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大仏頂萬行首楞厳経巻第一

唐 · 般刺蜜帝译 · 第9巻 / 13

能脫欲誰名?一根既返源,

能く脱せば欲は誰か名づけん?一根は既に源に返りて、

六根成解脫。見、聞如幻翳,

六根は解脱を成す。見・聞は幻翳の如く、

三界若空花。聞復翳根除,

三界は空花の若し。聞は復して翳根を除き、

塵銷覺圓淨;淨極光通達,

塵は銷して覚は円浄にして;浄極まれば光は通達し、

寂照含虛空。卻來觀世間,

寂照は虗空を含む。却きて世間を観れば、

猶如夢中事。摩登伽在夢,

猶お夢の中の事の如し。摩登伽は夢に在りて、

誰能留汝形?如世巧幻師,

誰か能く汝の形を留めん?たとえば世の巧なる幻師の、

幻作諸男女,雖見諸根動,

幻に諸の男女を作りて、雖も諸根の動くを見るも、

要以一機抽。息機歸寂然,

要は一機を以て抽く。機を息めば寂然に帰して、

諸幻成無性。六根亦如是,

諸幻は无性を成す。六根も亦た是の如し、

元依一精明,分成六和合,

元本は一の精明に依りて、分れて六和合と成る、

一處成休復,六用皆不成。

一処は休復を成せば、六用は都く成らず。

塵垢應念銷,成圓明淨妙,

塵垢は念に応じて銷して、円明の浄妙を成し、

餘塵尚諸學,明極即如來。

余塵は尚お諸学にして、明極まれば即ち如来なり。

大眾及阿難!旋汝倒聞機,

大衆および阿難よ!汝の倒れる聞機を旋して、

反聞聞自性,性成無上道,

聞を反して自性を聞けば、性は無上道を成す、

圓通實如是。此是微塵佛,

円通は実に是の如し。此是れ微塵の仏の、

一路涅槃門。過去諸如來,

一路の涅槃門なり。過去の諸如来は、

斯門已成就;現在諸菩薩,

此の門に已に成就し;現在の諸菩薩は、

今各入圓明;未來修學人,

今各々円明に入り;未来の修学の人は、

當依如是法。我亦從中證,

当に是の如き法に依るべし。我も亦た中より証せり、

非唯觀世音。誠如佛世尊,

只だ観世音のみに非ず。誠に仏世尊の、

詢我諸方便,以救諸末劫,

我に諸の方便を詢えて、諸の末劫を救わんとするに、

求出世間人。成就涅槃心,

世間を出づるを求むる人に、涅槃心を成就せんは、

觀世音為最。自餘諸方便,

観世音を最と為す。其の余の諸の方便は、

皆是佛威神。即事捨塵勞,

皆是れ仏の威神なり。即ち事に塵労を舎つるは、

非是長修學,淺深同說法。

長き修学に非ざれば、浅深は同じく法を説く。

頂禮如來藏,無漏不思議,

如来蔵に頂礼す、無漏の不思議、

願加被未來,於此門無惑。

願わくは未来に加被して、此の門に於て惑う無からしめんと。

方便易成就,堪以教阿難,

方便は易く成就して、堪えて阿難を教え、

及末劫沈淪,但以此根修,

および末劫に沈淪するを、但だ此の根を以て修せば、

圓通超餘者,真實心如是。」

円通は其の余を超ゆる、真実の心は是の如し」。

於是阿難及諸大眾,身心瞭然,得大開示,觀佛菩提及大涅槃;猶如有人,因事遠遊未得歸還,明瞭其家所歸道路。普會大眾,天龍八部、有學二乘、及諸一切新發心菩薩,其數凡有十恆河沙,皆得本心,遠塵離垢,獲法眼淨。性比丘尼聞說偈已,成阿羅漢。無量眾生,皆發無等等阿耨多羅三藐三菩提心。

是に於て阿難および諸の大衆は、身心は了然として大きな開示を得て、仏菩提および大涅槃を観ること;たとえば人有りて、事に因りて遠く遊びて未だ還り帰るを得ざるも、其の家に帰る道路を明了に知るが如し。普会の大衆、天龍八部・有学の二乗・および諸の一切の新発心の菩薩、其の数は倶に十恒河沙有りて、都く本心を得て、塵を遠く垢を離れて、法眼の浄を獲たり。性比丘尼は偈を説き終らるを聞きて、阿羅漢を成せり。無量の衆生は、都く無等々の阿耨多羅三藐三菩提(意は「無上正等正覚」、仏の証する円満の覚悟)心を発せり。

