说苑 · 第11巻
道吾問之夫子:“多所知,無所知,其身孰善者乎?”對曰:“無知者,死人屬也;雖不死,累人者必眾甚矣。然多所知者好,其用心也多;所知者出於利人即善矣,出於害人即不善也。”道吾曰:“善哉!”
道吾が夫子に問うた。「知ることの多いのと、何も知らないのとでは、身にとってどちらがよいですか。」答えて曰く、「知のない者は死んだ人の類に属する。死なずとも、人に累を及ぼすことは必ず多い。しかし知ることの多いのはよいが、用いる心も多い。知るところが人を利することから出れば善であり、人を害することから出れば不善である。」道吾は言った。「よいですね。」
越石父曰:“不肖人,自賢也;愚者,自多也;佞人者,皆莫能相其心口以出之,又謂人勿言也。譬之猶渴而穿井,臨難而後鑄兵,雖疾從而不及也。”
越石父は言った。「不肖の者は自ら賢とし、愚の者は自ら多とする。佞人はみな自らの心口を審らかにして言を出すことができず、また人に言わせない。渇してから井を鑿ち、危難に臨んでから兵器を鋳るようなもので、いくら迅くとも間に合わない。」
夫臨財忘貧,臨生忘死,可以遠罪矣。夫君子愛口,孔雀愛羽,虎豹愛爪,此皆所以治身法也。上交者不失其祿,下交者不離於患,是以君子擇人以交,農人擇田而田。君子樹人,農夫樹田;田者擇種而種之,豐年必得粟;士擇人而樹之,豐時必得祿矣。
財に臨んで貧を忘れ、生に臨んで死を忘れれば、罪を遠ざけることができる。君子は口を惜しみ、孔雀は羽を惜しみ、虎豹は爪を惜しむ。これらは皆身を治める法である。上の人と交わって禄を失わず、下の人と交わって患を離れない。ゆえに君子は人を選んで交わり、農人は田を選んで耕す。君子は人を培い、農夫は田を培う。田を種する者は種を選んで蒔き、豊年には必ず粟を得る。士は人を選んで培い、豊かな時には必ず禄を得る。
天下失道,而後仁義生焉,國家不治,而後孝子生焉,民爭不分,而後慈惠生焉,道逆時反,而後權謀生焉。凡善之生也,皆學之所由。一室之中,必有主道焉,父母之謂也;故君正則百姓治,父母正則子孫孝慈。是以孔子家兒不知罵,曾子家兒不知怒;所以然者,生而善教也。夫仁者好合人,不仁者好離人,故君子居人間則治,小人居人間則亂;君子欲和人,譬猶水火不相能然也,而鼎在其間,水火不亂,乃和百味。是以君子不可不慎擇人在其間!
天下が道を失って、それから仁義が生じる。国が治められなくなって、それから孝子が生じる。民が争って分配できなくなって、それから慈恵が生じる。道が逆転し時が返って、それから権謀が生じる。およそ善の生ずるは、皆学の由るところである。一室の中に必ず主持する道がある。それを言うなら父母である。ゆえに君が正しければ百姓は治まり、父母が正しければ子孫は孝慈である。ゆえに孔子の家の子は罵ることを知らず、曾子の家の子は怒ることを知らない。このようにするのは、生まれて善き教えがあるからである。仁の人は人を聚めることを好み、不仁の人は人を離すことを好む。ゆえに君子は人の間に処れば治まり、小人は人の間に処れば乱れる。君子が人を調和しようと思えば、水火が相容れないようなもので、鼎がその中にあれば水火は乱れず、百味を調和することができる。ゆえに君子は中に処る人を慎んで選ばなければならない。
齊景公問晏子曰:“寡人自坐地,二三子皆坐地;吾子獨搴草而坐之,何也?”晏子對曰:“嬰聞之:唯喪與獄坐於地。今不敢以喪獄之事侍於君矣。”
斉景公が晏子に問うた。「寡人は自分から地に坐るが、二三子もみな地に坐っている。あなただけ草を抜いて坐るのはなぜか。」晏子は答えた。「嬰は聞きました。地に坐るのは丧事と獄訟のときだけです。今、丧事・獄訟のことで君に仕えることはできません。」
齊高廷問於孔子曰:“廷、不曠山,不直地,衣蓑提執精氣,以問事君之道,願夫子告之。”孔子曰:“貞以幹之,敬以輔之,待人無倦,見君子則舉之,見小人則退之;去爾噁心而忠與之,敏其行,修其禮,千里之外親如兄弟;若行不敏,禮不合,對門不通矣。”
斉の高廷が孔子に問うた。「廷は山を空しく過ぎず、平地をまっすぐに歩かず、蓑衣を着て精気を携え、君に仕える道を問うために参りました。夫子に教えていただきたい。」孔子は言った。「貞をもって主とし、敬をもって輔け、人に接して倦みず、君子を見れば挙げ、小人を見れば斥けよ。お前の悪しき心を去り、忠をもって彼に与え、事を敏に行い、礼を修めれば、千里の外も兄弟の如く親しい。もし事を敏にせず、礼が合わなければ、門を對しても通じない。」
卷十八辨物
巻十八 辨物
顏淵問於仲尼曰:“成人之行何若?”子曰:“成人之行達乎情性之理,通乎物類之變,知幽明之故,睹遊氣之源,若此而可謂成人。既知天道,行躬以仁義,飭身以禮樂。夫仁義禮樂成人之行也,窮神知化德之盛也。”
顔淵が仲尼に問うた。「成人の品行とはどのようなものですか。」孔子は言った。「成人の品行とは、情性の理に通達し、物類の変化に通暁し、幽明の故を知り、遊気の源を見る。これのごときをもって成人と謂う。すでに天道を知り、身に仁義を行い、礼楽をもって身を飾る。仁義礼楽は成人の品行であり、神妙を窮め変化を知るのは徳の盛んなものである。」
易曰:“仰以觀於天文,俯以察於地理”,是故知幽明之故。夫天文地理、人情之效存於心,則聖智之府。是故古者聖王既臨天下,必變四時,定律歷,考天文,揆時變,登靈臺以望氣氛,故堯曰:“諮爾舜,天之歷數在爾躬,允執其中,四海困窮。”書曰:“在璇璣玉衡,以齊七政。”璇璣謂此辰勾陳樞星也。以其魁杓之所指二十八宿為吉凶禍福;天文列舍盈縮之占,各以類為驗。夫占變之道,二而已矣。二者陰陽之數也,故易曰:“一陰一陽之謂道,道也者,物之動莫不由道也。”是故發於一,成於二,備於三,周於四,行於五;是故玄象著明,莫大於日月;察變之動,莫著於五星。天之五星運氣於五行,其初猶發於陰陽,而化極萬一千五百二十。所謂二十八星者:東方曰角亢氐房心尾箕,北方曰鬥牛須女虛危營室東壁,西方曰奎婁胃昂畢觜參,南方曰東井輿鬼柳七星張翼軫。所謂宿者,日月五星之所宿也。其在宿運外內者,以宮名別,其根荄皆發於地而華形於天。所謂五星者,一曰歲星、二曰熒惑、三曰鎮星、四曰太白、五曰辰星。欃槍彗孛,旬始枉矢,蚩尤之旗,皆五星盈縮之所生也。五星之所犯,各以金木水火土為占。春秋冬夏伏見有時,失其常,離其時,則為變異,得其時,居其常,是謂吉祥。古者有主四時者:主春者張,昏而中,可以種穀,上告於天子,下布之民;主夏者大火,昏而中,可以種黍菽,上告於天子,下布之民;主秋者虛,昏而中,可以種麥,上告於天子,下布之民;主冬者昴,昏而中,可以斬伐田獵蓋藏,上告之天子,下布之民。故天子南面視四星之中,知民之緩急,急利不賦籍,不舉力役。書曰:“敬授民時。”詩曰:“物其有矣,維其時矣。”物之所以有而不絕者,以其動之時也。
《周易》に「仰いで天文を観、俯して地理を察す」とある。ゆえに幽明の故を知る。天文・地理・人情の効験が心に存するのが、すなわち聖智の府庫である。ゆえに古の聖王は天下に臨視するや、必ず四時を改め、律暦を定め、天文を考校し、時変を測度して、霊台に登って気象を望んだ。ゆえに尭は言った。「ああ、汝舜よ、天の暦数は爾が躬に在り。誠をもって中を執れ。四海困窮せり。」《尚書》に「璿璣玉衡に在り、以て七政を斉う」とある。璿璣とは北極・勾陳・枢星を謂う。その魁杓の指す二十八宿をもって吉凶禍福とする。天文列宿盈縮の占験は、各々類に従って応する。占変の理は、ただ陰陽の二様のみである。二様は陰陽の数である。ゆえに《周易》に「一陰一陽これを道と謂う。道というものは、物の動きは道に由らざるはなし」とある。ゆえに一に発し、二に成り、三に備わり、四に周遍し、五に行う。ゆえに天象の顕明は日月より大きいものはなく、変化の動を察するに五星より著しきはない。天の五星運気は五行に在り、初めはやはり陰陽から発し、変化の極まりは一万千五百二十である。いわゆる二十八星とは、東方は角・亢・氐・房・心・尾・箕と謂い、北方は斗・牛・須女・虚・危・営室・東壁と謂い、西方は奎・婁・胃・昴・畢・觜・参と謂い、南方は東井・輿鬼・柳・七星・張・翼・軫と謂う。いわゆる宿とは、日月五星の止まる所である。その宿の運行の内外は、宮名をもって別ち、その根は皆地より発して花を開き形を天に成す。いわゆる五星とは、一つは歳星、二つは熒惑、三つは鎮星、四つは太白、五つは辰星である。欃槍・彗・孛・旬始・枉矢・蚩尤之旗は、皆五星の盈縮より生ずる所である。五星の侵犯する所は、各々金木水火土に按じて占う。春秋冬夏の伏見には定時があり、常を失い時を離れれば変異であり、時を得て常に処ればこれを吉祥と謂う。古に四時を主る者あり、春を主るは張星で、昏に中天にあれば穀を種うべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。夏を主るは大火で、昏に中天にあれば黍菽を種うべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。秋を主るは虚で、昏に中天にあれば麦を種うべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。冬を主るは昴で、昏に中天にあれば斫伐・田猟・蔵畜すべし、上は天子に報じ、下は百姓に布告す。ゆえに天子は南面して四星の中天に在るを観て、民の緩急を知る。急なれば賦税に利あらず、力役を興さず。《尚書》に「敬慎して民に時を授く」とある。《詩経》に「物はすでに有り、ただその時に適うがゆえに」とある。物が有って絶えざる所以は、その動が時に適うゆえである。
易曰:“天垂象,見吉凶,聖人則之。”昔者高宗、成王感於雊雉暴風之變,修身自改而享豐昌之福也;逮秦皇帝即位,彗星四見,蝗蟲蔽天,冬雷夏凍,石隕東郡,大人出臨洮,妖孽並見,熒惑守心,星茀大角,大角以亡;終不能改。二世立,又重其惡;及即位,日月薄蝕,山林淪亡,辰星出於四孟,太白經天而行,無雲而雷,枉矢夜光,熒惑襲月,孽火燒宮,野禽戲庭,都門內崩。天變動於上,群臣昏於朝,百姓亂於下,遂不察,是以亡也。
