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抱朴子内篇 · 第6巻

东晋 · 葛洪 · 第6巻 / 14

九言角。戊辰戊戌,己巳己亥,庚寅庚申,辛卯辛酉,壬午壬子,癸丑癸未。

九言是れ角。戊辰戊戌、己巳己亥、庚寅庚申、辛卯辛酉、壬午壬子、癸丑癸未。

禹步法:前舉左,右過左,左就右。次舉右,左過右,右就左。次舉右,右過左,左就右。

禹步の法、先ず左足を擧げ、右足左足を越過し、左足右足に靠上す。其次右足を擧げ、左足右足を越過し、右足左足に靠上す。其次右足を擧げ、右足左足を越過し、左足右足に靠上す。

如此三步,當滿二丈一尺,後有九跡。

此のごとき三步、當に二丈一尺に滿つべし、後面に九個の足迹有り。

小神方,用真丹三斤,白蜜一斤,合和日曝煎之,令可丸。旦服如麻子十丸,未一年,發白更黑,齒墮更生,身體潤澤,長服之,老翁還成少年,常服長生不死也。

小神方、真丹三斤、白蜜一斤を以て、合和して日下に曝曬して之を煎し、之をして丸可からしめ、早晨麻子大の十丸を服せば、一年に至らず、髮白くして更に黑く、齒墮ちて更に生じ、身體潤澤し、長期服せば、老翁還りて少年と成り、常に服せば長生不死。

小餌黃金方,火銷金納清酒中,二百出,二百入,即沸矣。握之出指間,令如泥,若不沸及握之不出指間,即復銷之內酒中無數也。成服如彈丸一枚,亦可汁一丸分為小丸,服三十日,無寒溫,神人玉女下之。又銀亦可餌,與金同法。服此二物,可居名山石室中,一年即輕舉矣。人間服之,名地仙,勿妄傳也。

小餌黃金方、火金を銷して淸酒中に納入し、二百次出、二百次入、則ち沸す。之を握住して指閒より擠出させ、之をして泥のごとくせしむ、若し沸せずおよび握住して擠出し指閒より出ざれば、則ち再び銷して酒中に納入すること無數次。成れば彈丸一枚のごときを服し、亦以一丸を分かちて小丸と爲す可し、三十日服せば、寒溫無し、神人玉女下り來る。又銀亦餌す可し、金與同一の法。此の兩物を服し、以て名山石室中に住す可し、一年にして則ち輕擧す。人間に在りて服す、名は地仙、妄りに傳ふる勿れ。

兩儀子餌銷黃金法,豬負革肪三斤,醇苦酒一斗,取黃金五兩,置器中煎之,出爐,以金置肪中,百入百出,苦酒亦爾,餐一斤金,壽弊天地,食半斤金,壽二千歲;五兩,千二百歲,無多少,便可餌之。當以王相之日,作之神良,勿傳人,傳人,藥不成不神也。欲食去屍藥,當服丹砂。

兩儀子餌銷黃金法、豬負革肪三斤、醇苦酒一斗、黃金五兩を取り、器中に放ちて煎し、爐を出でて、金を肪中に放ち、百次入百次出、苦酒亦此のごとし、金一斤を餐すれば、壽天地與同弊し、金半斤を食すれば、壽二千歲。五兩、千二百歲、多少を論せず、便ち以て餌す可し。當に王相の日に作るべし、神良、人に傳ふる勿れ、人に傳へば、藥成らず神ならず。尸を去るの藥を喫せんと欲せば、當に丹砂を服すべし。

餌丹砂法,丹砂一斤,搗篩,下醇苦酒三升,淳漆二升,凡三物合,令相得,微火上煎之,令可丸,服如麻子三丸,日再。四十日,腹中百病癒,三尸去;服之百日,肌骨堅強;服之千日,司命削死籍,與天地相保,日月相望,改形易容,變化無常,日中無影,乃別有光矣。

丹砂を餌する法、丹砂一斤、擣篩し、醇苦酒三升・淳漆二升を下し、凡そ三物合し、之らをして相得せしめ、微火上に煎じ、之をして丸可からしめ、麻子大の三丸を服し、一日兩次。四十日、腹中百病愈え、三尸去る。百日を服せば、肌骨堅強。千日を服せば、司命死籍を削去し、天地與相保ち、日月相望み、形を改め容を易え、變化無常、日中影無し、卻りて別に光有り。

卷十二·辨問

卷十二・辨問

或問曰:“若仙必可得,聖人已修之矣,而周孔不為之者,是無此道可知也。”抱朴子答曰:“夫聖人不必仙,仙人不必聖。聖人受命,不值長生之道,但自欲除殘去賊,夷險平暴,制禮作樂,著法垂教,移不正之風,易流遁之俗,匡將危之主,扶亡徵之國,刊詩書,撰河洛,著經誥,和雅頌,訓童蒙,應聘諸國,突無凝煙,席不暇暖。其事則鞅掌罔極,窮年無已,亦焉能閉聰掩明,內視反聽,呼吸導引,長齋久潔,入室煉形,登山採藥,數息思神,斷谷清哉?至於仙者,唯須篤志至信,勤而不怠,能恬能靜,便可得之,不待多才也。有入俗之高真,乃為道者之重累也。得合一大藥,知守一養神之要,則長生久視,豈若聖人所修為者云云之無限乎?且夫俗所謂聖人者,皆治世之聖人,非得道之聖人,得道之聖人,則黃老是也。治世之聖人,則周孔是也。黃帝先治世而後登仙,此是偶有能兼之才者也。古之帝王,刻於泰山,可省讀者七十二家,其餘磨滅者,不可勝數,而獨記黃帝仙者,其審然可知也。

有人問道て曰く「若し仙必ず以て得る可し、聖人已に之を修めたり、而も周公孔子做らざるは、是れ此の道無きを以て知る可し」と。抱朴子回答えて曰く「聖人必ずしも是れ仙ならず、仙人必ずしも是れ聖ならず。聖人命を受け、長生の道に遇上せず、只だ自ら想う殘を除き賊を去り、險暴を夷平し、禮を制し樂を作り、法を著し教を垂れ、不正の風を移し、流遁の俗を改易し、將に危なんとする主を匡救し、亡徵有るの國を扶持し、詩書を刊定し、河洛を撰集し、經誥を著し、雅頌を和し、童蒙を訓し、諸國に應聘し、煙囪凝煙無く、席暖まるに及ばず。彼の事則ち紛繁にして極限無く、年を窮めて停まらず、又怎んぞ能く聰を閉じ明を掩い、內視反聽し、呼吸導引し、長齋久潔し、室に入りて形を煉し、山に登りて藥を采し、息を數え神を思い、穀を斷ち淸靜せんや。至於仙の者、只だ須らく篤志至信、勤にして怠らず、能く恬に能く靜にすれば、便ち以て得る可し、多才を等待せず。俗に入るの高眞、反りて是れ道者の爲るの重累。能く一種の大藥を合し、一を守り神を養うの要を知れば、則ち長生久視す、哪れにか聖人の修爲する所のごとく紛紜無限ならんや。再び說く世俗の謂う所の聖人、皆是れ治世の聖人、不是得道の聖人、得道の聖人、則ち是れ黃老。治世の聖人、則ち是れ周公孔子。黄帝先に世を治めて後に仙に登る、此れ是れ偶有能く兼ねるの才。古の帝王、泰山に刻す、以て省讀す可き七十二家、其餘磨灭する、數を勝る可からず、而も獨り黄帝の成仙を記下す、彼の審然として以て知る可し。

世人以人所尤長,眾所不及者,便謂之聖。故善圍棋之無比者,則謂之棋聖,故嚴子卿馬綏明於今有棋聖之名焉。善史書之絕時者,則謂之書聖,故皇象胡昭於今有書聖之名焉。善圖畫之過人者,則謂之畫聖,故衛協張墨於今有畫聖之名焉。善刻削之尤巧者,則謂之木聖,故張衡馬鈞於今有木聖之名焉。故孟子謂伯夷,清之聖者也;柳下惠,和之聖者也;伊尹,任之聖者也。吾試演而論之,則聖非一事。夫班輸倕狄,機械之聖也;附扁和緩,治疾之聖也;子韋甘均,占候之聖也;史蘇辛廖,卜筮之聖也;夏育杜回,筋力之聖也;荊軻聶政,勇敢之聖也,飛廉夸父,輕速之聖也;子野延州,知音之聖也;孫吳韓白,用兵之聖也。聖者,人事之極號也,不獨於文學而已矣。莊周云:盜有聖人之道五焉。妄意而知人之藏者,明也;先入而不疑者,勇也;後出而不懼者,義也;知可否之宜者,知也;分財均同者,仁也。不得此道而成天下大盜者,未之有也。”

(抱朴子接續して曰く)世人の尤も長ずる所、衆人の及ばざる所を以てすれば、則ち聖と稱す。故に圍棋に善き無比なれば、則ち棋聖と稱す、故に嚴子卿・馬綏明今に至るまで棋聖の名有り。史書に善き當時に絕するは、則ち書聖と稱す、故に皇象・胡昭今に至るまで書聖の名有り。圖畫に善き人に過ぎるは、則ち畫聖と稱す、故に衛協・張墨今に至るまで畫聖の名有り。刻削に善き尤も巧なるは、則ち木聖と稱す、故に張衡・馬鈞今に至るまで木聖の名有り。故に孟子曰く伯夷、是れ淸の聖。柳下惠、是れ和の聖。伊尹、是れ任の聖と。我試みに演繹して論ずれば、則ち聖不是一事。班輸・倕・狄、是れ機械の聖。附・扁・和・緩、是れ疾を治するの聖。子韋・甘均、是れ占候の聖。史蘇・辛廖、是れ卜筮の聖。夏育・杜回、是れ筋力の聖。荆軻・聶政、是れ勇敢の聖。飛廉・夸父、是れ輕速の聖。子野・延州、是れ知音の聖。孫・吳・韓・白、是れ兵を用うるの聖。聖は、是れ人事の極號、不獨文學に在るのみ。莊周曰く、盜に聖人の道五有り。妄意して人の藏を知るは、是れ明。先に入りて疑わざるは、是れ勇。後に出でて懼れざるは、是れ義。可否之宜を知るは、是れ知。財を分かち均同なるは、是れ仁。此の道を得ずして天下大盜と成るは、是れ無しと。

或曰:“聖人之道,不得枝分葉散,必總而兼之,然後為聖。”

有人曰く「聖人の道、枝分葉散を得ず、必ず總めて之を兼ね、然る後聖と爲す」と。

餘答之曰:“孔子門徒,達者七十二,而各得聖人之一體,是聖事有剖判也。又云:顏淵具體而微,是聖事有厚薄也。又易曰:有聖人之道四焉,以言者尚其辭,以動者尚其變,以制器者尚其象,以卜筮者尚其占。此則聖道可分之明證也。何為善於道德以致神仙者,獨不可謂之為得道之聖?苟不有得道之聖,則周孔不得為治世之聖乎?既非一矣,何以當責使相兼乎?按仙經以為諸得仙者,皆其受命偶值神仙之氣,自然所稟。故胞胎之中,已含信道之性,及其有識,則心好其事,必遭明師而得其法,不然,則不信不求,求亦不得也。玉鈐經主命原曰:人之吉凶,制在結胎受氣之日,皆上得列宿之精。其值聖宿則聖,值賢宿則賢,值文宿則文,值武宿則武,值貴宿則貴,值富宿則富,值賤宿則賤,值貧宿則貧,值壽宿則壽,值仙宿則仙。又有神仙聖人之宿,有治世聖人之宿,有兼二聖之宿,有貴而不富之宿,有富而不貴之宿,有兼富貴之宿,有先富後貧之宿,有先貴後賤之宿,有兼貧賤之宿,有富貴不終之宿,有忠孝之宿,有兇惡之宿。如此不可具載,其較略如此。為人生本有定命,張車子之說是也。苟不受神仙之命,則必無好仙之心,未有心不好之而求其事者也,未有不求而得之者也。自古至今,有高才明達,而不信有仙者,有平平許人學而得仙者,甲雖多所鑑識而或蔽於仙,乙則多所不通而偏達其理,此豈非天命之所使然乎?

