说苑 · 第10巻
道微而明,淡而有功。非道而得,非時而生,是謂妄成。得而失之,定而復傾。
道は細微にして卻って顯明し、淡泊にして卻って功效有り。道に非ずして卻って得る、時に非ずして卻って生成するは、これを妄成と曰う。得てまた失い、安定してまた傾覆す。
福者禍之門也。是者非之尊也。治者亂之先也。事無終始而患不及者,未之聞也。
福は禍の門なり。是は非の尊奉する所なり。治は亂の先導なり。事情に終始なきにして患難の到らざるは、聞いたことなし。
枝無忘其根,德無忘其報,見利必念害身,故君子留精神,寄心於三者,吉祥及子孫矣。
樹枝は其の根を忘記せず、徳有るは報答を忘記せず、利を見れば必ず自身を傷害するを念及す。ゆえに君子は精神をこの三件事の上に留め、心をこの三件事の上に寄托せば、吉祥は即ち子孫に延及せん。
兩高不可重,兩大不可容,兩勢不可同,兩貴不可雙;夫重容同雙,必爭其功,故君子節嗜慾,各守其足,乃能長久。夫節慾而聽諫,敬賢而勿慢,使能而勿賤;為人君能行此三者,其國必強大而民不去散矣。
兩個の高は重疊すべからず、兩個の大は兼容すべからず、兩種の勢は一同すべからず、兩個の貴は成雙すべからず。重疊・兼容・一同・成雙せば、必ずあの功勞を争奪せん。ゆえに君子は嗜欲を節制し、各々自らの滿足を守住して、乃ち能く長久す。欲望を節制して進諫を聽從し、賢人を敬重して怠慢せず、才能有るを使用して賤待せず。人君を為りて能くこの三樣を實行せば、其の國は必ず強大にして民は離散せず。
默無過言,愨無過事;木馬不能行,亦不費食;騏驥日馳千里,鞭棰不去其背!
沉默すれば即ち錯えた話なく、誠實なれば即ち錯えた事なし。木馬は能く走らざるも、また食料を費さず。騏驥は每日千里を奔馳す。鞭子棰杖は其の背を離れず!
寸而度之,至丈必差;銖而稱之,至石必過;石稱丈量,徑而寡失;簡絲數米,煩而不察。故大較易為智,曲辯難為慧。
一寸一寸に量りて、丈に至れば必ず差錯有り。一銖一銖に稱りて、石に至れば必ず超過す。石を以て稱り丈を以て量るは、直接にして失誤少なし。一根の絲を數え一粒の米を數うるは、煩瑣にして明白を看ず。ゆえに大のは以て智を成すに較易く、曲折の辯は以て慧を成すに難し。
吞舟之魚,蕩而失水,制於螻蟻者,離其居也;猿猴失木,禽於狐貉者,非其處也。騰蛇遊霧而生,騰龍乘雲而舉,猿得木而挺,魚得水而騖,處地宜也。
能く船を吞む魚は、動盪して水を離れば、螻蟻に制服せらる。是れ其の居處を離れたるなり。猿猴は樹木を離れば、狐貉に擒住せらる。是れ其の處るべき地方に在らざるなり。騰蛇は霧に乘じて生存し、騰龍は雲に乘じて升起し、猿は樹木を得れば即ち伸展し、魚は水を得れば即ち奔馳す。是れ處の地勢の適宜なり。
君子博學,患其不習;既習之,患其不能行之;既能行之,患其不能以讓也。
君子は廣博に學習し、自らの温習せざるを憂慮す。已に温習せれば、自らの能く實行せざるを憂慮す。已に能く實行せれば、自らの能くこれにより謙讓せざるを憂慮す。
君子不羞學,不羞問。問訊者知之本,念慮者知之道也。此言貴因人知而加知之,不貴獨自用其知而知之。
君子は學習を以て羞と為さず、請問を以て羞と為さず。問訊は知の根本、念慮は知の道路なり。これは説く、他人の已に知るを藉りて再び知るを加以するを看重し、獨自して自らの知を以て知るを看重せざるなり。
天地之道:極則反,滿則損。五采曜眼有時而渝,茂木豐草有時而落。物有盛衰,安得自若。
天地の道:極に至れば即ち返回し、滿なれば即ち減損す。五彩の耀眼は時に變有り、茂盛の樹木豐美の草は時に落有り。物に盛有り衰有り。どうして自ら總えてこの如からん。
民苦則不仁,勞則詐生,安平則教,危則謀,極則反,滿則損,故君子弗滿弗極也。
民は困苦すれば即ち不仁となり、勞苦すれば即ち欺詐を生出す。安定太平なれば即ち教化を接受し、危險なれば即ち謀劃を生出し、極に至れば即ち返回し、滿なれば即ち減損す。ゆえに君子は自らをして滿せしめず、自らをして極に至らしめず。
卷十七雜言
巻十七 雜言
賢人君子者,通乎盛衰之時,明乎成敗之端,察乎治亂之紀,審乎人情。知所去就,故雖窮不處亡國之勢,雖貧不受汙君之祿;是以太公七十而不自達,孫叔敖三去相而不自悔;何則?不強合非其人也。太公一合於周而侯七百歲,孫叔敖一合於楚而封十世;大夫種存亡越而霸,句踐賜死於前;李斯積功於秦,而卒被五刑。盡忠憂君,危身安國,其功一也;或以封侯而不絕,或以賜死而被刑;所慕所由異也。故箕子去國而佯狂,范蠡去越而易名,智過去君弟而更姓,皆見遠識微,而仁能去富勢,以避萌生之禍者也。夫暴亂之君,孰能離縶以役其身,而與於患乎哉?故賢者非畏死避害而已也,為殺身無益而明主之暴也。比干死紂而不能正其行,子胥死吳而不能存其國;二子者強諫而死,適足明主之暴耳,未始有益如秋毫之端也。是以賢人閉其智,塞其能,待得其人然後合;故言無不聽,行無見疑,君臣兩與,終身無患。今非得其時,又無其人,直私意不能已,閔世之亂,憂主之危;以無貲之身,涉蔽塞之路;經乎讒人之前,造無量之主,犯不測之罪;傷其天性,豈不惑哉?故文信侯、李斯,天下所謂賢也,為國計揣微射隱,所謂無過策也;戰勝攻取,所謂無強敵也。積功甚大,勢利甚高。賢人不用,讒人用事,自知不用,其仁不能去;制敵積功,不失秋毫;避患去害,不見丘山。積其所欲,以至其所惡,豈不為勢利惑哉?詩云:“人知其一,莫知其它。”此之謂也。
賢人君子は、盛衰の時運を通曉し、成敗の端緒を明白し、治亂の綱紀を察見し、人情を審度し、該當離開し該當趨就するを知れり。ゆえにたとえ窮困するも亡國の情勢の裏に處らず、たとえ貧窮するも汚穢の君の禄を接受せず。これにより太公は七十歲にしてなお自ら顯達を求めず、孫叔敖は三次相位を離開して自ら后悔せず。何故か。あの種の人に非ざる人と聚合するを強求せざるなり。太公は一旦にして周と聚合すれば即ち侯を封ぜられて七百年、孫叔敖は一旦にして楚と聚合すれば即ち封賞十世なり。大夫種は将亡の越を保存して霸業を成就せりも、句踐は卻って彼を面前に賜死せり。李斯は秦に於て功を積みて、終に五刑を受けたり。忠心を竭盡して君を憂念し、自身は危險にして國家を安定す。彼らの功は一樣なり。あるいは侯を封ぜられて絕えず、あるいは賜死せられて刑を受く。所仰慕・所經由の同じからざるなり。ゆえに箕子は國を離れて瘋狂を假裝し、范蠡は越を離れて姓名を改換し、智過は君の府第を離れて姓氏を更改せり。皆遠くを看て微兆を識りて、仁は能く富と勢を離れ、以て剛ぎ萌生する禍を避開���り。あの暴亂の君は、誰か能く束縛を解開して往きて彼に役使するに自身を供して、卻って患難に參与せんや。ゆえに賢者はただ死を畏れ害を避くるのみにあらず。是れ殺せられて自身に益處なく、卻って主の殘暴を顯明せしむるを以てす。