黃金策 題 明・劉基著
作盤ガイド: 八字作盤
六十四卦は八經卦を兩兩相重ねて成り、每卦六爻は「動爻」「靜爻」「陰爻」「陽爻」の四種の身分に外ならず。まさにこの四者の錯雜配搭によりて、こそ…
八字命理典籍
初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。
總斷千金賦
動靜陰陽,反覆遷變。(八八六十四卦是由動爻、靜爻、陰爻、陽爻組成的,動靜陰陽構成了六十四卦的反覆變化。)雖萬象之紛紜,須一理而融貫。(卦所呈現的象,即卦象及組成卦的諸因素間的關係,千變萬化、紛紜複雜,但卜易必須以一個總的理論為指導,這個理為五行的生剋制化。)
六十四卦は八經卦を兩兩相重ねて成り、每卦六爻は「動爻」「靜爻」「陰爻」「陽爻」の四種の身分に外ならず。まさにこの四者の錯雜配搭によりて、こそ六十四卦に反反復復の遷移變化を生出せしむるなり。占斷する時に面對する卦象、および卦象を構成する世應・六親・日月・動變などの種種の關係は、頭緒極めて紛繁なり。ただし紛繁の中に必ず一條の貫穿始終の總綱を捉え、一象を見て一象を說くべからず。この總綱はすなわち五行の「生克制化」なり——およそ吉凶成敗は、最終に皆五行の間の相生・相克・相制・相化の上に回りて衡量するを要す。
夫人有賢,不肖之殊;卦有過,不及之異。太過者,損之斯成;不及者,益之則利。(卦以中和為好,不要太過,不要不及。要抑其過,補其不及,所求之事才有成功的希望。太過,指卦中主事爻,即用神太多、太旺,多則不能專一,就該損之。損,就是用其他因素,月、日、動爻等來剋制一下。如土為用神,卦中出現二三位土,須得寅、卯月日來克,才能斷其事成,不及則反之。其益法需生、扶、拱、合。)
人に賢能と不肖との分別あるがごとく、卦にも太過と不及との差異あり。太過はそれを減損してこそ、事は辦成を得。不及はそれを補益してこそ、事は利あり。卦を占するに中和を貴び、頭を過ぐるを怕れ、また足らざるを怕る。必ずその有餘を抑え、その不足を補いてこそ、求むる所の事に指望あり。いわゆる太過とは、卦中の事を主る爻すなわち「用神」の出現すること多すぎ氣勢太旺なるを指す。用神一たび多ければすなわち專一する能わず、かえって事を誤る。ゆえに損するを要す。損の辦法は外力を借りて克制するか、あるいは月建を用い、あるいは日辰を用い、あるいは卦中の動爻を用う。たとえば土を以て用神と爲すも、卦裡に卻って兩三位の土爻を排出せば、すなわち須らく寅・卯のこの類の木に屬する月份あるいは日子に逢い土を克してこそ、事の辦成を斷定しうる。不及は則ち反對に處理し、相生・相扶・相拱・相合の四法を用いてそれを接濟す。
生扶拱合,時雨滋苗;克害刑沖,秋霜殺草。(生,相生,金生水、水生木之類。扶、拱都是同類相幫之義。先幫後為扶,後幫先為拱。如卯為用神,寅日占,寅能扶卯,如寅為用神,卯日占,卯能拱寅。合有二合、三合。二合,子與丑合,寅與亥合之類,三合,三合成局,申子辰合成水局,寅午戌合成火局之類。生扶拱合四者能調護幫助用神,用神弱能使之強,衰能使之旺,伏者遇之則起,故用時雨滋潤禾苗來比喻。克,即五行相剋,金克木、父克子之類。害指六害,子未相害、丑午相害之類,刑指三刑、四刑。沖為六沖,四沖,此四者能傷身,能敗德,能制伏,能壞事,所以以秋霜殺草來比喻。生扶拱合,用神見之吉,忌神見之凶,克害刑沖,用神見之凶,而忌神見之反為吉。不能一概而論。)
「生」「扶」「拱」「合」の四者が爻上に加わるは、及時雨の禾苗を澆灌するがごとし。「克」「害」「刑」「冲」の四者が爻上に加わるは、秋霜の野草を摧折するがごとし。分かちて言えば:生は五行相生にして、金の水を生じ水の木を生ずるの類なり。扶と拱とは皆同類相助にして、ただ先後を分かつ——前に在るの後に在るを幫くを扶と叫び、後に在るの前に在るを幫くを拱と叫ぶ。卯木を用神と爲して寅日に課を起こせば、寅は卯の前に在り、これ寅の卯を扶くなり。寅木を用神と爲して卯日に課を起こせば、卯は寅の後に在り、これ卯の寅を拱るなり。合は兩種を分かつ。二合は子と丑との合・寅と亥との合の一類、三合は三支會して一局を成す、申子辰會して水局を成し寅午戌會して火局を成すの一類なり。この四樣は皆能く用神を護持す。弱きは能く強に轉じ、衰えたるは能く旺に轉じ、潛伏現れざるもこれに遇えば能く起用す。ゆえに春雨の苗を潤すを以て比と作す。克は五行相克にして、金の木を克し・「父母」爻の「子孫」爻を克するの類なり。害は六害を指し、子未相害・丑午相害の類なり。刑は三刑・四刑を指す。冲は六冲・四冲を指す。この四樣は能く身體を傷つけ徳行を敗し、手脚を制住し事情を壞す。ゆえに秋霜の草を殺すを以て比と作す。ただし吉凶は誰が身上に落つるかを看るを要す。生扶拱合は用神上に落つれば吉にして、忌神上に落つればかえって凶なり。刑冲克害は用神上に落つれば凶にして、忌神上に落つればかえって吉なり。一概に論ずべからず。
長生帝旺,爭如金谷之園;死墓絕空,乃是泥犁之地。(長生、帝旺、死、墓、絕均為十二宮中之神。十二宮指長生、沐浴、冠帶、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絕、胎、養,以人從胚胎到出生到消亡的十二個環節來比喻事物的不同發展階段。空為旬空、空亡。金谷園,晉.石崇在金谷澗建的園林,用金谷園來比喻富貴強盛。泥犁,梵語,就是地獄。以此言其凶。黃金策行文多用典,以下不注。六爻遇長生、帝旺、雖衰弱也作有氣論。如推成事,帝旺主速成,長生較遲緩。因長生就象人剛一下生,尚未強壯,帝旺好象人到了壯年,其力進銳。六爻遇死、墓、絕、空,則主陷溺,雖得時旺相也不能成事,但凶神遇之則吉。)
爻が「長生」「帝旺」に臨めば、譬すれば身が金谷園中に在るがごとき興旺富足なり。爻が「死」「墓」「絶」「空」に落つれば、譬すれば泥犁の中に墮入するがごとき困頓凶險なり。長生・帝旺・死・墓・絶は皆十二宮裡の位次なり。十二宮は次々に長生・沐浴・冠帶・臨官・帝旺・衰・病・死・墓・絶・胎・養にして、古人は人の受胎・出生・壯盛より衰亡に至るの十二個の階段を借りて、以て事物盛衰の同じからざる段落を比擬す。空は旬空を指し、また空亡と叫ぶ。金谷園は晋人石崇が金谷澗に建つる所の名園にして、ここにそれを借りて富貴強盛を形容す。泥犁は梵語にして、すなわち地獄なり。それを借りて凶惡を形容す。《黃金策》は通篇典故を好む。以下同類の典故は再び一々出註せず。およそ六爻が長生・帝旺に遇上せば、縱い本身衰弱なるとも、當に「氣有り」と看做して對待すべし。もし事情辦成の遲速を推斷せば、帝旺は速成を主り、長生は偏に遲緩なり——長生は譬すれば人の剛出生して元氣未だ壯ならざるがごとし。帝旺は譬すれば人の壯年に到りてその力まさに鋭きがごとし。反して、六爻が死・墓・絶・空に遇上せば、便ち陷溺沈淪を主り、たとい時を得て旺相なるとも事を成し難し。ただしもし凶神の身上に落つれば、凶神困せられて、かえって吉兆なり。
日辰為六爻之主宰,喜其滅項以安劉。(日辰是卜筮之主,不看日辰則不知卦中吉凶輕重。日辰能沖動安靜之爻,對動爻能制,對凶神能抑之,對旺相能挫,對衰者能扶,對生合者能破。古人說,日辰能救事、能壞事。如占文書,以父母爻為用神,卦中如有財爻發動,財克父母,文書不成。但若得日辰克住財爻,或沖散財爻,財爻則不能去傷害父母,故得文書有氣,其事可成。這是日辰救事。又如占子孫,卦中父母不動,子孫爻不空,本為吉兆,但如被日辰沖扶父母,父母就能克害子孫,則變吉為凶,這是日辰壞事。總之日辰扶持用爻則吉,扶持忌爻則凶,日辰剋制忌爻則吉,剋制用爻則凶。)
「日辰」は六爻の總主宰にして、最もそれが漢軍の項羽を滅し劉氏を安定せしがごとく、卦中の爲害の爻を除去するを喜ぶ。卦を占して日辰を看ざれば、すなわち卦裡の吉凶の輕重を分清する能わず。日辰の權能は極めて大なり。靜爻はそれが能く冲して動かし、動爻はそれが能く制して住め、凶神はそれが能く壓して下げ、旺相の爻はそれが能くその鋒芒を挫き、衰弱の爻はそれが能くその起立を扶け、本より相生相合なるもそれまた能く破開す。ゆえに古人は日辰は能く事を救い、また能く事を壞すと言う。一個の事を救うの例を舉ぐ:文書を占するに「父母」爻を以て用神と爲す。もし卦中「妻財」爻發動して、財が父母を克せば、文書は本より辦成せず。然るに日辰もしあの財爻を克住し、あるいはそれを冲散せば、財爻は便ち父母を傷つくるに力なく、父母は氣を得るを得て、事情はかえって成りうる。さらに一個の事を壞すの例を舉ぐ:子孫を占す。卦中の父母は安靜にして動かず、「子孫」爻また落空せず、本より吉象なり。ただし日辰が來りて父母を冲扶せば、父母は勢を得て便ち子孫を克害し往き、好卦は便ち凶卦に翻る。歸總して一句:日辰が用神を扶持すれば則ち吉、忌神を扶持すれば則ち凶。日辰が忌神を克制すれば則ち吉、用神を克制すれば則ち凶。
月建乃萬卜之提綱,豈可助桀為虐。(月建與日辰一樣,都能生扶拱合沖剋刑害用爻,如求財,卦中無財,月建是財,以後終須可得。若卦中有財,月建克財,定主艱難,須過此一月才能得到。但月建和日辰又是有分別的,月建主要確定用爻的旺相休囚及月破與否,日辰主要定用爻的生旺墓絕空等。)
「月建」は一切卜筮の總提綱にして、斷じてそれをして凶惡の爻を幫きて虐を爲さしむべからず。月建は日辰と同じく、用爻に對して皆能く生・扶・拱・合と冲・克・刑・害とを施加す。たとえば財を求めて、卦中並に「妻財」爻なきも、しかして月建恰恰として財なれば、則ちこの財は早晚終に得るに歸す。反して、卦中財爻あると雖も、月建は卻って來りてそれを克すれば、すなわち財を取ること艱難を主り、是非ともこの一個月を過ぎてこそ拿得しうる。ただし月建と日辰との分工は並に相同じからず。月建は主として用爻の「旺相休囚」および「月破」なるや否やを決定し、日辰は主として用爻の生・旺・墓・絶・空のこの一路の狀態を決定す。
