Libo

说苑 · 第7巻

西汉 · 刘向 · 第7巻 / 12

楚莊王欲伐晉,使豚尹觀焉。反曰:“不可伐也。其憂在上;其樂在下。且賢臣在焉,曰沈駒。”明年,又使豚尹觀,反曰:“可矣。初之賢人死矣。諂諛多在君之廬者,其君好樂而無禮;其下危處以怨上。上下離心,興師伐之,其民必反。”莊王從之,果如其言矣。

楚荘王は晋を攻伐せんと欲し、豚尹を派して観察せしめた。返って曰く「攻伐すべからず。彼の憂は上に在り、彼の樂は下に在り。しかも賢臣あそこに在りて、沈駒と曰う。」第二年、また豚尹を派して観察せしむ。返って曰く「可なり。初めの賢人は死せり。諂諛する人は多く君の廬に在りて、彼の君は樂を愛好して礼なく、彼の下屬は危険に處りて上を怨恨す。上下は心を離れ、兵を起して彼を攻伐せば、彼の民は必ず反せん。」荘王は聽從し、果して彼の言の如くなりき。

梁王贅其群臣而議其過,任座進諫曰:“主君國廣以大,民堅而眾,國中無賢人辯士,奈何?”王曰:“寡人國小以狹,民弱臣少,寡人獨治之,安所用賢人辯士乎?”任座曰:“不然,昔者齊無故起兵攻魯,魯君患之,召其相曰:‘為之奈何?’相對曰:‘夫柳下惠少好學,長而嘉智,主君試召使於齊。’魯君曰:‘吾千乘之主也,身自使於齊,齊不聽。夫柳下惠特布衣韋帶之士也,使之又何益乎?’相對曰:‘臣聞之,乞火不得不望其炮矣。今使柳下惠於齊,縱不解於齊兵,終不愈益攻於魯矣。’魯君乃曰:‘然乎?’相即使人召柳下惠來。入門,袪衣不趨。魯君避席而立,曰:‘寡人所謂飢而求黍稷,渴而穿井者,未嘗能以觀喜見子。今國事急,百姓恐懼,願借子大夫使齊。’柳下惠曰:‘諾。’乃東見齊侯。齊侯曰:‘魯君將懼乎?’柳下惠曰:‘臣君不懼。’齊侯忿然怒曰:‘吾望而魯城,芒若類失亡國,百姓髮屋伐木以救城郭,吾視若魯君類吾國。子曰不懼,何也?’柳下惠曰:‘臣之君所以不懼者,以其先人出周,封於魯,君之先君亦出周,封於齊,相與出周南門,刳羊而約曰:“自後子孫敢有相攻者,令其罪若此刳羊矣。”臣之君固以刳羊不懼矣,不然,百姓非不急也。’齊侯乃解兵三百里。夫柳下惠特布衣韋帶之士,至解齊,釋魯之難,奈何無賢士聖人乎?”

梁王は群臣を聚集して己の過失を議論せしむ。任座は進諫して曰く「主君の国は廣くして大、民は堅くして多きに、国中に賢人辯士なからば、如何せん。」王は曰く「寡人の国は小にして狭窄、民は弱く臣は少なし。寡人は獨自治理す、どこに賢人辯士を用いる所あらんや。」任座は曰く「然らず。昔、斉は故なく兵を起して魯を攻む。魯君は憂慮し、彼の相を召して曰く『どうすべきか』。相は答えて曰く『柳下惠は年少にして學を好み、長じて嘉美にして智あり。主君は試みに彼を召して斉に出使せしめよ』と。魯君は曰く『我は千乗の主、自ら斉に出使しても斉は聽かず。柳下惠はただ布衣韋帶の士、彼を派して何の益かあらん』と。相は答えて曰く『臣が聞くに、火を求むるはあの竈火に指せざるべからず。いま柳下惠を斉に派せば、たとえ斉兵を解除する能わざるも、終にいよいよ魯を攻めはせざらん』と。魯君はそこで曰く『是の如きか』。相は即ち人を派して柳下惠を召して來らしむ。門に入り、衣を提起して快步せず。魯君は席を離れて立ちて曰く『寡人は所謂餒えて乃ち黍稷を求め、渇きて乃ち井を挖る人、未だかつて喜悦の神色を以てあなたに見える能わざりき。いま国事は緊急、百姓は恐懼す。願わくは子大夫を借りて斉に出使せん』と。柳下惠は曰く『よし』。そこで東に向かい斉侯に見えたり。斉侯は曰く『魯君は将に恐懼せんか』。柳下惠は曰く『臣の君は恐懼せず』。斉侯は忿怒して曰く『我はお前たちの魯城を望むに、茫茫として亡国を失せりの如く、百姓は屋を拆き樹を砍りて以て城郭を救う。我はお前たちの魯君を看るに我が国の如し。あなたは恐懼せずと言う、何故か』。柳下惠は曰く『臣の君の恐懼せざる所以は、彼の先人は周より出でて魯に封ぜられ、君の先君もまた周より出でて斉に封ぜられ、ともに周の南門を出でて、羊を剖開して約定して曰く「此より以後、子孫敢えて互相いに攻打する有らば、彼の罪をしてこの剖開の羊の如くならしめん」と。臣の君は固より剖羊を以て恐懼せざるなり。然らざれば、百姓は緊急ならざるにあらず』と。斉侯はそこで兵を撤くこと三百里。柳下惠はただ布衣韋帶の士、斉を解除し魯の難を紓解するに至るに、どうして賢士聖人なからんや」と。

陸賈從高祖定天下,名為有口辯士,居左右,常使諸侯,及高祖時,中國初定,尉佗平南越,因王之,高祖使陸賈賜尉佗印,為南越王。陸生至,尉佗椎結箕踞見陸生。陸生因說佗曰:“足下中國人,親戚昆弟墳墓在真定。今足下棄反天性,捐冠帶,欲以區區之越,與天子抗衡為敵國,禍且及身矣。且夫秦失其政,諸侯豪傑並起,惟漢王先入關,據咸陽,項籍倍約,自立為西楚霸王,諸侯皆屬,可謂至強。然漢王起巴蜀,鞭笞天下,劫諸侯,遂誅項羽,滅之。五年之間,海內平定,此非人力,天之所建也。天子聞君王王南越,不助天下誅暴逆,將相欲移兵而誅王,天子憐百姓新勞苦,且休之,遣臣授君王印,剖符通使,君王宜郊迎,北面稱臣,乃欲以新造未集之越,屈強於此,漢誠聞之,掘燒君王先人冢墓,夷種宗族,使一偏將將十萬眾臨越,越則殺王以降漢,如反覆手耳。”於是尉佗乃蹶然起坐,謝陸生曰:“居蠻夷中久,殊失禮義。”因問陸生曰:“我孰與蕭何、曹參、韓信賢?”陸生曰:“王似賢。”復問:“我孰與皇帝賢?”陸生曰:“皇帝起豐沛,討暴秦,誅強楚,為天下興利除害,繼五帝三王之業,統理中國,中國之人以億計,地方萬里,居天下之膏腴,人眾車輿,萬物殷富,政由一家,自天地剖判,未嘗有也。今王眾不過數十萬,皆蠻夷,踦■山海之間,譬若漢一郡,何可乃比於漢王?”尉佗大笑曰:“吾不起中國故王此,使我居中國,何遽不若漢。”乃大悅陸生,與留飲數月。曰:“越中無足與語,至生來,令我日聞所不聞。”賜陸生橐中裝,直千金,佗送亦千金。陸生拜尉佗為南越王,令稱臣,奉漢約。歸報,高祖大悅,拜為太中大夫。

陸賈は高祖に跟隨して天下を平定し、名は口才ある辯士と為し、左右に處り、常に諸侯に出使す。高祖の時に至り、中國は剛ぎ安定せり。尉佗は南越を平定し、そこで王を称す。高祖は陸賈を派して尉佗に印を賜い、南越王と為せしめた。陸生は至り、尉佗は椎形の髪髻・箕踞して陸生を接見せり。陸生はそこで佗を游説して曰く「足下は中國人、親戚兄弟の墳墓は真定に在り。いま足下は天性を抛弃違反し、冠帶を丟掉して、区々たる越を凭りて天子と抗衡して敵国を為らんと欲すれば、禍は将に身に落ちん。さらに秦はその政を失い、諸侯豪傑は一齊に起ち、ただ漢王のみ先に關に入り、咸陽を占據せり。項籍は約定に違背し、自ら西楚霸王と立て、諸侯は皆歸屬し、以て極強と称すべし。しかるに漢王は巴蜀より兵を起し、天下を鞭笞し、諸侯を脅迫し、終に項籍を誅殺し、彼を滅掉せり。五年の間、海內は平定せり。これは人力にあらず、天の建立する所なり。天子は君王が南越に王を称すを聞き、天下を幫助して暴逆を誅殺せず、將相は兵を移して王を誅殺せんと欲すも、天子は百姓が新近勞苦するを憐憫し、暂且休息し、臣を派遣して君王に印を授け、符を剖き使を通ぜしむ。君王は当に郊外に至りて迎接し、北に向かい臣を称すべし。しかるに新造にして未だ聚集せざる越を凭りて、ここに倔强せんと欲すれば、漢はもし真に聞かば、君王の先人の冢墓を挖掘燒毀し、宗族を鏟平し、一個の偏將を派して十萬の部衆を率いて越に臨近せしめば、越は即ち王を殺して來りて漢に降せん、手を翻すが如くのみ。」そこで尉佗は即ち突然として起身し坐りて、陸生に道歉して曰く「蠻夷の中に住むこと久しく、特に礼義を失えり。」そこで陸生に問うた。「我と蕭何・曹參・韓信と誰が賢か。」陸生は曰く「王は賢なるに似たり。」再び問うた。「我と皇帝と誰が賢か。」陸生は曰く「皇帝は豐沛より兵を起し、暴秦を討伐し、強楚を誅殺し、天下のために利を興し害を除き、五帝三王の業を繼承し、中國を統理せり。中國の人は億を以て計算し、地方は萬里、天下の肥沃の地に處り、人は多く車は多く、萬物は殷富にして、政は一家より出づ。天地の剖開分別してよりこのかた、未だかつて有らざるなり。いま王の部衆は不過数十萬、皆蠻夷なり、山海の間に踦る、漢の一個の郡に比す。どうして竟に漢王に比すべからん。」尉佗は大笑して曰く「我は中國に起たざればここに王を称す。仮に我が中國に住まば、どうして立刻に漢に如かざらん。」そこで甚だ陸生を喜悦し、彼と留まりて飲酒すること數個月。曰く「越中は以て談話するに足るなし。先生の來るに至りて、我をして日々に所未聞を聞かしむ。」陸生に袋中の裝裹を賜い、價は千金、佗が送るもまた千金なり。陸生は尉佗を拜して南越王と為し、彼をして臣を称さしめ、漢の約束を奉行せしむ。歸りて報告すれば、高祖は大いに悦び、彼を拜して太中大夫と為せり。

晉楚之君相與為好會於宛丘之上。宋使人往之。晉、楚大夫曰:“趣以見天子禮見於吾君,我為見子焉。”使者曰:“冠雖弊,宜加其上;履雖新,宜居其下;周室雖微,諸侯未之能易也。師升宋城,猶不更臣之服也。”揖而去之,諸大夫瞿然,遂以諸侯之禮見之。

晋・楚の君は互相いに友好し、宛丘の上に會盟す。宋は人を派して前往せしむ。晋・楚の大夫は曰く「速やかに天子に見ゆるの礼を以て我らの君に見えよ。我らはお前のために引見せん。」使者は曰く「冠はたとえ破るるも、当にあの上に加うべし。鞋はたとえ新たなるも、当にあの下に處るべし。周室はたとえ微弱なるも、諸侯はなおそれを改換する能わず。軍隊が宋城に登るも、なお臣の服装を改換する能わず。」揖を作して離れ去る。衆大夫は驚視し、そこで諸侯の礼を以て彼に見えたり。