比干は紂のために死して能く其の行爲を端正せず、子胥は呉のために死して能くあの國を保存せず。この兩個の人は強行して進諫して死せり。恰好に主の殘暴を顯明するに足るのみ、未だ秋毫の末の如き益處有らず。これにより賢人は其の智を關閉し、其の能を堵塞し、等到してあの種の人を得て然る後に乃ち聚合す。ゆえに話は聽かれざるなく、行爲は懷疑せられざるなく、君臣は兩邊皆給與し、終身に患なし。いま既に時を得ず、またあの種の人なく、ただ私意の能く停止せざるのみ、世道の亂を憫念し、主の危を憂慮す。資財の恃むべきなき身子を拿りて、蒙蔽堵塞せらる路に走上り、讒人の面前を經過し、限量すべからざる主の處に到り、測度すべからざる罪に觸犯す。自らの天性を傷害す。豈に迷惑ならずんばあらんや。ゆえに文信侯・李斯は、天下の所説の賢なり。國家のために謀劃し、細微を揣度し、隱蔽に射中するは、所説錯誤なきの計策なり。戰勝攻取するは、所説強敵なきなり。積功は甚だ大にして、勢利は甚だ高し。賢人は用いられず、讒人は事を用い、自ら用いられざるを知るに、其の仁は卻って能く離れず。敵人を制服し功勞を積累するに、秋毫を漏らさず。患難を避開し禍害を除去するに、卻って丘山を見ず。彼の欲する所を積累して、彼の厭惡する所に以致れり。豈に勢利に迷惑せられたるに非ずんばあらんや。『詩経』に曰く「人は其中の一件を知りて、其他を知らず。」これを言う。
子石登吳山而四望,喟然而嘆息曰:“嗚呼悲哉!世有明於事情,不合於人心者;有合於人心,不明於事情者。”弟子問曰:“何謂也?”子石曰:“昔者吳王夫差不聽伍子胥,盡忠極諫,抉目而辜;太宰嚭、公孫雒,偷合苟容,以順夫差之志而伐吳。二子沈身江湖,頭懸越旗。昔者費仲、惡來革、長鼻決耳,崇侯虎順紂之心,欲以合於意,武王伐紂、四子身死牧之野,頭足異所,比干盡忠剖心而死。今欲明事情,恐有抉目剖心之禍,欲合人心,恐有頭足異所之患。由是觀之,君子道狹耳。誠不逢其明主,狹道之中,又將危險閉塞,無可從出者。”
子石は呉山に登りて四面を眺望し、喟然として嘆息して曰く「唉、可悲かな!世上に事情を明白して、卻って人心に合わざる有り。人心に合して、卻って事情を明白せざる有り。」弟子は問うた「何の意思か。」子石は曰く「昔、呉王夫差は伍子胥の忠心を竭盡して極力進諫するを聽かず、眼を挖出して屍を陳じて衆に示せり。太宰嚭・公孫雒は苟且に迎合して容身を求め、以て夫差の心意に順從するに、卻って呉をして伐たれしめたり。この兩個の人は身體は江湖に沈み、頭は越の旗の上に懸挂せり。昔、費仲・惡來革・長鼻決耳・崇侯虎は紂の心に順從し、以て彼の意に合わんと欲せり。武王は紂を伐ち、四人は身を牧野に死し、頭と脚は一處に在らず。比干は忠心を竭盡して心を剖かれて死せり。いま事情を明白せんと欲せば、眼を挖き心を剖くの禍有るを怕る。人心に合せんと欲せば、頭と脚が異處するの患有るを怕る。これを以て看れば、君子の路は狹窄かな。もし真に明主に遇上せざれば、狹窄の路の當中に於て、また将に危險閉塞にして、あそこより出づる以て可なる無し。」
祁射子見秦惠王,惠王說之,於是唐姑讒之,復見,惠王懷怒以待之。非其說異也,所聽者易也。故以徵為羽,非弦之罪也;以甘為苦,限味之過也。
祁射子は秦惠王に見え、惠王は彼を喜歡せり。そこで唐姑は讒言を進め、再び往きて見えれば、惠王は怒を懷きて彼を等待せり。彼の説くの同じからざるにあらず。是れ聽く人の改變せるなり。ゆえに徵を以て羽と當るは、弦の罪にあらず。甘を以て苦と當るは、口味の過錯なり。
彌子瑕愛於衛君,衛國之法:竊駕君車罪刖。彌子瑕之母疾,人聞,夜往告之。彌子瑕擅駕君車而出,君聞之,賢之曰:“孝哉!為母之故犯刖罪哉!”君遊果園,彌子瑕食桃而甘,不盡而奉君,君曰:“愛我而忘其口味。”及彌子瑕色衰而愛弛,得罪於君,君曰:“是故嘗矯吾車,又嘗食我以餘桃。”故子瑕之行未必變初也,前見賢后獲罪者,愛憎之生變也。
彌子瑕は衛君に寵愛せらる。衛國の法:君の車子を偷駕するは罪は脚を砍る。彌子瑕の母親は病せり。人有りてこれを聞き、夜に往きて彼に告げたり。彌子瑕は擅自に君の車子を駕りて出でたり。君はこれを聞きて、彼を以て賢と為して曰く「孝なるかな!母親の緣故のために脚を砍る罪を觸犯す!」君は果園に於て游玩せり。彌子瑕は桃を喫して甜を覺え、喫盡さずして君に献上せり。君は曰く「我を愛して自らの嘴裏の味道を忘れり。」等到して彌子瑕は容色は衰退し寵愛は鬆弛し、君の處に於て罪を獲て、君は曰く「この人は從前かつて命令を假傳して我が車子を用い、またかつて喫剩の桃を我に與えて喫わしめたり。」ゆえに子瑕の行爲は未だ必ずしも當初と同じからざるなり。先前は賢と認められ後來は罪を獲るは、愛憎の變化發生するなり。
舜耕之時不能利其鄰人,及為天子,天下戴之。故君子窮則善其身,達則利於天下。
舜は耕種するの時は能く其の鄰人に利を與えず。等到して天子を為れば、天下は彼を擁戴せり。ゆえに君子は窮困すれば即ち自身を完善し、顯達すれば即ち天下に利有り。
孔子曰:“自季孫之賜我千鍾而友益親,自南宮項叔之乘我車也,而道加行。故道有時而後重,有勢而後行,微夫二子之賜,丘之道幾於廢也。”
孔子は曰く「季孫が我に千鍾を賜いてより、朋友は更に親近せり。南宮項叔が我をして彼の車に乘らしめてより、道は更に以て實行せらるを得たり。ゆえに道は時有りて然る後に看重せられ、勢有りて然る後に能く實行せらる。この兩個の人の賜與なからば、丘の道はほぼ廢せんとしたり。」
太公田不足以償種,漁不足以償網,治天下有餘智。文公種米,曾子架羊,孫叔敖相楚,三年不知軛在衡後,務大者固忘小。智伯廚人亡炙●而知之,韓魏反而不知;邯鄲、子陽園人亡桃而知之,其亡也不知。務小者亦忘大也。”
太公は田を種るも種子を償還するに足らず、魚を打つも漁網を償還するに足らず。天下を治理するは卻って智に餘有り。文公は米を種り、曾子は羊を駕り、孫叔敖は楚相を爲せり。三年にして軛が衡の後面に在るを知らず。大に從事するは本來即ち小を忘記す。智伯の廚人は烤肉を丟掉して卻って知り、韓・魏の反叛は卻って知らず。邯鄲の子陽は、園丁の桃を丟掉して卻って知り、自らの将亡せんとするを卻って知らず。小に從事するもまた大を忘記す。
淳于髡謂孟子曰:“先名實者,為人者也;後名實者,自為者也。夫子在三卿之中,名實未加上下而去之,仁者固如此乎?”孟子曰:“居下位,不以賢事不肖者,伯夷也;五就湯,五就桀者,伊尹也;不惡汙君,不辭小官者,柳下惠也。三子者不同道,其趣一也。一者何也?曰仁也。君子亦仁而已,何必同?”曰:“魯穆公之時,公儀子為政,子思、子庚為臣,魯之削也滋甚。若是乎賢者之無益於國也。”曰:“虞不用百里奚而亡,秦穆公用之而霸,故不用賢則亡,削何可得也。”曰:“昔者王豹處於淇,而河西善謳;綿駒處於高唐,而齊右善歌。華舟杞梁之妻,善哭其夫而變國俗。有諸內必形於外;為其事,無其功,髡未睹也。是故無賢者也,有則髡必識之矣。”曰:“孔子為魯司寇而不用,從祭膰肉不至,不脫冕而行;其不善者以為為肉也,其善者以為為禮也。乃孔子欲以微罪行,不欲為苟去,故君子之所為,眾人固不得識也。”
