抱朴子内篇 · 第4巻
或曰:“道德未成,又未得絕跡名山,而世不同古,盜賊甚多,將何以卻朝夕之患,防無妄之災乎?”抱朴子曰:“常以執日,取六癸上土,以和百葉燻草,以泥門戶方一尺,則盜賊不來;亦可取市南門土,及歲破土,月建土,合和為人,以著朱鳥地,亦壓盜也。有急則入生地而止,無患也。天下有生地,一州有生地,一郡有生地,一縣有生地,一鄉有生地,一里有生地,一宅有生地,一房有生地。”
有人曰く「道德未だ成らず、又未だ名山に絕跡する能わず、而も世道古に同じからず、盜賊甚だ多し、將に何を以て朝夕の患を卻け、無妄の災を防がん」と。抱朴子曰く「常に執日に在りて、六癸上の土を取り、以て百葉熏草を和し、門户上に一方尺泥れば、盜賊則ち來らず。亦以て市南門の土を取り、及び歲破土・月建土、合和して人形を做り、朱鳥地に放ち、亦盜を鎮壓す。急有れば則ち生地に入りて止まれば、患無し。天下生地有り、一州生地有り、一郡生地有り、一縣生地有り、一鄉生地有り、一里生地有り、一宅生地有り、一房生地有り」と。
或曰:“一房有生地,不亦偪乎?”抱朴子曰:“經云,大急之極,隱於車軾。如此,一車之中,亦有生地,況一房乎?”
有人曰く「一房生地有り、亦逼仄ならずや」と。抱朴子曰く「經曰く、大急極點に至れば、車軾に隱る。此のごとく、一車の中、亦生地有り、何況一房をや」と。
或曰:“竊聞求生之道,當知二山,不審此山,為何所在,願垂告悟,以袪其惑。”抱朴子曰:“有之,非華霍也,非嵩岱也。夫太元之山,難知易求,不天不地,不沈不浮,絕險綿邈,{山罪}嵬崎嶇,和氣絪縕,神意並遊,玉井泓邃,灌溉匪休,百二十官,曹府相由,離坎列位,玄芝萬株,絳樹特生,其寶皆殊,金玉嵯峨,醴泉出隅,還年之士,挹其清流,子能修之,喬松可儔,此一山也。長谷之山,杳杳巍巍,玄氣飄飄,玉液霏霏,金池紫房,在乎其隈,愚人妄往,至皆死歸,有道之士,登之不衰,採服黃精,以致天飛,此二山也。皆古賢之所秘,子精思之。”或曰:“願聞真人守身煉形之術。”抱朴子曰:“深哉問也。夫始青之下月與日,兩半同升合成一。出彼玉池入金室,大如彈丸黃如橘,中有嘉味甘如蜜,子能得之謹勿失。既往不追身將滅,純白之氣至微密,升於幽關三曲折,中丹煌煌獨無匹,立之命門形不卒,淵乎妙矣難致詰。此先師之口訣,知之者不畏萬鬼五兵也。”
有人曰く「私に聞く生を求めるの道、當に二山を知るべし、此の山が何の處に在るかを知らず、願わくは垂れて告げて開悟し、以て疑惑を除去せん」と。抱朴子曰く「此の事有り、華山・霍山に非ず、嵩山・岱嶽に非ず。太元の山、知り難くして求め易し、天に在らず地に在らず、沈まず浮かず、險を絕し綿邈たり、山勢崔嵬崎嶇(底本此の字「山」旁に「罪」を合す)、和氣絪縕、神意一竝に游び、玉井泓深、灌溉止まず、一百二十官、曹府相由り、離坎位を列ね、玄芝萬株、絳樹特に生じ、其の寶皆特殊、金玉嵯峨、醴泉角落より出づ、還年の士、彼の淸流を舀う、你能く之を修めば、以て王喬・赤松與儔を爲す可し、此れ一山。長谷の山、杳杳巍巍、玄氣飄飄、玉液霏霏、金池紫房、其の隈曲に在り、愚人妄りに往き、到れば皆死して回來り、道有る之士、登りて上れば衰えず、黃精を采服し、以て天飛を致す、此れ二山。皆古賢の隱祕する所、汝之を精思せよ」と。有人曰く「願わくは眞人の身を守り形を煉るの術を聞かん」と。抱朴子曰く「此れ問うこと深し。始青の下に月與日有り、兩半同じく升りて合し一と成す。彼の玉池より出でて金室に入る、大きさ彈丸のごとく黃きこと橘のごとく、中に嘉味有り甘きこと蜜のごとし、你能く之を得て謹みて失う勿れ。既往追わず身將に滅せんとす、純白の氣至微至密、升りて幽關に三曲折し、中丹煌煌として獨り匹無し、命門に立ちて形猝亡せず、淵深妙なり難致詰。此れ先師の口訣、知る者萬鬼五兵を怕れず」と。
或曰:“聞房中之事,能盡其道者,可單行致神仙,並可以移災解罪,轉禍為福,居官高遷,商賈倍利,信乎?”抱朴子曰:“此皆巫書妖妄過差之言,由於好事增加潤色,至令失實。或亦奸偽造作虛妄,以欺誑世人,隱藏端緒,以求奉事,招集弟子,以規世利耳。夫陰陽之術,高可以治小疾,次可以免虛耗而已。其理自有極,安能致神仙而卻禍致福乎?人不可以陰陽不交,坐致疾患。若欲縱情恣欲,不能節宣,則伐年命。善其術者,則能卻走馬以補腦,還陰丹以朱腸,採玉液於金池,引三五於華梁,令人老有美色,終其所稟之天年。而俗人聞黃帝以千二百女昇天,便謂黃帝單以此事致長生,而不知黃帝於荊山之下,鼎湖之上,飛九丹成,乃乘龍登天也。黃帝自可有千二百女耳,而非單行之所由也。凡服藥千種,三牲之養,而不知房中之術,亦無所益也。是以古人恐人輕恣情性,故美為之說,亦不可盡信也。玄素諭之水火,水火煞人,而又生人,在於能用與不能耳。大都知其要法,御女多多益善,如不知其道而用之,一兩人足以速死耳。彭祖之法,最其要者。其他經多煩勞難行,而其為益不必如其書。人少有能為之者。口訣亦有數千言耳。不知之者,雖服百藥,猶不能得長生也。”
有人曰く「聞く房中の事、能く彼の道を盡くすは、以て單獨實行して神仙を致す可し、并且以て災を移し罪を解き、禍を轉じて福と爲し、官を居りて高遷し、商賈倍利す、信ず可きか」と。抱朴子曰く「此ら皆是れ巫書妖妄過差の言、好事の人潤色を增加するに由りて、以致失實す。或は亦奸僞造作虛妄、以て世人を欺誑し、端緒を隱藏し、以て奉事を求め、弟子を招集し、以て世利を謀求するのみ。陰陽の術、高くは以て小疾を治し、其次以て虛耗を免るるのみ。其の理自ら極限有り、怎んぞ能く神仙を致して而も禍を卻け福を致さんや。人陰陽交わらざる可からず、坐して疾患を招致す。若し情を縱り欲を恣にせんと欲して、節宣する能わざれば、則ち年命を砍伐す。彼の術に善き者、則ち能く走馬(泄精)を止住して以て腦を補い、陰丹を返還して以て腸を染紅し、金池に玉液を采集し、華梁に三五を引き、人をして老いて尚ほ美色有らしめ、其の禀する所の天年を終えしむ。而も俗人黄帝以て一千二百女升天すと聞き、便ち黄帝單獨此事を憑じて長生を致すと說く、卻りて黄帝荆山の下、鼎湖の上にて、九丹を飛煉して功を成し、纔かに龍に乘りて天に登るを知らず。黄帝自ら以て一千二百女有る可きのみ、而も單獨房中を實行する由る所の路徑に非ず。凡そ藥千種を服し、三牲の奉養するも、而も房中の術を知らざれば、亦益處無し。故に古人怕る人の輕易に情性を放恣するを、因此言を美して說く、亦盡く信ず可からず。玄素之を水火に喻す、水火人を殺し、而又人を生ず、能用と不能に在るのみ。大體彼の要法を知れば、女を御すること多きは愈益し、若し彼の道を知らずして之を用うれば、一兩人以て死を加速するに足るのみ。彭祖の法、是れ其の中最要。其他の經多く煩勞難行、而も其の益處必ずしも書上の說くごとくならず。人少なく能くする有り。口訣亦數千言有るのみ。知らざる者、雖も百藥を服すとも、還た長生を得る能わず」と。
卷七·塞難
卷七・塞難
或曰:“皇穹至神,賦命宜均,何為使喬松凡人受不死之壽,而周孔大聖無久視之祚哉?”抱朴子曰:“命之修短,實由所值,受氣結胎,各有星宿。天道無為,任物自然,無親無疏,無彼無此也。命屬生星,則其人必好仙道。好仙道者,求之亦必得也。命屬死星,則其人亦不信仙道。不信仙道,則亦不自修其事也。所樂善否,判於所稟,移易予奪,非天所能。譬猶金石之消於爐冶,瓦器之甄於陶灶,雖由之以成形,而銅鐵之利鈍,甕罌之邪正,適遇所遭,非復爐灶之事也。”
有人曰く「皇穹至神、賦與するの命當に均勻なるべし、何を以て王喬・赤松與凡人に不死の壽を受けしめ、而も周公・孔子大聖卻りて久視の福祚無きや」と。抱朴子曰く「命の長短、實に遇上する所に由る、氣を受け胎を結び、各々星宿有り。天道無爲、物を任して自然、親無く疏無く、彼無く此無し。命生星に屬すれば、彼の人必ず仙道を好む。仙道を好む者、求めれば亦必ず得。命死星に屬すれば、彼の人亦仙道を信ぜず。仙道を信ぜざれば、亦自ら彼らの事を修めず。樂しむ所の善與不善、禀する所に判たれ、移易予奪、不是天の能くする所。譬へば金石爐冶に消融し、瓦器陶竈に甄陶す、雖も此に由りて形を成すも、而も銅鐵の利鈍、瓮罂の邪正、恰も遭逢する所を遇上する、不再是爐竈の事」と。
或人難曰:“良工所作,皆由其手,天之神明,何所不為,而云人生各有所值,非彼昊蒼所能匠成,愚甚惑焉,未之敢許也。”抱朴子答曰:“渾茫剖判,清濁以陳,或升而動,或降而靜,彼天地猶不知所以然也。萬物感氣,並亦自然,與彼天地,各為一物,但成有先後,體有鉅細耳。有天地之大,故覺萬物之小。有萬物之小,故覺天地之大。且夫腹背雖包圍五臟,而五臟非腹背之所作也。肌膚雖纏裹血氣,而血氣非肌膚之所造也。天地雖含囊萬物,而萬物非天地之所為也。譬猶草木之因山林以萌秀,而山林非有事焉。魚鱉之託水澤以產育,而水澤非有為焉。俗人見天地之大也,以萬物之小也,因曰天地為萬物之父母,萬物為天地之子孫。夫蝨生於我,豈我之所作?故蝨非我不生,而我非蝨之父母,蝨非我之子孫。蠛蠓之育於酰醋,芝檽之產於木石,蛣屈之滋於汙淤,翠蘿之秀於松枝,非彼四物所創匠也,萬物盈乎天地之閒,豈有異乎斯哉?天有日月寒暑,人有瞻視呼吸,以遠況近,以此推彼,人不能自知其體老少痛癢之何故,則彼天亦不能自知其體盈縮災祥之所以;人不能使耳目常聰明,榮衛不輟閡,則天亦不能使日月不薄蝕,四時不失序。由茲論之,大壽之事,果不在天地,仙與不仙,決非所值也。夫生我者父也,娠我者母也,猶不能令我形器必中適,姿容必妖麗,性理必平和,智慧必高遠,多致我氣力,延我年命;而或矬陋尪弱,或且黑且醜,或聾盲頑嚚,或枝離劬蹇,所得非所欲也,所欲非所得也,況乎天地遼闊者哉?父母猶復其遠者也。我自有身,不能使之永壯而不老,常健而不疾,喜怒不失宜,謀慮無悔吝。故授氣流形者父母也,受而有之者我身也,其餘則莫有親密乎此者也,莫有制御乎此者也,二者已不能有損益於我矣,天地亦安得與知之乎?
