Libo

抱朴子内篇 · 第3巻

东晋 · 葛洪 · 第3巻 / 14

又稷丘子丹法,以清酒麻油百華醴龍膏和,封以六一泥,以糠火熅之,十日成,服如小豆一丸,盡劑,得壽五百歲。

又稷丘子丹法、清酒・麻油・百華醴・龍膏を以て和し、六一泥を以て封じ、糠火を以て溫煨す、十日成る、小豆のごとき大きさの一丸を服し、一劑を服盡くせば、壽五百歲を得。

又墨子丹法,用汞及五石液於銅器中,火熬之,以鐵匕撓之,十日,還為丹,服之一刀圭,萬病去身,長服不死。又張子和丹法,用鉛汞曾青水合封之,蒸之於赤黍米中,

又墨子丹法、汞及び五石液を以て銅器中にて、火上に熬し、鐵匕を以て攪動す、十日、還りて丹と成る、一刀圭を服せば、萬病身を離れ、長く服すれば死せず。又張子和丹法、鉛・汞・曾青水を以て合して封上し、赤黍米中にて蒸し、

八十日成,以棗膏和丸之,服如大豆,百日,壽五百歲。

(上文に接續して曰く)八十日成る、棗膏を以て和着して丸を作成し、大豆のごとき大きさを服す、百日、壽五百歲。

又綺裡丹法,先飛取五石玉塵,合以丹砂汞,內大銅器中煮之,百日,五色,服之不死。以鉛百斤,以藥百刀圭,合火之成白銀,以雄黃水和而火之,百日成黃金,金或太剛者,以豬膏煮之,或太柔者,以白梅煮之。

又綺里丹法、先ず五石玉塵を飛取し、丹砂・汞を合上し、大銅器中に放入して煮る、百日、五色と成り、服せば死せず。鉛百斤を取り、藥百刀圭を以て、合して火煉し白銀と成し、雄黃水を以て和着して再び火煉す、百日黃金と成る、金或いは太剛なるは、豬膏を以て煮、或いは太柔なるは、白梅を以て煮る。

又玉柱丹法,以華池和丹,以曾青硫黃末覆之薦之,內筒中沙中,蒸之五十日,服之百日,玉女六甲六丁神女來侍之,可役使,知天下之事也。

又玉柱丹法、華池を以て丹と和し、曾青・硫黃末を以て覆蓋鋪墊し、筒中沙中に放入し、五十日蒸し、百日服すれば、玉女・六甲六丁神女來りて侍奉す、役使する可し、天下の事を知る。

又肘後丹法,以金華和丹乾瓦封之,蒸八十日,取如小豆,置盤中,向日和之,其光上與日連,服如小豆,長生矣。以投丹陽銅中,火之成金。

又肘後丹法、金華を以て丹と和し、干瓦を以て口を封じ、八十日蒸し、小豆のごとき大きさを取り、盤中に放ち、日に對して以て和す、其の光上に向かって日と相連なり、小豆のごとき大きさを服せば、則ち長生す。之を丹陽銅中に投進し、火煉して金と成す。

又李公丹法,用真丹及五石之水各一升,和令如泥,釜中火之,三十六日出,和以石硫黃液,服之十年,與天地相畢。又劉生丹法,用白菊花汁地楮汁樗汁和丹蒸之,三十日,研合服之,一年,得五百歲,老翁服更少不可識,少年服亦不老。

又李公丹法、真丹及び五石の水各一升を以て、和して泥のごとく、釜中にて火煉す、三十六日取出し、石硫黃液を和上し、十年服すれば、天地と一同に畢わる。又劉生丹法、白菊花汁・地楮汁・樗汁を以て丹と和して蒸し、三十日、研合して服せば、一年、五百歲を得、老翁服せば更に年若くして人をして認出ださしめず、少年服せば亦老いず。

又王君丹法,巴沙及汞內雞子中,漆合之,令雞伏之三枚,以王相日服之,住年不老,小兒不可服,不復長矣,與新生雞犬服之,皆不復大,鳥獸亦皆如此驗。

又王君丹法、巴地の丹砂及び汞を雞子中に放入し、漆を以て合上し、雞をして三枚を伏せしめ、王相の日に服せば、年歲を停住して老いず、小兒服す可からず、再び長せず、新生の雞犬に服せしめれば、皆再び大ならず、鳥獸も皆此のごとき應驗有り。

又陳生丹法,用白蜜和丹,內銅器中封之,沈之井中,一期,服之經年,不飢,盡一斤,壽百歲。

又陳生丹法、白蜜を以て丹と和し、銅器中に放入して封上し、井中に沈め、一年に滿ち、一年を服過せば、餓えず、一斤を服盡くせば、壽百歲。

又韓終丹法,漆蜜和丹煎之,服可延年久視,立日中無影。過此以往,尚數十法,不可具論。

又韓終丹法、漆・蜜を以て丹と和して煎し、服せば以て延年久視す、日中に立ちて影無し。此を過ぎて以往、尚ほ數十種の法有り、一一論列する能わず。

抱朴子曰:金液太乙所服而仙者也,不減九丹矣,合之用古秤黃金一斤,並用玄明龍膏、太乙旬首中石、冰石、紫遊女、玄水液、金化石、丹砂,封之成水,其經云,金液入口,則其身皆金色。老子受之於元君,元君曰,此道至重,百世一齣,藏之石室,合之,皆齋戒百日,不得與俗人相往來,於名山之側,東流水上,別立精舍,百日成,服一兩便仙。若未欲去世,且作地水仙之士者,但齋戒百日矣。若求昇天,皆先斷谷一年,乃服之也。若服半兩,則長生不死,萬害百毒,不能傷之,可以畜妻子,居官秩,任意所欲,無所禁也。若復欲昇天者,乃可齋戒,更服一兩,便飛仙矣。

抱朴子曰く、金液は太乙の服する所にして仙と成る、九丹より差しも劣らず、合するの時古秤黃金一斤を以て、竝びに玄明龍膏・太乙旬首中石・冰石・紫游女・玄水液・金化石・丹砂を以て、封じて水と作成す、彼の經曰く、金液口に入れば、身子皆金色と成る、老子元君より之を受け、元君曰く、此の道至重至大、百世纔かに一度出現す、石室に藏せ、合するの時、皆百日齋戒し、俗人與相互往來するを得ず、名山の旁、東流の水上にて、別に精舍を立て、百日成る、一兩を服せば便ち仙と成る。若し未だ人世を離れんと欲せず、且く地仙・水仙の士を做さんには、只だ百日齋戒すれば則ち行う可し。若し升天を求めんには、皆先ず一年斷穀し、纔かに之を服す。若し半兩を服せば、則ち長生不死、萬害百毒傷る能わず、以て妻子を畜養し、官秩を居り、任意欲する所、禁無きこと有り。若し又升天せんと欲せば、纔かに齋戒する可し、再び一兩を服せば、便ち飛仙なり。

以金液為威喜巨勝之法,取金液及水銀一味合煮之,三十日,出,以黃土甌盛,以六一泥封,置猛火炊之,六十時,皆化為丹,服如小豆大便仙,以此丹一刀圭粉,水銀一斤,即成銀。又取此丹一斤置火上扇之,化為赤金而流,名曰丹金。以塗刀劍,闢兵萬里。以此丹金為盤碗,飲食其中,令人長生。以承日月得液,如方諸之得水也,飲之不死。以金液和黃土,內六一泥甌中,猛火炊之,盡成黃金,中用也,復以火炊之,皆化為丹,服之如小豆、可以入名山大川為地仙。以此丹一刀圭粉水銀立成銀,以銀一兩和鉛一斤,皆成銀。金液經云,投金人八兩於東流水中,飲血為誓,乃告口訣,不如本法,盜其方而作之,終不成也。凡人有至信者,可以藥與之,不可輕傳其書,必兩受其殃,天神鑑人甚近,人不知耳。

金液を取りて威喜・巨勝の法を作る、金液及び水銀一味を取りて合して煮、三十日、取出し、黃土甌を以て盛り、六一泥を以て封じ、猛火上に放ちて炊す、六十時、皆丹に化し、小豆のごとき大を服せば仙と成る、此の丹一刀圭を取りて粉に研し、水銀一斤、則ち銀と成る。又此の丹一斤を取りて火上に放ちて扇す、赤金に化して流動す、名は丹金。以て刀劍に塗れば、萬里兵を辟く。此の丹金を以て盤碗を做り、其の中にて飲食すれば、人をして長生せしむ。以て日月を承接して液を得、方諸の水を得るがごとく、飲めば死せず。金液を取りて黃土と和し、六一泥甌中に放入し、猛火に炊せば、皆黃金と成り、中に用い、再び火を以て炊せば、皆丹に化し、小豆のごとき大を服せば、以て名山大川に入り地仙を做る可し。此の丹一刀圭を取りて粉を研し水銀を與すれば立刻銀と成る、銀一兩を取りて鉛一斤と和せば、皆銀と成る。《金液經》曰く、金人八兩を東流の水中に投進し、血を飲して誓いを為し、纔かに口訣を告ぐ、此の本法に按わず、方を盜みて作りて行かば、終に成らず。凡人至信有らば、以て藥を之に與ふ可し、輕易に彼の書を傳ふ可からず、必ず兩邊殃を受けん、天神人を鑑察すること近し、人自ら知らざるのみ。

