Libo

说苑 · 第5巻

西汉 · 刘向 · 第5巻 / 12

魯哀公問於孔子曰:“當今之時,君子誰賢?”對曰:“衛靈公。”公曰:“吾聞之,其閨門之內,姑姐妹無別。”對曰:“臣觀於朝廷,未觀於堂陛之間也。靈公之弟曰公子渠牟,其知足以治千乘之國,其信足以守之,而靈公愛之。又有士曰王材,國有賢人,必進而任之,無不達也;不能達,退而與分其祿,而靈公尊之。又有士曰慶足,國有大事,則進而治之,無不濟也,而靈公說之。史■去衛,靈公邸舍三月,琴瑟不御,待史■之入也而後入,臣是以知其賢也。”

魯哀公が孔子に問うた。「当今の時、君子は誰が賢か。」答えた。「衛靈公。」公は言った。「我が聞くに、彼の閨門の内は、姑姉妹に分別がない。」答えた。「臣は朝廷を看る。まだ堂陛の間を看ず。靈公の弟は公子渠牟といい、彼の智は千乗の国を治むるに足り、彼の信はそれを守るに足り、しかして靈公は彼を愛す。また士に王材あり。国に賢人あれば、必ず進用して任用し、顕達せざるなし。顕達せざれば、退きて彼と俸禄を分かち、しかして靈公は彼を尊ぶ。また士に慶足あり。国に大事あれば、即ち進用して治め、成らざるなし。しかして靈公は彼を喜悦す。史(底本この字欠)が衛を離れた時、靈公は邸舍に三月、琴瑟を弾かず、史(底本この字欠)が進るを待ちて後に入る。臣はこれによって彼の賢を知る。」

介子推行年十五而相荊,仲尼聞之,使人往視,還曰:“廊下有二十五俊士,堂上有二十五老人。”仲尼曰:“合二十五人之智,智於湯武;幷二十五人之力,力於彭祖。以治天下,其固免矣乎!”

介子推が行年十五にして荊相を為した。仲尼はこれを聞き、人を遣わして往きて見させた。帰りて報告して曰く「廊下に俊士二十五位あり、堂上に老人二十五位あり。」仲尼は言った。「二十五人の智を合併すれば、智は湯・武を超え、二十五人の力を合併すれば、力は彭祖を超える。以て天下を治むれば、ほぼ危きを免れ得ただろう!」

孔子閒居,喟然而嘆曰:“銅鞮伯華而無死,天下其有定矣。”子路曰:“願聞其為人也何若。”孔子曰:“其幼也敏而好學,其壯也有勇而不屈,其老也有道而能以下人。”子路曰:“其幼也敏而好學則可,其壯也有勇而不屈則可;夫有道又誰下哉?”孔子曰:“由不知也。吾聞之,以眾攻寡而無不消也;以貴下賤,無不得也。昔在周公旦制天下之政而下士七十人,豈無道哉?欲得士之故也,夫有道而能下於天下之士,君子乎哉!”

孔子が閑居し、喟然として嘆息して言った。「銅鞮伯華がもし死せざれば、天下はほぼ安定せなん。」子路は言った。「彼の人となり如何を聞かんことを願う。」孔子は言った。「彼は幼年にして敏にして学を好み、壮年にして勇ありて屈せず、老年にして道ありて人に下る能し。」子路は言った。「幼年にして敏にして学を好むは可なり、壮年にして勇ありて屈せざるも可なり。道ありてまた誰に下るか。」孔子は言った。「由は知らず。我が聞くに、衆を以て寡を攻むれば消せざるなし、貴を以て賤に下れば得ざるなし。昔、周公旦は天下の政を制定して士七十人に下りたり。道なきにあらずや。士を得んと思う故なり。道ありて天下の士に下る能くするは、君子かな!」

魏文侯從中山奔命安邑,田子方從,夫子擊過之,下車而趨,子方坐乘如故,告太子曰:“為我請君,待我朝歌。”太子不說,因為子方曰:“不識貧窮者驕人,富貴者驕人乎?”子方曰:“貧窮者驕人,富貴者安敢驕人,人主驕人而亡其國,吾未見以國待亡者也;大夫驕人而亡其家,吾未見以家待亡者也。貧窮者若不得意,納履而去,安往不得貧窮乎?貧窮者驕人,富貴者安敢驕人。”太子及文侯道田子方之語,文侯嘆曰:“微吾子之故,吾安得聞賢人之言,吾下子方以行,得而友之。自吾友子方也,君臣益親,百姓益附,吾是以得友士之功;我欲伐中山,吾以武下樂羊,三年而中山為獻於我,我是以得有武之功。吾所以不少進於此者,吾未見以智驕我者也;若得以智驕我者,豈不及古之人乎?”

魏文侯が中山より奔命して安邑に至り、田子方が従った。太子撃が過ぎ、車を下りて小走りにしたが、子方は車上に坐して前の如くだった。太子に告げて言った。「私のために君に請うて、朝歌で我を待てと。」太子は喜悦せず、そこで子方に言った。「貧窮の人が人に驕るのか、富貴の人が人に驕るのか、知らない。」子方は言った。「貧窮の人が人に驕るなり。富貴の人はどうして人に驕るを敢えてせん。人主が人に驕ればその国を亡ぼす。国を持ちて亡びを待つを見ず。大夫が人に驕ればその家を亡ぼす。家を持ちて亡びを待つを見ず。貧窮の人はもし意を得ざれば、履を穿いて離れ去れば、どこに行きても貧窮を得せざらんや。貧窮の人は人に驕る。富貴の人はどうして人に驕るを敢えてせん。」太子は田子方の言を文侯に告げた。文侯は嘆息して言った。「吾子の故なくんば、我はどうして賢人の言を聞かん。我は降下して子方に行を以て対し、彼と交友することを得たり。我が子方と交友してより、君臣はいよいよ親しく、百姓はいよいよ親附す。我はこれによって友士の功を得たり。我は中山を伐たんと欲し、武を以て楽羊に下り、三年にして中山は我に献ず。我はこれによって武の功あり。我の稍微ここに進まざる所以は、智を以て我に驕る人を見ざるなり。もし智を以て我に驕る者を得ば、古人に及ばざらんや。」

晉文侯行地登隧,大夫皆扶之,隨會不扶,文侯曰:“會!夫為人臣而忍其君者,其罪奚如?”對曰:“其罪重死。”文侯曰:“何謂重死?”對曰:“身死,妻子為戮焉。”隨會曰:“君奚獨問為人臣忍其君者,而不問為人君而忍其臣者耶?”文侯曰:“為人君而忍其臣者,其罪何如?”隨會對曰:“為人君而忍其臣者,智士不為謀,辨士不為言,仁士不為行,勇士不為死。”文侯援綏下車,辭大夫曰:“寡人有腰髀之病,願諸大夫勿罪也。”

晋文侯が隧道に登りて行く。大夫は皆彼を扶けたが、随会は扶けなかった。文侯は言った。「会!人臣たるにその君に狠心に対する者は、罪は如何。」答えた。「罪は死を加重す。」文侯は言った。「何を死を加重すというか。」答えた。「自身は死し、妻子児女は殺さる。」随会は言った。「君はどうして人臣の君に狠心に対するを独り問いて、人君の臣に狠心に対するを問わざるか。」文侯は言った。「人君たるに臣に狠心に対する者は、罪如何。」随会は答えた。「人君たるに臣に狠心に対するは、智士は彼のために謀らず、辯士は彼のために説かず、仁士は彼のために行事せず、勇士は彼のために死せず。」文侯は綏帯を挽きて車を下り、大夫に告辞して言った。「寡人は腰髀の病あり。諸大夫は怪罪せざれ。」

齊將軍田瞶出將,張生郊送曰:“昔者堯讓許由以天下,洗耳而不受,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“伯夷叔齊辭諸侯之位而不為,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“於陵仲子辭三公之位而傭為人灌園,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“智過去君第,變姓名,免為庶人,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“孫叔敖三去相而不悔,將軍知之乎?”曰:“唯然,知之。”“此五大夫者,名辭之而實羞之。今將軍方吞一國之權,提鼓擁旗,被堅執銳,旋迴十萬之師,擅斧鉞之誅,慎毋以士之所羞者驕士。”田瞶曰:“今日諸君皆為瞶祖道具酒脯,而先生獨教之以聖人之大道,謹聞命矣。”

斉将軍田矚が出でて将を為す。張生は郊外に至りて送りて言った。「昔、堯は天下を許由に譲ったが、許由は耳を洗い受けざりき。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「伯夷・叔斉は諸侯の位を推辞して為さざりき。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「于陵仲子は三公の位を推辞して人に灌園を雇われたり。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「智過は君の府第を離れ、姓名を改換し、庶人に免れたり。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「孫叔敖は三たび相位を離れて悔いざりき。将軍は知るか。」曰く「是、知る。」「この五大夫は、名に於て推辞するも実に於てこれを羞とす。いま将軍は一国の権を吞み、鼓を提げ旗を擁し、堅を披き鋭を執り、十万の軍隊を旋回し、斧鉞の誅殺を專擅す。慎みて士の羞とする所を以て士に驕るなかれ。」田矚は言った。「今日、諸君は皆瞆のために酒脯を具えたり。しかるに先生は独り聖人の道を以て教導す。謹んで命を聞きたり。」

魏文侯見段幹木,立倦而不敢息;及見翟璜,踞堂而與之言,翟璜不說。文侯曰:“段幹木,官之則不肯,祿之則不受;今汝欲官則相至,欲祿則上卿;既受吾賞,又責吾禮,毋乃難乎?”

魏文侯が段干木に見え、立ちて倦みても敢えて休まず。翟璜に見るに及び、堂上に蹲りて彼と話した。翟璜は喜悦せず。文侯は言った。「段干木は、官を与えれば肯んじず、禄を与えれば受けず。いまあなたは官を欲すれば相位に至り、禄を欲すれば上卿なり。すでに我が賞を受けて、また我が礼を責求す。おそらく難しからん?」

孔子之郯,遭程子於塗,傾蓋而語終日。有間,顧子路曰:“取束帛一以贈先生。”子路不對。有間,又顧曰:“取束帛一以贈先生。”子路屑然對曰:“由聞之,士不中而見,女無媒而嫁,君子不行也。”孔子曰:“由,詩不云乎:‘野有蔓草,零露溥兮,有美一人,清揚婉兮,邂逅相遇,適我願兮。’今程子天下之賢士也,於是不贈,終身不見。大德毋踰閒,小德出入可也。”

孔子が郯に至り、路上で程子に遇い、車蓋を傾けて談話すること終日。暫くして、子路を回顧して言った。「帛一束を取りて先生に贈れ。」子路は答えず。暫くして、また回顧して言った。「帛一束を取りて先生に贈れ。」子路は急促に答えて言った。「由が聞くに、士は紹介なくして相見ず、女子は媒人なくして嫁がず。君子は為さず。」孔子は言った。「由よ、『詩経』に言わずや。「野に蔓延の草あり、落つる露は濃やかなり。一人の美人あり、眉目は清揚婉なり。邂逅相遇せば、まさに我が願いに合ふ。」いま程子は天下の賢士なり。この時に贈らざれば、終身再び見えず。大徳は閑防を越ゆるなかれ、小徳は出入すべし。」

齊桓公使管仲治國,管仲對曰:“賤不能臨貴。”桓公以為上卿而國不治,桓公曰何故?管仲對曰:“貧不能使富。”桓公賜之齊國市租一年而國不治,桓公曰何故?對曰:“疏不能制親。”桓公立以為仲父。齊國大安,而遂霸天下。孔子曰:“管仲之賢,不得此三權者,亦不能使其君南面而霸矣。”

斉桓公が管仲に国を治めさせた。管仲は答えた。「賤は以て貴に臨駕する能わず。」桓公は彼を以て上卿としたが国は治まらず。桓公は何故と問うた。管仲は答えた。「貧は以て富を役使する能わず。」桓公は斉国一年の市租を彼に賜ったが国は治まらず。桓公は何故と問うた。答えた。「疏は以て親を制御する能わず。」桓公は彼を仲父に立てた。斉国は大いに安んじ、そこで天下に覇を称した。孔子は言った。「管仲の賢は、この三つの権を得ざれば、またその君をして南面して覇を称せしむる能わざりき。」

桓公問於管仲曰:“吾欲使爵腐於酒,肉腐於俎,得無害於霸乎?”管仲對曰:“此極非其貴者耳;然亦無害於霸也。”桓公曰:“何如而害霸?”管仲對曰:“不知賢,害霸;知而不用,害霸;用而不任,害霸;任而不信,害霸;信而復使小人參之,害霸。”桓公:“善。”

桓公が管仲に問うた。「我は爵を酒の中に腐らせ、肉を砧板の上に腐らせたい。覇を妨げることはないだろう。」管仲は答えた。「これは極めてあの貴ぶべきにあらざるのみ。しかしまた覇に妨げなし。」桓公は言った。「どうすれば覇を妨げるか。」管仲は答えた。「賢を知らざれば覇を妨げ、知りて用いざれば覇を妨げ、用いて委任せざれば覇を妨げ、委任して信任せざれば覇を妨げ、信任して小人を參与せしめば覇を妨げる。」桓公は言った。「よし。」

魯人攻鄪,曾子辭於鄪君曰:“請出,寇罷而後復來,請姑毋使狗豕入吾舍。”鄪君曰:“寡人之於先生也,人無不聞;今魯人攻我而先生去我,我胡守先生之舍?”魯人果攻鄪而數之罪十,而曾子之所爭者九。魯師罷,鄪君復修曾子舍而後迎之。

魯人が鄪を攻めた。曾子は鄪君に告辞して言った。「出でんことを請う。寇が止まば然る後に来たらん。しばらく狗猪を我が館舎に入れしめざらんことを。」鄪君は言った。「寡人の先生に対するは、人の聞かざるなし。いま魯人が我を攻めて先生が我を離れん。我はどうして先生の館舎を守らん。」魯人は果たして鄪を攻めてその罪十条を数えたが、曾子の争う所は九条あり。魯師が止まると、鄪君は再び曾子の館舎を修治し、然る後に彼を迎えた。

宋司城子罕之貴子韋也,入與共食,出與同衣;司城子罕亡,子韋不從,子罕來,復召子韋而貴之。左右曰:“君之善子韋也,君亡不從,來又復貴之,君獨不愧於君之忠臣乎?”子罕曰:“吾唯不能用子韋,故至於亡;今吾之得復也,尚是子韋之遺德餘教也,吾故貴之。且我之亡也,吾臣之削跡拔樹以從我者,奚益於吾亡哉?”