我彼に回答えて曰く「孔子の門徒、達する七十二、而も各々聖人の一體を得、此れ是れ聖事剖判有り。又曰く、顏淵具體にして微なり、此れ是れ聖事厚薄有り。又《易》曰く、聖人の道四有り、以て說する其の辭を崇尚し、以て動く其の變を崇尚し、以て器を制する其の象を崇尚し、以て卜筮する其の占を崇尚す。此れ則ち聖道分け可きの明證。何を爲す道德に善きを以て神仙を致すは、獨り得道の聖と稱す可からずと爲さんや。若し得道の聖無からば、則ち周公孔子治世の聖と爲るを得ざらんか。既に一に非ず、何を爲す當に彼らをして相兼せしめんと責備せんや。仙經に按ずるに以て諸の仙を得る、皆是れ受命して偶り神仙の氣に值し、自然の禀する所。故に胞胎の中、已に道を信ずるの性を含み、識有るに及べば、則ち心彼の事を好み、必ず明師に遭りて彼の法を得、然らざれば、則ち信ぜず求めず、求めて亦得ず。《玉鈐經主命原》曰く、人の吉凶、結胎受氣の日に制さる、皆上列宿の精を得。聖宿に值れば則ち聖、賢宿に值れば則ち賢、文宿に值れば則ち文、武宿に值れば則ち武、貴宿に值れば則ち貴、富宿に值れば則ち富、賤宿に值れば則ち賤、貧宿に值れば則ち貧、壽宿に值れば則ち壽、仙宿に值れば則ち仙。又有神仙聖人の宿、有治世聖人の宿、有兼二聖の宿、有貴にして不富の宿、有富にして不貴の宿、有兼富貴の宿、有先富後貧の宿、有先貴後賤の宿、有兼貧賤の宿、有富貴不終の宿、有忠孝の宿、有凶惡の宿。此のごとく盡く記載す可からず、大較此のごとし。人爲れて一生本定命有り、張車子の說法是れ此のごとし。若し神仙の命を受けざれば、則ち必ず仙を好むの心無し、心無きは好まずして卻りて彼の事を求むる無し、求めずして卻りて得る無し。古より今に至る、高才明達有りて、而も仙有るを信を信ぜざる有り、平平許人學びて仙を得る有り、甲雖も多く鑑識するも而も或は仙に蔽され、乙則ち多く通ぜざるも而も偏に彼の理に達す、此れ豈に天命の使然する所に非ずや」と。

夫道家寶秘仙術,弟子之中,尤尚簡擇,至精彌久,然後告之以要訣,況於世人,幸自不信不求,何為當強以語之邪?既不能化令信之,又將招嗤速謗。故得道之士,所以與世人異路而行,異處而止,言不欲與之交,身不欲與之雜。隔千里,猶恐不足以遠煩勞之攻;絕軌跡,猶恐不足以免毀辱之醜。貴不足以誘之,富不足以移之,何肯當自衒於俗士,言我有仙法乎?此蓋周孔所以無緣而知仙道也。且夫周孔,蓋是高才大學之深遠者耳,小小之伎,猶多不閒。使之跳丸弄劍,逾鋒投狹,履登幢,擿盤緣案,跟掛萬仞之峻峭,游泳呂梁之不測,手扛千鈞,足躡驚飆,暴虎檻豹,攬飛捷矢,凡人為之,而周孔不能,況過於此者乎?他人之所念慮,蚤蝨之所首向,隔牆之朱紫,林下之草芥,匣匱之書籍,地中之寶藏,豐林邃藪之鳥獸,重淵洪潭之魚鱉,令周孔委曲其采色,分別其物名,經列其多少,審實其有無,未必能盡知,況於遠此者乎?聖人不食則飢,不飲則渴,灼之則熱,凍之則寒,撻之則痛,刃之則傷,歲久則老矣,損傷則病矣,氣絕則死矣。此是其所與凡人無異者甚多,而其所以不同者至少矣。所以過絕人者,唯在於才長思遠,口給筆高,德全行潔,強訓博聞之事耳,亦安能無事不兼邪?既已著作典謨,安上治民,復欲使之兩知仙道,長生不死,以此責聖人,何其多乎?吾聞至言逆俗耳,真語必違眾,儒士卒覽吾此書者,必謂吾非毀聖人。吾豈然哉?但欲盡物理耳,理盡事窮,則似於謗訕周孔矣。世人謂聖人從天而墜,神靈之物,無所不知,無所不能。甚於服畏其名,不敢復料之以事,謂為聖人所不為,則人無復能之者也;聖人所不知,則人無復知之者也,不可笑哉?今具以近事校之,想可以悟也。完山之鳥,賣生送死之聲,孔子不知之,便可復謂顏回只可偏解之乎?

(我接續して曰く)道家仙術を寶祕し、弟子の中、尤も簡擇を崇尚し、至精甚だ久しき、然る後要訣を以て彼に告ぐ、何況世人、幸にして自ら信ぜず求めず、何を爲す當に強りて言を以て彼に告げんや。既に能く化して彼をして信ぜしめず、又將に嗤を招きて謗を加速せん。故に道を得る之士、世人與異路して行き、異處して止まる所以、言彼ら與交わらんと欲せず、身彼ら與雜らんと欲せず。千里を隔て、還た怕れる煩勞の攻を遠離するに足らざるを。軌跡を斷絕し、還た怕れる毀辱の醜を免るるに足らざるを。貴以て彼を誘うに足らず、富以て彼を移すに足らず、怎んぞ肯んじて自ら俗士に向かい炫耀し、我仙法有りと說かんや。此れ蓋し是れ周公孔子の仙道を知るに緣無き所以。再び說く周公孔子、蓋し是れ高才大學裏深遠のみ、小小の伎藝、還た多く嫺熟せず。彼らをして丸を跳ばし劍を弄し、鋒刃を越過し、狹處に投入し、幢を履登し、盤を擿き案に緣り、脚跟萬仞の峻峭に挂け、吕梁不測の處に游泳し、手千鈞を扛ぎ、足驚飆を蹑み、虎を暴れ豹を檻し、飛捷の矢を攬れしむれば、凡人此らを做る、而も周公孔子能わず、何況此らを超過するをや。他人の念慮する所、蚤虱の頭向する所、牆を隔てるの朱紫、林下の草芥、匣匱の書籍、地中の寶藏、豐林邃藪の鳥獸、重淵洪潭の魚鱉、周公孔子をして委曲に彼らの采色を說き、彼らの物名を分別し、彼らの多少を經列し、彼らの有無を審實せしめば、未だ必ずしも盡く知る能わず、何況遠く此らを過ぐるをや。聖人食わざれば則ち饑え、飲まざれば則ち渇し、之を灼けば則ち熱し、之を凍れば則ち寒し、之を撻れば則ち痛み、刀刃之れば則ち傷り、歲久しければ則ち老い、損傷すれば則ち病み、氣絕すれば則ち死す。此れ彼らの凡人與異なる無きの多し、而も同じからざる所以の至も少なし。人を過絶する所以、只だ才長思遠・口給筆高・德全行潔・强訓博聞の事に在るのみ、又怎んぞ能く事と無く兼ねんや。既に典謨を著作し、上を安んじ民を治め、又想う彼らをして兩つ仙道を知らしめ、長生不死せんと、此を以て聖人を責備す、何其多きや。我聞く至言俗耳に逆らい、眞語必ず衆に違う、儒士倉促我が此の書を看る、必ず我聖人を非毀すと說かん。我哪れにか是れ此のごとくならんや。只だ想う物理を盡くすのみ、理盡き事窮まれば、猶ほ周公孔子を謗訕するがごとし。世人說く聖人天より墜ち、是れ神靈の物、知らざる無し、能わざる無しと。過分其の名を服畏し、敢て再び事を以て料度せず、說く聖人の做らざる所、則ち人再び能くする無し。聖人の知らざる所、則ち人再び知る無し、可笑ならずや。今皆近事を以て之を校す、想う以て醒悟す可し。完山の鳥、生を賣り死を送るの聲、孔子知らず、便ち以て再び顏回只だ偏解す可しと說かんや。

聞太山婦人之哭,問之,乃知虎食其家三人,又不知此婦人何以不徙去之意,須答乃悟。見羅雀者純得黃口,不辨其意,問之乃覺。及欲葬母,不知父墓所在,須人語之,既定墓崩,又不知之,弟子誥之,乃泫然流涕。又疑顏淵之盜食,乃假言欲祭先人,卜掇塵之虛偽。廄焚,又不知傷人馬否。顏淵後,便謂之已死。又周流七十餘國,而不能逆知人之必不用之也,而棲棲遑遑,席不暇溫。又不知匡人當圍之,而由其途。問老子以古禮,禮有所不解也。問郯子以鳥官,官有所不識也。行不知津,而使人問之,又不知所問之人,必譏之而不告其路,若爾可知不問也。下車逐歌鳳者,而不知彼之不住也。見南子而不知其無益也。諸若此類,不可具舉,但不知仙法,何足怪哉?又俗儒云:聖人所不能,則餘人皆不能。則宕人水居,梁母火化,伯子耐至熱,仲都堪酷寒,左慈兵解而不死,甘始休糧以經歲,範軼見斫而不入,鱉令流屍而更生,少千執百鬼,長房縮地脈,仲甫假形於晨鳧,張楷吹噓起雲霧,未聞周孔能為斯事也。”

(我接續して曰く)太山婦人の哭を聞き、之を問うて、纔かに虎其の家三人を食えるを知り、又此の婦人何を爲す遷徙離去せざるの意を知らず、須らく回答して纔かに悟る。雀を羅るの純黄口を得るを見、彼の意を辨せず、問うて纔かに覺ゆ。及び母を葬らんと欲して、父の墓所在を知らず、須らく人の告ぐる、既定墓崩れ、又知らず、弟子彼に告げて、纔かに泫然として流涕す。又顏淵食を盜むを疑い、纔かに假りて先人を祭らんと欲すと說き、彼の塵を掇るの虛僞を卜す。廐焚け、又人馬を傷る有無を知らず。顏淵後落すれば、便ち彼已に死せりと說く。又七十餘國を周流し、而も能く豫め人必ず彼を用いざるを知らず、而も栖栖遑遑、席溫まるに及ばず。又匡人當に彼を圍むべきを知らず、而も彼の條路に從い行く。老子に古禮を問う、禮解せざる所有り。郯子に鳥官を問う、官識らざる所有り。路を行きて渡口を知らず、而も人をして問はしめ、又所問の人を知らず、必ず彼を譏りて路を告げず、若し此のごとく以て知る可きは問わず。車を下りて鳳を歌う者を追う、而も彼の留まらざるを知らず。南子を見て益無きを知らず。此のごときの類、盡く列擧す可からず、只だ仙法を知らざる、哪れにか怪むに足らん。又俗儒說く、聖人の能わざる所、則ち其餘人皆能わずと。則ち宕人水に居り、梁母火に化し、伯子至熱に耐え、仲都酷寒に堪え、左慈兵解して死せず、甘始糧を休めて歲を經、范軼斫られて入らず、鱉令尸を流して更生し、少千百鬼を執り、長房地脈を縮め、仲甫形を晨鳧上に假り、張楷吹噓して雲霧を起す、未だ周公孔子此らの事を做る能くするを聞かず。

