Libo

抱朴子内篇 · 第5巻

东晋 · 葛洪 · 第5巻 / 14

卷十·明本

卷十・明本

或問儒道之先後。抱朴子答曰:“道者,儒之本也;儒者,道之末也。先以為陰陽之術,眾於忌諱,使人拘畏;而儒者博而寡要,勞而少功;墨者儉而難遵,不可遍循;法者嚴而少恩,傷破仁義。唯道家之教,使人精神專一,動合無形,包儒墨之善,總名法之要,與時遷移,應物變化,指約而易明,事少而功多,務在全大宗之樸,守真正之源者也。而班固以史遷先黃老而後六經,謂遷為謬。夫遷之洽聞,旁綜幽隱,沙汰事物之臧否,核實古人之邪正。其評論也,實原本於自然,其褒貶也,皆準的乎至理。不虛美,不隱惡,不雷同以偶俗。劉向命世通人,謂為實錄;而班固之所論,未可據也。固誠純儒,不究道意,玩其所習,難以折中。夫所謂道,豈唯養生之事而已乎?易曰:立天之道,曰陰與陽;立地之道,曰柔與剛;立人之道,曰仁與義。又曰:易有聖人之道四焉,苟非其人,道不虛行。又於治世隆平,則謂之有道,危國亂主,則謂之無道。又坐而論道,謂之三公,國之有道,貧賤者恥焉。凡言道者,上自二儀,下逮萬物,莫不由之。但黃老執其本,儒墨治其末耳。今世之舉有道者,蓋博通乎古今,能仰觀俯察,歷變涉微,達興亡之運,明治亂之體,心無所惑,問無不對者,何必修長生之法,慕松喬之武者哉?而管窺諸生,臆斷瞽說,聞有居山林之間,宗伯陽之業者,則毀而笑之曰,彼小道耳,不足算也。嗟乎!所謂抱螢燭於環堵之內者,不見天光之焜爛;侶鮋鰕於跡水之中者,不識四海之浩汗;重江河之深,而不知吐之者崑崙也;珍黍稷之收,而不覺秀之者豐壤也。今苟知推崇儒術,而不知成之者由道。道也者,所以陶冶百氏,範鑄二儀,胞胎萬類,醞釀彝倫者也。世間淺近者眾,而深遠者少,少不勝眾,由來久矣。是以史遷雖長而不見譽,班固雖短而不見彈。

有人儒與道孰れか先孰れか後を問う。抱朴子回答えて曰く「道是れ儒の本。儒是れ道の末。先前以て陰陽の術、忌諱多く、人をして拘畏せしむと爲す。而も儒者博にして要領少なく、勞にして功少なし。墨者儉にして遵い難く、普遍遵循す可からず。法者嚴にして恩少なく、仁義を傷破す。只有道家の教、人をして精神專一ならしめ、擧動無形に合し、儒墨の善を包み、名法の要を總め、時與遷移し、物に應じて變化し、指約にして明らかに易く、事少なくして功多し、務めて大宗の朴を保全し、眞正の源を守住すに在り。而も班固史遷先黃老にして後六經を以て、遷錯れたりと說く。遷の洽聞、幽隱を旁綜し、事物の善惡を沙汰し、古人の邪正を核實す。其の評論、實に自然に原本し、其の褒貶、皆至理に對準す。虛美せず、惡を隱さず、雷同して俗に迎合せず。劉向是れ命世通人、是れ實錄と說く。而も班固の論ずる所、未だ依據す可からず。班固誠に是れ純儒、道意を究めず、其の習う所を玩ぶ、以て折中し難し。謂う所の道、哪れにか只だ養生の事のみならんや。《易》曰く、天を立てるの道、陰與陽と曰い。地を立てるの道、柔與剛と曰い。人を立てるの道、仁與義と曰うと。又曰く、《易》聖人の道四有り、若し彼の種の人に非ざれば、道虛行せずと。又治世隆平に對しては、則ち道有りと說き、危國亂主、則ち道無しと說く。又坐して道を論ずる、三公と稱す、國道有れば、貧賤の人以て恥と爲す。凡そ道を說く、上二儀より下萬物に及ぶまで、其に由らざる無し。只だ黃老其の本を執し、儒墨其の末を治するのみ。今世上擧げて道有りと爲すは、蓋し是れ古今を博通し、能く仰觀俯察し、變化を經歷し、精微に涉入し、興亡の運を通達し、治亂の體を明白し、心里疑惑無く、問に對えざる能わざる無し、何必長生の法を修め、赤松子王子喬の足跡を慕わんや。而も管窺の諸生、臆斷瞽說し、山林の閒に住し、伯陽の業を宗とする有るを聞けば、則ち毀りて彼を笑い曰く、彼れ小道のみ、算するに足らずと。嗚呼。謂う所の環堵の內に螢燭を抱くは、天光の焜爛を見ず。足跡積水に鮋鰕與侶と爲るは、四海の浩汗を識らず。江河の深を看重して、卻りて彼らを吐出するは是れ昆崙を知らず。黍稷の收成を珍視して、卻りて彼らを秀實せしむる是れ豐壤を覺えず。今但だ儒術を推崇するを知りて、卻りて它を成就する是れ道に由るを知らず。道此の東西、是れ以て百氏を陶冶し、模子を以て二儀を鑄成し、萬類を胞胎し、彝倫を醞釀す。世閒淺近の人多く、深遠の人少なし、少衆に勝たず、由來已久し。故に史遷雖も長ずる所しかれども稱譽を見ず、班固雖も短ずる所しかれども彈劾を見ず。

然物以少者為貴,多者為賤,至於人事,豈獨不然?故藜藿彌原,而芝英不世;枳棘被野,而尋木間秀;沙礫無量,而珠璧甚鮮;鴻隼屯飛,而鸞鳳罕出;虺蜴盈藪,而虯龍希覿;班生多黨,固其宜也。夫道者,內以治身,外以為國,能令七政遵度,二氣告和,四時不失寒燠之節,風雨不為暴物之災,玉燭表昇平之徵,澄醴彰德洽之符,焚輪虹霓寢其妖,頹雲商羊戢其翼,景耀高照,嘉禾畢遂,疫癘不流,禍亂不作,巉壘不設,干戈不用,不議而當,不約而信,不結而固,不謀而成,不賞而勸,不罰而肅,不求而得,不禁而止,處上而人不以為重,居前而人不以為患,號未發而風移,令未施而俗易,此蓋道之治世也。故道之興也,則三五垂拱而有餘焉。道之衰也,則叔代馳騖而不足焉。夫唯有餘,故無為而化美。夫唯不足,故刑嚴而奸繁。黎庶怨於下,皇靈怒於上。或洪波橫流,或亢陽赤地,或山谷易體,或冬雷夏雪,或流血漂櫓,積屍築京,或坑降萬計,析骸易子,城愈高而沖愈巧,池愈深而梯愈妙,法令明而盜賊多,盟約數而叛亂甚,猶風波駭而魚鱉擾於淵,纖羅密而羽禽躁於澤,豺狼眾而走獸劇於林,爨火猛而小鮮糜於鼎也。君臣易位者有矣,父子推刃者有矣,然後忠義制名於危國,孝子收譽於敗家。疾疫起而巫醫貴矣,道德喪而儒墨重矣。由此觀之,儒道之先後,可得定矣。”

(抱朴子接續して曰く)然れども物少きを以て貴と爲し、多きを以て賤と爲す、至於人事、豈に獨り此のごとくならざらんや。故に藜藿原野に鋪滿し、而も芝英常に世に出でず。枳棘田野を覆蓋し、而も尋木間或に秀出す。沙礫無量、而も珠璧甚だ少なし。鴻隼群を成して飛び、而も鸞鳳罕出。虺蜴藪に滿ち、而も虯龍少見。班生黨羽多し、固より是れ應當なり。道此の東西、內以て身を治め、外以て國と爲し、能く七政をして度を遵らしめ、二氣和を告げ、四時寒暖の節を失わず、風雨暴物の災と成らず、玉燭升平の徵を表し、澄醴德洽の符を彰す、焚輪虹霓其の妖を停息し、頹雲商羊其の翼を收斂し、景耀高照り、嘉禾全部遂成し、疫癘流れず、禍亂作らず、巉壘設けず、干戈用いず、議せずして恰當、約せずして信有り、結ばずして牢固、謀らずして成、賞せずして勸め、罰せずして肅、求めずして得、禁せずして止まり、上に處りて人以て重と爲さず、前に居りて人以て患と爲さず、號令未だ發せずして風氣已に移り、法令未だ施さずして習俗已に易ゆ、此れ蓋し是れ道の治世。故に道興盛なれば、則ち三皇五帝拱を垂れて尚ほ餘有り。道衰微なれば、則ち叔世馳騖して尚ほ足らず。正に餘有るに因りて、故に無爲にして化美なり。正に足らざるに因りて、故に刑嚴にして奸繁なり。黎庶下に怨み、皇靈上に怒る。或は洪波橫流し、或は亢陽赤地し、或は山谷形體を改換し、或は冬雷夏雪し、或は流血櫓を漂わし、尸を積みて高丘を築成し、或は降卒を坑殺するに萬を以て計し、骸を析き子を易え、城愈高くして衝車愈巧なり、池愈深くして雲梯愈妙なり、法令明にして盜賊多く、盟約頻繁にして叛亂更に甚だし、譬へば風波驚駭して魚鱉淵中に擾動し、纖羅密にして羽禽澤中に躁し、豺狼多くして走獸林中に劇急し、竈火猛くして小魚鼎中に糜爛す。君臣位を換る有り、父子刀を動かす有り、然る後忠義危國に名を制し、孝子敗家に譽を收得す。疾疫起りて巫醫貴し、道德喪して儒墨重し。此に由りて觀れば、儒道の先後、以て確定を得る可し」と。

