抱朴子内篇 · 第8巻
治雄黃內生竹筒中一斤,輒加消石二兩,覆薦上下,封以漆骨丸,內醇大醋中,埋之深三尺,二十日即化為水也。作曾青水方,及礬石水同法,但各異筒中耳。
雄黃を治して生竹筒中に一斤を納入し、則ち硝石二兩を加へ、上下覆蓋して墊ぎ、漆骨丸を以て封じ、醇大醋中に納入し、埋めて深さ三尺、二十日則ち水に化す。曾青水方を作る、及び礬石水同一の法、只だ各々異筒中に在るのみ。
△小兒作黃金法
小兒黃金を作る法。
作大鐵筒成,中一尺二寸,高一尺二寸。作小鐵筒成,中六寸,瑩磨之。赤石脂一斤,消石一斤,雲母一斤,代赭一斤,流黃半斤,空青四兩,凝水石一斤,皆合搗細篩,以酰和,塗之小筒中,厚二分。汞一斤,丹砂半斤,良非半斤。取良非法用鉛十斤內鐵釜中,居爐上露灼之,鉛銷,內汞三兩,早出者以鐵匙抄取之,名曰良非也。攪令相得,以汞不見為候,置小筒中,雲母覆其上,鐵蓋鎮之。取大筒居爐上,銷鉛注大筒中,沒小筒中,去上半寸,取銷鉛為候,猛火炊之,三日三夜成,名曰紫粉。取鉛十斤於鐵器中銷之,二十日上下,更內銅器中,須鉛銷,內紫粉七方寸匕,攪之,即成黃金也。欲作白銀者,取汞置鐵器中,內紫粉三寸已上,火令相得,注水中,即成銀也。
大鐵筒を作りて、內徑一尺二寸、高一尺二寸。小鐵筒を作りて、內徑六寸、瑩磨す。赤石脂一斤、硝石一斤、雲母一斤、代赭一斤、流黃半斤、空青四兩、凝水石一斤、皆合して細を擣篩し、酰を以て和し、小筒中に塗り、厚さ二分。汞一斤、丹砂半斤、良非半斤。良非を取るの法、鉛十斤を以て鐵釜中に納入し、爐上に放ちて露りて灼き、鉛銷れば、汞三兩を納入し、早く出るを鐵匙を以て抄取す、名は良非。攪きて相得せしめ、以て汞を見ざるを候と爲し、小筒中に放ち、雲母上面を覆蓋し、鐵蓋鎮住す。大筒を取りて爐上に放ち、鉛を銷して大筒中に注入し、小筒を淹沒し、上に半寸を離れ、以て鉛銷を候と爲し、猛火之を炊ぎ、三日三夜成る、名は紫粉。鉛十斤を取りて鐵器中に銷し、二十日上下、再び銅器中に納入し、須らく鉛銷せ、紫粉七方寸匕を納入し、之を攪けば、則ち黃金と成る。白銀を作らんと欲するは、汞を取りて鐵器中に放ち、紫粉三寸以上を納入し、火して相得せしめ、水中に注進すれば、則ち銀と成る。
△務成子法
務成子の法。
作鐵筒長九寸,徑五寸,搗雄黃三斤,蚓螻壤等分,作合以為泥,塗裹使徑三寸,匱口四寸,加丹砂水二合,覆馬通火上,令極乾,內銅筒中,塞以銅合蓋堅,以黃沙築上,覆以蚓壤重泥,上無令洩,置爐炭中,令有三寸炭,筒口赤,可寒發之,雄黃皆入著銅筒,復出入如前法。三斤雄黃精,皆下入著筒中,下提取與黃沙等分,合作以為爐,爐大小自在也。欲用之,置爐於炭火中,爐赤,內水銀,銀動則內鉛其中,黃從傍起交中央,注之於地,即成金。凡作一千五百斤,爐力即盡矣。此金取牡荊赤黍酒漬之,百日,即柔可和也。如小豆,服一丸,日三服,盡一斤,三蟲伏屍,百病皆去,盲者視,聾者聞,老者即還年如三十時,入火不灼,百邪眾毒、冷風暑溼、不能侵入;盡三斤,則步行水上,山川百神,皆來侍衛,壽與天地相畢。以杼血朱草煮一丸,以拭目眥,即見鬼及地中物,能夜書;以白羊血塗一丸,投水中,魚龍立出,可以取也;以青羊血丹雞血塗一丸,懸都門上,一里不疫;以塗牛羊六畜額上,皆不疫病,虎豹不犯也;以虎膽蛇肪塗一丸,從月建上以擲敵人之軍,軍即便無故自亂,相傷殺而走矣;以牛血塗一丸以投井中,井中即沸,以投流水,流水則逆流百步;以白犬血塗一丸,投社廟舍中,其鬼神即見,可以役使;以兔血塗一丸,置六陰之地,行廚玉女立至,可俟六七十人也;以鯉魚膽塗一丸,持入水,水為之開一丈,可得氣息水中以行,冒雨衣不沾也;以紫莧煮一丸,含咽其汁,可百日不飢;以慈石煮一丸,內髻中,以擊賊,白刃流矢不中之,有射之者,矢皆自向也;以六丁六壬上土並一丸,以蔽人中則隱形,含一丸,北向以噴火,火則滅;以庚辛日申酉時,向西地以一丸擲樹,樹木即日便枯;又以一丸,禹步擲虎狼蛇蝮,皆即死;
鐵筒を作ること長さ九寸、徑五寸、雄黃三斤を擣き、蚓螻壤等分、合作して以て泥と爲し、塗裹して徑三寸をして、匱口四寸、丹砂水二合を加へ、馬通火上に覆し、之をして極干せしめ、銅筒中に納入し、銅合蓋を以て堅く塞ぎ、黃沙を以て上を築し、蚓壤を以て重ねて泥し、上面之をして泄さしむる勿れ、爐炭中に放ち、三寸炭有らしめ、筒口赤くなれば、以て冷して開く可し、雄黃皆進入して銅筒に附着す、再び出入すること前の法に像く。三斤雄黃精、皆下入して筒中に附着し、下提して黃沙與等分を取り、合作して以て爐と爲す、爐大小自便。之を用ゐんと想はば、爐を把て炭火中に放ち、爐赤くなれば、水銀を納入し、銀動けば則ち其の中に鉛を納入し、黃旁より昇起して中央に在りて相交わり、地に注げば、則ち金と成る。凡そ一千五百斤を作れば、爐力則ち盡く。此の金牡荊赤黍酒を取りて之を漬け、百日、則ち柔らかにして和す可し。小豆のごとく、一丸を服し、一日三服、一斤を盡くせば、三蟲伏尸し、百病皆去り、盲の能く視、聾の能く聞、老の則ち還年三十の時に像り、火に入りて灼かれず、百邪衆毒・冷風暑濕、能く侵入せず。三斤を盡くせば、則ち水上に步行し、山川百神、皆來て侍衛し、壽天地與相齊し。杼血・朱草を以て一丸を煮て、以て目眦を拭えば、則ち鬼及び地中物を見、能く夜書す。白羊血を以て一丸に塗り、水中に投進すれば、魚龍立刻出で、以て取る可し。青羊血・丹雞血を以て一丸に塗り、都門上に懸ければ、一里疫せず。拿來して牛羊六畜額上に塗れば、皆疫病せず、虎豹犯さず。虎膽・蛇肪を以て一丸に塗り、月建上より取來して敵の軍に擲てば、軍便ち即ち故無く自ら亂れ、相傷殺して走る。牛血を以て一丸に塗り井中に投進すれば、井中則ち沸し、拿來して流水に投げれば、流水則ち逆流百步す。白犬血を以て一丸に塗り、社廟舍中に投進すれば、彼の鬼神則ち見え、以て役使す可し。兔血を以て一丸に塗り、六陰の地に放てば、行廚玉女立刻到り、以て六七十人を伺候す可し。鯉魚膽を以て一丸に塗り、持して水に入れば、水因此一丈を開き、以て水中に在りて氣息を得て來走し、雨衣に冒して沾らず可し。紫莧を以て一丸を煮て、彼の汁を含咽すれば、以て百日饑えざる可し。慈石を以て一丸を煮て、髻中に納れ、以て賊を撃てば、白刃流矢中らず、射る有れば、矢皆自ら轉向す。六丁六壬上土竝び一丸を以て、以て人中を蔽えば則ち形を隱し、一丸を含み、北に向かい火を噴けば、火ば、火則ち滅す。庚辛日申酉時、西地に向かい一丸を拿げて樹に擲れば、樹木即日便ち枯る。又拿げて一丸、禹步して虎狼蛇蝮に擲てば、皆立刻死す。
