Libo

说苑 · 第12巻

西汉 · 刘向 · 第12巻 / 12

春秋曰:“庚戌天王崩。”傳曰:“天王何以不書葬?天子記崩不記葬,必其時也;諸侯記卒記葬,有天子在,不必其時也。”必其時奈何?天子七日而殯,七月而葬;諸侯五日而殯,五月而葬;大夫三日而殯,三月而葬;士庶人二日而殯,二月而葬。皆何以然?曰,禮不豫凶事,死而後治凶服,衣衰飾,修棺槨,作穿窆宅兆,然後喪文成,外親畢至,葬墳集,孝子忠臣之恩厚備盡矣。故天子七月而葬,同軌畢至;諸侯五月而葬,同會畢至;大夫三月而葬,同朝畢至;士庶人二月而葬,外姻畢至也。

《春秋》に曰く、「庚戌、天王崩ず。」伝記に曰く、「天王は何ぞ葬を記せざるや。天子は崩を記して葬を記せず、必ず其の時に按ず。諸侯は卒を記し葬を記す、天子在りて、必ずしも其の時に按せず。」必ず其の時に按ずるは何如。天子は七日にして殯し、七月にして葬る。諸侯は五日にして殯し、五月にして葬る。大夫は三日にして殯し、三月にして葬る。士庶人は二日にして殯し、二月にして葬る。皆何の故に此の如くや。曰く、礼は凶事を予め辦せず、死して然る後に凶服を治め、衰飾を衣し、棺椁を修治し、墓穴宅兆を開鑿し、然る後に喪の文成る。外親皆至り、葬墳聚集し、孝子忠臣の恩厚は備わり尽く。ゆえに天子は七月にして葬り、同軌の者皆至る。諸侯は五月にして葬り、会同の者皆至る。大夫は三月にして葬り、同朝の者皆至る。士庶人は二月にして葬り、外姻皆至る。

延陵季子適齊,於其反也,其長子死於嬴博之間,因葬焉。孔子聞之,曰:“延陵季子吳之習於禮者也。”使子貢往而觀之,其穿,深不至泉;其斂,以時服;既葬,封壙墳掩坎,其高可隱也;既封,左袒右旋,其封且號者三。言曰:“骨肉歸復於土,命也。若魂氣則無不之也!無不之也!”而遂行。孔子曰:“延陵季子於禮其合矣。”

延陵季子は斉に至り、其の返るとき、其の長子は嬴・博の間に死し、則ち彼に葬る。孔子はこれを聞きて曰く、「延陵季子は呉の礼に習熟する者なり。」子貢を遣わして往き観せしむ。其の掘る所の坑は、深さ泉に及ばず。其の入斂は時の衣服を用る。すでに葬り、壙墳を封じ坎を掩う、其の高さ倚靠すべきあり。すでに封じ終え、左臂を露出して右に旋転し、墳に対して号哭すること三度。曰く、「骨肉は土に帰復す、是れ命なり。魂気に至りては至らざる所なし。至らざる所なし。」則ち行き去れり。孔子は曰く、「延陵季子は礼に於て合なり。」

子生三年,然後免於父母之懷,故制喪三年,所以報父母之恩也。期年之喪通乎諸侯,三年之喪通乎天子,禮之經也。子夏三年之喪畢,見於孔子,孔子與之琴,使之弦,援琴而弦,衎衎而樂作,而曰:“先生制禮不敢不及也。”孔子曰:“君子也。”閔子騫三年之喪畢,見於孔子,孔子與之琴,使之弦,援琴而弦,切切而悲作,而曰:“先生制禮不敢過也。”孔子曰:“君子也。”子貢問曰:“閔子哀不盡,子曰君子也;子夏哀已盡,子曰君子也。賜也惑,敢問何謂?”孔子曰:“閔子哀未盡,能斷之以禮,故曰君子也;子夏哀已盡,能引而致之,故曰君子也。夫三年之喪,固優者之所屈,劣者之所勉。”

子生まれて三年にして後、乃ち父母の懐を離る。ゆえに喪服三年を制す、以て父母の恩に報ゆるなり。期年の喪は諸侯に通行し、三年の喪は天子に通行す、礼の経常なり。子夏は三年の喪畢えて、孔子に見えん。孔子は琴を与えて弦を弾かしむ。琴を取りて弾ず、欣欣然として楽作り、曰く、「先生の礼を制す、敢えて及ばざらん。」孔子は曰く、「是れ君子なり。」閔子騫は三年の喪畢えて、孔子に見えん。孔子は琴を与えて弦を弾かしむ。琴を取りて弾ず、切切然として悲作り、曰く、「先生の礼を制す、敢えて過ぎん。」孔子は曰く、「是れ君子なり。」子貢は問うて曰く、「閔子は悲哀未だ尽きず、先生は君子と曰う。子夏は悲哀すでに尽き、先生は君子と曰う。賜は惑えり、敢えて何を謂うか問はん。」孔子は曰く、「閔子は悲哀未だ尽かざるも、能く礼を以て決断す、ゆえに君子と曰う。子夏は悲哀すでに尽きたるも、能く引きて礼に達す、ゆえに君子と曰う。三年の喪は、本より優裕の者の受くる委屈なり、亦足らざる者の受くる勉励なり。」

齊宣王謂田過曰:“吾聞儒者喪親三年,喪君三年;君與父孰重?”田過對曰:“殆不如父重。”王忿然怒曰:“然則何為去親而事君?”田過對曰:“非君之土地無以處吾親,非君之祿無以養吾親,非君之爵位無以尊顯吾親;受之君,致之親,凡事君所以為親也。”宣王邑邑無以應。

斉宣王は田過に曰く、「吾は聞く、儒者は親に喪して三年、君に喪して三年と。君と父と孰れか重き。」田過は答えて曰く、「ほぼ父に如かず。」王は忿然として怒りて曰く、「然らば何ぞ親を離れて往きて君に事えん。」田過は答えて曰く、「君の土にあらざれば我が親を置く所なく、君の禄にあらざれば我が親を奉養するに用うなく、君の爵位にあらざれば我が親を尊顕するに用うなし。君より受けて、親に致す、およそ君に事うるは皆親の為なり。」宣王は黙然として応ずる言無し。

古者有菑者謂之厲,君一時素服,使有司弔死問疾,憂以巫醫,匍匐以救之,湯粥以方之。善者必先乎鰥寡孤獨,及病不能相養,死無以葬埋,則葬埋之。有親喪者不呼其門,有齊衰大功,五月不服力役之徵,有小功之喪者未葬,不服力役之徵。其有重屍多死者,急則有聚眾,童子擊鼓苣火,入官宮裡用之,各擊鼓苣火,逐官宮裡。家之主人冠立於阼,事畢出乎里門,出乎邑門,至野外;此匍匐救厲之道也。師大敗亦然。

古に災疫ありて厲と曰う。君は時に素服を服し、有司を遣わして死を弔い病を問い、巫医を以て憂恤し、爬りて救い、湯粥を以て方治す。善は必ず先ず鰥寡孤独に及ぼし、及び病にして相養う能わず、死して葬るに用うなきは、則ち彼らを葬る。親喪有るは其の門を叫ばず、斉衰大功有るは五月力役の征発を服せず、小功の喪未だ葬らざるは、力役の征発を服せず。其の尸多く死する者多きは、急なれば衆人を聚め、童子は鼓を撃ち火把を挙げ、官署里巷に入りて用い、各々鼓を撃ち火把を挙げ、官署里巷にて驅逐す。家の主人は冠を戴き阼階に立ち、事畢りて里門を出で、邑門を出で、野に至る。是れ爬りて厲を救うの理なり。軍隊大敗も亦是なり。

齋者思其居處也,思其笑語也,思其所為也;齋三日,乃見其所為齋者。祭之日,將入戶,僾然若有見乎其容;盤旋出戶,喟然若有聞乎嘆息之聲。先人之色,不絕於目;聲音咳唾,不絕於耳;嗜慾好惡,不忘於心;是則孝子之齋也。

斎戒する者は其の居処を思い、其の笑語を思い、其の為す所を思う。斎戒三日にして、乃ち其の斎戒する為す所を見る。祭祀の日、まさに戸に進まんとして、髣髴として其の容貌を見、盤旋して戸を出ず、喟然として嘆息の声を聞くが如し。先人の顔色は目を離れず、声音咳唾は耳を離れず、嗜欲好悪は心に忘れず。是れ孝子の斎戒なり。

春祭曰祠,夏祭曰禴,秋祭曰嘗,冬祭曰烝;春薦韭卵,夏薦麥魚;秋薦黍豚,冬薦稻鴈。三歲一祫,五年一禘;祫者,合也;禘者,諦也。祫者大合祭於祖廟也,禘者諦其德而差優劣也。聖主將祭,必潔齋精思,若親之在;方興未登,●●憧憧,專一想親之容貌彷佛,此孝子之誠也。四方之助祭,空而來者滿而反,虛而至者實而還,皆取法則焉。

春祭を祠と曰い、夏祭を禴と曰い、秋祭を嘗と曰い、冬祭を烝と曰う。春は韭と卵を進献し、夏は麦と魚を進献し、秋は黍と豚を進献し、冬は稲と雁を進献す。三年一たび祫し、五年一たび禘す。祫は合なり、禘は審諦なり。祫は祖廟にて大いに合祭す、禘は其の徳を審諦して優劣を別つ。聖主はまさに祭祀せんとして、必ず潔斎して精誠思念す、親人の面前に在るが如し。起たんと欲して未だ登らず、心神定まらず憧憧往来し、一に親人の容貌の髣髴を想象す、是れ孝子の誠なり。四方より助祭に来る者は、空しく来て満ちて返り、虚しく至りて実しく帰る、皆此より法則を取る。

韓褐子濟於河,津人告之曰:“夫人過於此者,未有不快用者也;而子不用乎?”韓褐子曰:“天子祭海內之神,諸侯祭封域之內,大夫祭其親,士祭其祖禰。褐也,未得事河伯也。”津人申楫舟中水而運,津人曰:“向也,役人固已告矣,夫子不聽役人之言也;今舟中水而運,甚殆,治裝衣而下游乎!”韓子曰:“吾不為人之惡我而改吾志,不為我將死而改吾義。”言未已,舟泆然行。韓褐子曰:“詩云:‘莫莫葛藟,施於條枚;愷悌君子,求福不回。’鬼神且不回,況於人乎?”

韓褐子は河を渡り、津人は彼に告げて曰く、「およそ此を経過する者は、速やかに事を用いざるなし。爾は独り用いずや。」韓褐子は曰く、「天子は海内の神を祭り、諸侯は封域之内を祭り、大夫は其の親を祭り、士は其の祖禰を祭る。褐は未だ河伯に事えるを得ず。」津人は櫂を以て船を撑ぐ、船中水入りて打回す。津人は曰く、「先だって役人本已告げり、夫子は役人の言を聴かず。今船中水入りて打回す、甚だ危うし、衣服を整理して下流に往け。」韓子は曰く、「吾は人の吾を悪むを以て吾の志を改めず、吾の死せんとするを以て吾の義を改めず。」言未だ畢らざるに、船は忽然として暢行す。韓褐子は曰く、「《詩経》に『茂密たる葛藟、枝條に蔓れり。愷悌の君子、福を求めて邪曲せず』とあり。鬼神すら尚邪曲せず、況んや人をや。」

孔子曰:“無體之禮,敬也;無服之喪,憂也;無聲之樂,歡也;不言而信,不動而威,不施而仁。志也,鐘鼓之聲怒而擊之則武,憂而擊之則悲,喜而擊之則樂;其志變,其聲亦變。其志誠,通乎金石,而況人乎?”