有人詰難して曰く「良工の作る所、皆其の手を經由し、天の神明、作らざる有らんや、卻りて人生各々值する所有りと說き、彼の昊蒼の能く匠成する所に非ずと、愚下甚だ迷惑し、敢て此を許さず」と。抱朴子回答えて曰く「渾茫剖判し、淸濁陳列し、或は升りて動き、或は降りて靜か、彼の天地自ら亦其の所以然を知らず。萬物氣を感じ、亦一竝に自然、彼の天地與、各々是れ一物、只だ成るに先後有り、體に巨細有るのみ。天地の大有るを以て、故に萬物の小を覺ゆ。萬物の小有るを以て、故に天地の大を覺ゆ。再び說く腹背雖も五臟を包圍す、而も五臟不是腹背の作る所。肌膚雖も血氣を纏裹す、而も血氣不是肌膚の造る所。天地雖も萬物を含囊す、而も萬物不是天地の爲す所。譬へば草木山林に因りて萌秀するも、山林竝びに事を做す無し。魚鱉水澤に托して產育するも、水澤竝びに有爲無し。俗人天地の大を見、萬物の小に因りて、於是天地是れ萬物の父母、萬物是れ天地の子孫と說く。虱我が身に生ず、豈に我が做する所ならんや。故に虱我に非ざれば生ぜず、而も我是不是虱の父母、虱不是我の子孫。蠛蠓酰醋に育ち、芝檽木石に產し、蛣屈污淤に滋し、翠蘿松枝に秀づ、不是彼の四物の創匠する所、萬物天地之閒に盈滿す、豈に此に同じからざる有らんや。天に日月寒暑有り、人に瞻視呼吸有り、遠きを以て近きに比し、此を以て彼を推す、人自ら身體の老少痛痒の緣故を知る能わざれば、則ち彼の天亦自ら身體の盈縮災祥の所以然を知る能わず。人耳目をして常に聰明ならしめる能わず、榮衛停止隔閡せざれば、則ち天亦日月をして薄蝕せざらしめ、四時序を失わざらしむる能わず。此に由りて論ずれば、大壽の事、果然天地に在らず、仙與不仙、決して值する所の星宿の單獨決定に非ず。我を生むは是れ父、我を娠むは是れ母、尚ほ能く我をして形器必ず中適ならしめ、姿容必ず妖麗ならしめ、性理必ず平和ならしめ、智慧必ず高遠ならしめ、多く我に氣力を與え、我が年命を延長せしめず。而も或は矮陋瘦弱、或は又黑又醜、或は聾盲頑嚚、或は肢離勞蹇、得る所不是欲する所、欲する所不是得る所、何況天地遼闊をや。父母尚ほ彼の較遠なるなり。我自ら身有り、能く之をして永く壯にして老いざらしめ、常に健にして病まざらしめ、喜怒宜を失わず、謀慮悔吝無からしめず。故に氣を授け形を流するは是父母、受けて之を有するは是我が身、其餘則ち此より親密なる無く、此より制御する能くする無し、此の二者已に我に對し損益有る能わず、天地又怎んぞ能く參與知らんや」と。
必若人物皆天地所作,則宜皆好而無惡,悉成而無敗,眾生無不遂之類,而項楊無春雕之悲矣!子以天不能使孔孟有度世之祚,益知所稟之有自然,非天地所剖分也。聖之為德,德之至也。天若能以至德與之,而使之所知不全,功業不建,位不霸王,壽不盈百,此非天有為之驗也。聖人之死,非天所殺,則聖人之生,非天所挺也。賢不必壽,愚不必夭,善無近福,惡無近禍,生無定年,死無常分,盛德哲人,秀而不實,竇公庸夫,年幾二百,伯牛廢疾,子夏喪明,盜跖窮兇而白首,莊蹻極惡而黃髮,天之無為,於此明矣。”
(抱朴子接續して曰く)必ず若し人物皆是れ天地の作る所ならば、則ち當に皆好にして惡無く、全く成りて敗無く、衆生不遂の一類無く、項橐・楊烏亦春彫の悲無からん。您天能く孔孟に度世の福祚せざるを以て、更加知る禀する所自然有り、不是天地の剖分する所。聖德と作るは、是れ德の極至。天若能く至德を彼に與へ、卻りて彼をして知る所全からず、功業建たず、位霸王に非ず、壽百に滿たざらしめば、此れ不是天有爲の應驗。聖人の死、不是天の殺す所、則ち聖人の生、亦不是天の挺拔する所。賢必ずしも壽ならず、愚必ずしも夭ならず、善近福無く、惡近禍無く、生定年無く、死常分無し、盛德哲人、秀でて實らず、竇公是れ庸夫、年近く二百、伯牛廢疾、子夏光明を喪失し、盜跖窮凶にして白首、莊蹻極惡にして黃髮、天の無爲、此に於て明白なり」と。
或曰:“仲尼稱自古皆有死,老子曰神仙之可學。夫聖人之言,信而有徵,道家所說,誕而難用。”抱朴子曰:“仲尼,儒者之聖也;老子,得道之聖也。儒教近而易見,故宗之者眾焉。道意遠而難識,故達之者寡焉。道者,萬殊之源也。儒者,大淳之流也。三皇以往,道治也。帝王以來,儒教也。談者鹹知高世之敦樸,而薄季俗之澆散,何獨重仲尼而輕老氏乎?是玩華藻於木末,而不識所生之有本也。何異乎貴明珠而賤淵潭,愛和璧而惡荊山,不知淵潭者,明珠之所自出,荊山者,和璧之所由生也。且夫養性者,道之餘也;禮樂者,儒之末也。所以貴儒者,以其移風易俗,不唯揖讓與盤旋也。所以尊道者,以其不言而化行,匪獨養生之一事也。若儒道果有先後,則仲尼未可專信,而老氏未可孤用。仲尼既敬問伯陽,願比老彭。又自以知魚鳥而不識龍,喻老氏於龍,蓋其心服之辭,非空言也。與顏回所言,瞻之在前,忽然在後,鑽之彌堅,仰之彌高,無以異也。”
有人曰く「仲尼自古皆死有りと稱し、老子神仙學ぶ可しと說く。聖人の言、信にして徵有り、道家の說く所、誕にして用い難し」と。抱朴子曰く「仲尼は、是れ儒者の聖。老子は、是れ道を得たるの聖。儒教近くして見易し、故に之を宗とする人多し。道意遠くして識り難し、故に之に達する人少なし。道は、是れ萬殊の源。儒は、是れ大淳の流。三皇以往、是れ道治。帝王以來、是れ儒教。談ずる人皆上世の敦朴を知り、而も季世習俗の澆散を看薄す、何を爲す獨り仲尼を看重して老氏を看輕せんや。此れ是れ樹梢に華藻を玩ぶ、而も生ずる所の本有るを識らず。明珠を看重して淵潭を看賤し、和氏璧を愛して荊山を惡厭するに何の異ならん、淵潭是れ明珠の出づる所、荊山是れ和氏璧の生ずる由る所を知らざるなり。再び說く養性は、是れ道の餘事。禮樂は、是れ儒の末節。故に儒を貴ぶは、以て其れ風を移し俗を易ゆ、不只揖讓與盤旋。故に道を尊ぶは、以て其れ言わずして教化自ら行わる、不獨養生此の一事。若し儒道果然先後有らば、則ち仲尼未だ專ら信ず可からず、老氏亦未だ孤用す可からず。仲尼既に伯陽を敬問し、願わくは老彭に比す。又自ら以て魚鳥を知りて龍を識らずと爲し、老氏を以て龍に喻す、蓋し是れ彼の心服の辭、不是空言。顏回の說く所與、之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在り、之を鑽ずれば彌堅、之を仰げば彌高、異なる無し」と。
或曰:“仲尼親見老氏而不從學道,何也?”抱朴子曰:“以此觀之,益明所稟有自然之命,所尚有不易之性也。仲尼知老氏玄妙貴異,而不能挹酌清虛,本源大宗,出乎無形之外,入乎至道之內,其所諮受,止於民閒之事而已,安能請求仙法耶?忖其用心汲汲,專於教化,不存乎方術也。仲尼雖聖於世事,而非能沈靜玄默,自守無為者也。故老子戒之曰:良賈深藏若虛,君子盛德若愚,去子之驕氣與多欲,態色與淫志,是無益於子之身。此足以知仲尼不免於俗情,非學仙之人也。夫棲棲遑遑,務在匡時,仰悲鳳鳴,俯嘆匏瓜,沽之恐不售,忼慨思執鞭,亦何肯舍經世之功業,而修養生之迂闊哉?”
有人曰く「仲尼親ら老氏を見て而も彼に從い道を學ばず、何を爲す」と。抱朴子曰く「此に由りて觀れば、更加明白禀する所自然の命有り、崇尚する所不易の性有り。仲尼老氏の玄妙貴異を知るも、能く淸虛を挹酌せず、本源大宗、無形の外に出で、至道の內に入る、彼の咨受する所、止まりて民閒の事のみ、怎んぞ能く仙法を請求せん。仲尼用心汲汲たりと忖度す、專ら教化に在り、方術に在らず。仲尼雖も世事に聖なり、卻りて不是能く沈靜玄默、自守無爲の人。故に老子之を告誡して曰く、良賈深藏して虛のごとく、君子盛德して愚のごとし、您の驕氣與多欲、態色與淫志を去れ、此ら您の身に益處無しと。此足以て仲尼俗情を免れざるを知る、不是學仙の人。栖栖遑遑、務めて時を匡すに在り、上に向かい鳳鳴を悲しみ、下に向かい匏瓜を歎き、之を賣りて賣れざるを怕れ、慷慨して執鞭を想う、又怎んぞ肯んじて經世の功業を捨て、養生の迂闊を修めんや」と。
或曰:“儒道之業,孰為難易?”抱朴子答曰:“儒者,易中之難也。道者,難中之易也。夫棄交遊,委妻子,謝榮名,損利祿,割粲爛於其目,抑鏗鏘於其耳,恬愉靜退,獨善守己,謗來不戚,譽至不喜,睹貴不欲,居賤不恥,此道家之難也。出無慶弔之望,入無瞻視之責,不勞神於七經,不運思於律歷,意不為推步之苦,心不為藝文之役,眾煩既損,和氣自益,無為無慮,不怵不惕,此道家之易也,所謂難中之易矣。夫儒者所修,皆憲章成事,出處有則,語默隨時,師則循比屋而可求,書則因解注以釋疑,此儒者之易也。鉤深致遠,錯綜典墳,該河洛之籍籍,博百氏之云云,德行積於衡巷,忠貞盡於事君,仰馳神於垂象,俯運思於風云,一事不知,則所為不通,片言不正,則褒貶不分,舉趾為世人之所則,動唇為天下之所傳,此儒家之難也,所謂易中之難矣。篤論二者,儒業多難,道家約易,吾以患其難矣,將舍而從其易焉。世之譏吾者,則比肩皆是也。可與得意者,則未見其人也。若同志之人,必存乎將來,則吾亦未謂之為希矣。”
有人曰く「儒道の業、哪れか難哪れか易」と。抱朴子回答えて曰く「儒は、是れ易中の難。道は、是れ難中の易。交游を拋棄し、妻子を放下し、榮名を謝去し、利祿を減損し、眼裏より粲爛を割去し、耳裏より鏗鏘を抑制し、恬愉靜退し、獨り善く己を守り、謗り來れば憂戚せず、譽至れば歡喜せず、貴なるを見て要せず、賤なるに居りて羞恥せず、此れ道家の難。出でて慶弔の期望無く、入りて瞻視の責任無く、七經上に神を勞せず、律歷上に思を運ばず、意推步の苦を爲さず、心藝文の役を爲さず、衆煩既に減損し、和氣自ら增益し、無爲無慮、不怵不惕、此れ道家の易、謂う所の難中の易。儒者の修める所、皆是れ憲章成事、出處則有り、語默時に隨い、老師則ち家に挨りて求む可し、書則ち解注を憑藉して以て疑を釋す、此れ儒者の易。深を鉤き遠を致し、錯綜典墳し、河洛の籍籍を該通し、百氏の紛紛を博覽し、德行里巷に積み、忠貞事君に盡くし、上に向かい垂象に神を馳せ、下に向かい風雲に思を運ばし、一事知らざれば、爲す所則ち通ぜず、片言正しからざれば、褒貶則ち分かたず、足を擧げて世人の法則と爲り、唇を動かして天下の傳うる所と爲る、此れ儒家の難、謂う所の易中の難。切實に此の二者を論ずれば、儒業多難、道家約易、我以て其の難を患え、將に之を捨てて彼の易に從わんとす。世上我を譏笑する、比肩皆然り。之與得意する可きは、未だ彼の人を見ず。若し同志の人、必ず將來に存在せば、則ち我亦稀少と說かざらん」と。
或曰:“餘閱見知名之高人,洽聞之碩儒,果以窮理盡性,研核有無者多矣,未有言年之可延,仙之可得者也。先生明不能並日月,思不能出萬夫,而據長生之道,未之敢信也。”抱朴子曰:“吾庸夫近才,見淺聞寡,豈敢自許以拔群獨識,皆勝世人乎?顧曾以顯而求諸乎隱,以易而得之乎難,校其小驗,則知其大效,睹其已然,則明其未試耳。且夫世之不信天地之有仙者,又未肯規也。率有經俗之才,當塗之伎,涉覽篇籍助教之書,以料人理之近易,辨凡猥之所惑,則謂眾之所疑,我能獨斷之,機兆之未朕,我能先覺之,是我與萬物之情,無不盡矣,幽翳冥昧,無不得也。我謂無仙,仙必無矣,自來如此其堅固也。吾每見俗儒碌碌,守株之不信至事者,皆病於頗有聰明,而偏枯拘繫,以小黠自累,不肯為純在乎極暗,而了不別菽麥者也。夫以管窺之狹見,而孤塞其聰明之所不及,是何異以一尋之綆,汲百仞之深,不覺所用之短,而云井之無水也。俗有聞猛風烈火之聲,而謂天之冬雷,見遊雲西行,而謂月之東馳。人或告之,而終不悟信,此信己之多者也。夫聽聲者,莫不信我之耳焉。視形者,莫不信我之目焉。而或者所聞見,言是而非,然則我之耳目,果不足信也。況乎心之所度,無形無聲,其難察尤甚於視聽,而以己心之所得,必固世閒至遠之事,謂神仙為虛言,不亦蔽哉?”