研一丸以書石即入石,書金即入金,書木入木,所書皆徹其肌理,削治不可去也。卒死未經宿,以月建上水下一丸,令入咽喉,並含水噴死人面,即活。以狐血鶴血塗一丸,內爪中,以指萬物,隨口變化,即山行木徙,人皆見之,然而實不動也。凡作黃白,皆立太乙、玄女、老子坐醮祭,如作九丹法,常燒五香,香不絕。又金成,先以三斤投深水中,一斤投市中,然後方得恣其意用之耳。
(上文接續して曰く)一丸を研して以て石に寫れば則ち石に入り、金に寫れば則ち金に入り、木に寫れば木に入り、寫する所皆肌理に徹到し、削治して去る可からず。突然死して尚ほ一夜を過さざるは、月建上水を以て一丸を下し、之をして咽喉に入らしめ、并且水を含んで死人の面に噴けば、則ち活す。狐血・鶴血を以て一丸に塗り、爪中に納れ、以て萬物を指せば、口に隨い變化し、即ち是れ山行き木徙し、人皆之を見、然れども其の實動かず。凡そ黃白を作る、皆太乙・玄女・老子の坐位を設立して以て醮祭し、九丹を作るの法に像く、常に五香を燒き、香絕えず。又金成れば、先ず三斤を拿げて深水中に投進し、一斤を市中に投進し、然る後纔かに恣意以て之を用う可きのみ。
卷十七·登涉
卷十七・登涉
或問登山之道。抱朴子曰:“凡為道合藥,及避亂隱居者,莫不入山。然不知入山法者,多遇禍害。故諺有之曰,太華之下,白骨狼藉。皆謂偏知一事,不能博備,雖有求生之志,而反強死也。山無大小,皆有神靈,山大則神大,山小即神小也。入山而無術,必有患害。或被疾病及傷刺,及驚怖不安;或見光影,或聞異聲;或令大木不風而自摧折,岩石無故而自墮落,打擊煞人;或令人迷惑狂走,墮落坑谷;或令人遭虎狼毒蟲犯人,不可輕入山也。當以三月九月,此是山開月,又當擇其月中吉日佳時。若事久不得徐徐須此月者,但可選日時耳。凡人入山,皆當先齋潔七日,不經汙穢,帶升山符出門,作周身三五法。又五嶽有受殃之歲,如九州之地,更有衰盛,受飛符煞炁,則其地君長不可作也。按周公城名錄,天下分野,災之所及,可避不可禳,居宅亦然,山嶽皆爾也。又大忌不可以甲乙寅卯之歲,正月二月入東嶽;不以丙丁巳午之歲,四月五月入南嶽;不以庚辛申酉之歲,七月八月入西嶽;不以戊巳之歲,四季之月入中嶽;不以壬癸亥子之歲,十月十一月入北嶽。不須入太華霍山恆山太山嵩高山,乃忌此歲,其嶽之方面,皆同禁也。又萬物之老者,其精悉能假託人形,以眩惑人目而常試人,唯不能於鏡中易其真形耳。是以古之入山道士,皆以明鏡徑九寸已上,懸於背後,則老魅不敢近人。或有來試人者,則當顧視鏡中,其是仙人及山中好神者,顧鏡中故如人形。若是鳥獸邪魅,則其形貌皆見鏡中矣。又老魅若來,其去必卻行,行可轉鏡對之,其後而視之,若是老魅者,必無踵也,其有踵者,則山神也。昔張蓋蹋及偶高成二人,並精思於蜀雲臺山石室中,忽有一人著黃練單衣葛巾,往到其前曰,勞乎道士,乃辛苦幽隱!於是二人顧視鏡中,乃是鹿也。因問之曰:汝是山中老鹿,何敢詐為人形。
有人山に登るの道を問う。抱朴子曰く「凡そ道を爲して藥を合し、以及亂を避け隱居する、山に入らざる無し。然れども山に入るの法を知らざるは、多く禍害に遇上す。故に諺語此のごときの話有り、太華の下、白骨狼藉すと。皆是れ偏に一事を知るを說く、能く博備せず、雖も生を求むるの志有るも、卻りて強死に遭う。山大小を論ぜず、皆神靈有り、山大なれば則ち神大、山小なれば則ち神小。山に入りて而も術無ければ、必ず患害有り。或は疾病及び傷刺せられ、以及驚怖不安す。或は光影を見、或は異聲を聞く。或は大木をして風無くして自ら摧折せしめ、巖石故無くして自ら墮落し、打擊して人を殺す。或は人をして迷惑し狂走し、坑谷に墮落せしむ。或は人をして虎狼毒蟲に遭い人を犯さしむ、以て輕く山に入る可からず。當に三月九月、此れ是れ山開くの月、又當に彼の月中吉日佳時を擇ぶべし。若し事久く能く徐徐として此の月を待たざるは、只だ日時を選ぶ可きのみ。凡そ人山に入る、皆當に先ず齋潔七日、污穢を經ず、升山符を帶びて門を出で、周身三五法を作すべし。又五岳受殃の歲有り、像く九州の地、更に衰盛有り、飛符煞炁を受ければ、則ち彼の地の君長作る可からず。《周公城名錄》に按ずれば、天下分野、災の及ぶ所、以て避く可く禳ふ可からず、居宅亦此のごとく、山岳皆此のごとし。又大忌以て甲乙寅卯之歲・正月二月に東岳に入る可からず。丙丁巳午之歲・四月五月に南岳に入る可からず。庚辛申酉之歲・七月八月に西岳に入る可からず。戊己之歲・四季の月に中岳に入る可からず。壬癸亥子之歲・十月十一月に北岳に入る可からず。必ずしも太華・霍山・恒山・太山・嵩高山に入るを須せず、纔かに此らの歲を忌む、彼の岳の方面、皆禁に同じ。又萬物老いし、其の精皆能く人形を假托し、以て人の目を眩惑して而も常に人を試す、只だ能く鏡中に眞形を改易せざるのみ。故に古時山に入るの道士、皆明鏡徑九寸以上を拿げ、背後に懸け、則ち老魅敢へて人に近づかず。或は來て人を試する有れば、則ち當に頭を回して鏡中を看るべし、若し是れ仙人及び山中好神なれば、頭を回して鏡中を看る仍ほ人形に像る。若し是れ鳥獸邪魅、則ち其の形貌皆鏡中に於て見る。又老魅若し來れば、它去る必ず倒して走り、走るの時以て鏡を轉じて之に對し、後面より看る、若し是れ老魅、必ず踵無し、踵有るは、則ち是れ山神。昔張蓋蹋及び偶高成二人、一起蜀雲台山石室中に在りて精思し、忽然一人有りて黃練單衣葛巾を穿著し、彼らの前に走到して說く、勞苦啊道士、竟に此のごとく辛苦幽隱せりと。於是二人頭を回して鏡中を看れば、乃ち是れ鹿。因此之に問うて說く、你是れ山中の老鹿、怎んぞ敢へて人形を詐せんと。
言未絕,而來人即成鹿而走去。林慮山下有一亭,其中有鬼,每有宿者,或死或病,常夜有數十人,衣色或黃或白或黑,或男或女。後郅伯夷者過之宿,明燈燭而坐誦經,夜半有十餘人來,與伯夷對坐,自共樗蒲博戲,伯夷密以鏡照之,乃是群犬也。伯夷乃執燭起,佯誤以燭燼爇其衣,乃作燋毛氣。伯夷懷小刀,因捉一人而刺之,初作人叫,死而成犬,餘犬悉走,於是遂絕,乃鏡之力也。上士入山,持三皇內文及五嶽真形圖,所在召山神,及按鬼錄,召州社及山卿宅尉問之,則木石之怪,山川之精,不敢來試人。其次即立七十二精鎮符,以制百邪之章,及朱官印包元十二印,封所住之四方,亦百邪不敢近之也。其次執八威之節,佩老子玉策,則山神可使,豈敢為害乎?餘聞鄭君之言如此,實復不能具知其事也。餘師常告門人曰:“夫人求道,如憂家之貧,如愁位之卑者,豈有不得耶?但患志之不篤,務近忘遠,聞之則悅,倔倔前席,未久,則忽然若遺,毫釐之益未固,而丘山之損不已,亦安得窮至言之微妙,成罔極之峻崇乎?”
