妙法蓮華經卷第三
「佛昔從釋種,出家近伽耶,
「佛昔釋種より、家を出でて伽耶に近き、
坐於菩提樹,爾來尚未久。
菩提樹に坐して、爾より來りて未だ久しからず。
此諸佛子等,其數不可量,
此の諸の佛の子等、其の數量るべからず、
久已行佛道,住於神通力,
久しく已に佛道を行じて、神通の力に住して、
善學菩薩道,不染世間法,
善く菩菩薩道を學して、世間の法に染まざること、
如蓮華在水,從地而踴出。
蓮華の水に在るが如くして、地より而も涌出せり。
皆起恭敬心,住於世尊前。
皆恭敬の心を起して、世尊の前に住せり。
是事難思議,云何而可信?
是の事思議し難し、云何にしてか信ずべき。
佛得道甚近,所成就甚多,
佛道を得ること甚だ近くして、成就する所甚だ多し、
願為除眾疑,如實分別說。
願はくは衆疑を除く爲に、實の如く分別して說き給へ。
譬如少壯人,年始二十五,
譬へば少壯の人、年始めて二十五にして、
示人百歲子,髮白而面皺,
人に百歲の子を示して、髮白くして而も面皺あり、
是等我所生;子亦說是父。
此の等我が生ずる所、子亦说是れ父なりと。
父少而子老,舉世所不信。
父少くして而も子老ゆ、世に擧げて信ぜざる所なり。
世尊亦如是,得道來甚近。
世尊亦復た是の如し、道を得ること來りて甚だ近し。
是諸菩薩等,志固無怯弱,
是の菩薩等、志固くして怯弱無くして、
從無量劫來,而行菩薩道,
無量劫より來りて、而も菩薩道を行じて、
巧於難問答,其心無所畏,
難の問答に巧みにして、其の心畏るる所無くして、
忍辱心決定,端正有威德,
忍辱の心決定して、端正にして威德有り、
十方佛所讚。善能分別說,
十方の佛の讚ずる所。善く能く分別して說きて、
不樂在人眾,常好在禪定,
人衆に在るを樂はず、常に禪定に在るを好みて、
為求佛道故,於下空中住。
佛道を求むる故の爲に、下の空中に住せり。
我等從佛聞,於此事無疑,
我等佛より聞きて、此の事に於て疑無し、
願佛為未來,演說令開解。
願はくは佛未來の爲に、演說して開解せしめ給へ。
若有於此經,生疑不信者,
若し此の經に於て、疑を生じて信ぜざる者有らば、
即當墮惡道。願今為解說,
即ち當に惡道に墮つべし。願はくは今爲に解說して、
是無量菩薩,云何於少時,
是の無量の菩薩、云何にしてか少時に於て、
教化令發心,而住不退地?」
教化して心を發せしめて、而も不退の地に住せしむる。」
妙法蓮華經如來壽量品第十六
妙法蓮華經如來壽量品第十六
爾時,佛告諸菩薩及一切大眾:「諸善男子!汝等當信解如來誠諦之語。」復告大眾:「汝等當信解如來誠諦之語。」又復告諸大眾:「汝等當信解如來誠諦之語。」
爾の時、佛諸の菩薩及び一切の大衆に告げて曰く、「諸の善男子!汝等當に如來の誠諦の語を信解すべし」と。復た大衆に告げて曰く、「汝等當に如來の誠諦の語を信解すべし」と。又復た諸の大衆に告げて曰く、「汝等當に如來の誠諦の語を信解すべし」と。
是時菩薩大眾,彌勒為首,合掌白佛言:「世尊!唯願說之,我等當信受佛語。」如是三白已,復言:「唯願說之,我等當信受佛語。」
是の時菩薩の大衆、彌勒を首と爲して、合掌して佛に白して言へらく、「世尊!唯だ願はくは之を說き給へ、我等當に佛の語を信受せん」と。是の如く三白已りて、復た言へらく、「唯だ願はくは之を說き給へ、我等當に佛の語を信受せん」と。
爾時世尊知諸菩薩三請不止,而告之言:「汝等諦聽,如來秘密神通之力。一切世間天、人及阿修羅,皆謂:『今釋迦牟尼佛,出釋氏宮,去伽耶城不遠,坐於道場,得阿耨多羅三藐三菩提。』然,善男子!我實成佛已來無量無邊百千萬億那由他劫。譬如五百千萬億那由他阿僧祇三千大千世界,假使有人末為微塵,過於東方五百千萬億那由他阿僧祇國乃下一塵,如是東行,盡是微塵。諸善男子!於意云何?是諸世界,可得思惟校計知其數不?」
