Libo

人間訓

西汉 · 刘安 · 第17巻 / 19

越王句踐一決獄不辜,援龍淵而切其股,血流至足,以自罰也,而戰武士必其死。故聖人行之於小,則可以覆大矣;審之於近,則可以懷遠矣。孫叔敖決期思之水而灌雩婁之野,莊王知其可以為令尹也。子發辯擊劇而勞佚齊,楚國知其可以為兵主也。此皆形於小微,而通於大理者也。聖人之舉事,不加憂焉,察其所以而已矣。今萬人調鐘,不能比之律;誠得知者,一人而足矣。說者之論,亦猶此也。誠得其數,則無所用多矣。夫車之所以能轉千里者,以其要在三寸之轄。夫勸人而弗能使也,禁人而弗能止也,其所由者非理也。昔者,衛君朝於吳,吳王囚之,欲流之於海。說者冠蓋相望,而弗能止。魯君聞之,撤鐘鼓之縣,縞素而朝。仲尼入見曰:「君胡為有憂色?」魯君曰:「諸侯無親,以諸侯為親。大夫無黨,以大夫為黨。今衛君朝於吳王,吳王囚之而欲流之於海。孰意衛君之仁義而遭此難也!吾欲免之而不能,為奈何?」仲尼曰:「若欲免之,則請子貢行。」魯君召子貢,授之將軍之印,子貢辭曰:「貴無益於解患,在所由之道。」斂躬而行,至於吳,見太宰嚭。太宰嚭甚悅之,欲薦之於王。子貢曰:「子不能行說於王,奈何吾因子也!」太宰嚭曰:「子焉知嚭之不能也?」子貢曰:「衛君之來也,衛國之半曰,不若朝於晉;其半曰,不若朝於吳。然衛君以為吳可以歸骸骨也,故束身以受命。今子受衛君而囚之,又欲流之於海,是賞言朝於晉者,而罰言朝於吳也。且衛君之來也,諸侯皆以為蓍龜兆。今朝於吳而不利,則皆移心於晉矣。子之慾成霸王之業,不亦難乎!」太宰嚭入,復之於王。王報出令於百官曰:「比十日,而衛君之禮不具者死!」子貢可謂知所以說矣。魯哀公為室而大,公宣子諫曰:「室大,眾與人處則譁,少與人處則悲。願公之適。」公曰:「寡人聞命矣。」築室不輟。

越王勾踐一たび獄を決て人を冤枉すれば、龍淵を抽て自ら股を割き血流れて足に至り、以て自ら罰す。戰士必ず死を爲さんとす。故に聖人は小に於いて之を行えば以て大を覆うべく、近に於いて之を審かにすれば以て遠を懷柔すべし。孫叔敖期思之水を決て雩婁之野を灌ぐ。莊王其の令尹たるべきを知る。子發勞逸を別て勞逸を齊しからしむ。楚其の兵主たるべきを知る。此れ皆微より形を成して大理に通ず。聖人事を擧ぐるに加憂を爲さず、其の然る所以を察するのみ。今萬人鐘を調うるも音律に比合する能わず。真に知る者を得れば一人にして足る。說士の論も亦た此のごとし。真に其の數を得れば多く用いず。車の千路を轉ずる所以は要三寸の轄に在り。人を勸めて之を爲さしむる能わず、人を禁めて之を止めしむる能わざるは、經由する所の理ならざればなり。昔者衞君吳に朝す。吳王之を囚へ海に流さんと欲す。說士冠蓋相望なるも能く止めず。魯君之を聞きて鍾鼓を撤て縞素を被て往き朝見す。仲尼入り見て曰く「君何の故か憂色有る」と。魯君曰く「諸侯親なし。諸侯を以て親と爲す。大夫黨なし。大夫を以て黨と爲す。今衞君吳王に朝す。吳王之を囚へて海に流さんと欲す。孰料衞君此の如く仁義にして此の難に遭わん。吾之を免れんと欲して能わず。如何せん」と。仲尼曰く「若し之を免れんと欲せば、則ち子貢を請て行かしめよ」と。魯君子貢を召し將軍之印を授く。子貢辭して曰く「貴は患を解くに益なし。經由の道に在り」と。身を斂て往きて吳に至り、太宰嚭を見る。太宰嚭甚だ之を說びて王に薦めんと欲す。子貢曰く「子能く王に行說せずば、我安くんぞ子を以てせん」と。太宰嚭曰く「子焉んぞ嚭の能わざるを知る」と。

公宣子復見曰:「國小而室大,百姓聞之必怨吾君,諸侯聞之必輕吾國。」魯君曰:「聞命矣。」築室不輟。公宣子復見曰:「左昭而右穆,為大室以臨二先君之廟,得無害於子乎?」公乃令罷役除版而去之。魯君之慾為室誠矣,公宣子止之必矣,然三說而一聽者,其二者非其道也。夫臨河而釣,日入而不能得一鯈魚者,非江河魚不食也,所以餌之者非其欲也。及至良工執竿,投而擐唇吻者,能以其所欲而釣者也。夫物無不可奈何,有人無奈何。鉛之與丹,異類殊色,而可以為丹者,得其數也。故繁稱文辭,無益於說,審其所由而已矣。物類之相摩,近而異門戶者,眾而難識也。故或類之而非,或不類之而是;或若然而不然者,或不若然而然者。諺曰:「鳶墮腐鼠,而虞氏以亡。」何謂也?曰:虞氏,梁之大富人也。家充盈殷富,金錢無量,財貨無貲。升高樓,臨大路,設樂陳酒,積博其上。遊俠相隨而行樓下。博上者射朋張,中反兩而笑,飛鳶適墮其腐鼠而中游俠。遊俠相與言曰:「虞氏富樂之日久矣,而常有輕易人之志。吾不敢侵犯,而乃辱我以腐鼠。如此不報,無以立務於天下。請與公僇力一志,悉率徒屬,而必以滅其家。」此所謂類之而非者也。何謂非類而是?屈建告石乞曰:「白公勝將為亂。」石乞曰:「不然。白公勝卑身下士,不敢驕賢。其家無筦籥之信,關楗之固。大斗斛以出,輕斤兩以內。而乃論之,以不宜也。」屈建曰:「此乃所以反也。」居三年,白公勝果為亂,殺令尹子椒、司馬子期。此所謂弗類而是者也。何謂若然而不然?子發為上蔡令,民有罪當刑,獄斷論定,決於令尹前,子發喟然有悽愴之心。罪人已刑而不忘其恩。此其後,子發盤罪威王而出奔。刑者遂襲恩者,恩者逃之於城下之廬。追者至,踹足而怒曰:「子發視決吾罪而被吾刑,怨之憯於骨髓。

子貢曰く「衞君之來るや、衞國半ば曰く不如晉に朝せん、半ば曰く不如吳に朝せんと。然れども衞君以て吳に骸骨を歸すべしと爲し、故に束身して命を受命しに來れり。今子衞君を受けて之を囚へ、又海に流さんと欲す。是れ晉に朝せんと曰う者を賞し、吳に朝せんと曰う者を罰するなり。且つ衞君之來るや、諸侯皆以て蓍龜の兆と爲す。今吳に朝して利あらざれば、則ち皆心を晉に移さん。子霸王之業を成さんと欲する亦た難からずや」と。太宰嚭入りて王に復命す。王百官に令して曰く「十日に至るに衞君之禮具備せざる者は死さん」と。子貢は謂うべき所以の游說を知れるなり。魯哀公室を爲ること大なり。公宣子諫めて曰く「室大なれば衆人と處れば喧く、少人と處れば悲し。願くは公適ならん」と。公曰く「寡人命を聞けり」と。室を築く已まず。公宣子復見して曰く「國小にして室大なれば、百姓之を聞かば必ず吾が君を怨み、諸侯之を聞かば必ず吾が國を輕んじん」と。魯君曰く「命を聞けり」と。室を築く已まず。公宣子復見して曰く「左昭右穆大室を爲て以て二先君之廟に臨む。子に害なきことを得んや」と。公乃ち令を下して役を罷め版築を除きて去る。魯君の室を爲らんと欲するは誠にして、公宣子の之を止めんと欲するは必なり。然れども三說して一聽く。其の二は其の道にあらざるなり。河に臨て釣るに日暮れて小魚を得る能わざるは、江河之魚食わざるにあらず、其の餌と爲す所の其の欲する所にあらざればなり。及び良工竿を執て投げて唇吻に掛くるは、其の欲する所を以て釣る能うなり。物奈何すべからざるなし、人或有て奈何する所なし。鉛之與丹は類を異にし色を殊にすれども丹と爲るべし。其の數を得ればなり。故に繁稱文辭は游說に益なく、審かに經由する所のみなり。物類の相摩すれども近くして門戶同じからざるは、衆くして識別し難し。故に或は之に似て非く、或は之に似ずして是なり。或は此の如くにして此の如くならず、或は此の如くならずして此の如くなるはなり。諺語に曰く「鳶腐鼠を墮し虞氏以て亡ぶ」と。何の謂ぞや。曰く、虞氏は梁之大富なり。家充盈殷富にして金錢無量、財貨無貲。高樓に登り大路に臨み、樂を設け酒を陳て其の上に博塞す。游俠相隨て樓下に行す。上博塞する者投げて反兩に中て笑う。飛鳶適腐鼠を墮して游俠に中る。游俠相與曰く「虞氏富樂の日久し。常有輕人之心あり。我ら侵犯すること敢へざれども、乃ち腐鼠を以て我を辱む。此の如くにして報いざれば、天下に名を立つる以てなし。請う公と力を一心に合し徒屬を盡率ゐ、必ず其の家を滅さん」と。此れ之に似て非と謂うなり。何をか之に似ずして是を謂うや。屈建石乞に告げて曰く「白公勝將に亂を爲さんとす」と。石乞曰く「然らず。白公勝身を卑くして士に接し、賢者に驕ること敢へず。其の家管籥之信、關閉之固なし。大斗斛以て出だし小斤兩以て收む。而も子之を論ずるは宜ならず」と。屈建曰く「此れ乃ち其の反せん所以なり」と。三年にして白公勝果て亂を爲し、令尹子椒・司馬子期を殺す。此れ之に似ずして是を謂うなり。何をか此の如くにして此の如くならざるを謂うや。子發上蔡令と爲す。民罪ありて刑に當たる。獄已に論定して令尹の前に決す。子發喟然として凄愴の心有り。罪人已に刑せられて其の恩を忘れず。此の後子發罪を以て威王を逃れて出奔す。刑を受けたる者乃ち恩を施せし者を掩蔽す。恩を施せし者城下之屋に逃る。追う者至りて頓脚して怒りて曰く「子發親く吾が罪を決て吾が刑を上げたり。怨恨骨髓に痛し」と。

