抱朴子内篇 · 第7巻
抱朴子曰:“設有死罪,而人能救之者,必不為之吝勞辱而憚卑辭也,必獲生生之功也。今雜猥道士之輩,不得金丹大法,必不得長生可知也。雖治病有起死之效,絕谷則積年不飢,役使鬼神,坐在立亡,瞻視千里,知人盛衰,發沈祟於幽翳,知禍福於未萌,猶無益於年命也,尚羞行請求,恥事先達,是惜一日之屈,而甘罔極之痛,是不見事類者也。古人有言曰,生之於我,利亦大焉。論其貴賤,雖爵為帝王,不足以此法比焉。論其輕重,雖富有天下,不足以此術易焉。故有死王樂為生鼠之喻也。夫治國而國平,治身而身生,非自至也,皆有以致之也。惜短乏之虛名,恥師授之暫勞,雖日不愚,吾不信也。今使人免必死而就戮刑者,猶欣然喜於去重而即輕,脫炙爛而保視息,甘其苦痛,過於更生矣。人但莫知當死之日,故不暫憂耳。若誠知之,而刖劓之事,可得延期者,必將為之。況但躬親灑掃,執巾竭力於勝己者,可以見教之不死之道,亦何足為苦,而蔽者憚焉。假令有人,恥迅走而待野火之燒爇,羞逃風而致沈溺於重淵者,世必呼之為不曉事也,而鹹知笑其不避災危,而莫怪其不畏實禍,何哉?”
抱朴子曰く「假令死罪有りて、而も人能く救うは、必ず此の爲めに勞辱を吝惜して卑辭を怕れず、必ず生生の功を獲ん。今雜猥道士の輩、金丹大法を得ず、必ず長生を得ざる以て知る可し。雖も病を治して死を起すの效有り、穀を絕てば則ち年を積んで饑えず、鬼神を役使し、坐して立亡し、瞻視千里、人の盛衰を知り、幽翳の中に沈祟を發し、未萌の時に禍福を知るも、還た年命に益無し、尚ほ行って請求するを羞とし、先達に事奉するを恥とす、此れ是れ一日の屈を惜しみ、而も無窮の痛に甘心する、是れ事類を見ざるなり。古人話有りて曰く、生我に對して、利亦大きなりと。彼の貴賤を論ずれば、雖も爵帝王と爲るも、以て此の法與比すに足らず。彼の輕重を論ずれば、雖も天下を富むも、以て此の術と換ふるに足らず。故に死王生鼠と爲るを樂しむの比喩有り。國を治めて國平か、身を治めて身生ず、自ら到るに非ず、皆之を致す所以有り。短乏の虛名を惜しみ、師授の暫勞を恥とす、雖も日日愚ならずと說くも、我信ぜず。今人をして必死を免れて戮刑に就かしむる、還た欣然として重を去りて輕に就くを喜び、炙爛を脫して視息を保ち、彼の苦痛に甘んず、更生を超過す。人只だ當死の日を知らざる、故に暫く憂えざるのみ。若し誠に知れば、而も刖劓の事、以て延期を得る可く、必ず將に之を做らん。何況只だ自ら灑掃し、己に勝る者の處に巾を執り力を竭して、以て不死の道を受教す可きは、又哪れにか苦と爲すに足らん、而も蔽る人それを怕る。假令人有りて、迅走を恥として野火の燒爇を待ち、逃風を羞として重淵に沈溺を致すは、世必ず不曉事と呼び、而も皆知りて彼の災危を避けざるを笑う、卻りて彼の實禍を畏れざるを怪まざる無し、何を爲すや」と。
抱朴子曰:“昔者之著道書多矣,莫不務廣浮巧之言,以崇玄虛之旨,未有究論長生之階徑,箴砭為道之病痛,如吾之勤勤者也。實欲令迷者知反,失之東隅,收之桑榆,墜井引綆,愈於遂沒。但惜美疢而距惡石者,不可如何耳。人誰無過,過而能改,日月之蝕,睎顏氏之子也。又欲使將來之好生道者,審於所託,故竭其忠告之良謀,而不飾淫麗之言,言發則指切,筆下則辭痛,惜在於長生而折抑邪耳,何所索哉?”
抱朴子曰く「昔道書を著す者多し、務めて廣浮巧の話を以て玄虛の旨を崇尚せざる無し、長生の階徑を究論し、道を爲るの病痛を箴砭する、我が此のごとく勤勤たる無し。實に迷う人をして返回を知らしめ、東隅に失ひ、桑榆に收む、井に墮ちて綆を引く、此に就きて沈沒するに勝る、のみ。只だ美疢を惜して惡石を拒絕する、彼を以て辦法無しのみ。人誰か過無からん、過りて能く改む、日月の蝕のごとく、顏氏の子を仰慕す。又將來生を好む道の人をして、托する所に審ならしめんと欲し、故に彼の忠告の良謀を竭くし、而も淫麗の話を飾らず、言發せば則ち指切し、筆下せば則ち辭痛し、痛惜長生に在りて而も邪を折抑するのみ、何の求有らんや」と。
抱朴子曰:“深念學道藝養生者,隨師不得其人,竟無所成,而使後之有志者,見彼之不得長生,因雲天下之果無仙法也。凡自度生,必不能苦身約己以修玄妙者,亦徒進失干祿之業,退無難老之功,內誤其身,外沮將來也。仙之可學致,如黍稷之可播種得,甚炳然耳。然未有不耕而獲嘉禾,未有不勤而獲長生度世也。”
抱朴子曰く「深く念る道藝養生を學ぶ人、師に隨いて其の人を得ず、竟に成る所無くして、而も後來志有るをして、彼の長生を得ざるを見、因此天下果して仙法無しと說かしむ。凡そ自ら生を度る、必ず能く身を苦しめ己を約して以て玄妙を修めざれば、亦徒らに進めば則ち俸祿を謀るの業を失い、退けば則ち老い難きの功無し、內自身を誤り、外將來を沮る。仙以て學びて致す可し、像く黍稷以て播種して得る可し、甚だ炳然のみ。然れども耕さずして嘉禾を獲る無く、勤せずして長生世を度るを獲る無し」と。
卷十五·雜應
卷十五・雜應
或曰:“敢問斷穀人可以長生乎?凡有幾法,何者最善與?”抱朴子答曰:“斷穀人止可息餚糧之費,不能獨令人長生也。問諸曾斷谷積久者云,差少病痛,勝於食谷時。其服術及餌黃精,又禹餘糧丸,日再服,三日,令人多氣力,堪負擔遠行,身輕不極。其服諸石藥,一服守中十年五年者及吞氣服符飲神水輩,但為不飢耳,體力不任勞也。道書雖言欲得長生,腸中當清;欲得不死,腸中無滓。又云,食草者善走而愚,食肉者多力而悍,食谷者智而不壽,食氣者神明不死。此乃行氣者一家之偏說耳,不可便孤用也。若欲服金丹大藥,先不食百許日為快。若不能者,正爾服之,但得仙小遲耳,無大妨也。若遭世荒,隱竄山林,知此法者,則可以不餓死。其不然也,則無急斷,急既無可大益。又止人中斷肉,聞肥鮮之氣,皆不能不有欲於中心。若未便絕俗委家,巖棲岫處者,固不成遂休五味,無致自苦,不如莫斷谷而節量飢飽。近有一百許法,或服守中石藥數十丸,便辟四五十日不飢,練松柏及術,亦可以守中,但不及大藥,久不過十年以還。或闢一百二百日,或須日日服之,乃不飢者。或先作美食極飽,乃服藥以養所食之物,令不消化,可闢三年。欲還食谷,當以葵子豬膏下之,則所作美食皆下,不壞如故也。洛陽有道士董威輦,常止白社中,了不食,陳子敘共守事之,從學道積久,乃得其方,雲以甘草、防風、莧實之屬十許種搗為散,先服方寸匕,乃吞石子大如雀卵十二枚,足闢百日,輒更服散,氣力顏色如故也。欲還食谷者,當服葵子湯下石子,乃可食耳。又赤龍血青龍膏作之,用丹砂曾青水,以石內其中,復須臾,石柔而可食也。若不即取,便消爛盡也。食此石以口取飽,令人丁壯。又有引石散,以方寸匕投一斗白石子中,以水合煮之,亦立熟如芋子,可食以當谷也。
有人曰く「穀を斷つ人を請問す、以て長生す可けんや。一共幾種の法、哪一种最も好し」と。抱朴子回答えて曰く「穀を斷つ人只だ以て肴糧の費用を省下す可し、竝びに能く單獨此の一樣に靠りて人をして長生せしめず。曾て穀を斷つこと久しきを積む人に問う、皆說く病痛稍々少なく、穀を喫するの時に勝ると。術を服し以及黃精を餌し、又禹餘糧丸を服し、一日兩次、三日、則ち人をして氣力多く、擔負遠行に禁得起、身輕くして疲れざらしむ。諸種の石藥を服し、一服して中を守ること十年五年の、以及氣を吞み、符を服し、神水を飲む此の類、只だ饑えざるのみ、體力勞作に擔當す可からず。道書雖も說く長生を得んと想はば、腸中當に淸なるべし。不死を得んと想はば、腸中滓無かるべしと。又曰く、草を喫うは善走にして愚、肉を喫うは力多くして悍、穀を喫うは智にして不壽、氣を喫うは神明にして不死と。此れ只だ氣を行うの此の一家の偏說のみ、以て孤用す可からず。若し金丹大藥を服せんと想はば、先ず百來日喫わざるを以て快と爲す。若し能わざれば、則ち此のごとく服せよ、只だ仙を得る稍々遲きのみ、大礙無し。若し世荒に遇上し、山林に隱竄せば、此の法を知るは、則ち以て餓死せざる可し。若し此のごとくに非ざれば、則ち必ず急に斷つに須せず、急すれば既に大益無し。又人中に停まりて只だ肉を斷てば、肥鮮の氣を聞見して、皆能く心里欲有らざるを得ず。