《周易》に「天は象を垂れ、吉凶を見せ、聖人これに則る」とある。昔、高宗・成王は雊雉・暴風の変異に感じ、身を修め自ら改めて豊昌の福を享けた。秦皇帝が即位するに及び、彗星は四度見え、蝗虫は天を蔽い、冬に雷・夏に凍て、石が東郡に墜ち、大人が臨洮に見え、妖孽は並び起き、熒惑は心宿を守り、星茀は大角を犯し、大角はこれによりて亡失した。終始改めることができず、二世が立ち、またその悪を重ねた。即位するに及び、日月は薄蝕し、山林は淪喪し、辰星は四孟の月に見え、太白は天を経て行き、雲なくして雷し、枉矢は夜に光を放ち、熒惑は月を侵し、孽火は宮を焼き、野禽は庭中に遊び、都門は内に崩れた。天は上に変動し、群臣は朝に昏乱し、百姓は下に乱れ、終に省察せず、これによりて亡びた。
八荒之內有四海,四海之內有九州,天子處中州而制八方耳。兩河間曰冀州,河南曰豫州,河西曰雍州,漢南曰荊州,江南曰揚州,濟南間曰兗州,濟東曰徐州,燕曰幽州,齊曰青州。山川汙澤,陵陸丘阜,五土之宜,聖王就其勢,因其便,不失其性。高者黍,中者稷,下者■,蒲葦菅蒯之用不乏,麻麥黍梁亦不盡,山林禽獸川澤魚鱉滋殖,王者京師四通而致之。
八荒の内に四海あり、四海の内に九州あり、天子は中州に処りて八方を制す。両河の間を冀州と謂い、河南を豫州と謂い、河西を雍州と謂い、漢南を荊州と謂い、江南を揚州と謂い、済水の南の一一帯を兗州と謂い、済東を徐州と謂い、燕を幽州と謂い、斉を青州と謂う。山川・汚沢、陵陸・丘阜、五土は各々適する所あり、聖王はその地勢に就き、その便利に因って、その性を失わない。高きには黍を種え、中には稷を種え、低きには稲を種え、蒲葦菅蒯の用度は乏しくなく、麻麦黍粱も窮まらず、山林の禽獣、川沢の魚鱉は滋生繁殖し、王者の京師は八達してこれを致す。
周幽王二年,西周三川皆震,伯陽父曰:“周將亡矣。夫天地之氣,不失其序,若過其序,民亂之也。陽伏而不能出,陰迫而不能烝,於是有地震。今三川震,是陽失其所而填陰也;陽溢而壯,陰源必塞,國必亡。夫水土演而民用足也,土無所演,民乏財用,不亡何待?昔伊雒竭而夏亡,河竭而商亡,今周德如二代之季矣;其川源塞,塞必竭,夫國必依山川,山崩川竭,亡之徵也。川竭山必崩,若國亡不過十年,數之紀也,天之所棄不過紀。”是歲也,三川竭,岐山崩,十一年幽王乃滅,周乃東遷。
周幽王二年、西周の三川は皆震動した。伯陽父は言った。「周は亡びようとしている。天地の気は序を失わず、序を越えれば民がこれを乱したのである。陽は伏して出ること能わず、陰は迫られて升ること能わず、ここにおいて地震がある。今三川が震動するは、陽が所を失い陰を填圧すればである。陽が満溢して壮盛なれば、陰の源は必ず塞がれ、国は必ず亡ぶ。水土が潤澤して民用が足ればよいが、土に潤澤なく民に財用乏しければ、亡ばずして何を待つか。昔、伊・雒が竭きて夏が亡び、河が竭きて商が亡びた。今周の徳は二代の末季のごとし。その川源は塞がれ、塞がれば必ず竭く。国は必ず山川に依る。山崩れ川竭くるは亡ぶるの兆である。川竭かば山は必ず崩れ、国の亡ぶるも十年を過ぎざるは数の一紀である。天の棄つる所は一紀を過ぎず。」この年、三川は竭き岐山は崩れ、十一年に幽王は亡び、周はここにおいて東に遷った。
五嶽者,何謂也?泰山,東嶽也;霍山,南嶽也;華山,西嶽也;常山,北嶽也;嵩高山,中嶽也。五嶽何以視三公?能大布雲雨焉,能大斂雲雨焉;雲觸石而出,膚寸而合,不崇朝而雨天下,施德博大,故視三公也。
五岳とは何を謂うか。泰山は東岳、霍山は南岳、華山は西岳、常山は北岳、嵩高山は中岳である。五岳はなぜ三公に比視されるか。大いに雲雨を布施することができ、大いに雲雨を収斂することができる。雲は石に触れて出て、膚寸に聚合し、一朝を過ぎずして天下に雨を降らす。徳を施すこと広博盛大、ゆえに三公に比視する。
四瀆者,何謂也?江、河、淮、濟也。四瀆何以視諸侯?能盪滌垢濁焉,能通百川於海焉,能出雲雨千里焉,為施甚大,故視諸侯也。
四瀆とは何を謂うか。江・河・淮・済である。四瀆はなぜ諸侯に比視されるか。垢濁を蕩滌することができ、百川を海に通ずることができ、千里に雲雨を生ずることができ、施与すること大なり、ゆえに諸侯に比視する。
山川何以視子男也?能出物焉,能潤澤物焉,能生雲雨;為恩多,然品類以百數,故視子男也。書曰:“禋於六宗,望秋于山川,遍於群神矣。”
山川はなぜ子男に比視されるか。物を生ずることができ、物を潤沢することができ、雲雨を生ずることができる。恩を施すこと多し。しかるに品類は百をもって数える、ゆえに子男に比視する。《尚書》に「六宗に禋し、山川に望み、群神に遍す」とある。
齊景公為露寢之臺,成而不通焉。柏常騫曰:“為臺甚急,臺成,君何為不通焉?”公曰:“然。梟昔者鳴,其聲無不為也,吾惡之甚,是以不通焉。”柏常騫曰:“臣請禳而去之!”公曰:“何具?”對曰:“築新室,為置白茅焉。”公使為室,成,置白茅焉。柏常騫夜用事,明日問公曰:“今昔聞梟聲乎?”公曰:“一鳴而不復聞。”使人往視之,梟當陛布翼伏地而死。公曰:“子之道若此其明也!亦能益寡人壽乎?”對曰:“能。”公曰:“能益幾何?”對曰:“天子九、諸侯七、大夫五。”公曰:“亦有徵兆之見乎?”對曰:“得壽,地且動。”公喜,令百官趣具騫之所求。柏常騫出,遭晏子於塗,拜馬前,辭曰:“騫為君禳梟而殺之,君謂騫曰:子之道若此其明也,亦能益寡人壽乎?騫曰能。今且大祭,為君請壽,故將往。以聞。”晏子曰:“嘻,亦善矣!能為君請壽也。雖然,吾聞之:惟以政與德順乎神,為可以益壽。今徒祭可以益壽乎?然則福名有見乎?”對曰:“得壽地將動。”晏子曰:“騫,昔吾見維星絕,樞星散,地其動。汝以是乎?”柏常騫俯有間,仰而對曰:“然。”晏子曰:“為之無益,不為無損也。薄賦斂,無費民,且令君知之!”
斉景公は露寝の台を築いたが、成ってもそこに上らなかった。柏常騫は言った。「台を築くこと急でした。台が成ったのに、君はなぜそこに上らないのですか。」公は言った。「そうだ。梟が昔から鳴き、その声は為すことなきものはない。私はそれを甚だ憎む、ゆえにそこに上らない。」柏常騫は言った。「臣は禳いてそれを除くことを請います。」公は言った。「何を備えるか。」答えて曰く、「新たな屋を築き、白茅をそれに置きます。」公は人に屋を為らしめ、成って白茅を置いた。柏常騫は夜に事を用い、明日公に問うた。「昨夜、梟の声を聞きましたか。」公は言った。「一鳴してもはや聞かなかった。」人を遣わして見れば、梟は階に対して翼を張り地に伏して死んでいた。公は言った。「あなたの道はこのように明らかか。寡人の寿を益すこともできるか。」答えて曰く、「能くします。」公は言った。「いくらか益せるか。」答えて曰く、「天子は九、諸侯は七、大夫は五。」公は言った。「兆の顕れるものもあるか。」答えて曰く、「寿を得れば、地は動こうとします。」公は喜び、百官に騫の求むる所を速やかに備えよと命じた。柏常騫は出て、路に晏子に遇い、馬前に下りて拝し、辞して曰く、「騫は君のために梟を禳いてこれを殺しました。君は騫に曰く、汝の道はこのように明らかか、寡人の寿を益すこともできるか。騫は能くすと曰く。今大いに祭ることとなり、君のために寿を請う、ゆえに行かんとす。これをあなたに告げます。」晏子は言った。「ああ、よいかな。君のために寿を請うとは。しかしながら私は聞く、政と徳をもって神に順うのみ、寿を益すべしと。今、ただ祭るのみで寿を益すことができるか。さらば福の名目に顕れるものはあるか。」答えて曰く、「寿を得れば、地は動こうとします。」晏子は言った。「騫よ、昔私は維星の絶え、枢星の散ずるを見た。地は動こうとしていた。あなたが用いたのはこれであろう。」柏常騫は首を垂れて良久し、挙げて答えて曰く、「はい。」晏子は言った。「これを為して益なく、為さずして損なし。賦斂を軽くし、民力を費やすことなく、併せて君にこれを知らしめよ。」
夫水旱俱天下陰陽所為也。大旱則雩祭而請雨,大水則鳴鼓而劫社。何也?曰:陽者陰之長也,其在鳥則雄為陽,雌為陰,在獸則牡為陽而牝為陰;其在民則夫為陽而婦為陰,其在家則父為陽而子為陰,其在國則君為陽而臣為陰。故陽貴而陰賤,陽尊而陰卑,天之道也。今大旱者,陽氣太盛以厭於陰,陰厭陽固,陽其填也,惟填厭之太甚,使陰不能起也,亦雩際拜請而已,無敢加也。至於大水及日蝕者,皆陰氣太盛而上減陽精,以賤乘貴,以卑陵尊,大逆不義,故鳴鼓而懾之,朱絲縈而劫之。由此觀之,春秋乃正天下之位,徵陰陽之失。直責逆者不避其難,是亦春秋之不畏強禦也。故劫嚴社而不為驚靈,出天王而不為不尊上,辭蒯聵之命不為不聽其父,絕文姜之屬而不為不愛其母,其義之盡耶!其義之盡耶!
水旱は皆天下の陰陽の致す所である。大旱なれば雩祭を行って雨を求め、大水なれば鼓を撃って社神を脅かす。なぜか。曰く、陽は陰の長上である。鳥においては雄は陽・雌は陰、獣においては牡は陽・牝は陰、民においては夫は陽・婦は陰、家においては父は陽・子は陰、国においては君は陽・臣は陰である。ゆえに陽は貴く陰は賤く、陽は尊く陰は卑し、これは天の道である。今大旱は陽気の太盛にして陰を圧するもの、陰は圧され陽は固く守る。陽は填圧し、ただ填圧の甚だしきのみ、陰をして起こすこと能わしめず、ただ雩祭の時に拝請するのみ、敢えて増すことなし。大水および日蝕に至っては、皆陰気の太盛にして陽の精を上に減損し、賤をもって貴に陵し、卑をもって尊に陵越し、大逆不義である。ゆえに鼓を撃ってこれを懾服し、紅糸をもって纏いてこれを脅かす。これを見るに、《春秋》は天下の位を正し、陰陽の失を征討するものである。逆なる者を直ちに責めてその難を避けず、これも《春秋》の強横を畏れざる所以である。ゆえに尊厳の社神を脅かすも神霊を驚すに算せず、天王を放出すも上を敬せずに算せず、蒯聵の令を辞するも父を聴かずに算せず、文姜の親属の属を絶つも母を愛せずに算せず。その義は至れるか。その義は至れるか。
齊大旱之時,景公召群臣問曰:“天不雨久矣,民且有飢色,吾使人卜之,崇在高山廣水,寡人慾少賦斂以祠靈山可乎?”群臣莫對。晏子進曰:“不可,祠此無益也。夫靈山固以石為身,以草木為發;天久不雨,發將焦,身將熱,彼獨不欲雨乎?祠之無益。”景公曰:“不然,吾欲祠河伯可乎?”晏子曰:“不可,祠此無益也。夫河伯以水為國,以魚鱉為民;天久不雨,水泉將下,百川竭,國將亡,民將滅矣,彼獨不用雨乎?祠之何益?”景公曰:“今為之奈何?”晏子曰:“君誠避宮殿暴露,與靈山河伯共憂;其幸而雨乎!”於是景公出野,暴露三日,天果大雨,民盡得種樹。景公曰:“善哉!晏子之言可無用乎?其惟右德也!”