或問曰:“昔赤松子王喬琴高老氏彭祖務成鬱華皆真人,悉仕於世,不便遐遁,而中世以來,為道之士,莫不飄然絕跡幽隱,何也?”抱朴子答曰:“曩古純樸,巧偽未萌,其信道者,則勤而學之,其不信者,則嘿然而已。謗毀之言,不吐乎口,中傷之心,不存乎胸也。是以真人徐徐於民間,不促促於登遐耳。末俗偷薄,雕偽彌深,玄淡之化廢,而邪俗之黨繁,既不信道,好為訕毀,謂真正為妖訛,以神仙為誕妄,或曰惑眾,或曰亂群,是以上士恥居其中也。昔之達人,杜漸防微,色斯而逝,夜不待旦,睹幾而作,不俟終日。故趙害鳴犢,而仲尼旋軫,醴酒不設,而穆生星行,彼眾我寡,華元去之。況乎明哲,業尚本異,有何戀之當住其間哉?夫淵竭池漉,則蛟龍不遊,巢傾卵拾,則鳳凰不集,居言於室,而翔鷗不下,凡卉春翦,而芝蓂不秀,世俗醜正,慢辱將臻,彼有道者,安得不超然振翅乎風雲之表,而翻爾藏軌於玄漠之際乎?山林之中非有道也,而為道者必入山林,誠欲遠彼腥羶,而即此清淨也。夫入九室以精思,存真一以招神者,既不喜喧譁而合汙穢,而合金丹之大藥,釒柬八石之飛精者,尤忌利口之愚人,凡俗之聞見,明靈為之不降,仙藥為之不成,非小禁也,止於人中,或有淺見毀之有司,加之罪福,或有親舊之往來,牽之以慶弔,莫若幽隱一切,免於如此之臭鼠矣。彼之邈爾獨往,得意嵩岫,豈不有以乎?或云:上士得道於三軍,中士得道於都市,下士得道於山林,此皆為仙藥已成,未欲昇天,雖在三軍,而鋒刃不能傷,雖在都市,而人禍不能加,而下士未及於此,故止山林耳。不謂人之在上品者,初學道當止於三軍都市之中而得也,然則黃老可以至今不去也。”

有人問道て曰く「昔赤松子・王喬・琴高・老氏・彭祖・務成・郁華皆是れ眞人、全く皆世に官を做し、立刻遠遁せず、而も中世以來、道を爲る之士、飄然として幽隱に絕跡せざる無し、何を爲す」と。抱朴子回答えて曰く「往古純樸、巧僞未だ萌生せず、道を信ずる人、則ち勤にして之を學び、信ぜざる人、則ち沉默のみ。謗毀の言、口より吐出せず、中傷の心、胸中に存在せず。故に眞人民閒に徐徐として行し、急促して遐に登らざるのみ。末俗偷薄、彫僞更深く、玄淡の化廢れ、邪俗の黨繁し、既に道を信ぜず、又訕毀を好み、眞正を以て妖訛と說き、神仙を以て誕妄と當て、或は衆を惑わすと說き、或は群を亂すと說く、故に上士其の中に住するを恥とす。從前の達人、漸を杜じ微を防ぎ、顏色對せざるを見れば則ち離去し、夜明けを待たず、幾微を見れば則ち行動し、終日を待たず。故に趙鳴犢を害し、仲尼車軫を掉轉し、醴酒設けず、穆生星夜走り、彼衆我寡、華元離去す。何況明哲、業尚本來同じからず、何の戀其の閒に住する可き有らん。淵枯竭し池漉盡くれば、則ち蛟龍游ばず。巢傾覆し卵拾われれば、則ち鳳凰集まらず。室中に言語すれば、翔鷗下り來らず。凡卉春に剪られれば、芝蓂秀でず。世俗正を醜とし、慢辱將に至らん、彼ら道有る人、怎んぞ能く超然として風雲の表に翅を振るい、而も翻然として玄漠の際に車轍を藏めざらんや。山林の中竝びに道有るに非ず、而も道を爲る人必ず山林に入る、實に彼の腥膻を遠離して、此の淸淨に就近せんと欲するなり。九室に入りて以て精思し、眞一を存して以て神を招く、既に喧嘩を喜ばず汙穢に合せず、而も金丹の大藥を合し、八石の飛精を煉する(底本「煉」を「钅柬」と作す)、尤も利口の愚人・凡俗の聞見を忌む、明靈因此降らず、仙藥因此成らず、不是小禁。人中に停まれば、或は淺見有司に向かい彼を毀り、罪福を以て加へ、或は親舊往來し、慶弔を以て彼を牽住し、幽隱一切に如かず、此のごとき臭鼠を免る。彼ら邈然として獨り往き、嵩岫に得意す、豈に緣故無からんや。或は說く、上士三軍に道を得、中士都市に道を得、下士山林に道を得る、此ら皆是れ仙藥已に成り、還た升天せんと欲せず、雖も三軍に在るも、鋒刃傷る能わず、雖も都市に在るも、人禍加ふる能わず、而も下士尚ほ未だ此に至らず、故に山林に停まるのみ。不是說く人品上に在るは、初め道を學べば則ち當に三軍都市の中に停まりて道を得べしと、則ち黃老以て今に至るまで離去せざる可きのみ」と。

或問曰:“道之為源本,儒之為末流,既聞命矣,今之小異,悉何事乎?”抱朴子曰:“夫升降俯仰之教,盤旋三千之儀,攻守進趣之術,輕身重義之節,歡憂禮樂之事,經世濟俗之略,儒者之所務也。外物棄智,滌盪機變,忘富逸貴,杜遏勸沮,不恤乎窮,不榮乎達,不戚乎毀,不悅乎譽,道家之業也。儒者祭祀以祈福,而道者履正以禳邪。儒者所愛者勢利也,道家所寶者無慾也。儒者汲汲於名利,而道家抱一以獨善。儒者所講者,相研之簿領也。道家所習者,遣情之教戒也。夫道者,其為也,善自修以成務;其居也,善取人所不爭;其治也,善絕禍於未起;其施也,善濟物而不德;其動也,善觀民以用心;其靜也,善居慎而無悶。此所以為百家之君長,仁義之祖宗也,小異之理,其較如此,首尾汙隆,未之變也。”

有人問道て曰く「道源本と作り、儒末流と作る、已に命を聽き、今の小異、皆是れ何の事」と。抱朴子曰く「升降俯仰の教、盤旋三千の儀、攻守進趣の術、身を輕く義を重くするの節、歡憂禮樂の事、經世濟俗の略、是れ儒者の務する所。物を外にし智を棄て、機變を滌蕩し、富を忘れ貴を逸し、勸沮を杜遏し、窮を以て憂と爲さず、達を以て榮と爲さず、毀を以て戚と爲さず、譽を以て悅と爲さず、是れ道家の業。儒者祭祀して以て福を祈り、而も道者正を履して以て邪を禳ぐ。儒者の愛する所是れ勢利、道家の寶とする所是れ無欲。儒者汲汲名利にして、而も道家一を抱きて以て獨善す。儒者の講ずる所、是れ相研核するの簿領。道家の習う所、是れ情を遣するの教戒。道此の東西、其れ爲す所有り、善く自修して以て務を成す。其れ居處、善く人の爭わざる所を取る。其れ治理、善く未だ起らざるの時禍を絕つ。其れ施與、善く物を濟して而も自ら德と爲さず。其れ行動、善く民を觀て以て心を用う。其れ靜處、善く愼に居りて悶無し。此れ是れ百家の君長・仁義の祖宗と爲る所以、小異の理、大較此のごとく、首尾高下、變無し」と。

或曰:“儒者,周孔也,其籍則六經也,蓋治世存正之所由也,立身舉動之準繩也,其用遠而業貴,其事大而辭美,有國有家不易之制也。為道之士,不營禮教,不顧大倫,侶狐貉於草澤之中,偶猿猱於林麓之閒,魁然流擯,與木石為鄰,此亦東走之迷,忘葵之甘也。”抱朴子答曰:“摛華騁豔,質直所不尚,攻蒙救惑,疇昔之所饜,誠不欲復與子較物理之善否,校得失於機吻矣。然觀孺子之墜井,非仁者之意,視瞽人之觸柱,非兼愛之謂耶?又陳梗概,粗抗一隅。夫體道以匠物,寶德以長生者,黃老是也。黃帝能治世致太平,而又昇仙,則未可謂之後於堯舜也。老子既兼綜禮教,而又久視,則未可謂之為減周孔也。故仲尼有竊比之嘆,未聞有疵毀之辭,而末世庸民,不得其門,修儒墨而毀道家,何異子孫而罵詈祖考哉?是不識其所自來,亦已甚矣。夫侏儒之手,不足以傾嵩華;焦僥之脛,不足以測滄海;每見凡俗守株之儒,營營所習,不博達理,告頑令嚚,崇飾惡言,誣詰道家,說糟粕之滓,則若睹駿馬之過隙也,涉精神之淵,則淪溺而自失也。猶斥鴳之揮短翅,以凌陽侯之波,猶蒼蠅之力駑質,以涉昫猿之峻,非其所堪,袛足速困。然而嘍嘍守於局隘,聰不經曠,明不徹離,而欲企踵以包三光,鼓腹以奮雷靈,不亦蔽乎?蓋登旋璣之眇邈,則知井谷之至卑,睹大明之麗天,乃知鷦金之可陋。吾非生而知之,又非少而信之,始者濛濛,亦如子耳,既觀奧秘之宏修,而恨離困之不早也。五經之事,注說炳露,初學之徒,猶可不解。豈況金簡玉札,神仙之經,至要之言,又多不書。登壇歃血,乃傳口訣,苟非其人,雖裂地連城,金璧滿堂,不妄以示之。夫指深歸遠,雖得其書而不師受,猶仰不見首,俯不知跟,豈吾子所詳悉哉?