若し尚ほ未だ立刻俗を絕ち家を委ね、岩に栖み岫に處らざれば、固より能く此に就きて五味を休掉せず、必ず自ら苦喫を討ふる勿れ、穀を斷たずして饑飽を節量するに如かず。近に百來種の法有り、或は中を守る石藥數十丸を服せば、便ち四五十日を辟開して饑えず、松柏及び術を煉すれば、亦以て中を守る可し、只だ大藥に比ぶに及ばず、久しき不過十年以內。或は一百二百日を辟き、或は須らく日日服して、纔かに饑えず。或は先ず美食を作りて喫して極飽に至り、纔かに藥を服して以て喫する所の物を養い、之をして消化せざらしめ、以て三年を辟く可し。回來りて穀を喫わんと想はば、當に葵子・豬膏を以て瀉下し、則ち作る所の美食皆下り、元來のごとく壞れず。洛陽に道士董威輦有り、常に白社中に停まり、全く喫わず、陳子敍共同彼を守事し、彼に跟りて道を學ぶこと久しきを積し、纔かに其の方を得、說く甘草・防風・莧實の類十來種を拿げて搗して散と成し、先ず方寸匕を服し、纔かに雀卵のごとき大きさの石子十二枚を吞む、足以百日を辟き、則ち再び散を服す、氣力顏色元來のごとし。回來りて穀を喫わんと欲するは、當に葵子湯を服して石子を瀉下し、纔かに以て喫う可し。又赤龍血・青龍膏來作に以てし、丹砂・曾青水を以て、石頭を其の中に納れ、再び片刻を過ぎれば、石柔らかにして以て喫う可し。若し立刻取らざれば、便ち消爛盡く。此の石を喫う口を以て飽を取り、人をして壯實ならしむ。又引石散有り、方寸匕を拿げて一斗白石子中に投進し、水を以て合煮せば、亦立刻芋子のごとく熟れ、以て喫して穀に當つ可し。
張太元舉家及弟子數十人,隱居林慮山中,以此法食石十餘年,皆肥健。但為須得白石,不如赤龍血青龍膏,取得石便可用,又當煮之,有薪火之煩耳。或用符,或用水,或符水兼用。或用乾棗,日九枚,酒一二升者。或食十二時氣,從夜半始,從九九至八八七七六六五五而止。或春向東食歲星青氣,使入肝;夏服熒惑赤氣,使入心;四季之月食鎮星黃氣,使入脾;秋食太白白氣,使入肺;冬服辰星黑氣,使入腎。又中嶽道士郗元節食六戊之精,亦大有效。假令甲子之旬,有戊辰之精,則竟其旬十日,常向辰地而吞氣,到後甲復向其旬之戊也。甘始法,召六甲六丁玉女,各有名字,因以祝水而飲之,亦可令牛馬皆不飢也。或思脾中神名,名黃裳子,但合口食內氣,此皆有真效。餘數見斷穀人三年二年者多,皆身輕色好,堪風寒暑溼,大都無肥者耳。雖未見數十歲不食者,然人絕谷不過十許日皆死,而此等已積載而自若,亦何疑於不可大久乎?若令諸絕谷者專羸,極常慮之,恐不可久耳。而問諸為之者,無不初時少氣力,而後稍丁健,月勝一月,歲勝一歲,正爾,可久無嫌也。夫長生得道者,莫不皆由服藥吞氣,而達之者而不妄也。夫服藥斷谷者,略無不先極也。但用符水及單服氣者,皆作四十日中疲瘦,過此乃健耳。鄭君云:本性飲酒不多,昔在銅山中,絕谷二年許,飲酒數鬥不醉。以此推之,是為不食更令人耐毒,耐毒則是難病之候也。餘因此問山中那得酒?鄭君言,先釀好雲液勿壓漉,因以桂附子甘草五六種末合丸之,曝乾,以一丸如雞子許,投一斗水中,立成美酒。又有黃帝雲液泉法,以糵米及七八種藥合之,取一升,輒內一升水投中,如千歲苦酒之內水也。無知盡時,而味常好不變,飲之大益人。又符水斷谷,雖先令人羸,然宜兼知者,倘卒遇荒年,不及合作藥物,則符水為上矣。
(抱朴子接續して曰く)張太元家を擧げて及び弟子數十人、林慮山中に隱居し、此の法を以て石を喫すること十餘年、皆肥健す。只だ須らく白石を得べし、赤龍血・青龍膏に如かず、石を取得すれば便ち以て用う可し、又當に煮るべし、薪火の煩有るのみ。或は符を以てし、或は水を以てし、或は符水兼用す。或は干棗を以てし、一日九枚、酒一二升。或は十二時の氣を食し、夜半より始め、九九より八八・七七・六六・五五に至りて止まる。或は春東に向かい歲星青氣を食し、之をして肝に入らしむ。夏熒惑赤氣を服し、之をして心に入らしむ。四季の月鎮星黃氣を食し、之をして脾に入らしむ。秋太白白氣を食し、之をして肺に入らしむ。冬辰星黑氣を服し、之をして腎に入らしむ。又中嶽道士郗元節六戊の精を食す、亦大に效有り。假如甲子此の一旬、戊辰の精有れば、則ち此の一旬十日裏、常に辰地に向かい氣を吞み、後の一個の甲日に到りて再び彼の一旬の戊に向かう。甘始の法、六甲六丁玉女を召す、各々名字有り、因此水を祝して飲めば、亦以て牛馬をして皆饑えざらしむ可し。或は脾中神の名を思う、名は黃裳子、只だ口を合して內氣を食す、此ら皆眞效有り。我屢々穀を斷つこと二三年の人多きを見、皆身輕く色好く、風寒暑濕に禁得起、大都没有肥ののみ。雖も未だ數十歲喫わざるを見ざれども、然れども人穀を絕てば不過十來日皆死す、而も此の類已に年を積みて自若たり、又何必大久す可からずと疑わんや。若し諸の穀を絕つ人をして專ら是れ羸瘦し、極常憂慮すれば、怕るる久しき可からざるのみ。而も彼ら做る人に問うに、初時氣力少なく、而も後漸々壯健し、月一月に勝り、歲一歲に勝る、正是れ此のごとく、以て久しくして嫌う可からず。長生道を得る、皆藥を服し氣を吞むに由らざる無し、而も通達の人不是妄說。藥を服し穀を斷つは、大約先に極疲せざる無し。只だ符水を以てし及び單に氣を服するは、皆四十日中疲瘦し、此を過ぎて纔かに健となるのみ。鄭君曰く、本性酒を飲むこと多からず、昔銅山中に在りて、穀を絕つこと二年左右、酒數斗を飲みて醉わずと。此を以て推之、是れ喫わざる更に人をして毒に耐えしむ、毒に耐うれば則ち是れ病み難きの徵候。我因此山中に問う哪れより酒を得ると。鄭君曰く、先ず雲液を釀好して壓漉する勿れ、因此桂・附子・甘草五六種末を以て合して丸とし、日に干し、雞子のごとき大きさの一丸を拿げて、一斗水中に投進すれば、立刻美酒と成る。又黄帝雲液泉法有り、糵米及び七八種の藥を以て之を合し、一升を取り、則ち一升水を納れて投進す、像く千年苦酒の內に水を加ふるがごとし。盡くの時を知る無く、而も味常に好く變らず、飲めば大に人に益す。又符水穀を斷つは、雖も先に人をして羸ならしむれども、然れども當に兼ねて知るべし、倘若突然荒年に遇上し、藥物を合作するに及ばざれば、則ち符水を上と爲す。
有馮生者,但單吞炁,斷谷已三年,觀其步陟登山,擔一斛許重,終日不倦。又時時引弓,而略不言語,言語又不肯大聲。問之云,斷谷亡精費氣,最大忌也。餘亦屢見淺薄道士輩,為欲虛曜奇怪,招不食之名,而實不知其道,但虛為不啖羹飯耳。至於飲酒,日中鬥餘,脯臘臺甫棗栗雞子之屬,不絕其口。或大食肉而咽其汁,吐其滓,終日經口者數十斤,此直是更作美食矣。凡酒客但飲酒食脯而不食谷,皆自堪半歲一歲而不蹙頓矣,未名絕谷耳。吳有道士石春,每行氣為人治病,輒不食,以須病者之愈,或百日,或一月乃食。吳景帝聞之曰,此但不久,必當飢死也。乃召取鎖閉,令人備守之。春但求三二升水,如此一年餘,春顏色更鮮悅,氣力如故。景帝問之,可復堪幾時?春言無限,可數十年,但恐老死耳,不憂飢也。乃罷遣之。按如春言,是為斷谷不能延年可知也。今時亦有得春之法者。”
馮生有り、只だ單に炁を吞み、穀を斷つこと已に三年、彼の步陟登山を看るに、一斛左右の重を擔ぎ、終日倦まず。又時時弓を引く、而も幾んど言話せず、言話すれば又肯んじて大聲せず。彼に問うて說く、穀を斷つは精を損耗し氣を費す、是れ最大の忌と。我亦屢々淺薄道士の輩を見、欲して虛く奇怪を耀い、喫わざるの名を招き、而も其の實彼の道を知らず、只だ虛く羹飯を喫わざるを作すのみ。至於酒を飲む、一日の中一斗餘有り、脯腊・飴(底本「台甫」と作す)・棗栗・雞子の類、口此らを離れず。或は大に肉を喫して彼の汁を咽み、彼の滓を吐く、終日口を經るの數十斤、此れ直ち是れ別に美食を作る。凡そ酒客只だ酒を飲み脯を喫して穀を喫わざるは、皆自ら半歲一歲に禁得起して蹶頓せず、未だ絕穀と稱す可からず。吳に道士石春有り、每に氣を行いて人の病を治するに、則ち喫わず、以て病の人の愈ゆるを待ち、或は百日、或は一月纔かに喫す。吳景帝聞說き、說く此れ只だ久しからず、必ず當に餓死すべしと。則ち召來して鎖閉し、人をして備守せしむ。春只だ三二升水を求む、此のごとく一年餘、春顏色更加鮮悅し、氣力元來のごとし。景帝彼に問う、還た可く再び幾時に禁得起すや。春曰く無限、以て數十年可し、只だ怕るる老死するのみ、饑を憂えずと。纔かに彼を罷遣す。春の說く所に像く按ずれば、是れ穀を斷つ能く年を延せざる以て知る可し。今亦有春の法を得る有り。