淳于髠は孟子に對して曰く「名實を先に置くは、是れ人のためなり。名實を後に置くは、是れ自らのためなり。夫子は三卿の中に在り、名實は未だ上下に加わらざるに離開せり。仁者は本來この如くか。」孟子は曰く「下位に處りて、賢を以て不肖に事奉せざるは、伯夷なり。五次湯に就き五次桀に就くは、伊尹なり。汚穢の君を厭惡せず小官を推辞せざるは、柳下惠なり。この三個の人は道は同じからざるも、趨向は一個なり。一個は何か。是れ仁なり。君子もまたただ仁のみ、何ぞ必ずしも同じからんや。」曰く「魯穆公の時、公儀子は執政し、子思・子庚は臣を爲せり。魯は削割せられて更に厲し。この如くなれば、賢者は國に對して益處なし。」曰く「虞は百里奚を用いずして滅亡し、秦穆公は彼を用いて稱霸せり。ゆえに賢を用いざれば即ち滅亡す。削割せらるるはどこにまた得るべからんや。」曰く「昔、王豹は淇に住めり。河西は即ち謳歌に善し。綿駒は高唐に住めり。斉の右邊は即ち唱歌に善し。華舟・杞梁の妻子は丈夫を哭するに善くして國俗を改變せり。內裏有るは必ず外面に表現す。あの種の事を爲して卻ってあの種の功なきは、髠は未だ見たことなし。これにより是れ賢者なきなり。有らば髠は必ず彼を認識せり。」曰く「孔子は魯の司寇を爲るも用いられず、祭祀に跟隨して膰肉は到らず。冕を脱がずして走り去れり。あの不善の人は以て肉のためと爲し、あの善の人は以て禮のためと爲す。孔子は輕微の罪を帶びて離開せんと欲し、苟且に離去せんと欲せず。ゆえに君子の爲す所は、衆人は本來能く認識せず。」
梁相死,惠子欲之梁,渡河而遽墮水中,船人救之。船人曰:“子欲何之而遽也?”曰:“梁無相,吾欲往相之。”船人曰:“子居船橶之間而困,無我則子死矣,子何能相梁乎?”惠子曰:“子居艘楫之間則吾不如子;至於安國家,全社稷,子之比我,濛濛如未視之狗耳。”
梁の相が死せり。惠子は梁に往かんと欲し、河を渡る時に匆忙して水の裏に掉墜し、船人は彼を救起せり。船人は曰く「お前はどこに往かんと欲するか、このように匆忙して。」曰く「梁に相なし。我はあそこに往きて相を為らんと欲す。」船人は曰く「お前は船槳の間に處りて即ち困住し、我なからばお前は即ち死せり。お前はどうして能く梁に相を為らん。」惠子は曰く「お前は船只槳楫の間に處れば、我はお前に如かず。國家を安定し社稷を保全するに至りては、お前が我に比すれば、蒙蒙然として未だ眼を睜かざる狗の如きのみ。」
西閭過東渡河中流而溺,船人接而出之,問曰:“今者子欲安之?”西閭過曰:“欲東說諸侯王。”船人掩口而笑曰:“子渡河中流而溺,不能自救,安能說諸侯乎?”西閭過曰:“無以子之所能相為傷也。子獨不聞和氏之璧乎?價重千金,然以之間紡,曾不如瓦磚;隨侯之珠,國寶也,然用之彈,曾不如泥丸;騏驥騄駬,倚衡負軛而趨,一日千里,此至疾也,然使捕鼠,曾不如百錢之狸;幹將、鏌■拂鐘不錚,試物不知,揚刃離金斬羽契鐵斧,此至利也,然以之補履,曾不如兩錢之錐。今子持楫乘扁舟,處廣水之中,當陽侯之波,而臨淵流,適子之所能耳。若誠與子東說諸侯王,見一國之王,子之濛濛,無異夫未視之狗耳。”
西閭過は東に向かい河を渡り、中流に至りて溺水せり。船人は接きて拉きて出で、問うた「いまお前はどこに往かんと欲するか。」西閭過は曰く「東に向かい諸侯王を游説せんと欲す。」船人は嘴を捂きて笑いて曰く「お前は河を渡りて中流に至れば即ち溺水し、能く自らを救わず。どうして能く諸侯を游説せん。」西閭過は曰く「お前の能くする所を拿りて我が為す所を傷害するなかれ。お前は豈に和氏之璧を聞かざらんや。價値は重くして千金に至るも、しかるにそれを以て線を紡げば、竟に瓦磚に如かず。隨侯之珠は國寶なるも、しかるにそれを以て彈射すれば、竟に泥丸に如かず。騏驥𫘧駬は、衡に倚り軛を負いて奔跑し、一天に千里、これは極快なり。しかるにそれをして鼠を捕えしめば、竟に百錢の狸猫に如かず。干將・鏌鋣は鐘を拂過して錚然と響かず、物を試して知らず。刃を揚げて金子を分け羽毛を斬斷し鐵斧を契開するは、これは極鋒利なり。しかるにそれを以て鞋を補せば、竟に兩錢の錐子に如かず。いまお前は槳を拿りて小船に乘り、廣闊の水中に處り、陽侯の波濤に當りて、深淵の水流に臨面す。これは恰好にお前の能くする所のみ。もし真にお前と東に向かい諸侯王を游説して、一國の王に見えに往かば、お前の蒙蒙然たるは、あの未だ眼を睜かざる狗と同じからざるなし。」
甘戊使於齊,渡大河。船人曰:“河水間耳,君不能自渡,能為王者之說乎?”甘戊曰:“不然,汝不知也。物各有短長,謹願敦厚,可事主不施用兵;騏驥、騄駬,足及千里,置之宮室,使之捕鼠,曾不如小狸;干將為利,名聞天下,匠以治木,不如斤斧。今持楫而上下隨流,吾不如子;說千乘之君,萬乘之主,子亦不如戊矣。”
甘戊は斉に出使し、大河を渡れり。船人は曰く「河水は間隔するのみ。君は能く自ら渡らず、能く王者の游説を為さんや。」甘戊は曰く「この如くあらず。お前は知らず。物は各々短長有り。謹慎老實敦厚は、以て主に事奉すべくして以て打仗するに用いるべからず。騏驥・𫘧駬は、脚力は千里に及ぶも、宮室の裏に放ちてそれをして鼠を捕えしめば、竟に小狸猫に如かず。干將は鋒利にして、名は天下に聞こゆ。匠人はそれを以て木頭を治理するに、斧斤に如かず。いま槳を拿りて上下して水流に隨うは、我はお前に如かず。千乘の君・萬乘の主を游説するは、お前もまた戊に如かず。」
今夫世異則事變,事變則時移,時移則俗易;是以君子先相其土地,而裁其器,觀其俗,而和其風,總眾議而定其教。愚人有學遠射者,參矢而發,已射五步之內,又復參矢而發;世以易矣,不更其儀,譬如愚人之學遠射。目察秋毫之末者,視不能見太山;耳聽清濁之調者,不聞雷霆之聲。何也?唯其意有所移也。百人操觿,不可為固結;千人謗獄,不可為直辭,萬人比非,不可為顯士。
いま世道は同じからざれば則ち事情は變化し、事情が變化すれば則ち時は轉移し、時が轉移すれば則ち習俗は改易す。これにより君子は先にあの土地を察看し、再び器具を裁制し、あの習俗を觀察し、あの風氣を調和し、衆人の議論を總括して教化を確定す。愚人ありて遠射を學びて、箭を手指の間に夾みて發射し、已に五步の內に射て、また再び箭を手指の間に夾みて發射す。世は已に改易するに、卻って儀法を更改せず。猶お愚人の遠射を學ぶが比の如し。眼睛は能く秋毫の末を察見するは、遠望して卻って太山を見る能わず。耳朵は能く清濁の音調を聽くは、卻って雷霆の聲音を聽かず。何故か。ただ其の意念の轉移する所有るを以てす。一百人は繩を解く錐子を拿れども、以て牢固の結を做成すべからず。一千人は獄訟を毁謗すれども、以て正直の言辭を做成すべからず。一萬人は一齊に否定すれども、以て顯達の士を做成すべからず。