孔子は曰く、「儀式なき礼は、敬なり。喪服なき喪は、憂なり。声音なき楽は、歓なり。言わずして信あり、行わずして威あり、施与せずして仁あり。是れ志なり。鐘鼓の声、怒りて撃てば武なり、憂えて撃てば悲なり、喜びて撃てば楽なり。志変れば声亦変る。志誠なれば金石に通ず、況んや人をや。」

公孟子高見顓孫子莫曰:“敢問君子之禮何如?”顓孫子莫曰:“去爾外厲,與爾內折,色勝而心自取之,去三者而可矣。”公孟不知以告曾子,曾子愀然逡巡曰:“大哉言乎!夫外厲者必內折,色勝而心自取之必為人役。是故君子德行成而容不知,聞識博而辭不爭,知慮微達而能不愚。”

公孟子高は顓孫子莫を見て曰く、「敢えて君子の礼は何如と問はん。」顓孫子莫は曰く、「爾が外の厲を去り、爾が内の折損を和らげ、顔色勝るは心に自ら取用し、此の三者を去れば可なり。」公孟は明らかにせず、曾子に以て告ぐ。曾子は愀然として逡巡して曰く、「言は大きいかな。外厲ならば必ず内折損し、顔色勝るは心に自ら取用せば必ず人に役使せらる。ゆえに君子は徳行成就して容貌は人をして知らしめず、見聞学識広博にして言辞争わず、智慮微細通達にして才能は愚にあらず。」

曾子有疾,孟儀往問之。曾子曰:“鳥之將死,必有悲聲;君子集大辟,必有順辭。禮有三儀,知之乎?”對曰:“不識也。”曾子曰:“坐,吾語汝。君子修禮以立志,則貪慾之心不來;君子思禮以修身,則怠惰慢易之節不至;君子修禮以仁義,則忿爭暴亂之辭遠。若夫置樽俎、列籩豆,此有司之事也,君子雖勿能可也。”

曾子疾あり、孟儀は往きて問候す。曾子は曰く、「鳥まさに死せんとして、必ず悲哀の声あり。君子は大辟に臨むに、必ず和順の言あり。礼に三儀あり、知るか。」答えて曰く、「識らず。」曾子は曰く、「坐れ、吾爾に告げん。君子は礼を修めて立志を定めば、貪欲の心は来らず。君子は礼を思慮して身を修養すれば、怠惰簡慢の節操は至らず。君子は礼を修めて仁義に用いれば、忿争暴乱の言辞は遠ざく。樽俎を擺設し籩豆を陳列するに至りては、是れ有司の事なり、君子は能わずとも可なり。」

孔子曰可也簡。簡者,易野也,易野者,無禮文也。孔子見子桑伯子,子桑伯子不衣冠而處,弟子曰:“夫子何為見此人乎?”曰:“其質美而無文,吾欲說而文之。”孔子去,子桑伯子門人不說,曰:“何為見孔子乎?”曰:“其質美而文繁,吾欲說而去其文。”故曰,文質修者謂之君子,有質而無文謂之易野,子桑伯子易野,欲同人道於牛馬,故仲弓曰太簡。上無明天子,下無賢方伯,天下為無道,臣弒其君,子弒其父,力能討之,討之可也。當孔子之時,上無明天子也,故言雍也可使南面,南面者天子也,雍之所以得稱南面者,問子桑伯子於孔子,孔子曰:“可也簡。”仲弓曰:“居敬而行簡以道民,不亦可乎?居簡而行簡,無乃太簡乎?”子曰:“雍之言然!”仲弓通於化術,孔子明於王道,而無以加仲弓之言。

孔子は曰く「可なり、簡。」簡は平易粗野なり、平易粗野は礼文なきなり。孔子は子桑伯子を見るに、子桑伯子は衣を着ず冠を戴かずして処れり。弟子は曰く、「夫子は何の故に此の人を見る。」曰く、「其の質美なれど文なし、吾は勧めて之に文を加えんと欲す。」孔子去れり。子桑伯子の門人は悦ばず、曰く、「何の故に孔子を見る。」曰く、「其の質美なれど文繁なり、吾は勧めて其の文を去らんと欲す。」ゆえに曰う、文と質と皆修めるを君子と謂い、質有りて文なきを平易粗野と謂う。子桑伯子は平易粗野にして、人道を牛馬に同じくせんと欲す、ゆえに仲弓は太簡と曰う。上に英明の天子なく、下に賢能の方伯なし、天下道なし、臣は君を弑し子は父を弑す、力以て討つ能ければ、討つれば則ち可なり。孔子の時に当たり、上に英明の天子なし、ゆえに雍を以て南面せしむべしと曰う、南面は天子なり。雍の南面と称せらる所以は、孔子に子桑伯子を問うて、孔子は曰く「可なり、簡。」仲弓は曰く、「居敬にして行簡、以て民を導く、亦可ならずや。居簡にして行簡、太簡ならんか恐る。」孔子は曰く、「雍の言是なり。」仲弓は教化の術に通暁し、孔子は王道に明白なれど、仲弓の言に加うる能わず。

孔子至齊郭門之外,遇一嬰兒挈一壺,相與俱行,其視精,其心正,其行端,孔子謂御曰:“趣驅之,趣驅之。”韶樂方作,孔子至彼,聞韶三月不知肉味。故樂非獨以自樂也,又以樂人;非獨以自正也,又以正人矣哉!於此樂者,不圖為樂至於此。黃帝詔伶倫作為音律,伶倫自大夏之西,乃之崑崙之陰,取竹於嶰谷,以生竅厚薄均者,斷兩節間,其長九寸而吹之,以為黃鐘之宮,日含少次,制十二管,以崑崙之下,聽鳳之鳴,以別十二律,其雄鳴為六,雌鳴亦六,以比黃鐘之宮,適合黃鐘之宮,皆可生之,而律之本也。故曰黃鐘微而均,鮮全而不傷,其為宮獨尊,象大聖之德,可以明至賢之功,故奉而薦之於宗廟,以歌迎功德,世世不忘。是故黃鐘生林鐘,林鐘生大呂,大呂生夷則,夷則生太簇,太簇生南呂,南呂生夾鍾,夾鍾生無射,無射生姑洗,姑洗生應鐘,應鐘生蕤賓。三分所生,益之以一分以上生;三分所生,去其一分以下生。黃鐘、大呂、太簇、夾鍾、姑洗、仲呂、蕤賓為上,林鐘、夷則、南呂、無射、應鐘為下。大聖至治之世,天地之氣,合以生風,日至則日行其風以生十二律,故仲冬短至則生黃鐘,季冬生大呂,孟春生太簇,仲春生夾鍾,季春生姑洗,孟夏生仲呂,仲夏生蕤賓,季夏生林鐘,孟秋生夷則,仲秋生南呂,季秋生無射,孟冬生應鐘。天地之風氣正,十二律至也。

孔子は斉の郭門の外に至り、嬰児の壺を提ぐるに遇い、彼と倶に行く。其の児は目光精誠にして心正しく、行歩端正なり。孔子は御者に曰く、「速やかに車を趕れ、速やかに車を趕れ。」韶楽まさに演奏せんとして、孔子彼に至り、韶を聴くこと三月にして肉の味を知らず。ゆえに楽は以て自ら楽しむのみならず、又以て人を楽しましめ、以て自ら正すのみならず、又以て人を正すなり。此の事に於て楽するは、楽を為る此の如く至れるを思わざりき。黄帝は伶倫を詔して音律を作らしむ。伶倫は大夏以西より、昆侖の北に至り、嶰谷に竹を取り、空竅厚薄均一なるを用い、両節の間を截りて、長九寸を吹きて、以て黄鐘の宮と為し、名づけて含少と曰う。次いで十二管を作り、昆侖の下に於て鳳凰の鳴を聴き、以て十二律を別つ。雄の鳴くは六、雌の鳴くも亦六、以て黄鐘の宮を比照せば、恰好黄鐘の宮に合す、皆これより生ずべし、是れ律の本なり。ゆえに曰う、黄鐘は微細にして均一、鮮全にして傷まず、其の宮と為るや独り尊貴なり、大聖の徳を象り、至賢の功を顕明すべし、ゆえに捧げて宗廟に進献し、以て功德を歌唱迎接し、世世忘れず。ゆえに黄鐘は林鐘を生じ、林鐘は大呂を生じ、大呂は夷則を生じ、夷則は太簇を生じ、太簇は南呂を生じ、南呂は夾鐘を生じ、夾鐘は無射を生じ、無射は姑洗を生じ、姑洗は応鐘を生じ、応鐘は蕤賓を生ず。生ずる所を三分して、一分を加うれば上生なり、生ずる所を三分して、一分を去れば下生なり。黄鐘・大呂・太簇・夾鐘・姑洗・仲呂・蕤賓を上と為し、林鐘・夷則・南呂・無射・応鐘を下と為す。大聖至治の世、天地の気会して風を生じ、日至すれば日は其の風を運行して十二律を生ず。ゆえに仲冬短至は黄鐘を生じ、季冬は大呂を生じ、孟春は太簇を生じ、仲春は夾鐘を生じ、季春は姑洗を生じ、孟夏は仲呂を生じ、仲夏は蕤賓を生じ、季夏は林鐘を生じ、孟秋は夷則を生じ、仲秋は南呂を生じ、季秋は無射を生じ、孟冬は応鐘を生ず。天地の風気正しければ、十二律は至れり。

聖人作為■鼓控揭壎箎,比六者德音之音,然後鐘磬竽瑟以和之,然後干鏚旄狄以舞之;此所以祭先王之廟也,此所以獻酢酳之酬也,所以官序貴賤各得其宜也,此可以示後世有尊卑長幼之序也。

聖人は鞀鼓・柷敔・塤篪を制作す、比配此の六種は徳音の音なり、然る後に鐘磬竽瑟以て応和し、然る後に干戚旄狄以て舞蹈す。是れ以て先王の廟を祭祀するなり、是れ以て献酢酳酬するなり、以て官序貴賤各々其の宜しきを得さしむ、是れ後世に尊卑長幼の序を見るべし。

鐘聲鏗鏗以立號,號以立橫,橫以立武,君子聽鐘聲則思武臣。石聲磬磬以立辯,辯以致死,君子聽磬聲則思死封疆之臣。絲聲哀哀以立廉,廉以立志,君子聽琴瑟之聲,則思志義之臣。竹聲濫濫以立會,會以聚眾,君子聽竽笙簫管之聲,則思畜聚之臣。鼓鞞之聲歡歡以立動,動以進眾,君子聽鼓鞞之聲,則思將帥之臣。君子之聽音,非聽其鏗鏘而已,彼亦有所合之也。