斉に大旱のとき、景公は群臣を召して問うた。「天が雨を降らせないこと久しく、民は飢色あらんとす。人を遣わして占わせれば、崇りするものは高山広水に在り。寡人はすこし賦斂を征して霊山を祭らんと欲す。可なるか。」群臣に対する者なし。晏子は前に進んで曰く、「不可なり。これを祭るも益なし。霊山はもとより石をもって身とし、草木をもって髪とす。天の久しく雨らざれば、髪は焦げんとし、身は熱せんとす。それ独り雨らんことを欲せざらんや。これを祭るも益なし。」景公は曰く、「しからず、われ河伯を祭らんと欲す。可なるか。」晏子は曰く、「不可なり。これを祭るも益なし。河伯は水をもって国とし、魚鱉をもって民とす。天の久しく雨らざれば、水泉は下降せんとし、百川は竭き、国は亡びんとし、民は滅せんとす。それ独り雨を用いざらんや。これを祭るも何の益かあらん。」景公は曰く、「今どうせん。」晏子は曰く、「君が誠に能く宮殿を避け、野に暴露して、霊山・河伯と共に憂えん。ほぼ僥幸して雨らんか。」ここにおいて景公は野に出で、暴露すること三日、天は果たして大雨し、民は皆種うことを得た。景公は曰く、「善いかな。晏子の言は用いざるべからんや。ただ徳あるに在るのみ。」
夫天地有德,合則生氣有精矣;陰陽消息,則變化有時矣。時得而治矣,時得而化矣,時失而亂矣;是故人生而不具者五:目無見,不能食,不能行,不能言,不能施化。故三月達眼而後能見,七月生齒而後能食,期年生臏而後能行,三年■合而後能言,十六精通而後能施化。陰窮反陽,陽窮反陰,故陰以陽變,陽以陰變。故男八月而生齒,八歲而毀齒,二八十六而精小通;女七月而生齒,七歲而毀齒,二七十四而精化小通。不肖者精化始至,而生氣感動,觸情縱慾,故反施亂化。故詩云:“乃如之人,懷婚姻也;大無信也,不知命也。”賢者不然,精化填盈後,傷時之不可遇也,不見道端,乃陳情慾以歌。詩曰:“靜女其姝,俟我乎城隅;愛而不見,搔首踟躕。”“瞻彼日月,遙遙我思;道之雲遠,曷雲能來?”急時之辭也,甚焉,故稱日月也。
天地に徳あり、会すれば気に精を生じ、陰陽は消長し、変化は時あり。時に当れば治り、時に当れば教化す、時を失えば乱る。ゆえに人の生まれて備わらざること五つあり。目は見えず、食すること能わず、走ること能わず、言うこと能わず、施化すること能わず。ゆえに三月にして目通じて後に能く見え、七月にして歯生じて後に能く食し、一期にして膝骨生じて後に能く走り、三年にして囟門合して後に能く言い、十六歳にして精気通貫して後に能く施化す。陰は尽きて陽に返り、陽は尽きて陰に返る。ゆえに陰は陽に因って変じ、陽は陰に因って変ず。ゆえに男は八月にして歯生じ、八歳にして歯を換え、二八十六歳にして精気稍通ず。女は七月にして歯生じ、七歳にして歯を換え、二七十四歳にして精化稍通ず。不肖の者は精化至りぬれば、生気動かされ、動かされて情欲放縦す、ゆえに反って施乱し教化す。ゆえに《詩経》に「是の如き人、婚姻を懐く。太も信なく、命を知らず」とある。賢者はかくのごとからず、精化充実盈満の後、時に遇うべからざるを傷感し、道の端緒を見ず、乃ち情欲を陳説して歌う。《詩経》に「嫻静の女、その美しきかな、城の角に我を待つ。隠れて見えず、頭を掻きて徘徊す」とあり、「彼の日月を瞻望し、遥遥として我を思う。道の遠きを云う、何ぞ来たるを得ん」とある。これは時に急なるの辞、甚だ急なるがゆえに日月を称す。
度量權衡以黍生之為一分,十分為一寸,十寸為一尺,十尺為一丈。十六黍為一豆,六豆為一銖,二十四銖重一兩,十六兩為一斤,三十斤為一鈞,四鈞重一石。千二百黍為一龠,十龠為一合,十合為一升,十升為一斗,十鬥為一石。
度量権衡は黍より生ず。黍は一為分、十分は一寸、十寸は一尺、十尺は一丈。十六黍は一為豆、六豆は一為銖、二十四銖は一両を重ね、十六両は一為斤、三十斤は一為鈞、四鈞は一石を重ねる。一千二百黍は一為龠、十龠は一為合、十合は一為升、十升は一為斗、十斗は一為石。
凡六經帝王之所著,莫不致四靈焉;德盛則以為畜,治平則時氣至矣。故麒麟■身、牛尾,圓頂一角,合仁懷義,音中律呂,行步中規,折旋中矩,擇土而踐,位平然後處,不群居,不旅行,紛兮其有質文也,幽閒則循循如也,動則有儀容。黃帝即位,惟聖恩承天,明道一修,惟仁是行,宇內和平,未見鳳凰,維思影像,夙夜晨興,於是乃問天老曰:“鳳儀如何?”天老曰:“夫鳳,鴻前麟後,蛇頸魚尾,鶴植鴛鴦,思麗化枯折所志,龍文龜身,燕喙雞噣,駢翼而中注,首戴德,頂揭義,揹負仁,心信志,食則有質,飲則有儀,往則有文,來則有嘉。晨鳴曰發明,晝鳴曰保長,飛鳴曰上翔,集鳴曰歸昌。翼挾義,衷抱忠,足履正,尾系武,小聲合金,大音合鼓;延頸奮翼,五先備舉,光興八風,氣降時雨,此謂鳳像。夫惟鳳為能究萬物,通天祉,象百狀,達於道。去則有災,見則有福,覽九州,觀八極,備文武,正王國,嚴照四方,仁聖皆伏。故得鳳之像一者鳳過之,得二者鳳下之,得三者春秋下之,得四者四時下之,得五者終身居之。”黃帝曰:“於戲盛哉!”於是乃備黃冕,帶黃紳,齋於中宮,鳳乃蔽日而降。黃帝降至東階,西面啟首曰:“皇天降茲,敢不承命?”於是鳳乃遂集東囿,食帝竹實,棲帝梧樹,終身不去。詩云:“鳳凰鳴矣,於彼高岡;梧桐生矣,於彼朝陽。菶菶萋萋,雍雍喈喈。”此之謂也。靈龜文五色,似玉似金,背陰向陽,上隆象天,下平法地,盤衍象山,四趾轉運應四時,文著象二十八宿。蛇頭龍翅,左精象日,右精象月,千歲之化,下氣上通,能知吉凶存亡之變。寧則信信如也,動則著矣。神龍能為高,能為下,能為大,能為小,能為幽,能為明,能為短,能為長。昭乎其高也,淵乎其下也,薄乎天光,高乎其著也。一有一亡忽微哉,斐然成章,虛無則精以知,動作者靈以化。
およそ六経に帝王の著録する所、四霊を致さざるはなし。徳盛なればこれらを畜養とし、治平なれば時気至る。ゆえに麒麟は狼身、牛尾、円頂に一角あり、仁を会合し義を懐き、声は律呂に合い、行歩は規に合い、転るは矩に合い、土を擇んで後に践み、位は平らかにして後に処る。群居せず、伴行せず、紛紛然として質あり文あり、幽閑の時は循循然、一動すれば儀容あり。黄帝即位して、ただ聖恩を天に承くるを思い、道を顕明にし修治を一にし、ただ仁を行い、宇内和平なり。まだ鳳凰を見ず、ただその影像を思念し、夙夜早起し、ここにおいて天老に問うた。「鳳の儀容は何如。」天老は曰く、「鳳は、鴻を前にし麟を後にし、蛇頸魚尾、鶴の立つ、鴛鴦の姿、思慮美しく、変化枯折の志む所、龍の文、亀の身、燕の喙、鶏の嘴、翼は並びて中は注下す。頭には徳を戴き、頂には義を挙げ、背には仁を負い、心には信の志を守る。食すれば質あり、飲すれば儀あり、去れば文あり、来れば嘉あり。清晨に鳴くを発明と謂い、白日に鳴くを保長と謂い、飛びて鳴くを上翔と謂い、落ちて鳴くを帰昌と謂う。翼は義を挟み、衷は忠を抱き、足は正を践み、尾は武を繫ぐ。小声は金に合い、大音は鼓に合う。頸を伸べ翼を挙げ、五色光は先ず備わり挙がり、光は八風を興し、気は時雨を降らす。これを鳳の影像と謂う。ただ鳳のみ能く万物を窮め、天の福祉に通達し、百の情状を象り、道に通達す。去れば災あり、見えれば福あり、九州を観覧し、八極を観て、文武を備え、王国を正し、尊厳は四方を照す、仁聖は皆帰服す。ゆえに鳳の影像の如きを得る者は、鳳は彼を過ぎる。両様を得る者は、鳳は下る。三様を得る者は、春秋に下る。四様を得る者は、四時に下る。五様を得る者は、終身住む。」黄帝は曰く、「ああ盛なりかな。」ここにおいて黄冕を備え、黄紳を繋ぎ、中宮に斎戒し、鳳はここにおいて日を蔽いて降下した。黄帝は東階に下り、西に向いて叩頭して曰く、「皇天これを降したまえり、敢えて命を受けざらんや。」ここにおいて鳳は東囿に集い、帝の竹実を食し、帝の梧桐に棲み、終身去らず。《詩経》に「鳳凰鳴けり、彼の高岡に。梧桐生えり、彼の朝陽に。菶菶萋萋、雝雝喈喈」とある。これを謂うのである。霊亀は五色の文あり、玉の如く金の如く、背は陰に対し面は陽に向い、上は隆起して天に象り、下は平坦にして地に法る。盤曲延展は山の如く、四趾の転運は四時に応合し、文彩顕著は二十八宿の如し。蛇頭龍翅、左の精は日に象り、右の精は月に象る。千年の変化、下気は上に通じ、能く吉凶存亡の変を知る。安寧の時は信信然、一動すれば顕著なり。神龍は能く高く為し、能く下く為し、能く大きく為し、能く小さく為し、能く幽を為し、能く明を為し、能く短く為し、能く長く為す。昭然たるその高、淵然たるその下、天光に迫近し、高くして顕著なり。一有一亡、忽微なるかな、斐然として章を成し、虚無なれば精来たりて知り、動作すれば霊来たりて変ず。
於戲允哉!君子闢神也,觀彼威儀,遊燕幽間,有似鳳也。書曰:“鳥獸鶬鶬,鳳凰來儀。”此之謂也。
ああ誠信なるかな。君子は神を避け、その威儀を観、幽閑に游宴す、鳳に似たること少しあり。《尚書》に「鳥獣蹌蹌、鳳凰来たりて儀を配す」とある。これを謂うのである。
成王時有三苗貫桑而生,同為一秀,大幾盈車,民得而上之成王,成王問周公:“此何也?”周公曰:“三苗同秀為一,意天下其和而為一乎?”後三年則越裳氏重譯而朝,曰:“道路悠遠,山川阻深,恐一使之不通,故重三譯而來朝也。”周公曰:“德澤不加,則君子不饗其質;政令不施,則君子不臣其人。”譯曰:“吾受命於吾國之黃髮久矣,天之無烈風淫雨,意中國有聖人耶?有則盍朝之!”然後周公敬受其所以來矣。
成王の時、三苗が桑を貫いて生じ、同じく一穂を結び、大きさほぼ車に満つるほどで、民はこれを得て成王に獻じた。成王は周公に問うた。「これは何か。」周公は曰く、「三苗が同穂を一に結ぶは、天下ほぼ和して一體とならんとするか。」三年の後、越裳氏は重訳を経て朝見に来たり、曰く、「道路は悠遠にして山川阻深し、一使にて通達せざるを恐る、ゆえに三重の訳を経て朝見す。」周公は曰く、「徳沢加わらざれば、君子はその礼を享けず。政令行われざれば、君子はその人を臣とせず。」訳者は曰く、「我は我国の黄髪の老人の命を受くること久し。天に烈風淫雨なし、中国に聖人あるか。あらば何ぞ朝見せざる。」しかる後に周公は敬して彼らの前に来る所以の礼を受けた。
周惠王十五年,有神降於莘。王問於內史過曰:“是何故有之乎?”對曰:“有之國將興,其君齋明衷正,精潔惠和,其德足以昭其馨香,其惠足以同其民人,神饗而民聽,民神無怨,故明神降焉,觀其政德而均布福焉。國將亡,其君貪冒淫僻,邪佚荒怠,蕪穢暴虐;其政腥臊,馨香不登,其刑矯誣,百姓攜貳,明神不蠲,而民有遠意,民神痛怨,無所依懷,故神亦往焉,觀其苛慝而降之禍。是以或見神而興,亦有以亡。昔夏之興也,祝融降於崇山;其亡也,回祿信於亭隧。商之興也,檮杌次於丕山;其亡也,夷羊在牧。周之興也,鸑鷟鳴於岐山;其衰也,杜伯射宣王於鎬。是皆明神之紀者也。”王曰:“今是何神耶?”對曰:“昔昭王娶於房曰房後,是有爽德協于丹朱,丹朱憑身以儀之,生穆王焉。是監燭周之子孫而福禍之。夫一神不遠徙遷,若由是觀之,其丹朱耶?”王曰:“其誰受之?”對曰:“在虢。”王曰:“然則何為?”對曰:“臣聞之。道而得神,是謂豐福;淫而得神,是謂貪福。今虢少荒,其亡也。”王曰:“吾其奈何?”對曰:“使太宰以祝史率狸姓,奉犧牲粢盛玉帛往獻焉,無有祈也。”王曰:“虢其幾何?”對曰:“昔堯臨民以五,今其胄見;鬼神之見也,不失其物。若由是觀之,不過五年。”王使太宰己父率傅氏及祝,奉犧牲玉觴往獻焉。內史過從至虢,虢公亦使祝史請土焉,內史過歸告王曰:“虢必亡矣。不禋於神,而求福焉,神必禍之;不親於民,而求用焉,民必違之。精意以享,禋也;慈保庶民,親也。今虢公動匱百姓以盈,其違離民怒神怨,而求利焉,不亦難乎?”十九年,晉取虢也。