麋鹿成群,虎豹避之;飛鳥成列,鷹鷲不擊;眾人成聚,聖人不犯。騰蛇遊於霧露,乘於風雨而行,非千里不止;然則暮托宿於■鱣之穴,所以然者,何也?用心不一也。夫蚯蚓內無筋骨之強,外無爪牙之利;然下飲黃泉,上墾晞土。所以然者,何也?用心一也。聰者耳聞,明者目見,聰明形則仁愛者,廉恥分矣。故非其道而行之,雖勞不至;非其有而求之,雖強不得;智者不為非其事,廉者不求非其有;是以遠容而名章也。詩云:“不忮不求,何用不臧。”此之謂也。
麋鹿は群を成せば、虎豹は彼らを避開す。飛鳥は列を成せば、鷹鷲は襲擊せず。衆人は聚集して群を成せば、聖人は冒犯せず。騰蛇は霧露の中に游び、風雨に乘じて行走し、千里に到らざれば停止せず。しかるに傍晚には鱔鱣の洞穴の裏に寄宿す。以てこの如くするは、何故か。是れ用心が專一ならざるなり。蚯蚓は內裏に筋骨の強なく、外面に爪牙の利なし。卻って下は黃泉を喝り、上は干土を開墾す。以てこの如くするは、何故か。是れ用心が專一なり。聰の人は耳朵に聽かれ、明の人は眼睛に見られ、聰明は顯現すれば則ち仁愛の人は、廉恥は即ち分開せり。ゆえにあの道に非ずして往きて實行すれば、たとえ勞苦するも到る能わず。彼の該當有るに非ずして往きて求むれば、たとえ強求するも得る能わず。智の人は彼の事に非ざるを爲さず、廉の人は彼の該當有るに非ざるを求めず。これにより遠くに容納せられて名声は彰明せり。『詩経』に曰く「忌恨せず貪求せず、何を爲して善ならざらん。」これを言う。
楚昭王召孔子,將使執政而封以書社七百。子西謂楚王曰:“王之臣用兵有如子路者乎?使諸侯有如宰予者乎?長官五官有如子貢者乎?昔文王處酆、武王處鎬之間百乘之地,伐上殺主立為天子,世皆曰聖。王今以孔子之賢而有書社七百里之地,而三子佐之,非楚之利也。”楚王遂止。夫善惡之難分也,聖人獨見疑,而況於賢者乎!是以賢聖罕合,諂諛常興也。故有千歲之亂而無百歲之治,孔子之見疑,豈不痛哉!
楚昭王は孔子を召して、将に彼をして執政せしめ併せて書社七百を以て彼を封ぜんとせり。子西は楚王に對して曰く「王の臣に兵を用いて子路の如き有るか。諸侯に出使して宰予の如き有るか。五官を主管して子貢の如き有るか。昔、文王は酆に處り武王は鎬に處りて、百乘の地に過に過ぎざるも、在上を討伐し君主を殺掉して天子と立てり。世人は皆聖と曰う。王はいま孔子の賢を凭りてまた書社七百里の地有り、再び三子を加えて彼を輔佐すれば、楚の利にあらず。」楚王はそこで停止せり。善惡は分辨し難く、聖人は尚且独り懷疑せらる。いわんや賢者をや!これにより賢聖は少く能く聚合し、諂諛は常常に興起す。ゆえに千年の亂有りて百年の治なし。孔子は懷疑せらる。豈に痛心ならずんばあらんや!
魯哀公問於孔子曰:“有智者壽乎?”孔子曰:“然。人有三死而非命也者,人自取之。夫寢處不時,飲食不節,佚勞過度者,疾共殺之;居下位而上忤其君,嗜慾無厭,而求不止者,刑共殺之;以少犯眾,弱以侮強,忿怒不量力者,兵共殺之。此三者,非命也,人自取之。詩云:‘人而無儀,不死何為?’此之謂也。”
魯哀公は孔子に問うた「智有る人は長壽か。」孔子は曰く「是なり。人に三種の死有りて命にあらず。是れ人の自ら取來するなり。起居に定時なく、飲食に節制なく、安逸勞苦して過度なるは、疾病は一齊に彼を殺す。下位に處りて卻って上に向かい其の君に違逆し、嗜欲に滿足なく、求取して停止せざるは、刑罰は一齊に彼を殺す。少を以て衆を冒犯し、弱を以て強を侮辱し、忿怒して力量を估量せざるは、兵器は一齊に彼を殺す。この三種は命にあらず。是れ人の自ら取來するなり。『詩経』に曰く『人を爲りて儀なからば、死せずして何を爲さん。』これを言う。
孔子遭難陳、蔡之境,絕糧,弟子皆有飢色,孔子歌兩柱之間。子路入見曰:“夫子之歌,禮乎?”孔子不應,曲終而曰:“由,君子好樂為無驕也,小人好樂為無懾也,其誰知之?子不我知而從我者乎?”子路不悅,援幹而舞,三終而出。及至七日,孔子修樂不休,子路慍見曰:“夫子之修樂,時乎?”孔子不應,樂終而曰:“由,昔者齊桓霸心生於莒,句踐霸心生於會稽,晉文霸心生於驪氏,故居不幽,則思不遠,身不約則智不廣,庸知而不遇之。”於是興,明日免於厄。子貢執轡曰:“二三子從夫子而遇此難也,其不可忘也!”孔子曰:“惡是何也?語不云乎?三折肱而成良醫。夫陳、蔡之間,丘之幸也。二三子從丘者皆幸人也。吾聞人君不困不成王,列士不困不成行。昔者湯困於呂,文王困於羑里,秦穆公困於殽,齊桓困於長勺,句踐困於會稽,晉文困於驪氏。夫困之為道,從寒之及暖,暖之及寒也,唯賢者獨知而難言之也。易曰:‘困亨貞,大人吉,無咎。有言不信。’聖人所與人難言信也。”
孔子は陳・蔡の境內に於て難に遭い、糧を斷え、弟子は皆饑色有り。孔子は兩柱の間に於て唱歌せり。子路は進みて見えて曰く「夫子は唱歌す。礼に合するか。」孔子は答應せず、曲子は終了して乃ち曰く「由、君子は樂を喜好するは驕なきを爲すなり。小人は樂を喜好するは懼なきを爲すなり。誰かこれを知る有らん。お前は我を了解せずして我に跟隨するか。」子路は高興せず、盾を拿りて跳舞し、三遍終りて出でたり。等到して第七天に至りて、孔子は樂を修治して停まらず。子路は怒を含みて來りて見えて曰く「夫子は樂を修治す。是れ時か。」孔子は答應せず、樂は終了して乃ち曰く「由、昔、斉桓の霸心は莒より生出し、句踐の霸心は會稽より生出し、晋文の霸心は驪氏より生出せり。ゆえに處境は幽暗ならざれば、思慮は即ち深遠ならず。自身は約束せざれば、智は即ち廣大ならず。どうして遇わざるを知らんや。」そこで振作し、第二天に於て困厄を免れたり。子貢は辔を拉きて曰く「二三子は夫子に跟隨してこの次の難に遇えり。忘記すべからず!」孔子は曰く「唉、これは何の話か。俗語は説かざらんや。三次胳膊を折斷すれば即ち良醫と爲ると。陳・蔡の間は、是れ丘の幸運なり。二三子が丘に跟隨するは皆幸運の人なり。我が聞くに、人君は困らざれば王を成さず、列士は困らざれば行を成さずと。昔、湯は呂に於て困り、文王は羑里に於て困り、秦穆公は殽に於て困り、斉桓は長勺に於て困り、句踐は會稽に於て困り、晋文は驪氏に於て困れり。困は一種の道と爲し、猶お寒より暖に至り暖より寒に至るが如し。ただ賢者のみ独り知るに、卻って説出し難し。『周易』に曰く『困、亨通、正固、大人吉、咎なし。話を説く有りて信ぜられず。』聖人の人に給與するは、是れ説出し難きの信なり。」