使我得其肉而食之,其知厭乎!」追者以為然而不索其內,果活子發。此所謂若然而不然者。何謂不然而若然者?昔越王句踐卑下吳王夫差,請身為臣,妻為妾,奉四時之祭祀,而入春秋之貢職,委社稷,效民力,隱居為蔽,而戰為鋒行,禮甚卑,辭甚服,其離叛之心遠矣,然而甲卒三千人以擒夫差於姑胥。此四策者,不可不審也。夫事之所以難知者,以其竄端匿跡,立私於公,倚邪於正,而以勝惑人之心者也。若使人之所懷於內者,與所見於外者,若合符節,則天下無亡國敗家矣。夫狐之捕雉也,必先卑體彌耳,以待其來也。雉見而信之,故可得而擒也。使狐瞋目植睹,見必殺之勢,雉亦知驚憚遠飛,以避其怒矣。夫人偽之相欺也,非直禽獸之詐計也,物類相似若然,而不可從外論者,眾而難識矣,是故不可不察也。

我をして其の肉を得て食わしめば、何ぞ足るを知らん」と。追う者以て實と爲して屋裏を搜索せず。果て子發を救活す。此れ此の如くにして此の如くならざるを謂うなり。何をか此の如くならずして此の如くなるを謂うや。昔者越王勾踐は吳王夫差に對して卑下し、自ら臣妾と爲ることを請い、四時之祭を奉り、春秋之職を貢し、社稷を委ね民力を輸す。居を隱して扞蔽と爲し、戰い先鋒と爲す。禮甚だ卑く辭甚だ服す。其の離叛の心遠きがごとし。然れども甲卒三千人姑胥に於いて夫差を禽す。此の四策は察せざるべからざるなり。事の難き所以知るは、端倪を藏め蹤跡を匿み、公の裏面に私を立て、正の上に邪を倚り、勝利を以て人心を迷するなり。若し人の懷內する所と見る所の外と符節の合するがごとくならしめば、則ち天下に亡國败家なからん。狐の雉を捕うは必ず先づ身を庳め耳を垂れて其の來るを待つ。雉見て信を爲す。故に禽る能う。若し狐をして瞠目聳視して必ず之を殺す勢を見せしめば、雉も亦た驚憚して遠飛し、以て其の怒を避けん。人の僞は相欺く、禽獸の詐計のみならざるなり。物類相似て此の如くにして外より論ずべからざるは、衆くして識別し難し。故に察せざるべからざるなり。

脩務訓

或曰:「無為者,寂然無聲,漠然不動,引之不來,推之不往。如此者,乃得道之像。」吾以為不然。嘗試問之矣:「若夫神農、堯、舜、禹、湯,可謂聖人乎?」有論者必不能廢。以五聖觀之,則莫得無為,明矣。古者,民茹草飲水,採樹木之實,食蠃蠬之肉。時多疾病毒傷之害,於是神農乃始教民播種五穀,相土地宜,燥濕肥墝高下,嘗百草之滋味,水泉之甘苦,令民知所闢就。當此之時,一日而遇七十毒。堯立孝慈仁愛,使民如子弟。西教沃民,東至黑齒,北撫幽都,南道交趾。放讙兜於崇山,竄三苗於三危,流共工於幽州,殛鯀於羽山。舜作室,築牆茨屋,闢地樹穀,令民皆知去巖穴,各有家室。南征三苗,道死蒼梧。禹沐浴霪雨,櫛扶風,決江疏河,鑿龍門,闢伊闕,修彭蠡之防,乘四載,隨山刊木,平治水土,定千八百國。湯夙興夜寐,以致聰明,輕賦薄斂,以寬民氓,布德施惠,以振困窮,吊死問疾,以養孤孀。百姓親附,政令流行,乃整兵鳴條,困夏南巢,譙以其過,放之曆山。此五聖者,天下之盛主,勞形盡慮,為民興利除害而不懈。奉一爵酒不知於色,挈一石之尊則白汗交流,又況贏天下之憂,而海內事者乎?其重於尊亦遠也!且夫聖人者,不恥身之賤,而愧道之不行;不憂命之短,而憂百姓之窮。是故禹之為水,以身解於陽盱之河。湯旱,以身禱於桑山之林。聖人憂民,如此其明也,而稱以「無為」,豈不悖哉!

或人曰く「無爲とは寂然として聲なく、漠然として動かず、之を引て來らず、之を推て往かず。此の如くにて乃ち道の像を得るなり」と。吾は以て然らずと爲す。嘗て試みに問て曰く「神農・堯・舜・禹・湯の如きは、以て聖人と謂うべきか」と。論有る者は必ず能く之を廢せざらん。此の五聖を以て觀れば、無爲能くする者なしと明なり。古者民は草を茹み水を飮み、樹木の實を采り、螺蚌の肉を食う。時多く疾病毒傷の害あり。於是乎神農乃ち始めて民に五穀を播種することを敎え、土地の宜する所を相て燥濕肥瘠高下を察し、百草の滋味と水泉の甘苦を嘗め、民をして避くべき所と就くべき所を知らしむ。此の時一日にして七十の毒に遭う。堯は孝慈仁愛を立て民をして子弟の如くせしむ。西は沃民を敎誨し、東は黑齒に至り、北は幽都を撫し、南は交趾に道を取る。驩兜を崇山に放ち、三苗を三危に竄め、共工を幽州に流し、鯀を羽山に誅殛す。舜は室を作り墻を築て屋を茨き、地を闢き穀を種え、民をして皆知りて岩穴を去り各々家室有らしむ。南に三苗を征して蒼梧の道に死す。禹は霪雨に沐浴し、疾風を以て梳と爲し、江を決て河を疏し、龍門を鑿開き伊闕を闢き、彭蠡之防を修め、四種の載に乘り、山に隨て木を刊て表を爲し、水土を平治して千八百國を安定す。湯は夙興夜寐して其の聰明を盡し、賦斂を輕く收斂を薄めて民氓を寬待し、德を布き惠を施して困窮を振救し、死を弔い疾を問て孤孀を養う。百姓親附し政令流行す。乃ち鳴條に兵を整え、夏を南巢に困め、其の過を責めて歷山に放つ。此の五聖は天下の盛主なり。形を勞し慮を盡して民の爲に利を興し害を除きて懈らず。一觴の酒を捧げれば顏色知ることなく、一石の尊を擧げれば白汗交流す。又況んや天下の憂・海内の事を膺うるをや。其の重尊よりも遠し。且つ聖人は身の賤を以て恥と爲さず、道の行はれざるを以て愧と爲す。命の短きを憂えず、百姓の窮するを憂う。故に禹水を治めて陽盱之河に身を以て解罪し、湯旱に遭て桑山之林に身を以て禱す。聖人の民を憂う此の如く明なり。而るに之を無爲と稱す。豈に悖ならずや。

且古之立帝王者,非以奉養其欲也;聖人踐位者,非以逸樂其身也。為天下強掩弱,眾暴寡,詐欺愚,勇侵怯,懷知而不以相教,積財而不以相分,故立天子以齊一之。為一人聰明而不足以遍照海內,故立三公九卿以輔翼之。絕國殊俗、僻遠幽間之處,不能被德承澤,故立諸侯以教誨之。是以地無不任,時無不應,官無隱事,國無遺利。所以衣寒食饑,養老弱而息勞倦也。若以布衣徒步之人觀之,則伊尹負鼎而幹湯,呂望鼓刀而入周,百里奚轉鬻,管仲束縛,孔子無黔𥥍,墨子無暖席。是以聖人不高山,不廣河,蒙恥辱以幹世主,非以貪祿慕位,欲事起天下利,而除萬民之害。蓋聞傳書曰:「神農憔悴,堯瘦,舜黴黑,禹胼胝。」由此觀之,則聖人之憂勞百姓甚矣。故自天子以下至於庶人,四胑不動,思慮不用,事治求澹者,未之聞也。

且つ古の帝王を立つるは、以て其の欲を奉養するにあらず。聖人位に登るは、以て其の身を逸樂するにあらず。天下強は弱を掩い、衆は寡を暴れ、詐は愚を欺き、勇は怯を侵す。知を懷て以て相敎えず、財を積て以て相分かたざるがゆえに、天子を立て之を齊一す。一人の聰明遍く海内を照らすに足らざるがゆえに、三公九卿を立て輔翼せしむ。絕遠之國・殊俗・僻遠幽閑の地は德を被り恩澤を承くる能わざるがゆえに、諸侯を立て敎誨せしむ。是以地任せざるなく、時應ぜざるなく、官隱事なく、國遺利なし。故に寒き者に衣し饑るる者に食わしめ、老弱を養て勞倦を息ましむ。布衣徒步の人を以て觀るに、伊尹は鼎を負て湯に用を求め、呂望は刀を鼓して周に入り、百里奚は輾轉賣られ、管仲は束縛せらる。孔子の竈突黑まらず、墨子之席暖まらず。故に聖人は山の高きを以て爲さず、河の廣きを以て爲さず。耻辱を蒙りて當世の主に用を求むるは、祿を貪り位を慕うにあらず。事を爲して天下の利を興し萬民の害を除かんと欲すればなり。傳書に「神農憔悴し堯臞瘦し舜黧黑し禹胼胝す」と聞くを聞く。此に由りて觀れば聖人の百姓を憂勞する甚だしきなり。故に天子より以下庶人に至るまで、四支動かず思慮用ゐずして事治り求め給たるは未だ嘗て聞かざるなり。

夫地勢,水東流,人必事焉,然後水潦得穀行。禾稼春生,人必加功焉,故五穀得遂長。聽其自流,待其自生,則鯀、禹之功不立,而後稷之智不用。若吾所謂無為者,私志不得入公道,嗜慾不得枉正術,循理而舉事,因資而立,權自然之勢,而曲故不得容者,事成而身弗伐,功立而名弗有,非謂其感而不應,攻而不動者。若夫以火熯井,以淮灌山,此用己而背自然,故謂之有為。若夫水之用舟,沙之用鳩,泥之用輴,山之用虆,夏瀆而冬陂,因高為田,因下為池,此非吾所謂為之。聖人之從事也,殊體而合於理,其所由異路而同歸,其存危定傾若一,志不忘於欲利人也。何以明之?昔者楚欲攻宋,墨子聞而悼之,自魯趨而十日十夜,足重趼而不休息,裂衣裳裹足,至於郢,見楚王。曰:「臣聞大王舉兵將攻宋,計必得宋而後攻之乎?亡其苦眾勞民,頓兵挫銳,負天下以不義之名,而不得咫尺之地,猶且攻之乎?」王曰:「必不得宋,又且為不義,曷為攻之!」墨子曰:「臣見大王之必傷義而不得宋。」王曰:「公輸,天下之巧士,作雲梯之械,設以攻宋,曷為弗取!」墨子曰:「令公輸設攻,臣請守之。」於是公輸般設攻宋之械,墨子設守宋之備,九攻而墨子九卻之,弗能入。於是乃偃兵,輟不攻宋。段干木辭祿而處家,魏文侯過其閭而軾之。其僕曰:「君何為軾?」文侯曰:「段干木在,是以軾。」其僕曰:「段干木布衣之士,君軾其閭,不已甚乎?」文侯曰:「段干木不趨勢利,懷君子之道,隱處窮巷,聲施千里,寡人敢勿軾乎!段干木光於德,寡人光於勢;段干木富於義,寡人富於財。勢不若德尊,財不若義高。干木雖以己易寡人不為。吾日悠慚於影,子何以輕之哉!