最惡者歲君,宜靜而不宜動。(本年太歲之爻為歲君,如甲申年,卦中出現申爻,即為歲君,這一爻宜靜不宜動,如此爻發動沖剋世、身、用爻,主災厄不利,一年之中多不寧靜,如被日辰、動爻沖起,主有災患。)最要者身位,喜扶而不喜傷。(身,即月卦身。成卦之後,先看卦身現與不現,與月建、日辰、動爻有無干涉,則吉凶可見。卜易以身為最要,不可不看。如占得困卦,身爻在午,因卦午火為官鬼,旺則有官事繫身,衰則主有疾病。卦身占事為事體,占人為人身,喜生扶拱合,不喜傷,傷即刑沖剋害。)
卦中に最も畏るべきは「歲君」なり。それは安靜を宜とし發動を宜とせず。當年太歲の屬するあの一爻はすなわち歲君なり。たとえば甲申年に課を起こし、卦裡に申爻出現せば、申は便ち歲君なり。この一爻は一旦發動して世爻・卦身あるいは用神を冲克せば、すなわち一年の内に災厄頻仍・諸事不寧を主る。たといそれ自己動かずとも、日辰あるいは動爻に冲起せられれば、同じく災患を防ぐを要す。卦中に最も緊要なるは「身位」なり。それは生扶を喜び刑傷を喜ばず。いわゆる身とは、すなわち「月卦身」なり。卦の排定せるのち、先ず卦身の出現するや否やを看、再びそれが月建・日辰・動爻と牽涉あるや無やを看れば、吉凶大略微に判定しうる。卦を占するに卦身を以て第一要務と爲し、看ざるべからず。たとえば《困》卦を占得して、卦身が午爻に落つれば、午火は《困》卦中に「官鬼」に屬す。官鬼旺なれば、すなわち官司纏身あるを主る。官鬼衰なれば、すなわち病に染むを主る。卦身は用いて事を占すれば事體を代表し、用いて人を占すれば人身を代表す。一概に生・扶・拱・合を喜び、傷を喜ばず——いわゆる傷とは、すなわち刑・冲・克・害なり。
世為己,應為人,大宜契合;(世應為賓主之象,世為自己,應為他人。求謀用事,世與應生合比和,則有成就,若刑沖剋害,必主艱難。)動為始,變為終,最怕交爭。(交、重為變爻,為動。動則陰爻變陽爻、陽爻變陰爻。占事以動爻為事之始,以變出爻為事之終。最怕交爭,指主事爻動變出之爻回頭克沖刑害主事爻,乃大凶之兆,即使用爻旺相,也不能稱心遂意。)
「世」爻は自己を代表し、「應」爻は對方を代表す。兩者は最も相互契合するを宜とす。世應は賓主の象徵なり。世は我、應は彼なり。およそ事を謀り事を用うるに、世と應と能く相生・相合あるいは比和すれば、事情は便ち成就あり。もし彼此刑冲克害せば、必ず阻礙重々なり。「動」爻は事情の起頭、「變」じ出づる爻は事情の結局なり。最も怕るるは二者の互相交爭なり。爻象裡の「交」と「重」とは皆發動の爻なり。一たび動けば、陰爻は便ち陽爻に變じ陽爻は便ち陰爻に變ず。事を占する時は發動の爻を以て事情の開端を看、それの變じ出づる爻を以て事情の收場を看る。いわゆる最も交爭を怕るとは、事を主る爻の動きて變じ出づるあの爻が、回頭して主事の爻を克・冲・刑・害するを說く。これを回頭相攻と叫び、大凶の兆なり。縱い用神本身旺相なるとも、事情は能く稱心如意ならず。
應位遭傷,不利他人之事;世爻受制,豈宜自己之謀?(應爻受傷,不利代占,代占以應為主;世受傷,不利自占,自占以世為主。)世應俱空,人無準實;(世應二爻不宜在空亡之地,世空為自己不實,應空為他人不實。世應俱空,彼此皆不實,謀事必有阻節,卦若安靜,世應空合謂之失約無誠言。)內外競發,事必翻騰。(卦中有一二爻發動,變化有常,生克不亂,自有條理。若內外卦多爻亂動,則吉凶難定,人情無常,必主事體反覆。所以說獨發易取、亂動難尋。)
應爻が損傷を受くれば、別人に替わりて占する事は順ならず。世爻が人に制せられれば、自己の謀劃する事はまたどうして順遂ならんや。他人に代りて代占するは應爻を以て主と爲し、應爻が傷を受ければ便ち彼に對して不利なり。自己の爲に課を起こすは世爻を以て主と爲し、世爻が制せられれば便ち己に對して不利なり。世應兩爻皆「空亡」に落つれば、則ち彼此說話皆數と作さず。世空は自己の心實ならず、應空は對方の意實ならず、兩頭俱に空なれば、事を謀るに必ず阻隔を生ず。倘若卦また安靜にして、世應空にして相合せば、すなわち彼此失約・並に誠意の言なしと作す。内卦外卦爭いて發動すれば、事情は必ず翻來覆去す。卦裡にただ一兩個の爻發動せば、變化に常軌あり、生克に條理ありて、事情はなお看清しうる。もし内外六爻亂紛紛として齊動せば、吉凶は便ち論定し難し。人情反覆無常にして、事體は自然に一變再變す。ゆえに說く、獨發の卦は斷を取るに易く、亂動の卦は尋繹し難しと。
世或交重,兩目顧瞻於馬首;應如發動,一心似托於猿攀。(世與應爻皆不宜動,世爻發動主本人三心二意,左顧右盼;應爻發動,主他人心易變遷。)用爻有氣無他故,所作皆成;主象徒存更被傷,凡謀不遂。(用爻有氣無氣,依五行旺相休囚論。旺相為有氣,休囚為無氣。主象義與用爻同。用爻喜旺相有氣,不宜衰弱無力。若用爻有氣別無日辰、動爻刑沖剋害,為上吉好卦,隨心所欲無不稱意。主象徒存,即用爻無氣,如又被日辰、動爻克害刑沖,是大凶下卦,作事枉費心機,必無可成之理。)
世爻もし交・重に逢いて發動せば、占者は便ち兩眼ただ馬頭を盯着し左顧右盼して主意を拿定せざるがごとし。應爻もし發動せば、對方の心思は便ち猿猴の枝に攀るがごとく飄忽定まらず。世應二爻は本より皆動かざるを宜とす。世動は本人の三心二意を主り、應動は他人の反覆變卦を主る。用神に氣ありてまた別に妨礙なければ、辦する所の事成らざるなし。主象空しく位置を占めてまた傷を受くれば、およそ謀劃あるも皆心を遂ぐる能わず。用神の氣有り氣無しは、五行の「旺相休囚」に按じて判斷す。旺相を氣有りと爲し、休囚を氣無しと爲す。「主象」と用神とは一個の意思なり。用神は旺相有力を喜び、怕るるは衰弱無援なり。もし用神既に氣あり、また日辰・動爻の來りて刑冲克害するなければ、これは上等の吉卦にして、心の欲する所に隨いて如意ならざるなし。いわゆる主象徒存とは、用神は卦中に在ると雖も毫も氣力なく、さらに日辰・動爻に克害刑冲せられれば、それすなわち大凶の下卦にして、事を爲すもただ心機を白費するのみ、斷じて成功の理なし。
有傷須救,(傷,即是主象用爻、身世被卦中其他動爻刑沖剋害。有傷屬不吉。救,是指卦中的動爻或日辰等來剋制傷害用爻之爻。如用爻為申金,卦中有午火動克申金。申金為有傷。如日辰是未,未能合住午火,午火則不能去傷害申金,謂之有救。)無故勿空,(旬空,有有故而空,有無故而空。凡遇日月動爻傷克而在空亡,為有故而空,避之可也。若無刑沖剋害而身世主象自落空亡,為無故而空,大凶之兆。占病必死,占事不成,占人有難。無故而空,雖有日辰動爻生扶而無用。)
爻既に傷を受くれば、必ず救あるを要す。いわゆる傷とは、主象・用神あるいは世爻・卦身が卦中の別の動爻に刑冲克害せらるるを言う。これは本より不吉の象なり。いわゆる救とは、卦中に別に動爻あるいは日辰ありて出面し、往きてあの害を施す爻を牽制するを言う。例を舉げて說けば、用神は申金にして、卦裡午火發動して來りて申金を克すれば、申金は便ち傷を受くと算す。もし日辰恰も未土なれば、未と午と相合して、午火を絆住す。午火は便ち手を騰出して申金を傷つくる能わず。これを救ありと叫ぶ。爻もし無縁無故に落空せば、それすなわち大いに不妙なり。「旬空」は須らく兩種を分かつを要す。一種は緣故ある空にして、すなわち當該の爻まさに月建・日辰あるいは動爻に克傷せられつつ、卻って恰好空亡の裡に躲進す。これは難を避くるにして、妨げなし。別の一種は緣故なき空にして、すなわち身・世・主象は並に何の刑冲克害を受けず、卻って自ら空亡に落進す。これは大凶の兆なり——病を占せば必ず死し、事を占せば成らず、人を占せば難あり。この種の無故の空は、縱い日辰・動爻ありて來りて生扶するとも、全く事を濟さず。
空逢沖而有用。(卦爻空亡,如逢沖則必動,動則不空。所以雖空而有用。如戊午日占天時得井卦,卦中子水父母空,卻被日辰沖動,定主有雨。)合遭破以無功(卦中有合,所謀易遂,如兩人同心協力。唯怕奸詐小人兩邊挑撥。故凡遇合,須防刑沖剋害破合。如寅亥兩爻本相和合,若卦中戌土發動,戌土克了亥水,雖合而無用。)
落空の爻もし冲せられれば、かえって用あり。卦爻空亡に在ると雖も、一たび冲に遇えば必ず發動す。一たび動けばすなわち再び空と算せず。ゆえに空なると雖もなお取用しうる。たとえば戊午日に天氣を占して《井》卦を得れば、卦中の子水「父母」爻はまさに旬空に値するも、卻って日辰午火に冲動せらる。父母は雨を主る。便ち雨あるを斷定しうる。相合の爻もし破せられれば、すなわち無功に歸す。卦中に合あれば、謀る所は成就し易く、兩人の同心協力するに同じ。ただ怕るるは姦詐小人ありて中より挑撥せんとするなり。ゆえにおよそ相合に遇えば、皆須らく刑・冲・克・害の來りてこの合を破壞するを提防すべし。たとえば寅木と亥水との兩爻は本より相和合すれども、卦中に偏偏戌土發動し、戌土が亥水を克掉せば、則ち合は在ると雖も、また作用を起こす能わず。
自空化空,必成凶咎;(自空,是用神自落空亡。化空,用爻動化出之爻又值旬空。用爻空亡或用爻化為空亡都是謀望無成之凶象。)刑合克合,終見乖違。(合中有刑,合中有克,終究為不吉之象。)動值合而絆住,(動爻如遇合,為合絆住,不能動,只當靜爻論。)靜得沖而暗興。(不動之爻為靜,靜爻如被日辰所沖,則為暗動,暗動以動爻論。)
用神が自ら落空し、あるいは動じて化じ出づる爻また落空するは、皆必ず凶咎を招致す。「自空」は用神本身が旬空の上に坐するなり。「化空」は用神發動して、變じ出づるあの爻またまさに旬空に値するなり。この兩樣は皆所望の事の實處に落ちざるを表示す。謀るも成らざるの凶象なり。相合の中に刑を夾み、あるいは克を夾むは、結果終に乖違不順なり——合裡に刑を帶び、合裡に克を帶ぶは、看るに成る能くに似て、其實不吉なり。發動の爻もし合に遇上せば、便ち合に脚を絆せられて、動き起る能わず。ただ靜爻と當てて看待するのみ。安靜の爻もし日辰に冲せられれば、かえって暗中に興起す。これを「暗動」と叫び、表面は動かずと雖も、判斷する時は當に動爻と作して處理すべし。
