抱朴子外篇 · 第12巻
(以下為抱朴子駁難之辭)“豈可以事之有過而都絕之乎若虞在上,稷卨贊事,卑宮薄賦,使民以時,崇節儉之清風,肅玉食之明禁。質素簡約者,貴而顯之;亂化侵民者,黜而戮之;則頌聲作而黎庶安矣。何必慮火災而壞屋室,畏風波而填大川乎”
(以下は抱朴子の駁難の話)豈に可に事は過有るに因りて而も全部之れを斷絶せんや。若し虞舜は上に在り・稷・契は政事を贊襄し・宮室は卑く賦稅は薄く・民力を使用して時に合い・節儉の淸風を崇め・玉食の明禁を肅くせば。質素簡約のは・貴びて而も彼を顯揚し。化を亂し民を侵するのは・黜して而も彼を殺戮せば。那麼頌聲は作して而も黎庶は安んぜん。何必火災を顧慮して而も屋室を毁壞し・風波を畏懼して而も大川を塡塞せんや、と。
抱朴子曰:“鮑生貴上古無君之論,餘既駁之矣。後所答餘,文多不能盡載,餘稍條其論而牒詰之雲。”
抱朴子曰く、鮑生は上古君なきの論を看重す、我已に駁し過ぎたり。後來彼の我に答うるは、文字は多く能く盡く載せず、我稍稍其の論を條列して而も逐條詰問して如下す。
鮑生曰:“人君辨難得之寶,聚奇怪之物,飾無益之用,厭無已之求。”
鮑生曰く、人君は難得の寶を辨求し・奇怪の物を聚集し・益なきの用を裝飾し・止境なきの求を滿足す、と。
抱朴子詰曰:“請問古今帝王,盡辨難得之寶,聚奇怪之物乎有不爾者也。餘聞唐堯之為君也,捐金於山;虞舜之禪也,捐璧於谷。疏食菲服,方之監門,其不汔淵剖珠,傾巖刊玉,鑿石鑠黃白之礦,越海裂翡翠之羽,網玳瑁於絕域,掘丹青於岷漢,亦可知矣。夫服章無殊,則威重不著,名位不同,則禮物異數,是以周公辨貴賤上下之異,式宮室居處,則有堵雉之限,冠蓋旌旗,則有文物之飾,車服器用,則有多少之制,庖廚供羞,則有法膳之品,年兇災眚,又減撤之。無已之慾,不在有道,子之所云,可以聲桀紂之罪,不足以定雅論之證也。
抱朴子詰問して曰く、請問古今の帝王は、皆難得の寶を辨求し・奇怪の物を聚集せんや。も亦た是れ這樣ならざる有り。我聞く、唐堯は君を做りて、金を山上に丟き。虞舜は禪讓して、璧を谷裡に丟き。疏食菲服して、門を看るに相比すれば、彼らは深淵に往きて珠を剖かず・山岩を傾倒して玉を刊せず・石を鑿りて黄白の鑛を熔煉せず・海を越えて翡翠の羽を撕裂せず・絶域に玳瑁を網せず・岷漢に丹青を掘らず、も亦た可に知るなり。服章は差異なければ、則ち威重は顯著せず。名位は同じからざれば、則ち禮物の數は同じからず。ゆえに周公は貴賤上下の異を辨別して、宮室居處を法式すれば、便ち堵雉の限有り。冠蓋旌旗には、便ち文物の飾有り。車服器用には、便ち多少の制有り。庖厨供羞には、便ち法膳の品有り。年凶災眚には、又之れを減撤す。止境なきの欲は、道有る人に在らず、您の説く所は、可に桀・紂の罪を聲討す可くして、足りて以て雅論の證據と定めず、と。
鮑生曰:“人君後宮三千,豈皆天意,谷帛積則民飢寒矣。”
鮑生曰く、人君は後宮三千は、豈に皆是れ天意ならんや。穀帛は積聚せば則ち民は饑寒せり、と。
抱朴子詰曰:“王者妃妾之數,聖人之所制也。聖人,與天地合其德者也。其德與天地合,豈徒異哉!夫豈徒欲以順情盈欲而已乎!乃所以佐六宮,理陰陽,教爾崇奉祖廟,祗承大祭,供玄紞之服,廣本支之路,且案周典九土之記,及漢氏地理之書,天下女數,多於男焉。王者所宗,豈足以逼當娶者哉姬公思之,似已審矣。帝王帥百僚以藉田,后妃將命婦以蠶織,下及黎庶,農課有限,力佃有賞,怠惰有罰,十一而稅,以奉公用。家有備兇之儲,國有九年之積,各得順天分地,不奪其時,調薄役希,民無飢寒,衣食既足,禮讓以興。昔文景之世,百姓務農,家給戶豐,官倉之米,至腐赤不可勝計。然而士庶猶侯服鼎食,牛馬蓋澤,由於賦斂有節,不足損下也。至於季世,官失佃課之制,私務浮末之業,生谷之道不廣,而遊食之徒滋多,故上下同之,而犯非者眾,鮑生乃歸咎有君。若夫譏辨擇之過限,刺農課之不實,責牛飲之三千,貶履畝與太半,但使後宮依周禮,租調不橫加,斯則可矣。必無君乎!夫一日晏起,則事有失所,即鹿無虞,維入於林中,安可終已。靡所宗統,則君子失所仰,兇人得其志,網疏猶漏,可都無網乎”
抱朴子詰問して曰く、王者の妃妾の數は、是れ聖人の制定する所なり。聖人は、是れ天地と其の德を合するの人なり。其の德は天地と合すれば、豈に只是奇異のみならんや。何處か只是想く以て情に順い・欲を盈滿す而已ならんや。乃是れ以て六宮を輔佐し・陰陽を治理し・彼女らに教えて祖廟を崇奉し・大祭を敬承し・玄𫄸の服を供し・本支の路を廣めんとす。況んや周典九州の記載に按り・以及び漢氏地理の書に、天下は女數は男に多し。王者の宗收する所は、何處か足りて以て當に妻を娶るべき人を逼迫せんや。姬公は思量過ぎて、似已に審確なり。帝王は百僚を率領して以て田を藉り、后妃は命婦を帶領して以て蠶織し、下黎庶に及びて、農課は限有り・力耕は賞有り・怠惰は罰有り・十一して而も稅し、以て公事の用を奉ず。家は凶年を防備するの儲有り・國は九年の積有りて、各自得て以て天分に順い地を分かち・農時を奪わず・調薄く役稀く・民は饑寒なく・衣食は既に足れば、禮讓は因此興起す。從前文・景の世は、百姓は農を務め・家は給し戸は豐かに・官倉の米は、腐紅に至りて計りて勝ふ可からざりき。然れども士庶は還に侯服鼎食し・牛馬は澤地を覆蓋せり、以て賦斂は節有りて、足りて以て下を損せざるに因る。季世に到りては、官府は佃課の制を失い・私人は浮末の業を務求し・穀を生ずるの道は廣からずして、而も食を游ぶの徒は更多し、ゆえに上下は一同に如此にして、而も法を犯す人は多し、鮑生は然れども罪を君有るに歸す。選擇は度を超過すと譏刺し・農課は核實せずと刺り・牛飮の三千人を責め・履畝稅と太半の賦を貶むるに至りては、只是後宮をして周禮に依照せしめ・租調は橫加せざれば、這便ち可なり。一定要君なからんや。一天晚起すれば、事は便ち失する所有り、便ち鹿に即くるに虞人なく・只有林中に進入するが如く、怎麼可に終結せんや。宗統する所なければ、則ち君子は仰ぐ所を失い・凶人は志を得て・網は疏にして還に漏るれば、可に全都網なからんや、と。
鮑生曰:“人之生也,衣食已劇,況又加之以斂賦,重之以力役,飢寒並至,下不堪命,冒法犯非,於是乎生。”
鮑生曰く、人は生きるは、衣食は已に艱難にして、況んや又賦斂を加え・力役を再加重せば、饑寒は並び至り・下は命に堪えず・法令を冒犯し・非爲に觸犯して、于是便に產生せり、と。
抱朴子詰曰:“蜘蛛張網,蚤蝨不餒,使人智巧,役用萬物,食口衣身,何足劇乎但患富者無知止之心,貴者有無限之用耳。豈可以一蹶之故,而終身不行,以桀紂之虐,思乎無主也。夫言主事彌張,賦斂之重於住古,民力之疲於末務,飢寒所緣,以譏之可也。而言有役有賦,使國亂者,請問唐虞昇平之世,三代有道之時,為無賦役以相供奉,元首股肱,躬耕以自給邪鮑生乃唯知飢寒並至,莫能固窮,獨不知衣食並足,而民知榮辱乎!”