地勢は水東流し、人必ず事を爲して後潦水乃ち河道に順て走るべし。禾稼春生じ、人必ず工を加えて後五穀乃ち長成すべし。其の自流を聽き其の自生を待てば、則ち鯀・禹の功立たず、后稷の智用いられず。吾の謂う所の無爲は、私志公道に入るを得ず、嗜欲正術を枉曲するを得ず、理に循て事を擧げ、資材に因て立て、自然之勢を權衡し、巧詐容るるを得ず。事成れば身自ら伐らず、功立れば名據らず。感して應ぜず攻して動かざるを謂うにあらず。夫れ火を以て井を熇し、淮を以て山を灌ぐがごときは、己を用て自然を背く。故に之を有爲と謂う。夫れ水に船を用い、沙に鳩車を用い、泥に輴を用い、山に蔂を用い、夏に瀆を爲し冬に陂を作り、高に因て田を爲し、低に因て池を爲すは、此れ吾の謂う所の爲にあらず。聖人之事を從るは形體同じからざれども理に合し、經由の路同じからざれども歸を同じくす。其の危を存し傾を安んずるは一のごとく、志は人に利あらんことを念うを忘れず。何以て明らかにせんや。昔者楚宋を攻めんと欲す。墨子之を聞きて哀しみ、魯より趨て行くこと十日十夜、足重繭にして休息せず、衣裳を裂て足を裹み、郢に至て楚王を見る。曰く「臣聞く、大王兵を擧げ將に宋を攻めんとす。計て必ず宋を得る能くして後攻めんとするか、抑も衆を苦しめ民を勞し、兵銳を頓挫し、天下に不義之名を負て咫尺之地を得ざるも、將に攻めんとするか」と。王曰く「必ず宋を得る能わざれば、又將に不義を爲さん。何の攻めんや」と。墨子曰く「臣竊かに大王の義を傷つけて宋を得る能わざるを視る」と。王曰く「公輸は天下の巧士にして雲梯之械を爲り、設て以て宋を攻む。何ぞ得ざらん」と。墨子曰く「公輸をして攻を設けしめ、臣請う守を設けん」と。於是乎公輸般宋を攻むる器械を設け、墨子宋を守る備えを設く。九攻めて墨子九之を却き、入る能わず。乃ち休みて兵を輟め、宋を攻めずして止む。段干木祿を辭して家に處る。魏文侯其の閭を過れば軾を憑て之を敬す。其の僕曰く「君何の故ぞや軾を憑る」と。文侯曰く「段干木在り。是を以て軾を憑る」と。僕曰く「段干木は布衣之士なり。君其の閭に軾を憑るは、亦た過ぐるに過ぎざらんや」と。文侯曰く「段干木は勢利に趨附せず、君子の道を懷き、窮巷に隱處して聲名千里に施す。寡人敢て軾を憑れざらんや。段干木光を德に於いてし、寡人光を勢に於いてす。段干木富を義に於いてし、寡人富を財に於いてす。勢は德の尊きに如かず、財は義の高きに如かず。干木は己を以て寡人と易うるも爲さず。我日々影に對して悠然として愧ず。子何ぞ之を輕んずるや」と。

」其後秦將起兵伐魏,司馬庾諫曰:「段干木賢者,其君禮之,天下莫不知,諸侯莫不聞,舉兵伐之,無乃妨於義乎!」於是秦乃偃兵,輟不攻魏。

(之に續けて曰く)「此の後秦將に兵を起て魏を伐たんとす。司馬庾諫めて曰く「段干木は賢者にして其の君禮遇す。天下之を知らざるなく、諸侯之を聞かざるなし。兵を擧げて往て伐たば、恐らくは義を妨げん」と。於是乎秦乃ち休み兵を輟め、魏を攻めずして止む。

夫墨子跌蹄而趨千里,以存楚、宋;段干木闔門不出,以安秦、魏。夫行與止也,其勢相反,而皆可以存國,此所謂異路而同歸者也。今夫救火者,汲水而趨之,或以甕瓴,或以盆盂,其方員銳橢不同,盛水各異,其於滅火鈞也。故秦、楚、燕、魏之歌也,異轉而皆樂;九夷八狄之哭也,殊聲而皆悲;一也。夫歌者,樂之徵也;哭者,悲之效也。憤於中則應於外,故在所以感。夫聖人之心,日夜不忘於欲利人,其澤之所及者,效亦大矣。

墨子跌胝して千里を行き、楚・宋を存さんとす。段干木闔門不出して秦・魏を安んず。行與止勢相反すれども皆國を存すべし。此れ所謂路同じからざるして歸を同じくするなり。今火を救う者は水を挹て趨る。或は瓮瓴、或は盆盂、方圓鋭橢同じからず、水を盛るも各異なり。火を滅すに於いては均なり。故に秦・楚・燕・魏の歌は轉調同じからざれども皆樂しく、九夷八狄之哭は聲音殊異なれども皆悲し。一なるがゆえなり。歌うは樂の徵、哭くは悲の效なり。憤中に應じて外に應ず。故に感ずる所に在り。聖人之心は日夜人に利あらんことを思うを忘れず。其の恩澤の及ぶ所は效驗亦た大なり。

世俗廢衰,而非學者多。「人性各有所修短,若魚之躍,若鵲之駁,此自然者,不可損益。」吾以為不然。夫魚者躍,鵲者駁也,猶人馬之為人馬,筋骨形體,所受於天,不可變。以此論之,則不類矣。夫馬之為草駒之時,跳躍揚蹄,翹尾而走,人不能制,齧咋足以噆肌碎骨,蹶蹄足以破顱陷匈;及至圉人擾之,良禦教之,掩以衡扼,連以轡銜,則雖歷險超塹弗敢辭。故其形之為馬,馬不可化;其可駕禦,教之所為也。馬,聾蟲也,而可以通氣志,猶待教而成,又況人乎!且夫身正性善,發憤而成仁,帽憑而為義,性命可說,不待學問而合於道者,堯、舜、文王也;沉湎耽荒,不可教以道,不可喻以德,嚴父弗能正,賢師不能化者,丹朱、商均也。曼頰皓齒,形誇骨佳,不待脂粉芳澤而性可說者,西施、陽文也;啳𦝢哆噅,籧蒢戚施,雖粉白黛黑弗能為美者,嫫母、仳倠也。夫上不及堯、舜,下不及商均,美不及西施,惡不若嫫母,此教訓之所諭也,而芳澤之所施。且子有弒父者,然而天下莫疏其子,何也?愛父者眾也。儒有邪辟者,而先王之道不廢,何也?其行之者多也。今以為學者之有過而非學者,則是以一飽之故,絕穀不食,以一蹪之難,輟足不行,惑也。

世俗廢衰して學習を非する者多し。「人性各々長短有り。魚の跳躍し鵲の毛色駁雜なるがごときは、此れ自然なり。增減すべからず」と。吾は以て然らずと爲す。魚の跳躍し鵲の駁雜なるは、人馬の人馬と爲るがごとく、筋骨形體天より所受にして變ずべからず。此れを以て論ずれば類ならず。馬猶お草駒の時、跳躍揚蹄し尾を翹て走る。人之を制約する能わず。嚙めば肌を嚙り骨を碎くに足り、蹴れば顱を破り胸を陷すに足る。其の圉人之を馴し良御之を敎うるに及び、衡轭を掩い轡銜を連れば、險阻を經て壕塹を越ゆとも辭する敢てせず。故に其の形馬と爲るは變化すべからず。其れ駕御すべきは敎の成す所なり。馬は無知の蟲なれども氣志に通ずべし。而も敎を俟て成る。又況んや人をや。且つ身正しく性善く、發憤して仁と爲り憤激して義と爲り、性命悦ぶべく、學問を俟たずして道に合するは堯・舜・文王なり。沉湎耽荒して道を以て敎うべからず、德を以て曉喻すべからず、嚴父も能く正さず賢師も能く化せざるは丹朱・商均なり。柔頰皓齒形美骨佳にして、脂粉芳澤を俟たずして性悦ぶべきは西施・陽文なり。㖞口侈脣鶏胸駝背にして粉白黛黑と雖も美を成す能わざるは嫫母・仳倠なり。上は堯・舜に及ばず下は商均に似ず、美は西施に及ばず惡は嫫母に似ず。此れ敎訓の曉喻する所にして芳澤の施加する所なり。且つ子に父を弑する者有るも天下其子を疏くする者なし。何の故ぞ。父を愛する者多ければなり。儒に邪僻有るも先王之道廢れず。何の故ぞ。其れを實行する者多ければなり。今學者の過有るを以て學習を非難するは、是れ一飽を以て穀を斷て食わず、一蹇の難を以て足を停めて行かざるなり。惑なり。

今有良馬,不待策錣而行,駑馬,雖兩錣之不能進,為此不用策錣而禦,則愚矣。夫怯夫操利劍,擊則不能斷,刺則不能入,及至勇武攘卷一搗,則摺肋傷幹,為此棄幹將、鏌邪而以手戰,則悖矣。所謂言者,齊於眾而同於俗。今不稱九天之頂,則言黃泉之底,是兩末之端議,何可以公論乎!夫橘柚冬生,而人曰冬死,死者眾;薺麥夏死,人曰夏生,生者眾。江、河之回曲,亦時有南北者,而人謂江、河東流;攝提鎮星日月東行,而人謂星辰日月西移者;以大氐為本。胡人有知利者,而人謂之駤;越人有重遲者,而人謂之訬;以多者名之。若夫堯眉八彩,九竅通洞,而公正無私,一言而萬民齊;舜二瞳子,是謂重明,作事成法,出言成章;禹耳參漏,是謂大通,興利除害,疏河決江;文王四乳,是謂大仁,天下所歸,百姓所親;皋陶馬喙,是謂至信,決獄明白,察於人情;禹生於石;契生於卵;史皇產而能書;羿左臂修而善射。若此九賢者,千歲而一齣,猶繼踵而生。今無五聖之天奉,四俊之才難,欲棄學而循性,是謂猶釋船欲蹍水也。