有人曰く「儒者は、是れ周公孔子、彼らの籍是れ六經、蓋し是れ世を治め正を存するの由る所、身を立て擧動するの準繩、其の用遠くして業貴く、事大にして辭美、是れ國有家に改易す可からざるの制度。道を爲る之士、禮教を經營せず、大倫を顧みず、草澤の中に狐貉與侶と爲り、林麓の閒に猿猱與偶と爲り、魁然として流放擯棄せられ、木石與鄰と爲る、此れ亦東走の迷、葵の甘を忘るるなり」と。抱朴子回答えて曰く「華艷を鋪陳する、是れ質直の崇尚せざる所、蒙を攻め惑を救う、是れ往日の滿足する所、實に再び您與物理の善否を較量し、機鋒口舌上に得失を校せんと欲せず。然れども孺子井に墮つるを見る、不是仁者の心意の忍ぶ所、瞽人柱に觸るるを見る、不是兼愛の說なるか。再び梗概を陳說し、粗く一隅を抗す。道を體して以て物を匠成し、德を寶として以て長生する、是れ黃老。黄帝能く世を治め太平を致し、而又仙に升る、則ち以て堯舜の後に在りと說く可からず。老子既に禮教を兼綜し、而又久視す、則ち以て周公孔子より減ずと說く可からず。故に仲尼竊比の歎有り、未だ疵毀の辭有るを聞かず、而も末世庸民、其の門を得ず、儒墨を修めて道家を毀る、子孫祖考を罵詈するに何の異ならん。此れ是れ己の從來る所を識らず、亦已に過分なり。侏儒の手、以て嵩華を傾覆するに足らず。焦僥の脛、以て大海を測量するに足らず。每に凡俗守株の儒を見、習う所に營營し、理に博達せず、頑なるを告げ、奸なるを命じ、惡言を崇飾し、道家を誣詰し、糟粕の滓を說く、猶ほ駿馬の隙を過ぐるを見るがごとし、精神の淵に涉入すれば、則ち淪溺して自失す。譬へば斥鴳短翅を揮るい、以て陽侯の波を凌ぐがごとし、譬へば蒼蠅力駑質弱、以て昫猿の峻に涉るがごとし、不是其の堪うる所、只だ以て困頓を加速するに足る。然れども嘍嘍として局隘を守り、聰師曠を過ぎず、明離朱を徹せず、卻りて脚を踮げて以て三光を包み、腹を鼓して以て雷靈を奮わんと欲す、亦蔽ならずや。蓋し旋璣の眇邈に登上すれば、則ち井谷の至卑を知り、大明天に麗るを見れば、纔かに鷦鷯金子を當てて陋る可きを知る。我不是生れて之を知る、亦不是少にして之を信ず、初め蒙蒙、亦您のごときのみ、既に奧祕の宏修を觀看して、而も困頓を離るること早からざるを恨む。五經の事、注說炳露し、初學の徒、還た以て解せざる可し。何況金簡玉札、神仙の經、至要の言、又多く寫下さざるをや。壇に登り血を歃して、纔かに口訣を傳う、若し彼の種の人に非ざれば、雖も地を裂き城を連ね、金璧堂に滿つとも、亦妄りに之を拿げて見さず。意旨歸趨深遠、雖も書を得て師に從い受けざれば、譬へば仰いで首を見ず、俯して脚根を知らざるがごとし、哪れにか您の詳悉する能くする所ならんや」。

夫得仙者,或升太清,或翔紫霄,或造玄洲,或棲板桐,聽鈞天之樂,享九芝之饌,出攜松羨於倒景之表,入宴常陽於瑤房之中,曷為當侶狐貉而偶猿狖乎?所謂不知而作也。夫道也者,逍遙虹霓,翱翔丹霄,鴻崖六虛,唯意所造。魁然流擯,未為戚也。犧腯聚處,雖被藻繡,論其為樂,孰與逸麟之離群以獨往,吉光坼偶而多福哉?”

(抱朴子接續して曰く)仙を得る人、或は太清に升り、或は紫霄に翔り、或は玄洲に至り、或は板桐に栖り、鈞天の樂を聽き、九芝の饌を享け、出でて倒景の表に赤松子・羨門を攜帶し、入りて瑤房の中に平常・陽生を宴請す、何を爲す當に狐貉與侶と爲り猿狖與偶と爲らんや。謂う所の知らずして作る。道此の東西、虹霓に逍遙し、丹霄に翱翔し、鴻崖六虛、只だ意の到る所に隨う。魁然として流放擯棄せらるる、憂戚と算せず。犧牲肥牲聚處し、雖も藻繡を披くも、其の樂を論ずれば、逸麟群を離れ獨り往き、吉光偶を拆して福多きに比ぶれば、哪れか更に好しと爲さん」と。

卷十一·仙藥

卷十一・仙藥

抱朴子曰:神農四經曰,上藥令人身安命延,升為天神,遨遊上下,使役萬靈,體生毛羽,行廚立至。又曰,五芝及餌丹砂、玉札、曾青、雄黃、雌黃、雲母、太乙禹餘糧,各可單服之,皆令人飛行長生。又曰,中藥養性,下藥除病,能令毒蟲不加,猛獸不犯,惡氣不行,眾妖並闢。又孝經援神契曰,椒姜御溼,菖蒲益聰,巨勝延年,威喜闢兵。皆上聖之至言,方術之實錄也,明文炳然,而世人終於不信,可嘆息者也。仙藥之上者丹砂,次則黃金,次則白銀,次則諸芝,次則五玉,次則雲母,次則明珠,次則雄黃,次則太乙禹餘糧,次則石中黃子,次則石桂,次則石英,次則石腦,次則石硫黃,次則石臺,次則曾青,次則松柏脂、茯苓、地黃、麥門冬、木巨勝、重樓、黃連、石韋、楮實、象柴,一名托盧是也。或雲仙人杖,或雲西王母杖,或名天精,或名卻老,或名地骨,或名苟杞也。天門冬,或名地門冬,或名莚門冬,或名顛棘,或名淫羊食,或名管松,其生高地,根短而味甜,氣香者善。其生水側下地者,葉細似蘊而微黃,根長而味多苦,氣臭者下,亦可服食。然喜令人下氣,為益尤遲也。服之百日,皆丁肚倍吏於術及黃精也,入山便可蒸,若煮啖之,取足可以斷谷。若有力可餌之,亦可作散,並及絞其汁作酒,以服散尤佳。楚人呼天門冬為百部,然自有百部草,其根俱有百許,相似如一也,而其苗小異也。真百部苗似拔揳,唯中以治欬及殺蝨耳,不中服食,不可誤也。如黃精一名白及,而實非中以作糊之白及也。按本草藥之與他草同名者甚多,唯精博者能分別之,不可不詳也。黃精一名兔竹,一名救窮,一名垂珠。服其花勝其實,服其實勝其根,但花難多得。得其生花十斛,乾之才可得五六鬥耳,而服之日可三合,非大有役力者不能辨也。服黃精僅十年,乃可大得其益耳。

抱朴子曰く、神農四經曰く、上藥人をして身安く命延び、天神に升りて、上下を遨游し、萬靈を役使し、身上毛羽を生出し、行厨立刻に至らしむと。又曰く、五芝及び丹砂・玉札・曾青・雄黃・雌黃・雲母・太乙禹餘糧を服食す、各々以て單服す可し、皆人をして飛行長生せしむと。又曰く、中藥性を養い、下藥病を除き、能く毒蟲をして加えざらしめ、猛獸をして犯さざらしめ、惡氣をして行わせざらしめ、衆妖一竝に避くると。又《孝經援神契》曰く、椒姜濕を御し、菖蒲聰を益し、巨勝年を延し、威喜兵を辟くと。皆是れ上聖の至言、方術の實錄、明文炳然、而も世人終に信信ぜず、歎息す可きなり。仙藥最上は是れ丹砂、其次黃金、其次白銀、其次諸芝、其次五玉、其次雲母、其次明珠、其次雄黃、其次太乙禹餘糧、其次石中黃子、其次石桂、其次石英、其次石腦、其次石硫黃、其次石台、其次曾青、其次松柏脂・茯苓・地黃・麥門冬・木巨勝・重樓・黃連・石韋・楮實・象柴、一名托盧。或は仙人杖と說き、或は西王母杖と說き、或は名天精、或は名卻老、或は名地骨、或は名枸杞。天門冬、或は名地門冬、或は名莚門冬、或は名顛棘、或は名淫羊食、或は名管松、高地に生じ、根短にして味甘く、氣香なる好し。水邊低下の地に生ずるは、葉細くして薀のごとく微黃し、根長にして味多く苦く、氣臭くして低下、亦以て服食す可し。然れども人をして下氣せしめ易く、益を得ること尤も遲し。之を服すること百日、皆術與黃精より更に能く人をして壯實ならしむ(底本「丁肚倍吏」と作す、「肚」「吏」當に「壯」「于」の類の訛殘なるべし)、山に入れば便ち以て蒸し、或は煮て喫し、足を取りて以て穀を斷つ可し。若し力有りて以て之を餌食せば、亦以て散を作り、并且其の汁を絞りて酒を作り、拿げて以て散を服する尤も好し。楚人天門冬を呼びて百部と爲す、然れども別に自ら百部草有り、其の根皆百來條有り、相似如一、而も苗稍々不同。眞百部苗菝葜に似る、只だ咳を治し及び虱を殺すに適すのみ、服食に適さず、錯誤す可からず。像黄精一名白及、而も其の實不是糊を作るに適するの白及。本草の裏藥別の草與同名多き有り、只有精博の人能く分別す、詳審せざる可からず。黃精一名兔竹、一名救窮、一名垂珠。其の花を服する其の實に勝り、其の實を服する其の根に勝る、只だ花多く得難し。其の生花十斛を得、干して纔かに五六斗を得る可きのみ、而も服の日に以て三合可し、不是大に役力有る人辦う能わず。黃精を服すること僅かに十年、纔かに以て大に其の益處を得るのみ。

俱以斷谷不及術,術餌令人肥健,可以負重涉險,但不及黃精甘美易食,凶年可以與老小休糧,人不能別之,謂為米脯也。

(上文接續して曰く)皆拿げて以て穀を斷てば、術に及ばず、術餌人をして肥健ならしめ、以て重を負い險に涉る可し、只だ黃精のごとく甘美易喫ならず、凶年以て老小に糧を休ましめ可し、人它を辨別する能わず、米脯と說く。