(抱朴子接續して曰く)話尚ほ未だ絕えざるに、而も來人則ち鹿と成りて逃走す。林慮山下に一亭有り、其の中鬼有り、每に宿する有れば、或は死或は病す、常々夜裏數十人有り、衣色或は黃或は白或は黑、或は男或は女。後來郅伯夷過ぎて彼處に宿り、明燈燭を點して坐して經を誦し、夜半十餘個人有りて來り、伯夷與對坐し、自ら共同樗蒲博戲し、伯夷密かに鏡を拿げて彼らを照らせば、乃ち是れ群犬。伯夷則ち燭を執りて起き、假裝失誤して燭燼を拿げて彼らの衣を燒き、纔かに燋毛の氣有り。伯夷懷裏小刀を藏し、因此一人を捉住して彼を刺し、初め人の叫を作し、死して犬と成り、其餘の犬全都走り、於是遂に絕ゆ、乃ち是れ鏡の力。上士山に入る、《三皇內文》及び《五岳眞形圖》を持し、在る所山神を召し、以及鬼錄に按り、州社及び山卿宅尉を召して來問せば、則ち木石の怪・山川の精、敢へて來りて人を試せず。其次則ち七十二精鎭符を立て、百邪を制するの章を以てし、以及朱官印包元十二印、住する所の四方を封ず、亦是れ百邪敢へて近づかず。其次八威之節を執り、老子玉策を佩ずれば、則ち山神以て使ふ可し、豈に敢へて害を爲さんや。我聞く鄭君の話此のごとく、實に又能く詳しく彼の事を知らず。我が師常に門人に告げて曰く「人道を求む、像く家の貧を憂え、位の卑を愁ふ、哪れにか得ざる有らんや。只だ怕るる志篤からざる、近を務め遠を忘れ、聞けば則ち悅び、倔倔として席に前り、久しからず、則ち忽然として遺失のごとく、毫釐の益尚ほ未だ固く、而も丘山の損停まず、又怎んぞ至言の微妙を窮め、極限無きの峻崇を成るを得んや」と。
抱朴子曰:“入山之大忌,正月午,二月亥,三月申,四月戌,五月未,六月卯,七月甲子,八月申子,九月寅,十月辰未,十一月己丑,十二月寅。入山良日:甲子、甲寅、乙亥、乙巳、乙卯、丙戌、丙午、丙辰,已上日大吉。”抱朴子曰:“按九天秘記及太乙遁甲云,入山大月忌:三日、十一日、十五日、十八日、二十四日、二十六日、三十日;小月忌:一日、五日、十三日、十六日、二十六日、二十八日。以此日入山,必為山神所試。又所求不得,所作不成。不但道士,凡人以此日入山,皆兇害,與虎狼毒蟲相遇也。”
抱朴子曰く「山に入るの大忌、正月午、二月亥、三月申、四月戌、五月未、六月卯、七月甲子、八月申子、九月寅、十月辰未、十一月己丑、十二月寅。山に入るの良日、甲子・甲寅・乙亥・乙巳・乙卯・丙戌・丙午・丙辰、以上の日子大吉と。抱朴子曰く「《九天祕記》及び太乙遁甲の說に按ずれば、山に入るの大月忌、三日・十一日・十五日・十八日・二十四日・二十六日・三十日。小月忌、一日・五日・十三日・十六日・二十六日・二十八日。此らの日子を拿げて山に入れば、必ず山神の試する所と爲る。又求むる所得られず、作る所成らず。不但道士、凡人此らの日子を拿げて山に入る、皆凶害、虎狼毒蟲與相遇う。
抱朴子曰:“天地之情狀,陰陽之吉凶,茫茫乎其亦難詳也,吾亦不必謂之有,又亦不敢保其無也。然黃帝太公皆所信仗,近代達者嚴君平司馬遷皆所據用,而經傳有治歷明時剛柔之日。古言曰,吉日惟戊。有自來矣。王者立太史之官,封拜置立,有事宗廟,郊祀天地,皆擇良辰;而近才庸夫,自許脫俗,舉動所為,恥揀善日,不亦戇愚哉?每伺今入山,不得其良時日交,下有其驗,不可輕入也。按玉鈐經云,欲入名山,不可不知遁甲之秘術,而不為人委曲說其事也。而靈寶經云,入山當以保日及義日,若專日者大吉,以制日伐日必死,又不一一道之也。餘少有入山之志,由此乃行學遁甲書,乃有六十餘卷,事不可卒精,故鈔集其要,以為囊中立成,然不中以筆傳。今論其較略,想好事者欲入山行,當訪索知之者,亦終不乏於世也。遁甲中經曰,欲求道,以天內日天內時,劾鬼魅,施符書;以天禽日天禽時入名山,欲令百邪虎狼毒蟲盜賊,不敢近人者。出天藏,入地戶。凡六癸為天藏,六己為地戶也。又曰,避亂世,絕跡於名山,令無憂患者,以上元丁卯日,名曰陰德之時,一名天心,可以隱淪,所謂白日陸沈,日月無光,人鬼不能見也。又曰,求仙道入名山者,以六癸之日六癸之時,一名天公日,必得度世也。又曰,往山林中,當以左手取青龍上草,折半置逢星下,歷明堂入太陰中,禹步而行,三祝曰,諾皋大陰,將軍獨聞,曾孫王甲,勿開外人;使人見甲者,以為束薪;不見甲者,以為非人。則折所持之草置地上,左手取土以傅鼻人中,右手持草自蔽,左手著前,禹步而行,到六癸下,閉氣而住,人鬼不能見也。凡六甲為青龍,六乙為逢星,六丙為明堂,六丁為陰中也。ⅴⅵ比成既濟卦,初一初二跡不任九跡數,然相因仍一步七尺。又云,一尺合二丈一尺,顧視九跡。
抱朴子曰く「天地の情狀・陰陽の吉凶、茫茫然として詳しくする亦難し、我亦必ずしも之を有りと說かず、又亦敢へて之を無しと保せず。然れども黄帝・太公皆信仗する所、近代達者嚴君平・司馬遷皆據用する所、而も經傳治歷明時剛柔の日有り。古話曰く、吉日惟れ戊と。是れ來由有り。王者太史の官を設立し、封拜置立・宗廟に事有り・郊祀天地する、皆良辰を擇ぶ。而も近才庸夫、自ら俗を脫すと許し、擧動所爲、善日を揀ぶを恥とす、亦戇愚ならずや。每に伺う今山に入る、彼の良時日相交を得ず、下に彼の驗有り、以て輕く入る可からず。《玉鈐經》說く、名山に入らんと想はば、以て遁甲の祕術を知らざる可からず、而も人に委曲彼の事を說かず。而も《靈寶經》說く、山に入るは當に保日及び義日に在るべし、若し是れ專日大吉、制日伐日に在れば必ず死す、又不一一に道說すと。我少時山に入るの志有り、由此纔かに遁甲書を學ぶに去り、乃ち六十餘卷有り、事倉促精す可からず、故に彼の要を鈔集し、當に囊中立成に作る、然れども筆を以て傳ふるに適わず。今彼の大較を論ず、好事の人をして山行に入らんと要す、當に之を知るの人を訪索すべし、亦終に世に乏しからず。《遁甲中經》說く、道を求めんと欲せば、天內日天內時に在りて、鬼魅を劾し、符書を施す。天禽日天禽時に在りて名山に入る、百邪虎狼毒蟲盜賊をして、敢へて人に近人に近づかざらしめんと欲す。天藏を出で、地戶に入る。凡そ六癸是れ天藏、六己是れ地戶。又說く、亂世を避く、名山に絕迹し、之をして憂患無からしめる、上元丁卯日に在り、名は陰德之時、一名天心、以て隱淪す可し、謂う所の白日陸沈、日月無光、人鬼能く見ざるなりと。又說く、仙道を求め名山に入る、六癸之日六癸之時に在り、一名天公日、必ず世を度るを得と。又說く、山林中に往く、當に左手を以て青龍上草を取り、半を折りて逢星下に放ち、明堂を經歷して太陰中に進入し、禹步して行き、三祝して說く、諾皋大陰、將軍獨聞、曾孫王甲、外人を開かざる勿れ。人をして甲を見しむる、以て束薪と爲す。甲を見ざる、以て非人と爲す。則ち持する所の草を折りて地上に放ち、左手土を取りて以て鼻人中に傅し、右手草を持して自蔽し、左手前に放ち、禹步して行き、六癸下に到り、氣を閉じて住す、人鬼能く見ざらん。凡そ六甲是れ青龍、六乙是れ逢星、六丙是れ明堂、六丁是れ陰中。底本「ⅴⅵ」記號有り、禹步比成既濟卦を以て理解す、初一初二の迹九迹の數を任ぜず、然れども相因して仍ほ一步七尺。又說く、一尺二丈一尺に合し、頭を回して九迹を看ると。
又禹步法:正立,右足在前,左足在後,次復前右足,以左足從右足並,是一步也。次復前右足,次前左足,以右足從左足並,是二步也。次復前右足,以左足從右足並,是三步也。如此,禹步之道畢矣。凡作天下百術,皆宜知禹步,不獨此事也。”