今良馬有れば鞭策を俟たずして走り、駑馬は鞭策を再びしても進まず。此れを以て鞭策を用いずして駕御せんとするは愚なり。怯夫利劍を持つも撃てば斷たず刺れば入らず。勇武袖を卷て一たび搗けば脇骨を折り軀幹を傷つく。此れを以て干將・鏌鋣を棄てて手を以て戰わば悖なり。所謂言論は衆人と齊く習俗と同じくするを謂うなり。今九天の頂を稱せざれば則ち黄泉の底を言う。此れ兩頭の端議にして焉んぞ以て公論と爲さん。橘柚は冬生じ、人冬死すと曰うは死する者多ければなり。薺麦は夏死し、人夏生ずと曰うは生ずる者多ければなり。江・河は回曲して時に南北有れども、人則ち江・河の東流を稱す。攝提鎮星日月は東に遷れども、人則ち星辰日月の西移を稱す。大勢を以て本と爲すなり。胡人に智巧有れども人則ち之を愚頓と謂い、越人に遲重有れども人則ち之を輕疾と謂う。多を以て類を名づくるなり。夫れ堯の眉八彩、九竅通洞し、公正無私にして一言に萬民齊し。舜の二瞳子は重明と謂い、事を作れば法と成り、言を出せば章と成る。禹の耳三漏は大通と謂い、利を興し害を除き、河を疏し江を決す。文王の四乳は大仁と謂い、天下の歸する所百姓の親する所なり。皋陶の馬喙は至信と謂い、獄を決めて明白にして人情に察し。禹は石より生れ、契は卵より生れ、史皇は生れて能く書し、羿は左臂脩くして射に善し。夫れ此の九賢の如きは千歲にして一出づるも、猶お踵を繼げて生ずるがごとし。今五聖の天奉なく四俊の才難有るに、學を棄てて性に循わんと欲するは、是れ船を釋て水を蹴らんと欲するを謂うなり。

夫純鉤、魚腸之始下型,擊則不能斷,刺則不能入,及加之以砥礪,摩其鋒鍔,則水斷龍舟,陸剸犀甲。明鏡之始下型,矇然未見形容,及其粉以玄錫,摩以白旃,鬢眉微豪,可得而察。夫學,亦人之砥錫也,而謂學無益者,所以論之過。知者之所短,不若愚者之所修;賢者之所不足,不若眾人之有餘。何以知其然?夫宋畫吳冶,刻刑鏤法,亂修曲出,其為微妙,堯、舜之聖不能及。蔡之幼女,衛之稚質,梱纂組,雜奇彩,抑墨質,揚赤文,禹、湯之智不能逮。夫天之所覆,地之所載,包於六合之內,托於宇宙之間,陰陽之所生,血氣之精,含牙戴角,前爪後距,奮翼攫肆,蚑行蟯動之蟲,喜而合,怒而鬥,見利而就,避害而去,其情一也。雖所好惡,其與人無以異。然其爪牙雖利,筋骨雖強,不免制於人者,知不能相通,才力不能相一也。各有其自然之勢,無稟受於外,故力竭功沮。

純鈎・魚腸の始め模より下るときは、擊てば斷たず刺れば入らず。其の砥礪を加え鋒鍔を摩すに及てば、水に龍舟を斷り陸に犀甲を截る能う。明鏡の始め模より下るときは、朦然として形容を見る能わず。其の玄錫を粉し白旃を摩するに及てば、鬢眉微毫皆察すべし。學も亦た人の砥錫なり。而るに學益なしと謂うは、其の過を論ずる所以なり。智者の短は愚者の長に如かず、賢者の不足は衆人の有餘に如かず。何以て其の然るを知るや。宋之畫と吳之冶とは、冶に鑄て金錫して工治らず。其の微妙は堯・舜之聖も及ぶ能わず。蔡之幼女衛之稚質は纂組を織り、奇彩を雜え、墨質を抑えて赤文を揚ぐ。禹・湯之智も逮ばざるなり。天の覆う所、地の載する所、六合の内に包み宇宙の間に託し、陰陽の生ずる所、血氣之精、牙を含み角を戴き、前爪後距、翼を奮て攫取し、爬行蠕動の蟲は、喜ぶれば合し怒れば鬬い、利を見れば就き、害を辟けば去る。其の情一なり。雖其の好惡は人と異なること無し。然れども爪牙利ありと雖も筋骨強しと雖も、人に制されるを免れず。智相通ずる能わざればなり。才力相一ならざればなり。各々自然之勢有りて外より禀受せず。故に力竭えて功敗るなり。

夫雁順風,以愛氣力,銜蘆而翔,以備矰弋。螘知為垤,獾貉為曲穴,虎豹有茂草,野彘有艽莦,槎櫛堀虛,連比以像宮室,陰以防雨,景以蔽日。此亦鳥獸之所以知求合於其所利。今使人生於闢陋之國,長於窮櫩漏室之下,長無兄弟,少無父母,目未嘗見禮節,耳未嘗聞先古,獨守專室而不出門,使其性雖不愚,然其知者必寡矣。昔者,蒼頡作書,容成造曆,胡曹為衣,后稷耕稼,儀狄作酒,奚仲為車,此六人者,皆有神明之道,聖智之跡,故人作一事而遺後世,非能一人而獨兼有之。各悉其知,貴其所欲達,遂為天下備。今使六子者易事,而明弗能見者何?萬物至眾,而知不足以奄之。周室以後,無六子之賢,而皆修其業;當世之人,無一人之才,而知其六賢之道者何?教順施續,而知能流通。由此觀之,學不可已,明矣!

雁は風に順りて氣力を愛み、蘆を銜えて飛翔して矰弋を備う。螘蟻は垤を爲るを知り、獾貉は曲穴を爲り、虎豹は茂草有り、野豬は蓈艽有り。槎枿して堀洞を爲り、連比して宮室のごとく、陰は以て雨を防ぎ景は以て日を蔽う。此れ亦た鳥獸の以て所利に合を求むるを知るなり。今人をして僻陋之國に生れ、窮檐漏室の下に長ち、長じて兄弟なく、少くして父母なく、目未だ嘗て禮節を見ず、耳未だ嘗て先古を聞かず、獨り專室を守て門を出でざれば、其の性愚ならざると雖も、其の知る所は必ず少なし。昔者蒼頡書を作り、容成曆を造り、胡曹衣を爲り、后稷耕稼し、儀狄酒を作り、奚仲車を爲す。此の六人は皆神明の道と聖智之蹟有り。故人一事を作りて後世に遺す。一人能く獨り兼るにあらず。各々其の知を盡して其の達せんと欲する所を貴ぶ。於是乎天下の備と爲る。今此の六人をして事を易えしめば、明見る能わざるは何の故ぞ。萬物甚だ多くて知覆うに足らざればなり。周室より後、六子之賢無し。而るに皆其の業を修む。當世之人、一人之才無し。而るに六賢之道を知るは何の故ぞ。敎順施繼して知能流通せばなり。此に由りて觀れば學止むべからずと明なるなり。

今夫盲者目不能別晝夜,分白黑,然而搏琴撫弦,參彈複徽,攫援摽拂,手若蔑蒙,不失一弦。使未嘗鼓瑟者,雖有離朱之明,攫掇之捷,猶不能屈伸其指。何則?服習積貫之所致。故弓待檠而後能調,劍待砥而後能利。玉堅無敵,鏤以為獸,首尾成形,礛諸之功。木直中繩,揉以為輪,其曲中規,檃括之力。唐碧堅忍之類,猶可刻鏤,揉以成器用,又況心意乎!且夫精神滑淖纖微,倏忽變化,與物推移,雲蒸風行,在所設施。君子有能精搖摩監,砥礪其才,自試神明,覽物之博,通物之壅,觀始卒之端,見無外之境,以逍遙仿佯於塵埃之外,超然獨立,卓然離世,此聖人之所以遊心。若此而不能,間居靜思,鼓琴讀書,追觀上古及賢大夫,學問講辯,日以自娛,蘇援世事,分白黑利害,籌策得失,以觀禍福,設儀立度,可以為法則,窮道本末,究事之情,立是廢非,明示後人,死有遺業,生有榮名。如此者,人才之所能逮。然而莫能至焉者,偷慢懈惰,多不暇日之故。夫瘠地之民多有心力者,勞也;沃地之民多不才者,饒也。由此觀之,知人無務,不若愚而好學。自人君公卿至於庶人,不自強而功成者,天下未之有也。《詩》云:「日就月將,學有緝熙於光明。」此之謂也。名可務立,功可強成,故君子積志委正,以趣明師,勵節亢高,以絕世俗。

今盲者は目晝夜を別け白黑を分たずと雖も、琴を撫し絃を彈いて、參彈復徽して攫援摽拂すれば、手は蔑蒙飛塵のごとく一絃を失わず。曾て鼓瑟せざる者を使すれば、離朱之明攫掇之捷有ると雖も、其の指を屈伸する能わざるなり。何の故ぞ。服習積貫の致す所なり。故に弓は檠を待て後能く調い、劍は砥を待て後能く利なり。玉は堅无敌なれども、鏤て獸と爲せば首尾成形す。礓諸之功なり。木は直繩に中るも、揉て輪と爲せば曲規に中る。檃括之力なり。唐碧之堅忍類可と雖も、猶お刻鏤して揉て器用と爲すべし。又況んや心意をや。且つ精神滑淖纖微にして、倏忽變化して物と推移し、雲蒸風行して設施する所に在り。君子若し精搖磨鑒して其の才を砥礪し、自ら神明を試驗し、物之博を覽て物之壅塞を通じ、始終之端を觀て无外之境を見、以て逍遙徜徉於塵埃之外、超然獨立、卓然離世せば、此れ聖人の游心する所以なり。若し此の如く能わざれば、閑居靜思して琴を鼓し書を讀み、上古及び賢大夫を追觀し、學問講辨して日以て自娛し、世事を理して白黑利害を分け、得失を籌策して禍福を觀、儀を設け度を立て以て法則たるべく、道之本末を窮め、事之情を究盡し、是を立て非を廢し、明白に指示して人後に遺業を留め、生れて榮名有る。此の如くは人之才能の及ぶ所なり。然れども能く至る者莫きは、偷慢懈惰にして暇日多からざる故なり。瘠土之民心力多きは勞なり。沃土之民不才は逸なり。此に由りて觀れば、智なる者の務求なきは愚にして學を好むに如かず。人君公卿より庶人に至るまで、自ら强めずして功成るは天下に嘗て有らざるなり。詩に曰く「日に就き月に將し、學は緝熙して光明に於り」と。此れを謂うなり。名は務求して立つべく、功は强めて成るべし。故に君子志を積み正を委て、明師に趣して節操を激勵亢高し、以て世俗と絕つ。