俗人或曰:“周孔皆能為此,但不為耳。”

俗人或は說く「周公孔子皆能く此らを做る、只だ做らざるのみ」と。

吾答之曰:“必不求之於明文,而指之以空言者,吾便可謂周孔能振翮翻飛,翱翔八極,興雲致雨,移山拔井,但不為耳。一不以記籍見事為據者,復何限哉?必若所云者,吾亦可以言周孔皆已昇仙,但以此法不可以訓世,恐人皆知不死之可得,皆必悉委供養,廢進宦而登危浮深,以修斯道,是為家無復子孫,國無復臣吏,忠孝並喪,大倫必亂,故周孔密自為之,而秘不告人,外託終亡之形,內有上仙之實。如此,則子亦將何以難吾乎?亦又未必不然也。靈寶經有正機平衡飛龜授袟凡三篇,皆仙術也。吳王伐石以治宮室,而於合石之中,得紫文金簡之書,不能讀之,使使者持以問仲尼,而欺仲尼曰:‘吳王閒居,有赤雀銜書以置殿上,不知其義,故遠諮呈。’仲尼以視之,曰:‘此乃靈寶之方,長生之法,禹之所服,隱在水邦,年齊天地,朝於紫庭者也。禹將仙化,封之名山石函之中,乃今赤雀銜之,殆天授也。’以此論之是夏禹不死也,而仲尼又知之;安知仲尼不皆密修其道乎?正復使聖人不為此事,未可謂無其效也。人所好惡,各各不同,諭之以面,豈不信哉?誠合其意,雖小必為也;不合其神,雖大不學也。好苦憎甘,既皆有矣,嗜利棄義,亦無數焉。‘聖人之大寶曰位,何以聚人曰財。’又曰:‘富與貴,是人之所欲’,而昔已有禪之以帝王之位而不用,委之以四海之富而不願,蔑三九之官,背玉帛之聘,遂山林之高潔,甘魚釣之陋業者,蓋不可勝數耳。又曰:‘男女飲食,人之大欲存焉。’是以好色不可諫,甘旨可忘憂。昔有絕谷棄美,不畜妻妾,超然獨往,浩然得意,顧影含歡,漱流忘味者,又難勝記也。人情莫不愛紅顏豔姿,輕體柔身,而黃帝逑篤醜之嫫母,陳侯憐可憎之敦洽。

我彼に回答えて曰く「必ず明文に向かい求めず、而も空言を以て指に來るは、我便ち說く可し周公孔子能く翮を振るい翻飛し、八極に翱翔し、雲を興して雨を致し、山を移し井を拔く、只だ做らざるのみと。一たび記籍の見る所の事を以て據と爲さざれば、又何の限度有らん。必ず若し說く所のごとくならば、我亦說く可し周公孔子皆已に升仙し、只だ此の法以て世を訓う可からざるに因りて、怕れる人皆知る不死得る可きを、皆必ず全部供養を委棄し、進宦を廢して危に登り深に浮かび、以て此の道を修めんことを、此のごとくすれば則ち是れ家再び子孫有らず、國再び臣吏有らず、忠孝一竝に喪し、大倫必ず亂る、故に周公孔子密かに自ら做り、而も祕して人に告げず、外面終亡の形を托し、內裏上仙の實有りと。此のごとき、則ち您又將に何を以て我を難ぜんや。亦又未だ必ずしも此のごとくならざらず。《靈寶經》正機・平衡・飛龜授袟凡そ三篇有り、皆是れ仙術。吳王石を伐りて以て宮室を治めんとし、而も石を合する中に、紫文金簡の書を得、讀む能わず、使者をして拿げて仲尼に問はしめ、而も仲尼を欺きて曰く『吳王閑居、赤雀書を銜へて殿上に放つ、彼の義を知らず、故に遠く來りて咨呈す』と。仲尼之を看て曰く『此れ是れ靈寶の方、長生の法、禹の服する所、水邦に隱れ、年天地與齊し、紫庭に朝するなり。禹將に仙化せんとし、名山石函の中に封す、今赤雀銜へて來る、蓋し是れ天授』と。此を以て論ずれば是れ夏禹死せず、而も仲尼又之を知る、怎んぞ知る仲尼皆密かに彼の道を修めざるをや。正即使聖人此の事を做らざるも、亦以て彼の效無しと說く可からず。人の好惡、各々同じからず、臉を以て曉諭す、豈に信ならずや。誠に其の意に合すれば、雖も小必ず做る。其の神に合せざれば、雖も大學ばず。苦を好み甘を憎む、既に皆之有り、利を嗜み義を棄つ、亦數無し。『聖人の大寶位と曰い、何を以て人を聚むる財と曰う』。又曰く『富與貴、是れ人の欲する所』と、而も從前已に帝王の位を以て禪讓して用ゐず、四海の富を以て彼に委ねて願わず、三九の官を蔑視し、玉帛の聘を背棄し、山林の高潔を遂げ、魚釣の陋業に甘心する有り、蓋し數を勝る可からず。又曰く『男女飲食、人の大欲彼に存在す』と。故に色を好むは諫む可からず、甘旨以て憂を忘る可し。從前絕谷棄美し、妻妾を畜わず、超然として獨り往き、浩然として得意し、影を顧みて歡を含み、流れに漱いで味を忘るる有り、又記を勝ること難し。人情愛せざる無し紅顏艷姿・輕體柔身、而も黄帝篤醜の嫫母を逑娶し、陳侯可憎の敦洽を憐む。

人鼻無不樂香,故流黃鬱金、芝蘭蘇合、玄膽素膠、江離揭車、春蕙秋蘭,價同瓊瑤,而海上之女,逐酷臭之夫,隨之不止。周文嗜不美之菹,不以易太牢之滋味。魏明好椎鑿之聲,不以易絲竹之和音。人各有意,安可求此以同彼乎?周孔自偶,不信仙道,日月有所不照,聖人有所不知,豈可以聖人所不為,便雲天下無仙!是責三光不照覆盆之內也。”

(我接續して曰く)人の鼻香を樂しまざる無し、故に流黃・郁金・芝蘭・蘇合・玄膽・素膠・江離・揭車・春蕙秋蘭、價瓊瑤に同じ、而も海上の女、酷臭の夫を追逐し、隨從して止まず。周文不美の菹を嗜み、以て太牢の滋味に換えず。魏明椎鑿の聲を好み、以て絲竹の和音に換えず。人各々意有り、怎んぞ以て此を求めて彼に同じくせんや。周公孔子自ら偶合し、仙道を信ぜず、日月照らさざる所有り、聖人知らざる所有り、怎んぞ以て聖人の做らざる所に因りて、便ち天下仙無しと說かん。此れ是れ三光を責備して覆盆の內を照らさざるなり」と。

卷十三·極言

卷十三・極言

或問曰:“古之仙人者,皆由學以得之,將特稟異氣耶?”抱朴子答曰:“是何言歟?彼莫不負笈隨師,積其功勤,蒙霜冒險,櫛風沐雨,而躬親灑掃,契闊勞藝,始見之以信行,終被試以危困,性篤行貞,心無怨貳,乃得升堂以入於室。或有怠厭而中止,或有怨恚而造退,或有誘於榮利,而還修流俗之事,或有敗於邪說,而失其淡泊之志,或朝為而夕欲其成,或坐修而立望其效。若夫睹財色而心不戰,聞俗言而志不沮者,萬夫之中,有一人為多矣。故為者如牛毛,獲者如麟角也。夫彀勁弩者,效力於發箭;涉大川者,保全於既濟;井不達泉,則猶不掘也;一步未至,則猶不往也。修塗之累,非移晷所臻;凌霄之高,非一簣之積。然升峻者患於垂上而力不足,為道者病於方成而志不遂。千倉萬箱,非一耕所得;幹天之木,非旬日所長;不測之淵,起於汀瀅;陶朱之資,必積百千。若乃人退己進,陰子所以窮至道也。敬卒若始,羨門所以致雲龍也。我志誠堅,彼何人哉?”

有人問道て曰く「古の仙人、皆學びに由りて得たるか、還た特に異氣を禀けたるか」と。抱朴子回答えて曰く「此れ是れ何の言。彼ら負笈して師に隨わざる無く、彼の功勤を積み、霜を蒙り險を冒し、風に櫛り雨に沐り、而も自ら灑掃し、契闊勞藝し、始め信行を以て見え、終り危困を以て試せられ、性篤く行貞く、心怨貳無くして、纔かに堂に升り室に入るを得。或は怠厭して中止する有り、或は怨恚して造退する有り、或は榮利に誘われて、而も回來りて流俗の事を修むる有り、或は邪說に敗れて、而も淡泊の志を失う有り、或は朝做りて夕成功を想う有り、或は坐して修めて立刻効を望む有り。至於財色を見て心戰わず、俗言を聞きて志沮らざるは、萬夫の中、一人已に多しと算す。故に做るは牛毛のごとく、獲得するは麟角のごとし。彀滿强弩するは、效力箭を發するに在り。大川に涉るは、保全既濟に在り。井泉に達せざれば、則ち還た掘らざるに像る。一步未だ至らざれば、則ち還た去らざるに像る。長途の積累、不是移晷の到る能くする所。霄に凌ぐの高、不是一簣の積。然れども峻に登る人患將に上らんとして力足らざるに在り、道を爲る人病將に成らんとして志遂げざるに在り。千倉萬箱、不是一耕の所得。上雲霄に衝くの木、不是旬日の長ずる所。不測の淵、淺汀より起る。陶朱の資、必ず百千を積む。至於人退己進は、是れ陰子の道至を窮める所以。敬重終結始のごときは、是れ羨門の雲龍を招致する所以。我が志誠堅し、彼是れ何人。

抱朴子曰:“俗民既不能生生,而務所以煞生。夫有盡之物,不能給無已之耗;江河之流,不能盈無底之器也。凡人利入少而費用多者,猶不供也,況無錙銖之來,而有千百之往乎?人無少長,莫不有疾,但輕重言之耳。而受氣各有多少,多者其盡遲,少者其竭速。其知道者補而救之,必先復故,然後方求量表之益。若令服食終日,則肉飛骨騰,導引改朔,則羽翮參差,則世閒無不信道之民也。患乎升勺之利未堅,而鍾石之費相尋,根柢之據未極,而冰霜之毒交攻。不知過之在己,而反雲道之無益,故捐丸散而罷吐納矣。故曰非長生難也,聞道難也;非聞道難也,行之難也;非行之難也,終之難也。良匠能與人規矩,不能使人必巧也。明師能授人方書,不能使人必為也。夫修道猶如播谷也,成之猶收積也。厥田雖沃,水澤雖美,而為之失天時,耕鋤又不至,登稼被壟,不獲不刈,頃畝雖多,猶無獲也。凡夫不徒不知益之為益也,又不知損之為損也,夫損易知而速焉,益難知而遲焉,人尚不悟其易,安能識其難哉?夫損之者如燈火之消脂,莫之見也,而忽盡矣。益之者如苗禾之播殖,莫之覺也,而忽茂矣。故治身養性,務謹其細,不可以小益為不平而不修,不可以小損為無傷而不防。凡聚小所以就大,積一所以至億也。若能愛之於微,成之於著,則幾乎知道矣。”