抱朴子詰問して曰く、蜘蛛は網を張りて、蚤虱は餓えず、人をして智巧を用いて萬物を役使し・口を塡め身を衣せしめば、何處か算く艱難ならん。只怕富のは止るを知るの心なく・貴のは限なきの用有る而已。豈に可に一次跌倒するに因りて、便ち終身走らざり・桀・紂の虐に因りて、便ち主なからんと想わんや。若し説く主事は更加張大し・賦斂は往古に比べて更重く・民力は末務に疲れ・饑寒の緣由と成るは、這個を拿りて以て譏刺するは是可なり。而も役有り賦有るは國を亂れしむと説くは、請問唐虞の升平の世・三代の道有るの時は、是れ賦役なきして以て互相に供奉し・元首股肱は親自耕種して以て自給せんや。鮑生は只饑寒の並び至り・窮困を固守する能わざるを知るも、獨獨衣食の並び足りて而も民は榮辱を知るを知らざらんや、と。
鮑生曰:“王者臨深履尾,不足喻危,假寐待旦,日昃旰食,將何為懼禍及也”
鮑生曰く、王者は深淵に臨み・虎の尾を踩むも、還に足りて以て危を比喻せず、假寐して亮を待ち・日は西に偏るも還に晚食するは、將に是れ禍の到來を怕るに因らんか、と。
抱朴子難曰:“審能如此,乃聖主也。王者所病,在乎驕奢,賢者不用,用者不賢,夏癸指天日以自喻,秦始憂萬世之同諡,故致傾亡,取笑將來。若能懼危夕惕,廣納規諫,詢草芻堯以待聽,養黃髮以乞言,何憂機事之有違,何患百揆之不康。夫戰兢則彝倫敘,怠荒則奸宄作,況無君,能無亂乎”
抱朴子詰問して曰く、眞に能く這樣ならば、乃是れ聖主なり。王者の病む所は、驕奢に在り、賢のは用いられず・用いるは賢ならず、夏癸は天日を指して以て自ら比し・秦始皇は萬世は同一の諡號せんを憂慮し、ゆえに傾亡を導致し・將來に取笑せられり。若し能く危を懼れ夕惕し・規諫を廣納し・草を割り柴を打つ人に向かって詢訪して以て聽受を待ち・黃髮を奉養して以て言を求めば、何必機事の違有るを憂慮し・何必百揆の安ならざるを患えんや。戰兢すれば則ち彝倫は順叙し、怠荒すれば則ち奸宄は發作す、況んや君なきは、能く亂なからんや、と。
鮑生曰:“王者欽想奇瑞,引誘幽荒,欲以崇德邁威,厭耀未服,白雉玉環,何益齊民乎
鮑生曰く、王者は奇瑞を欽慕想望し・幽荒を引誘し・以て德を崇め威を邁ぎ・未服するを厭足して炫耀せんと想い、白雉玉環は、齊民に對して什麼の益處有らんや、と。
”抱朴子詰曰:“夫王者德及天則有天瑞,德及地則有地應。若乃景星摛光,以佐望舒之耀;冠日含辨,以表羲和之晷。靈禽嗈喈於阿閣,金象焜晃乎清沼,此豈卑辭所致,厚幣所誘哉!王莽奸猾,包藏禍心,文致太平,誑眩朝野,貺遺外域,使送瑞物,豈可以此謂古皆然乎夫見盈丈之尾,則知非咫尺之軀;睹尋仞之牙,則知非膚寸之口。故王母之遣使,明其玄化通靈,無遠不懷也;越裳之重譯,足知惠沾殊方,澤被無外也。夫絕域不可以力服,蠻貊不可以威攝,自非至治,焉能然哉!何者鮑生謂為不用夫周室非乏玉而須王母之環以為富也,非儉膳而渴越裳之雉以充庖也,所以貴之者,誠以斯物為太平。則上無苛虐之政,下無失所之人,蜎飛蠕動,鹹得其歡,有國之美,孰多於斯!而云不用,無益於齊民。源遠體大,固未易見,鮑生之言,不亦宜乎”
抱朴子詰問して曰く、王者は德は天に到れば則ち天瑞有り、德は地に到れば則ち地應有り。景星は光を鋪開して、以て望舒の耀を輔佐し・日旁は冠珥して(底本は「冠日含辨」と作る、辨は當に「珥」と讀むべし)、以て羲和の晷を表彰するに至りては。靈禽は阿閣に嗈喈し、金象は淸沼に焜晃す、這豈に是れ卑辭の致す所・厚幣の誘う所ならんや。王莽は奸猾にして、禍心を包藏し、文辭を用いて太平を做成し、朝野を誑騙眩惑し、外域を賜贈して、彼らをして瑞物を送らしむ、豈に可に這個を拿りて以て古代は皆這樣なりと説かんや。丈に盈つるの尾を看見すれば、便ち是れ咫尺の軀に非ずと知る。尋仞の牙を看見すれば、便ち是れ膚寸の口に非ずと知る。ゆえに王母は使者を派遣して、玄化は靈に通じて表明し・遠き無くして歸せざるなし。越裳は重譯を經過して、足りて以て惠は殊方に沾り・澤は外なきに被るを知る。絶域は可に力を以て服す可からず、蠻貊は可に威を以て攝す可からず、若し至治に非ざれば、哪能く這樣ならん。爲什麼鮑生は以て用なしと爲す。周室は是れ玉を缺きて而も王母の環を須要して以て富と當てず、是れ膳食儉にして而も越裳の雉を渴求して以て庖を充てず、ゆえに這些を貴重するは、實在是れ這些物は太平を標志するに因る。那麼上は苛虐の政なく・下は所を失う人なく・蜎飛蠕動は・皆歡を得・國有るの美は・誰か這個に比べて多からん。然れども用なし・齊民に益なしと説く。源頭は遠く・體量は大なれば、固然容易に看見し難し、鮑生の話は、不も亦た該當ならんや、と。
鮑生曰:“人君恐奸釁之不虞,故嚴城以備之也。”
鮑生曰く、人君は奸釁の不意より出づるを怕れて、ゆえに城を嚴にして以て防備す、と。
抱朴子詰曰:“侯王設險,大易所貴,不審嚴城,何譏焉爾。夫兩儀肇闢,萬物化生,則邪正存焉爾。夫聖人知兇醜之自然,下愚之難移,猶春陽之不能榮枯朽,炎景之不能鑠金石,冶容慢藏,誨淫召盜,故取法乎習坎,備豫於未萌。重門有擊柝之敬,治戎遏暴客之變,而欲除之,其理何居兕之角也,鳳之距也。天實假之,何必日用哉!蜂蠆挾毒以衛身,智禽銜蘆以捍網,獾曲其穴,以備徑至之鋒,水牛結陣,以卻虎豹之暴,而鮑生欲棄甲冑以遏利刃,墮城池以止沖鋒,若令甲冑既捐而利刃不住,城池既壞而沖鋒猶集,公輸、墨翟,猶不自全,不審吾生,計將安出乎”
抱朴子詰問して曰く、侯王は險を設くるは、大易の貴ぶ所にして、嚴城を明白せず、什麼の譏刺す可き有らん。兩儀は始めて開闢し・萬物は化生して、邪正は便ち存在せり。聖人は凶丑は是れ自然なり・下愚は難く改變す可からざるを知るは、便ち春陽は能く枯朽をして榮發せしめず・炎景は能く金石を熔化せず・冶容は藏を慢じ・人に淫を教え・盜を召來するが如く、ゆえに習坎に取法して、未萌の時に預備す。重門は柝を擊つの警戒有り・戎を治めて以て暴客の變を遏止するに、然れども這些を除掉せんと想えば、那の理は在何處に在らん。兕の角・鳳の距は、天は實際彼らに借給す、何必每日用之んや。蜂蠆は毒を挾みて以て身を衛り・智禽は蘆を銜えて以て網を捍ぐ・獾は穴を曲げて、以て直徑に到來するの鋒を防備し・水牛は陣を結びて、以て虎豹の暴を退却す、而も鮑生は甲冑を拋棄して以て利刃を遏止し・城池を毁壞して以て衝鋒を停止せんと想う、假如甲冑は已に捐棄して而も利刃は停まらず・城池は已に壞れて而も衝鋒は還に來集せば、公輸・墨翟は尚不能自全す、您を明白せず、計は將に何處より出でんや、と。
或曰:“苟夫可欲之物,雖無城池之固,敵亦不來者也。”
或る人曰く、假如可欲の物なければ、卽使城池の堅固なくとも、敵も亦た來らず、と。
抱朴子答曰:“夫可欲之物,何必金玉,錐刀之末,愚民競焉。越人之大戰,由乎蚺蛇之不鈞;吳楚之交兵,起乎一株之桑葉。饑荒之世,人人相食,素手裸跣(下有脫文)。遠則甫侯子羔,近則於公釋之,控情審罰,剖毫析芒。受戮者吞聲而歌德,則劓者沒齒無怨言,此皆非無君之時也。昔有鰥在下而四嶽不蔽,明揚仄陋而元凱畢舉,或投屠刀而排金門,或釋版築而躡玉堂,或委芻豢而登卿相,或自亡命而為上將,伯柳達讎人,解狐薦怨家,方回叩頭以致士,禽息碎首以推賢,敢問於時,有君否邪
抱朴子回答して曰く、可欲の物は、何必是れ金玉ならん、錐刀の末も、愚民も亦た競相爭奪す。越人の大戰は、蚺蛇の分は不均なりしに由り(底本は「不鈞」と作る、鈞は即ち均)。吳楚は兵を交ふるは、一株の桑葉より起れり。饑荒の世は、人人は相食い・空手赤脚す(以下脱文有り)。遠は則ち甫侯・子羔、近は則ち于公・張釋之、情を控え罰を審らかにし、毫芒を剖析す。戮を受くるは聲を吞みて而も德を歌い、劓を受くるは死に到るまで怨なし、這些は皆是れ君なきの時に非ず。從前鰥は下に有りて而も四岳は遮蔽せず・明揚側陋して而も八元八凱は全部擧出せられ・或いは屠刀を扔下して而も金門を排開し・或いは版築を放下して而も玉堂に踏上し・或いは芻豢を委棄して而も卿相に登り・或いは亡命より而も上將と爲り・伯柳は仇人に因りて顯達し・解狐は怨家を薦擧し・方回は頭を叩きて以て士を致し・禽息は首を碎りて以て賢を推す、敢えて問う當時は、君有りや無しや、と。
又云:“田蕪廩虛,皆由有君。”“夫君非塞田之蔓草,臣非耗倉之雀鼠也。其蕪其虛,卒由戶乙運,水旱疫癘,以臻凶荒,豈在賦稅,令其然乎至於八政之首食,謂之民天,后稷躬稼,有虞親耕,豐年多黍多稌,我庾惟億,民食其陳,白渠開而斥鹵膏壤,邵父起陽陵之陂而積穀為山,叔敖創期思而家有腐粟,趙過造三犁之巧而關右以豐,任延教九真之佃而黔庶殷飽,此豈無君之時乎!”
又曰く、田は蕪れ倉廩は空虛なるは、皆君有るに由ると。君は是れ田の蔓草を堵塞するに非ず、臣は是れ倉を耗するの雀鼠に非ず。那の蕪那の虛は、終究厄運に由りて(底本は「戶乙運」と作る、戶+乙は「厄」)、水旱疫癘して、以て凶荒に至るは、何處か賦稅に在りて、之れをして這樣せしむらん。八政の首は是れ食にして、民天と叫ばるるに至りては、后稷は親自稼ぎ・有虞は親自耕し・豐年は黍多く稌多く・我が倉庾は億を以て計り・民は陳糧を食い・白渠は開きて而も斥鹵は膏壤と變成し・召父は陽陵の陂を築きて而も積穀は山の如く・孫叔敖は期思を創りて而も家は腐粟有り・趙過は三犁の巧を造りて而も關右は因此豐に・任延は九真に耕佃を教えて而も黔庶は殷飽す、這豈に是れ君なきの時ならんや、と。
知止卷第四十九
知止巻第四十九
抱朴子曰:祝莫大於無足,福莫厚乎知止。抱盈居沖者,必全之算也;宴安盛滿者,難保之危也。若夫善卷巢許管胡之徒,鹹蹈雲物以高騖,依龍鳳以竦跡,覘韜鋒於香餌之中,寤覆車乎來軔之路,違險途以遐濟,故能免詹何之釣緡,可謂善料微景於形外,覿堅冰於未霜,徙薪曲突於方熾之火,纚舟弭楫於沖風之前,瞻九牛害而深沈,望密蔚而曾逝,不託巢於葦苕之末,不偃寢乎崩山之崖者也。斯皆器大量弘,審機識致,凌儕獨往,不牽常欲,神叄造化,心遺萬物,可欲不能蠆介其純粹,近理不能耗滑其清澄。苟無若人之自然,誠難企及乎絕軌也。徒令知功成者身退,處勞大者不賞,狡兔死則知獵犬之不用,高鳥盡則覺良弓之將棄。鑑彭韓之明鏡,而念抽簪之術;睹越種之暗機,則識金象之貴。若范公泛艘以絕景,薛生遜亂以全潔,二疏投印於方盈,田豫釋紱於漏盡,進脫亢悔之咎,退無濡尾之吝,清風足以揚千載之塵,德音足以祛將來之惑。方之陳寶,不亦邈乎!
抱朴子曰く、禍は足るを知らざるより大なるはなし(底本は「祝」と作る、下句「福」と對擧、當に「禍」と讀作すべし)、福は止るを知るより厚きはなし。盈滿を抱持して而も虛衝に處るは、是れ必ず能く保全するの籌算なり。盛滿に安んずるは、是れ保ち難きの危なり。善卷・巢父・許由・管寧・胡昭の徒に至りては、皆雲物を踏りて以て高く鶩き・龍鳳を依りて以て足迹を竦起し・香餌の中に韜藏の鋒を看見し・將來の車轍の路に翻車を醒悟し・險途を離れて以て遠渡せば、ゆえに能く詹何の釣緡を免る、可に説く是れ形の外に微影を料り・未霜の時に堅冰を看見し・火は正に熾るの時に薪を徙し突を曲げ・衝風の前に舟を繫ぎ楫を停め・深淵を看見すれば便ち深深に沉下し(底本は「九牛害」と作る、下句「密蔚」と對擧、沉潜義は當に深淵を指すべし、正字は未能唯一判定す)・密林を望見すれば便ち高高に飛逝し・巢を葦苕の末梢に托せず・崩山の崖の上に偃寢せず。這些は皆是れ器大きく量弘く・幾微を審察し・情致を認識し・同輩を超越して獨往し・尋常の欲望に牽かれず・神は造化と參合し・心は萬物を遺忘し・可欲は能く蠆の如く其の純粹に刺入せず・近理は能く其の淸澄を耗滑せず。假如這種の人の自然なければ、實在難く那の絶軌に企及す。只是人をして功は成れば當に身退すべきを知らしめ・勞大に處るは賞を得ざる・狡兎は死せば便ち獵犬は用いられざるを知り・高鳥は盡けば便ち良弓は將に棄てられんと覺えしむ。彭越・韓信の明鏡を鑒照して、而も簪を抽くの法術を想い。越國の文種の暗機を看見すれば、便ち金象の貴を識る。范公の舟を泛べて遠く絶景し・薛生は亂を避けて以て潔を保全し・二疏は方盈の時に印を投げ・田豫は漏盡の時に紱を解くが如く、進めば亢龍悔有りの咎を脱去し・退けば尾を濡らすの吝なく・淸風は足りて以て千載の塵を揚げ・德音は足りて以て將來の惑を祛除す。陳寶と相比すれば、不も亦た邈遠ならんや。
或智小敗於謀大,或轅弱折於載重,或獨是陷於眾非,或盡忠訐於兼會,或倡高算而受晁錯之禍,或竭心力而遭吳起之害。故有口止局高口止脊厚,猶不免焉。公旦之放,仲尼之行,賈生遜擯於下士,子長燻腎乎無辜,樂毅平齊,伍員破楚,白起以百勝拓疆,文子以九術霸越,韓信功蓋於天下,黥布滅家以佐命,榮不移晷,辱已及之。不避其禍,豈智者哉!為臣不易,豈將一途,要而言之,決在擇主。我不足賴,其驗如此。告退避賢,潔而且安,美名厚實,福莫大焉。能修此術,萬未有一。吉凶由人,可勿思乎!逆耳之言,樂之者希,獻納期榮,將速身禍,救誹謗其不暇,何信受之可必哉!