越使諸發執一枝梅遺梁王,梁王之臣曰“韓子”,顧謂左右曰:“惡有以一枝梅,以遺列國之君者乎?請為二三日慚之。”出謂諸發曰:“大王有命,客冠則以禮見,不冠則否。”諸發曰:“彼越亦天子之封也。不得冀、兗之州,乃處海垂之際,屏外蕃以為居,而蛟龍又與我爭焉。是以剪髮文身,爛然成章以像龍子者,將避水神也。今大國其命冠則見以禮,不冠則否。假令大國之使,時過弊邑,弊邑之君亦有命矣。曰:‘客必剪髮文身,然後見之。’於大國何如?意而安之,願假冠以見,意如不安,願無變國俗。”梁王聞之,披衣出,以見諸發。令逐韓子。詩曰:“維君子使,媚於天子。”若此之謂也。

越は諸發を派して一枝の梅を持ちて梁王に贈らしむ。梁王の臣に「韓子」という者あり、回頭して左右に對して曰く「どこに一枝の梅を以て列國の君に贈る者あらん。請う、兩三日を以て彼を羞辱せん。」出でて諸發に對して曰く「大王に命令あり。客人は冠を戴けば即ち礼を以て接見し、冠を戴かざれば即ち接見せず。」諸發は曰く「あの越もまた天子の封ずる所なり。冀・兗の州を得ず、そこで海垂の邊に處り、外蕃を屏退して來りて居住し、而して蛟龍はまた我らと争う。これにより髪を剪り身を文し、爛燗として花紋を成して以て龍子に像え、将に水神を躲避せんとす。いま大國は命令して冠を戴けば即ち礼を以て接見し、冠を戴かざれば即ち接見せずと曰う。仮に大國の使者が時に敝邑を經過せば、敝邑の君にも命令あらん。曰く『客人は必ず髪を剪り身を文し、然る後に接見せん』と。大國に對して如何。安穩と覺えば、願わくは冠を借りて進見せん。安穩と覺えざれば、願わくは國俗を改變せず。」梁王はこれを聞き、衣を披着して出でて諸發に見えたり。令を下して韓子を驅逐せしめた。『詩経』に言う「君子を遣わして、天子を喜悦せしむ。」この如く言うはこれなり。

晏子使吳,吳王謂行人曰:“吾聞晏嬰蓋北方之辯於辭,習於禮者也,命儐者:客見則稱天子。”明日,晏子有事,行人曰:“天子請見。”晏子憱然者三,曰:“臣受命弊邑之君,將使於吳王之所,不佞而迷惑入於天子之朝,敢問吳王惡乎存?”然後吳王曰:“夫差請見。”見以諸侯之禮。

晏子は呉に出使す。呉王は行人に對して曰く「我が聞くに、晏嬰はほぼ北方の辭令に善く禮に熟習する人なり。儐者に命令せよ。客人が進見すれば即ち天子と称せよ。」明日、晏子に事あり。行人は曰く「天子が見えんを請う。」晏子は驚懼不安すること三次して曰く「臣は敝邑の君に受命し、将に呉王の所に出使せんとす。不才にして迷惑して天子の朝に入りぬ。敢えて問う、呉王はどこに在るか。」然る後に呉王は曰く「夫差が見えんを請う。」諸侯の礼を以て接見せり。

晏子使吳,吳王曰:“寡人得寄僻陋蠻夷之鄉,希見教君子之行,請私而毋為罪!”晏子憱然避位矣。王曰:“吾聞齊君蓋賊以慢,野以暴,吾子容焉,何甚也?”晏子逡巡而對曰:“臣聞之,微事不通,麤事不能者必勞;大事不得,小事不為者必貧;大者不能致人,小者不能至人之門者必困,此臣之所以仕也。如臣豈能以道食人者哉?”晏子出。王笑曰:“今日吾譏晏子也,猶裸而訾高橛者。”

晏子は呉に出使す。呉王は曰く「寡人は僻陋蠻夷の鄉に寄居するを得て、君子の行為を見ること少なく教を受く。請う、私に説かん、罪と算せず!」晏子は驚懼して位子を離れたり。王は曰く「我が聞くに、斉君はほぼ賊害にして怠慢、粗野にして暴虐なり。吾子は能く身を容る。何と厲きか。」晏子は退却して答え曰く「臣が聞くに、精微の事に通ぜず粗疏の事に能わざる者は必ず勞苦し、大事を得られず小事を為さざる者は必ず貧窮し、大なるに人を招く能わず小なるに人の門に至る能わざる者は必ず困窮す。これが臣の以て官を為るの緣故なり。臣の如きは、どうして能く道を以て人を養うべからん。」晏子は出づ。王は笑いて曰く「今日我は晏子を譏刺せり。なお裸体にして高木橛を指責する人の如し。」

景公使晏子使於楚。楚王進橘置削。晏子不剖而幷食之。楚王曰:“橘當去剖。”晏子對曰:“臣聞之,賜人主前者,瓜桃不削,橘柚不剖。今萬乘無教,臣不敢剖,然臣非不知也。”

景公は晏子を派して楚に出使せしむ。楚王は橘を進上して併せて削刀を放置せり。晏子は剖開せずして併せて食えり。楚王は曰く「橘は当に皮を去りて剖開すべし。」晏子は答え曰く「臣が聞くに、人主の面前に於て賞賜を受くるに、瓜桃は削らず、橘柚は剖かずと。いま萬乘に教えなければ、臣は敢えて剖かず。しかるに臣は知らざるにあらず。」

晏子將使荊,荊王聞之,謂左右曰:“晏子賢人也,今方來,欲辱之,何以也?”左右對曰:“為其來也,臣請縛一人過王而行。”於是荊王與晏子立語。有縛一人,過王而行。王曰:“何為者也?”對曰:“齊人也。”王曰:“何坐?”曰:“坐盜。”王曰:“齊人固盜乎?”晏子反顧之曰:“江南有橘,齊王使人取之而樹之於江北,生不為橘,乃為枳,所以然者何?其土地使之然也。今齊人居齊不盜,來之荊而盜,得無土地使之然乎?”荊王曰:“吾欲傷子而反自中也。”

晏子は将に荊に出使せんとす。荊王はこれを聞き、左右に對して曰く「晏子は賢人なり。いま正に來らんとす。彼を侮辱せんと欲す。何の辦法を以てせん。」左右は答え曰く「彼の來るを待ちて、臣は一個の人を綁きて王の面前を走り過ぎらしめんを請う。」そこで荊王は晏子と立ちて話せり。人ありて一個の人を綁きて王の面前を走り過ぎたり。王は曰く「是れ何を為す者か。」答え曰く「是れ斉人。」王は曰く「何の罪を犯したるか。」曰く「盜竊の罪を犯せり。」王は曰く「斉人は本來盜竊するか。」晏子は回頭して彼を看着して曰く「江南に橘あり。斉王は人を派して取りて來りて江北に種えるに、生出するは橘にあらず、乃ち枳なり。ゆえにこのようなるは何故か。あの土地がこれを然らしむなり。いま斉人は斉に居りて盜竊せず、荊に來りて卻って盜竊す。該らずして土地がこれを然らしめるか。」荊王は曰く「我はあなたを傷害せんと欲して反って自ら打中せり。」

晏子使楚。晏子短,楚人為小門於大門之側而延晏子。晏子不入,曰:“使至狗國者從狗門入。今臣使楚,不當從此門。”儐者更從大門入見楚王。王曰:“齊無人耶?”晏子對曰:“齊之臨淄三百閭,張袂成帷,揮汗成雨。比肩繼踵而在,何為無人?”王曰:“然則何為使子?”晏子對曰:“齊命使各有所主。其賢者使賢主,不肖者使不肖主。嬰最不肖,故宜使楚耳。”

晏子は楚に出使す。晏子の身材は矮く、楚人は大門の旁に小門を作りて以て晏子を延請せり。晏子は入らず、曰く「狗國に出使するは狗門より入る。いま臣は楚に出使す。当にこの門より走るべからず。」儐者は改めて大門より入りて楚王に見えしめたり。王は曰く「斉に人なきか。」晏子は答え曰く「斉の臨淄に三百閭あり。衣袖を張開すれば即ち帷幕を成し、汗を揮洒すれば即ち雨を成す。肩膀は肩膀に挨り、脚跟は脚跟に接してあそこに在り。どうして人なからん。」王は曰く「ならば何故あなたを派せしか。」晏子は答え曰く「斉は使者を任命するに各々主關する所有り。あの賢きは賢主に出使し、不肖は不肖主に出使す。嬰は最不肖、ゆえに楚に出使するに適宜なるのみ。」

秦、楚轂兵,秦王使人使楚,楚王使人戲之曰:“子來亦卜之乎?”對曰:“然!”“卜之謂何?”對曰:“吉。”楚人曰:“噫!甚矣!子之國無良龜也。王方殺子以釁鐘,其吉如何?”使者曰:“秦、楚轂兵,吾王使我先窺我死而不還,則吾王知警戒,整齊兵以備楚,是吾所謂吉也。且使死者而無知也,又何釁於鍾,死者而有知也,吾豈錯秦相楚哉?我將使楚之鐘鼓無聲,鐘鼓無聲則將無以整齊其士卒而理君軍。夫殺人之使,絕人之謀,非古之通議也。子大夫試熟計之。”使者以報楚王。楚王赦之。此之謂“造命”。

秦・楚は兵��交え、秦王は人を派して楚に出使せしむ。楚王は人を派して彼を戲弄して曰く「お前は來るにまた占卜せしか。」答え曰く「是なり!」「占卜は何を説く。」答え曰く「吉。」楚人は曰く「噫!太も甚だし!お前の國は好き龜なし。王は正にお前を殺して以て鐘を釁さんとす。あの吉は如何。」使者は曰く「秦・楚は兵を交え、我が王は我をして先に窺探せしむ。我は死して歸らざれば、則ち我が王は警戒を知り、軍隊を整頓して以て楚を防備せん。これが我の所謂吉なり。さらに仮に死者に知覺なからば、又何ぞ鐘を釁さん。死者に知覺あらば、我はどうして秦を棄て楚に向かわんや。我は将に楚の鐘鼓をして聲音なからしめん。鐘鼓に聲音なければ則ち將に彼の士卒を整頓して君の軍隊を治理するに辦法なからん。人の使者を殺害し、人の謀劃を斷絶するは、古代通行の議論にあらず。大夫は試みに仔細に謀劃せよ。」使者は以て楚王に報告せり。楚王は彼を赦免せり。これを「造命」と曰う。

楚使使聘於齊,齊王饗之梧宮。使者曰:“大哉梧乎!”王曰:“江海之魚吞舟,大國之樹必巨,使何怪焉!”使者曰:“昔燕攻齊,遵雒路,渡濟橋,焚雍門,擊齊左而虛其右,王歜絕頸而死於杜山;公孫差格死於龍門,飲馬乎淄、澠,定獲乎琅邪,王與太后奔於莒,逃於城陽之山,當此之時,則梧之大何如乎?”王曰:“陳先生對之。”陳子曰:“臣不如刁勃。”王曰:“刁先生應之。”刁勃曰:“使者問梧之年耶?昔者荊平王為無道,加諸申氏,殺子胥父與及兄。子胥被髮乞食於吳。闔廬以為將相。三年,將吳兵復讎乎楚,戰勝乎柏舉,級頭百萬,囊瓦奔鄭,王保於隨。引師入郢,軍雲行乎郢之都。子胥親射宮門,掘平王冢,笞其墳,數其罪。曰:‘吾先人無罪而子殺之。’士卒人加百焉,然後止。當若此時,梧可以為其●矣。”