抱朴子曰:九丹誠為仙藥之上法,然合作之,所用雜藥甚多。若四方清通者,市之可具。若九域分隔,則物不可得也。又當起火晝夜數十日,伺候火力,不可令失其適,勤苦至難,故不及合金液之易也。合金液唯金為難得耳。古秤金一斤於今為二斤,率不過直三十許萬,其所用雜藥差易具。又不起火,但以置華池中,日數足便成矣,都合可用四十萬而得一劑,可足八人仙也。然其中稍少合者,其氣力不足以相化成,如釀數升米酒,必無成也。

抱朴子曰く、九丹誠に仙藥の上法たり、然れども配合制作し、所用の雜藥甚だ多し。若し四方清通ならば、市上に至りて以て備齊す可し。若し九域分隔ならば、物則ち得る可からず。又當に火を起し晝夜數十日、火力を伺候し、之をして適度を失わしめざるべし、勤苦至難、故に金液を合するに易きに及ばず。金液を合するは只だ金の難得なるのみ。古秤金一斤は今に在りて二斤、大致三十來萬に過ぎざるを值し、所用の雜藥比較的備辦し易し。又火を起さず、只だ之を華池中に放ち、日數足らば便ち成る、皆合して以て四十萬を用うるに一劑を得、八人を仙と成すに足る。然れども其の中稍微少合するは、氣力足らず以て相化成せず、數升米酒を釀するがごとく、必ず成る無し。

抱朴子曰:其次有餌黃金法,雖不及金液,亦遠不比他藥也。或以豕負革肪及酒煉之,或以樗皮治之,或以荊酒磁石消之,或有可引為巾,或立令成水服之。或有禁忌,不及金液也。或以雄黃雌黃合餌之,可引之張之如皮,皆地仙法耳。銀及蚌中大珠,皆可化為水服之。然須長服不可缺,故皆不及金液也。抱朴子曰:合此金液九丹,既當用錢,又宜入名山,絕人事,故能為之者少,且亦千萬人中,時當有一人得其經者。故凡作道書者,略無說金丹者也。第一禁,勿令俗人之不信道者,謗訕評毀之,必不成也。鄭君言所以爾者,合此大藥皆當祭,祭則太乙元君老君玄女皆來鑑省。作藥者若不絕跡幽僻之地,令俗閒愚人得經過聞見之,則諸神便責作藥者之不遵承經戒,致令惡人有謗毀之言,則不復佑助人,而邪氣得進,藥不成也。必入名山之中,齋戒百日,不食五辛生魚,不與俗人相見,爾乃可作大藥。作藥須成乃解齋,不但初作時齋也。鄭君云,左君告之,言諸小小山,皆不可於其中作金液神丹也。凡小山皆無正神為主,多是木石之精,千歲老物,血食之鬼,此輩皆邪炁,不念為人作福,但能作禍,善試道士,道士須當以術闢身,及將從弟子,然或能壞人藥也。今之醫家,每合好藥好膏,皆不欲令雞犬小兒婦人見之。若被諸物犯之,用便無驗。又染採者惡惡目者見之,皆失美色。況神仙大藥乎?是以古之道士,合作神藥,必入名山,不止凡山之中,正為此也。又按仙經,可以精思合作仙藥者,有華山泰山霍山恆山嵩山少室山長山太白山終南山女幾山地肺山王屋山抱犢山安丘山潛山青城山娥眉山緌山雲臺山羅浮山陽駕山黃金山鱉祖山大小天台山四望山蓋竹山括蒼山,此皆是正神在其山中,其中或有地仙之人。上皆生芝草,可以避大兵大難,不但於中以合藥也。若有道者登之,則此山神必助之為福,藥必成。

抱朴子曰く、其次餌黃金法有り、金液に及ばざるといえども、亦遠く他藥と比する能わず。或は豬負革の脂肪及び酒を以て煉し、或は樗皮を以て治し、或は荆酒・磁石を以て消し、或有りて以て巾に拉成す可し、或は立刻之をして水と成し服せしむ。或有りて禁忌有り、金液に及ばず。或は雄黃・雌黃を以て合して餌せば、以て拉開して皮のごとく展す可し、皆地仙の法のみ。銀及び蚌中の大珠、皆以て水に化して服す可し。然れども必ず長服缺かす可からず、故に皆金液に及ばず。抱朴子曰く、此の金液・九丹を合する、既に錢を用い、又當に名山に入り、人事を斷絕すべし、故能くする人少なし、而且亦是れ千萬人中、時に纔かに一人彼の經を得。故に凡そ道書を作る者、幾ほども金丹を說く無し。第一禁、俗人の裏に道を信信ぜざる者をして、謗訕評毀せしめず、必ず成らず。鄭君曰く所以此のごときは、此の大藥を合するに皆當に祭るべし、祭れば則ち太乙・元君・老君・玄女皆來りて鑑察す。藥を作る人若し絕跡して幽僻の地に至らざれば、世間愚人をして經過聞見するを得しめ、諸神便ち藥を作る人の經戒に遵承せざるを責め、以致惡人をして謗毀の言有らしむ、則ち再び人を佑助せず、而も邪氣得て入り、藥成らず。必ず名山の中に入り、百日齋戒し、五辛生魚を食わず、俗人與見會せず、然る後に乃ち以て大藥を作る可し。藥を作るに必ず作り成りて齋を解く、不但初作の時齋する。鄭君曰く、左君之に告げて曰く、諸の小小山、皆其の中にて金液神丹を作る可からず。凡そ小山皆正神の主為る無く、多くは木石の精、千歲の老物、血食を喫する鬼、此の類皆是れ邪炁、人の為に福を作さんと欲せず、只だ禍を作る能く、道士を試探するに善し、道士必ず術を以て身を護り、及び隨從の弟子を帶領す、然れども或は尚ほ能く人の藥を壞る。今の醫家、每に好藥好膏を合するに逢う、皆雞犬・小兒・婦人をして見るを得しめんと欲せず。若し此らの物に犯されば、之を用うれば便ち效驗無し。又彩を染する人惡目の人の見るを惡む、皆美色を失う。何況神仙大藥をや。故に古時の道士、神藥を配合す、必ず名山に入る、不只凡山の中に在る、正に此の為なり。又仙經に按ずるに、以て精思仙藥を配合する可きは、華山・泰山・霍山・恒山・嵩山・少室山・長山・太白山・終南山・女几山・地肺山・王屋山・抱犢山・安丘山・潛山・青城山・峨眉山・緌山・雲臺山・羅浮山・陽駕山・黃金山・鱉祖山・大小天臺山・四望山・蓋竹山・括蒼山、此ら皆是れ正神山中に在り、其の中或は地仙の人有り。上皆芝草を生ず、以て大兵大難を避く可し、不但其の中にて藥を合する。若し道有る人登りて上れば、此の山神必ず之が為に福を帮助し、藥必ず成る。

若不得登此諸山者,海中大島嶼,亦可合藥。若會稽之東翁洲亶洲紵嶼,及徐州之莘莒洲泰光洲鬱洲,皆其次也。今中國名山不可得至,江東名山之可得住者,有霍山,在晉安;長山太白,在東陽;四望山大小天台山蓋竹山括蒼山,並在會稽。

(他接續して曰く)若し此らの山に登る能わざれば、海中の大島嶼、亦以て藥を合す可し。會稽の東の翁洲・亶洲・紵嶼、及び徐州の莘莒洲・泰光洲・郁洲のごとき、皆是れ其次なり。今中原の名山至るを得ず、江東名山住む可きは、霍山有り、晉安に在り。長山・太白、東陽に在り。四望山・大小天臺山・蓋竹山・括蒼山、皆會稽に在り。

抱朴子曰:予忝大臣之子孫,雖才不足以經國理物,然疇類之好,進趨之業,而所知不能遠餘者,多揮翮雲漢,耀景辰霄者矣。餘所以絕慶弔於鄉黨,棄當世之榮華者,必欲遠登名山,成所著子書,次則合神藥,規長生故也。俗人莫不怪予之委桑梓,背清塗,而躬耕林藪,手足胼胝,謂予有狂惑之疾也。然道與世事不併興,若不廢人間之務,何得修如此之志乎?見之誠了,執之必定者,亦何憚於譭譽,豈移於勸沮哉?聊書其心,示將來之同志尚者雲。後有斷金之徒,所捐棄者,亦與餘之不異也。