宋司城子罕は子韋を重んじ、入れば飯を同じくし、出れば衣を同じくした。司城子罕が逃亡せば、子韋は従わず。子罕が帰れば、再び子韋を召して彼を重んじた。左右は言った。「君は子韋に好い。君が逃亡せば従わず、帰ればまた彼を重んず。君は独り君の忠臣に愧じざるか。」子罕は言った。「私はただ子韋を用いる能わざりしが故に、逃亡に至った。いま私が回復するを得たは、なおこの子韋の遺留せし徳と教導なり。我が彼を重んずる所以なり。さらに我が逃亡せし時、我が臣は蹤跡を削滅し樹を拔きて我に従いたり。我が逃亡に何の益かあらん。」

楊因見趙簡主曰:“臣居鄉三逐,事君五去,聞君好士,故走來見。”簡主聞之,絕食而嘆,跽而行,左右進諫曰:“居鄉三逐,是不容眾也;事君五去,是不忠上也。今君有士見過人矣。”簡主曰:“子不知也。夫美女者,醜婦之仇也;盛德之士,亂世所疏也;正直之行,邪枉所憎也。”遂出見之,因授以為相,而國大治。由是觀之,遠近之人,不可以不察也。

楊因が趙簡主に見えて言った。「臣は郷里に居りて三たび逐われ、君に仕えて五たび離れました。君が士を愛好すると聞き、ゆえに走りて見えに来ました。」簡主はこれを聞き、食を止めて嘆息し、跪きて走った。左右は進諫して言った。「郷里に居りて三たび逐わるは、衆人に容れられざるなり。君に仕えて五たび離るるは、上に忠ならざるなり。いま君は士を持ち、見識は人を超えたり。」簡主は言った。「お前たちは知らず。美女は醜婦の仇敵なり。盛徳の士は乱世に疏遠せらるなり。正直の行は邪枉の憎悪する所なり。」そこで出でて彼に見え、そこで彼に相位を授け、国は大いに治まった。これを見れば、遠近の人は審察せざるべからず。

應侯與賈午子坐,聞其鼓琴之聲,應侯曰:“今日之琴,一何悲也?”賈午子曰:“夫急張調下,故使人悲耳。急張者,良材也;調下者,官卑也。取夫良材而卑官之,安能無悲乎!”應侯曰:“善哉!”

應侯と賈午子とが坐し、彼の琴の声を聞いた。應侯は言った。「今日の琴は、どうしてこのように悲しいか。」賈午子は言った。「弦が急にして調が低下なれば、ゆえに人を悲しませるのみ。弦の急なるは良材なり。調の低下なるは官卑なり。あの良材を取りて彼に卑官を与えれば、どうして悲しからざらん!」應侯は言った。「善いな!」

十三年,諸侯舉兵以伐齊,齊王聞之,惕然而恐,召其群臣大夫告曰:“有智為寡人用之。”於是博士淳于髡仰天大笑而不應,王復問之,又大笑不應,三笑不應,王艴然作色不悅曰:“先生以寡人語為戲乎?”對曰:“臣非敢以大王語為戲也,臣笑臣鄰之祠田也,以一奩飯,一壺酒,三鮒魚,祝曰:‘蟹堁者宜禾,洿邪者百車,傳之後世,洋洋有餘。’臣笑其賜鬼薄而請之厚也。”於是王乃立淳于髡為上卿,賜之千金,革車百乘,與平諸侯之事;諸侯聞之,立罷其兵,休其士卒,遂不敢攻齊,此非淳于髡之力乎?

十三年、諸侯は兵を起して斉を伐ちに来た。斉王はこれを聞き、驚懼して怕れ、群臣大夫を召して告げて言った。「智ある者は寡人に用いられよ。」そこに博士淳于髠は天を仰ぎ大いに笑い応えず。王は再び彼に問い、また大いに笑い応えず、三たび笑い応えず。王は勃然として色を変え喜悦せず言った。「先生は寡人の言を戯弄とするか。」答えた。「臣は敢えて大王の言を戯弄としません。臣は臣の隣人が田を祭るを笑います。一奩の飯・一壺の酒・三條の鮒魚を以てし、祝禱して曰く『蟹穴の土は禾に宜しく、水の積る邪地は百車を得、後世に伝えて洋洋として余りあれ』と。臣は彼の鬼に賜う薄くして請求する厚きを笑うのです。」そこで王は即ち淳于髠を上卿に立て、彼に千金・革車百乗を賜い、彼と諸侯の事を平定せしめた。諸侯はこれを聞き、即座にその兵を止め、士卒を休息させ、そこで斉を攻むる敢えず。これは淳于髠の力ならずや!

田忌去齊奔楚,楚王郊迎至舍,問曰:“楚,萬乘之國也,齊亦萬乘之國也,常欲相幷,為之奈何?”對曰:“易知耳,齊使申孺將,則楚發五萬人,使上將軍將之,至禽將軍首而反耳。齊使田居將,則楚發二十萬人,使上將軍將之,分別而相去也。齊使眄子將,楚發四封之內,王自出將而忌從,相國上將軍為左右司馬,如是則王僅得存耳。”於是齊使申孺將,楚發五萬人,使上將軍至,擒將軍首反,於是齊王忿然,乃更使眄子將,楚悉發四封之內,王自出將,田忌從,相國上將軍為左右司馬,益王車屬九乘,僅得免耳。至舍,王北面正領齊袪,問曰:“先生何知之早也?”田忌曰:“申孺為人,侮賢者而輕不肖者,賢不肖者俱不為用,是以亡也;田居為人,尊賢者而賤不肖者,賢者負任,不肖者退,是以分別而相去也;眄子之為人也,尊賢者而愛不肖者,賢不肖俱負任,是以王僅得存耳。”

田忌は斉を離れ楚に奔った。楚王は郊外に至りて迎え館舎に送り、問うて言った。「楚は万乗の国、斉も万乗の国、常に互相兼倂せんと欲す。どうすべきか。」答えた。「知ること易きのみ。斉が申孺を派して将とせば、楚は五万人を発し、上将軍を派して率いらしめよ。至れば将軍の首級を擒して返るの���。斉が田居を派して将とせば、楚は二十万人を発し、上将軍を派して率いらしめよ。分かれて互相離れるのみ。斉が眄子を派して将とせば、楚は四封の内を発動し、王自ら出でて将を為し而忌が従い、相国・上将軍を左右司馬とせよ。これの如くならば王は僅かに存を得るのみ。」そこで斉は申孺を派して将とした。楚は五万人を発し、上将軍を派して至らしめ、将軍の首級を擒して返った。そこで斉王は忿然として、即ち改めて眄子を派して将とした。楚は四封の内を尽数発動し、王自ら出でて将を為し、田忌が従い、相国・上将軍を左右司馬とし、王の車属九乗を増し、僅かに免を得たり。館舎に至り、王は北に向かい衣領を整理し衣袖を提げて問うた。「先生は何故このように早く知ったのか。」田忌は言った。「申孺の人となりは、賢者を侮辱し不肖を看軽す。賢も不肖も用いられず。これにより亡ぶ。田居の人となりは、賢者を尊び不肖を看賤す。賢者は責任を負い、不肖は退去す。これにより分かれて互相離る。眄子の人となりは、賢者を尊び不肖を愛す。賢も不肖も責任を負う。これにより王は僅かに存を得るのみ。」

魏文侯觴大夫於曲陽,飲酣,文侯喟然嘆曰:“吾獨無豫讓以為臣。”蹇重舉酒進曰:“臣請浮君。”文侯曰“何以?”對曰:“臣聞之,有命之父母,不知孝子;有道之君,不知忠臣。夫豫讓之君,亦何如哉?”文侯曰:“善!”受浮而飲之,嚼而不讓。曰:“無管仲鮑叔以為臣,故有豫讓之功也。”趙簡子曰:“吾欲得範中行氏良臣。”史黶曰:“安用之?”簡子曰:“良臣,人所願也,又何問焉?”曰:“君以無為良臣故也。夫事君者,諫過而薦可,章善而替否,獻能而進賢;朝夕誦善,敗而納之,聽則進,否則退。今範中行氏之良臣也,不能匡相其君,使至於難;出在於外,又不能入。亡而棄之,何良之為;若不棄,君安得之。夫良將營其君,使復其位,死而後止,何曰以來,若未能,乃非良也。”簡子曰:“善。”

魏文侯が曲陽で大夫に酒を斟い、暢快に飲んだ。文侯は喟然として嘆息して言った。「我独り豫譲を臣とせず。」蹇重は酒を挙げて進前して言った。「臣は君に酒を罰せんことを請う。」文侯は言った。「何故か。」答えた。「臣が聞くに、天命の父母は孝子を知らず、有道の君は忠臣を知らず。豫譲の君は、また如何。」文侯は言った。「よし!」罰酒を受けて飲み、尽くして推譲せず。言った。「管仲・鮑叔を臣とせざるなり。ゆえに豫譲の功あり。」趙簡子は言った。「私は范・中行氏の良臣を得たい。」史黶は言った。「何を以て用いん。」簡子は言った。「良臣は人の願う所なり。また何を問わん。」言った。「君は以て良臣の故ならざるなり。君に仕えるは、過失を進諫し可行を挙薦し、善を表彰し否を廢棄し、能を献上し賢を進用す。朝夕に善を誦読し、失敗すれば接納し、聴かば進み聴かざれば退く。いま范・中行氏の良臣は、彼らの君を匡正輔佐する能わず、難に至らしめたり。外に出でて、また入る能わず。逃亡して拋棄するは、どうして良と称せん。もし拋棄せざれば、君はどうして彼らを得ん。良は将にその君を経営して、彼を位に復せしめ、死して後に止む。どうして以来と言わん。もし能くせざれば、良にあらず。」簡子は言った。「よし。」

子路問於孔子曰:“治國何如?”孔子曰:“在於尊賢而賤不肖。”子路曰:“範中行氏尊賢而賤不肖,其亡何也?”曰:“範中行氏尊賢而不能用也,賤不肖而不能去也;賢者知其不己用而怨之,不肖者知其賤己而讎之。賢者怨之,不肖者讎之;怨讎並前,中行氏雖欲無亡,得乎?”

子路が孔子に問うた。「国を治むるは如何。」孔子は言った。「賢を尊び不肖を看賤するに在り。」子路は言った。「范・中行氏は賢を尊び不肖を看賤せり。彼らの滅亡は何故か。」言った。「范・中行氏は賢を尊ぶも用いる能わず、不肖を看賤するも除去する能わず。賢者は己の用いられざるを知りて怨み、不肖は己の看賤せらるを知りて仇視す。賢者は怨み、不肖は仇視す。怨と仇とは併せて前に在り。中行氏はたとえ滅亡せざらんと欲すとも、能くせんや。」

晉荊戰於邲,晉師敗績,荀林父將歸請死,昭公將許之,士貞伯曰:“不可,城濮之役,晉勝於荊,文公猶有憂色,曰子玉猶存,憂未歇也;困獸猶鬥,況國相乎?”及荊殺子玉,乃喜曰:“莫予毒也。今天或者大警晉也,林父之事君,進思盡忠,退思補過,社稷之衛也,今殺之,是重荊勝也。”昭公曰:“善!”乃使復將。

晋・荊が邲で交戦し、晋師は大敗した。荀林父は将に帰りて死を請わんとし、昭公は将に許さんとした。士貞伯は言った。「不可。城濮の役に、晋は荊に勝ちたるも、文公はなお憂色あり。子玉がまだ在ると言い、憂は未だ停歇せずと。困せる獣もなお闘う。いわんや国相をや!」荊が子玉を殺すに及び、乃ち喜悦して言った。「人の我を毒害するなし。いま天はあるいは大いに晋を警戒せんとす。林父は君に仕え、進めば忠を尽くし、退けば過を補う。これは社稷の扞衛なり。いま彼を殺すは、荊の勝を加重するなり。」昭公は言った。「よし!」そこで彼を再び将とした。