楚は使者を派して斉に聘問せしむ。斉王は梧宮に於て彼を宴饗せり。使者は曰く「梧は何と大なるか。」王は曰く「江海の魚は能く船を吞む。大國の樹は必ず巨大なり。使者は何を驚怪するか。」使者は曰く「昔、燕は斉を攻め、雒路を沿い、濟橋を渡り、雍門を焚燒し、斉の左邊を攻擊して右邊を空虛にせり。王歜は頸を割きて杜山に死し、公孫差は格鬥して龍門に死し、淄・澠に於て馬に飲ませ、琅邪に於て俘獲を確定せり。王と太后は莒に逃げ、城陽の山に逃げたり。正にあの時、ならば梧の大は又如何せん。」王は曰く「陳先生は彼に回答せよ。」陳子は曰く「臣は刁勃に如かず。」王は曰く「刁先生は應對せよ。」刁勃は曰く「使者は梧の年紀を問うか。昔、荊平王は無���の事を為し、申氏の身に加え、子胥の父と兄を殺せり。子胥は髪を披散して呉に於て食を乞えり。闔廬は彼を以て將相と為せり。三年、呉兵を率い楚に向かい仇を報い、柏舉に於て戦勝し、砍下の頭は百萬、囊瓦は鄭に逃げ、王は随に保存せり。軍隊を率いて郢に入り、軍隊は雲の如く郢の都城を走れり。子胥は自ら宮門を射、平王の冢を挖掘し、彼の墳を鞭打ち、彼の罪を數說せり。曰く『我先人に罪なくしてお前は彼を殺せり』と。士卒は毎人百を加打して然る後に止めり。正にあの時、梧は以て彼の(底本この字欠)を為るべしかりき。」

蔡使師強、王堅使於楚。楚王聞之,曰:“人名多章章者,獨為師強王堅乎?”趣見之,無以次,視其人狀,疑其名而醜其聲,又惡其形。楚王大怒曰:“今蔡無人乎?國可伐也。有人不遣乎?國可伐也。端以此誡寡人乎?國可伐也。”故發二使,見三謀伐者蔡也。

蔡は師強・王堅を派して楚に出使せしむ。楚王はこれを聞き、曰く「人名の多く昭彰なるは、独り師強・王堅を為すか。」速やかに接見し、次序に按らず、あの人の状貌を看て、彼の名を懷疑して彼の聲音を厭惡し、また彼の形貌を厭惡せり。楚王は大いに怒りて曰く「いま蔡に人なきか。國は攻伐すべし。人あるも派遣せざるか。國は攻伐すべし。特にこのを以て寡人を告誡するか。國は攻伐すべし。」ゆえに兩個の使者を派出して、三種の攻伐を謀劃するを見るは蔡なり。

趙簡子將襲衛,使史黯往視之,期以一月六日而後反。簡子曰:“何其久也?”黯曰:“謀利而得害,由不察也。今蘧伯玉為相,史■佐焉,孔子為客,子貢使令於君前甚聽。易曰:‘渙其群,元吉。’渙者賢也,群者象也,元者吉之始也。渙其群,元吉者,其佐多賢矣。”簡子按兵而不動耳。

趙簡子は将に衛を襲擊せんとし、史黯を派して前往して観察せしめ、一個月六日を約定して然る後に返回せしむ。簡子は曰く「何故このよう久きか。」黯は曰く「利を謀求して害を得るは、察せざるに由る。いま蘧伯玉は相を為し、史(底本この字欠)は輔佐し、孔子は客を為し、子貢は君前に於て使令甚だ聽從せらる。『周易』に曰く『彼の群を渙散すれば、大吉。』渙は賢、群は象徵、元は吉の開始なり。彼の群を渙散して大吉は、彼の輔佐の多賢なり。」簡子は兵を按して動かざるのみ。

魏文侯使舍人毋擇,獻鵠於齊侯。毋擇行道失之。徒獻空籠,見齊侯曰:“寡君使臣毋擇獻鵠,道飢渴,臣出而飲食之,而鵠飛沖天,遂不復反。念思非無錢以買鵠也,惡有為其君使,輕易其弊者乎?念思非不能拔劍刎頭,腐肉暴骨於中野也,為吾君貴鵠而賤士也。念思非敢走陳、蔡之間也,惡絕兩君之使,故不敢愛身逃死,來獻空籠,唯主君斧質之誅。”齊侯大悅曰:“寡人今者得茲言,三賢於鵠遠矣。寡人有都郊地百里,願獻於大夫以為湯沐邑。”毋擇對曰:“惡有為其君使而輕易其弊,而利諸侯之地乎?”遂出不反。

魏文侯は舎人毋擇を派して、齊侯に鵠を獻ぜしむ。毋擇は路上を走りてそれを丟失せり。ただ空の籠子を獻上し、齊侯に見えて曰く「寡君は臣毋擇を派して鵠を獻ぜしむるに、路上に飢渴して、臣は放出してそれに飲食せしめたるに、而して鵠は飛びて天を冲き、そこで不再び返回せず。心に思うに錢に非ざるも鵠を買うを厭惡するにあらず、彼の君のために出使してあの弊壞を輕易に看待する有るを厭惡するか。心に思うに劍を拔きて頸を抹る能わざるにあらず、腐肉は骨を暴露して曠野に在るは、我らの君が鵠を重んじて士を看輕するを以てすなり。心に思うに敢えて陳・蔡の間に逃げるにあらず、兩國君の使者を斷絶するを厭惡し、ゆえに敢えて自身を愛惜して死を逃避せず、前來して空の籠子を獻上し、ただ主君の斧質の誅殺を請う。」齊侯は大いに悦びて曰く「寡人はいまこの些の話を得たり。三方面は鵠より賢なること多し。寡人に都郊地百里あり、願わくは大夫に獻じて湯沐邑を為さん。」毋擇は答え曰く「どこに彼の君のために出使して卻ってあの弊壞を輕易に看待し、而して諸侯の地を貪圖する者あらん。」そこで出でて返回せず。

卷十三權謀

巻十三 權謀

聖王之舉事,必先諦之於謀慮,而後考之於蓍龜。白屋之士,皆關其謀;芻蕘之役,鹹盡其心。故萬舉而無遺籌失策。傳曰:“眾人之智,可以測天,兼聽獨斷,惟在一人。”此大謀之術也。謀有二端:上謀知命,其次知事。知命者預見存亡禍福之原,早知盛衰廢興之始,防事之未萌,避難於無形,若此人者,居亂世則不害於其身,在乎太平之世則必得天下之權;彼知事者亦尚矣,見事而知得失成敗之分,而究其所終極,故無敗業廢功。孔子曰:“可與適道,未可與權也。”夫非知命知事者,孰能得權謀之術。夫權謀有正有邪;君子之權謀正,小人之權謀邪。夫正者,其權謀公,故其為百姓盡心也誠;彼邪者,好私尚利,故其為百姓也詐。夫詐則亂,誠則平,是故堯之九臣誠而興於朝,其四臣詐而誅於野。誠者隆至後世;詐者當身而滅。知命知事而能於權謀者,必察誠詐之原而以處身焉,則是亦權謀之術也。夫知者舉事也,滿則慮溢,平則慮險,安則慮危,曲則慮直。由重其豫,惟恐不及,是以百舉而不陷也。

聖王は事を舉辦するに、必ず先に謀慮の上に詳審し、然る後に蓍龜の上に考核す。白屋の士は皆あの謀劃に關聯し、柴を打つ役は皆その心を盡す。ゆえに萬次の擧動にして遺漏の籌策・失誤の計なし。伝文に曰く「衆人の智は、以て天を測量すべし。兼聽獨斷は、ただ一人に在り。」これは大謀の方法なり。謀に兩端あり。上等の謀は命を知り、其の次は事を知る。命を知るは豫め存亡禍福の根源を見、早く盛衰廢興の開始を知り、事が未だ萌發せざる時に防備し、無形の中に於て災難を躲避す。この如き人は、乱世に處れば即ち其の身を害せず、太平之世に處れば即ち必ず天下の權を得る。あの事を知るもまた高尚なり。事を見て得失成敗の分別を知り、而して其の最終に到達する所を推究すれば、ゆえに敗壞の業・廢棄の功なし。孔子は曰く「以て彼とともに道に走向すべく、未だ以て彼とともに權變すべからず。」命を知り事を知るに非ざれば、誰か能く權謀の方法を得ん。權謀に正有り邪有り。君子の權謀は正、小人の權謀は邪なり。正なるは、其の權謀は公なり。ゆえに其の百姓のために心を盡くすや誠なり。あの邪なるは、私を愛好し利を崇尚す。ゆえに其の百姓のためにするや詐なり。詐なれば則ち乱れ、誠なれば則ち平らぐ。これにより堯の九個の臣は誠にして朝に興起し、其の四個の臣は詐にして野に誅せらる。誠は隆盛して後世に至り、詐は当身に即ち滅す。命を知り事を知りて能く權謀するは、必ず誠詐の根源を察看して以て身を處す。これもまた權謀の方法なり。智者は事を舉辦するに、滿ちれば則ち溢出を考慮し、平らげば則ち險を考慮し、安ければ則ち危を考慮し、曲がれば則ち直を考慮す。あの豫備を重んずるに由り、ただ及ばざるを怕る。これにより百次の擧動にして陷落せず。

楊子曰:“事之可以之貧,可以之富者,其傷行者也;事之可以之生,可以之死者,其傷勇者也。”僕子曰:“楊子智而不知命,故其知多疑,語曰:‘知命者不惑。’晏嬰是也。”

楊子は曰く「事の以てこれにより貧とすべく以てこれにより富とすべきは、品行を傷害するなり。事の以てこれにより生とすべく以てこれにより死とすべきは、勇を傷害するなり。」僕子は曰く「楊子は智ありて命を知らず。ゆえに其の智は多疑なり。俗語に曰く『命を知るは迷惑せず。』晏嬰は即ち是なり。」

趙簡子曰:“晉有澤鳴、犢●,魯有孔丘,吾殺此三人,則天下可圖也。”於是乃召澤鳴、犢●,任之以政而殺之。使人聘孔子於魯。孔子至河,臨水而觀曰:“美哉水!洋洋乎!丘之不濟於此,命也夫!”子路趨進曰:“敢問奚謂也?”孔子曰:“夫澤鳴、犢●,晉國之賢大夫也。趙簡子之未得志也,與之同聞見,及其得志也,殺之而後從政,故丘聞之:刳胎焚夭,則麒麟不至;幹澤而漁,蛟龍不遊;覆巢毀卵,則鳳凰不翔。丘聞之:君子重傷其類者也。”

趙簡子は曰く「晋に澤鳴・犢(底本この字欠)あり、魯に孔丘あり。我はこの三人を殺せば、則ち天下は以て謀取すべし。」そこで即ち澤鳴・犢(底本この字欠)を召して、政を彼らに委任して而して殺せり。人を派して魯に至り孔子を聘問せしむ。孔子は河に至り、水に臨みて觀看して曰く「美しきかな水!洋洋たるかな!丘はここに於て渡らざるは、命か!」子路は快步して進前して曰く「敢えて問う、説く所は何か。」孔子は曰く「澤鳴・犢(底本この字欠)は、晋國の賢大夫なり。趙簡子の未だ志を得ざる時、彼らと見聞を同じくせり。彼が志を得るに及んで、彼らを殺して然る後に政に從す。ゆえに丘が聞くに、胞胎を剖開し幼小を焚燒すれば、則ち麒麟は至らず。湖澤を枯竭せしめて魚を打てば、蛟龍は游がず。鳥巢を翻覆して卵を毀壞すれば、則ち鳳凰は飛翔せず。丘が聞くに、君子は其の同類を傷害するを重んず。」

孔子與齊景公坐,左右白曰:“周使來言廟燔。”齊景公出問曰:“何廟也?”孔子曰:“是釐王廟也。”景公曰:“何以知之?”孔子曰:“詩云:‘皇皇上帝,其命不忒。’天之與人,必報有德,禍亦如之。夫釐王變文武之制而作玄黃宮室,輿馬奢侈,不可振也。故天殃其廟,是以知之。”景公曰:“天何不殃其身而殃其廟乎?”子曰:“天以文王之故也。若殃其身,文王之祀,無乃絕乎?故殃其廟以章其過也。”左右入報曰:“周釐王廟也。”景公大驚,起拜曰:“善哉!聖人之智,豈不大乎!”