何以明之?昔者南榮疇恥聖道之獨亡於己,身淬霜露,敕蹻趹,跋涉山川,冒蒙荊棘,百舍重跰,不敢休息,南見老聃。受教一言,精神曉泠,純聞條達,欣然七日不食,如饗太牢,是以明照四海,名施後世,達略天地,察分秋豪,稱譽葉語,至今不休。此所謂名可強立者。吳與楚戰,莫囂大心撫其禦之手曰:「今日距強敵,犯白刃,蒙矢石,戰而身死,卒勝民治,全我社稷,可以庶幾乎?」遂入不返,決腹斷頭,不旋踵運軌而死。申包胥竭筋力以赴嚴敵,伏屍流血,不過一卒之才,不如約身卑辭,求於諸侯。於是乃贏糧跣走,跋涉穀行,上峭山,赴深溪,遊川水,犯津關,躐蒙籠,蹶沙石,蹠達膝曾繭重胝,七日七夜,至於秦庭。鶴跱而不食,晝吟宵哭,面若死灰,顏色黴墨,涕液交集,以見秦王。曰:「吳為封豨修蛇,蠶食上國,虐始於楚。寡君失社稷,越在草茅,百姓離散,夫婦男女,不遑啟處,使下臣告急。」秦王乃發車千乘,步卒七萬,屬之子虎,逾塞而東,擊吳濁水之上,果大破之,以存楚國。烈藏廟堂,著於憲法。此功之可強成者也。夫七尺之形,心知憂愁勞苦,膚知疾痛寒暑,人情一也。聖人知時之難得,務可趣也,苦身勞形,焦心怖肝,不避煩難,不違危殆。蓋聞子發之戰,進如激矢,合如雷電,解如風雨,員之中規,方之中矩,破敵陷陳,莫能壅禦,澤戰必克,攻城必下。彼非輕身而樂死,務在於前,遺利於後,故名立而不墮。此身強而成功者也。是故田者不強,囷倉不盈;官禦不厲,心意不精;將相不強,功烈不成;侯王懈惰,後世無名。《詩》云:「我馬唯騏,六轡如絲。載馳載驅,周爰諮謨。」以言人之有所務也。

何以て明らかにせんや。昔者南榮疇は聖道の己身に獨り亡失するを恥と爲し、霜露に身を淬し、草履を整えて趨り、山川を跋涉して荊棘を冒し、百舍を走りて繭を重ねて敢て休まず。南に老聃を見う。敎を受けて一言に精神暢清泠し、純粹條達して欣然として七日不食す。太牢を饗するがごとし。是を以て明四海を照らし名を後世に施し、略天地に達し秋毫を察分す。譽を稱る語至今に至て止まず。此れ名の强めて立つべきを謂うなり。吳與楚戰う。莫敖大心御者之手を撫でて曰く「今日強敵に距り白刃を冒し矢石を蒙り、戰て身死し、卒に民治り我が社稷を全うするは庶幾なり」と。於是乎入りて返らず、腹を決め頭を斷り、踵を旋めず轍を回さずして死す。申包胥筋力を竭して嚴敵に赴き、伏尸流血して一卒之才に過ぎず。身を束て辭を卑めて諸侯に赴かず。於是乎糧を贏て跣足して走り、谿谷を跋涉して峭山に上り、深溪に赴き川水を游ぎ、津關を冒し蒙籠を履み沙石を蹶り、蹠膝達して繭重なり胝疊る。七日七夜にして秦庭に至る。鶴立して食わず、晝吟夜哭して面死灰のごとく黧黑にして涕泪交集す。秦王を見て曰く「吳は封豕長蛇のごとく上國を蠶食して虐を楚より始む。寡君社稷を失いて草茅に逃る。百姓離散し夫婦男女安處に遑遑ならず。下臣を遣て急を告げしむ」と。秦王乃ち車千乘歩卒七萬を發して子虎に屬す。塞を踰えて東し、濁水之上に吳を擊ち、果て大いに之を破り楚國を存す。功烈廟堂に藏れ憲法に書さる。此れ功の强めて成るべきなり。七尺之形は心憂勞を知り、膚疾痛寒暑を知る。人情一なり。聖人は時の得難きを知り、事務之趨くべきを知り、身を苦しめ形を勞し、心を焦し肝を怖れ、煩難を避けず危殆を避けず。聞くならく、子發之戰は進みて激矢のごとく、合して雷電のごとく、解して風雨のごとく、圓規方矩にして、敵を破り陣を陷るに壅御する者莫し。澤戰必ず克ち攻城必ず下す。彼は身を輕んじ死を樂しむにあらず。務めて前面に在りて利を後面に遺す。故に名立て堕さざるなり。此れ自身の强めて成る所以なり。故に田夫强からざれば倉廩盈ちず、官御勵せざれば心意精からず、將相强からざれば功烈成らず、侯王懈惰せば後世名なし。詩に曰く「我が馬維駟、六轡如絲。載馳載驅、周爰諮諏」と。人之務求する所有るを言うなり。

通於物者,不可驚以怪;喻於道者,不可動以奇;察於辭者,不可耀以名;審於形者,不可遯以狀。世俗之人,多尊古而賤今,故為道者必托之於神農、黃帝而後能入說。亂世暗主,高遠其所從來,因而貴之。為學者蔽於論而尊其所聞,相與危坐而稱之,正領而誦之。此見是非之分不明。夫無規矩,雖奚仲不能以定方圓;無準繩,雖魯般不能定曲直。是故鍾子期死而伯牙絕弦破琴,知世莫賞也;惠施死而莊子寢說言,見世莫可為語者也。夫項託七歲為孔子師,孔子有以聽其言也。以年之少,為閭丈人說,救敲不給,何道之能明也?

物に通ずる者は以て怪を驚かす能わず、道に曉喻する者は以て奇を動かす能わず、辭に察する者は以て名を炫わす能わず、形に審する者は以て狀を逃るる能わず。世俗之人は多くは古を尊び今を賤む。故に道を爲る者は必ず神農・黃帝に託して後能く說に入る。亂世之晝主は其の來る所を高遠に言て因て之を貴ぶ。學を爲る者は議に蔽て其所聞を尊び、相危坐して稱說し、領を正して誦讀す。此れ是非之分を明らかに見ずるなり。規矩無くば奚仲と雖も方圓を定む能わず、準繩無くば魯般と雖も曲直を定む能わず。故に鍾子期死して伯牙弦を絕ち琴を破るは、世之賞する人なきを知ればなり。惠施死して莊子説を寝るは、世の語を與する者なきを見ればなり。項橐七歲にして孔子之師と爲る。孔子其の言を聽く所以有り。年歲の少を以て閭丈に爲さば、救を敲て及ばざらん。何の道の明ならんや。

昔者,謝子見於秦惠王,惠王說之,以問唐姑梁,唐姑梁曰:「謝子,山東辯士,固權說以取少主。」惠王因藏怒而待之。後日複見,逆而弗聽也。非其說異也,所以聽者易。夫以徵為羽,非弦之罪;以苦為甘,非味之過。楚國有烹猴而召其鄰人,以為狗羹也,而甘之。後聞其猴也,據地而吐之,盡寫其食。此未始知味者也。邯鄲師有出新曲者,託之李奇,諸人皆爭學之。後知其非也,而皆棄其曲,此未始知音者也。鄙人有得玉璞者,喜其狀,以為寶而藏之。以示人,人以為石也,因而棄之。此未始知玉者也。故有符於中,則貴是而同今古;無以聽其說,則所從來者遠而貴之耳。此和氏之所以泣血於荊山之下。

昔者謝子秦惠王を見う。惠王說びて之を以て唐姑梁に問う。唐姑梁曰く「謝子は山東之辯士にして固より權説を以て少主に悅す」と。惠王因て怒を藏めて之を待つ。他日復見えば逆して弗聽と爲す。其の說異なりにあらず、聽く所以替るなり。以て徵爲羽せば絃之罪にあらず、以て苦爲甘せば味之過にあらず。楚人に猴を烹て鄰人を召する者有り。以て狗羹と爲して之を甘美せしむ。後猴と聞きて地に據て吐き、其の食する所を盡瀉す。此れ始めて味を知らざる者なり。邯鄲師に新曲を出だす者有り。之を李奇に託す。諸人皆爭て之を學ぶ。後其の非を知りて皆其の曲を棄つ。此れ始めて音を知らざる者なり。鄙人に玉璞を得る者有り。其の狀を喜びて以爲寶と爲して藏る。人を以て視れば人以爲石と爲して因て棄つ。此れ始めて玉を知らざる者なり。故に符應中に合すれば、則ち對を貴びて今古を一に視す。其の說を聽く無ければ、則ち其の來遠きを以て貴しと爲す。此れ和氏の荊山之下に泣血する所以なり。

今劍或絕側羸文,齧缺卷銋,而稱以頂襄之劍,則貴人爭帶之;琴或撥刺枉橈,闊解漏越,而稱為楚莊之琴,側室爭鼓之。苗山之鋋,羊頭之銷,雖水斷龍舟,陸剸兕甲,莫之服帶。山桐之琴,澗梓之腹,雖鳴廉修營,唐牙莫之鼓也。通人則不然。服劍者期於銛利,而不期於墨陽、莫邪;乘馬者期於千里,而不期於驊騮、綠耳;鼓琴者期於鳴廉修營,而不期於濫肋、號鍾;誦《詩》、《書》者期於通道略物,而不期於《洪範》、《商頌》。聖人見是非,若白黑之於目辨,清濁之於耳聽。眾人則不然。中無主以受之,譬若遺腹子之上隴,以禮哭泣之,而無所歸心。故夫孿子之相似者,唯其母能知之;玉石之相類者,唯良工能識之;書傳之微者,惟聖人能論之。今取新聖人書,名之孔、墨,則弟子句指而受者必眾矣。故美人者,非必西施之種;通士者,不必孔、墨之類。曉然意有所通於物,故作書以喻意,以為知者也。誠得清明之士,執玄鑒於心,照物明白,不為古今易意,攄書明指以示之,雖闔棺亦不恨矣。

今劍或は側に絶文羸齒して缺卷するを、稱て頃襄之劍と爲す。貴人爭て之を帶びる。琴或は撥刺枉橈して闊解漏越するを、稱て楚莊之琴と爲す。側室爭て之を鼓す。苗山之鋋・羊頭之銷は、水に龍舟を斷り陸に兕甲を截る能くするも、莫之を佩ぶ者なし。山桐之琴・澗梓之腹は、鳴廉修營にして、師雜牙也撥れども人其れを鼓せざるなり。通人は則ち然らず。劍を佩ぶは鋒利を期して墨陽・莫邪を期せず。馬を乘るは千里を期して驊騮・綠耳を期せず。琴を鼓するは鳴廉修營を期して濫脇・號鍾を期せず。詩・書を誦するは道略を通じて物を通ずるを期して洪範・商頌を期せず。聖人之是非を見るは、白黑を目に分き清濁を耳に聽くがごとし。衆人は則ち然らず。中に主なきを以て受く。譬へば遺腹子之隴上に上りて禮を以て哭泣するがごとく、而も歸する心無し。故に孪生児子相似なるは、唯だ其の母能く之を知る。玉石相類なるは、唯だ良工能く識る。書傳之微は、唯だ聖人能く論ず。今新聖人書を取て名づけて孔・墨と爲せば、則ち弟子句指して受誦する者必ず多し。故に美人は必ずしも西施之種に非ざるなり。通士は必ずしも孔・墨之類に非ざるなり。曉然として意物に通ずる所有るがゆえに、書を作して意を喻うは知る者の爲めなり。誠に清明之士を得て玄鑒を執て物を照して明白にし、古今を以て意を易えず、書意を舒て之に指すれば、則ち蓋棺して恨まず。