有人曰く「我閱見知名の高人、洽聞の碩儒、果然以て理を窮め性を盡くし、有無を研核する多し、年延長す可し、仙得る可しと說く無し。先生の明日月與並列する能わず、思萬夫を超出する能わず、卻りて長生の道に依據す、我敢て信ぜず」と。抱朴子曰く「我是れ庸夫近才、見淺く聞寡し、豈に敢て拔群獨識を自許し、皆世人に勝過せんや。只だ曾て顯なるを以て隱なるを求め、易なるを以て難なるを得、小なる應驗を校驗し、則ち大なる效を知り、已に此のごときを見れば、則ち未だ試みざるを明白するのみ。再び說く世人天地の閒仙有るを信ぜざるは、又肯んじて謀求せず。大都世俗を經營するの才、當路の伎能有り、篇籍助教の書を涉覽し、以て人理の近易を料想し、凡猥の疑惑する所を辨別し、則ち衆人の疑う所、我能く獨り斷定し、機兆未だ朕兆無し、我能く先覺すと說く、此れ我與萬物の情、盡くさざる無し、幽翳冥昧、得ざる無し。我曰く仙無し、仙必ず無し、從來此のごとく堅固。我每に俗儒碌碌、株を守りて至事を信ぜざるを見、皆病頗る聰明有りて、而も偏枯拘係し、小聰明を以て己を拖累し、肯んじて彼の純に極暗に在りて、而も全く菽麥を辨ぜざる人を做らず。管窺の狹見を以て、而も獨り聰明の及ばざる所を堵塞す、此れ一尋の繩を以て、百仞の深を汲むに往き、用いる所の短きを覺えず、卻りて井水無しと說くに何の異ならん。俗猛風烈火の聲を聞く有りて、而も天冬に雷を打つと說き、游云西行を見て、而も月東馳すと說く。或は人有りて彼に告げ、而も終に悟らず信ぜず、此れ是れ己を信ずること多し。聲を聽く者、我が耳を信ぜざる無し。形を視る者、我が目を信ぜざる無し。而も或は聞見する所、說きて是と爲し非と爲せば、則ち我が耳目、果然信ずに足らず。何況心の度量する所、無形無聲、難察尤も視聽を超過し、而も己の心里得る所を以て、必ず固く世閒至遠の事と爲し、神仙是れ虛言と說く、亦蔽塞ならずや」と。
抱朴子曰:“妍媸有定矣,而憎愛異情,故兩目不相為視焉。雅鄭有素矣,而好惡不同,故兩耳不相為聽焉。真偽有質矣,而趨舍舛忤,故兩心不相為謀焉。以醜為美者有矣,以濁為清者有矣,以失為得者有矣,此三者乖殊,炳然可知,如此其易也,而彼此終不可得而一焉。又況乎神仙之事,事之妙者,而欲令人皆信之,未有可得之理也。凡人悉使之知,又何貴乎達者哉?若待俗人之息妄言,則俟河之清,未為久也。吾所以不能默者,冀夫可上可下者,可引致耳。其不移者,古人已末如之何矣。”抱朴子曰:“至理之未易明,神仙之不見信,其來久矣,豈獨今哉?太上自然知之,其次告而後悟,若夫聞而大笑者,則悠悠皆是矣。吾之論此也,將有多敗之悔,失言之咎乎!夫物莫之與,則傷之者至焉。蓋盛陽不能榮枯朽之木,神明不能變沈溺之性,子貢不能悅錄馬之野人,古公不能釋欲地之戎狄,實理有所不通,善言有所不行。章甫不售於蠻越,赤舄不用於跣夷,何可強哉?夫見玉而指之曰石,非玉之不真也,待和氏而後識焉。見龍而命之曰蛇,非龍之不神也,須蔡墨而後辨焉。所以貴道者,以其加之不可益,而損之不可減也。所以貴德者,以其聞毀而不慘,見譽而不悅也。彼誠以天下之必無仙,而我獨以實有而與之諍,諍之彌久,而彼執之彌固,是虛長此紛紜,而無救於不解,果當從連環之義乎!”
抱朴子曰く「妍媸一定有りて、而も憎愛の情同じからず、故に兩目相互爲視せず。雅鄭素有りて、而も好惡同じからず、故に兩耳相互爲聽せず。眞僞質有りて、而も趨舍乖忤す、故に兩心相互爲謀せず。醜を以て美と爲す有り、濁を以て淸と爲す有り、失を以て得と爲す有り、此の三者乖殊、炳然として知る可し、此のごとき容易、而も彼此終に得て合一する可からず。又何況神仙の事、是れ事の裏妙、而も人をして皆信ぜしめんと欲す、得る可きの理無し。凡人全く彼をして知らしめば、又何必達者を看重せんや。若し俗人の妄言を止息するを等しくすれば、彼は黃河淸に變ずるを等し、還た久しきと算せず。我の沉默する能わざる所以は、希望上可き下可きの人、以て引致す可きのみ。彼ら移す可からざるは、古人已に彼に對し無可奈何なり」と。抱朴子曰く「至理明らかに易からず、神仙信ぜられず、由來已久し、豈に獨り今天ならんや。最上等自然知り、其次告げて然る後覺悟す、至於聞きて大笑するは、悠悠皆是れ此のごとし。我此らを論ず、將有多敗の悔、失言の咎有らんか。物人に給ふ無ければ、之を傷害する至らん。盛陽能く枯朽の木をして再榮せしめず、神明能く沈溺の性を改變せず、子貢能く馬を扣留する野人を取悅せず、古公能く地を要する戎狄を化解せず、實理通ぜざる所有り、善言行われざる所有り。章甫蠻越に賣出す可からず、赤舄赤脚の夷人に使用せられず、怎んぞ能く强求せんや。玉を見て指して石と說く、不是玉不眞、要して卞和を待ちて然る後識得す。龍を見て之を蛇と叫ぶ、不是龍不神、蔡墨を須ちて然る後辨認す。故に道を貴ぶは、以て其れ加ふるも更に益す可からず、減損するも更に減ず可からず。故に德を貴ぶは、以て其れ毀を聞きて慘せず、譽を見て悅ばず。彼誠に以て天下必ず仙無しと爲し、而も我独り以て實有りて彼與爭辯す、爭辯愈久しき、彼執ること愈固し、此れ空く此らの紛紜を長し、而も不解に救無し、果然連環を解くの義に依從すべきか」と。
卷八·釋滯
卷八・釋滯
或問曰:“人道多端,求仙至難,非有廢也,則事不兼濟。藝文之業,憂樂之務,君臣之道,胡可替乎?”抱朴子答曰:“要道不煩,所為鮮耳。但患志之不立,信之不篤,何憂於人理之廢乎?長才者兼而修之,何難之有?內寶養生之道,外則和光於世,治身而身長修,治國而國太平。以六經訓俗士,以方術授知音,欲少留則且止而佐時,欲升騰則凌霄而輕舉者,上士也。自持才力,不能併成,則棄置人間,專修道德者,亦其次也。昔黃帝荷四海之任,不妨鼎湖之舉;彭祖為大夫八百年,然後西適流沙;伯陽為柱史,寧封為陶正,方回為閭士,呂望為太師,仇生仕於殷,馬丹官於晉,范公霸越而泛海,琴高執笏於宋康,常生降志於執鞭,莊公藏器於小吏,古人多得道而匡世,修之於朝隱,蓋有餘力故也。何必修於山林,盡廢生民之事,然後乃成乎?亦有心安靜默,性惡喧譁,以縱逸為歡,以榮任為戚者,帶索藍縷,茹草操耜,玩其三樂,守常待終,不營苟生,不憚速死,辭千金之聘,忽卿相之貴者。無所修為,猶常如此,況又加之以知神仙之道,其亦必不肯役身於世矣,各從其志,不可一概而言也。”抱朴子曰:“世之謂一言之善,貴於千金然,蓋亦軍國之得失,行己之臧否耳。至於告人以長生之訣,授之以不死之方,非特若彼常人之善言也,則奚徒千金而已乎?設使有困病垂死,而有能救之得愈者,莫不謂之為宏恩重施矣。今若按仙經,飛九丹,水金玉,則天下皆可令不死,其惠非但活一人之功也。黃老之德,固無量矣,而莫之克識,謂為妄誕之言,可嘆者也。”
有人問道て曰く「人道多端、仙を求むる至難、若し廢する所有るに非ざれば、事則ち兼濟する能わず。藝文の學業、憂樂の事務、君臣の道理、怎んぞ能く廢せんや」と。抱朴子回答えて曰く「要道煩らず、做する所少きのみ。只だ怕れる志立たず、信篤からざるを、何必憂慮せん人倫の理廢せんことをや。長才の人兼ねて之を修む、何の難有らん。內に寶愛養生の道、外に則ち世に和光し、身を治めて身長久修治し、國を治めて國太平す。六經を以て俗士を訓し、方術を以て知音に授け、少留せんと欲すれば則ち暂且止まりて時世を輔佐し、升騰せんと欲すれば則ち凌霄して輕擧する、是れ上士。自ら才力を估量し、能く一竝に成らざれば、則ち人間を棄置し、專ら道德を修する、亦是れ其次。昔黄帝四海の任を擔負し、鼎湖の升擧を妨礙せず。彭祖大夫を做ること八百年、然る後西に流沙に去る。伯陽柱下史を做り、寧封陶正を做り、方回閭士を做り、呂望太師を做り、仇生殷に官を做り、馬丹晉に官を做り、范公(范蠡)越を霸して海に泛び、琴高宋康に執笏し、常生執鞭に志を降げ、莊公器を小吏の職に藏す、古人多く道を得て世を匡し、朝隱中に修む、蓋し是れ餘力有るの緣故。何必山林に修め、盡く生民の事を廢し、然る後纔かに成らんや。亦心安静默、性喧嘩を惡み、縱逸を以て歡と爲し、榮任を以て憂と爲する有り、腰裏繩を繫ぎ、襤褸を穿著し、草を喫い耜を拿し、其の三樂を玩び、常を守りて終を待ち、苟生を經營せず、速死を怕れず、千金の聘を辭し、卿相の貴を忽略す。修爲する無く、尚ほ常に此のごとし、何況又神仙の道を知るを加ふれば、彼亦必ず肯んじて身を世に役使せざらん、各々其の志に從う、一概に論ず可からず」と。抱朴子曰く「世人一言の善、千金より貴しと說く、蓋し亦只だ軍國の得失、自己行事の善惡のみ。至於長生の訣を以て人に告げ、不死の方を以て人に授くるは、不只彼らの常人の善言のごとく、又何止千金のみならんや。假如困病垂死有りて、而も能く彼を救い愈ゆを得る有らば、彼は宏恩重施と說かざる無し。今若し仙經に按り、九丹を飛煉し、金玉を化して水と爲せば、天下皆以て人をして死せざらしむ可し、彼の恩惠不只一人を救活するの功。黃老の德、固より無量、卻りて能く識る人无し、妄誕の言と說く、歎く可きなり」と。
