猶猛於豺狼。

抱朴子曰く、懸象は卽使薄蝕するとも、可に螢燭の貞耀に比す可からず。黄河は卽使混渾するとも、可に沼沚の淸澄に比す可からず。山は卽使崩るとも、還に丘垤に比べて峻し。虎は卽使瘠れるとも、還に豺狼に比べて猛し。

抱朴子曰:神農不九疾,則四經之道不垂;大禹不胼胝,則玄珪之慶不集。故久憂為厚樂之本,暫勞為永逸之始。

抱朴子曰く、神農は九次の疾を經過せざれば、則ち四經の道は垂れず。大禹は胼胝せざれば、則ち玄珪の慶は集らず。ゆえに久憂は是れ厚樂の本にして、暫勞は是れ永逸の始なり。

抱朴子曰:金鉤桂餌雖珍,而不能制九淵之沈鱗;顯寵豐祿雖貴,而不能致無慾之幽人。故呂梁有鵠立之夫,河湄繁伐檀之民。玉帛徒集於子陵之巷,蒲輪虛反於徐生之門。

抱朴子曰く、金鉤桂餌は雖も珍なるも、而も能く九淵の沉鱗を制服せず。顯寵豐祿は雖も貴なるも、而も能く無欲の幽人を招致せず。ゆえに呂梁は鵠立の人有り、河湄は檀を伐るの民多し。玉帛は空しく子陵の巷に集り、蒲輪は空しく徐生の門より返回す。

抱朴子曰:觀聽殊好,愛憎難同。鳥睹西施而驚逝,魚鱉聞九韶而深沈。故兗藻之粲煥,不能悅裸鄉之目;辨菱之清音,不能快楚隸之耳。古公之仁,不能喻欲地之狄;端木之辯,不能釋繫馬之庸。

抱朴子曰く、觀聽は喜好同じからず、愛憎は同じくする難し。鳥は西施を看れば驚逝し、魚鱉は九韶を聽けば深沉す。ゆえに袞藻の粲煥は、能く裸鄉の目を悅ばせず。淸辨の菱歌は、能く楚隸の耳を快くせず。古公の仁は、能く地を欲するの狄を曉喻せず。端木の辯は、能く馬を係るの庸を解開せず。

抱朴子曰:般旋之儀,見憎於裸踞之鄉;繩墨之匠,獲忌於曲木之肆。貪婪饕餮者,疾素絲之皎潔;比周實繁者,讎高操之孤立。猶賈豎之惡同利,醜女之害國色。

抱朴子曰く、盤旋の儀は、裸踞の鄉に憎せられ。繩墨の匠は、曲木の肆に忌を獲る。貪婪饕餮の人は、素絲の皎潔を疾む。比周實繁の人は、高操の孤立を仇とす。便ち賈豎は利を同じくする人を厭惡し、醜女は國色を妨害するが如し。

抱朴子曰:君子之升騰也,則推賢而散祿;庸人之得志也,則矜貴而忽士。施惠隆於佞幸,用財出乎小惠。不與智者aw其安,而望有危而見救;不與奇士同其歡,而欲有戚之見恤;猶災火張天,方請雨於名山;洪水凌空,而伐舟於東閭;不亦晚乎

抱朴子曰く、君子は升騰せば、則ち賢を推して而も祿を散ず。庸人は志を得れば、則ち貴を矜りて而も士を忽略す。惠を施すは佞幸に隆くして、財を用うるは小惠より出づ。智ある人と其の安を共にせずして(底本「aw」は抓取の殘留、當に「共」と讀作すべし)、然れども危有りて救はれんを望み、奇士と其の歡を同じくせずして、然れども戚有りて恤はれんを想うは、便ち災火は天を張きて、乃ち名山に向かって雨を請い、洪水は空を凌ぎて、乃ち東閭に到りて舟を伐るが如く、不も亦た晚しきかな。

辭義卷第四十

辭義巻第四十

或曰:“乾坤方圓,非規定之功,三辰摛景,非瑩磨之力;春華粲煥,非漸染之辨;茝蕙芬馥,非容氣所假。知夫至真,貴乎天然也。義以罕覿為異,辭以不常為美,而歷觀古今屬文之家,鮮能挺逸麗於毫端,多斟酌於前言。何也”

或る人曰く、天地の方圓は、是れ規矩量畫の功勞に非ず。日月星辰は光影を鋪開するは、是れ瑩磨の力氣に非ず。春花は粲煥するは、是れ漸漸染上するの彩色に非ず。茝蕙は芬馥たるは、是れ容氣の能く假借する所に非ず。此より知る、至真の物は、貴くは天然に在り。義理は罕見を以て奇異と爲し、文辭は不尋常を以て美と爲す、然れども歷觀古今文を屬する人は、能く逸麗を筆端に挺立する少なく、大多は前人の話の裡に斟酌す。爲什麼なりや、と。

抱朴子曰:“清音貴於雅韻克諧,著作珍乎判微析理。故八音形器異而鍾律同,黼黻文物殊而五色均。徒閒澀有主賓,妍媸有步驟。是則總章無常曲,大庖無定味。夫梓豫山積,非班匠不能成機巧;眾書無限,非英才不能收膏腴。何必尋木千里,乃構大廈;鬼神之言,乃著篇章乎!”

抱朴子曰く、淸音は貴くは雅韻の能く諧和するに在り、著作は珍くは能く精微を剖判し・義理を分析するに在り。ゆえに八音の形器は同じからずして而も鐘律は相同じ、黼黻文物は別有りて而も五色は均勻す。ただ是れ生熟は主賓有り、妍媸は步驟有るのみ。這樣説來れば、總章は固定の曲子なく、大庖は固定の滋味なし。梓木豫章は山の如く堆積すれど、公輸班のあの如き匠人に非ざれば便ち能く機巧を做成せず。衆書は無限にして、英才に非ざれば便ち能く膏腴を收取せず。何必千里の外の木材に尋到して、乃ち大廈を構建せんや。何必鬼神の言語、乃ち篇章を寫成せんや。

抱朴子曰:夫才有清濁,思有修短,雖並屬文,叄差萬品,或浩漾而不淵渾,或事情而辭鈍,違物理而文工,蓋偏長之一致,非兼通之才也。暗於自料,強欲兼之,違才易務,故不免嗤也。

抱朴子曰く、才は淸濁有り、思は長短有り、雖も同じく文を屬するも、參差萬品なり(底本は「叁差」と作る、即ち「參差」)、或いは浩蕩として而も淵渾ならず、或いは事は質實して而も辭鈍く、或いは物理に違背して而も文は却って工巧なり、這些は皆是れ偏長の一種の路數にして、是れ兼通の才に非ず。自己を估量するに暗くして、硬に兼備せんと要り、自己の才に違背して別の事務を改做すれば、ゆえに嗤笑せらるるを免れず。

抱朴子曰:五味舛而並甘,眾色乖而皆麗。近人之情,愛同憎異,貴乎合己,賤於殊途。夫文章之體,尤難詳賞,苟以入耳為佳,適心為快,鮮知忘味之九成,雅頌之風流也。所謂考鹽梅之鹹酸,不知大羹之不致,明飄搖之細巧,蔽於沈深之弘邃也。其英異宏逸者,則網羅乎玄黃之表;其拘束齷齪者,則羈紲於籠罩之內。振翅有利鈍,則翔集有高卑;騁跡有遲迅,則進趨有遠近。駑銳(疑下有脫文)不可膠柱調也。文貴豐贍,何必稱善如一口乎!不能拯風俗之流遁,世途之凌夷,通疑者之路,賑貧者之乏,何異春華不為餚糧之用,茝蕙不救冰寒之急。古詩刺過失,故有益而貴;今詩純虛譽,故有損而賤也。

抱朴子曰く、五味は錯雜して然れども皆甘美、衆色は乖異して然れども皆美麗。近人の性情は、同じきを愛し・同じからざるを憎み、自己に合うを貴び・殊途を走るを賤視す。文章の體は、尤も詳細に鑒賞し難し、假如耳に入るを以て佳と爲し・心に適うを以て快と爲せば、便ちあの人をして味を忘れしむるの九成韶樂・雅頌の風流を知る少なし。所謂鹽梅の鹹酸を考較して、然れども大羹は五味を調せざるを知らず。飄搖の細巧を明察して、然れども沉深の弘邃に遮蔽せられり。あの英異宏逸のは、便ち玄黄の外に網羅せられ。あの拘束齷齪のは、便ち籠罩の內に羈絆せられ。翅を振るは利鈍有れば、飛翔棲止は便ち高卑有り。馳騁足迹は遲速有れば、進趨は便ち遠近有り。駑鈍と銳利とは(底本は疑らくは下に脱文有り)可に膠柱して而も瑟を鼓す可からず。文章は貴くは豐贍に在り、何必善を稱するは同一張の嘴の如くせんや。能く風俗の流遁・世途の陵夷を拯救せず、疑惑する人の路を疏通し、貧乏する人の缺を賑濟せずば、春花は能く肴糧に當てて用う可からず・茝蕙は能く冰寒の急を救う可からざるは、什麼の異同有らん。古詩は過失を譏刺す、ゆえに益有りて而も貴し。今詩は純粹に虛譽、ゆえに損有りて而も賤し。

抱朴子曰:屬筆之家,亦各有病,其深者則患乎譬煩言冗,申誡廣喻,欲棄而惜,不覺成煩也。其淺者則患乎妍而無據,證援不給,皮膚鮮澤而骨鯁迥弱也。繁華日韋曄,則並七曜以高麗;沈微淪妙,則儕玄淵之無測。人事靡細而不浹,王道無微而不憊,故能身賤而言貴,千載彌彰焉。

抱朴子曰く、筆を動かす人は、も亦た各々毛病有り。深のは便ち患は譬喻煩・言語冗・申誡廣・比喻多に在りて、丢掉せんと想うも又舍て得ず、不知不覺に煩と成れり。淺のは便ち患は妍麗して然れども根據なく・引證足らず・皮膚は鮮澤して然れども骨鯁は却って弱し。繁華𬀩曄は(底本は「日韋曄」と作る、日+韋は「𬀩」)、便ち七曜と一併高麗せん。沉微淪妙は、便ち玄淵の測る可からざると同等せん。人事は細小なくして周浹せざるなし、王道は微細なくして完備せざるなし(底本は「憊」と作る、上句「浹」と對擧、當に「備」と讀作すべし)、ゆえに能く身賤くして而も言貴く、千載は更加彰顯す。

循本卷第四十一

循本巻第四十一

抱朴子曰:玄寂虛靜者,神明之本也;陰陽柔剛者,二儀之本也;巍峨巖岫者,山嶽之本也;德行文學者,君子之本也。莫或無本而能立焉。是以欲致其高,必豐其基,欲茂其末,必深其根。鄉黨之友不洽,而勤遠方之求,蒞官之稱不著,而索不次之顯。是以雖佻虛譽,猶狂華幹霜以吐曜,不崇朝而零瘁矣。雖竊大寶於不料,冒惟塵以負乘,猶鮮介附騰波以高凌,顧眄已枯株於危陸矣。聖賢孜孜,勉之若彼,淺近口止喬口止喬,忽之如此。積習則忘鮑肆之臭,裸鄉不覺呈形之醜,自非遁世而無悶,齊物於通塞者,安能棄近易而尋迂闊哉!將救斯弊,其術無他,徒擢民於巖岫,任才而不計也。