抱朴子曰く、我愧として大臣の子孫と為る、才國を經じ物を理するに足らざるといえども、然れども同輩の喜好する所、進取の從事する所、而も知る所我を過ぎる能わざるは、多く翅を揮るいて雲漢に、光曜星辰霄漢に在る者有り。我の鄉黨中に於てに慶弔を斷絕し、當世榮華を抛棄する所以は、必ず遠く名山に登り、著す所の子書を寫成し、其次則ち神藥を合し、長生を謀求するの故なり。俗人我が桑梓を丢下し、淸貴の路途を背離し、而も親ら林藪に耕作し、手足胼胝を生出すを怪しまざる無し、我に狂惑の病有りと曰う。然れども道與世事並び興る能わず、若し人間の事務を廢せざれば、焉んぞ能く此のごとき志を修めん。得るを見ること確實了然、取るを把むこと必なる者、又何ぞ必ず毀譽を怕れん、豈に勸勉或いは阻撓に因りて改變せんや。且く此の點心を寫下し、將來同志崇尚の人に與へて看せしむ。後來斷金の交の人有らば、捐棄する所、亦我與異なる無からん。

小神丹方,用真丹三斤,白蜜六斤攪合,日暴煎之,令可丸,旦服如麻子許十丸,未一年,發白者黑,齒落者生,身體潤澤,長服之,老翁成少年,長生不死矣。

小神丹方、真丹三斤を以て、白蜜六斤攪合し、日曬煎して、之をして丸に成る可からしめ、早晨麻子のごとき大きさの十丸を服せば、一年に至らず、頭髮白きは黑に變り、牙齒落ちたるは再生し、身體潤澤し、長く之を服せば、老翁少年と成り、長生不死なり。

小丹法,丹一斤,搗篩,下淳苦酒三升,漆二升,凡三物合,令相得,微火上煎令可丸,服如麻子三丸,日再服,三十日,腹中百病癒,三尸去;服之百日,肌骨強堅;千日,司命削去死籍,與天地相畢,日月相望,改形易容,變化無常,日中無影,乃別有光也。

小丹法、丹一斤、擣篩し、淳苦酒三升・漆二升を下し、一共三物合し、之らをして相得せしめ、微火上に煎じて丸に成る可きに至り、麻子のごとき大きさの三丸を服し、一日服二次、三十日、腹中百病愈え、三尸去掉す。百日服せば、肌骨強堅。一千日、司命死籍を削去し、天地與一同に畢わり、日月與相對望し、形を改め容を易え、變化無常、日中影無し、卻りて別に光有り。

小餌黃金法,鍊金內清酒中,約二百過,出入即沸矣,握之出指間令如泥,若不沸,及握之不出指間,即削之,內清酒中無數也。成,服之如彈丸一枚,亦可一丸,分為小丸,服之三十日,無寒溫,神人玉女侍之,銀亦可餌之,與金同法。服此二物,能居名山石室中者,一年即輕舉矣。止人間服亦地仙,勿妄傳也。

小餌黃金法、煉過の金を淸酒中に放入し、約二百遍、出入すれば則ち沸す、握りて之を指閒より出でて泥のごとくせしむ、若し沸せず、及び握りて指閒より出ざれば、則ち之を削り、再び淸酒中に放入すること無數遍。成れば、彈丸一枚のごときを服し、亦以一丸を分かちて小丸と為す可し、三十日服せば、寒溫無し、神人玉女侍奉す、銀亦餌す可し、金と同一の方法。此の兩種の物を服し、能く名山石室中に住する者は、一年にして則ち輕擧す。人間に留まりて服するも亦是れ地仙、妄りに傳ふる勿れ。

兩儀子餌黃金法,豬負革脂三斤,淳苦酒一升,取黃金五兩,置器中,煎之土爐,以金置脂中,百入百出,苦酒亦爾。食一斤,壽蔽天地;食半斤,壽二千歲;五兩,壽千二百歲。無多少,便可餌之。當以王相日作,服之神良。勿傳非人,傳示非人,令藥不成不神。欲食去屍藥,當服丹砂也。

兩儀子餌黃金法、豬負革脂三斤、淳苦酒一升、黃金五兩を取り、器中に放ち、土爐上に煎し、金を脂中に放進し、百入百出、苦酒亦此のごとし。一斤を食すれば、壽天地を遮蔽し。半斤を食すれば、壽二千歲。五兩、壽千二百歲。多少を論せず、便ち以て餌す可し。當に王相の日に作るべし、服せば神良。傳ふべからざる人に傳ふる勿れ、傳示し當に傳ふべからざる人は、藥をして成らず、神ならざらしむ。尸を去るの藥を喫せんと欲せば、當に丹砂を服すべし。

卷五·至理

卷五・至理

抱朴子曰:微妙難識,疑惑者眾。吾聰明豈能過人哉?適偶有所偏解,猶鶴知夜半,燕知戊巳,而未必達於他事也。亦有以校驗,知長生之可得,仙人之無種耳。夫道之妙者,不可盡書,而其近者,又不足說。昔庚桑胼胝,文子釐顏,勤苦彌久,及受大訣,諒有以也。夫圓首含氣,孰不樂生而畏死哉?然榮華勢利誘其意,素顏玉膚惑其目,清商流徵亂其耳,愛惡利害攪其神,功名聲譽束其體,此皆不召而自來,不學而已成,自非受命應仙,窮理獨見,識變通於常事之外,運清鑑於玄漠之域,寤身名之親疏,悼過隙之電速者,豈能棄交修賒,抑遺嗜好,割目下之近欲,修難成之遠功哉?夫有因無而生焉,形須神而立焉。有者,無之宮也。形者,神之宅也。故譬之於堤,堤壞則水不留矣。方之於燭,燭糜則火不居矣。身勞則神散,氣竭則命終。根竭枝繁,則青青去木矣。氣疲欲勝,則精靈離身矣。夫逝者無反期,既朽無生理,達道之士,良所悲矣!輕璧重陰,豈不有以哉?故山林養性之家,遺俗得意之徒,比崇高於贅疣,方萬物乎蟬翼,豈苟為大言,而強薄世事哉?誠其所見者了,故棄之如忘耳。是以遐棲幽遁,韜鱗掩藻,遏欲視之目,遣損明之色,杜思音之耳,遠亂聽之聲,滌除玄覽,守雌抱一,專氣致柔,鎮以恬素,遣歡戚之邪情,外得失之榮辱,割厚生之臘毒,謐多言於樞機,反聽而後所聞徹,內視而後見無朕,養靈根於冥鈞,除誘慕於接物,削斥淺務,御以愉慔,為乎無為,以全天理爾。

抱朴子曰く、微妙は識り難し、疑惑する者多し。我が聰明豈に人を過ぎんや。只だ偶然偏解する所有るのみ、譬へば鶴夜半を知り、燕戊己を知るがごとく、卻りて未だ必ずしも他事に通達せず。亦以て校驗する有り、長生得る可きを知り、仙人竝びに種無きのみ。道の妙、寫し盡くす可からず、而も其れ近きは、又說くに足らず。昔庚桑手足胼胝、文子面色黎黑、勤苦久しきこと甚だ、纔かに大訣を受け、諒らかに是れ緣故有るなり。圓頭氣を含む者、誰か生を樂しみ死を怕れざらん。然れども榮華勢利其の意を引誘し、素顏玉膚其の目を迷惑し、淸商流徵其の耳を擾亂し、愛惡利害其の神を攪亂し、功名聲譽其の體を束縛す、此ら皆召せずして自ら來り、學ばずして已に成る、若し受命仙と成る當きに非ざれば、理を窮めて獨り見、常事の外に變通を識り、玄漠の域に淸鑑を運轉し、身與名の親疏を覺悟し、過隙の電速を哀悼する人、豈に能く近きを拋棄して遠きを修め、嗜好を抑制遺落し、眼前の近欲を割捨して、難成の遠功を修めんや。有因りて無より生じ、形神を須ちて立つ。有は、無の宮。形は、神の宅。故に譬喻して堤を作れば、堤壞るれば水則ち留まらず。比方して燭を作れば、燭糜爛すれば火則ち居らず。身勞すれば則ち神散じ、氣竭くれば則ち命終す。根枯竭すれば枝葉繁く、青青則ち樹木を離る。氣疲れて欲勝れば、精靈則ち身を離る。逝き去るは返回の期無く、既に朽ちれば再活の理無し、達道の士、實に悲傷す。璧玉を看輕し、光陰を看重す、豈に緣故無からんや。故に山林性を養うの人家、流俗を遺落し意を得るの一類人、崇高を以て贅疣に比し、萬物を以て蟬翼に比す、豈に苟且大言を說き、勉强世事を看薄せんや。實に見る所了然たるを以て、故に之を拋棄するに忘るるがごとし。因此遠く栖止し、幽深に隱遁し、鱗を以て韜藏し、藻を以て掩蓋し、見んと欲する目を遏め、明を損傷する色を遣開し、聲を聽かんと欲する耳を堵住し、聽を擾亂する聲を遠離し、玄覽を滌除し、雌を守り一を抱き、氣を專らにして柔を致し、恬素を以て鎭定し、歡戚の邪情を遣開し、得失の榮辱を外に放ち、厚生の腊毒を割去し、多言を樞機にて靜謐せしめ、聽を反して然る後聞く所乃ち徹し、內視して然る後朕兆無きを見、冥鈞中に靈根を養い、物に接するに誘慕を除去し、淺務を削斥し、愉穆を以て駕馭し、無爲に爲して、以て天理を保全するのみ。