抱朴子曰:“欲求神仙,唯當得其至要,至要者在於寶精行炁,服一大藥便足,亦不用多也。然此三事,復有淺深,不值明師,不經勤苦,亦不可倉卒而盡知也。雖雲行炁,而行炁有數法焉。雖曰房中,而房中之術,近有百餘事焉。雖言服藥,而服藥之方,略有千條焉。初以授人,皆從淺始,有志不怠,勤勞可知,方乃告其要耳。故行炁或可以治百病,或可以入瘟疫,或可以禁蛇虎,或可以止瘡血,或可以居水中,或可以行水上,或可以闢飢渴,或可以延年命。其大要者,胎息而已。得胎息者,能不以鼻口噓吸,如在胞胎之中,則道成矣。初學行炁,鼻中引炁而閉之,陰以心數至一百二十,乃以口微吐之,及引之,皆不欲令己耳聞其炁出入之聲,常令入多出少,以鴻毛著鼻口之上,吐炁而鴻毛不動為候也。漸習轉增其心數,久久可以至千,至千則老者更少,日還一日矣。夫行炁當以生炁之時,勿以死炁之時也。故曰仙人服六炁,此之謂也。一日一夜有十二時,其從半夜以至日中六時為生炁,從日中至夜半六時為死炁,死炁之時,行炁無益也。善用炁者,噓水,水為之逆流數步;噓火,火為之滅;噓虎狼,虎狼伏而不得動起;噓蛇虺,蛇虺蟠而不能去。若他人為兵刃所傷,噓之血即止;聞有為毒蟲所中,雖不見其人,遙為噓祝我之手,男噓我左,女噓我右,而彼人雖在百里之外,即時皆愈矣。又中惡急疾,但吞三九之炁,亦登時差也。但人性多躁,少能安靜以修其道耳。又行炁大要,不欲多食,及食生菜肥鮮之物,令人炁強難閉。又禁恚怒,多恚怒則炁亂,既不得溢,或令人發欬,故鮮有能為者也。予從祖仙公,每大醉及夏天盛熱,輒入深淵之底,一日許乃出者,正以能閉炁胎息故耳。房中之法十餘家,或以補救傷損,或以攻治眾病,或以採陰益陽,或以增年延壽,其大要在於還精補腦之一事耳。
抱朴子曰く「神仙を求めんと欲せば、只だ當に至要を得べし、至要寶精行炁に在り、一種の大藥を服すれば便ち足る、亦多く用いず。然れども此の三事、又淺深有り、明師に遇上せず、勤苦を經過せざれば、亦倉促全く知る可からず。雖も行炁と說くも、行炁數種の法有り。雖も房中と說くも、房中の術、近百餘事有り。雖も服藥と說くも、服藥の方、大約千條有り。初め人に授くる、皆淺處より開始し、志有りて怠らず、勤勞以て知る可し、纔かに彼に要領を告ぐるのみ。故に行炁或は以て百病を治す可し、或は以て瘟疫に入る可し、或は以て蛇虎を禁ず可し、或は以て瘡血を止む可し、或は以て水中に住す可し、或は以て水上を走る可し、或は以て饑渴を辟開す可し、或は以て年命を延長す可し。其の大要、是れ胎息のみ。胎息を得る者、能く鼻口を用いて嘘吸せず、胞胎の中に在るがごとく、道成れたり。初め行炁を學ぶ、鼻中より炁を引きて閉住し、暗裏心を以て一百二十を數え、纔かに口を以て微微に吐出し、及び引くの時、皆己の耳朵炁の出入の聲を聞かしめんと欲せず、常に入ること多く、出づること少なからしめ、鴻毛を鼻口上に放ち、炁を吐きて鴻毛動かざるを以て徵候と爲す。漸漸練習し、心數輾轉增加し、久久千に至る可し、千に至れば則ち老的更少し、一天比一天還童す。行炁當に生炁の時に在りて、死炁の時に在らざるべし。故に仙人六炁を服すと說く、說くは則ち此れ。一日一夜十二時有り、半夜より日中に至る六時是れ生炁、日中より夜半に至る六時是れ死炁、死炁の時、行炁益處無し。炁を用うに善き者、水を嘘けば、水因此數步逆流し。火を嘘けば、火因此滅す。虎狼を嘘けば、虎狼伏して動起する能わず。蛇虺を嘘けば、蛇虺盤りて去る能わず。若し他人兵刃に傷られば、之を嘘けば血立刻止む。聞く毒蟲に中らるる有るを、雖も彼の人を見ず、遠く我が手に對して嘘祝し、男は我が左手を嘘き、女は我が右手を嘘けば、而も彼の人雖も百里の外に在るも、即時皆愈ゆ。又中惡急疾、只だ三九の炁を吞すれば、亦立刻差愈す。只だ人性多く躁、少なく能く安静にして彼の道を修む。又行炁の大要、多く喫せんと欲せず、及び生菜肥鮮の物を喫し、人をして炁強く閉じ難からしむ。又恚怒を禁ず、多く恚怒すれば則ち炁亂れ、既に閉住せず、溢出或は人をして咳嗽せしむ、故に能くする少なし。我が從祖仙公、每に大醉及び夏天盛熱に逢えば、則ち深淵の底に入り、一日左右にして纔かに出づ、正是れ能く炁を閉じ胎息するの緣故。房中の法十餘家、或は以て傷損を補救し、或は以て衆病を攻治し、或は以て陰を采り陽を益し、或は以て年を增し壽を延す、其の大要精を還し腦を補う此の一件事に在るのみ」。
此法乃真人口口相傳,本不書也,雖服名藥,而復不知此要,亦不得長生也。人復不可都絕陰陽,陰陽不交,則坐致壅閼之病,故幽閉怨曠,多病而不壽也。任情肆意,又損年命。唯有得其節宣之和,可以不損。若不得口訣之術,萬無一人為之而不以此自傷煞者也。玄素子都容成公彭祖之屬,蓋載其粗事,終不以至要者著於紙上者也。志求不死者,宜勤行求之。餘承師鄭君之言,故記以示將來之信道者,非臆斷之談也。餘實復未盡其訣矣。一塗之道士,或欲專守交接之術,以規神仙,而不作金丹之大藥,此愚之甚矣。”
(抱朴子接續して曰く)此の法是れ眞人口口相傳、本來寫下さず、雖も名藥を服すも、卻りて又此の要を知らざれば、亦長生を得ず。人又全く陰陽を斷絕す可からず、陰陽交わらざれば、則ち坐して壅塞の病を招致す、故に幽閉怨曠、多病にして壽ならず。情を任り意を肆にすれば、又年命を損す。只だ節宣の和を得れば、以て損せざる可し。若し口訣の術を得ざれば、萬中一人無く做して而も此に因りて自ら傷殺せざる。玄素・子都・容成公・彭祖の一類、蓋し彼の粗事を記載し、終に至要を以て紙上に寫さず。志不死を求める在る者、當に勤行して求むべし。我師鄭君の言を承け、故に記し取りて將來道を信ずる人に拿げて看せしむ、不是臆斷の談。我實に尚ほ未だ彼の訣を盡くさず。只だ一條の路を走る道士、或は專ら交接の術を守せんと欲し、以て神仙を謀求し、而も金丹の大藥を作らず、此れ是れ愚の甚だしきなり」と。
抱朴子曰:“道書之出於黃老者,蓋少許耳,率多後世之好事者,各以所知見而滋長,遂令篇卷至於山積。古人質樸,又多無才,其所論物理,既不周悉,其所證按,又不著明,皆闕所要而難解,解之又不深遠,不足以演暢微言,開示憤悱,勸進有志,教戒始學,令知玄妙之塗徑,禍福之源流也。徒誦之萬遍,殊無可得也。雖欲博涉,然宜詳擇其善者,而後留意,至於不要之道書,不足尋繹也。末學者或不別作者之淺深,其於名為道家之言,便寫取累箱盈筐,盡心思索其中。是探燕巢而求鳳卵,搜井底而捕鱔魚,雖加至勤,非其所有也,不得必可施用,無故消棄日月,空有疲睏之勞,了無錙銖之益也。進失當世之務,退無長生之效,則莫不指點之曰,彼修道如此之勤,而不得度世,是天下果無不死之法也;而不知彼之求仙,猶臨河羨魚,而無網罟,非河中之無魚也。又五千文雖出老子,然皆泛論較略耳。其中了不肯首尾全舉其事,有可承按者也。但闇誦此經,而不得要道,直為徒勞耳,又況不及者乎?至於文子莊子關令尹喜之徒,其屬文筆,雖祖述黃老,憲章玄虛,但演其大旨,永無至言。或復齊死生,謂無異以存活為徭役,以殂歿為休息,其去神仙,已千億裡矣,豈足耽玩哉?其寓言譬喻,猶有可採,以供給碎用,充御卒乏,至使末世利口之奸佞,無行之弊子,得以老莊為窟藪,不亦惜乎?”
抱朴子曰く「道書黃老より出づるは、蓋し少許のみ、大皆是れ後世好事の人、各々知る所見る所を以て滋長し、於是篇卷をして堆積山のごとく至らしむ。古人質樸、又多く才無し、彼らの論ずる所の物理、既に周悉せず、證按する所、又不著明、皆要領を缺きて難解、解するも又不深遠、以て微言を演暢し、憤悱を開示し、有志を勸進し、初學を教戒し、人をして玄妙の途徑、禍福の源流を知らしむるに足らず。空く之を萬遍誦すとも、特に得る可き無し。雖も博涉せんと欲するも、亦當に彼の善を詳擇し、然る後留意し、至於要ならざるの道書、尋繹するに足らず。末學の人或は作者の淺深を辨別せず、名道家と爲すの言に對して、便ち抄取して箱を累ね筐を盈たし、心を盡くして其の中を思索す。此れ是れ燕巢を探りて鳳卵を求め、井底を搜りて鱔魚を捕る、雖も至勤に加ふるも、不是其の該有る所、得て必ず施用す可き無し、無故に日月を消棄し、空く疲困の勞有り、全く錙銖の益處無し。進めば則ち當世の事務を失い、退けば則ち長生の效無し、則ち指點して說かざる無し、彼道を修すること此のごとく勤にして、而も世を度るを得ず、是れ天下果然不死の法無し。卻りて彼の仙を求むるを知らず、譬へば河に臨みて魚を羡み、而も網罟無し、不是河中魚無し。又五千文雖も老子より出づ、然れども皆是れ泛論大較のみ。其の中全く肯んじて首尾全く彼の事を擧出せず、承按す可き有り。只だ此の經を暗誦して、而も要道を得ざれば、直ち是れ徒勞のみ、又何況此に及ばざるをや。至於文子・莊子・關令尹喜の徒、彼ら文に屬し筆を用う、雖も黃老を祖述し、玄虛を憲章す、只だ彼の大旨を演繹し、永く至言無し。或は又死生を齊同し、差異無しと說き、存活を以て徭役と爲し、死亡を以て休息と爲す、彼ら神仙を離るる、已に千億里、哪れにか耽玩するに值せん。彼らの寓言譬喻、還た采る可き有り、以て瑣碎の用を供給し、當時の缺乏に充應し、以致末世利口の奸佞、無行の弊子をして、老莊を以て窟藪に當るを得しむ、亦可惜ならずや」と。
或曰:“聖明御世,唯賢是寶,而學仙之士,不肯進宦,人皆修道,誰復佐政事哉?”抱朴子曰:“背聖主而山棲者,巢許所以稱高也;遭有道而遁世者,莊伯所以為貴也;軒轅之臨天下,可謂至理也,而廣成不與焉;唐堯之有四海,可謂太平也,而偓佺不佐焉,而德化不以之損也,才子不以之乏也;天乙革命,而務光負石以投河,姬武翦商,而夷齊不食於西山;齊桓之興,而少稷高枕於陋巷;魏文之隆,而幹木散發於西河;四老鳳戢於商洛,而不妨大漢之多士也;周黨麟跱於林藪,而無損光武之刑厝也。夫寵貴不能動其心,極富不能移其好,濯纓滄浪,不降不辱,以芳林為臺榭,峻岫為大廈,翠蘭為絪床,綠葉為幃幙,被褐代袞衣,薇藿當嘉膳,非躬耕不以充飢,非妻織不以蔽身,千載之中,時或有之,況又加之以委六親於邦族,捐室家而不顧,背榮華如棄跡,絕可欲於胸心,凌嵩峻以獨往,侶影響於名山,內視於無形之域,反聽乎至寂之中,八極之內,將遽幾人?而吾子乃恐君之無臣,不亦多憂乎?”