或問不寒之道。抱朴子曰:“或以立冬之日,服六丙六丁之符,或閉口行五火之炁千二百遍,則十二月中不寒也。或服太陽酒,或服紫石英朱漆散,或服雄丸一,後服雌丸二,亦可堪一日一夕不寒也。雌丸用雌黃、曾青、礬石、磁石也。雄丸用雄黃、丹砂、石膽也。然此無益於延年之事也。”
有人寒からざるの道を問う。抱朴子曰く「或は立冬の日に、六丙六丁の符を服す。或は口を閉じて五火之炁を行うこと一千二百遍、則ち十二月中寒からず。或は太陽酒を服す。或は紫石英朱漆散を服す。或は先ず雄丸一を服し、後に雌丸二を服す、亦以て一日一夕寒からざるに禁得起す。雌丸雌黃・曾青・礬石・磁石を以てす。雄丸雄黃・丹砂・石膽を以てす。然れども此ら年を延するの事に益無し。
或問不熱之道。抱朴子曰:“或以立夏日,服六壬六癸之符,或行六癸之炁,或服玄冰之丸,或服飛霜之散。然此用蕭丘上木皮,及五月五日中時北行黑蛇血,故少有得合之者也。唯幼伯子王仲都,此二人衣以重裘,曝之於夏日之中,周以十爐之火,口不稱熱,身不流汗,蓋用此方者也。”
有人熱からざるの道を問う。抱朴子曰く「或は立夏の日に、六壬六癸の符を服す。或は六癸之炁を行う。或は玄冰之丸を服す。或は飛霜之散を服す。然れども此ら蕭丘上の木皮を以てし、以及五月五日中時に北行する黑蛇の血、故に少く能く合得成る。只有幼伯子・王仲都、此の兩人重裘を穿著し、夏日の中に曝曬し、周圍十爐の火を以てし、口熱と稱せず、身汗流さず、蓋し是れ此の方を以てする。
或問闢五兵之道。抱朴子答曰:“吾聞吳大皇帝曾從介先生受要道云,但知書北斗字及日月字,便不畏白刃。帝以試左右數十人,常為先登鋒陷陣,皆終身不傷也。鄭君云,但誦五兵名亦有驗。刀名大房,虛星主之;弓名曲張,氐星主之;矢名彷徨,熒惑星主之;劍名失傷,角星主之;弩名遠望,張星主之;戟名大將,參星主之也。臨戰時,常細祝之。或以五月五日作赤靈符,著心前。或丙午日日中時,作燕君龍虎三囊符。歲符歲易之,月符月易之,日符日易之。或佩西王母兵信之符,或佩熒惑朱雀之符,或佩南極鑠金之符,或戴卻刃之符,祝融之符。或傅玉札散,或浴禁蔥湯,或取牡荊以作六陰神將符,符指敵人。或以月蝕時刻,三歲蟾蜍喉下有八字者血,以書所持之刀劍。或帶武威符熒火丸。或交鋒刃之際,乘魁履罡刂,呼四方之長,亦有明效。今世之人,亦有得禁闢五兵之道,往往有之。”
有人五兵を辟くの道を問う。抱朴子回答えて曰く「我聞く吳大皇帝曾て介先生に跟りて要道を受け、說く只だ北斗字及び日月字を寫すを知れば、便ち白刃を畏れずと。帝以て左右數十人を試み、常に先登鋒陣に陷るを做し、皆終身傷らず。鄭君曰く、只だ五兵の名を誦する亦驗有り。刀名は大房、虛星之を主る。弓名は曲張、氐星之を主る。矢名は彷徨、熒惑星之を主る。劍名は失傷、角星之を主る。弩名は遠望、張星之を主る。戟名は大將、參星之を主る。戰に臨むの時、常に細細祝禱す。或は五月五日に赤靈符を作り、心前に放つ。或は丙午日日中時、燕君龍虎三囊符を作る。歲符歲に換え、月符月に換え、日符日に換う。或は西王母兵信之符を佩ず。或は熒惑朱雀之符を佩ず。或は南極鑠金之符を佩ず。或は卻刃之符・祝融之符を戴く。或は玉札散を傅す。或は禁葱湯を以て洗浴す。或は牡荊を取りて以て六陰神將符を作り、符敵人を指向す。或は月蝕時刻、三歲蟾蜍喉下の八字の血を以て、持する所の刀劍を寫す。或は武威符熒火丸を帶ぶ。或は鋒刃を交ふるの際、魁に乘り罡を履み(底本「罡」の旁に「刂」を衍す)、四方の長を呼ぶ、亦明效有り。今世の人、亦有禁辟五兵の道を得る、往々有りと。
或問隱淪之道。抱朴子曰:“神道有五,坐在立亡其數焉。然無益於年命之事,但在人閒無故而為此,則致詭怪之聲,不足妄行也。可以備兵亂危急,不得已而用之,可以免難也。鄭君云,服大隱符十日,欲隱則左轉,欲見則右回也。或以玉臺丸塗人身中;或以蛇足散,或懷離母之草,或折青龍之草,以伏六丁之下;或入竹田之中,而執天樞之壤;或造河龍石室,而隱雲蓋之陰;或伏清泠之淵,以過幽闕之徑;或乘天一馬以遊紫房;或登天一之明堂;或入玉女之金匱;或背輔向官,立三蓋之下;或投巾解履、膽煎及兒衣符,子居蒙人,青液桂梗,六甲父母,僻側之膠,駁馬泥丸,木鬼之子,金商之艾,或可為小兒,或可為老翁,或可為鳥,或可為獸,或可為草,或可為木,或可為六畜,或依木成木,或依石成石,依水成水,依火成火,此所謂移形易貌,不能都隱者也。”
有人隱淪の道を問う。抱朴子曰く「神道五有り、坐して立亡是れ其の中の一數。然れども年命の事に益無し、只だ人間に在りて故無く此を做る、則ち詭怪の聲名を招致す、妄りに行うに足らず。以て兵亂危急に備へ、已むを得ずして之を用い、以て難を免る可し。鄭君曰く、大隱符を服すること十日、隱れんと欲すれば則ち左轉し、見んと欲すれば則ち右回す。或は玉台丸を以て人身中に塗る。或は蛇足散を以てし、或は離母之草を懷き、或は青龍之草を折り、以て六丁の下に伏す。或は竹田の中に入りて、而も天樞之壤を執る。或は河龍石室に到りて、而も雲蓋之陰に隱る。或は淸泠之淵に伏して、以て幽闕之徑を來過す。或は天一馬に乘りて紫房に游去る。或は天一の明堂に登る。或は玉女の金匱に入る。或は輔を背にして官に向かい、三蓋の下に立つ。或は巾を投げ履を解き、膽煎及び兒衣符、子居蒙人、青液桂梗、六甲父母、僻側之膠、駁馬泥丸、木鬼之子、金商之艾、或は以て小兒を做る可し、或は以て老翁を做る可し、或は以て鳥を做る可し、或は以て獸を做る可し、或は以て草を做る可し、或は以て木を做る可し、或は以て六畜を做る可し、或は木に依りて木と成り、或は石に依りて石と成り、水に依りて水と成り、火に依りて火と成る、此れ則ち謂う所の形を移し貌を易ふる、能く皆隱去せざるなり。
或問:“魏武帝曾收左元放而桎梏之,而得自然解脫,以何法乎?”抱朴子曰:“吾不能正知左君所施用之事。然歷覽諸方書,有月三服薏苡子,和用三五陰丹,或以偶牙陽胞,或以七月七日東行跳脫蟲,或以五月五日石上龍子單衣,或以夏至日霹靂楔,或以天文二十一字符,或以自解去父血,或以玉子餘糧,或合山君目,河伯餘糧,浮雲滓以塗之,皆自解。然左君之變化無方,未必由此也。自用六甲變化,其真形不可得執也。”
有人問うて曰く「魏武帝曾て左元放を收捕して桎梏を加へ、卻りて自然解脫を得、用うる是れ何の法か」と。抱朴子曰く「我能く正に左君の施用する所の事を知らず。然れども歷覽諸方書、每月三次薏苡子を服する有り、和して三五陰丹を用い、或は偶牙陽胞を以てし、或は七月七日東行する跳脫蟲を以てし、或は五月五日石上龍子單衣を以てし、或は夏至日霹靂楔を以てし、或は天文二十一字符を以てし、或は自解去父血を以てし、或は玉子餘糧を以てし、或は山君目・河伯餘糧・浮雲滓を合して來塗る、皆自ら解脫す。然れども左君の變化無方、未だ必ずしも此らに由らざらん。彼自ら六甲變化を以てす、眞形得て執る可からず。
或問曰:“為道者可以不病乎?”抱朴子曰:“養生之盡理者,既將服神藥,又行氣不懈,朝夕導引,以宣動榮衛,使無輟閡,加之以房中之術,節量飲食,不犯風溼,不患所不能,如此可以不病。但患居人閒者,志不得專,所修無恆,又苦懈怠不勤,故不得不有疹疾耳。苦徒有信道之心,而無益己之業,年命在孤虛之下,體有損傷之危,則三尸因其衰月危日,入絕命病鄉之時,招呼邪氣,妄延鬼魅,來作殃害。其六厄並會,三刑同方者,其災必大。其尚盛者,則生諸疾病,先有疹患者,則令發動。是故古之初為道者,莫不兼修醫術,以救近禍焉。凡庸道士,不識此理,恃其所聞者,大至不關治病之方。又不能絕俗幽居,專行內事,以卻病痛,病痛及己,無以攻療,乃更不如凡人之專湯藥者。所謂進不得邯鄲之步,退又失壽陵之義者也。餘見戴霸華他所集金匱綠囊崔中書黃素方及百家雜方五百許卷。甘胡呂傅周始甘唐通阮南河等,各撰集暴卒備急方,或一百十,或九十四,或八十五,或四十六,世人皆為精悉,不可加也。餘究而觀之,殊多不備,諸急病甚尚未盡,又渾漫雜錯,無其條貫,有所尋按,不即可得。而治卒暴之候,皆用貴藥,動數十種,自非富室而居京都者,不能素儲,不可卒辦也。又多令人以針治病,其灸法又不明處所分寸,而但說身中孔穴榮輸之名。自非舊醫備覽明堂流注偃側圖者,安能曉之哉?餘所撰百卷,名曰玉函方,皆分別病名,以類相續,不相雜錯,其救卒參卷,皆單行徑易,約而易驗,籬陌之閒,顧眄皆藥,眾急之病,無不畢備,家有此方,可不用醫。醫多承襲世業,有名無實,但養虛聲,以圖財利。寒白退士,所不得使,使之者乃多誤人,未若自閒其要,勝於所迎無知之醫。醫又不可卒得,得又不肯即為人使,使腠理之微疾,成膏肓之深禍,乃至不救。