乃父吸寶華,浴神太清,外除五曜,內守九精,堅玉鑰於命門,結北極於黃庭,引三景於明堂,飛元始以煉形,採靈液於金梁,長驅白而留青,凝澄泉於丹田,引沈珠於五城,瑤鼎俯爨,藻禽仰鳴,瑰華擢穎,天鹿吐瓊,懷重規於絳宮,潛九光於洞冥,雲蒼鬱而連天,長谷湛而交經,履躡乾兌,召呼六丁,坐臥紫房,咀吸金英,曄曄秋芝,朱華翠莖,皛皛珍膏,溶溢霄零,治飢止渴,百痾不萌,逍遙戊巳,燕和飲平,拘魂制魄,骨填體輕,故能策風雲以騰虛,並混輿而永生也。然梁塵之盈尺,非可求之漏刻,山溜洞徹,非可致之於造次也。患於聞之者不信,信之者不為,為之者不終耳。夫得之者甚希而隱,不成者至多而顯。世人不能知其隱者,而但見其顯者,故謂天下果無仙道也。

(他接續して曰く)於是再び寶華を吸い、太清中に神を浴し、外に五曜を除去し、內に九精を守住し、玉鑰を命門に堅固し、北極を黃庭に結び、三景を明堂に引至し、元始を飛起して形を煉し、金梁に靈液を采集し、白色を長驅して青色を留留し、澄泉を丹田に凝らし、沈珠を五城に引き、瑤鼎下に向かって炊爨し、藻禽上に向かって鳴き、瑰華穎を抽出し、天鹿瓊を吐出し、絳宮に重規を懷き、洞冥に九光を潛藏し、雲蒼鬱として天に連なり、長谷深湛として經を交え、乾兌を脚踏し、六丁を召呼し、紫房に坐臥し、金英を咀吸し、曄曄の秋芝、朱紅の花、翠綠の莖、皛皛の珍膏、溶溢として霄上より零落し、饑を治し渇を止め、百病萌えず、戊己に逍遙し、燕居和洽、平和に飲し、魂を拘り魄を制し、骨充實し體輕し、故に能く風雲を鞭策して虛に騰り、混輿與竝びに永生す。然れども梁上の塵一尺に積むは、漏刻の閒以て求む可きに非ず、山溜石を洞穿するは、倉促成事以て致す可きに非ず。毛病聞く者信ぜず、信ずる者作らず、作る者終る能わざるに在り。得る者少なく而且隱れ、成らざる者極めて多く而且顯る。世人彼らの隱るるを知る能わず、只だ彼らの顯るるを見る、故に天下果して仙道無しと曰う。

抱朴子曰:防堅則水無漉棄之費,脂多則火無寢曜之患,龍泉以不割常利,斤斧以日用速弊,隱雪以違暖經夏,藏冰以居深過暑,單帛以幔鏡不灼,凡卉以偏覆越冬。泥壤易消者也,而陶之為瓦,則與二儀齊其久焉。柞楢速朽者也,而燔之為炭,則可億載而不敗焉。轅豚以優畜晚卒,良馬以陟峻早斃,寒蟲以適己倍壽,南林以處溫長茂,接煞氣則雕瘁於凝霜,值陽和則鬱藹而條秀。物類一也,而榮枯異功,豈有秋收之常限,冬藏之定例哉?而人之受命,死生之期,未若草木之於寒天也,而延養之理,補救之方,非徒溫暖之為淺益也,久視之效,何為不然?而世人守近習隘,以仙道為虛誕,謂黃老為妄言,不亦惜哉?夫愚夫乃不肯信湯藥針艾,況深於此者乎?皆曰,俞跗扁鵲和緩倉公之流,必能治病,何不勿死?又曰,富貴之家,豈乏醫術,而更不壽,是命有自然也。乃責如此之人,令信神仙,是使牛緣木,馬逐鳥也。

抱朴子曰く、隄防堅固なれば、水則ち滲漏拋棄の耗費無し。脂多ければ、火則ち熄滅の患無し。龍泉割らざるを以て常に鋒利、斤斧日用を以て迅速弊壞し、隱雪暖を避くるを以て夏を經過し、藏冰深處に處るを以て暑を過し、單帛鏡を幔るを以て灼けず、凡卉偏に覆蓋せらるるを以て冬を越ゆ。泥壤は消え易き也、陶して瓦と成れば、則ち二儀與一樣に長久。柞楢は速朽なり、燔して炭と成れば、則ち以て億載にして敗れず。轅下の豚優畜を以て晚死し、良馬峻を登るを以て早斃し、寒蟲己に適うを以て壽命倍加し、南林溫處に處るを以て長じて茂し、煞氣に接到すれば則ち凝霜中に凋瘁し、陽和に遇上すれば郁藹として條秀す。物類是れ一樣、榮枯の功效卻りて同じからず、豈に秋收の常限、冬藏の定例有らんや。而も人受命し、死生の期限、草木の寒天に於けるがごときに及ばず、延養の理、補救の方、不只溫暖のごとき淺益、久視の效驗、何を以て此のごとくならざらん。而も世人近きを守り、隘に習い、仙道を以て虛誕と做し、黃老を妄言と曰う、亦可惜ならずや。愚夫湯藥鍼艾をも肯んじて信ぜず、何況此より深きをや。皆曰く、俞跗・扁鵲・醫和・醫緩・倉公の一流、必ず能く病を治す、何を以て死を免れざる。又曰く、富貴の家、豈に醫術を缺少けんや、卻りて更に壽ならず、是れ命自然有り。竟に此のごとき人を責め、之をして神仙を信ぜしめんは、此れ牛をして樹に爬らせ、馬をして鳥を追はしむるなり。

抱朴子曰:召魂小丹三使之丸,及五英八石小小之藥,或立消堅冰,或入水自浮,能斷絕鬼神,禳卻虎豹,破積聚於腑臟,追二豎於膏肓,起猝死於委屍,返驚魂於既逝。夫此皆凡藥也,猶能令已死者復生,則彼上藥也,何為不能令生者不死乎?越人救虢太子於既殞,胡醫活絕氣之蘇武,淳于能顱以理腦,元化能刳腹以澣胃,文摯愆期以瘳危困,仲景穿胸以納赤餅,此醫家之薄技,猶能若是,豈況神仙之道,何所不為?夫人所以死者,諸欲所損也,老也,百病所害也,毒惡所中也,邪氣所傷也,風冷所犯也。今道引行氣,還精補腦,食飲有度,興居有節,將服藥物,思神守一,柱天禁戒,帶佩符印,傷生之徒,一切遠之,如此則通,可以免此六害。今醫家通明腎氣之丸,內補五絡之散,骨填苟杞之煎,黃蓍建中之湯,將服之者,皆致肥丁。漆葉青蓁,凡弊之草,樊阿服之,得壽二百歲,而耳目聰明,猶能持針以治病,此近代之實事,良史所記注者也。

抱朴子曰く、召魂小丹・三使之丸、及び五英八石此らの小小の藥、或は立刻堅冰を消し、或は水に入りて自ら浮き、能く鬼神を斷絕し、虎豹を禳卻し、腑臟に積聚を破り、二豎を膏肓より追出し、委尸より猝死を救起し、驚魂を既逝より返還す。此ら皆是れ凡藥、尚ほ能く已死の人をして復生せしむ、則ち彼らの上藥、何を以て活ける人をして死せざらしめざらん。越人虢太子の既殞の後に彼を救い、胡醫絕氣の蘇武を救活し、淳于意能く顱を開きて以て腦を治理し、華佗能く腹を剖きて以て胃を洗滌し、文摯期を愆りて以て危困を治好し、仲景胸を穿ちて赤餅を納入す、此ら是れ醫家の薄技、尚ほ能く此のごとし、何況神仙の道、作らざる有らんや。人の死する所以は、諸欲の損する所、是老なり、是百病の害する所、是毒惡の中する所、是邪氣の傷る所、是風冷の犯する所。今導引行氣し、精を還し腦を補い、食飲度有り、興居節有り、將に藥物を服し、神を思い一を守り、柱天の禁戒を守り、符印を帶佩し、生を傷るの一類、一切遠離す、此のごとくすれば能く通じ、以て此の六害を免る可し。今醫家通明腎氣の丸、內補五絡の散、骨填枸杞の煎、黃蓍建中の湯、將に服する人、皆肥壯を致す。漆葉・青蓁、凡そ弊陋の草、樊阿之を服し、壽二百歲を得、而も耳目聰明、還た能く鍼を以て病を治す、此れ近代の實事、良史の記注する所。