有人曰く「聖明世を駕馭し、只だ賢を以て寶と爲す、而も仙を學ぶ之士、肯んじて宦に進まず、人皆道を修めば、誰か再び政事を輔佐せん」と。抱朴子曰く「聖主を背けて山に栖るは、是れ巢父・許由の高を稱する所以。有道に遇上して世を遁るるは、是れ莊伯の貴と爲す所以。軒轅天下に臨み、至理と說く可し、而も廣成參與せず。唐堯四海有り、太平と說く可し、而も偓佺輔佐せず、德化此に因りて減損せず、才子此に因りて缺乏せず。天乙革命し、務光石を負い河に投ず。姬武商を翦り、伯夷叔齊西山の食を食わず。齊桓興起し、少稷陋巷に高枕す。魏文隆盛、段干木西河に散髮す。四老鳳のごとく商洛に翼を斂め、而も大漢の多士を妨礙せず。周黨麟のごとく林藪に停まり、而も光武の刑措を損う無し。寵貴能く其の心を動かさず、極富能く其の好を移さず、滄浪に纓を洗い、不降不辱、芳林を以て臺榭に當て、峻岫を以て大廈に當て、翠蘭を以て褥床に當て、綠葉を以て幃幕に當て、褐を披きて衮衣に代替し、薇藿を以て嘉膳と作る、親ら耕すに非ざれば以て饑を充たさず、妻子織るに非ざれば以て身を蔽わず、千載の中、時或有り此のごとき人、何況又六親を以て邦族に委ね、室家を捐棄して顧みず、榮華を背けること足跡を棄つるがごとく、胸心里可欲を斷絕し、高峻を凌越して獨り前往し、名山に影與回響と爲りて侶とし、無形の域に內視し、至寂の中に反聽し、八極の內、將に能く幾人あらん。而も您竟に君の臣無きを怕る、亦憂へること多しと爲さずや」と。
或曰:“學仙之士,獨潔其身而忘大倫之亂,背世主而有不臣之慢,餘恐長生無成功,而罪罟將見及也。”抱朴子答曰:“夫北人石戶善卷子州,皆大才也,而沈遁放逸,養其浩然,升降不為之虧,大化不為之缺也。況學仙之士,未必有經國之才,立朝之用,得之不加塵露之益,棄之不覺毫釐之損者乎?方今九有同宅,而幽荒來仕,元凱委積,無所用之。士有待次之滯,官無暫曠之職;勤久者有遲敘之嘆,勳高者有循資之屈;濟濟之盛,莫此之美,一介之徒,非所乏也。昔子晉舍視膳之役,棄儲貳之重,而靈王不責之以不孝;尹生委衿帶之職,違式遏之任,而有周不罪之以不忠。何者,彼誠亮其非輕世薄主,直以所好者異,匹夫之志,有不可移故也。夫有道之主,含垢善恕,知人心之不可同,出處之各有性,不逼不禁,以崇光大,上無嫌恨之偏心,下有得意之至歡,故能暉聲並揚於罔極,貪夫聞風而忸怩也。吾聞景風起則裘爐息,世道夷則奇士退,今喪亂既平,休牛放馬,烽燧滅影,干戈載戢,繁弱既韜,盧鵲將烹,子房出玄帷而反閭巷,信越釋甲冑而修魚釣,況乎學仙之士,萬未有一,國家吝此以何為哉?然其事在於少思寡慾,其業在於全身久壽,非爭競之醜,無傷俗之負,亦何罪乎?且華霍之極大,滄海之滉漾,其高不俟翔埃之來,其深不仰行潦之注,撮壤土不足以減其峻,挹勺水不足以削其廣,一世不過有數仙人,何能有損人物之鞅掌乎?”
有人曰く「仙を學ぶ之士、獨り己の身を潔くして大倫の亂を忘れ、世主を背けて不臣の慢有り、我怕る長生未だ成功せず、而も罪網將に身に及ばんとす」と。抱朴子回答えて曰く「北人・石戶・善卷・子州、皆是れ大才、而も沈遁放逸し、其の浩然を養い、升降此に因りて虧けず、大化此に因りて缺けず。何況仙を學ぶ之士、未だ必ずしも經國の才、立朝の用有らず、彼を得て塵露の益を加えず、彼を拋棄して毫釐の損を覺えざるをや。今九有同宅、幽荒皆來りて官を做し、元凱堆積し、彼らを用うるの地無し。士依次を等待するの滯留有り、官片刻空缺の職無し。勤久の遲敘の歎有り、勳高の循資の屈有り。濟濟の盛、此より美なる無し、一介の徒、不是缺する所。昔王子晉視膳の役を捨棄し、儲君の重を拋棄し、而も周靈王不孝を以て彼を責めず。尹生衿帶の職を委掉し、式遏の任を違背し、而も有周不忠を以て彼を罪せず。何を爲す、彼ら誠に彼の世を輕し主を薄くするに非ざるを諒察し、只だ好む所同じからざる、匹夫の志、移す可からざる有るの緣故。有道の主、垢を含み善く恕み、人心同じくす可からざるを知り、出處各々性有り、逼らず禁せず、以て崇尚光大し、上嫌恨の偏心無く、下得意の至歡有り、故に能く光輝聲名一竝に極無きに揚げ、貪夫風を聞きて忸怩す。我聞く景風起れば則ち皮裘火爐停息し、世道平なれば則ち奇士退去す、今喪亂既に平らぎ、牛を休め馬を放ち、烽燧影を滅し、干戈收藏し、繁弱已に韜藏し、盧鵲將に烹らんとす、子房玄帷を走出して閭巷に返回し、韓信・彭越甲胄を脫下して魚釣を修む、何況仙を學ぶ之士、萬中未だ一有らず、國家此らを吝惜して何を爲すや。然れども彼の事少思寡欲に在り、彼の業全身久壽に在り、不是爭競の醜、傷俗の負無し、又何の罪有らん。再び說く華霍の極大、滄海の滉漾、其の高飛塵を待たずして來り、其の深行潦の注入を仰賴せず、一撮の壤土以て其の峻を減ずるに足らず、一勺の水以て其の廣を削るに足らず、一世過ぎて數個の仙人有るに過ぎず、怎んぞ能く人物の紛繁に損有らんや」と。
或曰:“果其仙道可求得者,五經何以不載,周孔何以不言,聖人何以不度世,上智何以不長存?若周孔不知,則不可為聖。若知而不學,則是無仙道也。”抱朴子答曰:“人生星宿,各有所值,既詳之於別篇矣。子可謂戴盆以仰望,不睹七曜之炳粲;暫引領於大川,不知重淵之奇怪也。夫五經所不載者無限矣,周孔所不言者不少矣。特為吾子略說其萬一焉。雖大笑不可止,局情難卒開,且令子聞其較略焉。夫天地為物之大者也。九聖共成易經,足以彌綸陰陽,不可復加也。今問善易者,周天之度數,四海之廣狹,宇宙之相去,凡為幾里?上何所極,下何所據,及其轉動,誰所推引,日月遲疾,九道所乘,昏明修短,七星迭正,五緯盈縮,冠珥薄蝕,四七凌犯,彗孛所出,氣矢之異,景老之祥,辰極不動,鎮星獨東,羲和外景而熱,望舒內鑑而寒,天漢仰見為潤下之性,濤潮往來有大小之變,五音六屬,占喜怒之情,雲動氣起,含吉凶之候,欃、槍、尤、矢,旬始絳繹,四鎮五殘,天狗歸邪,或以示成,或以正敗,明易之生,不能論此也。以次問春秋四部詩書三禮之家,皆復無以對矣。皆曰悉正經所不載,唯有巫咸甘公石申海中郄萌七曜記之悉矣。餘將問之曰,此六家之書,是為經典之教乎?彼將曰非也。餘又將問曰:甘石之徒,是為聖人乎?彼亦曰非也。然則人生而戴天,詣老履地,而求之於五經之上則無之,索之於周孔之書則不得,今寧可盡以為虛妄乎?天地至大,舉目所見,猶不能了,況於玄之又玄,妙之極妙者乎?