周恵王十五年、神が莘に降った。王は内史過に問うた。「これは何の故に有るか。」答えて曰く、「有ります。国まさに興らんとすれば、その君は斎戒明潔、内心端正、精誠清潔、恵愛和諧。その徳は馨香を昭顕するに足り、その恵はその民人を和同するに足る。神は饗き民は従い、民と神と怨なく、ゆえに明神降臨し、その政徳を観て均しく福を布施す。国まさに亡びんとすれば、その君は貪冒淫僻、邪佚荒怠、蕪穢暴虐。その政は腥臊にして馨香上らず、その刑は矯詐誣枉にして百姓心を離れ二心有り。明神はこれを潔とせず、民に疎遠の意あり、民と神と痛怨し、帰懐する所なし。ゆえに神も往き、その苛虐邪悪を観て禍を降す。ゆえに或は神を見て興り、或はこれによりて亡ぶ。昔、夏の興りしは、祝融崇山に降り、その亡ぶるは、回禄亭隧に宿る。商の興りしは、檮杌丕山に次り、その亡ぶるは、夷羊牧野にあり。周の興りしは、䲭鷞岐山に鳴き、その衰微は、杜伯鎬にて宣王を射る。これら皆明神の紀綱なり。」王は曰く、「今これ何の神か。」答えて曰く、「昔、昭王は房より娶り来れるを房后と謂い、彼女は差錯の徳ありて丹朱と合し、丹朱は彼女の身に憑いてこれに配し、穆王を生む。これは周の子孫を監視照臨して福禍を与える者なり。一神は遠く遷らず、これを以て観れば、ほぼ丹朱か。」王は曰く、「誰かこれを受くるか。」答えて曰く、「虢に在り。」王は曰く、「さらば何を為さん。」答えて曰く、「臣は聞く、道を得て神を得れば、これを豊福と謂い、淫して神を得れば、これを福を貪ると謂うと。今虢稍荒怠し、まさに亡びんとす。」王は曰く、「我いかんせん。」答えて曰く、「太宰を遣わし祝史を帥い狸姓を率らせ、犠牲粢盛玉帛を奉じて往き獻ぜしめ、祈る所なからしめよ。」王は曰く、「虢は猶幾何か。」答えて曰く、「昔、尭は五を以て民に臨視せり。今その後裔出ず。鬼神の出ずるや、その物類を失わず。これを以て観れば、五年を過ぎず。」王は太宰己父を遣わし傅氏と祝を率ゐ、犠牲玉觴を奉じて往き獻ぜしめた。内史過は従いて虢に至り、虢公も祝史を遣わして土を請わしめた。内史過は帰りて王に告げて曰く、「虢は必ず亡ぶ。虔に神を祭らずしてこれに福を求む、神は必ず禍を与えん。民に親しまずしてこれを用いんと求む、民は必ず逆らわん。精誠の意を以て獻享するは禋、慈愛して庶民を保つのは親。今虢公は百姓を労匱せしめて己を盈満せしめ、民を違離し神を怒怨せしめて利を求む、難からずや。」十九年、晋は虢を取った。
齊桓公北征孤竹,未至卑耳溪中十里,闟然而止,瞠然而視有頃,奉矢未敢發也。喟然嘆曰:“事其不濟乎!有人長尺,冠冕大人物具焉,左袪衣走馬前者。”管仲曰:“事必濟,此人知道之神也。走馬前者導也,左袪衣者,前有水也。”從左方渡,行十里果有水,曰遼水。表之,從左方渡至踝,從右方渡至膝。已渡,事果濟。桓公拜管仲馬前曰:“仲父之聖至如是,寡人得罪久矣。”管仲曰:“夷吾聞之,聖人先知無形,今已有形乃知之,是夷吾善承教,非聖也。”
斉桓公は北に孤竹を伐ち、卑耳の谿に至らざること十里、忽ち止まり、目を瞠りて良久し、矢を捧げて射ることを敢えてせず。喟然として嘆じて曰く、「事ほぼ成らざるか。人の長一尺にして、冠冕大人の形貌皆具わり、左衽を提げて馬前を走る。」管仲は曰く、「事は必ず成る。この人は道を知る神なり。馬前を走るは導き、左衽を提げるは前に水あるなり。」左より渡れば、十里行きて果たして水あり、遼水と謂う。標を為して、左より渡れば踝に至り、右より渡れば膝に至る。すでに渡りて、事は果たして成った。桓公は馬前に管仲を拝して曰く、「仲父の聖明は此に至れり、寡人は罪を得ること久し。」管仲は曰く、「夷吾は聞く、聖人は未だ形なきを先知ると。今すでに形ありて知るは、夷吾の善く承誨するなり、聖にあらず。」
吳伐越,隳會稽,得骨專車,使使問孔子曰:“骨何者最大?”孔子曰:“禹致群臣會稽山,防風氏後至,禹殺而戮之,其骨節專車,此為大矣。”使者曰:“誰為神?”孔子曰:“山川之靈,足以紀綱天下者,其守為神。社稷為公侯,山川之祀為諸侯,皆屬於王者。”曰:“防風氏何守?”孔子曰:“汪芒氏之君守封嵎之山者也,其神為釐姓,在虞夏為防風氏,商為汪芒氏,於周為長狄氏,今謂之大人。”使者曰:“人長几何?”孔子曰:“僬僥氏三尺,短之至也;長者不過十,數之極也。”使者曰:“善哉!聖人也。”
呉が越を伐ち、会稽を壊し、骨の一車に満つるを得て、使者を遣わして孔子に問うた。「骨は何が最大か。」孔子は曰く、「禹は群臣を会稽山に集め、防風氏後れて至り、禹はこれを殺して屍を陳べ、その骨節は一車に満つ。これが最大なり。」使者は曰く、「何を神とするか。」孔子は曰く、「山川の霊は天下の紀綱と為るに足り、その土を守るを神とす。社稷は公侯、山川の祭祀は諸侯、皆王者に属す。」曰く、「防風氏は何を守るか。」孔子は曰く、「汪芒氏の君、封嵎の山を守る者なり。その神は釐姓、虞夏には防風氏、商には汪芒氏、周には長狄氏、今は大人と謂う。」使者は曰く、「人は幾何の長か。」孔子は曰く、「僬僥氏は三尺、短の極なり。長は十を過ぎず、数の極なり。」使者は曰く、「善いかな、聖人なり。」
仲尼在陳,有隼集於陳侯之廷而死。楛矢貫之,石砮矢長尺而咫。陳侯使問孔子,孔子曰:“隼之來也遠矣,此肅慎氏之矢也。昔武王克商,信道九夷百蠻,使各以其方賄來貢,思無忘職業。於是肅慎氏貢楛矢石砮長尺而咫,先王欲昭其令德之致,故銘其栝曰:肅慎氏貢楛矢,以勞大姬,配虞胡公而封諸陳。分同姓以珍玉,展親也;分別姓以遠方職貢,使無忘服也。故分陳以肅慎氏之矢。”試求之故府,果得焉。
仲尼は陳に在り、隼が陳侯の廷に集まりて死せり。楛矢これを貫き、石砮その鏃なり、矢の長一尺八寸。陳侯は人を遣わして孔子に問うた。孔子は曰く、「隼の来ること遠し。これは粛慎氏の矢なり。昔、武王は商を克ち、九夷百蠻の道を通じ、各々その方の財貨を以て貢せしめ、職事を忘れざらんと思う。ここにおいて粛慎氏は楛矢石砮を貢ぎ、長一尺八寸。先王はその美徳の致す所を昭らかにせんと欲し、矢栝に銘して曰く、粛慎氏の楛矢を貢ぐと。以て大姫を慰労し、これを虞胡公に配して陳に封ず。珍玉を同姓に分くは親を示さんと欲し、遠方の職貢を異姓に分くは服事を忘れざらんと欲す。ゆえに粛慎氏の矢を陳に分けり。」試みに故府に求めしめたれば、果たしてこれを得たり。
季桓子穿井得土缶,中有羊,以問孔子,言得狗。孔子曰:“以吾所聞,非狗,乃羊也。木之怪夔罔兩,水之怪龍罔象,土之怪羵羊也,非狗也。”桓子曰:“善哉!”
季桓子は井を鑿ちて土缶を得、中に羊あり。これを取りて孔子に問い、狗を得たりと曰う。孔子は曰く、「丘の聞く所に依れば、狗にあらず、羊なり。木の怪は夔・罔両、水の怪は龍・罔象、土の怪は羵羊、狗にあらず。」桓子は曰く、「善いかな。」
楚昭王渡江,有物大如鬥,直觸王舟,止於舟中;昭王大怪之,使聘問孔子。孔子曰:“此名萍實。”令剖而食之:“惟霸者能獲之,此吉祥也。”其後齊有飛鳥一足來下,止於殿前,舒翅而跳,齊侯大怪之,又使聘問孔子。孔子曰:“此名商羊,急告民趣治溝渠,天將大雨。”於是如之,天果大雨,諸國皆水,齊獨以安。孔子歸,弟子請問,孔子曰:“異時小兒謠曰:楚王渡江得萍實,大如拳,赤如日,剖而食之,美如蜜。此楚之應也。兒又有兩兩相牽,屈一足而跳,曰:天將大雨,商羊起舞。今齊獲之,亦其應也。夫謠之後,未嘗不有應隨者也,故聖人非獨守道而已也,睹物記也,即得其應矣。”
楚昭王は江を渡り、物ありて斗の如く大きく、径に王の舟に触れ、舟中に止まる。昭王は大いに怪しみ、人を遣わして孔子に聘問せしむ。孔子は曰く、「これを萍実と名づく。」剖きて食せしめて曰く、「これは霸者のみ獲るを得る、吉祥なり。」其の後、斉に一足の飛鳥ありて下り、殿前に止まり、翅を張りて跳躍す。斉侯は大いに怪しみ、又人を遣わして孔子に聘問せしむ。孔子は曰く、「これを商羊と名づく。速やかに民に溝洫を修めよと告げよ、天は大雨せんとす。」ここにおいてこれに従い、天は果たして大雨し、諸国は皆水を害す、斉は独りこれによりて安し。孔子帰りて、弟子請い問う。孔子は曰く、「昔、小児の歌謡に曰く、楚王江を渡りて萍実を得、大きさ拳の如く、紅きこと日の如く、剖きて食す、美しきこと蜜の如し。これは楚の応なり。児童また両両相引き、一足を屈して跳躍し、曰く、天は大雨せんとす、商羊舞えりと。今斉これを獲、亦その応なり。歌謡の後、未だ嘗て応の従わざるはなし。ゆえに聖人はただ道を守るのみならず、物を見て記れば、即ちその応を得るなり。」
鄭簡公使公孫成子來聘於晉,平公有疾,韓宣子贊受館客,客問君疾。對曰:“君之疾久矣,上下神只,無不遍諭也,而無除。今夢黃熊入於寢門,不知人鬼耶?亦厲鬼耶?”子產曰:“君子明,子為政,其何厲之有?僑聞之:昔鯀違帝命,殛之於羽山,化為黃熊,以入於羽淵,是為夏郊,三代舉之。夫鬼神之所及,非其族類,則紹其同位,是故天子祠上帝,公侯祠百神,自卿以下不過其族。今周室少卑,晉實繼之,其或者未舉夏郊也?”宣子以告,祀夏郊,董伯為屍,五日瘳。公見子產賜之莒鼎。
鄭簡公は公孫成子を遣わして晋に聘問せしむ。平公疾あり、韓宣子は賛相して館客を接す。客は君の疾を問う。答えて曰く、「君の疾久し、上下神祇に遍く告げざるなく、而も除かず。今夢に黄熊の寝門に入るを見、人鬼なるか、厲鬼なるかを知らず。」子産は曰く、「君子明察、君が政を執れば、何ぞ厲あらん。僑は聞く、昔、鯀は帝命に違い、羽山に誅殺せられ、化して黄熊となり、羽淵に入る。これは夏の郊祭なり、三代は皆これを行う。鬼神の及ぶ所、其の族類にあらざれば、同位の者に接続す。ゆえに天子は上帝を祭り、公侯は百神を祭り、卿以下は己の族を過ぎず。今周室稍く卑微なり、晋は実にこれに接続す、或いは未だ夏郊を行わざるか。」宣子はこの言を以て告げ、夏郊を祭り、董伯を尸と為し、五日にして疾は愈えた。公は子産を接見し、莒鼎を賜う。
虢公夢在廟,有神--人面白毛,虎爪執鉞,立在西阿。公懼而走,神曰:“無走!帝今日使晉襲於爾門。”公拜頓首。覺,召史嚚占之。嚚曰:“如君之言,則蓐收也,天之罰神也。天事官成。”公使囚之,且使國人賀夢。舟之僑告其諸侯曰:“虢不久矣,吾乃今知之。君不度,而嘉大國之襲於己也,何瘳?吾聞之曰:大國無道,小國襲焉,曰服;小國傲,大國襲焉,曰誅。民疾君之侈也,是以由於逆命。今嘉其夢,侈必展,是天奪之鑑而益其疾也!民疾其態,天又誑之;大國來誅,出令而逆。宗國既卑,諸侯遠己,外內無親,其誰雲救之?吾不忍俟,將行。”以其族適晉,三年虢乃亡。
虢公は廟に夢みて、神あり、人面・白毛・虎爪・鉞を執り、西の屋棟に立つ。公は懼れて走らんとす。神は曰く、「走るな。帝は今晋を命じて爾の門を襲わしむ。」公は拝して首を稽す。覚めて、史嚚を召して占わしむ。嚚は曰く、「君の言のごときは、それ蓐収なり、天の罰神なり。天の事、官職已定まれり。」公は人を遣わして彼を囚え、併せて国人をしてこの夢を賀せしむ。舟之僑はその大夫たちに告げて曰く、「虢は久しからず、吾今始めて知る。君は審度せずして、大国の己を襲うを慶賀す、何の好転あらん。吾は聞く、大国道なく、小国往きて襲うを服と謂い、小国驕く、大国往きて襲うを誅と謂うと。民は君の奢を痛恨し、ゆえに令に逆うに至る。今その夢を慶賀すれば、奢は必ず展広す、これは天の其の鏡を奪いて其の疾を益するなり。民は其の情態を痛恨し、天は又これを誑騙す。大国来たりて誅討し、令を発して逆う。宗国すでに卑微、諸侯己を疎んじ、外内親なし、誰か能くこれを救わん。吾は待つに忍びず、まさに行かんとす。」其の族を帯びて晋に至り、三年にして虢は亡んだ。
晉平公築虒祁之室,石有言者。平公問於師曠曰:“石何故言?”對曰:“石不能言,有神憑焉;不然民聽之濫也。臣聞之,作事不時,怨讟動於民,則有非言之物而言。今宮室崇侈,民力屈盡,百姓疾怨,莫安其性,石言不亦可乎?”