卷九正諫

巻九 正諫

易曰:“王臣蹇蹇,匪躬之故。”人臣之所以蹇蹇為難,而諫其君者非為身也,將欲以匡君之過,矯君之失也。君有過失者,危亡之萌也;見君之過失而不諫,是輕君之危亡也。夫輕君之危亡者,忠臣不忍為也。三諫而不用則去,不去則身亡;身亡者,仁人之所不為也。是故諫有五:一曰正諫,二曰降諫,三曰忠諫,四曰戇諫,五曰諷諫。孔子曰:“吾其從諷諫乎。”夫不諫則危君,固諫則危身;與其危君、寧危身;危身而終不用,則諫亦無功矣。智者度君權時,調其緩急而處其宜,上不敢危君,下不以危身,故在國而國不危,在身而身不殆;昔陳靈公不聽洩冶之諫而殺之,曹羈三諫曹君不聽而去,春秋序義雖俱賢而曹羈合禮。

『周易』に言う。「王の臣は蹇蹇として正直、自らの故のためならず。」人臣の蹇蹇として難を為してその君に進諫する所以は、自らのためならず。将に以て君の過失を匡正し、君の失誤を矯正せんとす。君に過失あるは危亡の萌芽なり。君の過失を見て進諫せざるは、君の危亡を看軽するなり。君の危亡を看軽するは、忠臣の忍びて為さざる所なり。三たび進諫して用いられざれば離去せよ。離去せざれば自身亡び、自身亡ぶは仁人の為さざる所なり。これにより諫に五種あり。一を正諫といい、二を降諫といい、三を忠諫といい、四を戆諫といい、五を諷諫という。孔子は言った。「我はほぼ諷諫に依るか。」進諫せざれば君に危く、固執して進諫すれば自身に危し。君に危きより、寧ろ自身に危き。自身に危うして終に用いられざれば、諫もまた功なし。智者は君を度量し時を権衡し、緩急を調和して適宜に処る。上は敢えて君に危うせず、下は以て自身に危うせず。ゆえに国に在りて国は危うからず、身に在りて身は殆うからず。昔、陳靈公は泄冶の諫を聴かずして彼を殺し、曹羈は三たび曹君に進諫して聴かれずして離去せり。『春秋』は義を排列して皆賢なれども曹羈は礼に合す。

齊景公遊於海上而樂之,六月不歸,令左右曰:“敢有先言歸者致死不赦。”顏斶趨進諫曰:“君樂治海上而六月不歸,彼儻有治國者,君且安得樂此海也!”景公援戟將斫之,顏斶趨進,撫衣待之曰:“君奚不斫也?昔者桀殺關龍逢,紂殺王子比干,君之賢非此二主也,臣之材,亦非此二子也,君奚不斫?以臣參此二人者,不亦可乎?”景公說,遂歸,中道聞國人謀不內矣。

斉景公が海上で遊びて楽しみ、六箇月帰らず。左右に命じて言った。「敢えて先ず帰ると言う者は死に処し赦さず。」顏斶が快步して進諫して言った。「君は海上を治めて楽しみて六箇月帰らず。あちらにもし国を治むる人あらば、君は将にどうしてこの海を楽しまん!」景公は戟を挙げて将に彼を砍らんとした。顏斶は快步して上前し、衣を撫して待ちて言った。「君は何故砍らざるか。昔、桀は關龍逢を殺し、紂は王子比干を殺せり。君の賢はこの二主にあらず、臣の材もこの二人にあらず。君は何故砍らざるか。臣を以てこの二人に參列せしめば、また可ならずや。」景公は喜悦し、そこで帰った。半路にして国人が納れざらんと謀るを聞いた。

楚莊王立為君,三年不聽朝,乃令於國曰:“寡人惡為人臣而遽諫其君者,今寡人有國家,立社稷,有諫則死無赦。”蘇從曰:“處君之高爵,食君之厚祿,愛其死而不諫其君,則非忠臣也。”乃入諫。莊王立鼓鍾之間,左伏楊姬,右擁越姬,左裯衽,右朝服,曰:“吾鼓鍾之不暇,何諫之聽!”蘇從曰:“臣聞之,好道者多資,好樂者多迷,好道者多糧,好樂者多亡;荊國亡無日矣,死臣敢以告王。”王曰善。左執蘇從手,右抽陰刃,刎鐘鼓之懸,明日授蘇從為相。

楚荘王が君と立ち、三年朝を聴かず。そこで国に令して言った。「寡人は人臣たるにその君に急切に進諫するを悪む。いま寡人は国家あり、社稷を立つ。進諫する者は死に処し赦さず。」蘇從は言った。「君の高爵に処り、君の厚禄を食み、自らの死を愛惜して君に進諫せざるは、忠臣にあらず。」そこで入りて進諫した。荘王は鼓鐘の間に立ち、左に楊姬を伏え、右に越姬を擁し、左は寝衣、右は朝服、言った。「我は鼓鐘も及ばず。何の諫を聴かん!」蘇從は言った。「臣が聞くに、道を愛好すれば資用多く、楽を愛好すれば迷惑多し。道を愛好すれば糧多く、楽を愛好すれば滅亡多し。荊国の滅亡は日を日ずあらず。死臣は敢えて王に告げんことを来たれり。」王は善しとした。左手は蘇從の手を握り、右手は暗藏の刃を抽出し、鐘鼓の懸を割断し、明日に蘇從を相に授けた。

晉平公好樂,多其賦斂,下治城郭,曰:“敢有諫者死。”國人憂之,有咎犯者,見門大夫曰:“臣聞主君好樂,故以樂見。”門大夫入言曰:“晉人咎犯也,欲以樂見。”平公曰:“內之。”止坐殿上,則出鐘磬竽瑟。坐有頃。平公曰:“客子為樂?”咎犯對曰:“臣不能為樂,臣善隱。”平公召隱士十二人。咎犯曰:“隱臣竊顧昧死御。”平公諾。咎犯申其左臂而詘五指,平公問於隱官曰:“占之為何?”隱官皆曰:“不知。”平公曰:“歸之。”咎犯則申其一指曰:“是一也,便遊赭盡而峻城闕。二也,柱梁衣繡,士民無褐。三也,侏儒有餘酒,而死士渴。四也,民有飢色,而馬有栗秩。五也,近臣不敢諫,遠臣不敢達。”平公曰善。乃屏鐘鼓,除竽瑟,遂與咎犯參治國。

晋平公は楽を愛好し、賦斂を加重し、下に城郭を修治せしめて言った。「敢えて進諫する者は死。」国人はこれを憂えた。咎犯という人あり、門大夫に見えて言った。「臣が聞くに、主君は楽を愛好す。ゆえに楽を以て進見せん。」門大夫は入りて言った。「晋人咎犯、楽を以て進見せんと欲す。」平公は言った。「彼を入れよ。」止まりて殿上に坐し、即ち鐘磬竽瑟を擺出した。暫く坐す。平公は言った。「客人は楽を為すか。」咎犯は答えた。「臣は楽を為す能わず。臣は隱語に善し。」平公は隱士十二人を召した。咎犯は言った。「隱臣は私に死を冒して侍仕せんことを願う。」平公は諾した。咎犯は左臂を伸出して五指を屈起した。平公は隱官に問うた。「これを占えは何か。」隱官は皆言った。「知らず。」平公は言った。「彼を帰れ。」咎犯は即ち一指を伸出して言った。「これは一、便に赭を游盡して城闕は高峻なり。二、柱梁は繍を着て士民は褐衣なし。三、侏儒は酒を余らし而して死士は口渴なり。四、民は飢色ありて馬は粟の俸秩あり。五、近臣は敢えて進諫せず、遠臣は敢えて通達せず。」平公は善しとした。そこで鐘鼓を撤去し、竽瑟を除去し、そこで咎犯と国を治むるに参与せしめた。

孟嘗君將西入秦,賓客諫之百通,則不聽也,曰:“以人事諫我,我盡知之;若以鬼道諫我,我則殺之。”謁者入曰:“有客以鬼道聞。”曰:“請客入。”客曰:“臣之來也,過於淄水上,見一土耦人,方與木梗人語,木梗謂土耦人曰:‘子先,土也,持子以為耦人,遇天大雨,水潦並至,子必沮壞。’應曰:‘我沮乃反吾真耳,今子,東園之桃也,刻子以為梗,遇天大雨,水潦並至,必浮子,泛泛乎不知所止。’今秦,四塞之國也,有虎狼之心,恐其有木梗之患。”於是孟嘗君逡巡而退,而無以應,卒不敢西向秦。

孟嘗君が将に西に入りて秦に至らんとした。賓客の進諫するは百次上るも聴かず、言った。「人事を以て我に進諫するは、我は皆知る。もし鬼道を以て我に進諫せば、我は彼を殺さん。」謁者は入りて言った。「客ありて鬼道を以て聞かんとす。」言った。「客人を入れよ。」客は言った。「臣の来たる時、淄水の上を経て、一土偶人ありて、正に木梗人と話せり。木梗は土偶人に言う『お前はもともと土、お前を取りて偶人を為したり。天下大雨に遇い、積水併せて至れば、お前は必ず潰壊せん』と。応答して曰く『我が潰壊すれば我が真に返るのみ。いまお前は東園の桃、お前を刻りて梗を為したり。天下大雨に遇い、積水併せて至れば、必ずお前を漂わせ、泛泛然としてどこに止まるかを知らず』と。いま秦は四塞の国、虎狼の心あり。木梗の患あるを怕る。」そこで孟嘗君は逡巡して後退し、応答する所以なく、終に敢えて西に秦に至らず。

吳王欲伐荊,告其左右曰:“敢有諫者,死!”舍人有少孺子者,欲諫不敢,則懷丸操彈,遊於後園,露沾其衣,如是者三旦,吳王曰:“子來何苦沾衣如此?”對曰:“園中有樹,其上有蟬,蟬高居悲鳴飲露,不知螳螂在其後也!螳螂委身曲附,欲取蟬而不顧知黃雀在其傍也!黃雀延頸欲啄螳螂而不知彈丸在其下也!此三者皆務欲得其前利而不顧其後之有患也。”吳王曰:“善哉!”乃罷其兵。

呉王が荊を伐たんと欲し、左右に告げて言った。「敢えて進諫する者は、死!」舎人に少孺子あり、進諫せんと欲するも敢えず。即ち丸を懐き弾弓を持ち、後園に游び、露は彼の衣を沾湿せり。これの如く三箇の朝なりき。呉王は言った。「お前が来たるは何故苦んで衣服このように湿れるか。」答えた。「園の中に樹あり、その上に蝉あり。蝉は高く居りて悲鳴し露を飲む。螳螂がその後ろにあるを知らず!螳螂は身を弯曲して貼附し、蝉を取らんと欲して顧みず。黄雀がその傍にあるを知らず!黄雀は頸を伸して螳螂を啄まんと欲して、弾丸がその下にあるを知らず!この三者は皆務めて前の利を得んと欲して、後ろに患あるを顧みず。」呉王は言った。「善いな!」そこでその兵を止めた。

楚莊王欲伐陽夏,師久而不罷,群臣欲諫而莫敢,莊王獵於雲夢,椒舉進諫曰:“王所以多得獸者,馬也;而王國亡,王之馬豈可得哉?”莊王曰:“善,不穀知詘強之可以長諸侯也,知得地之可以為富也;而忘吾民之不用也。”明日飲諸大夫酒,以椒舉為上客,罷陽夏之師。

楚荘王が陽夏を伐たんと欲し、軍は久しく止まず。群臣は進諫せんと欲するも敢えてする者なし。荘王は雲夢で獵した。椒擧は進諫して言った。「王の能く獣を多く得る所以は、馬なり。しかるに王の国が亡ぶるに、王の馬はどうして得られん。」荘王は言った。「よし。不穀は強者を屈服せしむるを知り、諸侯を為ること久しからんことを知り、地を得て以て富を致さんことを知りたり。しかるに吾民の用いられざるを忘れたり。」明日に諸大夫に酒を飲ませ、椒擧を以て上客と為し、陽夏を伐つの軍を停止せしめた。

秦始皇帝太后不謹,幸郎嫪●,封以為長信侯,為生兩子,●專國事,浸益驕奢,與侍中左右貴臣俱博飲,酒醉爭言而鬥,瞋目大叱曰:“吾乃皇帝之假父也,窶人子何敢乃與我亢!”所與鬥者走行白皇帝,皇帝大怒,●懼誅,因作亂,戰咸陽宮。●敗,始皇乃取●四肢車裂之,取其兩弟囊撲殺之,取皇太后遷之於萯陽宮,下令曰:“敢以太后事諫者,戮而殺之!”從蒺藜其脊肉,幹四肢而積之闕下,諫而死者二十七人矣。齊客茅焦乃往上謁曰:“齊客茅焦願上諫皇帝。”皇帝使使者出問客,得無以太后事諫也,茅焦曰然,使者還白曰:“果以太后事諫。”皇帝曰走往告之,若不見闕下積死人邪?使者問茅焦,茅焦曰:“臣聞之天有二十八宿,今死者已有二十七人矣,臣所以來者,欲滿其數耳,臣非畏死人也。”走入白之,茅焦邑子,同食者盡負其衣物行亡,使者入白之,皇帝大怒曰:“是子故來犯吾禁,趣炊鑊湯煮之,是安得積闕下乎!”趣召之入,皇帝按劍而坐,口正沫出,使者召之入,茅焦不肯疾行,足趣相過耳,使者趣之,茅焦曰:“臣至前則死矣,君獨不能忍吾須臾乎?”使者極哀之,茅焦至前再拜謁起,稱曰:“臣聞之,夫有生者不諱死,有國者不諱亡;諱死者不可以得生,諱亡者不可以得存。死生存亡,聖主所欲急聞也,不審陛下欲聞之不?”皇帝曰:“何謂也?”茅焦對曰:“陛下有狂悖之行,陛下不自知邪!”皇帝曰:“何等也?願聞之。”茅焦對曰:“陛下車裂假父,有嫉妒之心;囊撲兩弟,有不慈之名;遷母萯陽宮,有不孝之行;從蒺藜於諫士,有桀紂之治。今天下聞之,盡瓦解無向秦者,臣竊恐秦亡為陛下危之,所言已畢,乞行就質。”乃解衣伏質。皇帝下殿,左手接之,右手麾左右曰:“赦之,先生就衣,今願受事。”乃立焦為仲父,爵之上卿;