阿難整衣服,於大眾中合掌頂禮。心跡圓明,悲欣交集,欲益未來諸眾生故,稽首白佛:「大悲世尊!我今已悟成佛法門,是中修行得無疑惑,常聞如來說如是言:『自未得度先度人者,菩薩發心;自覺已圓能覺他者,如來應世。』我雖未度,願度末劫一切眾生。世尊!此諸眾生去佛漸遠,邪師說法如恆河沙,欲攝其心入三摩地,云何令其安立道場,遠諸魔事?於菩提心得無退屈?」

阿難は衣服を整えて、大衆の中に於て合掌して頂礼せり。心跡は円明にして、悲欣は交わり集まりて、未来の諸の衆生を益さんと欲するが故に、稽首して仏に對えて曰わく、「大悲の世尊!我今已に仏法門を悟るを成して、此の中の修行は疑惑無きを得たり。常に如来の説きたまえる是の如き言を聞く:『自ら未だ度を得ざるに先だちて人を度るは、是れ菩薩の発心なり;自ら覚え已に円にして能く他を覚るは、是れ如来の世に応ずるなり』。我雖も未だ度らざれど、願わくは末劫の一切衆生を度せん。世尊!是の衆生は仏を去ること漸く遠く、邪師の法を説くは恒河沙の如し、心を攝して三摩地に入らんと欲するに、如何にか其をして道場を安立し、諸の魔事を遠くして、菩提心に於て退屈無きを得せしめんや?」

爾時,世尊於大眾中,稱讚阿難:「善哉!善哉!如汝所問安立道場,救護眾生末劫沈溺。汝今諦聽,當為汝說。」阿難、大眾,唯然奉教。

爾の時、世尊は大衆の中に於て阿難を称讃していわく、「善きかな!善きかな!汝が問える如く道場を安立して、衆生を救護して末劫の沈溺をせんと。汝当に今諦らかに聴きて、汝が為に説かん」と。阿難・大衆は、唯然として教を奉りたり。

佛告阿難:「汝常聞我毘奈耶中,宣說修行三決定義,所謂攝心為戒、因戒生定、因定發慧,是則名為三無漏學。

仏阿難に告げていわく、「汝常に我が毘奈耶(戒律)の中に宣説するを聞く、修行の三決定義——所謂心を攝するを戒と為し、戒に因りて定を生じ、定に因りて慧を発す——此れ則ち名づけて三無漏学と為す。

「阿難!云何攝心我名為戒?

(仏また説きていわく、)「阿難!如何にか心を攝するを我が名づけて戒と為すや?

「若諸世界六道眾生,其心不婬,則不隨其生死相續。汝修三昧本出塵勞,婬心不除,塵不可出。縱有多智,禪定現前,如不斷婬,必落魔道:上品魔王,中品魔民,下品魔女。彼等諸魔亦有徒眾,各各自謂成無上道。我滅度後,末法之中多此魔民,熾盛世間。廣行貪婬,為善知識,令諸眾生落愛見坑,失菩提路。汝教世人修三摩地,先斷心婬,是名如來先佛世尊第一決定清淨明誨。

(仏また説きていわく、)「若し諸の世界の六道の衆生は、其の心は淫せざれば、則ち其の生死の相続に随わず。汝は三昧を修して本より塵労を出づべし、淫心は除かずば、塵は出る可からず。縱い多智・禅定は現前するも、如し淫を断ぜざれば、必ず魔道に落つ:上品は魔王、中品は魔民、下品は魔女。彼等の諸魔も亦た徒衆有りて、各々自ら無上道を成せりと謂う。我滅度の後に、末法の中に多く此の魔民が世間に熾盛して、広く貪淫を行じて、善知識と為りて、諸の衆生をして愛見の坑に落として、菩提路を失わしむ。汝世人を教えて三摩地を修せば、先ず心淫を断つべし、此れ名づけて如来の先の仏世尊の第一の決定の清浄明誨と為す。

「是故阿難!若不斷婬修禪定者,如蒸沙石欲其成飯,經百千劫秖名熱沙。何以故?此非飯本,石沙成故。汝以婬身求佛妙果,縱得妙悟皆是婬根。根本成婬,輪轉三途必不能出。如來涅槃何路修證?必使婬機身心俱斷,斷性亦無;於佛菩提斯可希冀。如我此說,名為佛說;不如此說,即波旬說。