鐘の声は鏗鏗(こうこう)として号令を立て、号令は以て横(こう)を立て、横は以て武を立つ。君子は鐘声を聴けば武臣を思う。石の声は磬磬(けいけい)として弁を立て、弁は以て死を致す。君子は磬声を聴けば封疆に死する臣を思う。糸の声は哀哀(あいあい)として廉を立て、廉は以て志を立つ。君子は琴瑟の声を聴けば志義の臣を思う。竹の声は濫濫(らんらん)として会を立て、会は以て衆を聚める。君子は竽笙簫管の声を聴けば蓄聚の臣を思う。鼓鞞(こひ)の声は歓歓(かんかん)として動を立て、動は以て衆を進める。君子は鼓鞞の声を聴けば将帥の臣を思う。君子の音を聴くは、その鏗鏗を聴くに止まらず、彼にも合する所があるのである。

樂者,聖人之所樂也,而可以善民心,其感人深,其移風易俗,故先王著其教焉。夫民有血氣心知之性,而無哀樂喜怒之常,應感起物而動,然後心術形焉。是故感激憔悴之音作,而民思憂;嘽奔慢易繁文簡節之音作,而民康樂;粗屬猛奮廣賁之音作,而民剛毅;廉直勁正莊誠之音作,而民肅敬;寬裕肉好順成和動之音作,而民慈愛。流僻邪散狄成滌濫之音作,而民淫亂。是故先王本之情性,稽之度數,制之禮義;含生氣之和,道五常之行,使陽而不散,陰而不密,剛氣不怒,柔氣不懾;四暢交於中,而發作於外,皆安其位,不相奪也。然後立之學等,廣其節奏,省其文彩;以繩德厚,律小大之稱,比終始之序,以象事行,使親疏貴賤,長幼男女之理,皆形見於樂,故曰樂觀其深矣。土弊則草木不長,水煩則魚鱉不大,氣衰則生物不遂,世亂則禮慝而樂淫;是故其聲哀而不莊,樂而不安,慢易以犯節,流漫以忘本,廣則容奸,狹則思欲;感滌盪之氣,滅平和之德,是以君子賤之也。凡奸聲感人而逆氣應之,逆氣成象而淫樂興焉;正聲感人而順氣應之,順氣成象而和樂興焉。唱和有應,回邪曲直,各歸其分,而萬物之理,以類相動也。是故君子反情以和其志,比類以成其行,奸聲亂色,不習於聽,淫樂慝禮,不接心術,惰慢邪辟之氣,不設於身體;使耳目鼻口心智百體,皆由順正以行其義,然後發以聲音,文以琴瑟,動以干鏚,飾以羽旄,從以簫管;奮至德之光,動四氣之和,以著萬物之理。是故清明象天,廣大象地,終始象四時,周旋象風雨;五色成文而不亂,八風從律而不奸,百度得數而有常。小大相成,終始相生,唱和清濁,代相為經,故樂行而倫清,耳目聰明,血氣和平,移風易俗,天下皆寧,故曰樂者樂也。君子樂得其道,小人樂得其欲,以道制欲,則樂而不亂;

楽とは聖人の楽しむ所であり、民心を善くすることができ、その人を感ずること深く、その風を移し俗を易える。故に先王はその教えを著わした。民は血気心知の性を有つが、哀楽喜怒の常がなく、物に感応して動き、然る後に心術が形を成す。是故れ、感激憔悴(せんすい)の音が作れば民は憂いを思い、啴(たん)として奔慢・文繁く節簡な音が作れば民は康楽し、粗属猛奮・広賁(こうふん)の音が作れば民は剛毅となり、廉直勁正・荘誠の音が作れば民は粛敬し、宽裕肉好・順成和動の音が作れば民は慈愛する。流僻邪散・狄成滌濫の音が作れば民は淫乱する。是故れ、先王は情性を本とし、度数に稽(かんが)え、礼義を以てこれを制し、生気の和を含み、五常の行を道(みちび)き、陽にして散ぜず、陰にして密ならず、剛気は怒らず、柔気は懾(おそ)れず、四つ暢んで中に交わり、外に発して作ること皆その位に安んじて相い奪わず。然る後に学の等を立て、その節奏を広め、その文彩を省(み)て、以て徳の厚きを縄し、小大の称を律し、終始の序を比し、以て事行に象(かたど)り、親疏貴賤・長幼男女の理を皆楽に形見せしむ。故に曰く、楽を観るは深しと。土が弊れれば草木は長せず、水が煩ければ魚鼈(ぎょべつ)は大ならず、気が衰えれば生物は遂わず、世が乱れれば礼は慝(にく)み楽は淫す。是故れ、その声は哀にして荘ならず、楽にして安からず、慢易にして節を犯し、流漫にして本を忘れ、広ければ奸を容れ、狭ければ欲を思い、滌蕩の気を感じて平和の徳を滅す。是を以て君子はこれを賤しむ。凡そ奸声が人を感ずれば逆気がこれに応じ、逆気が象を成して淫楽が興り、正声が人を感ずれば順気がこれに応じ、順気が象を成して和楽が興る。唱和は応あり、回邪曲直は各々その分に帰し、万物の理は類を以て相動かす。是故れ、君子は情に反(かえ)りてその志を和し、類に比(なら)べてその行を成し、奸声乱色は聴に習わず、淫楽慝礼は心術に接せず、惰慢邪辟の気は身体に設けず、耳目鼻口心智百体を皆順正によりてその義を行わしめ、然る後に声音を以て発し、琴瑟を以て文し、干戚を以て動かし、羽旄を以て飾り、簫管を以て従え、至徳の光を奮い、四気の和を動かし、以て万物の理を著す。是故れ清明は天に象り、広大は地に象り、終始は四時に象り、周旋は風雨に象る。五色は文を成して乱れず、八風は律に従して奸(か)しまず、百度は数を得て常あり。小大は相成し、終始は相生し、唱和清濁は代々相い經(たて)となる。故に楽行われて倫(みち)清く、耳目聡明にして血気和平し、風を移し俗を易え、天下皆寧(やす)し。故に曰く、楽とは楽しみなりと。君子はその道を得るを楽しみ、小人はその欲を得るを楽しむ。道を以て欲を制すれば楽しみて乱れず。

以欲忘道,則惑而不樂,是故君子反情以和其意,廣樂以成其教,故樂行而民向方,可以觀德矣。德者性之端也,樂者德之華也,金石絲竹,樂之器也。詩言其志,歌詠其聲,舞動其容,三者本於心,然後樂器從之;是故情深而文明,氣盛而化神,和順積中而英華髮外,惟樂不可以為偽。樂者,心之動也,聲者,樂之象也,文采節奏,聲之飾也。君子之動本,樂其象也,後治其飾,是故先鼓以警戒,三步以見方,再始以著往,復亂以飭歸;奮疾而不拔,極幽而不隱,獨樂其志,不厭其道,備舉其道,不私其欲。是故情見而義立,樂終而德尊,君子以好善,小人以飭過,故曰生民之道,樂為大焉。

欲を以て道を忘れれば惑いて楽しまず。是故れ君子は情に反りてその意を和し、楽を広めてその教を成す。故に楽行われて民は方に向かい、以て徳を観るべし。徳は性の端(はし)なり、楽は徳の華(はな)なり。金石糸竹は楽の器なり。詩はその志を言い、歌はその声を詠(うた)い、舞はその容を動かす。三者は心に本(もとづ)き、然る後に楽器これに従う。是故れ情深くして文明(あき)らか、気盛んにして化神(かしん)し、和順は中に積みて英華は外に発す。惟れ楽は為(な)し偽るべからざるなり。楽は心の動き、声は楽の象(かたち)、文采節奏は声の飾り。君子はその本を動かし、その象を楽しみ、後にその飾りを治む。是故れ先ず鼓して警戒し、三歩(さんぽ)して方を見、再始(さいし)して往(ゆ)くを著し、復乱(ふくらん)して帰を飭(ととの)う。奮疾(ふんしつ)して抜(ぬ)けず、極幽(きょくゆう)して隠れず、独りその志を楽しみてその道を厭(あ)かず、その道を備挙してその欲を私にせず。是故れ情見えて義立ち、楽終わって徳尊ばれ、君子は以て善を好み、小人は以て過を飭(ただ)す。故に曰く、生民の道は楽を大とす、と。

樂之可密者,琴最宜焉,君子以其可修德,故近之。凡音之起,由人心生也;人心之動,物使之然也;感於物而後動,故形於聲;聲相應故生變,變成方故謂之音。比音而樂之,及干鏚羽旄謂之樂;樂者音之所由生也,其本在人心之感於物。是故其哀心感者,其聲■以殺;其樂心感者,其聲嘽以緩;其喜心感者,其聲發以散;其怒心感者,其聲壯以厲;其敬心感者,其聲直以廉;其愛心感者,其聲和以調。人之善惡非牲也,感於物而後動,是故先王慎所以感之,故禮以定其意,樂以和其性,政以一其行,刑以防其奸;禮樂刑政,其極一也,所以同民心而立治道也。

楽のうち密かに親しめる者は琴が最も宜しい。君子はこれを以て徳を修むべきを以て故にこれに近づく。凡そ音の起こるは人心より生ず。人心の動くは物これをして然らしむ。物に感じて然る後に動く、故に声に形す。声相应(そうおう)する故に変を生じ、変方を成す故にこれを音と謂う。音を比べてこれを楽し、干戚羽旄に及ぶを楽と謂う。楽とは音の生ずる所よりなる、其の本は人心の物に感ずるに在り。是故れ哀心に感ずる者はその声噍(しょう)して殺(さい)し、楽心に感ずる者はその声啴(たん)して緩く、喜心に感ずる者はその声発して散じ、怒心に感ずる者はその声壮にして厲しく、敬心に感ずる者はその声直にして廉く、愛心に感ずる者はその声和にして調(つら)う。人の善悪は性に非ず、物に感じて然る後に動く。是故れ先王は感ずる所以を慎み、故に礼を以てその意を定め、楽を以てその性を和し、政を以てその行を一にし、刑を以てその奸を防ぐ。礼楽刑政、その極は一なり、民心を同じうして治道を立つ所以なり。

凡音,生人心者也,情動於中而形於聲,聲成文謂之音。是故治世之音安以樂,其政和;亂世之音怨以怒,其政乖;亡國之音哀以思,其民困。聲音之道,與政通矣。宮為君,商為臣,角為民,徵為事,羽為物;五音亂則無法,無法之音:宮亂則荒,其君驕;商亂則陂,其官壞;角亂則憂,其民怨;徵亂則哀,其事勤;羽亂則危,其財匱;五者皆亂,代相凌謂之慢,如此則國之滅亡無日矣。鄭、衛之音,亂世之音也,比於慢矣;桑間、濮上之音,亡國之音也,其政散,其民流,誣上行私而不可止也。

凡そ音は人心より生ずる者なり。情中に動いて声に形を成し、声文を成すを音と謂う。是故れ治世の音は安にして楽(たの)し、その政和し、乱世の音は怨じて怒り、その政乖(たが)え、亡国の音は哀れて思い、その民困(くるし)む。声音の道は政と通ず。宮は君、商は臣、角は民、徴(ち)は事、羽は物なり。五音乱れれば法なく、法なきの音は、宮乱れれば荒(こう)れてその君驕(おご)り、商乱れれば陂(は)なりてその官壊れ、角乱れれば憂いてその民怨み、徴乱れれば哀れてその事勤(つと)み、羽乱れれば危(あや)うくしてその財匱(とぼ)し。五者皆乱れて代々相い凌ぐを慢と謂う、此くの如くんば国の滅亡日なからん。鄭・衛の音は乱世の音なり、慢に比(なら)べらる。桑間・濮上の音は亡国の音なり、その政散じその民流れ、上を誣(し)い私を行って止めるべからざるなり。

