Libo

说苑 · 第6巻

西汉 · 刘向 · 第6巻 / 12

孔子曰:“存亡禍福,皆在己而已,天災地妖,亦不能殺也。”昔者殷王帝辛之時,爵生烏於城之隅,工人占之曰:“凡小以生巨,國家必祉,王名必倍。”帝辛喜爵之德,不治國家,亢暴無極,外寇乃至,遂亡殷國,此逆天之時,詭福反為禍至。殷王武丁之時,先王道缺,刑法弛,桑谷俱生於朝,七月而大拱,工人占之曰:“桑谷者,野物也;野物生於朝,意朝亡乎!”武丁恐駭,側身修行,思先王之政,興滅國,繼絕世,舉逸民,明養老之道;三年之後,遠方之君,重譯而朝者六國,此迎天時得禍反為福也。故妖孽者,天所以警天子諸侯也;惡夢者,所以警士大夫也。故妖孽不勝善政,惡夢不勝善行也;至治之極,禍反為福。故太甲曰:“天作孽,猶可違;自作孽,不可逭。”

孔子は言った。「存亡禍福は、皆在りて己のみ。天災地妖も、殺害する能わず。」昔、殷王帝辛の時、爵は烏を城の角落に生出せり。工人は占卜して言った。「およそ小の大を生出するは、国家に必ず福あり。王の名は必ず加倍せん。」帝辛は爵の徳を好み、国家を治めず、亢暴して極に至れり。外寇はそこで至り、終に殷国を滅亡せり。これは天の時に違逆し、詭詐の福は反つて禍と為りて到来せり。殷王武丁の時、先王の道は缺失し、刑法は鬆弛す。桑と穀は一斉に朝廷に生出せり。七箇月にして両手合圍ほど大なり。工人は占卜して言った。「桑穀は野物なり。野物が朝廷に生ずは、朝廷は亡びんとするか!」武丁は恐懼し、身を側して行を修め、先王の政を思考し、滅亡せし国を興起し、斷絶せる世を接續し、隱逸の民を舉用し、養老の道理を顯明せり。三年の後、遠方の君は重譯を經て朝見に來たる六国あり。これは天時に迎合し、禍を得て反つて福と為るなり。ゆえに妖孽は天の以て天子諸侯を警戒するなり。惡夢は以て士大夫を警戒するなり。ゆえに妖孽は善政に勝ちたらず、惡夢は善行に勝ちたらず。治理が極に至れば、禍は反つて福と為るなり。ゆえに『尚書』に言う「天の為せる孽は、まだ避くべし。自ら為せる孽は、脱るべからず。」

石讎曰:“春秋有忽然而足以亡者,國君不可以不慎也!妃妾不一,足以亡;公族不親,足以亡;大臣不任,足以亡;國爵不用,足以亡;親佞近讒,足以亡;舉百事不時,足以亡;使民不節,足以亡;刑罰不中,足以亡;內失眾心,足以亡;外嫚大國,足以亡。”

石讐は言った。「『春秋』に忽然發生して以て滅亡に足る事あり。国君は謹慎せざるべからず!妃妾が專一ならざるは、以て滅亡に足る。公族が親近ならざるは、以て滅亡に足る。大臣が任用せられざるは、以て滅亡に足る。国家の爵が用いられざるは、以て滅亡に足る。佞人に親近し讒人に接近するは、以て滅亡に足る。百事を興辦して時に合わざるは、以て滅亡に足る。民を役使して節制なきは、以て滅亡に足る。刑罰が當を得ざるは、以て滅亡に足る。內裏に衆心を失うは、以て滅亡に足る。對外に大国を輕慢するは、以て滅亡に足る。」

夫福生於隱約,而禍生於得意,齊頃公是也。齊頃公、桓公之子孫也,地廣民眾,兵強國富,又得霸者之餘尊,驕蹇怠傲,未嘗肯出會同諸侯,乃興師伐魯,反敗衛師於新築,輕小嫚大之行甚。俄而晉魯往聘,以使者戲,二國怒,歸求黨與助,得衛及曹,四國相輔期戰於鞍,大敗齊師,獲齊頃公,斬逢醜父,於是戄然大恐,賴逢醜父之欺,奔逃得歸。弔死問疾,七年不飲酒,不食肉,外金石絲竹之聲,遠婦女之色,出會與盟,卑下諸侯,國家內得行義,聲問震乎諸侯,所亡之地弗求而自為來,尊寵不武而得之,可謂能詘免變化以致之,故福生於隱約,而禍生於得意,此得失之效也。

福は隱約困窮より產生し、禍は得意より產生す。齊頃公はこれなり。齊頃公は桓公の子孫、地は広く人は多く、兵は強く国は富し。また覇者の遺留する尊を得、驕傲怠慢して、かつて肯んじて出でて諸侯に会同せず。そこで兵を起して魯を攻伐し、回師して新筑で衛軍を打敗せり。小国を軽視し大国を輕慢する行は甚だ過分なり。間もなく晋・魯は前來りて聘問す。使者を以て玩笑と為せり。二国は怒り、帰りて黨羽を尋求して助け、衛と曹を得、四国は互相輔助して鞍に於て交戦せんことを約束せり。斉軍を大敗せしめ、齊頃公を俘獲し、逢丑父を斬り、そこで驚懼大恐せり。逢丑父の欺欺騙に憑りて奔逃して帰るを得たり。死者を弔唁し病人を慰問し、七年酒を飲まず肉を食わず、金石絲竹の声を拒斥し、婦女の美色を疏遠し、出でて諸侯に会同し盟約し、諸侯に対して卑下せり。国家内部に於て義を實行するを得、声聞は諸侯に震動せり。失う所の地は求めずして自ら至り、尊寵は武力を用いずして得たり。以て身を屈めて禍を免れ、變化して招致する能しと称すべし。ゆえに福は隱約困窮より產生し、禍は得意より產生す。これは得失の效験なり。

大功之效,在於用賢積道,浸章浸明;衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡,晉文公是其效也。晉文公出亡,修道不休,得至於饗國,饗國之時,上無明天子,下無賢方伯,強楚主會,諸侯背畔,天子失道,出居於鄭。文公於是憫中國之微,任咎犯、先軫、陽處父,畜愛百姓,厲養戎士,四年政治內定,則舉兵而伐衛,執曹伯,還敗強楚,威震天下,明王法率諸侯而朝天子,莫敢不聽,天下曠然平定,周室尊顯,故曰大功之效,在於用賢積道,浸章浸明,文公於是霸功立,期至意得湯武之心,作而忘其眾,一年三用師,且弗休息。遂進而圍許,兵亟弊不能服,罷諸侯而歸,自此而怠政事,為狄泉之盟,不親至,信衰誼缺,如羅不補,威武詘折不信,則諸侯不朝,鄭遂叛,夷狄內侵,衛遷於商止。故曰:衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡。

大功の效験は、賢人を任用し道を積蓄して、漸々彰明するに在り。衰滅の過失は、得意にして懈怠して、漸々困蹇し漸々滅亡するに在り。晋文公は即ちあの效験なり。晋文公は外に出でて流亡し、道を修養して停止せず、以て国家を享有するに至るを得たり。国家を享有する時、上に英明の天子なく、下に賢能の方伯なし。強楚は會盟を主持し、諸侯は背叛し、天子は道を失い、出でて鄭に居る。文公はそこで中国の微弱を憐れみ、咎犯・先軫・陽處父を任用し、百姓を畜養愛護し、戦士を激勵教養せり。四年にして政は内部に安定し、即ち兵を起して衛を攻伐し、曹伯を捉え、回師して強楚を打敗せり。威勢は天下に震動せり。王法を顯明にし諸侯を率領して天子に朝見せしめ、敢えて聽かざるなし。天下は空闊平定し、周室は尊顯せり。ゆえに言う、大功の效験は、賢人を任用し道を積蓄して、漸々彰明するに在りと。文公はそこで覇功を成立し、期望は至り意を得、湯武の心あり。起ちて彼の部衆を忘れ、一年に三たび兵を用い、併せて休息せず。そこで進みて許を圍むも、軍は屢々疲弊して降服する能わず。諸侯を停止して返回せば、これより政事を懈怠せり。狄泉の盟約を為すも、自ら至らず。信用は衰減し情誼は缺損し、網は破れて補わざるが如し。威武は屈折して信られず。ならば諸侯は朝見せず、鄭はそこで背叛し、夷狄は內に侵擾し、衛は商止に遷れり。ゆえに言う、衰滅の過失は、得意にして懈怠して、漸々困蹇し漸々滅亡するに在りと。

田子方侍魏文侯坐,太子擊趨而入見,賓客群臣皆起,田子方獨不起,文侯有不說之色,太子亦然,田子方稱曰:“為子起歟?無如禮何!不為子起歟?無如罪何!請為子誦楚恭王之為太子也,將出之雲夢,遇大夫工尹,工尹遂趨避家人之門中,太子下車從之家人之門中曰:‘子大夫何為其若是?吾聞之,敬其父者不兼其子,兼其子者不祥莫大焉,子大夫何為其若是?’工尹曰:‘向吾望見子之面,今而後記子之心,審如此,汝將何之?’”文侯曰:“善。”太子擊前誦恭王之言,誦三遍而請習之。

田子方が魏文侯に侍奉して坐するに、太子撃は快步して入りて進見せり。賓客群臣は皆起身したが、田子方は独り起たず。文侯は高興ならざる神色あり。太子もこの如し。田子方は称して言った。「子のために起身せんか。礼を如何せん。子のために起身せざらんか。罪を如何せん。子のために楚恭王が太子を為しし時を誦説せんことを請う。将に雲夢に往かんとするに、大夫工尹に遇えり。工尹はそこで快步して家人の門裏に躲避せり。太子は車を下りて従いて家人の門裏に至りて言う『大夫は何故このようにするか。我が聞くに、彼の父を敬重するは彼の子を兼帯せず、彼の子を兼帯するは、祥ならざるこれより大なるはなし。大夫は何故このようにするか』と。工尹は言う『先前我はあなたの面を望見せり。今より以後はあなたの心を記憶せん。確かにこの如し。あなたは将にどこに往かん』と。」文侯は言った。「よし。」太子撃は上前して恭王の言を誦読し、誦読すること三遍して彼を熟習せんことを請えり。

子贛之承,或在塗,見道側巾幣布擁蒙而衣衰,其名曰丹綽。子贛問焉,曰:“此至承幾何?”嘿然不對。子贛曰:“人問乎己而不應,何也?”屏其擁蒙而言曰:“望而黷人者,仁乎?睹而不識者,智乎?輕侮人者,義乎?”子贛下車曰:“賜不仁,過聞三言,可復聞乎?”曰:“是足於子矣,吾不告子。”於是子贛三偶則式,五偶則下。

子贛が承に往く。あるいは路上に在りて、道旁に巾幣布を以て頭を蒙い喪服を着る者を見たり。その名は丹綽なり。子贛は彼に問うた。「ここより承に至るはどれほど遠きか。」黙然として答えず。子贛は言った。「別人が己に問うに応えざるは、何故か。」彼は頭を蒙う布を撥開して言った。「望見れば即ち人を輕慢するは、仁か。見れども認識せざるは、智か。軽易に人を侮辱するは、義か。」子贛は車を下りて言った。「賜は不仁なり。三句を錯聽せり。再び聽くべきか。」彼は言った。「これはお前に足る。我はお前に告げず。」そこで子贛は三輛の車に遇えば軾に凭り、五輛の車に遇えば車を下りたり。

孫叔敖為楚令尹,一國吏民皆來賀,有一老父衣麤衣,冠白冠,後來吊,孫叔敖正衣冠而出見之,謂老父曰:“楚王不知臣不肖,使臣受吏民之垢,人盡來賀,子獨後來吊,豈有說乎?”父曰:“有說,身已貴而驕人者民去之;位已高而擅權者君惡之;祿已厚而不知足者患處之。”孫叔敖再拜曰:“敬受命,願聞餘教。”父曰:“位已高而意益下,官益大而心益小,祿已厚而慎不敢取;君謹守此三者足以治楚矣。

孫叔敖が楚の令尹を為せば、一国の吏民は皆來りて慶賀せり。一個の老父ありて粗衣を着白冠を戴き、後に至りて弔唁せり。孫叔敖は衣冠を整理して出でて彼に見え、老父に對して言った。「楚王は臣の不肖を知らず、臣に吏民の辱垢を受けしめたり。人は皆來りて賀す。あなたは独り後に至りて弔唁す。説法あらんや。」老父は言った。「説法あり。自身已に貴にして人に驕るは、民は彼を離れん。位子已に高にして権を專擅するは、君は彼を厭惡せん。俸禄已に厚にして知足を知らざるは、禍患はあそこに處る。」孫叔敖は再拝して言った。「命を恭敬して受け、願わくは再び其余の教を聞かん。」老父は言った。「位子已に高にして意はいよいよ低下に、官はいよいよ大にして心はいよいよ小に、俸禄已に厚にして謹慎して取る敢えず。あなたはこの三条を謹慎して守れば、以て楚を治むるに足れん。」

魏安釐王十一年,秦昭王謂左右曰:“今時韓魏與秦孰強?”對曰:“不如秦強。”王曰:“今時如耳魏齊與孟嘗芒卯孰賢?”對曰:“不如孟嘗芒卯之賢。”王曰:“以孟嘗芒卯之賢,率強韓魏以攻秦,猶無奈寡人何也?今以無能如耳魏齊而率強韓魏以伐秦,其無奈寡人何,亦明矣!”左右皆曰然,申旗伏瑟而對曰:“王之料天下過矣。當六晉之時,智氏最強,滅範中行氏,又率韓魏之兵以圍趙襄子於晉陽,決晉水以灌晉陽之城,不滿者三板,智伯行水,魏宣子御,韓康子為驂乘,智伯曰:‘吾始不知水可以亡人國也,乃今知之;汾水可以灌安邑,絳水可以灌平陽。’魏宣子肘韓康子,康子履魏宣子之足,肘足接於車上,而智氏分,身死國亡,為天下笑。今秦雖強不過智氏,韓魏雖弱,尚賢其在晉陽之下也,此方其用肘足之時,願王之必勿易也。”於是秦王恐。