晋平公は虒祁の宮を為りて、石に言語あり。平公は師曠に問うた、「石は何の故に言語するか。」答えて曰く、「石は言語すること能わず、神これに憑れり。不然れば民の聴き誤れるなり。臣は聞く、作事時にあらざれば、怨謗は民中に動き、言語すべからざる物ありて言語すと。今宮室高大奢侈にして、民力尽き、百姓痛恨怨怒して、其の性を安んずる能はざれば、石の言語も亦可ならずや。」
晉平公出畋,見乳虎伏而不動,顧謂師曠曰:“吾聞之也,霸王之主出,則猛獸伏不敢起。今者寡人出,見乳虎伏而不動,此其猛獸乎?”師曠曰:“鵲食●,●食鵔鸃,鵔鸃食豹,豹食駁,駁食虎;夫駁之狀有似駁馬,今者君之出必驂駁馬而出畋乎?”公曰:“然。”師曠曰:“臣聞之,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今夫虎所以不動者,為駁馬也,固非主君之德義也,君奈何一自誣乎?”平公異日出朝,有鳥環平公不去,平公顧謂師曠曰:“吾聞之也,霸王之主,鳳下之;今者出朝有鳥環寡人,終朝不去,是其鳳鳥乎?”師曠曰:“東方有鳥名諫珂,其為鳥也,文身而朱足,憎鳥而愛狐。今者吾君必衣狐裘,以出朝乎?”平公曰:“然。”師曠曰:“臣已嘗言之矣,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今鳥為狐裘之故。非吾君之德義也,君奈何而再自誣乎?”平公不悅。異日置酒虒祁之臺,使郎中馬章布蒺藜於階上,令人召師曠;師曠至,履而上堂。平公曰:“安有人臣履而上人主堂者乎?”師曠解履刺足,伏刺膝,仰天而嘆,公起引之曰:“今者與叟戲,叟遽憂乎?”對曰:“憂夫肉自生蟲,而還自食也;木自生蠹,而還自刻也;人自興妖,而還自賊也。五鼎之具不當生藜藿,人主堂廟不當生蒺藜。”平公曰:“今為之奈何?”師曠曰:“妖已在前,無可奈何。入來月八日,修百官,立太子,君將死矣。”至來月八日得旦,謂師曠曰:“叟以今日為期,寡人如何?”師曠不樂謁歸,歸未幾而平公死,乃知師曠神明矣。
晋平公は出でて猟し、乳虎の伏して動かざるを見、顧みて師曠に曰く、「吾は聞く、霸王の主出ずれば、猛獣伏して敢えて起たずと。今寡人出づるに、乳虎の伏して動かざるを見る、これほぼ猛獣か。」師曠は曰く、「鵲は蝟を食い、蝟は鵔鸃を食い、鵔鸃は豹を食い、豹は駮を食い、駮は虎を食う。駮の状、駮馬に少し似たり。今君の出ずるや、必ず駮馬を以て車に駕して猟するならん。」公は曰く、「是なり。」師曠は曰く、「臣は聞く、一にして己を欺けば其の窮、再びして己を欺けば其の辱、三たびして己を欺けば其の死と。今それ虎の動かざる所以は、駮馬を以てなり、本より主君の徳義にあらず。君は何ぞ一にして己を欺くや。」平公、他日に出でて朝す、鳥ありて平公を環りて去らず。平公は顧みて師曠に曰く、「吾は聞く、霸王の主は鳳凰下ると。今出でて朝するに鳥ありて寡人を環る、朝終日去らず、これほぼ鳳鳥か。」師曠は曰く、「東方に鳥あり、名を諫珂と曰う。是の鳥は、身に文あり、足は朱紅、鳥を憎み狐を愛す。今我が君は必ず狐裘を衣て出でて朝するならん。」平公は曰く、「是なり。」師曠は曰く、「臣すでに言えり、一にして己を欺けば其の窮、再びして己を欺けば其の辱、三たびして己を欺けば其の死と。今鳥は狐裘の故を以てなり、我が君の徳義にあらず。君は何ぞ再びして己を欺くや。」平公は悦ばず。他日、虒祁の台に酒を設け、郎中馬章をして階上に蒺藜を布かしめ、人を遣わして師曠を召さしむ。師曠至り、履を履きて堂に上る。平公は曰く、「安んぞ人臣にして履を履きて人主の堂に上る者あらんや。」師曠は履を解きて足を刺し、伏して膝を刺し、天を仰ぎて嘆息す。公は起ちて彼を引きて曰く、「今老頭と戯るるに、老頭は急いで憂うるか。」答えて曰く、「憂う、其の肉自ら虫を生じ、反りて自ら自を食らい、木は自ら蠹を生じ、反りて自ら自を刻り、人は自ら妖を興し、反りて自ら自を賊害す。五鼎の食器は藜藿を生ずべからず、人主の堂廟は蒺藜を生ずべからず。」平公は曰く、「今いかんせん。」師曠は曰く、「妖すでに前に在り、奈何ともすべからず。来月の八日に入り、百官を修立し、太子を立てよ、君は将に死せんとす。」来月の八日の明旦に至り、師曠に対して曰く、「老頭は今日を以て期と為せり、寡人いかん。」師曠は悦ばず、辞して帰り、帰りて未だ久しからずして平公死す、乃ち師曠の神明を知れり。
趙簡子問翟封荼曰:“吾聞翟雨谷三日,信乎?”曰:“信。”“又聞雨血三日,信乎!”曰:“信。”“又聞馬生牛,牛生馬,信乎?”曰:“信。”簡子曰:“大哉,妖亦足以亡國矣!”對曰:“雨谷三日,虻風之所飄也;雨血三日,鷙鳥擊於上也;馬生牛,牛生馬,雜牧也,此非翟之妖也。”簡子曰:“然則翟之妖奚也?”對曰:“其國數散,其君幼弱,其諸卿貨其大夫,比黨以求祿爵,其百官肆斷而無告,其政令不竟而數化,其士巧貪而有怨,此其妖也。”
趙簡子は翟封荼に問うて曰く、「吾は聞く、翟に谷雨三日、実なるか。」曰く、「実なり。」「又聞く、血雨を下すこと三日、実なるか。」曰く、「実なり。」「又聞く、馬は牛を生じ、牛は馬を生ず、実なるか。」曰く、「実なり。」簡子は曰く、「大きいかな、妖もまた国を亡ぼすに足れり。」答えて曰く、「谷雨を下すこと三日は、虻風の飄き起す所なり。血雨を下すこと三日は、鷙鳥の上に搏撃するなり。馬は牛を生じ牛は馬を生ずるは、雑糅して牧放するなり、これらは翟の妖にあらず。」簡子は曰く、「然らば翟の妖は何ぞ。」答えて曰く、「其の国は屡々離散し、其の君は幼弱、諸卿は大夫に賄賂し、結党して禄爵を求め、百官は放肆して裁断し処告する所なく、政令は貫徹せずして屢々変化し、士は巧妙にして貪婪なりて怨あり、これ才だに其の妖なり。」
哀公射而中稷,其口疾不肉食,祠稷而問善卜之巫官,巫官變曰:“稷負五種,托株而從天下,未至於地而株絕,獵谷之老人張衽以受之,何不告祀之?”公從之,而疾去。
哀公は稷神を射中りて、其の口病みて肉を食うこと能わず。稷を祭りて善く卜する巫官に問う。巫官は神色を変じて曰く、「稷は五穀を負い、樹株に依託して天下りて来れり、未だ地に至らずして樹株断れ、谷を猟う老人は衣襟を張りてこれを接く。何ぞ祭りに往かんを告げざる。」公はこれに従い、病は去れり。
扁鵲過趙王,王太子暴疾而死,鵲造宮門曰:“吾聞國中卒有壤土之事,得無有急乎?”中庶子之好方者應之曰:“然,王太子暴疾而死。”扁鵲曰:“人言鄭醫秦越人能活太子。”中庶子難之曰:“吾聞上古之為醫者曰苗父,苗父之為醫也,以菅為席,以芻為狗,北面而祝,發十言耳,諸扶而來者,舉而來者,皆平復如故。子之方能如此乎?”扁鵲曰:“不能。”又曰:“吾聞中古之為醫者曰俞柎,俞柎之為醫也,搦腦髓,束肓莫,炊灼九竅而定經絡,死人復為生人,故曰俞柎。子之方能若是乎?”扁鵲曰:“不能。”中庶子曰:“子之方如此,譬若以管窺天,以錐利地;所窺者甚大,所見者甚少。鈞若子之方,豈足以變駭童子哉?”扁鵲曰:“不然。物故有昧揥而中蛟頭,掩目而別白黑者。太子之疾,所謂屍厥者也,以為不然,入診之,太子股陰當溫,耳中焦焦如有嘯者聲然者,皆可治也。”中庶子入報趙王,趙王跣而趨出門曰:“先生遠辱幸臨寡人,先生幸而有之,則糞土之息,得蒙天履地而長為人矣。先生不有之,則先犬馬填溝壑矣。”言未已,涕泣沾襟。扁鵲遂為診之,先造軒光之鱉,八成之湯,砥針礪石,取三陽五輸;子容搗藥,子明吹耳,陽儀反神,子越扶形,子游矯摩。太子遂得復生。天下聞之,皆曰:“扁鵲能生死人。”鵲辭曰:“予非能生死人也,特使夫當生者活耳,夫死者猶不可藥而生也,悲夫亂君之治,不可藥而息也。詩曰:‘多將熇熇,不可救藥!’甚之之辭也。”
扁鵲は趙王を過ぎ、王太子暴疾して死せり。扁鵲は宮門に至りて曰く、「吾は聞く、国中に卒に動土の事あり、急難あらずや。」中庶子の方術を好む者は応じて曰く、「是なり、王太子暴疾して死せり。」扁鵲は曰く、「人は言う、鄭の医秦越人は太子を活かすを得と。」中庶子は彼を詰難して曰く、「吾は聞く、上古に医を為すを苗父と曰う。苗父の医を為すや、菅を以て席と為し、芻を以て狗と為し、北面して祝禱し、ただ十言を発せば、其の扶けて来る者、抬げて来る者、皆平復して故の如し。爾の方は此の如能はんや。」扁鵲は曰く、「能わず。」又曰く、「吾は聞く、中古に医を為すを兪柎と曰う。兪柎の医を為すや、脳髄を按搦し、肓膜を束約し、九竅を炊灼して経絡を定む、死人は復た活人と為る、ゆえに兪柎と曰う。爾の方は此の如能はんや。」扁鵲は曰く、「能わず。」中庶子は曰く、「爾の方は此の如く、譬えば管を以て天を窺い、錐を以て地を刺すが如し。窺う所は大にして見る所は少なし。皆爾の方の如く、何ぞ童子を変驚するに足らん。」扁鵲は曰く、「然るにあらず。物は本より昏中に投じて蛟頭を中て、目を捂いて黒白を分かつあり。太子の疾は、所謂尸厥なり。然るにあらずと為す、入りて診視せよ、太子の大股の内側は当に温熱なるべく、耳には焦焦として嘯声有るが如き声あり、皆可治なり。」中庶子は入りて趙王に報ず。趙王は足を跣して趋りて門に出でて曰く、「先生遠道を辱めて幸いに寡人に至る、先生幸いに術有れば、則ち糞土の如き息子、天を蒙り地を踏みて長く人と為るを得ん。先生術なからば、先だって犬馬をして溝壑に塡れん。」言未だ畢らざるに、涕涙襟に沾えり。扁鵲はここにおいて彼を診治し、先ず軒光の鱉、八成の湯を為し、針石を磨礪し、三陽五輸を取る。子容は薬を搗き、子明は耳を吹き、陽儀は神を回復し、子越は形を扶え、子游は按摩を矯正す。太子は終に活き返るを得たり。天下は聞きて、皆曰く、「扁鵲は能く死人を生かしめんと。」扁鵲は辞して曰く、「予は能く死人を生かすにあらず、ただ其の当に生くべき者を生かすのみ。死の者は猶未だ薬を以て生ずべからず。悲しきかな、乱君の治は、薬を以て息すべからず。《詩経》に『多く熇熇として熾盛なり、救薬すべからず』とあり。是れ過分の言を得たりと謂うなり。」
孔子晨立堂上,聞哭者聲音甚悲,孔子援琴而鼓之,其音同也。孔子出,而弟子有吒者,問:“誰也?”曰:“回也。”孔子曰:“回何為而吒?”回曰:“今者有哭者其音甚悲,非獨哭死,又哭生離者。”孔子曰:“何以知之?”回曰:“似完山之鳥。”孔子曰:“何如?”回曰:“完山之鳥生四子,羽翼已成乃離四海,哀鳴送之,為是往而不復返也。”孔子使人問哭者,哭者曰:“父死家貧,賣子以葬之,將與其別也。”孔子曰:“善哉,聖人也!”