孔子は斉景公と坐りて、左右は報告して曰く「周の使者が來りて廟が燒けたと言う。」斉景公は出でて問うた「何の廟か。」孔子は曰く「是れ釐王廟なり。」景公は曰く「何を凭りて知るか。」孔子は曰く「『詩経』に曰く『光明の上帝、其の命は差錯なし。』天は人に給與するに、必ず徳有るに報答す。禍もまたこの如し。釐王は文王・武王の制度を改變して玄黃の宮室を建造し、車馬は奢侈にして、振興すべからず。ゆえに天は其の廟を災禍す。これにより知る。」景公は曰く「天は何故其の身を災禍せずして其の廟を災禍するか。」孔子は曰く「天は文王の緣故を以てす。もし其の身を災禍せば、文王の祭祀は、斷絶せんことを怕るのみか。ゆえに其の廟を災禍して以て其の過失を彰明す。」左右は進みて報告して曰く「是れ周釐王廟なり。」景公は大いに驚き、起身して拜して曰く「善いな!聖人の智、大ならずんばあらんや!」

齊桓公與管仲謀伐莒,謀未發而聞於國。桓公怪之,以問管仲。管仲曰:“國必有聖人也。”桓公嘆曰:“歖!日之役者,有執柘杵而上視者,意其是邪!”乃令復役,無得相代。少焉,東郭垂至。管仲曰:“此必是也。”乃令儐者延而進之,分級而立。管仲曰:“子言伐莒者也?”對曰:“然。”管仲曰:“我不言伐莒,子何故言伐莒?”對曰:“臣聞君子善謀,小人善意,臣竊意之也。”管仲曰:“我不言伐莒,子何以意之?”對曰:“臣聞君子有三色:優然喜樂者,鐘鼓之色;愀然清淨者,縗絰之色;勃然充滿者,此兵革之色也。日者,臣望君之在臺上也,勃然充滿,此兵革之色也,君籲而不吟,所言者莒也,君舉臂而指所當者莒也。臣竊慮小諸侯之未服者,其惟莒乎?臣故言之。”君子曰:“凡耳之聞,以聲也。今不聞其聲而以其容與臂,是東郭垂不以耳聽而聞也。桓公、管仲雖善謀,不能隱聖人之聽於無聲,視於無形,東郭垂有之矣。故桓公乃尊祿而禮之。”

斉桓公は管仲と莒を攻伐せんことを謀劃す。謀劃は未だ發せざるに國內はこれを聞けり。桓公は怪しいと覺え、管仲に問うた。管仲は曰く「國裏に必ず聖人あり。」桓公は嘆息して曰く「歖!白天服役するに、柘杵を持ちて向上を看る者有り。以て是ならんとす!」そこで命令して再び服役せしめ、互相いに代替するを得せず。ほどなく、東郭垂は至れり。管仲は曰く「これは必ず是なり。」そこで儐者に命令して延請進上せしめ、等級に按じて立たしめたり。管仲は曰く「お前は莒を攻伐すると説く者か。」答え曰く「是なり。」管仲は曰く「我は莒を攻伐すると説かず。お前は何故莒を攻伐すると説くか。」答え曰く「臣が聞くに、君子は謀劃に善く、小人は意會に善し。臣は私に意會せり。」管仲は曰く「我は莒を攻伐すると説かず。お前は何を凭りて意會するか。」答え曰く「臣が聞くに、君子に三種の神色あり。優然喜樂なるは、鐘鼓の神色なり。愀然清净なるは、縗絰の神色なり。勃然充滿なるは、これは兵革の神色なり。先前、臣は君が台上に在るを望見し、勃然充滿せり。これは兵革の神色なり。君は嘆息して吟哦せず、所説は莒なり。君は手臂を擧げて指す所對するは莒なり。臣は私に小諸侯の未だ服從せざるを考慮するに、ほぼ莒のみか。臣の以て説く所以なり。」君子は曰く「およそ耳の聞くは、聲音を凭る。いまあの聲音を聞かずしてあの容貌と手臂を凭るは、これは東郭垂の耳を用いずして聽くを以て聞くなり。桓公・管仲はたとえ謀劃に善くとも、能く聖人が無聲の中に聽き無形の中に看るを隱藏する能わず。東郭垂はこの有り。ゆえに桓公はそこで尊禄を以て彼を礼待せり。」

晉太史屠餘見晉國之亂,見晉平公之驕而無德義也,以其國法歸周。周威公見而問焉,曰:“天下之國,其孰先亡。”對曰:“晉先亡。”威公問其說。對曰:“臣不敢直言,示晉公以天妖,日月星辰之行多不當,曰:‘是何能然?’示以人事多義,百姓多怨,曰:‘是何傷?’示以鄰國不服,賢良不與,曰:‘是何害?’是不知所以存,所以亡。故臣曰:‘晉先亡。’居三年,晉果亡。威公又見屠餘而問焉。曰:“孰次之。”對曰:“中山次之。”威公問其故。對曰:“天生民,令有辨,有辨,人之義也。所以異於禽獸麋鹿也,君臣上下所以立也。中山之俗,以晝為夜,以夜繼日,男女切踦,固無休息,淫昏康樂,歌謳好悲,其主弗知惡,此亡國之風也。臣故曰:‘中山次之。’居二年,中山果亡。威公又見屠餘而問曰:“孰次之。”屠餘不對。威公固請。屠餘曰:“君次之。”威公懼,求國之長者,得錡疇、田邑而禮之,又得史理、趙巽以為諫臣,去苛令三十九物,以告屠餘。屠餘曰:“其尚終君之身。臣聞國之興也,天遺之賢人,與之極諫之士;國之亡也,天與之亂人與善諛者。”威公薨,九月不得葬。周乃分而為二,故有道者言,不可不重也。

晋太史屠余は晋國の乱を見、晋平公の驕傲にして徳義なきを見て、其の國法を帶びて周に歸向せり。周威公は接見して彼に問うた「天下の國、どれが先に滅亡するか。」答え曰く「晋が先に滅亡せん。」威公はあの説法を問うた。答え曰く「臣は敢えて直説せず。天妖・日月星辰の運行の多く適當ならざるを晋公に看せて、曰く『これはどうしてこのようあらん』と。人事の多く義、百姓の多く怨を看せて、曰く『これに何の損傷かあらん』と。鄰國の服せず、賢良の親附せざるを看せて、曰く『これに何の妨害かあらん』と。これは以て存、以て亡する所以を知らざるなり。ゆえに臣は曰く『晋は先に滅亡せん』と。」三年を過ぎて、晋は果して滅亡せり。威公はまた屠余に見えて彼に問うた。曰く「誰が接ぐ。」答え曰く「中山が接がん。」威公は緣故を問うた。答え曰く「天は下民を生じて、分別有らしむ。分別有るは、人の義なり。ゆえに禽獸麋鹿と同じからず。君臣上下の以て立つ能くする所以なり。中山の風俗は、白天を以て夜と為し、夜は日に接ぎ、男女は脚を相い切り、固より休息なく、淫昏安樂し、歌唱して悲哀を喜好す。其の主は厭惡を知らず。これは亡國の風氣なり。臣の以て曰く『中山が接がん』と。」兩年を過ぎて、中山は果して滅亡せり。威公はまた屠余に見えて問うた「誰が接ぐ。」屠余は答えず。威公は堅持して請うた。屠余は曰く「君が接がん。」威公は恐懼し、國中の年長の人を尋求し、錡疇・田邑を得て礼待し、また史理・趙巽を得て諫臣と為し、苛刻の命令三十九件を去りて、以て屠余に告げたり。屠余は曰く「ほぼなお君の一身を過ごす能わん。臣が聞くに、國が興起すれば、天は彼に賢人を送り、彼と極力進諫の士とす。國が滅亡すれば、天は彼に亂人と諂諛に善きを與う。」威公は去世し、九個月にして埋葬する能わず。周はそこで兩個に分裂せり。ゆえに道有る人の言は、重んぜざるべからず。

齊侯問於晏子曰:“當今之時,諸侯孰危?”對曰:“莒其亡乎?”公曰:“奚故?”對曰:“地侵於齊,貨竭於晉,是以亡也。”

斉侯が晏子に問うた「当今の時、諸侯はどれが危險か。」答え曰く「莒はほぼ将に滅亡せんか。」公は曰く「何の緣故か。」答え曰く「地は斉に侵占せられ、財貨は晋に枯竭せり。これにより滅亡せん。」

智伯從韓、魏之兵以攻趙,圍晉陽之城而溉之,城不沒者三板。絺疵謂智伯曰:“韓、魏之君必反矣。”智伯曰:“何以知之?”對曰:“夫勝趙而三分其地,今城未沒者三板,臼灶生■,人馬相食,城降有日矣。而韓、魏之君無喜志而有憂色,是非反何也?”明日,智伯謂韓、魏之君曰:“疵言君之反也。”韓、魏之君曰:“必勝趙而三分其地,今城將勝矣。夫二家雖愚,不棄美利而偝約為難不可成之事,其勢可見也。是疵必為趙說君,且使君疑二主之心,而解於攻趙也。今君聽讒臣之言而離二主之交,為君惜之。”智伯出,欲殺絺疵,絺疵逃。韓、魏之君果反。

智伯は韓・魏の兵に跟隨して來りて趙を攻め、晋陽城を圍繞して水を灌ぎたり。城は三板を差して淹没せられず。郗疵(底本は疵)は智伯に對して曰く「韓・魏の君は必ず反せん。」智伯は曰く「何を凭りて知るか。」答え曰く「趙に戦勝して三家はあの地を分けん。いま城は三板を差して淹没せられず、石臼と竈に生じ、人馬は互相いに食う。城の降るは日有り。而して韓・魏の君に喜悦の心意なくして憂色有り。これは反ならずして何か。」明日、智伯は韓・魏の君に對して曰く「疵は君が反せんと言う。」韓・魏の君は曰く「必ず趙に戦勝して三家はあの地を分けん。いま城は将に勝たんとす。兩家はたとえ愚なりとも、美利を抛弃して約定に違背して難く成り難き事を為すはせざらん。あの情勢は見るべし。これは疵が必ず趙のために君を游説して、併せて君をして二主の心を懷疑せしめ、而して趙への攻を鬆懈せしめんとするなり。いま君は讒臣の言を聽信して二主の交誼を離散すれば、君のために惋惜す。」智伯は出でて、郗疵を殺さんと欲す。郗疵は逃げたり。韓・魏の君は果して反せり。

魯公索氏將祭而亡其牲。孔子聞之,曰:“公索氏比及三年必亡矣。”後一年而亡。弟子問曰:“昔公索氏亡牲,夫子曰:‘比及三年必亡矣。’今期年而亡。夫子何以知其將亡也。”孔子曰:“祭之為言索也,索也者盡也,乃孝子所以自盡於親也。至祭而亡其牲,則餘所亡者多矣。吾以此知其將亡矣。”

魯の公索氏は将に祭祀せんとして其の牲を丟失せり。孔子はこれを聞き、曰く「公索氏は三年に等到して必ず滅亡せん。」後に一年にして滅亡せり。弟子は問うた「昔、公索氏が牲を丟失せし時、夫子は曰く『三年に等到して必ず滅亡せん』と。いま一年を滿ちて滅亡せり。夫子は何を凭りて彼が将に滅亡せんを知るか。」孔子は曰く「祭は言と為すは即ち索、索は即ち盡、乃ち孝子の以て自ら両親に心を盡くす所なり。祭祀するに至りて牲を丟失せば、則ち我が喪失するは多し。我はこれにより彼が将に滅亡せんを知る。」