魏安釐王十一年、秦昭王は左右に言った。「いま韓・魏と秦とは誰が強いか。」答えた。「秦ほど強くあらず。」王は言った。「いま如耳・魏斉と孟嘗・芒卯とは誰が賢いか。」答えた。「孟嘗・芒卯ほど賢くあらず。」王は言った。「孟嘗・芒卯の賢を凭りて、強韓・魏を率領して秦を攻めしも、なお寡人に奈何する能わざりき。いま無能の如耳・魏斉を凭りて強韓・魏を率領して秦を攻伐すれば、彼らは寡人に奈何する能わざるは、また明らかなり!」左右は皆是という。申旗は瑟上に伏して答えて言った。「王は天下を估量するに過分なり。正に六晋の時、智氏は最も強く、范・中行氏を滅ぼし、また韓・魏の兵を率いて趙襄子を晋陽に圍めり。晋水を決開して晋陽城を灌ぎ、三板を差して滿ちんばかりなりき。智伯は水を巡視し、魏宣子は車に駕し、韓康子は驂乘を為せり。智伯は曰く『我は初め水が人の国を滅亡すべきを知らざりき。いま乃ち知る。汾水は以て安邑を灌ぎ、絳水は以て平陽を灌ぐべし』と。魏宣子は肘を以て韓康子を碰えり。康子は魏宣子の脚を踩み、肘と脚とは車上に交接せり。しかるに智氏は分割せられ、身は死し国は亡び、天下に恥笑せられたり。いま秦は強なれども、智氏を超過せず。韓・魏は弱なれども、なお彼らの晋陽城下に在りし時より賢能なり。これは正に彼らが肘と脚を用いる時なり。願わくは王は必ず輕忽するなかれ。」そこで秦王は恐懼せり。

魏公子牟東行,穰侯送之曰:“先生將去冉之山東矣,獨無一言以教冉乎?”魏公子牟曰:“微君言之,牟幾忘語君,君知夫官不與勢期,而勢自至乎?勢不與富期,而富自至乎?富不與貴期,而貴自至乎?貴不與驕期,而驕自至乎?驕不與罪期,而罪自至乎?罪不與死期,而死自至乎?”穰侯曰:“善,敬受明教。”

魏公子牟が東に走る。穰侯は彼を送りて言った。「先生は将に冉を離れて山東に至らんとす。一言を以て冉を教えるなきか。」魏公子牟は言った。「君のこの言なくば、牟はほぼ君に告げるを忘れんとせり。君は官が勢と約定せざるに勢は自ら至るを知るか。勢が富と約定せざるに富は自ら至るを知るか。富が貴と約定せざるに貴は自ら至るを知るか。貴が驕傲と約定せざるに驕傲は自ら至るを知るか。驕傲が罪と約定せざるに罪は自ら至るを知るか。罪が死と約定せざるに死は自ら至るを知るか。」穰侯は言った。「よし。明白の教を恭敬して受けん。」

高上尊賢,無以驕人;聰明聖智,無以窮人;資給疾速,無以先人;剛毅勇猛,無以勝人。不知則問,不能則學。雖智必質,然後辯之;雖能必讓,然後為之;故士雖聰明聖智,自守以愚;功被天下,自守以讓;勇力距世,自守以怯;富有天下,自守以廉;此所謂高而不危,滿而不溢者也。

高尚にして賢を尊ぶは、以て人に驕るなかれ。聰明聖智は、以て人を困窮せしむるなかれ。資給敏捷迅速は、以て人の先に搶るなかれ。剛毅勇猛は、以て人に勝過するなかれ。知らざれば即ち問え、能わざれば即ち學べ。たとえ智あるも必ず質朴にして、然る後に辯説せよ。たとえ能あるも必ず謙譲にして、然る後に為せ。ゆえに士はたとえ聰明聖智なるも、自ら愚拙を以て守る。功労は天下を覆蓋すれども、自ら謙譲を以て守る。勇力は一世を抗拒するも、自ら怯弱を以て守る。天下を富すれども、自ら廉潔を以て守る。これは所謂高きも危うからず、満つるも外溢せざるなり。

齊桓公為大臣具酒,期以日中,管仲後至,桓公舉觴以飲之,管仲半棄酒。桓公曰:“期而後至,飲而棄酒,於禮可乎?”管仲對曰:“臣聞酒入舌出,舌出者言失,言失者身棄,臣計棄身不如棄酒。”桓公笑曰:“仲父起就坐。楚恭王與晉厲公戰於鄢陵之時,司馬子反渴而求飲,豎穀陽持酒而進之,子反曰:‘退,酒也。’穀陽曰:‘非酒也。’子反又曰:‘退,酒也。’穀陽又曰:‘非酒也。’子反受而飲之,醉而寢。恭王欲復戰,使人召子反,子反辭以心疾,於是恭王駕往入幄,聞酒臭曰:‘今日之戰,所恃者司馬,司馬至醉如此,是亡吾國而不恤吾眾也,吾無以復戢矣!’於是乃誅子反以為戮,還師。”夫穀陽之進酒也,非以妒子反忠,愛之而適足以殺之,故曰:“小忠,大忠之賊也;小利,大利之殘也。好戰之臣,不可不察也!”

斉桓公が大臣に酒を具え、日中に約束せり。管仲は後に至る。桓公は觴を擧げて彼を飲ましむ。管仲は半ばを飲みて酒を丢掉せり。桓公は言った。「約束するも後に至り、飲むも酒を丢掉す。礼に於て可なるか。」管仲は答えた。「臣が聞くに、酒は入れば舌は出る。舌の出る者は話に過失あり。話に過失ある者は自身は拋棄せらる。臣は自身を拋棄するより酒を拋棄するに如かずと計る。」桓公は笑いて言った。「仲父は起ちて坐に就け。楚恭王と晋厲公とが鄢陵に於て交戦せし時、司馬子反は口渴して飲を求め、竪穀陽は酒を持ちて進上せり。子反は曰く『退け、是れ酒なり』と。穀陽は曰く『酒にあらず』と。子反はまた曰く『退け、是れ酒なり』と。穀陽はまた曰く『酒にあらず』と。子反は受けて飲み、醉い寝たり。恭王は再び戦わんと欲し、人を遣わして子反を召さしむ。子反は心病を以て推辞せり。そこで恭王は車に駕して帳幕に入り、酒氣を聞きて曰く『今日の戦に、依靠する所は司馬なり。司馬は醉てこの如し。これは我が国を滅亡し我が部衆を體恤せざるなり。我は再び交戦する方法なし!』そこで即ち子反を誅殺して殺戮と為し、師を回らせり。」穀陽の酒を進るは、子反を嫉妒するにあらず。忠誠にして彼を愛するも恰好して彼を殺すに足れるなり。ゆえに言う「小忠は、大忠の賊害なり。小利は、大利の殘害なり。戦争を喜好する臣は、察せざるべからず!」

羞小恥以構大怨,貪小利以亡大眾;春秋有其戒,晉先軫是也。先軫欲要功獲名,則以秦不假道之故,請要秦師,襄公曰:“不可。夫秦伯與吾先君有結,先君一日薨而興師擊之,是孤之負吾先君,敗鄰國之交而失孝子之行也。”先軫曰:“先君薨而不弔贈,是無哀吾喪也;興師徑吾地而不假道,是弱吾孤也;且柩畢尚薄屋,無哀吾喪也。”興師。卜曰:“大國師將至,請擊之。”則聽先軫興兵要之殽,擊之,匹馬只輸(輪)無脫者,大結怨構禍於秦;接刃流血,伏屍暴骸,糜爛國家,十有餘年,卒喪其師眾,禍及大夫,憂累後世,故好戰之臣不可不察也。

小耻を以て羞と為して大怨を構成し、小利を貪图して大衆を喪失す。『春秋』にあの鑑戒あり。晋の先軫はこれなり。先軫は功を邀げ名を獲せんと欲し、即ち秦が道を借せざるを因として、秦軍を攔截せんことを請えり。襄公は言った。「不可。秦伯は我が先君と結交あり。先君が一日にして去世して即ち兵を起して彼を攻撃するは、これは孤が我先君を辜負し、鄰国の交往を敗壞して孝子の行を失うなり。」先軫は言った。「先君が去世して弔唁贈襚せざるは、これは我らの喪事を哀憐せざるなり。兵を起して徑直に我らの地を經過して道を借せざるは、これは我らの孤を欺弱するなり。さらに靈柩は完畢してまだ薄屋に在り。これは我らの喪事を哀憐せざるなり。」兵を起せり。占卜して曰く「大国の軍は将に至らん。攻撃せんことを請う。」即ち先軫に従い兵を起して殽に於て攔截し、彼らを攻撃せり。一馬一只輪逃脫せるなし。大大に怨を結んで秦に於て禍患を構成せり。兵刃交接して流血し、伏屍は骸骨を暴露し、国家を糜爛せしむこと十余年。終にその軍隊部衆を���失し、禍患は大夫に連及し、憂患は後世に連累せり。ゆえに戦争を喜好する臣は察せざるべからず。

魯哀公問孔子曰:“予聞忘之甚者,徙而忘其妻,有諸乎?”孔子對曰:“此非忘之甚者也,忘之甚者忘其身。”哀公曰:“可得聞與?”對曰:“昔夏桀貴為天子,富有天下,不修禹之道,毀壞闢法,裂絕世祀,荒淫於樂,沈酗於酒,其臣有左師觸龍者,諂諛不止,湯誅桀,左師觸龍者,身死,四支不同壇而居,此忘其身者也。”哀公愀然變色曰:“善!”

魯哀公が孔子に問うた。「我が聞くに、遺忘の最も厲なるは、家を搬きてその妻を忘ると。これありや。」孔子は答えた。「これは遺忘の最も厲なるにあらず。遺忘の最も厲なるは自身を忘るなり。」哀公は言った。「聞くべきか。」答えた。「昔、夏桀は貴きは天子と為り、天下を富有せり。禹の道を修めず、法度を毀壞し、世代の祭祀を裂开斷絶し、樂に荒淫し、酗酒に沉溺せり。その臣に左師觸龍あり、諂諛して止まず。湯は桀を誅殺し、左師觸龍は自身死せり。四肢は同一の壇上に居處せず。これは自身を忘る人なり。」哀公は臉色を改變して言った。「よし!」

孔子之周,觀於太廟右陛之前,有金人焉,三緘其口而銘其背曰:“古之慎言人也,戒之哉!戒之哉!無多言,多口多敗;無多事,多事多患。安樂必戒,無行所悔。勿謂何傷,其禍將長;勿謂何害,其禍將大;勿謂何殘,其禍將然;勿謂莫聞,天妖伺人;熒熒不滅,炎炎奈何;涓涓不壅,將成江河;綿綿不絕,將成網羅;青青不伐,將尋斧柯;誠不能慎之,禍之根也;曰是何傷?禍之門也。強梁者不得其死,好勝者必遇其敵;盜怨主人,民害其貴。君子知天下之不可蓋也,故後之下之,使人慕之;執雌持下,莫能與之爭者。人皆趨彼,我獨守此;眾人惑惑,我獨不從;內藏我知,不與人論技;我雖尊高,人莫害我。夫江河長百穀者,以其卑下也;天道無親,常與善人;戒之哉!戒之哉!”孔子顧謂弟子曰:“記之,此言雖鄙,而中事情。詩曰:‘戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰’。行身如此,豈以口遇禍哉!”

孔子が周に至り、太廟右陛の前面を観看するに、銅人ありて、嘴上に三道の封條あり。背上に銘刻して曰く「古の言を謹慎する人、警戒せよ!警戒せよ!多く話すなかれ。多く話すは敗壞多し。多く事を為すなかれ。多く事を為すは禍患多し。安樂には必ず警戒せよ。悔う所を為すなかれ。何の損傷かあらんと言うなかれ。あの禍は将に長久せん。何の妨害かあらんと言うなかれ。あの禍は将に大ならん。何の殘害かあらんと言うなかれ。あの禍は将に燃起せん。誰か聞く者なしと言うなかれ。天の妖は人を伺察す。微弱の火は滅せざれば、熊熊の火は如何せん。細小の水流は堵塞せざれば、将に江河と為らん。綿綿として絶えざれば、将に網羅と為らん。青青なるは砍伐せざれば、将に斧柯を用いん。もし真に謹慎する能わざれば、是れ禍の根なり。これを言えば何の損傷かあらん?是れ禍の門なり。強橫の人は好き死を得ず。勝を好む人は必ず彼の敵手に遇う。盜賊は主人を怨恨し、民は彼の貴人を害す。君子は天下を覆蓋すべからざるを知る。ゆえに己を後に置き下に置きて、人をして羨慕せしむ。柔弱を持守して下に處れば、彼と争う能うなし。人は皆あちらに趨向し、我は独りこちらを守る。衆人は迷惑し、我は独り從わず。內裏に我が智を蔵して、人と技能を比試せず。我はたとえ尊高なるも、人は我を害せず。江河が衆谷の長と為る所以は、以て卑下に處るなり。天道は偏私なく、常に善人を幫助す。警戒せよ!警戒せよ!」孔子は回顧して弟子に言った。「これを記憶せよ。これらの言は浅近なれども、事に切中す。『詩経』に言う「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を踩むが如し。」立身行事がこの如しならば、口を以て禍に遇わんや!」

魯哀侯棄國而走齊,齊侯曰:“君何年之少而棄國之蚤?”魯哀侯曰:“臣始為太子之時,人多諫臣,臣受而不用也;人多愛臣,臣愛而不近也,是則內無聞而外無輔也。是猶秋蓬,惡於根本而美於枝葉,秋風一起,根且拔也。”

魯哀侯は国を拋棄して斉に逃れたり。斉侯は言った。「君は何故年紀このように輕くして国を拋棄するこのように早きか。」魯哀侯は言った。「臣は初め太子を為りし時、人は多く臣に進諫せり。臣は受くれども用いず。人は多く臣を愛せり。臣は愛せども親近せず。これの如くなれば內裏に見聞なく外面に輔助なし。これは秋蓬に比す。根本は惡醜にして枝葉は美麗なり。秋風が一たび起れば、根は将に拔起されん。」

孔子行遊中路聞哭者聲,其音甚悲,孔子曰:“驅之!驅之!前有異人音。”少進,見之,丘吾子也,擁鐮帶索而哭,孔子闢車而下,問曰:“夫子非有喪也?何哭之悲也。”丘吾子對曰:“吾有三失。”孔子曰:“願聞三失。”丘吾子曰:“吾少好學問,周遍天下,還後吾親亡,一失也。事君奢驕,諫不遂,是二失也。厚交友而後絕,三失也。樹欲靜乎風不定,子欲養吾親不待;往而不來者,年也;不可得再見者,親也。請從此辭。”則自刎而死。孔子曰:“弟子記之,此足以為戒也。”於是弟子歸養親者十三人。