(仏また説きていわく、)「是の故に阿難!若し淫を断ぜずして禅定を修するは、たとえば沙石を蒸かして其の飯を成らんと欲せば、百千劫を経るも只だ名名づけて熱沙と為すのみ。何を以てか?此は飯の本に非ず、石沙の成す所の故なり。汝淫身を以て仏の妙果を求むれば、縱い妙悟を得るも皆是れ淫根なり。根本は淫を成せば、三途を輪転して必ず出づる能わず。如来の涅槃は何れの路にか修証せん?必ず淫機を身心倶に断じて、断の性も亦た無からしめよ;仏の菩提に於て乃ち希冀す可し。我が此の説くが如くば、名づけて仏説と為す;此の如く説かざれば、即ち波旬(魔王)の説なり。

「阿難!又諸世界六道眾生,其心不殺,則不隨其生死相續。汝修三昧本出塵勞,殺心不除,塵不可出。縱有多智、禪定現前,如不斷殺,必落神道:上品之人為大力鬼,中品即為飛行夜叉、諸鬼帥等,下品當為地行羅剎。彼諸鬼神亦有徒眾,各各自謂成無上道。我滅度後末法之中,多此神鬼熾盛世間,自言食肉得菩提路。阿難!我令比丘食五淨肉,此肉皆我神力化生,本無命根。汝婆羅門地多蒸濕,加以沙石,草菜不生;我以大悲神力所加,因大慈悲假名為肉,汝得其味。奈何如來滅度之後,食眾生肉,名為釋子?汝等當知是食肉人,縱得心開似三摩地,皆大羅剎,報終必沈生死苦海,非佛弟子。如是之人,相殺、相吞、相食未已,云何是人得出三界?汝教世人修三摩地,次斷殺生;是名如來先佛世尊第二決定清淨明誨。

(仏また説きていわく、)「阿難!又諸の世界の六道の衆生は、其の心は殺せざれば、則ち其の生死の相続に随わず。汝は三昧を修して本より塵労を出づべし、殺心は除かずば、塵は出る可からず。縱い多智・禅定は現前するも、如し殺を断ぜざれば、必ず神道に落つ:上品の人は大力鬼と為り、中品は即ち飛行の夜叉・諸の鬼帥等、下品は当に地行の羅刹と為る。彼の諸の鬼神も亦た徒衆有りて、各々自ら無上道を成せりと謂う。我滅度の後に末法の中に、多く此の神鬼が世間に熾盛して、自ら肉を食して菩提路を得たりと言う。阿難!我比丘に五浄肉を食わしむ、此の肉は皆我が神力の化生にして、本より命根無し。汝婆羅門の地は多く蒸湿して、沙石を加えて草菜は生ぜず;我大悲の神力の加うる所を以て、大慈悲に因りて仮に肉と名づけて、汝其の味を得たり。奈何ぞ如来滅度の後に、衆生の肉を食して、名づけて釈子と為さんや?汝ら当に知るべし:是の食肉の人は、縱い心開を得て三摩地に似たるも、皆是れ大羅刹にして、報終れば必ず生死の苦海に沈みて、仏の弟子に非ず。是の如き人は、相い殺し、相い呑み、相い食いて已まざるは、云何にか此の人は三界を出づるを得ん?汝世人を教えて三摩地を修せば、次に殺生を断つべし;此れ名づけて如来の先の仏世尊の第二の決定の清浄明誨と為す。

「是故阿難!若不斷殺修禪定者,譬如有人自塞其耳,高聲大叫求人不聞,此等名為欲隱彌露。清淨比丘及諸菩薩,於岐路行不踏生草,況以手拔?云何大悲,取諸眾生血肉充食?若諸比丘不服東方絲綿絹帛,及是此土靴履裘毳、乳酪醍醐,如是比丘於世真脫,酬還宿債,不遊三界。何以故?服其身分皆為彼緣。如人食其地中百穀,足不離地。必使身心,於諸眾生若身、身分,身心二途不服不食,我說是人真解脫者。如我此說,名為佛說;不如此說,即波旬說。

(仏また説きていわく、)「是の故に阿難!若し殺を断ぜずして禅定を修するは、たとえば人有りて自ら其の耳を塞ぎて、高声に大叫して人の聞かざらんことを求むる、此の等は名づけて隠さんと欲するも弥いよ露すと為す。清浄の比丘および諸の菩薩は、岐路に於て行きて生草を踏まず、況んや手を以て抜かんや?云何にか大悲にて、諸の衆生の血肉を取りて食に充てん?若し諸の比丘は東方の絲綿の絹帛を服せず、および此の土の靴履の裘毳・乳酪の醍醐をも服せざれば、是の如き比丘は世に於て真に脱れて、宿債を酬還して、三界に遊ばず。何を以てか?其の身分を服するは皆彼の縁を為す。たとえば人の其の地の中の百穀を食へば、足は地を離れざるが如し。必ず身心をして、諸の衆生の若身・身分に於て、身心の二途は服せず食せざらしめよ、我此の人は真の解脱者なりと説く。我が此の説くが如くば、名づけて仏説と為す;此の如く説かざれば、即ち波旬の説なり。