凡人之有患禍者,生於淫泆暴慢,淫泆暴慢之本,生於飲酒;故古者慎其飲酒之禮,使耳聽雅音,目視正儀,足行正容,心論正道。故終日飲酒而無過失,近者數日,遠者數月,皆人有德焉以益善,詩云:“既醉以酒,既飽以德。”此之謂也。

凡そ人に患禍ある者は淫泆(いんいつ)暴慢より生じ、淫泆暴慢の本は飲酒より生ず。故に古は其の飲酒の礼を慎み、耳に雅音を聴かせ、目に正儀を視せ、足に正容を行わせ、心に正道を論ぜしむ。故に終日酒を飲みて過失なく、近きは数日、遠きは数月、皆人徳有りて以て善を益す。《詩》に曰く「既に酒を以て酔い、既に徳を以て飽く」と、此を謂うなり。

凡從外入者,莫深於聲音,變人最極,故聖人因而成之以德曰樂,樂者德之風,詩曰:“威儀抑抑,德音秩秩。”謂禮樂也。故君子以禮正外,以樂正內;內須臾離樂,則邪氣生矣,外須臾離禮,則慢行起矣;故古者天子諸侯聽鐘聲,未嘗離於庭,卿大夫聽琴瑟,未嘗離於前;所以養正心而滅淫氣也。樂之動於內,使人易道而好良;樂之動於外,使人溫恭而文雅;雅頌之聲動人,而正氣應之;和成容好之聲動人,而和氣應之;粗厲猛賁之聲動人,而怒氣應之;鄭衛之聲動人,而淫氣應之。是以君子慎其所以動人也。

凡そ外より入る者は声音より深きは莫(な)く、人を変ずること極まる。故に聖人は因りてこれを徳を以て成して楽と曰う。楽は徳の風なり。《詩》に曰く「威儀抑抑(よくよく)、徳音秩秩(ちっちっ)」と、礼楽を謂うなり。故に君子は礼を以て外を正し、楽を以て内を正す。内须臾(しゅゆ)も楽を離れば則ち邪気生じ、外须臾も礼を離れば則ち慢行起こる。故に古は天子諸侯は鐘声を聴くに未だ嘗て庭を離れず、卿大夫は琴瑟を聴くに未だ嘗て前を離れず。正心を養い淫気を滅する所以なり。楽の内に動くは人をして道を易(か)え良を好ましめ、楽の外に動くは人をして温恭にして文雅ならしむ。雅頌の声人を動かせば正気これに応じ、和成容好の声人を動かせば和気これに応じ、粗厲猛賁(もうほん)の声人を動かせば怒気これに応じ、鄭衛の声人を動かせば淫気これに応ず。是を以て君子は人を動かす所以を慎むなり。

子路鼓瑟有北鄙之聲,孔子聞之曰:“信矣,由之不才也!”冉有侍,孔子曰:“求來,爾奚不謂由夫先王之制音也?奏中聲,為中節;流入於南,不歸於北。南者生育之鄉,北者殺伐之域;故君子執中以為本,務生以為基,故其音溫和而居中,以象生育之氣也。憂哀悲痛之感不加乎心,暴厲淫荒之動不在乎體,夫然者,乃治存之風,安樂之為也。彼小人則不然,執末以論本,務剛以為基,故其音湫厲而微末,以象殺伐之氣。和節中正之感不加乎心,溫儼恭莊之動不存乎體,夫殺者乃亂亡之風,奔北之為也。昔舜造南風之聲,其興也勃焉,至今王公述無不釋;紂為北鄙之聲,其廢也忽焉,至今王公以為笑。彼舜以匹夫,積正合仁,履中行善,而卒以興,紂以天子,好慢淫荒,剛厲暴賊,而卒以滅。今由也匹夫之徒,布衣之醜也,既無意乎先王之制,而又有亡國之聲,豈能保七尺之身哉?”冉有以告子路,子路曰:“由之罪也!小人不能,耳陷而入於斯。宜矣,夫子之言也!”遂自悔,不食七日而骨立焉,孔子曰:“由之改過矣。”

子路が瑟を鼓すに北鄙(ほくひ)の声あり。孔子これを聞きて曰く「信(まこと)なり、由(ゆう)の不才なるは」と。冉有侍(じ)す。孔子曰く「求(きゅう)来(きた)れ、爾(なんじ)奚(なん)ぞ由に先王の音を制するを謂わざる。中声を奏でて中節と為す。南に流入りて北に帰せず。南は生育の郷、北は殺伐の域なり。故に君子は中を執りて以て本と為し、生を務めて以て基と為す。故に其の音温和にして中に居り、以て生育の気に象(かたど)るなり。憂哀悲痛の感は心に加えず、暴厲淫荒の動は体に在らず。夫れ然る者は乃ち治存の風・安楽の為なり。彼の小人は然らず、末を執りて本を論じ、剛を務めて以て基と為す。故に其の音湫厲(しゅうれい)にして微末なり、以て殺伐の気に象る。和節中正の感は心に加えず、温儼恭荘の動は体に存らず。夫れ殺なる者は乃ち乱亡の風・奔北(ほんぼく)の為なり。昔舜は南風の声を造り、その興るや勃焉(ぼつえん)たり、今に至るまで王公これを述べて釋(よろこ)ばざるなし。紂は北鄙の声を為し、その廃るや忽焉(こつえん)たり、今に至るまで王公これを以て笑いと為す。彼の舜は匹夫を以て、正を積み仁を合し、中を履み善を行いて卒(つい)に以て興り、紂は天子を以て、慢淫荒を好み、剛厲暴賊たりて卒に以て滅ぶ。今由は匹夫の徒、布衣の醜(ともがら)なり。既に先王の制に意なくして又亡国の声有らば、豈(あに)七尺の身を保たんや」と。冉有以て子路に告ぐ。子路曰く「由の罪なり。小人能(あた)わず、耳に陥り入りて斯に至れり。宜なり、夫子の言」と。遂に自ら悔い、七日食わずして骨立(こつりつ)す。孔子曰く「由は過を改めたり」と。

卷二十反質

巻二十 反質(はんしつ)

孔子卦得賁,喟然仰而嘆息,意不平。子張進,舉手而問曰:“師聞賁者吉卦,而嘆之乎?”孔子曰:“賁非正色也,是以嘆之。吾思夫質素,白當正白,黑當正黑。夫質又何也?吾亦聞之,丹漆不文,白玉不雕,寶珠不飾,何也?質有餘者,不受飾也。”

孔子が卦(け)を得て賁(ひ)を得たり。喟然(きぜん)として仰ぎて嘆息し、意平(ただ)らかならず。子張進み、手を挙げて問うて曰く「師、賁は吉卦と聞く、而(しか)もこれを嘆くか」と。孔子曰く「賁は正色に非ず、是を以てこれを嘆く。吾れ夫の質素を思うに、白は当に正しく白く、黒は当に正しく黒きべし。夫の質は又何ぞや。吾れ亦聞く、丹漆は文せず、白玉は雕(とが)らず、宝珠は飾らずと。何となれば、質余ある者は飾を受けざればなり」と。

信鬼神者失謀,信日者失時,何以知其然?夫賢聖周知,能不時日而事利;敬法令,貴功勞,不卜筮而身吉;謹仁義,順道理,不禱祠而福。故卜數擇日,潔齋戒,肥犧牲,飾圭璧,精祠祀,而終不能除悖逆之禍,以神明有知而事之,乃欲背道妄行而以祠祀求福,神明必違之矣。天子祭天地、五嶽、四瀆,諸侯祭社稷,大夫祭五祀,士祭門戶,庶人祭其先祖。聖王承天心,制禮分也。凡古之卜日者,將以輔道稽疑,示有所先而不敢自專也;非欲以顛倒之惡而幸安之全。孔子曰:“非其鬼而祭之,諂也。”是以泰山終不享李氏之旅,易稱東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,蓋重禮不貴牲也,敬實而不貴華。誠有其德而推之,則安往而不可。是以聖人見人之文,必考其質。

鬼神を信ずる者は謀を失い、日者(じつしゃ)を信ずる者は時を失う。何を以て其の然るを知るや。夫れ賢聖は周知(しゅうち)して能く時日せずして事利し、法令を敬して功労を貴び、卜筮せずして身吉なり、仁義を謹み道理に順いて、祷祠(とうし)せずして福なり。故に卜数(ぼくすう)日を擇び、斎戒を潔(きよ)め、犠牲を肥(こや)し、圭璧を飾り、祠祀を精(くわ)しくすれども、終に悖逆(はいぎゃく)の禍を除くこと能わず。神明有知(ゆうち)を以てこれに事(つか)えんと欲し、乃ち道に背き妄行して祠祀を以て福を求めば、神明必ずこれに違(そむ)かん。天子は天地・五岳・四瀆を祭り、諸侯は社稷を祭り、大夫は五祀を祭り、士は門戸を祭り、庶人は其の先祖を祭る。聖王は天心を承け、礼の分を制するなり。凡そ古の日を卜する者は、将に道を輔(たす)け疑を稽(かんが)え、先る所有りて敢えて自ら專(もっぱ)らせざるを示さんとするなり。顛倒の悪を以て幸安の全きを求めんと欲するに非ず。孔子曰く「其の鬼に非ずしてこれを祭るは諂(へつら)いなり」と。是を以て泰山終に季氏の旅(りょ)を享(う)けず、《易》は東隣が牛を殺すは西隣の禴祭(やくさい)に如(し)かずと称す。盖(けだ)し礼を重んじて牲を貴ばず、実を敬して華を貴ばざるなり。誠に其の徳有りてこれを推さば、則ち安(いず)くんぞ往きて可ならざらん。是を以て聖人は人の文を見れば必ず其の質を考うなり。

歷山之田者善侵畔,而舜耕焉;雷澤之漁者善爭陂,而舜漁焉;東夷之陶器窳,而舜陶焉。故耕漁與陶非舜之事,而舜為之,以救敗也。民之性皆不勝其欲,去其實而歸之華,是以苦窳之器,爭鬥之患起,爭鬥之患起,則所以偷也。所以然者何也?由離誠就詐,棄樸而取偽也,追逐其末而無所休止。聖人抑其文而抗其質,則天下反矣,詩云:“尸鳩在桑,其子七兮;淑人君子,其儀一兮。”傳曰:“尸鳩之所以養七子者,一心也;君子所以理萬物者,一儀也。以一儀理物,天心也;五者不離,合而為一,謂之天心。在我能因自深結其意於一,故一心可以事百君,百心不可以事一君,是故誠不遠也。夫誠者一也,一者質也;君子雖有外文,必不離內質矣。”