孔子が出行して路中に哭する人の声を聞く。その声は甚だ悲哀なり。孔子は言った。「車を趕れ!車を趕れ!前面に異人の声あり。」稍稍前進してこれを見れば、丘吾子なり。鐮刀を抱き繩索を帯びて哭泣す。孔子は車を離れて下りて問うた。「夫子は喪事あるにあらずや。何故哭得このように悲哀なるか。」丘吾子は答えた。「我に三失あり。」孔子は言った。「三失を聞かんことを願う。」丘吾子は言った。「我は年少にして學問を愛好し、天下を走遍せり。帰りて我が両親は亡故せり。これは一失。君に仕えて奢侈驕傲し、進諫して成功する能わず。これは二失。交友を厚待して後に絕交せり。これは三失。樹は安静せんと欲するも風は定まらず。子は我が両親を奉養せんと欲するも及ばず。往きて帰らざるは、年歲なり。再び見るべからざるは、両親なり。これより辞別せんことを請う。」即ち自殺して死せり。孔子は言った。「弟子はこれを記憶せよ。これは以て警戒と為すに足る。」そこで弟子が帰りて両親を奉養する者十三人あり。

孔子論詩至於正月之六章,戄然曰:“不逢時之君子,豈不殆哉?從上依世則廢道,違上離俗則危身;世不與善,己獨由之,則曰非妖則孽也;是以桀殺關龍逢,紂殺王子比干,故賢者不遇時,常恐不終焉。詩曰:‘謂天蓋高,不敢不局;謂地蓋厚,不敢不蹐。’此之謂也。”

孔子が『詩経』を論じて正月の第六章に至り、驚懼して言った。「時に逢わざる君子は、危うからざらんや。上に依從し世に依從すれば道を廢棄せられ、上に違背し俗を離れれば自身を危害せられん。世が善を贊成せざるに、己は独りこの路を走れば、即ち妖に非ずば孽なりと言わん。これにより桀は關龍逢を殺し、紂は王子比干を殺せり。ゆえに賢人が時に遇わざれば、常に終を善く得ざるを怕る。『詩経』に言う「天を説くは何其高きか。敢えて弯腰せざらんや。地を説くは何其厚きか。敢えて小步走せざらんや。」これを言う。」

孔子見羅者,其所得者皆黃口也,孔子曰:“黃口盡得,大爵獨不得,何也?”羅者對曰:“黃口從大爵者不得,大爵從黃口者可得。”孔子顧謂弟子曰:“君子慎所從,不得其人則有羅網之患。”

孔子が網を張る人を見るに、彼が得る所は皆黃口の小鳥なり。孔子は言った。「黃口は皆得られ、大雀は独り得られず。何故か。」網を張る人は答えた。「黃口が大雀に從うは得られず。大雀が黃口に從うは得る可し。」孔子は回顧して弟子に言った。「君子は從う所に對して謹慎すべし。適當の人を得ざれば、羅網の禍患あり。」

修身正行,不可以不慎:嗜慾使行虧,讒諛亂正心,眾口使意回,憂患生於所忽,禍起於細微,汙辱難湔灑,敗事不可後追,不深念遠慮,後悔當幾何?夫徼倖者,伐性之斧也;嗜慾者,逐禍之馬也;謾諛者,窮辱之舍也;取虐於人者,趨禍之路也,故曰去徼倖,務忠信,節嗜慾,無取虐於人,則稱為君子,名聲常存。怨生於不報,禍生於多福,安危存於自處,不困在於蚤豫,存亡在於得人,慎終如始,乃能長久。能行此五者,可以全身,己所不欲,勿施於人,是謂要道也。

身を修養し行を端正するは、謹慎せざるべからず。嗜欲は行を虧缺せしめ、讒諛は正直の心を擾亂し、衆口は意向を回轉せしめ、憂患は忽視する所より產生し、禍は細微より興起す。汙辱は洗去し難く、敗壞の事は事後に追回すべからず。深念遠慮せざれば、後悔はいかほどあらん。徼幸は性命を砍伐する斧なり。嗜欲は禍患を追逐する馬なり。謾諛は窮困耻辱の住所なり。人に向かい虐を取るは禍に奔向する路なり。ゆえに言う、徼幸を去掉し、忠信に致力し、嗜欲を節制し、人に向かい虐を取らざれば、即ち君子と称し、名声は常に存在す。怨は報答せざるより產生し、禍は多福より產生す。安危は己が身を處するに存し、困ならざるは早く豫備するに在り、存亡は人を得るに在り。終結を開始の如く謹慎せば、乃ち長久する能し。能くこれ五者を實行せば、以て自身を保全すべし。己が欲せざる所は、人に加えるなかれ。これを要道という。

顏回將西遊,問於孔子曰:“何以為身?”孔子曰:“恭敬忠信,可以為身。恭則免於眾,敬則人愛之,忠則人與之,信則人恃之;人所愛,人所與,人所恃,必免於患矣,可以臨國家,何況於身乎?故不比數而比疏,不亦遠乎?不修中而修外,不亦反乎?不先慮事,臨難乃謀,不亦晚乎?”

顏回は将に西に遊歴せんとし、孔子に問うた。「何を以て身を立てん。」孔子は言った。「恭敬忠信は、以て身を立てるべし。恭なれば即ち衆人を免れ、敬なれば則ち人は彼を愛し、忠なれば則ち人は彼に親附し、信なれば則ち人は彼に依靠す。人の愛し、人の親附し、人の依靠するは、必ず禍患を免れん。以て国家に臨むべし。いわんや自身に對してをや。ゆえに近きを親近せずして疏きを親近するは、また遠からずや。內裏を修養せずして外表を修養するは、また反轉せざらずや。先ず事を考慮せずして、災難に臨みて乃ち謀画するは、また遅からずや。」

凡司其身,必慎五本:一曰柔以仁,二曰誠以信,三曰富而貴毋敢以驕人,四曰恭以敬,五曰寬以靜。思此五者,則無兇命,用能治敬,以助天時,兇命不至,而禍不來。友人者,非敬人也,自敬也。貴人者,非貴人也,自貴也。昔者吾嘗見天雨金石與血;吾嘗見四月十日並出,有與天滑;吾嘗見高山之崩,深谷之窒,大都王宮之破,大國之滅;吾嘗見高山之為裂,深淵之沙竭,貴人之車裂;吾嘗見稠林之無木,平原為溪谷,君子為御僕;吾嘗見江河干為坑,正冬採榆葉,仲夏雨雪霜,千乘之君,萬乘之主,死而不葬。是故君子敬以成其名,小人敬以除其刑,奈何無戒而不慎五本哉!

およそ自身を主持するは、必ず五つの根本を謹慎せよ。一は柔にして仁、二は誠にして信、三は富み貴けれども以て人に驕る敢えず、四は恭にして敬、五は寛にして静。この五者を思えば、即ち凶命なし。以て能く恭敬を治理し、以て天時を幫助すれば、凶命は至らず、禍は来たらず。人を親愛するは、人を敬するにあらず、己を敬するなり。人を尊重するは、人を尊重するにあらず、己を尊重するなり。昔、我はかつて天が金石と血を降下せしを見、かつて四月十日が一斉に出でて、天とともに滑動する有るを見、かつて高山が崩塌し深谷が填塞し、大都王宮が破毁し大国が滅亡するを見、かつて高山が裂开し深淵の沙が枯竭し、貴人が車裂せらるるを見、かつて密林に樹木なく平原が谿谷と変じ、君子が車を駕る仆役を為すを見、かつて江河が枯竭して坑と為り、正冬に榆葉を採り、仲夏に雪霜の下るを見、千乗の君・万乗の主が死して葬られざるを見たり。これにより君子は敬を以てその名を成就し、小人は敬を以てその刑を除去す。どうして警戒せずして五つの根本を謹慎せざらんや!

魯有恭士,名曰機泛,行年七十,其恭益甚,冬日行陰,夏日行陽,市次不敢不行參,行必隨,坐必危,一食之間,三起不羞,見衣裘褐之士則為之禮,魯君問曰:“機子年甚長矣,不可釋恭乎?”機泛對曰:“君子好恭以成其名,小人學恭以除其刑,對君之坐,豈不安哉?尚有差跌;一食之上,豈不美哉?尚有哽噎;今若泛所謂幸者也,固未能自必,鴻鵠飛沖天,豈不高哉?矰繳尚得而加之;虎豹為猛,人尚食其肉,席其皮;譽人者少,惡人者多,行年七十,常恐斧質之加於泛者,何釋恭為?”

魯に恭謹の士ありて、名は機泛、年紀七十にして、彼の恭はいよいよ厲し。冬は陰処を行き、夏は陽処を行き、集市に停まるに敢えて參礼を行わざるなし、行走には必ず跟隨し、坐には必ず危坐す。一頓の飯の間に、三次起身して以て羞と為さず。衣裘褐を着る士を見れば、彼らに礼を行えり。魯君は問うた。「機子は年紀甚だ長し。恭を放下すべからざるか。」機泛は答えた。「君子は恭を愛好してその名を成就し、小人は恭を學習してその刑を除去す。君に對して坐すれば、安ならざらんや。なお足を失して跌倒するあり。一頓の飯を進上すれば、美ならざらんや。なお哽噎するあり。いま泛の如き所謂幸運の人は、もともと自ら一定する能わず。鴻鵠が飛びて天を冲くは、高からざらんや。矰繳はなお彼の身に加うべし。虎豹は猛と算すれども、人はなおその肉を食み、その皮を以て席を為す。人を称誉するは少なく、人を厭惡するは多し。年紀七十にして、常に斧質が泛の身に加わるを怕る。恭を放下して何を為さん。」

成回學於子路三年,回恭敬不已,子路問其故何也?回對曰:“臣聞之,行者比於鳥,上畏鷹鸇,下畏網羅;夫人為善者少,為讒者多,若身不死,安知禍罪不施。行年七十,常恐行節之虧,回是以恭敬待大命。”子路稽首曰:“君子哉!”

成回が子路に學習すること三年、回は恭敬して止まず。子路は緣故は何かを問うた。回は答えた。「臣が聞くに、行走する者を鳥に比すれば、上は鷹鸇を怕れ、下は網羅を怕る。人の善を為すは少なく、讒を為すは多し。もし自身が死せざれば、どうして禍罪が身に加わらざるを知らん。年紀七十にして、常に行事節操が虧缺するを怕る。回はこれにより恭敬して大命を待つ。」子路は頭を叩いて言った。「君子かな!」

卷十一善說

巻十一 善説

孫卿曰:“夫談說之術,齊莊以立之,端誠以處之,堅強以持之,譬稱以諭之,分別以明之,歡欣憤滿以送之,寶之珍之,貴之神之,如是則說常無不行矣。”夫是之謂能貴其所貴。傳曰:“唯君子為能貴其所貴也。”詩云:“無易由言,無曰苟矣。”鬼谷子曰:“人之不善而能矯之者難矣。說之不行,言之不從者,其辯之不明也;既明而不行者,持之不固也;既固而不行者,未中其心之所善也。辯之明之,持之固之,又中其人之所善,其言神而珍,白而分,能入於人之心,如此而說不行者,天下未嘗聞也。此之謂善說。”子貢曰:“出言陳辭,身之得失,國之安危也。”詩云:“辭之繹矣,民之莫矣。”夫辭者人之所以自通也。主父偃曰:“人而無辭,安所用之。”昔子產修其辭,而趙武致其敬;王孫滿明其言,而楚莊以慚;蘇秦行其說,而六國以安;蒯通陳說,而身得以全。夫辭者乃所以尊君、重身、安國、全性者也。故辭不可不修而說不可不善。

孫卿は言った。「談説の方法は、整斉荘重を以てこれを樹立し、端正誠實を以てこれに處り、堅強を以てこれを持守し、譬喩称引を以てこれを曉諭し、分別を以てこれを闡明し、歡欣憤懣を以てこれを送出し、これを寶貴しこれを珍惜し、これを看重しこれを神化すれば、これの如くならば游説は常に行き通らざるなし。」これを能く彼の重んずる所を重んずるという。伝文に曰く「ただ君子のみ能く彼の重んずる所を重んず。」『詩経』に言う。「軽易に発言するなかれ、苟且すれば可なりと言うなかれ。」鬼谷子は言った。「人に不善あるも能く彼を矯正するは難し。游説が行き通らず、話が聴從せられざるは、あの辯論が明白ならざるなり。已に明白なるも行き通らざるは、持守が牢固ならざるなり。已に牢固なるも行き通らざるは、彼の心裏に喜好する所に切中せざるなり。これを辯論しこれを闡明し、これを持守してこれを牢固にし、またあの人の喜好する所に切中せば、彼の言は神妙にして珍貴、明白にして分別あり、能く人の心に入らん。これの如くして游説の行き通らざるは、天下未だかつて聞かず。これを善く説という。」子貢は言った。「話を說出し辞を陳列するは、自身の得失・国家の安危なり。」『詩経』に言う。「辞が和諧すれば、民は安定す。」辞は人の以て自ら通達するなり。主父偃は言った。「人にして辞なからば、彼を以て何を為さん。」昔、子産は彼の辞を修養し、趙武は即ち敬意を致せり。王孫満は彼の話を闡明し、楚荘は即ち慚愧せり。蘇秦は彼の游説を實行し、六国はこれにより安定せり。蒯通は游説を陳列し、自身は保全するを得たり。辞は以て君を尊敬し、身を看重し、国を安定し、性命を保全するなり。ゆえに辞は修養せざるべからずして游説は善からざるべからず。

趙使人謂魏王曰:“為我殺範痤,吾請獻七十里之地。”魏王曰:“諾”。使吏捕之,圍而未殺。痤自上屋騎危,謂使者曰:“與其以死痤市,不如以生痤市,有如痤死,趙不與王地,則王奈何?故不若與定割地,然後殺痤。”魏王曰:“善”。痤因上書信陵君曰:“痤故魏之免相也。趙以地殺痤而魏王聽之,有如強秦亦將襲趙之慾,則君且奈何?”信陵君言於王而出之。