有人曰く「果然仙道求むる可し、五經何を爲す載せず、周公孔子何を爲す言わず、聖人何を爲す世を度らず、上智何を爲す長存せず。若し周公孔子知らざれば、則ち聖と爲す可からず。若し知りて學ばざれば、則ち是れ仙道無し」と。抱朴子回答えて曰く「人生星宿、各々值する所有り、已に別篇に詳細說き過ぐ。您以て盆を戴きて仰望し、七曜の炳粲を見ずと說く可し。大川上に暂且頸を伸ばし、重淵の奇怪を知らず。五經の載せざる所無限、周公孔子の言わざる所少なからず。特に您の爲に彼の萬分之一を略說す。雖も大笑止む可からず、局狹の情倉促開く難し、且く您をして彼の大較を聞かしめん。天地是れ物の裏大。九聖共同《易經》を作成し、足以て陰陽を彌綸し、再加ふ可からず。今《易》に善き人を問う、周天の度數、四海の廣狹、宇宙相去、一共幾里。上何處に至りて極と爲し、下何を憑據と爲し、以及其れ轉動、誰か來りて推引し、日月遲疾、九道の乘る所、昏明長短、七星迭正、五緯盈縮、冠珥薄蝕、二十八宿凌犯、彗孛の出づる所、氣矢の異、景星老人の祥、辰極動かず、鎭星獨り東に向かい、羲和外景にして熱、望舒內鑑にして寒、天漢仰見是れ潤下の性、濤潮往來大小の變有り、五音六屬、喜怒の情を占し、雲動氣起、吉凶の候を含み、欃・槍・蚩尤・天矢、旬始絳繹、四鎭五殘、天狗歸邪、或は以て成を示し、或は以て敗を正す、《易》を明らかにする儒生、此らを論ずる能わず。依次春秋四部・詩書三禮の家を問う、又皆回答に從う無し。皆曰く全是れ正經の載せざる所、只有巫咸・甘公・石申・《海中》・郄萌・七曜記し全きのみ。我將に彼らを問わん、此の六家の書、經典の教と算すか。彼ら將に非ずと說かん。我又將に問わん、甘石の徒、聖人と算すか。彼ら亦非ずと說かん。則ち人生れて天を頂き、一直に老に至りて地を踩み、五經の上に求めれば則ち無く、周公孔子の書裏に索すれば則ち得ず、今寧ろ全部以て虛妄と爲さんや。天地至大、目を擧げて見る所、還た能く了然ならず、何況玄の又玄、妙の極妙をや。
”復問俗人曰:“夫乘雲繭產之國,肝心不朽之民,巢居穴處,獨目三首,馬閒狗蹄,修臂交股,黃池無男,穿胸旁口,廩君起石而泛土船,沙壹觸木而生群龍,女媧地出,杜宇天墮,甓飛犬言,山徙社移,三軍之眾,一朝盡化,君子為鶴,小人成沙,女丑倚枯,貳負抱桎,寄居之蟲,委甲步肉,二首之蛇,弦之為弓,不灰之木,不熱之火,昌蜀之禽,無目之獸,無身之頭,無首之體,精衛填海,交讓遞生,火浣之布,切玉之刀,炎昧吐烈,磨泥漉水,枯灌化形,山夔前跟,石修九首,畢方人面,少千之劾伯率,聖卿之役肅霜,西羌以虎景興,鮮卑以乘鱉強,林邑以神錄王,庸蜀以流屍帝,鹽神嬰來而蟲飛,縱目世變於荊岫,五丁引蛇以傾峻,肉甚振翅於三海。金簡玉字,發於禹井之側。正機平衡,割乎文石之中。凡此奇事,蓋以千計,五經所不載,周孔所不說,可皆復雲無是物乎?至於南人能入柱以出耳,禦寇停肘水而控弦,伯昏躡億仞而企踵,呂梁能行歌以憑淵,宋公克象葉以亂真,公輸飛木玄之翩翾,離朱覿毫芒於百步,賁獲效膂力於萬鈞,越人揣針以蘇死,豎亥超跡於累千,郢人奮斧於鼻堊,仲都袒身於寒天,此皆周孔所不能為也,復可以為無有乎?若聖人誠有所不能,則無怪於不得仙,不得仙亦無妨於為聖人,為聖人偶所不閒,何足以為攻難之主哉?聖人或可同去留,任自然,有身而不私,有生而不營,存亡任天,長短委命,故不學仙,亦何怪也。”
(抱朴子接續して曰く)又俗人に問うて曰く「雲に乘り、繭產するの國、肝心不朽の民、巢居穴處、獨目三首、馬閑狗蹄、長臂交股、黃池男無し、胸を穿ち旁口、廩君石頭をして浮起せしめ、土船漂浮し、沙壹木に觸れて群龍を生じ、女媧地より出で、杜宇天より墮ち、磚飛び狗說話し、山遷徙し社轉移し、三軍之衆、一朝全部變化し、君子鶴に變成し、小人沙に變成し、女丑枯死に倚り、貳負桎梏を抱き、寄居の蟲、甲を脫去して步行肉を用い、兩頭の蛇、繃げて以て弓を做り、不灰の木、不熱の火、昌蜀の禽、無目の獸、無身の頭、無首の體、精衛海を塡め、交讓輪流に生じ、火浣の布、玉を切るの刀、炎昧烈焰を吐出し、泥を磨き水を漉し、枯灌形を化し、山夔脚前に在り、石修九首、畢方人面、少千伯率を劾治し、聖卿肅霜を役使し、西羌虎景に因りて興り、鮮卑鱉に乘るに因りて強く、林邑神錄に因りて王と稱し、庸蜀流尸に因りて帝と稱し、鹽神嬰來りて蟲飛び、縱目荆岫に世變あり、五丁蛇を引きて峻嶺を傾倒し、肉甚三海に翅を振る。金簡玉字、禹井の側より發見す。正機平衡、文石の中より剖出す。凡そ此らの奇事、蓋し千を以て計し、五經の載せざる所、周公孔子の說かざる所、以て皆再び此らの物無しと說く可きか。至於南人能く柱子に入りて耳朵より出づ、御寇肘を水に停めて弦を控え、伯昏億仞上に足を蹑み踵を踮り、吕梁能く行歌して深淵に憑り、宋人能く象牙葉子を刻して眞に亂れ、公輸木鳶をして翩翩飛ばしめ、離朱百步外に毫芒を見、孟賁・烏獲萬鈞上に效力し、越人鍼を揣みて死人を救活し、豎亥步を超えて千里を累計し、郢人鼻堊上に斧を奮い、仲都寒天に身を袒ぐ、此ら皆是れ周公孔子の能くする所に非ず、又以て無しと爲す可きか。若し聖人誠に能わざる所有らば、則ち必ず仙を怪むを得ず、仙を得ずも亦聖人と成るを妨げず、聖人を做るに偶然嫺熟せざる所有り、哪れにか以て攻難の主腦に當るに足らん。聖人或は以て去留を同じくし、自然を任し、身有りて私せず、生有りて經營せず、存亡天に任せ、長短命に委ね、故に仙を學ばず、又何の怪む可き有らん」と。
卷九·道意
卷九・道意
抱朴子曰:“道者涵乾括坤,其本無名。論其無,則影響猶為有焉;論其有,則萬物尚為無焉。隸首不能計其多少,離朱不能察其彷彿,吳札晉野竭聰,不能尋其音聲乎窈冥之內,犭周豨犭步豬疾走,不能跡其兆朕乎宇宙之外。以言乎邇,則周流秋毫而有餘焉;以言乎遠,則彌綸太虛而不足焉。為聲之聲,為響之響,為形之形,為影之影,方者得之而靜,員者得之而動,降者得之而俯,升者得之以仰,強名為道,已失其真,況復乃千割百判,億分萬析,使其姓號至於無垠,去道遼遼,不亦遠哉?
抱朴子曰く「道乾坤を涵括し、其の本に名無し。其の無を論ずれば、則ち影與回響尚ほ有りと算し、其の有を論ずれば、則ち萬物尚ほ無しと算す。隸首能く其の多少を計算せず、離朱能く其の髣彿を察看せず、吳札・晉野聰慧を盡くし、能く窈冥の內に其の音聲を尋ねず、彼らの善走の獸・豨・豬の疾走するを連ね、能く宇宙の外に其の兆朕を追蹤せず。近處に就きて言えば、則ち秋毫を周流して尚ほ餘有り。遠處に就きて言えば、則ち太虚を彌綸して尚ほ足らず。它是れ聲の聲、響の響、形の形、影の影、方の之を得て靜か、圓の之を得て動き、降の之を得て俯き、升の之を得て仰ぐ、勉强して道と稱す、已に其の眞を失う、何況又千割百判、億分萬析して、其の姓號をして邊際無きに至らしめ、道を離るる遼遼、亦遠からずや」と。
俗人不能識其太初之本,而修其流淫之末,人能淡默恬愉,不染不移,養其心以無慾,頤其神以粹素,掃滌誘慕,收之以正,除難求之思,遣害真之累,薄喜怒之邪,滅愛惡之端,則不請福而福來,不禳禍而禍去矣。何者,命在其中,不繫於外,道存乎此,無俟於彼也。患乎凡夫不能守真,無杜遏之檢括,愛嗜好之搖奪,馳騁流遁,有迷無反,情感物而外起,智接事而旁溢,誘於可欲,而天理滅矣,惑乎見聞,而純一遷矣。心受制於奢玩,情濁亂於波盪,於是有傾越之災,有不振之禍,而徒烹宰肥腯,沃酹醪醴,撞金伐革,謳歌踴躍,拜伏稽顙,守請虛坐,求乞福願,冀其必得,至死不悟,不亦哀哉?若乃精靈困於煩擾,榮衛消於役用,煎熬形氣,刻削天和,勞逸過度,而碎首以請命,變起膏肓,而祭禱以求痊,當風臥溼,而謝罪於靈祇,飲食失節,而委禍於鬼魅,蕞爾之體,自貽茲患,天地神明,曷能濟焉?其烹牲罄群,何所補焉?夫福非足恭所請也,禍非禋祀所禳也。若命可以重禱延,疾可以豐祀除,則富姓可以必長生,而貴人可以無疾病也。夫神不歆非族,鬼不享淫祀,皂隸之巷,不能紆金根之軒,布衣之門,不能動六轡之駕,同為人類,而尊卑兩絕,況於天神,緬邈清高,其倫異矣,貴亦極矣。蓋非臭鼠之酒餚,庸民之曲躬,所能感降,亦已明矣。夫不忠不孝,罪之大惡,積千金之賂,太牢之饌,求令名於明主,釋愆責於邦家,以人釋人,猶不可得,況年壽難獲於令名,篤疾難除於愆責,鬼神異倫,正直是與,冀其曲佑,未有之也。夫慚德之主,忍詬之臣,猶能賞善不須貸財,罰惡不任私情,必將修繩履墨,不偏不黨,豈況鬼神,過此之遠,不可以巧言動,不可以飾賂求,斷可識矣。
(抱朴子接續して曰く)俗人能く彼の太初の本を識らず、卻りて彼の流淫の末を修め、人若能く淡默恬愉、染まらず移らず、無欲を以て心を養い、粹素を以て神を頤し、誘慕を掃滌し、正を以て收攝し、難求の思を除去し、眞を害するの累を遣開し、喜怒の邪を減薄し、愛惡の端を滅掉せば、則ち福を請わずして福來り、禍を禳わずして禍去る。何を爲す、命其の中に在り、外に係らず、道此に存在し、彼を等待するに必せず。怕るるは凡夫能く眞を守らず、杜遏の檢括無く、彼の嗜好の搖奪を愛し、馳騁流遁し、迷有りて返る無し、情物を感じて外より起り、智事に接して旁に溢出し、可欲に誘われれば、天理則ち滅し、見聞に惑わされれば、純一則ち遷る。心奢玩に受制し、情波蕩に濁亂し、於是傾覆の災有り、振起こす能わざるの禍有り、卻りて空く肥牲を烹宰し、醪醴を澆酹し、金を撞き革を伐ち、謳歌踊躍し、拜伏叩頭し、空坐を守りて請い、福願を求乞し、必得を希望し、死するに至りて悟らず、亦可哀ならずや。至於精靈煩擾に困み、榮衛役用に消え、形氣を煎熬し、天和を刻削し、勞逸過度し、卻りて頭を磕破して命を請い、變故膏肓より起れば、卻りて祭禱して痊愈を求め、風に當り濕に臥し、卻りて靈祇に向かい罪を謝し、飲食節を失えば、卻りて禍を鬼魅に委ね、小小の身體、自ら此らの患を招來し、天地神明、怎んぞ能く救わんや。牲を烹りて成群を盡くす、何の補有らん。福不是足恭の請う能くする所、禍不是禋祀の禳う能くする所。若し命以て重禱延長す可く、疾以て豐祀除去す可からば、則ち富姓以て必ず長生を得、貴人以て疾病無からん。神非本族の祭を歆せず、鬼淫祀を享けず、皂隸の巷、能く金根車の軒を紆回せず、布衣の門、能く六轡の駕を驚動せず、同じく人類、尊卑兩つ絕つ、何況天神、緬邈淸高、倫類同じからず、貴なる亦極點に到る。蓋し不是臭鼠のごとき酒肴、庸民の曲躬、感降す能くする所、亦已に明白なり。不忠不孝、是れ罪の裏大惡、千金の賄賂を堆積し、太牢の饌、明主に向かい令名を求め、邦家に向かい愆責を開釋せんことを求む、人以て人を求む、尚ほ得る可からず、何況年壽令名より獲得難く、重病愆責より除去難く、鬼神是れ別の一倫類、只だ正直與一處に在り、其れ曲意保佑するを希望するは、是れ無し。慚德の主、詬を忍ぶの臣、還た能く善を賞するに必ずしも財貨を用いず、惡を罰するに私情を任用せず、必ず將に繩墨を修め、規矩を履み、偏らず黨せず、何況鬼神、此より還た遠し、以て巧言を打動す可からず、以て飾賂を求む可からず、斷然として識得す可し。
楚之靈王,躬自為巫,靡愛斯牲,而不能卻吳師之討也。
楚の靈王、親ら巫を做し、犧牲を吝惜せず、而も吳師の討伐を退却する能わず。
漢之廣陵,敬奉李須,傾竭府庫而不能救叛逆之誅也。孝武尤信鬼神,鹹秩無文,而不能免五柞之殂。孫主貴待華鄉,封以王爵,而不能延命盡之期。非犧牲之不博碩,非玉帛之不豐醲,信之非不款,敬之非不重,有丘山之損,無毫釐之益,豈非失之於近,而營之於遠乎?