歴山の田(た)する者は畔(はん)を侵すに善(よ)くして舜は焉(ここ)に耕し、雷沢の漁(りょ)する者は陂(は)を争うに善くして舜は焉に漁し、東夷の陶器は窳(ゆ)れども舜は焉に陶(やきもの)す。故に耕し漁し陶するは舜の事に非ずして舜これを為すは、敗を救うを以てなり。民の性は皆其の欲に勝えず、其の実を去りて其の華に帰す。是を以て苦窳(くゆ)の器・争闘の患起こり、争闘の患起これば則ち偸(ぬす)む所以なり。然る所以なる者何ぞや。誠を離れて詐に就き、朴を棄てて偽を取るに由り、其の末を追逐して休止する所なきなり。聖人其の文を抑えて其の質を抗(あ)げば則ち天下反(かえ)らん。《詩》に曰く「尸鳩(しきゅう)桑に在り、其の子七つ。淑人君子、其の儀一なり」と。伝に曰く「尸鳩の七子を養う所以の者は一心なり。君子の万物を理する所以の者は一儀なり。一儀を以て物を理するは天心なり。五者離れず、合して一を為すを天心と謂う。我に在りて能く自ら其の意を一に深結するを因れば、故に一心を以て百君に事(つか)うべく、百心を以て一君に事うべからず。是故れ誠は遠からざるなり。夫の誠は一なり、一は質なり。君子外の文有りと雖も必ず内の質を離れざるなり」と。

衛有五丈夫,俱負缶而入井灌韭,終日一區。鄧析過,下車為教之,曰:“為機,重其後,輕其前,命曰橋。終日灌韭,百區不倦。”五丈夫曰:“吾師言曰:有機知之巧,必有機知之敗;我非不知也,不欲為也。子其往矣,我一心溉之,不知改已!”鄧析去,行數十里,顏色不悅懌,自病。弟子曰:“是何人也?而恨我君,請為君殺之。”鄧析曰:“釋之,是所謂真人者也。可令守國。”

衛に五丈夫あり、俱に缶(ほとぎ)を負い井に入りて韭(にら)を灌(そそ)ぎ、終日一区なり。鄧析過ぎ、車を下(お)りてこれに教えて曰く「機(はた)を為せ、其の後を重くし其の前を軽くし、命じて橋(きょう)と曰う。終日韭を灌ぎて百区も倦(う)まず」と。五丈夫曰く「吾が師言に曰く、機知之巧有れば必ず機知之敗有りと。我非(あら)ざるを知らず、為さんと欲せざるなり。子其れ往(ゆ)け、我一心にこれを溉(そそ)ぎて改むるを知らざれば已(や)めり」と。鄧析去り、数十里行きて顔色悦怿(えつえき)せず、自ら病(や)む。弟子曰く「是れ何人ぞや、而(しか)も我が君を恨ましむる。請う、君の為にこれを殺さん」と。鄧析曰く「これを釋(ゆる)せ。是れ所謂真人なる者なり。国を守らしむべし」と。

禽滑釐問於墨子曰:“錦繡絺紵,將安用之?”墨子曰:“惡,是非吾用務也。古有無文者得之矣,夏禹是也。卑小宮室,損薄飲食,土階三等,衣裳細布;當此之時,黻無所用,而務在於完堅。殷之盤庚,大其先王之室,而改遷於殷,茅茨不剪,采椽不斲,以變天下之視;當此之時,文采之帛,將安所施?夫品庶非有心也,以人主為心,苟上不為,下惡用之?二王者以化身先於天下,故化隆於其時,成名於今世也。且夫錦繡絺紵,亂君之所造也,其本皆興於齊,景公喜奢而忘儉,幸有晏子以儉鐫之,然猶幾不能勝。夫奢安可窮哉?紂為鹿臺糟丘,酒池肉林,宮牆文畫,雕琢刻鏤,錦繡被堂,金玉珍瑋,婦女優倡,鐘鼓管絃,流漫不禁,而天下愈竭,故卒身死國亡,為天下戮,非惟錦繡絺紵之用耶?今當凶年,有欲予子隨侯之珠者,不得賣也,珍寶而以為飾;又欲予子一鍾粟者,得珠者不得粟,得粟者不得珠,子將何擇?”禽滑釐曰:“吾取粟耳,可以救窮。”墨子曰:“誠然,則惡在事夫奢也?長無用,好末淫,非聖人所急也。故食必常飽,然後求美;衣必常暖,然後求麗;居必常安,然後求樂。為可長,行可久,先質而後文,此聖人之務。”禽滑釐曰:“善。”

禽滑釐(きんかつり)墨子に問うて曰く「錦繍・絺紵(ちちょ)、将に安(いず)くにかこれを用いん」と。墨子曰く「悪(ああ)、是れ吾が用務するに非ず。古に文無き者にしてこれを得し者あり、夏禹是なり。宮室を卑小(ひしょう)にし、飲食を損薄(そんぱく)にし、土階三等、衣裳細布たり。此の時に当たり黻(ふつ)の用する所無くして、務は完堅に在り。殷の盤庚(ばんこう)、其の先王の室を大にして殷に改遷し、茅茨(ぼうし)は剪(き)らず、采椽(さいてん)は斲(きざ)らず、以て天下の視を変えんとす。此の時に当たり文采の帛、将に安くにか施さん。夫の品庶(ひんしょ)は心有るに非ず、人主を以て心と為す。苟(いやし)くも上為さざれば、下惡(いず)くんぞこれを用いん。二王は身を化(か)すを以て天下に先んじたり。故に化は其の時に隆え、名は今の世に成れり。且つ夫の錦繍絺紵は乱君の造る所なり。其の本皆斉に興り、景公奢を喜びて倹を忘る。幸いに晏子有りて倹を以てこれを鐫(うが)てども、然れども猶幾(ほと)んど勝つ能(あた)わざりき。夫の奢(しゃ)安くんぞ窮まるべからんや。紂は鹿台・糟丘を為し、酒池肉林、宮牆を文画し、雕琢刻鏤(とくる)し、錦繍堂に被(おお)い、金玉珍瑋(ちんい)、婦女優倡、鐘鼓管弦、流漫して禁ぜずして天下愈々竭(つ)き、故に卒(つい)に身死し国亡び、天下の戮(りく)と為る。錦繍絺紵の用のみに非ざるや。今凶年に当たり、子に随侯の珠を与えんと欲する有りて売るを得ず、珍宝と為して以て飾と為す。又子に一鐘の粟を与えんと欲する有り。珠を得る者は粟を得ず、粟を得る者は珠を得ず。子将に何れを擇ばん」と。禽滑釐曰く「吾れ粟を取らんのみ、以て窮を救うべし」と。墨子曰く「誠に然らば、則ち惡(いず)くんぞ夫の奢に事(つか)えん。無用を長(ちょう)じ、末淫を好むは聖人の急ぐ所に非ず。故に食は必ず常に飽きて然る後に美を求め、衣は必ず常に暖にして然る後に麗を求め、居は必ず常に安くして然る後に楽を求む。長ずべきを為し、久しきべきを行い、先ず質にして後に文、此れ聖人の務なり」と。禽滑釐曰く「善し」と。

秦始皇既兼天下,大侈靡,即位三十五年猶不息,治大馳道,從九原抵雲陽,塹山堙谷直通之。厭先王宮室之小,乃於豐鎬之間,文武之處,營作朝宮,渭南山林苑中作前殿,阿房東西五百步,南北五十丈,上可坐萬人,下可建五丈旗,周為閣道;自殿直抵南山之嶺以為闕,為複道,自阿房渡渭水屬咸陽,以象天極,閣道絕漢,抵營室也。又興驪山之役,錮三泉之底,關中離宮三百所,關外四百所,皆有鐘盤帷帳,婦女倡優。立石闕東海上朐山界中,以為秦東門。於是有方士韓客侯生,齊客盧生,相與謀曰:“當今時不可以居,上樂以刑殺為威,天下畏罪;持祿莫敢盡忠,上不聞過而日驕,下懾伏以慢欺而取容,諫者不用而失道滋甚。吾黨久居,且為所害。”乃相與亡去。始皇聞之大怒,曰:“吾異日厚盧生,尊爵而事之,今乃誹謗我,吾聞諸生多為妖言以亂黔首。”乃使御史悉上諸生,諸生傳相告,犯法者四百六十餘人,皆坑之。盧生不得,而侯生後得,始皇聞之,召而見之,升阿東之臺,臨四通之街,將數而車裂之。始皇望見侯生,大怒曰:“老虜不良,誹謗而主,乃敢復見我!”侯生至,仰臺而言曰:“臣聞知死必勇,陛下肯聽臣一言乎?”始皇曰:“若欲何言?言之!”侯生曰:“臣聞禹立誹謗之木,欲以知過也。今陛下奢侈失本,淫泆趨末,宮室臺閣,連屬增累,珠玉重寶,積襲成山,錦繡文采,滿府有餘,婦女倡優,數鉅萬人,鐘鼓之樂,流漫無窮,酒食珍味,盤錯於前,衣服輕暖,輿馬文飾,所以自奉,麗靡爛熳,不可勝極。黔首匱竭,民力單盡,尚不自知,又急誹謗,嚴威克下,下喑上聾,臣等故去。臣等不惜臣之身,惜陛下國之亡耳。聞古之明王,食足以飽,衣足以暖,宮室足以處,輿馬足以行,故上不見棄於天,下不見棄於黔首。

秦始皇既に天下を兼(あわ)せ、大いに侈靡(しび)し、即位三十五年に猶止(や)まず、大馳道を治め、九原より雲陽に抵(いた)り、山を塹(ほ)り谷を堙(う)めて直ちに通ず。先王の宮室の小なるを厭(いと)い、乃ち豊・鎬の間、文・武の処に朝宮を営作し、渭南の山林苑中に前殿を作る。阿房(あぼう)は東西五百歩、南北五十丈、上は万人を坐せしめ、下は五丈の旗を建つべく、周に閣道を為す。殿より直ちに南山の嶺に抵りて以て闕と為し、復道を為し、阿房より渭水を渡りて咸陽に属(つづ)け、以て天極に象り、閣道漢(あまのがわ)を絶ちて営室に抵る。又驪山の役を興し、三泉の底を錮(こ)め、関中の離宮三百所、関外四百所、皆鐘盤帷帳・婦女倡優あり。東海の上・朐山の界中に石闕を立て、以て秦の東門と為す。是に於て方士の韓客侯生・斉客盧生あり、相与に謀りて曰く「当今の時は以て居るべからず。上は刑殺を以て威と為すを楽しみ、天下は罪を畏る。禄を持(たも)つ者敢えて忠を尽す莫く、上は過を聞かずして日に驕り、下は懾伏(しょうふく)して慢欺を以て容(い)るを取る。諫める者用いられずして道を失うこと滋(ますます)甚し。吾が党久しく居れば且(まさ)に害せられん」と。乃ち相与に亡去す。始皇聞きて大怒りて曰く「吾れ異日(いつか)盧生を厚くし、爵を尊びてこれに事えし。今乃ち我を誹謗す。吾聞く、諸生多く妖言を為して以て黔首を乱ると」。乃ち御史をして諸生を悉く上(あ)げしむ。諸生伝(つた)え相い告げて法を犯す者四百六十余人、皆これを坑(ほう)す。盧生は得ずして侯生は後に得られ、始皇これを聞き、召して見、阿東の台に升り、四通の街に臨み、将に数(あげ)りて車裂(しゃれつ)せんとす。始皇侯生を望見して大怒りて曰く「老虜(ろうろ)良からず、而(なんじ)の主を誹謗して乃ち敢えて復(ま)た我を見るか」と。侯生至り、台を仰ぎて言に曰く「臣聞く、死を知る者は必ず勇なりと。陛下肯(あえ)て臣の一言を聴きたまうや」と。始皇曰く「若(なんじ)何をか言わんと欲する。言え」と。侯生曰く「臣聞く、禹は誹謗の木を立て、以て過を知らんと欲せりと。今陛下は奢侈して本を失い、淫泆して末に趨(はし)る。宮室台閣は連属して増累し、珠玉重宝は積襲して山を成し、錦繍文采は府に満ちて余有り、婦女倡優は数巨万にし、鐘鼓の楽は流漫して窮まりなく、酒食珍味は盤錯して前に在り、衣服は軽暖にして輿馬は文飾せり。自ら奉ずる所以は麗靡爛熳にして勝(あ)げ尽(つく)すべからず。黔首は匱竭(きけつ)して民力単尽(たんじん)せり。尚お自ら知らずして、又誹謗を急にし、厳威を以て下に克(か)つ。下は喑(おし)にして上は聾なり。臣等は故に去りぬ。臣等は臣の身を惜しまず、陛下の国の亡ぶるを惜しむのみ。聞く、古の明王は食は飽くに足り、衣は暖なるに足り、宮室は居るに足り、車馬は行くに足りたりと。故に上は天に棄てられず、下は黔首に棄てられざりき。」