昔晉平公令官為鍾。鍾成,而示師曠。師曠曰:「鍾音不調。」平公曰:「寡人以示工,工皆以為調。而以為不調,何也?」師曠曰:「使後世無知音者則已,若有知音者,必知鍾之不調。」故師曠之慾善調鍾也,以為後之有知音者也。三代與我同行,五伯與我齊智,彼獨有聖智之實,我曾無有閭裡之聞,窮巷之知者何?彼並身而立節,我誕謾而悠忽。今夫毛嬙、西施,天下之美人,若使之銜腐鼠,蒙蝟皮,衣豹裘,帶死蛇,則布衣韋帶之人過者,莫不左右睥睨而掩鼻。嘗試使之施芳澤,正娥眉,設笄珥,衣阿錫,曳齊紈,粉白黛黑,佩玉環,揄步,雜芝若,籠蒙目視,冶由笑,目流眺,口曾撓,奇牙出,𩉇酺搖,則雖王公大人,有嚴志頡頏之行者,無不憚悇癢心而悅其色矣。今以中人之才,蒙愚惑之智,被汙辱之行,無本業所修,方術所務,焉得無有睥面掩鼻之容哉!

昔者晉平公官に鐘を作らしむ。鐘成りて師曠に示す。師曠曰く「鐘音調わず」と。平公曰く「寡人工匠を以て之を示せば皆調うと爲す。而も子以爲調わざるは何の故ぞ」と。師曠曰く「後世音を知る者無ければ則ち已む。若し知音有らば必ず鐘の調わざるを知らん」と。故に師曠の鐘を調えんと欲するは、後の知音の人の爲なり。三代我と行を同じくし、五霸我と智を齊くす。彼等獨り聖智の實有りて、我竟に閭里之聞窮巷之知無し。何の故ぞ。彼らは身を竝て節を立て、我誕謾悠忽なり。今毛嬙・西施は天下之美人なり。若し之をして腐鼠を銜え、猬皮を蒙り、豹裘を衣、死蚖を帶びしめば、布衣韋帶之人の過ぎて左右而視して鼻を掩わざる者無し。試みに之をして芳澤を施し、娥眉を正し、笄珥を設け、阿錫を衣、齊紈を曳き、粉白黛黑にして、玉環を佩び、步を掎て、芝若を雜え、籠蒙視て、冶由笑い、目流眺し、口曾撓し、奇牙出づ、囁輔搖ぐれば、王公大人の嚴志亢行有ると雖も、心搖し瘙して其の色を說ばざる者無し。今中人之才を以て愚惑之智を蒙り、汚辱之行を被り、本業の修と方術之務無し。安んぞ而視掩鼻之容なからん。

今鼓舞者,繞身若環,曾撓摩地,扶旋猗那,動容轉曲,便媚擬神。身若秋藥被風,發若結旌,騁馳若騖;木熙者,舉梧檟,據句枉,蝯自縱,好茂葉,龍夭矯,燕枝拘,援豐條,舞扶疏,龍從鳥集,搏援攫肆,蔑蒙踴躍。且夫觀者莫不為之損心酸足,彼乃始徐行微笑,被衣修擢。夫鼓舞者非柔縱,而木熙者非眇勁,淹浸漬漸摩使然也。是故生木之長,莫見其益,有時而修;砥礪靡堅,莫見其損,有時而薄。藜藿之生,蠕蠕然日加數寸,不可以為櫨棟;楩楠豫章之生也,七年而後知,故可以為棺舟。夫事有易成者名小,難成者功大。君子修美,雖未有利,福將在後至。故《詩》云:「日就月將,學有緝熙於光明。」此之謂也。

今鼓舞する人は繞身して環のごとく、曾撓地に靡かし、扶旋猗那して動容轉曲し、便媚神のごとし。身は秋草の被風するがごとく、髮は結旌のごとく、驅馳は鶩のごとし。木戲を作る人は梧檟を擧げ、枉曲に據りて、猿の自縱し茂葉を好むがごとく、龍之夭矯し、燕枝之拘、豐條を緣て舞扶疏して、龍從鳥集し、搏援攫取して、蔑蒙踴躍のごとし。且つ觀る人の以て銷酸損足せざる莫し。彼ら徐行微笑して披衣修擢す。鼓舞する人は生て柔縱を性とせず、木戲を作る人は生て眇勁を性とせず。淹浸漸摩の然らしめるなり。故に生木之長は其の益を見ず、日に時長ずるあり。砥礪堅を摩るは其の損を見ず、日に時薄くなるあり。藜藿之生は蠕蠕然として日に數寸を加うるも以て櫨棟と爲さず。楩柟豫章之生は七年にして後知る。故に以て棺舟と爲す。事易成する者名小、難成する者功大。君子美を修む。雖未だ利有らず、福將に後に至らんとす。故に詩に曰く「日に就き月に將し、學は緝熙して光明に於り」と。此れを謂うなり。

泰族訓

天設日月,列星辰,調陰陽,張四時,日以暴之,夜以息之,風以幹之,雨露以濡之。其生物也,莫見其所養而物長;其殺物也,莫見其所喪而物亡。此之謂神明。聖人象之,故其起福也,不見其所由而福起;其除禍也,不見其所以而禍除。遠之則邇,延之則疏;稽之弗得,察之不虛;日計無算,歲計有餘。夫濕之至也,莫見其形而炭已重矣;風之至也,莫見其象而木已動矣。日之行也,不見其移;騏驥倍日而馳,草木為之靡;縣烽未轉,而日在其前。故天之且風,草木未動而鳥已翔矣;其且雨也,陰曀未集而魚已噞矣。以陰陽之氣相動也。

天は日月を設け、星辰を陳べ、陰陽を調和し、四時を張る。日は以て晝し、夜は以て息し、風は以て乾かし、雨露は以て濡す。其れ物を生ずるに養う所を見ずして物長ち、其れ物を殺するに喪う所を見ずして物亡ぶ。此れを神明と謂う。聖人之に象りて、故に福を興すに經由する所を見ずして福起り、禍を除く所以然を見ずして禍除く。之を疏ければ反て近く、之を延ばせば反て疏し。考えて得ず察して虚ならず。日を計て筭なく、歲を計て餘有り。濕至れば其の形を見ずして炭已に重し。風至れば其の象を見ずして木已に動く。日之行は其の移るを見ず、騏驥日を倍して馳せば草木以て靡れず。懸烽未だ轉かざるに日已に前に在り。故に天將に風らんとすれば草木未だ動かざるに鳥已に翔り、將に雨らんとすれば陰翳未だ集まらざるに魚已に喞して喘ぐ。是れ陰陽之氣相動くなり。

故寒暑燥濕,以類相從;聲響疾徐,以音應也。故《易》曰:「鳴鶴在陰,其子和之。」高宗諒暗,三年不言,四海之內寂然無聲;一言聲然,大動天下。是以天心呿唫者也,故一動其本而百枝皆應,若春雨之灌萬物也,渾然而流,沛然而施,無地而不澍,無物而不生。故聖人者懷天心,聲然能動化天下者也。故精誠感於內,形氣動於天,則景星見,黃龍下,祥鳳至,醴泉出,嘉穀生,河不滿溢,海不溶波。故《詩》云:「懷柔百神,及河嶠嶽。」逆天暴物,則日月薄蝕,五星失行,四時干乖,晝冥宵光,山崩川涸,冬雷夏霜。《詩》曰:「正月繁霜,我心憂傷。」天之與人,有以相通也。

故に寒暑燥濕は類を以て相從し、聲響疾徐は音を以て相應す。易に曰く「鳴鶴在陰、其子和之」と。高宗喪に居り三年不言、四海之内寂然無聲。一言聲を發せば大に天下を動かす。此れ天心開闔す。故に一動して其の本、百枝皆應ず。春雨の灌ぎ注ぐ萬物のごとく、渾然として流れ、沛然として施し、潤せざる地なく生生ぜざる物なし。故に聖人は天心を懷きて、一聲天下を動かし變化する能うなり。精誠内に感發し、形氣天を動かせば、則ち景星見、黄龍下り、祥鳳至り、醴泉出、嘉禾生、河溢滿せず、海波涌起せず。故に詩に曰く「懷柔百神、及河喬嶽」と。天に逆て物を暴れば、則ち日月薄蝕、五星失行、四時干乘、晝冥宵光、山崩川涸、冬雷夏霜す。詩に曰く「正月繁霜、我心憂傷」と。天與人は以て相通ずる有り。

故國危亡而天文變,世惑亂而虹霓現,萬物有以相連,精祲有以相蕩也。故神明之事,不可以智巧為也,不可以筋力致也。天地所包,陰陽所嘔,雨露所濡,化生萬物,瑤碧玉珠,翡翠玳瑁,文彩明朗,潤澤若濡,摩而不玩,外而不渝,奚仲不能旅,魯般不能造,此謂之大巧。宋人有以象為其君為楮葉者,三年而成,莖柯豪芒,鋒殺顏澤,亂之楮葉之中而不可知也。列子曰:「使天地三年而成一葉,則萬物之有葉者寡矣。夫天地之施化也,嘔之而生,吹之而落,豈此契契哉!」故凡可度者,小也;可數者,少也。至大,非度所能及也,至眾,非數所能領也。故九州不可頃畝也,八極不可道里也,太山不可丈尺也,江海不可鬥斛也。

故に國危亡なれば天文變じ、世惑亂すれば虹蜺見る。萬物以て相連る所有り、精祲以て相蕩る所有り。故に神明之事は智巧を以て爲すべからず、筋力を以て致すべからず。天地の包む所、陰陽の呕う所、雨露の濡す所、化生萬物す。瑤碧玉珠、翡翠玳瑁、文彩明朗、潤澤濡るるがごとく、摩れども損せず、外に改わらず。奚仲能く之を列せず、魯般能く之を造らず。此れを大巧と謂う。宋人象牙を以て其の君の爲に楮葉を爲る者有り。三年にして成り、莖柯毫芒鋒殺顏色潤澤し、眞楮葉之中に亂れて知るべからず。列子曰く「天地をして三年にして一葉を成らしめば、則ち萬物の葉有る者寡し。天地の施化は育てば生じ、吹けば落つ。何ぞ此の契契を用いんや」と。故に凡そ度量すべきは小なり。數べきは少なり。至大は度量の及ぶ所に非ず、至衆は數の領る所に非ず。故に九州は頃畝を以て量るべからず、八極は道里を以て數るべからず、太山は丈尺を以て量るべからず、江海は斗斛を以て量るべからず。