又云,有吳普者,從華陀受五禽之戲,以代導引,猶得百餘歲。此皆藥術之至淺,尚能如此,況於用其妙者耶?今語俗人云,理中四順,可以救霍亂,款冬、紫苑,可以治欬逆,萑蘆、貫眾之煞九蟲,當歸、芍藥之止絞痛,秦膠、獨活之除八風,菖蒲、乾姜之止痺溼,菟絲、蓯蓉之補虛乏,甘遂、葶歷之逐痰癖,括樓、黃連之愈消渴,薺苨、甘草之解百毒,蘆如益熱之護眾創,麻黃、大青之主傷寒,俗人猶謂不然也,寧煞生請福,分蓍問祟,不肯信良醫之攻病,反用巫史之紛若,況乎告之以金丹可以度世,芝英可以延年哉?昔留侯張良,吐出奇策,一代無有,智慮所及,非淺近人也,而猶謂不死可得者也,其聰明智用,非皆不逮世人,而曰吾將棄人間之事,以從赤松遊耳,遂修道引,絕谷一年,規輕舉之道,坐呂后逼蹴,從求安太子之計,良不得已,為畫致四皓之策,果如其言,呂后德之,而逼令強食之,故令其道不成耳。按孔安國秘記云,良得黃石公不死之法,不但兵法而已。又云,良本師四皓,甪里先生綺裡季之徒,皆仙人也,良悉從受其神方,雖為呂后所強飲食,尋復修行仙道,密自度世,但世人不知,故云其死耳。如孔安國之言,則良為得仙也。又漢丞相張蒼,偶得小術,吮婦人乳汁,得一百八十歲,此蓋道之薄者,而蒼為之,猶得中壽之三倍,況於備術,行諸秘妙,何為不得長生乎?此事見於漢書,非空言也。

(他接續して曰く)又曰く、吳普有り、華佗より五禽之戲を受け、以て導引に代替し、還た百餘歲を得。此ら皆是れ藥術の裏至淺、尚ほ能く此のごとし、何況彼の精妙を以てするをや。今俗人に告げて曰く、理中・四順、以て霍亂を救う可し、款冬・紫菀、以て咳逆を治す可し、萑蘆・貫衆九蟲を殺し、當歸・芍藥絞痛を止め、秦艽・獨活八風を除き、菖蒲・乾薑痹濕を止め、菟絲・苁蓉虛乏を補い、甘遂・葶藶痰癖を逐い、栝樓・黃連消渴を愈し、薺苨・甘草百毒を解き、蘆茹熱を益し衆創を護り、麻黃・大青傷寒を主る、俗人尚ほ此のごとくならずと曰い、寧ろ生を殺して福を請い、蓍草を分かちて作祟するを問い、肯んじて良醫の病を攻るを信ぜず、反りて巫史を紛紛然として用う、何況彼らに告げん金丹以て世を度る可し、芝英以て年を延す可しとや。昔留侯張良、奇策を吐出し、一代無し、智慮の及ぶ所、是れ淺近の人に非ず、尚ほ不死得る可しと曰い、其の聰明智用、竝びに皆世人に趕不上に非ず、卻りて我將に人間の事を拋棄して、赤松に從い游ばんとすと曰い、於是導引を修め、一年絕穀し、輕擧の道を謀求し、呂后逼迫催促に因り、彼に向かい太子を安定するの計を求め、良已むを得ず、彼女に替わり四皓を招致するの策を謀劃し、果然其の言のごとく、呂后彼を感激し、逼りて彼をして强く食せしむ、故に其の道をして成らざらしむのみ。孔安國祕記に按ずるに曰く、良黃石公の不死の法を得、不只兵法のみ。又曰く、良の本師是れ四皓、甪里先生・綺里季の徒、皆是れ仙人、良皆彼らに從い神方を受け、雖も呂后に强く飲食せしめられ、隨に又仙道を修行し、祕密に自ら世を度る、只だ世人知らず、故に彼死せりと曰うのみ。孔安國の言のごとくならば、則ち良是れ仙を得たり。又漢丞相張蒼、偶然小術を得、婦人の乳汁を吮い、一百八十歲を得、此れ蓋し道の裏薄き、蒼之を做して、尚ほ中壽の三倍を得、何況術を備齊し、諸種の祕妙を實行せば、何を以て長生を得ざらん。此の事《漢書》に見ゆ、是れ空言に非ず。

抱朴子曰:服藥雖為長生之本,若能兼行氣者,其益甚速,若不能得藥,但行氣而盡其理者,亦得數百歲。然又宜知房中之術,所以爾者,不知陰陽之術,屢為勞損,則行氣難得力也。夫人在氣中,氣在人中,自天地至於萬物,無不須氣以生者也。善行氣者,內以養身,外以卻惡,然百姓日用而不知焉。吳越有禁祝之法,甚有明驗,多炁耳。知之者可以入大疫之中,與病人同床而己不染。又以群從行數十人,皆使無所畏,此是炁可以禳天災也。或有邪魅山精,侵犯人家,以瓦石擲人,以火燒人屋舍。或形見往來,或但聞其聲音言語,而善禁者以炁禁之,皆即絕,此是炁可以禁鬼神也。入山林多溪毒蝮蛇之地,凡人暫經過,無不中傷,而善禁者以炁禁之,能闢方數十里上,伴侶皆使無為害者。又能禁虎豹及蛇蜂,皆悉令伏不能起。以炁禁金瘡,血即登止。又能續骨連筋。以炁禁白刃,則可蹈之不傷,刺之不入。若人為蛇虺所中,以炁禁之則立愈。近世左慈趙明等,以炁禁水,水為之逆流一二丈。又於茅屋上然火,煮食食之,而茅屋不焦。又以大釘釘柱,入七八寸,以炁吹之,釘即湧射而出。又以炁禁沸湯,以百許錢投中,令一人手探摝取錢,而手不灼爛。又禁水著中庭露之,大寒不冰。又能禁一里中炊者盡不得蒸熟。又禁犬令不得吠。昔吳遣賀將軍討山賊,賊中有善禁者,每當交戰,官軍刀劍皆不得拔,弓弩射矢皆還向,輒致不利。賀將軍長智有才思,乃曰,吾聞金有刃者可禁,蟲有毒者可禁,其無刃之物,無毒之蟲,則不可禁,彼能禁吾兵者,必不能禁無刃物矣。乃多作勁木白棒,選異力精卒五千人為先登,盡捉棓彼山賊,賊恃其善禁者,了不能備,於是官軍以白棒擊之,大破彼賊,禁者果不復行,所打煞者,乃有萬計。夫炁出於形,用之其效至此,何疑不可絕谷治病,延年養性乎?

抱朴子曰く、藥を服するは長生の本なるといえども、若し能く行氣を兼ねば、益處甚だ快し、若し藥を得る能わざれば、只だ行氣して彼の理を窮盡する者も、亦能く數百歲を得。然れども又當に房中の術を知るべし、所以此のごときは、以て陰陽の術を知らざれば、屢々勞損し、行氣則ち力を得難し。人氣の中に在り、氣人の中に在り、天地より萬物に至るまで、氣を須ちて生ぜざる無し。行氣に善き者、內以て身を養い、外以て惡を卻く、然れども百姓日用して知らず。吳越禁祝の法有り、甚だ明驗有り、多く炁に在るのみ。知る者以て大疫の中に入り、病人與同床して自ら染せず。又隨從を帶びて數十人を行かしめ、皆彼らをして畏るる無からしむ、此れ炁以て天災を禳る可し。或は邪魅山精有り、人家を侵犯し、瓦石を以て人を擲り、火を以て人の屋舍を燒く。或は形を現出して往來し、或は只だ聲音言語を聞く、而も禁に善き者炁を以て禁ずれば、皆立刻斷絕す、此れ炁以て鬼神を禁ず可し。山林溪毒蝮蛇多きの地に入る、凡人暫く經過すれば、中傷せざる無し、而も禁に善き者炁を以て禁ずれば、能く方圓數十里以上を辟開し、伴侣皆彼らをして害せられざらしむ。又能く虎豹及び蛇蜂を禁じ、皆彼らをして伏して起つ能わざらしむ。炁を以て金瘡を禁ずれば、血立刻止む。又能く骨を續ぎ筋を連ぬ。炁を以て白刃を禁ずれば、則ち以て踏みて傷らず、刺して入らず。若し人蛇虺に中られば、炁を以て禁ずれば則ち立刻愈ゆ。近世左慈・趙明等、炁を以て水を禁じ、水因此一二丈逆流す。又茅屋上に火を點け、食物を煮て以て喫し、而も茅屋焦げず。又大釘を取りて柱を釘り、七八寸入り、炁を以て吹けば、釘則ち涌射して出づ。又炁を以て沸湯を禁じ、百來の錢を取りて投進し、一人をして手を伸ばし錢を探取せしむるに、而も手灼爛せず。又水を禁じて中庭に放ちて露せば、大寒冰を結ばず。又能く一里中飯を炊く者をして皆蒸し熟さざらしむ。又狗を禁じて彼をして吠ゆるを得ざらしむ。昔吳賀將軍を派遣して山賊を討たしめ、賊中禁に善き者有り、每に交戰すれば、官軍刀劍皆拔出を得ず、弓弩の射出す矢皆回向し、往往にして利ならず。賀將軍智慮長く、才思有り、則ち曰く、我聞く金刃有るは禁ず可し、蟲毒有るは禁ず可し、彼ら刃無きの物、毒無きの蟲、則ち禁ず可からず、彼能く我が兵を禁ずれば、必ず能く刃無きの物を禁ぜざらんと。於是多く堅硬の木白棒を作り、異力精卒五千人を選びて先登と為し、皆棒を以て彼らの山賊を打ち、賊禁に善き者を依仗し、完全に防備する能わず、於是官軍白棒を以て擊打し、大いに彼らの賊を破り、禁の者果然不再行得通、打殺する所、竟に萬計有り。炁形より出づ、之を以て效驗此の地步に至る、何必疑う可からざる絕穀病を治し、年を延し性を養うをや。