入墓難克,(動爻入墓,不能去克他爻,他爻入墓,也不受動爻所克。如未日占卦得寅木發動,本能克卦中土爻,但未是木之墓,寅木入墓則不能去克卦中其他土爻。再如辰日占得寅木發動,辰為土之墓,寅木雖然發動,但被克者已藏於墓中,寅木仍不能克。)帶旺匪空。(爻處旺相,謂之有氣,如此爻值旬空,不以空論。可斷為雖日下受阻,過旬而成。)
爻一たび墓に入れば、克力は便ち使出す能わず。これに兩面あり。克を施す動爻が墓に入れば、別人を克動せず。克を受くる爻が墓に入れば、また再び動爻の克を挨らず。例を舉げて說けば、未日に課を起こし、卦中の寅木發動せば、寅木は本より往きて卦裡の土爻を克しうるも、然るに未はまさに木の墓庫にして、寅木は自ら墓中に陷り、便ちあの土爻を克する能わず。またたとえば辰日に課を起こし、寅木は照樣發動するも、辰は土の墓庫にして、克を受くる土はすでに墓裡に躲進し、寅木は動すと雖も、依然としてそれを克し著くる能わず。爻もし身に旺氣を帶ぶれば、すなわち眞空と算せず。爻が旺相に處るを氣有りと叫ぶ。この樣の爻は縱いまさに旬空に値するとも、空亡に按じて論斷する能わず。ただ眼下暫時阻滯を受くと斷作し、この一旬を過ぎれば便ち事を成しうる。
有助有扶,衰弱休囚亦吉;(此指用神而言。用神衰弱本為不美,喜得日辰、月建、動爻生扶合併,而不作衰弱論。)貪生貪合,刑沖剋害皆忘。(本來能刑沖剋害他爻之爻,貪合而不再為害,貪合忘刑,貪合忘沖,貪合忘克與貪生忘克一理,參見《闡奧歌章.碎金賦》)
幫助あり扶持あれば、縱い衰弱休囚なるとも依然として吉なり。この句は專ら用神に就いて言う。用神の衰弱は本より美事に非ざれども、ただ日辰・月建あるいは卦中の動爻の來りて生じ・來りて扶け・來りて合し・來りて併するを得れば、すなわち再び衰弱に照らして論斷する能わず。爻もし生を受くるに貪り合を受くるに貪れば、原有の刑冲克害は皆それに忘れ去らる。本來他爻を刑冲克害するに能力あるあの爻は、眼前の合に貪著するがゆえに再び害を施さず。これは便ち貪合忘刑・貪合忘冲・貪合忘克なり。「貪生忘克」とは一個の道理なり。《闡奧歌章・碎金賦》を參看すべし。
別衰旺以明克合,辨動靜以定刑沖。(克合刑沖都是有條件的:旺爻能克衰爻,衰爻克不得旺爻,旺爻合得起衰爻,衰爻合不起旺爻。動爻能刑靜爻。靜爻不能刑動爻,動爻沖得起靜爻,靜爻沖不起動爻,日辰能害卦爻,卦爻不能害日辰等,以此類推。兩爻俱靜以旺為先,有動以動為急。上述是辨別刑沖剋合的總的原則,只有如此才能作到事歸於一而無兩端之疑。)
須らく先ず衰旺を分清してこそ、誰が誰を克し誰が誰と合するかに談足る。須らく先ず動靜を辨明してこそ、誰が誰を刑し誰が誰を冲するかを定下しうる。克・合・刑・冲は皆條件あり。旺爻は能く衰爻を克すれども、衰爻は卻って旺爻を克動せず。旺爻は能く衰爻を合起すれども、衰爻は卻って旺爻を合起す能わず。動爻は能く靜爻を刑すれども、靜爻は動爻を刑す能わず。動爻は能く靜爻を冲起すれども、靜爻は動爻を冲起す能わず。日辰は能く卦中の爻を害すれども、卦爻は卻って日辰を害し到らず——その餘はこれに照らして類推しうる。兩爻皆安靜なる時は、旺なる者を以て先と爲す。ただ一方の發動あれば、すなわち動なる者を以て急と爲す。これらは刑冲克合を判別するの總原則なり。これに依りて推尋して、こそ結論を一處に歸し、左右兩可・疑いて決せざるに致らざるを得。
併不併、沖不沖,因多字眼;刑非刑、合非合,為少支神。(並,日辰與卦中爻相同為並。如子日占卦,卦中子為用神,則為並。如卦中子爻衰弱,因日辰並之,則為旺論,卦中只有一位子爻與日辰子才能為並,如卦中有兩個子爻,而不能成並。沖也是如此。三刑、三合,都必須三者皆見,而且兩動一靜,靜爻刑,合不起動爻,一動也刑,合不起兩靜,缺一位不能成刑、成合。)
看れば「併」を成すに似るも卻って併び起らず、看れば「冲」を成すに似るも卻って冲動せざるは、同類の字眼多すぎるがゆえなり。看れば刑を成すに似て其實刑を成さず、看れば合を成すに似て其實合を成さざるは、所需の地支なお一位を缺くがゆえなり。いわゆる併とは、日辰と卦中の某爻との地支相同なるを言う。子日に課を起こし、卦中の子爻まさに用神なれば、日辰それと相併す。子爻本來衰弱なるも、この一併に因りてすなわち須らく旺相に按じて論ずべし。ただし相併に一個の前提あり——卦裡にただ一位の子爻のみ日辰の子と相應對するを得。もし卦中に兩個の子爻出現せば、日辰は便ち專併するに由なく、併は便ち成立せず。冲の道理もこれと同じなり。三刑・三合に至っては、必ず三個の地支齊備し、しかも格局上に須らく兩動一靜を要す。靜爻は動爻を刑動せず合住せず、一個の動爻もまた兩個の靜爻を刑動せず合住せず。三位の中一位を缺けば、刑と合と皆談ずるに由なし。
爻遇令星,物難我害;(爻,用神主事爻。令星,月建之五行。物,指能刑沖剋害用神之動爻。如果用神爻與月建的五行相同,則為爻遇令星。那本能刑沖剋害用神的動爻也不能害用神了。)伏居空地,事與心違。(伏,伏神,卦中無用神,伏神又居空亡,所求之事決不能成。)
用神もし當令の星と同氣なれば、外物は便ちそれを傷害する能わず。ここの「爻」は用神すなわち事を主る爻を指し、「令星」は月建の屬する所の五行を指し、「物」は卦中のあの用神を刑冲克害しうる動爻を指す。用神の五行と月建と相同じければ、すなわち爻の令星に遇うと叫び、當月の正氣を得るに等し。この時本來足りてそれを刑冲克害しうる動爻も、またそれを奈何する能わず。用神が卦に上らずして下に伏し、偏偏また空亡の處に伏すれば、事情はすなわち心願と相違せんとす。いわゆる伏とはすなわち「伏神」なり。卦中に用神を見ず、ただ伏神を取りて代看するのみ。伏神もしさらに空亡に坐進せば、求むる所の事は斷然として成らず。
伏無提挈終徒爾,飛不摧開亦枉然。(伏神空亡,凡事不利。伏神若不空亡,必須沖開飛神,提起伏神事方有望。)空下伏神,易於引拔;(伏神伏於空亡爻下,無阻攔易出。一遇日辰動爻沖合,伏神即為有用。但須注意,伏神有用,總是遲於用神的。)制中弱主,難以維持。(制,指受月建、日辰剋制。用爻休囚又被日辰月建剋制,即使有動爻生扶拱合,也無濟於事。)
伏神に提攜する人なければ、終に徒勞に歸す。飛神の摧開せられざるも、また枉然なり。伏神もし空亡に落つれば、諸事利ならず。たとい伏神空ならずとも、必ず先ずそれの上に壓する「飛神」を冲開し、伏神を提起してこそ、事情に指望あり。反して說けば、伏神もしまさに一個の空亡の爻の底下に伏すれば、便ち引拔せらる易し——上面に攔阻の物なく、一たび日辰あるいは動爻の來りて冲し・來りて合するに遇えば、伏神は立刻に用いうる。ただし記すべし、伏神は縱い用いうるとも、應期は總じて現成の用神より來ること遲し。用神は本よりすでに衰弱にして、また被制の中に處れば、便ち支撐し難し。ここの「制」は月建・日辰の克制を受くるを指す。用爻は既に休囚無力にして、また日月に壓下せられれば、則ちたとい卦中に別に動爻ありて來りて生扶拱合すとも、終に事を濟さず。
日傷爻真罹其禍,爻傷日徒受其名。(日辰能傷克卦爻,卦爻不能傷剋日辰。月建與爻的關係同此。)墓中人不沖不發,(用爻入墓,則多阻滯,諸事費力難成。須待日辰、動爻沖剋其墓日,方可有用。)身上鬼不去不安。(六親中以官鬼為凶神,占得世爻臨官鬼,為身上有鬼,如果不是當官有公干之人身上有鬼,多凶少吉,須待日辰、動爻克去官鬼才能無憂。)
日辰が往きて卦爻を傷つければ、卦爻は眞に禍を受く。卦爻が往きて日辰を傷つければ、不過空しく一個の名目を擔うのみ。これは日辰が高く居り下に臨みて、能く卦中の爻を克傷し、卦中の爻は卻って日辰を傷つくる能わざるがゆえなり。月建と卦爻との關係もまたかくのごとし。用神は一旦墓に入れば、譬すれば人の墓中に關せらるるがごとく、冲開を經ざれば發出する能わず。墓に入れば則ち處處阻滯し、諸事力を費やして成し難し。必ず日辰あるいは動爻の來りてあの墓庫を冲克するの日子を待ちて、用神こそ重新に用いうる。世爻の上に「官鬼」を帶ぶれば、それを除掉せざれば安寧を得ず。六親の中に官鬼は凶神に屬す。卦を占する時に世爻が官鬼に臨めば、すなわち身上に鬼あり。ただ本人まさに官府に當差して身に公幹を負う人に非ざれば、否んじゃ多く凶にして少なく吉にして、是非とも日辰あるいは動爻が官鬼を克去するを待ちてこそ、憂患を免るるを得。
德入卦而無謀不遂,(德為天干地支上下皆合,又稱龍神。以主合為妙,克合次之。遇德爻入卦為主象,所謀皆遂。)忌臨身而多阻無成。(忌,忌神。忌神臨身世,不論公私之事皆主阻滯而不順。忌神休囚,辦事費力,忌神旺相,事必不成。)
「徳」爻が卦中に進入せば、謀る所に成らざる一樣なし。いわゆる徳とは、天干と地支と上下皆相合するの爻にして、また龍神と叫ぶ。その中に我を生じて合するを以て最妙と爲し、我を克して合するを以て次と爲す。もしかくのごとき徳爻が卦に入りてかつ主象に充當すれば、則ち謀る所は如意ならざるなし。「忌神」が身世の上に臨めば、則ち處處阻を受けて終に成らず。忌神はすなわち用神を克害するの爻にして、それ一旦卦身あるいは世爻に臨めば、公事私事を論わず皆滯礙不順を主る。忌神休囚なれば、なおただ事を辦するに力を費やすのみ。忌神旺相なれば、事情は便ち根本に辦成せず。
卦遇凶星,避之則吉;(凶星,指刑沖剋害。避之,指用爻在旬空,受刑沖剋害之爻在旬空為避,此不為空,只是目下雖阻,過旬即成。)爻逢忌殺,敵之無傷。(忌殺,忌神。忌神發動,凡事不利。敵之,指得到比肩同類的幫助,以眾敵寡之義。用爻遇忌神發動,得日辰、月建、動爻拱扶,用神無有損害。)
卦裡に凶星に遇上するも、能く躲開すればすなわち吉に轉ず。ここの凶星は刑・冲・克・害を指す。いわゆる躲開とは、用神がこの刻まさに旬空に落つるを指す——刑冲克害を受くる爻が恰も空裡に在りて、鋒芒を避開するに等し。この種の空は眞空と算せず。ただ眼下阻を受くるのみ、この一旬を出でば事情照樣に成りうる。爻が忌神凶殺に碰上するも、ただ抵當し住すればすなわち傷を受けず。忌殺はすなわち忌神にして、忌神一たび發動すれば、凡事利ならず。いわゆる抵當とは、同類の爻の幫襯を得て、衆を以て寡を御するなり。用神は忌神發動に遇うと雖も、ただ日辰・月建あるいは卦中の動爻の來りて拱し來りて扶ければ、用神は便ち安然無損なり。