抱朴子曰く「俗民既に能く生命を生長せしめず、卻りて專ら生を殺す所以を務む。盡き有るの物、能く無已の耗を供給せず。江河の流、能く無底の器を盈滿せず。凡人利入少なくして費用多きは、尚ほ供給せず、何況錙銖の來無くして、千百の往有るをや。人少長を論ぜず、疾有らざる無し、只だ輕重を以て言うのみ。而も氣を受くる各々多少有り、多きは盡き得ること遲し、少きは枯竭すること快し。彼ら知る人補いて之を救う、必ず先ず故狀を恢復し、然る後纔かに量表上の益を求む。若し人をして服食終日せしめば、則ち肉飛び骨騰す、導引朔を改めれば、則ち羽翮參差す、則ち世上信道の民無からん。怕るるは升勺の利未だ堅ならずして、而も鐘石の費相尋して來り、根柢の據未だ極まらずして、而も冰霜の毒交攻す。過己に在るを知らず、卻りて反りて道路益無しと說き、故に丸散を捐棄して吐納を罷めたり。故に說く不是長生難、道を聞く難。不是道を聞く難、實行難。不是實行難、終結難と。良匠能く人に規矩を與へ、能く人をして必ず巧ならしめず。明師能く人に方書を授け、能く人をして必ず做らしめず。道を修むるは譬へば穀を播くがごとく、成就するは譬へば收積するがごとし。彼の田雖も肥沃、水澤雖も美なりとも、而も作りて天時を失い、耕鋤又到らず、莊稼壟に鋪滿し、獲せず刈らず、頃畝雖も多し、還た收穫無し。凡夫不但益の益と爲るを知らず、又損の損と爲るを知らず、損知り易くして快く、益知り難くして遲し、人尚ほ彼の易きを悟らず、怎んぞ能く彼の難きを識らんや。損のは像く燈火脂を消す、見る無くして、而も忽然盡く。益のは像く苗禾播殖す、覺え無くして、而も忽然茂る。故に身を治め性を養う、務めて彼の細の細處を謹み、以小益を以て不平と爲して修めざる可からず、以小損を以て傷無しと爲して防がざる可からず。凡そ小を聚むる大を就くる所以、一を積む億に到る所以。若能く微處にて之を愛し、顯著處にて之を成せば、則ち幾んど知らん。

或問曰:“古者豈有無所施行,而偶自長生者乎?”抱朴子答曰:“無也。或隨明師,積功累勤,便得賜以合成之藥。或受秘方,自行治作,事不接於世,言不累於俗,而記著者止存其姓名,而不能具知其所以得仙者,故闕如也。昔黃帝生而能言,役使百靈,可謂天授自然之體者也,猶復不能端坐而得道。故陟王屋而受丹經,到鼎湖而飛流珠,登崆峒而問廣成,之具茨而事大隗,適東岱而奉中黃,入金谷而諮涓子,道養則資玄素二女,精推步則訪山稽力牧,講占候則詢風后,著體診則受雷岐,審攻戰則納五音之策,窮神奸則記白澤之辭,相地理則書青烏之說,救傷殘則綴金冶之術。故能畢該秘要,窮道盡真,遂升龍以高躋,與天地乎罔極也。然按神仙經,皆雲黃帝及老子奉事太乙元君以受要訣,況乎不逮彼二君者,安有自得仙度世者乎?未之聞也。”

有人問道て曰く「古時豈に施行する所無くして、而も偶然自ら長生する有らんや」と。抱朴子回答えて曰く「無し。或は明師に隨從し、功を積み勤を累ね、便ち合成の藥を賜給するを得。或は秘方を受け、自ら去りて治作し、事世與交接せず、話俗に累及せず、而も記著する只だ彼の姓名を存し、而も能く詳細其の仙を得る所以を知らず、故に闕如。昔黄帝生れて來りて能く言說し、百靈を役使し、說く可し天授自然の體、還た能く端坐して道を得ざるなり。故に王屋に登りて丹經を受け、鼎湖に到りて流珠を飛煉し、崆峒に登りて廣成に問い、具茨に到りて大隗を事奉し、東岱に去りて中黃を奉げ、金谷に入りて涓子に諮詢し、道養則ち玄素二女に憑藉し、歩を精推すれば則ち山稽・力牧を訪れ、占候を講ずれば則ち風后を詢え、體診を著さば則ち雷・岐を受け、攻戰を審すれば則ち五音の策を納れ、神奸を窮めば則ち白澤の辭を記し、地理を相れば則ち青烏の說を書し、傷殘を救わば則ち金冶の術を綴る。故に能く全部秘要を該備し、道を窮め眞を盡くし、於是龍に升り高く躋り、天地與極限無し。然れども神仙經に按ずれば、皆說く黄帝及び老子太乙元君を奉事して以て要訣を受くと、何況彼の二君に趕上せざるは、哪れにか自ら仙を得て世を度る有らんや。聞く有らざるなり。

或曰:“黃帝審仙者,橋山之冢,又何為乎?”抱朴子答曰:“按荊山經及龍首記,皆雲黃帝服神丹之後,龍來迎之,群臣追慕,靡所措思,或取其几杖,立廟而祭之;或取其衣冠,葬而守之。列仙傳云:黃帝自擇亡日,七十日去,七十日還,葬於橋山,山陵忽崩,墓空無屍,但劍舄在焉。此諸說雖異,要於為仙也。言黃帝仙者,見於道書及百家之說者甚多,而儒家不肯長奇怪,開異塗,務於禮教,而神仙之事,不可以訓俗,故云其死,以杜民心耳。朱邑欒巴於公,有功惠於民,百姓皆生為之立廟祠。又古者盛德之人,身沒之後,臣子刊其勳績於不朽之器。而今世君長遷轉,吏民思戀,而樹德頌之碑者,往往有焉,此亦黃帝有廟墓之類也,豈足以證其必死哉?”

有人曰く「黄帝果して是れ仙、橋山の冢、又何を爲すや」と。抱朴子回答えて曰く「《荊山經》及び《龍首記》に按ずるに、皆說く黄帝神丹を服するの後、龍來りて迎接し、群臣追慕し、思を措く地方無し、或は其の几杖を取り、廟を立てて祭る。或は其の衣冠を取り、葬りて守ると。《列仙傳》曰く、黄帝自ら亡日を選擇し、七十日離去し、七十日回來り、橋山に葬る、山陵忽然崩れ、墓空しく尸無し、只有劍與舄在りと。此らの說法雖も不同、要約成仙に在り。黄帝成仙を說く、道書及び百家の說に見る多し、而も儒家肯んじて奇怪を助長せず、異途を開かず、禮教に務め、而も神仙の事、以て俗を訓う可からず、故に彼を死と說き、以て民心を杜絕するのみ。朱邑・欒巴・于公、民に功惠に對し、百姓皆彼らの生くる時廟祠を立つ。又古時盛德の人、身沒の後、臣子其の勳績を不朽の器上に刊す。而今世君長遷轉し、吏民思戀し、而も德頌の碑を樹立する、往々有り、此れ亦是れ黄帝廟墓有るの一類、哪れに足以彼の必ず死せんを證明せんや」と。

或人問曰:“彭祖八百,安期三千,斯壽之過人矣。若果有不死之道,被何不遂仙乎?豈非稟命受氣,自有修短,而彼偶得其多,理不可延,故不免於雕隕哉?”抱朴子答曰:“按彭祖經云,其自帝嚳佐堯,歷夏至殷為大夫,殷王遣采女從受房中之術,行之有效,欲殺彭祖,以絕其道,彭祖覺焉而逃去。去時年七八百餘,非為死也。黃石公記云:彭祖去後七十餘年,門人於流沙之西見之,非死明矣。又彭祖之弟子,青衣烏公、黑穴公、秀眉公、白兔公子、離婁公、太足君、高丘子、不肯來七八人,皆歷數百歲,在殷而各仙去,況彭祖何肯死哉?又劉向所記列仙傳亦言彭祖是仙人也。又安期先生者,賣藥於海邊,琅琊人傳世見之,計已千年。秦始皇請與語,三日三夜。其言高,其旨遠,博而有證,始皇異之,乃賜之金璧,可直數千萬,安期受而置之於阜鄉亭,以赤玉舄一量為報,留書曰,複數千載,求我於蓬萊山。如此,是為見始皇時已千歲矣,非為死也。又始皇剛暴而驁很,最是天下之不應信神仙者。又不中以不然之言答對之者也。至於問安期以長生之事,安期答之允當,始皇惺悟,信世閒之必有仙道,既厚惠遺,又甘心欲學不死之事,但自無明師也,而為盧敖徐福輩所欺弄,故不能得耳。向使安期先生言無符據,三日三夜之中,足以窮屈,則始皇必將烹煮屠戮,不免鼎俎之禍,其厚惠安可得乎?”

有人問道て曰く「彭祖八百、安期三千、此の壽已に人に過ぐ。若し果して不死の道有れば、彼ら何を爲す則ち仙と成らざるや。豈に是れ命を禀け氣を受け、自ら長短有り、而も彼ら偶然得る多く、理延長す可からず、故に雕隕を免れざるか」と。抱朴子回答えて曰く「《彭祖經》に按ずるに說く、彼帝嚳より堯を輔佐し、夏を經歷して殷に到り大夫を做り、殷王采女を派遣して隨從して房中の術を受けしめ、實行效有り、彭祖を殺さんと欲し、以て彼の道を絕たんと、彭祖察覺して逃走す。離去の時年七八百餘、不是死。《黃石公記》曰く、彭祖離去の後七十餘年、門人流沙の西に彼を見る、不是死已に明白なり。又彭祖の弟子、青衣烏公・黑穴公・秀眉公・白兔公子・離婁公・太足君・高丘子・不肯來七八人、皆數百歲を經歷し、殷に在りて各々仙去す、何況彭祖怎んぞ肯んじて死せんや。又劉向の記する所《列仙傳》亦說く彭祖是れ仙人。又安期先生、海邊に藥を賣り、琅琊人世を傳え彼を見、算來已に千年。秦始皇彼を請りて話を與し、三日三夜。其の言高く、旨遠く、博にして證有り、始皇驚異し、則ち金璧を賜う、以て數千萬に值す、安期接受して阜鄉亭に放ち、赤玉舄一雙を以て報と爲し、書を留下して曰く、再び數千年を過ぎ、蓬萊山に到りて我を求めよと。此のごとき、是れ始皇を見の時已に千歲、不是死。又始皇剛暴にして傲慢狠戾、最是れ天下信ずべからざる神仙の。又不適彼に對答するに不然の話を以てす。至於安期に長生の事を問う、安期答へ得允當し、始皇醒悟し、世上必ず仙道有るを信じ、既に厚惠贈送し、又不死の事を學ばんと甘心す、只だ自ら明師無く、而も盧敖・徐福の輩に欺弄せられ、故に能く得ざるのみ。假使安期先生の話符據無からば、三日三夜裏、足以窮屈す、則ち始皇必ず將に烹煮屠戮し、鼎俎の禍を免れず、彼の厚惠怎んぞ以て得る可けんや」と。

或問曰:“世有服食藥物,行氣導引,不免死者,何也?”