爾の時世尊諸の菩薩の三請止まざるを知りて、而も之に告げて言へらく、「汝等諦に聽け、如來の祕密の神通の力を。一切世間の天・人及び阿修羅、皆謂へらく、『今釋迦牟尼佛、釋氏の宮を出でて、伽耶城に去ること遠からず、道場に坐して、無上正等正覺を得たり』と。然れども、善男子!我實に佛と成り已來無量無邊百千萬億那由他劫なり。譬へば五百萬億那由他阿僧祇の三千大千世界、假使有人末して微塵と爲し、東方五百萬億那由他阿僧祇の國を過して纔かに一塵を下し、是の如く東行して、盡く是れ微塵なり。諸の善男子!汝が意に於て云何。是の世界、思惟校計して其の數を知るを得べきや」と。
彌勒菩薩等俱白佛言:「世尊!是諸世界,無量無邊,非算數所知,亦非心力所及;一切聲聞、辟支佛,以無漏智,不能思惟知其限數;我等住阿惟越致地,於是事中亦所不達。世尊!如是諸世界,無量無邊。」
彌勒菩薩等俱に佛に白して言へらく、「世尊!是の世界、無量無邊にして、算數の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。一切の聲聞・辟支佛、無漏の智を以てするも、思惟して其の限數を知ること能はず。我等阿惟越致の地に住するも、此の事の中にも亦達せざる所なり。世尊!是の如き諸の世界、無量無邊なり」と。
爾時佛告大菩薩眾:「諸善男子!今當分明宣語汝等。是諸世界,若著微塵及不著者盡以為塵,一塵一劫,我成佛已來,復過於此百千萬億那由他阿僧祇劫。自從是來,我常在此娑婆世界說法教化,亦於餘處百千萬億那由他阿僧祇國導利眾生。
爾の時佛大菩薩の衆に告げて曰く、「諸の善男子!今當に分明に汝等に宣語すべし。是の世界、若し微塵を著けたる及び著けざるを盡く以て塵と爲して、一塵一劫とすれば、我佛と成り已來、復た此に過ぎたり百千萬億那由他阿僧祇劫。自是れ來りて、我常に此の娑婆世界に在りて法を說きて教化して、亦餘の處に於て百千萬億那由他阿僧祇の國に於て衆生を導利せり。
「諸善男子!於是中間,我說燃燈佛等,又復言其入於涅槃,如是皆以方便分別。
「諸の善男子!是の中間に於て、我燃燈佛等を說きて、又復た其の涅槃に入るを言ふ、是の如く皆方便を以て分別せり。
「諸善男子!若有眾生來至我所,我以佛眼,觀其信等諸根利鈍,隨所應度,處處自說,名字不同、年紀大小,亦復現言當入涅槃,又以種種方便說微妙法,能令眾生發歡喜心。
「諸の善男子!若し衆生有りて來りて我が所に至れば、我佛眼を以て、其の信等の諸根の利鈍を觀て、應に度べき所に隨ひて、處、處自ら說きて、名字同じからず、年紀大小、亦復た現じて當に涅槃に入らんと言ひて、又以て種種の方便微妙の法を說きて、能く衆生をして歡喜の心を發せしめたり。
「諸善男子!如來見諸眾生樂於小法、德薄垢重者,為是人說:『我少出家,得阿耨多羅三藐三菩提。』然我實成佛已來久遠若斯,但以方便,教化眾生,令入佛道,作如是說。
「諸の善男子!如來諸の衆生の小法を樂ふ・德薄く垢重きを見て、此の人の爲に說く、『我少くして家を出でて、無上正等正覺を得たり』と。然れども我實に佛と成り已來久遠此の若し、但だ方便を以て、衆生を教化して、佛道に入らしめて、是の如き說を作すなり。
「諸善男子!如來所演經典,皆為度脫眾生,或說己身、或說他身,或示己身、或示他身,或示己事、或示他事,諸所言說,皆實不虛。所以者何?如來如實知見三界之相,無有生死、若退若出,亦無在世及滅度者,非實非虛,非如非異,不如三界見於三界,如斯之事,如來明見,無有錯謬。以諸眾生有種種性、種種欲、種種行、種種憶想分別故,欲令生諸善根,以若干因緣、譬喻、言辭種種說法,所作佛事,未曾暫廢。如是,我成佛已來,甚大久遠,壽命無量阿僧祇劫,常住不滅。