「阿難!又復世界六道眾生,其心不偷,則不隨其生死相續。汝修三昧本出塵勞,偷心不除,塵不可出。縱有多智、禪定現前,如不斷偷,必落邪道:上品精靈,中品妖魅,下品邪人、諸魅所著。彼等群邪亦有徒眾,各各自謂成無上道。我滅度後末法之中,多此妖邪熾盛世間。潛匿姦欺,稱善知識,各自謂己得上人法。詃惑無識,恐令失心,所過之處,其家耗散。我教比丘循方乞食,令其捨貪,成菩薩道。諸比丘等不自熟食,寄於殘生,旅泊三界,示一往還去已無返。云何賊人假我衣服、禆販如來?造種種業,皆言佛法。卻非出傢俱戒比丘,為小乘道。由是疑誤無量眾生,墮無間獄。若我滅後,其有比丘發心決定修三摩提,能於如來形像之前,身然一燈,燒一指節,及於身上爇一香炷,我說是人無始宿債一時酬畢,長挹世間,永脫諸漏。雖未即明無上覺路,是人於法已決定心。若不為此捨身微因,縱成無為,必還生人酬其宿債。如我馬麥,正等無異。汝教世人修三摩地,後斷偷盜;是名如來先佛世尊第三決定清淨明誨。

(仏また説きていわく、)「阿難!又復た世界の六道の衆生は、其の心は偸せざれば、則ち其の生死の相続に随わず。汝は三昧を修して本より塵労を出づべし、偸心は除かずば、塵は出る可からず。縱い多智・禅定は現前するも、如し偸を断ぜざれば、必ず邪道に落つ:上品は精霊、中品は妖魅、下品は邪人・諸の魅に著かるるなり。彼等の群邪も亦た徒衆有りて、各々自ら無上道を成せりと謂う。我滅度の後に末法の中に、多く此の妖邪が世間に熾盛して、潜み匿れて奸欺して、善知識と称して、各々自ら上人の法を得たりと謂う。無識を誑惑して、心を失わしめんと恐れて、其の過ぐる所の処は、其の家は耗散す。我比丘を教えて方に循って食を乞わしむは、貪を舎てて菩薩道を成らしめんとす。諸の比丘等は自ら熟食せず、残生に寄して、三界に旅泊して、一往しきて去りて已に返らざるを示す。云何にか賊人は我が衣服を假りて、如来を裨販せんや?種種の業を造りて、皆仏法を説きて、却って出家して戒を具える比丘に非ざるは、小乗道を為す。此に由りて無量の衆生を疑悪して、無間獄に堕さしむ。若し我滅後に、其の比丘有りて発心して三摩提を修するを決定して、能く如来の形像の前に於て、身に一灯を燃し、一指節を焼き、および身の上に一香炷を爇るは、我此の人は无始の宿債を一時に酬い畢わりて、長く世間を揖して、永く諸漏を脱ると説く。雖も未だ即ち無上覚路を明らめずとも、此の人は法に於て已に決定心有り。若し此の舎身の微因を為さざれば、縱い無為を成すも、必ず還りて人に生まれて其の宿債を酬えん。我が馬麦の如くば、正等にして異無し。汝世人を教えて三摩地を修せば、後に偸盗を断つべし;此れ名づけて如来の先の仏世尊の第三の決定の清浄明誨と為す。

「是故阿難!若不斷偷修禪定者,譬如有人水灌漏巵,欲求其滿,縱經塵劫終無平復。若諸比丘,衣缽之餘分寸不畜,乞食餘分施餓眾生,於大集會合掌禮眾,有人捶罵同於稱讚。必使身心二俱捐捨,身肉骨血與眾生共。不將如來不了義說迴為己解,以誤初學。佛印是人,得真三昧。如我所說,名為佛說;不如此說,即波旬說。