有人問道て曰く「世上服食藥物・行氣導引する有り、仍ほ死を免れず、何を爲す」と。

抱朴子答曰:“不得金丹,但服草木之藥及修小術者,可以延年遲死耳,不得仙也。或但知服草藥,而不知還年之要術,則終無久生之理也。或不曉帶神符,行禁戒,思身神,守真一,則止可令內疾不起,風溼不犯耳。若卒有惡鬼強邪,山精水毒害之,則便死也。或不得入山之法,令山神為之作禍,則妖鬼試之,猛獸傷之,溪毒擊之,蛇蝮螫之,致多死事,非一條也。或修道晚暮,而先自損傷已深,難可補復。補復之益,未得根據,而疾隨復作,所以克伐之事,亦何緣得長生哉?或年老為道而得仙者,或年少為道而不成者,何哉?彼雖年老而受氣本多,受氣本多則傷損薄,傷損薄則易養,易養故得仙也。此雖年少而受氣本少,受氣本少則傷深,傷深則難救,難救故不成仙也。夫木槿楊柳,斷殖之更生,倒之亦生,橫之亦生。生之易者,莫過斯木也。然埋之既淺,又未得久,乍刻乍剝,或搖或拔,雖壅以膏壤,浸以春澤,猶不脫於枯瘁者,以其根荄不固,不暇吐其萌芽,津液不得遂結其生氣也。人生之為體,易傷難養,方之二木,不及遠矣。而所以攻毀之者,過於刻剝,劇乎搖拔也。濟之者鮮,壞之者眾,死其宜也。夫吐故納新者,因氣以長氣,而氣大衰者則難長也。服食藥物者,因血以益血,而血垂竭者則難益也。夫奔馳而喘逆,或欬或滿,用力役體,汲汲短乏者,氣損之候也。面無光色,皮膚枯臘,唇焦脈白,腠理萎瘁者,血減之證也。二證既衰於外,則靈根亦凋於中矣。如此,則不得上藥,不能救也。凡為道而不成,營生而得死者,其人非不有氣血也。然身中之所以為氣為血者,根源已喪,但餘其枝流也。譬猶入水之燼,火滅而煙不即息;既斷之木,柯葉猶生。二者非不有煙,非不有葉,而其所以為煙為葉者,已先亡矣。世人以覺病之日,始作為疾,猶以氣絕之日,為身喪之候也。

抱朴子回答えて曰く「金丹を得ず、只だ草木の藥及び小術を修めるを服するは、以て年を延し死を遲らしむるのみ、仙を得ず。或は只だ草藥を服するを知りて、而も還年の要術を知らざれば、則ち終に久生の理無し。或は神符を帶び、禁戒を行い、身神を思い、眞一を守るを曉らざれば、則ち只だ以て內疾をして起らざらしめ、風濕をして犯さざらしむるのみ。若し突然惡鬼强邪・山精水毒彼を害する有れば、則ち便ち死す。或は山に入るの法を得ず、山神をして因此禍を作さしめば、則ち妖鬼彼を試し、猛獸彼を傷り、谿毒彼を擊ち、蛇蝮彼を螫し、以致多く死事有り、不是一條。或は道を修むる晚暮にして、而も先に自ら損傷已に深く、以て補復し難し。補復の益、尚ほ未だ能く據せず、而も疾隨い又作る、故に克伐の事、又何より長生を得んや。或は年老いて道を爲して仙を得る有り、或は年少くして道を爲して成らざる有るは、何を爲す。彼雖も年老くも而も氣を受くる本來多く、氣を受くる本來多ければ則ち傷損薄く、傷損薄ければ則ち養い易く、養い易き所以仙を得。此の人雖も年少くも而も氣を受くる本來少なく、氣を受くる本來少なければ則ち傷深く、傷深ければ則ち救い難く、救い難き所以成仙せず。木槿楊柳、切斷して種植すれば更生し、倒れて亦生じ、橫たえて亦生ず。生ずるの易き、此らの木に過ぐる無し。然れども埋むる既に淺く、又未だ久しきを得ず、忽刻忽剥し、或は搖し或は拔すれば、雖も膏壤を以て壅ぎ、春澤を以て浸すとも、還た枯瘁を脫せず、根荄固ならざるに因りて、萌芽を吐くに及ばず、津液彼の生氣を遂結するを得ざるなり。人生體と爲る、傷り易く養い難し、此の兩木與比すれば、遠く及ばず。而も攻毀する所以、刻剥を超過し、搖拔より劇烈し。救濟する少なく、毀壞する多し、死是れ應當。故を吐き新を納るるは、氣に因りて血を長ず、而も氣大衰するは則ち長じ難し。藥物を服食するは、血に因りて血を益す、而も血將に枯竭せんとするは則ち益し難し。奔馳して喘逆し、或は咳し或は滿悶し、力を用い體を役し、汲汲短乏するは、是れ氣損の候。面光色無く、皮膚枯臘し、唇焦え脈白く、腠理萎瘁するは、是れ血減の證。二證既に外に衰うれば、則ち靈根亦中に凋す。此のごとき、則ち上藥を得ず、能く救わず。凡そ道を爲して成らず、生を營みて死を得るは、其の人不是氣血無き。然れども身中氣と爲り血と爲る所以、根源已に喪し、只だ枝流を餘す。譬へば水に入るの燼、火滅して煙立刻息せず。既斷の木、柯葉還た生ず。二者不是煙無き、不是葉無き、而も煙と爲り葉と爲る所以、已に先に亡びたり。世人病を覺えるの日を以て、始めて當に疾と作る、譬へば氣絕の日を以て、當に身喪の候と作る。

唯怨風冷與暑溼,不知風冷暑溼,不能傷壯實之人也,徒患體虛氣少者,不能堪之,故為所中耳。何以較之,設有數人,年紀老壯既同,服食厚薄又等,俱造沙漠之地,並冒嚴寒之夜,素雪墮於上,玄冰結於下,寒風摧條而宵駭,欬唾凝冱於唇吻,則其中將有獨中冷者,而不必盡病也。非冷氣之有偏,蓋人體有不耐者耳。故俱食一物,或獨以結病者,非此物之有偏毒也。鈞器齊飲,而或醒或醉者,非酒勢之有彼此也。同冒炎暑,而或獨以暍死者,非天熱之有公私也。齊服一藥,而或昏瞑煩悶者,非毒烈之有愛憎也。是以沖風赴林,而枯柯先摧;洪濤凌崖,而拆隙首頹;烈火燎原,而燥卉前焚;龍碗墜地,而脆者獨破。由茲以觀,則人之無道,體已素病,因風寒暑溼者以發之耳。苟能令正氣不衰,形神相衛,莫能傷也。凡為道者,常患於晚,不患於早也。恃年紀之少壯,體力之方剛者,自役過差,百病兼結,命危朝露,不得大藥,但服草木,可以差於常人,不能延其大限也。故仙經曰:養生以不傷為本。此要言也。神農曰:百病不愈,安得長生?信哉斯言也。”

(抱朴子接續して曰く)只だ風冷與暑濕を怨み、風冷暑濕を知らず、能く壯實の人を傷らず、只だ體虛氣少を患え、能く堪えず、故に中せらるるのみ。何を以て比較す、假令數人有り、年紀老壯既に同じく、服食厚薄又等し、皆沙漠の地に到り、竝び嚴寒の夜を冒し、素雪上より墮ち、玄冰下に結び、寒風條を摧いて夜驚駭し、咳唾唇吻に凝冱せば、則ち其の中將に獨り冷に中る有らん、而も不必皆病む。不是冷氣偏有り、蓋し人體耐えざる有るのみ。故に皆一物を喫し、或は獨り因此病を結ぶは、不是此の物偏毒有り。同じく器一齊に飲し、而も或は醒め或は醉うは、不是酒勢彼此有り。同じく炎暑を冒し、而も或は獨り中暑死するは、不是天熱公私有り。一齊に一藥を服し、而も或は昏瞑煩悶するは、不是毒烈愛憎有り。故に衝風林に赴き、而も枯柯先に摧き。洪濤崖に凌ぎ、而も裂縫先に頹く。烈火原を燎り、而も燥卉前に焚く。龍碗地に墮ち、而も脆き獨り破る。此に由りて觀れば、則ち人の道無きは、體已に素來病有り、風寒暑濕に因りて之を發するのみ。若能く正氣をして衰えざらしめ、形神相衛らしめば、傷る能くする無し。凡そ道を爲る、常に患晚に在り、患早に在らず。年紀少壯・體力方剛を依仗する、自ら役使過分し、百病兼結し、命危きこと朝露のごとし、大藥を得ず、只だ草木を服し、以て常人より稍々好しと比す可し、能く彼の大限を延長せず。故に《仙經》曰く、生を養う以て傷らざるを本と爲す。此れ是れ要言。神農曰く、百病愈えず、怎んぞ長生を得んや。此の話信ず可きなり。

或問曰:“所謂傷之者,豈非淫慾之閒乎?”抱朴子曰:“亦何獨斯哉?然長生之要,在乎還年之道。上士知之,可以延年除病;其次不以自伐者也。若年尚少壯而知還年,服陰丹以補腦,採玉液於長谷者,不服藥物,亦不失三百歲也,但不得仙耳。不得其術者,古人方之於冰杯之盛湯,羽苞之蓄火也。且又才所不逮,而困思之,傷也;力所不勝,而強舉之,傷也;悲哀憔悴,傷也;喜樂過差,傷也;汲汲所欲,傷也;久談言笑,傷也;寢息失時,傷也;挽弓引弩,傷也;沈醉嘔吐,傷也;飽食即臥,傷也;跳走喘乏,傷也;歡呼哭泣,傷也;陰陽不交,傷也;積傷至盡則早亡,早亡非道也。是以養生之方,唾不及遠,行不疾步,耳不極聽,目不久視,坐不至久,臥不及疲,先寒而衣,先熱而解,不欲極飢而食,食不過飽,不欲極渴而飲,飲不過多。凡食過則結積聚,飲過則成痰癖。不欲甚勞甚逸,不欲起晚,不欲汗流,不欲多睡,不欲奔車走馬,不欲極目遠望,不欲多啖生冷,不欲飲酒當風,不欲數數沐浴,不欲廣志遠願,不欲規造異巧。冬不欲極溫,夏不欲窮涼,不露臥星下,不眠中見肩,大寒大熱,大風大霧,皆不欲冒之。五味入口,不欲偏多,故酸多傷脾,苦多傷肺,辛多傷肝,鹹多則傷心,甘多則傷腎,此五行自然之理也。凡言傷者,亦不便覺也,謂久則壽損耳。是以善攝生者,臥起有四時之早晚,興居有至和之常制;調利筋骨,有偃仰之方;杜疾閒邪,有吞吐之術;流行榮衛,有補瀉之法;節宣勞逸,有與奪之要。忍怒以全陰氣,抑喜以養陽氣。然後先將服草木以救虧缺,後服金丹以定無窮,長生之理,盡於此矣。若有欲決意任懷,自謂達識知命,不泥異端,極情肆力,不營久生者,聞此言也,雖風之過耳,電之經目,不足諭也。