故大人者,與天地合德,日月合明,鬼神合靈,與四時合信。故聖人懷天氣,抱天心,執中含和,不下廟堂而衍四海,變習易俗,民化而遷善,若性諸己,能以神化也。《詩》云:「神之聽之,終和且平。」夫鬼神視之無形,聽之無聲,然而郊天、望山川,禱祠而求福,雩兌而請雨,卜筮而決事。《詩》云:「神之格思,不可度思,矧可射思。」此之謂也。天致其高,地致其厚,月照其夜,日照其晝,陰陽化,列星朗,非其道而物自然。故陰陽四時,非生萬物也;雨露時降,非養草木也。神明接,陰陽和,而萬物生矣。故高山深林,非為虎豹也;大木茂枝,非為飛鳥也;流源千里,淵深百仞,非為蛟龍也。致其高崇,成其廣大,山居木棲,巢枝穴藏,水潛陸行,各得其所寧焉。

故に大人は天地と德を合し、日月と明を合し、鬼神と靈を合し、四時と信を合す。故に聖人は天氣を懷き天心を抱き、中含和を執て、廟堂を下らずして四海に衍及し、習氣を變易し風俗を改易し、民化せられて善に遷る、性己に在るがごとし。是れ神を以て化する能うなり。詩に曰く「神之を聽きて、終に和且つ平なり」と。鬼神は視るに形なく聽くに聲なし。然れども郊天し山川を望み、禱祠して福を求め、雩祭して雨を請い、卜筮して事を決す。詩に曰く「神之來す、測度すべからず、矧んや以て射思せんや」と。此れを謂うなり。天は其の高に至り、地は其の厚に至り、月は其の夜を照らし、日は其の晝を照らす。陰陽變化し列星朗るるは、意其の道を爲るに非ざるして物自然なり。故に陰陽四時は萬物を生ずるに非ず、雨露時に降るは草木を養うに非ず。神明交接し陰陽調和すれば萬物生ず。故に高山深林は虎豹の爲ならず、大木茂枝は飛鳥の爲ならず、流源千里淵深百仞は蛟龍の爲ならず。其の高崇に至り其の廣大を成す。山居木棲し、巢枝穴藏し、水潜陸行して各々其の安んずる所を得るなり。

夫大生小,多生少,天之道也。故丘阜不能生雲雨,滎水不能生魚鱉者,小也。牛馬之氣蒸,生蟣蝨;蟣蝨之氣蒸,不能生牛馬。故化生於外,非生於內也。夫蛟龍伏寢於淵,而卵割於陵。螣蛇雄鳴於上風,雌鳴於下風而化成形,精之至也。故聖人養心,莫善於誠,至誠而能動化矣。今夫道者,藏精於內,棲神於心,靜漠恬淡,訟繆胸中,邪氣無所留滯,四枝節族,毛蒸理洩,則機樞調利,百脈九竅莫不順比,其所居神者得其位也,豈節拊而毛修之哉!

大は小を生じ、多は少を生ずるは天之道なり。故に丘阜は雲雨を生ぜず、淺水は魚鼈を生ぜず。小なり。牛馬之氣蒸して蟣虱を生ずるも、蟣虱之氣蒸して牛馬を生ぜず。故に化は外より生ず、内より生ずるに非ず。蛟龍淵に伏寢すれども卵は陵上に剖かる。螣蛇雄は上風に鳴き雌は下風に鳴いて化して形を成すは、精極まるなり。故に聖人の心を養うは誠に善きことなし。至誠則ち能く動化す。今道有る人は精内に藏れ神心に棲み、靜漠恬淡にして和穆胸中に在り。邪氣留滞せず、四支節族毛蒸理泄すれば機枢調利し、百脉九竅順比せざることなし。所居の神其の位を得れば、豈に節節て撫で毛毛て修めんを用いんや。

聖主在上,廓然無形,寂然無聲,官府若無事,朝廷若無人。無隱士,無軼民,無勞役,無冤刑,四海之內,莫不仰上之德,象主之指,夷狄之國,重譯而至,非戶辯而家說之也,推其誠心,施之天下而已矣。《詩》曰:「惠此中國,以綏四方。」內順而外寧矣。太王亶父處邠,狄人攻之,杖策而去。百姓攜幼扶老,負釜甑,逾梁山,而國乎岐周,非令之所能召也。秦穆公為野人食駿馬肉之傷也,飲之美酒,韓之戰,以其死力報,非券之所責也。密子治亶父,巫馬期往觀化焉,見夜漁者,得小即釋之,非刑之所能禁也。孔子為魯司寇,道不拾遺,市買不豫賈,田漁皆讓長,而斑白不戴負,非法之所能致也。

聖主上に在れば廓然として形なく寂然として聲なく、官府事無きがごとく朝廷人無きがごとし。隱士なく逸民なく、勞役なく冤枉之刑なし。四海之内、上の德を仰ぎ主之指向を象らざる者莫し。夷狄之國は重譯を經て至る。戸を挨りて辯說し人を挨りて曉喻するにあらず。唯だ其の誠心を推て天下に施すのみ。詩に曰く「惠を此の中國に及ぼし、以て四方を綏んず」と。内順みて外寧んず。太王亶父邠に處る。狄人來りて攻む。策を拄て去る。百姓幼を攜へ老を扶け、釜甑を負て梁山を踰え、岐山之下周に國を立つ。令の能く召す所にあらず。秦穆公野人の駿馬を食うを以て傷れ、美酒を以て飲ましむ。韓原之戰、彼ら死力を以て報う。券契の能く責求する所にあらず。密子亶父を治む。巫馬期往きて觀化を觀るに、夜漁する者を見るに、小なるを得て則ち放つ。刑の能く禁止する所にあらず。孔子魯司寇と爲す。道遺を拾わず、市買賈せず、田獵漁釣は皆長を讓り、斑白は提攜荷負せず。法の能く致す所にあらず。

夫矢之所以射遠貫牢者,弩力也;其所以中的剖微者,正心也;賞善罰暴者,政令也;其所以能行者,精誠也。故弩雖強,不能獨中;令雖明,不能獨行;必自精氣所以與之施道。故攄道以被民,而民弗從者,誠心弗施也。天地四時,非生萬物也,神明接,陰陽和,而萬物生之。聖人之治天下,非易民性也,拊循其所有而滌蕩之,故因則大,化則細矣。禹鑿龍門,闢伊闕,決江濬河,東注之海,因水之流也。后稷墾草發菑,糞土樹穀,使五種各得其宜,因地之勢也。湯、武革車三百乘,甲卒三千人,討暴亂,制夏、商,因民之慾也。故能因,則無敵於天下矣。夫物有以自然,而後人事有治也。故良匠不能斫金,巧冶不能鑠木,金之勢不可斫;而木性不可鑠也。埏埴而為器,窬木而為舟,鑠鐵而為刃,鑄金而為鍾,因其可也。駕馬服牛,令雞司夜,令狗守門,因其自然也。民有好色之性,故有大婚之禮;有飲食之性,故有大饗之誼;有喜樂之性,故有鐘鼓管絃之音;有悲哀之性,故有衰絰哭踴之節。故先王之製法也,因民之所好而為之節文者也。因其好色而制婚姻之禮,故男女有別;因其喜音而正《雅》、《頌》之聲,故風俗不流;因其甯家室、樂妻子,教之以順,故父子有親;因其喜朋友而教之以悌,故長幼有序。然後修朝聘以明貴賤,饗飲習射以明長幼,時搜振旅以慣用兵也,入學庠序以修人倫。此皆人之所有於性,而聖人之所匠成也。

矢の以て射遠し牢に中る所以は弩之力なり。以て的に中り微を剖く所以は正心なり。善を賞し暴を罰する所以は政令なり。以て行う能う所以は精誠なり。故に弩強しと雖も獨り中る能わず、令明なりと雖も獨り行る能わず。必ず精氣以て之と道を施すを要す。故に道を舒て以て民を覆えば民從わざるは、誠心施さざればなり。天地四時は萬物を生ずるに非ず。神明交接し陰陽調和すれば萬物乃ち生ず。聖人天下を治むるは民性を改易するにあらず。其の所有を撫循して之を滌蕩す。故に因て大を就す。變化に强えば細なり。禹龍門を鑿開き伊闕を闢き、江を決て河を疏し東に注て海に入るは、水之流に因るなり。后稷草を墾て壤を開き糞土して穀を種え、五穀をして各々其の宜を得しむるは、地之勢に因るなり。湯・武革車三百乘甲卒三千人を以て暴亂を討ち夏・商を制すは、民之欲に因るなり。故に能く因れば天下に敵なし。物自然有りて後人事治有り。故に良匠能く金を斫らず、巧冶能く木を銷さず。金之勢斫るべからざればなり。木之性銷すべからざればなり。埴を揉て器と爲し、木を空て舟と爲し、鐵を銷て刃と爲し、金を鑄て鍾と爲すは、其の可に因るなり。馬を駕し牛を服し、鶏をして夜を司らしめ、狗をして門を守らしむるは、自然に因るなり。民好色之性有り。故に大婚之禮有り。飲食之性有り。故に大饗之誼有り。喜樂之性有り。故に鍾鼓管弦之音有り。悲哀之性有り。故に衰絰哭踊之節有り。故に先王法を制するは、民の好する所に因て其の節文を爲るなり。好色に因て婚姻之禮を制すれば故に男女別有り。喜音に因て雅頌之聲を正せば故に風俗流蕩せず。家室を安んじ妻子を樂みて以て順を敎えば故に父子親有り。朋友を喜びて以て悌を敎えば故に長幼序有り。然る後朝聘を修て以て貴賤を明らかにし、饗飲習射して以て長幼を明らかにし、時に搜閱振旅して以て用兵に習い、庠序に入て以て人倫を修む。此れ皆人の性の所有にして、聖人の之を匠成する所なり。

故無其性,不可教訓;有其性,無其養,不能遵道。繭之性為絲,然非得工女煮以熱湯而抽其統紀,則不能成絲;卵之化為雛,非慈雌嘔暖覆伏,累日積久,則不能為雛;人之性有仁義之資,非聖人為之法度而教導之,則不可使向方。故先王之教也,因其所喜以勸善,因其所惡以禁奸。故刑罰不用,而威行如流;政令約省,而化耀如神。故因其性則天下聽從,拂其性則法縣而不用。昔者,五帝三王之蒞政施教,必用參五。何謂參五?仰取象於天,俯取度於地,中取法於人,乃立明堂之朝,行明堂之令,以調陰陽之氣,以和四時之節,以闢疾病之菑。俯視地理,以制度量,察陵陸水澤肥墽高下之宜,立事生財,以除饑寒之患。中考乎人德,以制禮樂,行仁義之道,以治人倫而除暴亂之禍。乃澄列金木水火土之性,故立父子之親而成家;別清濁五音六律相生之數,以立君臣之義而成國;察四時季孟之序,以立長幼之禮而成官。此之謂參。制君臣之義,父子之親,夫婦之辨,長幼之序,朋友之際,此之謂五。乃裂地而州之,分職而治之,築城而居之,割宅而異之,分財而衣食之,立大學而教誨之,夙興夜寐而勞力之。此治之綱紀也。