孔子困於陳、蔡之間,居環堵之內,席三經之席,七日不食,藜羹不糝,弟子皆有飢色,讀詩書治禮不休。子路進諫曰:“凡人為善者天報以福,為不善者天報以禍。今先生積德行,為善久矣。意者尚有遺行乎?奚居隱也!”孔子曰:“由,來,汝不知。坐,吾語汝。子以夫知者為無不知乎?則王子比干何為剖心而死?以諫者為必聽耶?伍子胥何為抉目於吳東門?子以廉者為必用乎?伯夷、叔齊何為餓死於首陽山之下?子以忠者為必用乎?則鮑莊何為而肉枯?荊公子高終身不顯,鮑焦抱木而立枯,介子推登山焚死。故夫君子博學深謀不遇時者眾矣,豈獨丘哉!賢不肖者才也,為不為者人也,遇不遇者時也,死生者命也;有其才不遇其時,雖才不用,苟遇其時,何難之有!故舜耕歷山而逃於河畔,立為天子則其遇堯也。傅說負壤土、釋板築,而立佐天子,則其遇武丁也。伊尹,有莘氏媵臣也,負鼎俎調五味而佐天子,則其遇成湯也。呂望行年五十賣食於棘津,行年七十屠牛朝歌,行年九十為天子師,則其遇文王也。管夷吾束縛膠目,居檻車中,自車中起為仲父,則其遇齊桓公也。百里奚自賣取五羊皮,伯氏牧羊以為卿大夫,則其遇秦穆公也。沈尹名聞天下,以為令尹,而讓孫叔敖,則其遇楚莊王也。伍子胥前多功,後戮死,非其智益衰也,前遇闔廬,後遇夫差也。夫驥厄罷鹽車,非無驥狀也,夫世莫能知也;使驥得王良、造父,驥無千里之足乎?芝蘭生深林,非為無人而不香。故學者非為通也,為窮而不困也,憂而不衰也,此知禍福之始而心不惑也,聖人之深念獨知獨見。舜亦賢聖矣,南面治天下,唯其遇堯也;使舜居桀紂之世,能自免於刑戮固可也,又何官得治乎?夫桀殺關龍逄而紂殺王子比干,當是時,豈關龍逄無知,而比干無惠哉?此桀紂無道之世然也。故君子疾學修身端行,以須其時也。”
孔子は陳・蔡の間に困れり。環堵の內に住み、三經の席を鋪きて、七天にして飯を食わず。藜菜の湯に米粒なく、弟子は皆饑色有り。詩書を誦讀し禮を修治して停まらず。子路は進前して勸解して曰く「およそ人は善を爲すは天は福を以て報答し、不善を爲すは天は禍を以て報答す。いま先生は徳行を積みて、善を爲すこと久し。ほぼなお遺漏の行爲有るか。何故隱困の裏に處するか!」孔子は曰く「由、過來。お前は知らず。坐れ、我はお前に告げん。お前は以てあの智者は知らざる所なしと爲すか。ならば王子比干は何故心を剖かれて死せりか。以て進諫するは必ず聽かれると爲すか。伍子胥は何故呉の東門に於て眼を挖出せられたりか。お前は以て廉なるは必ず用いられると爲すか。伯夷・叔齊は何故首陽山の下に於て餓死せりか。お前は以て忠なるは必ず用いられると爲すか。ならば鮑莊は何故肌肉は枯干せりか。荊の公子高は終身顯達せず、鮑焦は樹木を抱いて立ちて枯死し、介子推は山に登りて燒死せり。ゆえに君子は廣博に學習し深遠に謀劃するも時に遇わざるは多し。豈にただ丘のみか!賢と不肖は才なり、爲すと爲さざるは人なり、遇上すると遇上せざるは時なり、死と生は命なり。あの樣の才有るにあの樣の時に遇上せざれば、たとえ才有るも用いられず。もしあの樣の時に遇上せば、何の難有らん!ゆえに舜は歷山に於て耕種し、河邊に逃れ、天子と立てられるは是れ堯に遇上せり。傅説は壤土を背負い板筑を放下し、立ちて天子を輔佐するは、是れ武丁に遇上せり。伊尹は有莘氏の陪嫁する臣、鼎俎を背負いて五味を調和して天子を輔佐するは、是れ成湯に遇上せり。呂望は年紀五十にして棘津に於て食物を賣り、年紀七十にして朝歌に於て牛を屠り、年紀九十にして天子の老師を爲るは、是れ文王に遇上せり。管夷吾は捆綁せられ眼を蒙がれ、囚車の裏に住みて、車の中より起ちて仲父を爲るは、是れ斉桓公に遇上せり。百里奚は自ら身を賣りて五張の羊皮を換え、伯氏のために羊を放ちて卿大夫と爲るは、是れ秦穆公に遇上せり。沈尹は名声は天下に傳遍し、本來以て令尹を爲るべく、卻って孫叔敖に讓るは、是れ楚荘王に遇上せり。伍子胥は先前に功勞多く、後來は殺せられたるは、彼の智の更に衰退するにあらず。是れ先前に闔廬に遇上し後來に夫差に遇上せり。騏驥は鹽車に於て困厄疲憊するは、騏驥の形狀なきにあらず。是れ世上に能く認識する無きなり。仮に騏驥が王良・造父を得れば、騏驥は千里の脚力なからんや。芝蘭は深林に生じて、人なきを以て香ならざるなし。ゆえに學習するは顯達を爲すにあらず。是れ窮困して困頓せず、憂慮して衰退せざるを爲すなり。これは禍福の開始を知りて心は迷惑せず、聖人の深遠の思念・獨自知り獨自見るなり。舜もまた賢聖なり。南を面して天下を治理するは、ただ其の堯に遇上せるを以てす。仮に舜が桀紂の世に處せば、能く自ら刑戮を免れる本來即ち以て可なり、またどうして能く官を得て往きて治理せんや。桀は關龍逢を殺掉し紂は王子比干を殺掉せり。正にあの時に當りて、豈に關龍逢は智なく比干は惠なからんや。これは桀紂の無道の世の然らしむるなり。ゆえに君子は學習に急ぎ自身を修養し行爲を端正して、以て其の時を��待す。」
孔子之宋,匡簡子將殺陽虎,孔子似之。甲士以圍孔子之舍,子路怒,奮戟將下鬥。孔子止之,曰:“何仁義之不免俗也?夫詩、書之不習,禮、樂之不修也,是丘之過也。若似陽虎,則非丘之罪也,命也夫。由,歌予和汝。”子路歌,孔子和之,三終而甲罷。
孔子が宋に行ったとき、匡の簡子が陽虎を殺そうとしており、孔子は陽虎に似ていた。武装した兵士が孔子の宿舎を包囲し、子路は怒って戟を奮い立てて降りて闘おうとした。孔子はそれを止めて言った。「なぜ仁義もなお俗を免れないのか。詩・書を習わず、礼・楽を修めないのは丘の過ちである。陽虎に似ていることについては、丘の罪ではなく、命であろう。由よ、お前が歌えば私が和えよう。」子路が歌い、孔子が和え、三度歌い終えると兵士は退いた。
孔子曰:“不觀於高岸,何以知顛墜之患;不臨深淵,何以知沒溺之患;不觀於海上,何以知風波之患。失之者其不在此乎?士慎三者,無累於人。”
孔子は言った。「高い岸を眺めなければ、転落の患をどうして知ろうか。深い淵に臨まなければ、沈み溺れる患をどうして知ろうか。海の上を眺めなければ、風波の患をどうして知ろうか。失う者はまさにこの上にあるのではないか。士はこの三つを慎しめば、人に累を及ぼさない。」
曾子曰:“響不辭聲,鑑不辭形,君子正一而萬物皆成。夫行非為影也,而影隨之;呼非為響也,而響和之。故君子功先成而名隨之。”
曾子は言った。「響きは声を辞さず、鏡は形を辞さない。君子はこの一つを正せば万物は皆成し遂げられる。歩くのは影のためではないが、影はそれに従う。呼ぶのは響きのためではないが、響きはそれに和える。ゆえに君子は功が先に成り、名はそれに従って来る。」