或いは智小さくして而も謀大に敗れ、或いは車轅弱くして而も載重に折れ、或いは獨自正確にして而も衆人の非議の裡に陷り、或いは忠を盡くして然れども夾雜の會合に攻訐せられ、或いは高明の籌算を倡議して而も晁錯の禍を遭受し、或いは心力を竭盡して而も吳起の害に遭到せり。ゆえに卽使官局は已に高く俸脊は已に厚くとも(底本「口止局高口止脊厚」、口止は缺旁の標記、「局高」「脊厚」に連なり、指すは位高く祿厚し)、還に不免れり。周公は放せられ、仲尼は奔走し、賈生は下土に貶摈せられ、子長は無辜に宮刑を受け(底本は「熏腎」と作る、指すは司馬遷の腐刑)、樂毅は齊を平げ、伍員は楚を破り、白起は百勝を以て疆土を開拓し、文子は九術を以て越を霸し、韓信は功は天下に蓋し、黥布は家を滅して以て命を佐け、榮光は還に未だ日影を移過せずして、恥辱は已に到來せり。那の禍を避けざれば、豈に是れ智者ならんや。臣を做るは容易ならず、何處か只是一條の路のみ、約を要して言えば、決定は主を擇ぶに在り。自己は足りて依賴せず、應驗は如此なり。退を告げ賢を避くるは、潔くして而も安んじ、美名厚實、福は這個より大なるはなし。能く這の術を修するは、萬人の裡に一個なし。吉凶は人に由る、能く想わざらんや。耳に逆らうの話は、聽き樂しむ少なし、獻納して榮耀を期望するは、將に自身の禍を加速せん、誹謗を挽救するも還に及ばず、何處か一定能く信受せられんや。
夫矢曾繳紛紜則鴛雛徊翮,坑阱充蹊則麟虞斂跡。情不可極,欲不可滿,達人以道制情,以計遣欲,為謀者猶宜使忠,況自為策而不詳哉!蓋知足者常足也,不知足者無足也。常足者,福之所赴也;無足者,禍之所鍾也。生生之厚,殺哉生矣,宋氏引苗,郢人張革,誠欲其快,而實速萎裂,知進忘退,斯之謂乎
矰繳は紛紜せば則ち鴛雛は翮を回し(底本は「矢曾繳」と作る、矢+曾は「矰」)、坑阱は蹊徑に布滿せば則ち麟虞は足迹を收起す。情は可に極點に到る可からず、欲は可に滿たす可からず、達人は道を用いて以て情を制約し・計を用いて以て欲を遣開す、別人の爲に謀劃するは尚且當に忠誠すべくして、況んや自己の爲に籌策して而も不詳盡ならんや。足るを知るのは常常に足り、足るを知らざるのは足る無し。常に足るは、是れ福の奔赴する所なり。足る無きは、是れ禍の匯聚する所なり。生を厚くするの厚は、反りて以て那の生を殺害す。宋人は苗を拔き、郢人は皮革を張る、實在は其の快を欲すれど、然れども實際は萎裂を加速す、進を知りて退を忘るるは、説くは便ち這個ならんか。
夫策奔而不止者,鮮不傾墜;凌波而無休者,希不沈溺;弄刃不息者,傷刺之由也;斫擊不輟者,缺毀之原也。盈則有損,自然之理,周廟之器,豈欺我哉故養由之射,行人識以馳弦,東野之御,顏子知其方敗,成功之下,未易久處也。夫飲酒者不必盡亂,而亂者多焉;富貴者豈其皆危,而危者有焉。智者料事於倚伏之表,伐木於毫末之初,吐高言不於累棋之際,議治裘不於群狐之中,古人佯狂為愚,豈所樂哉!時之宜然,不獲已也。亦有深逃而陸遭波濤,幽遁而水被焚燒,若龔勝之絕粒以殞命,李業煎蹙以吞鴆,由乎跡之有朕,景之不滅也。若使行如蹈冰,身如居陰,動無遺蹤可尋,靜與無為為一,豈有斯患乎!又況乎揭日月以隱形骸,擊建鼓以徇利器者哉!夫值明時則優於濟四海,遇險世則劣於保一身,為此永慨,非一士也。
鞭策して奔跑して而も停止せざるは、傾墜せざる少なし。波浪を凌越して而も休無きは、沉溺せざる少なし。刀刃を把玩して歇息せざるは、是れ傷刺の由來なり。斫擊して停止せざるは、是れ缺毁の源なり。盈滿すれば便ち損有るは、是れ自然の理なり、周廟の欹器は、豈に我を欺騙せんや。ゆえに養由基の射は、行人は一見弦を拉けば便ち知る。東野畢の駕馭は、顏子は其の將に敗れんを知る、成功の下は、容易に久處せず。酒を飮むは不必皆亂れず、而も亂るるの多し。富貴は何處か皆危ならん、而も危のも亦た有り。智者は倚伏の表面に就きて便ち事を料り、毫末の初に就きて便ち木を伐り、累棋の時に高言を吐かず、群狐の中に裘を治するを議論せず。古人は佯狂して愚と爲すは、何處か是れ樂しむ所ならんや。時勢は宜しく這樣、不得已なり。も亦た深く陸上に逃遁して然れども波涛に遭遇し、幽く水裡に遁れて然れども焚燒せられ、龔勝は粒を絶ちて而も命を殞し・李業は煎迫せられて而も鴆を吞むが如く、以て行迹は朕兆有り・影子は能く滅せざるに由る。假如行は冰を蹈るが如く・身は陰に居るが如く・動は遺踪を尋く可くなく・靜は無爲と合一せば、何處か這種の患有らん。又況んや日月を揭起して以て形骸を隱藏し・建鼓を敲擊して以て利器を巡示する人ならんや。明時に遇えば則ち四海を救濟するに優れ、險世に遇えば則ち一身を保住するに劣る、此の爲に永遠に感慨するは、只一個の士のみならず。
吾聞無熾不滅,靡溢不損,煥赫有委灰之兆,春草為秋瘁之端,日中則昃,月盈則蝕,四時之序,成功者退。遠取諸物,則構高崇峻之無限,則頹壞惟憂矣;近取諸身,則嘉膳旨酒之不節,則結疾傷性矣。況乎其高概雲霄而積之猶不止,其威震人主而加崇,又不息者乎!蚊虻墮山,適足翱翔;兕虎之墜,碎而為齏。此言大物,不可失所也。且夫正色彈違,直道而行,打撲幹紀,不慮讎隙,則怨深恨積。若舍法容非,屬託如響,吐剛茹柔,委曲繩墨,則忠□喪敗,居此地者,不變勞乎是以身名並全者甚希,而折足覆食束者不乏也。然而入則蘭房窈窕,朱帷組帳,文茵兼舒於華第,豔容粲爛於左右,輕體柔聲,清歌妙舞,宋蔡之巧,陽阿之妍,口吐辨菱延露之曲,足躡淥水七盤之節,知音悅耳,冶姿娛心,密宴繼集,醽醁不撤,仰登綺閣,俯映清淵,遊果林之丹翠,戲蕙囿之芬馥,文鱗瀺灂,朱習頡頏,飛繳墮雲鴻,沈綸引魴鯉,遠珍不索而交集,玩弄紛華而自至。出則朱輪耀路,高蓋接軫,丹旗雲蔚,麾節翕赫,金口嘈口獻,戈甲璀錯,得意托於後乘,嘉旨盈乎屬車,窮遊觀之娛,極畋漁之歡。聖明之譽,滿耳而入;諂悅之言,異口同辭。於時眇然,意蔑古人,謂伊呂管晏,不足算也。
我聞く、熾烈して滅せざるなし、盈溢して損せざるなし、煥赫は灰と變成するの兆有り、春草は秋瘁の端なり、日は中せば則ち昃し、月は盈てば則ち蝕し、四時の次序は、功を成せば便ち退く。遠は物に取法すれば、則ち構築は高峻して限度なく、頹壞せば便ち只憂に餘るのみ。近は身に取法すれば、則ち嘉膳旨酒は節制せざれば、便ち疾を結び性を傷つけん。況んや那の高は已に雲霄に概入して而も堆積は還に止まらず・威は已に人主を震懾して而も加崇は還に歇まざるをや。蚊虻は山上より堕落するは、恰好足りて以て翱翔す。兕虎は墜落せば、齏粉と碎成す。這是れ大物は可に所を失う可からずと説く。況んや正色して違失を彈劾し・道を直くして行い・紀綱を干犯するを打擊して・仇隙を考慮せざれば、則ち怨深く恨積れり。若し法度を舍棄し・非法を容納し・囑託は迴響のあの樣に應じ・剛のを吐出し・柔のを吞下入り・繩墨を委曲にせば、則ち忠は便ち喪敗せん(底本「忠」の下に一字を缺く)、這の地位に處るは、能く勞苦せざらんや。ゆえに身名は並び全うする少なくして、而も足を折り𫗧を覆すは缺乏せず。然れども入れば蘭房窈窕・朱帷組帳・文茵は華第に兼鋪し・艶容は左右に粲爛し・輕體柔聲・淸歌妙舞・宋・蔡の巧・陽阿の妍・口は淸辨の菱歌・延露の曲を吐き・足は淥水・七盤の節を踏み・音を知り耳を悅くし・冶姿は心を娛しくし・密宴は接して擧行し・醽醁は撤せず・仰ぎて綺閣に登り・俯りて淸淵に映じ・果林の丹翠に游び・蕙囿の芬馥に戲れ・文鱗は瀺灂し・朱翬は頡頏す(底本は「朱習」と作る、「文鱗」と對擧、當に是れ飛鳥)・繳を飛して雲鴻を射下し・綸を沉めて魴鯉を引出し・遠方の珍物は索めずして便ち交集し・玩弄は紛華して自己到來す。出でれば朱輪は路を照耀し・高蓋車軫は相接し・丹旗は雲の如く盛んに・麾節は翕赫・金口は嘈雜し(底本「嘈口獻」、當に嘈囋と讀むべし、指すは喧鬧)・戈甲は璀錯し・得意の人は後乘に托し・嘉旨は屬車に盛滿し・游觀の娛を窮盡し・畋漁の歡を極盡す。聖明の譽は、耳に滿ちて進入す。諂悅の言は、異口同辭なり。這の時候は眇然として、心裡は古人を蔑視して、以て伊・呂・管・晏は算に足らずと爲す。
豈覺崇替之相為首尾,哀樂之相為朝暮,肯謝貴盛,乞骸骨,背朱門而反丘園哉!若乃聖明在上,大賢贊事,百揆非我則不敘,兆民非我則不濟,高而不以危為憂,滿而不以溢為慮者,所不論也。
何處か覺えん興廢は互相に首尾を爲し・哀樂は互相に朝暮を爲すを、肯んじて貴盛を辭謝し・骸骨を乞求し・朱門を背離して而も丘園に返回せんや。聖明は上に在り・大賢は政事を贊襄し・百揆は我に非ざれば則ち能く叙せず・兆民は我に非ざれば則ち能く濟せず・高くして而も危を以て憂と爲さず・滿ちて而も溢を以て慮と爲さざるに至りては、討論の列に在らず。
窮達
窮達
或問:“一流之才,而或窮或達,其故何也俊逸縶滯,其有憾乎”
或る人問う、一流の才にして、然れども或いは窮或いは達す、緣故は是れ什麼ならん。俊逸は絆住せられ滞留して、彼らは遺憾有らんか、と。
抱朴子答曰:“夫器業不異,而有抑有揚者,無知己也。故否泰時也,通塞命也。審時者何怨於沈潛,知命者何恨於卑瘁乎!故沈閭渟鈞,精勁之良也,而不以擊,則朝菌不能斷焉;珧華黎綠,連城之寶也,委之泥濘,則瓦礫積其上焉。故可珍而不必見珍也,可用而不必見用也。庸俗之夫,暗於別物,不分朱紫,不辯菽麥,唯以達者為賢,而不知僥求者之所達也;唯以窮者為劣,而不詳守道者之所窮也。且夫懸象不麗天,則不能揚大明灼無外,嵩岱不託地,則不能竦峻極概雲霄。兔足因夷途以聘迅,龍艘泛激流以效速,離光非燧人不熾,楚金非歐冶不剡,豐華俟發春而表豔,棲鴻待沖飆而輕戾,四嶽不明揚,則有鰥不登庸,叔牙不推賢,則夷吾不式厚,穰苴賴平仲以超踔,淮陰因蕭公以鷹揚,雋生由勝之之談,曲逆緣無知之薦,元直起龍縈之孔明,公瑾貢虎臥之興霸,故能美名垂於帝籍,弘勳著於當世也。