抱朴子曰く、玄寂虛靜は、是れ神明の根本なり。陰陽柔剛は、是れ二儀の根本なり。巍峨岩岫は、是れ山岳の根本なり。德行文學は、是れ君子の根本なり。本なきして能く立住するなし。ゆえに那高に達せんと想えば、必ず其の根基を豐厚せしめん。末梢を茂盛せしめんと想えば、必ず其の根を加深せしめん。鄉黨の友人は和洽せずして、然れども遠方に向かって求を勤む。官を做るの名聲は顯著ならずして、然れども次第に按らざるの顯達を索求す。ゆえに卽使虛譽を佻取するも、も亦た狂花は霜に衝いて光耀を吐くが如く、一個の早晨に到らずして便ち零落憔悴す。卽使料想せざる處に大寶を竊得し、塵污を冒して以て乘を負うも、も亦た鮮活の介蟲は騰波に附着して以て高凌するが如く、一轉眼已に危陸の上に枯株と變成せり。聖賢は孜孜として、あの樣に勉力す。淺近の人は驕驕として(底本「口止喬口止喬」、口止+喬は左旁を缺くの「驕」)、然れども這樣に忽略す。習を積めば便ち鮑肆の臭を忘れ、裸鄉は形體を呈露するの醜を覺えず、若し世を遁れて而も悶なく・通達と困塞とを看て齊一と爲すの人に非ざれば、怎能く近くして易きを抛棄して・迂闊を尋去せんや。這の弊を救うは、方法は別なく、ただ岩岫の裡より百姓を擢拔し、才能を任用して而も其他を計較せざるのみ。

應嘲卷第四十二

應嘲巻第四十二

抱朴子曰:客嘲餘云:“先生載營抱一,韜景靈淵,背俗獨住,邈爾蕭然。計決而猶豫,不棲於心術;分定而世累,無系於胸間。伯陽以道德為首,莊周以逍遙冠篇,用能標峻格於九霄,宣芳烈於罔極也。今先生高尚勿用,身不服事,而著君道臣節之書;不交於世,而作譏俗救生之論;甚愛骨幹毛,而綴用兵戰守之法;不營進趨,而有審舉窮達之篇;蒙竊惑焉。”

抱朴子曰く、客は我を嘲りて曰く、先生は營魄を載せ・一を抱守して、光影を靈淵に韜藏し、流俗を背着して獨自住り、邈遠として蕭然たり。計策は已に決して而も猶豫は心術の上に棲止せず。名分は已に定まりて而も世累は胸間に繫がず。伯陽は道德を以て首篇と爲し、莊周は逍遙を以て全書に冠し、因此能く峻格を九霄に標擧し、芳烈を終極なきに宣揚す。如今先生は高尚して而も任用せられず、自身服事せずして、然れども君道・臣節の書を著作し、世俗と交わらずして、然れども俗を譏り生を救うの論を作り、骨幹毛髮を甚だ愛惜して、然れども兵を用い戰を守るの法を連綴し、進趨を經營せずして、然れども審擧・窮達の篇有り、我私に甚だ困惑す、と。

抱朴子曰:“君臣之大,次於天地,思樂有道,出處一情,隱顯任時,言亦何系。大人君子,與事變通。老子無為者也,鬼谷終隱者也,而著其書,鹹論世務。何必身居其位,然後乃言其事乎夫器非瓊瑤,楚和不泣,質非潛虯,風雲不集。餘才短德薄,幹不適治,出處同歸,行止一致,豈必達官,乃可議政事君,否則不可論治亂乎常恨莊生言行自伐,桎梏世業,身居漆園而多誕談,好畫鬼魅,憎圖狗馬,狹細忠貞,貶毀仁義。可謂雕虎畫龍,難以徵風雲;空板億萬,不能救無錢。孺子之竹馬,不免於腳剝;士柈之盈案,無益於腹虛也。”

抱朴子曰く、君臣の大義は、天地に次ぐ。道有るを思慕すれば、出仕と隱居とは是れ同一種の心情にして、隱顯は時代に隨い、言論は又什麼の繫累有らん。大人君子は、事變に隨りて通ず。老子は是れ無爲の人、鬼谷は是れ終隱の人にして、然れども其の書を著述して、皆世務を談論す。何必身那の位に居りて、然後乃ち那の事を説かんや。器物は瓊瑶に非ざれば、楚人の和氏は便ち哭泣せざりき。質地は潜虬に非ざれば、風雲は便ち聚集せざりき。我が才短く德薄く、才幹は世を治するに適せず、出仕と隱居とは歸を同じくし、行動と停止とは一致す、豈に必ず達官を做さば、乃ち可に政事を議論し・君主に事奉す可くして、然らざれば便ち可に治亂を談論す可からざらんや。我常に莊子の言與行と自ら相伐り・世業を以て桎梏と當て・身は漆園に居りて而も誕妄の談多く・鬼魅を畫くを好み・狗馬を畫くを憎惡し・狹隘に細小の忠貞を看輕し・仁義を貶毁するを恨む。可に説く是れ虎を雕り龍を畫きて、風雲を徵驗し難し。空木の板の上に億萬を寫るも、能く錢なきを救わず。兒童の竹馬は、脚の破れんことを免れず。土盤は一案に裝滿するも、肚の空虛に益なし、と。

或人又曰:“然吾子所著,彈斷風俗,言苦辭直,吾恐適足取憎在位,招擯於時,非所以揚聲發譽,見貴之道也。”

又或る人曰く、然れども您の著作する所は、風俗を彈劾して裁斷し、話苦く辭直し、我怕らくは恰好足りて以て位在る人に憎まれ、當時の摈棄を招來し、是れ以て聲を揚げ譽を發して・看重せらるるの路を用いるに非ず、と。

抱朴子曰:“夫制器者珍於周急,而不以辨飾外形為善;立言者貴於助教,而不以偶俗集譽為高。若徒阿順諂諛,虛美隱惡,豈所匡失弼違,醒迷補過者乎慮寡和而廢白雪之音,嫌難售而賤連城之價,餘無取焉。非不能屬華豔以取悅,非不知抗直言之多吝,然不忍違情曲筆,錯濫真偽,欲令心口相契,顧不愧景,冀知音之在後也。否泰有命,通塞聽天,何必書行言用,榮及當年乎夫君子之開口動筆,必戒悟蔽,式整雷同之傾邪,磋礱流遁之暗穢,而著書者徒飾弄華藻,張磔迂闊,屬難驗無益之辭,治靡麗虛言之美,有似堅白厲修之書,公孫刑名之論,雖曠籠天地之外,微入無間之內,立解連環,離同合異,鳥影不動,雞卵有足,犬可為羊,大龜長蛇之言,適足示巧表奇以誑俗,何異乎畫敖倉以救飢,仰天漢以解渴。說崑山之多玉,不能賑原憲之貧;觀藥藏之簿領,不能治危急之疾;墨子刻木雞以厲天,不如三寸之車金害;管青鑄騏驥於金象,不如駑馬之周用。言高秋天而不可施者,丘不與易也。”

抱朴子曰く、器物を製作する人は能く急を救うを珍視して、而も形を辨别して飾るを以て善と爲さず。言を立つる人は貴くは教化を助益するに在りて、而も世俗に迎合し・聲譽を聚集するを以て高と爲さず。若し只是阿順諂諛・虛美して惡を隱すは、何處か是れ過失を匡正し・違失を輔弼し・迷惑を喚醒し・過錯を補救するの做法ならんや。唱和する人の少なきを顧慮して便ち白雪の音を廢掉し、賣り難きを嫌いて便ち連城の價を看輕するは、我は這個を取法せざる所なり。能く華艷を連綴して以て悅に取らざるに非ず、抗直の話は忌恨を招くこと多きを知らざるに非ず、然れども實情に違背して曲筆し・眞僞を錯亂するを忍びず、心と口と相契合せしめ・回頭して自己の影子を看て慚愧せず・知音は後來に在らんを希望せんと想うなり。否泰は命有り、通塞は天に聽く、何必書は推行せられ・言は采用せられば、榮光は乃ち當年に到らんや。君子は口を開き筆を動かすに、必ず戒めて悟らしめ・蒙蔽を除去し、雷同の傾邪を整飭し、流遁の暗穢を磋磨す。然れども書を著する人は只是華藻を飾弄し・迂闊を張磔し・驗證し難き・益なきの辭を連綴し・靡麗虛言の美を修治するのみ、便ち堅白・厲修の書・公孫龍の刑名の論の如く、卽使空曠に天地の外を籠罩し・微細に間隙なきの內に進入し・卽刻連環を解開し・同のを拆き開き・異のを合上げ・鳥影は動かず・雞卵は足有り・犬は以て羊と爲す可し・大龜長蛇の類の話を説くとも、恰好足りて以て機巧を顯示し・奇特を表出して以て世俗を誑騙するのみ、一個の敖倉を畫きて以て饑餓を救い・天漢を仰望して以て渴を解くと什麼の異同有らん。崑崙山の玉多しと説くも、能く原憲の貧を賑濟せず。藥藏の簿領を看るも、能く危急の病を治せず。墨子は木鳶を刻して以て天を厲ふも(底本は「木雞」と作る、墨翟が木を削りて鳶と爲すの故事は當に「鳶」と讀作すべし)、三寸の車轄に如かず(底本は「車金害」と作る、金+害は「轄」)。管青は金象を用いて騏驥を鑄るも、駑馬の周遍して日用するに如かず。話は秋天より比べて高く然れども可に施行す可からざるは、孔子も亦た能く之れを拿りて以て交換せざらん、と。

喻蔽卷第四十三

喻蔽巻第四十三

抱朴子曰:餘雅謂王仲任作《論衡》八十餘篇,為冠倫大才。

抱朴子曰く、我一向以て王仲任の《論衡》八十余篇を作るは、是れ同倫に冠絶するの大才なり。

有同門魯生難餘曰:“夫瓊瑤以寡為奇,磧礫以多為賤,故庖犧卦不盈十而彌綸二儀,老氏言不滿萬而道德備舉。王充著書,兼箱累帙,而乍出乍入,或儒或墨,屬詞比義,又不盡美,所謂陂原之蒿莠,未若步武之黍稷也。”

同門の魯生有りて我を詰難して曰く、瓊瑶は少なきを以て奇と爲し、磧礫は多きを以て賤と爲す、ゆえに庖犧の卦は十に滿たずして而も二儀を彌綸し、老氏の話は萬に滿たずして而も道德は完備に擧出せり。王充は書を著して、箱は一卷一卷堆積すれど、然れども乍出乍入・或いは儒或いは墨・詞を屬して義を比ぶるも、又盡く美ならず、所謂陂原の上の蒿莠は、脚步の間の黍稷に如かず、と。

抱朴子答曰:“且夫作者之謂聖,述者之謂賢,徒見述作之品,未聞多少之限也。吾子所謂竄巢穴之沈昧,不知八紘之無外;守燈燭之宵曜,不識三光之晃朗;遊潢洿之淺狹,水覺南溟之浩汗;滯丘垤之位埤,不寤嵩岱之峻極也。兩儀所以稱大者,以其函括八荒,緬邈無表也;山海所以為富者,以其包籠曠闊,含受雜錯也。若如雅論,貴少賤多,則穹隆無取乎宏燾,而旁泊不貴於厚載也。夫跡水之中,無吞舟之鱗;寸枝之上,無垂天之翼;蟻垤之巔,無扶桑之林;潢潦之源,無襄陵之流。巨鰲首冠瀛洲,飛波凌乎方丈;洪桃盤於度陵,建木竦於都廣;沈鯤橫於天池,雲鵬戾乎玄象。且夫雷霆之駭,不能細其響;黃河之激,不能局其流;騏騄追風,不能近其跡;鴻鵠奮翅,不能卑其飛。雲厚者雨必猛,弓勁者箭必遠。王生學博才大,又安省乎!