秦始皇帝太后は謹まず、郎嫪毐を寵幸し、彼を長信侯に封じ、彼のために二子を生めり。(底本この字欠)国事を專擅し、漸くいよいよ驕奢なり。侍中左右貴臣と共に賭博飲酒し、酒醉いて言を争い闘う。目を瞪らして大いに叱して言った。「我は皇帝の假父なり。窮人の子はどうして我と抗衡せん!」彼と闘う者は走りて皇帝に告げ、皇帝は大いに怒り、(底本この字欠)誅せらるるを怕れ、そこで乱を作し、咸陽宮で交戦せり。(底本この字欠)敗れ、始皇はそこで(底本この字欠)の四肢を取りて車裂し、彼の二弟を取りて袋に装い撲殺し、皇太后を取りて萯陽宮に遷せり。令して言った。「敢えて太后の事を以て進諫する者は、戮りて彼を殺せ!」蒺藜を脊肉に加え、四肢を枯槁せしめて闕下に堆積せしめり。進諫して死せる已に二十七人なり。斉客茅焦はそこで往きて上謁して言った。「斉客茅焦は皇帝に上諫せんことを願う。」皇帝は使者を遣わして出でて客に問わしめた。「太后の事を以て進諫せざらんや。」茅焦は是という。使者は帰りて報告して曰く「果たして太后の事を以て進諫す。」皇帝は言った。走りて彼に告げよ、お前は闕下に堆積する死人を見ざるかと。使者は茅焦に問う。茅焦は言った。「臣が聞くに、天に二十八宿あり。いま死せる已に二十七人なり。臣の来たる所以は、あの数を凑満せんと欲するのみ。臣は死を怕れる人にあらず。」走りて入りて報告す。茅焦と同邑の人・ともに飯を食う者は皆衣物を負いて逃走せり。使者は入りて報告す。皇帝は大いに怒りて言った。「この人は故意に来たりて我が禁を犯す。速やかに鑊湯を焼きて彼を煮れ。これはどうして闕下に堆積すべからざらん!」速やかに彼を召して入れしむ。皇帝は剣を按して坐し、口は正に沫を吐く。使者は彼を召して入れしむ。茅焦は肯んじて快走せず、脚步はただ稍微過ぐるのみ。使者は彼を催す。茅焦は言った。「臣は面前に至れば死す。君は独り我を片刻容れる能わざるか。」使者は極めて彼を哀憐せり。茅焦は面前に至り、再拝謁見して起ち、称して言った。「臣が聞くに、生ある者は死を諱まず、国ある者は亡を諱まず。死を諱むは生を得るべからず、亡を諱むは存を得るべからず。死生存亡は、聖主の急きて聞かんと欲する所なり。陛下は聞かんと欲するかを知らず。」皇帝は言った。「何の謂いか。」茅焦は答えた。「陛下に狂悖の行あり。陛下は自ら知らざるか!」皇帝は言った。「何の如きか。聞かんことを願う。」茅焦は答えた。「陛下は假父を車裂し、嫉妒の心あり。袋に装みて二弟を撲殺し、不慈の名あり。母を萯陽宮に遷し、不孝の行あり。蒺藜を進諫の士の身に加え、桀紂の治あり。いま天下はこれを聞き、皆瓦解して秦に向かうなし。臣は私に秦の亡を怕れ、陛下のために危懼せり。言う所已に畢んぬ。前に至りて質に就くを請う。」そこで衣を解きて質上に伏せり。皇帝は殿を下り、左手は彼を接し、右手は左右に指揮して言った。「彼を赦せ。先生は衣を着よ。いま事を受けんことを願う。」そこで焦を仲父に立て、彼に上卿の爵を与えたり。

皇帝立駕,千乘萬騎,空左方自行迎太后萯陽宮,歸於咸陽;太后大喜,乃大置酒待茅焦,及飲,太后曰:“抗枉令直,使敗更成,安秦之社稷;使妾母子復得相會者,盡茅君之力也。”

皇帝は即座に車に駕し、千乗万騎、左を空けて自ら萯陽宮に往きて太后を迎え、咸陽に帰りたり。太后は大いに喜び、そこで大いに酒宴を設けて茅焦を待ちたり。飲酒に及び、太后は言った。「枉曲を抗して直くせしめ、敗壊を再び成らしめ、秦の社稷を安定せしめたり。妾母子をして再び相会するを得しめたるは、全て茅君の力なり。」

楚莊王築層臺,延石千重,延壤百里,士有三月之糧者,大臣諫者七十二人皆死矣;有諸御己者,違楚百里而耕,謂其耦曰:“吾將入見於王。”其耦曰:“以身乎?吾聞之,說人主者,皆閒暇之人也,然且至而死矣;今子特草茅之人耳。”諸御己曰:“若與子同耕則比力也,至於說人主不與子比智矣。”委其耕而入見莊王。莊王謂之曰:“諸御己來,汝將諫邪?”諸御己曰:“君有義之用,有法之行。且己聞之,土負水者平,木負繩者正,君受諫者聖;君築層臺,延石千重,延壤百里;民之釁咎血成於通塗,然且未敢諫也,己何敢諫乎?顧臣愚,竊聞昔者虞不用宮之奇而晉幷之,陳不用子家羈而楚幷之,曹不用僖負羈而宋幷之,萊不用子猛而齊幷之,吳不用子胥而越幷之,秦人不用蹇叔之言而秦國危,桀殺關龍逢而湯得之,紂殺王子比干而武王得之,宣王殺杜伯而周室卑;此三天子,六諸侯,皆不能尊賢用辯士之言,故身死而國亡。”遂趨而出,楚王遽而追之曰:“己子反矣,吾將用子之諫;先日說寡人者,其說也不足以動寡人之心,又危(一作色)加諸寡人,故皆至而死;今子之說,足以動寡人之心,又不危加諸寡人,故吾將用子之諫。”明日令曰:“有能入諫者,吾將與為兄弟。”遂解層臺而罷民,楚人歌之曰:“薪乎萊乎?無諸御己訖無子乎?萊乎薪乎?無諸御己訖無入乎!”

楚荘王が層台を築き、石を運ぶこと千重、土を運ぶこと百里、士に三箇月の糧を帯びし者あり。大臣の進諫する七十二人は皆死せり。諸御己という者あり、楚を離るる百里にて耕種し、その耦耕の人に言った。「我は将に入りて王に見えん。」耦耕の人は言った。「自身を以てするか。我が聞くに、人主を遊説するは皆閑暇の人なり、なお且つ至れば死す。いまお前はただ草茅の人のみ。」諸御己は言った。「もしお前と同じく耕種せば力を比べん。人主を遊説するに至ってはお前と智を比べざらん。」耕種を放下して入りて荘王に見えた。荘王は彼に言った。「諸御己が来たる。お前は将に進諫せんとするか。」諸御己は言った。「君は義の施用あり、法の實行あり。さらに己が聞くに、土は水の平を承け、木は墨繩の正を承け、君は諫の聖を受く。君が層台を築き、石を運ぶこと千重、土を運ぶこと百里。民の釁咎、血は通途を為す。しかるに未だ敢えて進諫する人なし。己はどうして敢えて進諫せん。ただ臣は愚、私に聞くに、昔、虞は宮之奇を用いずして晋に兼倂せられ、陳は子家羈を用いずして楚に兼倂せられ、曹は僖負羈を用いずして宋に兼倂せられ、萊は子猛を用いずして斉に兼倂せられ、呉は子胥を用いずして越に兼倂せられ、秦人は蹇叔の言を用いずして秦国は危うし。桀は關龍逢を殺して湯は得たり、紂は王子比干を殺して武王は得たり、宣王は杜伯を殺して周室は卑微なり。この三天子・六諸侯は、皆賢を尊び辯士の言を用いる能わず。ゆえに身死して国は亡べり。」そこで快步して出でた。楚王は急いで彼を追いて言った。「己子は返れ。我は将にお前の諫を用いん。先前寡人を遊説せし者は、彼らの説は以て寡人の心を打動するに足らず、また危を寡人の身に加えたり。ゆえに皆至れば死せり。いまお前の説は、以て寡人の心を打動するに足り、また危を寡人の身に加えず。ゆえに我は将にお前の諫を用いん。」明日に令して言った。「能く進りて進諫する者あらば、我は彼と兄弟を為さん。」そこで層台を解きて役民を停止せしめた。楚人は歌って曰く「柴か萊か?諸御己なかればお前なきこと成らんか?萊か柴か?諸御己なかれば人の進るなきこと成らんか!」

齊桓公謂鮑叔曰:“寡人慾鑄大鐘,昭寡人之名焉,寡人之行,豈避堯舜哉?”鮑叔曰:“敢問君之行?”桓公曰:“昔者吾圍譚三年,得而不自與者,仁也;吾北伐孤竹,■令支而反者,武也;吾為葵丘之會,以偃天下之兵者,文也;諸侯抱美玉而朝者九國,寡人不受者,義也。然則文武仁義,寡人盡有之矣,寡人之行豈避堯舜哉!”鮑叔曰:“君直言,臣直對;昔者公子糾在上位而不讓,非仁也;背太公之言而侵魯境,非義也;壇場之上,詘於一劍,非武也;侄娣不離懷衽,非文也。凡為不善遍於物不自知者,無天禍必有人害,天處甚高,其聽甚下;除君過言,天且聞之。”桓公曰:“寡人有過乎?幸記之,是社稷之福也,子不幸教,幾有大罪以辱社稷。”

斉桓公が鮑叔に言った。「寡人は大鐘を鋳て、寡人の名を顕揚し、寡人の行をなさんと欲す。どうして堯・舜を避けん。」鮑叔は言った。「敢えて君の行を問う。」桓公は言った。「昔、我は譚を囲むこと三年、得て自ら占有せず。これは仁なり。我は北に孤竹を伐ち、令支を滅ぼして帰る。これは武なり。我は葵丘の会を為し、以て天下の兵を停止す。これは文なり。諸侯の美玉を抱いて来朝する九国に、寡人は受けず。これは義なり。ならば文・武・仁・義、寡人は全て有せり。寡人の行はどうして堯・舜を避けん!」鮑叔は言った。「君が直言すれば、臣は直対す。昔、公子糾は上位に在りて譲らず。これは仁ならず。太公の言を背棄して魯境に侵入す。これは義ならず。壇場の上に一剣の屈を為さる。これは武ならず。侄娣は懐抱衣襟を離れず。これは文ならず。およそ不善を為して事物に遍及して自ら知らざるは、天禍なからば必ず人害あり。天は処ること甚だ高く、聴くことは甚だ低し。君の過分の言を除かば、天は将に聞かん。」桓公は言った。「寡人に過失あるか。幸いにこれを記せ。これは社稷の福なり。お前が辛勤に教導せざれば、ほぼ大罪ありて社稷を羞辱せん。」

楚昭王欲之荊臺遊,司馬子綦進諫曰:“荊臺之遊,左洞庭之波,右彭蠡之水;南望獵山,下臨方淮。其樂使人遺老而忘死,人君遊者盡以亡其國,願大王勿往遊焉。”王曰:“荊臺乃吾地也,有地而遊之,子何為絕我遊乎?”怒而擊之。於是令尹子西,駕安車四馬,徑於殿下曰:“今日荊臺之遊,不可不觀也。”王登車而拊其背曰:“荊臺之遊,與子共樂之矣。”步馬十里,引轡而止曰:“臣不敢下車,願得有道,大王肯聽之乎?”王曰:“第言之。”令尹子西曰:“臣聞之,為人臣而忠其君者,爵祿不足以賞也;為人臣而諛其君者,刑罰不足以誅也。若司馬子綦者忠君也,若臣者諛臣也;願大王殺臣之軀,罰臣之家,而祿司馬子綦。”王曰:“若我能止,聽公子,獨能禁我遊耳,後世遊之,無有極時,奈何?”令尹子西曰:“欲禁後世易耳,願大王山陵崩,為陵於荊臺;未嘗有持鐘鼓管絃之樂而遊於父之墓上者也。”於是王還車,卒不遊荊臺,令罷先置。孔子從魯聞之曰:“美哉!令尹子西,諫之於十里之前,而權之於百世之後者也。”