漢の廣陵王、李須を敬奉し、府庫を傾竭すも己の叛逆の誅を救う能わず。孝武尤も鬼神を信じ、秩祀す可きは文飾して擧行せざる無し、而も五柞宮の死亡を免れず。孫權神人を貴待し、王爵を封給すも、命盡くの期を延長する能わず。不是犧牲博碩ならず、不是玉帛豐濃ならず、信不是不誠、敬不是不重、丘山の損有りて、毫釐の益無し、豈に是れ失近處に在りて、卻りて遠處を經營するに非ずや。
第五公誅除妖道,而既壽且貴;宋廬江罷絕山祭,而福祿永終;文翁破水靈之廟,而身吉民安;魏武禁淫祀之俗,而洪慶來假,前事不忘,將來之鑑也。明德惟馨,無憂者壽,嗇寶不夭,多慘用老,自然之理,外物何為!若養之失和,伐之不解,百痾緣隙而結,榮衛竭而不悟,太牢三牲,曷能濟焉?俗所謂率皆妖偽,轉相誑惑,久而彌甚,既不能修療病之術,又不能返其大迷,不務藥石之救,惟專祝祭之謬,祈禱無已,問卜不倦,巫祝小人,妄說禍祟,疾病危急,唯所不聞,聞輒修為,損費不訾,富室竭其財儲,貧人假舉倍息,田宅割裂以訖盡,篋櫃倒裝而無餘。或偶有自差,便謂受神之賜,如其死亡,便謂鬼不見赦,幸而誤活,財產窮罄,遂復飢寒凍餓而死,或起為劫剽,或穿窬斯濫,喪身於鋒鏑之端,自陷於醜惡之刑,皆此之由也。或什物盡於祭祀之費耗,縠帛淪於貪濁之師巫,既沒之日,無復兇器之直,衣衾之周,使屍朽蟲流,良可悼也。愚民之蔽,乃至於此哉!淫祀妖邪,禮律所禁。然而凡夫,終不可悟。唯宜王者更峻其法制,犯無輕重,致之大辟,購募巫祝不肯止者,刑之無赦,肆之市路,不過少時,必當絕息,所以令百姓杜凍飢之源,塞盜賊之萌,非小惠也。
第五公妖道を誅除し、既に壽にして且つ貴し。宋廬江山祭を罷絕し、福祿一直に終に至る。文翁水靈の廟を破掉し、身吉・民安。魏武淫祀の俗を禁止し、洪慶來臨す、前事忘れず、是れ將來の鑑。明德纔かに是れ馨香、憂無き人壽、寶を嗇む人夭せず、多く慘戚の人因此衰老す、此れ自然の理、外物何を爲すや。若し養和を失えば、伐削解けず、百病隙に順い結上し、榮衛枯竭して悟らず、太牢三牲、怎んぞ能く救わんや。世俗の謂う所、大皆是れ妖僞、轉相誑惑し、久しければ更加厲害し、既に能く病を療するの術を修めず、又能く彼の大迷を返回せず、藥石の救を務めず、只だ專ら祝祭の謬、祈禱停まず、卜を問いて倦まず、巫祝小人、妄りに禍祟を說き、疾病危急、只だ怕れる聞かざる所有るを、聞けば則ち修爲し、損費計量す可からず、富室財儲を竭盡し、貧人債を借りて倍息を付し、田宅割裂して盡くし、篋櫃倒裝して餘餘無し。或は偶然自ら差愈すれば、便ち神の賜を受けたと說く、若し死亡せば、便ち鬼赦を見ずと說く、幸いに誤りて活けば、財產窮盡し、于是又饑寒凍餓して死し、或は起ちて劫剽を做り、或は牆を穿ちて濫を行い、鋒鏑の端に身を喪し、自ら醜惡の刑に陷入る、皆是れ此に由りて來る。或は什物祭祀の費耗に盡き、穀帛貪濁の師巫に淪し、既死の日、再び棺木の錢、衣衾の周全無し、尸をして朽ちて蟲流れしむ、實に悼む可し。愚民の蔽、竟然此に至る。淫祀妖邪、是れ禮律の禁ずる所。然れども凡夫、終に悟る可からず。只だ當に王者更に法制を加嚴し、犯す輕重を論ぜず、皆大辟を致し、巫祝肯んじて停止せざるを購募し、刑して赦さず、尸を市路に陳す、不過少時、必ず當に絕息す、故に百姓をして凍饑の源を堵住せしめ、盜賊の萌を塞ぐ、不是小惠。
曩者有張角柳根王歆李申之徒,或稱千歲,假託小術,坐在立亡,變形易貌,誑眩黎庶,糾合群愚,進不以延年益壽為務,退不以消災治病為業,遂以招集奸黨,稱合逆亂,不純自伏其辜,或至殘滅良人,或欺誘百姓,以規財利,錢帛山積,富逾王公,縱肆奢淫,侈服玉食,妓妾盈室,管絃成列,刺客死士,為其致用,威傾邦君,勢凌有司,亡命逋逃,因為窟藪。皆由官不糾治,以臻斯患,原其所由,可為嘆息。吾徒匹夫,雖見此理,不在其位,末如之何!臨民官長,疑其有神,慮恐禁之,或致禍祟,假令頗有其懷,而見之不了,又非在職之要務,殿最之急事,而復是其愚妻頑子之所篤信,左右小人,並雲不可,阻之者眾,本無至心,而諫怖者異口同聲,於是疑惑,竟於莫敢,令人扼腕發憤者也。餘親見所識者數人,了不奉神明,一生不祈祭,身享遐年,名位巍巍,子孫蕃昌,且富且貴也。唯餘亦無事於斯,唯四時祀先人而已。曾所遊歷水陸萬里,道側房廟,固以百許,而往返徑遊,一無所過,而車馬無頗覆之變,涉水無風波之異,屢值疫癘,當得藥物之力,頻冒矢石,幸無傷刺之患,益知鬼神之無能為也。又諸妖道百餘種,皆煞生血食,獨有李家道無為為小差。然雖不屠宰,每供福食,無有限劑,市買所具,務於豐泰,精鮮之物,不得不買,或數十人廚,費亦多矣,復未純為清省也,亦皆宜在禁絕之列。
昔張角・柳根・王歆・李申の徒有り、或は自ら千歲と稱し、小術を假托し、坐して立亡し、形を變じ貌を易え、黎庶を誑眩し、群愚を糾合し、進んで以て延年益壽を務と爲さず、退いて以て災を消し病を治するを業と爲さず、於是奸黨を招集し、逆亂を稱合し、自ら辜に伏せざる、或は良人を殘滅し、或は百姓を欺誘し、以て財利を謀り、錢帛山のごとく堆積し、富王公を超過し、奢淫を縱肆し、服を侈り食を玉とし、妓妾室に滿ち、管絃列を成し、刺客死士、彼の爲に致用す、威勢邦君を壓過し、勢有司を凌ぐ、亡命逋逃、因此窟藪に當る。皆是れ官糾治せざるに由りて、以致此の患に至る、原を推して由る所、以て歎息す可し。我只だ是れ匹夫、雖も此の理を見るも、其の位に在らず、之を以て辦法無し。民に臨むの官長、彼らを疑して神有りと爲し、彼らを禁止するを擔心し、或は禍祟を招來せんと、假令心里頗る此の念頭有り、見るも卻りて了然せず、又是れ在職の要務・考課の急事に非ず、而も又是れ彼の愚妻頑子の篤信する所、左右小人、皆不可と說き、阻攔する人多し、本來至心無し、而も勸諫恐嚇する異口同聲、於是疑惑し、竟然敢えず、人をして腕を扼め發憤せしむ。我親ら見る所識の數人、全く神明を奉ぜず、一生祈祭せず、自身遐年を享け、名位巍巍、子孫蕃昌、且つ富且つ貴し。我亦此らに事無し、只だ四時先人を祭祀するのみ。曾て水陸萬里を游歷し、道邊の房廟、固より百來處有り、而も往返徑直走過し、一處亦經過せず、車馬傾覆の變無く、水に涉り風波の異無く、屢々疫癘に遇上し、當に是れ藥物の力を得、頻々に矢石を冒し、幸いに傷刺の患無し、更加知る鬼神能く作爲する有らずと。又諸種の妖道百餘種、皆生を殺し血食す、獨り李家道淸靜無爲稍微好しと算す。然れども雖も屠宰せず、每に福食を供するに逢えば、限量無く、市買の備うる所、務めて豐泰を求め、精鮮の物、買わざるを得ず、或は數十人厨に下り、費用亦多し、又尚ほ未だ純粹淸省ならず、亦皆當に禁絕の列に在るべし。
或問李氏之道起於何時。餘答曰:吳大帝時,蜀中有李阿者,穴居不食,傳世見之,號為八百歲公。人往往問事,阿無所言,但占阿顏色。若顏色欣然,則事皆吉;若顏容慘慼,則事皆兇;若阿含笑者,則有大慶;若微嘆者,即有深憂。如此之候,未曾一失也。後一旦忽去,不知所在。後有一人姓李名寬,到吳而蜀語,能祝水治病頗愈,於是遠近翕然,謂寬為李阿,因共呼之為李八百,而實非也。自公卿以下,莫不雲集其門,後轉驕貴,不復得常見,賓客但拜其外門而退,其怪異如此。於是避役之吏民,依寬為弟子者恆近千人,而升堂入室高業先進者,不過得祝水及三部符導引日月行炁而已,了無治身之要、服食神藥、延年駐命、不死之法也。吞氣斷谷,可得百日以還,亦不堪久,此是其術至淺可知也。餘親識多有及見寬者,皆雲寬衰老羸悴,起止咳噫,目瞑耳聾,齒墮發白,漸又昏耗,或忘其子孫,與凡人無異也。然民復謂寬故作無異以欺人,豈其然乎?吳曾有大疫,死者過半。寬所奉道室,名之為廬,寬亦得溫病,託言入廬齋戒,遂死於廬中。而事寬者猶復謂之化形尸解之仙,非為真死也。夫神仙之法,所以與俗人不同者,正以不老不死為貴耳。今寬老則老矣,死則死矣,此其不得道,居然可知矣,又何疑乎?若謂於仙法應尸解者,何不且止人間一二百歲,住年不老,然後去乎?天下非無仙道也,寬但非其人耳。餘所以委曲論之者,寬弟子轉相教授,佈滿江表,動有千許,不覺寬法之薄,不足遵承而守之,冀得度世,故欲令人覺此而悟其滯迷耳。
有人李氏の道何時に起るを問う。我回答えて曰く、吳大帝の時、蜀中に李阿有り、穴居して食わず、世を傳え皆彼を見る能く、號は八百歲公。人往往事を問う、阿言說無し、只だ阿の顏色を看て以て卜を問う。若し顏色欣然なれば、則ち事皆吉。若し顏容慘戚なれば、則ち事皆凶。若し阿笑を含めば、則ち大慶有り。若し微微に歎息すれば、則ち深憂有り。此のごとき徵候、曾て一度失誤無し。後來ある日忽然として去り、在る所を知らず。後來一人有り姓は李名は寬、吳地に到りて蜀語を說き、能く水を祝して病を治して頗る愈ゆる有り、於是遠近翕然、寬則ち李阿と說き、因此共同彼を呼んで李八百と爲す、而も其の實不是。公卿以下、彼の門下に雲集せざる無し、後來轉じて驕貴し、再び能く常見せず、賓客只だ其の外門を拜して則ち退く、怪異此に至る。於是役を避くるの吏民、寬に依りて弟子と做る常に千人に近し、而も堂に升り室に入り、高業先進の、不過祝水及び三部符・日月を導引し、炁を行うを得るのみ、全く身を治するの要、神藥を服食し、年を延し命を駐め、不死の法無し。氣を吞み穀を斷てば、以て百日以內を得る可し、亦耐えて久しくする能わず、此れ其の術至淺を以て知る可し。我親識の裏趕上して寬を見る多有り、皆曰く寬衰老羸悴し、起止咳嗽噫氣し、目瞑み耳聾み、齒墮ち髮白く、漸漸又昏耗し、或は其の子孫を忘れ、凡人與差異無し。然れども民又寬故意無差異を裝作して以て人を欺くと說く、豈に是れ然らんや。吳曾て大疫有り、死者過半。寬の奉する所の道室、名は廬、寬亦溫病を得、廬に入りて齋戒すと托言し、於是廬中に死す。而も寬を事奉する人還た彼を化形尸解の仙と說く、不是眞死。神仙の法、俗人與同じからざる所以、正是れ不老不死を以て貴と爲すのみ。今寬老いれば則ち老い、死すれば則ち死す、此れ彼の道を得ざる、顯然として知る可し、又何の疑有らん。若し仙法に按りて當に尸解すべしと說かば、何を爲す且く人間に留まりて一二百歲、年を住して老いず、然る後去らざるや。天下仙道無きに非ず、寬只だ不是彼の種の人のみ。我の委曲に此らを論述する所以は、以て寬の弟子轉相教授し、江表に布滿し、動すれば則ち千來人有り、寬法の淺薄を覺えず、遵承して之を守るに足らず、世を度るを得んと希望す、故に人をして此を察覺して彼の滯迷を醒悟せしめんと欲するのみ。