「諸の善男子!如來の演ぶる所の經典、皆衆生を度脱する爲にして、或は己身を說き、或は他身を說き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示し、諸の言說する所、皆實にして虛ならず。何以故。如來實の如く三界の相を知見して、生死有ること無く、若しくは退し若しくは出づるも無く、亦世に在る及び滅度する者も無く、實にも非ず虛にも非ず、如くにも非ず異なるにも非ず、三界に於て三界を見るが如くならず、此の如きの事、如來明らかに見て、錯謬有ること無し。諸の衆生に種種の性・種種の欲・種種の行・種種の憶想分別有るを以ての故に、諸の善根を生ぜしめんと欲して、若干の因緣・譬喻・言辭を以て種種に法を說きて、作す所の佛事、曾て暫しも廢せず。是の如く、我佛と成り已來、甚だ大いに久遠にして、壽命無量阿僧祇劫、常住して滅せず。
「諸善男子!我本行菩薩道所成壽命,今猶未盡,復倍上數。然今非實滅度,而便唱言:『當取滅度。』如來以是方便,教化眾生。所以者何?若佛久住於世,薄德之人,不種善根,貧窮下賤,貪著五欲,入於憶想妄見網中。若見如來常在不滅,便起憍恣而懷厭怠,不能生難遭之想、恭敬之心。是故如來以方便說:『比丘當知!諸佛出世,難可值遇。』所以者何?諸薄德人,過無量百千萬億劫,或有見佛,或不見者,以此事故,我作是言:『諸比丘!如來難可得見。』斯眾生等聞如是語,必當生於難遭之想,心懷戀慕,渴仰於佛,便種善根。是故如來雖不實滅,而言滅度。
「諸の善男子!我本に菩薩道を行じて成ぜる所の壽命、今未だ盡きず、復た上の數に倍せり。然れども今今實に滅度に非ずして、而も便ち唱へて言ふ、『當に滅度を取らん』と。如來此の方便を以て、衆生を教化す。何以故。若し佛久しく世に住せば、薄德の人、善根を種ずして、貧窮下賤にして、五欲を貪着して、憶想妄見の網の中に入らん。若し如來の常在して滅せざるを見れば、便ち驕恣を起して而も厭怠を懷きて、難遭の想・恭敬の心を生ずること能はざらん。是の故に如來方便を以て說く、『比丘當に知るべし!諸佛の出世、難くして遇ひ難し』と。何以故。諸の薄德の人、無量百千萬億劫を過して、或は佛を見、或は見ざる者、此の事を以ての故に、我此の言を作す、『諸の比丘!如來見るを得難し』と。是の衆生等是の如き語を聞きて、必ず當に難遭の想を生じて、心戀慕を懷きて、佛に渴仰して、便ち善根を種らん。是の故に如來雖實に滅せざれども、而も滅度と言ふ。
「又,善男子!諸佛如來,法皆如是,為度眾生,皆實不虛。譬如良醫,智慧聰達,明練方藥,善治眾病。其人多諸子息——若十、二十乃至百數,以有事緣,遠至餘國。諸子於後,飲他毒藥,藥發悶亂,宛轉於地。是時其父還來歸家,諸子飲毒,或失本心、或不失者,遙見其父,皆大歡喜,拜跪問訊:『善安隱歸。我等愚痴,誤服毒藥,願見救療,更賜壽命。』父見子等苦惱如是,依諸經方,求好藥草,色香美味皆悉具足,擣篩和合與子令服,而作是言:『此大良藥,色香美味皆悉具足,汝等可服,速除苦惱,無復眾患。』其諸子中不失心者,見此良藥、色香俱好,即便服之,病盡除愈。餘失心者,見其父來,雖亦歡喜問訊,求索治病,然與其藥而不肯服。所以者何?毒氣深入,失本心故,於此好色香藥而謂不美。父作是念:『此子可愍,為毒所中,心皆顛倒。雖見我喜,求索救療;如是好藥而不肯服。我今當設方便,令服此藥。』即作是言:『汝等當知!我今衰老,死時已至,是好良藥,今留在此,汝可取服,勿憂不差。』作是教已,復至他國,遣使還告:『汝父已死。』是時諸子聞父背喪,心大憂惱而作是念:『若父在者,慈愍我等,能見救護,今者捨我遠喪他國。』自惟孤露,無復恃怙,常懷悲感,心遂醒悟,乃知此藥色味香美,即取服之,毒病皆愈。其父聞子悉已得差,尋便來歸,鹹使見之。