楚昭王は荊台に游びんと思った。司馬子綦は進諫して言った。「荊台の游は、左は洞庭の波、右は彭蠡の水。南は獵山を望み、下は方淮に臨む。その楽は人をして老を遺棄し死を忘れしむ。人君の游ぶは皆これによってその国を亡ぼす。願わくは大王は往きて游ぶなかれ。」王は言った。「荊台は我が地なり。地ありて游ぶに、お前は何故我が游を断絶するか。」怒りて彼を打ちたり。そこに令尹子西は安車四馬に駕し、徑直に殿下に至りて言った。「今日の荊台の游は、看ざるべからず。」王は車に上りて彼の背を按して言った。「荊台の游は、お前と共に楽しまん。」馬を走らせること十里、辔を拉きて止まりて言った。「臣は敢えて車を下らず。願わくは有道を以てすれば、大王は肯んじて聴くや。」王は言った。「只管言え。」令尹子西は言った。「臣が聞くに、人臣たるにその君に忠なるは、爵禄は以て賞するに足らず。人臣たるにその君に諂諛なるは、刑罰は以て誅するに足らず。司馬子綦の如きは君に忠なり。臣の如きは諛臣なり。願わくは大王は臣の身を殺し、臣の家を罰し、而して司馬子綦に禄を与えよ。」王は言った。「もし我が止む能わば、公子を聴かば、ただ我が游を禁止するのみ。後世にこれを游ばば、終極の時なきは、如何。」令尹子西は言った。「後世を禁ぜんと欲せば易きのみ。願わくは大王の山陵崩ぜば、荊台に陵を為せ。かつて鐘鼓管弦の楽を持ちて父の墓上に游ぶ者あらず。」そこで王は車を掉轉し、終に荊台に游ばず。予め安置するを停止せしめり。孔子は魯よりこれを聞いて言った。「美しいな!令尹子西は、十里の前に進諫し、百世の後に権衡せり。」

荊文王得如黃之狗,箘簬之矰,以畋於雲夢,三月不反;得舟(一作丹)之姬,淫期年不聽朝。保申諫曰:“先王卜以臣為保吉,今王得如黃之狗,箘簬之矰,畋於雲澤,三月不反;及得舟之姬,淫期年不聽朝,王之罪當笞。”匍伏將笞王,王曰:“不穀免於襁褓,托於諸侯矣,願請變更而無笞。”保申曰:“臣承先王之命不敢廢,王不受笞,是廢先王之命也;臣寧得罪於王,無負於先王。”王曰:“敬諾。”乃席王,王伏,保申束細箭五十,跪而加之王背,如此者再,謂王起矣。王曰:“有笞之名一也。”遂致之。保申曰:“臣聞之,君子恥之,小人痛之;恥之不變,痛之何益?”保申趨出,欲自流,乃請罪於王,王曰:“此不穀之過,保將何罪?”王乃變行從保申,殺如黃之狗,折箘簬之矰,逐舟之姬,務治乎荊;兼國三十,令荊國廣大至於此者,保申敢極言之功也。蕭何王陵聞之曰:“聖主能奉先世之業,而以成功名者,其惟荊文王乎!故天下譽之至今,明主忠臣孝子以為法。”

荊文王は如黄の狗・箘簬の矰を得、雲夢で畋獵し、三箇月帰らず。舟之姫を得て、放縦すること満一年朝を聴かず。保申は進諫して言った。「先王は占卜して臣を以て保と為すは吉なりき。いま王は如黄の狗・箘簬の矰を得て、雲沢で畋獵し、三箇月帰らず。舟之姫を得るに及び、放縦すること満一年朝を聴かず。王の罪は笞に当たる。」匍匐して将に王を笞せんとす。王は言った。「不穀は襁褓より免身し、諸侯に托せり。願わくは変更せよと請いて笞せざらんことを。」保申は言った。「臣は先王の命を承けて敢えて廃せず。王は笞を受けざるは、先王の命を廃するなり。臣は寧ろ王に罪を得ん、先王に辜かざらん。」王は言った。「敬謹して命に従う。」そこで王のために席を設け、王は伏せり。保申は細箭五十を捆りて、跪きて王の背上に加え、この如く両次して、王を起せと叫ぶ。王は言った。「笞の名あるは一様なり。」そこで箭を送り至る。保申は言った。「臣が聞くに、君子はこれを以て恥とし、小人はこれを以て痛とす。恥じて改めざれば、痛はまた何の益かあらん。」保申は快步して出で、自ら流せんと欲し、そこで王に罪を請う。王は言った。「これは不穀の過失なり。保は何の罪かあらん。」王はそこで行を改め保申に依従し、如黄の狗を殺し、箘簬の矰を折り、舟之姫を驅逐し、務めて荊を治めり。国を兼倂すること三十、荊国を広大にしてこのようせしめたるは、保申の敢えて話を極致に到る功なり。蕭何・王陵はこれを聞いて言った。「聖主は能く先世の業を奉行して、これによって功名を成就するは、ほぼ荊文王のみか!ゆえに天下は彼を称誉して今に至る。明主・忠臣・孝子はこれを以て法と為す。」

晉平公使叔向聘於吳,吳人拭舟以逆之,左五百人,右五百人;有繡衣而豹裘者,有錦衣而狐裘者,叔向歸以告平公,平公曰:“吳其亡乎!奚以敬舟?奚以敬民?”叔向對曰:“君為馳底之臺,上何以發千兵?下何以陳鐘鼓?”諸侯聞君者,亦曰‘奚以敬臺,奚以敬民?’所敬各異也。”於是平公乃罷臺。

晋平公が叔向を遣わして呉に聘問せしめた。呉人は船を拭淨して彼を迎えた。左に五百人、右に五百人。繍衣豹裘を着る者あり、錦衣狐裘を着る者あり。叔向は帰りて平公に告げた。平公は言った。「呉はほぼ亡びんとするか!何故船を敬重するか。何故民を敬重するか。」叔向は答えた。「君は馳底之台を建造す。上は以て千兵を発す。下は以て鐘鼓を陳設す。諸侯の君を聞くも、また言う『何故台を敬重するか。何故民を敬重するか』と。敬重する所は各々異なり。」そこで平公は即ち台を築くを止めた。

趙簡子舉兵而攻齊,令軍中有敢諫者罪至死,被甲之士,名曰公盧,望見簡子大笑;簡子曰:“子何笑?”對曰:“臣有夙笑。”簡子曰:“有以解之則可,無以解之則死。”對曰:“當桑之時,臣鄰家夫與妻俱之田,見桑中女,因往追之,不能得,還反,其妻怒而去之,臣笑其曠也。”簡子曰:“今吾伐國失國,是吾曠也。”於是罷師而歸。

趙簡子が兵を起して斉を攻め、軍中に令して敢えて進諫する者は罪は死に至るとす。甲を被る士ありて名は公盧、簡子を望見して大いに笑う。簡子は言った。「お前は何を笑うか。」答えた。「臣に向きて笑を愛する病あり。」簡子は言った。「話を解釈あれば可、解釋なければ死。」答えた。「桑を採る時に当たり、臣の隣家の丈夫は妻とともに田里に至り、桑中の女子を見て、そこで往きて彼女を追うも得られず、返り来たれば、その妻は怒りて彼を離れ去れり。臣は彼の落空を笑う。」簡子は言った。「いま我は別国を攻伐して本国を失う。これが我が落空なり。」そこで兵を停止して返った。

景公為臺,臺成,又欲為鍾,晏子諫曰:“君不勝欲為臺,今復欲為鍾,是重斂於民,民之哀矣;夫斂民之哀而以為樂,不祥。”景公乃止。

景公が台を築き、台が成れば、また鐘を鋳んと欲した。晏子は進諫して言った。「君は欲望を満足せしめ得ずして台を築き、いままた鐘を鋳んと欲す。これは民に聚斂を加重するなり。民は悲哀せり。民の悲哀を聚斂して以て楽を為すは、祥ならず。」景公はそこで止めた。

景公有馬,其圉人殺之,公怒,援戈將自擊之,晏子曰:“此不知其罪而死,臣請為君數之,令知其罪而殺之。”公曰:“諾。”晏子舉戈而臨之曰:“汝為吾君養馬而殺之,而罪當死;汝使吾君以馬之故殺圉人,而罪又當死;汝使吾君以馬故殺人,聞於四鄰諸侯,汝罪又當死。”公曰:“夫子釋之!夫子釋之!勿傷吾仁也。”

景公に馬あり、馬を養う圉人がこれを殺した。公は怒り、戈を挙げて将に自ら彼を撃殺せんとした。晏子は言った。「このようにすれば彼は己の罪を知らずして死せん。臣は君のために彼の罪を数説して、彼をして罪を知らしめて後に彼を殺さんことを請う。」公は言った。「よし。」晏子は戈を挙げて彼に對して言った。「お前は我らの君のために馬を養いてこれを殺したり。お前の罪は死に当たる。お前は我らの君をして馬の故に圉人を殺さしめたり。お前の罪はまた死に当たる。お前は我らの君をして馬の故に人を殺さしめ、四隣の諸侯に伝えしめたり。お前の罪はまた死に当たる。」公は言った。「夫子は彼を放ちよ!夫子は彼を放ちよ!我が仁を傷めるなかれ。」

景公好弋,使燭雛主鳥而亡之,景公怒而欲殺之,晏子曰:“燭雛有罪,請數之以其罪,乃殺之。”景公曰:“可。”於是乃召燭雛數之景公前曰:“汝為吾君主鳥而亡之,是一罪也;使吾君以鳥之故殺人,是二罪也;使諸侯聞之以吾君重鳥而輕士,是三罪也。數燭雛罪已畢,請殺之。”景公曰:“止,勿殺而謝之。”

景公は鳥を射るを好み、燭雛に鳥を主管せしめたが、失したり。景公は怒りて彼を殺さんと欲した。晏子は言った。「燭雛に罪あり。彼の罪を按じて数説して、後に彼を殺さんことを請う。」景公は言った。「可。」そこで燭雛を召して景公の面前で数説せり。「お前は我らの君のために鳥を主管してこれを失したり。これは一罪。我らの君をして鳥の故に人を殺さしめたり。これは二罪。諸侯をして聞かしめて以て我らの君は鳥を重んじ士を看軽すと為さしめたり。これは三罪。燭雛の罪を数説すること已に畢んぬ。彼を殺さんことを請う。」景公は言った。「止めよ、殺すな、彼に謝せよ。」

景公正晝被髮乘六馬,御婦人出正閨,刖跪擊其馬而反之,曰:“爾非吾君也。”公慚而不朝,晏子睹裔敖而問曰:“君何故不朝?”對曰:“昔者君正晝被髮乘六馬,御婦人出正閨,刖跪擊其馬而反之曰:‘爾非吾君也。’公慚而反,不果出,是以不朝。”晏子入見,公曰:“昔者寡人有罪,被髮乘六馬以出正閨,刖跪擊其馬而反之,曰:‘爾非吾君也。’寡人以天子大夫之賜,得率百姓以守宗廟,今見戮於刖跪以辱社稷,吾猶可以齊於諸侯乎?”晏子對曰:“君無惡焉。臣聞之,下無直辭,上無隱君;民多諱言,君有驕行。古者明君在上,下有直辭;君上好善,民無諱言。今君有失行,而刖跪有直辭,是君之福也,故臣來慶,請賞之,以明君之好善;禮之,以明君之受諫!”公笑曰:“可乎?”晏子曰:“可。”於是令刖跪倍資無正,時朝無事。

景公は大白天に髪を披きて六馬に駕し、婦人を載せて正閨より出でた。刖刑を受けし門を守る者が彼の馬を撃打して彼を返らしめ、言った。「お前は我が君にあらず。」公は慚じて朝に上がらず。晏子は裔敖に見えて問うた。「君は何故朝に上がらざるか。」答えた。「先前君は大白天に髪を披きて六馬に駕し、婦人を載せて正閨より出でたり。刖刑を受けし門を守る者が彼の馬を撃打して彼を返らしめ、言う『お前は我が君にあらず』と。公は慚じて返り、終に出でず。これにより朝に上がらず。」晏子は入りて進見せり。公は言った。「先前寡人は罪あり、髪を披きて六馬に駕して正閨より出でたり。刖刑を受けし門を守る者が馬を撃打して返らしめ、言う『お前は我が君にあらず』と。寡人は天子・大夫の恩賜に凭りて、以て百姓を率いて宗廟を守るを得たり。いま刖刑を受けし門を守る者に責辱せられて社稷を辱めしむ。我はなお諸侯と並列するべからんや。」晏子は答えた。「君はこの事を悪むなかれ。臣が聞くに、下に正直の言なければ、上に隠匿の君あり。民に忌諱の言多ければ、君に驕傲の行あり。古の明君は上に在れば、下に正直の言あり。君上が善を愛好すれば、民に忌諱の言なし。いま君に過失の行あるも、刖刑を受けし門を守る者に正直の言あり。これは君の福なり。ゆえに臣は前来りて慶賀す。彼に賞賜して、以て君の善を愛好するを顕明にし、彼を礼待して、以て君の進諫を受けるを顕明にせんことを請う。」公は笑いて言った。「可なるか。」晏子は言った。「可。」そこで令して刖刑を受けし門を守る者に資給を加倍し征賦を免去せしめた。あの時朝中に事故なし。

景公飲酒,移於晏子家,前驅報閭曰:“君至”。晏子被玄端立於門曰:“諸侯得微有故乎?國家得微有故乎?君何為非時而夜辱?”公曰:“酒醴之味,金石之聲,願與夫子樂之。”晏子對曰:“夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢與焉。”公曰:“移於司馬穰苴之家。”前驅報閭曰:“君至”。司馬穰苴介冑操戟立於門曰:“諸侯得微有兵乎?大臣得微有叛者乎?君何為非時而夜辱?”公曰:“酒醴之味,金石之聲,願與夫子樂之。”對曰:“夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢與焉。”公曰:“移於梁丘據之家。”前驅報閭曰:“君至”。梁丘據左操瑟,右挈竽,行歌而至,公曰:“樂哉!今夕吾飲酒也,微彼二子者何以治吾國!微此一臣者何以樂吾身!賢聖之君皆有益友,無偷樂之臣。”景公弗能及,故兩用之,僅得不亡。