(抱朴子接續して曰く)又禹步法、正立し、右足前に在り、左足後に在り、其次再び右足を前し、左足を以て右足に從い竝び上る、此れ是れ一步。其次再び右足を前し、其次左足を前し、右足を以て左足に從い竝び上る、此れ是れ二步。其次再び右足を前し、左足を以て右足に從い竝び上る、此れ是れ三步。此のごとく、禹步の道畢了す。凡そ天下百術を作る、皆宜しく禹步を知るべし、不獨此の事。
抱朴子曰:“靈寶經曰,所謂寶日者,謂支幹上生下之日也,若用甲午乙巳之日是也。甲者,木也。午者,火也。乙亦木也,巳亦火也,火生於木故也。又謂義日者,支幹下生上之日也,若壬申癸酉之日是也。壬者,水也。申者,金也。癸者,水也。酉者,金也,水生於金故也。所謂制日者,支幹上克下之日也。若戊子己亥之日是也。戊者,土也。子者,水也。己亦土也,亥亦水也,五行之義,土克水也。所謂伐日者,支幹下克上之日,若甲申乙酉之日是也。甲者,木也。申者,金也。乙亦木也,酉亦金也,金克木故也。他皆仿此,引而長之,皆可知之也。”
抱朴子曰く「《靈寶經》說く、謂う所の寶日、是れ地支天干上生下の日を說く、像く甲午・乙巳の日を以てすれば則ち是れ。甲是れ木。午是れ火。乙亦是れ木、巳亦是れ火、火木に生ずるの緣故。又謂う所の義日、是れ地支天干下生上の日、像く壬申・癸酉の日則ち是れ。壬是れ水。申是れ金。癸是れ水。酉是れ金、水金に生ずるの緣故。謂う所の制日、是れ地支天干上克下の日。像く戊子・己亥の日則ち是れ。戊是れ土。子是れ水。己亦是れ土。亥亦是れ水、五行の義、土水を克す。謂う所の伐日、是れ地支天干下克上の日、像く甲申・乙酉の日則ち是れ。甲是れ木。申是れ金。乙亦是れ木。酉亦是れ金、金木を克するの緣故。其餘皆此に仿し、引きて之を長ずれば、皆以て知る可し。
抱朴子曰:“入名山,以甲子開除日,以五色繒各五寸,懸大石上,所求必得。又曰,入山宜知六甲秘祝。祝曰,臨兵鬥者,皆陣列前行。凡九字,常當密祝之,無所不闢。要道不煩,此之謂也。”
抱朴子曰く「名山に入る、甲子開除日に在りて、五色繒各五寸を以て、大石に懸け、求むる所必ず得。又說く、山に入るは宜しく六甲祕祝を知るべし。祝して說く、臨兵鬬者、皆陣列前行と。凡そ九個字、常に當に密かに祝すべし、辟かざる所無し。要道不煩、說く是れ此のごとしと。
抱朴子曰:“山中山精之形,如小兒而獨足,走向後,喜來犯人。人入山,若夜聞人音聲大語,其名曰蚑,知而呼之,即不敢犯人也。一名熱內,亦可兼呼之。又有山精,如鼓赤色,亦一足,其名曰暉。又或如人,長九尺,衣裘戴笠,名曰金累。或如龍而五色赤角,名曰飛飛,見之皆以名呼之,即不敢為害也。”
抱朴子曰く「山中山精の形、小兒に像りて而も獨足、走りて後に向かう、好みて來りて人を犯す。人山に入りて、若し夜裏人の音聲大語を聞けば、其の名は蚑、之を知りて之を呼叫せば、則ち敢へて人を犯さず。一名熱內、亦以て兼ねて呼ぶ可し。又山精有り、鼓に像りて赤色、亦是れ一足、名は暉。又或は人に像り、長さ九尺、裘を衣て笠を戴き、名は金累。或は龍に像りて五色赤角、名は飛飛、皆名を以て之を呼ぶを見れば、則ち敢へて害を爲さず。
抱朴子曰:“山中有大樹,有能語者,非樹能語也,其精名曰云陽,呼之則吉。山中夜見火光者,皆久枯木所作,勿怪也。山中夜見胡人者,銅鐵之精。見秦者,百歲木之精。勿怪之,並不能為害。山水之閒見吏人者,名曰四徼,呼之名即吉。山中見大蛇著冠幘者,名曰升卿,呼之即吉。山中見吏,若但聞聲不見形,呼人不止,以白石擲之則息矣;一法以葦為矛以刺之即吉。山中見鬼來喚人,求食不止者,以白茅投之即死也。山中鬼常迷惑使失道徑者,以葦杖投之既死也。山中寅日,有自稱虞吏者,虎也。稱當路君者,狼也。稱令長者,老狸也。卯日稱丈人者,兔也。稱東王父者,麋也。稱西王母者,鹿也。辰日稱雨師者,龍也。稱河伯者,魚也。稱無腸公子者,蟹也。巳日稱寡人者,社中蛇也。稱時君者,龜也。午日稱三公者,馬也。稱仙人者,老樹也。未日稱主人者,羊也。稱吏者,獐也。申日稱人君者,猴也。稱九卿者,猿也。酉日稱將軍者,老雞也。稱捕賊者,雉也。戌日稱人姓字者,犬也。稱成陽公者,狐也。亥日稱神君者,豬也。稱婦人者,金玉也。子日稱社君者,鼠也。稱神人者,伏翼也。丑日稱書生者,牛也。但知其物名,則不能為害也。”
抱朴子曰く「山中大樹有り、能く話す有る、不是樹能く話す、其の精名は雲陽、之を呼べば則ち吉。山中夜裏火光を見る、皆是れ久枯木の作る所、怪む勿れ。山中夜裏胡人を見る、是れ銅鐵の精。秦人を見る、是れ百歲木の精。彼らを怪む勿れ、竝びに能く害を爲さず。山水の閒吏人を見る、名は四徼、其の名を呼べば則ち吉。山中大蛇冠幘を戴くを見る、名は升卿、之を呼べば則ち吉。山中吏を見、若し只だ聲を聞きて形を見ず、人を呼びて止まざるは、白石を以て之に擲てば則ち停まる。一法葦を以て矛を作りて以て之を刺せば則ち吉。山中鬼來りて人を喚び、食を求めて止まざるを見る、白茅を以て之に投げれば則ち死す。山中鬼常に人を迷惑して道徑を失はしむる、葦杖を以て之に投げれば則ち死す。山中寅日、自ら虞吏と稱する有るは、是れ虎。當路君と稱するは、是れ狼。令長と稱するは、是れ老狸。卯日丈人と稱するは、是れ兔。東王父と稱するは、是れ麋。西王母と稱するは、是れ鹿。辰日雨師と稱するは、是れ龍。河伯と稱するは、是れ魚。無腸公子と稱するは、是れ蟹。巳日寡人と稱するは、是れ社中蛇。時君と稱するは、是れ龜。午日三公と稱するは、是れ馬。仙人と稱するは、是れ老樹。未日主人と稱するは、是れ羊。吏と稱するは、是れ獐。申日人君と稱するは、是れ猴。九卿と稱するは、是れ猿。酉日將軍と稱するは、是れ老雞。捕賊と稱するは、是れ雉。戌日人姓字と稱するは、是れ犬。成陽公と稱するは、是れ狐。亥日神君と稱するは、是れ豬。婦人と稱するは、是れ金玉。子日社君と稱するは、是れ鼠。神人と稱するは、是れ伏翼。丑日書生と稱するは、是れ牛。只だ彼の物名を知れば、則ち能く害を爲さず。
或問隱居山澤闢蛇蝮之道。抱朴子曰:“昔圓丘多大蛇,又生好藥,黃帝將登焉,廣成子教之佩雄黃,而眾蛇皆去。今帶武都雄黃,色如雞冠者五兩以上,以入山林草木,則不畏蛇。蛇若中人,以少許雄黃末內瘡中,亦登時愈也。蛇種雖多,唯有蝮蛇及青金蛇中人為至急,不治之,一日則煞人。人不曉治之方術者,而為此二蛇所中,即以刀割所傷瘡肉以投地,其肉沸如火炙,須臾焦盡,而人得活。此蛇七八月毒盛之時,不得咬人,而其毒不洩,乃以牙咬大竹及小木,皆即燋枯。今為道士人入山,徒知大方,而不曉闢之之道,亦非小事也。未入山,當預止於家,先學作禁法,思日月及朱雀玄武青龍白虎,以衛其身,乃行到山林草木中,左取三口炁閉之,以吹山草中,意思令此炁赤色如雲霧,彌滿數十里中。若有從人,無多少皆令羅列,以炁吹之,雖踐蛇,蛇不敢動,亦略不逢見蛇也。若或見蛇,因向日左取三炁閉之,以舌柱天,以手捻都關,又閉天門,塞地戶,因以物抑蛇頭而手縈之,畫地作獄以盛之,亦可捉弄也。雖繞頭頸,不敢咬人也。自不解禁,吐炁以吹之,亦終不得復出獄去也。若他人為蛇所中,左取三口炁以吹之,即愈不復痛。若相去十數里者,亦可遙為作炁,呼彼姓字,男祝我左手,女祝我右手,彼亦愈也。介先生法,到山中住,思作五色蛇各一頭,乃閉炁以青竹及小木板屈刺之,左徊禹步,思作吳蚣數千板,以衣其身,乃去,終亦不逢蛇也。或以乾姜附子帶之肘後,或燒牛羊鹿角燻身,或帶王方平雄黃丸,或以豬耳中垢及麝香丸著足爪甲中,皆有效也。又麝及野豬皆啖蛇,故以厭之也。又云日鳥及蠳龜,亦皆啖蛇。故南人入山,皆帶蠳龜之尾,雲日之喙以闢蛇。蛇中人,刮此二物以塗其瘡,亦登時愈也。雲日,鴆鳥之別名也。