「又、善男子!諸佛如來、法皆爾なり、衆生を度する爲に、皆實にして虛ならず。譬へば良醫、智慧聰達にして、方藥を明練して、善く衆病を治す。其の人諸の子息多く——若し十・二十乃至百數——事の緣有るを以て、遠く餘國に至る。諸の子後に於て、他の毒藥を飮みて、藥發して悶亂して、地に宛轉す。是の時其の父還りて家に歸る、諸の子毒を飮みて、或は本心を失ひ、或は失はざる者、遙かに其の父を見て、皆大いに歡喜して、拜跪問訊す、『善く安穩に歸り給へり。我等愚痴にして、誤りて毒藥を服せり、願はくは救療を見て、更に壽命を賜はれ』と。父子等の苦惱是の如くなるを見て、諸の經方に依りて、好藥草を求めて、色・香・美味皆悉く具足して、擣篩して和合して子に與へて服せしめて、而も此の言を作さく、『此の大きなる良藥、色・香・美味皆悉く具足せり、汝等服すべし、速やかに苦惱を除きて、復た衆患無からん』と。其の諸の子の中の心を失はざる、此の良藥・色香俱に好きを見て、即便ち之を服して、病盡く除愈せり。餘の心を失へる、其の父の來るを見て、雖亦歡喜して問訊して、病を治すを求索すと雖も、然れども其の藥を與へられて而も服せんと肯ふざりき。何以故。毒氣深く入りて、本心を失へるが故に、此の好色香藥に於て而も美ならずと謂ふ。父此の念を作さく、『此の子愍むべし、毒の中る所と爲りて、心皆顛倒せり。我を見て喜ぶと雖も、救療を求索せども、是の如き好藥を而も服せんと肯ふざるなり。我今當に方便を設けて、此の藥を服せしめん』と。即ち此の言を作さく、『汝等當に知るべし!我今衰老して、死の時已に至れり、是れ好良藥、今此に留め置く、汝取りて服すべし、愈えざらんを憂ふる勿れ』と。此の教を作し已りて、復た他國に至りて、使を遣はして還りて告げしむ、『汝の父已に死せり』と。是の時諸子父の背喪を聞きて、心大いに憂惱して而も此の念を作さく、『若し父在らば、慈愍して我等を、救護を見る能くせしなり、今者我を舍てて遠く他國に喪す』と。自ら孤露にして、復た恃怙無しと惟ひて、常に悲感を懷きて、心遂に醒悟して、乃ち此の藥の色・味・香美なるを知りて、即ち取りて之を服して、毒の病皆愈えり。其の父子の悉く已に愈えたるを聞きて、尋ねて便ち來り歸りて、咸く之を見せしめたり。
「諸善男子!於意云何?頗有人能說此良醫虛妄罪不?」
「諸の善男子!汝が意に於て云何。頗む人有りて能く此の良醫を虛妄の罪と說かんや」と。
「不也,世尊!」
「不なり、世尊!」
佛言:「我亦如是,成佛已來、無量無邊百千萬億那由他阿僧祇劫,為眾生故,以方便力、言當滅度,亦無有能如法說我虛妄過者。」
佛言へらく、「我亦復た是の如し、佛と成り已來、無量無邊百千萬億那由他阿僧祇劫、衆生の故の爲に、方便の力を以て、當に滅度せんと言ふ、亦法の如く我を虛妄の過と說く能くする有ること無し」と。
爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
爾の時世尊、欲りて重ねて此の義を宣べて、偈を說きて曰く、
「自我得佛來,所經諸劫數,
「自我が佛を得て來りて、經る所の諸の劫數、
無量百千萬,億載阿僧祇,
無量百千萬、億載阿僧祇、
常說法教化,無數億眾生,
常に法を說きて教化す、無數億の衆生を、
令入於佛道。爾來無量劫,
佛道に入らしめんと。爾より來りて無量劫、
為度眾生故,方便現涅槃,
衆生を度する故の爲に、方便に涅槃を現ず、
而實不滅度,常住此說法。
而も實に滅度せず、常に此に住して法を說く。
我常住於此,以諸神通力,
我常に此に住して、諸の神通力を以て、
令顛倒眾生,雖近而不見。
顛倒の衆生をして、近しと雖も見ざらしめり。
眾見我滅度,廣供養舍利,
衆我が滅度を見て、廣く舍利を供養して、
鹹皆懷戀慕,而生渴仰心。
咸く皆戀慕を懷きて、而も渴仰の心を生ぜり。
眾生既信伏,質直意柔軟,
衆生既に信伏して、質直にして意柔軟にして、
一心欲見佛,不自惜身命。
一心に佛を見んと欲して、自ら身命を惜しまざれり。
時我及眾僧,俱出靈鷲山,
時に我及び衆僧、俱に靈鷲山に出でて、
我時語眾生:『常在此不滅,
我時に衆生に語る、『常に此に在りて滅せず、
以方便力故,現有滅不滅。』
方便の力なるが故に、現に滅する有りて滅せざる有り』と。
餘國有眾生,恭敬信樂者,
餘國に衆生有りて、恭敬して信樂する者に、