有人問道て曰く「道を爲る人以て病まざる可けんや」と。抱朴子曰く「養生理を盡くす人、既に將に神藥を服し、又氣を行いて懈らず、朝夕導引し、以て榮衛を宣動し、之をして輟阂無からしめ、房中の術を加へ、飲食を節量し、風濕を犯さず、能わざる所を患えず、此のごとく以て病まざる可し。只だ怕るる人間に住する、志專ならずを得ず、修する恒無く、又苦しむ懈怠にして勤せざる、故に疹疾有らざるを得ざるのみ。苦しむ徒らに道を信ずるの心有りて、而も己に益するの業無く、年命孤虚の下に在り、體損傷の危有れば、則ち三尸其の衰月危日・絕命病鄉に入るの時に趁い、邪氣を招呼し、妄りに鬼魅を延し、以て殃害を作る。六厄竝會・三刑同方の、災必ず大なり。彼の還た盛なるは、則ち諸種の疾病を生じ、先に疹患有るは、則ち之をして發動せしむ。故に古初道を爲る、兼ねて醫術を修めざる無く、以て近禍を救う。凡庸道士、此の理を識らず、聞く所に仗りて、大至病を治するの方に關せず。又能く俗を絕ち幽居して、專ら內事を行い、以て病痛を退却せず、病痛己の身上に到れば、攻療するに從無し、乃ち更に凡人の專ら湯藥にするに如かず。謂う所の進めば邯鄲の步を得ず、退けば又壽陵の義を失う。我見る戴霸・華他の集むる所《金匱綠囊》・崔中書《黃素方》及び百家雜方五百來卷。甘胡・呂傅・周始・甘唐通・阮南河等、各々暴卒備急方を撰集す、或は一百十、或は九十四、或は八十五、或は四十六、世人皆以て精悉と爲し、加ふる可からずと。我究めて觀看す、特に多く不備、諸の急病甚至還た未だ盡さず、又渾漫雜錯し、條貫無く、尋按する所有り、能く立刻得ず。而も卒暴を治するの候、皆貴藥を用い、動すれば則ち數十種、若し不是富室にして京都に住する、能く素來儲備せず、倉促辦う可からず。又多く人をして鍼を以て病を治せしむ、彼の灸法又不明處所分寸、而も只だ身中孔穴榮輸の名を說く。若し不是舊醫明堂流注偃側圖を備覽する、怎んぞ能く曉らんや。我が撰する所百卷、名は《玉函方》、皆病名を分別し、類に按りて相續き、相雜錯せず、彼の卒を救う三卷、皆單行徑易し、約にして驗し易し、籬陌の閒、顧盼皆是れ藥、衆の急病、畢備せざる無し、家此の方有れば、以て醫を用いず可し。醫多く世業を承襲し、名有りて實無し、只だ虛聲を養い、以て財利を圖る。寒白退士、得て使う可からず、使う乃ち多く人を誤る、自ら彼の要を嫺熟するに如かず、迎ふる所無知の醫に勝る。醫又倉促得る可からず、得て又肯んじて立刻人の爲に使せず、腠理の微疾をして、膏肓の深禍と成らしめ、乃至救わざるに至る。
且暴急之病,而遠行借問,率多枉死矣。”
(抱朴子接續して曰く)而且暴急の病、卻りて遠く行きて借問す、大都枉死せり。」
或問:“將來吉凶,安危去就,知之可全身,為有道乎?”
有人問うて曰く「將來吉凶、安危去就、之を知りて以て身を全うす可し、此のごときの道有るか」と。
抱朴子曰:“仰觀天文,俯察地理,占風氣,布籌算,推三棋,步九宮,檢八卦,考飛伏之所集,診訞訛於物類,占休咎於龜策,皆下術常伎,疲勞而難恃。若乃不出帷幕而見天下,乃為入神矣。或以三皇天文,召司命司危五嶽之君,阡陌亭長六丁之靈,皆使人見之,而對問以諸事,則吉凶昭然,若存諸掌,無遠近幽深,鹹可先知也。或召六陰玉女,其法六十日而成,成則長可役使。或祭致八史,八史者,八卦之精也,亦足以預識未形矣。或服葛花及秋芒麻勃刀圭方寸匕,忽然如欲臥,而聞人語之以所不決之事,吉凶立定也。或用明鏡九寸以上自照,有所思存,七日七夕則見神仙,或男或女,或老或少,一示之後,心中自知千里之外,方來之事也。明鏡或用一,或用二,謂之日月鏡。或用四,謂之四規鏡。四規者,照之時,前後左右各施一也。用四規所見來神甚多。或縱目,或乘龍駕虎,冠服彩色,不與世同,皆有經圖。欲修其道,當先闇誦所當致見諸神姓名位號,識其衣冠。不爾,則卒至而忘其神,或能驚懼,則害人也。為之,率欲得靜漠幽閒林麓之中,外形不經目,外聲不入耳,其道必成也。三童九女節壽君,九首蛇軀百二十官,雖來勿得熟視也。或有問之者,或有訶怒之者,亦勿答也。或有侍從煒曄,力士甲卒,乘龍駕虎,簫鼓嘈嘈,勿舉目與言也。但諦念老君真形,老君真形見,則起再拜也。老君真形者,思之,姓李名聃,字伯陽,身長九尺,黃色,鳥喙,隆鼻,秀眉長五寸,耳長七寸,額有三理上下徹,足有八卦,以神龜為床,金樓玉堂,白銀為階,五色云為衣,重疊之冠,鋒鋋之劍,從黃童百二十人,左有十二青龍,右有二十六白虎,前有二十四朱雀,後有七十二玄武,前道十二窮奇,後從三十六辟邪,雷電在上,晃晃昱昱,此事出於仙經中也。見老君則年命延長,心如日月,無事不知也。”
抱朴子曰く「仰いで天文を觀、俯して地理を察し、風氣を占し、籌算を布き、三棋を推し、九宮を步み、八卦を檢し、飛伏の集まる所を考察し、物類上に訞訛を診し、龜策上に休咎を占う、皆是れ下術常伎、疲勞にして仗恃し難し。至於帷幕を出でずして天下を見る、纔かに是れ神に入る。或は三皇天文を以て、司命・司危・五岳之君・阡陌亭長・六丁之靈を召し、皆人をして見しめ、而も諸事を對問せば、則ち吉凶昭然、掌上に存在するがごとく、遠近幽深を論ぜず、皆以て先に知る可し。或は六陰玉女を召す、彼の法六十日にして成り、成れば則ち長く役使す可し。或は八史を祭致す、八史是れ八卦の精、亦足以未形を預識す。或は葛花及び秋芒・麻勃刀圭方寸匕を服すれば、忽然として臥せんと想うがごとく、而も人の决せざる所の事を彼に告ぐるを聞き、吉凶立刻定まる。或は明鏡九寸以上を以て自照し、思存する所有れば、七日七夕則ち神仙を見、或は男或は女、或は老或は少、一示の後、心中自ら千里之外・方來の事を知る。明鏡或は一を以てし、或は二を以てす、日月鏡と稱す。或は四を以てす、四規鏡と稱す。四規は、是れ照の時、前後左右各々一面を施す。四規を以て見る所の來る神甚だ多し。或は目を縱び、或は龍に乘り虎を駕し、冠服彩色、世與同じからず、皆經圖有り。彼の道を修めんと欲せば、當に先ず暗に致見す可き諸神の姓名位號を誦し、彼らの衣冠を識るべし。此のごとくせざれば、則ち倉促到りて彼の神を忘れ、或は能く驚懼し、則ち人を害す。此を做る、大都靜漠幽閑林麓の中を得んと想い、外形目を經ず、外聲耳に入らず、彼の道必ず成る。三童九女節壽君、九首蛇軀百二十官、雖も來るも熟視する勿れ。或は問う有り、或は訶怒する有りとも、亦答ふる勿れ。或は侍從煒曄し、力士甲卒、龍に乘り虎を駕し、簫鼓嘈嘈たるも、目を擧げて彼ら與話する勿れ。只だ老君眞形を諦念せよ、老君眞形出現すれば、則ち身を起して再拜す。老君眞形、思の時、姓李名聃、字伯陽、身長九尺、黃色、鳥喙、隆鼻、秀眉長さ五寸、耳長さ七寸、額に三理有り上下徹し、足に八卦有り、神龜を以て床に當て、金樓玉堂、白銀階と爲し、五色雲衣と爲し、重疊之冠、鋒鋋之劍、黃童百二十人に隨從せられ、左に十二青龍、右に二十六白虎、前に二十四朱雀、後に七十二玄武、前導十二窮奇、後從三十六辟邪、雷電上に在り、晃晃昱昱、此の事仙經中に出づ。老君を見れば則ち年命延長し、心日月のごとく、事と無く知らざる無し。
或問堅齒之道。抱朴子曰:“能養以華池,浸以醴液,清晨建齒三百過者,永不搖動。其次則含地黃煎,或含玄膽湯,及蛇脂丸、礬石丸、九棘散。則已動者更牢,有蟲者即愈。又服靈飛散者,則可令既脫者更生也。”