五芝者,有石芝,有木芝,有草芝,有肉芝,有菌芝,各有百許種也。

五芝、石芝有り、木芝有り、草芝有り、肉芝有り、菌芝有り、各々百來種有り。

石芝者,石象芝生於海隅名山,及島嶼之涯有積石者,其狀如肉象有頭尾四足者,良似生物也,附於大石,喜在高岫險峻之地,或卻著仰綴也。赤者如珊瑚,白者如截肪,黑者如澤漆,青者如翠羽,黃者如紫金,而皆光明洞徹如堅冰也。晦夜去之三百步,便望見其光矣。大者十餘斤,小者三四斤,非久齋至精,及佩老子入山靈寶五符,亦不能得見此輩也。凡見諸芝,且先以開山卻害符置其上,則不得復隱蔽化去矣。徐徐擇王相之日,設醮祭以酒脯,祈而取之,皆從日下禹步閉氣而往也。又若得石象芝,搗之三萬六千杵,服方寸匕,日三,盡一斤,則得千歲;十斤,則萬歲。亦可分人服也。又玉脂芝,生於有玉之山,常居懸危之處,玉膏流出,萬年已上,則凝而成芝,有似鳥獸之形,色無常彩,率多似山玄水蒼玉也。亦鮮明如水精,得而末之,以無心草汁和之,須臾成水,服一升,得一千歲也。七明九光芝,皆石也,生臨水之高山石崖之間,狀如盤碗,不過徑尺以還,有莖蒂連綴之,起三四寸,有七孔者,名七明,九孔者名九光,光皆如星,百餘步內,夜皆望見其光,其光自別,可散不可合也。常以秋分伺之得之,搗服方寸匕,入口則翕然身熱,五味甘美,盡一斤則得千歲,令人身有光,所居暗地如月,可以夜視也。石蜜芝,生少室石戶中,戶中便有深谷,不可得過,以石投谷中,半日猶聞其聲也。去戶外十餘丈有石柱,柱上有偃蓋石,高度徑可一丈許,望見蜜芝從石戶上墮入偃蓋中,良久,輒有一滴,有似雨後屋之餘漏,時時一落耳。然蜜芝墮不息,而偃蓋亦終不溢也。戶上刻石為科斗字,曰得服石蜜芝一斗者壽萬歲。諸道士共思惟其處,不可得往,唯當以碗器著勁竹木端以承取之,然竟未有能為之者。按此石戶上刻題如此,前世必已有得之者也。石桂芝,生名山石穴中,似桂樹而實石也。

石芝、石象芝海隅名山に生じ、以及島嶼の涯積石有るの地方、形狀肉象に似て頭尾四足有り、甚だ活物に似る、大石に附著し、高岫險峻の地に喜ぶ、或は倒れて仰ぎ綴る。赤は珊瑚に似る、白は截肪に似る、黑は澤漆に似る、青は翠羽に似る、黃は紫金に似る、而も皆光明洞徹して堅冰のごとし。晦夜之を離るること三百步、便ち其の光を望見す。大なるは十餘斤、小なるは三四斤、不是久齋至精、以及老子入山靈寶五符を佩ずるも、亦此の類を見得る能わず。凡そ諸芝を見るは、暫時先ず開山卻害符を其の上に放てば、則ち能く再び隱蔽化去せず。徐徐として王相の日を選擇し、醮祭を設けて酒脯を用い、祈りて之を取る、皆日下より禹步して氣を閉じて去る。又若し石象芝を得れば、三萬六千杵を擣き、方寸匕を服し、一日三次、一斤を盡くせば、則ち千歲を得。十斤、則ち萬歲。亦以て人に分けて服せしむ可し。又玉脂芝、玉有るの山に生じ、常に懸危の處に居り、玉膏流出し、萬年以上、則ち凝りて芝と成る、鳥獸の形のごとき有り、色常彩無く、大都山玄水蒼玉に似る。亦鮮明にして水晶のごとし、得て研末し、無心草汁を以て之を和せば、片刻水と成り、一升を服せば、一千歲を得。七明九光芝、皆是れ石、水に臨むの高山石崖の閒に生じ、狀盤碗のごとく、不過徑尺以內、莖蒂有りて之を連綴し、高出三四寸、七孔有るは、名は七明、九孔の名は九光、光皆星のごとく、百餘步內、夜皆其の光を望見す、彼の光各々自ら分別し、散ず可くして合す可からず。常に秋分に伺候して之を得、擣きて方寸匕を服せば、口に入れば則ち翕然として身熱し、五味甘美、一斤を盡くせば則ち千歲を得、人をして身光有らしめ、住する所の暗地月のごとく、以て夜視す可し。石蜜芝、少室石戶中に生じ、戶中便ち深谷有り、以て過ぎるを得ず、石頭を拿げて谷中に投進すれば、半日還た聲を聞く。戶外を離るる十餘丈に石柱有り、柱上に偃蓋石有り、高度徑大約一丈左右、蜜芝の石戶上より偃蓋中に墮入るを望見す、甚だ久しければ、則ち一滴有り、雨後の屋上の餘漏に好く似て、時時一滴を落とすのみ。然れども蜜芝墮ちて停まず、而も偃蓋亦終に溢出せず。戶上石を刻して蝌蚪字と爲し、說く之を服する石蜜芝一斗を得る人壽萬歲と。諸道士共同彼の處所を思量す、得て前往す可からず、只だ當に碗器を勁竹木端に安じて以て之を承接取すべし、然れども竟然能くする無し。此の石戶上刻題此のごとくなるに按ずれば、前世必ず已に之を得る人有り。石桂芝、名山石穴中に生じ、桂樹に似て而も其の實是れ石。

高尺許,大如徑尺,光明而味辛,有枝條,搗服之一斤得千歲也。石中黃子,所在有之,沁水山為尤多。其在大石中,則其石常潤溼不燥,打其石有數十重,乃得之。在大石中,赤黃溶溶,如雞子之在其殼中也。即當飲之,不飲則堅凝成石,不復中服也。法正當及未堅時飲之,既凝則應末服也。破一石中,多者有一升,少者有數合,可頓服也。雖不得多,相繼服之,共計前後所服,合成三升,壽則千歲。但欲多服,唯患難得耳。石腦芝,生滑石中,亦如石中黃子狀,但不皆有耳。打破大滑石千許,乃可得一枚。初破之,其在石中,五色光明而自動,服一升得千歲矣。石硫黃芝,五嶽皆有,而箕山為多。其方言許由就此服之而長生,故不復以富貴累意,不受堯禪也。石硫丹者,石之赤精,蓋石硫黃之類也。皆浸溢於崖岸之間,其濡溼者可丸服,其已堅者可散服,如此有百二十,皆石芝也,事在太乙玉策及昌宇內記,不可具稱也。

(上文接續して曰く)高一尺左右、大きさ徑尺のごとく、光明にして味辛く、枝條有り、擣きて一斤を服せば千歲を得。石中黃子、所在皆之有り、沁水山尤も多し。它大石中に在れば、則ち彼の石常に潤濕して燥せず、彼の石を打破するに數十重、纔かに之を得。大石中に在りて、赤黃溶溶、雞子の殼中に在るがごとし。則ち當に之を飲すべし、飲まざれば則ち堅凝して石と成り、再び服に適さず。法正に當に未堅の時に趁りて之を飲むべし、既に凝れば則ち當に末を研して服すべし。一石中を破開す、多きは一升有り、少きは數合有り、以て頓服す可し。雖も多く得ざれども、相繼いで之を服し、共に計るに前後服する所、合して三升を成れば、壽則ち千歲。只だ多く服せんと欲す、只だ怕るる得難きのみ。石腦芝、滑石中に生じ、亦石中黃子の狀のごとし、只だ皆之有らざるのみ。大滑石千來塊を打破して、纔かに一枚を得る可し。初め破開の時、它石中に在りて、五色光明して自ら動く、一升を服せば千歲を得たり。石硫黃芝、五岳皆之有り、而も箕山多しと爲す。彼の方言曰く許由則ち此に在りて之を服して長生せしと、故に再び富貴を以て心意を累さず、堯の禪讓を接受せず。石硫丹、是れ石の赤精、蓋し是れ石硫黃の一類。皆崖岸の閒に浸溢し、彼の濡濕なるは以て丸服す可し、彼の已に堅なるは以て散服す可し、此のごとき百二十有り、皆是れ石芝、事《太乙玉策》及び《昌宇內記》に在り、盡く稱說す可からず。

及夫木芝者,松柏脂淪入地千歲,化為茯苓,茯苓萬歲,其上生小木,狀似蓮花,名曰木威喜芝。夜視有光,持之甚滑,燒之不然,帶之闢兵,以帶雞而雜以他雞十二頭其籠之,去之十二步,射十二箭,他雞皆傷,帶威喜芝者終不傷也。從生門上採之,於六甲陰乾之,百日,末服方寸匕,日三,盡一枚,則三千歲也。千歲之栝木,其下根如坐人,長七寸,刻之有血,以其血塗足下,可以步行水上不沒;以塗人鼻以入水,水為之開,可以止住淵底也;以塗身則隱形,欲見則拭之。又可以治病,病在腹內,刮服一刀圭,其腫痛在外者,隨其所在刮一刀圭,即其腫痛所在以摩之,皆手下即愈,假令左足有疾,則刮塗人之左足也。又刮以雜巨勝為燭,夜遍照地下,有金玉寶藏,則光變青而下垂,以鍤掘之可得也。末之,服盡十斤則千歲也。又松樹枝三千歲者,其皮中有聚脂,狀如龍形,名曰飛節芝,大者重十斤,末服之,盡十斤,得五百歲也。又有樊桃芝,其木如升龍,其花葉如丹羅,其實如翠鳥,高不過五尺,生於名山之陰,東流泉水之土,以立夏之候伺之,得而末服之,盡一株得五千歲也。參成芝,赤色有光,扣之枝葉,如金石之音,折而續之,即復如故。木渠芝,寄生大木上,如蓮花,九莖一叢,其味甘而辛。建木芝實生於都廣,其皮如纓蛇,其實如鸞鳥。此三芝得服之,白日昇天也。黃盧子、尋木華、玄液華,此三芝生於泰山要鄉及奉高,有得而服之,皆令人壽千歲。黃檀桓芝者,千歲黃,木下根有如三斛器,去本株一二丈,以細根相連狀如縷,得末而服之,盡一枚則成地仙不死也。此輩復百二十種,自有圖也。