主象休囚,怕見刑沖剋害;用爻變動,忌遭死墓絕空。(休囚則不能敵殺。死墓絕空乃陷井之地,大凶。死不復生,絕不復續,入墓則不能出,墮空則不能起。若主象發動而化入死墓絕空之地,不問公私大小之事,皆主不成。占病逢之必死無疑。)
主象もしすでに休囚なれば、最もさらに刑冲克害に撞上するを怕る。用神もし發動生變せば、最も死・墓・絶・空の裡に變入するを忌む。休囚の爻は本身無力にして、凶殺の攻擊に抵えず。死・墓・絶・空の四・空の四處は則ち陷阱のごとし。死せば再び生ぜず、絶せば再び續かず、墓に進めば便ち出來ず、空亡に掉進せば便ち爬起れず。倘若主象發動してこの四種の地界に化入せば、則ち公事私事・大事小事を論わず、一概に成らざるを主る。もし病を占してこれに遇上せば、さらに必ず死して疑いなし。
用化用,有用無用;(用爻動化出之爻仍是用神,為用化用。化出的用爻有的有用、有的無用,需要分辨,一般地說,化進神有用,化退神,化自身或卦變伏吟無用。用爻自化如此,旁爻動化出用神也無濟於事。)空化空,雖空弗空。(動爻旬空,化出之爻又是旬空,為空化空。動爻值空和動爻化空,都不是真空,出了此旬,即為有用。)
用神が用神を化じ出ずるに、あるは數を算し、あるは數を算せず。用爻が發動して、變じ出づるは依然として用神なり。これを「用化用」と叫ぶ。ただし化じ出づるこの用神は必ずしも皆管用せず。須らく分辨するを要す。大體上「進神」を化成するは用あり、「退神」を化成するは、自身と相同の爻を化成するは、あるいは整卦が「伏吟」に變ずるは、皆用なし。用神の自化かくのごとく、旁爻が動じて一個の用神を化じ出ずるも、同じく幫い上げる能わず。空爻が空爻を化ずるは、空なると雖も眞空と算せず。動爻本身がまさに旬空に値し、變じ出づる爻また旬空に逢う。これを「空化空」と叫ぶ。動じて空に値するも動じて空に化するも、兩者皆死空に非ず。ただこの一旬を出でば、便ち重新に用あり。
養主狐疑,(養,十二宮之第十二位。用神化入此爻主凡事未決,狐疑不定。)墓多闇昧。(墓,十二宮之第九位。凶爻要入墓,吉爻不要入墓。墓為沉滯、闇昧不明之象。用神帶刑動入墓者,占病必死,占訟入獄,參看《通玄妙論.隨官入墓》)
「養」の位に化入するは、猶豫不決を主る。養は十二宮の第十二位にして、用神が動じてこの一位に化到れば、すなわち事情の懸而未決・當事人の反覆狐疑を表示す。「墓」の位に化入するは、晦暗不明を主る。墓は十二宮の第九位にして、凶爻はまさに墓に入りて困住せらるべし。吉爻は卻って最も墓に入るを忌む。墓は沈滯・幽暗・看分明ならざるを象徵す。用神もし刑を帶びて發動入墓せば、病を占せば必ず死し、官司を占せば則ち下獄を主る。《通玄妙論・隨官入墓》の一篇を參看すべし。
化病兮傷損,(病,十二宮第七位,與長生對沖。用神化入病爻,凡事有損:占病未痊,占物不中,占藥不效,占文書有破綻,占行人未回,占身命帶疾,占婦人必不貞潔,占容貌必有破損。)化胎兮勾連。(胎,十二宮第十一位,主遲滯不響快,占行人主象化胎,必有羈絆未能動身。占盜賊,失脫,若官鬼化入胎爻,主內外勾連。)凶化長生,熾而未散;(用神化為長生,主吉,只是成事稍遲,不如帝旺來得快。但是凶爻化為長生,則禍根已萌,有日漸增長之勢。如占病,子孫化長生病漸減,如官鬼化長生,日加沉重,直至墓絕日,其勢始殺。)
「病」の位に化入するは、損傷を受くるを主る。病は十二宮の第七位にして、まさに長生と相對冲す。用神が動じて病位に化到れば、凡事皆虧損を帶ぶ。疾病を占せば則ち病未だ痊愈せず、器物を占せば則ち貨色中に用いず、藥石を占せば則ちそれを服して效なし、文書を占せば則ち文中に破綻あり、行人を占せば則ち人未だ歸らず、身命を占せば則ち身上に疾を帶び、婦人を占せば則ち貞節疑うべく、容貌を占せば則ち相貌に缺損あり。「胎」の位に化入するは、牽纏勾連を主る。胎は十二宮の第十一位にして、性質は遲滯にして爽快ならず。行人を占する時に主象が胎を化せば、あの人は必ず事に絆住せられて、なお身を動かす能わず。盜賊を占し失物を占する時、もし「官鬼」が胎位に化入せば、すなわち内外串通・家賊の外賊を引來するを主る。凶爻が長生と化するは、禍勢まさに熾りて消散せず。用神が長生を化するは本より吉兆なり。ただ事を成すこと稍遲し。帝旺を化するがごとき爽利ならず。然るに凶爻は一たび長生を化せば、禍根すでに萌發し、しかも日に滋長す。たとえば病を占して、「子孫」爻が長生を化せば、病勢は一天一天輕減す。官鬼爻が長生を化せば、病情は便ち一天天加重して、直に官鬼の墓に入るか絶地に到るのあの日を待ちて、來勢こそ煞住せんとす。
吉連沐浴,敗而不成。(沐浴,十二宮之第二位,又稱敗神、主凶。金敗在午,木敗在子,火敗在卯,水土敗在酉。用神化入敗爻凶,忌爻化入敗爻不成凶。)戒回頭之克我,勿反德以扶人。(回頭克是用神自化出忌神,忌神反來克用神。用神發動化出之爻不合世而合應,不合用爻,而合旁爻,為反德以扶人,都是損己利人之象,所求不成。)惡曜孤寒,怕日辰之並起。(惡曜,指刑沖剋害之爻。如無氣或孤立無助,不能傷用神。惟怕日辰扶並惡曜,孤寒得助,終不免受其害。如再值月建更為可怕。)
吉爻が「沐浴」に連なれば、すなわち敗落して成る能わず。沐浴は十二宮の第二位にして、また敗神と稱し、性は凶に屬す。金の敗地は午に在り、木の敗地は子に在り、火の敗地は卯に在り、水と土との敗地は酉に在り。用神が敗地に化入するは凶なり。反して、忌神が敗地に化入せば、凶はかえって成る能わず。須らく變爻の回頭して我を克するを提防し、また恩徳を反って旁人に送ること勿れ。いわゆる回頭克とは、用神が發動して、自ら一個の忌神を化じ出し、あの忌神が頭を掉轉して用神を克するなり。いわゆる徳を反して人を扶くとは、用神が發動して化じ出づる爻が、世爻に合せずして卻って應爻に合し、用爻に合せずして卻って旁爻に合す——この兩種は皆己を損して人に利するの卦象にして、求むる所の事は必ず成就せず。凶惡の爻は本來孤單力薄なり。最も怕るるは日辰の來りてそれと相併し・それを扶起するなり。惡曜はすなわちあの刑冲克害を施行するの爻にして、それもし氣なく、あるいは孤立無援なれば、本より用神を傷つくる能わず。ただ日辰がそれを扶助し・それと相併するを怕る。孤寒の爻が幫手を得れば、用神は終に害を受くるを免れず。もしこの惡曜またまさに月建の氣に當れば、則ちさらに畏るべし。
用爻重迭,喜墓庫之收藏。(用爻重迭為太過,如無日辰月建,動爻損之,則須入墓,墓也為庫。如丁丑日占財得益之萃卦,卦中有兩重財爻,初九、上九又化出兩重財爻,日辰又是財,為太過、無濟於事。喜得世上有辰爻為財庫,可受此財。)事阻隔兮間發,(間爻發動,事有阻隔。)心退悔兮世空。(世爻旬空,是本人有退悔之意,不能勇往精進促其事成。)卦爻發動,須看交重;(卦爻發動有兩種情況,一是遇交,由陰變陽;一是遇重,由陽變陰。交主未來,重主過去。如占逃亡,卦有父動,主有音信,若由交而動,須等人來報信;若由重而動,可斷信已先知。其他仿此。)
用神が一多一疊すれば、すなわち墓庫の來りて收納するあるを喜ぶ。用爻の重疊はすなわち太過なり。もし日辰・月建あるいは動爻の來りてそれを減損するなければ、すなわち須らくそれをして墓に入らしむべし。墓はすなわち庫なり。例を舉げて說けば、丁丑日に財を求めて占し、《益》の《萃》を得れば、卦中に原より兩重の「妻財」爻あり、初九と上九とまた各々一重の財爻を化じ出し、日辰の丑は本身また財なり——財多きこの地步に到ればかえって用なし。幸いなるかな世爻の上に辰土を坐せば、辰はまさに水財の庫にして、庫ありて能く收す。この筆の財はこそ承受得住なり。事情に阻隔あるは、間爻發動のゆえなり。世應の間の兩個の間爻一たび動けば、中間に人事橫生梗阻あり。人心に退悔を生ずるは、世爻落空のゆえなり。世爻が旬空に値すれば、本人自己が退堂鼓を打ちて、勇往直前してこの事を促成せんと肯んぜざるを說明す。卦爻發動すれば、還は須らく仔細にそれが「交」なるか「重」なるかを看るべし。發動は兩種を分かつ。交に遇うは陰が陽に變じ、重に遇うは陽が陰に變ず。交は未來の事を主り、重は已過の事を主る。たとえば逃亡を占して、卦中の「父母」爻發動すれば音信あるを主る。もし父母が交によりて動けば、須らく人の來りて信を報ずるを待ちてこそ知るを得。もし重によりて動けば、すなわち消息は早已聽說せりと斷定しうる。その餘の事情は皆これに照らして類推せよ。
動變比和,當明進退。(動變比合,即木爻變出木爻之類。須分別進神和退神,向未來方向變為進,向已過方向為退。以木為例,寅木化卯木為進神,卯木化寅木為退神。進主吉凶其勢倍增,退主吉凶漸減其威。)殺生身莫將吉斷,用克世勿作凶看,蓋生中有刑害之兩防,而合處有克傷之一慮。(此專談卜易之活法。一般來說世身喜生合而惡傷克,但有變易的情況。如日辰,動爻來生合世、身,而日辰又是用神的忌神,世身為我,雖然日辰、動爻來生我,對我是無用的,因為忌神克用為凶。用神克世身,是事來趕我,是易成易就之象,雖然為克,但不能以凶斷。)