子夏問仲尼曰:“顏淵之為人也,何若?”曰:“回之信,賢於丘也。”曰:“子貢之為人也,何若?”曰:“賜之敏,賢於丘也。”曰:“子路之為人也,何若?”曰:“由之勇,賢於丘也。”曰:“子張之為人也,何若?”曰:“師之莊,賢於丘也。”於是子夏避席而問曰:“然則四者何為事先生?”曰:“坐,吾語汝。回能信而不能反,賜能敏而不能屈,由能勇而不能怯,師能莊而不能同。兼此四子者,丘不為也。夫所謂至聖之士,必見進退之利,屈伸之用者也。”
子夏が仲尼に尋ねた。「顔淵の人となりはどうですか。」曰く、「回の信は丘より賢い。」曰く、「子貢の人となりはどうですか。」曰く、「賜の聡敏は丘より賢い。」曰く、「子路の人となりはどうですか。」曰く、「由の勇は丘より賢い。」曰く、「子張の人となりはどうですか。」曰く、「師の荘重は丘より賢い。」そこで子夏は席を離れて問うた。「ではこの四人はなぜ先生に仕えるのですか。」曰く、「坐りなさい。あなたに告げよう。回は信を能くするが反ることができず、賜は敏を能くするが屈することができず、由は勇を能くするが怯むことができず、師は荘重を能くするが和することができない。この四人を兼ね備えた者は、丘といえども為さない。いわゆる至聖の士とは、必ず進退の利、屈伸の用を見通せる者である。」
東郭子惠問於子貢曰:“夫子之門何其雜也?”子貢曰:“夫隱括之旁多枉木,良醫之門多疾人,砥礪之旁多頑鈍。夫子修道以俟天下,來者不止,是以雜也。詩云:‘苑彼柳斯,鳴蜩●●;有漼者淵,莞葦淠淠。’言大者之旁,無所不容。”
東郭子恵が子貢に尋ねた。「夫子の門下はなぜあのように雑多なのですか。」子貢は言った。「矯正の道具の傍には曲がった木が多く、良医の門前には病人が多く、砥石の傍には頑鈍なものが多い。夫子は道を修めて天下を待つので、来る者が絶えず、ゆえに雑多なのである。《詩経》に『茂盛なるあの柳に、鳴く蝉は嘒嘒と。あの深き淵には、莞葦は淠淠たり』とある。大きなものの傍には、容れられないものはないと言っているのである。」
昔者南瑕子過程太子,太子為烹鯢魚。南瑕子曰:“吾聞君子不食鯢魚。”程太子曰:“乃君子否?子何事焉?”南瑕子曰:“吾聞君子上比所以廣德也,下比所以狹行也,於惡自退之原也。詩云:‘高山仰止,景行行止。’吾豈敢自以為君子哉?志向之而已。孔子曰:‘見賢思齊焉,見不賢而內自省。’”
昔、南瑕子が程太子を訪ねたところ、太子は彼に鯢魚を烹って出した。南瑕子は言った。「君子は鯢魚を食べないと聞いています。」程太子は言った。「あなたは君子なのか。それをどう気にするのか。」南瑕子は言った。「君子は上に比して徳を増し、下に比して行いを収め、悪から自ら退くのが本だと聞いています。《詩経》に『高山は仰ぎ見るべく、大道は行うべし』とあります。私はどうして自ら君子と思うことができましょう。ただ志がそこにあるだけです。孔子は『賢を見ては斉しくなろうと思い、不賢を見ては内に自ら省みる』と言いました。」
孔子觀於呂梁,懸水四十仞,環流九十里,魚鱉不能過,黿鼉不敢居;有一丈夫,方將涉之。孔子使人並崖而止之曰:“此懸水四十仞,圜流九十里,魚鱉不敢過,黿鼉不敢居,意者難可濟也!”丈夫不以錯意,遂渡而出。孔子問:“子巧乎?且有道術乎?所以能入而出者何也?”丈夫曰:“始吾入,先以忠信,吾之出也,又從以忠信;忠信錯吾軀于波流,而吾不敢用私。吾所以能入而復出也。”孔子謂弟子曰:“水而尚可以忠信,義久而身親之,況於人乎?”
孔子が呂梁を眺めていたところ、懸水は四十仞、環流は九十里で、魚や鱉も渡れず、鼋や鼍も住めない。そこに一人の男が渡ろうとしていた。孔子は崖に沿って人を遣わして止めさせて言わせた。「この懸水は四十仞、環流は九十里、魚鱉も敢えて渡らず、鼋鼍も敢えて住まない。渡るのは難しいだろう。」その男は意に介さず、ついに渡って出てきた。孔子が問うた。「あなたは巧みなのか、それとも道術があるのか。入って出られるのはなぜか。」男は言った。「初め私が入るとき、まず忠信をもってしました。出るときもまた忠信に従いました。忠信が私の身体を波流に措き、私は私意を用いることを敢えてしません。これが私が入りまた出られる所以です。」孔子は弟子に言った。「水ですら忠信をもって臨めば、義に長く身を親しませば功がある。まして人に対してはどうか。」
子路盛服而見孔子。孔子曰:“由,是襜襜者何也?昔者江水出於岷山;其始也,大足以濫觴,及至江之津也,不方舟,不避風,不可渡也,非唯下流眾川之多乎?今若衣服甚盛,顏色充盛,天下誰肯加若者哉?”子路趨而出,改服而入,蓋自如也。孔子曰:“由,記之,吾語若:●於言者,華也,奮於行者,伐也。夫色智而有能者,小人也。故君子知之為知之,不知為不知,言之要也;能之為能,不能為不能,行之至也。言要則知,行要則仁;既知且仁,夫有何加矣哉?由,詩曰:‘湯降不遲,聖教日躋’。此之謂也。”
子路が盛装をして孔子に会いに来た。孔子は言った。「由よ、その衣服が襜襜としているのは何のためか。昔、江水は岷山から出て、始めのうちは酒杯を浮かべるほどの大きさしかなかった。江の渡口に至ると、船を並べず風を避けなければ渡れないのは、下流で川が多く集まるからではないか。今お前は衣服が盛んで顔色も充盛している。天下の誰がさらにお前に加えようとするだろうか。」子路は急いで出て衣服を改めて入ってきたが、おおむね自在であった。孔子は言った。「由よ、記しておけ。告げよう。言葉を急ぐ者は浮华であり、事を奮う者は矜誇である。顔に智と才能を現す者は小人である。ゆえに君子は知れば知るとし、知らなければ知らないとする。これが言葉の要領である。能ければ能とし、能けなければ能くないとする。これが事を行う極致である。言葉が要領を得れば智であり、事が要領を得れば仁である。智かつ仁であれば、何を加えようか。由よ、《詩経》に『湯の降り生まるるは遲からず、聖教は日に升る』とある。これを言っているのである。」
子路問孔子曰:“君子亦有憂乎?”孔子曰:“無也。君子之修其行未得,則樂其意;既已得,又樂其知。是以有終生之樂,無一日之憂。小人則不然,其未之得則憂不得,既已得之又恐失之。是以有終身之憂,無一日之樂也。”
子路が孔子に尋ねた。「君子にも憂はありますか。」孔子は言った。「ない。君子はその行いを修めてまだ得なければ、その心意を楽しみ、すでに得ればその知を楽しむ。ゆえに終生の楽があって、一日の憂がない。小人はそうではなく、まだ得なければ得られないことを憂え、すでに得れば失うことを恐れる。ゆえに終身の憂があって、一日の楽がない。」
孔子見榮啟期,衣鹿皮裘,鼓瑟而歌。孔子問曰:“先生何樂也?”對曰:“吾樂甚多。天生萬物唯人為貴,吾既已得為人,是一樂也。人以男為貴,吾既已得為男,是二樂也。人生不免襁褓,吾年已九十五,是三樂也。夫貧者士之常也,死者民之終也,處常待終,當何憂乎?”