抱朴子回答して曰く、器業は異同なくして、然れども或いは壓抑せられ或いは揚起せらるるは、是れ知己なきに因る。ゆえに否泰は是れ時にして、通塞は是れ命なり。時を審る人は何必沉潜を怨恨せんや、命を知る人は何必卑瘁を恨みんや。ゆえに沈閭・渟鈞は、是れ精勁の良劍にして、然れども擊つに用いられざれば、朝菌も亦た能く斬斷せず。珧華・黎綠は、是れ連城の寶にして、泥濘に委棄せば、則ち瓦礫は其の上に堆積す。ゆえに可珍は不必珍視せられず、可用は不必用いられず。庸俗の人は、物を辨別するに暗く・朱紫を分かたず・菽麥を辨えず、只是顯達するを以て賢と當てて、然れども僥倖に求取する人の顯達する所以を知らず。只是窮なるを以て劣と當てて、然れども道を守る人の窮なる所以を詳察せず。況んや懸象は天に附着せざれば、便ち能く大明を揚起して灼照して外なきに及ばず。嵩岱は地に托せざれば、便ち能く峻極を竦起して雲霄に概入せず。兎足は平坦の路を憑借して以て快を騁し、龍船は激流の上に浮びて以て速效を収め、離光は燧人なければ則ち熾せず、楚金は歐冶なければ則ち銳ならず、豐華は春を發するを待ちて乃ち艷を表し、棲鴻は衝飆を待ちて乃ち輕飛す。四岳は明揚せざれば、則ち鰥有るは能く登用せられず。鮑叔牙は賢を推せざれば、則ち夷吾は能く厚を受けず。穰苴は晏平仲を依賴して乃ち超卓し、淮陰は蕭公に因りて乃ち鷹揚し、隽不疑は隽勝之の談に由り、曲逆は魏無知の薦に緣り、徐元直は龍蟠の孔明を起用し、周公瑾は虎臥の孫策を貢上し、ゆえに能く美名は帝籍に垂れ・弘勳は當世に著せり、と。
“漢之末年,吳之季世,則不然焉。舉士也,必附己者為前;取人也,必多黨者為決;而附己者不必足進之器也,同乎我,故不能遺焉;而多黨者不必逸群之才也,信眾口,故謂其可焉。或信此之庸猥,而不能遣所念之近情;或識彼之英異,而不能平心於至公。於是釋銓衡,而以疏數為輕重矣;棄度量,而以綸集為多少矣。於時之所謂雅人高韻,秉國之鈞,黜陟決己,褒貶由口者,鮮哉免乎斯累也。又況於胸中率有憎獨立,疾非黨,忌勝己,忽寒素者乎悲夫!邈俗之士,不群之人,所以比肩不遇,不可勝計,或抑頓於藪澤,或立朝而斥退也。
(抱朴子が続けて言うには、)漢の末年・吳の季世は、便ち是れ這樣ならず。士を擧ぐるは一定に自己に附和するを前に放ち。人を取るは一定に黨羽多きを以て決斷と爲す。而も自己に附和するは不必進用するに足るの器有らず、以て我と同じくするに因りて、ゆえに能く遺棄せず。黨羽多きは不必群を逸するの才有らず、以て衆口を信ずるに因りて、ゆえに彼を以て可なりと認めり。或いは這人の庸猥を信じて、然れども能く念う所の近情を遣開せず。或いは那人の英異を識得して、然れども能く心を至公の上に平せず。于是銓衡を放下して、而も親疏多少を以て輕重と爲し。度量を拋棄して、而も聚散を以て多少と爲す。當時の所謂雅人高韻・國鈞を秉持し・黜陟は自己より決定し・褒貶は口に由るは、能く這種の牽累を免るる少なし。又況んや胸中は大都獨立を憎惡し・同黨に非ざるを疾害し・自己に勝るを忌妒し・寒素を忽略するをや。可悲しきかな。俗を超ゆるの士・群ならざるの人は、ゆえに肩を比びて而も遇わず、計りて勝ふ可からず、或いは藪澤に壓抑頓挫せられ、或いは朝に立ちて而も斥退せらる。
蓋修德而道不行,藏器而時不會,或俟河清而齒已沒,或竭忠勤而不見知,遠行不騁於一世,勳澤不加於生民。席上之珍,鬱於泥濘,濟物之才,終於無施,操築而不值武丁,抱竿而不遇西伯,自曩迄今,將有何限而獨悲之,不亦陋哉!瞻徑路之遠,而恥由之;知大道之否,而不改之。齊通塞於一途,付榮辱於自然者,豈懷悒悶於知希,興永嘆於川逝乎!疑其有憾,是未識至人之用心也。小年之不知大年,井蛙之不曉滄海,自有來矣。
德を修めて而も道は行はれず、器を藏めて而も時は會合せず、或いは河の淸まるを待ちて而も牙齒は已に沒し、或いは忠勤を竭盡して而も知られず、遠行は能く一世に騁馳せず、勳澤は生民に加えられず。席上の珍は、泥濘に郁積し、物を濟するの才は、終竟施す從る無し。筑を操りて而も武丁に碰らず、竿を抱きて而も西伯に遇わず、過去より到如今、將に多少有らん、然れども獨獨此の爲に悲傷するは、不も亦た陋ならんや。徑路は遠きを看見して、然れども之れを走るを恥とし。大道は否塞するを知りて、然れども改變せず。通塞を看成して一條の路と爲し・榮辱を自然に付する人は、何處か知音稀少の上に悁悶を懷き・川逝に對して永歎を興起せんや。彼らに遺憾有りと懷疑するは、是れ還に未だ至人の用心を識得せず。小年は大年を知らず、井蛙は滄海を曉らず、從來便ち是れ這樣なり。
重言
重言
抱朴子曰:餘友人玄泊先生者,齒在志學,固已窮覽六略,旁綜河洛,晝競羲和之末景,夕照望舒之餘輝,道靡遠而不究,言無微而不測,以儒墨為城池,以機神為干戈,故談者莫不望塵而銜璧,文士寅目而格筆。俄而寤智者之不言,覺寸一之無咎,意得則齊荃蹄之可棄,道乖則覺唱高而和寡,於是奉老氏多敗之戒,思金人三緘之義,括鋒穎而如訥韜,修翰於彤管,含金懷玉,抑謐華辯,終日彌夕,或無一言。
抱朴子曰く、我が友人玄泊先生は、年紀は還に志學に在りて、便ち已に六略を窮覽し・河洛を旁綜し・白天は羲和の末影を競逐し・晚上は望舒の餘輝を照り・道は遠き無くして探究せず・言は微き無くして測度せず・儒墨を以て城池と當てて・機神を以て干戈と當てれば、ゆえに談論する人は塵を望み璧を銜えざるなし、文士は目を瞋めて而も筆を放下す(底本は「寅目」と作る、當に「瞋目」と讀むべし)。久しからずして智者は言わざるを醒悟し、一を守るは咎なきと覺えて(底本は「寸一」と作る、當に「守一」と讀むべし)、意を得れば則ち荃蹄の可棄を看成して齊一と爲し・道乖ければ則ち高を唱うるは而も和寡なりと覺えて、于是老氏の多敗の戒を奉行し・金人の三緘の義を思念し・鋒穎を收起して而も木訥の如くし・修長の筆翰を彤管に韜藏し・金を含み玉を懷き・沉默華辯を抑制し・終日より夜裡に直到りて、有時一言無し。
門人進曰:“先生默然,小子胡述且與庸夫無殊焉。竊謂鍾不鳴,則不異於積銅;浮磬息音,則未別乎聚石也。”
門人は進入して曰く、先生は默然として、小子は如何に稱述せん、并且庸夫と異同なからん。我私に以て鐘は鳴らざれば、便ち積銅と異ならず。浮磬は音を停めば、便ち聚石と分別する法なし、と。
玄泊先生答曰:“吾特收遠名於萬代,求知己於將來,豈能競見知於今日,標格於一時乎陶甄以盛酒,雖美不見酣;身卑而言高,雖是不見信。徒捲舌而竭聲,將何救於流遁古人六十笑五十九,不遠迷復,乃覺有以也。夫玉之堅也,金之剛也,冰之冷也,火之熱也,豈須自言,然後明哉!且八音九奏,不能無長短之病,養由百發不能止,將有一失之疏,玩憑河者,數溺於水;好劇談者,多漏於口。伯牙謹於操弦,故終無煩手之累;儒者敬其辭令,故終無樞機之辱。淺近之徒,則不然焉。辯虛無之不急,爭細事以費言,論廣修堅白無用之說,誦諸子非聖過正之書,損教益惑,謂之深遠,委棄正經,競治邪學。或與暗見者較唇吻之勝負,為不識者吐清商之談對,非敵力之人,旁無賞解之客,何異奏雅樂於木梗之側,陳玄黃於土偶之前哉!徒口枯氣乏,椎杭抵掌,斤斧缺壞而盤節不破,勃然戰色而乖忤愈遠,致令恚容表顏,醜言自口,偷薄之變,生乎其間,既玷之謬,不可救磨。未若希聲不全大音,約說以俟識者矣。
玄泊先生回答して曰く、我は只是在萬代に遠名を收取し・將來に知己を求むるのみ、哪能く今日に知られ・一時に標格せんを競相せんや。陶甄は以て酒を盛るは、卽使美なるも酣暢を見ず。身は卑くして言高ければ、卽使對なるも信ぜられず。徒然に舌を卷きて聲を竭すは、將に流遁に對して什麼の救助有らん。古人は六十歲は五十九歲を笑い、迷途は遠からざれば便ち復歸し、乃ち道理有りと覺えり。玉の堅・金の剛・冰の冷・火の熱は、何處か須要自ら説いて、然後乃ち明白ならんや。況んや八音九奏は、能く長短の病なからざる可からず。養由基は百發して能く止まらざれば、將に一失の疏漏有らん。徒步河を過ぐるを玩習するは、數次水裡に溺る。激烈に談論するを喜好するは、多く口裡より泄漏す。伯牙は弦を操るに謹慎す、ゆえに終竟煩手の累なし。儒者は其の辭令を敬す、ゆえに終竟樞機の辱なし。淺近の人は便ち是れ這樣ならず。虛無の不急の事を辯し・細事を爭いて以て言を費し・廣修堅白の用なきの説を論じ・諸子の聖に非ず正に過ぐるの書を誦し・教を損ない惑を益して、深遠と叫ばれ・正經を委棄して・競相邪學を治す。或いは見識暗き人と脣吻の勝負を較量し・識らざる人の爲に淸商の談對を吐くは、是れ力量相當の人に非ず・旁邊に賞識理解の客なく・木梗の旁邊に雅樂を奏し・土偶の面前に玄黄を陳列するは什麼の異同有らん。徒然に口枯れ氣乏く・喉嚨を椎擊し・掌を抵り(底本は「椎杭」と作る、杭は當に「吭」と讀むべし)、斤斧は缺壞して而も盤節は破らず・勃然として色を變じて而も乖忤は更に遠く・以致怒容は顏面に表現し・醜言は口裡より出で・澆薄の變は・中より產生し・已に玷污するの謬誤は・可に救磨す可からず。希聲して乃ち大音を成全し・其の説を簡約して以て識者を待つに如かず、と。
自敘卷第五十
自敘巻第五十