動爻と變爻とが同じく一個の五行に屬せば、すなわち須らく進なるか退なるかを分清すべし。いわゆる比和とは、木爻が木爻を變じ出ずるのこの一類なり。この時須らく「進神」と「退神」とを辨ずべし。地支が未來の方向に向かって變ずるは進、已過の方向に向かって變ずるは退なり。木を以て例と爲せば、寅木が卯木を化ずるは進神、卯木が寅木を化ずるは退神なり。進神を化せば、吉はさらに吉・凶はさらに凶にして、聲勢加倍す。退神を化せば、吉凶皆逐漸減弱す。忌殺の來りて世身を生ずるは、便ち吉と斷作すべからず。用神の來りて世爻を克するも、また便ち凶と看做すべからず——生の裡に刑と害との兩重の隱患を藏むるを得ればなり。合の處にもまた克傷の一層の顧慮を帶ぶるを得。この一節の講ずるは占卦の活法なり。常理に照らして說けば、世爻・卦身は生合を喜び傷克を厭う。ただし情形は翻轉するを得。たとえば日辰あるいは動爻が來りて世身を生合するも、然るにこの日辰は偏偏また用神の忌神なり。世身は固より我なれども、日月動爻の我を生ずるは看るに利あるに似て、其實用なし。忌神が用神を克住すれば、事情は照樣辦成せざるがゆえに。さらにたとえば用神が反って世身を克するは、それは事情が主動に門に趕上するにして、まさに易成易就の象なり。名は克と曰うと雖も、凶に按じて論斷する能わず。
刑害不宜臨用,(刑爻為主象,必主不利,占事事不成,占物物不好,占病人必死,占人人有疾等。害爻為主象,必壞大事。)死絕豈可持身;(死絕即十二宮中第八位、第十位。死絕二爻臨持世身主象者,必不利。占人有難,占病無救,占醫無效,占事不濟。)動逢沖而事散,(對於沖,不可執一而論。旬空安靜之爻逢沖為起,起則有用,旬空發動之爻逢沖為實,安靜不空之爻逢沖為暗動,發動不空之爻逢沖為散、為脫。此種動爻逢沖,所占之事散脫不成,吉事不成吉,凶事不成凶。)絕逢生而事成。(此談絕處逢生,詳見《通玄妙論.絕處逢生》)
刑と害とは用神の身上に落つるを宜とせず。刑を帶ぶの爻もし主象に充當せば、必定利ならず。事を占せば則ち事成らず、物を占せば則ち物佳ならず、病を占せば則ち病者活き難し、人を占せば則ち人身に疾あり。害を帶ぶの爻もし主象に充當せば、さらに大事を壞掉せんとす。死と絶とはさらに世身に臨むべからず。死・絶は分別に十二宮の第八位と第十位にして、この兩位は一旦世爻・卦身あるいは主象に臨着せば、凶を主らざるなし。人を占せば則ち人に厄難あり、病を占せば則ち病に救藥なし、醫を占せば則ち醫治效なし、事を占せば則ち事情濟さず。發動の爻が冲に遇上せば、事情は便ち渙散せんとす。冲は一概に論ずべからず。須らく四種を分かつを要す。旬空にして安靜の爻が冲に逢うを「冲起」と叫び、起れば便ち用あり。旬空にして發動の爻が冲に逢うを「冲實」と叫ぶ。空ならずして安靜の爻が冲に逢うを「暗動」と叫ぶ。空ならずして發動の爻が冲に逢うをこそ「冲散」「冲脫」と叫ぶ。末の一種の動爻が冲に逢えば、占する所の事は便ち散脫して成らず——吉は吉を成さず、凶もまた凶を成さず。絶地に處るの爻もし生扶に遇えば、事情はかえって成就しうる。これがすなわち「絶處逢生」にして、詳しくは《通玄妙論・絶處逢生》の一篇に見ゆ。
如逢合住,須沖破以成功;(卦中用爻遇日辰合住,或兩爻自相合住,不論喜忌,皆不見效。須待沖破或克破合爻,然後吉者成吉,凶者成凶。)若遇休囚,必生旺而成事。(此談期日之法。期日,即予測事成之日期,需靈活圓變,才無差誤,上節已談用爻合住以沖破日斷,此節說用爻休囚,當以旺相之日斷。期日法尚有,用爻旺相不動,以沖動月日斷;用爻有氣發動,以合日斷,或以本日斷;用爻受制,以制殺月日斷;用爻得時旺動,又遇生扶,此為太旺,應以墓庫月日斷;用爻無氣發動而遇生扶,即以生扶之月日斷;用爻入墓,則以破墓月日斷;用爻空亡,以沖動月日斷;用爻旺空,或空而逢沖、逢並、逢動者,以過旬斷;若占散事,應以用爻死墓絕日斷等等。)
用神もし合住せられれば、便ちそれを冲破するを待ちてこそ成功しうる。卦中の用爻あるいは日辰に合住せられ、あるいは別の一爻と互相合住するも、この合の喜なるや忌なるやを論ぜず、一概に效驗を見ず。必ず冲ありて來りて合を破るか、あるいは克ありて來りて合を破るを待ちて、吉のはこそ吉を顯出し、凶のはこそ凶を顯出す。用神もしまさに休囚に當れば、便ちそれの旺相に轉入するの時を待ちてこそ事を成しうる。この一節の講ずるは「應期」を定むるの方法なり。應期はすなわち事成るの日子を豫斷するにして、須らく卦に隨いて靈活に推移して、こそ失準に至らざるを得。上の一句は用爻の合住せらるるを說く。冲してこの合を開くのあの日を取る。ここの一句は用爻の休囚を說く。それの旺相なるのあの日を取る。この外さらに若干條あり。用爻旺相にして動かざれば、それを冲動するの月日を取る。用爻に氣ありて發動せば、それと相合するの日子を取るか、あるいは就中當日を取る。用爻制せられれば、あの忌殺を制住するの月日を取る。用爻既に時令を得てまた旺にして動き、還は生扶あれば、太旺に屬し、それの墓庫に入るの月日を取る。用爻本より氣なくして發動し、また生扶に遇えば、すなわちそれを生扶するの月日を取る。用爻が墓に入れば、墓庫を冲破するの月日を取る。用爻空亡なれば、それを冲動するの月日を取る。用爻旺にして空なるか、あるいは空にして冲に逢い・併に逢い・動に逢うかは、本旬を出づるの後を取る。もし占する所は散掉するを要するの事なれば、則ち用爻が死・墓・絶の日子に到るを取る。かくのごとき類なり。
速則動而克世,緩則靜而生身。(此節專談期日的急緩。以用爻動靜生克定成日的遲速緩急。動而克世主速,靜而生身主緩。如占來人,若用神動而克世,則速到,用神動而生世則遲到,如靜而生世,就更晚了。)父亡而事無頭緒,福隱而事不稱心。(占法曰:“卦無父母無頭緒,卦無子孫不喜悅,”父母為主事之神,子孫為福德喜慶之神。此節談公事看文書,文書即父母爻,私事看福德,福德即子孫爻。凡占功名,公門、公事,以文書為頭緒,如卦上父母爻空,則事不確實,無有頭緒可尋。占私事,以福德子孫為解憂喜悅之神,如卦中子孫爻伏而不現,事不稱意,有憂無喜。)
事情の來ること速きは、用神が發動して世を克す。事情の來ること遲きは、用神が安靜にして身を生ず。この一節は專ら應期の緩急を講じ、用爻の動靜と生克とに憑りて事成の遲速を定む。動じて世を克すは速を主り、靜にして身を生ずは慢を主る。たとえば人の來到を等つを占す。用神發動して來りて世を克せば、人は很快に到る。用神發動して來りて世を生ずれば、到ること慢些なり。もし用神安靜にしてただ世爻を生ぜば、それすなわちさらに晚し。「父母」爻が卦に上らざれば、事情は便ち頭緒なし。「子孫」爻が隱伏して現れざれば、事情は便ち心を稱さず。占法に一の老話あり。卦中に父母なければ則ち事に頭緒なく、卦中に子孫なければ則ち事に喜悅なし。父母は事を主るの神、子孫は福德喜慶の神なり。ここに說くは公事は文書を看、私事は福德を看る。文書はすなわち父母爻、福德はすなわち子孫爻なり。およそ功名・官府・公家の事を占すれば、皆文書を以て事情の線索と作す。もし卦上の父母爻が落空せば、事情は便ち落實せず、頭緒の尋ねべきなし。およそ私己の事を占すれば、則ち子孫を以て憂を解き喜を生ずるの神と爲す。もし子孫伏して現れざれば、事情は便ち心を遂げず、ただ憂愁ありて喜慶なし。
鬼雖禍災,伏猶無氣;(官鬼為禍害,但卦中不可無。參見《通玄妙論.無鬼無氣》)子雖福德,多反無功。(子孫爻雖為福德之神,但卦中不宜重迭、過多,多則雜,雜則亂,亂而不專。所以說多反無功。)
「官鬼」は禍災を主ると雖も、然るにそれもし伏藏して現れざれば、整個の卦はかえって生氣なし。官鬼は固より爲害の神なれども、卦中に一個もなくすべからず。この道理は《通玄妙論・無鬼無氣》の一篇を參看すべし。「子孫」は福德の神なると雖も、然るにそれ多すぎればかえって功效を見ず。子孫爻は福德喜慶を主る。卦中に卻って重疊過多を宜とせず。多ければすなわち雜にして、雜なればすなわち亂れ、亂ればすなわち能く專一せず。ゆえに說く、多ければかえって功なしと。
究父母,推為體統;論官鬼。斷作禍殃;財乃祿神;子為福德;兄弟交重,必主謀為多阻滯;卦身重迭,須知事體兩交關。(此節概論六親。父母、官鬼等五項,後卷還將詳論,此處僅注卦身。卦身指月卦身,為萬物之本體。若卦中有兩處卦身,必是鴛鴦求事,或事關兩處。若帶兄弟,與人同謀,兄弟克世或帶官鬼發動,必有人爭謀其事。卦身不出現,主事未有定向,卦身出現持世、合世、生世,其事已定。卦身宜出現,但不宜變動,動則須防事情有變。若是喜神不以此論。
「父母」爻を推究するは、事情の體統根本を看るなり。「官鬼」爻を論ずるは、禍患災殃を斷ずるなり。「妻財」は禄食の神、「子孫」は福德の神なり。「兄弟」爻もし交重發動に逢えば、謀る所の事は必ず多く阻滯す。「卦身」もし兩重出現せば、すなわち事體の兩頭に牽連するを知るべし。この一節は總じて六親を論ず。父母・官鬼・妻財・子孫・兄弟の五項は、後面の各章還は須らく詳論す。ここにただ卦身を講明するのみ。卦身は月卦身を指し、萬事萬物の本體の所在なり。卦中もし兩處の卦身出現せば、必ず一身に兼ねて兩事を求め、あるいはこの事の兩方に牽涉す。卦身もし兄弟を帶ぶれば、すなわち人と合伙同謀するなり。兄弟が世を克し、あるいは兄弟が官鬼を帶びて發動せば、必定人の來りてこの事を爭奪するあり。卦身出現せざれば、事情はなお定向あることなしを說明す。卦身出現して持世・合世あるいは生世せば、事情はすでに定局なり。卦身は出現を以て宜と爲すも、卻って變動を宜とせず。一たび動けばすなわち須らく事情の中途に變を生ずるを防ぐべし——當然、もし變じ出づるは喜神なれば、すなわちこの條に照らして論ぜず。
卦身遇吉神而化忌爻,主先成後敗,遇凶殺而化吉神,主先難後易。如果本卦無卦身而動爻化出卦身來,主此人來談其事。卦身持世,或在本宮內卦,屬切己之事,臨應爻,他人之事。六爻飛伏皆無卦身,其事沒有根由或無有此事。卦身空亡,諸事難成;休囚死絕,諸事無氣。世與身不能同論,卦身宜作事體看,不應作人身看。若占人,卦身為所占人之身,不是來占人之身。身克世則吉,世克身則凶。身生世、合世,諸事易成;世生合卦身,其事難成。)