至於木芝、松柏脂地に沈入すること千歲、茯苓に化し、茯苓萬歲、其の上小木を生じ、狀蓮花に似る、名は木威喜芝。夜看れば光有り、持てば甚だ滑らか、之を燒きて燃えず、帶びて兵を辟き、拿げて以て雞身上に帶びて他雞十二頭を雜へ同じく籠とし、十二步を離れ、十二箭を射れば、他雞皆傷り、威喜芝を帶びたる終に傷らず。生門上より之を采し、六甲の日に陰干し、百日、末を研して方寸匕を服し、一日三次、一枚を盡くせば、則ち三千歲。千歲の栝木、其の下根坐する人に似て、長さ七寸、之を刻めば血有り、其の血を以て足下に塗れば、以て水上を步行して沒せず。以て人の鼻を塗りて水に入れば、水因此開き、以て淵底に停住す可し。以て身を塗れば則ち形を隱し、見んと欲すれば則ち拭掉す。又以て病を治す可し、病腹內に在れば、一刀圭を刮服し、腫痛外に在るは、其の所在するに隨い一刀圭を刮り、則ち彼の腫痛所在にて之を摩す、皆手下立刻愈ゆ、假如左足疾有れば、則ち人の左足を刮塗す。又刮下して巨勝を雜へ燭を做り、夜遍く地下を照らせば、金玉寶藏有れば、則ち光青に變りて下垂す、鍤を以て掘れば則ち以て得る可し。末を研し、十斤を服盡くせば則ち千歲。又松樹枝三千歲の、皮中聚脂有り、狀龍形に似る、名は飛節芝、大ききは重さ十斤、末を研して之を服し、十斤を盡くせば、五百歲を得。又樊桃芝有り、彼の木升龍に似て、花葉丹羅に似て、果實翠鳥に似て、高さ五尺を過ぎず、名山の陰面・東流泉水の土上に生じ、立夏の時に在りて伺候し、得て末を研して服し、一株を盡くせば五千歲を得。參成芝、赤色光有り、其の枝葉を敲けば、金石の音のごとく、折斷して接續すれば、則ち又元來のごとし。木渠芝、大木上に寄生し、蓮花に似て、九莖一叢、味甘くして辛。建木芝實都廣に生じ、皮纓蛇に似て、果實鸞鳥に似る。此の三芝得て服せば、白日升天す。黃盧子・尋木華・玄液華、此の三芝泰山要鄉及び奉高に生じ、得て服する有る、皆人をして壽千歲ならしむ。黃檀桓芝、千歲黃、木下根三斛器に似る有り、本株を離るる一二丈、細根を以て相連なる狀縷に似る、得來して末を研して服し、一枚を盡くせば則ち地仙と成りて不死。此の類又百二十種有り、自ら圖有り。

草芝有獨搖芝,無風自動,其莖大如手指,赤如丹,素葉似莧,其根有大魁如鬥,有細者如雞子十二枚,周繞大根之四方,如十二辰也,相去丈許,皆有細根,如白髮以相連,生高山深谷之上,其所生左右無草。得其大魁末服之,盡則得千歲,服其細者一枚百歲,可以分他人也。懷其大根即隱形,欲見則左轉而出之。牛角芝,生虎壽山及吳阪上,狀似蔥,特生如牛角,長三四尺,青色,末服方寸匕,日三,至百日,則得千歲矣。龍仙芝,狀如升龍之相負也,以葉為鱗,其根則如蟠龍,服一枚則得千歲矣。麻母芝,似麻而莖赤色,花紫色。紫珠芝,其花黃,其葉赤,其實如李而紫色,二十四枝輒相連,而垂如貫珠也。白符芝,高四五尺,似梅,常以大雪而花,季冬而實。朱草芝,九曲,曲有三葉,葉有三實也。五德芝,狀似樓殿,莖方,其葉五色各具而不雜,上如偃蓋,中常有甘露,紫氣起數尺矣。龍銜芝,常以仲春對生,三節十二枝,下根如坐人。凡此草芝,又有百二十種,皆陰乾服之,則令人與天地相畢,或得千歲二千歲。

草芝に獨搖芝有り、風無くして自ら動き、莖大きさ手指のごとく、赤くして丹のごとく、素葉莧に似て、根大魁有りて斗のごとく、細き有りて雞子十二枚のごとく、大根の四方を周繞し、十二辰に似て、相去一丈左右、皆細根有り、白髮相連なるに似て、高山深谷の上に生じ、生ずる所左右草無し。其の大魁を得て末を研して服し、盡くせば則ち千歲を得、細き一枚を服すれば百歲、以て他人に分與す可し。其の大根を懷けば則ち形を隱し、見んと欲すれば則ち左轉して取出す。牛角芝、虎壽山及び吳阪上に生じ、狀葱に似て、特に生じて牛角に似て、長さ三四尺、青色、末を研して方寸匕を服し、一日三次、百日に至れば、則ち千歲を得たり。龍仙芝、狀升龍相負えるに似て、葉を拿げて鱗に當て、根則ち蟠龍に似て、一枚を服せば則ち千歲を得たり。麻母芝、麻に似て而も莖赤色、花紫色。紫珠芝、花黃、葉赤、果實李に似て而も紫色、二十四枝則ち相連なり、下垂して貫珠に似る。白符芝、高さ四五尺、梅に似て、常に大雪に花を開き、季冬に果を結ぶ。朱草芝、九曲、每曲に三葉有り、葉に三實有り。五德芝、狀樓殿に似て、莖方、葉五色各具して雜らず、上偃蓋に似て、中常に甘露有り、紫氣數尺升起す。龍銜芝、常に仲春に對生し、三節十二枝、下根坐する人に似る。凡そ此らの草芝、又百二十種有り、皆陰干して之を服せば、則ち人をして天地與相齊しめ、或は千歲二千歲を得。

肉芝者,謂萬歲蟾蜍,頭上有角,頷下有丹書八字再重,以五月五日日中時取之,陰乾百日,以其左足畫地,即為流水,帶其左手於身,闢五兵,若敵人射己者,弓弩矢皆反還自向也。千歲蝙蝠,色白如雪,集則倒縣,腦重故也。此二物得而陰乾末服之,令人壽四萬歲。千歲靈龜,五色具焉,其雄額上兩骨起似角,以羊血浴之,乃剔取其甲,火炙搗服方寸匕,日三,盡一具,壽千歲。行山中,見小人乘車馬,長七八寸者,肉芝也,捉取服之即仙矣。風生獸似貂,青色,大如狸,生於南海大林中,張網取之,積薪數車以燒之,薪盡而此獸在灰中不然,其毛不焦,斫刺不入,打之如皮囊,以鐵錘鍛其頭數十下乃死,死而張其口以向風,須臾便活而起走,以石上菖蒲塞其鼻即死。取其腦以和菊花服之,盡十斤,得五百歲也。又千歲燕,其窠戶北向,其色多白而尾掘,取陰乾,末服一頭五百歲。凡此又百二十種,此皆肉芝也。

肉芝、是れ萬歲蟾蜍を說く、頭上角有り、頷下丹書八字再び一層を重ね、五月五日日中時に之を取り、陰干百日、其の左足を以て地を畫けば、則ち流水と成り、其の左手を身上に帶びれば、五兵を辟き、若し敵人自らに射れば、弓弩矢皆反還して自らに向かう。千歲蝙蝠、色白くして雪のごとく、落下すれば則ち倒懸す、是れ腦重の緣故。此の兩物得て陰干し末を研して服せば、人をして壽四萬歲ならしむ。千歲靈龜、五色皆具備し、雄は額上兩骨隆起して角に似る、羊血を以て之を洗い、纔かに其の甲を剔取し、火炙して擣き方寸匕を服し、一日三次、一具を盡くせば、壽千歲。山中を行きて、小人の車馬に乘るを見、長さ七八寸の、是れ肉芝、捉取して服せば則ち仙と成る。風生獸貂に似て、青色、大きさ狸のごとく、南海大林中に生じ、網を張りて之を取り、數車の薪を堆積して以て之を燒く、薪盡きて而も此の獸灰中に燃えず、毛焦げず、斫刺入らず、之を打てば皮囊のごとし、鐵鎚を以て其の頭を鍛すること數十下にして纔かに死し、死して口を張開して風に對せば、片刻便ち活して起走り、石上の菖蒲を以て其の鼻を塞げば則ち死す。其の腦を取りて以て菊花と和して服し、十斤を盡くせば、五百歲を得。又千歲燕、户に巢うて北に向かい、色多く白くして尾屈す、取來して陰干し、末を研して一頭を服せば五百歲。凡そ此ら又百二十種有り、此ら皆是れ肉芝。

菌芝,或生深山之中,或生大木之下,或生泉之側,其狀或如宮室,或如車馬,或如龍虎,或如人形,或如飛鳥,五色無常,亦百二十種,自有圖也。皆當禹步往採取之,刻以骨刀,陰乾末服方寸匕,令人昇仙,中者數千歲,下者千歲也。欲求芝草,入名山,必以三月九月,此山開出神藥之月也,勿以山佷日,必以天輔時,三奇會尤佳。出三奇吉門到山,須六陰之日,明堂之時,帶靈寶符,牽白犬,抱白雞,以白鹽一斗,及開山符檄,著大石上,執吳唐草一把以入山,山神喜,必得芝也。又採芝及服芝,欲得王相專和之日,支幹上下相生為佳。此諸芝名山多有之,但凡庸道士,心不專精,行穢德薄,又不曉入山之術,雖得其圖,不知其狀,亦終不能得也。山無大小,皆有鬼神,其鬼神不以芝與人,人則雖踐之,不可見也。