孔子は清晨に堂上に立ち、哭する者の声甚だ悲哀なるを聞き、孔子は琴を取りて弾ず、其の声同じ。孔子は出づるに、弟子の中に嘆く者あり、問うて曰く、「是れ誰か。」曰く、「是れ回なり。」孔子は曰く、「回は何の故に嘆く。」回は曰く、「今哭する者の声甚だ悲哀なるは、ただ死を哭するのみにあらず、また生別を哭するなり。」孔子は曰く、「何を以てこれを知る。」回は曰く、「完山の鳥の如し。」孔子は曰く、「何如。」回は曰く、「完山の鳥は四子を生み、羽翼すでに成りて離れて四海に往く。悲哀に鳴叫してこれを送る、是の往くや復た返らざるを以てなり。」孔子は人を遣わして哭する者に問わしむ。哭する者は曰く、「父死みて家貧なり、子を売りてこれを葬らんとす、まさに彼と別れんとす。」孔子は曰く、「善いかな、是れ聖人なり。」
景公畋於梧丘,夜猶蚤,公姑坐睡而夢有五丈夫,北面幸盧,稱無罪焉。公覺,召晏子而告其所夢,公曰:“我其嘗殺不辜而誅無罪耶?”晏子對曰:“昔者先君靈公畋,五丈夫罟而駭獸,故殺之斷其首而葬之,曰五丈夫之丘。其此耶?”公令人掘而求之,則五頭同穴而存焉。公曰:“嘻,令吏葬之。”國人不知其夢也,曰:“君憫白骨,而況於生者乎?”不遺餘力矣,不釋餘智矣,故曰,人君之為善易矣。
景公は梧丘に猟し、夜未だ早きに、公は姑く坐して睡り、五丈夫を夢み、北に向きて幸盧に対し、罪無しと称す。公は覚めて、晏子を召して其の夢を告ぐ。公は曰く、「我ほぼ嘗て無辜を殺し、无罪を誅せしか。」晏子は答えて曰く、「昔、先君霊公は猟せり、五丈夫は網を張りて獣を驚かし、ゆえにこれらを殺し、首を断りて葬る、五丈夫之丘と称す。ほぼ是なるか。」公は人を遣わして掘りて求めしむ。五頭は同一穴に在りて猶存す。公は曰く、「ああ、吏をして彼らを葬らしめよ。」国人は其の夢を知らず、曰く、「君は白骨を憐む、況んや生きたる人をや。」余力を遺さず、余智を下さず。ゆえに曰う、人君の善を為すは易しと。
子貢問孔子:“死人有知無知也?”孔子曰:“吾欲言死者有知也,恐孝子順孫妨生以送死也;欲言無知,恐不孝子孫棄不葬也。賜欲知死人有知將無知也?死徐自知之,猶未晚也!”
子貢は孔子に問うて曰く、「死人は知ありや、知無きや。」孔子は曰く、「吾は死人は知ありと言わんと欲すれば、孝子順孫の生きたる人を害して死を送らんことを恐る。知無しと言わんと欲すれば、不孝の子孫の棄てて葬らざるを恐る。賜は死人の知ありや知無きやを知らんと欲するか。死して徐々に自ずから知る、猶未だ遲からず。」
王子建出守於城父,與成公幹遇於疇中,問曰:“是何也?”成公幹曰:“疇也。”“疇也者,何也?”曰:“所以為麻也。”“麻也者,何也?”曰:“所以為衣也。”成衣幹曰:“昔者莊王伐陳,舍於有蕭氏,謂路室之人曰:巷其不善乎!何溝之不浚也?莊王猶知巷之不善,溝之不浚,今吾子不知疇之為麻,麻之為衣,吾子其不主社稷乎?”王子果不立。
王子建が出て城父を守ったとき、成公干と疇の中で遇い、問うた。「これは何か。」成公干は曰く、「これは疇である。」「疇とは何か。」曰く、「麻を種うるに用いる。」「麻とは何か。」曰く、「衣を為るに用いる。」成公干は曰く、「昔、莊王は陳を伐ち、有蕭氏に住まれたとき、路傍の屋の人に曰く、巷はほぼ善からずや。なぜ溝を疏浚せざる。莊王はなお巷の善からず、溝の疏浚せざるを知れり。今あなたは疇が麻を種い、麻が衣を為るに用いるを知らず。あなたはほぼ社稷を主ること能わざらん。」王子は果たして立てられなかった。
卷十九修文
巻十九 修文
天下有道,則禮樂征伐自天子出。夫功成制禮,治定作樂,禮樂者,行化之大者也。孔子曰:“移風易俗,莫善於樂;安上治民,莫善於禮。是故聖王修禮文,設庠序,陳鐘鼓,天子辟雍,諸侯泮宮,所以行德化。詩云:‘鎬京辟雍,自西自東,自南自北,無思不服。’此之謂也。”
天下に道あれば、礼楽征伐は天子より出る。功業成就して礼を制し、治安定して楽を作る、礼楽は教化を行う最大のものである。孔子は曰く、「風を移し俗を易るは、楽より善きものなし。上を安んじ民を治むるは、礼より善きものなし。ゆえに聖王は礼文を修め、庠序を設け、鐘鼓を陳べ、天子には辟雍、諸侯には泮宮あり、以て徳の教化を行う。」《詩経》に「鎬京の辟雍、西より東より、南より北より、思い服さざるなし」とある。これを謂うのである。
積恩為愛,積愛為仁,積仁為靈,靈臺之所以為靈者,積仁也。神靈者,天地之本,而為萬物之始也。是故文王始接民以仁,而天下莫不仁焉。文,德之至也,德不至則不能文。商者,常也,常者質,質主天;夏者,大也,大者,文也,文主地。故王者一商一夏,再而復者也,正色三而復者也。味尚甘,聲尚宮,一而復者,故三王術如循環,故夏后氏教以忠,而君子忠矣;小人之失野,救野莫如敬,故殷人教以敬,而君子敬矣。小人之失鬼,救鬼莫如文,故周人教以文,而君子文矣。小人之失薄,救薄莫如忠,故聖人之與聖也,如矩之三雜,規之三雜,周則又始,窮則反本也。詩曰:“雕琢其章,金玉其相。”言文質美也。
恩は積みて愛と為り、愛は積みて仁と為り、仁は積みて霊と為る。霊台の霊と謂う所以は、仁を積むなり。神霊は天地の本にして万物の始なり。ゆえに文王は始めて仁を以て民を接すれば、天下不仁なきなり。文は徳の極なり、徳極まらざれば文すること能わず。商は常なり、常は質なり、質は天を以て主とす。夏は大なり、大は文なり、文は地を以て主とす。ゆえに王者は一商一夏、循環して再び復す。正色は三つ再び復す。滋味は甘を尚び、声音は宮を尚び、循環して一たび再び復す。ゆえに三王の術は循環のごとし。夏后氏は忠を以て教えれば、君子は忠なり。小人の過は野なり、野を救うは敬より善きなし、ゆえに殷人は敬を以て教えれば、君子は敬なり。小人の過は鬼に迷うなり、鬼に迷うを救うは文より善きなし、ゆえに周人は文を以て教えれば、君子は文なり。小人の過は澆薄なり、澆薄を救うは忠より善きなし。ゆえに聖人と聖人とは、矩の三たび会し、規の三たび会し、一周すれば則ち始め、窮すれば則ち本に返る。《詩経》に「其の文を雕琢す、金玉は其の質なり」とある。文と質と皆美なるを謂う。
傳曰:“觸情縱慾,謂之禽獸;苟可而行,謂之野人;安故重遷,謂之眾庶;辨然通古今之道謂之士;進賢達能,謂之大夫;敬上愛下,謂之諸侯;天覆地載,謂之天子。是故士服黼,大夫黻,諸侯火,天子山龍;德彌盛者文彌縟,中彌理者文彌章也。”詩曰:“左之左之,君子宜之;右之右之,君子有之。”傳曰:“君子者,無所不宜也,是故■冕厲戒,立於廟堂之上,有司執事無不敬者;斬衰裳,苴絰杖,立於喪次,賓客弔唁無不哀者;被甲攖胄立於桴鼓之間,士卒莫不勇者。故仁者足以懷百姓,勇足以安危國,信足以結諸侯,強足以拒患難,威足以率三軍。故曰為左亦宜,為右亦宜,為君子無不宜者,此之謂也。”
伝記に曰く、「情欲を触動して放縦すれば、これを禽獣と謂う。苟も行うべければこれを為す、これを野人と謂う。旧地に安んじ遷徙を重んず、これを衆庶と謂う。辨明して古今の道に通ず、これを士と謂う。賢人を進薦し有能を通達す、これを大夫と謂う。上を敬い下を愛す、これを諸侯と謂う。天の覆うが如く地の載るが如し、これを天子と謂う。ゆえに士は黼を服し、大夫は黻を服し、諸侯は火の紋を用い、天子は山龍を用う。徳ますます盛なれば文采ますます繁縟なり、内ますます条理あれば文采ますます彰明なり。」《詩経》に「左に左に、君子は之に宜し。右に右に、君子は之を有す」とある。伝記に曰く、「君子は宜しからざるなし。ゆえに袞冕斎戒して廟堂の上に立てば、有司執事敬せざるなし。斬衰裳・苴絰杖を服して喪次に立てば、賓客弔唁哀ならざるなし。甲を披き冑を持して鼓槌戦鼓の間に立てば、士卒勇ならざるなし。ゆえに仁は百姓を撫するに足り、勇は危国を安んずるに足り、信は諸侯を結交するに足り、強は患難を抗拒するに足り、威は三軍を統率するに足る。ゆえに曰う、左を為すも宜しく、右を為すも宜しく、君子として宜しからざるなし、これを謂うのである。」
齊景公登射,晏子修禮而待。公曰:“選射之禮,寡人厭之矣。吾欲得天下勇士,與之圖國。”晏子對曰:“君子無禮,是庶人也;庶人無禮,是禽獸也;夫臣勇多則弒其君,子力多則弒其長,然而不敢者,惟禮之謂也。禮者所以御民也,轡者所以御馬也;無禮而能治國家者,嬰未之聞也。”景公曰:“善。”乃飭射更席以為上客,終日問禮。
斉景公は射礼を行い、晏子は礼を修めて待った。公は曰く、「選射の礼は、寡人は厭けり。われ天下の勇士を得、彼らと図って国を謀らんと欲す。」晏子は答えて曰く、「君子に礼なければ、則ち庶人なり。庶人に礼なければ、則ち禽獣なり。臣は勇力多ければ其の君を弑し、子は力多ければ其の上を弑す。然れども敢えてせざるは、礼あるのみにてなり。礼は以て民を駕するなり、轡は以て馬を駕するなり。礼なくして国を治むるは、嬰いまだ聞かざるなり。」景公は曰く、「善し。」ここにおいて射礼を飭り、席位を更えて彼を上客と為し、終日礼を問うた。
書曰五事:一曰貌。貌者男子之所以恭敬,婦人之所以姣好也;行步中矩,折旋中規,立則磬折,拱則抱鼓,其以入君朝,尊以嚴,其以入宗廟,敬以忠,其以入鄉曲,和以順,其以入州里族黨之中,和以親。詩曰:“溫溫恭人,惟德之基。”孔子曰:“恭近於禮,遠恥辱也。”
《尚書》に五事を曰う。一を貌と曰う。貌は男子の以て恭と為し、婦人の以て姣と為す所なり。行歩は矩に合い、転るは規に合い、立てば磬の如く曲折し、拱手すれば鼓を抱くが如し。以て君の朝廷に入るに尊くして厳なり、以て宗廟に入るに敬して忠なり、以て郷曲に入るに和して順なり、以て州里族党の中に入るに和して親なり。《詩経》に「温温として恭なりし人、唯だ徳の基なり」とある。孔子は曰く、「恭は礼に近く、恥辱を遠ざく。」
衣服容貌者,所以悅目也;聲音應對者,所以悅耳也;嗜慾好惡者,所以悅心也。君子衣服中,容貌得,則民之目悅矣;言語順,應對給,則民之耳悅矣;就仁去不仁,則民之心悅矣。三者存乎心,暢乎體,形乎動靜,雖不在位,謂之素行。故忠心好善而日新之,獨居樂德,內悅而形。詩曰:“何其處也?必有與也;何其久也?必有以也。”惟有以者,惟能長生久視,而無累於物也。
衣服容貌は以て目を悦ばせ、声音応対は以て耳を悦ばせ、嗜欲好悪は以て心を悦ばす。君子は衣服中を得て容貌宜しきを得れば、民の目は悦ぶ。言語順暢、応対敏捷なれば、民の耳は悦ぶ。仁に趨り不仁を去れば、民の心は悦ぶ。此の三者は心に存し、身に暢達し、動静に現る。位に在らずとも、これを素行と謂う。ゆえに忠心善を好みて日々に更新し、独り居て徳を楽しみ、内に喜悦して外に現る。《詩経》に「何ぞ安処せん。必ず相与する有り。何ぞ久長せん。必ず故あるなり」とある。ただ故ある者のみ、能く久しく生存し久しく照看し、物に累われざるなり。
知天道者冠鉥,知地道者履蹻,能治煩決亂者佩觿,能射御者佩韘,能正三軍者搢笏;衣必荷規而承矩,負繩而準下。故君子衣服中而容貌得,接其服而象其德,故望玉貌而行能,有所定矣。詩曰:“芃蘭之枝,童子佩觿。”說行能者也。
天道を知る者は𬬸冠を戴き、地道を知る者は蹻を穿き、能く煩乱を治め乱を決断する者は觿を佩び、能く射御する者は韘を佩び、能く三軍を正す者は笏を挿す。衣服は必ず規を負荷し矩を承受し、縄墨を背負い下に準を取る。ゆえに君子は衣服中を得て容貌宜しきを得、其の服に接して其の徳を象る。ゆえに玉の如き容貌を望見して行為才能ありと定まる。《詩経》に「芃蘭の枝、童子觿を佩ぶ」とある。行為才能を謂うのである。
冠者所以別成人也,修德束躬以自申飭,所以檢其邪心,守其正意也。君子始冠,必祝成禮,加冠以屬其心,故君子成人,必冠帶以行事,棄幼少嬉戲惰慢之心,而衎衎於進德修業之志。是故服不成象,而內心不變,內心修德,外被禮文,所以成顯令之名也。是故皮弁素積,百王不易,既以修德,又以正容。孔子曰:“正其衣冠,尊其瞻視,嚴然人望而畏之,不亦威而不猛乎?”