抱朴子回答して曰く、且つ作る人は聖と叫ばれ、述ぶる人は賢と叫ばる、ただ述作の品級を見過ぎて、多少の限額を聞くこと未だ曾て有らず。您の説く所は、是れ巢穴の沉昧の裡に竄れて、八紘の外沿なきを知らず。燈燭の夜裡の光を守りて、三光の晃朗を識らず。潢洿の淺狹の裡に游びて、南溟の浩汗を未だ覺えず(底本は「水覺」と作る、「水」は「未」の訛)。丘垤の卑位に滯留して(底本は「位埤」と作る、埤は即ち卑)、嵩岱の峻極に醒悟せず。兩儀の大と稱する所以は、是れ八荒を函括し・緬邈として外表なきに因る。山海の富と爲る所以は、是れ曠闊を包籠し・雜錯を含受するに因る。若し您の雅論の如く・少を貴び多を賤まば、那麼穹隆は便ち宏大の覆蓋を取法する從る無く、旁泊も亦た厚載に貴からず。足迹のあの如き淺き水の裡は、舟を吞むの鱗なし。寸枝の上は、天を垂るるの翼なし。蟻垤の巔は、扶桑の林なし。潢潦の源頭は、陵を襄るの流なし。巨鰲は頭頂に瀛洲を戴き、飛波は方丈を凌越し、洪桃は度朔に盤踞し(底本は「度陵」と作る、度朔山は桃樹の傳説の地)、建木は都廣に竦立し、沉鯤は天池に橫はり、雲鵬は玄象に到達す。況んや雷霆の人を駭かすは、能く其の響を細にす可からず。黄河の激蕩は、能く其の流を局限す可からず。騏驥は風を追うは、能く足迹を變じて近くせしめ可からず。鴻鵠は翅を奮うは、能く飛を變じて卑くせしめ可からず。雲厚きの雨は一定に猛く、弓勁きの箭は一定に遠し。王生は學博く才大なり、又那裡か減省し得んや、と。

“吾子云;‘玉以少貴,石以多賤。’夫玄圃之下,荊華之顛,九員之澤,折方之淵,琳琅積而成山,夜光煥而灼天,顧不善也。又引庖犧氏著作不多,若周公既繇大易,加之以禮樂,仲尼作《春秋》,而重之以十篇。過於庖犧,多於老氏,皆當貶也。言少則至理不備,辭寡既庶事不暢。是以必須篇累卷積,而綱領舉也。羲和升光以啟旦,望舒曜景以灼夜,五材並生而異用,百藥雜秀而殊治,四時會而歲功成,五色聚而錦繡麗,八音諧而簫韶美,群言合而道藝辨。積猗頓之材,而用之甚少,是何異於原憲也懷無銓之量,而著述約陋,亦何加別於瑣碌也音為知者珍,書為識者傳,瞽曠之調鍾,未必求解於同世;格言高文,豈患莫賞而減之哉!且夫江海之穢物,不可勝計,而不損其深也;五嶽之曲木,不可訾量,而無虧其峻也。夏後之璜,雖有分毫之瑕,暉曜符彩,足相補也。數千萬言,雖有不豔之辭,事義高遠,足相掩也。故曰:四瀆之濁,不方甕水之清;巨象之瘦,不同羔羊之肥矣。

(抱朴子が続けて言うには、)您曰く、玉は少なきに因りて貴し、石は多きに因りて賤しと。玄圃の下・荆山華山の巔・九原の澤(底本は「九員」と作る、「折方之淵」と對擧、澤名は當に「九原」と讀むべし)・折方の淵は、琳琅は山と成るに堆積し、夜光は煥發して天を灼く、豈に好ならずや。又庖犧氏の著作は多からざるを引くも、然れども周公は已に大易を推演し、又禮樂を加え、仲尼は《春秋》を作りて、又之れに十翼を重ねり。庖犧を超過し・老氏より多し、您の説法に按れば皆貶す可し。話少なければ則ち至理は完備せず、辭寡ければ則ち庶事は暢達せず。ゆえに必ず篇累卷積せば、綱領乃ち能く擧げられん。羲和は光を升起して以て早晨を開啓し、望舒は影を照耀して以て夜晚を灼亮し、五材は並び生じて而も用途は同じからず、百藥は雜秀して而も主治は同じからず、四時は會合して而も歲功は成り、五色は聚集して而も錦繡は麗く、八音は諧和して而も簫韶は美しく、群言は會合して而も道藝は辨明す。猗頓の財を積みて、然れども用うるは甚だ少なければ、這は原憲と什麼の異同有らん。從る無き銓衡の度量を懷きて、著述は却って簡約鄙陋なれば、又瑣碌の人より多き什麼有らん。音聲は知音に珍視せられ、書は識者に流傳せられ、瞽曠は鐘を調えて、未必同時に人の理解を求めず。格言高文は、何處か用いて賞識する人なきを擔心して而も之れを減損せんや。況んや江海の穢物は計りて勝ふ可からざれど、然れども其の深を減損せず。五岳の曲木は訾量す可からざれど、然れども其の峻を損ずる無し。夏后の璜は、卽使分毫の瑕有るとも、暉曜符彩も亦た足りて以て相補えり。數千萬言は、卽使艷ならざるの辭有るとも、事義は高遠にして亦た足りて以て相掩えり。ゆえに説く、四瀆の濁は、瓮水の淸と相比せず。巨象の瘦は、羔羊の肥と同じからざるなりと。

“子又譏云:‘乍入乍出,或儒或墨。’夫發口為言,著紙為書。書者所以代言,言者所以書事。若用筆不宜雜載,是論議當常守一物。昔諸侯訪政,弟子問仁,仲尼答之,人人異辭。蓋因事托規,隨時所急,譬猶治病之方千百,而針炙之處無常,卻寒以溫,除熱以冷,期於救死存身而已。豈可詣者逐一道如齊楚,而不改路乎陶朱白圭之財不一物者,豐也;雲夢孟諸所生萬殊者,曠也。故《淮南鴻烈》,始於《原道》《俶真》,而亦有《兵略》《主術》,莊周之書,以死生為一,亦有畏犧慕龜請粟救飢。若以所言不純而棄其文,是治珠翳而剜眼,療溼痺而刖足,患荑莠而刈谷,憎枯枝而伐樹也。

(抱朴子が続けて言うには、)您又譏刺して曰く、乍入乍出・或いは儒或いは墨と。口を開けば便ち是れ言、紙に着けば便ち是れ書。書は是れ以て言に代替するに用い、言は是れ以て事を書寫するに用いる。若し筆を用いるは該當雜載すべからざれば、那麼議論は便ち該當永遠に一件の事物を守るべし。從前諸侯は政を訪ね、弟子は仁を問えば、仲尼は彼らに回答して、人人言辭同じからざりき。那是れ事に因りて規を託し・時の所急に隨い、好比病を治するの方は千百有り・針灸の穴位は常規なく、然れども寒は溫を用い・熱を除くは冷を用い、ただ期するは死を救い身を存する而已。哪能く來訪する人をしてただ一條の道を走らしめ・齊に往き楚に往くが如くして、而も路を改めざらんや。陶朱・白圭の財は一種の物に非ず、以て豐なり。雲夢・孟諸の生ずる所は萬殊にして、以て曠なり。ゆえに《淮南鴻烈》は《原道》《俶真》より始まれど、然れどもも亦た《兵略》《主術》有り。莊周の書は死生を看成して一と爲すも、も亦た犧を畏れ・龜を慕い・粟を請いて饑を救う有り。若し所言之不純に因りて其の文を拋棄せば、那是れ目の翳を治するに然れども目を剜き・濕痹を療するに然れども脚を砍り・荑莠を患うるに然れども穀を割掉し・枯枝を憎むに然れども樹を伐るなり。

百家卷第四十四

百家巻第四十四

抱朴子曰:百家之言,雖不皆清翰銳藻,弘麗汪濊,然悉才士所寄,心一夫澄思也。正經為道義之淵海,子書為增深之川流。仰而比之,則景星之佐三辰;俯而方之,則林薄之裨嵩嶽。而學者專守一業,遊井忽海,遂掇躓於泥濘之中,而沈滯乎不移之困。子書披引玄曠,眇邈泓窈,總不測之源,揚無遺之流,變化不繫於規矩之方圓,旁通不淪於違正之邪徑,風格高嚴,重仞難盡。是偏嗜酸甜者,莫能賞其味也;用思有限者,不得辯其神也。先民嘆息於才難,故百世為隨踵,不以璞不生板桐之嶺,而捐曜夜之寶;不以書不出周孔之門,而廢助教之言。猶彼操水者,器雖異而救火同焉;譬若針灸者,術雖殊而攻疾均焉。狹見之徒,區區執一,去博辭精,思而不識,合錙銖而以齊重於山陵,聚百千可以致數億兆,惑詩賦瑣碎之文,而忽子論深美之言,真偽顛倒,玉石混淆,同廣樂於桑間,均龍章於素質,可悲可慨,豈一條哉!

抱朴子曰く、百家の言論は、雖も皆淸翰銳藻・弘麗汪濊ならざるも、然れども皆是れ才士の心志を寄托し・一人の澄思するの結果なり。正經は是れ道義の淵海にして、子書は是れ其の川流を加深するなり。仰ぎて而も比擬すれば、便ち景星の三辰を輔佐するが如し。俯りて而も比方すれば、便ち林薄の嵩岳を裨補するが如し。然れども學者は專ら一業を守りて、井に游びて而も海を忽略し、于是泥濘の中に絆倒し、可に移す可からざるの困境の裡に沉滯せり。子書は玄曠を披引し、眇邈泓窈として、測る可からざるの源を總匯し、遺漏なきの流を揚起し、變化は規矩の方圓に係らず、旁通は正に違うの邪徑に淪らず、風格は高嚴にして、重仞は窮盡し難し。這是れ酸甜を偏嗜する人の能く其の味を賞せず・思を用うる有る限りの人の能く其の神を辨えざるの緣故なり。先民は人才の得難きを歎息す、ゆえに百世乃ち一個を出して脚跟相隨るが如き稀なり、璞は板桐の嶺の上に生ぜざるに因りて、便ち夜光の寶を捐棄せず。書は周孔の門より出でざるに因りて、便ち助教の言を廢掉せず。便ちあの水を取る人の如く、器具は雖も同じからざるも、火を救うは然れども相同じ。針灸する人の好比なるが如く、術は雖も殊異なるも、疾を攻むるは然れども均勻なり。見識狹隘の人は、區區として一端を執着し、廣博を離れ・文辭精微の、思いて而も識らず。錙銖を合せば以て山陵と重さを比す可く、百千を聚積すれば以て數億兆に達する可し、然れども詩賦瑣碎の文に迷惑せられ、子論深美の言を忽略し、眞僞は顛倒し・玉石は混淆し、廣樂を以て桑間に等同し・龍章を以て素質に均成す、可悲可慨、何處か只是一條のみならんや。

文行卷第四十五

文行巻第四十五

或曰:“德行者,本也;文章者,末也。故四科之序,文不居上。然則著紙者,糟粕之餘事;可傳者,祭畢之芻狗。卑高之格,是可譏矣。”

或る人曰く、德行は是れ本にして、文章は是れ末なり。ゆえに四科の次序は、文は上に居らず。那麼紙に着くは便ち糟粕の餘事なり。可に傳わるは便ち祭畢の芻狗なり。卑高の格は、這是れ以て譏刺す可きなり、と。

抱朴子答曰:“荃可棄而魚未獲,則不得無荃;文可廢而道未行,則不得無文。若夫翰跡韻略之廣逼,屬辭比義之妍媸,源流至到之修短,韞藉汲引之深淺,其懸絕也,雖天外毫內,不足以喻其遼邈,雖三光熠耀,不足以方其鉅細。龍淵鉛鋌,未足以譬其銳鈍;鴻羽積金,未足以方其輕重。而俗士唯見能染毫畫紙,便概以一例,斯伯氏所以永思鍾子,郢人所以格斤不運也。夫斫削者比肩,而班狄擅絕手之名;援琴者至多,而夔襄專清聲之稱。廄馬千駟,而騏騮有邈群之價;美人萬計,而威施有超世之色者,蓋遠過眾也。且文章之與德行,猶十尺之與一丈,謂之餘事,未之聞也。八卦生乎鷹隼之飛,六甲出於靈龜之負,文之所在,雖且貴(疑有脫文)本不必便疏,末不必皆薄,譬錦繡之因素地,珠玉之託蟲奉石,雲雨生於膚寸,江河始於咫尺,理誠若茲,則雅論病矣。”