有人齒を堅くするの道を問う。抱朴子曰く「能く華池を以て養い、醴液を以て浸し、淸晨齒を叩くこと三百過、永く搖動せず。其次則ち地黃煎を含み、或は玄膽湯を含み、以及蛇脂丸・礬石丸・九棘散。則ち已に動く更に牢く、蟲有る立刻愈ゆ。又靈飛散を服する、則ち以て既脫の更に生ずるを得。
或問聰耳之道。抱朴子曰:“能龍導虎引,熊經龜咽,燕飛蛇屈鳥伸,天俛地仰,令赤黃之景,不去洞房,猿據兔驚,千二百至,則聰不損也。其既聾者,以玄龜燻之,或以棘頭、羊糞、桂毛、雀桂成裹塞之;或以狼毒冶葛,或以附子蔥涕,合內耳中,或以蒸鯉魚腦灌之,皆愈也。”
有人耳を聰くするの道を問う。抱朴子曰く「能く龍のごとく導き、虎のごとく引き、熊のごとく經り、龜のごとく咽み、燕飛・蛇屈・鳥伸し、天俯地仰し、赤黃の景をして、洞房を離れざらしめ、猿據兔驚し、一千二百を做到すれば、則ち聰損わず。彼の已に聾きは、玄龜を以て熏し、或は棘頭・羊糞・桂毛・雀桂成裹を以て塞ぐ。或は狼毒・冶葛を以てし、或は附子・葱涕を以て、合して耳中に納れ、或は鯉魚腦を蒸して以て灌ぐ、皆愈ゆ。
或問明目之道。抱朴子曰:“能引三焦之升景,召大火於南離,洗之以明石,慰之以陽光,及燒丙丁洞視符,以酒和洗之,古人曾以夜書也。或以苦酒煮蕪菁子令熟,曝乾,末服方寸匕,日三,盡一斗,能夜視有所見矣。或以犬膽煎青羊、班鳩、石決明、充蔚百華散,或以雞舌香、黃連、乳汁煎注之。諸有百疾之在目者皆愈,而更加精明倍常也。”
有人目を明らかにするの道を問う。抱朴子曰く「能く三焦の升景を引き、南離に大火を召し、明石を以て洗い、陽光を以て慰し、以及丙丁洞視符を燒き、酒を以て和して洗う、古人曾て以て夜書す。或は苦酒を以て蕪菁子を煮て熟せしめ、日に干し、末を研して方寸匕を服し、一日三次、一斗を盡くせば、能く夜視して見る所有り。或は犬膽煎青羊・斑鳩・石决明・充蔚百華散を以てし、或は雞舌香・黃連・乳汁煎を以て注す。諸の百疾目に在る皆愈ゆ、而も更加精明常に倍す。
或問登峻涉險、遠行不極之道。抱朴子曰:“惟服食大藥,則身輕力勁,勞而不疲矣。若初入山林,體未全實者,宜以雲珠粉、百華醴、玄子湯洗腳,及虎膽丸、朱明酒、天雄鶴脂丸、飛廉煎秋芒、車前、澤瀉散,用之旬日,不但涉遠不極,乃更令人行疾,可三倍於常也。若能乘蹻者,可以周流天下,不拘山河。凡乘蹻道有三法:一曰龍蹻,二曰虎蹻,三曰鹿盧蹻。或服符精思,若欲行千里,則以一時思之。若晝夜十二時思之,則可以一日一夕行萬二千里,亦不能過此,過此當更思之,如前法。或用棗心木為飛車,以牛革結環劍以引其機,或存念作五蛇六龍三牛交罡而乘之,上升四十里,名為太清。太清之中,其氣甚罡刂,能勝人也。師言鳶飛轉高,則但直舒兩翅,了不復扇搖之而自進者,漸乘罡刂炁故也。龍初升階云,其上行至四十里,則自行矣。此言出於仙人,而留傳於世俗耳,實非凡人所知也。又乘蹻須長齋,絕葷菜,斷血食,一年之後,乃可乘此三蹻耳。雖復服符,思五龍蹻行最遠,其餘者不過千里也。其高下去留,皆自有法,勿得任意耳。若不奉其禁,則不可妄乘蹻,有傾墜之禍也。”
有人峻に登り險に涉り・遠行して疲れざるの道を問う。抱朴子曰く「只有大藥を服食すれば、則ち身輕く力勁く、勞して疲れざる。若し初め山林に入り、體尚ほ未だ全實ならざるは、宜しく雲珠粉・百華醴・玄子湯を以て脚を洗い、以及虎膽丸・朱明酒・天雄鶴脂丸・飛廉煎秋芒・車前・澤瀉散、之を用うること旬日、不但遠に涉りて疲れず、乃ち更に人をして走ること快くせしめ、以て常に三倍す可し。若能く蹻に乘れば、以て天下を周流し、山河に拘わらず。凡そ蹻に乘るの道三法有り、一曰く龍蹻、二曰く虎蹻、三曰く鹿盧蹻。或は符を服し精思し、若し千里を走らんと想はば、則ち一時を以て思う。若し晝夜十二時思えば、則ち以て一日一夕萬二千里を走る可し、亦能く此を超過せず、此を過ぎれば當に再び思うべし、前の法に像く。或は棗心木を以て飛車を做り、牛革結環劍を以て彼の機を引き、或は存念して五蛇六龍三牛を作りて交罡して之に乘り、上昇四十里、名は太淸。太淸の中、彼の氣甚だ罡く(底本「罡」の旁に「刂」を衍す)、能く人に勝つ。師說く鳶飛び轉じて高く、則ち只だ直ちに兩翅を舒べ、全く再び扇搖せずして自ら進むは、是れ漸々罡炁に乘るの緣故。龍初め雲に升り階る、它上行して四十里に到れば、則ち自ら行す。此の話仙人に出で、而も世俗に留傳するのみ、實に不是凡人の知る所。又蹻に乘るは須らく長齋し、葷菜を絕ち、血食を斷ち、一年の後、纔かに以て此の三蹻に乘る可きのみ。雖も又符を服すとも、五龍蹻を思う走る最も遠し、其餘不過千里。彼の高下去留、皆自ら法有り、任意を得ざるのみ。若し彼の禁を奉ぜざれば、則ち妄りに蹻に乘る可からず、傾墜の禍有り。
或曰:“老子篇中記及龜文經,皆言藥兵之後,金木之年,必有大疫,萬人餘一,敢問闢之道。”抱朴子曰:“仙人入瘟疫秘禁法,思其身為五玉。五玉者,隨四時之色,春色青,夏赤,四季月黃,秋白,冬黑。又思冠金巾,思心如炎火,大如鬥,則無所畏也。又一法,思其發散以被身,一發端,輒有一大星綴之。又思作七星北斗,以魁覆其頭,以罡指前。又思五臟之氣,從兩目出,周身如雲霧,肝青氣,肺白氣,脾黃氣,腎黑氣,心赤氣,五色紛錯,則可與疫病者同床也。或禹步呼直日玉女,或閉氣思力士,操千斤金錘,百二十人以自衛。或用射鬼丸、赤車使者丸、冠軍丸、徐長卿散、玉函精粉、青年道士燻身丸、崔文黃散、草玉酒、黃庭丸、皇符、老子領中符、赤鬚子桃花符,皆有良效者也。”
有人曰く「老子篇中記および《龜文經》、皆說く兵藥の後、金木の年、必ず大疫有り、萬人餘一、辟くの道を請問す」と。抱朴子曰く「仙人瘟疫に入るの祕禁法、己の身を五玉と思う。五玉は、四時の色に隨い、春色青、夏赤、四季月黃、秋白、冬黑。又冠金巾を思い、心を炎火に像えるを思い、大きさ斗のごとく、則ち畏るる所無し。又一法、頭髮散開して身上に披るを思い、每一發端、則ち一顆の大星綴ふる有り。又七星北斗を作るを思い、魁を以て頭を覆蓋し、罡を以て前に指向す。又五臟の氣を思い、兩目より出で、身を周して雲霧のごとく、肝青氣、肺白氣、脾黃氣、腎黑氣、心赤氣、五色紛錯し、則ち以て疫病の人與同牀す可し。或は禹步して直日玉女を呼び、或は氣を閉じて力士を思い、千斤金鎚を操る、百二十人自衛に來す。或は射鬼丸・赤車使者丸・冠軍丸・徐長卿散・玉函精粉・青年道士熏身丸・崔文黃散・草玉酒・黃庭丸・皇符・老子領中符・赤須子桃花符を以てす、皆良效有りと。
卷十六·黃白
卷十六・黃白
抱朴子曰:神仙經黃白之方二十五卷,千有餘首。黃者,金也。白者,銀也。古人秘重其道,不欲指斥,故隱之云爾。或題篇雲庚辛,庚辛亦金也。然率多深微難知,其可解分明者少許爾。世人多疑此事為虛誕,與不信神仙者正同也。餘昔從鄭公受九丹及金銀液經,因復求受黃白中經五卷。鄭君言,曾與左君於廬江銅山中試作,皆成也。然而齋潔禁忌之勤苦,與金丹神仙藥無異也。俗人多譏餘好攻異端,謂予為趣欲強通天下之不可通者。餘亦何為然哉!餘若欲以此輩事,騁辭章於來世,則餘所著外篇及雜文二百餘卷,足以寄意於後代,不復須此。且此內篇,皆直語耳,無藻飾也。餘又知論此曹事,世人莫不呼為迂闊不急,未若論俗間切近之理,可以合眾心也。然餘所以不能已於斯事,知其不入世人之聽,而猶論著之者,誠見其效驗,又所承授之師非妄言者。而餘貧苦無財力,又遭多難之運,有不已之無賴,兼以道路梗塞,藥物不可得,竟不遑合作之。餘今告人言,我曉作金銀,而躬自飢寒,何異自不能行,而賣治躄之藥,求人信之,誠不可得。然理有不如意,亦不可以一概斷也。所以勤勤綴之於翰墨者,欲令將來好奇賞真之士,見餘書而具論道之意耳。夫變化之術,何所不為。蓋人身本見,而有隱之之法。鬼神本隱,而有見之之方。能為之者往往多焉。水火在天,而取之以諸燧。鉛性白也,而赤之以為丹。丹性赤也,而白之而為鉛。雲雨霜雪,皆天地之氣也,而以藥作之,與真無異也。至於飛走之屬,蠕動之類,稟形造化,既有定矣。及其倏忽而易舊體,改更而為異物者,千端萬品,不可勝論。人之為物,貴性最靈,而男女易形,為鶴為石,為虎為猿,為沙為黿,又不少焉。至於高山為淵,深谷為陵,此亦大物之變化。變化者,乃天地之自然,何為嫌金銀之不可以異物作乎?