冠は以て成人を別つなり。徳を修め身を約して自ら申飭し、以て其の邪心を検束し、其の正意を守る。君子始めて冠を加うるに、必ず祝禱して礼を成し、冠を加えて以て其の心を連属す。ゆえに君子は成人に、必ず冠帯して後に行事す、幼少嬉戯惰慢の心を棄てて、欣欣然として進徳修業の志に在る。ゆえに服装形象成らざれば、内心改まらず。内心は徳を修め、外は礼文を被き、ゆえに顕赫美名を成す。ゆえに皮弁素積は、百王改易せず、既に以て徳を修め、又以て容貌を正す。孔子は曰く、「衣冠を正し、瞻視を尊厳にし、儼然として人の望見して畏敬す、亦威ありて猛ならざるか。」
成王將冠,周公使祝雍祝,王曰:“達而勿多也。”祝雍曰:“使王近於民,遠於佞,嗇於時,惠於財,任賢使能。”於此始成之時,祝辭四加而後退,公冠自以為主,卿為賓,饗之以三獻之禮。公始加玄端與皮弁,皆必朝服玄冕四加,諸侯、太子、庶子冠公為主,其禮與上同。冠於祖廟曰:“令月吉日,加子元服,去爾幼志,順爾成德。”冠禮十九見正而冠,古之通禮也。
成王はまさに冠を加えんとして、周公は祝雍をして祝禱せしめた。王は曰く、「通達して多からざれ。」祝雍は曰く、「王をして民に親しませ、佞人を遠ざけ、時を愛し、財を恵愛し、賢人を任用し有能を使用せしめん。」此の成人を始むるに在りて、祝辞は四たび加えて後に退く。公は自ら冠を加えて自ら主人と為し、卿を賓と為し、三献の礼を以て宴饗す。公は始めて玄端と皮弁を加え、皆必ず朝服玄冕を四たび加う。諸侯・太子・庶子の冠を加うるは、公を主人と為り、礼は上と同じ。祖廟にて冠を加えて曰く、「美しき月、吉しき日、子に元服を加え、爾が幼年の心志を去り、爾が成人の徳に順え。」冠礼は十九歳にして正月を見て冠を加う、古の通行の礼なり。
夏,公如齊逆女,何以書?親迎禮也。其禮奈何?曰:諸侯以屨二兩加琮,大夫庶人以屨二兩加束脩二。曰:“某國寡小君,使寡人奉不珍之琮,不珍之屨,禮夫人貞女。”夫人曰:“有幽室數辱之產,未諭於傅母之教,得承執衣裳之事,敢不敬拜?”拜祝,祝答拜。夫人受琮取一兩,屨以履女,正笄衣裳而命之曰:“往矣,善事爾舅姑,以順為宮室,無二爾心,無敢回也。”女拜,乃親引其手,授夫乎戶,夫引手出戶;夫行女從,拜辭父於堂,拜諸母於大門。夫先升與執轡,女乃升輿,轂三轉,然後天下先行。大夫士庶人稱其父曰:“某之父,某之師友,使其執不珍之屨,不珍之束脩,敢不敬禮某氏貞女。”母曰:“有草茅之產,未習於織紝紡績之事,得奉執箕帚之事,敢不敬拜?”
夏、公は斉に至りて女を迎う、何ぞ記するや。親迎の礼なり。其の礼は何如。曰く、諸侯は屨二両に琮を加え、大夫庶人は屨二両に束脩二を加う。曰く、「某国寡小君、寡人を遣わして不珍の琮・不珍の屨を奉じ、夫人貞女を礼敬せしめん。」夫人は曰く、「幽室の辱生せる有りて、未だ傅母の教えを明らめず、衣裳を執るの事を承けん、敢えて拝せざらんや。」拝して祝し、祝は拝を答す。夫人は琮を受け、一両の屨を取りて女に穿かしめ、髪笄衣裳を正して之に命じて曰く、「往け、善く爾の舅姑に事え、順を以て宮室を治め、二心有ることなく、敢えて回転するなかれ。」女は拝し、ここにおいて親ら其の手を引き、戸に於て夫に授く。夫は手を引きて戸を出づ。夫行き女従い、堂上にて父に拝辞し、大門にて諸母に拝す。夫は先に車に登り轡を執り、女乃ち車に登り、車轂三回転して後、夫は先に往く。大夫士庶人は其の父に称して曰く、「某人の父、某人の師友、彼を遣わして不珍の屨・不珍の束脩を持たしめ、敢えて某氏貞女を敬礼せしめん。」母は曰く、「草茅の生せる有りて、未だ織紝紡績の事を学ばず、箕帚を執るの事を奉ぜん、敢えて拝せざらんや。」
春秋曰:“壬申,公薨於高寢。”傳曰:“高寢者何?正寢也。曷為或言高寢,或言路寢?曰,諸侯正寢三:一曰高寢,二曰左路寢,三曰右路寢。高寢者,始封君之寢也。二路寢者,繼體之君寢也。其二何?曰,子不居父之寢,故二寢。繼體君世世不可居高祖之寢,故有高寢,名曰高也。路寢其立奈何?高寢立中,路寢左右。”春秋曰:“天王入於成周。”傳曰:“成周者何?東周也。然則天子之寢奈何?曰,亦二承明,繼體守文之君之寢,曰左右之路寢。謂之承明何?曰承乎明堂之後者也。故天子諸侯三寢立而名實正,父子之義章,尊卑之事別,大小之德異矣。”
《春秋》に曰く、「壬申、公は高寝にて薨ず。」伝記に曰く、「高寝とは何か。正寝なり。何ぞ或は高寝と曰い或は路寝と曰う。曰く、諸侯の正寝は三つあり。一を高寝と曰い、二を左路寝と曰い、三を右路寝と曰う。高寝は始封之君の寝なり。両路寝は継体之君の寝なり。何ぞ両つや。曰く、子は父の寝に居らず、ゆえに寝両つなり。継体之君は世世高祖の寝に居るべからず、ゆえに高寝あり、名づけて高と曰う。路寝は何を以て立つや。高寝は中に立ち、路寝は左右に在り。」《春秋》に曰く、「天王は成周に入る。」伝記に曰く、「成周とは何か。東周なり。然らば天子の寝は何如。曰く、亦両つ承明あり、継体守文之君の寝、左右の路寝と曰う。何ぞ承明と曰うや。曰く、明堂の後に在るを承ぐるなり。ゆえに天子諸侯は寝三つ立ちて名実正しく、父子の義彰明にして、尊卑の事別れ、大小の徳異なれり。」
天子以鬯為贄,鬯者百草之本也,上暢於天,下暢於地,無所不暢,故天子以鬯為贄。諸侯以圭為贄,圭者玉也,薄而不撓,廉而不劌,有瑕於中,必見於外,故諸侯以玉為贄。卿以羔為贄,羔者,羊也,羊群而不黨,故卿以為贄。大夫以鴈為贄,鴈者行列有長幼之禮,故大夫以為贄。士以雉為贄,贄可不可指食,籠狎而服之,故士以雉為贄。庶人以鶩為贄,鶩者鶩鶩也,鶩鶩無它心,故庶人以鶩為贄。贄者,所以質也。
天子は鬯を以て贄と為す。鬯は百草の本にして、上は天に暢れ、下は地に暢れ、暢れざるなし。ゆえに天子は鬯を以て贄と為す。諸侯は圭を以て贄と為す。圭は玉なり、薄くして曲がらず、棱角ありて人を割傷せず、瑕は中に在りて必ず外に現る。ゆえに諸侯は玉を以て贄と為す。卿は羔を以て贄と為す。羔は羊なり、羊は群れて党を結ばず。ゆえに卿はこれを以て贄と為す。大夫は雁を以て贄と為す。雁は行列に長幼の礼あり。ゆえに大夫はこれを以て贄と為す。士は雉を以て贄と為す。贄は食を指すべからず、籠に関てば狎习して馴服す。ゆえに士は雉を以て贄と為す。庶人は鶩を以て贄と為す。鶩は家鴨なり、家鴨は別の心なし。ゆえに庶人は鶩を以て贄と為す。贄は以て質実なり。
諸侯三年一貢士,士一適謂之好德,再適謂之尊賢,三適謂之有功。有功者,天子一賜以輿服弓矢,再賜以鬯,三賜以虎賁百人,號曰命諸侯。命諸侯者,鄰國有臣弒其君,孽弒其宗,雖不請乎天子而徵之可也,已徵而歸其地於天子。諸侯貢士,一不適謂之過,再不適謂之傲,三不適謂之誣。誣者天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。諸侯有不貢士,謂之不率正,不率正者,天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。然後天子比年秩官之無文者而黜之,以諸侯之所貢士伐之。詩云:“濟濟多士,文王以寧。”此之謂也。
諸侯は三年に一たび士を貢ぐ。士は一たび当たるを好徳と曰い、再び当たるを尊賢と曰い、三たび当たるを有功と曰う。有功は、天子は第一次に輿服弓矢を賜い、第二次に鬯を賜い、第三次に虎賁百人を賜い、号して命諸侯と曰う。命諸侯は、隣国に臣の君を弑し、庶子の嫡宗を弑する有れば、天子に請わずして往き征討するも可なり、すでに征討すれば其の地を天子に帰せり。諸侯の士を貢ぐ、一たび当たらざるを過と曰い、再び当たらざるを傲と曰い、三たび当たらざるを誣と曰う。誣は天子これを貶黜し、第一次に爵を貶黜し、第二次に地を貶黜し、第三次に地は則ち尽く。諸侯に士を貢がざるは、正道に循わずと曰う。正道に循わざるは、天子これを貶黜し、第一次に爵を貶黜し、第二次に地を貶黜し、第三次に地は則ち尽く。然る後天子は官吏を按年して文無きを考黜し、諸侯の貢ぐ所の士を以て之に代る。《詩経》に「済済として士多し、文王以て寧んづ」とある。これを謂うのである。
古者必有命民,命民能敬長憐孤,取捨好讓,居事力者,命於其君。命然後得乘飭輿駢馬,未得命者不得乘,乘者皆有罰。故其民雖有餘財侈物,而無仁義功德者,則無所用其餘財侈物;故其民皆興仁義而賤財利,賤財利則不爭,不爭則強不凌弱,眾不暴寡。是唐虞所以興象刑,而民莫敢犯法,而亂斯止矣。詩云:“告爾民人,謹爾侯度,用戒不虞。”此之謂也。
古には必ず命民あり。命民は能く長者を敬い孤児を憐れみ、取舍謙譲を好み、居家事に尽力する者は、其の君より命を授く。命を授くる然る後に、能く斉の車・並の馬に乗る。命を得ざれば乗ること能わず、乗る者は皆罰あり。ゆえに其の民は余財・侈物有りと雖も、仁義功徳なきは則ち其の余財・侈物を用る所なし。ゆえに其の民は皆仁義に興りて財利を軽んじ、財利を軽んずれば争わず、争わざれば強は弱を凌がず、衆は寡を暴れず。是れ唐虞の象刑を興して民敢えて法を犯さず、乱ここに止む所以なり。《詩経》に「爾の民人に告げ、爾の侯の度を慎しめ、以て意外に戒めよ」とある。これを謂うのである。