抱朴子回答して曰く、荃は可に拋棄す可くして然れども魚は還に未だ獲得せざれば、便ち能く荃なからしめず。文は可に廢掉す可くして然れども道は還に未だ施行せざれば、便ち能く文なからしめず。翰迹韻略の廣狹・屬辭比義の妍媸・源流至到の長短・蘊藉汲引の淺深に至りては、懸絶の大は、卽使天外と毫内とも、も亦た足りて以て那の遼邈を比喻せず。卽使三光熠耀するとも、も亦た足りて以て那の巨細を比方せず。龍淵と鉛鋌とは(鉛製の鋌刃、龍淵と對擧、指すは鈍劣の兵器、是れ丹藥に非ず)、足りて以て其の銳鈍を譬えず。鴻羽と積金とは、足りて以て其の輕重を方せず。然れども俗士は只是能く毫を染め紙を畫くを看見して、便ち一概に論ず、這便ち是れ伯牙の永遠に鍾子期を思念し・郢人は斧斤を放下して而も斤を運ぶを再びせざるの緣故なり。斫削する人は肩を比びて、然れども班・狄は絶手の名を擅にす。琴を援ぐる人は極めて多くして、然れども夔・襄は淸聲の稱を專にす。廐馬は千駟にして、然れども騏騮は群を超越するの價有り。美人は萬計にして、然れども威・施は世を超ゆるの色有り、以て遙遙に衆人を超過するに因る。況んや文章と德行とは、便ち十尺と一丈との如く、之れを餘事と説くは、聞くこと未だ曾て有らず。八卦は鷹隼の飛より生じ、六甲は靈龜の負より出で、文の在る所の處は、卽使暫く貴重すとも(底本疑らくは脱文有り)、本は不必便ち疏ならず、末は不必皆薄ならず、好比錦繡は素地に依托し・珠玉は拳石に寄托し(底本は「虫奉石」と作る、當に「拳石」と讀むべし)、雲雨は膚寸より生じ・江河は咫尺より始まる。道理は若し眞に是れ這樣ならば、您の雅論は便ち病有らん、と。

又曰:“應龍徐舉,顧眄而凌雲;汗血緩步,呼吸而千里。故螻蟻怪其無階而高致,駑蹇驚過己之不漸也。若夫馳驟詩論之中,周旋一經之內,以常情覽巨異,以褊量測無涯,始自髫齔,詣於振素,不能得也。又世俗率貴古昔而賤當今,敬所聞而黷所見。同時雖有追風絕景之駿,猶謂不及伯樂之所御也。雖有宵良兼城之璞,猶謂不及楚和之所泣也。雖有斷馬指雕之劍,猶謂不及歐冶之所鑄也。雖有生枯起朽之藥,猶謂不及和鵲之所合也。雖有冠群獨行之士,猶謂不及於古人也。”

抱朴子又曰く、應龍は慢慢に擧起して、顧盼すれば便ち雲を凌ぐ。汗血は緩步して、呼吸すれば便ち千里なり。ゆえに螻蟻は其の階梯なきして而も高處に達するを怪しみ、駑蹇は自己を超過するの並びに漸ならざるを驚訝す。詩論の中に馳驟し・一經の內に周旋し・常情を用いて巨大の差異を看・褊狹の量を用いて邊際なきを測るに至りては、髫齔より開始して、白髮に直到すとも、も亦た能く得ず。又世俗は大都古昔を貴びて而も當今を賤み、聞く所を敬して而も見る所を褻む。同時は卽使風を追い景を絶するの駿有るとも、還に説くは伯樂の駕する所に及ばずと。卽使夜光良玉は價は城を兼ねるの璞有るとも(底本は「宵良兼城」と作る、宵は即ち夜、兼城は指すは價は城を連ぬ)、還に説くは楚人の和氏の泣く所に及ばずと。卽使馬を斬り雕を指すの劍有るとも、還に説くは歐冶の鑄る所に及ばずと。卽使枯るるをして生じ朽るるをして起たしむるの藥有るとも、還に説くは醫和・扁鵲の合する所に及ばずと。卽使群に冠たり獨行するの士有るとも、還に説くは古人に及ばずと。

正郭卷第四十六

正郭巻第四十六

抱朴子曰:嵇生以太原郭林宗,竟不恭三公之命,學無不涉,名重於往代,加之以知人,知人則哲,蓋亞聖之器也。及在衰世,棲棲惶惶,席不暇溫,志在乎匡斷行道,與仲尼相似。

抱朴子曰く、嵇生は以て太原の郭林宗は、始終三公の任命を接受せず、學問は涉獵せざるなし、名聲は往代に重く、加うるに能く人を知るに、人を知れば則ち哲なり、大概是れ亞聖の器量なり。衰世に到りては、栖栖惶惶として、席は暖むるに暇あらず、志向は時局を匡正し・大道を推行するに在りて(底本は「匡斷」と作る、當に「匡時」と讀むべし)、仲尼と相似たりと。

餘答曰:“夫智與不智,存於一言,樞機之玷,亂乎白圭,愚謂亞聖之評,未易以輕有許也。夫所謂亞聖者,必具體而微,命世絕倫,與彼周孔其間無所復容之謂也。若人者亦何足登斯格哉!林宗拔萃翹特,鑑識朗徹,方之常人所議,固多引之上及,實復未足也。此人有機辯風姿,又巧自抗遇而善用,且好事者為之羽翼,延其聲譽於四方,故能挾之見推慕於亂世,而為過聽不核實者所推策,及其片言所褒,則重於千金,遊涉所經,則賢愚波盪,謂龍鳳之集,奇瑞之出也。吐聲則餘音見法,移足則遺蹟見擬,可謂善擊建鼓而揭日月者耳,非真隱也。蓋欲立朝則世已大亂,欲潛伏則悶而不堪,或躍則畏禍害,確爾則非所安。彰徨不守,載肥載月瞿,而世人逐其華而莫研其實,玩其形而不究其神,故遭雨巾壞,猶復見效,不覺其短,皆是類也。俗民追聲,一至於是。故其雖有缺隙,莫之敢指也。夫林宗學涉知人,非無分也。然而未能避過實之名,而暗於自料也。或勸之以出仕進者,林宗對曰:‘吾晝察人事,夜看乾象,天之所廢,不可支也。方今運在明夷之爻,值勿用之位,蓋盤桓潛居之時,非在天利見之會也。

我回答して曰く、智と不智とは、一句の話に存在し、樞機の污點は、白圭の瑕に比べて更に亂れたり。我以て亞聖の評語は、容易に輕く許可し難し。所謂亞聖は、一定是れ具體して而も微・命世して倫を絶し・那の周・孔の間は再也別人を容るる能わざるの那種なり。林宗の這樣の人の如きは、又何處か這の格に登るに够うらんや。林宗は拔萃して特出し、鑒識は朗徹して、常人の議論する所と相比すれば、固然多く往上に援引せらるれど、實際は還に够えず。這人は機辯風姿有りて、又自己を抗遇するに巧みにして而も利用するに善く、況んや事を好む人は彼の爲に羽翼を做りて、其の聲譽を四方に延くれば、ゆえに能く這些を挾みて以て亂世に推慕せられ、聽錯して而も核實せざる人に推擧せられり。其の片言の褒むる所に等到れば、便ち千金に重く、游歷の經る所は、賢愚は皆波涛の動蕩するが如く、説くは龍鳳の來集し・奇瑞の出現すと。聲を吐けば則ち餘音は人に效法せられ、足を移せば則ち遺迹は人に模擬せられ、可に説く是れ建鼓を擊ち・日月を揭ぐるに善き人而已にして、是れ眞隱に非ず。大概は朝に立たんと想えば則ち世已に大亂し、潜伏せんと想えば則ち郁悶に堪えず、躍起せんと想えば則ち禍害を怕れ、堅持して動かざれば又是れ安んずる能くする所に非ず。彷徨して能く守らずして(底本は「彰徨」と作る)、忽肥忽瘦し(底本は「載肥載月瞿」と作る、月+瞿は「臞」)、而も世人は其の華を追逐して而も其の實を研せず、其の形を玩びて而も其の神を究めず、ゆえに雨に遇えば巾壞れて、還に人に效仿せられ、那の短處なりと覺えず、皆是れ這類なり。俗民は聲を追う、竟に這の地步に到れり。ゆえに彼は卽使缺隙有るとも、敢えて指す人なし。林宗は學は涉りて人を知るは、是れ分寸なきに非ず。然れども能く實に過ぐるの名を避けずして、并且自己を估量するに暗し。或る人は彼に勸めて出仕して進取せしめんとすれば、林宗は回答して曰く、我は白天人事を觀察し・夜裡天象を看るに、天の廢せんと欲する所は、可に支撑す可からず。如今運は明夷の爻に在りて、正值勿用の位、是れ盤桓して潜居するの時にして、是れ天に在りて見るに利しきの際會に非ずと。

雖有原陸,猶恐滄海橫流。吾其魚也,況可冒沖風而乘奔波乎!未若巖岫頤神,娛心彭老,優哉遊哉,聊以卒歲。’按林宗之言,其知漢之不可救,非其才之所辦審矣。法當仰隮商洛,俯泛五湖,追巢父於峻嶺,尋漁父於滄浪,若不能結蹤山客,離群獨往,則當掩景淵洿,韜鱗括囊,而乃自西徂東,席不暇溫,欲慕孔墨棲棲之事。聖者憂世,周流四方,猶為退士,所見譏彈。林宗才非應期,器不絕倫,出不能安上治民,移風易俗,入不能揮毫屬筆,祖述六藝,行自炫耀,亦既過差,收名赫赫,受饒頗多。然卒進無補於治亂,退無跡於竹帛。觀傾視汨,冰泮草靡,未有異庸人也。無故沈浮於波濤之間,倒屣於埃塵之中,遨集京邑,交關貴遊,輪刓篋弊,匪遑啟處,遂使聲譽翕熠,秦胡景附,巷結朱輪之軌,堂列赤紱之客,軺車盈街,載奏連車,誠為遊俠之徒,未合逸隱之科也。有道之世而臻此者,猶不得復廁高潔之條貫焉,為秘丘之俊民,而修茲在於危亂之運,奚足多哉!孰不謂之暗於天人之否泰,蔽於自量之優劣乎!空背恬默之途,竟無有為之益,不值禍敗,蓋其幸耳。以此為憂世念國,希擬素王,有似蹇足之尋龍騏,斥鴳之逐鴻鵠,焦冥之方雲鵬,鼷鼬之比巨象也。

雖も原・陸のあの樣の人と雖も、還に滄海の橫流を怕る。我將に魚と爲らんとす、況んや可に衝風を冒して以て奔波に乘らんや。岩岫に在りて精神を頤養し・心を彭・老の中に娛悅せしめ・優哉游哉して・姑且這の年を過ごすに如かずと。林宗の話に按れば、彼は漢の可に救う可からざるを知りて、是れ其の才の能く辦する所に非ず、這是れ審確なり。理に按れば當に商洛を仰攀し・五湖を俯泛し・峻嶺に巢父を追い・滄浪に漁父を尋くべし。若し能く山客の中に迹を絶ち・群を離れて獨往せざれば、便ち當に光影を淵洿に掩藏し・鱗を韜め囊を括すべし。然れども彼は却って西より東に至りて、席は暖むるに暇あらず、孔・墨の栖栖の事を想慕す。聖者は世を憂え・四方を周流して、尚且退士に譏彈せられり。林宗は才は期に應ずるに非ず、器は倫を絶するに非ず、出でては能く上を安んじ民を治め・風を移し俗を易えず、入りては能く毫を揮い筆を屬し・六藝を祖述せず、行爲は自我を炫耀するは、も已に過分にして、名を收むるは赫赫として、受くるの好處は甚だ多し。然れども最終は進めば治亂に補なく、退けば痕迹を竹帛に留むるなし。傾覆沉没を看視して、冰泮して草靡し、庸人と異同なし。無故に波涛の間に沉浮し・埃塵の中に倒屣し・遨游して京邑に聚集し・貴游を交結して、車輪は磨損し・箱子は破敝し・安處するに暇なし、于是聲譽を翕熠せしめ・秦人胡人は皆影子の附着するが如く・巷里は朱輪の軌迹を結び・堂上は赤紱の客を列ね・軺車は街に滿ち・奏章を載せる車は相連なり、實在是れ游俠の徒にして、逸隱の科目に合せず。道有るの世は這個を做到するも、還に能く高潔の條貫の裡に列ねるを再びせず。秘丘の俊民と爲すにして、然れども危亂の運に這の一套を修すれば、什麼の稱多に値する有らんや。誰か彼の天人の否泰に暗く・自量の優劣に蔽わると説かざらんや。空しく恬默の路を背着して、竟に有爲の益處なく、禍敗に碰上せざるは、大概是れ其の僥倖なり。這を以て世を憂え國を念うと當てて、素王に比擬せんを希望するは、便ち跛脚にして以て龍騏を尋き・斥鴳にして以て鴻鵠を追い・焦冥にして以て雲鵬を比し・鼷鼬にして以て巨象を比するが如し。