抱朴子曰く、神仙經裏黃白の方二十五卷、千首餘有り。黃は、是れ金。白は、是れ銀。古人彼の道を祕重し、指して斥說せんと欲せず、故に此のごとく稱するを隱す。或は篇に題して庚辛と曰う、庚辛亦是れ金。然れども大都深微知り難し、以て分明に解し得る少許のみ。世人多く此の事を疑して虛誕と爲す、神仙を信信ぜざる與正同じ。我昔鄭公に跟りて九丹及び金銀液經を受け、因此又黃白中經五卷を求受す。鄭君曰く、曾て左君與廬江銅山中に在りて試作し、皆成りと。然れども齋潔禁忌の勤苦、金丹神仙藥與差異無し。俗人多く我の異端を攻むるを好むを譏り、我を是れ趣欲して天下の通す可からざるを強通すと說く。我又何を爲す此のごとくならんや。我若し此の類の事を以て、來世に辭章を騁せんと想はば、則ち我が著する所の外篇及び雜文二百餘卷、足以意を後代に寄す、再び此を須せず。而且此の內篇、皆是れ直語のみ、藻飾無し。我又知る此の類の事を論ずれば、世人迂闊不急と呼ばざる無しと、俗閒切近の理を論ずるに如かず、以て衆心に合す可し。然れども我此の事に已む能わざる所以、它の世人の聽に入らざるを知りて、而も還た論著す、誠に是れ其の效驗を見、又承授する所の師不是妄言の人。而も我貧苦財力無く、又多難の運に遭受し、已まざるの無賴有り、兼ねて道路梗塞し、藥物得る可からず、竟然合作するに遑あらず。我今人に告げて說く、我金銀を作るを曉る、而も自身饑寒す、己能く走らざる與、卻りて瘸を治するの藥を賣りて、人に信を求む、誠に得る可からず、何の異有らん。然れども理不如意有り、亦以て一概に斷ず可からず。故に勤勤として翰墨上に綴るは、是れ將來好奇賞眞の士をして、我が書を見て具に道を論ずるの意を見しめんと欲するのみ。變化の術、何の到らざる所有らん。人身本來見る可し、而も之を隱すの法有り。鬼神本來隱れ、而も之をして見しむるの方有り。能くする往々多し。水火天に在り、而も諸燧を以て之を取る。鉛性白、而も之を變じて赤くして丹と成す。丹性赤、而も之を變じて白くして鉛と成す。雲雨霜雪、皆是れ天地の氣、而も藥を以て作れ、眞與差異無し。至於飛走之屬・蠕動之類、形を造化に禀け、既に定有り。及び倏忽として舊體を改易し、改更して異物と成るは、千端萬品、論を勝る可からず。人物と爲る、貴性最も靈、而も男女形を易え、鶴と爲り石と爲り、虎と爲り猿と爲り、沙と爲り鼋と爲る、又少なからず。至於高山淵に變じ、深谷陵に變ずる、此れ亦大物の變化。變化は、乃ち是れ天地の自然、何を爲す金銀以て異物を以て作る可からずと嫌わんや。
譬諸陽燧所得之火,方諸所得之水,與常水火,豈有別哉?蛇之成龍,茅糝為膏,亦與自生者無異也。然其根源之所緣由,皆自然之感致,非窮理盡性者,不能知其指歸,非原始見終者,不能得其情狀也。狹觀近識,桎梏巢穴,揣淵妙於不測,推神化於虛誕,以周孔不說,墳籍不載,一切謂為不然,不亦陋哉?又俗人以劉向作金不成,便雲天下果無此道,是見田家或遭水旱不收,便謂五穀不可播殖得也。成都內史吳大文,博達多知,亦自說昔事道士李根,見根煎鉛錫,以少許藥如大豆者投鼎中,以鐵匙攪之,冷即成銀。大文得其秘方,但欲自作,百日齋便為之,而留連在官,竟不能得,恆嘆息言人閒不足處也。又桓君山言漢黃門郎程偉,好黃白朮,娶妻得知方家女。偉常從駕出而無時衣,甚憂。妻曰,請致兩端縑。縑即無故而至前。偉按枕中鴻寶,作金不成。妻乃往視偉,偉方扇炭燒筒,筒中有水銀。妻曰,吾欲試相視一事。乃出其囊中藥,少少投之,食頃發之,已成銀。偉大驚曰,道近在汝處,而不早告我,何也?妻曰,得之須有命者。於是偉日夜說誘之,賣田宅以供美食衣服,猶不肯告偉。偉乃與伴謀撾笞伏之。妻輒知之,告偉言,道必當傳其人,得其人,道路相遇輒教之;如非其人,口是而心非者,雖寸斷支解,而道猶不出也。偉逼之不止,妻乃發狂,裸而走,以泥自塗,遂卒。近者前廬江太守華令思,高才達學,洽聞之士也,而事之不經者,多所不信。後有道士說黃白之方,乃試令作之,雲以鐵器銷鉛,以散藥投中,即成銀。又銷此銀,以他藥投之,乃作黃金。又從此道士學徹視之方,行之未百日,夜臥即便見天文及四鄰了了,不覺復有屋舍籬障。又妾名瑤華者已死,乃見形,與之言語如平生。又祭廟,聞廟神答其拜,床似動有聲。令思乃嘆曰,世閒乃定無所不有,五經雖不載,不可便以意斷也。
(上文接續して曰く)譬へば陽燧の得る所の火、方諸の得る所の水、平常水火與、豈に分別有らん。蛇蛇龍に變ず、茅糝膏に變ず、亦自ら生ずる與差異無し。然れども根源の由緣する所、皆是れ自然の感致、不是理を窮め性を盡くす人、能く指歸を知らず、不是原を始め終を見る人、能く彼の情狀を得ず。狹觀近識、巢穴に桎梏し、不測處に淵妙を揣し、神化を虛誕に推す、周公孔子說かず・墳籍載せざるに因りて、一切然らずと說成す、亦陋ならずや。又俗人劉向金を作りて成らざるに因りて、便ち天下果して此の道無しと說く、此れ是れ田家或は水旱に遭い收せざるを見て、便ち五穀以て播種して得る可からずと說く。成都內史吳大文、博達多知、亦自ら說く昔道士李根を事奉し、根鉛錫を煎するを見、藥少許大豆のごときを拿げて鼎中に投進し、鐵匙を以て攪き、冷めれば則ち銀と成ると。大文祕方を得、只だ想う自ら作らんと、百日齋せば便ち做る可し、而も官に留連し、竟然能く得ず、恒に歎息して曰く人間處するに足らずと。又桓君山說く漢黃門郎程偉、黃白術を好み、妻を娶りて方を知るの家の女に到る。偉常に駕に從い出でて而も時衣無く、甚だ憂ゆ。妻曰く、緣兩端を請りて致さんと。緣則ち故無く眼前に來到す。偉《枕中鴻寶》に按りて、金を作りて成らず。妻纔かに前往して偉を看る、偉正在炭を扇ぎ筒を燒き、筒中水銀有り。妻曰く、我試みに一事を你に看せんと欲すと。則ち囊中の藥を拿出し、少少投下し、一頓飯の頃刻開けば、已に銀と成る。偉大驚して說く、道近く你の處に在りて、而も早く我に告げず、何を爲すと。妻曰く、之を得るは須らく命有るの人と。於是偉日夜說誘し、田宅を賣りて以て美食衣服を供す、還た肯んじて偉に告げず。偉則ち同伴與謀劃して撻笞して以て降伏せんとす。妻總じて之を知り、偉に告げて說く、道必ず當に彼の種の人に傳ふべし、彼の種の人を得れば、道路相遇すれば則ち教ふ。若し不是彼の種の人、口是にして心非の、雖も寸斷肢解すとも、道還た出來らずと。偉逼りて停まず、妻則ち發狂し、裸りて走り、泥を以て自ら塗り、於是死す。近來前廬江太守華令思、高才達學、洽聞の士、而も經せざるの事、多く信ぜざる所。後來道士黄白の方を說く有り、纔かに試みて彼をして作らしめ、說く鐵器を以て鉛を銷し、散藥を把て投進すれば、則ち銀と成ると。又此の銀を銷し、別の藥を拿げて投下し、纔かに黃金を作る。又此の道士に跟りて徹視の方を學び、實行未だ百日に至らず、夜臥りて便ち天文及び四鄰了了を見、再び屋舍籬障有るを覺えず。又妾名は瑤華の已に死せる、纔かに形を見、彼女與言語して平生のごとし。又廟を祭る、廟神其の拜に答ふるを聞き、床動く有る聲のごとし。令思纔かに歎して說く、世上乃ち確定無き所有らず、五經雖も載せざれども、以て意を以て斷ず可からずと。