趙は人を派して魏王に言わしめた。「我のために范痤を殺せ。我は七十里の地を献上せんことを請う。」魏王は言った。「よし。」吏を派して彼を捕捉せしめ、包圍したが未だ殺さず。痤は自ら屋上に爬りて屋脊に騎り、使者に對して言った。「死せる痤を以て交易するより、活ける痤を以て交易するに如かず。仮に痤が死せば、趙は王に地を與えず。ならば王は如何せん。ゆえに彼らと割地を定めて、然る後に痤を殺すに如かず。」魏王は言った。「よし。」痤はそこで信陵君に書を上げて言った。「痤はもともと魏の免職の相なり。趙は土地を以て痤を殺さんとするに魏王は聽從せり。仮に強秦もまた趙の欲望を沿襲せんとすれば、ならば君は将に如何せん。」信陵君は王に言うて彼を放出せしめた。

吳人入荊,召陳懷公,懷公召國人曰:“欲與荊者左,欲與吳者右。”逄滑當公而進曰:“吳未有福,荊未有禍。”公曰:“國勝君出,非禍而奚?”對曰:“小國有是猶復,而況大國乎?楚雖無德,亦不斬艾其民,吳日弊兵,暴骨如莽,未見德焉?天其或者正訓楚也!禍之適吳,何日之有?”陳侯從之。

呉人は荊に入り、陳懷公を召した。懷公は国人を召して言った。「荊に親附せんと欲するは左に立ち、呉に親附せんと欲するは右に立て。」逄滑は公に對して進前して言った。「呉は未だ福ならず、荊は未だ禍ならず。」公は言った。「国は戦勝せられ、君は出逃せり。禍ならずして何か。」答えた。「小国はこのようあるもなお恢復する能う。いわんや大国をや。楚は徳なしといえども、またその民を斬割せず。呉は日々に軍隊を疲弊せしめ、暴露の骨は叢草の如し。徳の在るを見ずや。天はあるいは正に楚を訓誡せんとするか!禍が呉に落つれば、なお幾日あらん。」陳侯は彼に聽從した。

桓公立仲父,致大夫曰:“善吾者入門而右,不善吾者入門而左。”有中門而立者,桓公問焉。對曰:“管子之知,可與謀天下,其強可與取天下。君恃其信乎?內政委焉;外事斷焉。驅民而歸之,是亦可奪也。”桓公曰:“善。”乃謂管仲:“政則卒歸於子矣,政之所不及,唯子是匡。”管仲故築三歸之臺,以自傷於民。

桓公が仲父を立て、大夫を召集して言った。「我を善しと認むるは門に入りて右に往け、我を善しと認めざるは門に入りて左に往け。」中門に立つ者あり。桓公は彼に問うた。答えた。「管子の智は、彼と天下を謀画すべし。彼の強は、彼と���下を奪取すべし。君は彼の信に依仗するか。内政は彼に委託し、外事は彼に決断せしむ。民を驅使して彼に歸向せしむれば、これもまた奪取せらるべし。」桓公は言った。「よし。」そこで管仲に對して言った。「政は終にあなたに歸せり。政の達せざる所は、ただあなたに匡正せしむ。」管仲の三歸之台を築く所以は、以て自ら民に減損するなり。

齊宣王出獵於社山,社山父老十三人相與勞王,王曰:“父老苦矣!”謂左右賜父老田不租,父老皆拜,閭丘先生不拜。王曰:“父老以為少耶?”謂左右復賜父老無徭役,父老皆拜,閭丘先生又不拜。王曰:“拜者去,不拜者前。”曰:“寡人今觀父老幸而勞之,故賜父老田不租,父老皆拜,先生獨不拜,寡人自以為少,故賜父老無徭役,父老皆拜,先生又獨不拜,寡人得無有過乎?”閭丘先生對曰:“惟聞大王來遊,所以為勞大王,望得壽於大王,望得富於大王,望得貴於大王。”王曰:“天殺生有時,非寡人所得與也,無以壽先生;倉廩雖實,以備災害,無以富先生;大官無缺,小官卑賤,無以貴先生。”閭丘先生對曰:“此非人臣所敢望也。願大王選良富家子,有修行者以為吏,平其法度,如此臣少可以得壽焉;春秋冬夏,振之以時,無煩擾百姓,如是臣可少得以富焉;願大王出令,令少者敬長,長者敬老,如是臣可少得以貴焉;今大王幸賜臣田不租,然則倉廩將虛也。賜臣無徭役,然則官府無使焉,此固非人臣之所敢望也。”齊王曰:“善。願請先生為相。”

斉宣王が出でて社山で打獵した。社山の父老十三人はともに王を慰勞した。王は言った。「父老は辛苦した!」左右に對して父老に田地を賜い租を収めざらしめよと言った。父老は皆拝したが、閭丘先生は拝せず。王は言った。「父老は以て少なしとするか。」左右に對して再び父老に徭役なきを賜えと言った。父老は皆拝したが、閭丘先生はまた拝せず。王は言った。「拝するは離れ去り、拝せざるは上前せよ。」言った。「寡人はいま父老に見え、幸いに彼らを慰勞す。ゆえに父老に田地を賜いて租を収めず。父老は皆拝せり。先生は独り拝せず。寡人は自ら以て少なしとし、ゆえに父老に徭役なきを賜えり。父老は皆拝せり。先生はまた独り拝せず。寡人は過失あらんや。」閭丘先生は答えた。「ただ大王が游びに来るを聞き、ゆえに大王を慰勞せんと來たれり。大王より壽を得んことを希望し、大王より富を得んことを希望し、大王より貴を得んことを希望す。」王は言った。「天の殺生は時あり。寡人の能く與える所にあらず。先生に壽を與えるなし。倉廩は充實すれども、以て災害に防備す。先生に富を與えるなし。大官は缺なきも、小官は卑賤なり。先生に貴を與えるなし。」閭丘先生は答えた。「これは人臣の敢えて希望する所にあらず。願わくは大王は良善富家の子弟・修行あるを択取して吏と為し、法度を公平ならしめよ。これの如くならば臣は稍々壽を得べし。春秋冬夏に、時に按じて賑濟し、百姓を煩擾せざれば、これの如くならば臣は稍々富を得べし。願わくは大王は命令を發出して、年少の者をして年長を敬重せしめ、年長の者をして老人を敬重せしめよ。これの如くならば臣は稍々貴を得べし。いま大王は幸いに臣に田地を賜いて租を収めざれば、ならば倉廩は将に空虚ならん。臣に徭役なきを賜えば、ならば官府に使喚する人なし。これはもともと人臣の敢えて希望する所にあらず。」斉王は言った。「よし。願わくは先生を相と為さんことを請う。」

孝武皇帝時,汾陰得寶鼎而獻之於甘泉宮,群臣賀,上壽曰:“陛下得周鼎。”侍中虞丘壽王獨曰:“非周鼎。”上聞之,召而問曰:“朕得周鼎,群臣皆以為周鼎而壽王獨以為非,何也?壽王有說則生,無說則死。”對曰:“臣壽王安敢無說?臣聞夫周德始產於後稷,長於公劉,大於大王,成於文武,顯於周公,德澤上洞,天下漏泉,無所不通,上天報應,鼎為周出,故名周鼎。今漢自高祖繼周,亦昭德顯行,布恩施惠,六合和同,至陛下之身愈盛,天瑞並至,徵祥畢見。昔始皇帝親出鼎於彭城而不能得。天昭有德,寶鼎自至,此天之所以予漢,乃漢鼎,非周鼎也!”上曰:“善!”群臣皆稱:“萬歲!”是日賜虞丘壽王黃金十斤。

孝武皇帝の時、汾陰は寶鼎を得て甘泉宮に献じた。群臣は慶賀し、壽を上げて言った。「陛下は周鼎を得たり。」侍中虞丘壽王は独り言った。「周鼎にあらず。」皇上はこれを聞き、召して問うた。「朕は周鼎を得たり。群臣は皆以て周鼎とす。しかるに壽王は独り以て非とす。何故か。壽王に説法あらば活かし、説法なからば死なしめん。」答えた。「臣壽王はどうして説法なからんや。臣が聞くに、周の徳は后稷に始產し、公劉に成長し、大王に盛大し、文王・武王に完成し、周公に顯赫せり。徳沢は上に通達し、天下は漏るる泉の如く通ぜざるなし。上天は報應し、鼎は周のために出現せり。ゆえに名づけて周鼎という。いま漢は高祖より周を繼承し、また徳を昭明にし行を顯揚し、恩惠を布施し、六合は和同せり。陛下の身に至りていよいよ興盛し、天瑞は一齊に至り、徵兆祥瑞は全部出現せり。昔、始皇帝は自ら彭城に鼎を出でしめんとするも得る能わざりき。天は徳あるを昭示して、寶鼎は自ら至れり。これは天の以て漢に與うるなり。乃ち漢鼎なり。周鼎にあらず!」皇上は言った。「よし!」群臣は皆称した。「萬歲!」この日、虞丘壽王に黄金十斤を賜えり。

晉獻公之時,東郭民有祖朝者,上書獻公曰:“草茅臣東郭民祖朝,願請聞國家之計。”獻公使使出告之曰:“肉食者已慮之矣。藿食者尚何與焉?”祖朝對曰:“大王獨不聞古之將曰桓司馬者,朝朝其君,舉而宴,御呼車,驂亦呼車,御肘其驂曰:‘子何越云為乎?何為借呼車?’驂謂其御曰:‘當呼者呼,乃吾事也,子當御正子之轡銜耳。子今不正轡銜,使馬卒然驚,妄轢道中行人,必逢大敵,下車免劍,涉血履肝者固吾事也。子寧能闢子之轡,下佐我乎?其禍亦及吾身,與有深憂,吾安得無呼車乎?’今大王曰:‘食肉者已慮之矣,藿食者尚何與焉?’設使食肉者一旦失計於廟堂之上,若臣等藿食者,寧得無肝膽塗地於中原之野與?其禍亦及臣之身。臣與有其憂深。臣安得無與國家之計乎?”獻公召而見之,三日與語,無復憂者,乃立以為師也。

晋献公の時、東郭の民に祖朝という者あり。献公に書を上げて言った。「草茅の臣東郭民祖朝、国家の計謀を聽かんことを請うを願う。」献公は使者を遣わして出でて彼に告げて言わしめた。「肉を食う者は已に考慮せり。藿を食う者は何を參与せん。」祖朝は答えた。「大王はかつて聞かずや、古に將ありて桓司馬という。朝にその君を朝見し、擧動して宴飲す。御者は車を呼び、驂乘もまた車を呼べり。御者は肘を以てその驂乘を碰えて言う『お前は何故職を越えてこのようにするか。何故に藉りて車を呼ぶか』と。驂乘は御者に對して言う『呼ぶべきを呼ぶは、乃ち我が事なり。お前は当に辔銜を駕正すべし。お前はいま辔銜を正さず、馬をして突然に驚かしめ、胡乱に道中の行人を碾壓せしむれば、必ず大敵に遇わん。車を下りて劍を拔き、血を踏み肝を踩むは固より我が事なり。お前は豈に辔を放下して、下りて來りて我を助けんや。あの禍はまた我が身に落ちん。我はともに深憂あり。我はどうして車を呼ばざらん』と。いま大王は曰く「肉を食う者は已に考慮せり。藿を食う者は何を參与せん」と。仮に肉を食う者が一旦廟堂の上に於て計を失せば、臣等の藿を食う如きは、肝膽を中原の野地に塗地せざるを得んや��あの禍はまた臣の身に落ちん。臣はともにあの深き憂あり。臣はどうして国家の計謀に參与せざらん。」献公は彼を召見し、談じること三日、更に憂慮する者なし。そこで彼を師に立てた。

客謂梁王曰:“惠子之言事也善譬,王使無譬,則不能言矣。”王曰:“諾。”明日見,謂惠子曰:“願先生言事則直言耳,無譬也。”惠子曰:“今有人於此而不知彈者,曰:‘彈之狀何若?’應曰:‘彈之狀如彈。’諭乎?”王曰:“未諭也。”“於是更應曰:‘彈之狀如弓而以竹為弦。’則知乎?”王曰:“可知矣。”惠子曰:“夫說者固以其所知,諭其所不知,而使人知之。今王曰無譬則不可矣。”王曰:“善。”

客が梁王に言った。「惠子は事を論ずるに譬喩に善し。王が彼をして譬喩するなかれとせば、即ち話する能わざらん。」王は言った。「よし。」明日に進見して、惠子に對して言った。「願わくは先生の事を論ずるは直説するのみ、譬喩するなかれ。」惠子は言った。「いま人あってここに彈を知らず、言う『彈の形状は何に像るか』と。聲に応じて曰く『彈の形状は彈に像る』と。明白か。」王は言った。「明白ならず。」「そこで口を改め聲に応じて曰く『彈の形状は弓に像りて竹を以て弦と為す』と。即ち知るべきか。」王は言った。「知るべし。」惠子は言った。「游説する人はもともと彼の知る所を以て、彼の知らざる所を曉諭して、人をして知らしむ。いま王は譬喩するなかれと言えば即ち可ならず。」王は言った。「よし。」

孟嘗君寄客於齊王,三年而不見用,故客反謂孟嘗君曰:“君之寄臣也,三年而不見用,不知臣之罪也?君之過也?”孟嘗君曰:“寡人聞之,縷因針而入,不因針而急,嫁女因媒而成,不因媒而親。夫子之材必薄矣,尚何怨乎寡人哉?”客曰:“不然,臣聞周氏之嚳,韓氏之盧,天下疾狗也。見菟而指屬,則無失菟矣;望見而放狗也,則累世不能得菟矣!狗非不能,屬之者罪也。”孟嘗君曰:“不然,昔華舟杞梁戰而死,其妻悲之,向城而哭,隅為之崩,城為之,君子誠能刑于內,則物應於外矣。夫土壤且可為忠,況有食谷之君乎?”客曰:“不然,臣見鷦鷯巢於葦苕,著之發毛,建之女工不能為也,可謂完堅矣。大風至,則苕折卵破子死者,何也?其所託者使然也。且夫狐者人之所攻也,鼠者人之所燻也。臣未嘗見稷狐見攻,社鼠見燻也,何則?所託者然也。”於是孟嘗君復屬之齊,齊王使為相。

孟嘗君は客を齊王に托付せり。三年にして用いられず。ゆえに客は返回して孟嘗君に對して言った。「君は臣を托付せり。三年にして用いられず。臣の罪なるかを知らず。それとも君の過失なるか。」孟嘗君は言った。「寡人が聞くに、線は針に因りて入りて、針に因りて緊急と為らず。女を嫁ぐは媒人に因りて成るも、媒人に因りて親しと為らず。夫子の材は必ず浅薄ならん。また寡人を何を怨むか。」客は言った。「然らず。臣が聞くに、周氏の嚳・韓氏の盧は、天下の快なる狗なり。兎を見て指點歸屬せば、即ち兎を失うなし。望見して狗を放开せば、即ち累世兎を得る能わず!狗は能ならざるにあらず。指點歸屬する人の罪なり。」孟嘗君は言った。「然らず。昔、華舟・杞梁は戦死せり。彼らの妻は彼らのために悲哀し、城に對して哭せば、城角はこれにより崩塌し、城はこれにより(底本この字は私用区字形、辨識すべからず)。君子がもし真に能く內裏に示範せば、則ち物は外面に響應せん。土壤はなお以て忠を為るべし。いわんや穀物を食む君あるをや。」客は言った。「然らず。臣は鷦鷯が葦苕の上に巢を築き、髪毛を以て附着せしむを見たり。巧女の女工も成る能わざるなり。以て完固堅牢と称すべし。大風が至れば、則ち苕は折断し、卵は破裂し、幼子は死す。何故か。彼の依托する所がこれを然らしむなり。さらに狐狸は人の攻打する所、老鼠は人の熏る所なり。臣は未だかつて稷廟の狐狸が攻打せられ、社廟の老鼠が熏らるるを見ず。何故か。依托する所がこれを然らしむなり。」そこで孟嘗君は再び彼を斉に托付せり。斉王は彼を相と為せり。

陳子說梁王,梁王說而疑之曰:“子何為去陳侯之國而教小國之孤於此乎?”陳子曰:“夫善亦有道,而遇亦有時,昔傅說衣褐帶劍,而築於秕傳之城,武丁夕夢,旦得之,時王也;甯戚飯牛,康衢擊車輻而歌,顧見桓公得之,時霸也;百里奚自賣五羊之皮,為秦人虜,穆公得之,時強也。論若三子之行,未得為孔子駿徒也。今孔子經營天下,南有陳蔡之阨,而北幹景公,二坐而五立,未嘗離也。孔子之時不行,而景公之時怠也。以孔子之聖,不能以時行,說之怠,亦獨能如之何乎?”