菌芝、或は深山の中に生じ、或は大木の下に生じ、或は泉側に生じ、形狀或は宮室に似て、或は車馬に似て、或は龍に似て虎に似て、或は人形に似て、或は飛鳥に似て、五色常規無し、亦百二十種有り、自ら圖有り。皆當に禹步して前往し采取し、骨刀を以て刻し、陰干して末を研して方寸匕を服すべし、人をして升仙せしめ、中等數千歲、下等千歲。芝草を求めんと欲せば、名山に入る、必ず三月九月に在り、此れ是れ山神藥を開出するの月、山佷の日に在る勿れ、必ず天輔の時、三奇相會する尤も好し。三奇吉門を出でて山に到るは、須らく六陰の日・明堂の時、靈寶符を帶び、白犬を牽き、白雞を抱き、白鹽一斗を以て、以及開山符檄、大石に放上し、吳唐草一把を拿げて山に入る、山神喜び、必ず芝を得。又芝を采し及び芝を服す、王相專和の日を得んと欲し、地支天干上下相生を以て好しと爲す。此らの芝名山多く有り、只だ凡庸道士、心專精ならず、行穢れ德薄く、又入山の術を曉らず、雖も圖を得も、形狀を知らず、亦終に能く得ず。山大小を論ぜず、皆鬼神有り、彼の鬼神芝を人に與へざれば、人則ち之を踩みて踏むといえども、亦見る可からず。

又云母有五種,而人多不能分別也,法當舉以向日,看其色,詳占視之,乃可知耳。正爾於陰地視之,不見其雜色也。五色並具而多青者名雲英,宜以春服之。五色並具而多赤者名雲珠,宜以夏服之。五色並具而多白者名雲液,宜以秋服之。五色並具而多黑者名雲母,宜以冬服之。但有青黃二色者名雲沙,宜以季夏服之。皛皛純白名磷石,可以四時長服之也。服五雲之法,或以桂蔥水玉化之以為水,或以露於鐵器中,以玄水熬之為水,或以硝石合於筒中埋之為水,或以蜜搜為酪,或以秋露漬之百日,韋囊挻以為粉,或以無巔草樗血合餌之,服之一年,則百病除,三年久服,老公反成童子,五年不闕,可役使鬼神,入火不燒,入水不濡,踐棘而不傷膚,與仙人相見。又他物埋之即朽,著火即焦,而五雲以納猛火中,經時終不然,埋之永不腐敗,故能令人長生也。又云,服之十年,雲氣常覆其上,服其母以致其子,理自然也。又向日看之,晻晻純黑色起者,不中服,令人病淋發瘡。雖水餌之,皆當先以茅屋溜水,若東流水露水,漬之百日,淘汰去其土石,乃可用耳。中山衛叔卿服之,積久能乘雲而行,以其方封之玉匣之中,仙去之後,其子名世,及漢使者梁伯,得而按方合服,皆得仙去。

又雲母五種有り、而も人多く分別する能わず、法、法當に擧げて日に對し、其の色を看、詳細占視し、纔かに以て知る可し。只だ陰地にて之を看れば、其の雜色を見ず。五色竝具して多く青なる名は雲英、宜しく春に服すべし。五色竝具して多く赤なる名は雲珠、宜しく夏に服すべし。五色竝具して多く白なる名は雲液、宜しく秋に服すべし。五色竝具して多く黑なる名は雲母、宜しく冬に服すべし。只有青黃二色の名は雲沙、宜しく季夏に服すべし。皛皛として純白の名は燐石、以て四時長期服す可し。五雲を服するの法、或は桂葱水を以て之を玉化して水と成し、或は露を以て鐵器中にて、玄水を以て熬して水と成し、或は硝石を以て筒中に合して埋れて水と成し、或は蜜を以て搜して酪と成し、或は秋露を以て漬すこと百日、韋囊挻して粉と成し、或は無巔草・樗血を以て合して餌食す、一年を服せば、則ち百病除く、三年久服すれば、老公返りて童子と成り、五年缺かざれば、以て鬼神を役使し、火に入りて燒けず、水に入りて濕れず、棘を踩みて膚を傷らず、仙人與相見ん。又別の物埋むれば則ち朽ち、火に着けば則ち焦ぐ、而も五雲猛火中に拿進して、一時を經過して終に燃えず、埋れて永く腐敗せず、故に能く人をして長生せしむ。又曰く、十年を服せば、雲氣常に上に覆蓋す、其の母を服して以て其の子を致す、理是れ自然。又日に向かい看るに、晻晻として純黑色起るは、服に適さず、人をして淋を病み瘡を發さしむ。即使水餌すとも、皆當に先ず茅屋溜水、或は東流水・露水を以てし、漬すこと百日、淘汰して土石を去り、纔かに以て用う可し。中山衛叔卿之を服し、積久して能く雲に乘りて行し、其の方を玉匣の中に封して、仙去の後、彼の兒子名世、及び漢使者梁伯、得て方に按りて合服し、皆仙去を得。

又雄黃當得武都山所出者,純而無雜,其赤如雞冠,光明曄曄者,乃可用耳。其但純黃似雄黃色,無赤光者,不任以作仙藥,可以合理病藥耳。餌服之法,或以蒸煮之,或以酒餌,或先以硝石化為水乃凝之,或以玄胴腸裹蒸之於赤土下,或以松脂和之,或以三物煉之,引之如布,白如冰,服之皆令人長生,百病除,三尸下,瘢痕滅,白髮黑,墮齒生,千日則玉女來侍,可得役使,以致行廚。又玉女常以黃玉為志,大如黍米,在鼻上,是真玉女也,無此志者,鬼試人耳。

又雄黃當に武都山の出づる所を得べし、純にして雜無く、赤きこと雞冠に得似て、光明曄曄たる、纔かに以て用う可し。彼の只だ純黃にして雄黃色に似て、赤光無きは、拿げて以て仙藥を作るに勝任せず、以て病を治する藥を合す可きのみ。餌服の法、或は之を蒸煮し、或は酒を以て餌し、或は先ず硝石を以て化して水と為し再び之を凝し、或は玄胴腸を以て裹んで赤土下に蒸し、或は松脂を以て之を和し、或は三物を以て之を煉し、之を引きて布のごとく、白きこと冰のごとく、服せば皆人をして長生せしめ、百病除き、三尸下り、瘢痕滅し、白髮黑に變り、墮齒再生し、千日則ち玉女來りて侍す、以て役使し、以致行厨す。又玉女常に黃玉を以て標記と爲す、大きさ黍米のごとく、鼻上に在り、此れ是れ眞玉女、此の標記無きは、是れ鬼の來りて人を試するのみ。

玉亦仙藥,但難得耳。玉經曰:服金者壽如金,服玉者壽如玉也。又曰:服玄真者,其命不極。玄真者,玉之別名也。令人身飛輕舉,不但地仙而已。然其道遲成,服一二百斤,乃可知耳。玉可以烏米酒及地榆酒化之為水,亦可以蔥漿消之為臺,亦可餌以為丸,亦可燒以為粉,服之一年已上,入水不沾,入火不灼,刃之不傷,百毒不犯也。不可用已成之器,傷人無益,當得璞玉,乃可用也,得於闐國白玉尤善。其次有南陽徐善亭部界中玉及日南盧容水中玉亦佳。赤松子以玄蟲血漬玉為水而服之,故能乘煙上下也。玉屑服之與水餌之,俱令人不死。所以為不及金者,令人數數發熱,似寒食散狀也。若服玉屑者,宜十日輒一服雄黃丹砂各一刀圭,散發洗沐寒水,迎風而行,則不發熱也。董君異嘗以玉醴與盲人服之,目旬日而愈。有吳延稚者,志欲服玉,得玉經方不具,了不知其節度禁忌,乃招合得珪璋環璧,及校劍所用甚多,欲餌治服之,後餘為說此不中用,乃嘆息曰:事不可不精,不但無益,乃幾作禍也。

玉亦是れ仙藥、只だ得難きのみ。《玉經》曰く、金を服する壽金のごとく、玉を服する壽玉のごとしと。又曰く、玄眞を服するは、命極限無しと。玄眞、是れ玉の別名。人をして身飛輕擧せしめ、不只地仙のみ。然れども彼の道成就遲し、一二百斤を服して、纔かに以て知るのみ。玉以て烏米酒及び地榆酒化成して水と爲す可し、亦以て葱漿消して膏と成す可し、亦以て餌して丸と成す可し、亦以て燒して粉と成す可し、一年以上を服せば、水に入りて沾らず、火に入りて灼けず、刀刃傷る能わず、百毒犯さず。以て已に成りたるの器を用う可からず、人を傷る益處無し、當に璞玉を得べし、纔かに以て用う可し、于闐國白玉を得る尤も好し。其次南陽徐善亭部界中の玉及び日南盧容水中の玉亦好し。赤松子玄蟲血を以て玉を漬して水と成して服す、故に能く煙に乘りて上下す。玉屑之を服し與水餌し、皆人をして死せざらしむ。金に比ぶるに及ばざる所以は、是れ人をして常に熱を發せしめ、寒食散の狀のごとし。若し玉屑を服せば、宜しく十日則ち雄黃・丹砂各一刀圭を服し、寒水中に散發して洗沐し、風に迎うて行せば、則ち熱を發せず。董君異曾て玉醴を拿げて盲人に與へて服せしめ、目旬日にして則ち愈えたり。吳延稚有り、志玉を服せんと想い、《玉經》方を得て不完備、全く節度禁忌を知らず、則ち珪璋環璧を招合し、以及劍を校する所用の多し、餌治して之を服せんと欲し、後來我彼に說きて此ら中に用えざるを、纔かに歎息して曰く、事精せざる可からず、不但益有らず、幾んど還た禍を作さんとすと。

又銀但不及金玉耳,可以地仙也。服之法,以麥漿化之,亦可以朱草酒餌之,亦可以龍膏煉之,然三服,輒大如彈丸者,又非清貧道士所能得也。

又銀只だ金玉に及ばざるのみ、以て因此地仙と成る可し。服の法、麥漿を以て之を化し、亦以て朱草酒之を餌し、亦以て龍膏之を煉す、然れども三次服し、每に則ち大きさ彈丸のごとし、又不是淸貧道士の得る能くする所。