(仏また説きていわく、)「是の故に阿難!若し偸を断ぜずして禅定を修するは、たとえば人有りて水を漏る卮に灌ぎて、其の満たんを求めば、縱い塵劫を経るも終に平復無し。若し諸の比丘は、衣鉢の余に分寸も畜えずして、食を乞う余分を餓の衆生に施して、大集会に於て合掌して衆に礼して、人有りて捶罵するも称讃に同じくせば。必ず身心をして二つ倶に捐舎して、身肉骨血を衆生と共にせしめよ。如来の不了義を回して己が為に解するを将たずして、以て初学を誤らざるは、仏此の人を印して、真の三昧を得たりとす。我が説く所の如くば、名づけて仏説と為す;此の如く説かざれば、即ち波旬の説なり。

「阿難!如是世界六道眾生,雖則身心無殺、盜、婬,三行已圓;若大妄語,即三摩提不得清淨,成愛見魔,失如來種。所謂未得謂得,未證言證,或求世間尊勝第一。謂前人言:『我今已得須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢道、辟支佛乘、十地、地前諸位菩薩。』求彼禮懺,貪其供養,是一顛迦,銷滅佛種。如人以刀斷多羅木,佛記是人永殞善根,無復知見,沈三苦海,不成三昧。我滅度後,勅諸菩薩及阿羅漢,應身生彼末法之中,作種種形度諸輪轉——或作沙門、白衣居士、人王、宰官、童男、童女,如是乃至婬女、寡婦、姦偷、屠販——與其同事稱歎佛乘,令其身心入三摩地,終不自言『我真菩薩、真阿羅漢』,洩佛密因,輕言未學;唯除命終,陰有遺付。云何是人惑亂眾生,成大妄語?汝教世人修三摩地,後復斷除諸大妄語,是名如來先佛世尊第四決定清淨明誨。

(仏また説きていわく、)「阿難!是の如き世界の六道の衆生は、雖も身心に殺・盗・淫無くて、三行は已に円なるも;若し大妄語ならば、即ち三摩提は清浄を得ずして、愛見魔を成して、如来の種を失う。所謂未だ得ずして得たりと謂い、未だ証せずして証せりと謂い、或いは世間の尊勝第一を求む。前の人に對えて説く:『我今已に須陀洹果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢道・辟支仏乗・十地・地前の諸位の菩薩を得たり』。彼の礼懺を求めて、其の供養を貪るは、是れ一顛迦にして、仏種を銷滅す。たとえば人の刀を以て多羅木を断つが如く、仏此の人を記して永く善根を殞して、復た知見無くて、三苦海に沈みて、三昧を成さざらん。我滅度の後に、諸の菩薩および阿羅漢を勅して、身を応じて彼の末法の中に生じて、種種の形を作して諸の輪転を度る——或いは沙門・白衣の居士・人王・宰官・童男・童女を作り、是の如く乃至淫女・寡婦・奸偸・屠販を作して——其と同事して仏乗を称歎して、其の身心をして三摩地に入らしめて、終に自ら『我は真の菩薩・真の阿羅漢』と言わざらん、仏の密因を泄して、未学に軽く言うを;唯だ命終を除きて、陰に遺付有るのみ。云何にか此の人は衆生を惑乱して、大妄語を成さんや?汝世人を教えて三摩地を修せば、後に諸の大妄語を断除すべし、此れ名づけて如来の先の仏世尊の第四の決定の清浄明誨と為す。

「是故阿難!若不斷其大妄語者,如刻人糞為栴檀形,欲求香氣無有是處。我教比丘直心道場,於四威儀一切行中尚無虛假,云何自稱得上人法?譬如窮人妄號帝王,自取誅滅。況復法王,如何妄竊?因地不直,果招紆曲。求佛菩提,如噬臍人慾誰成就?若諸比丘心如直絃,一切真實,入三摩提永無魔事。我印是人,成就菩薩無上知覺。如我是說,名為佛說;不如此說,即波旬說。

(仏また説きていわく、)「是の故に阿難!若し其の大妄語を断ぜざるは、たとえば人糞を刻りて栴檀の形を為して、香気を求めるに是の処有る無し。我比丘を教えて直心を道場と為すは、四威儀の一切の行の中に於て尚お虗假無きに、云何にか自ら上人の法を得たりと称せんや?たとえば窮人の妄りに帝王を号して、自ら誅滅を取るが如し。況んや法王をや、如何にか妄りに窃まんや?因地は直ならざれば、果は紆曲を招く。仏菩提を求むるは、たとえば脐を噬う人の誰か成就せんと欲するが如し。若し諸の比丘は心は直弦の如く、一切は真実なれば、三摩提に入りて永く魔事無し。我此の人を印して、菩薩の無上の知覚を成就せり。我が此の説くが如くば、名づけて仏説と為す;此の如く説かざれば、即ち波旬の説なり。

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