“然則林宗可謂有耀俗之才,無固守之質,見無不了,庶幾大用,符辨外發,精神內虛,不勝煩躁,言行相伐,口稱靜退,心希榮利,未得□玄圃之棲禽,九淵之潛靈也。自炫自媒,士女之醜事也。知其不可而尤效尤師,亞聖之器,其安在乎雖雲知人,知人之明,乃唐虞之所難,尼父之所病。夫以前並日月,原始見終,且猶有失,不能常中,況於林宗螢燭之明,得失半解,已為不少矣。然則名稱重於當世,美談盛於既沒,故其所得者,則世共傳聞,而所失者,則莫之有識爾。雖頗甄無名之士於草萊,指未剖之璞於丘園,然未能進忠烈於朝廷,立御每於疆場,解亡徵於倒懸,折逆謀之競逐。若鮑子之推管生,平仲之達穰苴,林宗名振於朝廷,敬於一時,三九肉食,莫不欽重,力足以拔才,言足以起滯,而但養疾京輦,招合賓客,無所進致,以匡危蔽,徒能知人,不肯薦舉,何異知沃壤之任良田,議直木之中梁柱,而終不墾之以播嘉穀,伐之以構梁棟,奚解於不粒,何救於露居哉!其距貢舉者,誠高操也,其走不休者,亦其疾也。”

(私が続けて言うには、)那麼林宗は可に説く流俗を照耀するの才有りて、固守するの質地なく、看見するは明白ならざるなく、差不多大用す可し、符采辨才は外に向かって發し、精神は內に在りて然れども虛して、煩躁を受け堪えず、言行は互相に攻伐し、口は靜退を稱えて、心裡は榮利を希求す、玄圃の棲禽・九淵の潜靈に比べて及ばず(底本「未得」の下に一字を缺く)。自己を炫耀し・自己媒を做るは、是れ士女の醜事なり。不可を知りて而も還に往きて那の當に鑒戒と爲すべきを效仿すれば、亞聖の器は、在何處に在らんや。雖も人を知ると説くも、人を知るの明は、乃是れ唐虞も亦た難と感じ・尼父も亦た病と感ずる所なり。以前の聖人は並び明るく日月の如くして、原を始め終を見るも、尚且有りて失い・能く常に中たらず、況んや林宗の螢燭の明・得失は各々一半・已に少なからずや。那麼名稱は當世に重く・美談は既沒に盛んなれば、ゆえに其の得る所は、世上は共に傳聞して、而も失う所は、便ち識得する人なし。雖も頗く能く草萊の中に無名の士を甄拔し・丘園に未剖の璞を指出するとも、然れども能く忠烈を朝廷に推進せず・疆場に侮を御すを建立せず(底本は「御每」と作る、「每」は「侮」の訛)、亡徵を倒懸の中より解開し・逆謀の競逐を折斷せず。鮑叔の管生を推擧し・晏平仲の穰苴を顯達するが如きは、林宗は名は朝廷に振るい・一時に敬せられ・三公九卿の肉を食うは、欽重せざるなし、力は足りて以て才を拔き・言は足りて以て滯を起すに、然れども只是在京輦に病を養い・賓客を招合して、進致して以て危蔽を匡正する什麼なく、徒然に能く人を知るも、肯んじて薦擧せず、沃壤は良田に適するを知り・直木は梁柱に適するを議論するも、然れども始終之れを墾して以て嘉穀を播かず・之れを伐りて以て梁棟を構えざるは、什麼の異同有らん、糧なきに對して何の解救する所有らん・露居に對して何の拯救する所有らんや。彼の貢擧を拒絶するは、誠然是れ高操なり。彼の奔走して休まざるは、も亦た是れ其の病なり。

嵇生又曰:“林宗存為一世之所式,沒則遺芳永播。碩儒俊士,未或指點,而吾生獨評其短,無乃見嗤於將來乎!”抱朴子曰:“曷為其然哉苟吾言之允者,當付之於後,後之識者,何恤於寡和乎且前賢多亦譏之,獨皇生褒過耳。故太傅諸葛無遜亦曰:‘林宗隱不修遁,出不益時,實欲揚名養譽而已。街談巷議以為辯,訕上謗政以為高,時俗貴之,歙然猶郭解原涉,見趨於曩時也。後進慕聲者,未能考之於聖王之典,論之於先賢之行,徒惑華名,鹹競準的,學之者如不及,談之者則盈耳,中人猶不覺,童蒙安能知’故零陵太守殷府君伯緒,高才篤論之士也,亦曰:‘林宗入交將相,出遊方國,崇私議以動眾,關譭譽於朝廷。其所善則風騰雨驟,改價易姿;其所惡則摧頓陸沈,士人不齒。□其名賢,遭亂隱遁,含光匿景,未為遠矣。君子行道,以匡君也,以正俗也,於時君不可匡,俗不可正,林宗周旋,清談閭閻,無救於世道之陵遲,無解於夭民之憔悴也。’又故中書郎周生恭遠,英偉名儒也,亦曰:‘夫遇治而贊之,則謂之樂道;遭亂而救之,則謂之憂道;亂不可救而避之,則謂之守道。虞舜樂道者也,仲尼憂道者也,微子守道者也。漢世將傾,世務交遊,林宗法當慨然虛心,要同契君子,共矯而正之,而身棲棲為之雄伯,非救世之宜也。於時雖諸黃門,六畜自寓耳。其陳蕃竇武之徒,雖鼎司牧伯,皆貴重林宗,信其言論,臧否取定,於匡危易俗,不亦可冀乎而林宗既不能薦有為之士,立毫毛之益,而逋逃不仕者,則方之巢許;廢職待客者,則比之周公;養徒避役者,則擬之仲尼;棄親依豪者,則同之遊夏。是以世眩名實,而大亂滋甚也。若謂林宗不知,則無以稱聰明;若謂知之而不改,則無以言憂道。昔四豪似周公而不能為周公,今林宗似仲尼而不得為仲尼也。

嵇生又曰く、林宗は生きるは一世の法式にして、死せば則ち遺芳は永遠に播す。碩儒俊士は、指點したるなく、而も您獨獨其の短を評す、只怕らくは將來に嗤笑せられんや、と。抱朴子曰く、爲什麼這樣ならんや。假如我が話は是れ允當ならば、當に後人に交す可し、後來識得する人は、何必唱和する人の少なきを憂慮せんや。況んや前賢も亦た多く彼を譏諷して、ただ皇甫生のみ褒獎過分而已。ゆえに太傅諸葛無遜も亦た曰く、林宗は隱居して遁を修せず、出仕して時に益なし、其實只是想く名を揚げ譽を養う而已。街談巷議を以て辯と當てて、上を訕り政を謗るを以て高と當て、時俗は彼を看重して、翕然として郭解・原涉の如く、從前は人に趨附せられり。後進して聲を慕う人は、能く聖王の典を以て考え・先賢の行を以て論ぜず、只是華名に迷惑せられて、皆競りて以て準的と爲し、學ぶは恐れて及ばざるを、談ずるは則ち耳に滿つ、中人は尚且覺えず、童蒙は怎能く知らんや、と。ゆえに零陵太守の殷府君伯緒は、是れ高才篤論の士にして、も亦た曰く、林宗は入れば將相を交接し・出でれば方國に游び、私議を崇尚して以て衆人を打動し・毁譽を朝廷に關涉す。其の善とする所は便ち風騰雨驟して・價を改め姿を換え、其の惡む所は便ち摧頓陸沉して・士人は齒せず。況んや彼は名賢を以て(底本「其名賢」の上に一字を缺く)、亂に遭いて隱遁し・光を含み影を匿すは、還に算く遠ならず。君子は道を行うは、是れ君を匡する爲・俗を正す爲、當時君は可に匡す可からず・俗は可に正す可からず、林宗は周旋して・閭閻に淸談して、世道の陵遲に救なく・夭民の憔悴に解なし、と。又已故中書郎の周生恭遠は、是れ英偉名儒にして、も亦た曰く、治世に遇いて而も之れを贊すれば、便ち樂道と叫ばれ。亂世に遭いて而も之れを救えば、便ち憂道と叫ばれ。亂は可に救う可からざれば而も避くれば、便ち守道と叫ばる。虞舜は是れ樂道の人、仲尼は是れ憂道の人、微子是れ守道の人。漢世は將に傾かんとして、世務は交游に在り、林宗は理に按れば當に慨然として心を虛にし・同心の君子を要約し・共同に之れを矯正すべくして、然れども自身栖栖として雄伯を做るは、是れ世を救うの宜しきに非ず。當時は卽使あの黃門とも、不過是れ六畜の自ら寄せる而已。陳蕃・竇武の徒は、雖も是れ鼎司牧伯なるも、皆林宗を貴重し・其の言論を信じ・臧否は彼に取定せられ、匡危易俗に對しては、不も亦た可に期望す可からんや。而も林宗は既に能く薦...〔此處脱文〕

’”於是問者慨而嘆曰:“然則斯人乃避亂之徒,非全隱之高矣。”

と。于是問う人は感慨歎息して曰く、那麼這の人は乃是れ亂を避くるの徒にして、是れ完全に隱逸の高士に非ずと。

彈禰卷第四十七

彈禰巻第四十七

抱朴子曰:漢末有禰衡者,年二十有三,孔文舉齒過知命,身居九列,文學冠群,少長稱

抱朴子曰く、漢末に禰衡と云うの人有り、年二十三、孔文擧は年五十を過ぎて、身は九卿に居り、文學は群に冠たり、少長は皆彼を稱譽し

譽,名位殊絕,而友衡於布衣,又表薦之於漢朝,以為宜起家作臺郎。

、名位は懸殊して極點にして、然れども布衣の衡と交友し、又表を上して漢朝に向かって彼を薦め、以て當に家中より起用して臺郎を做らしむべしとす。

云:“惟嶽降神,異人並出。目所一見,輒誦於口。耳所瞥聞,不忘於心。性與道合,思若有神。’其嘆之如此。衡遊許下,自公卿國士以下,衡初不稱其官,皆名之雲阿某,或以姓呼之為某兒,呼孔融為大兒,呼楊修為小兒。荀彧猶強可與語,過此以住,皆木梗泥偶,似人而無人氣,皆酒甕飲囊耳。百官大會,衡時在坐,忽顰蹙悽愴,哀嘆忼慨,或譏之曰:“英豪樂集,非所嘆也。”衡眄歷視稠眾而答曰:“在此積屍列柩之間,仁人安能不悲乎”