仲長公理者,才達之士也,著昌言,亦論“行炁可以不飢不病,雲吾始者未之信也,至於為之者,盡乃然矣。養性之方,若此至約,而吾未之能也,豈不以心馳於世務,思銳於人事哉?他人之不能者,又必與吾同此疾也。昔有明師,知不死之道者,燕君使人學之,不捷而師死。燕君怒其使者,將加誅焉。諫者曰,夫所憂者莫過乎死,所重者莫急乎生,彼自喪其生,亦安能令吾君不死也。君乃不誅。其諫辭則此為良說矣。使彼有不死之方,若吾所聞行炁之法,則彼說師之死者,未必不知道也,直不能棄世事而為之,故雖知之而無益耳,非無不死之法者也。”又云:“河南密縣,有卜成者,學道經久,乃與家人辭去,其始步稍高,遂入雲中不復見。此所謂舉形輕飛,白日昇天,仙之上者也。”陳元方韓元長,皆潁川之高士也,與密相近,二君所以信天下之有仙者,蓋各以其父祖及見卜成者成仙昇天故耳,此則又有仙之一證也。

仲長公理、是れ才達の士、《昌言》を著し、亦論じて及ぶ「行炁以て飢えず病まざる可し、我が初め信ぜざると說き、做する人に至りて、全く皆此のごとし。性を養うの方、此のごとき至簡至約、而も我未だ做到能わず、豈に心世務に馳し、思慮人事に銳きに因らずや。他人能わざるの、又必ず我與此の病に同じ。昔明師有り、不死の道を知り、燕君人を遣わして學ばしめ、趕上せずして師死す。燕君彼の使者を怒り、將に誅を加えんとす。諫むる人曰く、憂ふる所死に過ぎる無く、重んずる所生より急なる無し、彼自ら生を喪い、又焉んぞ能く吾が君をして死せざらしめん。君於是誅せず。彼の諫辭此を以て良說と為す。假令彼不死の方有らば、我が聞く所の行炁の法のごとく、則ち彼の師死せりと說く、未だ必ずしも道を知らざるに非ず、只だ能く世事を拋棄して做る能わざる、故に知るといえども益無きのみ、竝びに不死の法無きに非ず」と。又曰く「河南密縣、卜成有り、學道甚だ久し、纔かに家人與辭去し、起初步子稍高く、於是雲中に入りて再び見えず。此れ則ち謂う所の擧形輕飛、白日升天、仙の裏上等」。陳元方・韓元長、皆是れ潁川の高士、密縣與相近し、二君天下有仙を信ずる所以、蓋し各々彼らの父祖親ら卜成の成仙升天を見るに因るのみ、此れ又有仙の一證。

卷六·微旨

卷六・微旨

抱朴子曰:“餘聞歸同契合者,則不言而信著;途殊別務者,雖忠告而見疑。夫尋常咫尺之近理,人間取捨之細事,沈浮過於金羽,皂白分於粉墨,而抱惑之士,猶多不辨焉,豈況說之以世道之外,示之以至微之旨,大而笑之,其來久矣,豈獨今哉?夫明之所及,雖玄陰幽夜之地,豪釐芒發之物,不以為難見。苟所不逮者,雖日月麗天之照灼,嵩岱幹雲之峻峭,猶不能察焉。黃老玄聖,深識獨見,開秘文於名山,受仙經於神人,蹶埃塵以遣累,凌大遐以高躋,金石不能與之齊堅,龜鶴不足與之等壽,念有志於將來,愍信者之無文,垂以方法,炳然著明,小修則小得,大為則大驗。然而淺見之徒,區區所守,甘於荼蓼而不識臺蜜,酣於醨酪而不賞醇醪。知好生而不知有養生之道,知畏死而不信有不死之法,知飲食過度之畜疾病,而不能節肥甘於其口也。知極情恣欲之致枯損,而不知割懷於所欲也。餘雖言神仙之可得,安能令其信乎?”

抱朴子曰く「我聞く歸向相同、機緣契合するは、則ち言わずして信著し。路途同じからず、事務別有るは、雖も忠告亦疑わる。尋常咫尺の近理、人間取捨の細事、沈浮金與羽を超過し、皂白粉與墨に分辨し、而も疑惑を抱くの士、還た多く辨ぜざる有り、何況世道の外を以て彼に說き、至微の旨を以て彼に示さんや、大と覺えて之を笑話する、由來已久し、豈に獨り今天ならんや。明の及ぶ所、即使玄陰幽夜の地、毫釐芒髮の物、難見と爲さず。如果及ばざる所、即使日月天上に附著の照灼、嵩山岱嶽雲霄に上衝の峻峭、還た察する能わず。黃老玄聖、深識獨見、名山に祕文を打開し、神人より仙經を受け、埃塵を踢開して負累を遣除し、大遠を凌越して高昇し、金石彼ら與堅を齊しう能わず、龜鶴彼ら與壽を等しうするに足らず、將來有志の人を念及し、信者文無きを憐憫し、方法を垂下し、炳然として著明、小さく修めれば小さく得、大きく做れば大きく驗す。然れども淺見の徒、區區として己を守り、荼蓼に甘んじて臺蜜を識らず、薄酪に酣りて醇醪を賞せず。好生を知りて養生の道有るを知らず、死を怕るるを知りて不死の法有るを信ぜず、飲食過度疾病を蓄積するを知りて、卻りて能く口上に肥甘を節制せず。極情恣欲枯損を致すを知りて、卻りて所欲上に胸懷を割捨するを知らず。我雖も神仙得る可しと說く、又怎んぞ能く彼をして信ぜしめん」と。

或人難曰:“子體無參午達理,奇毛通骨,年非安期彭祖多歷之壽,目不接見神仙,耳不獨聞異說,何以知長生之可獲,養性之有徵哉?若覺玄妙於心得,運逸鑑於獨見,所未敢許也。夫衣無蔽膚之具,資無謀夕之儲,而高談陶朱之術,自同猗頓之策,取譏論者,其理必也。抱痼疾而言精和鵲之技,屢奔北而稱究孫吳之算,人不信者,以無效也。”餘答曰:“夫寸鮹泛跡濫水之中,則謂天下無四海之廣也。芒蠍宛轉果核之內,則謂八極之界盡於茲也。雖告之以無涯之浩汗,語之以宇宙之恢闊,以為空言,必不肯信也。若令吾眼有方瞳,耳長出頂,亦將控飛龍而駕慶云,凌流電而造倒景,子又將安得而詰我。設令見我,又將呼為天神地祇異類之人,豈謂我為學之所致哉?姑聊以先覺挽引同志,豈強令吾子之徒,皆信之哉?若令家戶有仙人,屬目比肩,吾子雖蔽,亦將不疑。但彼人之道成,則蹈青霄而遊紫極,自非通靈,莫之見聞,吾子必為無耳。世人信其臆斷,仗其短見,自謂所度,事無差錯,習乎所致,怪乎所希,提耳指掌,終於不悟,其來尚矣,豈獨今哉?”

有人詰難して曰く「您身に縱橫通達の紋理無く、奇毛通骨無く、年歲安期・彭祖のごとき經歷許多の壽に非ず、眼睛神仙を接觸見ず、耳朵獨り異說を聞かず、何を憑じて長生獲得可し、養性徵驗有りと知るや。若し心得上に玄妙を覺悟し、獨見上に逸鑑を運轉すと說かば、是れ我が敢て許さざる所。衣服蔽膚の具備無く、資財晚上を謀るの儲蓄無く、卻りて陶朱の術を高談し、猗頓の策に自比し、議論する人に譏笑せらる、彼の理是れ必然なり。痼疾を抱いて卻りて醫和・扁鵲の技に精しと說き、屢々敗逃して卻りて孫吳の算を窮究すと稱す、人信ぜず、是れ以て效無きを爲す」と。我回答えて曰く「寸把長の魚淺水痕跡中に浮游すれば、則ち天下四海の廣無しと說く。小蝎果核裏に宛轉すれば、則ち八極の邊界盡く此に在りと說く。即使彼に無涯の浩汗を告げ、彼に宇宙の恢闊を說くも、亦以て空言と爲し、必ず肯んじて信ぜざらん。若し我が眼睛方瞳有り、耳朵頭頂より長出せしめば、亦將に飛龍を控えて慶雲を駕し、流電を凌越して倒景に去到らん、您又將に何處より我を詰問せん。假使我を見れば、又將に天神地祇異類の人と叫作せん、豈に我を學の致す所と說かんや。姑且先覺を以て同志を挽引す、豈に强いて您のごとき人をして皆信ぜしめんや。若し家家戶戶をして仙人有らしめば、目光相接、比肩して立ち、您雖も蔽塞、亦將に疑わざらん。只だ彼の人道成れば、則ち靑霄を踏みて紫極に游ぶ、若し通靈に非ざれば、聞見する無し、您必ず以て無しと爲すのみ。世人己の臆斷を信じ、短見を仗り、自ら以て度量する所、事差錯無し、招致する所に習い、稀有する所を怪しみ、耳を提げ手掌を指し、終に悟らず、由來已久し、豈に獨り今天ならんや」と。