抱朴子者,姓葛,名洪,字稚川。丹陽句容人也。其先葛天氏,蓋古之有天下者也。後降為列國,因以為姓焉。洪曩祖為荊州刺史,王莽之篡,君恥事國賊,棄官而歸,與東郡太守翟義共起兵。將以誅莽,為莽所敗,遇赦免禍,遂稱疾自絕於世。莽以君宗強,慮終有變,乃徙君於琅邪。君之子浦廬,起兵以佐光武,有大功。光武踐祚,以廬為車騎。又遷驃騎大將軍,封下邳僮縣侯,食邑五千戶。
抱朴子這個人は、姓は葛・名は洪・字は稚川。丹陽句容の人なり。其の先人は是れ葛天氏にして、大概是れ古代に天下有りしなり。後來列國に降りて、便ち因此以て姓と爲す。洪の遠祖は荆州刺史を做り、王莽は位を篡して、君は國賊に事奉するを恥として、官を棄てて而も歸り、東郡太守の翟義と共同に兵を起兵す。將に莽を誅せんとして、莽に敗られ、赦免に遇いて禍を免れ、于是病を稱えて世と隔絶す。莽は君の宗族は強盛なるを以て、終究變有らんを憂慮して、便ち君を琅邪に遷す。君の子浦廬は、兵を起して光武を輔佐し、大功有り。光武は位に卽きて、廬を以て車騎と爲す。又驃騎大將軍に遷り、下邳僮縣侯に封ぜられ、食邑は五千戸なり。
開國初,侯之弟文,隨侯征討,屢有大捷。侯比上書為文訟功,而官以文私從兄行,無軍名,遂不為論。侯曰:“弟與我同冒矢石,瘡痍周身,傷失右眼,不得尺寸之報。吾乃重金累紫,何心以安”乃自表選取轉封於弟。書上請報,漢朝欲成君高義,故特聽焉。文辭,不獲已。受爵即第,為驃騎營立宅舍於博望裡。於今基兆石礎存焉。又分割租秩以供奉吏士,給如二君焉。驃騎殷勤止之而不從。驃騎曰:“此更煩役國人,何以為讓”乃托他行,遂南渡江而家於句容。子弟躬耕,以典籍自娛。文累使奉迎驃騎,驃騎終不還。又令人守護博望宅舍,以冀驃騎之反,至於累世無居之者。
開國の初、侯の弟文は、侯に跟隨して征討し、屢々大捷有り。侯は屢々書を上して文の爲に功を爭い、而も官府は文は私自兄に從出行して、軍名なきを以て、于是功を論せず。侯曰く、弟は我と一同に箭石を冒して、瘡痍は身に滿ち、右眼を傷失して、尺寸の報答を得ず。我は然れども金を重ね紫を累ね、心裡怎麼安んずらん、と。于是自己表を上して封地を弟に轉給せんを請求す。書は上達して回報を請い、漢朝は君の高義を成全せんと想い、ゆえに特別に準許せり。文は推辭して、不得已なり。爵を受け第に就きて、驃騎營の爲に博望里に宅舍を立つ。至今基址石礎は還に在り。又租秩を分割して以て吏士を供奉し、給養は兩君の如くす。驃騎は殷勤に彼を阻止するも然れども聽從せず。驃騎曰く、這は更加國人を煩勞し、什麼を拿りて以て讓らん、と。于是他に出行すと託言して、便ち南渡江して而も句容に家す。子弟は親自耕種して、典籍を以て自娛す。文は屢々人を遣わして驃騎を奉迎せしむるも、驃騎は終竟回來せず。又人をして博望の宅舍を守護せしめ、驃騎の返回せんを希望す、累世に至りて居住する人なし。
洪祖父學無不涉,究測精微,文藝之高,一時莫倫。有經國之才,仁吳,歷宰海鹽。臨安。山陰三縣。入為吏部待郎,御史中丞,廬陵太守,吏部尚書,太子少傅,中書,大鴻臚,侍中,光祿勳,輔吳將軍,封吳壽縣侯。
洪の祖父は學問は涉獵せざるなし、精微を究測し、文藝の高は、一時は能く比ぶる人なし。國を經るの才有りて、吳に仕え(底本は「仁吳」と作る、「仁」は「仕」の訛)、歴任海鹽・臨安・山陰の三縣宰。朝に入りて吏部侍郎と爲り(底本は「待郎」と作る)、御史中丞・廬陵太守・吏部尚書・太子少傅・中書・大鴻臚・侍中・光祿勳・輔吳將軍・封吳壽縣侯。
洪父以孝友聞,行為士表,方冊所載,罔不窮覽。仕吳五官郎,中正,建城、南昌二縣令,中書郎,廷尉,平中護軍,會稽太守。未辭而晉軍順流,西境不守,博簡秉文經武之才,朝野之論,僉然推君。於是轉為五郡赴警。大都督給親兵五千,總統徵軍,戍遏疆場。天之所壞,人不能支,故主欽若,九有同賓,君以故官,赴除郎中。稍遷至大中大夫,歷位大中正,肥鄉令。縣戶二萬,舉州最治,德化尤異,恩洽刑清,野有頌聲,路無奸跡,不佃公田,越界如市。秋毫之贈,不入於門;紙筆之用,皆出於私財。刑厝而禁止,不言而化行。以疾去官,發詔見用為吳王郎中令。正色弼違,進可替不,舉善彈枉,軍國肅雍。遷邵陵太守,卒於官。
洪の父親は孝友を以て聞名し、行爲は是れ士の表率にして、方冊の載する所は、窮覽せざるなし。吳に在りて五官郎・中正・建城・南昌の二縣令・中書郎・廷尉平・中護軍・會稽太守を做る。還に未だ官を辭せずして而も晉軍は流れに順いて下り、西境は守られず、廣泛に能文能武の才を簡選して、朝野の議論は、皆君を推擧す。于是五郡に轉じて警に赴く。大都督は親兵五千を給して、征軍を總統し、疆場を戍守遏止す。天の壞せんと欲する所は、人は能く支撑せず、故主は敬順して、九州は一同に賓服し、君は故官を以て、任に赴きて除して郎中と爲る。漸漸太中大夫に遷りて、歴位大中正・肥鄉令。縣戸は二萬にして、全州は治理は最好し、德化は尤其特異にして、恩洽刑淸く、野は頌聲有り・路は奸迹なく・公田を佃種せず・界を越えて市の如し。秋毫の贈は、門に進入せず。紙筆の用は、皆私財より出づ。刑は措きて禁令は止み、言わずして而も教化は行はる。病に因りて官を去りて、詔を發して吴王郎中令に用いられり。正色して違失を輔弼し・進む可き・下る可からざるを替え・善を擧げ枉曲を彈劾し・軍國は肅雍たり。邵陵太守に遷りて、官任の上に死せり。
洪者,君之弟三子也。生晚,為二親所嬌饒,不早見督以書史。年十有三,而慈父見背。夙失庭訓,飢寒困瘁,躬執耕穡,承星履草,密勿疇襲。又累遭兵火,先人典籍蕩盡。農隙之暇無所讀,乃負笈徒步行借。又卒於一家,少得全部之書,益破功日伐薪以給紙筆,就營田園處,以柴火寫書。坐此之故,不得早涉藝文。常乏紙,每所寫,反覆有字,人鮮能讀也。
洪は是れ君の第三子なり。出生は晚くして、二親に嬌饒せられ、未だ早く書史を以て督責せず。年十有三にして、慈父は去世せり。早く庭訓を失いて、饑寒困瘁し、親自耕穡を執掌し、星を披き草を踏みて、田疇に勤勉す。又累々兵火に遭いて、先人の典籍は蕩盡せり。農隙の閒暇は讀む可き無し、便ち書箱を背着して步行して往きて借す。又終竟只一家に在りて、全部の書を得る少なく、更加工夫を花費して白日薪を伐りて以て紙筆を供給し、便ち田園を營る處に在りて、柴火を用いて照りて書を抄す。這個緣故を以て、能く早く藝文を涉獵せず。常常に紙を缺きて、每に寫る所は、正反は皆字有りて、人は能く讀む少なし。
年十六,始讀《教經》、《論語》、《詩》、《易》。貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不能通,但貪廣覽,於眾書乃無不闇誦精持。曾所披涉,自正經、諸史、百家之言,下至短雜文章,近萬卷。既性暗善忘,又少文,意志不專,所識者甚薄,亦不免惑,而著述時猶得有所引用,竟不成純儒,不中為傳授之師。其河洛圖緯,一視便止,不得留意也。不喜星書及算術九宮三棋太一飛符之屬,了不從焉。由其苦人而少氣味也。
年十六にして、乃ち《孝經》を讀み(底本は「教經」と作る)、《論語》・《詩》・《易》。貧乏して以て遠く師友を尋くる從る無く、孤陋寡聞にして、明淺く思短く、大義は多く能く通ぜざる有りて、只是廣覽を貪り、衆書に對して暗誦精持せざるなし。曾て披閱涉獵して、正經・諸史・百家の言より、下りて短雜文章に至るまで、近く萬卷なり。既に性暗くして善忘し、又文采少なく、意志は專ならず、識る所は甚だ薄く、も亦た疑惑を免れず、而も著述する時は還に能く引用する所有り、終竟純儒と成らず、傳授の師を做るに適合せず。あの河洛圖緯は、一看便ち止み、留意を得ず。星書および算術・九宮・三棋・太一・飛符の類を喜ばず、完全不に跟從せず。以てあの類は人を苦累して而も氣味少なきに因る。
晚學風角望氣三元遁甲,六壬太一之法,粗知其旨,又不研精。亦計此輩率是為人用之事,同出身情,無急以此自勞役,不如省子書之有益,遂又廢焉。案《別錄》《藝文志》,眾有萬三千二百九十九卷,而魏代以來,群文滋長,倍於往者,乃自知所未見之多也。江表書籍,通同不具,昔欲詣京師索奇異,而正值大亂,半道而還。每自嘆恨。今齒近不惑,素志衰頹,但念損之又損,為乎無為,偶耕藪澤,苟存性命耳。博涉之業,於是日沮矣。
晚く風角・望氣・三元遁甲・六壬太一の法を學びて、粗く其の旨を知るも、又不研精せず。も亦た這の類は大都是れ人に用いらるるの事にして、自身の情より出づると同じく、急ぎて這些を用いて以て自己を勞役するなく、省覽子書するは有益に如かずと考慮して、于是又廢掉せり。《別錄》《藝文志》に按れば、衆書は一萬三千二百九十九卷有りて、而も魏代以來、群文は滋長して、往昔に比べて加倍す、乃ち自己見ずる所の多きを自知せり。江表の書籍は、通常は不完備にして、從前往きて京師に奇異を索求せんと想いしも、然れども正值大亂して、半道にして而も還れり。每每自己歎恨す。如今年齡は不惑に近く、素志は衰頹して、只念る損し又損して・無爲に爲して・藪澤に偶耕して・苟且性命を保存する而已。博涉の業は、于是日益に沮喪せり。
洪之為人也,(有脫文)而呆野,性鈍口訥,形貌醜陋,而終不辯自矜飾也。冠履垢弊,衣或襤褸,而或不恥焉。俗之服用,俾而屢改,或忽廣領而大帶,或促身而修袖,或長裾曳地,或短不蔽腳。洪期於守常,不隨世變。言則率實,杜絕嘲戲,不得其人,終日默然。故邦人鹹稱之為抱朴之士。是以洪著書,因以自號焉。