表文に曰く、惟れ岳は神を降し、異人は並び出づ。目は一見すれば、便ち能く口裡に誦す。耳は瞥聞すれば、便ち心に忘れず。性は道と合し、思は若くも神有るが如し、と。彼の贊歎するは這の地步に到れり。衡は許下に游び、公卿國士以下より、衡は起初彼らの官を稱せず、皆彼らを阿某と叫び、或いは姓を用いて某兒と稱呼し、孔融を大兒と叫び、楊修を小兒と叫ぶ。荀彧は還に勉强彼と說話す可し、此を過ぎて以往すれば、皆是れ木梗泥偶にして、人に似て然れども人氣なく、皆是れ酒甕飯囊而已。百官は大會せば、衡は當時座に在り、忽然として顰蹙して淒愴し、哀歎して慷慨し、或る人は彼を譏諷して曰く、英豪は集會を樂しむは、是れ該當歎息するの場合に非ずと。衡は斜眼して稠密の衆人を遍視して回答して曰く、這の積屍列柩の間に在りて、仁人は怎能く悲痛せざらんや、と。

曹公嘗切齒欲殺之,然復無正有入法應殆之罪,又惜有殺儒生之名,乃謫作鼓吏,衡了無悔情恥色,乃縛角於柱,口就吹之,乃有異聲,並搖鼓兆擊鼓,聞者不知其一人也。而論更劇,無所顧忌,尋亡走投荊州牧劉表,表欲作書與孫權,討逆於時已全據江東,帶甲百萬,欲結輔車之援,與共距中國,使諸文士立草,盡思而不得表意。乃示衡。衡省之曰:“但欲使孫左右持刀兒視之者,此可用爾,儻令張子布見此,大辱人也。”即摧壞投地,表悵然有怪色,謂衡曰:“為了不中芸鋤乎惜之也。

曹公は曾て切齒して彼を殺さんと想いしも、然れども又眞に刑法に觸犯し・死罪に當たるの罪名なく、又殺儒生の名を擔うを可惜として、于是彼を貶めて鼓吏を做らしむ。衡は全く悔情恥色なく、角を柱子に綁きつけて、嘴を凑せて吹けば、竟に異常の聲音有りて、并且鼗を搖り鼓を擊てば、聞く人は是れ同一個の人なりと知らず。而も議論は更なり激烈にして、顧忌する無し。久しからずして逃亡して荆州牧の劉表に投奔す。表は孫權に信を寫らんと想い(討逆は當時已に全く江東を據え、甲を帶ぶるは百萬、輔車の援助を結びて、共同に中原を抗拒せんと想い)——文士らをして起草せしめ、心思を用盡すれど然れども表の意を得ず。于是衡に拿げて看せむ。衡は看過して曰く、只是想く孫氏の左右の刀を持つ人に看見せしめば、這は還に可に用う可し。倘若張子布に這個を看見せしめば、便ち大大に人を侮辱せん、と。卽刻摧毀して地上に扔げたり。表は悵然として怪の色有りて、衡に對して曰く、豈に完全不に中らず鋤耘せずや。可惜とす。

”衡索紙筆,便更書之,眾所作有十餘通,衡凡一歷視之而已,暗記書之,畢以還表。表以還主,或有錄所作之本也,以比校之,無一字錯,乃各大驚。表乃請衡更作,衡即作成,手不停輟,表甚以以為佳而施用焉。

衡は紙筆を索要して、便ち別に寫過し、衆人の作るは十余通有りて、衡は只各々一遍を看る而已、暗に記下して再び寫き、寫完して表に還す。表は原作者に還與し、或る人は作る所の底本を錄有りて、拿げて以て比較すれば、一個字の錯なく、于是各々大驚す。表は便ち衡に請いて再び作らしめば、衡は卽刻寫成して、手は停輟せず、表は甚だ以て佳として而も施用せり。

衡驕傲轉甚,一州人士,莫不憎恚,而表亦不復堪,欲殺之。或諫以為曹公名為嚴酷,猶能容忍,衡少有虛名,若一朝殺之,則天下游士,莫復擬足於荊楚者也。表遂遣之。衡走到夏口,依將軍黃祖,祖待以上賓。祖大兒黃射,與衡偕行,過人墓下,俱讀碑銘一過而去。

衡は驕傲は更なり厲害にして、一州の人士は憎恚せざるなし、表も亦た再び能く忍受せず、彼を殺さんと想う。或る人は勸諫して、以て曹公は名は嚴酷と爲すも、還に能く容忍せり、衡は少有虛名有りて、若し一朝彼を殺せば、天下の游士は便ち再び脚を荆楚に邁向するなからん、と。表は于是彼を遣送す。衡は走りて夏口に至りて、將軍黃祖に依附し、祖は彼を待つに上賓を以てす。祖の大兒黃射は、衡と同行して、人の墓下を經過して、一起に碑銘を一遍讀過して便ち離去す。

久之,射曰:“前所視碑文大佳,恨不寫也。”衡曰:“卿存其名目耳。我一覽尚記之。”即為暗書之,末有一字,石缺,乃不分明。衡與半字,曰:“疑此當作某字。恐不審也。”射省可(下有缺文)。雖言行輕人,寧願榮顯,是以高遊鳳林,不能幽翳蒿萊,然修己駁刺,迷而不覺,故開口見憎,舉足蹈禍。齎如此之伎倆,亦何理容於天下而得其死哉猶梟鳴狐嚾,從皆不喜,音響不改,易處何益。許下,人物之海也。文舉為之主任,荷之足以至到,於此不安,已可知矣。猶必死之病,俞附越人,所無如何。朽木鉛鋌,班輸歐冶所不能匠也。而復走投荊楚間,終陷極害,此乃衡懵蔽之效也。蓋欲之而不能得,非能得而弗用者矣。於戲才士,可勿戒哉!

久しきを過ぎて、射曰く、先前看るの碑文は甚だ好なり、可惜抄下せざりきと。衡曰く、您は只名目を記得する而已。我は一覽して還に記得す、と。便ち暗中に寫出す、末了に一個字有りて、石頭は缺けて、看て分明ならず。衡は半個字を給して曰く、這裡は當に某字と作るべしと懷疑す。怕れて不準確ならんと、と。射は省視して認可す(以下缺文有り)。雖も言行は人を輕慢するも、然れども寧ろ榮顯せらんとす、ゆえに高く鳳林に游びて、能く蒿萊の中に幽翳せず、然れども己を修むるは駁雜刺繆にして、迷いて而も覺えず、ゆえに口を開けば便ち憎まれ、足を擧げば便ち禍を踏む。這樣の伎倆を帶びて、又什麼の道理天下に容納せられて而も好死を得んや。便ち梟鳴き狐嗥ゆるが如く、大家は皆好まず、音響は改まらずして、處を換えば又什麼の益處有らん。許下は是れ人物の海なり。文擧は其の主人を做り、這個を承りて以て到達するに足りて、這裡に在りて還に安ならざれば、已に可に知るなり。便ち必死の病の如く、俞附・越人も亦た奈何する無し。朽木鉛鋌は、班輸・歐冶も亦た能く匠と當てて以て治めず。却又荆楚の間に走投して、終竟極刑に陷入す、這便ち是れ衡の懵蔽の效驗なり。大概是れ欲して而も能く得ざるにして、是れ能く得て而も用いざるに非ず。唉、才士は、能く警戒せざらんや。

嵇生曰:“吾所惑者,衡之虛名也;子所論者,衡之實病也。敢不寤寐於指南,投杖於折中乎!”

嵇生曰く、我が疑惑する所は、是れ衡の虛名なり。您の論述する所は、是れ衡の實病なり。敢えて指南の下に寤寐せず・杖を折中に投向せざらんや、と。

詰鮑卷第四十八

詰鮑巻第四十八

鮑生敬言,好老莊之書,治劇辯之言,以為古者無君,勝於今世,故其著論云:“儒者曰:‘天生烝民而樹之君。’豈其皇天諄諄然亦將欲之者為辭哉!夫強者凌弱,則弱者服之矣;智者詐愚,則愚者事之矣。服之,故君臣之道起焉;事之,故力寡之民制焉。然則隸屬役御,由乎爭強弱而校愚智。彼蒼天果無事也,夫混茫以無名為貴,群生以得意為歡。故剝桂刻漆,非木之願;拔鶡裂翠,非鳥所欲;促轡銜鑣,非馬之性;荷車兀運重,非牛之樂。詐巧之萌,任力違真,伐生之根,以飾無用,捕飛禽以供華玩,穿本完之鼻,絆天放之腳,蓋非萬物並生之意。伕役彼黎烝,養此在官,貴者祿厚而民亦困矣。夫死而得生,欣喜無量,則不如向無死也。

鮑生敬言は、老莊の書を喜好し、激烈辯難の言論を研治して、以て古代は君主なく、當今の世に勝ると爲し、ゆえに彼は論を著して曰く、儒者曰く、上天は衆民を降して而も彼らに君主を樹立すと。豈に眞に皇天は諄諄然としても亦た這樣せんと欲して、乃ち這の句話を用いて以て說辭を作らんや。強のは弱のを欺凌し、弱のは便ち彼に服從せり。智のは愚のを欺詐し、愚のは便ち彼に事奉せり。彼に服從するは、ゆえに君臣の道は興起せり。彼に事奉するは、ゆえに力少なきの民は制服せられり。那麼隸屬役使は、是れ強弱を爭い而も愚智を較量するに由る。那の蒼天は果然事を做るなし。混茫は名なきを以て貴と爲し、群生は意を得るを以て歡と爲す。ゆえに桂を剝き漆を刻するは、是れ樹木の愿望に非ず。鶡を拔き翠を裂くは、是れ鳥の欲する所に非ず。轡を催促し鑣を銜えるは、是れ馬の本性に非ず。軛を負い重を運ぶは(底本は「荷車兀運重」と作る、車兀は「軛」)、是れ牛の快樂に非ず。詐巧は萌生して、力を任用して而も眞に違背し、生の根を砍伐して、以て用なきを裝飾し、飛禽を捕捉して以て華麗玩賞に供し、本來完好の鼻を穿ち・天放の脚を絆くは、皆是れ萬物の並び生ずるの意に非ず。あの黎民を役使して、這の官在るを養活すれば、貴の祿厚くして而も民も亦た便ち困れり。死して而も復生を得れば、欣喜は量なく、然れども一向に便ち死なざるに如かず。

讓爵辭祿,以釣虛名,則不如本無讓也。天下逆亂焉而忠義顯矣,六親不和焉而孝慈彰矣。曩古之世,無君無臣,穿井而飲,耕田而食,日出而作,日入而息,泛然不繫,恢爾自得,不競不營,無榮無辱,山無蹊徑,澤無舟梁。川穀不通,則不相併兼;士眾不聚,則不相攻伐。是高巢不探,深淵不漉,鳳鸞棲息於庭宇,龍鱗群遊於園池,飢虎可履,虺蛇可執,涉澤而鷗鳥不入飛,入林而狐兔不驚。勢利不萌,禍亂不作,干戈不用,城池不設,萬物玄同,相忘於道,疫癘不流,民獲考終,純白在胸,機心不生,含食甫而熙,鼓腹而遊。其言不華,其行不飾,安得聚斂以奪民財,安得嚴刑以為坑阱!