然不聞方伎者,卒聞此,亦焉能不驚怪邪?又黃白朮亦如合神丹,皆須齋潔百日已上,又當得閒解方書,意合者乃可為之,非濁穢之人,及不聰明人,希涉術數者所辨作也。其中或有須口訣者,皆宜師授。又宜入於深山之中,清潔之地,不欲令凡俗愚人知之。而劉向止宮中作之,使宮人供給其事,必非齋潔者,又不能斷絕人事,使不來往也,如此安可得成哉?桓譚新論曰:史子心見署為丞相史,官架屋,發吏卒及官奴婢以給之,作金不成。丞相自以力不足,又白傅太后。太后不復利於金也,聞金成可以作延年藥,又甘心焉,乃除之為郎,舍之北宮中,使者待遇。寧有作此神方可於宮中,而令凡人雜錯共為之者哉?俗閒染繒練,尚不欲使雜人見之,見之即壞,況黃白之變化乎?凡事無鉅細,皆宜得要。若不得其法,妄作酒醬醋羹臛猶不成,況大事乎?餘曾諮於鄭君曰:“老君云,不貴難得之貨。而至治之世,皆投金於山,捐玉於谷,不審古人何用金銀為貴而遺其方也?”鄭君答餘曰:“老君所云,謂夫披沙剖石,傾山漉淵,不遠萬里,不慮壓溺,以求珍玩,以妨民時,不知止足,以飾無用。及欲為道,志求長生者,復兼商賈,不敦信讓,浮深越險,乾沒逐利,不吝軀命,不修寡慾者耳。至於真人作金,自欲餌服之致神仙,不以致富也。故經曰,金可作也,世可度也,銀亦可餌服,但不及金耳。”餘難曰:“何不餌世閒金銀而化作之,作之則非真,非真則詐偽也。”鄭君答餘曰:“世閒金銀皆善,然道士率皆貧。故諺云,無有肥仙人富道士也。師徒或十人或五人,亦安得金銀以供之乎?又不能遠行採取,故宜作也。又化作之金,乃是諸藥之精,勝於自然者也。仙經云,丹精生金。此是以丹作金之說也。故山中有丹砂,其下多有金。且夫作金成則為真物,中表如一,百鍊不減。故其方曰,可以為釘。明其堅勁也。
(上文接續して曰く)然れども方技を聞かざる人、倉促此を聞けば、又怎んぞ能く驚怪せざらんや。又黃白術亦合神丹のごとく、皆須らく齋潔百日以上、又當に閑解方書・意合するを得て纔かに以て做る可し、不是濁穢の人、以及不聰明の人・甚だ少く術數に涉るの辦作する能くする所。其の中或は口訣を須する有り、皆宜しく師授すべし。又宜しく深山の中・淸潔の地に進入し、凡俗愚人をして知らしめざらんと欲す。而も劉向只だ宮中に在りて作り、宮人をして彼の事を供給せしめ、必ず不是齋潔の、又能く人事を斷絕して、來往せしめず、此のごとく怎んぞ以て成るを得んや。桓譚《新論》曰く、史子心丞相史に署せらる、官屋を架し、吏卒及び官奴婢を發して來て供給せしめ、金を作りて成らずと。丞相自ら以て力足らずと爲し、又傅太后に禀告す。太后再び金に利在らず、金成れば以て延年藥を作る可しと聞き、又甘心し、纔かに彼を除して郎と爲し、彼をして北宮中に住せしめ、使者待遇す。哪れにか此の神方を作る以て宮中に在る可き、而も凡人をして雜錯共同に做らしむる有らんや。俗閒繒練を染む、尚ほ雜人をして見しめざらんと欲せず、見れば則ち壞る、何況黃白の變化をや。凡事巨細を論ぜず、皆宜しく要を得べし。若し彼の法を得ざれば、妄りに酒醬醋羹臛を作るも還た成らず、何況大事をや。我曾て鄭君に問うて說く「老君曰く、得難きの貨を貴ばずと。而至治の世、皆金を山に投げ、玉を谷に捐つ、古人何を爲す金銀を以て貴と爲して彼の方を留下するを審せずや」と。鄭君我に回答えて曰く「老君の說く所、是れ彼ら沙を披き石を剖き、山を傾け淵を漉り、萬里を遠からず、壓溺を顧みず、以て珍玩を求め、以て民時を妨げ、止足を知らず、以て無用を飾るを說く。以及道を爲さんと想い、志長生を求め、又兼ねて商賈し、信讓を敦くせず、深に浮かび險を越え、機に投り利を逐い、軀命を吝惜せず、寡欲を修めざるのみ。至於眞人金を作る、自ら之を餌服して以て神仙を致せんと想う、不是用ゐて富を致す。故に經說く、金以て作る可し、世以て度る可し、銀亦以て餌服す可し、只だ金に比ぶに及ばざるのみと」。我彼に難じて曰く「何を爲す世上の金銀を餌して之を化作せざるや、作るは則ち不是眞、不是眞則ち是れ詐僞」と。鄭君我に回答えて曰く「世上金銀皆善、然れども道士大都貧し。故に諺語說く、肥仙人富道士無しと。師徒或は十人或は五人、又怎んぞ金銀を得て以て供給せんや。又能く遠行して采取せず、故に宜しく作るべし。又化作の金、乃ち是れ諸藥の精、自然に勝る。仙經說く、丹精金を生ずと。此れ是れ丹を以て金を作るの說法。故に山中丹砂有れば、其の下金多く有り。而且金を作りて成れば則ち是れ眞物、中表如一、百煉減らず。故に彼の方說く、以て釘子を做る可しと。是れ其の堅勁を表明す。
此則得夫自然之道也。故其能之,何謂詐乎?詐者謂以曾青塗鐵,鐵赤色如銅;以雞子白化銀,銀黃如金,而皆外變而內不化也。夫芝菌者,自然而生,而仙經有以五石五木種芝,芝生,取而服之,亦與自然芝無異,俱令人長生,此亦作金之類也。雉化為蜃,雀化為蛤,與自然者正同。故仙經曰,流珠九轉,父不語子,化為黃白,自然相使。又曰,硃砂為金,服之昇仙者,上士也;茹芝導引,嚥氣長生者,中士也;餐食草木,千歲以還者,下士也。又曰,金銀可自作,自然之性也,長生可學得者也。玉牒記云:天下悠悠,皆可長生也,患於猶豫,故不成耳。凝水銀為金,可中釘也。銅柱經曰:丹沙可為金,河車可作銀,立則可成,成則為真,子得其道,可以仙身。黃山子曰:天地有金,我能作之,二黃一赤,立成不疑。龜甲文曰:我命在我不在天,還丹成金億萬年。古人豈欺我哉?但患知此道者多貧,而藥或至賤而生遠方,非亂世所得也。若戎鹽滷鹹皆賤物,清平時了不直錢,今時不限價直而買之無也。羌裡石膽,千萬求一斤,亦不可得。徒知其方,而與不知者正同,可為長嘆者也。有其法者,則或飢寒無以合之,而富貴者復不知其法也。就令知之,亦無一信者。假令頗信之,亦已自多金銀,豈肯費見財以市其藥物,恐有棄系逐飛之悔,故莫肯為也。又計買藥之價,以成所得之物,尤有大利,而更當齋戒辛苦,故莫克為也。且夫不得明師口訣,誠不可輕作也。”夫醫家之藥,淺露之甚,而其常用效方,便復秘之。故方有用後宮遊女,僻側之膠,封君泥丸,木鬼子,金商芝,飛君根,伏龍肝,白馬汗,浮雲滓,龍子丹衣,夜光骨,百花醴,冬鄒齋之屬,皆近物耳,而不得口訣,猶不可知,況於黃白之術乎?今能為之者,非徒以其價貴而秘之矣,此道一成,則可以長生。長生之道,道之至也,故古人重之也。
(鄭君接續して曰く)此れ則ち彼の自然の道を得たり。故に彼能く此のごとし、怎んぞ詐と呼ばんや。詐是れ曾青を以て鐵を塗り、鐵赤色銅に似る。雞子白を以て銀を化し、銀黃くして金に似る、而も皆是れ外變して內化せず。芝菌は、是れ自然而して生ず、而も仙經五石五木を以て芝を種する用有り、芝生ぜば、取來して服す、亦自然芝與差異無し、皆人をして長生せしむ、此れ亦金を作るの一類。雉蜃に化し、雀蛤に化す、自然の與正同じ。故に仙經說く、流珠九轉、父子に語らず、黃白に化し、自然相使すと。又曰く、朱砂金と爲る、服して仙に升るは、是れ上士。芝を茹で導引し、氣を咽みて長生するは、是れ中士。草木を餐食し、千歲以內の、是れ下士と。又曰く、金銀以て自ら作る可し、是れ自然の性、長生以て學得す可しと。玉牒記曰く、天下悠悠、皆以て長生す可し、患猶豫に在り、故に成らざるのみと。水銀を凝して金と爲す、以て釘子に當つ可し。銅柱經曰く、丹砂以て金と爲す可し、河車以て銀を作る可し、立刻則ち以て成る可し、成れば則ち是れ眞、你彼の道を得れば、以て身を仙らしむ可しと。黃山子曰く、天地金有り、我能く之を作る、二黃一赤、立刻成りて疑わずと。龜甲文曰く、我命我在り天在らず、還丹金を成して億萬年と。古人豈に是れ我を欺かんや。只だ怕るる此の道を知る人多く貧し、而も藥或は至賤にして卻りて遠方に生じ、不是亂世の得る能くする所。