陳子が梁王を游説するに、梁王は喜悦するも彼を懷疑して言った。「お前は何故陳侯の国を離れて來りてここの小国の孤を教導するか。」陳子は言った。「善にも道あり、遇うにも時あり。昔、傅説は褐衣を着て劍を佩び、秕傳の城に牆を築き、武丁は夜に夢を見、朝に彼を得たり。これは王に遇うなり。寧戚は牛を養い、大路上で車輻を敲きて歌えり。回頭して桓公は彼を得たり。これは覇に遇うなり。百里奚は己を羊皮五枚に賣りて、秦人の俘虜と為れり。穆公は彼を得たり。これは強に遇うなり。この三人の行事を評論するに、なお孔子の俊徒と為る能わず。いま孔子は天下を経営し、南面して陳・蔡の困厄あり、而して北に向かい景公に見えんを求め、兩次坐して五次立ち、未だかつて離れず。孔子の時は行き通らず、而して景公の時は懈怠せり。孔子の聖を以てするも、時に按じて通行する能わず、游説するに懈怠せり。また独り彼を以て如何せん。」

林既衣韋衣而朝齊景公,齊景公曰:“此君子之服也?小人之服也?”林既逡巡而作色曰:“夫服事何足以端士行乎?昔者荊為長劍危冠,令尹子西出焉;齊短衣而遂偞之冠,管仲隰朋出焉;越文身剪髮,范蠡大夫種出焉;西戎左衽而椎結,由余亦出焉。即如君言,衣狗裘者當犬吠,衣羊裘者當羊鳴,且君衣狐裘而朝,意者得無為變乎?”景公曰:“子真為勇悍矣,今未嘗見子之奇辯也。一鄰之鬥也,千乘之勝也。”林既曰:“不知君之所謂者何也?夫登高臨危而目不眴,而足不陵者,此工匠之勇悍也;入深淵,刺蛟龍,抱黿鼉而出者,此漁夫之勇悍也;入深山,刺虎豹,抱熊羆而出者,此獵夫之勇悍也;不難斷頭,裂腹暴骨,流血中流者,此武士之勇悍也。今臣居廣廷,作色端辯,以犯主君之怒,前雖有乘軒之賞,未為之動也;後雖有斧質之威,未為之恐也;此既之所以為勇悍也。”

林既は韋衣を着て斉景公に朝見せり。斉景公は言った。「これは君子の服装か。それとも小人の服装か。」林既は退却して色を變えて言った。「服装の事はどうして以て士の行を端正するに足らん。昔、荊は長劍高冠を用い、令尹子西はあそこより出でたり。斉は短衣と遂偞の冠を用い、管仲・隰朋はあそこより出でたり。越は文身剪髪し、范蠡・大夫種はあそこより出でたり。西戎は衣襟を左にし椎形の髪髻なり。由余もまたあそこより出でたり。もし君の言うが如くならば、狗裘を穿つは当に狗の如く叫び、羊裘を穿つは当に羊の如く叫ぶべし。さらに君は狐裘を着て上朝す。以て狐狸に變成せざらんや。」景公は言った。「お前は真に勇悍なり。いま未だお前の奇特の辯を見ず。一鄰の争鬥は、千乗の勝利なり。」林既は言った。「君の言う所は何かを知らず。高く登りて危險に臨みて眼は眩まず脚は乱れざるは、これは工匠の勇悍なり。深淵に入りて蛟龍を刺殺し、黿鼉を抱いて出出づるは、これは漁夫の勇悍なり。深山に入りて虎豹を刺殺し、熊羆を抱いて出を抱いて出づるは、これは獵夫の勇悍なり。頭を砍るを難とせず腹を裂き骨を暴露し、血を中流に流るるは、これは武士の勇悍なり。いま臣は廣廷に處り、色を變えて辯論を端正し、以て主君の怒を冒犯す。前にたとえ乘軒の賞あるも、これがために心を動かさず。後ろにたとえ斧質の威あるも、これがために恐懼せず。これが既の以て勇悍と算する所以なり。」

魏文侯與大夫飲酒,使公乘不仁為觴政曰:“飲不釂者浮以大白。”文侯飲而不盡釂,公乘不仁舉曰浮君。君視而不應,侍者曰:“不仁退,君已醉矣。”公乘不仁曰:“周書曰:‘前車覆,後車戒。’蓋言其危,為人臣者不易,為君亦不易。今君已設令,令不行,可乎?”君曰:“善。”舉白而飲,飲畢曰:“以公勝不仁為上客。”

魏文侯が大夫と飲酒す。公乘不仁に觴政を主持せしめて言った。「杯を干さざる者は大白を以て酒を罰せよ。」文侯は飲みたるも杯を干さず。公乘不仁は酒を挙げて君を罰せんと曰く。君は彼を看るも應えず。侍者は言った。「不仁は退け。君は已に醉えり。」公乘不仁は言った。「『尚書』に言う「前面の車は翻り、後面の車は警戒す。」ほぼあの危険を言う。人臣たるは容易ならず、君たるも容易ならず。いま君は已に命令を設下せり。命令を實行せざれば、可なるか。」君は言った。「よし。」大白を挙げて飲み、飲み畢りて言った。「公乘不仁を以て上客と為せ。」

襄成君始封之日,衣翠衣,帶玉劍,履縞舄,立於游水之上,大夫擁鍾錘,縣令執桴號令,呼:“誰能渡王者於是也?”楚大夫莊辛,過而說之,遂造托而拜謁,起立曰:“臣願把君之手,其可乎?”襄成君忿作色而不言。莊辛遷延沓手而稱曰:“君獨不聞夫鄂君子皙之泛舟於新波之中也?乘青翰之舟,極芘,張翠蓋而犀尾,班麗褂衽,會鐘鼓之音,畢榜枻越人擁楫而歌,歌辭曰:‘濫兮抃草濫予昌枑澤予昌州州●州焉乎秦胥胥縵予乎昭澶秦踰滲惿隨河湖。’鄂君子皙曰:‘吾不知越歌,子試為我楚說之。’於是乃召越譯,乃楚說之曰:‘今夕何夕搴中洲流,今日何日兮,得與王子同舟。蒙羞被好兮,不訾詬恥,心幾頑而不絕兮,知得王子。山有木兮木有枝,心說君兮君不知。’於是鄂君子皙乃修袂,行而擁之,舉繡被而覆之。鄂君子皙,親楚王母弟也。官為令尹,爵為執圭,一榜枻越人猶得交歡盡意焉。今君何以踰於鄂君子皙,臣何以獨不若榜枻之人,願把君之手,其不可何也?”襄成君乃奉手而進之,曰:“吾少之時,亦嘗以色稱於長者矣。未嘗過僇如此之卒也。自今以後,願以壯少之禮謹受命。”

襄成君が始めて封を受くるの日、翠衣を着、玉劍を佩び、白色の鞋を踩み、游水の上に立ち、大夫は鐘槌を抱き、縣令は鼓槌を持ちて令を發し、呼んで曰く「誰かここに於て王を渡す能うか。」楚大夫莊辛は經過して喜悦し、そこで上前して身を托して拜謁し、起立して言った。「臣は君の手を握らんことを願う。可なるか。」襄成君は忿怒して色を變え言わず。莊辛は退却して手を疊えて称して言った。「君はかつて聞かずや、鄂君子晳が新波の中に舟を泛べしをや。青翰の船に乘り、極力芘を張り、翠蓋を張開して犀尾をして、斑斕美麗の衣襟、鐘鼓の聲を會合し、畢りて後に船を撑る越人は槳を抱いて歌えり。歌辞は越音なり(底本は音を存し義なし、中に殘缺あり)。鄂君子晳は曰く『我は越歌を知らず。お前は試みに我のために楚語を以て解説せよ』と。そこで即ち越地の譯者を召して、楚語を以て解説せしめたり。『今夜は何の夜か、中洲の水流の上に搴取す。今日は何の日か、王子と船を同じくするを得。羞慚を蒙りて好意を承くる、詬罵耻辱を計較せず。心はほぼ愚頑にして断絶せず、王子を得るを知る。山に樹木あり、樹木に枝あり。心は君を喜悦す、君は知らず。』そこで鄂君子晳は即ち修長の衣袖をして、走り往きて彼を擁抱し、繍被を擧げて彼を蓋えり。鄂君子晳は楚王の親母弟、官は令尹を為し、爵は執圭なり。一個の船を撑る越人でさえ得て交歡して意を盡す。いま君は何を以て鄂君子晳に超過し、臣は何を以て独り船を撑る人に如かざらん。君の手を握らんことを願うも、あの可ならざるは何故か。」襄成君はそこで手を捧げて進上して言った。「我が年少の時、またかつて容色を以て長者に称道せられたり。未だかつて侮辱を遭遇するにこのように突然たりき。今より以後、願わくは壯年少年の礼を以て恭敬して命を受けん。」

雍門子周以琴見乎孟嘗君。孟嘗君曰:“先生鼓琴亦能令文悲乎?”雍門子周曰:“臣何獨能令足下悲哉?臣之所能令悲者,有先貴而後賤,先富而後貧者也。不若身材高妙,適遭暴亂,無道之主,妄加不道之理焉;不若處勢隱絕,不及四鄰,詘折儐厭,襲於窮巷,無所告愬;不若交歡相愛無怨而生離,遠赴絕國,無復相見之時;不若少失二親,兄弟別離,家室不足,憂蹙盈。當是之時也,固不可以聞飛鳥疾風之聲,窮窮焉固無樂已。凡若是者,臣一為之徽膠援琴而長太息,則流涕霑衿矣。今若足下千乘之君也,居則廣廈邃房,下羅帷,來清風,倡優侏儒處前選進而諂諛;燕則鬥象棋而舞鄭女,激楚之切風,練色以淫目,流聲以虞耳;水遊則連方舟,載羽旗,鼓吹乎不測之淵;野遊則馳騁弋獵乎平原廣囿,格猛獸;入則撞鐘擊鼓乎深宮之中。方此之時,視天地曾不若一指,忘死與生,雖有善琴者,固未能令足下悲也。”孟嘗君曰:“否!否!文固以為不然。”雍門子周曰:“然臣之所為足下悲者一事也。夫聲敵帝而困秦者君也;連五國之約,南面而伐楚者又君也。天下未嘗無事,不從則橫,從成則楚王,橫成則秦帝。楚王秦帝,必報讎於薛矣。夫以秦、楚之強而報讎於弱薛,譽之猶摩蕭斧而伐朝菌也,必不留行矣。天下有識之士無不為足下寒心酸鼻者。千秋萬歲後,廟堂必不血食矣。高臺既以壞,曲池既以漸,墳墓既以下而青廷矣。嬰兒豎子樵採薪蕘者,蹢躅其足而歌其上,眾人見之,無不愀焉,為足下悲之曰:‘夫以孟嘗君尊貴乃可使若此乎?’”於是孟嘗君泫然泣涕,承睫而未殞,雍門子周引琴而鼓之,徐動宮徵,微揮羽角,切終而成曲,孟嘗君涕浪汗增,欷而就之曰:“先生之鼓琴令文立若破國亡邑之人也。”