爵を讓り祿を辭して、以て虛名を釣取せば、則ち本來便ち讓なきに如かず。天下は逆亂して、忠義乃ち顯著せり。六親は不和して、孝慈乃ち彰明せり。遠古の世は、君なく臣なく、井を穿りて而も飲み、田を耕して而も食い、日は出でて而も作し、日は入りて而も息み、泛然として繫る所なく、恢然として自得し、競爭せず經營せず、榮なく辱なく、山は蹊徑なく、澤は舟梁なし。川谷は通ぜざれば、便ち互相に吞並せず。士衆は聚集せざれば、便ち互相に攻伐せず。因此高巢は探らず、深淵は漉さず、鳳鸞は庭宇に棲息し、龍鱗は園池に群游し、饑餓の虎は以て踩踏す可く、虺蛇は以て執持す可く、沼澤を涉過して而も鷗鳥は飛走せず、樹林に進入して而も狐兎は驚慌せず。勢利は萌生せず、禍亂は發作せず、干戈は用いられず、城池は設けられず、萬物は玄同して、道の中に相忘れ、疫癘は流傳せず、民は好き終結を獲得し、純白は胸に在り、機心は生ぜず、食を含みて嬉戲し(底本は「含食甫」と作る、當に「含哺」と讀むべし)、肚を鼓きて游逛す。其の言は華麗ならず、其の行は修飾せず、何處か能く聚斂して以て民財を奪い・何處か能く嚴刑を用いて以て坑阱と當てんや。

“降及杪季,智用巧生,道德既衰,尊卑有序,繁升降損益之禮,飾紱冕玄黃之服,起土木於凌霄,構丹綠於棼撩,傾峻搜寶,泳淵辨珠。聚玉如林,不足以極其變;積金成山,不足以贍其費。澶漫於淫荒之域,而叛其大始之本,去宗日遠,背樸彌增,尚賢則民爭名,貴貨則盜賊起,見可欲則真正之心亂,勢利陳則劫奪之途開。造剡銳之器,長侵割之患,弩恐不勁,甲恐不堅,矛恐不利,盾恐不厚。若無凌暴,此皆可棄也。故曰:白玉不毀,孰為珪璋道德不廢,安取仁義使夫桀紂之徒,得燔人辜諫者,脯諸侯,菹方伯,剖人心,破人脛,窮驕淫之惡,用炮烙之虐。若令斯人併為匹夫,性雖兇奢,安得施之!使彼肆酷恣欲,屠割天下,由於為君,故得縱意也。君臣既立,眾慝日滋,而欲攘臂乎桎梏之間,悉勞於塗炭之中。

(鮑生は続けて言うには、)末世に降到して、智は使用せられ・巧は生出來し、道德は已に衰え、尊卑は次序有りて、繁瑣の升降損益の禮・紱冕玄黄の服を修飾し・土木を凌霄に建て・丹綠を棼撩に構造し・高峻を傾倒して寶を搜し・深淵を游過して珠を辨す。玉を聚むるは林の如くして、足りて以て那の變を窮盡せず。金を積むは山と成るも、足りて以て那の費を供給せず。淫荒の域に放縱して、而も太始の本に背叛し、宗を離るるは越えて遠く、朴に背離するは更加增加す。賢を崇尚すれば則ち民は名を爭い、貨を貴重すれば則ち盜賊は起り、可欲を看見すれば則ち眞正の心は亂れ、勢利は陳列せば則ち劫奪の路は開く。銳利の器具を製造して、侵割の患を助長し、弩は勁ならざるを怕れ、甲は堅ならざるを怕れ、矛は利ならざるを怕れ、盾は厚ならざるを怕れ。若し凌暴なければ、這些は皆可以拋棄す。ゆえに説く、白玉は毁壞せざれば、誰か珪璋を做らん。道德は廢棄せざれば、何處か仁義を取らん。あの桀・紂の徒をして、人を燔燒し・諫を進むるを懲處し・諸侯を以て肉脯を做り・方伯を以て菹醢を做り・人心を剖き・人脛を破り・驕淫の惡を窮盡し・炮烙の虐を使用せしめ得しむ。假如這些人をして同じく匹夫と爲さば、性は雖も凶奢なるも、何處か能く施行せんや。彼らをして放肆して酷虐し・欲望を放縱し・天下を屠割せしむるは、是れ君を做るに由りて、ゆえに能く意を縱にす。君臣は既に確立せば、衆惡は日益に滋生す、然れども桎梏の間に臂を攘り・塗炭の中に勞を盡さんと想う。

人主憂栗於廟堂之上,百姓煎擾乎困苦之中,閒之以禮度,整之以刑罰,是猶闢滔天之源,激不測之流,塞之以撮壤,障之以指掌也。”

人主は廟堂の上に憂栗し、百姓は困苦の中に煎擾し、禮度を用いて以て限制し・刑罰を用いて以て整治するは、這便ち滔天の源を打開し・測らざるの流を激起して、然れども一撮の土を用いて以て塞き・指掌を用いて以て擋ぐるが如し、と。

抱朴子難曰:“蓋聞沖昧既闢,降濁升清,穹隆仰燾,旁泊俯停。乾坤定位,上下以形,遠取諸物,則天尊地卑,以著人倫之體;近取諸身,則元首股肱,以表君臣之序,降殺之軌,有自來矣。若夫太極混沌,兩儀無質,則未若玄黃剖判,七耀垂象,陰陽陶冶,萬物群分也。由滋以言,亦知鳥聚獸散,巢棲穴竄,毛血是茹,結草斯服,入無六親之尊卑,出無階級之等威,未若庇體廣夏,粳梁嘉旨,黼黻綺紈,御冬當暑,明闢蒞物,良宰匠世,設官分職,宇宙穆如也。貴賤有章,則慕賞畏罰;勢齊力均,則爭奪靡憚。是以有聖人作,受命自天,或結罟以畋漁,或瞻辰而鑽燧,或嘗卉以選粒,或構宇以仰蔽。備物致用,去害興利,百姓欣戴,奉而尊之,君臣之道於是乎生,安有詐愚凌弱之理三五迭興,道教遂隆,辯章勸沮,德盛刑清,明良之歌作,蕩蕩之化成,太階既平,七政遵度,梧禽激響於朝陽,麟虞覿靈而來出,龜龍吐藻於河湄,景老摛耀於天路,皇風振於九域,兇器戢乎府庫,是以禮制則君安,樂作而刑厝也。若夫奢淫狂暴,由乎人己,豈必有君,便應爾乎而鮑生獨舉衰世之罪,不論至治之義,何也

抱朴子詰難して曰く、衝昧は已に開闢し・濁氣は下降し淸氣は上升し・穹隆は向上覆蓋し・旁泊は向下停駐すると聞く。乾坤は位を定め・上下は形を成し、遠は物に取法して、則ち天尊地卑として、以て人倫の體を顯著し、近は身に取法して、則ち元首股肱として、以て君臣の序を表示し、降殺の軌範は、是れ來由有り。太極混沌・兩儀は還に未だ質ならざるの時に至りては、便ち玄黄剖判・七曜は象を垂れ・陰陽は陶冶し・萬物は群分するに如かず。此より説くは、も亦た鳥聚獸散・巢栖穴竄・毛を茹み血を飲み・草を結びて服と爲し・入れば六親の尊卑なく・出でれば階級の等威なきを知りて、廣廈に體を庇い・粳粱嘉旨・黼黻綺紈・冬を御ぎ暑に當たり・明君は萬物に莅り・良宰は世代を匠成し・官を設け職を分かち・宇宙は穆然たるに如かず。貴賤は章程有れば、便ち賞を羨慕し・罰を畏懼す。勢齊く力均しければ、便ち爭奪は忌憚する無し。ゆえに聖人興起して、命を天より受け、或いは罟を結びて以て畋漁し、或いは星辰を看て而も燧を鑽り、或いは百卉を嘗めて以て穀粒を選び、或いは屋宇を構えて以て向上遮蔽す。物を備え用を致して、害を去り利を興し、百姓は欣戴して、奉りて而も之れを尊び、君臣の道は于是產生す、何處か愚者を欺詐し・弱者を欺凌するの道理有らん。三皇五帝は更迭興起して、道教は于是隆盛し、辨別彰明して勸勉阻止し、德盛り刑淸くして、明良の歌は作出さる・蕩蕩の化は功を成し・太階は已に平らぎ・七政は度數を遵循し・梧桐の上の禽は朝陽に激響し・麟虞は靈を顯して以て來出し・龜龍は河湄に藻を吐き・景星老壽は天路に耀を鋪き・皇風は九域に振るい・凶器は府庫に收藏せられ、ゆえに禮制すれば則ち君安く・樂作して而も刑措せり。奢淫狂暴に至りては、是れ人自己に由る、何處か一定有君あれば、便ち該當這樣ならんや。而も鮑生は只是衰世の罪を擧げて、至治の義を論ぜず、爲什麼なりや、と。

“且夫逮古質樸,蓋其未變,民尚童蒙,機心不動,譬夫嬰孩,智慧未萌,非為知而不為,欲而忍之也。若人與人爭草萊之利,家與家訟巢窟之地,上無治枉之官,下有重類之黨,則私鬥過於公戰,木石銳於干戈,交屍布野,流血絳路,久而無君,噍類盡矣。至於擾龍馴鳳,河圖洛書,或麟銜甲負,或黃魚波湧,或丹禽翔授,或迴風三集,皆在有君之世,不出無王之時也。夫祥瑞之徵,指發玄極,或以表革命之符,或以彰至治之盛,若令有君,不合天意,彼嘉應之來,孰使之哉子若以混冥為美乎則乾坤不宜分矣;若以無名為高乎則八卦不當畫矣。豈造化有謬,而太昊之暗哉雅論所尚,唯貴自然,請問夫識母忘父,群生之性也;拜伏之敬,世之末飾也。然性不可任,必尊父焉;飾不可廢,必有拜焉。任之廢之,子安乎

(抱朴子が続けて言うには、)況んや遠古は質樸にして、大概是れ還に未だ變ならず、民は還に童蒙に在り、機心は動かず、好比婴孩にして、智慧は未だ萌えず、是れ知りて而も爲さず・欲して而も之れを忍ぶに非ず。若し人と人とは草萊の利を爭い・家と家とは巢窟の地を訟えば、上は枉曲を治理するの官なく・下は黨同族類の黨有れば、那麼私鬥は公戰を超過し・木石は干戈に比べて還に銳く・屍を交え野に布き・流血は路を絳に染め・久しく君なければ、生くるの類は便ち盡きん。擾龍馴鳳・河圖洛書・或いは麟は甲を銜え負し・或いは黄魚は波涌し・或いは丹禽は飛翔して授予し・或いは回風は三次聚集するに至りては、皆君有るの世に在りて、王なきの時に出でず。祥瑞の徵兆は、玄極より指發して、或いは以て革命の符を表示し、或いは以て至治の盛を彰顯す、若し君有るは天意に合せざれば、あの嘉應の來臨は、誰か之れをして來らしむるならん。您は若し混冥を以て美と爲さば、那麼乾坤は該當分開すべからず。若し無名を以て高と爲さば、那麼八卦は該當畫くべからず。豈に是れ造化の謬有りて、而も太昊は暗昧ならんや。雅論の崇尚する所は、只自然を貴ぶ。請問す、母を認識し父を忘るるは、是れ群生の性なり。拜伏の敬は、是れ世の末節修飾なり。然れども性は可に放任す可からず、一定要父を尊び。飾は可に廢棄す可からず、一定要拜有らん。之れを放任し・之れを廢棄せば、您能く安んずらんや、と。

“古者生無棟宇,死無殯葬,川無舟楫之器,陸無車馬之用,吞啖毒烈,以至殞斃,疾無醫術,枉死無限。後世聖人,改而垂之,民到於今,賴其厚惠,機巧之利,未易敗矣。今使子居則反巢穴之陋,死則捐之中野,限水則泳之遊之,山行則徒步負戴,棄鼎鉉而為生臊之食,廢針石而任自然之病。裸以為飾,不用衣裳;逢女為偶,不假行媒。吾子亦將曰:‘不可也。’況於無君乎若令上世人如木石,玄冰結而不寒,資糧絕而不飢者,可也。衣食之情,苟在其心,則所爭豈必金玉,所競豈必榮位!橡草予可以生鬥訟,藜藿足用,致侵奪矣。夫有欲之性,萌於受氣之初,厚己之情,著於成形之日,賊殺併兼,起於自然,必也不亂,其理何居!夫明王在上,群后盡規,坐以待旦,昧朝旰食,延誹謗以攻過,責暱屬之補察,聽輿謠以屬省,鑑履尾而夕惕,颺清風以埽穢,厲秋威以肅物,制峻網密,有犯無赦,刑戮以懲小罪,九伐以討大憝,猶豺狼之當路,感彝倫之不敘,憂作威之兇家,恐奸宄之害國。故嚴司鷹揚以彈違,虎臣杖鋮於方岳,而狂狡之變,莫世乏之,而令放之,使無所憚,則盜跖將橫行以掠殺,而良善端拱以待禍,無主所訴,無強所憑,而冀家為夷齊,人皆柳惠,何異負豕而欲無臭,憑河而欲不濡,無轡篋而御奔馬,棄枻櫓而乘輕舟,未見其可也。”