堯茅茨不剪,采椽不斲,土階三等,而樂終身者,俗以其文采之少,而質素之多也。丹朱傲虐好慢淫,不修理化,遂以不升。今陛下之淫,萬丹朱而十昆吾桀紂,臣恐陛下之十亡也,而曾不一存。”始皇默然久之,曰:“汝何不早言?”侯生曰:“陛下之意,方乘青雲飄搖於文章之觀,自賢自健,上侮五帝,下凌三王,棄素樸,就末技,陛下亡徵見久矣。臣等恐言之無益也,而自取死,故逃而不敢言。今臣必死,故為陛下陳之,雖不能使陛下不亡,欲使陛下自知也。”始皇曰:“吾可以變乎?”侯生曰:“形已成矣,陛下坐而待亡耳!若陛下欲更之,能若堯與禹乎?不然無冀也。陛下之佐又非也,臣恐變之不能存也。”始皇喟然而嘆,遂釋不誅。後三年始皇崩;二世即位,三年而秦亡。

堯は茅茨(ぼうし)を剪らず、采椽(さいてん)を斲らず、土階三等にして身を終えて楽しむは、俗は其の文采の少なくして質素の多きを以てなり。丹朱は傲虐(ごうぎゃく)にして慢淫を好み、理化を修理せず、遂に以て升(のぼ)らざりき。今陛下の淫は丹朱に万(ばん)じ、昆吾・桀・紂に十(じゅう)す。臣恐らくは陛下に十の亡(ぼう)有りて曾(かつ)て一の存(ぞん)なからんと。始皇黙然(もくぜん)として久之、曰く「汝何ぞ早く言わざりし」と。侯生曰く「陛下の意は方(まさ)に青雲に乗りて文章の観に飄摇(ひょうよう)し、自ら賢とし自ら健とし、上は五帝を侮(あなど)り下は三王を凌ぎ、素朴を棄てて末技に就く。陛下の亡の徴(しるし)見ること久し。臣等恐らくはこれを言うも益なくして自ら死を取らんと、故に逃れて敢えて言わざりき。今臣必ず死せん、故に陛下の為にこれを陳ず。陛下をして亡びざらしむる能わざるも、陛下をして自ら知らしめんと欲す」と。始皇曰く「吾れ変わるべきや」と。侯生曰く「形已(すで)に成れり、陛下坐して亡びを待つのみ。若(も)し陛下更(か)えんと欲せば、能く堯・禹の若くならんや。然らざれば冀(こいねが)うこと無かれ。陛下の佐又非(あ)らず。臣恐らくはこれを変うるも存する能わざらんと」。始皇喟然として嘆き、遂に釈して誅せず。後三年始皇崩じ、二世即位し三年にして秦亡ぶ。

魏文侯問李克曰:“刑罰之源安生?”李克曰:“生於奸邪淫泆之行。凡奸邪之心,飢寒而起,淫泆者,久飢之詭也;雕文刻鏤,害農事者也;錦繡纂組,傷女工者也。農事害,則飢之本也;女工傷,則寒之源也。飢寒並至而能不為奸邪者,未之有也;男女飾美以相矜而能無淫泆者,未嘗有也。故上不禁技巧,則國貧民侈,國貧窮者為奸邪,而富足者為淫泆,則驅民而為邪也;民以為邪,因之法隨,誅之不赦其罪,則是為民設陷也。刑罰之起有原,人主不塞其本,而替其末,傷國之道乎?”文侯曰:“善。”以為法服也。

魏文侯李克に問うて曰く「刑罰の源は安(いず)くよりか生ず」と。李克曰く「奸邪淫泆の行より生ず。凡そ奸邪の心は飢寒より起こり、淫泆は久飢の詭(き)なり。彫文刻鏤は農事を害する者、錦繍纂組は女工を傷つける者なり。農事害されれば則ち飢の本なり、女工傷つけられれば則ち寒の源なり。飢寒并(とも)に至りて能く奸邪を為さざるは未だ之れ有らざるなり。男女美を飾りて相い矜(ほこ)りて能く淫泆無きは未だ嘗て有らざるなり。故に上技巧を禁ぜざれば則ち国貧しく民侈(おご)り、国貧しき者は奸邪を為し、富足する者は淫泆を為す。則ち民を駆(か)りて邪を為さしむなり。民已に邪を為し、因りて法これに随い、これを誅して其の罪を赦さざれば則ち是れ民の為に陥(おとしあな)を設くるなり。刑罰の起こるに原有り、人主其の本を塞(ふさ)がずして其の末を替(か)うは国を傷つけるの道か」と。文侯曰く「善し」と。以て法服(ほうふく)と為す。

秦穆公閒,問由余曰:“古者明王聖帝,得國失國當何以也?”由余曰:“臣聞之,當以儉得之,以奢失之。”穆公曰:“願聞奢儉之節。”由余曰:“臣聞堯有天下,飯於土簋,啜於土鈃,其地南至交趾,北至幽都,東西至日所出入,莫不賓服。堯釋天下,舜受之,作為食器,斬木而裁之,銷銅鐵,修其刃,猶漆黑之以為器。諸侯侈國之不服者十有三。舜釋天下而禹受之,作為祭器,漆其外而朱畫其內,繒帛為茵褥,觴勺有彩,為飾彌侈,而國之不服者三十有二。夏后氏以沒,殷周受之,作為大器,而建九傲,食器雕琢,觴勺刻鏤,四壁四帷,茵席雕文,此彌侈矣,而國之不服者五十有二。君好文章,而服者彌侈,故曰儉其道也。”由余出,穆公召內史廖而告之曰:“寡人聞鄰國有聖人,敵國之憂也。今由余聖人也,寡人患之。吾將奈何?”內史廖曰:“夫戎闢而遼遠,未聞中國之聲也,君其遺之女樂以亂其政,而厚為由余請期,以疏其間,彼君臣有間,然後可圖。”君曰:“諾。”乃以女樂三九遺戎王,因為由余請期;戎王果具女樂而好之,設酒聽樂,終年不遷,馬牛羊半死。由余歸諫,諫不聽,遂去,入秦,穆公迎而拜為上卿。問其兵勢與其地利,既已得矣,舉兵而伐之,兼國十二,開地千里。穆公奢主,能聽賢納諫,故霸西戎,西戎淫於樂,誘於利,以亡其國,由離質樸也。

秦穆公閑(かん)にして由余に問うて曰く「古の明王聖帝、国を得国を失うは当に何を以てせん」と。由余曰く「臣聞く、当に倹を以てこれを得、奢を以てこれを失うべしと」。穆公曰く「願わくは奢倹の節を聞かん」と。由余曰く「臣聞く、堯天下有りて土簋(どき)に飯(め)し土鉼(どへい)に啜(すす)り、其の地南は交趾に至り北は幽都に至り、東西は日の出入する所に至るまで賓服せざる莫かりき。堯天下を釋(はな)ち舜これを受け、食器を作(つく)りて木を斬りてこれを裁ち、銅鉄を銷(と)かして其の刃を修め、猶お漆黒して以て器と為す。諸侯侈国の服せざる者十有三なり。舜天下を釈ちて禹これを受け、祭器を作りて其の外を漆(うるし)し其の内を朱画(しゅがく)し、繒帛を以て茵褥(いんじょく)を為し、觴勺(しょうしゃく)に彩(さい)有り、飾を為すこと弥(いよいよ)侈(おご)りて、国の服せざる者三十有二なり。夏后氏以(もっ)て没(ほろ)び、殷・周これを受け、大器を作して九旒(きゅうりゅう)を建て、食器は雕琢し觴勺は刻鏤し、四壁四帷、茵席彫文あり、此れ弥々侈れども国の服せざる者五十有二なり。君文章を好めば服する者弥々侈る。故に曰く、倹は其の道なりと」。由余出(い)で、穆公内史廖を召してこれに告げて曰く「寡人聞く、隣国に聖人有るは敵国の憂いなり。今由余は聖人なり、寡人これを患う。吾れ将に奈何せんとす」と。内史廖曰く「夫の戎は辟(へき)して遼遠(りょうえん)なり、未だ中国の声を聞かざるなり。君其れ女楽を遺(おく)りて其の政を乱し、厚く由余の為に期を請いて、以て其の間を疏(そ)にせよ。彼君臣間有りて然る後に図るべし」と。君曰く「諾」と。乃ち女楽三九を以て戎王に遺り、因りて由余の為に期を請う。戎王果(つい)に女楽を具(そな)えてこれを好み、酒を設け楽を聴き、終年遷(うつ)らず、馬牛羊半ば死せり。由余帰りて諫むも諫聴かれず、遂に去りて秦に入る。穆公迎えて上卿に拝す。其の兵勢と其の地利を問いて既にこれを得、兵を挙げてこれを伐(う)ち、十二国を兼ね千里を開(ひら)く。穆公は奢主なれども能く賢を聴き諫を納る、故に西戎に覇(は)す。西戎は楽に淫して利に誘われ、以て其の国を亡(ほろ)ぼすは、質朴を離るるに由るなり」と。

經侯往適魏太子,左帶羽玉具劍,右帶環佩,左光照右,右光照左;坐有頃,太子不視也,又不問也。經侯曰:“魏國亦有寶乎?”太子曰:“有。”經侯曰:“其寶何如?”太子曰:“主信臣忠,百姓上戴。此魏之寶也。”經侯曰:“吾所問者,非是之謂也。乃問其器而已。”太子曰:“有。徒師沼治魏而市無豫賈,郄辛治陽而道不拾遺,芒卯在朝而四鄰賢士無不相因而見。此三大夫乃魏國之大寶。”於是經侯默然不應,左解玉具,右解環佩,委之坐,愆然而起,默然不謝,趨而出,上車驅去。魏太子使騎操劍佩逐與經侯,使告經侯曰:“吾無德所寶,不能為珠玉所守;此寒不可衣,飢不可食,無為遺我賊。”於是經侯杜門不出,傳死。