像く戎鹽・鹵鹹皆是れ賤物、淸平の時全く錢に值せず、今時價值を限らずして買うも亦無し。羌里石膽、千萬一斤を求めても、亦得る可からず。徒らに彼の方を知る、而も知らざる與正同じ、以て長嘆す可し。彼の法有るは、則ち或は饑寒して之を合するに從無し、而も富貴の人又彼の法を知らず。就か令知らしめても、亦一個の信ずる無し。假令頗る信ずとも、已に自ら金銀多く、豈に肯んじて現財を費して以て彼の藥物を買わんや、怕るる棄系逐飛の悔有るを、故に肯んじて做る無し。又藥を買うの價を計算し、作成して得る所の物を以てすれば、尤も大利有り、卻りて更に當に齋戒辛苦すべし、故に克つて成る無し。而且明師口訣を得ず、誠に以て輕く作る可からずと。醫家の藥、淺露なること甚だし、而も彼らの常用效方、便ち又祕起來す。故に方後宮游女・僻側之膠・封君泥丸・木鬼子・金商芝・飛君根・伏龍肝・白馬汗・浮雲滓・龍子丹衣・夜光骨・百花醴・冬鄒齋の類を用うる有り、皆是れ近物のみ、而も口訣を得ず、還た知る可からず、何況黃白の術をや。今能くする、不只だ其の價貴きに因りて之を祕す、此の道一成すれば、則ち以て長生す可し。長生の道、是れ道の至、故に古人之を看重す。
凡方書所名藥物,又或與常藥物同而實非者,如河上奼女,非婦人也;陵陽子明,非男子也;禹餘糧,非米也;堯漿,非水也。而俗人見方用龍膽虎掌、雞頭鴨蹠、馬蹄犬血、鼠尾牛膝,皆謂之血氣之物也;見用缺盆覆盆、釜釒歷大戟、鬼箭天鉤,則謂之鐵瓦之器也;見用胡王使者、倚姑新婦、野丈人、守田公、戴文浴、徐長卿,則謂人之姓名也。近易之草,或有不知,玄秘之方,孰能悉解?劉向作金不成,無可怪之也。及得其要,則復不煩聖賢大才而後作也,凡人可為耳。劉向豈頑人哉,直坐不得口訣耳。今將載其約而效之者,以貽將來之同志焉。當先取武都雄黃,丹色如雞冠,而光明無夾石者,多少任意,不可令減五斤也。搗之如粉,以牛膽和之,煮之令燥。以赤土釜容一斗者,先以戎鹽石膽末薦釜中,令厚三分,乃內雄黃末,令厚五分,復加戎鹽於上。如此,相似至盡。又加碎炭火如棗核者,令厚二寸。以蚓螻土及戎鹽為泥,泥釜外,以一釜覆之,皆泥令厚三寸,勿洩。陰乾一月,乃以馬糞火熅之,三日三夜,寒,發出,鼓下其銅,銅流如冶銅鐵也。乃令鑄此銅以為筒,筒成以盛丹砂水。又以馬屎火熅之,三十日發爐,鼓之得其金,即以為筒,又以盛丹砂水。又以馬通火熅三十日,發取搗治之。取其二分生丹砂,一分並汞,汞者,水銀也,立凝成黃金矣。光明美色,可中釘也。
凡そ方書の名する所の藥物、又或は平常藥物與同名にして其の實不是の、如く河上奼女、不是婦人(此れ是れ外丹隱名、水銀の一類實物を指し、不是內丹借りて來りて身中陰氣を說く)。陵陽子明、不是男子。禹餘糧、不是米。堯漿、不是水。而も俗人方の龍膽・虎掌・雞頭・鴨跖・馬蹄・犬血・鼠尾・牛膝を用うるを見、皆說く是れ血氣の物。缺盆・覆盆・釜鬲(底本「鬲」を「钅历」と作す)・大戟・鬼箭・天鈎を用うるを見れば、則ち說く是れ鐵瓦の器。胡王使者・倚姑新婦・野丈人・守田公・戴文浴・徐長卿を用うるを見れば、則ち說く是れ人の姓名。近易の草、或は還た知らざる有り、玄祕の方、誰か能く全部解せん。劉向金を作りて成らず、怪む可き無し。及び要領を得れば、則ち又聖賢大才に煩わずして然る後作る、凡人以て做る可きのみ。劉向豈に是れ頑人、只だ是れ口訣を得ざるに因るのみ。今將に彼の簡約にして效有るを記載して、以て將來同志に留めん。當に先ず武都雄黃を取り、丹色雞冠に似て、而も光明夾石無き、多少意に任せ、之をして五斤より少なからしむる勿れ。粉のごとく擣き、牛膽を以て之を和し、之をして燥ぐに至るまで煮る。赤土釜容一斗を以てし、先ず戎鹽・石膽末を以て釜中に墊ぎ、厚さ三分をして、纔かに雄黃末を納入し、厚さ五分をして、再加戎鹽上に。此のごとく相間して盡くすに至る。又碎炭火棗核のごときを加へ、厚さ二寸をして。蚓螻土及び戎鹽を以て泥と爲し、釜外に泥し、一釜を以て覆蓋し、皆泥して厚さ三寸をして、泄す勿れ。陰干一月、纔かに馬糞火を以て之を煴し、三日三夜、冷めて、發出し、彼の銅を鼓下し、銅流るること冶銅鐵のごとし。纔かに此の銅を鑄して筒を做り、筒成れば以て丹砂水を盛る。又馬屎火を以て之を煴し、三十日爐を開き、之を鼓して彼の金を得、則ち拿げて以て筒を做り、又以て丹砂水を盛る。又馬通火を以て煴すること三十日、發出して取來して擣治す。之を取る二分生丹砂、一分竝び汞、汞則ち是れ水銀、立刻則ち黃金に凝成す。光明美色、以て釘子に當つ可し。
△作丹砂水法
丹砂水を作る法。
治丹砂一斤,內生竹筒中,加石膽消石各二兩,覆薦上下,閉塞筒口,以漆骨丸封之,須乾,以內醇苦酒中,埋之地中,深三尺,三十日成水,色赤味苦也。
丹砂一斤を治して、生竹筒中に納入し、石膽・硝石各二兩を加へ、上下覆蓋して墊ぎ、筒口を閉塞し、漆骨丸を以て之を封じ、須らく干せ、醇苦酒中に納入し、地中に埋め、深さ三尺、三十日水と成り、色赤く味苦し。
△金樓先生所從青林子受作黃金法
金樓先生の青林子に從う所の黃金を作る法を受く。
先鍛錫,方廣六寸,厚一寸二分,以赤鹽和灰汁,令如泥,以塗錫上,令通厚一分,累置於赤土釜中。率錫十斤,用赤鹽四斤,合封固其際,以馬通火熅之,三十日,發火視之,錫中悉如灰狀,中有累累如豆者,即黃金也。合治內土甌中,以炭鼓之,十煉之併成也。率十斤錫,得金二十兩。唯長沙桂陽豫章南海土釜可用耳。彼鄉土之人,作土釜以炊食,自多也。
先ず錫を鍛し、方廣六寸、厚さ一寸二分、赤鹽和灰汁を以て、之をして泥のごとくせしめ、以て錫上に塗り、通じて厚さ一分をして、赤土釜中に累放す。大約錫十斤、赤鹽四斤を以て、彼の際縫を合封固し、馬通火を以て之を煴し、三十日、火を發いて看れば、錫中全く皆灰狀のごとく、中に累累として豆のごとき有れば、則ち是れ黃金。合治して土甌中に納入し、炭を以て之を鼓し、十煉皆成る。大約十斤錫、金二十兩を得。只有長沙・桂陽・豫章・南海の土釜以て用う可し。彼の鄉土の人、土釜を作りて以て食を炊ぐ、自然多し。
△治作赤鹽法
赤鹽を治作する法。
用寒鹽一斤,又作寒水石一斤,又作寒羽涅一斤,又作白礬一斤,合內鐵器中,以炭火火之,皆消而色赤,乃出之可用也。
寒鹽一斤を以て、又寒水石一斤を作り、又寒羽涅一斤を作り、又白礬一斤を作り、合して鐵器中に納入し、炭火を以て之を燒き、皆消して色赤し、纔かに取出して以て用う可し。
△角里先生從稷丘子所授化黃金法
角里先生稷丘子に從う所の黃金を化する法を授く。
先以礬水石二分,內鐵器中,加炭火令沸,乃內汞多少自在,攪令相得,六七沸,注地上成白銀。乃取丹砂水曾青水各一分,雄黃水二分,於釒歷中加微火上令沸,數攪之,令相得,復加炭火上令沸,以此白銀內其中,多少自在,可六七沸,注地上凝,則成上色紫磨金也。
先ず礬水石二分を把て、鐵器中に納入し、炭火を加へて沸せしめ、纔かに汞を納入し、多少自便、攪きて相得せしめ、六七沸、地に注いで白銀と成る。纔かに丹砂水・曾青水各一分・雄黃水二分を取り、鬲中(底本「鬲」を「钅历」と作す)にて微火上を加へて沸せしめ、數次攪き、相得せしめ、再加炭火上にて沸せしめ、此の白銀を其の中に納入し、多少自便、以て六七沸す可し、地に注いで凝れば、則ち上色紫磨金と成る。
△治作雄黃水法
雄黃水を治作する法。