(抱朴子が続けて言うには、)古代は生くるは棟宇なく、死するは殯葬なく、川は舟楫の器なく、陸は車馬の用なく、毒烈を吞啖して、以て殞斃に至り、病は醫術なく、枉死は無限なり。後世聖人は改めて而も垂示し、民は到今其の厚惠に依賴す、機巧の利は、容易に敗壞せず。如今您をして住せば便ち巢穴の陋に回り・死せば便ち野中に丟棄し・水に遇えば便ち游ぎて過ぎ・山行すれば便ち徒步負戴し・鼎鉉を拋棄して而も生臊の食を食い・鍼石を廢掉して而も自然の病を聽任す。裸を以て飾と爲して、衣裳を用いず。女に遇上せば便ち偶と爲して、行媒を借せず。您も亦た將に曰く、不可なりと。況んや君なきや。假如上世の人は木石の如くして、玄冰結ぶるも寒ならず・資糧絶ゆるも饑ならば、那は還に可なり。衣食の情は、假如心裡に在れば、那麼爭う所は何必一定に金玉ならん・競う所は何必一定に榮位ならん。橡草も亦た以て鬥訟を引起す可く、藜藿は足りて以て侵奪を導致す。欲有るの性は、氣を受くるの初に萌え。己を厚くするの情は、形を成すの日に顯る。賊殺兼併は、自然より起る。一定要亂れざれば、那の理は在何處に在らん。明王は上に在りて、群后は盡心して規劃し、坐して以て旦を待ち・昧爽して朝に上り・日晚して乃ち食し、誹謗を延請して以て自己の過を攻め・親近を責成して以て補察し・街巷の歌謠を聽きて以て省察し・虎の尾を踩るを鑒戒して而も夕惕し・淸風を揚げて以て穢を掃き・秋威を厲めて以て物を肅め・法制は峻嚴・羅網は密にして、犯有れば赦なく、刑戮を用いて小罪を懲し・九伐を用いて大惡を討ち、還に豺狼の路を擋ぐが如く、彝倫の順ならざるを感嘆し・威を作るは家に凶ならんを憂慮し・奸宄の國を害するを恐怕す。ゆえに嚴司は鷹の揚るが如く往きて違失を彈劾し・虎臣は方岳に鉞を執るも、而も狂狡の變は、哪の一世か缺乏せざらん。若し彼らを放任して、彼らをして忌憚する無からしめば、那麼盜跖は將に橫行して以て掠殺し・而も良善は拱手して禍を待ち・主に告ぐる無く・強に憑借するなし、然れども家家は伯夷・叔齊・人人は柳下惠ならんを希望するは、猪を背着して而も臭なからんと想い・徒步河を過ぎて而も濡れざらんと想い・轡策なきして以て奔馬を駕し・楫櫓を拋棄して以て輕舟に乘るは什麼の異同有らん、這樣以て可とするを見る未だ曾て有らず。

鮑生又難曰:“夫天地之位,二氣範物,樂陽則雲飛,好陰則川處。承柔剛以率性,隨四八而化生,各附所安,本無尊卑也。君臣既立,而變化遂滋,夫獺多則魚擾,鷹眾則鳥亂,有司設則百姓困,奉上厚則下民貧,壅崇寶貨,飾玩臺榭,食則方丈,衣則龍章,內聚曠女,外多鰥男,辨難得之寶,貴奇怪之物,造無益之器,恣不已之慾,非鬼非神,財力安出哉

鮑生又詰難して曰く、天地の位は、二氣は化して萬物を成し、陽を樂しむは便ち雲飛し、陰を好むは便ち川處す。柔剛を承接して以て性を率い、四時八節に隨いて而も化生し、各自安ずる所に附着す、本來尊卑なし。君臣は既に確立せば、變化は于是滋生す。獺多ければ則ち魚は擾せられ、鷹衆ければ則ち鳥は亂れ、有司は設置せば則ち百姓は困み、上を供奉する厚ければ則ち下民は貧す。寶貨を壅積し・臺榭を裝飾玩賞し・食すれば則ち方丈・衣れば則ち龍章・內は曠女を聚め・外は鰥男多く・難得の寶を辨求し・奇怪の物を貴重し・益なきの器を造り・止まらざるの欲を放縱す、是れ鬼に非ず神に非ず、財力は何處より出來せんや、と。

夫谷帛積則民有飢寒之儉,百官備則坐靡供奉之費,宿衛有徒食之眾,百姓養遊手之人,民乏衣食,自給已劇,況加賦斂,重以苦役,下不堪命,且凍且飢,冒法斯濫,於是乎在。王者憂勞於上,臺鼎顰戚頁於下,臨深履薄,懼禍之及。恐智勇之不用,故厚爵重祿以誘之;恐奸釁之不虞,故嚴城深池以備之。而不知祿厚則民匱而臣騎,城嚴則役重而攻巧。故散鹿臺之金,發鉅橋之粟,莫不歡然;況乎本不聚金,而不斂民粟乎休牛桃林,放馬華山,載戢干戈,載櫜弓矢,猶以為泰;況乎本無軍旅,而不戰不戍乎茅茨土階,棄織拔葵,雜囊為幃,濯裘布被,妾不衣帛,馬不秣粟,儉以率物,以為美談,所謂盜跖分財,取少為讓,陸處之魚,相煦以沫也。

穀帛は積聚せば則ち民は饑寒の匱乏有り、百官は齊備せば則ち坐して供奉の費を耗費し、宿衛は白喰の衆有り、百姓は游手の人を養活し、民は衣食に缺乏して、自給は已に艱難にして、況んや賦斂を加え・苦役を再加重せば、下は命に堪えず・又凍え又饑え・法令を冒犯すれば便ち泛濫して、于是便に這裡に在れり。王者は上に憂勞し、臺鼎は下に顰蹙し(底本は「顰戚頁」と作る、頁旁は當に「蹙」)、深に臨み薄を履みて、禍の到來を怕る。智勇は用いられざるを怕れて、ゆえに爵を厚く祿を重くして以て引誘す。奸釁は不意より出づるを怕れて、ゆえに城を嚴に池を深くして以て防備す。然れども祿厚ければ則ち民は匱乏して而も臣驕れるを知らず(底本は「臣騎」と作る、「騎」は「驕」の訛)、城嚴ければ則ち徭役は重くして而も城を攻むるの巧は生ず。ゆえに鹿臺の金を散發し・鉅橋の粟を打開せば、歡然たらざるなし。況んや本來金を聚めず・民粟を斂めざるや。桃林に牛を放ち・華山に馬を放ち・干戈を收藏し・弓矢を袋子に裝むは、還に以て過分と爲す。況んや本來軍旅なく・戰わず戍らざるや。茅茨土階・織機を扔掉し・葵菜を拔き・雜囊を用いて帷を做り・裘布被を洗い・妾は帛を穿たず・馬は粟を喂らず、儉を用いて以て萬物を表率して、美談と當てり、所謂盜跖は財を分かち・取る少なければ便ち讓と算り・陸上の魚は・唾沫を用いて互相に潤濕すなり。

“夫身無在公之役,家無輸調之費,安土樂業,順天分地,內足衣食之用,外無勢利之爭,操杖攻劫,非人情也。象刑之教,民莫之犯,法令滋彰,盜賊多有,豈彼無利性而此專貪殘,蓋我清靜則民自正,下疲怨則智巧生也。任之自然,猶慮凌暴,勞之不休,奪之無已,田蕪倉虛,杼柚之空,食不充口,衣不周身,欲令勿亂,其可得乎所以救禍而禍彌深,峻禁而禁不止也。關梁所以禁非,而猾吏因之以為非焉。衡量所以檢偽,而邪人因之以為偽焉。

(鮑生は続けて言うには、)身上は公の爲の役なく・家裡は輸調の費なく・土に安んじ業を樂しみ・天分に順いて地を分かち・內は衣食の用に足り・外は勢利の爭なく・杖を操りて往きて劫を攻むるは、是れ人情に非ず。象刑の教化は、民は往きて犯すなし。法令は越えて彰明せば、盜賊は越多し。豈にあの人は利に趨るの性なきして而も這裡は專有貪殘有らんや。大概是れ上に在るは淸靜なれば則ち民は自ら正しく・下邊は疲怨すれば則ち智巧は生ず。自然に聽任するは、還に凌暴を憂慮す。勞作は休まず・奪取は停止なく・田は蕪れ倉は虛く・杼柚は空虛にして・食は口に够えず・衣は身に够えず、彼らをして亂れざらしめんと想うは、豈に可に得らんや。ゆえに禍を救えば而も禍は更深く・禁令は峻嚴にして而も禁止し得ず。關梁は以て非法を禁止するに用いるも、而も猾吏は之れを借りて以て非法を做す。衡量は以て僞を檢驗するに用いるも、而も邪人は之れを借りて以て僞を做す、と。

大臣所以扶危,而奸臣恐主之不危。兵革所以靜難,而寇者盜之以為難。此皆有君之所致也。民有所利,則有爭心,富貴之家,所利重矣。且夫細民之爭,不過小小,匹夫校力,亦何所至,無疆土之可貪,無城郭之可利,無金寶之可欲,無權柄之可競,勢不能以合徒眾,威不足以驅異人,孰與王赫斯怒,陳師鞠旅,推無讎之民,攻無罪之國,殭屍則動以萬計,流血則漂櫓丹野。無道之君,無世不有,肆其虐亂,天下無邦,忠良見害於內,黎民暴骨於外,豈徒小小爭奪之患邪至於移父事君,廢孝為忠,申令無君,亦同有之耳。古之為屋,足以蔽風雨,而今則被以朱紫,飾以金玉;古之為衣,足以掩身形,而今則玄黃黼黻,綿綺紈;古之為樂,足以定人情,而今則煩乎淫聲,驚魂傷和;古之飲食,足以充飢虛,而今則焚林漉淵,宰割群生。(下有脫文。)

大臣は以て危難を扶持するに用いるも、而も奸臣は唯恐れ主危ならざるを。兵革は以て禍亂を平定するに用いるも、而も寇盜は之れを借りて以て亂を作す。這些は皆是れ君有るの導致する所なり。民は利する所有れば、便ち爭心有り、富貴の家は、利する所は更重し。況んや細民の爭は、不過小小・匹夫は力を較べて、又能く到何處か・疆土は貪る可くなく・城郭は利する可くなく・金寶は欲する可くなく・權柄は競う可くなく・勢は能く徒衆を合せず・威は足りて以て別人を驅使せず、王の赫然として怒り・師を陳ね衆を誓い・仇なきの民を推し出して・罪なきの國を攻め・僵屍は動輒萬を以て計り・流血は能く櫓を漂わせ・野を丹に染むるに比ぶれば、又怎麼樣ならん。道なきの君は、哪の一世かなきあらん・放肆して虐亂し・天下は邦なく・忠良は內に在りて害せられ・黎民は外に在りて骨を暴く、何處か只是小小の爭奪の患のみならんや。父に對するの孝を移開して以て君に事え・孝を廢して忠と爲し・令を申するは君なくとも、亦た同じく這些有り。古時は屋を做るは、足りて以て風雨を遮蔽せり。而今は然れども朱紫を披き・金玉を用いて裝飾す。古時は衣を做るは、足りて以て身形を掩ふせり。而今は然れども玄黄黼黻・錦綺紈なり。古時は樂を做るは、足りて以て人情を安定せり。而今は然れども淫聲に煩わし・魂を驚かし和を傷つく。古時は飮食は、足りて以て饑虛を充す。而今は然れども林を焚き淵を漉し・群生を宰割す。(以下脱文有り。)

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