天子曰巡狩,諸侯曰述職。巡狩者,巡其所守也;述職者,述其所職也。春省耕,助不給也;秋省斂,助不足也。天子五年一巡狩,歲二月東巡狩,至於東嶽,柴而望祀山川,見諸侯,問百年者,命太師陳詩以觀民風,命市納賈以觀民之所好惡,志淫好僻者,命典禮,考時月定日,同律禮樂制度衣服正之。山川神只有不舉者為不敬,不敬者君黜以爵;宗廟有不順者為不孝,不孝者君削其地;有功澤於民者,然後加地。入其境,土地闢除,敬老尊賢,則有慶,益其地;入其境,土地荒穢,遺老失賢,掊克在位,則有讓,削其地。一不朝者黜其爵,再不朝者黜其地,三不朝者以六師移之。歲五月南巡狩,至於南嶽,如東巡狩之禮;歲八月西巡狩,至於西嶽,如南巡狩之禮;歲十一月北巡狩,至於北嶽,如西巡狩之禮。歸格於祖禰,用特。
天子を巡狩と曰い、諸侯を述職と曰う。巡狩は其の守る所を巡視するなり、述り、述職は其の職掌する所を陳述するなり。春は耕を省察し、給足らざるを助け、秋は斂を省察し、足らざるを助く。天子は五年一たび巡狩す。其の年の二月、東に巡狩し、東岳に至り、柴を焼きて山川に望祀し、諸侯を接見し、百年の老人を問い、太師を命じて詩を陳べて民風を観、市官を命じて物価を納めて民の好悪を観、心志淫にして邪僻を好むは、典礼を命じ、時月を考校し日子を定め、律・礼楽・制度・衣服を一にして正す。山川神祇に祭祀せざるは不敬なり、不敬の君は其の爵を貶す。宗廟に順わざるは不孝なり、不孝の君は其の地を削る。民に功あり恩沢有れば、然る後に土地を増す。其の境に入り、土地開闢整治し、老を敬い賢を尊べば、則ち慶賞有りて其の地を増す。其の境に入り、土地荒穢し、老人を遺棄し賢人を失い、聚斂の者位に在れば、則ち責譲有りて其の地を削る。一たび朝見せざれば其の爵を貶し、再び朝見せざれば其の地を貶し、三たび朝見せざれば六師を以て之を移易す。其の年の五月、南に巡狩し、南岳に至り、東巡狩の礼の如し。其の年の八月、西に巡狩し、西岳に至り、南巡狩の礼の如し。其の年の十一月、北に巡狩し、北岳に至り、西巡狩の礼の如し。帰りて祖禰に祭告し、特牲一つを用る。
春秋曰:“正月,公狩於郎。”傳曰:“春曰搜,夏曰苗,秋曰獮,冬曰狩。”苗者奈何?曰苗者毛也,取之不圍澤,不揜群,取禽不麛卵,不殺孕重者。春搜者不殺小麛及孕重者;冬狩皆取之,百姓皆出,不失其馳,不抵禽,不詭遇,逐不出防,此苗獮搜狩之義也。故苗獮搜狩之禮,簡其戎事也;故苗者毛取之,搜者搜索之,狩者守留之。夏不田,何也?曰,天地陰陽盛長之時,猛獸不攫,鷙鳥不搏,蝮蠆不螫,鳥獸蟲蛇且知應天,而況人乎哉?是以古者必有豢牢。其謂之畋何?聖人舉事必返本,五穀者,以奉宗廟,養萬民也,去禽獸害稼穡者,故以田言之,聖人作名號而事義可知也。
《春秋》に曰く、「正月、公は郎に狩す。」伝記に曰く、「春を蒐と曰い、夏を苗と曰い、秋を獮と曰い、冬を狩と曰う。」苗とは何如。曰く、苗は毛色を選取するなり。取るとき沢を囲わず、群を掩襲せず、禽を取りて幼獣と卵を取らず、懐妊任重を殺さず。春蒐は小麛と懐妊任重を殺さず。冬狩は皆取り、百姓皆出で、馳駆の法度を失わず、禽を迎面して当たらず、詭計を用いて迎射せず、追逐は堤防を出でず、是れ苗・獮・蒐・狩の義なり。ゆえに苗獮蒐狩の礼は、戎事を簡省するなり。ゆえに苗は毛色を選取して取る、蒐は搜索、狩は守留なり。夏は田猟せず、何ぞ。曰く、天地陰陽盛長の時、猛獣は攫取せず、鷙鳥は搏撃せず、蝮蠆は螫せず。鳥獣虫蛇すら尚天に応ずるを知る、況んや人をや。ゆえに古には必ず豢養の牢あり。何ぞ畋と曰うや。聖人は事を辦ずるに必ず本に返る、五穀は以て宗廟を奉養し万民を養育するなり、庄稼を傷害する禽獣を除去す、ゆえに田を以て曰う、聖人は名号を制作して事の義知るべし。
天子諸侯無事則歲三田,一為幹豆,二為賓客,三為充君之庖。無事而不田,曰不敬,田不以禮,曰暴天物。天子不合圍,諸侯不揜群;天子殺則下大緌,諸侯殺則下小緌,大夫殺則止佐轝,佐轝止則百姓畋獵。獺祭魚,然後漁人入澤梁;鳩化為鴈,然後設罻羅;草木零落,然後入山林。昆蟲不蟄不以火田,不麛不卵,不殀夭,不覆巢;此皆聖人在上,君子在位,能者在職,大德之發者也。是故皋陶為大理乎,民各服得其實;伯夷主禮,上下皆讓;倕為工師,百工緻功;益主虞,山澤闢成;棄主稷,百穀時茂;契主司徒,百姓親和;龍主賓客,遠人至。十二牧行,而九州莫敢僻違;禹陂九澤,通九道,定九州,各以其職來貢,不失厥宜,方五十里至於荒服,南撫交趾、大發,西析支渠、搜氐羌,北至山戎、肅慎,東至長夷、島夷,四海之內皆戴帝舜之功。於是禹乃興九韶之樂,致異物,鳳凰來翔,天下明德也。
天子諸侯は事なければ一歳三たび田猟す。一は乾して豆実と為し、二は賓客と為し、三は君の庖を充実すと為す。事なくして田猟せざるを不敬と曰い、田猟して礼を用いざるを暴殄天物と曰う。天子は合囲せず、諸侯は群を掩襲せず。天子殺ば則ち大綏を下ろし、諸侯殺ば則ち小綏を下ろし、大夫殺ば則ち佐車を止め、佐車止まれば百姓は猟す。獺は魚を祭りて後、漁人は沢梁に入る。鳩は雁に化して後、罻羅を設く。草木零落して後、山林に入る。昆虫蟄伏せざれば火田を用いず、幼獣を取らず卵を取らず、幼小を夭折せず、鳥巣を傾覆せず。此らは皆聖人上に在り君子位に在り能者職に在りて、大徳の発する所なり。ゆえに皋陶は大理と為りて民各々信服して実情を得、伯夷は礼を主りて上下皆謙譲し、倕は工師と為りて百工効を致し、益は虞を主りて山沢開闢成就し、棄は稷を主りて百谷時に茂り、契は司徒を主りて百姓親和し、龍は賓客を主りて遠人来たる。十二牧巡行して九州敢えて偏僻違逆するなし。禹は九沢を堤し九道を通じ九州を安んじ、各々職事に按じて進貢し、宜しきを失わず。方五十里より荒服に至るまで、南は交趾・大発を安撫し、西は析支・渠搜・氐羌に至り、北は山戎・粛慎に至り、東は長夷・島夷に至り、四海之内は皆帝舜の功を擁戴す。ここにおいて禹は九韶の楽を興し、異物を招致し、鳳凰来たりて飛翔し、天下は明徳を顕す。
射者必心平體正,持弓矢審固,然後射者能以中。詩云:“大侯既抗,弓矢斯張;射夫既同,獻爾發功。”此之謂也。弧之為言豫也,豫者豫吾意也。故古者兒生三日,桑弧蓬矢六射天地四方,天地四方者,男子之所有事也,必有意其所有事,然後敢食谷,故曰:“不素飧兮。”此之謂也。
射る者は必ず心平かに体正しく、弓矢を執りて審固なりて後、射る者乃ち中る。《詩経》に「大侯すでに挙がり、弓矢ここに張れり。射夫すでに会同し、爾が発するの功を献ぜよ」とある。これを謂うのである。弧は豫を謂う、豫は予め我らが心意なり。ゆえに古は子生れて三日、桑弧蓬矢を以て天地四方に各々射る。天地四方は男子の所有事なり、必ず先ず所有事に意ありて後、敢えて穀を食す。ゆえに曰う、「白食せざるかな。」これを謂うのである。
生而相與交通,故曰留賓。自天子至士,各有次,贈死不及柩屍,吊生不及悲哀,非禮也。故古者吉行五十里,奔喪百里,贈賵及事之謂時;時,禮之大者也。春秋曰:“天王使宰咺來歸惠公、仲子之賵。”賵者何?喪事有賵者,蓋以乘馬束帛輿馬曰賵,貨財曰賻,水被曰襚,口實曰唅,玩好曰贈。知生者賻賵,知死者贈襚;贈襚所以送死也,賻賵所以佐生也。輿馬、束帛、貨財、衣被、玩好,其數奈何?曰,天子乘馬六匹,諸侯四匹,大夫三匹,元士二匹,下士一匹;天子束帛五匹、玄三纁二,各五十尺,諸侯玄三纁二,各三十尺,大夫玄一纁二,各三十尺,元士玄一纁一,各二丈,下士彩縵各一匹,庶人布帛各一匹;天子之賵,乘馬六匹乘車,諸侯四匹乘輿,大夫曰參輿,元士下士不用輿;天子文繡衣各一襲到地,諸侯覆跗,大夫到踝,士到髀;天子唅實以珠,諸侯以玉,大夫以璣,士以貝,庶人以谷實。位尊德厚及親者賻賵唅襚厚,貧富亦有差;二三四五之數,取之天地而制奇偶,度人情而出節文,謂之有因,禮之大宗也。
生きて相互に往来交通す、ゆえに留賓と曰う。天子より士に至るまで各々等次あり。死人を贈るは柩尸に及ばず、生きたるを弔うは悲哀に及ばざるは、礼にあらず。ゆえに古は吉事は五十里を行き、奔喪は一百里を行き、贈賵は事に及ぶを時と曰う。時は礼の中の大なり。《春秋》に曰く、「天王は宰咺を使い恵公・仲子の賵を帰せしむ。」賵とは何か。喪事に賵有るは、ほぼ乗馬束帛を用る。車馬を賵と曰い、貨財を賻と曰い、衣被を襚と曰い、口に含ましむるを唅と曰い、玩好を贈と曰う。生きたるを知るは賻賵を送り、死したるを知るは贈襚を送る。贈襚は以て死を送るなり、賻賵は以て生を佐助するなり。車馬・束帛・貨財・衣被・玩好、其の数は何如。曰く、天子は乗馬六匹、諸侯は四匹、大夫は三匹、元士は二匹、下士は一匹。天子は束帛五匹、玄三𫄸二、各五十尺、諸侯は玄三𫄸二、各三十尺、大夫は玄一𫄸二、各三十尺、元士は玄一𫄸一、各二丈、下士は彩縵各一匹、庶人は布帛各一匹。天子の賵は乗馬六匹乗車、諸侯は四匹乗輿、大夫は参輿と曰い、元士下士は輿を用いず。天子は文繍衣各一套地に至り、諸侯は足背に蓋う、大夫は脚踝に至り、士は大腿に至る。天子の唅は珠を以て充実し、諸侯は玉を用い、大夫は璣を用い、士は貝を用い、庶人は穀実を用る。位尊く徳厚く及び親しきは、賻賵唅襚厚く、貧富も亦差別あり。二三四五の数は、天地に取りて奇偶を制し、人情を度量して節文を出す、これを有因と謂い、礼の大宗なり。