有人山澤に隱居して蛇蝮を辟くの道を問う。抱朴子曰く「昔圓丘大蛇多く、又好藥を生じ、黄帝將に登らんとし、廣成子彼に雄黃を佩べよと教へ、而も衆蛇皆離去す。今武都雄黃を帶び、色雞冠に像るの五兩以上、山林草木に進入せば、則ち蛇を怕れず。蛇若し人に中れば、雄黃末少許を拿げて瘡中に納れ、亦立刻愈ゆ。蛇種雖も多し、只有蝮蛇及び青金蛇人に中るを至急と爲す、治せざれば、一日則ち人を殺す。人治するの方術を曉らずして、而も此の兩蛇に中られれば、則ち刀を以て傷する所の瘡肉を割りて地に投げ、彼の肉沸すること火炙のごとく、片刻焦盡し、而も人生を得。此の蛇七八月毒盛の時、人を咬むを得ずして、而も毒泄れず、則ち牙を以て大竹及び小木を咬み、皆立刻燋枯す。今道士を做る人山に入る、徒らに大方を知る、而も之を辟くの道を曉らず、亦不是小事。未だ山に入らず、當に豫め家に停まり、先ず禁法を學作し、日月及び朱雀・玄武・青龍・白虎を思い、以て己の身を衛し、纔かに山林草木中に走到し、左邊三口炁を取りて閉住し、以て山草中に吹き、意此の炁をして赤色雲霧のごとくせしめ、數十里中に彌滿す。若し從人有れば、多少を論ぜず皆之を羅列せしめ、炁を以て彼らを吹けば、雖も蛇を踩着すとも、蛇敢へて動かず、亦幾んど蛇に逢見せず。若し或は蛇を見れば、因此日に向かい左邊三炁を取りて閉住し、舌を以て天を柱し、手を以て都關を捻り、又天門を閉じ、地戶を塞ぎ、因此物を以て蛇頭を抑住して而も手之を縈り、地を畫いて獄を作りて以て之を盛る、亦以て捉弄す可し。雖も頭頸を繞るも、敢へて人を咬まず。自ら禁を解かざれば、炁を吐きて以て之を吹くも、亦終に再び獄を出でて離去するを得ず。若し他人蛇の中る所にあれば、左邊三口炁を取りて以て吹けば、則ち愈えて再び痛まず。若し相去ること十數里の、亦以て遠く炁を作り、彼の人の姓字を呼び、男は我左手を祝し、女は我右手を祝す、彼の人亦愈ゆ。介先生の法、山中に到りて住し、五色蛇各一頭を思作し、纔かに炁を閉じて青竹及び小木板を以て屈刺し、左徊禹步し、吳蚣數千板を思作し、以て己の身に衣せしめ、纔かに離去す、終に亦蛇に逢わず。或は干姜・附子を以て肘後に帶び、或は牛羊鹿角を燒きて身を熏し、或は王方平雄黃丸を帶び、或は豬耳中垢及び麝香丸を把て足爪甲中に放つ、皆效有り。又麝及び野豬皆蛇を喫う、故に以て之を厭す。又云日鳥及び蠳龜、亦皆蛇を喫う。故に南人山に入る、皆蠳龜の尾・云日の喙を帶びて以て蛇を辟く。蛇人に中れば、此の兩物を刮りて以て彼の瘡に塗れば、亦立刻愈ゆ。云日は、是れ鴆鳥の別名。
又南人入山,皆以竹管盛活蜈蚣,蜈蚣知有蛇之地,便動作於管中,如此則詳視草中,必見蛇也。大蛇丈餘,身出一圍者,蜈蚣見之,而能以炁禁之,蛇即死矣。蛇見蜈蚣在涯岸間,大蛇走入川穀深水底逃,其蜈蚣但浮水上禁,人見有物正青,大如綖者,直下入水至蛇處,須臾蛇浮出而死。故南人因此末蜈蚣治蛇瘡,皆登愈也。”
(抱朴子接續して曰く)又南人山に入る、皆竹管を以て活蜈蚣を盛る、蜈蚣蛇有るの地方を知れば、便ち管中に動作し、此のごとく則ち草中を詳視せば、必ず蛇を見。大蛇一丈餘、身一圍を出づるは、蜈蚣之を見て、而も能く炁を以て之を禁ずれば、蛇則ち死す。蛇蜈蚣涯岸閒に在るを見れば、大蛇溪谷深水底に逃進し、彼の蜈蚣只だ水上に浮かびて禁ず、人物有る正青・大きさ絲𫄧のごときを見て、直ちに水に下入りて蛇の處に到り、片刻蛇浮出して死す。故に南人因此蜈蚣を研末して蛇瘡を治す、皆立刻愈ゆ。」
或問曰:“江南山谷之閒,多諸毒惡,闢之有道乎?”抱朴子答曰:“中州高原,土氣清和,上國名山,了無此輩。今吳楚之野,暑溼鬱蒸,雖衡霍正嶽,猶多毒蠚也。又有短狐,一名蜮,一名射工,一名射影,其實水蟲也,狀如鳴蜩,狀似三合杯,有翼能飛,無目而利耳,口中有橫物角弩,如聞人聲,緣口中物如角弩,以氣為矢,則因水而射人,中人身者即發瘡,中影者亦病,而不即發瘡,不曉治之者煞人。其病似大傷寒,不十日皆死。又有沙蝨,水陸皆有,其新雨後及晨暮前,跋涉必著人,唯烈日草燥時,差稀耳。其大如毛髮之端,初著人,便入其皮裡,其所在如芒刺之狀,小犯大痛,可以針挑取之,正赤如丹,著爪上行動也。若不挑之,蟲鑽至骨,便周行走入身,其與射工相似,皆煞人。人行有此蟲之地,每還所住,輒當以火炙燎令遍身,則此蟲墮地也。若帶八物麝香丸、及度世丸、及護命丸、及玉壺丸、犀角丸、及七星丸、及薺苨,皆闢沙蝨短狐也。若卒不能得此諸藥者,但可帶好生麝香亦佳。以雄黃大蒜等分合搗,帶一丸如雞子大者亦善。若已為所中者,可以此藥塗瘡亦愈。父咀赤莧汁,飲之塗之亦愈。五茄根及懸鉤草葍藤,此三物皆可各單行,可以搗服其汁一二升。又射工蟲冬天蟄於山谷間,大雪時索之,此蟲所在,其雪不積留,氣起如灼蒸,當掘之,不過入地一尺則得也,陰乾末帶之,夏天自闢射工也。若道士知一禁方,及洞百禁,常存禁及守真一者,則百毒不敢近之,不假用諸藥也。”
有人問道て曰く「江南山谷の閒、諸種の毒惡多し、彼らを辟くに道有るか」と。抱朴子回答えて曰く「中州高原、土氣淸和、上國名山、全く此の類無し。今吳楚之野、暑濕鬱蒸し、雖も衡霍正岳、還た毒螫多し。又短狐有り、一名蜮、一名射工、一名射影、其の實是れ水蟲、狀鳴蜩に像り、狀三合杯に像り、翼有りて能く飛び、目無くして耳利し、口中橫物角弩有り、若し人聲を聞かば、口中物に順ひて角弩に像り、氣を以て矢に當て、則ち水に因りて人を射、人身に中る立刻瘡を發し、影に中る亦病し、而も立刻瘡を發せず、治するを曉らざる則ち人を殺す。彼の病大傷寒に像り、十日に及ばず皆死す。又沙虱有り、水陸皆有り、新雨後及び晨暮前、跋涉すれば必ず人に附着す、只有烈日草燥の時、稍々稀なるのみ。其の大きさ毛髮之端のごとく、初め人に附着すれば、便ち皮裏に進入し、在る所芒刺の狀のごとく、小さく犯して大いに痛み、以て鍼を以て挑取す可し、正赤丹に像り、爪上に放てば行動す。若し挑がざれば、蟲骨に到るまで鑽り、便ち周回行走入身し、射工與相似、皆人を殺す。人此の蟲有るの地方に走到する、每回住する所に到れば、則ち當に火を以て炙燎して遍身せしむべし、則ち此の蟲地に墮つ。若し八物麝香丸・及び度世丸・及び護命丸・及び玉壺丸・犀角丸・及び七星丸・及び薺苨を帶ぶれば、皆沙虱短狐を辟く。若し倉促此らの藥を得る能わざれば、只可く好生麝香を帶ぶ亦善し。雄黃・大蒜等分を以て合擣し、雞子大の一丸を帶ぶ亦善し。若し已に中られしは、以て此の藥を瘡に塗る亦愈ゆ。父咀赤莧汁、之を飲み之に塗る亦愈ゆ。五茄根及び懸鈎草・葍藤、此の三物皆以て各々單行す可し、以て其の汁一二升を擣服す可し。又射工蟲冬天山谷閒に蟄し、大雪の時之を索めれば、此の蟲の在る所、彼の雪積留せず、氣起ること灼蒸のごとし、當に掘るべし、地に入る一尺を過さずして得、陰干して末を研して之を帶べば、夏天自ら射工を辟く。若し道士一禁方を知り、以及百禁を洞曉し、常に禁を存し及び眞一を守れば、則ち百毒敢へて近づかず、必ず諸藥を借らず。
或問:“道士山居,棲巖庇岫,不必有絪縟之溫,直使我不畏風溼,敢問其術也?”抱朴子曰:“金餅散、三陽液、昌辛丸、葷草耐冬煎、獨搖膏、茵芋玄華散、秋地黃血丸,皆不過五十日服之而止,可以十年不畏風溼。若服金丹大藥,雖未升虛輕舉,然體不受疾,雖當風臥溼。不能傷也。服此七藥,皆謂始學道者耳。姚先生但服三陽液,便袒臥冰上,了不寒振。此皆介先生及梁有道臥石上,及秋冬當風寒,已試有驗,秘法也。”