経侯往きて魏太子に適(ゆ)き、左に羽玉具剣(ぎょくぐけん)を帯び、右に環佩(かんぱい)を帯び、左の光右を照らし、右の光左を照らす。坐(すわ)ること有頃(うちごろ)、太子視(み)ず又問わず。経侯曰く「魏国も亦宝有るか」と。太子曰く「有り」と。経侯曰く「其の宝何如(いか)なる」と。太子曰く「主信(しん)にして臣忠(ちゅう)し、百姓上戴(じょうたい)す。此れ魏の宝なり」と。経侯曰く「吾が問う所の者は是の謂に非ず。乃ち其の器を問うのみ」と。太子曰く「有り。徒師沼(とししょう)魏を治めて市に豫賈(よこ)無く、郄辛(げきしん)陽を治めて道遺を拾わず、芒卯(ぼうぼう)朝に在りて四隣の賢士相い因(よ)りて見(まみ)えざる莫(な)し。此の三大夫は乃ち魏国の大宝なり」と。是に於て経侯黙然として応ぜず、左に玉具を解き、右に環佩を解き、坐に委(す)て、愆然(けんぜん)として起ち、黙然として謝せず、趨(はし)りて出で、車に上りて駆りて去る。魏太子騎をして剣佩を操(と)らせて経侯に逐(お)わせ与(あた)えしめ、経侯に告げしめて曰く「吾れ宝と為す徳無し。珠玉の守る所と為る能わず。此れ寒きは衣(き)るべからず、飢(う)えは食うべからず。我に賊(やく)を遺(のこ)すこと為(な)かれ」と。是に於て経侯門を杜(ふさ)ぎて出でず、伝(つた)えて死す。

晉平公為馳逐之車,龍旌象色,掛之以犀象,錯之以羽芝,車成題金千鎰,立之於殿下,令群臣得觀焉。田差三過而不一顧,平公作色大怒,問田差“爾三過而不一顧,何為也?”田差對曰:“臣聞說天子者以天下,說諸侯者以國,說大夫者以官,說士者以事,說農夫者以食,說婦姑者以織。桀以奢亡,紂以淫敗,是以不敢顧也。”平公曰:“善。”乃命左右曰:“去車!”

晋平公、馳逐(ちちく)の車を為(つく)る。龍旌象色(りゅうせいぞうしょく)にして、犀象(さいぞう)を以てこれを掛け、羽芝(うし)を以てこれを錯(まじ)え、車成れば題(だい)す金千鎰(せんいつ)、これを殿下に立て、群臣をして観せしむ。田差三度過ぎて一顧(いっこ)せず。平公色を作し大怒りて田差に問う「爾三過して一顧せざるは何為(なんす)れぞ」と。田差対えて曰く「臣聞く、天子を説(とき)く者は天下を以てし、諸侯を説く者は国を以てし、大夫を説く者は官を以てし、士を説く者は事を以てし、農夫を説く者は食を以てし、婦姑を説く者は織を以てす。桀は奢を以て亡び、紂は淫を以て敗れたり。是を以て敢えて顧みざるなり」と。平公曰く「善し」と。乃ち左右に命じて曰く「車を去れ」と。

魏文侯御廩災,文侯素服闢正殿五日,群臣皆素服而吊,公子成父獨不弔。文侯復殿,公子成父趨而入賀,曰:“甚大善矣!夫御廩之災也。”文侯作色不悅,曰:“夫御廩者,寡人寶之所藏也,今火災,寡人素服闢正殿,群臣皆素服而吊;至於子,大夫而不弔。今已復辟矣,猶入賀何為?”公子成父曰:“臣聞之,天子藏於四海之內,諸侯藏於境內,大夫藏於其家,士庶人藏於篋櫝。非其所藏者必有天災,必有人患。今幸無人患,乃有天災,不亦善乎!”文侯喟然嘆曰:“善!”

魏文侯の御廩(ぎょりん)災(わざわ)いす。文侯素服して正殿を辟(さ)くること五日、群臣皆素服して弔(とむら)う。公子成父独り弔わず。文侯殿に復(ま)たるや、公子成父趨りて入りて賀して曰く「甚だ大に善し。夫の御廩の災いなり」と。文侯色を作して悦ばず、曰く「夫の御廩は寡人の宝の蔵(おさ)むる所なり。今災い有り、寡人素服して正殿を辟け、群臣皆素服して弔う。子に至りて大夫として弔わず。今已(すで)に殿に復れり、復た入りて賀するを何為れぞ」と。公子成父曰く「臣聞く、天子は四海の内に蔵し、諸侯は境内に蔵し、大夫は其の家に蔵し、士庶人は箱箋(しょうせん)に蔵す。其の蔵むべき所に非ざれば必ず天災有り、必ず人患有り。今幸いに人患なく天災のみ有れば、亦善からずや」と。文侯喟然として嘆息して曰く「善し」と。

齊桓公謂管仲曰:“吾國甚小,而財用甚少,而群臣衣服輿駕甚汰,吾欲禁之,可乎?”管仲曰:“臣聞之,君嘗之,臣食之;君好之,臣服之。今君之食也必桂之漿,衣練紫之衣,狐白之裘。此群臣之所奢汰也。詩云:‘不躬不親,庶民不信。’君欲禁之,胡不自親乎?”桓公曰:“善。”於是更制練帛之衣,大白之冠,朝一年而齊國儉也。

斉桓公管仲に謂(い)うて曰く「吾が国甚だ小にして財用甚だ少なし。而(しか)も群臣の衣服輿駕(よが)甚だ汰(おご)れり。吾れこれを禁ぜんと欲す、可(か)なるか」と。管仲曰く「臣聞く、君これを嘗(な)めれば臣これを食(くら)い、君これを好めば臣これを服す。今君の食は必ず桂の漿(しょう)、衣は練紫(れんし)の衣、狐白の裘(かわごろも)なり。此れ群臣の奢汰する所以なり。《詩》に曰く『躬(み)を躬せず親(したし)まざれば庶民信ぜず』と。君これを禁ぜんと欲せば、胡(なん)ぞ自ら親しまざる」と。桓公曰く「善し」と。是に於て更(あらた)めて練帛(れんぱく)の衣・大白の冠を制し、朝(ちょう)すること一年にして斉国倹(けん)なり。

季文子相魯,妾不衣帛,馬不食粟。仲孫它諫曰:“子為魯上卿,妾不衣帛,馬不食粟,人其以子為愛,且不華國也。”文子曰:“然乎?吾觀國人之父母衣麤食蔬,吾是以不敢。且吾聞君子以德華國,不聞以妾與馬。夫德者得於我,又得於彼,故可行;若淫於奢侈,沈於文章,不能自反,何以守國?”仲孫它慚而退。

季文子魯を相(はう)け、妾帛(きぬ)を衣(き)せず馬粟(ぞく)を食(く)わせず。仲孫它諫めて曰く「子魯の上卿たり、妾帛を衣せず馬粟を食わせず。人其れ子を以て愛(あい)と為し、且つ国を華(はな)やがせざらんか」と。文子曰く「然らんや。吾れ国人の父母の麤(あら)きを衣て蔬(あおもの)を食するを観る、吾れ是を以て敢えてせざるなり。且つ吾聞く、君子は徳を以て国を華やがせ、妾と馬を以てするを聞かざるなり。夫の徳は我に得て又彼に得るを得、故に行うべし。若(も)し奢侈に淫(ひた)り文章に沈み、自ら反(かえ)る能わざれば、何を以て国を守らん」と。仲孫它慙(は)じて退く。

趙簡子乘弊車瘦馬,衣羖羊裘,其宰進諫曰:“車新則安,馬肥則往來疾,狐白之裘溫且輕。”簡子曰:“吾非不知也。吾聞之,君子服善則益恭,細人服善則益倨;我以自備,恐有細人之心也。傳曰:周公位尊愈卑,勝敵愈懼,家富愈儉,故周氏八百餘年,此之謂也。”

趙簡子弊(へい)車・瘦馬(そうば)に乗り、羖羊裘(こようきゅう)を衣る。其の宰進みて諫めて曰く「車新なれば則ち安く、馬肥えれば往來疾(はや)く、狐白の裘は温かにして軽し」と。簡子曰く「吾れ知らざるに非ざるなり。吾聞く、君子服善(ふくぜん)なれば則ち益々恭(うやうや)しく、細人服善なれば則ち益々倨(おご)る。我は以て自ら備(そな)う、恐れ有りて細人の心有らんと。伝に曰く、周公位尊(たっと)くして愈々卑(いや)しく、敵に勝ちて愈々懼(おそ)れ、家富みて愈々倹す。故に周氏八百余年、此を謂うなり」と。

魯築郎囿,季平子欲速成,叔孫昭子曰:“安用其速成也?以虐其民,其可乎?無囿尚可乎,惡聞嬉戲之遊,罷其所治之民乎?”

魯郎囿(ろうゆう)を築き、季平子速(すみ)やかに成(な)さんと欲す。叔孫昭子曰く「安(いず)くんぞ其の速成を用いん。以て其の民を虐(しいた)ぐるは其れ可ならんか。囿無きも尚可なり、惡(いず)くんぞ嬉戯の游を聞きて其の治むる所の民を罷(つか)れしめんや」と。

衛叔孫文子問於王孫夏曰:“吾先君之廟小,吾欲更之,可乎?”對曰:“古之君子,以儉為禮;今之君子,以汰易之。夫衛國雖貧,豈無文履一奇,以易十稷之繡哉?以為非禮也。”文子乃止。

衛の叔孫文子王孫夏に問うて曰く「吾が先君の廟小なり、吾れこれを更(か)えんと欲す、可なるか」と。対えて曰く「古の君子は倹を以て礼と為し、今の君子は汰(た)を以てこれを易(か)う。夫れ衛国貧しと雖も、豈(あに)文履一奇(いっき)無くして以て十稷の繍に易えんや。以て礼に非ざると為すなり」と。文子乃ち止(や)む。

晉文公合諸侯而盟曰:“吾聞國之昏,不由聲色,必由奸利好樂,聲色者,淫也;貪奸者,惑也,夫淫惑之國,不亡必殘。自今以來,無以美妾疑妻,無以聲樂妨政,無以姦情害公,無以貨利示下。其有之者,是謂伐其根素,流於華葉;若此者,有患無憂,有寇勿弭。不如言者盟示之。”於是君子聞之曰:“文公其知道乎?其不王者猶無佐也。”

晋文公諸侯を合して盟して曰く「吾聞く、国の昏(くら)きは声色に由らずして必ず奸利好楽に由る。声色は淫なり、貪奸は惑なり。夫の淫惑の国は亡びざれば必ず残(のこ)らん。自今已来、美妾を以て妻を疑(うたが)うこと無く、声楽を以て政を妨げること無く、奸情を以て公を害すること無く、貨利を以て下に示すこと無かれ。其れこれ有る者は是れ其の根素を伐(き)りて華葉に流ると謂う。若く此の如き者は患有りて憂うること無く、寇有りて弭(や)めること勿(なか)れ。言の如からざるは盟を以てこれを示さん」と。是に於て君子これを聞きて曰く「文公其れ道を知れるか。其の王(おう)たらざるは猶お佐(たすけ)無きが如し」と。

晏子飲景公酒,日暮,公呼具火,晏子辭曰:“詩曰:‘側牟之俄。’言失德也;‘屢舞傞傞。’言失容也。‘既醉以酒,既飽以德。’‘既醉而出,並受其福。’賓主之禮也。‘醉而不出,是謂伐德。’賓主之罪也。嬰已卜其日,未卜其夜。”公曰:“善。”舉酒而祭之,再拜而出,曰:“豈過我哉?吾托國於晏子也。以其家貧善寡人,不欲淫侈也,而況與寡人謀國乎?”