蔡侯、宋公、鄭伯朝於晉。蔡侯謂叔向曰:“子亦奚以語我?”對曰:“蔡言地計眾,不若宋鄭。其車馬衣裘侈於二國,諸侯其有圖蔡者乎?”處期年,荊伐蔡而殘之。

蔡侯・宋公・鄭伯は晋に至りて朝見せり。蔡侯は叔向に對して曰く「あなたはまた何を以て我に告げるか。」答え曰く「蔡は土地を論說し民衆を計算するに、宋・鄭に如かず。其の車馬衣裘は兩國より奢侈す。諸侯はほぼ蔡を謀取する有るか。」一年を滿ちてを過過ぎて、荊は蔡を攻伐して殘破せり。

白圭之中山,中山王欲留之,固辭而去。又之齊,齊王亦欲留之,又辭而去,人問其辭。白圭曰:“二國將亡矣。所學者國有五盡,故莫之必忠,則言盡矣;莫之必譽,則名盡矣;莫之必愛,則親盡矣;行者無糧,居者無食,則財盡矣;不能用人又不能自用,則功盡矣;國有此五者,毋幸,必亡。中山與齊皆當此。若使中山之與齊也,聞五盡而更之,則必不亡也,其患在不聞也,雖聞又不信也。然則人主之務,在善聽而已矣。”

白圭は中山に至り、中山王は彼を留下せんと欲す。堅く推辞して離れ去れり。また斉に至り、斉王もまた彼を留下せんと��す。また推辞して離れ去れり。人は彼の推辞する緣故を問うた。白圭は曰く「二國は将に滅亡せん。學ぶ所は、國に五種の盡あり。ゆえに誰か必ず忠誠たるなければ、則ち話は盡く。誰か必ず称誉するなければ、則ち名は盡く。誰か必ず親愛するなければ、則ち親は盡く。走る人は糧なく、住む人は食なければ、則ち財は盡く。能く人を用いずまた能く自ら用いられざれば、則ち功は盡く。國にこの五者有れば、僥倖するなかれ。必ず滅亡せん。中山と斉は皆正にこの如し。仮に中山と斉をして、五盡を聞きて改正せしめば、則ち必ず滅亡せず。あの患は聞かざるに在り。たとえ聞くもまた信ぜず。ならば人主の要務は、善く聽くに在るのみ。」

下蔡威公閉門而哭,三日三夜,泣盡而繼以血,旁鄰窺牆而問之。曰:“子何故而哭,悲若此乎?”對曰:“吾國且亡。”曰:“何以知也?”應之曰:“吾聞病之將死也,不可為良醫;國之將亡也,不可為計謀;吾數諫吾君,吾君不用,是以知國之將亡也。”於是窺牆者聞其言,則舉宗而去之楚。居數年,楚王果舉兵伐蔡。窺牆者為司馬,將兵而往來,虜甚眾。問曰:“得無有昆弟故人乎?”見威公縛在虜中,問曰:“若何以至於此?”應曰:“吾何以不至於此?且吾聞之也,言之者行之役也,行之者言之主也。汝能行我言,汝為主,我為役,吾亦何以不至於此哉?”窺牆者乃言之於楚王,遂解其縛,與俱之楚。故曰:“能言者未必能行,能行者未必能言。”

下蔡威公は門を關じて哭せり。三天三夜にして、眼涙は盡きて血を流すに接げり。旁鄰は牆縫より窺看して彼に問うた。曰く「お前は何故哭するか、悲哀するにこの如くか。」答え曰く「我が國は将に滅亡せん。」曰く「何を凭りて知るか。」聲に應じて曰く「我が聞くに、病は将に死せんとするに、良医を為る能わず。國は将に滅亡せんとするに、計謀を為る能わずと。我は屢々我が君に進諫するに、我が君は用いず。これにより國の将に滅亡せんを知る。」そこで牆を窺う人は彼の言を聞きて、即ち宗族を率いて離れ去りて楚に至れり。數年を過ぎて、楚王は果して兵を起して蔡を攻伐せり。牆を窺う人は司馬を為し、軍隊を率いて往來し、俘虜は甚だ多し。問うた「該らずして兄弟故人あるや。」威公が俘虜の中に綁かれるを見て、問うた「お前はどうしてこの歩に至れりか。」聲に應じて曰く「我はどうしてこの歩に至らざらん。さらに我が聞くに、説話するは行事の役、行事するは説話の主と。お前は能く我が言を實行すれば、お前は主、我は役なり。我はまたどうしてこの歩に至らざらん。」牆を窺う人はそこで楚王に對して説き、終に彼の綁を解開して、彼とともに楚に至れり。ゆえに言う「能く説くは未だ必ずしも能く行わず、能く行うは未だ必ずしも能く説かず。」

管仲有疾,桓公往問之,曰:“仲父若棄寡人,豎刁可使從政乎?”對曰:“不可。豎刁自刑以求入君,其身之忍,將何有於君。”公曰:“然則易牙可乎?”對曰:“易牙解其子以食君,其子之忍,將何有於君,若用之必為諸侯笑。”及桓公歿,豎刁易牙乃作難。桓公死六十日,蟲出於戶而不收。

管仲は病あり。桓公は前往して問候して曰く「仲父がもし寡人を抛弃せば、竪刁は以て彼をして政に從わしむべきか。」答え曰く「以て可ならず。竪刁は自ら刑を受けて以て君の身邊に進入せんを求む。彼は自身に對してあのように忍ぶ。将に君に對して何かあらん。」公は曰く「ならば易牙は以て可なるか。」答え曰く「易牙は其の兒子を分解して以て君に食わしむ。彼は兒子に對してあのように忍ぶ。将に君に對して何かあらん。もし彼を用いれば必ず諸侯に恥笑せられん。」桓公が死するに及んで、竪刁・易牙はそこで亂を作せり。桓公が死して六十天にして、虫は門戶より出づるも收殮せられず。

石乞侍坐於屈建。屈建曰:“白公其為亂乎?”石乞曰:“是何言也?白公至於室無營所,下士者三人與己相若,臣者五人,所與同衣者千人。白公之行若此,何故為亂?”屈建曰:“此建之所謂亂也。以君子行,則可於國家行。過禮則國家疑之,且苟不難下其臣,必不難高其君矣。建是以知夫子將為亂也。”處十月,白公果為亂。

石乞は屈建の所に於て侍坐せり。屈建は曰く「白公は将に亂を作せんか。」石乞は曰く「これは何の言か。白公は居室に至るに營建の處所なく、下交する士に三人の自己に相像する有り、臣は五人あり、自己と同じ樣の衣服を穿つ有るは千人なり。白公の行事はこの如し。何故亂を作さん。」屈建は曰く「これが建の所謂亂なり。君子を按じて行事すれば、以て國家に對して行事すべし。禮を超過すれば則ち國家は彼を懷疑し、併せてもし臣下に對して謙下するを難とせざれば、必ず君に對して高傲するを難とせざらん。建はこれにより夫子の将に亂を作せんを知る。」十個月を過ぎて、白公は果して亂を作せり。

韓昭侯造作高門。屈宜咎曰:“昭侯不出此門。”曰:“何也?”曰:“不時。吾所謂不時者,非時日也。人固有利不利,昭侯嘗利矣,不作高門。往年秦拔宜陽,明年大旱民飢,不以此時恤民之急也,而顧反益奢,此所謂福不重至,禍必重來者也!”高門成,昭侯卒。竟不出此門。

韓昭侯は高門を建造せり。屈宜咎は曰く「昭侯はこの門を出る能わざらん。」曰く「何故か。」曰く「時に合わざるなり。我の所謂時に合わざるは、時日にあらず。人は本來利不利有り。昭侯はかつて利せり。高門を建造せず。往年秦は宜陽を攻取し、明年は大旱民饑せり。この時に於て民の急を體恤せずして、卻って反っていよいよ奢侈す。これが所謂福は重疊して至らず、禍は必ず重疊して來る!」高門は成りて、昭侯は死せり。終にこの門を出る能わざりき。

田子顏自大術至乎平陵城下,見人子問其父,見人父問其子。田子方曰:“其以平陵反乎?吾聞行於內,然後施於外。外顏欲使其眾甚矣。”後果以平陵叛。

田子顏は大術より平陵城下に至り、人の兒子を見れば即ち彼の父を問い、人の父を見れば即ち彼の子を問えり。田子方は曰く「彼はほぼ平陵を凭りて反せんか。我が聞くに、內裏に於て實行し、然る後に外面に施加す。外顏は其の部衆を驅使せんと欲するや甚だ厲し。」後に果して平陵を凭りて叛亂せり。

晉人已勝智氏,歸而繕甲砥兵。楚王恐,召梁公弘曰:“晉人已勝智氏矣。歸而繕甲兵,其以我為事乎?”梁公曰:“不患,害其在吳乎?夫吳君恤民而同其勞,使其民重上之令,而人輕其死以從上,使如虜之戰,臣登山以望之,見其用百姓之信,必也勿已乎?其備之若何?”不聽,明年,闔廬襲郢。

晋人は已に智氏に戦勝し、歸りて甲を整治し兵器を磨礪せり。楚王は恐懼し、梁公弘を召して曰く「晋人は已に智氏に戦勝せり。歸りて甲兵を整治す。ほぼ我を以て事と為さんか。」梁公は曰く「憂患せず。害はほぼ呉に在るか。あの呉君は民を體恤して彼らと勞苦を同じくし、其の民をして上の命令を重んぜしめ、而して人は自らの死を看輕して上に跟從す。俘虜の如く戰うを驅使す。臣は山に登りて以て望むに、彼が百姓の信を用いるを見る。必ず停止せざらんか。あの防備は当に如何せん。」聽かず。第二年、闔廬は郢を襲擊せり。

楚莊王欲伐陳,使人視之。使者曰:“陳不可伐也。”莊王曰:“何故?”對曰:“其城郭高,溝壑深,蓄積多,其國寧也。”王曰:“陳可伐也。夫陳,小國也,而蓄積多,蓄積多則賦斂重,賦斂重則民怨上矣。城郭高,溝壑深,則民力罷矣。”興兵伐之,遂取陳。

楚荘王は陳を攻伐せんと欲し、人を派して観察せしむ。使者は曰く「陳は攻伐すべからず。」荘王は曰く「何の緣故か。」答え曰く「其の城郭は高く、溝壑は深く、蓄積は多く、其の國は安寧なり。」王は曰く「陳は攻伐すべし。陳は小國、卻って蓄積多し。蓄積多ければ則ち賦斂は重し。賦斂重ければ則ち民は上を怨恨す。城郭高く溝壑深ければ、則ち民力は疲憊せり。」兵を起して攻伐し、終に陳を取得せり。

石益謂孫伯曰:“吳將亡矣!吾子亦知之乎?”孫伯曰:“晚矣,子之知之也。吾何為不知?”石益曰:“然則子何不以諫?”孫伯曰:“昔桀罪諫者,紂焚聖人,剖王子比干之心。袁氏之婦,絡而失其紀,其妾告之,怒棄之。夫亡者,豈斯人知其過哉?”