又真珠徑一寸以上可服,服之可以長久,酪漿漬之皆化如水銀,亦可以浮石水蜂窠化,包彤蛇黃合之,可引長三四尺,丸服之,絕谷服之,則不死而長生也。淳漆不沾者,服之令人通神長生,餌之法,或以大無腸公子,或雲大蟹,十枚投其中,或以雲母水,或以玉水合服之,九蟲悉下,惡血從鼻去,一年六甲行廚至也。

又眞珠徑一寸以上以て服す可し、服せば以て長久す可し、酪漿之を漬けば皆水銀のごとく化す、亦以て浮石水・蜂窠化し、包彤・蛇黃之を合せば、以て長さ三四尺を引き、丸服し、穀を絕ちて之を服せば、則ち死せずして長生す。淳漆沾らざる、服せば人をして神に通じ長生せしむ、餌の法、或は大無腸公子を以て、或は大蟹と說く、十枚其の中に投進し、或は雲母水を以て、或は玉水合服を以てし、九蟲全部下り、惡血鼻より去り、一年六甲行厨則ち到らん。

桂可以蔥涕合蒸作水,可以竹瀝合餌之,亦可以先知君腦,或雲龜,和服之,七年,能步行水上,長生不死也。巨勝一名胡麻,餌服之不老,耐風溼,補衰老也。桃膠以桑灰汁漬,服之百病癒,久服之身輕有光明,在晦夜之地如月出也,多服之則可以斷谷。

桂以て葱涕合蒸して水を作る可し、以て竹瀝合して餌食す可し、亦以て先知君腦、或は龜と說く、和して服し、七年、能く水上を步行し、長生不死。巨勝一名胡麻、餌服して老いず、風濕に耐え、衰老を補う。桃膠桑灰汁を以て漬し、服せば百病愈ゆ、久服すれば身輕くして光明有り、晦夜の地にて月出ずるがごとし、多服すれば則ち以て穀を斷つ可し。

檸木實之赤者,餌之一年,老者還少,令人徹視見鬼。昔道士梁須年七十乃服之,轉更少,至年百四十歲,能夜書,行及奔馬,後入青龍山去。槐子以新甕合泥封之,二十餘日,其表皮皆爛,乃洗之如大豆,日服之,此物主補腦,久服之,令人發不白而長生。玄中蔓方,楚飛廉、澤瀉、地黃、黃連之屬,凡三百餘種,皆能延年,可單服也。靈飛散、未夬丸、制命丸、羊血丸,皆令人駐年卻老也。

檸木實赤き、餌一年、老は少に還り、人をして徹視して鬼を見しむ。昔道士梁須年七十纔かに之を服し、轉じて更少し、年百四十歲に至り、能く夜字を寫し、走りて奔馬に趕上し、後來青龍山に入りて去る。槐子新瓮を以て泥に合封し、二十餘日、表皮皆爛れ、纔かに大豆のごとく洗し、每日服す、此の物主に腦を補う、久服せば、人をして髮白からずして長生せしむ。《玄中蔓方》、楚飛廉・澤瀉・地黃・黃連の類、凡そ三百餘種、皆能く年を延し、以て單獨服す可し。靈飛散・未夬丸・制命丸・羊血丸、皆人をして年を駐め老を卻からしむ。

南陽酈縣山中有甘谷水,谷水所以甘者,谷上左右皆生甘菊,菊花墮其中,歷世彌久,故水味為變。其臨此谷中居民,皆不穿井,悉食甘谷水,食者無不老壽,高者百四五十歲,下者不失八九十,無夭年人,得此菊力也。故司空王暢太尉劉寬太傅袁隗,皆為南陽太守,每到官,常使酈縣月送甘谷水四十斛以為飲食。此諸公多患風痺及眩冒,皆得愈,但不能大得其益,如甘谷上居民,生小便飲食此水者耳。又菊花與薏花相似,直以甘苦別之耳,菊甘而薏苦,諺言所謂苦如薏者也。今所在有真菊,但為少耳,率多生於水側,緱氏山與酈縣最多,仙方所謂日精更生,周盈皆一菊,而根莖花實異名,其說甚美,而近來服之者略無效,正由不得真菊也。夫甘谷水得菊之氣味,亦何足言。而其上居民,皆以延年,況將復好藥,安得無益乎?

南陽酈縣山中に甘谷水有り、谷水の甘なる所以、是れ以て谷上左右皆甘菊を生じ、菊花其の中に墮入り、世を歷ること久しき、故に水味變れたり。此の谷中に臨むの居民、皆井を打たず、全く甘谷水を喫し、喫する老壽せざる無し、高きは百四五十歲、下きは八九十を失せず、夭年の人無し、是れ此の菊の力を得たり。故に司空王暢・太尉劉寬・太傅袁隗、皆南陽太守を做し、官に到る每に、常に酈縣をして每月甘谷水四十斛を送らしめて以て飲食に當つ。此の幾位の公多く風痹及び眩冒を患え、皆愈ゆを得、只だ能く大に其の益處を得ざる、甘谷上の居民のごとく、生れて來りて便ち此の水を飲食するのみ。又菊花與薏花相似、只だ甘苦を以て分別するのみ、菊甘くして薏苦し、諺語の謂う所の苦きこと薏のごとし。今所在眞菊有り、只だ少きのみ、大都水側に生じ、緱氏山與酈縣最多し、仙方の謂う所の日精・更生・周盈皆是れ一種の菊、而も根莖花實異名、彼の說法甚だ美なり、而も近來服する人大都效無し、正是れ眞菊を得ざるに由る。甘谷水菊の氣味を得、又何の說くに足らん。而も彼の上の居民、皆因此年を延す、何況再び好藥を拿げて、怎んぞ能く益處無からんや。

餘亡祖鴻臚少卿曾為臨沅令,雲此縣有廖氏家,世世壽考,或出百歲,或八九十,後徙去,子孫轉多夭折。他人居其故宅,復如舊,後累世壽考。由此乃覺是宅之所為,而不知其何故,疑其井水殊赤,乃試掘井左右,得古人埋丹砂數十斛,去井數尺,此丹砂汁因泉漸入井,是以飲其水而得壽,況乃餌煉丹砂而服之乎?

我が亡故の祖父鴻臚少卿曾て臨沅令を做し、此の縣廖氏家有りと說き、世世壽考、或は百歲を超出し、或は八九十、後來遷徙して離去し、子孫轉じて多く夭折す。他人其の故宅に住し、又舊時のごとく、後來累世壽考す。此に由りて纔かに是れ宅の造成する所を覺え、卻りて何の緣故かを知らず、其の井水特に赤しと疑い、則ち試みに井左右を掘り、古人の埋れし丹砂數十斛を得、井を離るる數尺、此の丹砂汁泉に因りて漸漸井中に入る、故に彼の水を飲して壽を得、何況是れ丹砂を餌煉して之を服するをや。

餘又聞上黨有趙瞿者,病癩歷年,眾治之不愈,垂死。或雲不及活,流棄之,後子孫轉相注易,其家乃齎糧將之,送置山穴中。瞿在穴中,自怨不幸,晝夜悲嘆,涕泣經月。有仙人行經過穴,見而哀之,具問訊之。瞿知其異人,乃叩頭自陳乞哀,於是仙人以一囊藥賜之,教其服法。瞿服之百許日,瘡都愈,顏色豐悅,肌膚玉澤。仙人又過視之,瞿謝受更生活之恩,乞丐其方。仙人告之曰,此是松脂耳,此山中更多此物,汝煉之服,可以長生不死。瞿乃歸家,家人初謂之鬼也,甚驚愕。瞿遂長服松脂,身體轉輕,氣力百倍,登危越險,終日不極,年百七十歲,齒不墮,發不白。夜臥,忽見屋間有光大如鏡者,以問左右,皆雲不見,久而漸大,一室盡明如晝日。又夜見面上有采女二人,長二三寸,面體皆具,但為小耳,遊戲其口鼻之間,如是且一年,此女漸長大,出在其側。又常聞琴瑟之音,欣然獨笑,在人間三百許年,色如小童,乃入抱犢山去,必地仙也。於時聞瞿服松脂如此,於是競服。其多役力者,乃車運驢負,積之盈室,服之遠者,不過一月,未覺大有益輒止,有志者難得如是也。

我又聞く上黨に趙瞿有り、癩を病むこと多年、衆治愈えず、垂死。或は活を待たずと說き、之を流放拋棄し、後來子孫轉相注易し、彼の家裏則ち糧を帶びて彼を領し、山穴中に送り到る。瞿穴中に在り、自ら不幸を怨み、晝夜悲歎し、涕泣月を經る。仙人穴を行經する有り、見て彼を哀憐し、詳細問訊す。瞿彼を異人と知り、則ち叩頭して自陳し哀を乞う、於是仙人一囊の藥を以て彼に賜う、彼に服法を教へ。瞿之を服すること百來日、瘡皆愈え、顏色豐悅し、肌膚玉澤す。仙人又過ぎて彼を視し、瞿謝し更に生活を得たるの恩を受け、彼の方を乞求す。仙人彼に告げて曰く、此れ是れ松脂のみ、此の山中更に此の物多し、你煉して服せば、以て長生不死す可しと。瞿則ち家に回來り、家人初め彼を鬼と說き、甚だ驚愕す。瞿於是長期松脂を服し、身體轉じて輕く、氣力百倍、危に登り險を越え、終日疲れず、年百七十歲、齒墮ちず、髮白からず。夜臥りて、忽然屋閒に光鏡のごとき有るを見、左右に問えば、皆見ずと說く、久しければ漸々大きく、一室盡く明るく白日のごとし。又夜面上に采女二人有るを見、長さ二三寸、面體皆具備し、只だ小きのみ、彼の口鼻の閒に遊戲し、此のごとく將に一年、此の女漸々長大し、出でて彼の身旁に至る。又常に琴瑟の音を聞き、欣然として獨り笑う、人間に三百來年、色小童のごとく、纔かに抱犢山に入りて去る、必ず是れ地仙。當時瞿の松脂を服すること此のごとくなるを聞き、於是爭りて服す。彼ら多く役力有る、則ち車運驢負し、室に堆積滿ち、服し得る遠き、不過一月、未だ大に益有るを覺えずして則ち停止す、志有る此のごとくを得難し。