故に其の性無ければ以て敎訓すべからず。其の性有りて其の養無ければ能く道に遵えず。繭之性は絲なり。然れども工女の熱湯を以て煮て其の統紀を抽かざれば絲と成る能わず。卵變化して雛と爲るに、慈雌覆暖して伏し日を累ね久しくせざれば雛と成る能わず。人之性仁義之資有り。聖人法度を爲て之を敎導せざれば、之をして方正に鄕かしむる能わず。故に先王之敎は其の所喜に因て善を勸め、其の所惡に因て奸を禁ず。故に刑罰用ゐずして威行流水のごとく、政令約省して敎化燿神のごとし。故に性に因れば則ち天下從服し、性に拂えば則ち法懸けて用いられず。昔者五帝三王政を蒞め敎を施くに、必ず參五を用ゐる。何をか參五と謂うや。仰て象を天に取り、俯て度を地に取り、中て法を人に取る。於是乎明堂之朝を立て明堂之令を行い、以て陰陽之氣を調和し、以て四時之節を和し、以て疾病之災を辟く。俯て地理を視て以て度量を制す。陵陸水澤肥瘠高下の宜を察して事を立て財を生じ、以て饑寒之患を除く。中て人德を考えて以て禮樂を制し、仁義之道を行いて以て人倫を治め暴亂之禍を除く。於是乎金木水火土之性を澄列して、以て父子之親を立て家を成す。清濁五音六律相生之數を別て、以て君臣之義を立て國を成す。四時季孟之序を察して、以て長幼之禮を立て官を成す。此れを參と謂う。君臣之義、父子之親、夫婦之辨、長幼之序、朋友之際を制する。此れを五と謂う。於是乎地を裂て州に分し、職を分て以て治め、城を築て以て居り、宅を割て以て別け、財を分て以て衣食を給し、大學を立て以て敎誨し、夙興夜寐して力を勞す。此れ治之綱紀なり。

然得其人則舉,失其人則廢。堯治天下,政教平,德潤洽,在位七十載,乃求所屬天下之統,令四嶽揚側陋。四嶽舉舜而薦之堯。堯乃妻以二女,以觀其內;任以百官,以觀其外。既入大麓,烈風雷雨而不迷,乃屬以九子,贈以昭華之玉,而傳天下焉。以為雖有法度,而朱弗能統也。夫物未嘗有張而不馳,成而不毀者也。惟聖人能盛而不衰,盈而不虧。神農之初作琴也,以歸神;及其淫也,反其天心。夔之初作樂也,皆合六律而調五音,以通八風;及其衰也,以沉湎淫康,不顧政治,至於滅亡。蒼頡之初作書,以辯治百官,領理萬事,愚者得以不忘,智者得以志遠;至其衰也,為奸刻偽書,以解有罪,以殺不辜。湯之初作囿也,以奉宗廟鮮犞之具,簡士卒,習射禦,以戒不虞;及至其衰也,馳騁獵射,以奪民時,疲民之力。堯之舉禹、契、后稷、皋陶,政教平,奸宄息,獄訟止而衣食足,賢者勸善而不肖者懷其德;及至其末,朋黨比周,各推其與,廢公趨私,內外相推舉,奸人在朝,而賢者隱處。

然れども其の人を得れば擧り、其の人を失えば廢る。堯天下を治めて政教平かに德潤洽し、位に在ること七十載、乃ち天下を屬する所を求め、四岳をして側陋を擧げしむ。四岳舜を擧げて堯に薦む。堯乃ち二女を以て之に妻せり、以て其の内を觀る。百官を以て之に任ぜり、以て其の外を觀る。已に大麓に入て烈風雷雨に迷わざれば、乃ち九男を以て之に屬し、昭華之玉を贈て天下を傳う。法度有れば即ち丹朱と雖も統すべからずと爲すなり。物嘗て張て弛まず成て毁れざる有らず。唯だ聖人能く盛にして衰えず、盈ちて虧けず。神農始めて琴を作て以て神を歸す。其の淫るに及てば反て天心と爲す。夔始めて樂を作て皆六律に合し五音を調へ以て八風を通ず。其の衰うるに及てば沉湎淫康して政治を顧みず。以て滅亡に至る。蒼頡始めて書を作て以て百官を辯治し萬事を領理し、愚者以て忘れず、智者以て遠を志す。其の衰うるに及てば奸僞之書を爲て以て罪を解き辜を殺す。湯始めて囿を作て以て宗廟鮮牲之具を奉け、士卒を簡練し射御を習いて以て不虞を戒備す。其の衰うるに及てば馳騁獵射して民時を奪い民力を罷す。堯禹・契・后稷・皋陶を擧げて政教平かに奸宄止息し獄訟停止して衣食足れり。賢者勸善して不肖之民其の德を懷す。其の末に及てば朋黨比周して各々其の黨を擧げ、公を廢て私に趨り、内外相擧げて奸人朝に在り賢者隱處す。

故《易》之失也,卦;《書》之失也,敷;樂之失也,淫;《詩》之失也,闢;禮之失也,責;《春秋》之失也,刺。天地之道,極則反,盈則損。五色雖朗,有時而渝;茂木豐草,有時而落;物有隆殺,不得自若。故聖人事窮而更為,法弊而改制,非樂變古易常也,將以救敗扶衰,黜淫濟非,以調天地之氣,順萬物之宜也。聖人天覆地載,日月照,陰陽調,四時化,萬物不同,無故無新,無疏無親,故能法天。天不一時,地不一利,人不一事,是以緒業不得不多端,趨行不得不殊方。五行異氣而皆適調,六藝異科而皆同道。溫惠柔良者,《詩》之風也;淳龐敦厚者,《書》之教也;清明條達者,《易》之義也;恭儉尊讓者,禮之為也;寬裕簡易者,樂之化也;刺幾辯義者,《春秋》之靡也。故《易》之失,鬼;樂之失,淫;《詩》之失,愚;《書》之失,拘;禮之失,忮;《春秋》之失,訾。六者,聖人兼用而財制之。失本則亂,得本則治。其美在和,其失在權。

故に易之失は卦、書之失は敷、樂之失は淫、詩之失は僻、禮之失は責、春秋之失は刺に在り。天地之道は極れば則ち反り、盈てば則ち損す。五色明朗なりと雖も時に變ずる有り。茂木豐草も時に落つる有り。物隆殺有りて自ら故を仍えず。故に聖人事窮まれば則ち更爲し、法弊れば則ち改制す。古を變じ常を改めを樂むに非ず。將に敗を救い衰を扶け、淫を黜て非を濟て、以て天地之氣を調和し、萬物之宜に順わんとす。聖人は天のごとく覆い地のごとく載せ、日月のごとく照り、陰陽のごとく調い、四時のごとく化して、萬物に同じからず。故無く新無く、疏無く親無し。故に能く天に法る。天は一時に非ず、地は一利に非ず、人は一事に非ず。此れを以て緒業多端ならざるを得ず、趨向殊方ならざるを得ず。五行之氣同じからざれども皆適調す。六藝之科同じからざれども皆道に同ず。温惠柔良は詩之風、淳龐敦厚は書之敎、清明條達は易之義、恭儉尊讓は禮之爲、寬裕簡易は樂之化、刺幾辯義は春秋之靡なり。故に易之失は鬼、樂之失は淫、詩之失は愚、書之失は拘、禮之失は忮、春秋之失は訾に在り。六者は聖人兼用て裁制す。本を失えば則ち亂り、本を得れば則ち治まる。其の美は和に在り、其の失は權に在り。

水火金木土穀,異物而皆任;規矩權衡準繩,異形而皆施;丹青膠漆,不同而皆用,各有所適,物各有宜。輪圓輿方,轅從衡橫,勢施便也;驂欲馳,服欲步,帶不厭新,鉤不厭故,處地宜也。《關睢》興於鳥,而君子美之,為其雌雄之不乖居也;《鹿鳴》興於獸,君子大之,取其見食而相呼也;泓之戰,軍敗君獲,而《春秋》大之,取其不鼓不成列也;宋伯姬坐燒而死,《春秋》大之,取其不逾禮而行也。成功立事,豈足多哉!方指所言而取一概焉爾。王喬、赤松,去塵埃之間,離群慝之紛,吸陰陽之和,食天地之精,呼而出故,吸而入新,虛輕舉,乘雲遊霧,可謂養性矣,而未可謂孝子也。周公誅管叔、蔡叔,以平國弭亂,可謂忠臣也,而未可謂弟也。湯放桀,武王伐紂,以為天下去殘除賊,可謂惠君,而未可謂忠臣矣。樂羊攻中山未能下,中山烹其子,而食之以示威,可謂良將,而未可謂慈父也。

水火金木土穀は物同じからざれども皆任さる。規矩權衡準繩は形同じからざれども皆施さる。丹青膠漆は同じからざれども皆用いらる。各々適する所有り、物各々宜しき有り。輪圓輿方に轅從衡橫するは勢之設便なり。驂は馳せんと欲し服は步せんと欲するは、帶其の新を厭わず鈎其の舊を厭わず、處地之宜なり。關雎鳥より興る。君子美と爲すは、其の雌雄乖離して居せずと爲るなり。鹿鳴獸より興る。君子之を取るは、其の食を見て相呼ぶを取るなり。泓水之戰、軍敗れ君獲らる。春秋之を貴ぶは、其の列を成さざるを鼓せざるを取るなり。宋伯姬坐て燒而死す。春秋之を貴ぶは、其の禮を逾えて行かざるを取るなり。功を成し事を立つるは何ぞ多道に足らん。唯だ其の指す所に就て其の梗概を取るのみ。王喬・赤松は塵埃之間を去り群慝之紛を離れ、陰陽之和を吸い天地之精を食い、故を呼出し新を吸入れ、空虚輕擧して雲に乘り霧に游ぶ。以て性を養うと謂うべきも以て孝子と謂うべからず。周公管叔・蔡叔を誅して以て國を定め亂を止む。以て忠臣と謂うべきも以て弟弟と謂うべからず。湯桀を放ち武王紂を伐て以て天下の殘賊を去る。以て惠君と謂うべきも以て忠臣と謂うべからず。樂羊中山を攻めて下る能わず、中山其の子を烹て之を食いて以て示威す。以て良將と謂うべきも以て慈父と謂うべからず。

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