石益は孫伯に對して曰く「呉は将に滅亡せん!吾子はまた知るか。」孫伯は曰く「晚し。あなたは乃ち知る。我は何故知らざらん。」石益は曰く「ならばあなたは何故以て進諫せざるか。」孫伯は曰く「昔、桀は進諫する人に罪を加え、紂は聖人を焚燒し、王子比干の心を剖開せり。袁氏の婦人は絲を絡げて頭緒を失い、其の妾は彼女に告げ、怒りて彼女を抛弃せり。あの滅亡するは、どうしてこれらの人が自らの過失を知るか。」

孝宣皇帝之時,霍氏奢靡,茂陵徐先生曰:“霍氏必亡。夫在人之右而奢,亡之道也。孔子曰:‘奢則不遜。’夫不遜者必侮上,侮上者,逆之道也。出人之右,人必害之。今霍氏秉權,天下之人疾害之者多矣。夫天下害之而又以逆道行之,不亡何待?”乃上書言霍氏奢靡,陛下即愛之,宜以時抑制,無使至於亡。書三上,輒報:“聞。”其後霍氏果滅。董忠等以其功封。人有為徐先生上書者,曰:“臣聞客有過主人者,見灶直●,傍有積薪。客謂主人曰:‘曲其●,遠其積薪,不者將有火患。’主人默然不應,居無幾何,家果失火。鄉聚裡中人哀而救之,火幸息。於是殺牛置酒,燔發灼爛者在上行,餘各用功次坐,而反不錄言曲●者。向使主人聽客之言,不費牛酒,終無火患。今茂陵徐福數上書言霍氏且有變,宜防絕之。向使福說得行,則無裂地出爵之費,而國安平自如。今往事既已,而福獨不得與其功,惟陛下察客徙薪曲●之策,而使居燔發灼爛之右。”書奏,上使人賜徐福帛十匹,拜為郎。

孝宣皇帝の時、霍氏は奢侈靡費せり。茂陵徐先生は曰く「霍氏は必ず滅亡せん。人の上に處りて奢侈するは、滅亡の路なり。孔子は曰く『奢侈すれば則ち恭順ならず。』恭順ならざるは必ず上を侮辱す。上を侮辱するは、悖逆の路なり。人の上を超出すれば、人は必ず彼を害せん。いま霍氏は權を把持し、天下の人の疾恨して彼らを害するは多し。天下は彼を害して卻ってまた悖逆の道を以て行事すれば、滅亡せずして何を待たん。」そこで上書して霍氏の奢侈靡費を説き、陛下がもし彼らを愛せば、当に時を按じて抑制し、滅亡に至らしめざらしめよと。書は三次上げられ、總に回報して曰く「知った。」あの後に霍氏は果して滅せり。董忠等はあの功勞を凭りて封を受けり。人ありて徐先生のために上書して曰く「臣が聞くに、客人の主人の家を經過する有りて、竈が直きを見て、旁に堆積の薪あり。客は主人に對して曰く『あの(底本この字欠)を弄彎し、堆積の薪を遠離せしめよ。然らざれば将に火災あらん』と。主人は默然として應えず。多く久しからざるを過ぎて、家は果して火を失せり。郷里聚居の人は哀憐して來りて救い、火は幸いに熄えり。そこで牛を殺して酒を擺き、燒焦する髮と灼爛するは上位に坐り、其の余は各々功勞を按じて次いで坐れり。しかるに反ってあの(底本この字欠)を弄彎せよと説く者を收錄せず。仮に先前主人が客の言を聽かば、牛酒を耗費せずして、終に火災なからん。いま茂陵徐福は屢々上書して霍氏の将に變有らんと説き、当に防備斷絶すべしと。仮に先前福の言が實行するを得ば、則ち割地出爵の耗費なくして、國は安平して原來の如からん。いま往事は已に過去し、而して福は独りあの功勞に參与する能わず。願わくは陛下は客人の薪を搬走し(底本この字欠)を弄彎するの計策を察看して、彼をして燒焦する髮と灼爛する人の上に處らしめよ。」書は奏上せられ、皇上は人を派して徐福に帛十匹を賜い、郎を��せしめた。

齊桓公將伐山戎、孤竹,使人請助於魯。魯君進群臣而謀,皆曰:“師行數十里,入蠻夷之地,必不反矣。”於是魯許助之而不行。齊已伐山戎、孤竹,而欲移兵於魯。管仲曰:“不可。諸侯未親,今又伐遠而還誅近鄰,鄰國不親,非霸王之道,君之所得山戎之寶器者,中國之所鮮也,不可不進周公之廟乎?”桓公乃分山戎之寶,獻之周公之廟。明年起兵伐莒。魯下令丁男悉發,五尺童子皆至。孔子曰:“聖人轉禍為福,報怨以德。”此之謂也。

斉桓公は将に山戎・孤竹を攻伐せんとし、人を派して魯に向かい幫助を請求せしむ。魯君は群臣を召進して謀劃せしむ。皆曰く「軍隊は数十里を走り、蠻夷の地に入れば、必ず歸らざらん。」そこで魯は幫助を答應するも出發せず。斉は已に山戎・孤竹を攻伐し、而して軍隊を魯に移向せんと欲す。管仲は曰く「以て可ならず。諸侯は未だ親近せず。いままた遠きを攻伐して歸りて近鄰を誅殺すれば、鄰國は親近せず。霸王の道にあらず。君の得たる所の山戎の寶器は、中國の稀少なる所なり。周公の廟に進献せざるべからんや。」桓公はそこで山戎の寶を分出して、周公の廟に献ぜり。第二年に兵を起して莒を攻伐せり。魯は令を下して成年男子を全部出發せしめ、五尺童子も皆至れり。孔子は曰く「聖人は禍を轉變して福と為し、徳を以て怨に報答す。」これを言う。

中行文子出亡至邊,從者曰:“為此嗇夫者君人也,胡不休焉,且待後車者。”文子曰:“異日吾好音,此子遺吾琴,吾好佩,又遺吾玉,是不非吾過者也,自容於我者也。吾恐其以我求容也,遂不入。”後車入門,文子問嗇夫之所在,執而殺之。仲尼聞之,曰:“中行文子背道失義以亡其國,然後得之,猶活其身,道不可遺也,若此。”

中行文子は出亡して邊境に至れり。隨從は曰く「ここの嗇夫を為るは君の故人なり。何故休息せずして、併せて後面の車子を待たざるか。」文子は曰く「往日我は音樂を愛好し、この人は我に琴を送れり。我は佩玉を愛好し、また我に玉を送れり。これは我の過失を非議せざる人、是れ自ら我に容を求むる人なり。我は彼が我を以て容を求むるを怕る。そこで入らず。」後面の車子は門に入りて、文子は嗇夫の在る所を問い、捉えて彼を殺せり。孔子はこれを聞き、曰く「中行文子は道を背離し義を失いて其の國を喪失せり。然る後にこれを得て、なお彼の自身を保全す。道は遺棄すべからず、この如し。」

衛靈公襜被以與婦人遊,子貢見公。公曰:“衛其亡乎?”對曰:“昔者夏桀,殷紂不任其過故亡;成湯、文武知任其過故興,衛奚其亡也?”

衛靈公は襜衣を着て婦人と游玩せり。子貢は公に見えたり。公は曰く「衛はほぼ将に滅亡せんか。」答え曰く「昔、夏桀・殷紂は自らの過失を承擔せざればこそ滅亡せり。成湯・文王・武王は自らの過失を承擔するを知ればこそ興起せり。衛はどうして滅亡せんや。」

智伯請地於魏宣子,宣子不與。任增曰:“何為不與?”宣子曰:“彼無故而請地,吾是以不與。”任增曰:“彼無故而請地者,無故而與之,是重欲無厭也。彼喜,必又請地於諸侯,諸侯不與,必怒而伐之。”宣子曰:“善。”遂與地。智伯喜,又請地於趙,趙不與,智伯怒,圍晉陽。韓、魏合趙而反智氏,智氏遂滅。

智伯は魏宣子に向かい地を請求せり。宣子は與えず。任增は曰く「何故何故與えざるか。」宣子は曰く「彼は故なく地を請求す。我はこれにより與えず。」任增は曰く「彼は故なく地を請求すれば、故なく彼に與えよ。これは欲望を加重して滿足なからしむ。彼は喜悦して、必ずまた諸侯に向かい地を請求せん。諸侯は與えざれば、必ず怒りて攻伐せん。」宣子は曰く「よし。」そこで地を與えたり。智伯は喜悦し、また趙に向かい地を請求せり。趙は與えず。智伯は怒りて、晋晋陽を圍えり。韓・魏は趙と聯合して智氏に反せり。智氏はそこで滅亡せり。

楚莊王與晉戰,勝之,懼諸侯之畏己也,乃築為五仞之臺,臺成而觴諸侯,諸侯請約。莊王曰:“我薄德之人也。”諸侯請為觴。乃仰而曰:“將將之臺,窅窅其謀,我言而不當,諸侯伐之。”於是遠者來朝,近者入賓。

楚荘王は晋と交戦し、戦勝して、諸侯が己を畏懼するを怕り、そこで五仞の台を築き、台が成りて諸侯に酒を請い、諸侯は約を訂することを請求せり。荘王は曰く「我は徳薄き人なり。」諸侯は彼のために觴を進むるを請求せり。そこで仰いで曰く「将将たる台、深深たる謀。我が言はもし適當ならざれば、諸侯は攻伐せよ。」そこで遠きは來りて朝し、近きは進みて賓を為せり。

吳王夫差破越,又將伐陳。楚大夫皆懼,曰:“昔闔廬能用其眾,故破我於柏舉。今聞夫差又甚焉。”子西曰:“二三子,恤不相睦也,無患吳矣,昔闔廬食不貳味,處不重席,擇不取費。在國,天有災,親戚乏困而供之;在軍,食熟者半而後食。其所嘗者,卒乘必與焉。是以民不罷勞,死知不曠。今夫差,次有臺榭陂池焉;宿有妃嬙嬪御焉。一日之行,所欲必成,玩好必從,珍異是聚,夫差先自敗己,焉能敗我?”

呉王夫差は越を攻破し、また将に陳を攻伐せんとす。楚の大夫は皆恐懼し、曰く「昔、闔廬は能く其の部衆を用いたればこそ、柏舉に於て我らを攻破せり。いま聞くに夫差はまた更に厲し。」子西は曰く「二三子、憂慮すべきは互相いに和睦せざるなり。呉を憂患するなかれ。昔、闔廬は飯を食うに兩樣の菜なく、坐處に兩兩層の席を鋪かず、択取するに耗費を取らず。國裏に在りては、天に災有れば、親戚困乏すれば即ち供給す。軍中に在りては、食物は半ば熟して然る後に乃ち食う。彼の品嘗する所は、步卒車士は必ず共同して有せり。これにより民は疲憊勞苦せず、死するに空費せざるを知る。いま夫差は、駐扎するに台榭陂池あり、住宿するに妃嬙嬪御あり。一日の出行に、所想は必ず為し成し、玩好は必ず跟從し、珍奇異物は即ち聚斂す。夫差は先に自ら敗れたり。どうして能く我らを敗らん。」

越破吳,請師於楚以伐晉。楚王與大夫皆懼,將許之。左史倚相曰:“此恐吾攻己,故示我不病。請為長轂千乘,卒三萬,與分吳地也。”莊王聽之,遂取東國。

越は呉を攻破し、楚に向かい軍隊を請求して以て晋を攻伐せんとす。楚王と大夫は皆恐懼し、将に答應せんとす。左史倚相は曰く「これは我らが自らを攻打するを怕れて、ゆえに我らに彼の病なきを看せるなり。請う、長轂一千乘・士卒三萬を准備し、彼と呉の地を分けん。」荘王は聽從し、終に東國を取得せり。

陽虎為難於魯,走之齊,請師於魯,齊侯許之。鮑文子曰:“不可也。陽虎欲齊師破,齊師破,大臣必多死,於是欲奮其詐謀。夫虎有寵於季氏而將殺季孫,以不利魯國而容其求焉。今君富於季氏而大於魯國,茲陽虎所欲傾覆也。魯免其疾,而君又收之,毋乃害乎?”齊君乃執之,免而奔晉。