孔子は栄啓期を見た。鹿の皮の裘を着て、瑟を弾いて歌っていた。孔子が問うた。「先生は何を楽しんでいるのですか。」答えて曰く、「私が楽しむことは多い。天が万物を生じて人のみ貴い。私はすでに人となることを得た。これが第一の楽である。人は男を貴び、私はすでに男となることを得た。これが第二の楽である。人生は襁褓を免れないが、私は年がすでに九十五である。これが第三の楽である。貧窮は士の常であり、死は民の終わりである。常に処りて終わりを待つ。何を憂えようか。」
曾子曰:“吾聞夫子之三言,未之能行也。夫子見人之一善而忘其百非,是夫子之易事也。夫子見人有善若已有之,是夫子之不爭也。聞善必躬親行之,然後道之,是夫子之能勞也。夫子之能勞也,夫子之不爭也,夫子之易事也,吾學夫子之三言而未能行。”
曾子は言った。「私は夫子の三つの言葉を聞いたが、まだ行うことができない。夫子は人の一つの善を見ればその百のそうでないことを忘れる。これが夫子の事えやすい所以である。夫子は人に善があるのを見て、あたかも自ら有するがごとし。これが夫子の争わない所以である。善を聞けば必ず自ら行って、その後に称える。これが夫子の労苦を能くする所以である。夫子は労苦を能くし、夫子は争わず、夫子は事えやすい。私は夫子のこの三つの言葉を学んだが行うことができない。」
孔子說:“回,若有君子之道四:強於行己,弱於受諫,怵於待祿,慎於持身。”
孔子は言った。「回よ、お前には君子の道が四つある。自らの行いに剛く、諫めを受けるに柔く、禄に処るに怵惕し、身を守るに慎しむ。」
仲尼曰:“史■有君子之道三:不仕而敬上,不祀而敬鬼,直能曲於人。”
仲尼は言った。「史䲡には君子の道が三つある。仕えなくても上を敬い、祭祀しなくても鬼を敬い、正直でありながら人に屈することができる。」
孔子曰:“丘死之後,商也日益,賜也日損;商也好與賢己者處,賜也好說不如己者。”
孔子は言った。「丘が死んだ後、商は日に日に益し、賜は日に日に損するだろう。商は自分より賢い者と交わることを好み、賜は自分に及ばない者に説き回ることを好む。」
孔子將行,無蓋。弟子曰:“子夏有蓋,可以行。”孔子曰:“商之為人也,甚短於財。吾聞與人交者,推其長者,違其短者,故能久長矣。”
孔子が出行しようとしたが、車蓋がなかった。弟子が言った。「子夏が車蓋を持っています。行けます。」孔子は言った。「商の人となりは、財において甚だ乏しい。私は聞く、人と交わるにはその長を推し、その短を避けよ、ゆえに長久しうると。」
子路行,辭於仲尼曰:“敢問新交取親若何?言寡可行若何?長為善士而無犯若何?”仲尼曰:“新交取親,其忠乎!言寡可行,其信乎!長為善士而無犯,其禮乎!”
子路が出行するにあたり、仲尼に辞して言った。「敢えて問います。新しく交わって親しみを得るにはどうすればよいですか。言葉が少なくても行えるにはどうすればよいですか。長く善士であって犯されないにはどうすればよいですか。」仲尼は言った。「新しく交わって親しみを得るのは、おそらく忠であろう。言葉が少なくても行えるのは、おそらく信であろう。長く善士であって犯されないのは、おそらく礼であろう。」
子路將行,辭於仲尼,曰:“贈汝以車乎?以言乎?”子路曰:“請以言!”仲尼曰:“不強不遠,不勞無功,不忠無親,不信無復,不恭無禮。慎此五者,可以長久矣。”
子路が出行しようとして仲尼に辞した。仲尼は言った。「車を贈ろうか、それとも言葉を贈ろうか。」子路は言った。「言葉を贈ってください。」仲尼は言った。「自ら強くしなければ遠くへ行けず、労苦しなければ功がなく、忠でなければ親がなく、信でなければ再び来る者がなく、恭でなければ礼がない。この五つを慎しめば、長久できる。」
曾子從孔子於齊,齊景公以下卿禮聘曾子,曾子固辭,將行,晏子送之,曰:“吾聞君子贈人以財,不若以言。今夫蘭本三年,湛之以鹿醢,既成則易以匹馬,非蘭本美也。願子詳其所湛。既得所湛,亦求所湛。吾聞君子居必擇處,所以求士也;遊必擇士,所以修道也。吾聞反常移性者欲也,故不可不慎也。”
曾子が孔子に従って斉にいたとき、斉景公は下卿の礼で曾子を迎えようとしたが、曾子は固く辞した。去ろうとするとき、晏子が彼を送って言った。「君子は人に財をもって贈るより、言葉をもって贈るに如かないと聞く。今、蘭の根は三年して鹿醢に浸され、すでに成れば馬一頭と換わる。蘭根が本来美しいのではない。どうかその浸されるところを察してほしい。すでに浸すところを得たなら、またその浸すところを求めよ。君子は居るに必ず処を選ぶと聞く、これは士を求めるためである。交遊には必ず士を選ぶ、これは道を修めるためである。常を変え性を移すのは欲望だと聞く。ゆえに慎しまないわけにはいかない。」
孔子曰:“中人之情,有餘則侈,不足則儉,無禁則淫,無度則失,縱慾則敗。飲食有量,衣服有節,宮室有度,畜聚有數,車器有限,以防亂之源也。故夫度量不可不明也,善言不可不聽也。”
孔子は言った。「中の人の性情は、余れば奢り、足らなければ倹し、禁ずるものがなければ淫し、法度がなければ失い、欲望を縦にすれば敗れる。飲食には分量があり、衣服には節制があり、宮室には法度があり、蓄えには数があり、車や器物には限度がある。これで乱の源を防ぐのである。ゆえに度量は明らかにせねばならず、善言は聴かねばならない。」
孔子曰:“巧而好度必工,勇而好同必勝,知而好謀必成;愚者反是,夫處重擅寵,專事妒賢,愚者之情也。志驕傲而輕舊怨,是以尊位則必危,任重則必崩,擅寵則必辱。”
孔子は言った。「巧みで法度を好む者は必ず精工であり、勇で和を好む者は必ず勝ち、智で謀を好む者は必ず成す。愚人はこれと反対である。重要な位に処りて寵を独り占めし、政事を専らにして賢を妬むのは、愚人の性情である。心志が驕って旧怨を軽んずれば、尊位は必ず危うく、責任が重ければ必ず崩れ、寵を独り占めすれば必ず辱められる。」
孔子曰:“鞭撲之子,不從父之教;刑戮之民,不從君之政,言疾之難行。故君子不急斷,不意使,以為亂源。”
孔子は言った。「鞭打たれたことのある子は父の教導に従わず、刑戮を受けたことのある民は君の政令に従わない。これは疾急には行い難いと言っているのである。ゆえに君子は裁断を急がず、役使を恣にしない。これらを乱の源とするのである。」
孔子曰:“終日言不遺己之憂,終日行不遺己之患,唯智者有之。故恐懼所以除患也,恭敬所以越難也;終身為之,一言敗之,可不慎乎!”