卦身もし吉神に臨みて卻って忌爻を化じ出づれば、事情の先成後敗を主る。もし凶殺に臨みて卻って吉神を化じ出づれば、先難後易を主る。本卦原より卦身を見ず、卻って動爻に由りて一個の卦身を化じ出づれば、人ありて上門して來りてこの事を商談するを主る。卦身持世し、あるいは本宮の内卦に落つれば、切己の自己の事なるを說明す。卦身が應爻に臨めば、則ち別人の事なり。六爻の中に飛神を連ね伏神を帶ぶとも卦身を找尋すること得ざれば、此事に來由なし、甚だしきは根本にかくのごとき事なしを說明す。卦身が空亡に落つれば、諸事成り難し。卦身休囚あるいは死・絶に臨めば、諸事皆氣力を提起する能わず。世爻と卦身とは混じて一談と作す能わず。卦身は當に事體と當てて看るべし、人身と當てて看るべからず。もし人を占せば、卦身は占する所のあの人の身を代表し、前來して占を求めるの人の身に非ず。卦身が世を克するは吉と爲し、世爻が卦身を克するは凶と爲す。卦身が世を生じ・世に合せば、諸事容易に辦成す。反して世爻が往きて卦身を生合せば、事情は便ち成り難し。
虎興而遇吉神,不害其為吉;龍動而逢凶曜,難掩其為凶;玄武主盜賊之事,亦必官爻;朱雀本口舌之神,然須兄弟;疾病大宜天喜,若臨凶殺,必生悲。出行最怕往亡,如係吉神終獲利,是故吉凶神殺之多端,何如生剋制化之一理。(此節言神殺,吉神為神,凶神為殺。作者認為不可拘於青龍為吉神、白虎為凶神、玄武為盜賊、朱雀為口舌等說法。應根據五行生剋之理靈活變通。此說甚為有理。但作為術數學研究,還應該懂得神殺的用處。大體神殺有附助的作用,大象凶,遇凶殺更凶,大象吉,遇吉神更吉。)嗚呼!卜易者知前則易,求占者籤後而靈:筮必誠心,何仿子日。(卜易者要在掌握占法的基礎上靈活變通。求占者也應懂得求占之理;筮必誠心。只要誠心,可以不顧忌陰陽曆書中關於“子不問卜”的說法。)
「白虎」發動して臨む所は吉神なれば、それを斷作して吉と爲すを妨げず。「靑龍」發動して臨む所は凶曜なるも、またそれを斷作して凶と爲すを掩う能わず。「玄武」は盜賊の事を主ると雖も、なお須らく官鬼爻に配上してこそ算するを得。「朱雀」は本より口舌の神なるも、また兄弟爻に配上してこそ驗するを得。疾病を占するに最も天喜星を見るを喜ぶ。然るにそれもし凶殺に臨着せば、照樣悲戚を生ずるを要す。出行を占するに最も往亡日に逢うを怕る。然るにそれもし吉神に係着せば、終に猶ほ利を獲るを得。見るべし、吉神凶殺の名目は多しと雖も、どうして五行生克制化のこの一條の道理の來ることの可靠なるに比せんや。この一節の說くは神煞なり。吉なるは神と叫び、凶なるは殺と叫ぶ。作者の主張は死守して靑龍必ず吉・白虎必ず凶・玄武必ず盜を主り・朱雀必ず訟を主るのあの一套の成說とすべからずして、五行生克の理に依りて靈活變通すべし。この見解は很に道理あり。ただし術數本身に就いて言えば、神煞の用處はなお須らく懂得するを要す。大體上神煞はただ附助作用を起こすのみ。卦の大象本より凶なれば、再び凶殺に遇えば便ちさらに凶。大象本より吉なれば、再び吉神に遇えば便ちさらに吉。嘆くべきかな!卦を占する人は先ずこれらの道理を明白して、判斷し起れば容易なり。占を求める人は求め過ぎたるのち、卦こそ靈驗ならん。占筮は心の誠なるを貴ぶ。ただ心誠なれば、また何ぞ曆書上の「子日には卜を問わず」のあの類の講究を顧忌せんや。
天時
天道杳冥,豈可度思旱澇?易爻微妙,自能驗彼之陰晴,當究父財,勿憑水火。(開篇便說天氣的變化可以通過易爻來預測,提出了預測天氣陰晴,以父母爻和妻財爻為主,不能憑水火二爻來斷的主張。這與《闡奧歌章》、《天玄賦》等有明顯的不同。)妻財發動,八方咸仰晴光;父母興隆,四海盡沾雨澤。(卦中父動主有雨,財動主晴。卦無父母,財爻又空,必然無雨;卦無妻財,父爻又空,必然不晴。)
天道は幽深難測にして、人はまたどうして空に旱澇を揣度せんや。好しや易卦の爻象精微にして、自然に陰晴を驗出する能く。天時を占するの正法は、「父母」と「妻財」との兩爻を推究するにして、五行の水爻火爻を拿りて硬斷するべからず。開篇に先ずこの條の綱領を立定す。天氣變化は卦爻に由りて推知しうるも、しかして陰晴を推するに父母爻・妻財爻を以て主と爲し、水火二爻を取らず——これは《闡奧歌章》《天玄賦》などの書の取用と明顯に同じからず。かく取る所以は、父母爻は本より雨澤の神、妻財爻は本より晴明の神なればなり。ゆえに妻財一たび發動すれば、八方皆仰いで晴光を見。父母一たび興隆すれば、四海皆雨澤に沾うを得。反して推す。卦中に父母爻なく、妻財また落空せば、必定雨なし。卦中に妻財爻なく、父母また落空せば、必定晴れず。
應乃太虛,逢空而雨晴難擬;(太虛,天空應為天。占天時與占人事一樣,應空則難望。如久晴占雨則無雨,久雨占晴而不晴。若卦雨爻動而應空亦主遲緩,世空則來速。世應俱空雨晴難擬,須詳父母妻財及日辰斷之。)世為大塊,受克則天變非常。(大塊,地,世為地。地為萬物之主。如果世爻受動爻剋制,主有非常之變。如雨爻刑剋,必是惡雨;風爻刑剋,必遭惡風之類。)
天時を占するに、應爻は太虚すなわち天を代表す。それ一たび落空せば、雨晴は便ち擬議するに由なし。この道理は人事を占するに同じ。應空なれば則ち望む所落空す——久晴ののち雨を占して、應空なれば則ち雨來らず。久雨ののち晴を占して、應空なれば則ち晴れず。倘若卦中の雨を主る爻は動くと雖も應爻落空せば、また雨の來ること遲緩を主る。もし空なるは世爻なれば、かえって來ること速きを主る。世應兩爻皆空なれば、雨晴はさらに擬定し難し。ただ父母・妻財兩爻と日辰とを詳審して以て判斷するのみ。世爻は大塊すなわち地を代表す。地は萬物の主なり。世爻一旦動爻に克制せられれば、すなわち天時に反常の變あるを主る。雨を主る爻に刑克せられれば、必ず暴雨なり。風を主る爻に刑克せられれば、必ず狂風に遭う。その餘は類推せよ。
日辰主一日之陰晴,(父母動被日辰剋制,主當日無雨。父母爻動,日辰生扶,主當日大雨。財爻動日辰生扶,主當日烈日當空。又日辰為兄弟,其日有風雲,日辰為子孫,早晚有彩霞。日辰有官鬼,其日必陰晦等,餘仿此推。)子孫管九天之日月。(九天之日月,指天上的太陽與月亮。陽爻子孫為日,陰爻子孫為月。不論日月,旺則皎潔,衰則暗淡,空伏雖晴而被雲霧遮掩。子化子,陽主日照霞明,陰主月明星燦。化出墓、絕,始雖明朗,終成晦暗。)
日辰は專ら當日一天の陰晴を管す。父母爻動くと雖も、卻って日辰に克住せられれば、當天は雨下らず。父母爻發動して日辰の生扶を得れば、當天必ず大雨あり。妻財爻發動して日辰の生扶を得れば、當天便ち烈日空に當る。日辰もし兄弟に屬せば、あの一天は風あり雲あり。日辰もし子孫に屬せば、早晚彩霞を現ず。日辰もし官鬼に屬せば、あの一天必然陰沈晦暗す。その餘はこれに照らして類推せよ。「子孫」爻の管するは九天の上の日月なり。陽爻の子孫は太陽を代表し、陰爻の子孫は月亮を代表す。日月を論わず、旺相なれば則ち光華皎潔、衰弱なれば則ち光色暗淡す。もし子孫落空あるいは隱伏せば、天晴なると雖も、日月また雲霧に遮住せらる。子孫さらに子孫を化ずれば、陽爻は日照霞明を主り、陰爻は月朗星燦を主る。もし化じ出づるは墓あるいは絶なれば、それすなわち起初明朗・終に晦暗に歸す。
若論風雲,全憑兄弟;(兄弟爻為風雲。以旺動衰靜論風雲大小、濃淡。旺動則風高雲密,死絕則云淡風輕。化出子孫則清風彩雲,化出官鬼則頑雲惡風。但若問順風、逆風,不能以兄弟爻論,應以子孫爻為順風,官鬼爻為逆風。)要知雷電,但看官爻。(官鬼主雷電,動則有雷聲,旺則霹靂驚雷,化進神同。衰弱為雲中虛閃。卦中兩鬼皆動,雷鳴電閃,鬼化鬼同。鬼化財或卦無父母,雖有雷無雨,待父母值日才可斷有雨。)
風と雲とを論ぜんと要せば、全く「兄弟」爻を看る。兄弟爻はすなわち風雲の神にして、それの旺衰動靜に憑りて風雲の大小濃淡を定む。旺にして動けば則ち風高く雲密なり。死絶の地に處れば則ち雲淡く風輕し。子孫を化じ出づれば、清風彩雲なり。官鬼を化じ出づれば、頑雲惡風なり。ただしもし問う所は順風なるか逆風なるかなれば、すなわち兄弟爻を拿りて以て論ずる能わず。應に子孫爻を以て順風を主り、官鬼爻を以て逆風を主るべし。雷と電とを知らんと要せば、ただ「官鬼」爻を看る。官鬼は雷電を主る。一たび動けば便ち雷聲あり、旺相なればすなわち霹靂驚雷にして、進神を化するもまたこれに照らして論ず。官鬼衰弱なれば、則ちただ雲中の虛閃にして聲なし。卦中の兩個の官鬼齊動すれば、便ち雷鳴電閃並作す。鬼が鬼を化するもまたかくのごとし。もし官鬼が妻財を化じ出し、あるいは卦中根本に父母爻なければ、それすなわち雷あるのみにして雨なし。須らく父母爻の日に値するのあの天を待ちて、こそ雨下るを斷定しうる。
更隨四季推詳,須配五行參決。(父母四時主雨,妻財四時主晴,其他子孫、官鬼、兄弟都應隨四季變化而變,並看五行而定。如父母爻主雨,若臨金水,雨未止;臨火土、雖雨不久;臨土雨雖止而云不散;臨木則有風有雨。妻財爻四時主晴,臨金必有煙霧,臨水必有朝霞,化出父爻反主有雨,臨木晴而有風,臨土晴而有云,臨火日麗中天等。)晴或逢官,為煙為霧;雨而遇福;為電為虹。(卦得晴兆逢官動,有濃煙重霧;得雨兆遇子孫爻動,非有閃電,即有彩虹。)
六親の外に除いて、還は須らく四季に隨いて推詳し、五行に配合して參決すべし。父母爻は一年四季皆雨を主り、妻財爻は一年四季皆晴を主る。その餘の子孫・官鬼・兄弟は則ち季節に隨いて變じ、並びに臨む所の五行に按じてその形態を定む。たとえば父母は雨を主る。金に臨み・水に臨めば則ち雨は下りて停まず。火に臨めば則ち下ると雖も久しからず。土に臨めば則ち雨住すと雖も雲散らず。木に臨めば則ち風雨交加す。妻財は晴を主る。金に臨めば必ず煙霧を帶ぶ。水に臨めば必ず朝霞あり。もし父母爻を化じ出づればかえって轉じて雨あり。木に臨めば晴れ帶風なり。土に臨めば晴れ中に雲あり。火に臨めば則ち日中天に麗し。晴卦の裡もし官鬼を摻進せば、すなわち煙と成り・霧と成る。雨卦の裡もし子孫に遇上せば、すなわち電と成り・虹と成る。すなわち說く、卦すでに晴兆を現して官鬼發動せば、天必ず濃煙重霧あり。卦すでに雨兆を現して子孫發動せば、閃電ならざれば、便ち彩虹なり。