洪の爲人は、(此處脱文有り)而も呆野にして、性は鈍く口は訥く、形貌は醜陋にして、而も終竟口舌を費して以て自我を矜飾せず。冠履は垢弊して、衣は或いは襤褸にして、然れども有時以て恥と爲さず。世俗の服用は、變じて而も屢改し(底本は「俾而屢改」と作る)、或いは忽然として領を廣く帶を大きくし、或いは身を緊くして而も袖を長くし、或いは裾を長くして地を拖り、或いは短くして脚を蔽わず。洪は常を守るを期望して、世變に隨わず。說話すれば則ち率實にして、嘲戲を杜絶し、其の人を得ざるに遇えば、終日默然たり。ゆえに邦人は皆彼を稱えて抱朴之士と爲す。因此洪は書を著して、便ち這個を用いて自號す。
洪稟性尪羸,兼之多疾,貧無車馬,不堪徒行,行亦性所不好。又患弊俗,捨本逐末,交遊過差,故遂撫筆閒居,守靜蓽門而無趨從之所,至於權豪之徒,雖在密跡,而莫或相識焉。衣不闢寒,室不免漏,食不充虛,名不出戶,不能憂也。貧無僮僕,籬落頓決,荊棘叢於庭宇,蓬莠塞乎階雨
洪は稟性は尪弱瘦羸にして、又加うるに多病し、貧して車馬なく、能く徒步して走らず、走るも亦た是れ性の好まざる所なり。又弊俗は本を舍て末を逐い・交游は過分なるを患えて、ゆえに便ち筆を撫して閒居し、蓽門に靜を守りて而も趨從するの處所なく、權豪の徒に至りては、卽使近密の處に在るとも、も亦た相識するなし。衣は能く寒を避けず、室は漏るを免れず、食は虛を充すに够えず、名は戸より出でず、能く此の爲に憂と爲さず。貧して僮僕なく、籬落は坍塌斷裂し、荆棘は庭宇に叢生し、蓬莠は階除に塞ぐ(底本は「階雨」と作る)。
留,披榛出門,排草入室,論者以為意遠忽近而不恕。其乏役也。不曉謁(有脫文)以故初不修見官長。至於吊大喪,省困疾,乃心欲自勉,強令無不必至,而居疾少健。恆復不周,每見譏責於論者。洪引咎而不恤也。意苟無餘,而病使心違,顧不愧己而已,亦何理於人之不見亮乎唯明鑑之士,乃恕其信抱朴,非以養高也。世人多慕豫親之好,推暗室之密,洪以為知人甚未易,上聖之所難。浮雜之交,口合神離,無益有損。雖不能如朱公叔一切絕之,且必須清澄詳悉,乃處意焉。又為此見憎者甚眾而不改也。馳逐苟達,側立勢門者,又共疾洪之異於己,而見疵毀,謂洪為傲物輕俗。而洪之為人,信心而行,譭譽皆置於不聞。
留めて、榛莽を披開して門を出で、草を排開して室に入る、論者は以て意は遠に而も近を忽れて而も寬恕せざると爲す。彼は僕役に缺乏す。謁見を曉らず(此處脱文有り)、因此起初は修習せずして以て官長に見る。大喪を吊い・困疾を探視するに至りては、乃ち心裡想く自勉して、強く令して不必到らざるなしとす、然れども疾に居りて健の時少なし。常常に又能く周到せず、每每論者に譏責せられり。洪は咎を引きて而も顧恤せず。意は假如餘なくして、而も病は心をして違背せしむ、只求る己に愧ずる無き而已、又什麼の道理人の諒解せざるに因らんや。只有明鑒の士は、乃ち彼の信守して朴を抱くを寬恕して、是れ以て高を養うに用いるに非ず。世人は多く豫先親熱の好を羨慕し、暗室の密を推行す、洪は以て人を知るは甚だ容易ならず、是れ上聖も亦た難と感ずる所なり。浮雜の交は、口は合して神は離れ、益なく損有り。雖も能く朱公叔の如く一切交を絶たざるも、も亦た必ず淸澄詳悉して、乃ち心意に處る。又因此憎まれる甚だ多くして然れども改めず。馳逐して苟且達を求め・勢門に側立する人は、又一起に洪の自己と同じからざるを疾恨して、而も疵毁を加え、洪は物を傲り俗を輕むと説く。而も洪の爲人は、心に信着して而も行い、毁譽は皆聞かざるに放つ。
至患近人,或恃其所長而輕人所短,洪忝為儒者之末,每與人言,常度其所知而論之,不強引之以造彼所不聞也。及與學士有所辯識,每舉綱領。若值惜短,難解心義,但粗說意之與向,使足以發寤而已,不致苦理,使彼率不得自還也。彼靜心者,存詳而思之,則多自覺而得之者焉。度不可與言者,雖或有問,常辭以不知,以免辭費之過也。洪性深不好乾煩官長,自少及長,曾救知己之抑者數人,不得已,有言於在位者,然其人皆不知洪之恤也。不忍見其陷於非理,密自營之耳。其餘雖親至者,在事秉勢,與洪無惜者,終不以片言半字,少累之也。至於糧用窮匱急,合湯藥則喚求朋類,或見濟,亦不讓也。受人之施,必皆久久漸有以報之,不令覺也。非類則不妄受其饋致焉。洪所食有旬日之儲,則分以濟人之乏;若殊自不足,亦不割己也。不為皎皎之細行,不治察察之小廉。村裡凡人之謂良守善者,用時,或齎酒餚候洪,雖非儔匹,亦不拒也。後有以答之,亦不登時也。洪嘗謂史雲不食於昆弟,華生治潔於暱客,蓋邀名之偽行,非廊廟之遠量也。
最も患うは近人の或いは自己の長する所を仗りて而も人の短する所を輕視す、洪は忝くも儒者の末流と爲して、每に人と說話して、常常に對方の知る所を度量して乃ち論じ、強く彼を其の還に未だ聞かざる所に引かず。學士と辯識する所有るに等到れば、每每綱領を擧ぐ。若し對方の短を愛惜し・心中の義を解き難きに碰上せば、只是意思と方向を粗説して、足りて以て啓發醒悟せしむ而已、苦々理を説きて、彼をして一概に自己を退回するを得せしめざるに至らず。あの靜心する人は、詳細に去想するを存して、便ち多く能く自己覺悟して而も得る。度量して可に與に言う可からざれば、卽使有時問有るとも、常常に不知を用いて推辭して、以て辭費の過を免る。洪は生性は深く官長を煩擾するを好まず、少より長に至りて、曾て知己の壓抑せらるる幾個人を救助して、不得已にして、位在るに對して話有るも、然れどもあの人は皆洪の彼らを恤するを知らず。彼らの非理に陷るを看見するを忍びず、秘密に自己營救する而已。其餘は卽使親到するも、事に在り勢を秉るは、洪と情分なければ、終竟片言半字を用いて、稍微彼らを牽累せず。糧用は窮匱緊急・湯藥を配合するに至りては便ち朋類に呼喚求告し、或いは接濟せられ、も亦た推讓せず。人の施を受ければ、一定に皆久久漸漸以て報答する有るに用い、對方をして察覺せしめず。是れ同類に非ざれば便ち妄に其の饋贈を受けず。洪の食する所は若し旬日の儲有れば、便ち分けて以て人の乏を濟し。若し自己は特別に不足せば、も亦た自己を割かず。皎皎の細行を做らず、察察の小廉を治めず。村裡凡人の所謂良善のは、有時酒肴を帶びて洪を問候すれば、卽使是れ儔匹に非ずとも、も亦た拒絶せず。後來以て答謝する有るも、も亦た當場せず。洪は曾て曰く、范史云は昆弟の處に食を進めず、華生は昵客に對して潔を治むは、大概是れ名を邀ぐるの僞行にして、是れ廊廟の遠量に非ずと。
洪尤疾無義之人,不勤農桑之本業,而慕非義之奸利。持鄉論者,則賣選舉以取謝;有威勢者,則解符疏以索財。或有罪人之賂,或枉有理之家。或為逋逃之藪,而饗亡命之人;或挾使民丁,以妨公役;或強收錢物,以求貴价;或占錮市肆,奪百姓之利;或割人田地,劫孤弱之業。惚恫官府之間,以窺掊克之益,內以誇妻妾,外以釣名位。其如此者,不與交焉。
洪は尤其義なきの人を疾恨して、農桑の本業を勤めずして、而も非義の奸利を慕う。鄉論を把持するは、便ち選擧を賣りて以て謝を取る。威勢有るは、便ち符疏を解して以て財を索す。或いは罪人の賄賂を收め、或いは理有るの家を冤枉す。或いは逋逃の藪を做りて、而も亡命の人を饗く。或いは民丁を挾使して、以て公役を妨礙す。或いは錢物を強收して、以て貴價を求む。或いは市肆を占錮して、百姓の利を奪う。或いは人の田地を割き、孤弱の業を劫す。官府の間に恫喝して、以て掊克の益を窺視し、內は以て妻妾に向かって誇り、外は以て名位を釣る。這樣の如きは、彼らと交往せず。
由是俗人憎洪疾己,自然疏絕,故巷無車馬之跡,堂無異志之賓,庭可設雀羅,而几筵積塵焉。
因此俗人は洪を憎み己を疾恨して、自然に疎遠絕交し、ゆえに巷は車馬の迹なく、堂は志向同じからざるの賓なく、庭は可に雀羅を設け、而も几筵は塵を積む。
洪自有識以逮將老,口不及人之非,不說人之私,乃自然也。雖僕豎有其所短,所羞之事,不以戲之也。未嘗論評人物之優劣,不喜訶譴人交之好惡。或為尊長所逼問,辭不獲已,其論人也,則獨舉彼體中之勝事而已。其論文也,則撮其所得之佳者,而不指摘其病累,故無譭譽之怨。貴人時或問官吏民,甲乙何如。其清高閒能者,洪指說其快事;其貪暴暗塞者,對以偶不識悉。洪由此頗見譏責,以顧護太多,不能明辯臧否,使皂白區分,而洪終不敢改也。每見世人有好論人物者,比方倫匹,未必當允,而褒貶與奪,或失準格。見譽者自謂己分,未必信德也;見侵者則恨之入骨,劇於血讎。洪益以為戒,遂不復言及士人矣。雖門宗子弟,其稱兩皆以付邦族,不為輕乎其價數也。
洪は識有りより老に將に至るまで、口は別人の非に涉及せず、別人の私を説かず、乃是れ自然なり。卽使僕豎は其の短する所・羞ずる所の事有るとも、も亦た拿りて以て戲弄せず。未だ曾て人物の優劣を論評せず、人の交往の好惡を訶責譴責するを喜ばず。或いは尊長に逼問せられ、推辭して不得已せば、人を論ずれば則ち只對方の體中の勝事を擧ぐ而已。文を論ずれば則ち其の得る所の佳處を撮取して、而も其の病累を指摘せず、ゆえに毁譽の怨なし。貴人は有時官吏民を問い、甲乙は怎麼樣と。あの淸高閒能のは、洪は其の快事を指説す。あの貪暴暗塞のは、對えて以て偶爾識悉せずと。洪は因此頗く譏責せられ、以て顧護太多・能く臧否を明辨せず・皁白を區分せしめずと爲すも、而も洪は終竟敢えて改めず。每に世人の人物を論ずるを好むを見れば、倫匹を比方して、未必允當ならず、而も褒貶與奪は、或いは準格を失う。譽せらるるは自ら以て本分と爲すも、未必眞に那の德有らず。侵せらるるは則ち之れを骨に恨みて、血仇に比べて還に劇し。洪は更加以て戒と爲して、于是便に再び士人に言及せず。卽使門宗子弟とも、稱揚は皆一併發付して邦族に給して、輕易に彼らの價數を定めず。