或曰:“屢承嘉談,足以不疑於有仙矣,但更自嫌於不能為耳。敢問更有要道,可得單行者否?”抱朴子曰:“凡學道當階淺以涉深,由易以及難,志誠堅果,無所不濟,疑則無功,非一事也。夫根荄不洞地,而求柯條幹云,淵源不泓窈,而求湯流萬里者,未之有也。是故非積善陰德,不足以感神明;非誠心款契,不足以結師友;非功勞不足以論大試;又未遇明師而求要道,未可得也。九丹金液,最是仙主。然事大費重,不可卒辦也。寶精愛炁,最其急也,並將服小藥以延年命,學近術以辟邪惡,乃可漸階精微矣。”

有人曰く「屢々嘉談を承蒙し、足以て有仙を疑わず、只だ更に己の做る能わざるを嫌うのみ。敢問還た要道有り、單獨實行を得る可きか」と。抱朴子曰く「凡そ道を學ぶに當に淺處より階を登りて深に涉り、易によりて難に及び、志誠堅果なれば、濟らざる無し、疑えば則ち功無し、不是一事。根荄地を洞穿せず、卻りて枝條雲霄に上衝するを求め、淵源泓深窈遠ならず、卻りて熱湯萬里流淌するを求むるは、此の事無し。故に積善陰德に非ざれば、足以て神明を感ずるに足らず。誠心款契に非ざれば、足以て師友を結ぶに足らず。功勞に非ざれば、足以て大試を論ずるに足らず。又未だ明師に遇上せずして要道を求むれば、未だ得る可からず。九丹金液、最是れ仙の主腦。然れども事大にして費重し、倉促辦成す可からず。精を寶愛し、炁を愛惜する、最是れ急、并且將に小藥を服して年命を延長し、近術を學びて邪惡を辟開し、纔かに以て漸漸精微に登上す可し」と。

或曰:“方術繁多,誠難精備,除置金丹,其餘可修,何者為善?”抱朴子曰:“若未得其至要之大者,則其小者不可不廣知也。蓋藉眾術之共成長生也。大而諭之,猶世主之治國焉,文武禮律,無一不可也。小而諭之,猶工匠之為車焉,轅罔軸轄,莫或應虧也。所為術者,內修形神,使延年愈疾,外攘邪惡,使禍害不幹,比之琴瑟,不可以孑弦求五音也,方之甲冑,不可以一札待鋒刃也。何者,五音合用不可闕,而鋒刃所集不可少也。凡養生者,欲令多聞而體要,博見而善擇,偏修一事,不足必賴也。又患好事之徒,各仗其所長,知玄素之術者,則曰唯房中之術,可以度世矣;明吐納之道者,則曰唯行氣可以延年矣;知屈伸之法者,則曰唯導引可以難老矣;知草木之方者,則曰唯藥餌可以無窮矣;學道之不成就,由乎偏枯之若此也。淺見之家,偶知一事,便言已足,而不識真者,雖得善方,猶更求無已,以消工棄日,而所施用,意無一定,此皆兩有所失者也。或本性戇鈍,所知殊尚淺近,便強入名山,履冒毒螫,屢被中傷,恥復求還。或為虎狼所食,或為魍魎所殺,或餓而無絕谷之方,寒而無自溫之法,死於崖谷,不亦愚哉?夫務學不如擇師,師所聞素狹,又不盡情以教之,因告云,為道不在多也。夫為道不在多,自為已有金丹至要,可不用餘耳。然此事知之者甚希,寧可虛待不必之大事,而不修交益之小術乎?譬猶作家,雲不事用他物者,蓋謂有金銀珠玉,在乎掌握懷抱之中,足以供累世之費者耳。苟其無此,何可不廣播百穀,多儲果疏乎?是以斷谷闢兵,厭劾鬼魅,禁御百毒,治救眾疾,入山則使猛獸不犯,涉水則令蛟龍不害,經瘟疫則不畏,遇急難則隱形,此皆小事,而不可不知,況過此者,何可不聞乎?”

有人曰く「方術繁多、實に精備し難し、金丹を除開し放下して、其餘修む可き、哪れか善と爲す」と。抱朴子曰く「若し未だ至要の大を得ざれば、則ち小は廣知せざる可からず。是れ衆術を借りて共同長生を成就せんとす。大處に往って喻すれば、譬へば世主國家を治する、文武禮律、一樣として無かる可き無し。小處に往って喻すれば、譬へば工匠車を造る、轅・罔・軸・轄、一樣として虧缺當き無し。謂う所の術、內に形神を修め、年を延し疾を愈さしめ、外に邪惡を攘い、禍害をして來り干擾せざらしむ、琴瑟に比すれば、單弦を以て五音を求む可からず、甲胄に比すれば、一片甲札を以て鋒刃を擋ぐ可からず。何を爲す、五音合用缺く可からず、鋒刃集中する所少なかる可からざればなり。凡そ養生の人、彼をして多聞にして要領を體察し、博見にして選擇に善からしめんとす、偏に一事を修めば、必然依賴するに足らず。又好事の徒を怕る、各々長所を仗り、玄素の術を知るは、則ち只だ房中の術以て世を度る可しと說き。吐納の道を明白するは、則ち只だ行氣以て年を延す可しと說き。屈伸の法を知るは、則ち只だ導引以て老い難しと說き。草木の方を知るは、則ち只だ藥餌以て無窮可しと說く。道を學ぶの成就不せず、偏枯此のごときに由る。淺見の家、偶然一事を知れば、便ち已に足ると說き、而も眞を識らざる人、雖も善方を得、還た更に求めて停まらず、以て功夫を消磨し時日を拋棄し、而も施用する所、意見一定無し、此ら皆是れ兩頭失有る所。或は本性戇鈍、知る所特に還た淺近、便ち强りて名山に入り、毒螫を踩冒し、屢々中傷せられ、再び求めて回來るを恥とす。或は虎狼に食われ、或は魍魎に殺され、或は餓えて絕穀の方無く、寒くして自溫の法無く、崖谷に死す、亦愚ならずや。學を務むるは師を擇ぶに如かず、師の聞見する所素より狹窄、又情を盡くして彼を教えず、於是告げて曰く、道を爲すは多に在らずと。道を爲すは多に在らず、自然是れ因りて已に金丹至要有り、以て其餘を用いず可きのみ。然れども此の事知る人少なし、寧ろ空く彼の一成る能く定ならざるの大事を等待して、而も互相補益の小術を修めざらんか。譬へば家を治する、他物を用いずと說くは、是れ金銀珠玉有り、掌握懷抱の中に在り、足以て累世の費用を供するのみを說く。若し此ら無からば、怎んぞ廣く百穀を播種し、多く果蓏を儲藏せざる可けんや。故に穀を斷ち兵を辟き、鬼魅を厭劾し、百毒を禁御し、衆疾を治救し、山に入れば則ち猛獸をして犯さざらしめ、水に涉れば則ち蛟龍をして害せざらしめ、瘟疫を經過すれば則ち畏れず、急難に遇うれば則ち形を隱す、此ら皆是れ小事、而も知らざる可からず、何況此らを超過するを、怎んぞ聞見せざる可けんや」と。

或曰:“敢問欲修長生之道,何所禁忌?”抱朴子曰:“禁忌之至急,在不傷不損而已。按易內戒及赤松子經及河圖記命符皆云,天地有司過之神,隨人所犯輕重,以奪其算,算減則人貧耗疾病,屢逢憂患,算盡則人死,諸應奪算者有數百事,不可具論。又言身中有三尸,三尸之為物,雖無形而實魂靈鬼神之屬也。欲使人早死,此屍當得作鬼,自放縱遊行,享人祭酹。是以每到庚申之日,輒上天白司命,道人所為過失。又月晦之夜,灶神亦上天白人罪狀。大者奪紀。紀者,三百日也。小者奪算。算者,三日也。吾亦未能審此事之有無也。然天道邈遠,鬼神難明。趙簡子秦穆公皆親受金策於上帝,有土地之明徵。山川草木,井灶洿池,猶皆有精氣;人身之中,亦有魂魄;況天地為物之至大者,於理當有精神,有精神則宜賞善而罰惡,但其體大而網疏,不必機發而響應耳。然覽諸道戒,無不雲欲求長生者,必欲積善立功,慈心於物,恕己及人,仁逮昆蟲,樂人之吉,愍人之苦,周人之急,救人之窮,手不傷生,口不勸禍,見人之得如己之得,見人之失如己之失,不自貴,不自譽,不嫉妒勝己,不佞諂陰賊,如此乃為有德,受福於天,所作必成,求仙可冀也。