應值子孫,碧落無暇疵之半點;(此言得晴卦,應臨子孫者,其日皎潔。)世臨土鬼,黃沙多散漫於千村。(此亦言晴卦,世臨土鬼發動,或土鬼動來沖剋世身,是黃沙漫天之象。世臨土鬼,即世爻五行為土,六親為官鬼。)三合成財,問雨那堪入卦;(卦有三合成局,依五類推之。如三合財局,必然無雨。占晴,卦遇三合父局亦主不晴。)五鄉連父、求晴怪殺臨空。(五鄉,財官父兄子,此五類中,唯父母為雨,此爻空亡或休囚不動,雨未可望。若遇動爻化出父母則主有雨,化出財爻則主晴。)
應爻の上に子孫を坐すれば、碧空萬里半點の瑕疵なし——これの說くは晴卦なり。應爻が子孫に臨めば、あの一天必然天光皎潔なり。世爻の上に土に屬するの官鬼を坐すれば、千村皆黃沙を彌漫するを要す——これもまた晴卦の斷法なり。世が土鬼に臨みて發動し、あるいは土鬼發動して來りて世身を冲克せば、便ち黃沙漫天の象なり。いわゆる世臨土鬼とは、世爻の五行が土に屬して、しかしてそれの六親身分が官鬼なるを說く。三合會して財局を成すは、雨を占する人の最もそれの卦に入るを怕るるなり。卦中におよそ三合成局あれば、皆成る所の六親類別に按じて推す。三合妻財局を成せば、必定雨なし。反して晴を占して卦が三合父母局を成せば、また必定晴れず。五類の中もし父母に連なれば、晴を求める人偏にあの忌殺の恰好落空するを怪む。五鄕はすなわち妻財・官鬼・父母・兄弟・子孫の五類にして、その中ただ父母のみ雨を主る。父母爻もし空亡し、あるいは休囚にして動かざれば、雨は便ち指望なし。もし動爻ありて父母を化じ出づれば、依然として雨あるを主る。妻財を化じ出づれば、則ち轉晴を主る。
財化鬼,陰晴未定;(財主晴明,鬼主陰晦。故遇財化鬼,或鬼化財,或鬼財皆動必主陰晴未定。或先陰後晴,或先晴後陰之象。卦無子孫,財爻助鬼,必不晴。)父化兄,風雨靡常。(父主雨,兄主風,兩爻相化或俱發動皆主風雨交作。論先後當以動者為先,變者為後。俱動則以旺者為先,衰者為後。或定旺多衰少。)母化子孫,雨後長虹垂螮蝀;弟連福德,雲中明月出蟾蜍。(螮蝀,虹的別稱。日月虹霓皆屬子孫,若父爻化出子孫,為雨後見虹;兄爻化出子孫,為雲中漏日、月。)
妻財が官鬼を化じ出づれば、天氣陰晴定まらず。財は晴明を主り、鬼は陰晦を主る。ゆえに財が鬼を化し・鬼が財を化し、あるいは鬼財兩爻同時發動するは、皆陰晴反覆を主る。あるいは先に陰にして後に晴れ、あるいは先に晴れて後に陰る。もし卦中に子孫爻なく、財爻反って官鬼を生助し往けば、それすなわち斷然として晴放れず。父母が兄弟を化じ出づれば、風雨變幻常なし。父は雨を主り、兄は風を主る。この兩爻互相變化あるいは一同發動するは、皆風雨交作を主る。先後次序の定法は:發動の爻を先に在りと爲し、變じ出づる爻を後に在りと爲す。兩爻同動すれば、則ち旺なる者を先に在り・衰なる者を後に在りと爲し、あるいは旺なるは分量多く・衰なるは分量少なし。父母が子孫を化じ出づるは、雨後長虹高垂なり。兄弟が子孫に連なるは、雲中明月蟾影を現出す。螮蝀はすなわち虹の別名にして、日・月・虹・霓は皆子孫に歸して管す。ゆえに父母爻が子孫を化じ出づるは、雨過ぎ天青にして彩虹を見るなり。兄弟爻が子孫を化じ出づるは、雲一線開きて日光月色を漏出す。
父持月建,必然陰雨連旬;(卦中六親皆不宜臨月建,唯有子孫爻遇月建為吉。父臨月建,必主久雨,財臨月建,必主久晴,臨父化水則澇,臨財化火則旱。)兄坐長生,擬定狂風累日。(長生為事萌發之始,然後帝旺直至衰死,故遇長生,卒難止息。父逢長生,雨必連日,兄逢長生,累日大風,官逢長生,陰雲不散,財逢長生,望雨無門,須至墓絕日,方能雨止、風息、雲開、潤雨。)
父母爻もしまさに月建の氣に當れば、必定陰雨接連十天半月す。天時を占するに、六親の中大都臨月建を宜とせず、ただ子孫爻のみ月建を得てこそ吉と算す。父母の月建に臨むは久雨を主り、妻財の月建に臨むは久晴を主る。父母が月建に臨みてまた水を化せば、すなわち水澇と成り、妻財が月建に臨みてまた火を化せば、すなわち干旱と成る。兄弟爻もし長生の上に坐すれば、すなわち狂風の刮りて上ること好幾天を斷定す。長生は事物萌發の起點にして、この後一路帝旺を經てこそ衰死に到る。ゆえにおよそ長生の地に落つれば、その勢い一時に停歇し難し。父母が長生に逢えば、雨必ず連日す。兄弟が長生に逢えば、風必ず連日す。官鬼が長生に逢えば、陰雲久久散らず。妻財が長生に逢えば、雨を求むる便ち門路なし。皆須らくあの一爻が墓・絶の日子に走到するを待ちて、雨こそ止み・風こそ息み・雲こそ開き・旱土こそ潤澤を得ん。
父財無助,旱澇有常;(官鬼父母無氣而財爻旺動,必旱;子孫妻財無氣而父母旺動,必澇。卦遇此象,最怕日月動爻來生扶合併。如有日月動爻來生扶合併,則旱澇成災。如父財二爻雖旺動,而有制伏,沒有扶助,旱澇有時,不成大災。)福德帶刑,日月必蝕。(蝕,被雨遮蓋有雨。子孫帶刑動化鬼,或化官鬼動來刑害,或父帶螣蛇來克,皆主日月有蝕。陽爻為日,陰爻為月,如八月庚申日,卜中秋月得家人之觀卦,果應大雨。)
父母と妻財ともし皆外來の幫助を得ざれば、旱と澇とはなお常度の内に在り。官鬼・父母皆氣なくして妻財旺動せば、必ず干旱を主る。子孫・妻財皆氣なくして父母旺動せば、必ず水澇を主る。この種の卦象に遇上せば、最も日辰・月建あるいは動爻のさらに來りて生扶合併するを怕る——一旦これらの幫襯あれば、旱澇は便ち災を成さんとす。もし父・財二爻旺にして動くと雖も、卻って別爻の制伏あり、また幫手なければ、則ち旱一陣澇一陣にして、各々その時ありて、大災を釀成するに至らず。子孫爻が刑を帶ぶれば、日月必ず遮蔽せらる。ここの蝕は雲雨に掩いられて光を遮るを指す。子孫刑を帶びて發動して官鬼を化じ出し、あるいは官鬼發動して來りて子孫を刑害し、あるいは父母が「螣蛇」を帶びて來りて子孫を克するは、皆日月光なきを主る。陽爻の子孫は太陽を代表し、陰爻の子孫は月亮を代表す。たとえば八月庚申日に中秋の月を賞するを占して、《家人》の《觀》を得れば、後來果たして一場の大雨に應じたり。
雨嫌妻位之逢沖,(占雨要財爻靜,財爻若被日辰、動爻沖動,則傷父母,求雨無望。父爻發動,雨也不多,不然當日必無雨,至財爻墓絕日方可有雨。若父爻安靜逢沖日有雨。)晴利父爻之入墓。(墓主晦滯,父爻動入墓中無雨而陰滯,財爻動入墓則反之。)子伏財飛,簷下曝夫猶抑鬱;(曝夫,指晾曬物品之人。此言占晴。若徒有財而無子孫、或子孫居空地而又變弱,此日有陰晴之象,因為財雖主晴但不主日,須有子孫出現不空,或遇生扶、或逢沖並方為有日。何況卦無子孫,則財絕源,官鬼專權,必非久晴之兆。)
雨を占するに最も妻財の位の冲せらるるを忌む。雨を求むるに財爻の安靜を要す。財爻一旦日辰あるいは動爻に冲起せられれば、それは轉じ過來て父母を傷克し、雨は便ち指望なし。この時父母縱い發動すとも、雨もまた大いに下らず、否んじゃ當天索性雨なし。是非とも財爻の墓・絶の日に走到するを待ちてこそ雨落つるを得。反して、もし父母爻本來安靜なれば、則ちそれを冲動するのあの一天に雨あり。晴を占すれば則ち父母爻の墓に入るに利あり。墓は晦暗滯塞を主る。父母爻發動して墓に入れば、便ち雨を下すこと成らず、ただ陰沈あるのみ。妻財爻發動して墓に入れば、情形まさに相反し、晴れもまた晴れ起る能わず。子孫隱伏して妻財獨り現るれば、檐下に物を曬る人はなお心裡痛快ならず。これは晴を占するに就いて言う。卦中空しく妻財ありて卻って子孫を見ず、あるいは子孫落空して衰弱と變ずれば、この一天便ち陰晴定まらず。原因は財晴を主ると雖も、卻って日頭を主らざるに在り。必ず子孫出現して落空せず、あるいは生扶を得、あるいは冲併に逢いてこそ、天上まさに眞に太陽あり。まして卦に子孫なく、妻財便ち源頭を斷たれ、官鬼獨り權を當れば、それさらに久晴の兆に非ず。
父衰官旺,門前行客尚趑趄。(趑趄,欲進不前時的樣子。此論有雨無雨。父母爻休囚死絕可斷無雨。若得官鬼旺相發動,生扶父爻,亦主有雨。但忌父居空地或在日辰制伏之處,仍為無雨。可斷必有溼雲載雨,凝滯不散。)福合應爻木動交而游絲漫野;(福為子孫,子孫乃曠達之神。若子孫爻臨木動與應爻相合,或臨應爻生合世身,必是風和日暖、游絲蕩揚之天。)
父母衰にして官鬼旺なれば、門前に路を趕く客はなお猶豫して前せず。趑趄はすなわち行かんと欲して敢えて行かざるの樣子なり。この一句の論ずるは雨あるや無きやなり。父母爻休囚あるいは死絶に落つれば、雨なしを斷じうる。ただしもし官鬼旺相にして發動し、能く父母を生扶せば、依然として雨あるを主る。ただ父母の空亡の地に坐し、あるいはまさに日辰に制伏せらるるを忌む。それすなわちなお雨なしにして、ただ陰雲雨を含み凝滯散らずと斷作して、行人に主意を拿定せしめざるなり。子孫が應爻と相合して木爻發動交變すれば、則ち游絲野に漫れるを見る。福はすなわち子孫にして、子孫は曠達開朗の神なり。子孫が木に臨みて動き、また應爻と相合し、あるいは應爻に臨みて來りて世身を生合せば、必ず風和らぎ日暖かく、蟲絲空中に飄蕩するの好天氣なり。
鬼沖身位金星會而陰霧迷空。(鬼臨金爻動來沖剋世身,或臨世身沖剋應爻,主有濃煙重霧迷蔽郊野。)卦值暗沖,雖空有望;(占雨怕父空,占晴怕財空,空而無望。如果日辰沖之,則沖空不空,過旬有望。欲定日期,以沖日、沖時斷。)爻逢合住,縱動無功。(日辰動爻合住財爻不晴,合住父爻不雨。財、父即使發動也主不成。)
官鬼が卦身の位に冲着して、しかして金星がそれと相會すれば、便ち陰霧空に迷う。すなわち說く、官鬼が金爻に臨みて發動して來りて世身を冲克し、あるいはそれ就中世身の上に臨みて往きて應爻を冲克するは、皆濃煙重霧の郊野を遮蔽するを主る。卦中もし暗冲あれば、用神は落空すと雖もなお指望あり。雨を占するに父母の落空を怕れ、晴を占するに妻財の落空を怕る。空なれば則ち望む所虚と成る。ただし日辰もし來りてそれを冲せば、すなわち冲空空ならずと叫ぶ。この一旬を出でば便ち指望あり。具體の日子を定めんと要せば、すなわちそれを冲するのあの一日あるいはあの一個の時辰を取る。爻もし合住せられれば、縱い發動すとも作用を起こす能わず。日辰あるいは動爻が妻財を合住せば、天は便ち晴れる能わず。父母を合住せば、雨は便ち下り來らず——財・父二爻たとい發動すとも、事情は照樣成らず。