有人問道て曰く「謂う所の傷、豈に是れ淫欲の閒に非ずや」と。抱朴子曰く「又何止此れのみ。然れども長生の要、還年の道に在り。上士之を知る、以て年を延し病を除く可し。其次是れ之を以て自らを伐さざる。若し年還りて少壯にして還年を知れば、陰丹を服して以て腦を補い、長谷に玉液を采取する(此れ是れ房中還年、長谷身中を指し、不是山中の谷)、藥物を服せずとも、亦三百歲を失せず、只だ仙と成るを得ざるのみ。彼の術を得ざるは、古人之を冰杯に湯を盛り、羽苞に火を蓄ふるに比作す。而且才の逮らざる所、而も困苦して想うは、是れ傷。力の勝えざる所、而も強りて擧ぐるは、是れ傷。悲哀憔悴するは、是れ傷。喜樂過分するは、是れ傷。汲汲として欲する所にするは、是れ傷。久しく談言笑するは、是れ傷。寢息時を失うは、是れ傷。弓を挽き弩を引くは、是れ傷。沈醉嘔吐するは、是れ傷。飽食して臥に就くは、是れ傷。跳走喘乏するは、是れ傷。歡呼哭泣するは、是れ傷。陰陽交わらざるは、是れ傷。傷を積みて盡くせば則ち早亡し、早亡不是道。故に養生の方、唾遠處に吐かず、走りて疾步せず、耳極聽せず、目久視せず、坐久に至らず、臥疲に到らず、寒に先んじて衣を穿き、熱に先んじて解く、極饑して纔かに喫うを想わず、喫う飽を過ぎず、極渴して纔かに飲むを想わず、飲む多を過ぎず。凡そ喫過すれば則ち積聚を結び、飲過すれば則ち痰癖と成る。甚だ勞し甚だ逸することを想わず、晚く起くるを想わず、汗流るるを想わず、多く睡るを想わず、車を奔り馬を走るを想わず、極目遠望するを想わず、多く生冷を喫うを想わず、酒を飲みて風に當るを想わず、頻々に沐浴するを想わず、志を廣く願を遠くするを想わず、規劃して異巧を造作するを想わず。冬極溫を想わず、夏窮涼を想わず、星下に露臥せず、眠中に肩を露出せず、大寒大熱、大風大霧、皆冒すを想わず。五味口に入る、偏に多きを想わず、故に酸多きは脾を傷り、苦多きは肺を傷り、辛多きは肝を傷り、鹹多きは則ち心を傷り、甘多きは則ち腎を傷る、此れ是れ五行自然の理。凡そ傷を說く、亦不是立刻覺ゆる、是れ久しければ則ち壽を損ずと說くのみ。故に攝生に善きは、臥起に四時の早晚有り、興居に至和の常制有り。筋骨を調利するに、偃仰の方有り。疾を杜じ邪を防ぐに、吞吐の術有り。榮衛を流行すに、補瀉の法有り。勞逸を節宣するに、與奪の要有り。怒を忍んで以て陰氣を保全し、喜を抑えて以て陽氣を養う。然る後先ず將に草木を服して以て虧缺を救い、後に金丹を服して以て無窮を定めん、長生の理、盡く此に在り。若し有人决意して懷に任せ、自ら以て達識命を知ると爲し、異端に泥まず、情を極め力を肆にし、久生を經營せざる、此の話を聞くは、即使風の耳を過ぎ、電の目を經るも、亦以て比喩するに足らずと。」

雖身枯於流連之中,氣絕於紈綺之閒,而甘心焉,亦安可告之以養生之事哉?不惟不納,乃謂妖訛也。而望彼信之,所謂以明鑑給蒙瞽,以絲竹娛聾夫也。”

(抱朴子接續して曰く)雖も身流連の中に枯し、氣紈綺の閒に絕ゆるも、而も此のごとくに甘心し、又怎んぞ以て養生の事を彼に告げんや。不但納れず、還た是れ妖訛と說く。而も彼を指して信を望む、謂う所の明鑑を以て蒙瞽に給し、絲竹を以て聾夫を娛す。」

卷十四·勤求

卷十四・勤求

抱朴子曰:“天地之大德曰生,生好物者也。是以道家之所至秘而重者,莫過乎長生之方也。故血盟乃傳,傳非其人,戒在天罰。先師不敢以輕行授人,須人求之至勤者,猶當揀選至精者乃教之,況乎不好不求,求之不篤者,安可衒其沽以告之哉?其受命不應仙者,雖日見仙人成群在世,猶必謂彼自異種人,天下別有此物,或呼為鬼魅之變化,或雲偶值於自然,豈有肯謂修為之所得哉?苟心所不信,雖令赤松王喬言提其耳,亦當同以為妖訛。然時頗有識信者,復患於不能勤求明師。夫曉至要得真道者,誠自甚稀,非倉卒可值也。然知之者,但當少耳,亦未嘗絕於世也。由求之者不廣不篤,有仙命者,要自當與之相值也。然求而不得者有矣,未有不求而得者也。世閒自有奸偽圖錢之子,而竊道士之號者,不可勝數也。然此等復不謂挺無所知也,皆復粗開頭角,或妄沽名,加之以伏邪飾偽,而好事之徒,不識其真偽者,徒多之進問,自取誑惑,而拘制之,不令得行,廣尋奇士異人,而告之曰,道盡於此矣。以誤於有志者之不少,可嘆可恚也。或聞有曉消五雲、飛八石、轉九丹、冶黃白、水瓊瑤、化朱碧、凝霜雪於神爐、採靈芝於嵩嶽者,則多而毀之曰,此法獨有赤松王喬知之,今世之人而云知之者,皆虛妄耳。則淺見之家,不覺此言有詐偽而作,便息遠求之意。悲夫,可為慨嘆者也!凌晷飆飛,暫少忽老,迅速之甚,諭之無物,百年之壽,三萬餘日耳。幼弱則未有所知,衰邁則歡樂並廢,童蒙昏耄,除數十年,而險隘憂病,相尋代有,居世之年,略消其半,計定得百年者,喜笑平和,則不過五六十年,咄嗟滅盡,哀憂昏耄,六七千日耳,顧眄已盡矣,況於全百年者,萬未有一乎?諦而念之,亦無以笑彼夏蟲朝菌也。蓋不知道者之所至悲矣。

抱朴子曰く「天地の大德生と曰い、生是れ物を好す。故に道家の至祕にして看重する所、長生の方に過ぐる無し。故に血を歃めて盟誓して纔かに傳う、傳へて其の人に非ざれば、戒天罰に在り。先師敢て以て輕く行って人に授けず、須らく人至勤に求め到る、還た當に至精を揀選して纔かに教へ、何況好まず求めず、之を求めて篤からざるは、怎んぞ以て炫耀出賣して彼に告げんや。彼ら命を受けて當に仙と成るべからざるは、即使每日仙人成群世に在るを見るも、還た必ず彼ら自ら是れ異種人、天下別に此の物有りと說き、或は鬼魅の變化と呼び、或は偶然自然に值したと說き、哪れにか肯んじて是れ修爲の所得と說かんや。若し心の信ぜざる所、即使赤松子・王喬をして其の耳を提げて說かしむるも、亦當に同じく以て妖訛と爲さん。然れども時或は頗る識信有る、又患勤く明師を求める能わざるに在り。至要を曉り眞道を得るは、誠に自ら少なし、不是倉促以て遇上す可し。然れども之を知るは、只だ當に少きのみ、亦曾て世上に絕せず。求むる人廣からず篤からざるに由りて、仙命有るは、總じて當に它與相值すべし。然れども求めて得ざる有り、求めずして得る無し。世上自ら奸僞錢を圖る人有り、而も道士の號を竊る、數を勝る可からず。然れども此の類又說く挺然一知無しと爲さず、皆又粗く頭角を開き、或は妄りに名を沽り、伏邪飾僞を加へ、而も事を好む之徒、眞僞を識らざるは、空く多く進問に去り、自ら誑惑を取り、而も拘制せられ、得て行わせず、廣く奇士異人を尋ね、卻りて彼に告げて曰く、道盡く此に在りと。因此志有る人を耽誤する少なからず、歎く可し恚る可し。或は聞く五雲を消し、八石を飛ばし、九丹を轉じ、黃白を冶し、瓊瑤を把て水に化し、朱碧を化し、神爐上に霜雪を凝らし、嵩嶽に靈芝を采する曉る有るを、則ち多く彼を毀りて說く、此の法獨り赤松子・王喬之を知る、今世の人而も知ると說くは、皆是れ虛妄のみと。則ち淺見の家、此の話詐僞有りて作るを覺えず、便ち遠求の意を停息す。悲なり、以て慨歎す可し。光陰飆のごとく飛び、暫く少くして忽然老ゆ、迅速なること甚だし、比喩す可きの物無し、百年の壽、三萬餘日のみ。幼弱則ち尚ほ未だ知る所有らず、衰邁則ち歡樂一竝に廢す、童蒙昏耄、數十年を除去し、而も險隘憂病、相尋して代有り、世に居るの年、大約半を消掉し、確定百年を得るを算すれば、喜笑平和、則ち不過五六十年、咄嗟滅盡し、哀憂昏耄、六七千日のみ、顧盼已に盡き、何況全百年の、萬中未だ一有らざるをや。仔細此を念ずれば、亦彼の夏蟲朝菌を笑うに從無し。蓋し是れ知らざる人の至悲する所。

里語有之:人在世閒,日失一日,如牽牛羊以詣屠所,每進一步,而去死轉近。此譬雖醜,而實理也。達人所以不愁死者,非不欲求,亦固不知所以免死之術,而空自焦愁,無益於事。故云樂天知命,故不憂耳,非不欲久生也。姬公請代武王,仲尼曳杖悲懷,是知聖人亦不樂速死矣。俗人見莊周有大夢之喻,因復競共張齊死生之論。蓋詭道強達,陽作違抑之言,皆仲尼所為破律應煞者也。今察諸有此談者,被疾病則遽針灸,冒危險則甚畏死。然末俗通弊,不崇真信,背典誥而治子書,若不吐反理之巧辨者,則謂之樸野,非老莊之學。故無骨殖而取偶俗之徒,遂流漂於不然之說,而不能自返也。老子以長生久視為業,而莊周貴於搖尾塗中,不為被網之龜,被繡之牛,餓而求粟於河侯,以此知其不能齊死生也。晚學不能考校虛實,偏據一句,不亦謬乎?且夫深入九泉之下,長夜罔極,始為螻蟻之糧,終與塵壤合體,令人怛然心熱,不覺咄嗟。若心有求生之志,何可不棄置不急之事,以修玄妙之業哉?其不信則已矣。其信之者,復患於俗情之不蕩盡,而不能專以養生為意,而營世務之餘暇而為之,所以或有為之者,恆病晚而多不成也。凡人之所汲汲者,勢利嗜慾也。苟我身之不全,雖高官重權,金玉成山,妍豔萬計,非我有也。是以上士先營長生之事,長生定可以任意。若未升玄去世,可且地仙人閒。若彭祖老子,止人中數百歲,不失人理之歡,然後徐徐登遐,亦盛事也。然決須好師,師不足奉,亦無由成也。昔漢太后從夏侯勝受尚書,賜勝黃金百斤,他物不可勝數。及勝死,又賜勝家錢二百萬,為勝素服一百日。成帝在東宮時,從張禹受論語。及即尊位,賜禹爵關內侯,食邑千戶,拜光祿大夫,賜黃金百斤。又遷丞相,進爵安昌侯。年老乞骸骨,賜安車駟馬,黃金百斤,錢數萬。