景公は飲酒し、晏子の家に移した。前駆は閭門に至りて報告して曰く「君至れり。」晏子は玄端を着て門口に立ちて言った。「諸侯に事あらんや。国家に事あらんや。君は何故時にあらざる夜に屈辱して前来るか。」公は言った。「酒醴の滋味、金石の声音、夫子とともに楽しまんことを願う。」晏子は答えた。「薦席を鋪設し簠簋を陳列するは専人あり。臣は敢えて参与せず。」公は言った。「司馬穰苴の家に移れ。」前駆は閭門に至りて報告して曰く「君至れり。」司馬穰苴は甲冑を着て戟を持ちて門口に立ちて言った。「諸侯に兵事あらんや。大臣に叛乱あらんや。君は何故時にあらざる夜に屈辱して前来るか。」公は言った。「酒醴の滋味、金石の声音、夫子とともに楽しまんことを願う。」答えた。「薦席を鋪設し簠簋を陳列するは専人あり。臣は敢えて参与せず。」公は言った。「梁丘據の家に移れ。」前駆は閭門に至りて報告して曰く「君至れり。」梁丘據は左手に瑟を持ち右手に竽を提げ、歩きながら唱いて至れり。公は言った。「楽しいな!今晩我は飲酒す。あの二人なからば以て我が国を治めん。これ一臣なからば以て我が身を楽しましめん。賢聖の君は皆有益の朋友あり、楽を偸取する臣なし。」景公は及ばざるが故に、両方面ともに用いて、僅かに亡びざるを得たり。

吳以伍子胥孫武之謀,西破強楚,北威齊晉,南伐越,越王句踐迎擊之,敗吳於姑蘇,傷闔廬指,軍卻,闔廬謂太子夫差曰:“爾忘句踐殺而父乎?”夫差對曰:“不敢。”是夕闔廬死,夫差既立為王,以伯嚭為太宰,習戰射,三年伐越,敗於夫湫,越王句踐乃以兵五千人(一作入)棲於會稽山上,使大夫種厚幣遣吳太宰嚭以請和,委國為臣妾,吳王將許之,伍子胥諫曰:“越王為人能辛苦,今王不滅,後必悔之。”吳王不聽,用太宰嚭計與越平。其後五年,吳王聞齊景公死,而大臣爭寵,新君弱,乃興師北伐齊,子胥諫曰:“不可。句踐食不重味,弔死問疾,且能用人,此人不死,必為吳患;今越,腹心之疾,齊猶疥癬耳,而王不先越,乃務伐齊,不亦謬乎?”吳王不聽,伐齊,大敗齊師於艾陵,遂與鄒魯之君會以歸,益疏子胥之言。其後四年,吳將復北伐齊,越王句踐用子胥之謀,乃率其眾以助吳,而重寶以獻遺太宰嚭,太宰嚭既數受越賂,其愛信越殊甚,日夜為言於吳王,王信用嚭之計,伍子胥諫曰:“夫越,腹心之疾,今信其遊辭偽詐而貪齊,譬猶石田,無所用之,盤庚曰:‘古人有顛越不恭’。是商所以興也,願王釋齊而先越,不然,將悔之無及也。”吳王不聽,使子胥於齊,子胥謂其子曰:“吾諫王,王不我用,吾今見吳之滅矣,女與吳俱亡無為也。”乃屬其子於齊鮑氏而歸報吳王。太宰嚭既與子胥有隙,因讒曰:“子胥為人,剛暴少恩,其怨望猜賊為禍也,深恨前日王欲伐齊,子胥以為不可,王卒伐之,而有大功,子胥計謀不用,乃反怨望;今王又復伐齊,子胥專愎強諫,沮毀用事,徼倖吳之敗,以自勝其計謀耳。今王自行,悉國中武力以伐齊,而子胥諫不用,因輟佯病不行,王不可不備,此起禍不難,且臣使人微伺之,其使齊也,乃屬其子於鮑氏。

呉は伍子胥・孫武の謀画を用い、西面して強楚を攻破し、北面して斉・晋を威懾し、南面して越を攻伐した。越王句踐は迎撃し、姑蘇で呉を打敗し、闔廬の脚の趾を傷つけ、軍は退却した。闔廬は太子夫差に言った。「お前は句踐がお前の父を殺したことを忘れたか。」夫差は答えた。「敢えて忘れません。」この夜闔廬は死した。夫差がすでに王と立ち、伯嚭を太宰と用い、作戦と射箭を練習し、三年して越を攻伐し、夫湫で越を打敗した。越王句踐はそこで兵五千人を以て會稽山上に栖息し、大夫種を派して厚き幣を以て呉太宰嚭に送り講和を請い、国を托付して臣妾と為さんとした。呉王は将に許さんとした。伍子胥は進諫して言った。「越王の人となりは苦に堪えます。いま王が彼を滅ぼさざれば、後には必ず悔います。」呉王は聽かず、太宰嚭の計を以て越と講和した。あれより五年、呉王は斉景公の死を聞き、大臣は寵を争い、新君は弱し。そこで兵を起して北に斉を伐った。子胥は進諫して言った。「不可です。句踐は飯を食べて二様の菜なく、死者を弔い病人を慰問し、能く人を用います。この人死せざれば、必ず呉の禍患と為らん。いま越は心腹の疾病、斉はただ疥癬の如きのみ。しかるに王は越を先に對えせず、斉を攻伐せんと致力す。これまた荒謬ならずや。」呉王は聽かず、斉を攻伐し、艾陵で斉軍を大敗せしめ、そこで鄒・魯の君と會盟して帰り、いよいよ子胥の言を疏遠した。あれより四年、呉は将に再び北に斉を伐たんとした。越王句踐は子胥の謀を用い、そこでその部衆を率いて呉を助けに来た。また重宝を以て太宰嚭に献じた。太宰嚭は已に屢々越の賄賂を受け、彼は越を愛し信ること特に深く、日夜呉王に話した。王は嚭の計を信用した。伍子胥は進諫して言った。「越は心腹の疾病なり。いま彼の游說の話・虚偽欺詐を信じて斉を貪るは、石田に比す。用いるなし。『尚書』に言う「古の人に顛墜逾越・恭順せざるあり。」これは商の興起せし所以なり。願わくは王は斉を放下して越を先に對えせんことを。然らざれば、将に悔いるも及ばざらん。」呉王は聽かず、子胥を斉に遣わした。子胥はその子に言った。「我は王に進諫したが、王は我を用いず。我はいま呉の滅亡せんとするを見る。お前は呉とともに滅亡するも作為なし。」そこでその子を齊の鮑氏に托付し、帰りて呉王に報告した。太宰嚭は已に子胥と嫌隙あり。そこで讒を進めて言った。「子胥の人となりは、剛暴少恩、彼は怨恨猜疑にして賊害を成し禍を為す。前日に王が斉を攻伐せんと欲するに、子胥は以て不可とす。王は終に攻伐して大功あり。子胥の計謀は用いられず、そこで反つて怨恨す。いま王はまた斉を攻伐せんとす。子胥は專橫執拗して強く進諫し、当権の事を敗壞詆毀し、呉の失敗を僥幸して、自ら彼の計謀の勝を顯すのみ。いま王は自ら出行して、国中の武力を尽くして斉を攻伐す。しかるに子胥は進諫して用いられず、そこで停止して病を偽装して往かず。王は防備せざるべからず。これは禍を興起するに難しなし。さらに臣は人を派して暗中に彼を伺察せしむに、彼は斉に出使すれば、即ち兒子を鮑氏に托付す。」

夫人臣內不得意,外交諸侯,自以先王謀臣,今不用,常怏怏,願王早圖之。”吳王曰:“微子之言,吾亦疑之。”乃使使賜子胥屬鏤之劍,曰:“子以此死。”子胥曰:“嗟乎!讒臣宰嚭為亂,王顧反誅我,我令若父霸,又若立時,諸子弟爭立,我以死爭之於先王,幾不得立,若既立,欲分吳國與我,我顧不敢當,然若之何聽讒臣殺長者!”乃告舍人曰:“必樹吾墓上以梓,令可以為器,而抉吾眼著之吳東門,以觀越寇之滅吳也。”乃自刺殺,吳王聞之大怒,乃取子胥屍,盛以鴟夷革,浮之江中,吳人憐之,乃為立祠於江上,因名曰胥山。後十餘年,越襲吳,吳王還與戰不勝,使大夫行成於越不許,吳王將死曰:“吾以不用子胥之言至於此;令死者無知則已,死者有知,吾何面目以見子胥也?”遂蒙絮覆面而自刎。

人臣たるに内に於て意を得ず、外に於て諸侯と交結し、自ら以て先王の謀臣と為すも、いま用いられず、常に怏怏として楽しまず。願わくは王は早く打算を為さん。」呉王は言った。「お前の言なくんば、我もまた彼を疑わん。」そこで使者を派して子胥に屬鏤剣を賜い、言った。「お前はこれを以て死せよ。」子胥は言った。「ああ!讒臣宰嚭が乱を為し、王は反つて我を誅殺す。我はお前の父をして覇を称せしめ、またお前の立つ時、衆子弟は立つを争い、我は死を以て先王に力争し、ほぼ立つ能わざりき。お前が已に立ち、呉国を分かちて我に與えんと欲すれども、我は敢えて当せず。しかるにどうして讒臣を聽信して長者を殺す!」そこで舎人に告げて言った。「必ず我が墓上に梓を種え、以て器物を為るを得せしめ、さらに我が眼を挖出して呉東門に掛け、以て越寇の呉を滅ぼすを看ん。」そこで自ら刺殺した。呉王はこれを聞きて大いに怒り、そこで子胥の屍体を取り、鴟夷革に盛りて江中に漂浮せしめた。呉人は彼を憐み、そこで江上に祠を立て、これにより名を胥山と言う。後に十余年、越は呉を襲撃し、呉王は返りて交戦するも勝つ能わず。大夫を派して越に和を求めたが許されず。呉王は将に死せんとして言った。「我は子胥の言を用いざりしが故にこの歩に至った。死者に知なからばそれまで、死者に知あらば、我は何の面目を以て子胥に見えん。」そこで棉絮を蒙い顔を遮りて自殺した。

齊景公有臣曰諸御鞅,諫簡公曰:“田常與宰予,此二人者甚相憎也,臣恐其相攻;相攻雖叛而危之,不可。願君去一人。”簡公曰:“非細人之所敢議也。”居無幾何,田常果攻宰予於庭,賊簡公於朝,簡公喟焉太息,曰:“餘不用鞅之言以至此患也。故忠臣之言,不可不察也。”

斉景公に臣ありて名は諸御鞅、簡公に進諫して言った。「田常と宰予は、この二人は互相いに甚だ憎悪す。臣は彼らが互相いに攻撃するを怕る。互相いに攻撃すればたとえ叛乱に於て危害に至らん。不可。願わくは君は一人を去掉せんことを。」簡公は言った。「小人の敢えて議論する所にあらず。」過ごすこと幾久しからず、田常は果たして庭中で宰予を攻撃し、朝上で簡公を賊害した。簡公は嘆息して言った。「我は鞅の言を用いざるに至りてこの禍患に至った。ゆえに忠臣の言は察せざるべからず。」

魯襄公朝荊,至淮,聞荊康王卒,公欲還,叔仲昭伯曰:“君之來也,為其威也;今其王死,其威未去,何為還?”大夫皆欲還,子服景伯曰:“子之來也,為國家之利也,故不憚勤勞,不遠道塗,而聽於荊也,畏其威也!夫義人者,固將慶其喜而吊其憂,況畏而聘焉者乎!聞畏而往,聞喪而還,其誰曰非侮也。姓是嗣王,太子又長矣,執政未易,事君任政,求說其侮,以定嗣君,而示後人,其讎滋大,以戰小國,其誰能止之?若從君而致患,不若違君以避難,且君子計而後行,二三子其計乎?有御楚之術,有守國之備,則可;若未有也,不如行!”乃遂行。

魯襄公が荊に朝見し、淮に至るに、荊康王の死を聞いた。公は返りたい。叔仲昭伯は言った。「君の前来たるは、彼の威のためなり。いま彼の王は死せども、彼の威は未だ去らず。何故返るか。」大夫は皆返りたい。子服景伯は言った。「お前たちの前来たるは、国家の利のためなり。ゆえに勤労を怕れず、道路の遠きを嫌わず、荊に聴命するは、彼の威を畏れるなり!義人はもともと将に彼の喜を慶賀し彼の憂を弔唁せんとす。いわんや畏れを因として聘問するをや!畏れを聞きて前往し、喪事を聞きて返るは、誰かこれを侮辱ならざると言わん。姓は嗣王、太子はまた長大せり。政を執るは改換なし。君に仕え政を担任し、あの侮辱を解説し、以て嗣君を安定し、而して後人に看るは、あの仇怨はいよいよ大なり。以て戦国と為すは、誰か制止せん。もし君に従順して禍患を招致せば、君に違背して災難を躲避するに如かず。さらに君子は謀画して後に行動す。二三子は謀画せしや。楚に抵禦する術あり、国を守る準備あらば、可なり。もし未だなからば、前行するに如かず!」そこで終に前行���た。