雍門子周は琴を凭りて孟嘗君に進見せり。孟嘗君は言った。「先生は琴を彈じてまた文を悲哀せしむる能うか。」雍門子周は言った。「臣はどうして独り足下を悲哀せしむる能わんや。臣の能く人を悲哀せしむるは、先前貴して後に賤、先前富して後に貧なる者あり。身材高妙にして、恰好して暴乱に遭遇し、無道の主は胡乱に無道の道理を加うるに如かず。地勢の隱蔽隔絶に處り、四鄰に及ばず、屈折して擯棄壓制せられ、窮巷に重疊して、告げる処なきに如かず。交歡相愛して怨なくして生きて分離し、絶遠の国に遠赴し、再び相見る時なきに如かず。年少にして両親を失い、兄弟は別離し、家室は足らず、憂愁は充滿す。正にこの時、固より飛鳥疾風の聲を聞くべからず。窮困の極に至れば固より樂なし。およそこの如きは、臣は一たび彼のために弦を調え琴を援いて長く嘆息せば、即ち涙を流して衣襟を沾湿せん。いま足下の如きは千乗の君なり。住すれば即ち廣厦深房あり、羅帷を放下し、清風を來たらしめ、倡優侏儒は面前に於て択んで進上して諂諛す。宴飲すれば即ち象棋を鬥し鄭地の女子を舞わし、激楚の急風、練色を以て眼を過度せしめ、流動の聲を以て耳を娛樂せしむ。水の上に游べば即ち方舟を連接し、羽旗を載せ、測量すべからざる深淵に鼓吹す。野に游べば即ち平原廣囿を馳騁して射獵し、猛獸と格鬥す。入れば即ち深宮の中に鐘を撞き鼓を撃つ。正にこの時、天地を看るに竟に一根の手指に如かず、死と生を忘る。たとえ琴を彈ずに善きあれども、固より足下を悲哀せしむる能わず。」孟嘗君は言った。「否!否!文は固より以て然らざるとす。」雍門子周は言った。「しかるに臣は足下のために悲哀する一事あり。あの声勢が帝に匹敵して秦を困らしむるは君なり。五国の盟約を連結し、南に向かい楚を攻伐するはまた君なり。天下は未だかつて事なく、合縦ならずんば連横す。合縦成れば楚は王と称し、連横成れば秦は帝と称す。楚が王と称し秦が帝と称せば、必ず薛に向かい仇を報いん。秦・楚の強を以て弱薛に向かい仇を報いんとすれば、比作するはなお蕭斧を磨きて朝菌を砍るが如し。必ず停留せざらん。天下の見識ある士は足下のために寒心酸鼻せざるなし。千秋萬歲の後、廟堂は必ず血食なからん。高台は已に毀壞し、曲池は已に水に浸せられ、墳墓は已に低下して青草の庭院ならん。嬰児童子柴を打つ人は、脚を頓きてその上に歌う。衆人はこれを見て、凄愴せざるなく、足下のために悲哀して曰く「孟嘗君の尊貴を以て、竟に彼をしてこのようにせしむべきか?」と。」そこで孟嘗君は泫然として涙を流し、涙は睫毛に至るも未だ落ちず。雍門子周は琴を引いて彈奏し、慢慢として宮・徵を撥動し、微微として羽・角を揮動し、急切して終結して曲を成せり。孟嘗君の眼涙は浪浪として増し、抽泣して彼に靠近して言った。「先生の琴を彈ずるは、文をして立ちどころに破国亡邑の人の如からしめり。」

蘧伯玉使至楚,逢公子皙濮水之上,子皙接草而待曰:“敢問上客將何之?”蘧伯玉為之軾車。公子皙曰:“吾聞上士可以托色,中士可以託辭,下士可以托財,三者固可得而託身耶?”蘧伯玉曰:“謹受命。”蘧伯玉見楚王,使事畢,坐談話,從容言至於士。楚王曰:“何國最多士?”蘧伯玉曰:“楚最多士。”楚王大悅。蘧伯玉曰:“楚最多士而楚不能用。”王造然曰:“是何言也?”蘧伯玉曰:“伍子胥生於楚,逃之吳。吳受而相之。發兵攻楚,墮平王之墓。伍子胥生於楚,吳善用之。釁蚡黃生於楚,走之晉,治七十二縣,道不拾遺,民不妄得,城郭不閉,國無盜賊,蚡黃生於楚而晉善用之。今者臣之來,逢公子皙濮水之上,辭言‘上士可以托色,中士可以託辭,下士可以托財,三者固可得而託身耶?’又不知公子皙將何治也。”於是楚王發使一駟,副使二乘,追公子皙濮水之上,子皙還重於楚,蘧伯玉之力也。故詩曰:“誰能烹魚,溉之釜鬵,孰將西歸,懷之好音。”此之謂也。物之相得,固微甚矣。

蘧伯玉は楚に出使し、濮水の上で公子晳に遇えり。子晳は草を撥きて待ちて言った。「敢えて貴客は将にどこに往かんとするかを問う。」蘧伯玉は彼のために車軾に凭った。公子晳は言った。「我が聞くに、上等の士は以て神色を托付すべく、中等の士は以て言辞を托付すべく、下等の士は以て財貨を托付すべし。この三者は固より得て身を托付すべきか。」蘧伯玉は言った。「命を恭敬して受けん。」蘧伯玉は楚王に進見し、出使の事を畢え、坐して談話し、從容として士に說及至れり。楚王は言った。「どの国の士が最も多きか。」蘧伯玉は言った。「楚の士が最も多し。」楚王は大いに悦べり。蘧伯玉は言った。「楚の士は最も多きにして楚は用いる能わず。」王は突然として色を變えて言った。「これは何の話か。」蘧伯玉は言った。「伍子胥は楚に生れ、呉に逃げたり。呉は受けて彼を相と為せり。兵を發して楚を攻め、平王の墓を毀壞せり。伍子胥は楚に生れしも、呉は彼を用いるに善かりき。釁蚡黃は楚に生れ、晋に走り、七十二縣を治め、路上に遺失の物を拾わず、民は妄りに取らず、城郭は關閉せず、国に盜賊なし。蚡黃は楚に生れしも、晋は彼を用いるに善かりき。いま臣が前來するに、濮水の上で公子晳に遇い、話に『上等の士は以て神色を托付すべく、中等の士は以て言辞を托付すべく、下等の士は以て財貨を托付すべし。この三者は固より得て身を托付すべきか』と。また公子晳が将に何を治理せんとするかを知らず。」そこで楚王は使者一駟・副使二乗を派出して、濮水の上に至りて公子晳を追わしめ、子晳は返回して楚に於て看重せらる。これは蘧伯玉の力なり。ゆえに『詩経』に言う。「誰か能く魚を烹らば、即ち彼のために釜鬵を洗浄せん。誰か将に西に帰らば、即ち彼の好音を懷念せん。」これを言う。物の互相いに投合するは、もともと甚だ細微なり。

叔向之弟羊舌虎善樂達,達有罪於晉,晉誅羊舌虎,叔向為之奴。既而祁奚曰:“吾聞小人得位,不爭不義,君子所憂,不救不祥。”乃往見範桓子而說之曰:“聞善為國者,賞不過;刑不濫。賞過則懼及淫人;刑濫則懼及君子。(與不幸而過),寧過而賞淫人,無過而刑君子,故堯之刑也,殛鯀於羽山而用禹;周之刑也,僇管、蔡而相周公,不濫刑也。”桓子乃命吏出叔向,救人之患者,行危苦而不避煩辱,猶不能免。今祁奚論先王之德而叔向得免焉,學豈可已哉?

叔向の弟羊舌虎は楽達と要好せり。達は晋に於て罪あり。晋は羊舌虎を誅殺し、叔向はこれにより奴を為せり。ほどなく祁奚は言った。「我が聞くに、小人が位子を得れば、争わざれば義ならず。君子の憂慮する所は、救わざれば祥ならず。」そこで前往して范桓子に見えて彼を游説して言った。「聞くに、善く国を治むるは、賞は過分ならず、刑は濫ならずと。賞が過分なれば淫濫の人に連及するを怕る。刑が濫なれば君子に連及するを怕る。(不幸にして過分せんより)、寧ろ過分にして淫濫の人を賞せよ、過分にして君子を刑するなかれ。ゆえに堯の刑は、鯀を羽山に殺死せしめて禹を任用せり。周の刑は、管・蔡を殺��し��周公を以て相と為せり。これは刑を濫せざるなり。」桓子はそこで吏に命じて叔向を放出せしめた。人の患難を救い、危険勞苦を走りて煩辱を避けざるも、なお禍を免れざる。いま祁奚は先王の徳を論説して叔向は禍を免るるを得たり。學はどうして停止すべからんや!

張祿掌門,見孟嘗君曰:“衣新而不舊,倉庾盈而不虛,為之有道,君亦知之乎?”孟嘗君曰:“衣新而不舊,則是修也。倉庾盈而不虛,則是富也。為之奈何?其說可得聞乎?”張祿曰:“願君貴則舉賢,富則振貧,若是則衣新而不舊,倉庾盈而不虛矣。”孟嘗君以其言為然,說其意,辯其辭,明日使人奉黃金百斤,文織百純,進之張先生。先生辭而不受。後先生復見孟嘗君。孟嘗君曰:“前先生幸教文曰:‘衣新而不舊,倉庾盈而不虛,為之有說,汝亦知之乎?’文竊說教,故使人奉黃金百斤,文織百純,進之先生,以補門內之不贍者,先生曷為辭而不受乎?”張祿曰:“君將掘君之偶錢,發君之庾粟以補士,則衣弊履穿而不贍耳。何暇衣新而不舊,倉瘐盈而不虛乎?”孟嘗君曰:“然則為之奈何?”張祿曰:“夫秦者四塞之國也。遊宦者不得入焉。願君為吾為丈尺之書,寄我與秦王,我往而遇乎,固君之入也。往而不遇乎,雖人求間謀,固不遇臣矣。”孟嘗君曰:“敬聞命矣。”因為之書,寄之秦王,往而大遇。謂秦王曰:“自祿之來入大王之境,田疇益闢,吏民益治,然而大王有一不得者,大王知之乎?”王曰:“不知。”曰:“夫山東有相,所謂孟嘗君者,其人賢人,天下無急則已,有急則能收天下雄俊之士,與之合交連友者,疑獨此耳。然則大王胡不為我友之乎?”秦王曰:“敬受命。”奉千金以遺孟嘗君,孟嘗君輟食察之而寤曰:“此張生之所謂衣新而不舊,倉庾盈而不虛者也。”

張禄は門を守り、孟嘗君に進見して言った。「衣服は新たにして旧に變えず、倉庾は滿ちて空虚せず。これを為すに方法あり。君はまた知るか。」孟嘗君は言った。「衣服が新たにして旧に變えざるは、即ち整修なり。倉庾が滿ちて空虚せざるは、即ち富裕なり。どうすべきか。あの説法は聞くべきか。」張禄は言った。「願わくは君は貴ければ即ち賢人を挙薦し、富めば即ち窮人を賑濟せよ。これの如くならば衣服は新たにして旧に變えず、倉庾は滿ちて空虚せざらん。」孟嘗君は彼の言を以て對とし、あの意を好み、あの辞を明白せり。明日に人を派して黄金百斤・花紋ある織品百純を奉上し、張先生に進げり。先生は推辞して受けず。後に先生は再び孟嘗君に進見せり。孟嘗君は言った。「先前先生は幸いに文を教えて曰く『衣服は新たにして旧に變えず、倉庾は滿ちて空虚せず。これを為すに説法あり。お前はまた知るか』と。文は私にこの教を好み、ゆえに人を派して黄金百斤・花紋ある織品百純を奉上し、先生に進げ、以て門內の供給足らざるを補わんとす。先生は何故推辞して受けざるか。」張禄は言った。「君は将に君の串なる錢を挖掘し、君の倉庾の粟を打開して以て士を補わんとせば、則ち衣服は破れ鞋子は洞を穿てども供給足らざるのみ。どこに閑暇あって衣服新たにして旧に變えず、倉庾滿ちて空虚せざらんや。」孟嘗君は言った。「ならばどうすべきか。」張禄は言った。「秦は四面に要塞ある国なり。游宦の人は入る能わず。願わくは君は我のために一尺ほどの書信を寫して、我を秦王に托付せよ。我は往きて遇合せば、固より君の人なり。往きて遇合せざれば、たとえ間諜を為らんと求むる人あるも、固より臣に遇わざらん。」孟嘗君は言った。「命を恭敬して聞きたり。」そこで彼のために書を寫し、秦王に托付せり。往きて大大に遇合せり。秦王に對して言った。「禄が進りて大王の境に入りてより、田地はいよいよ開闢し、吏民はいよいよ治理せり。しかるに大王に一件得られざるあり。大王は知るか。」王は言った。「知らず。」言った。「山東に一個の相あり、所謂孟嘗君なり。あの人は賢人なり。天下に急難なからばそれまで、急難あれば能く天下の雄俊の士を收羅し、彼らと結交連友するは、独りこの人のみか。ならば大王は何故我と彼を友待せざるか。」秦王は言った。「命を恭敬して受けん。」千金を奉りて孟嘗君に送れり。孟嘗君は食を停めて察看して醒悟して言った。「これは張生の所謂衣服新たにして旧に變えず、倉庾滿ちて空虚せざるなり。」

莊周貧者,往貸粟於魏,文侯曰:“待吾邑粟之來而獻之。”周曰:“乃今者周之來,見道傍牛蹄中有鮒魚焉,大息謂周曰:‘我尚可活也?’周曰:‘須我為汝南見楚王,決江、淮以溉汝。’鮒魚曰:‘今吾命在盆甕之中耳,乃為我見楚王,決江、淮以溉我,汝即求我枯魚之肆矣。’今周以貧故來貸粟,而曰須我邑粟來也而賜臣,即來亦求臣傭肆矣。”文侯於是乃發粟百鍾,送之莊周之室。

荘周は貧窮して、魏に往きて粟を借らんとす。文侯は言った。「我が城邑の粟が到來するを待ちてお前に献ぜん。」周は言った。「即ちいま周が前来せし時、道旁の牛蹄の窩の中に鮒魚ありて、周に對して嘆息して曰く『我はなお活くべきか』と。周は曰く『我がお前のために南に楚王に見えて、江・淮を決開してお前を灌溉せんを待て』と。鮒魚は曰く『いま我が命は盆瓮の中のみ。しかるに我のために楚王に見えて、江・淮を決開して我を灌溉せば、お前は枯魚の店舗に至りて我を尋ねよ』と。いま周は貧窮を以てゆえに粟を借りに来たれり。しかるに我が城邑の粟が到來するを待ちて臣に賜わんと言えば、即ち到來しても傭工の店舗に至りて臣を尋ねん。」文侯はそこで即ち粟百鐘を發放して、荘周の屋子に送り至れり。

晉平公問叔向曰:“歲饑民疫,翟人攻我,我將若何?”對曰:“歲飢來年而反矣,疾疫將止矣,翟人不足患也。”公曰:“患有大於此者乎?”對曰:“夫大臣重祿而不極諫,近臣畏罪而不敢言,左右顧寵於小官而君不知。此誠患之大者也。”公曰:“善。”於是令國中曰:“欲有諫者為之隱,左右言及國吏罪。”

晋平公が叔向に問うた。「年成は饑荒、民に瘟疫あり、翟人は我を攻む。我は将に如何せん。」答えた。「年成の饑荒は來年に反轉せん、疾病瘟疫は将に停止せん、翟人は以て憂患と為すに足らず。」公は言った。「これより大なる患あるか。」答えた。「大臣は俸禄を重んじて極力進諫せず、近臣は罪を怕れて敢えて話せず、左右は小官に於て顧盼寵幸し而して君は知らず。これぞ真に患の中の大なり。」公は言った。「よし。」そこで国に命じて言った。「進諫せんと欲する者は彼のために隱瞞せよ。左右が国吏に說及至るは罪あり。」