(抱朴子接續して曰く)里語此のごとき有り、人世に在り、日一日を失し、牛羊を牽きて屠所に到るに似て、每に一步を進めば、死を離るる轉じて近しと。此の譬雖も醜し、而も實是れ理。達人の死を愁えざる所以、不是求めんと欲せず、亦固より死を免るる所以の術を知らず、而も空く自ら焦愁し、事に益無し。故に說く樂天命を知る、故に憂えざるのみ、不是久生を欲せざるなり。姬公武王に代わるを請い、仲尼杖を曳きて悲懷す、此れ是れ聖人亦死を速むを樂しまざるを知る。俗人莊周大夢の比喩有るを見、因此又爭りて死生を齊すの論を張る。蓋し是れ詭道强達、表面上違抑の話を作る、皆是れ仲尼の說く破律當に殺すべき所。今察る彼ら此の談有る、疾病を被れば則ち急に鍼灸し、危險を冒せば則ち甚だ死を怕る。然れども末俗通弊、眞信を崇せず、典誥を背きて子書を治し、若し反理の巧辨を吐かざれば、則ち是れ樸野、不是老莊の學と說く。故に骨殖無くして偶俗を取る之徒、於是然らざるの說に流漂し、而も能く自ら返回せず。老子長生久視を以て業と爲し、而も莊周涂中に尾を搖るを貴し、網せらるるの龜・繡せらるるの牛を做らず、饑えて河侯に向かい粟を求む、此に由りて彼の死生を齊しう能わざるを知る。晚學能く虛實を考校せず、偏に一句を據す、亦謬ならずや。再び說く九泉の下に深入り、長夜極限無く、始め螻蟻の糧を做り、終り塵壤與合體し、人をして怛然として心熱からしめ、咄嗟を覺えず。若し心生を求むるの志有れば、怎んぞ以て急ならざるの事を棄置せずして、以て玄妙の業を修めざらんや。信ぜざれば則ち了れ。信ずる人、又患俗情盡く蕩れずに在り、而も能く專ら養生を以て意と爲さず、而も世務を經營するの餘暇纔かに做る、故に或は做る人、常に病晚にして多く成らざるに在り。凡人の汲汲する所、是れ勢利嗜欲。若し我の身全からざれば、雖も高官重權・金玉山を成し・妍艷萬計、不是我の所有。故に上士先ず長生の事を經營し、長生定まれば以て任意す可し。若し尚ほ未だ玄に升り世を去世せざれば、以て暫く人間地仙を做る可し。彭祖老子のごとき、人中に停まること數百歲、人理の歡を失せず、然る後徐徐として遐に登る、亦是れ盛事。然れども決して須らく好師、師奉ずるに足らざれば、亦成るに從無し。昔漢太后夏侯勝に跟りて《尚書》を受け、勝に黃金百斤を賜い、他物數を勝る可からず。及び勝死するや、又勝家に錢二百萬を賜い、勝の爲に素服を穿くこと一百日。成帝東宮の時、張禹に跟りて《論語》を受く。及び尊位に即くや、禹に爵關內侯を賜い、食邑千戶、光祿大夫を拜し、黃金百斤を賜う。又丞相に遷り、爵安昌侯に進む。年老いて骸骨を乞う、安車駟馬・黃金百斤・錢數萬を賜う。

及禹疾,天子自臨省之,親拜禹床下。章帝在東宮時,從桓榮以受孝經。及帝即位,以榮為太常上卿。天子幸榮第,令榮東面坐,設几杖。會百官及榮門生生徒數百人,帝親自持業講說。賜榮爵關內侯,食邑五千戶。及榮病,天子幸其家,入巷下車,抱卷而趨,如弟子之禮。及榮薨,天子為榮素服。凡此諸君,非能攻城野戰,折沖拓境,懸旌效節,祈連方,轉元功,騁銳絕域也。徒以一經之業,宣傳章句,而見尊重,巍巍如此,此但能說死人之餘言耳。帝王之貴,猶自卑降以敬事之。世閒或有欲試修長生之道者,而不肯謙下於堪師者,直爾蹴迮,從求至要,寧可得乎?夫學者之恭遜驅走,何益於師之分寸乎?然不爾,則是彼心不盡;彼心不盡,則令人告之不力;告之不力,則秘訣何可悉得邪?不得已當以浮淺示之,豈足以成不死之功哉?亦有人皮膚好喜,而信道之誠,不根心神,有所索欲,陽為曲恭,累日之閒,怠慢已出。若值明智之師,且欲詳觀來者變態,試以淹久,故不告之,以測其志。則若此之人,情偽行露,亦終不得而教之,教之亦不得盡言吐實,言不了則為之無益也。陳安世者,年十三歲,蓋灌叔本之客子耳,先得仙道。叔本年七十皓首,朝夕拜安世曰,道尊德貴,先得道者則為師矣,吾不敢倦執弟子之禮也。由是安世告之要方,遂復仙去矣。夫人生先受精神於天地,後稟氣血於父母,然不得明師,告之以度世之道,則無由免死,鑿石有餘焰,年命已凋頹矣。由此論之,明師之恩,誠為過於天地,重於父母多矣,可不崇之乎?可不求之乎?”

(抱朴子接續して曰く)及び禹疾するや、天子親ら省に臨み、親ら禹の床下に拜す。章帝東宮の時、桓榮に跟りて《孝經》を受く。及び帝位に即くや、榮を以て太常上卿と爲す。天子榮の第に幸し、榮をして東面して坐せしめ、几杖を設く。百官及び榮の門生生徒數百人を會集し、帝親ら業を持して講說す。榮に爵關內侯を賜い、食邑五千戶。及び榮病むや、天子其の家に幸し、巷に入り車を下り、卷を抱きて趨り、弟子の禮のごとし。及び榮薨ずるや、天子榮の爲に素服を穿く。凡そ此らの諸君、不是能く城を攻め野に戰い、折衝して境を拓き、旌を懸げ節を效し、連方を祈り、元功を轉じ、絕域に銳を騁する。只だ一經の業に憑り、章句を宣傳し、而も尊重を受け、巍巍此のごとく、此れ只だ死人の餘言を說く能くするのみ。帝王の貴、還た自ら卑降して彼らを敬事す。世上或は試みに長生の道を修めんと想う有る、而も師と爲るに堪えたるに對して謙下せず、只だ直爾として蹴迫し、至要を求めに去る、豈に以て得る可けんや。學者の恭遜驅走、師に對して何の分寸の益處有らん。然れども此のごとくせざれば、則ち是れ其の心盡くさず。其の心盡くさざれば、則ち人をして彼に告げるに力ならしめず。彼に告げるに力ならざれば、則ち祕訣怎んぞ以て全部得る可けんや。已むを得ず當に浮淺を以て彼に給して看せ、哪れに足以不死の功を成さんや。或は人皮膚上好喜にして、而も道を信ずるの誠、心神に扎根せず、索欲する所有り、表面上曲恭し、累日の閒、怠慢已に出る。若し明智の師に遇上せば、且く來る者の變態を詳觀し、淹久を以て試せんと欲し、故に彼に告げず、以て其の志を測る。則ち此のごときの人、情僞行露し、亦終に得て彼を教えず、彼を教えて亦能く盡言して實を吐かず、話了さざれば則ち作りて益處無し。陳安世、年十三歲、蓋し是れ灌叔本の客子のみ、先に仙道を得。叔本年七十皓首、朝夕安世を拜して說く、道尊德貴、先に道を得るは則ち是れ師たり、我敢て弟子の禮を執るに倦まずと。此に由りて安世彼に要方を告げ、于是又仙去す。人生先に天地より精神を受け、後に父母より氣血を禀く、然れども明師を得ず、世を度るの道を以て彼に告げざれば、則ち死を免るるに從無し、石を鑿れども還た餘焰有り、年命已に凋頹せり。此に由りて論ずれば、明師の恩、誠に天地を超過し、父母より重し多し、以て崇敬せざる可けんや。以て求めざる可けんや。

抱朴子曰:“古人質正,貴行賤言,故為政者不尚文辨,修道者不崇辭說。風俗衰薄,外飾彌繁,方策既山積於儒門,而內書亦鞅掌於術家。初學之徒,即未便可授以大要。又亦人情以本末殷富者為快。故後之知道者,幹吉容嵩桂帛諸家,各著千所篇,然率多教誡之言,不肯善為人開顯大向之指歸也。其至真之訣,或但口傳,或不過尋尺之素,在領帶之中,非隨師經久,累勤歷試者,不能得也。雜猥弟子,皆各隨其用心之疏密,履苦之久遠,察其聰明之所逮,及志力之所能辨,各有所授,千百歲中,時有盡其囊枕之中,肘腋之下,秘要之旨耳。或但將之合藥,藥成分之,足以使之不死而已,而終年不以其方文傳之。故世閒道士,知金丹之事者,萬無一也。而管見之屬,謂仙法當具在於紛若之書,及於祭祀拜伏之閒而已矣。夫長生制在大藥耳,非祠醮之所得也。昔秦漢二代,大興祈禱,所祭太乙五神,陳寶八神之屬,動用牛羊谷帛,錢費億萬,了無所益。況於匹夫,德之不備,體之不養,而欲以三牲酒餚,祝願鬼神,以索延年,惑亦甚矣。或頗有好事者,誠欲為道,而不能勤求明師,合作異藥,而但晝夜誦講不要之書,數千百卷,詣老無益,便謂天下果無仙法。或舉門扣頭,以向空坐,烹宰犧牲,燒香請福,而病者不愈,死喪相襲,破產竭財,一無奇異,終不悔悟,自謂未篤。若以此之勤,求知方之師,以此之費,給買藥之直者,亦必得神仙長生度世也。何異詣老空耕石田,而望千倉之收,用力雖盡,不得其所也。所謂適楚而道燕,馬雖良而不到,非行之不疾,然失其道也。或有性信而喜信人,其聰明不足以校練真偽,揣測深淺;所博涉素狹,不能賞物。後世頑淺,趣得一人,自譽之子,雲我有秘書,便守事之。

抱朴子曰く「古人質正、行を貴び言を賤し、故に政を爲るは文辨を崇尚せず、道を修むるは辭說を崇尚せず。風俗衰薄、外飾更加繁く、方策既に儒門に山のごとく堆積し、而も內書亦術家に紛繁す。初學の徒、則ち未だ便ち大要を授給する可からず。又亦是れ人情本末殷富を以て快と爲す。故に後來之を知る人、干吉・容嵩・桂・帛の諸家、各々千來篇を著す、然れども大皆是れ教誡の話、肯んじて好く人に大方向の指歸を開顯せず。彼の至眞の訣、或は只だ口傳、或は不過尋尺の素帛、領帶の中に在り、不是師に隨い久きを經、勤を累ね試を歷する、得る能わず。雜猥弟子、皆各々其の心を用うるの疏密・苦を履むの久遠に隨い、彼の聰明の及ぶ能くする所、以及志力の辦う能くする所を察し、各々授ける所有り、千百歲中、時或は彼の囊枕の中・肘腋の下の祕要の旨を盡くすのみ。或は只だ彼を帶びて藥を合し、藥成れば彼に分與し、足以彼をして死せざらしむるのみ、而も終年彼の方文を以て彼に傳へず。故に世上道士、金丹の事を知る、萬中一無し。而も管見の屬、說く仙法當に皆紛然の書裏、以及祭祀拜伏の閒に在るべしと。長生の制大藥に在るのみ、不是祠醮の得る能くする所。昔秦漢二代、大に祈禱を興し、祭する所太乙五神・陳寶八神の類、牛羊穀帛を動用し、錢費億萬、全く益處無し。何況匹夫、德完備せず、體奉養せず、而も三牲酒肴を以て、鬼神に向かい祝願し、以て延年を求めんと想う、惑亦太甚なり。或は頗る事を好む有り、誠心道を爲さんと想い、而も能く勤く明師を求めず、異藥を合作せず、而も只だ晝夜要らざるの書を誦講し、數千百卷、老に至るまで益無し、便ち天下果して仙法無しと說く。或は門を擧げて叩頭し、空坐に對して、犧牲を烹宰し、香を燒きて福を請い、而も病の愈えざる、死喪相襲い、產を破り財を竭し、一點の奇異亦無し、終に悔悟せず、自ら以て還た篤きに足らずと爲す。若し此のごときの勤を以て、方を知るの師を求知し、此のごときの費を以て、藥を買うの錢を給すれば、亦必ず神仙長生世を度るを得。老に至るまで空く石田を耕して、而も千倉の收を望む與何の異有らん、力を用うる雖も盡く、其の所を得ず。謂う所の楚に適きて燕に道を取る、馬雖も良にして到らず、不是走ること快からず、卻りて是れ道を失へり。或は性信じて人を信ずるを好む、其の聰明以て眞僞を校練し、深淺を揣測するに足らず。博涉する所素來狹く、能く物を賞せず。後世頑淺、纔かに一人を得、自譽の子、我祕書有りと說けば、便ち彼を守事す。