天下有似是而非者,實為無限,將復略說故事,以示後人之不解者。昔汝南有人於田中設繩罥以捕獐而得者,其主未覺。有行人見之,因竊取獐而去,猶念取之不事。其上有鮑魚者,乃以一頭置罥中而去。本主來,於罥中得鮑魚,怪之以為神,不敢持歸。於是村裡聞之,因共為起屋立廟,號為鮑君。後轉多奉之者,丹楹藻梲,鐘鼓不絕。病或有偶愈者,則謂有神,行道經過,莫不致祀焉。積七八年,鮑魚主後行過廟下,問其故,人具為之說。其鮑魚主乃曰,此是我鮑魚耳,何神之有?於是乃息。
天下似て是にして非なる有り、實に無限、將に再び故事を略說し、以て後人解せざる人に拿げて看せん。昔汝南人田中に繩套を設けて麞を捕えて而も捕得たり、主人未だ發覺せず。行人有りて見、因此麞を偷取して去り、還た念る之を取りて事に像さずと。彼の身上に鮑魚有り、則ち一頭を取りて套中に放ちて去る。本主來り、套中に鮑魚を得、之を怪しみ以て神と爲し、敢て拿還せず。於是村里聞き、因此共同屋を起ち廟を立て、號は鮑君。後來轉じて奉祀する人更に多く、楹を丹にし棁を藻とし、鐘鼓絕えず。病或は偶然愈ゆる有れば、則ち神有りと說き、道を行て經過する、祀を致さざる無し。七八年を積し、鮑魚主人後來廟下を行過し、緣故を問えば、人詳細彼に說く。彼の鮑魚主人則ち曰く、此れ我の鮑魚のみ、何の神有らんと。於是纔かに停息す。
又南頓人張助者,耕白田,有一李栽,應在耕次,助惜之,欲持歸,乃掘取之,未得即去,以溼土封其根,以置空桑中,遂忘取之。助後作遠職不在。後其裡中人,見桑中忽生李,謂之神。有病目痛者,蔭息此桑下,因祝之,言李君能令我目愈者,謝以一肫。其目偶愈,便殺肫祭之。傳者過差,便言此樹能令盲者得見。遠近翕然,同來請福,常車馬填溢,酒肉滂沱,如此數年。張助罷職來還,見之,乃曰,此是我昔所置李栽耳,何有神乎?乃斫去便止也。
又南頓人張助、白田を耕し、李苗一棵有り、當に耕の次序の裏に在る、助之を愛惜し、拿還せんと欲し、則ち掘取し、未だ立刻離去せず、濕土を以て其の根を封じ、之を空桑中に放ち、於是取るを忘る。助後來遠職を做りて在らず。後來里中人、桑中忽然李を生ずを見、之を神と說く。病目痛の有る、此の桑下に蔭息し、因此祝禱して曰く、李君若能く我をして目愈えしめば、豬腿一隻を以て謝せんと。其の目偶然愈え、便ち豬腿を殺して之を祭る。傳說分寸を超過し、便ち此の樹能く盲者をして見を得しむと說く。遠近翕然、同じく來りて福を請い、常に車馬填溢し、酒肉滂沱、此のごとく數年。張助職を罷めて回來り、之を見て、則ち曰く、此れ我が從前放置せし李苗のみ、哪れにか神有らんと。則ち砍去し、便ち停止す。
又汝南彭氏墓近大道,墓口有一石人,田家老母到市買數片餅以歸,天熱,過蔭彭氏墓口樹下,以所買之餅暫著石人頭上,忽然便去,而忘取之。行路人見石人頭上有餅,怪而問之。或人云,此石人有神,能治病,愈者以餅來謝之。如此轉以相語,雲頭痛者摩石人頭,腹痛者摩石人腹,亦還以自摩,無不愈者。遂千里來就石人治病,初但雞豚,後用牛羊,為立帷帳,管絃不絕,如此數年。忽日前忘餅母聞之,乃為人說,始無復往者。
又汝南彭氏の墓大道に靠近し、墓口に石人一個有り、田家老母市上に到りて數片の餅を買い回來り、天熱、彭氏墓口の樹下を經過して歇蔭し、買う所の餅を暫時石人頭上に放ち、忽然便ち離去し、取るを忘る。行路人石人頭上に餅有るを見、怪しみて問う。或は有人曰く、此の石人神有り、能く病を治す、愈えたる者餅を拿げて以て之を謝すと。此のごとく輾轉相語り、頭痛すると說くは石人頭を摩し、腹痛すると說くは石人腹を摩し、亦還た以て自摩す、愈えざる無し。於是千里來りて石人に就きて病を治す、起初只だ雞豚を以てし、後來牛羊を以てす、彼の爲に帷帳を立て、管絃絕えず、此のごとく數年。忽然日前餅を忘れし老母聞說き、則ち人に對して說く、纔かに再び去る人無し。
又洛西有古大墓,穿壞多水,墓中多石灰,石灰汁主治瘡,夏月,行人有病瘡者煩熱,見此墓中水清好,因自洗浴,瘡偶便愈。於是諸病者聞之,悉往自洗,轉有飲之以治腹內疾者。近墓居人,便於墓所立廟舍而賣此水。而往買者又常祭廟中,酒肉不絕。而來買者轉多,此水盡,於是賣水者常夜竊他水以益之。其遠道人不能往者,皆因行便或持器遺信買之。於是賣水者大富。人或言無神,官申禁止,遂填塞之,乃絕。
又洛西に古大墓有り、穿壞して水多く、墓中石灰多し、石灰汁主に瘡を治す、夏天、行人瘡に病み煩熱する有り、此の墓中の水淸好なるを見、因此自ら洗浴し、瘡偶然便ち愈ゆ。於是諸の病む人聞き、皆去りて自ら洗い、轉じて之を飲して以て腹內疾を治する有り。墓に靠近して住する人、便ち墓所に廟舍を立てて此の水を賣る。而も去りて買う人又常に廟中に祭し、酒肉絕えず。來りて買う轉じて更に多く、此の水盡き、於是水を賣る常に夜に他水を偷んで以て添す。彼ら遠道にして去る能わざる者、皆出行に趁い或は人を托して器を帶び、信を送りて以て買う。於是水を賣る大富す。或は人神無しと說き、官令を申し禁止し、於是塡塞し、纔かに絕つ。
又興古太守馬氏在官,有親故人投之求恤焉,馬乃令此人出外住,詐雲是神人道士,治病無不手下立愈。又令辨士遊行,為之虛聲,雲能令盲者登視,躄者即行。於是四方雲集,趨之如市,而錢帛固已山積矣。又敕諸求治病者,雖不便愈,當告人言愈也,如此則必愈;若告人未愈者,則後終不愈也,道法正爾,不可不信。於是後人問前來者,前來輒告之雲已愈,無敢言未愈者也。旬日之閒,乃致鉅富焉。凡人多以小黠而大愚,聞延年長生之法,皆為虛誕,而喜信妖邪鬼怪,令人鼓舞祈祀。所謂神者,皆馬氏誑人之類也,聊記其數事,以為未覺者之戒焉。”
又興古太守馬氏官に在り、親故有りて來り投奔し救濟を求め、馬則ち此の人をして出外住せしめ、詐りて是れ神人道士と稱し、病を治して手下立刻愈えざる無しとす。又辨士をして游行せしめ、彼の爲に虛く聲名を張らしめ、能く盲者をして登時見せしめ、瘸を立刻走らしむと說く。於是四方雲集し、之に趨くこと市のごとし、錢帛固より已に山のごとく堆積す。又敕令諸の病を治せんと求むる、即使愈ゆに便せず、亦當に人に告げて曰く愈えたりと、此のごとくすれば則ち必ず愈ゆ。若し人に告げて未愈なれば、則ち後來終に愈えず、道法正是れ此のごとく、信ぜざる可からずと。於是後來の人前の來るを問う、前の來る則ち告げて已に愈えたりと說き、敢て未愈と說く無し。旬日の閒、則ち巨富を致す。凡人多く是れ小聰明にして大愚、延年長生の法を聞く、皆以て虛誕と爲す、卻りて妖邪鬼怪を信ずるを好み、人をして鼓舞祈祀せしむ。謂う所の神、皆是れ馬氏の人を誑くの一類、聊か此の數事を記し、以て未だ覺悟せざる人の戒と爲す」と。
或問曰:“世有了無知道術方伎,而平安壽考者,何也?”抱朴子曰:“諸如此者,或有陰德善行,以致福佑;或受命本長,故令難老遲死;或亦幸而偶爾不逢災傷。譬猶田獵所經,而有遺禽脫獸;大火既過,時餘不燼草木也。要於防身卻害,當修守形之防禁,佩天文之符劍耳。祭禱之事無益也,當恃我之不可侵也,無恃鬼神之不侵我也。然思玄執一,含景環身,可以辟邪惡,度不祥,而不能延壽命,消體疾也。任自然無方術者,未必不有終其天年者也,然不可以值暴鬼之橫枉,大疫之流行,則無以卻之矣。夫儲甲冑,蓄蓑笠者,蓋以為兵為雨也。若幸無攻戰,時不沈陰,則有與無正同耳。若矢石霧合,飛鋒煙交,則知裸體者之困矣。洪雨河傾,素雪彌天,則覺露立者之劇矣。不可以薺麥之細碎,疑陰陽之大氣,以誤晚學之散人,謂方術之無益也。”
有人問道て曰く「世上完全に術方技を知らず、卻りて平安壽考する有るは何を爲す」と。抱朴子曰く「此のごときの類、或は陰德善行有りて、以致福佑。或は受命本來長く、故に老い難く死遲し。或は亦幸にして偶り災傷に逢わず。譬へば田獵の經過する所、還た遺禽脫獸有り。大火既に過ぎ、時或は燒成灰を被らざるの草木を剩下す。要は身を防ぎ害を卻くに在り、當に形を守るの防禁を修め、天文の符劍を帶佩するのみ。祭禱の事益處無し、當に我の侵されざるを依仗し、鬼神の我を侵さざるを依仗する勿れ。然れども玄を思い一を執し、景を含み身を環れば、以て邪惡を辟き、不祥を度過す可し、卻りて能く壽命を延長し、體疾を消除せず。自然を任して方術無きは、未だ必ずしも其の天年を終る無きに非ず、然れども以て暴鬼の橫枉・大疫の流行に遇上す可からず、則ち退却するに從う無し。甲胄を儲備し蓑笠を蓄積するは、蓋し是れ兵の爲、雨の爲。若し幸にして攻戰無く、時令陰沈せざれば、則ち有と無正好同じ。若し矢石霧のごとく合して來り、飛鋒煙塵交錯せば、則ち裸體の人の困を知る。洪雨河のごとく傾瀉し、素雪天に滿ちれば、則ち露立の人の劇苦を覺ゆ。以て薺麥の細碎を、陰陽の大氣を疑い、以て晚學の散人を誤る可からず、方術益處無しと說く」と。