趙簡子攻陶,有二人先登,死於城上,簡子欲得之,陶君不與。承盆疽謂陶君曰:“簡子將掘君之墓,以與君之百姓市曰:‘踰邑梯城者將赦之,不者將掘其墓,朽者揚其灰,未朽者辜其屍。’陶君懼,謂效二人之屍以為和。

趙簡子が陶を攻む。二人ありて先に登り、城上に死せり。簡子は彼らを得んと欲すれども、陶君は與えず。承盆疽は陶君に對して言った。「簡子は将に君の墓を挖掘し、以て君の百姓と交易を為して曰く『城邑を翻越し梯を架けて城に登るは将に彼を赦せん。然らざるは将に彼の墓を挖掘し、腐爛せるはその灰を揚げ、未だ腐爛せざるはその屍体を分裂せん』と。」陶君は恐懼し、許して二人の屍体を献上して以て講和せり。

子貢見太宰嚭,太宰嚭問曰:“孔子何如?”對曰:“臣不足以知之。”太宰曰:“子不知,何以事之?”對曰:“惟不知,故事之,夫子其猶大山林也,百姓各足其材焉。”太宰嚭曰:“子增夫子乎?”對曰:“夫子不可增也。夫賜其猶一累壤也,以一累壤增大山,不益其高,且為不知。”太宰嚭曰:“然則子有所酌也。”對曰:“天下有大樽而子獨不酌焉,不識誰之罪也。”

子貢が太宰嚭に見えた。太宰嚭は問うた。「孔子は如何。」答えた。「臣は以て彼を知るに足らず。」太宰は言った。「お前は知らざれば、何を以て彼に事奉するか。」答えた。「正に知らざるが故に、彼に事奉す。夫子はほぼなお大山林の如く、百姓は各自あそこより材用を取りて足る。」太宰嚭は言った。「お前は夫子を增高するか。」答えた。「夫子は增高すべからず。賜はほぼなお一簪の壤土の如く、一簪の壤土を以て大山に増やすも、その高を増益せず、併せて知らずと算す。」太宰嚭は言った。「ならばお前は取飲する所有り。」答えた。「天下に大樽ありてお前は独り取飲せず。誰の罪かを知らず。」

趙簡子問子貢曰:“孔子為人何如?”子貢對曰:“賜不能識也。”簡子不說曰:“夫子事孔子數十年,終業而去之,寡人問子,子曰不能識,何也?”子貢曰:“賜譬渴者之飲江海,知足而已,孔子猶江海也,賜則奚足以識之。”簡子曰:“善哉!子貢之言也。”

趙簡子が子貢に問うた。「孔子の人となりは如何。」子貢は答えた。「賜は認識する能わず。」簡子は喜ばずして言った。「夫子は孔子に事奉すること数十年、學業を完成して彼を離れ去れり。寡人はあなたに問うに、あなたは認識する能わずと言う。何故か。」子貢は言った。「賜は口渴する人が江海を飲むに比し、足るを知るのみ。孔子は江海に比す。賜はまたどこに彼を認識するに足らん。」簡子は言った。「善いな!子貢の言。」

齊景公謂子貢曰:“子誰師?”曰:“臣師仲尼?”公曰:“仲尼賢乎?”對曰:“賢。”公曰:“其賢何若?”對曰:“不知也。”公曰:“子知其賢而不知其奚若,可乎?”對曰:“今謂天高,無少長愚智皆知高,高几何?皆曰不知也,是以知仲尼之賢而不知其奚若。”

斉景公が子貢に對して言った。「お前は誰を以て師と為すか。」言った。「臣の師は仲尼なり。」公は言った。「仲尼は賢か。」答えた。「賢。」公は言った。「彼の賢は何に像るか。」答えた。「知らず。」公は言った。「お前は彼の賢を知りて彼が何に像るかを知らざるは、可なるか。」答えた。「いま天の高きを言うに、少長愚智を論ぜず皆高きを知る。高きは幾何か。皆不知と言う。これにより仲尼の賢を知りて彼が何に像るかを知らず。」

趙襄子謂仲尼曰:“先生委質以見人主七十君矣,而無所通,不識世無明君乎?意先生之道,固不通乎?”仲尼不對。異日,襄子見子路曰:“嘗問先生以道,先生不對,知而不對則隱也。隱則安得為仁;若信不知,安得為聖?”子路曰:“建天下之鳴鐘,而撞之以挺,豈能發其聲乎哉?君問先生,無乃猶以挺撞乎?”

趙襄子が仲尼に對して言った。「先生は質を委ねて人主に進見すること七十個の君、しかるに通達せず。世に明君なきかを知らず。それとも先生の道はもともと通通ぜざるか。」仲尼は答えず。別日、襄子は子路に見えて言った。「かつて道を以て先生に問うたが、先生は答えず。知りて答えざれば即ち隱匿なり。隱匿はどうして仁と算せん。もし確かに知らざれば、どうして聖と算せん。」子路は言った。「天下の鳴鐘を樹立するも、木棍を以てこれを撞けば、どうしてその聲を發する能わんや。君は先生に問うも、おそらくなお木棍を以て撞くが如きか。」

衛將軍文子問子貢曰:“季文子三窮而三通,何也?”子貢曰:“其窮事賢,其通舉窮,其富分貧,其貴禮賤。窮而事賢則不悔;通而舉窮則忠於朋友,富而分貧則宗族親之;貴而禮賤則百姓戴之。其得之,固道也;失之,命也。”曰:“失而不得者,何也?”曰:“其窮不事賢,其通不舉窮,其富不分貧,其貴不理賤,其得之,命也;其失之,固道也。”

衛將軍文子が子貢に問うた。「季文子は三たび困窮して三たび通達せり。何故か。」子貢は言った。「彼は困窮の時に賢人に事奉し、通達の時に困窮を挙薦し、富裕の時に窮人に分給し、尊貴の時に低賤を礼待せり。困窮にして賢人に事奉せば後悔せず。通達にして困窮を挙薦せば朋友に忠なり。富裕にして窮人に分給すれば則ち宗族は彼に親し。尊貴にして低賤を礼待すれば則ち百姓は彼を愛戴す。彼の得るは、もともと道なり。失うは、命なり。」問うた。「失いて得られざるは、何故か。」言った。「彼は困窮にして賢人に事奉せず、通達にして困窮を挙薦せず、富裕にして窮人に分給せず、尊貴にして低賤に理睬せず。彼の得るは、命なり。彼の失うは、もともと道なり。」

子路問於孔子曰:“管仲何如人也?”子曰:“大人也。”子路曰:“昔者管子說襄公,襄公不說,是不辯也;欲立公子糾而不能,是無能也;家殘於齊而無憂色,是不慈也;桎梏而居檻車中無慚色,是無愧也;事所射之君,是不貞也;召忽死之,管仲不死,是無仁也。夫子何以大之?”子曰:“管仲說襄公,襄公不說,管仲非不辯也,襄公不知說也;欲立公子糾而不能,非無能也,不遇時也;家殘於齊而無憂色,非不慈也,知命也;桎梏居檻車而無慚色,非無愧也,自裁也;事所射之君,非不貞也,知權也;召忽死之,管仲不死,非無仁也。召忽者,人臣之材也,不死則三軍之虜也;死之則名聞天下,夫何為不死哉?管仲者,天子之佐,諸侯之相也,死之則不免為溝中之瘠;不死則功複用於天下,夫何為死之哉?由!汝不知也。”

子路が孔子に問うた。「管仲はどのような人か。」孔子は言った。「大人なり。」子路は言った。「昔、管子は襄公を游説するに、襄公は喜悦せず。これは辯に善からざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず。これは才能なきなり。家は斉に於て殘破するも憂色なし。これは慈ならざるなり。桎梏を戴きて檻車に居れども慚愧の神色なし。これは愧なきなり。射たる君に事奉す。これは貞ならざるなり。召忽は彼のために死せり。管仲は死せず。これは仁なきなり。夫子は何故彼を以て大と為すか。」孔子は言った。「管仲は襄公を游説するに、襄公は喜悦せず。管仲は辯に善からざるにあらず、襄公は喜悦を懂得せざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わざるは、才能なきにあらず、時に遇わざるなり。家は斉に於て殘破するも憂色なきは、慈ならざるにあらず、命を知るなり。桎梏を戴きて檻車に居れども慚愧の神色なきは、愧なきにあらず、自ら裁断するなり。射たる君に事奉するは、貞ならざるにあらず、權變を知るなり。召忽は彼のために死し、管仲は死せざるは、仁なきにあらず。召忽は人臣の材、死せざれば即ち三軍の俘虜なり。彼のために死せば則ち名は天下に聞こえん。彼は何故死せざらん。管仲は天子の輔佐、諸侯の相なり。彼のために死せば則ち溝中の瘦骨を免れず。死せざれば則ち功労は天下に於て再び用いらん。彼は何故彼のために死せん。由よ!お前は知らず。」

晉平公問於師曠曰:“咎犯與趙衰孰賢?”對曰:“陽處父欲臣文公,因咎犯,三年不達,因趙衰,三日而達。智不知其士眾,不智也;知而不言,不忠也;欲言之而不敢,無勇也;言之而不聽,不賢也。”

晋平公が師曠に問うた。「咎犯と趙衰と誰が賢か。」答えた。「陽處父は文公の臣を為らんと欲し、咎犯を通ずること三年にして通達せず。趙衰を通ずれば、三天にして通達せり。智にし��彼の士衆を知らざるは、不智なり。知りて説かざるは、不忠なり。説かんと欲して敢えてせざるは、勇なきなり。説いて聴かれざるは、不賢なり。」

趙簡子問於成摶曰:“吾聞夫羊殖者,賢大夫也,是行奚然?”對曰:“臣摶不知也。”簡子曰:“吾聞之子與友親,子而不知,何也?”摶曰:“其為人也數變,其十五年也,廉以不匿其過;其二十也,仁以喜義,其三十也,為晉中軍尉,勇以喜仁,其年五十也,為邊城將,遠者復親。今臣不見五年矣。恐其變,是以不敢知。”簡子曰:“果賢大夫也,每變益上矣。”

趙簡子が成摶に問うた。「我が聞くに、羊殖は賢大夫なり。あの行事は如何。」答えた。「臣摶は知らず。」簡子は言った。「我が聞くに、あなたは彼と交友親近せり。あなたは知らざるは何故か。」摶は言った。「彼の人となりは屢々變化す。十五歳にして、廉潔にして過失を隱瞞せず。二十歳にして、仁にして義を喜好す。三十歳にして、晋中軍尉を為り、勇にして仁を喜好す。五十歳にして、邊城將を為り、疏遠の者を再び親近せしむ。いま臣は五年彼を見ず。彼の變化を怕る。これにより敢えて知ると言わず。」簡子は言った。「果たして賢大夫なり。每變化するごとにいよいよ上に向かう。」

卷十二奉使

巻十二 奉使

春秋之辭有相反者四,既曰:“大夫無遂事。”不得擅生事矣。又曰:“出境可以安社稷,利國家者則專之可也。”既曰:“大夫以君命出,進退在大夫”矣,又曰:“以君命出,聞喪徐行而不反”者,何也?曰:“此義者各止其科,不轉移也。不得擅生事者,謂平生常經也;專之可也者,謂救危除患也;進退在大夫者,謂將帥用兵也;徐行而不反者,謂出使道聞君親之喪也。公子子結擅生事,春秋不非,以為救莊公危也。公子遂擅生事,春秋譏之,以為僖公無危事也。故君有危而不專救,是不忠也。若無危而擅生事,是不臣也。傳曰:‘詩無通詁,易無通吉,春秋無通義。’此之謂也。”

『春秋』の辞に相反する四条あり。已に曰く「大夫に徑自專行の事なし。」なれば即ち擅りに事を生ずべからず。また曰く「出境して社稷を安定し国家に利あるは則ち專行して可なり。」已に曰く「大夫は君命を凭りて出ずれば、進退は大夫に在り。」また曰く「君命を凭りて出ずれば、喪事を聞きて慢慢として返らず。」是れ何故か。曰く「これらの義は各々己の科條に停まり、轉移せず。擅りに事を生ずべからざるは、平時經常の常規を言う。專行して可なりは、危難を挽救し禍患を除去するを言う。進退は大夫に在りは、將帥の兵を用いるを言う。慢慢として返らざるは、出使して路上に在りて君親の喪事を聞くを言う。公子子結は擅りに事を生じしに、『春秋』は彼を責備せず、以て荘公の危を挽救せんと為す。公子遂は擅りに事を生じしに、『春秋』は彼を譏刺す、以て僖公に危事なしと為す。ゆえに君に危ありて專行して挽救せざるは、不忠なり。もし危なくして擅りに事を生ずるは、臣道を守らざるなり。伝文に曰く『『詩経』に貫通する訓詁なし、『周易』に貫通する吉なし、『春秋』に貫通する義なし。』これを言う。」

趙王遣使者之楚,方鼓瑟而遣之,誡之曰:“必如吾言。”使者曰:“王之鼓瑟,未嘗悲若此也!”王曰:“宮商固方調矣!”使者曰:“調則何不書其柱耶?”王曰:“天有燥溼,弦有緩急,宮商移徙不可知,是以不書。”使者曰:“明君之使人也,任之以事,不制以辭,遇吉則賀之,兇則吊之。今楚、趙相去,千有餘裡,吉凶憂患,不可豫知,猶柱之不可書也。詩云:‘莘莘征夫,每懷靡及。’”

趙王は使者を遣わして楚に至らしむ。正に瑟を鼓して彼を派遣し、告誡して言った。「必ず我が言の如くせよ。」使者は言った。「王は瑟を鼓す、未だかつて悲哀するにこのようあらず!」王は言った。「宮商は固より正に調和せり!」使者は言った。「調和せば何故柱上に寫さざるか。」王は言った。「天に乾燥潮濕あり、弦に鬆有り緊有り。宮商は遷移して知るべからず。これにより寫さず。」使者は言った。「明君は人を用い、事を彼に委任して、辞を以て限制せず。吉に遇えば慶賀し、凶に遇えば弔唁す。いま楚・趙は相い距ること一千余里、吉凶憂患は豫め知るべからず。柱の寫すべからざるに比す。『詩経』に言う『衆多の征夫は、常に及ばざるの憂を懷く。』」