陽虎は魯に於て亂を作し、斉に走り、魯に向かい軍隊を請求せり。齊侯は答應せり。鮑文子は曰く「以て可ならず。陽虎は齊軍を破敗せしめんと欲す。齊軍が破敗すれば、大臣は必ず多く死せん。そこで彼の欺詐の謀を施展せんと欲す。あの虎は季氏の所に於て寵を受くるも将に季孫を殺さんとし、魯國に便利ならざるを以て彼の求を容納せり。いま君は季氏より富み、魯國より大なり。これは正に陽虎の想い傾覆せんとする所なり。魯は彼の病害を免除して、而して君はまた彼を收納すれば、害有るを怕るのみか。」齊君はそこで彼を捉え、赦免の後に晋に逃げたり。

湯欲伐桀。伊尹曰:“請阻乏貢職以觀其動。”桀怒,起九夷之師以伐之。伊尹曰:“未可。彼尚猶能起九夷之師,是罪在我也。”湯乃謝罪請服,復入貢職。明年,又不供貢職。桀怒,起九夷之師,九夷之師不起。伊尹曰:“可矣。”湯乃興師,伐而殘之。遷桀南巢氏焉。

湯は桀を攻伐せんと欲す。伊尹は曰く「請う、貢職の缺乏を停止して彼の動静を観察せん。」桀は發怒し、九夷の軍隊を發動して來りて攻伐せり。伊尹は曰く「なお以て可ならず。彼はなお能く九夷の軍隊を發動す。これは罪は我に在り。」湯はそこで謝罪して服從を請求し、再び貢職を納入せり。第二年、また貢職を供給せず。桀は發怒し、九夷の軍隊を發動せしむるに、九夷の軍隊は起たず。伊尹は曰く「可なり。」湯はそこで兵を起して、攻伐して彼を殘破せり。桀を南巢氏の所に遷えり。

武王伐紂,過隧斬岸,過水折舟,過谷發梁,過山焚萊,示民無返志也。至於有戎之隧,大風折■。散宜生諫曰:“此其妖歟?”武王曰:“非也。天落兵也。”風霽而乘以大雨,水平地而嗇。散宜生又諫曰:“此其妖歟?”武王曰:“非也,天灑兵也。”卜而龜熸。散宜生又諫曰:“此其妖歟?”武王曰:“不利以禱祠,利以擊眾,是熸之已。”故武王順天地,犯三妖而禽紂於牧野,其所獨見者精也。

武王は紂を攻伐し、隧道を經過して岸を斬斷し、水を經過して船を拆毀し、山谷を經過して橋梁を拆掉し、山を經過して草萊を焚燒し、民に返回の心なきを看せたり。有戎の隧道に至りて、大風は折れり。散宜生は進諫して曰く「これは妖か。」武王は曰く「非ず。天は兵器を落下せり。」風は停まりてまた大雨を乘じ、水は地と平らぎて收斂せり。散宜生はまた進諫して曰く「これは妖か。」武王は曰く「非ず。天は兵器を洒下せり。」占卜して龜は焦枯せり。散宜生はまた進諫して曰く「これは妖か。」武王は曰く「禱告祭祀に利あらず、部衆を攻擊するに利あり。これは焦枯已にこの如し。」ゆえに武王は天地に順從し、三妖を冒犯して牧野に於て紂を擒獲せり。彼の獨自見る所の精微なり。

晉文公與荊人戰於城濮,君問於咎犯。咎犯對曰:“服義之君,不足於信;服戰之君,不足於詐,詐之而已矣。”君問於雍季,雍季對曰:“焚林而田,得獸雖多,而明年無復也;幹澤而漁,得魚雖多,而明年無復也。詐猶可以偷利,而後無報。”遂與荊軍戰,大敗之。及賞,先雍季而後咎犯。侍者曰:“城濮之戰,咎犯之謀也!”君曰:“雍季之言,百世之謀也;咎犯之言,一時之權也,寡人既行之矣。”

晋文公は荊人と城濮に於て交戦す。君は咎犯に問うた。咎犯は答え曰く「義を服行する君は、信に滿足せず。戰を服行する君は、詐に滿足せず。欺詐するのみ。」君は雍季に問うた。雍季は答え曰く「樹林を焚燒して以て打獵すれば、獲る獸は多しといえども、明年は再び有るなし。湖澤を枯竭せしめて魚を打てば、獲る魚は多しといえども、明年は再び有るなし。欺詐はなお以て利を偷取すべく、而して後來は報答なし。」そこで荊軍と交戦し、大いに彼らを敗れり。賞賜するに及んで、雍季を先にして咎犯を後にせり。侍者は曰く「城濮の戰は、咎犯の謀なり!」君は曰く「雍季の話は、百世の謀なり。咎犯の話は、一時の權變なり。寡人は已に實行せり。」

城濮之戰,文公謂咎犯曰:“吾卜戰而龜熸。我迎歲,彼背歲。彗星見,彼操其柄,我操其標。吾又夢與荊王搏,彼在上,我在下,吾欲無戰,子以為何如?”咎犯對曰:“十戰龜熸,是荊人也。我迎歲,彼背歲,彼去我從之也。彗星見,彼操其柄,我操其標,以掃則彼利,以擊則我利。君夢與荊王搏,彼在上,君在下,則君見天而荊王伏其罪也。且吾以宋衛為主,齊秦輔我,我合天道,獨以人事固將勝之矣。”文公從之,荊人大敗。

城濮の戰に、文公は咎犯に對して曰く「我は交戦を占卜して龜は焦枯せり。我は歲星を迎え、彼は歲星を背く。彗星は出現し、彼はあの柄を握り、我はあの梢を握る。我はまた荊王と搏鬥するを夢見て、彼は上に在り、我は下に在り。我は戰わざらんと欲す。お前は以て如何。」咎犯は答え曰く「十次交戦して龜は焦枯す。これは荊人なり。我は歲星を迎え、彼は歲星を背く。彼は離れ去り、我は跟從す。彗星は出現し、彼はあの柄を握り、我はあの梢を握る。以て掃けば則ち彼に利あり、以て撃てば則ち我に利あり。君は荊王と搏鬥するを夢見て、彼は上に在り、君は下に在れば、則ち君は天を見て荊王は其の罪を伏せん。さらに我らは宋・衛を以て主と為し、齊・秦は我らを輔助す。我らは天道に合し、独り人事を凭るや固より将に勝たん。」文公は聽從し、荊人は大大に失敗せり。

越飢,句踐懼。四水進諫曰:“夫飢,越之福也,而吳之禍也。夫吳國甚富而財有餘,其君好名而不思後患。若我卑辭重幣以請糴於吳,吳必與我,與我則吳可取也。”越王從之。吳將與之,子胥諫曰:“不可。夫吳越接地鄰境,道易通,仇讎敵戰之國也。非吳有越,越必有吳矣,夫齊晉不能越三江五湖以亡吳越,不如因而攻之,是吾先王闔廬之所以霸也。且夫飢何哉?亦猶淵也,敗伐之事,誰國無有?君若不攻而輸之糴,則利去而兇至,財匱而民怨,悔無及也。”吳王曰:“吾聞義兵不服仁人,不以餓飢而攻之,雖得十越,吾不為也。”遂與糴,三年,吳亦飢,請糴于越,越王不與而攻之,遂破吳。

越は饑荒せり。句踐は恐懼す。四水は進諫して曰く「饑荒は越の福にして、呉の禍なり。呉國は甚だ富みて財に餘あり。其の君は名を愛好して後患を考慮せず。もし我らが謙卑の話・厚重の幣を以て呉に向かい糴糧を請求せば、呉は必ず我らに與えん。我らに與えれば則ち呉は以て取得すべし。」越王は聽從せり。呉は将に與えんとす。子胥は進諫して曰く「以て可ならず。吳越は土地相接し邊境は相鄰し、道路は易く通ず。是れ仇敵交戰の國なり。吳の越を擁有するに非ざれば、越は必ず呉を擁有せん。齊・晋は能く三江五湖を越えて以て吳越を滅亡する能わず。此を趁りて攻打するに如かず。これが我らの先王闔廬の以て稱覇するの緣故なり。さらに饑荒は何か。またなお深淵の如し。敗伐の事は、どの國か無からん。君がもし攻打せずして糴糧を輸送せば、則ち利は離れ去りて凶は到來し、財は匱乏して民は怨恨せん。後悔するに及ばざらん。」呉王は曰く「我が聞くに、義兵は仁人を屈服せず、饑餓を以て攻打せずと。たとえ十個の越を得るも、我は為さず。」そこで糴糧を與えたり。三年、呉もまた饑荒し、越に向かい糴糧を請求せり。越王は與えずして攻打し、終に呉を攻破せり。

趙簡子使成何、涉他與衛靈公盟於鄟澤。靈公未喋盟。成何、涉他捘靈公之手而撙之,靈公怒,欲反趙。王孫商曰:“君欲反趙,不如與百姓同惡之。”公曰:“若何?”對曰:“請命臣令於國曰:‘有姑姊妹女者家一人,質於趙。’百姓必怨,君因反之矣。”君曰:“善。”乃令之三日,遂徵之五日,而令畢國人巷哭。君乃召國大夫而謀曰:“趙為無道,反之可乎?”大夫皆曰:“可。”乃出西門,閉東門,越王聞之,縛涉他而斬之,以謝於衛,成何走燕。子貢曰:“王孫商可謂善謀矣。憎人而能害之;有患而能處之;欲用民而能附之;一舉而三物俱至,可謂善謀矣。”

趙簡子は成何・涉他を派して衛靈公と鄟澤に於て結盟せしむ。靈公は未だ歃血結盟せず。成何・涉他は靈公の手を擰りて按住せり。靈公は發怒し、趙に反せんと欲す。王孫商は曰く「君は趙に反せんと欲せば、百姓と共同して彼を厭惡するに如かず。」公は曰く「如何。」答え曰く「請う、臣に命じて國中に下令して曰く『姑姊妹女兒有るは每家一人、趙に至りて人質を為れ』と。百姓は必ず怨恨せん。君は此を趁りて彼に反せば即ち成らん。」君は曰く「よし。」そこで下令すること三天、終に徵發すること五天、而して命令は畢りて國人は巷裏に於て哭せり。君はそこで國大夫を召して謀劃して曰く「趙は無道の事を為せり。彼に反くや可なるか。」大夫は皆曰く「可なり。」そこで西門を出でて、東門を關閉せり。越王はこれを聞き、涉他を綁きて斬りて、以て衛に道歉せり。成何は燕に逃げたり。子貢は曰く「王孫商は以て謀劃に善しと称すべし。人を憎惡して能く彼を害し、患難有りて能くこれに處し、民を用いんと欲して能く彼らに親附せしむ。一擧にして三件事皆至る。以て謀劃に善しと称すべし。」

楚成王贊諸屬諸侯,使魯君為僕,魯君致大夫而謀曰:“我雖小,亦周之建國也。今成王以我為僕,可乎?”大夫皆曰:“不可。”公儀休曰:“不可不聽楚王,身死國亡,君之臣乃君之有也;為民,君也!”魯君遂為僕。

楚成王は所屬の諸侯を贊禮し、魯君をして仆を為らしめたり。魯君は大夫を召集して謀劃して曰く「我は小なりといえども、また周の建立する所の國なり。いま成王は我をして仆を為らしむ。可なるか。」大夫は皆曰く「以て可ならず。」公儀休は曰く「楚王に聽從せざるべからず。身は死し國は亡ばば、君の臣は乃ち君の所有する所なり。民と為るは、即ち君か!」魯君はそこで仆を為せり。

齊景公以其子妻闔廬,送諸郊。泣曰:“餘死不汝見矣。”高夢子曰:“齊負海而縣山,縱不能全收天下,誰幹我君?愛則勿行!”公曰:“餘有齊國之固,不能以令諸侯,又不能聽,是生亂也。寡人聞之,不能令則莫若從,且夫吳若蜂蠆然,不棄毒於人則不靜,餘恐棄毒於我也。”遂遣之。