孝景皇帝時,吳王濞反,梁孝王中郎枚乘字叔聞之,為書諫王,其辭曰:“君王之外臣乘,竊聞得全者全昌,失全者全亡。舜無立錐之地,以有天下;禹無十戶之聚,以王諸侯。湯武之地,方不過百里;上不絕三光之明,下不傷百姓之心者,有王術也!故父子之道,天性也,忠臣不敢避誅以直諫,故事無廢棄而功流於萬世也,臣誠願披腹心而效愚忠,恐大王不能用之;臣誠願大王少加意念惻怛之心於臣乘之言。夫以一縷之任,系千鈞之重,上懸之無極之高,下垂不測之淵,雖甚愚之人,且猶知哀其將絕也。馬方駭而重驚之,系方絕而重鎮之;系絕於天,不可復結;墜入深淵,難以復出;其出不出,間不容髮!誠能用臣乘言,一舉必脫;必若所欲為,危如重卵,難於上天;變所欲為,易於反掌,安於太山。今欲極天命之壽,弊無窮之樂,保萬乘之勢,不出反掌之易,以居太山之安;乃欲乘重卵之危,走上天之難,此愚臣之所大惑也!人性有畏其影而惡其跡者,卻背而走無益也,不知就陰而止,影滅跡絕。欲人勿聞,莫若勿言;欲人勿知,莫若勿為。欲湯之冷,令一人炊之,百人揚之,無益也;不如絕薪止火而已。不絕之於彼,而救之於此,譬猶抱薪救火也。養由基,楚之善射者也,去楊葉百步,百發百中,楊葉之小,而加百中焉,可謂善射矣,所止乃百步之中耳,比於臣未知操弓持矢也。福生有基,禍生有胎;納其基,絕其胎;禍何從來哉?泰山之溜穿石,引繩久之,乃以挈木;水非石之鑽,繩非木之鋸也,而漸靡使之然。夫銖銖而稱之,至石必差;寸寸而度之,至丈必過;石稱丈量,徑而寡失。夫十圍之木,始生於■,可引而絕,可擢而拔,據其未生,先其未形;磨礱砥礪,不見其損,有時而盡;種樹畜長,不見其益,有時而大;積德修行,不知其善,有時而用;

孝景皇帝の時、呉王濞が反逆した。梁孝王の中郎枚乘字叔はこれを聞き、書を遣わして王に進諫した。その辞は曰く「君王の外臣乘、私に聞くに、保全する能くするは全部昌盛し、保全を失うは全部滅亡す。舜は立錐の地なかりき。これにより天下を擁有せり。禹は十戸の聚落なかりき。これにより諸侯に王と称せり。湯・武の地は方円百里に過ぎず。上は三光の明を絶たず、下は百姓の心を傷害せず。これは王術あるなり!ゆえに父子の道理は天性なり。忠臣は敢えて誅殺を避けずして直諫す。ゆえに事は廢棄せられずして功労は万世に流伝す。臣は誠懇に願わくは腹心を剖開して愚忠を献上せん。大王がこれを用いる能わざるを怕る。臣は誠懇に願わくは大王は稍々意念惻怛の心を臣乘の言に加えんことを。一縷の負担を以て千鈞の重量を繋ぎ、上は極限なき高処に懸け、下は測量すべからざる深淵に垂る。たとえ甚だ愚なる人も、なお彼の将に断絶せんとするを哀憐するを知る。馬は正に驚駭するにまたこれを驚嚇し、繩繫は正に断絶せんとするにまたこれを鎮住す。繩繫は天上より断絶せば、再び結上ぐべからず。深淵に墜入せば、難く再び出づべからず。あの出づると出でざるとは、中間に一髪を容れず!もし真に臣乘の言を用い得ば、一擧して必ず身を脱せん。もし必ず想うが如く為さば、危きは卵を疊きたる如く、難きは青天に上るが如し。想う所を改むれば、掌を反くるより易く、太山に安んずるが如し。いま天命の壽を窮盡し、窮盡なき楽を享盡し、万乗の勢を保全せんと欲するも、反掌の易しきを出でずして、太山の安に処らず。却つて疊卵の危を乗り、上天の難を走らんと欲す。これは愚臣の大いに迷惑する所なり!人性に自らの影を畏懼し自らの足跡を厭惡する者あり。背きて走れば益なし。陰処に靠近して止まるを知らず、影は滅し足跡は絶えん。人に聞かれざらんと欲せば、言わざるに如かず。人に知られざらんと欲せば、為さざるに如かず。熱水を冷ならしめんと欲するに、一人に燒火せしめ百人にこれを揚げしむれば、益なし。薪を断絶し火を停止するに如かず。あちらに於て断絶せずしてこちらに於て救うは、薪を抱いて火を救うに比す。養由基は楚の射に善なるなり。楊葉を離るること百歩にして百發百中す。楊葉はこのように小なるも、これに百中を加う。以て射に善と称すべし。止まる所はただ百歩の中のみ。臣に比するはなお弓を操り箭を持つを知らざるなり。福の產生は根基あり、禍の產生は胚胎あり。あの根基を接納し、あの胚胎を断胚胎を断絶せば、禍はどこより来たらん。泰山の溜水は石を穿ち、繩子を牽引すること久しく、竟に以て木を提起す。水は石の鑽にあらず、繩は木の鋸にあらず。しかるに漸々磨損してこれを然らしむ。一銖一銖として称すれば、石に至りて必ず差錯あり。一寸一寸として量れば、丈に至りて必ず超過す。石を以て称し丈を以て量れば、直接にして失誤少なし。十し。十圍の樹木は、始め(底本この字欠)に生長す。引きて拉断すべく、擢出して拔くべく、彼の未だ生ぜざる時に占據し、彼の未だ形を成せざる前にす。磨礲砥礪すれば、彼の減損するを見ず。時として却つて尽く。樹を種え養い生長せしむれば、彼の増益するを見ず。時として却つて大なり。徳を積み行を修むれば、彼の善を知らず。時として却つて用あり。」

行惡為非,棄義背理,不知其惡,有時而亡。臣誠願大王孰計而身行之,此百王不易之道也。”吳王不聽,卒死丹徒。

悪を為し非を為して、義を拋棄し理に違背し、彼の悪を知らざれば、時として却つて滅亡す。臣は誠懇に願わくは大王は仔細に謀画して自ら實行せんことを。これは百王の改変せざる道理なり。」呉王は聽かず。終に丹徒に死せり。

吳王欲從民飲酒,伍子胥諫曰:“不可。昔白龍下清冷之淵,化為魚,漁者豫且射中其目,白龍上訴天帝,天帝曰:‘當是之時,若安置而形?’白龍對曰:‘我下清冷之淵化為魚。’天帝曰:‘魚固人之所射也;若是,豫且何罪?’夫白龍,天帝貴畜也;豫且,宋國賤臣也。白龍不化,豫且不射;今棄萬乘之位而從布衣之士飲酒,臣恐其有豫且之患矣。”王乃止。

呉王が民と従い飲酒せんと欲した。伍子胥は進諫して言った。「不可。昔、白龍は清冷の深淵に下りて、魚に變化せり。魚を打つ豫且がその眼を射中たり。白龍は上に天帝に控訴す。天帝は曰く『正にあの時、お前は形体をどこに安置せしか』と。白龍は答えて曰く『我は清冷の深淵に下りて魚に變化せり』と。天帝は曰く『魚はもともと人の射る所なり。これの如くならば、豫且に何の罪かあらん』と。白龍は天帝の貴重の畜なり。豫且は宋国の低賤の臣なり。白龍は變化せず、豫且は射せず。いま万乗の位を拋棄して布衣の士と従い飲酒するは、臣は豫且の如き禍患あるを怕る。」王はそこで止めた。

孔子曰:“良藥苦於口,利於病;忠言逆於耳,利於行。故武王諤諤而昌,紂嘿嘿而亡,君無諤諤之臣,父無諤諤之子,兄無諤諤之弟,夫無諤諤之婦,士無諤諤之友;其亡可立而待。故曰君失之,臣得之;父失之,子得之;兄失之,弟得之;夫失之,婦得之;士失之,友得之。故無亡國破家,悖父亂子,放兄棄弟,狂夫淫婦,絕交敗友。”

孔子は言った。「好薬は口に苦し、病に利あり。忠直の言は耳に逆らう、行事に利あり。ゆえに武王は諤諤直言ありて昌盛し、紂は黙黙言なきして滅亡せり。君に諤諤直言の臣なく、父に諤諤直言の子なく、兄に諤諤直言の弟なく、夫に諤諤直言の婦なく、士に諤諤直言の友なからば、滅亡は立ちどころに至らん。ゆえに言う、君に過失あれば、臣は補うを得。父に過失あれば、子は補うを得。兄に過失あれば、弟は補うを得。夫に過失あれば、婦は補う���得。士に過失あれば、友は補うを得。ゆえに亡国破家なく、悖逆の父・乱の子、放逐せられし兄・拋棄せられし弟、狂の夫・淫の婦、交を絶絕せられし・敗壞せられし友なし。」

晏子復於景公曰:“朝居嚴乎?”公曰:“朝居嚴,則曷害於國家哉?”晏子對曰:“朝居嚴,則下無言,下無言,則上無聞矣。下無言則謂之喑,上無聞則謂之聾;聾喑則非害治國家如何也?具合菽粟之微以滿倉廩,合疏縷之緯以成幃幕,太山之高,非一石也,累卑然後高也。夫治天下者,非用一士之言也,固有受而不用,惡有距而不入者哉?”

晏子が景公に回復して言った。「朝會は厳厲に処るか。」公は言った。「朝會を厳厲に処れば、ならば国家に何の妨害かあらん。」晏子は答えた。「朝會を厳厲に処れば、下に話なく、下に話なければ、上は聞く能わず。下に話なきを啞といい、上が聞く能わざるを聾という。聾と啞とは、国家を治むるに妨害ならずして何かあらん。菽粟の微小を匯合して倉廩を装満し、絲縷の稀疏なる緯線を匯合して幃幕を為る。太山の高は、一塊の石にあらず。低下を積累して後に高きを為す。天下を治むる人は、一士の言のみを用いるにあらず。受けて用いざる有るは固より、どうして拒絶して進入せしめざるがあらん。」

卷十敬慎

巻十 敬慎

存亡禍福,其要在身,聖人重誡,敬慎所忽。中庸曰:“莫見乎隱,莫顯乎微;故君子能慎其獨也。”諺曰:“誠無垢,思無辱。”夫不誠不思而以存身全國者亦難矣。詩曰:“戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰。”此之謂也。

存亡禍福は、關鍵は自身に在り。聖人は警戒を看重し、忽視する所に對しても恭敬謹慎す。『中庸』に言う。「隱蔽中より顯現するはなく、細微中より顯著するはなし。ゆえに君子は能く独处の時に謹慎す。」諺語に言う。「誠実なれば垢汚なく、思慮すれば耻辱なし。」誠実ならず思慮せずして能く自身を保全し国家を保全するは、また難し。『詩経』に言う。「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を踩むが如し。」これを言う。

昔成王封周公,周公辭不受,乃封周公子伯禽於魯,將辭去,周公戒之曰:“去矣!子其無以魯國驕士矣。我,文王之子也,武王之弟也,今王之叔父也;又相天子,吾於天下亦不輕矣。然嘗一沐三握髮,一食而三吐哺,猶恐失天下之士。吾聞之曰:德行廣大而守以恭者榮,土地博裕而守以儉者安,祿位尊盛而守以卑者貴,人眾兵強而守以畏者勝,聰明睿智而守以愚者益,博聞多記而守以淺者廣;此六守者,皆謙德也。夫貴為天子,富有四海,不謙者先天下亡其身,桀紂是也,可不慎乎!故易曰,有一道,大足以守天下,中足以守國家,小足以守其身,謙之謂也。‘夫天道毀滿而益謙,地道變滿而流謙,鬼神害滿而福謙,人道惡滿而好謙。’是以衣成則缺衽,宮成則缺隅,屋成則加錯;示不成者,天道然也。易曰:‘謙亨,君子有終吉。’詩曰:‘湯降不遲,聖敬日躋。’其戒之哉!子其無以魯國驕士矣。”