有人曰く「敢問長生の道を修めんと欲す、何の禁忌有る」と。抱朴子曰く「禁忌の裏最急なるは、傷らず損せざるに在るのみ。《易內戒》及び《赤松子經》及び《河圖記命符》に按ずるに皆曰く、天地司過の神有り、人の犯す所輕重に隨い、以て其の算を奪う、算減れば則ち人貧耗疾病し、屢々憂患に逢い、算盡くれば則ち人死す、諸種算を奪う當きは數百事有り、一一論列す可からず。又身中三尸有りと曰く、三尸此の物、雖も無形而も實に是れ魂靈鬼神の一類。人をして早死せしめんと欲し、此の尸當に鬼と作るを得、自ら放縱游行し、人の祭酹を享受す。故に庚申の日に至る每に、則ち上天し司命に稟告し、人の做する所の過失を說く。又月晦の夜、竈神亦上天し人の罪狀を稟告す。大なるは紀を奪う。紀は、是れ三百日。小なるは算を奪う。算は、是れ三日。我亦未だ此の事の有無を審定する能わず。然れども天道邈遠、鬼神明らかに難し。趙簡子・秦穆公皆親ら上帝より金策を受け、土地有るの明徵有り。山川草木、井竈污池、尚ほ皆精氣有り。人身の中、亦魂魄有り。何況天地是れ物の裏至大、理に按りて當に精神有るべし、精神有れば則ち當に善を賞し惡を罰すべし、只だ其れ體大にして網疏、必ず弩機觸發のごとく響應せざるのみ。然れども諸の道戒を覽るに、求めて長生せんと欲するを說かざる無し、必ず善を積み功を立て、物に慈心し、己を恕み人に及ぼし、仁昆虫に施し、人の吉を樂しみ、人の苦を憫み、人の急を周し、人の窮を救い、手生を傷らず、口禍を勸めず、人の得有るを見れば己の得有るがごとく、人の失有るを見れば己の失有るがごとく、自ら貴ばず、自ら譽れず、己に勝るを嫉妬せず、佞諂陰賊せず、此のごとく纔かに是れ德有り、天より福を受け、作る所必ず成り、仙を求む以て期望す可し。

若乃憎善好殺,口是心非,背向異辭,反戾直正,虐害其下,欺罔其上,叛其所事,受恩不感,弄法受賂,縱曲枉直,廢公為私,刑加無辜,破人之家,收人之寶,害人之身,取人之位,侵克賢者,誅戮降伏,謗訕仙聖,傷殘道士,彈射飛鳥,刳胎破卵,春夏燎獵,罵詈神靈,教人為惡,蔽人之善,危人自安,佻人自功,壞人佳事,奪人所愛,離人骨肉,辱人求勝,取人長錢,還人短陌,決放水火,以術害人,迫脅尪弱,以惡易好,強取強求,擄掠致富,不公不平,淫佚傾邪,凌孤暴寡,拾遺取施,欺紿誑詐,好說人私,持人短長,牽天援地,咒詛求直,假借不還,換貸不償,求欲無已,憎拒忠信,不順上命,不敬所師,笑人作善,敗人苗稼,損人器物,以窮人用,以不清潔飲飼他人,輕秤小鬥,狹幅短度,以偽雜真,採取奸利,誘人取物,越井跨灶,晦歌朔哭。凡有一事,輒是一罪,隨事輕重,司命奪其算紀,算盡則死。但有噁心而無惡跡者奪算,若惡事而損於人者奪紀,若算紀未盡而自死者,皆殃及子孫也。諸橫奪人財物者,或計其妻子家口以當填之,以致死喪,但不即至耳。其惡行若不足以煞其家人者,久久終遭水火劫盜,及遺失器物,或遇縣官疾病,自營醫藥,烹牲祭祀所用之費,要當令足以盡其所取之直也。故道家言枉煞人者,是以兵刃而更相殺。其取非義之財,不避怨恨,譬若以漏脯救飢,鴆酒解渴,非不暫飽而死亦及之矣。其有曾行諸惡事,後自改悔者,若曾枉煞人,則當思救濟應死之人以解之。若妄取人財物,則當思施與貧困以解之。若以罪加人,則當思薦達賢人以解之。皆一倍於所為,則可便受吉利,轉禍為福之道也。能盡不犯之,則必延年益壽,學道速成也。夫天高而聽卑,物無不鑑,行善不怠,必得吉報。羊公積德佈施,詣乎皓首,乃受天墜之金。蔡順至孝,感神應之。

(抱朴子接續して曰く)善を憎み殺を好み、口是れ心非、背地當面言辭同じからず、正直に乖戾し、己の下屬を虐害し、己の上司を欺罔し、事奉する所を背叛し、恩を受けて感激せず、法を弄して賂を受け、彎曲を放縱し、正直を冤枉し、公を廢して私と爲し、刑罰無辜に加え、人の家を破り、人物の寶を收め、人の身を害し、人の位を取り、賢者を侵克し、已に降伏するを誅戮し、仙聖を謗訕し、道士を傷殘し、飛鳥を彈射し、胎を剖き卵を破り、春夏火を放ちて獵し、神靈を罵詈し、人を教えて惡を爲さしめ、人の善を遮蔽し、人を危うくして自ら安んじ、人の功を偷取して己のと作り、人の佳事を壞り、人の愛する所を奪い、人の骨肉を離し、人を辱めて勝を求め、人の長錢を取り、人に短陌を還し、水火を決放し、術を以て人を害し、瘦弱を迫脅し、惡を以て好を換え、强取强求し、掳掠して富を致し、不公不平、淫佚傾邪、孤寡を欺凌し、遺を拾い施を取り、欺紿誑詐し、人の私を說くを好み、人の短長を持ち、天を牽き地を援き、咒詛して直を求め、假借して還さず、換貸して償わず、求欲止まる無く、忠信を憎拒し、上命に順わず、師とする所を敬わず、人の善を作るを笑い、人の苗稼を敗り、人の器物を損し、人をして用に窮せしめ、不清潔のを以て他人に飲飼し、秤を輕く斗を小さく、幅を狹く度を短く、僞を以て眞に雜え、姦利を采取し、人を誘い物を取り、井竈を跨越し、晦日歌を唱い、朔日哭泣す。凡そ一事有れば、則ち一罪、事の輕重に隨い、司命其の算紀を奪う、算盡くれば則ち死す。惡心有りて惡跡無きの算を奪う、若し惡事にして人に損するの紀を奪う、若し算紀未だ盡きずして自ら死するは、皆子孫に殃及す。諸種橫に人の財物を奪うは、或は其の妻子家口を計算して以て抵填し、死喪を致すに至る、只だ立刻至らざるのみ。其の惡行若し其の家人を殺すに足らざれば、久久終に水火劫盜に遭遇し、及び器物を遺失し、或は縣官疾病に遇上し、自ら醫藥を經營し、牲を烹り祭祀するの費を用い、總て之をして其の取る所の價值を盡くすに足らしむ。故に道家曰く枉に人を殺すは、是れ兵刃を以て更に相殺す。彼義ならざるの財を取り、怨恨を避けず、譬へば漏脯を以て饑を救い、鴆酒以て渇を解するがごとく、暫く飽きざるに非ざるとて死亡亦跟隨して到る。曾て諸種の惡事を做して後來自ら改悔する有れば、若し曾て枉に人を殺せば、則ち當に死るべき人を救濟して以て之を解くべし。若し妄りに人の財物を取れば、則ち當に貧困に施與して以て之を解くべし。若し罪を人に加えれば、則ち當に賢人を薦達して以て之を解くべし。皆做する所より加倍すれば、則ち以て便ち吉利を受く可し、此れ禍を轉じて福と爲すの道。能く全部犯さざれば、則ち必ず年を延し壽を益し、道を學ぶ速やかに成る。天高くして聽くこと低下し、物鑑察せざる無し、善を行いて怠らざれば、必ず吉報を得。羊公德を積累し、布施を實行し、皓首に至るまで、纔かに天上墜下の金を受く。蔡順至孝、神を感動して應を來さしむ。

郭巨煞子為親,而獲鐵券之重賜。然善事難為,惡事易作,而愚人復以項託伯牛輩,謂天地之不能辨臧否,而不知彼有外名者,未必有內行,有陽譽者不能解陰罪,若以薺麥之生死,而疑陰陽之大氣,亦不足以致遠也。蓋上士所以密勿而僅免,凡庸所以不得其欲矣。”

(抱朴子接續して曰く)郭巨子を殺して親の爲にして、而も鐵券の重賜を獲たり。然れども善事作り難く、惡事作り易し、而も愚人又項橐・伯牛の一輩を以て、天地善惡を辨ずる能わずと說く、卻りて彼ら外名有るは、未だ必ずしも內行有らず、表面上聲譽有るは暗中の罪を解開する能わざるを知らず、若し薺麥の生死に因りて、而も陰陽の大氣を疑えば、亦以て遠を致すに足らず。故に上士勤勉して僅かに過を免るる所以、凡庸其の欲する所を得ざる所以なり」と。

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