有人問うて曰く「道士山居、岩に栖み岫に庇ぐ、必ず褥の溫有らず、只だ我をして風濕を畏れざらしめん、彼の術を請問す」と。抱朴子曰く「金餅散・三陽液・昌辛丸・葷草耐冬煎・獨搖膏・茵芋玄華散・秋地黃血丸、皆不過五十日服して止まる、以て十年風濕を畏れざる可し。若し金丹大藥を服すれば、雖も尚ほ未だ虛に升り輕擧せずとも、然れども體疾を受けず、雖も風に當り濕に臥るも、能く傷らず。此の七藥を服する、皆是れ始めて道を學ぶを說くのみ。姚先生只だ三陽液を服し、便ち冰上に袒臥す、全く寒振せず。此ら皆是れ介先生及び梁有道石上に臥り、以及秋冬風寒に當る、已に試して驗有り、是れ祕法と。
或問涉江渡海闢蛇龍之道。抱朴子曰:“道士不得已而當遊涉大川者,皆先當於水次,破雞子一枚,以少許粉雜香末,合攪器水中,以自洗濯,則不畏風波蛟龍也。又佩東海小童符、及制水符、蓬萊札,皆卻水中之百害也。又有六甲三金符、五木禁。又法,臨川先祝曰:卷蓬卷蓬,河伯導前闢蛟龍,萬災消滅天清明。又金簡記云,以五月丙午日日中,搗五石,下其銅。五石者,雄黃、丹砂、雌黃、礬石、曾青也。皆粉之,以金華池浴之,內六一神爐中鼓下之,以桂木燒為之,銅成以剛炭煉之,令童男童女進火,取牡銅以為雄劍,取牝銅以為雌劍,各長五寸五分,取土之數,以厭水精也。帶之以水行,則蛟龍巨魚水神不敢近人也。欲知銅之牝牡,當令童男童女俱以水灌銅,灌銅當以在火中向赤時也,則銅自分為兩段,有凸起者牡銅也,有凹陷者牝銅也,各刻名識之。欲入水,以雄者帶左,以雌者帶右。但乘船不身涉水者,其陽日帶雄,陰日帶雌。又天文大字,有北帝書,寫帛而帶之,亦闢風波蛟龍水蟲也。”或問曰:闢山川廟堂百鬼之法。抱朴子曰:“道士常帶天水符、及上皇竹使符、老子左契、及守真一思三部將軍者,鬼不敢近人也。其次則論百鬼錄,知天下鬼之名字,及白澤圖九鼎記,則眾鬼自卻。其次服鶉子赤石丸、及曾青夜光散、及蔥實烏眼丸、及吞白石英祇母散,皆令人見鬼,即鬼畏之矣。”抱朴子曰:“有老君黃庭中胎四十九真秘符,入山林,以甲寅日丹書白素,夜置案中,向北鬥祭之,以酒脯各少少,自說姓名,再拜受取,內衣領中,闢山川百鬼萬精虎狼蟲毒也。何必道士,亂世避難入山林,亦宜知此法也。”
有人江に涉り海を渡り蛇龍を辟くの道を問う。抱朴子曰く「道士已むを得ずして當に大川を游涉すべき、皆當に先ず水邊に在りて、雞子一枚を破り、粉少許を拿げて香末を雜え、器水中に合攪し、以て自ら洗濯すれば、則ち風波蛟龍を怕れず。又東海小童符・及び制水符・蓬萊札を佩ず、皆水中の百害を退却す。又有六甲三金符・五木禁。又一法有り、川に臨みて先ず祝して說く、卷蓬卷蓬、河伯前を導き蛟龍を辟く、萬災消滅し天淸明なりと。又《金簡記》說く、五月丙午日日中に在りて、五石を擣き、其の銅を下す。五石は、是れ雄黃・丹砂・雌黃・礬石・曾青。皆粉に研し、金華池を以て之を浴し、六一神爐中に納入して鼓下し、桂木を以て燒きて做り、銅成れば剛炭を以て之を煉し、童男童女をして火を進めしめ、牡銅を取りて做りて雄劍と爲し、牝銅を取りて做りて雌劍と爲す、各長さ五寸五分、土の數を取り、以て水精を厭す。之を帶びて水中に行けば、則ち蛟龍巨魚水神敢へて人に近づかず。銅の牝牡を知らんと欲せば、當に童男童女をして皆水を以て銅を灌がしむべし、銅を灌ぐは當に火中に在りて赤に向かうの時、則ち銅自ら兩段に分成し、凸起有るは是れ牡銅、凹陷有るは是れ牝銅、各名を刻して識記す。水に入らんと欲せば、雄を拿げて左に帶び、雌を拿げて右に帶ぶ。只だ船に乘りて身水に涉らざるは、陽日雄を帶び、陰日雌を帶ぶ。又天文大字、北帝書有り、帛上に寫して帶ぶ、亦風波蛟龍水蟲を辟くと」。有人問道て曰く、山川廟堂百鬼を辟くの法。抱朴子曰く「道士常に天水符・及び上皇竹使符・老子左契を帶び、以及眞一を守り・三部將軍を思う、鬼敢へて人に近づかず。其次則ち百鬼錄を論じ、天下鬼の名字を知り、以及《白澤圖》《九鼎記》、則ち衆鬼自ら退却す。其次鶉子赤石丸・及び曾青夜光散・及び葱實烏眼丸・及び白石英祇母散を吞む、皆人をして鬼を見しめ、鬼則ち彼を怕ると。抱朴子曰く「老君黃庭中胎四十九眞祕符有り、山林に入る、甲寅日に在りて丹を以て白素上に寫し、夜案中に放ち、北斗に向かい祭り、酒脯各少少を以てし、自ら姓名を說い、再拜して受取し、衣領中に納れ、山川百鬼萬精虎狼蟲毒を辟く。何必道士、亂世難を避けて山林に入る、亦宜しく此の法を知るべしと。
△入山符
入山符。
抱朴子曰:“上五符,皆老君入山符也。以丹書桃板上,大書其文字,令彌滿板上,以著門戶上,及四方四隅,及所道側要處,去所住處,五十步內,闢山精鬼魅。戶內梁柱,皆可施安。凡人居山林及暫入山,皆可用,即眾物不敢害也。三符以相連著一板上。意謂爾非葛氏。”
抱朴子曰く「上面五種の符、皆是れ老君入山符。丹を以て桃板上に寫し、彼らの文字を大寫し、之をして板上に彌滿せしめ、門戸上に放ち、以及四方四隅、以及過する所の道側要處、住する所を離れ、五十步內、山精鬼魅を辟く。戸內梁柱、皆以て施安す可し。凡そ人山林に住し及び暫く山に入る、皆以て用う可し、衆物則ち敢へて害せず。三符相連著して一塊板上に在り。底本「意謂爾非葛氏」一句有り、像く後人夾注、今仍ほ譯出す、意思是れ説く你不是葛氏と。
抱朴子曰:“此符亦是老君入山符,戶內梁柱皆可施。凡人居山林及暫入山,皆宜用之也。”
抱朴子曰く「此の符亦是れ老君入山符、戸內梁柱皆以て施す可し。凡そ人山林に住し及び暫く山に入る、皆宜しく之を用うべしと。
抱朴子曰:“此是仙人陳安世所授入山闢虎狼符,以丹書絹二符,各異之。常帶著所住之處,各四枚。移涉當拔收之以去,大神秘也。開山符以千歲虆名山之門,開寶書古文金玉,皆見秘之。右一法如此,大同小異。”
抱朴子曰く「此の符亦是れ仙人陳安世の授する所の入山虎狼を辟くの符、丹を以て絹上に二符を寫し、各々相同じからず。常に之を帶びて住する所の處に放ち、各々四枚。移涉する當に拔收して帶て去るべし、大に神祕。開山符千歲蔂を以て名山の門を開啟し、寶書古文金玉を開く、皆見て之を祕す。右邊一法此のごとく、大同小異と。
抱朴子曰:“此符是老君所戴,百鬼及蛇蝮虎狼神印也。以棗心木方二寸刻之,再拜而帶之,甚有神效。仙人陳安世符矣。”
抱朴子曰く「此の符是れ老君の戴く所、是れ百鬼及び蛇蝮虎狼の神印。棗心木方二寸を以て之を刻し、再拜して帶ぶ、甚だ神效有り。是れ仙人陳安世の符と。
△入山佩帶符
山に入りて佩帶する符。
此三符,兼同著牛馬屋左右前後及豬欄上,闢虎狼也。或問曰:“昔聞談昌,或步行水上,或久居水中,以何法乎?”抱朴子曰:“以蔥涕和桂,服如梧桐子大七丸,日三服,至三年,則能行水上也。鄭君言但習閉氣至千息,久久則能居水中一日許。得真通天犀角三寸以上,刻以為魚,而銜之以入水,水常為人開,方三尺,可得炁息水中。又通天犀角有一赤理如綖,有自本徹末,以角盛米置群雞中,雞欲啄之,未至數寸,即驚卻退。故南人或名通天犀為駭雞犀。以此犀角著谷積上,百鳥不敢集。大霧重露之夜,以置中庭,終不沾濡也。此犀獸在深山中,晦冥之夕,其光正赫然如炬火也。以其角為叉導,毒藥為湯,以此叉導攪之,皆生白沫湧起,則了無復毒勢也。以攪無毒物,則無沫起也。故以是知之者也。若行異域有蠱毒之鄉,每於他家飲食,則常先以犀攪之也。人有為毒箭所中欲死,以此犀叉刺瘡中,其瘡即沫出而愈也。通天犀所以能煞毒者,其為獸專食百草之有毒者,及眾木有刺棘者,不妄食柔滑之草木也。歲一解角於山中石閒,人或得之,則須刻木色理形狀,令如其角以代之,犀不能覺,後年輒更解角著其處也。他犀亦辟惡解毒耳,然不能如通天者之妙也。或食六戊符千日,或以赤班蜘蛛及七重水馬,以合馮夷水仙丸服之,則亦可以居水中,只以塗蹠下,則可以步行水上也。頭垢猶足以使金鐵浮水,況妙於茲乎?”