昔、成王は周公を分封せんとしたが、周公は推辞して受けず。そこで周公の子伯禽を魯に封じた。将に告辞して離去せんとす。周公は彼を告誡して言った。「行け!お前は魯国を凭りて士に驕るなかれ。我は文王の子、武王の弟、当今王の叔父なり。また天子を輔佐す。我は天下に於ても軽からず。しかるにかつて頭を洗うこと一次に髪を握ること三次、飯を食うこと一頓に口裏の食物を吐出すこと三次したり。なお天下の士を失うを怕る。我が聞くに、徳行が広大にして恭敬を以てこれを守れば光栄なり、土地が広闊富饒にして節儉を以てこれを守れば安定なり、禄位が尊盛にして卑下を以てこれを守れば貴し、人民多く兵力強にして畏懼を以てこれを守れば勝利なり、聰明睿智にして愚拙を以てこれを守れば増益なり、見聞広く記憶多きにして浅近を以てこれを守れば広寛なり。この六つの守は、皆謙の徳なり。貴きは天子と為り、富きは四海を擁有す。謙虚ならざるは天下に先んじて自身を喪失す。桀・紂はこれなり。謹慎せざるべからんや!ゆえに『周易』に言う、一種の道あり、大は以て天下を守るに足り、中は以て国家を守るに足り、小は以て自身を守るに足る。これは謙を言う。「天の道は満盈を毀壞して謙虚を増益し、地の道は満盈を改變して謙虚に流向し、鬼神は満盈を損害して謙虚を福祐し、人の道は満盈を厭惡して謙虚を喜好す。」これにより衣服は為れば即ち一塊の衣襟を缺き、宮室は為れば即ち一箇の角落を缺き、房屋は為れば即ち交錯の装飾を加う。完成せざるを顯示す。天道はこの如し。『周易』に言う『謙は亨す。君子は好き終結あり。吉。』『詩経』に言う『湯の降礼は遅緩せず。聖敬の徳は日に日に上昇す。』この事を警戒せよ!お前は魯国を凭りて士に驕るなかれ。」

孔子讀易至於損益,則喟然而嘆,子夏避席而問曰:“夫子何為嘆?”孔子曰:“夫自損者益。自益者缺,吾是以嘆也。”子夏曰:“然則學者不可以益乎?”孔子曰:“否,天之道成者,未嘗得久也。夫學者以虛受之,故曰得,苟不知持滿,則天下之善言不得入其耳矣。昔堯履天子之位,猶允恭以持之,虛靜以待下,故百載以逾盛,迄今而益章。昆吾自臧而滿意,窮高而不衰,故當時而虧敗,迄今而逾惡,是非損益之徵與?吾故曰謙也者,致恭以存其位者也。夫豐明而動故能大,苟大則虧矣,吾戒之,故曰天下之善言不得入其耳矣。日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息;是以聖人不敢當盛。升輿而遇三人則下,二人則軾,調其盈虛,故能長久也。”子夏曰:“善,請終身誦之。”

孔子が『周易』を読みて損・益に至り、即ち嘆息した。子夏は席を離れて問うた。「夫子は何故嘆息するか。」孔子は言った。「自ら減損するは増益し、自ら増益するは缺損す。我はこれにより嘆息す。」子夏は言った。「ならば學習する者は増益すべからざるか。」孔子は言った。「否。天の道は、完成するは未だかつて長久せず。學習する者は虚を以て受け、ゆえにこれを得という。もし満盈を守るを知らざれば、天下の善言は彼の耳に入る能わず。昔、堯は天の位に踏み、なお誠信恭敬を以て持守し、虚静を以て下に對す。ゆえに百年來いよいよ興盛し、今に至りていよいよ彰明なり。昆吾は自ら善とし満意し、高処を窮盡して衰減せず。ゆえにあの時に虧敗し、今に至りていよいよ惡劣なり。これは損・益の征験ならずや。我が謙を言う所以は、恭敬を以て位を保全するなり。豐は明亮にして行動すればゆえに大なるを得。もし大なれば虧く。我はこれを警戒し、ゆえに天下の善言は彼の耳に入る能わずと言う。日は中天に至れば西に偏し、月は満盈すれば虧缺す。天地の盈虚は、時に随いて消長す。これにより聖人は盛満を承当すること敢えず。車に登りて三人に遇えば車を下り、二人に遇えば車軾に凭る。あの盈虚を調節す。ゆえに能く長久す。」子夏は言った。「よし。終身これを誦読せんことを請う。」

孔子觀於周廟而有欹器焉,孔子問守廟者曰:“此為何器?”對曰:“蓋為右坐之器。”孔子曰:“吾聞右坐之器,滿則覆,虛則欹,中則正,有之乎?”對曰:“然。”孔子使子路取水而試之,滿則覆,中則正,虛則欹,孔子喟然嘆曰:“嗚呼!惡有滿而不覆者哉!”子路曰:“敢問持滿有道乎?”孔子曰:“持滿之道,挹而損之。”子路曰:“損之有道乎?”孔子曰:“高而能下,滿而能虛,富而能儉,貴而能卑,智而能愚,勇而能怯,辯而能訥,博而能淺,明而能闇;是謂損而不極,能行此道,唯至德者及之。易曰:‘不損而益之,故損;自損而終,故益。’”

孔子が周廟を観看するに、欹器が彼に在り。孔子は廟を守る人に問うた。「これは何の器物か。」答えた。「ほぼ右坐の器物なり。」孔子は言った。「我が聞くに、右坐の器物は、満つれば翻覆し、空なれば傾斜し、適中なれば端正す。このようありや。」答えた。「是。」孔子は子路に水を取りて試さしめた。満つれば翻覆し、適中なれば端正し、空なれば傾斜せり。孔子は嘆息して言った。「ああ!どこに満ちて翻覆せざるがあらん!」子路は言った。「敢えて満盈を守るに方法あるかを問う。」孔子は言った。「満盈を守る方法は、舀取してこれを減損するなり。」子路は言った。「減損に方法あるか。」孔子は言った。「高ければ能く低下し、満つれば能く空虚にし、富めば能く節儉し、貴ければ能く卑下し、智あれば能く愚拙にし、勇あれば能く怯弱にし、善辯なれば能く遅鈍にし、広博なれば能く浅近にし、明亮なれば能く昏暗にす。これを減損して極に至らざるという。能くこの道を實行するは、ただ至徳の人のみ至る。『周易』に言う『減損せずしてこれを増益するは、ゆえに減損す。自ら減損して終結するは、ゆえに増益す。』」

常摐有疾,老子往問焉,曰:“先生疾甚矣,無遺教可以語諸弟子者乎?”常摐曰:“子雖不問,吾將語子。”常摐曰:“過故鄉而下車,子知之乎?”老子曰:“過故鄉而下車,非謂其不忘故耶?”常摐曰:“嘻,是已。”常摐曰:“過喬木而趨,子知之乎?”老子曰:“過喬木而趨,非謂敬老耶?”常摐曰:“嘻,是已。”張其口而示老子曰:“吾舌存乎?”老子曰:“然。”“吾齒存乎?”老子曰:“亡。”常摐曰:“子知之乎?”老子曰:“夫舌之存也,豈非以其柔耶?齒之亡也,豈非以其剛耶?”常摐曰:“嘻,是已。天下之事已盡矣,無以復語子哉!”

常摐は病あり。老子は前往して問候して言った。「先生の病は甚だ重し。弟子たちに告ぐべき遺教なきか。」常摐は言った。「お前はたとえ問わずとも、我もまた将にお前に告げん。」常摐は言った。「故郷を經過すれば車を下る。お前は知るか。」老子は言った。「故郷を經過すれば車を下るは、故舊を忘れざるを言うにあらずや。」常摐は言った。「嘻、是なり。」常摐は言った。「喬木を經過すれば快步す。お前は知るか。」老子は言った。「喬木を經過すれば快步するは、老を敬重するを言うにあらずや。」常摐は言った。「嘻、是なり。」口を張開して老子に見せて言った。「我が舌はまだ在るか。」老子は言った。「在り。」「我が歯はまだ在るか。」老子は言った。「なし。」常摐は言った。「お前は知るか。」老子は言った。「舌はまだ在るは、以て柔軟なればにあらずや。歯はなきは、以て剛硬なればにあらずや。」常摐は言った。「嘻、是なり。天下の事は已に完盡す。お前に告げんはなし!」

韓平子問於叔向曰:“剛與柔孰堅?”對曰:“臣年八十矣,齒再墮而舌尚存,老聃有言曰:‘天下之至柔,馳騁乎天下之至堅。’又曰:‘人之生也柔弱,其死也剛強;萬物草木之生也柔■,其死也枯槁。因此觀之,柔弱者生之徒也,剛強者死之徒也。’夫生者毀而必復,死者破而愈亡;吾是以知柔之堅於剛也。”平子曰:“善哉!然則子之行何從?”叔向曰:“臣亦柔耳,何以剛為?”平子曰:“柔無乃■乎?”叔向曰:“柔者紐而不折,廉而不缺,何為■也?天之道,微者勝,是以兩軍相加而柔者克之;兩仇爭利,而弱者得焉。易曰:‘天道虧滿而益謙,地道變滿而流謙,鬼神害滿而福謙,人道惡滿而好謙。’夫懷謙不足之,柔弱而四道者助之,則安往而不得其志乎?”平子曰:“善!”

韓平子が叔向に問うた。「剛と柔とどちらが堅固か。」答えた。「臣は八十歳なり。歯は再び脱落するも舌はまだ在り。老聃に言あり『天下最も柔なるは、天下最も堅なる上を馳騁す。』また言う『人は生きて柔軟弱く、死すれば剛強なり。万物草木は生きて柔(底本この字欠)、死すれば枯槁す。これを見れば、柔弱は生の一類、剛強は死の一類なり。』生けるは壊るも必ず再び恢復し、死せるは裂くるもいよいよ消亡す。我はこれにより柔が剛より堅固なるを知る。」平子は言った。「善いな!ならばお前の行事は何に依従するか。」叔向は言った。「臣もまた柔のみ。剛を以て何を為さん。」平子は言った。「柔はただ怕る(底本この字欠)か。」叔向は言った。「柔は紐結するも折断せず、棱角あるも缺損せず。何故(底本この字欠)せん。天の道は、微弱の取勝すなり。これにより両軍相加して柔の相を克制し、両仇讐の利を争いて、弱の得たり。『周易』に言う『天の道は盈を虧して謙を益し、地の道は盈を變して謙に流れ、鬼神は盈を害して謙を福し、人の道は盈を惡みて謙を好む。』謙虚不足を懐きて、柔弱にして四種の道は彼を助けん。ならばどこに至りても志を得ざらんや。」平子は言った。「よし!」

桓公曰:“金剛則折,革剛則裂;人君剛則國家滅,人臣剛則交友絕。夫剛則不和,不和則不可用。是故四馬不和,取道不長;父子不和,其世破亡;兄弟不和,不能久同;夫妻不和,家室大凶。易曰:‘二人同心,其利斷金。’由不剛也。”

桓公は言った。「金は剛硬なれば折斷し、皮革は剛硬なれば裂开す。人君は剛硬なれば国家は滅亡し、人臣は剛硬なれば交友は断絶す。剛硬なれば不和、不和なれば用うべからず。これにより四匹の馬が不和なれば、走る路は長からず。父子不和なれば、あの世は破亡す。兄弟不和なれば、長く同居する能わず。夫妻不和なれば、家室は大凶なり。『周易』に言う『二人同心なれば、その鋒利は金を切断するを得。』これは剛ならざるによる。」

老子曰:“得其所利,必慮其所害;樂其所成,必顧其所敗。人為善者,天報以福;人為不善者,天報以禍也。故曰:禍兮福所倚;福兮禍所伏;戒之,慎之!君子不務,何以備之?夫上知天、則不失時;下知地、則不。日夜慎之,則無災害。”

老子は言った。「あの利を得れば、必ずあの害を考慮せよ。あの成功を楽しめば、必ずあの失敗を顧念せよ。人の善を為すは、天は福を以て答報す。人の不善を為すは、天は禍を以て答報す。ゆえに言う、禍とは福の倚靠する所、福とは禍の潜伏する所なり。これを警戒し、これを謹慎せよ!君子は事に従事せざれば、以て何を防備せん。上は天を知りて時を失わず、下は地を知りて(底本ここに脱文ある疑い)。日夜に謹慎すれば、災害なし。」

曾子有疾,曾元抱首,曾華抱足,曾子曰:“吾無顏氏之才,何以告汝?雖無能,君子務益。夫華多實少者,天也;言多行少者,人也。夫飛鳥以山為卑,而層巢其巔;魚鱉以淵為淺,而穿穴其中;然所以得者餌也。君子苟能無以利害身,則辱安從至乎?官怠於宦成,病加於少愈,禍生於懈惰,孝衰於妻子;察此四者,慎終如始。詩曰:‘靡不有初,鮮克有終。’”

曾子は病あり。曾元は頭を抱き、曾華は脚を抱いた。曾子は言った。「我は顏氏の才なく、以てお前たちに告げん。たとえ無能なるも、君子は増益に致力す。花は多く果実は少きは、天なり。話は多く行事は少きは、人なり。飛鳥は山を以て低下とし、層層に山頂に巢を築く。魚鼈は深淵を以て浅とし、裏面に洞穴を打つ。しかるに捉えられる所以は、餌なり。君子がもし利を因として自身を害せざれば、耻辱はどこより到来せん。官は宦途成就の時に懈怠し、病は稍愈の時に加重し、禍は懈惰より產生し、孝は妻子に於て衰減す。これ四つの事を察看し、終結を開始の如く謹慎せよ。『詩経』に言う『始めなきはなく、終結あるは鮮し。』」

單快曰:“國有五寒,而冰凍不與焉;一曰政外,二曰女厲,三曰謀洩,四曰不敬卿士而國家敗,五曰不能治內而務外;此五者一見,雖祠無福,除禍必得,致福則貸。”

単快は言った。「国に五種の寒あり。而して氷凍はその中に在らず。一は政が外に落る、二は女禍が暴虐す、三は計謀が泄漏す、四は卿士を敬重せずして国家は敗壞す、五は内部を治める能わずして外部に致力す。この五者が一たび出現せば、たとえ祭祀しても福なし。禍を除去すれば必ず得、福を求むれば即ち相反す。」

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