孔子は言った。「終日言って自らに憂を遺さず、終日行って自らに患を遺さないのは、ただ智者にこれがある。ゆえに恐懼は患を除くために用い、恭敬は難を越えるために用いる。終身この事を為して、一言でこれを敗る。慎しまないであろうか。」
孔子曰:“以富貴為人下者,何人不與?以富貴敬愛人者,何人不親?眾言不逆,可謂知言矣,眾向之,可謂知時矣。”
孔子は言った。「富貴をもってしながら人の下に処る者に、誰が親しまないだろうか。富貴をもってしながら人を敬愛する者に、誰が親しまないだろうか。衆人の言うことに逆らわなければ、言を知ると称すべきである。衆人が趨くところに従えば、時を知ると称すべきである。」
孔子曰:“夫富而能富人者,欲貧而不可得也;貴而能貴人者,欲賤而不可得也;達而能達人者,欲窮而不可得也。”
孔子は言った。「富んで人を富ませることができる者は、貧しくなろうとしてもできない。貴くて人を貴くすることができる者は、賤しくなろうとしてもできない。顕達して人を顕達させることができる者は、窮しようとしてもできない。」
仲尼曰:“非其地而樹之,不生也,非其人而語之,弗聽也;得其人,如聚沙而雨之,非其人,如聚聾而鼓之。”
仲尼は言った。「その地でないのに種すれば生えず、その人でないのに語れば聴かない。その人を得れば、沙を聚めて雨で潤すがごとし。その人でなければ、聾者を聚めて鼓を撃つがごとし。」
孔子曰:“船非水不可行,水入船中,則其沒也,故曰:君子不可不嚴也,小人不可不閉也!”
孔子は言った。「船は水なしには行けず、水が船中に入れば船は沈む。ゆえに言う、君子は厳しくせねばならず、小人は閉じなければならない。」
孔子曰:“依賢固不困,依富固不窮,馬趼斬而復行者何,以輔足眾也。”
孔子は言った。「賢に依ればもともと困らず、富に依ればもともと窮しない。馬蹄の繭が裂けてもなお行けるのはなぜか。輔く脚が多いからである。」
孔子曰:“不知其子,視其所友;不知其君,視其所使。”又曰:“與善人居,如入蘭芷之室,久而不聞其香,則與之化矣;與惡人居,如入鮑魚之肆,久而不聞其臭,亦與之化矣。故曰:丹之所藏者赤,烏之所藏者黑。君子慎所藏。”
孔子は言った。「その子を知らなければ、その交わる友を見よ。その君を知らなければ、その使役する者を見よ。」また言った。「善き人と居るは、蘭芷の室に入るがごとし。久しくしてその香を聞かざれば、すでにそれと化したのである。悪しき人と居るは、鮑魚の店に入るがごとし。久しくしてその臭を聞かざれば、すでにそれと化したのである。ゆえに言う、丹の蔵する所は赤く、烏の蔵する所は黒い。君子はその蔵する所を慎しむ。」
子貢問曰:“君子見大水必觀焉,何也?”孔子曰:“夫水者,君子比德焉。遍予而無私,似德;所及者生,似仁;其流卑下句倨,皆循其理,似義;淺者流行,深者不測,似智;其赴百仞之谷不疑,似勇;綿弱而微達,似察;受惡不讓,似包蒙;不清以入,鮮潔以出,似善化;至量必平,似正;盈不求概,似度;其萬折必東,似意。是以君子見大水觀焉爾也。”
子貢が問うた。「君子は大水を見れば必ず眺めるのはなぜですか。」孔子は言った。「水は君子が徳に比するものである。遍く与えて私がないのは徳に似ている。至る所で生機あるのは仁に似ている。卑下に流れ、曲がったり直だったりしても皆その理に循うのは義に似ている。浅い流れ、深く測りがたいのは智に似ている。百仞の谷に赴いて猶予しないのは勇に似ている。綿弱でありながら微細に通達するのは明察に似ている。汚穢を受け入れて辞さないのは愚蒙を容れるに似ている。清からずして入り、鮮かにして出るのは教化を善くするに似ている。量器に至れば必ず平らかなのは正に似ている。満ちても概で平らげることを求めないのは法度あるに似ている。万回曲折しても必ず東に向かうのは志あるに似ている。ゆえに君子は大水を見れば眺めるのである。」
“夫智者何以樂水也?”曰:“泉源潰潰,不釋晝夜,其似力者;循理而行,不遺小間,其似持平者;動而之下,其似有禮者;赴千仞之壑而不疑,其似勇者;障防而清,其似知命者;不清以入,鮮潔以出,其似善化者;眾人取平品類以正,萬物得之則生,失之則死,其似有德者;淑淑淵淵,深不可測,其似聖者。通潤天地之間,國家以成,是知之所以樂水也。詩云:‘思樂泮水,薄採其茆;魯侯戾止,在泮飲酒。’樂水之謂也。”“夫仁者何以樂山也?”曰:“夫山巃嵷●嶵,萬民之所觀仰。草木生焉,眾木立焉,飛禽萃焉,走獸休焉,寶藏殖焉,奇夫息焉,育群物而不倦焉,四方並取而不限焉。出雲風通氣於天地之間,國家以成,是仁者所以樂山也。詩曰:‘太山岩巖,魯侯是瞻。’樂山之謂矣。”
「智者はなぜ水を楽しむのか。」曰く、「泉源は滚滚として昼夜止まず、それは力あるに似ている。理に循って行き、小さな隙間も遺さないのは公平を持するに似ている。一動すれば下に向かうのは礼あるに似ている。千仞の壑谷に赴いて猶予しないのは勇あるに似ている。堤防に遮られても清らかなのは命を知るに似ている。清からずして入り、鮮かにして出るのは教化を善くするに似ている。衆人が取って平を求め、品類はこれによりて正しく、万物はこれを得れば生き、失えば死ぬのは徳あるに似ている。清澈にして淵深、深く測るべからず、それは聖なるに似ている。天地の間に通潤し、国家はこれによりて成る。これが智の水を楽しむ所以である。《詩経》に『楽しきかなあの泮水、あの莼を采りに行かん。魯侯が至りて、泮宮に飲まん』とある。水を楽しむことを言っているのである。」「仁者はなぜ山を楽しむのか。」曰く、「山は高大にして嶮峻で、万民の観望する所である。草木はそこに生え、衆木はそこに立ち、飛禽はそこに集い、走獣はそこに休み、宝蔵はそこに殖え、奇人はそこに止まる。群物を養育して倦まず、四方は皆これを取って限度なし。雲風を生じ、天地の間に気を通ず。国家はこれによりて成る。これが仁者の山を楽しむ所以である。《詩経》に『泰山は岩岩として、魯侯これを瞻望す』とある。山を楽しむことを言っているのである。」
玉有六美,君子貴之:望之溫潤,近之栗理,聲近徐而聞遠,折而不撓,闕而不荏,廉而不劌,有瑕必示之於外,是以貴之。望之溫潤者,君子比德焉,近於栗理者,君子比智焉;聲近徐而聞遠者,君子比義焉;折而不撓,闕而不荏者,君子比勇焉;廉而不劌者,君子比仁焉;有瑕必見於外者,君子比情焉。
玉には六つの美があり、君子はこれを貴ぶ。遠く望めば温潤、近づけば文理が緻密、声は近くに徐々にして遠くに聞こえ、折れても曲がらず、欠けても弱まらず、稜角があっても人を割傷せず、瑕あれば必ず外に現れる。ゆえにこれを貴ぶ。遠く望めば温潤なのは君子が徳に比するものである。近づけば文理が緻密なのは智に比するものである。声は近くに徐々にして遠くに聞こえるのは義に比するものである。折れても曲がらず、欠けても弱まらないのは勇に比するものである。稜角があっても人を割傷しないのは仁に比するものである。瑕あれば必ず外に現れるのは情実に比するものである。