或以譏洪,洪答曰:“我身在我者也,法當易知。設令有人問我,使自比古人,及同時令我自求輩,則我實不能自知,可與誰為匹也。況非我,安可為取而評定之耶漢末俗弊,朋黨分部,許子將之徒,以口舌取戒。爭訟論議,門宗成讎。故汝南人士無復定價而有月旦之評。魏武帝深亦疾之,欲取其首,爾乃奔波亡走,殆至屠滅。前鑑不遠,可以得師矣。且人之未易知也,雖父兄不必儘子弟也,同乎我者遽是乎異於我者遽非乎或有始無卒,唐堯、公旦、仲尼、季札,皆有不全得之恨,無以近人信其嘍嘍管見熒燭之明,而輕評人物。是皆賣彼上聖大賢乎”
或る人は這個を拿りて洪を譏諷すれば、洪は回答して曰く、我が身は我自己に在りて、理に按れば當に容易に知るべし。假如或る人は我を問いて、我をして古人に自比せしめ、以及び同時に我をして自己に輩類を求めしめば、那我は實在能く自知せず、可に誰と匹と爲せんや。況んや是れ我に非ざれば、怎麼可に彼の爲に取りて而も評定せんや。漢末は俗弊れて、朋黨は分部し、許子將の徒は、口舌を用いて戒を取る。爭訟論議して、門宗は仇と成れり。ゆえに汝南の人士は再び定價なくして而も月旦の評有り。魏武帝も亦た甚だ這個を疾恨して、其の首を取らんと想い、于是奔波逃亡して、幾ほど屠滅に至らんとせり。前鑒は遠からず、可に師を得るなり。況んや人は容易に知らず、卽使父兄ともも亦た不必盡く子弟を知らず、我と同じくするは便ち一定是れ是ならんか。我と異なるは便ち一定是れ非ならんか。或いは始有りて終なく、唐堯・周公旦・仲尼・季札は、皆能く完全に得ざるの恨有りて、近人をして彼の嘍嘍管見・螢燭の明を信ぜしめ・而も輕く人物を評する從る無し。這些は皆不も在りて以て那の上聖大賢を出賣するならんか、と。
昔大安中,石冰作亂,六州之地,柯振葉靡,違正黨逆。義軍大都督邀洪為將兵都尉,累見敦迫,既桑梓恐虜,禍深憂大。古人有急疾之義,又畏軍法,不敢任志,遂募合數百人,與諸軍旅進。曾攻賊之別將,破之日,錢帛山積,珍玩蔽地,諸軍莫不放兵收拾財物,繼轂連擔。洪獨約令所領,不得妄離行陳。士有摭得眾者,洪即斬之以徇。於是無敢委杖,而果有伏賊數百,出傷諸軍。諸軍悉發,無部隊,皆人馬負重,無復戰心。遂致驚亂,死傷狼藉,殆欲不振。獨洪軍整齊轂張,無所損傷。以救諸軍之大崩,洪有力焉。後別戰斬賊小帥,多獲甲首,而獻捷幕府。於是大都督加洪伏波將軍,例給布百匹。諸將多封閉之,或送還家,而洪分賜將士,及施知故之貧者,餘之十匹,又徑以市肉酤酒,以饗將吏。於時竊擅一日之美談焉。
從前太安の中、石冰は亂を作し、六州の地は、樹枝の振動して葉の披靡するが如く、正に違背して而も逆に黨附せり。義軍大都督は洪を邀えて將兵都尉を做らしめ、累次敦迫して、既に是れ桑梓は虜せられんを怕れ、禍深く憂大なり。古人は急難に疾に赴くの義有りて、又軍法を畏れて、敢えて任性せず、于是數百人を募合して、諸軍旅と進む。曾て賊の別將を攻めて、攻破の日は、錢帛は山積し・珍玩は地を蔽い・諸軍は兵を放ちて財物を收拾し・車轂は相連なり擔子は相續かざるなし。洪は獨獨領する所を約束して、妄に行陣を離るるを得せず。士は拾得する多き有れば、洪は便ち斬りて以て衆に示す。于是敢えて杖を放下するなくして、而も果然伏賊數百有りて、出來して諸軍を傷害す。諸軍は全部出發して、部隊行列なく、皆人馬は重を負いて、再び戰心有らず。于是驚亂を導致して、死傷は狼藉として、幾ほど將に振作する能わざらんとせり。獨獨洪軍は整齊開張して、損傷する無し。以て諸軍の大崩を救うは、洪は是れ力有り。後來別一次戰鬪して賊の小帥を斬り、甲首を多獲して、而も幕府に向かって捷を獻す。于是大都督は洪に伏波將軍を加え、例に布百匹を給す。諸將は多く封閉起來し、或いは家に送還す、而も洪は將士に分賜して、并びに知故の中の貧なるに施給し、餘り十匹は、又徑直に拿りて往きて肉を買い酒を打ちて、以て將吏を饗す。當時私下に一日の美談を擅有せり。
事平,洪投戈釋甲,徑詣洛陽,欲廣尋異書,了不論戰功。竊慕魯連不受聊城之金,包胥不納存楚之賞,成功不處之義焉。正遇上國大亂,北道不通。而陳敏又反於江東,歸途隔塞。會有故人譙國嵇君道,見用為廣州刺史。乃表請洪為叄軍。雖非所樂,然利可避地於南,故黽勉就焉。見遣先行催兵,而君道於後遇害,遂停廣州。頻為節將見邀用,皆不就。永惟富貴可以漸得而不可頓合,其間屑屑,亦足以勞人。且榮位勢利,譬如寄客,既非常物,又其去不可得留也。隆隆者絕,赫赫者滅,有若春華,須臾凋落,得之不喜,失之安悲悔吝百端,憂懼兢戰,不可勝言。不可為也。且自度性篤懶而才至短,以篤懶而御短才,雖翕肩屈膝,趨走風塵,猶必不辦大致名位而免患累,況不能乎未若修松喬之道,在我而已,不由於人焉。將登名山,服食養性。非有廢也,事不兼濟,自非絕棄世務,則曷緣修習玄靜哉且知之誠難,亦不得惜問而與人議也。是以車馬之跡,不經貴勢之域;片字之書,不交在位之家。又士林之中,雖不可出,而見造之賓,意不能拒,妨人所作,不得專一,乃嘆曰:“山林之中無道也。而古之修道者,必入山林者,誠欲以違遠讙譁,使心不亂也。今將遂本志,委桑梓,適嵩嶽,以尋方平梁公之軌。”
事平の後、洪は戈を投げ甲を釋きて、徑直に洛陽に到りて、異書を廣尋せんと想い、完全不に戰功を論ぜず。私下に魯仲連の聊城の金を受けず・申包胥の楚を存するの賞を接納せず・功を成して居らざるの義を仰慕す。正に國大亂に遇上して、北道は通ぜず。而も陳敏は又江東に在りて反造して、歸途は隔塞せり。正に故人譙國の嵇君道有るに逢い、用いられて廣州刺史と爲る。于是表を上して洪を請いて參軍を做らしむ(底本は「叁軍」と作る)。雖も是れ樂しむ所に非ざるも、然れども南方に到りて地を避くるに利するに因りて、ゆえに黽勉して職に就く。先に行きて兵を催するを派遣せられて、而も君道は後面に在りて害に遇い、于是廣州に停在せり。頻頻節將に邀用せられて、皆就かず。深く富貴は可に漸漸得到して而も可に頓時聚合す可からず・那の中間は瑣碎にして、も亦た足りて以て人を勞すと思す。況んや榮位勢利は、好比寄居の客にして、既に是れ常物に非ず、其の去るは又不可留なり。隆隆は會絶し、赫赫は會滅し、春花の如く、須臾凋落す、之れを得るは喜ばず、之れを失うは何必悲傷せん、悔吝百端して、憂懼兢戰して、言に勝えず。可に做る可からず。況んや自己は性は極めて懶くして才は極めて短きを度量して、極懶を以て短才を駕馭すれば、卽使肩を縮め膝を屈して・風塵の中に趨走するとも、還に一定に大大に名位を求取して而も患累を免るるを辦せず、況んや能く那樣ならざるをや。松・喬の道を修して、在りて我自己而已・人に由らざるに如かず。將に名山に登りて、服食して性を養わんとす。是れ廢する所有るに非ず、事は能く兼濟せず、若し是れ世務を絶棄せざれば、又憑什麼以て玄靜を修習せんや。況んや之れを知るは誠に難くして、も亦た能く詢問を吝惜して而も人と議論せざらん。因此車馬の迹は、貴勢の域を經過せず。片字の書は、位在るの家に交わらず。又士林の中は、雖も可に出去す可からざるも、而も造訪の賓は、意上は能く拒絶せず、人の事を做るを妨礙して、專一を得ず、于是歎説して曰く、山林の中は並びに道なし。而も古の道を修するは一定に山林に入るは、實在是想く遙遙に喧嘩を避開して、心をして亂れざらしむ。如今將に本志を遂げんとして、桑梓を委棄して、嵩岳に去りて、以て方平・梁公の軌を尋かん、と。
先所作子書內、外篇,幸已用功夫,聊復撰次,以示將來云爾。洪年十五、六時,所作詩賦雜文,當時自謂可行於代,至於弱冠,更詳省之,殊多不稱意。天才未必為增也,直所覽差廣,而覺妍媸之別。於是大有所制,棄十不存一。今除所作子書,但雜尚餘百所卷,猶未盡損益之理,而多慘憤,不遑復料護之。他人文成,便呼快意,餘才鈍思遲,實不能爾。作文章每一更字,輒自轉勝,但患懶,又所作多不能數省之耳。洪年二十餘,乃計作細碎小文,妨棄功日,未若立一家之言,乃草創子書。會遇兵亂,流離播越,有所亡失,連在道路,不復投筆十餘年,至建武中,乃定凡著《內篇》二十卷,《外篇》五十卷,碑頌詩賦百卷,軍書檄移章表箋記三十卷,又撰俗所不列者,為《神仙傳》十卷,又撰高尚不仕者,為《隱逸傳》十卷又抄五經、七史、百家之言,兵事、方伎、短雜奇要三百一十卷,別有目錄。其《內篇》言神仙方藥、鬼怪變化、養生延年、禳邪卻禍之事,屬道家;《外篇》言人間得失,世事臧否,屬儒家。洪見魏文帝《典論》自敘,未及彈棋擊劍之事,有意於略說所知,而實不數少所便能,不可虛自稱揚。今將具言,所不閒焉。