晏子景公に酒を飲ます。日暮るるや公呼びて火を具(そな)えしむ。晏子辞して曰く「《詩》に曰く『側弁(そくべん)の俄(を)かなり』と、失徳を言うなり。『屡々(しばしば)舞うこと傞傞(ささ)たり』と、失容を言うなり。『既に酒を以て酔い、既に徳を以て飽く』『既に酔いて出づれば并(あわ)せて其の福を受く』は賓主の礼なり。『酔いて出でざれば是を徳を伐(そこな)うと謂う』は賓主の罪なり。嬰已(すで)に其の日を卜(うらな)えども未だ其の夜を卜(うらな)わず」と。公曰く「善し」と。酒を挙げてこれを祭り、再拝して出でて曰く「豈(あに)我に過あらんや。吾れ国を晏子に託す。其の家貧しきを以て寡人を善(よ)くし、淫侈(いんし)せざらんと欲するなり。而(し)も況(いわ)んや寡人と国を謀るをや」と。

楊王孫病且死,令其子曰:“吾死欲裸葬,以返吾真,必無易吾意。”祁侯聞之,往諫曰:“竊聞王孫令葬必裸而入地,必若所聞,愚以為不可。令死人無知則已矣,若死有知也,是戮屍於地下也,將何以見先人?愚以為不可!”王孫曰:“吾將以矯世也。夫厚葬誠無益於死者,而世以相高,靡財殫幣而腐之於地下,或乃今日入而明日出,此真與暴骸於中野何異?且夫死者終生之化,而物之歸者;歸者得至,而化者得變,是物各返其真。其真冥冥,視之無形,聽之無聲,乃合道之情。夫飾外以誇眾,厚葬以矯真,使歸者不得至,化者不得變,是使物各失其然也。且吾聞之,精神者,天之有也,形骸者,地之有也;精神離形而各歸其真,故謂之鬼。鬼之為言歸也,其屍塊然獨處,豈有知哉?厚裹之以幣帛,多送之以財寶,以奪生者財用。古聖人緣人情,不忍其親,故為之制禮;今則越之,吾是以欲裸葬以矯之也。昔堯之葬者,空木為櫝,葛藟為緘;其穿地也,下不亂泉,上不洩臭。故聖人生易尚,死易葬,不加於無用,不損於無益,謂今費財而厚葬,死者不知,生者不得用,謬哉!可謂重惑矣。”祁侯曰:“善。”遂裸葬也。

楊王孫病みて且(まさ)に死せんとす。其の子に令して曰く「吾死せば裸葬(らそう)せんと欲す。以て吾の真に返(かえ)らんと。必ず吾の意を易(か)うること無かれ」と。祁侯これを聞き、往きて諫めて曰く「窃(ひそか)に聞く、王孫葬(ほうむ)るに必ず裸にして地に入らしむと。必ず若(も)し聞く所の如くんば、愚以(おも)うに可ならざるなり。死人知無くんば則ち已(や)まん。若し死に知有らば是れ地下に尸(しかばね)を戮(りく)するなり。将に何を以て先人を見ん。愚以うに可ならず」と。王孫曰く「吾れ将に以て世を矯(た)めんとす。夫の厚葬は誠に死者に益なくして世は以て相い高(たか)し、財を靡(ほろぼ)し幣を殫(つく)してこれを地下に腐(くさ)らしむ。或いは乃ち今日入れて明日出す、此れ真に骸(むくろ)を中野に暴(さら)すと異ならんや。且つ夫の死者は終生の化にして物の帰する所なり。帰する者は至るを得、化する者は変わるを得る、是れ物各(おのおの)其の真に返るなり。其の真冥冥(めいめい)として視れば形無く聴けば声無し、乃ち道の情に合す。夫の外を飾りて以て衆に誇り、厚葬して以て真を矯(たが)うは、帰する者をして至るを得ざらしめ、化する者をして変わるを得ざらしむるなり。是れ物をして各(おのおの)其の然(しか)を失わしむるなり。且つ吾聞く、精神は天の有(も)つ所、形骸は地の有つ所なり。精神形を離れて各其の真に帰す、故にこれを鬼と謂う。鬼の為(な)るは帰を言うなり。其の尸塊然(かいぜん)として独り処(お)り、豈(あに)知有らんや。厚くこれを幣帛を以て裹(つつ)み、多くこれを財宝を以て送り、以て生者の財用を奪う。古の聖人は人情に縁(よ)り其の親を忍(しの)びず、故にこれが為に礼を制す。今は則ちこれを越(こ)ゆ。吾れ是を以て裸葬して以てこれを矯めんと欲す。昔堯の葬る者は木を空(うつ)ろにして櫃(ひつ)と為し、葛藟(かつるい)を以て緘(と)ぢると為す。其の地を穿(うが)つや、下は泉を乱らず上は臭(におい)を泄(も)らさざりき。故に聖人は生くれば尚(とうと)ぶこと易く、死せば葬ること易し。無用に加えず無益を損なわず。今財を費して厚葬するは死者知らず生者是を用うるを得ずと謂うは謬(あやま)りなり。重(かさ)ねて惑うと謂うべきなり」と。祁侯曰く「善し」と。遂に裸葬せり。

魯有儉者,瓦鬲煮食,食之而美,盛之土鈃之器,以進孔子。孔子受之,歡然而悅,如受太牢之饋。弟子曰:“瓦甂,陋器也;煮食,薄膳也。而先生何喜如此乎?”孔子曰:“吾聞好諫者思其君,食美者念其親,吾非以饌為厚也,以其食美而思我親也。”

魯に倹なる者有り、瓦鬲(がれき)に食(じ)を煮てこれを食して美(うま)しとす。土鋭(どけい)の器に盛りて以て孔子に進む。孔子これを受け、歓然として悦(よろこ)び太牢の饋(おく)りを受くるが如し。弟子曰く「瓦甂(がへん)は陋(いや)しき器、煮食は薄(うす)き膳なり。而(しか)も先生何ぞ喜ぶこと此の如き」と。孔子曰く「吾聞く、諫(いさ)めを好む者は其の君を思い、食美なる者は其の親を念(おも)う。吾れ饌(せん)の厚きを以てせず、其の食美なるを以て吾が親を思うを以てなり」と。

晏子病將死,斷楹內書焉,謂其妻曰:“楹也,語子壯而視之!”及壯發書,書之言曰:“布帛不窮,窮不可飾;牛馬不窮,窮不可服;士不可窮,窮不可任。窮乎?窮乎?窮也!”

晏子病みて将に死せんとし、楹(はしら)を断ちて書を内(い)れ、其の妻に謂うて曰く「楹なり、子に語(かた)りて壮(さかん)なりてこれを視(み)よと」と。壮に及びて書を発(ひら)く。書の言に曰く「布帛は窮(きわ)めざれ、窮むれば則ち飾るべからず。牛馬は窮めざれ、窮むれば則ち服すべからず。士は窮むべからず、窮むれば則ち任すべからず。窮むるか窮むるか、窮みなり」と。

仲尼問老聃曰:“甚矣!道之於今難行也!吾比執道委質以當世之君,而不我受也。道之於今難行也。”老子曰:“夫說者流於聽,言者亂於辭,如此二者,則道不可委矣。”

仲尼老聃に問うて曰く「甚(はなは)だし、道の今に於ける行い難きかな。吾れ比(このごろ)道を執り委質(いしつ)して当世の君に当たるも我を受けざるなり。道の今に於ける行い難きかな」と。老子曰く「夫の説く者は聴きに流れ、言う者は辞に乱る。此の二つの如くんば則ち道は委(ゆだ)ぬべからざるなり」と。

子貢問子石:“子不學詩乎?”子石曰:“吾暇乎哉?父母求吾孝,兄弟求吾悌,朋友求吾信。吾暇乎哉?”子貢曰:“請投吾詩,以學於子。”

子貢子石に問う「子《詩》を学ばざるか」と。子石曰く「吾れ暇(いとま)有らんや。父母は吾に孝を求め、兄弟は吾に悌を求め、朋友は吾に信を求む。吾れ暇有らんや」と。子貢曰く「請う、吾が《詩》を投(な)げて子に学ばん」と。

公明宣學於曾子,三年不讀書。曾子曰:“宣,而居參之門,三年不學,何也?”公明宣曰:“安敢不學?宣見夫子居宮庭,親在,叱吒之聲未嘗至於犬馬,宣說之,學而未能;宣見夫子之應賓客,恭儉而不懈惰,宣說之,學而未能;宣見夫子之居朝廷,嚴臨下而不毀傷,宣說之,學而未能。宣說此三者學而未能,宣安敢不學而居夫子之門乎?”曾子避席謝之曰:“參不及宣,其學而已。”

公明宣曾子に学び、三年書を読まず。曾子曰く「宣(せん)、而(なんじ)参(しん)の門に居(お)りて三年学ばざるは何ぞや」と。公明宣曰く「安(いず)くんぞ敢えて学ばざらん。宣夫子の宮庭に居りて親在りて叱咤(しった)の声未だ嘗て犬馬に至らざるを見る。宣これを説(よろこ)びて学べども未だ能(よ)くせず。宣夫子の賓客に応ずるを見るに恭倹にして懈惰(かいだ)せず。宣これを説びて学べども未だ能くせず。宣夫子の朝廷に居りて下に臨むに厳(げん)にして毀傷(きしょう)せざるを見る。宣これを説びて学べども未だ能くせず。宣此の三者を説びて学べども未だ能くせざれば、宣安くんぞ敢えて学ばずして夫子の門に居らん」と。曾子席を避(さ)けてこれに謝して曰く「参は宣に及ばず、其の学のみ」と。

魯人身善織屨,妻善織縞,而徙于越。或謂之曰:“子必窮!”魯人曰:“何也?”曰:“屨為履,縞為冠也,而越人徒跣剪髮,遊不用之國,欲無窮得乎?”

魯人身(み)屨(くつ)を織るに善(よ)く、妻縞(ぬのぎぬ)を織るに善くして越に徙(うつ)らんとす。或(ある)人これに謂うて曰く「子必ず窮(きわ)まらん」と。魯人曰く「何なれば」と。曰く「屨は履(は)く為、縞は冠(かむ)る為なり。而(しか)も越人徒跣(とせん)し髪を剪(き)り、用いざるの国に游(ゆ)きて窮まらざらんと欲して得られんや」と。

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