又漢成帝時,獵者於終南山中,見一人無衣服,身生黑毛,獵人見之,欲逐取之,而其人逾坑越谷,有如飛騰,不可逮及。於是乃密伺候其所在,合圍得之,定是婦人。問之,言我本是秦之宮人也,聞關東賊至,秦王出降,宮室燒燔,驚走入山,飢無所食,垂餓死,有一老翁教我食松葉松實,當時苦澀,後稍便之,遂使不飢不渴,冬不寒,夏不熱。計此女定是秦王子嬰宮人,至成帝之世,二百許歲,乃將歸,以穀食之,初聞谷臭嘔吐,累日乃安。如是二年許,身毛乃脫落,轉老而死。向使不為人所得,便成仙人矣。

又漢成帝の時、獵の人終南山中にて、一人の衣無きを見、身上黑毛を生じ、獵人見、追逐して捉取せんと欲す、而も彼の人坑谷を越過し、飛騰するがごとく、趕上す可からず。於是纔かに密密に彼の所在を伺候し、圍を合して得、確定是れ婦人。彼女に問うに、曰く我本是れ秦の宮人、關東賊の到るを聞き、秦王出降し、宮室燒燔し、驚きて山に走入り、饑えて喫う無く、將に餓死せんとす、一老翁我に松葉松實を喫を教へたりと。當時苦澀、後來漸々習慣し、於是我をして饑えず渇かず、冬寒からず、夏熱からざらしむ。計り來るに此の女確定是れ秦王子嬰の宮人、成帝の世に至る、二百來歲、纔かに帶びて回來り、穀食を以て彼女を餧う、初め穀臭を聞見すれば則ち嘔吐し、累日にして纔かに安んず。此のごとく二年左右、身毛纔かに脫落し、轉じて老いて死す。假使人に得られざらば、便ち仙人と成らん。

南陽文氏,說其先祖,漢末大亂,逃去山中,飢困欲死。有一人教之食術,遂不能飢,數十年乃來還鄉里,顏色更少,氣力勝故。自說在山中時,身輕欲跳,登高履險,歷日不極,行冰雪中,了不知寒。常見一高巖上,有數人對坐博戲者,有讀書者,俛而視文氏,因聞其相問,言此子中呼上否。其一人答言未可也。術一名山磷,一名山精。故神藥經曰:必欲長生,常服山精。

南陽文氏、其の先祖を說き、漢末大亂、山中に逃進し、饑困して死せんと欲す。一人彼に術を喫を教へ、於是饑ゆる能わず、數十年纔かに鄉里に回來り、顏色更少く、氣力從前に勝る。自ら說く山中の時、身輕くして跳ばんと欲し、高に登り險を履み、整日疲れず、冰雪中を行きて、全く寒きを知らずと。常に一高岩上に、數人對坐して博戲する有るを見、讀書する有り、文氏を俯視し、因りて彼らの相問うを聞き、此の子得上來る可きかと說く。其の中一人回答えて還た不可と曰く。術一名山磷、一名山精。故に《神藥經》曰く、必ず長生せんと欲せば、常に山精を服せよと。

昔仙人八公,各服一物,以得陸仙,各數百年,乃合神丹金液,而升太清耳。人若合八物,煉而服之,不得其力,是其藥力有轉相勝畏故也。韓終服菖蒲十三年,身生毛,日視書萬言,皆誦之,冬袒不寒。又菖蒲生須得石上,一寸九節已上,紫花者尤善也。趙他子服桂二十年,足下生毛,日行五百里,力舉千斤。移門子服五味子十六年,色如玉女,入水不沾,入火不灼也。楚文子服地黃八年,夜視有光,手上車弩也。林子明服術十一年,耳長五寸,身輕如飛,能超逾淵谷二丈許。杜子微服天門冬,御八十妾,有子百三十人,日行三百里。任子季服茯苓十八年,仙人玉女往從之,能隱能彰,不復食谷,灸瘢皆滅,面體玉光。陵陽子仲服遠志二十年,有子三十七人,開書所視不忘,坐在立亡。仙經曰:雖服草木之葉,已得數百歲,忽怠於神丹,終不能仙。以此論之,草木延年而已,非長生之藥可知也。未得作丹,且可服之,以自支持耳。

昔仙人八公、各々一物を服し、因此陸仙を得、各々數百年、纔かに神丹金液を合して、而も太清に升るのみ。人若し八物を合して、煉して之を服せば、其の力を得ざる、是れ以て藥力轉相勝畏の緣故なり。韓終菖蒲を服すること十三年、身上毛を生じ、一日書萬言を看、皆能く誦し、冬袒りて寒からず。又菖蒲生ずる必ず石上に得るを須ち、一寸九節以上、紫花の尤も好し。趙他子桂を服すること二十年、足下毛を生じ、一日五百里を走り、力千斤を擧ぐ。移門子五味子を服すること十六年、色玉女のごとく、水に入りて沾らず、火に入りて灼けず。楚文子地黃を服すること八年、夜看れば光有り、手上車弩を開くを得。林子明術を服すること十一年、耳長さ五寸、身輕きこと飛のごとく、能く淵谷二丈左右を超越す。杜子微天門冬を服し、八十妾を御し、子百三十人有り、一日三百里を走る。任子季茯苓を服すること十八年、仙人玉女前往して彼に從い、能く隱れ能く顯れ、再び穀を喫わず、灸瘢皆滅し、面體玉光す。陵陽子仲遠志を服すること二十年、子三十七人有り、書を開き看る所忘れず、坐して立亡す。《仙經》曰く、雖も草木の葉を服して、已に數百歲を得も、忽然神丹を怠慢すれば、終に仙と成る能わずと。此を以て論ずれば、草木只だ年を延するのみ、不是長生の藥、以て知る可し。尚ほ未だ丹を作る能わざれば、暂且以て之を服し、以て自ら支持するのみ。

或問:“服食藥物,有前後之宜乎?”抱朴子答曰:“按中黃子服食節度云,服治病之藥,以食前服之;養性之藥,以食後服之。吾以諮鄭君,何以如此。鄭君言,此易知耳,欲以藥攻病,既宜及未食,內虛,令藥力勢易行,若以食後服之,則藥但攻谷而力盡矣;若欲養性,而以食前服藥,則力未行,而被谷驅之下去不得止,無益也。”

有人問うて曰く「藥物を服食す、前後の適宜有るか」と。抱朴子回答えて曰く「《中黃子服食節度》に按ずるに曰く、病を治する藥を服するは、食前に服せよ。性を養う藥は、食後に服せよと。我此を以て鄭君に問う、何を爲す此のごとくと。鄭君曰く、此れ知り易きのみ、藥を以て病を攻めんと欲すれば、既に宜しく未だ喫わざるに趁り、內裏虛くして、藥力勢をして行い易からしむ、若し食後に服せば、則ち藥只だ穀を攻めて力盡く。若し性を養わんと欲して、而も食前に藥を服せば、則ち力未だ行われず、則ち穀に驅趕せられて下りて停留を得ず、益處無しと。

或問曰:“人服藥以養性,雲有所宜,有諸乎?”抱朴子答曰:“按玉策記及開明經,皆以五音六屬,知人年命之所在。子午屬庚,卯酉屬己,寅申屬戊,丑未屬辛,辰戌屬丙,巳亥屬丁。一言得之者,宮與土也。三言得之者,徵與火也。五言得之者,羽與水也。七言得之者,商與金也。九言得之者,角與木也。若本命屬土,不宜服青色藥;屬金,不宜服赤色藥;屬木,不宜服白色藥;屬水,不宜服黃色藥;屬火,不宜服黑色藥。以五行之義,木克土,土克水,水克火,火克金,金克木故也。若金丹大藥,不復論宜與不宜也。

有人問道て曰く「人藥を服して以て性を養う、宜有る所と說く、此の事有るか」と。抱朴子回答えて曰く「《玉策記》及び《開明經》に按ずるに、皆五音六屬を以て、人の年命所在を知る。子午庚に屬し、卯酉己に屬し、寅申戊に屬し、丑未辛に屬し、辰戌丙に屬し、巳亥丁に屬す。一言得るは、是れ宮與土。三言得るは、是れ徵與火。五言得るは、是れ羽與水。七言得るは、是れ商與金。九言得るは、是れ角與木。若し本命土に屬せば、青色藥を服するに宜しからず。金に屬せば、赤色藥を服するに宜しからず。木に屬せば、白色藥を服するに宜しからず。水に屬せば、黃色藥を服するに宜しからず。火に屬せば、黑色藥を服するに宜しからず。五行の義に因りて、木土に克ち、土水に克ち、水火に克ち、火金に克ち、金木に克つの緣故。若し是れ金丹大藥、則ち再び宜與不宜を論ぜず。

一言宮。庚子庚午,辛未辛丑,丙辰丙戌,丁亥丁巳,戊寅戊申,己卯己酉。

一言是れ宮。庚子庚午、辛未辛丑、丙辰丙戌、丁亥丁巳、戊寅戊申、己卯己酉。

三言徵。甲辰甲戌,乙亥乙巳,丙寅丙申,丁酉丁卯,戊午戊子,己未己丑。

三言是れ徵。甲辰甲戌、乙亥乙巳、丙寅丙申、丁酉丁卯、戊午戊子、己未己丑。

五言羽。甲寅甲申,乙卯乙酉,丙子丙午,丁未丁丑,壬辰壬戌,癸巳癸亥。

五言是れ羽。甲寅甲申、乙卯乙酉、丙子丙午、丁未丁丑、壬辰壬戌、癸巳癸亥。

七言商。甲子甲午,乙丑乙未,庚辰庚戌,辛巳辛亥,壬申壬寅,癸卯癸酉。

七言是れ商。甲子甲午、乙丑乙未、庚辰庚戌、辛巳辛亥、壬申壬寅、癸卯癸酉。

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