合父鬼沖開,有雷則雨;(父爻被合住,本主無雨,但遇官鬼動沖破合,主雷震後降雨。沖爻若是兄弟,主發風後降雨;沖爻是子孫,主閃電後降雨。)合財兄克破,無風不晴。(財爻被合住,本不晴明,若得卦有兄動克破合爻,或日辰是兄,則風先起而後晴,無風則不晴。)
父母が合住せられて官鬼に由りて來りて冲開せらるれば、それすなわち先ず雷を打ち、後に雨下る。父母爻が合住せらるるは本より雨なきを主る。然るに官鬼一たび動きてこの合を冲破せば、雨は便ち雷聲の後に落下す。もし來りて冲するは兄弟爻なれば、便ち先ず風を起し後に雨下る。もし來りて冲するは子孫爻なれば、便ち先ず電を閃かし後に雨下る。妻財が合住せられて兄弟に由りて來りて克破すれば、それすなわち風を起こすに非ざれば晴放るる能わず。財爻が合住せらるるは本來晴るる能わず。もし卦中の兄弟發動してあの合爻を克破し、あるいは日辰恰も兄弟なれば、便ち先ず一陣の風を刮起して然るのち轉晴す。風起らざれば、天もまた晴るる能わず。
坎巽互交,此日雪花飛六出;(八卦屬象,乾為天、為晴,坤為地、為陰,坎為水、為雨雪冰雹,離為太陽、為霞為電,艮為雲,震為雷,巽為風,兌為星、月、霧、露類。若冬月卜卦遇坎化巽,或巽變坎,必有風雪飄揚之象。)陰陽各半,今朝霖雨慰三農。(三農,指居住在平地、山、澤三種地方的農民。古人有“陰陽和而後雨澤降”之說。凡占天時得陰陽各佔一半的卦,必然有雨。大體為:純陽卦安靜,占雨不雨,占晴必晴,動則主雨。純陰卦安靜,占晴不晴,占雨必雨,動則主晴。純陰卦動出父爻終有雨,純陽卦動出財爻終有晴。)
《坎》と《巽》と互相交變すれば、この一天に六出の雪花飛舞す。八卦各々象する所あり。乾は天と爲し晴と爲し、坤は地と爲し陰と爲し、坎は水と爲し雨雪冰雹と爲し、離は太陽と爲し霞と爲し電と爲し、艮は雲と爲し、震は雷と爲し、巽は風と爲し、兌は星・月・霧・露の一類と爲す。冬月に課を起こしてもし坎が巽を化じ、あるいは巽が坎に變ずるに遇えば、水と風と相遇し、必ず風雪飄揚の象なり。卦中陰陽各々一半を占めば、今朝のこの一場の好雨便ち能く三農を慰藉せん。三農は平地・山地・水澤の三處に住する農人を指す。古人は陰陽調和して然るのち雨澤こそ降ると言う。ゆえに天時を占して陰爻陽爻各半の卦を得れば、必定雨あり。大略の規矩は:純陽の卦安靜なれば、雨を占すれば則ち雨なく晴を占すれば則ち必ず晴れ、一たび動けばかえって雨を主る。純陰の卦安靜なれば、晴を占すれば則ち晴れず雨を占すれば則ち必ず雨り、一たび動けばかえって晴を主る。純陰卦動じて父母を化じ出づれば、終に雨あり。純陽卦動じて妻財を化じ出づれば、終に晴放る。
兄弟木興繫巽風,而馮姨何其肆惡;(興,動。馮姨,水神。占天時,遇兄弟屬木在巽宮乘旺而動刑剋世爻,主有颶風暴雨之災。)妻財火動屬乾陽,而旱魃胡爾行凶。(旱魃,古代傳說能造成旱災的怪物,也稱旱神,旱鬼。占天時得財臨火動,或從火化,或化火爻,或變入乾卦而又遇月建、日辰、動爻生扶合助,必主大旱。若六爻無水,父母死絕,或父與水爻在空,而財福當權旺動,也主大旱。)
兄弟が木に屬して發動し、また《巽》宮の風に係着せば、あの位の水神は便ち放肆して惡を逞しうせんとす。興はすなわち發動なり。馮姨は古人の說く所の水神なり。天時を占してもし兄弟爻が木に屬し・巽宮に居り・旺に乘じて動きて來りて世爻を刑克するに遇えば、すなわち颶風暴雨災を成すを主る。妻財が火に屬して發動し、また《乾》の純陽に歸すれば、旱魃便ち肆意に凶を行わん。旱魃は傳說中の旱災を造成するの怪物にして、また旱神・旱鬼と叫ぶ。天時を占してもし妻財が火に臨みて動き、あるいは火化に由りて來り、あるいは火爻を化じ出し、あるいは乾卦に變入し、再び月建・日辰・動爻の生扶合助を得れば、必ず大旱を主る。またもし六爻の中一點の水もなく、父母爻が死絶に處り、あるいは父母と水爻と皆落空し、しかして妻財・子孫また權に當り旺動せば、同じく大旱を主る。
六龍御天,只為蛇興震卦;五雷驅電,蓋緣鬼發離宮。(不注)土星依父,雲行雨施之天;木德扶身,日暖風和之果。(土主雲、父主雨,土臨父動有云行雨施之象。木主風、財主晴,木臨財動,有日暖風和之景。)多霧多煙,爻上財官皆動。(財動主晴,官動主陰,官旺財衰,大霧重如細雨;鬼衰財旺,煙迷少頃開晴。)
六條の神龍が長空を駕御するは、ただ「螣蛇」の《震》卦中に興動するに因る。五方の雷神が閃電を驅趕するは、全く官鬼の《離》宮に發動するに緣る——震は雷を主り離は電を主り、蛇の形は龍に似たり。ゆえにこの象あり。この兩句の原文は注を加えず。土星が父母爻に依附するは、便ち雲行雨施の天氣なり。木徳が卦身を扶助するは、便ち日暖風和の效驗あり。土は雲を主り、父は雨を主る。土爻が父母に臨みて動くは、まさに濃雲の甘霖を布施するの象なり。木は風を主り、財は晴を主る。木爻が妻財に臨みて動くは、まさに日暖風和の景なり。煙霧重重なるは、爻上の妻財と官鬼とが一同發動するがゆえなり。財動は晴を主り、官動は陰を主る。官旺にして財衰なれば、大霧濃重して細雨を下すがごとし。鬼衰にして財旺なれば、煙氣彌漫して一陣便ち開晴す。
身值同人,雖晴而日輪含耀;世持福德,縱雨而雷鼓藏聲。(同人,兄弟爻。凡占天時,被世爻所克者必無所求之象。如占晴兄弟持世,兄動則克財,財雖旺相,亦非皎潔天氣。子孫持世則克官鬼,官若發動雖有雨而無雷。)父空財伏,須究輔爻;(輔爻,即原神。占雨以父母為用,官鬼為原神,即輔爻,占晴以財為用神,子孫為輔爻。若卦中財父皆空,或俱不出現,或一空一伏,雨晴難定,須察輔爻衰旺動靜,方可決斷。如鬼爻旺動,日、月、動爻又來生合,主有雨。子孫旺動,鬼爻墓絕主晴。如官與子俱靜,則依有日辰生合沖並者斷。)
卦身が同人すなわち兄弟爻に臨めば、縱い天晴すとも、日輪の光輝はまた含みて露ならず。世爻が福德すなわち子孫爻を持せば、縱い雨下るとも、雷鼓の聲音はまた藏れて發せず。およそ天時を占するに、世爻に克せらるるのあの一類は、便ち求むる所の象なし。晴を占して兄弟持世せば、兄一たび動けば便ち妻財を克す。財は縱い旺相なるとも皎潔の天光を換來する能わず。子孫持世せば則ち官鬼を克す。官鬼縱い發動すとも、ただ雨ありて雷なし。父母落空・妻財隱伏せば、便ち須らく輔爻を推究すべし。輔爻はすなわち原神なり。雨を占するに父母を以て用神と爲し、父母を生ずるの官鬼は便ち原神なり。晴を占するに妻財を以て用神と爲し、妻財を生ずるの子孫は便ち原神なり。もし卦中の財・父皆空なるか、あるいは皆出現せざるか、あるいは一空一伏せば、雨晴定め難し。必ず輔爻の衰旺動靜を察看してこそ決斷しうる。たとえば官鬼旺にして動き、日辰・月建・動爻また來りて生合せば、すなわち雨あるを主る。子孫旺にして動き、官鬼また墓絶に落つれば、すなわち晴放るを主る。倘若官鬼と子孫と皆安靜なれば、それすなわち日辰に依りて往きて生じ・往きて合し・往きて冲し・往きて併するのどれか一つを以て斷ず。
剋日取期,當明占法。(此節談預測日期。占雨看父爻,久晴占雨父爻衰弱,主旺日有雨,父爻安靜,沖動日有;父爻發動,逢值日有;月建是財,出月斷,卦無父母,財多墓絕日有。久雨占晴,財爻衰弱,生旺日晴。日辰是財,當日晴,卦無財爻,父母墓絕日晴。月建是父,出月晴。日辰是父,雖有氣,當日必不能晴。若衰爻遇有扶起者,即以扶爻斷之。如占一日陰晴,以時刻甲子取期。)
日期を限定せんと要せば、便ち須らく應期を取るの占法を明白すべし。雨を占するに父母爻を看る。久晴の後に雨を求め、父母衰弱なれば、それの旺に轉ずるあの一日に雨下るを取る。父母安靜なれば、それを冲動するあの一日を取る。父母發動せば、それの日に値するあの一天を取る。もし月建が妻財なれば、須らくこの月を出でてこそ行くべし。卦中に父母なくして妻財偏に多ければ、すなわち妻財の墓に入り絶に到るあの一日を取る。久雨の後に晴を求めれば則ち妻財爻を看る。財爻衰弱なれば、それの生旺の日に晴放るを取る。日辰恰も妻財なれば、當天便ち晴る。卦中に妻財なければ、父母の墓に入り絶に到るあの一日を取る。月建が父母なれば、須らく月を出でてこそ晴るべし。日辰が父母なれば、縱い財爻氣あるとも、當天また斷然として晴るる能わず。およそ衰弱の爻に別に別爻ありてそれを扶起せば、すなわち改めてあの扶助の爻を用いて日子を定む。もし占する所はただ一天の内の陰晴なれば、それすなわち甲子を時辰の上に推して以て應期を取る。
要盡其詳,別陰陽而分晝夜;(陰陽之分以卦宮取,不以爻象論。陽為晝,陰為夜。或外卦陽爻以上午斷,內卦陽爻以下午斷,外卦陰爻以上半夜斷、內卦陰爻以下半夜斷。陽化陰,晝興夜作;陰化陽,夜興晝作。又陽宮陽爻午前推之,陽宮陰爻午後推之等。)欲推其細,明衰旺以定重輕。(衰旺以四時定,旺則重,衰則輕。有氣而又臨生旺之地者愈甚,無氣而又臨墓絕之地者尤微。旺變衰,先重後輕;衰變旺,先輕後重。)能窮易道之精微,自與天機而吻合。(不注)
天時を說き周詳ならんと要せば、便ち須らく陰陽を辨じて以て晝夜を分かつべし。ここの陰陽は卦宮に按じて取り、單個の爻象に按じて論ぜず。陽は白晝を主り、陰は夜間を主る。もまたさらに細なる分法あり。外卦の陽爻は上午を斷じ、内卦の陽爻は下午を斷じ、外卦の陰爻は上半夜を斷じ、内卦の陰爻は下半夜を斷ず。陽が陰を化するは、白天に起りて夜裡に作す。陰が陽を化するは、夜裡に起りて白天に作す。またたとえば陽宮の陽爻は午前に推し、陽宮の陰爻は午後に推す。その餘は類推せよ。天時を推し精細ならんと要せば、便ち須らく衰旺を明らかにして以て輕重を定むべし。衰旺は四時に依りて判定す。旺なれば則ち來勢重く、衰なれば則ち來勢輕し。氣ありてまた生旺の地に坐するはさらに重く、氣なくしてまた墓絶の地に坐するはさらに輕し。旺より變じて衰となれば、先重後輕なり。衰より變じて旺となれば、先輕後重なり。能く易道の精微の處を窮究して底に到れば、自然に天機と相吻合せん。