斉景公は其の女兒を闔廬に嫁せしめ、郊外に送りて、哭泣して曰く「我が死してお前を見ざらん。」高夢子は曰く「斉は海を背靠して山に連なり、たとえ能く天下を全部收取せざるも、誰か來りて我らの君を侵犯せん。愛せば彼女を去らしむるなかれ!」公は曰く「我に齊國の堅固有るも、以て諸侯に命令する能わず、また聽從する能わず。これは亂を產生す。寡人が聞くに、能く命令せざれば則ち跟從するに如かずと。さらに呉は蜂蠆の如く、毒を人の身に放たざれば安靜せず。我は毒を我が身に放つを怕る。」そこで彼女を派遣せり。

齊欲妻鄭太子忽,太子忽辭,人問其故,太子曰:“人各有偶,齊大,非吾偶也。詩云:‘自求多福。’在我而已矣。”後戎伐齊,齊請師於鄭。鄭太子忽率師而救齊,大敗戎師,齊又欲妻之。太子固辭,人問其故。對曰:“無事於齊,吾猶不敢。今以君命救齊之急,受室以歸,人其以我為師婚乎?”終辭之。

斉は女兒を鄭太子忽に嫁せしめんと欲す。太子忽は推辞せり。人は緣故を問うた。太子は曰く「人は各々匹配有り。斉は大なり。我が匹配にあらず。『詩経』に曰く『自ら多福を求取す。』我に在るのみ。」後に戎は斉を攻伐せり。斉は鄭に向かい軍隊を請求せり。鄭太子忽は軍隊を率いて斉を救い、大いに戎軍を敗れり。斉はまた彼に女兒を嫁せしめんと欲す。太子は堅く推辞せり。人は緣故を問うた。答え曰く「斉に對して事なきの時、我はなお敢えてせず。いま君命を凭りて斉の急を解救し、妻室を接受して歸れば、人はほぼ以て我が軍隊を以て婚を求むと為さんか。」終に推辞せり。

孔子問漆雕馬人曰:“子事臧文仲、武仲、孺子容,三大夫者,孰為賢?”漆雕馬人對曰:“臧氏家有龜焉,名曰蔡;文仲立三年為一兆焉;武仲立三年為二兆焉;孺子容立三年為三兆焉,馬人立之矣。若夫三大夫之賢不賢,馬人不識也。”孔子曰:“君子哉!漆雕氏之子,其言人之美也,隱而顯;其言人之過也,微而著。故智不能及,明不能見,得無數卜乎?”

孔子は漆雕馬人に問うた「お前は臧文仲・武仲・孺子容の三位の大夫に事奉せり。誰が賢か。」漆雕馬人は答え曰く「臧氏の家に龜ありて、名は蔡と曰う。文仲は位に在りて三年に卜兆すること一次、武仲は位に在りて三年に卜兆すること兩次、孺子容は位に在りて三年に卜兆すること三次なり。馬人は立ちて看たり。三位の大夫の賢不賢に至りては、馬人は知らず。」孔子は曰く「君子かな!漆雕氏の兒子、彼は人の美を説くに、隱蔽にして顯著し、彼は人の過失を説くに、細微にして明顯なり。ゆえに智は達する能わず、明は見る能わず。能く屢々占卜せざるべからんや。」

安陵纏以顏色美壯,得幸於楚共王。江乙往見安陵纏,曰:“子之先人豈有矢石之功於王乎?”曰:“無有。”江乙曰:“子之身豈亦有乎?”曰:“無有。”江乙曰:“子之貴何以至於此乎?”曰:“僕不知所以。”江乙曰:“吾聞之,以財事人者,財盡而交疏;以色事人者,華落而愛衰。今子之華,有時而落,子何以長幸無解於王乎?”安陵纏曰:“臣年少愚陋,願委智於先生。”江乙曰:“獨從為殉可耳。”安陵纏曰:“敬聞命矣!”江乙去。居■年,逢安陵纏,謂曰:“前日所諭子者,通於王乎?”曰:“未可也。”居■年。江乙復見安陵纏曰:“子豈諭王乎?”安陵纏曰:“臣未得王之間也。”江乙曰:“子出與王同車,入與王同坐。居三年,言未得王之間,子以吾之說未可耳。”不悅而去。其年,共王獵江渚之野,野火之起若雲蜺,虎狼之嗥若雷霆。有狂兕從南方來,正觸王左驂,王舉旌旄,而使善射者射之,一發,兕死車下,王大喜,拊手而笑,顧謂安陵纏曰:“吾萬歲之後,子將誰與斯樂乎?”安陵纏乃逡巡而卻,泣下霑衿,抱王曰:“萬歲之後,臣將從為殉,安知樂此者誰?”於是共王乃封安陵纏於車下三百戶。故曰:“江乙善謀,安陵纏知時。”

安陵纏は顔色美壯を凭りて、楚共王の寵幸を得たり。江乙は前去して安陵纏に見えて曰く「あなたの先人は王に對して矢石の功勞有るや。」曰く「無し。」江乙は曰く「あなたの自身はまた有るや。」曰く「無し。」江乙は曰く「あなたの貴は何を凭りてこの歩に至れりか。」曰く「仆は然らんとする所以を知らず。」江乙は曰く「我が聞くに、財を以て人に事奉するは、財が盡きれば交情は疏遠し、容色を以て人に事奉するは、花が落ちれば愛は衰減す。いまあなたの花は、時に落つる有り。あなたは何を凭りて長く寵を受け、王に對して鬆懈なからん。」安陵纏は曰く「臣は年紀輕く愚陋なり。願わくは智を先生に委托せん。」江乙は曰く「独り跟從して殉葬を為るのみ可なり。」安陵纏は曰く「命を恭敬して聞きたり!」江乙は離れ去れり。數年を過ぎて、安陵纏に遇い、彼に對し��曰く「前日にあなたに曉諭せし所は、王に説きしか。」曰く「なお以て可ならず。」數年を過ぎたり。江乙は再び安陵纏に見えて曰く「あなたは王に曉諭せしか。」安陵纏は曰く「臣は未だ王の空隙を得ず。」江乙は曰く「あなたは出ずれば王と車を同じくし、入れば王と坐を同じくす。三年を過ぎて、なお王の空隙を得ずと説くは、あなたは以て我が説法をなお以て可ならずとするのみ。」高興せずして離れ去れり。あの年、共王は江渚の野に於て打獵せり。野火は起りて雲霓の如く、虎狼の嗥叫は雷霆の如し。狂兕有りて南方より來り、正に王の左邊の驂馬に撞上せり。王は旌旄を擧げ、射に善き者をして彼を射せしむ。一發して、兕は車下に死せり。王は大いに喜び、手を拍ちて笑い、回頭して安陵纏に對して曰く「我が萬歲の後、お前は将に誰とともにこの如き樂を享せん。」安陵纏はそこで退却し、眼涙は下りて衣襟を沾湿し、王を抱いて曰く「萬歲の後、臣は将に跟從して殉葬を為さん。どうしてこの樂するは誰なるを知らん。」そこで共王は即ち車下に於て安陵纏に三百戸を封給せり。ゆえに言う「江乙は謀劃に善く、安陵纏は時を知る。」

太子商臣怨令尹子上也。楚攻陳,晉救之。夾泜水而軍。陽處父知商臣之怨子上也,因謂子上曰:“少卻,吾涉而從子。”子上卻。因令晉軍曰:“楚遁矣。”使人告商臣曰:“子上受晉賂而去之。”商臣訴之成王,成王遂殺之。

太子商臣は令尹子上を怨恨せり。楚は陳を攻め、晋は來りて救えり。泜水を夾みて軍を駐せり。陽處父は商臣が子上を怨恨するを知り、そこで子上に對して曰く「稍稍退却せよ。我は水を渡りてあなたに跟從せん。」子上は退却せり。そこで晋軍に命令して曰く「楚は逃げ去れり。」人を派して商臣に告げて曰く「子上は晋の賄賂を接受して離れ去れり。」商臣は成王に訴說せり。成王はそこで彼を殺せり。

智伯欲襲衛,故遺之乘馬,先之一璧,衛君大悅,酌酒,諸大夫皆喜。南文子獨不喜,有憂色。衛君曰:“大國禮寡人,寡人故酌諸大夫酒,諸大夫皆喜,而子獨不喜,有憂色者,何也?”南文子曰:“無方之禮,無功之賞,禍之先也。我未有往,彼有以來,是以憂也。”於是衛君乃修梁津而擬邊城。智伯聞衛兵在境上,乃還。

智伯は衛を襲擊せんと欲し、ゆえにそれに乘馬を送り、先に一塊の璧を送れり。衛君は大いに悦び、酒を設け、衆大夫は皆喜悦せり。南文子は独り喜悦せず、憂色有り。衛君は曰く「大國は寡人を礼待す。寡人の以て衆大夫に酒を設くる所以なり。衆大夫は皆喜悦せり。而してあなたは独り喜悦せず、憂色有り。何故か。」南文子は曰く「緣由なきの礼、功勞なきの賞は、禍の先導なり。我は前往せざるに、彼は卻ってこれを以て前來する有り。ゆえに憂慮す。」そこで衛君は即ち橋梁渡口を整修して邊城に比擬せり。智伯は衛兵が邊境の上に在るを聞き、そこで返回せり。

智伯欲襲衛,乃佯亡其太子顏,使奔衛。南文子曰:“太子顏之為其君子也,甚愛。非有大罪也,而亡之?必有故!然人亡而不受不祥。”使吏逆之,曰:“車過五乘,慎勿內也。”智伯聞之,乃止。

智伯は衛を襲擊せんと欲し、そこで其の太子顏が逃亡するを假裝して、彼をして衛に逃げしめたり。南文子は曰く「太子顏は彼の君の兒子を為り、甚だ愛せらる。大罪有るに非ざれば、卻って逃亡せんや。必ず緣故有り!しかるに人が逃亡するは接受せざれば不祥なり。」吏を派して迎接して、曰く「車子が五乘を超過せば、謹みて納接するなかれ。」智伯はこれを聞き、そこで停止せり。

叔向之殺萇弘也,數見萇弘於周。因佯遺書曰:“萇弘謂叔向曰:‘子起晉國之兵以攻周,吾廢劉氏而立單氏。’”劉氏請之。君曰:“此萇弘也。”乃殺之。

叔向は萇弘を殺し、屢々周に於て萇弘に見えたり。そこで書信を遺失するを假裝して曰く「萇弘は叔向に對して曰く『お前は晋國の兵を發動して來りて周を攻めよ。我は劉氏を廢掉して單氏を立てん』と。」劉氏は處置を請求せり。君は曰く「これは萇弘なり。」そこで彼を殺せり。

楚公子午使於秦,秦囚之,其弟獻三百金於叔向,叔向謂平公曰:“何不城壺丘?秦楚患壺丘之城。若秦恐而歸公子午,以止吾城也,君乃止,難亦未構,楚必德君。”平公曰:“善。”乃城之。秦恐,遂歸公子午使之晉,晉人輟城,楚獻晉賦三百車。

楚公子午は秦に出使す。秦は彼を囚禁せり。其の弟弟は三百金を献上して叔向に與えたり。叔向は平公に對して曰く「何故壺丘に城を築かざるか。秦・楚は壺丘の城を憂患す。もし秦が恐懼して公子午を歸還して、以て我らの城を築くを制止せば、君は即ち停止せよ。仇怨もまた未だ構成せず、楚は必ず君を感激せん。」平公は曰く「よし。」そこで城を築きたり。秦は恐懼し、終に公子午を歸還して彼を晋に派せしめたり。晋人は城を築くを停止せり。楚は晋に賦税三百車を献ぜり。

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