先前作る所の子書內・外篇は、幸いに已に工夫を用過ぎて、姑且再び撰次して、以て將來に看せむ而已。洪は年十五六の時、作る所の詩賦雜文は、當時は自ら以て可に世代に行はると爲し、弱冠に到りて、再び詳細に省視すれば、很多稱意せず。天才は未必增加せず、只是覽る所は稍廣くして、而も妍媸の分別を覺えり。于是大有に删制して、十を棄てて一を存せず。如今作る所の子書を除きて、雜著は還に百來卷餘りて、還に未だ損益の理を盡くさず、而も多く慘憤して、暇あらず再び料檢護理す。他人は文成れば、便ち快意と叫ばれ、我は才鈍く思遲く、實在能く那樣せず。文章を作るは每に一個字を改めれば、便ち自己便ち更なり好く成る、只是懶を患え、又作る所は多く能く數次省視せざる而已。洪は年二十余にして、乃ち計較して細碎小文を作り、工夫時日を妨棄し、一家の言を立つるに如かずと爲し、于是子書を草創す。會遇兵亂して、流離播越し、亡失する所有り、連年道路に在りて、再び筆を投げざる十余年、建武の中に到りて、乃ち寫定し、凡そ《內篇》二十卷・《外篇》五十卷・碑頌詩賦百卷・軍書檄移章表箋記三十卷を著し、又世俗の列せざる所を撰して、《神仙傳》十卷と爲し、又高尚して仕せざるを撰して、《隱逸傳》十卷と爲し、又五經・七史・百家の言・兵事・方伎・短雜奇要を抄して三百一十卷、另に目錄有り。那の《內篇》は神仙方藥・鬼怪變化・養生延年・禳邪卻禍の事を講して、道家に屬す。《外篇》は人間得失・世事臧否を講して、儒家に屬す。洪は魏文帝の《典論》の自敘を見るに、還に未だ彈棋擊劍の事を談及せず、所知を略説するの意有りて、而も實在不少數自己少し便える所の能を數えず、可に虛しく自ら稱揚す可からず。如今將に具體に説かんとす、嫻熟せざる所。
洪體純性駑,寡所玩好,自總髮垂髫,(有脫文)又擲瓦手摶,不及兒童之群,未曾鬥雞鶩,走狗馬,見人博戲,了不目眄。或強牽引觀之,殊不入神,有若晝睡。是以至今不知棋局上有幾道樗蒲齒名。亦念此輩末伎,亂意思而妨日月,在位有損政事,儒者則廢講誦,凡民則忘稼穡,商人則失貨財。至於勝負未分,交爭都市,心熱於中,顏愁於外,名之為樂,而實煎悴,喪廉恥之操,興爭競之端,相取重貨,密結怨隙。昔宋閔公、吳太子致碎首之禍,生叛亂之變,覆滅七國,幾傾天朝。作戒百代,其鑑明矣。每觀戲者,漸恚交集,手足相及,醜詈相加,絕交壞友,往往有焉。怨不在大,亦不在小,多召悔吝,不足為也。仲尼雖有晝寢之戒,以洪較之,洪實未許其賢於晝寢。何則晝寢但無益而未有怨恨之憂,鬥訟之變,聖者猶韋編三絕,以勤經業,凡才近人,安得兼修,惟諸戲盡不如示一尺之書,故因本不喜而不為,蓋此俗人所親焉。
洪は體純く性駑く、少く玩好有り、總髮垂髫より、(此處脱文有り)又瓦を擲り手搏するは、兒童の群に及ばず、未だ曾て雞鴨を鬥わせ・狗馬を走らせず、人の博戲するを看見して、完全不に眼を斜めて看ず。或いは強く拉りて往きて觀看せしむるも、殊に神に入らず、白天睡覺するが如し。因此至今棋局の上に幾道有り・樗蒲齒の名を知らず。も亦た念う這の類の末技は、意思を擾亂して而も日月を妨害し、位在るは政事を損い、儒者は則ち講誦を廢し、凡民は則ち稼穡を忘れ、商人は則ち貨財を失うと。勝負は未だ分かたず・都市に交爭して・心裡熱を發し・顏面愁を發し・之れを樂と名づくるに至りては、而も實際は煎悴して、廉恥の操を喪失し・爭競の端を興起し・互相に重貨を取り・秘密に怨隙を結ぶ。從前宋閔公・吳太子は首を碎くの禍を導致し・叛亂の變を生出し・七國を覆滅し・幾ほど天朝を傾覆せんとせり。百代に戒を作るは、那の鑒戒は是れ明白なり。每に戲する人を觀看すれば、慚恚は交集し・手足は相加え・醜詈は相加え・交を絶ち友を壞す、往往有り。怨は大に在らず、も亦た小に在らず、多く悔吝を召す、足りて以て爲さず。仲尼は雖も晝寢の戒有るも、洪を拿りて以て比較すれば、洪は實在許可せず那の晝寢より比べて賢なりと。爲什麼なりや。晝寢は只是無益して而も怨恨の憂なく・鬥訟の變なし。聖者は尚且韋編三絶して、以て經業に勤む、凡才近人は、哪能く兼修せん、只是諸戲は皆一尺の書を出示するに如かず、ゆえに本來喜ばざるに因りて而も做らず、大概是れ俗人の親む所なり。
少嘗學射,但力少不能挽強,若顏高之弓耳。意為射既在六藝,又可以禦寇闢劫,及取鳥獸,是以習之。昔在軍旅,曾手射追騎,應弦而倒,殺二賊一馬,遂以得免死。又曾受刀盾及單刀雙戟,皆有口訣要術,以侍取人,乃有秘法,其巧入神。若以此道與不曉者對,便可以當全獨勝,所向無前矣。晚又學七尺杖術,可以入白刃,取大戟,然亦是不急之末學。知之譬如麟角鳳距,何必用之過此已往,未之或知。
少時曾て射を學びて、只是力少なく能く強弓を挽かず、顏高の弓のあの樣而已。心想く射は既に六藝に在りて、又可以寇を抵禦し・劫を避開し・以及び鳥獸を取るに、因此之れを習ふ。從前軍旅に在りて、曾て親自追來の騎を射て、弦に應じて而も倒れ、二賊一馬を殺して、于是以て死を免るを得たり。又曾て刀盾および單刀雙戟を受けて、皆口訣要術有りて、以て人を取るを待つは、乃ち祕法有りて、那の巧は神に入る。若し這の道を用いて曉らざる人と對すれば、便ち可以萬全に獨勝し、向く所は前なし。晚く又七尺杖術を學びて、可以白刃に進入し、大戟を取る、然れどもも亦た是れ急ならざるの末學なり。之れを知るは譬如麟角鳳距・何必之れを用いんや。這些を超過して以往すれば、或いは知る無し。
洪少有定志,決不出身,每覽巢許、子州、北人石戶、二姜、兩袁、法真、子龍之傳,嘗廢書前席,慕其為人。念精治五經,著一部子書,令後世知其為文儒而已。後州郡及車騎大將軍闢,皆不就。薦名琅邪王丞相府,昔起義兵,賊平之後,了不修名詣府,論功主者,永無賞報之冀。晉王應天順人,撥亂反正,結皇綱於垂絕,修宗廟之廢祀,念先朝之滯賞,並無報以勸來。洪隨例就彼,庚寅,詔書賜爵關中侯,食句容之邑二百戶。竊謂討賊以救桑梓,勞不足錄,金紫之命,非其始願。本欲遠慕魯連,近引田疇,上書固辭,以遂微志。適有大例,同不見許。昔仲由讓應受賜而沮為善,醜虜未夷,天下多事,國家方欲明賞必罰,以彰憲典,小子豈敢苟潔區區懦志,而距私通之大制故遂息意而恭承詔命焉。
洪は少く定志有りて、決して出仕せず、每に巢父・許由・子州支父・北人無擇・石戶之農・二姜・兩袁・法真・子龍の傳を覽れば、曾て書を廢して席を前し、彼らの爲人を慕ふ。念る精治五經して・一部の子書を著し・後世をして彼は是れ文儒なりを知らしむ而已。後來州郡および車騎大將軍は征辟するも、皆就かず。名を琅邪王丞相府に薦めて、從前義兵を起し、賊平の後、完全不に名を府に修せず、功を論ずる主者は、永遠に賞報の希望なし。晉王は天に應じ人に順いて、亂を撥き正に反して、將絶の時に皇綱を結び、宗廟の廢祀を修め、先朝の滯留するの賞を念い、并びに報答して以て後來を勸めざりき。洪は例に隨いて那裡に到れり。庚寅に、詔書は爵を關中侯に賜い、句容の邑二百戸を食む。私下に以て賊を討ちて以て桑梓を救うは、勞は錄に足らず、金紫の命は、是れ起始の愿望に非ず。本想く遠く魯仲連を慕い・近く田疇を引きて・書を上して固く辭して・以て微志を遂げんと。恰好大例有りて、一同に準許せられず。從前仲由は受くべきの賜を讓りて而も善を爲すを阻止し、丑虜は未だ平ならず、天下は多事にして、國家は正に賞を明にし罰を必ずして、以て憲典を彰顯せんと想う、小子は豈に敢えて苟且に區區懦志を潔くして、而も私通の大制に抗拒せんや、ゆえに便ち那の意を止息して而も詔命を恭承せり。
洪既著“自敘”之篇,或人難曰:“昔王充年在耳順,道窮望絕,懼身名之偕滅,故自紀終篇。先生以始立之盛,值乎有道之運,方將解申公之束帛,登穆生之蒲輪,耀藻九五,絕聲昆吾,何憾芬芳之不揚,而務老生之彼務”洪答曰:“夫二儀彌邈,而人居若寓,以朝菌之耀秀,不移晷而殄瘁,類春華之暫榮,未改旬而凋墜。雖飛飆之經霄,激電之乍照,未必速也。夫期賾猶奔星之騰煙,黃髮如激箭之過隙。況或未萌而殞籜,逆秋而霧瘁者哉故項子有含穗之嘆,揚烏有夙折之哀,歷覽遠古,逸倫之士,或以文藝而龍躍,或以武功而虎踞,高勳著於盟府,德音被乎管絃,形器雖沈,鑠於淵壤,美談飄飄而日載,故雖千百代,猶穆如也。餘以庸陋,沈抑婆婆,用不合時,行舛於世,發音則響與俗乖,抗足則跡與眾迕。內無金張之援,外乏彈冠之友。循途雖坦,而足無騏驎;六虛雖曠,而翼非大鵬。上不能鷹揚匡國,下無以顯親垂名。美不寄於良史,聲不附乎鍾鼎。故因著述之餘,而為自敘之篇,雖無補於窮達,亦賴將來之有述焉!
洪は已に「自敘」の篇を著して、或る人は詰難して曰く、從前王充は年は耳順に在り、道窮まり望絶えて、身名は一同に滅せんを怕れて、ゆえに自紀して以て終篇を作れり。先生は始立の盛年を以て、正值道有るの運にして、將に申公の束帛を解開し・穆生の蒲輪に登上し・九五に藻を耀し・昆吾に聲を絶たんとす、何必芬芳の揚がらざるを憾みて、而も那の老生の事務を務め去らんや、と。洪は回答して曰く、二儀は極めて邈遠にして、而も人居は寄寓の如く、朝菌の耀秀を以て、日影は移らずして便ち殄瘁し、春華の暫榮に類似して、旬日は未だ改らずして便ち凋墜す。卽使飛飆は霄漢を經過し・激電は乍然として照耀するも、も亦た未必這の快有らん。那の期頤は還に奔星騰煙の如く、黃髮は激箭の隙を過ぐるが如し。況んや或いは未萌して便ち籜に殞落し・秋に逆いて而も霧瘁するをや。ゆえに項橐は穗を含むの歎有り、揚烏は早折の哀有り。遠古を歷覽すれば、逸倫の士は、或いは文藝に因りて龍躍し、或いは武功に因りて虎踞し、高勳は盟府に著き、德音は管弦に被り、形器は雖も淵壤に沈銷するも、美談は飄飄として而も日日記載せられ、ゆえに卽使千百代とも、還に穆然として如在り。我は庸陋を以て、沈抑婆娑して(底本は「婆婆」と作る)、以て時に合せず、行は世と舛れ、音を發すれば則ち響は俗と乖け、足を擧げれば則ち迹は衆と迕る。內は金・張の援助なく、外は冠を彈くの友乏し。途を循るは雖も平坦なるも、而も足は是れ騏麟に非ず。六虛は雖も曠なるも、而も翼は是れ大鵬に非ず。上は能く鷹揚して國を匡せず、下は親を顯し名を垂るる從る無し。美は良史に寄せず、聲は鐘鼎に附せず。ゆえに著述の餘を借着して、而も自敘の篇を做る、雖も窮達に補なきも、も亦た將來に依賴して稱述する所有らんか、と。