此の三符、兼ねて同樣牛馬屋左右前後及び豬欄上に着し、虎狼を辟く。有人問道て曰く「昔談昌を聞く、或は水上を步行し、或は久しく水中に居る、何の法を以てするか」と。抱朴子曰く「葱涕和桂を以て、梧桐子大の七丸を服し、一日三服、三年に到れば、則ち能く水上に走る。鄭君曰く、只だ氣を閉ぢるを練習して千息に到れば、久久則ち能く水中に一日左右住すと。眞通天犀角三寸以上を得、魚に刻成し、銜へて水に入れば、水常に人の爲に開き、方三尺、以て水中に在りて炁息を得る可し。又通天犀角一條の赤理𫄧のごとき有り、本より末に徹する有り、角を以て米を盛りて群雞中に放てば、雞之を啄まんと欲し、數寸に至らず、則ち驚卻退す。故に南人或は通天犀を駭雞犀と稱す。此の犀角を谷積上に放てば、百鳥敢へて集まらず。大霧重露の夜、中庭に放てば、終に沾濡せず。此の犀獸深山中に在りて、晦冥の夕、其の光正に赫然として炬火のごとし。其の角を以て叉導を做り、毒藥湯を做成し、此の叉導を以て攪けば、皆白沫を生じて涌起し、則ち全く再び毒勢無し。拿來して毒無きの物を攪けば、則ち沫起る無し。故に因此知る。若し異域蠱毒有るの鄉に走到すれば、每に他家に在りて飲食すれば、則ち常に先ず犀を以て攪く。人毒箭の中る所にあ死せんと想う有れば、此の犀叉を以て瘡中に刺せば、彼の瘡則ち沫出して愈ゆ。通天犀能く毒を殺す所以、是れ因りて它獸と爲りて專ら百草の毒有るを喫う、以及衆木の刺棘有る、妄りに柔滑の草木を喫わざる。每歲山中石間に在りて一度角を解し、人或は之を得れば、則ち須らく木の色理形狀を刻して、之をして彼の角に像らしめて以て代替し、犀能く覺えず、後年則ち再び角を解して彼の處に放つ。其他犀亦惡を辟き毒を解するのみ、然れども能く通天のごとき妙に如かず。或は六戊符を食すること千日、或は赤斑蜘蛛及び七重水馬を以て、來りて馮夷水仙丸を合して服せば、則ち亦以て水中に住す可し、只だ以て跖下に塗れば、則ち以て水上に步行す可し。頭垢還た足以金鐵をして水に浮かばしむ、何況此に比ぶる更に妙なるをや」と。
或問:“為道者多在山林,山林多虎狼之害也,何以闢之?”抱朴子曰:“古之人入山者,皆佩黃神越章之印,其廣四寸,其字一百二十,以封泥著所住之四方各百步,則虎狼不敢近其內也。行見新虎跡,以印順印之,虎即去;以印逆印之,虎即還;帶此印以行山林,亦不畏虎狼也。不但只闢虎狼,若有山川社廟血食惡神能作福禍者,以印封泥,斷其道路,則不復能神矣。昔石頭水有大黿,常在一深潭中,人因名此潭為黿潭。此物能作鬼魅,行病於人。吳有道士戴炳者,偶視之,以越章封泥作數百封,乘舟以此封泥遍擲潭中,良久,有大黿徑長丈餘,浮出不敢動,乃格煞之,而病者並愈也。又有小黿出,羅列死於渚上甚多。山中卒逢虎,便作三五禁,虎亦即卻去。三五禁法,當須口傳,筆不能委曲矣。一法,直思吾身為朱鳥,令長三丈,而立來虎頭上,因即閉氣,虎即去。若暮宿山中者,密取頭上釵,閉炁以刺白虎上,則亦無所畏。又法,以左手持刀閉炁,畫地作方,祝曰,恆山之陰,太山之陽,盜賊不起,虎狼不行,城郭不完,閉以金關,因以刀橫旬日中白虎上,亦無所畏也。或用大禁,吞三百六十氣,左取右以叱虎,虎亦不敢起。以此法入山,亦不畏虎。或用七星虎步,及玉神符、八威五勝符、李耳太平符、中黃華蓋印文、及石流黃散,燒牛羊角,或立西嶽公禁山符,皆有驗也。闕此四符也。”
有人問うて曰く「道を爲る人多く山林に在り、山林虎狼の害多し、何を以て辟かんや」と。抱朴子曰く「古人山に入る、皆黃神越章の印を佩ず、寛さ四寸、字一百二十、封泥を以て住する所の四方各百步に放てば、則ち虎狼敢へて彼の范圍内に近づかず。走りて新虎迹を見れば、印を以て印に順へば、虎則ち離去す。印を以て印に逆らへば、虎則ち回來す。此の印を帶びて山林を走れば、亦虎狼を怕れず。不但只だ虎狼を辟く、若し山川社廟血食惡神能く福禍を作る有れば、印封泥を以て、其の道路を斷てば、則ち能く再び神ならず。昔石頭水大鼋有り、常に一深潭中に在り、人因此此の潭を鼋潭と稱す。此の物能く鬼魅を作り、人の爲に病を行す。吳に道士戴炳有り、偶然見て、越章封泥を以て數百封を作り、舟に乘りて此の封泥を把て遍く潭中に擲ち、甚だ久し、大鼋徑長丈餘有り、浮出して敢へて動かず、纔かに之を格殺し、而も病の人皆愈えり。又小鼋出づる有り、羅列して渚上に死すること甚だ多し。山中倉促虎に逢えば、便ち三五禁を作れば、虎亦則ち卻去す。三五禁法、當に須らく口傳、筆能く委曲ならず。一法、直ちに我が身を朱鳥と思い、長さ三丈をして、而も立來りて虎頭上に在り、因此則ち氣を閉ぢれば、虎則ち離去す。若し夜裏山中に宿れば、密かに頭上の釵を取り、炁を閉ぢて以て白虎上に刺せば、則ち亦畏るる所無し。又一法有り、左手を以て刀を持し炁を閉ぢ、地を畫いて方を作り、祝して說く、恒山之陰、太山之陽、盜賊起らず、虎狼行らず、城郭完せず、金關を以て閉す、因此刀を以て旬日中白虎上に横へば、亦畏るる所無し。或は大禁を以て、三百六十氣を吞み、左取右來して虎を叱れば、虎亦敢へて起らず。此の法を以て山に入れば、亦虎を怕れず。或は七星虎步を以てし、及び玉神符・八威五勝符・李耳太平符・中黃華蓋印文、及び石流黃散、牛羊角を燒き、或は西岳公禁山符を立つ、皆驗有り。此の四符を闕くと。
此符是老君入山符,下說如文。又可戶內梁柱皆施之。凡人居山林及暫入,皆可用之。
此の符是れ老君入山符、下說の文のごとし。又可く戸內梁柱皆之を施す。凡そ人山林に住し及び暫く入る、皆以て用う可し。
卷十八·地真
卷十八・地眞
抱朴子曰:“餘聞之師云,人能知一,萬事畢。知一者,無一之不知也。不知一者,無一之能知也。道起於一,其貴無偶,各居一處,以象天地人,故曰三一也。天得一以清,地得一以寧,人得一以生,神得一以靈。金沈羽浮,山峙川流,視之不見,聽之不聞,存之則在,忽之則亡,向之則吉,背之則兇,保之則遐祚罔極,失之則命雕氣窮。老君曰:忽兮恍兮,其中有象;恍兮忽兮,其中有物。一之謂也。故仙經曰:子欲長生,守一當明;思一至飢,一與之糧;思一至渴,一與之漿。一有姓字服色,男長九分,女長六分,或在臍下二寸四分下丹田中,或在心下絳宮金闕中丹田也,或在人兩眉閒,卻行一寸為明堂,二寸為洞房,三寸為上丹田也。此乃是道家所重,世世歃血口傳其姓名耳。一能成陰生陽,推步寒暑。春得一以發,夏得一以長,秋得一以收,冬得一以藏。其大不可以六合階,其小不可以毫芒比也。昔黃帝東到青丘,過風山,見紫府先生,受三皇內文,以劾召萬神,南到圓隴陰建木,觀百靈之所登,採若乾之華,飲丹巒之水;西見中黃子,受九加之方,過崆峒,從廣成子受自然之經;北到洪堤,上具茨,見大隗君黃蓋童子,受神芝圖,還陟王屋,得神丹金訣記。到峨眉山,見天真皇人於玉堂,請問真一之道。皇人曰:子既君四海,欲復求長生,不亦貪乎?其相覆不可具說,粗舉一隅耳。夫長生仙方,則唯有金丹;守形卻惡,則獨有真一,故古人尤重也。仙經曰:九轉丹,金液經,守一訣,皆在崑崙五城之內,藏以玉函,刻以金札,封以紫泥,印以中章焉。吾聞之於先師曰:一在北極大淵之中,前有明堂,後有絳宮;巍巍華蓋,金樓穹隆;左罡右魁,激波揚空;玄芝被崖,朱草蒙瓏;白玉嵯峨,日月垂光;歷火過水,經玄涉黃;城闕交錯,帷帳琳琅;龍虎列衛,神人在傍;不施不與,一安其所;