楚莊王舉兵伐宋,宋告急,晉景公欲發兵救宋,伯宗諫曰:“天方開楚,未可伐也。”乃求壯士,得霍人解揚,字子虎,往命宋毋降,道過鄭,鄭新與楚親,乃執解揚而獻之楚。楚王厚賜,與約,使反其言,令宋趣降,三要,解揚乃許。於是楚乘揚以樓車,令呼宋使降,遂倍楚約而致其晉君命曰:“晉方悉國兵以救宋,宋雖急,慎毋降楚,晉今至矣。”楚莊王大怒,將烹之,解揚曰:“君能制命為義,臣能承命為信,受吾君命以出,雖死無二。”王曰:“汝之許我,已而倍之,其信安在?”解揚曰:“死以許王,欲以成吾君命,臣不恨也。”顧謂楚君曰:“為人臣無忘盡忠而得死者。”楚王諸弟皆諫王赦之。於是莊公卒赦解揚而歸之。晉爵之為上卿。故後世言霍虎。

楚荘王は兵を起して宋を攻伐せり。宋は急を告げ、晋景公は兵を發して宋を救わんと欲す。伯宗は進諫して言った。「天は正に楚を開啓す。攻伐すべからず。」そこで壯士を尋求し、霍人解揚を得、字は子虎。前往して宋に降るなかれと命令せしむ。路上に鄭を經過す。鄭は新近にして楚と親近す。そこで解揚を捉えて楚に献じた。楚王は厚く賞賜し、彼と約定して、彼をして反つて話さしめ、宋に速やかに降せと命令せしむ。三次要挾して、解揚は乃ち許諾せり。そこで楚は揚をして樓車に登らしめ、呼びて宋に降せと命令せしむ。そこで楚の約定に違背して彼の晋君の命令を傳達して曰く「晋は正に国兵を盡くして宋を救いに來る。宋はたとえ急なるも、謹みて楚に降るなかれ。晋はいま至れり。」楚荘王は大いに怒り、将に彼を烹らんとす。解揚は言った。「君が能く命令を制定するは義なり。臣が能く命令を承受するは信なり。我が君の命を受けて出使するは、死するも貳心なし。」王は言った。「お前は已に我に許諾して、隨後に違背せり。あの信はどこに在るか。」解揚は言った。「死を以て王に許諾せるは、我が君の命を成就せんと欲するなり。臣は恨まず。」回頭して楚君に對して言った。「人臣たるは忠を盡して死を得る者を忘るるなかれ。」楚王の衆弟は皆王に進諫して彼を赦免せしめり。そこで荘公は終に解揚を赦免して彼を帰らしめた。晋は彼に上卿の爵を與えり。ゆえに後世は霍虎と称す。

秦王以五百里地易鄢陵,鄢陵君辭而不受,使唐且謝秦王。秦王曰:“秦破韓滅魏,鄢陵君獨以五十里地存者,吾豈畏其威哉?吾多其義耳。今寡人以十倍之地易之,鄢陵君辭而不受,是輕寡人也。”唐且避席對曰:“非如此也。夫不以利害為趣者,鄢陵君也。夫鄢陵君受地於先君而守之。雖復千里不得當,豈獨五百里哉?”秦王忿然作色,怒曰:“公亦曾見天子之怒乎?”唐且曰:“王臣未曾見也。”秦王曰:“天子一怒,伏屍百萬,流血千里。”唐且曰:“大王亦嘗見夫布衣韋帶之士怒乎?”秦王曰:“布衣韋帶之士怒也,解冠徒跣,以頸顙地耳,何難知者。”唐且曰:“此乃匹夫愚人之怒耳,非布衣韋帶之士怒也。夫專諸刺王僚,彗星襲月,奔星晝出;要離刺王子慶忌,蒼隼擊於臺上;聶政刺韓王之季父,白虹貫日,此三人皆布衣韋帶之士怒矣。與臣將四士,含怒未發,■厲於天。士無怒即已,一怒伏屍二人,流血五步。”即案匕首起視秦王曰:“今將是矣。”秦王變色長跪曰:“先生就坐,寡人喻矣。秦破韓滅魏,鄢陵獨以五十里地存者,徒用先生之故耳。”

秦王は五百里の地を以て鄢陵を交換せんとす。鄢陵君は推辞して受けず、唐且を派して秦王に辞謝せしむ。秦王は言った。「秦は韓を攻破し魏を滅亡せり。鄢陵君は独り五十里の地を以て生存す。我はどうして彼の威を怕れん。我は彼の義を重んずるのみ。いま寡人は十倍の地を以て交換せんとするに、鄢陵君は推辞して受けず。これは寡人を輕視するなり。」唐且は席を離れて答えた。「このようにはあらず。利害を以て趨向と為さざるは、鄢陵君なり。鄢陵君は先君より地を受けてこれを守る。たとえ千里あるも相当せず。どうしてただ五百里のみならん!」秦王は忿怒して色を變え、怒りて言った。「公はまたかつて天子の怒を見しや。」唐且は言った。「王の臣は未だかつて見ず。」秦王は言った。「天子が一たび怒れば、倒下の屍は百万、流血は千里なり。」唐且は言った。「大王はまたかつてあの布衣韋帶の士の怒を見しや。」秦王は言った。「布衣韋帶の士が怒るは、冠を解き脚を赤くして、頸額を以て地に触るるのみ。何の知り難きかあらん。」唐且は言った。「これはただ匹夫愚人の怒のみ。布衣韋帶の士の怒にあらず。專諸が王僚を刺殺するに、彗星は月を襲撃し、奔星は白天に出現せり。要離が王子慶忌を刺殺するに、蒼隼は台上に搏撃せり。聶政が韓王の叔父を刺殺するに、白虹は日を貫穿せり。この三人は皆布衣韋帶の士の怒れり。臣と將に第四個の士と為らん。怒を含みて未だ發せず、(底本この字欠)天に厲す。士は怒なければそれまで、一たび怒れば倒下の屍は兩人、流血は五步なり。」即ち匕首を按して起ちて秦王を看着して言った。「いま將に是ならん。」秦王は色を變えて長跪して言った。「先生は坐に就け。寡人は明白せり。秦は韓を攻破し魏を滅亡せり。鄢陵は独り五十里の地を以て生存す。ただ先生の故を以てすのみ。」

齊攻魯。子貢見哀公,請求救於吳。公曰:“奚先君寶之用?”子貢曰:“使吳責寶而與我師,是不可恃也。”於是以楊幹麻筋之弓六往。子貢謂吳王曰:“齊為無道,欲使周公之後不血食,且魯賦五百,邾賦三百,不識以此益齊,吳之利與?非與?”吳王懼,乃興師救魯。諸侯曰:“齊伐周公之後,而吳救之。”遂朝於吳。

斉が魯を攻む。子貢は哀公に見え、呉に向かい救を求めんことを請う。公は言った。「先君の寶を用いざるは何故か。」子貢は言った。「呉をして寶を索取せしめて我らに軍隊を與えんは、これは以て依靠すべからず。」そこで楊干麻筋の弓六張を以て前往せり。子貢は呉王に對して言った。「斉は無道の事を為し、周公の後代をして血食なからしめんと欲す。さらに魯の賦は五百、邾の賦は三百、これらを以て斉を増益するを知らず。呉の利なるか。それとも否なるか。」呉王は恐懼し、そこで兵を起して魯を救えり。諸侯は言った。「斉は周公の後代を攻伐す。而して呉は彼を救う。」そこで呉に至りて朝見せり。

魏文侯封太子擊於中山,三年,使不往來,舍人趙倉唐進稱曰:“為人子,三年不聞父問,不可謂孝。為人父,三年不問子,不可謂慈。君何不遣人使大國乎?”太子曰:“願之久矣。未得可使者。”倉唐曰:“臣願奉使,侯何嗜好?”太子曰:“侯嗜晨鳧,好北犬。”於是乃遣倉唐■北犬,奉晨鳧,獻於文侯。倉唐至,上謁曰:“孽子擊之使者,不敢當大夫之朝,請以燕閒,奉晨鳧,敬獻庖廚,■北犬,敬上涓人。”文侯悅曰:“擊愛我,知吾所嗜,知吾所好。”召倉唐而見之,曰:“擊無恙乎?”倉唐曰:“唯唯。”如是者三,乃曰:“君出太子而封之國君,名之,非禮也。”文侯怵然為之變容。問曰:“子之君無恙乎?”倉唐曰:“臣來時,拜送書於庭。”文侯顧指左右曰:“子之君,長孰與是?”倉唐曰:“禮,擬人必於其倫,諸侯毋偶,無所擬之。”曰:“長大孰與寡人。”倉唐曰:“君賜之外府之裘,則能勝之,賜之斥帶,則不更其造。”文侯曰:“子之君何業?”倉唐曰:“業詩。”文侯曰:“於詩何好?”倉唐曰:“好晨風、黍離。”文侯自讀晨風曰:“■彼晨風,鬱彼北林,未見君子,憂心欽欽,如何如何,忘我實多。”文侯曰:“子之君以我忘之乎?”倉唐曰:“不敢,時思耳。”文侯復讀黍離曰:“彼黍離離,彼稷之苗,行邁靡靡,中心搖搖,知我者謂我心憂,不知我者謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?”文侯曰:“子之君怨乎?”倉唐曰:“不敢,時思耳。”文侯於是遣倉唐賜太子衣一襲,敕倉唐以雞鳴時至。太子起拜,受賜發篋,視衣盡顛倒。太子曰:“趣早駕,君侯召擊也。”倉唐曰:“臣來時不受命。”太子曰:“君侯賜擊衣,不以為寒也,欲召擊,無誰與謀,故敕子以雞鳴時至,詩曰:‘東方未明,顛倒衣裳,顛之倒之,自公召之。’”遂西至謁。

魏文侯は太子撃を中山に封じた。三年にして、使者は往來せず。舎人趙倉唐は進前して称して言った。「人の子たるに、三年父の問候を聞かざるは、孝と呼ぶべからず。人の父たるに、三年子を問わざるは、慈と呼ぶべからず。君は何故人を派して大国に出使せざるか。」太子は言った。「願う已に久し。出使すべき人を得ず。」倉唐は言った。「臣は命を奉じて出使せんことを願う。侯に何の嗜好あるか。」太子は言った。「侯は晨鳧を嗜好し、北犬を喜好す。」そこで即ち倉唐を派遣し北犬を奉じ、晨鳧を奉上して、文侯に献ぜしめた。倉唐は至り、上謁して言った。「庶子撃の使者、敢えて大夫の朝見を承当せず。燕居の空閒の時に請いて、晨鳧を奉上して庖廚に敬献し、北犬を涓人に敬上せんことを。」文侯は喜悦して言った。「撃は我を愛し、我が嗜好する所を知り、我が喜好する所を知る。」倉唐を召して接見し、言った。「撃に病なきか。」倉唐は言った。「是是。」この如く三次して、乃ち言った。「君は太子を放出して彼を國君に封じて、彼の名を稱呼す。礼に合わず。」文侯は驚懼してこれにより色を變えたり。問うた。「あなたの君に病なきか。」倉唐は言った。「臣の來たる時、庭中に於て書信を拜送せり。」文侯は回頭して左右を指して言った。「あなたの君は、高大にしてこれらの人の誰かに比せん。」倉唐は言った。「礼に、人を比擬するは必ずその同類に在り。諸侯に匹配なく、比擬すべきなし。」言った。「高大にして寡人に比せん。」倉唐は言った。「君は彼に外府の裘を賜えば、即ち承受する能く、彼に斥帶を賜えば、即ち彼のもともと為れるを改換せず。」文侯は言った。「あなたの君は何の學業を為すか。」倉唐は言った。「『詩経』を以て業と為す。」文侯は言った。「詩の裏に何を喜好するか。」倉唐は言った。「晨風・黍離を喜好す。」文侯は自ら晨風を讀んで曰く「(底本この字欠)あの晨風は、茂盛の北林に、君子を見ざれば、憂心は欽欽たり。如何如何、我を忘る実に多し。」文侯は言った。「あなたの君は我が彼を忘れたと以てするか。」倉唐は言った。「敢えず、時々思念するのみ。」文侯は再び黍離を讀んで曰く「あの黍は一と行々たり、あの稷の苗は、走ること甚だ慢く、心中は搖搖たり。我を知るは我が心の憂なるを言い、我を知らざるは我が何を求むるを言う。悠悠たる蒼天は、これは何の人か。」文侯は言った。「あなたの君は怨恨するか。」倉唐は言った。「敢えず、時々思念するのみ。」文侯はそこで倉唐を派して太子に衣服一套を賜わしめ、倉唐に勅令して鶏叫の時に到達せしめた。太子は起ちて拜し、賞賜を受けて箱を打開せば、衣服は皆顛倒せるを見たり。太子は言った。「速やかに早く車に駕せよ。君侯は撃を召せり。」倉唐は言った。「臣の來たる時は命令を受けず。」太子は言った。「君侯は撃に衣服を賜うは、寒冷のためならず。撃を召せんと欲するも、彼と謀る者なきが故に、ゆえにあなたに勅令して鶏叫の時に到達せしめたり。『詩経』に言う「東方は未だ亮せず、衣裳を顛倒す。これを顛しこれを倒すは、公の所より彼を召す。」」そこで西に向かい至りて進見せり。

文侯大喜,乃置酒而稱曰:“夫遠賢而近所愛,非社稷之長策也。”乃出少子摯,封中山,而復太子擊。故曰:“欲知其子,視其友;欲知其君,視其所使。”趙倉唐一使而文侯為慈父,而擊為孝子。太子乃稱:“詩曰:‘鳳凰于飛,噦噦其羽,亦集爰止,藹藹王多吉士,維君子使,媚於天子。’舍人之謂也。”

文侯は大いに喜び、そこで酒を設けて称して言った。「賢人を疏遠して愛する所を親近するは、社稷の長久の計策にあらず。」そこで小兒子摯を放出して、中山に封じ、而して太子撃を恢復せしめた。ゆえに言う「その子を知らんと欲せば、その朋友を看よ。その君を知らんと欲せば、その派遣する所を看よ。」趙倉唐が一次出使して文侯は慈父と為り、撃は孝子と為れり。太子はそこで称して言った。「『詩経』に言う『鳳凰は飛翔し、翅膀は噦噦たり、またその止まる所に停まる。藹藹たる王は吉士多し。君子を遣わして、天子を喜悦せしむ。』これは舎人を言う。」

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