而庸人小兒,多有外託有道之名,名過其實,由於誇誑,內抱貪濁,惟利是圖,有所請為,輒強喑嗚,俛仰抑揚。若所知寶秘乃深而不可得之狀。其有所請,從其所求,俛仰含笑,或許以頃後,故使不覺者,欲罷而不能,自謂事之未勤,而禮幣之尚輕也。於是篤信之心,尤加恭肅,賂以殊玩,為之執奴僕之役,不辭負重涉遠,不避經險履危,欲以積勞自效,服苦求哀,庶有異聞。而虛引歲月,空委二親之供養,捐妻子而不恤,戴霜蹈冰,連年隨之,而妨資棄力,卒無所成。彼初誠欺之,末或慚之,懵然體中,實自空罄短乏,無能法以相教,將何法以成人乎?餘目見此輩不少,可以有十餘人。或自號高名,久居於世,世或謂之已三四百歲,但易名字,詐稱聖人,託於人閒,而多有承事之者,餘但不喜書其人之姓名耳。頗遊俗閒,凡夫不識妍蚩,為共吹揚,增長妖妄,為彼巧偽之人,虛生華譽,歙習遂廣,莫能甄別。故或令高人偶不留意澄察,而但任兩耳者,誤於學者,常由此輩,莫不使人嘆息也。每見此曹,欺誑天下,以規勢利者,遲速皆受殃罰,天網雖疏,終不漏也。但誤有志者可念耳。世人多逐空聲,鮮能校實。聞甲乙多弟子,至以百許,必當有異,便載馳競逐,赴為相聚守之徒,妨工夫以崇重彼愚陋之人也。而不復尋精,彼得門人之力。或以致富,辨逐之雖久,猶無成人之道,愚夫故不知此人不足可事,何能都不與悟,自可悲哉!夫搜尋仞之壟,求幹天之木;漉牛跡之中,索吞舟之鱗,用日雖久,安能得乎?嗟乎!將來之學者,雖當以求師為務,亦不可以不詳擇為急也。陋狹之夫,行淺德薄,功微緣少,不足成人之道,亦無功課以塞人重恩也。深思其趣,勿令徒勞也。”

(抱朴子接續して曰く)而も庸人小兒、多く外面道有るの名を托し、名實に過ぐ、誇誑に由りて、內裏貪濁を抱き、惟れ利是れ圖る、請爲する所有れば、則ち強く喑嗚を作り、俯仰抑揚し、所知寶祕乃ち深くして得る可からざるの狀に像る。彼請う所有れば、求むる所に順從し、俯仰笑を含み、或は稍後を以て許し、故に覺えざる人をして、罷めんと欲して能わざらしめ、自ら以て事奉尚ほ勤からず、而も禮幣還た輕しと爲す。於是篤信の心、更加恭肅し、殊玩を以て賄賂し、彼の爲に奴僕の役を執り、重を負い遠に涉るを辭せず、險を經危を履むを避けず、積勞を以て自效せんと想い、苦を服し哀を求め、異聞有るを希望す。而も虛く歲月を引き、空く二親の供養を委棄し、妻子を捐てて恤せず、霜を戴き冰を蹈み、年を連ねて隨從し、而も資を妨げ力を棄て、終に成る所無し。彼初め誠に彼を欺き、末或は慚愧し、懵然として體中、實に自ら空罄短乏、以て教ふる能くするの法無し、將に何の法を以て人を成就せんや。我親ら此の類の人を見る少なからず、以て十餘個有り。或は自ら高名を號し、久しく世に居り、世或は已に彼を三四百歲と說く、只だ名字を改め、詐りて聖人と稱し、人間に托し、而も承事する多し、我只だ彼の人の姓名を寫すを喜ばざるのみ。頗る俗閒に游び、凡夫妍蚩を識らず、彼の爲に共同吹揚し、妖妄を增長し、彼らの巧僞の人の爲に、虛く華譽を生じ、歙習於是廣し、能く甄別する無し。故に或は高人偶然澄察に留意せず、而も只だ兩耳を任用するをして、學者を耽誤す、常に此の類に由りて、人をして歎息せしめざる無し。每に此らの傢伙を見、天下を欺誑し、以て勢利を謀り、遲速皆殃罰を受け、天網雖も疏、終に漏らさず。只だ志有る人を耽誤する念む可きのみ。世人多く空聲を追逐し、少く能く實を校す。甲乙弟子多く、至りて百來人、必ず當に異有るべしと聞けば、便ち馳せ競逐を載せ、趕りて當に相聚守るの徒と爲るに去り、工夫を妨げて以て彼らの愚陋の人を崇重す。而も再び精を尋ねず、彼門人の力を得。或は因此富を致し、辨逐雖も久し、尚ほ未だ人の道を成せず、愚夫此の人足らず事む可きを知らざる所以、怎んぞ能く皆醒悟せず、自ら悲む可きなり。仞の壟を搜尋し、上雲霄に衝くの木を求む。牛跡の中を漉り、舟を吞むの鱗を索む、日を用うる雖も久し、怎んぞ能く得んや。嗚呼。將來の學者、雖も當に師を求むるを以て務と爲すべし、亦以て詳擇を以て急と爲さざる可からず。陋狹の人、行淺く德薄く、功微く緣少なく、足らず人の道を成さず、亦功課無くして以て人の重恩を填塞す。彼の趣向を深思し、人をして徒勞せしむる勿れ。

抱朴子曰:“諸虛名之道士,既善為誑詐,以欺學者;又多護短匿愚,恥於不知,陽若以博涉已足,終不肯行求請問於勝己者,蠢爾守窮,面牆而立;又不但拱默而已,乃復憎忌於實有道者而謗毀之,恐彼聲名之過己也。此等豈有意於長生之法哉?為欲以合致弟子,圖其財力,以快其情慾而已耳。而不知天高聽卑,其後必受斯殃也。夫貧者不可妄雲我富也,賤者不可虛雲我貴也,況道德之事實無,而空養門生弟子乎?凡俗之人,猶不宜懷妒善之心,況於道士,尤應以忠信快意為生者也,云何當以此之亻敝然函胸臆閒乎?人自不能聞見神明,而神明之聞見己之甚易也。此何異乎在紗幌之外,不能察軒房之內,而肆其倨慢,謂人之不見己。此亦如竊鍾棖物,鏗然有聲,惡他人聞之,因自掩其耳者之類也。而聾瞽之存乎精神者,唯欲專擅華名,獨聚徒眾,外求聲價,內規財力,患疾勝己,乃劇於俗人之爭權勢也。遂以唇吻為刃鋒,以譭譽為朋黨,口親心疏,貌合行離,陽敦同志之言,陰挾蜂蠆之毒,此乃天人所共惡,招禍之符檄也。夫讀五經,猶宜不恥下問,以進德修業,日有緝熙。至於射御之粗伎,書數之淺功,農桑之露事,規矩之小術,尚須師授以盡其理,況營長生之法,欲以延年度世,斯與救恤死事無異也。何可務惜請受之名,而永守無知之困,至老不改,臨死不悔,此亦天民之篤暗者也。令人代之慚悚,為之者獨不顧形影也。為儒生尚當兀然守樸,外託質素,知而如否,有而如無,令庸兒不得盡其稱,稱而不問不對,對必辭讓而後言。何其道士之人,強以不知為知,以無有為有,虛自衒耀,以圖奸利者乎?迷而不知返者,愈以遂往,若有以行此者,想不恥改也。吾非苟為此言,誠有為而興,所謂疾之而不能默然也。徒愍念愚人,不忍見嬰兒之投井耳。若覽之而悟者,亦仙藥之一草也,吾何為哉!

抱朴子曰く「諸の虛名の道士、既に誑詐を爲るに善く、以て學者を欺く。又多く短を護り愚を匿し、知らざるを恥とし、表面上博涉已に足れるに像り、終に肯んじて己に勝る人を行求請問せず、蠢然として窮を守り、牆に面して立つ。又不但拱默のみ、乃ち又實に道有るを憎忌して彼を謗毀し、彼の聲名己を超過せんを怕る。此の類哪れにか長生の法に意有らんや。是れ以て弟子を合致し、其の財力を圖り、以て己の情欲を快くせんと欲するのみ。而も天高く聽卑きを知らず、其の後必ず此の殃を受けん。貧の以て妄りに我富と說く可からず、賤の以て虛く我貴と說く可からず、何況道德の事實無くして、而も空く門生弟子を養うをや。凡俗の人、尚ほ宜しく妒善の心を懷かざるべし、何況道士、尤も當に忠信快意を以て生と爲すべし、怎んぞ當に此のごとき憋悶の念頭を胸臆の閒に函せんや。人自ら能く神明を聞見せず、而も神明自己を聞見する卻りて甚だ易し。此れ紗幌の外に在りて、能く軒房の內を察せず、而も其の倨慢を肆にし、人自己を見ずと說く與、何の異有らん。此れ亦像く鐘を偷み、物を棖りて鏗然として聲有り、他人の聞くを怕れ、因此自ら耳を掩うの一類。而も精神上の聾瞽、只だ想う專ら華名を擅にし、獨り徒衆を聚め、外聲價を求め、內財力を謀り、己に勝るを患疾する、俗人の權勢を爭うより還た劇烈し。於是脣吻を以て刃鋒に當て、毀譽を以て朋黨に當て、口親く心疏く、貌合い行離れ、表面上同志の話を敦くし、暗裏蜂蠆の毒を挾む、此れ是れ天人の共に惡む所、禍を招くの符檄。五經を讀む、還た當に下問を恥とせず、以て德を進め業を修め、日に緝熙有るべし。至於射御の粗伎、書數の淺功、農桑の露事、規矩の小術、尚ほ須らく師授を以て彼の理を盡くさん、何況長生の法を經營し、以て年を延し世を度らんと欲する、此れ死事を救恤する與差異無し。怎んぞ以て務めて請受の名を惜しみ、而も永く無知の困を守り、老に至るまで改めず、死に臨みて悔いざらんや、此れ亦是れ天民の裏篤暗の。人をして彼に代わりて慚悚せしめ、做る人獨り形影を顧みず。儒生を做る尚ほ當に兀然として朴を守り、外面質素を托し、知りて知らざるに像り、有りて無きに像り、庸児をして其の稱を盡くすを得ざらしめ、稱して問われて對えず、對えば必ず辭讓して然る後言うべし。何を爲す道士の人、強りて知らざるを以て知と爲し、無有を以て有と爲し、虛く自ら炫耀し、以て奸利を圖らんや。迷りて返るを知らざるは、更加遂往し、若し此に因りて行う有れば、改むるを恥とせざらんと欲す。我不是苟且此らの話を說く、誠に爲る有りて發す、謂う所の之を疾しめて能く默然せず。只だ愚人を愍念し、嬰兒の井に投ぜらるるを見るに忍びざるのみ。若し看て悟る有れば、亦是れ仙藥中の一草、我何を爲さん

不御苦口,其危至矣,不俟脈診而可知者也。”

(抱朴子接續して曰く)苦口に進まざれば、彼の危到る、脈診を待たずして以て知る可し。」

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