抱朴子曰く「我師の處より聞く、人能く一を知れば、萬事則ち畢了す。一を知る人、一樁の能く知らざる無し。一を知らざる人、一樁の能く知る無し。道一に起り、其の貴匹偶無し、各々一處に居し、以て天地人に像る、故に三一と呼ぶ。天一を得て淸し、地一を得て寧し、人一を得て生ず、神一を得て靈す。金沈み羽浮かび、山峙ち川流る、之を視れども見えず、之を聽けども聞こえず、之を存すれば則ち在り、之を忽略すれば則ち亡び、之に向かへば則ち吉、之に背けば則ち凶、之を保てば則ち遠福極限無し、之を失へば則ち命雕れ氣窮す。老君曰く、忽兮恍兮、其の中象有り。恍兮忽兮、其の中物有り。說く是れ一。故に仙經說く、你長生せんと想はば、一を守る當に明白なるべし。一を思うこと饑に到れば、一之に糧を給す。一を思うこと渴に到れば、一之に漿を給す。一姓字服色有り、男長さ九分、女長さ六分、或は臍下二寸四分下丹田中に在り、或は心下絳宮金闕中丹田に在り、或は人兩眉の間に在り、卻行一寸是れ明堂、二寸是れ洞房、三寸是れ上丹田。此れ乃ち是れ道家の重んずる所、世世歃血して口傳其の姓名するのみ。一能く陰を成し陽を生じ、寒暑を推步す。春一を得て發し、夏一を得て長ず、秋一を得て收し、冬一を得て藏す。其の大以て六合を以て階す可からず、其の小以て毫芒を以て比す可からず。昔黄帝東青丘に到り、風山を過ぎ、紫府先生に見え、《三皇內文》を受け、以て萬神を劾召し、南圓隴陰建木に到り、百靈の登る所を觀看し、若乾の花を采り、丹巒の水を飲み、西中黃子に見え、九加の方を受け、崆峒を過ぎ、廣成子に跟りて自然之經を受け、北洪堤に到り、具茨に上り、大隗君黃蓋童子に見え、神芝圖を受け、回來りて王屋に登上し、神丹金訣記を得。峨眉山に到り、玉堂に在りて天眞皇人に見え、眞一の道を請問す。皇人曰く、你既に已に四海に君臨す、更に長生を求めんと欲す、亦貪ならずや。彼の相互覆の盡く說く可からず、粗く一隅を擧ぐるのみ。長生の仙方、則ち只有金丹。形を守り惡を卻く、則ち獨有眞一、故に古人尤も之を看重す。仙經說く、九轉丹・金液經・守一訣、皆昆崙五城の內に在り、玉函を以て藏し、金札を以て刻し、紫泥を以て封じ、中章を以て印すと。我先師の處より聞く、一北極大淵の中に在り、前明堂有り、後絳宮有り。巍巍たる華蓋、金樓穹隆す。左罡右魁、波を激し空を揚ぐ。玄芝崖を披き、朱草蒙瓏たり。白玉嵯峨、日月光を垂る。歷火・經水し、玄を經黃に涉る。城闕交錯し、帷帳琳琅たり。龍虎列衛し、神人旁に在り。施さず與えず、一其の所に安んず。
不遲不疾,一安其室;能暇能豫,一乃不去;守一存真,乃能通神;少欲約食,一乃留息;白刃臨頸,思一得生;知一不難,難在於終;守之不失,可以無窮;陸辟惡獸,水卻蛟龍;不畏魍魎,挾毒之蟲;鬼不敢近,刃不敢中。此真一之大略也。”
(抱朴子接續して曰く)遲からず疾からず、一其の室に安んず。能く暇し能く豫し、一纔かに離去せず。一を守り眞を存す、纔かに能く神に通ず。欲少く食約し、一纔かに留息す。白刃頸に臨めば、一を思い生を得。一を知る難からず、難は終結に在り。之を守り失はざれば、以て無窮す可し。陸上惡獸を辟き、水中蛟龍を退却す。魍魎・毒を挾むの蟲を怕れず。鬼敢へて近づかず、刃敢へて中らず。此れ是れ眞一の大略。」
抱朴子曰:“吾聞之於師云,道術諸經,所思存念作,可以卻惡防身者,乃有數千法。如含影藏形,及守形無生,九變十二化二十四生等,思見身中諸神,而內視令見之法,不可勝計,亦各有效也。然或乃思作數千物以自衛,率多煩難,足以大勞人意。若知守一之道,則一切除棄此輩,故曰能知一則萬事畢者也。受真一口訣,皆有明文,歃白牲之血,以王相之日受之,以白絹白銀為約,克金契而分之,輕說妄傳,其神不行也。人能守一,一亦守人。所以白刃無所措其銳,百害無所容其兇,居敗能成,在危獨安也。若在鬼廟之中,山林之下,大疫之地,冢墓之閒,虎狼之藪,蛇蝮之處,守一不怠,眾惡遠迸。若忽偶忘守一,而為百鬼所害。或臥而魘者,即出中庭視輔星,握固守一,鬼即去矣。若夫陰雨者,但止室中,向北思見輔星而已。若為兵寇所圍,無復生地,急入六甲陰中,伏而守一,則五兵不能犯之也。能守一者,行萬里,入軍旅,涉大川,不須卜日擇時,起工移徙,入新屋舍,皆不復按堪輿星曆,而不避太歲太陰將軍、月建煞耗之神,年命之忌,終不復值殃咎也。先賢歷試有驗之道也。”
抱朴子曰く「我師の處より聞く、道術諸經、思存念作する所、以て惡を卻き身を防ぐ可き、乃ち數千法有り。如く影を含み形を藏し、及び形を守り生無き、九變十二化二十四生等、身中諸神を見るを思い、而も內視して之を見しむるの法、計を勝る可からず、亦各々效有り。然れども或は乃ち數千物を思作して以て自衛す、大都煩難、足以大に人意を勞す。若し一を守るの道を知れば、則ち一切此の類を除棄す、故に說く能く一を知れば則ち萬事畢ずと。眞一口訣を受く、皆明文有り、白牲の血を歃し、王相の日に在りて受け、白絹白銀を以て約と爲し、金契を刻して分開す、輕く說き妄りに傳へば、彼の神行らず。人能く一を守れば、一亦人を守る。故に白刃其の銳を措くに從無し、百害其の凶を容るるに從無し、敗に居りて能く成り、危に在りて獨り安し。若し鬼廟の中・山林の下・大疫の地・冢墓の間・虎狼の藪・蛇蝮の處に在りて、一を守り怠らざれば、衆惡遠く迸開す。若し忽然偶り一を守るを忘れて、而も百鬼の害する所と爲る。或は臥りて魘するは、則ち中庭に出でて輔星を看、握固して一を守れば、鬼則ち離去す。至於陰雨、只だ室中に停まり、北に向かい輔星を見るを思うのみ。若し兵寇の圍する所と爲り、再び生地無ければ、急ぎ六甲陰中に入り、伏して一を守れば、則ち五兵能く犯さず。能く一を守る、萬里を走り、軍旅に入り、大川に涉り、卜日時を擇ぶを須せず、工を起し移徙し、新屋舍に入る、皆再び堪輿星歷に按らず、而も太歲・太陰將軍・月建煞耗之神・年命の忌を避けず、終に再び殃咎に遇上せず。此れ是れ先賢歷試して驗有るの道と。
抱朴子曰:“玄一之道,亦要法也。無所不闢,與真一同功。吾內篇第一名之為暢玄者,正以此也。守玄一復易於守真一。真一有姓字長短服色目,玄一但此見之。初求之於日中,所謂知白守黑,欲死不得者也。然先當百日潔齋,乃可候求得之耳,亦不過三四日得之,得之守之,則不復去矣。守玄一,並思其身,分為三人,三人已見,又轉益之,可至數十人,皆如己身,隱之顯之,皆自有口訣,此所謂分形之道。左君及薊子訓葛仙公所以能一日至數十處,及有客座上,有一主人與客語,門中又有一主人迎客,而水側又有一主人投釣,賓不能別何者為真主人也。師言守一兼修明鏡,其鏡道成則能分形為數十人,衣服面貌,皆如一也。”
抱朴子曰く「玄一の道、亦是れ要法。辟く所無し、眞一與功を同じくす。我が內篇第一の之を暢玄と稱する、正是れ此の爲め。玄一を守る又眞一を守るに比べて容易し。眞一姓字長短服色目有り、玄一只だ此のごとく之を見る。初め日中に在りて之を求む、謂う所の白を知り黑を守る、死せんと欲して得ざる。然れども先ず當に百日潔齋すべし、纔かに以て之を候求す可きのみ、亦不過三四日之を得、之を得て之を守れば、則ち再び離去せず。玄一を守り、竝びに己の身を思い、分成三人とし、三人已に見え、又轉じて增益し、以て數十人に到る可し、皆己の身に像り、之を隱し之を顯す、皆自ら口訣有り、此れ則ち謂う所の形を分くの道。左君及び薊子訓・葛仙公能く一日數十處に到る所以、以及客座に在る有り、一個主人有りて客與話し、門中又有一個主人有りて客を迎へ、而も水側又有一個主人有りて釣を投ぐ、賓能く辨別どれか是れ眞主人かせず。師說く一を守り兼ねて明鏡を修むれば、彼の鏡道成れば則ち能く形を分して數十人と爲す、衣服面貌、皆一に像ると。
抱朴子曰:“師言欲長生,當勤服大藥,欲得通神,當金水分形。形分則自見其身中之三魂七魄,而天靈地祇,皆可接見,山川之神,皆可使役也。”
抱朴子曰く「師說く長生せんと想はば、當に勤して大藥を服すべし、神に通ずるを得んと想はば、當に金水分形すべし。形分かれれば則ち自ら身中の三魂七魄を見、而も天靈地祇、皆以て接見す可し、山川の神、皆以て使役す可しと。
