成唯識論巻第八
有義:初一攝自性身。
一義有り:初の一は自性身を摂す。
說自性身本性常故;說佛法身無生滅故;說證因得非生因故;又說法身諸佛共有,遍一切法,猶若虛空,無相無為,非色心故。
自性身は本性常と説くのゆえん。仏の法身は生滅無しと説くのゆえん。証因の得は生因に非ずと説くのゆえん。また法身は諸仏の共有にして、一切法に遍して、猶ほ虚空の如く、相無く為無くして、色心に非ずと説くのゆえん。
然說轉去藏識得者,謂由轉滅第八識中二障麁重,顯法身故。智殊勝中說法身者,是彼依止彼實性故。
しかし蔵識を転去して得と説くは、いわゆる第八識の中の二障麁重を転滅するに由って法身を顯すのゆえん。智殊勝の中に法身を説くは、それらの依止する所のそれらの実性なるのゆえん。
自性法身,雖有真實無邊功德,而無為故,不可說為色、心等物。
自性法身は真実の無辺功徳有ると雖も、しかし無為なるのゆえんに、色・心等の物と説くべからず。
四智品中真實功德,鏡智所起,常、遍色身,攝自受用;平等智品,所現佛身,攝他受用;成事智品,所現隨類種種身相,攝變化身。
四智品の中の真実功徳の鏡智の起こす所の常・遍の色身は自受用を摂す。平等智品の現ずる所の仏身は他受用を摂す。成事智品の現ずる所の類に随う種種の身相は變化身を摂す。
說圓鏡智是受用,佛轉諸轉識得受用故。
圓鏡智を説いて受用と為すは、仏は諸転識を転じて受用を得るのゆえん。
雖轉藏識亦得受用,然說轉彼顯法身故。於得受用,略不說之。又說法身無生無滅,唯證因得,非色、心等,圓鏡智品,與此相違。若非受用,屬何身攝。
蔵識を転ずるもまた受用を得ると雖も、しかしそれらを転じて法身を顯すと説くのゆえん。受用を得るに於ては略してそれを説かず。また法身は生無く滅無くして、ただ証因の得にして色・心等に非ずと説く。圓鏡智品はこれと相違す。もし受用に非ざれば何の身の摂する所に属せん。
又受用身,攝佛不共有為實德。故四智品,實有色、心,皆受用攝。
また受用身は仏の不共の有為の実徳を摂す。ゆえに四智品は実に色・心有りて倶に受用の摂する所なり。
又他受用及變化身,皆為化他方便示現,故不可說實智為體。
また他受用および變化身は倶に他を化する為に方便に示現す。ゆえに実智を以って体と為すと説くべからず。
雖說化身智殊勝攝,而似智現或智所起,假說智名,體實非智。但說平等、成所作智,能現受用、三業化身,不說二身即是二智,故此二智自受用攝。
化身は智殊勝の摂する所と説くと雖も、しかし智に似て現ずるかあるいは智の起こす所にして、假に智の名を説く。体は実に智に非ず。ただ平等・成所作智は能く受用・三業の化身を現ずと説くのみ。二身はすなわち二智と説かず。ゆえにこの二智は自受用の摂する所なり。
然變化身及他受用,雖無真實心及心所,而有化現心、心所法。無上覺者,神力難思,故能化現無形質法。
しかし變化身および他受用は真実の心および心所無きと雖も、しかし化現の心・心所法有り。無上の覚者は神力思議し難し。ゆえに能く形質無き法を化現す。
若不爾者,云何如來現貪、瞋等?久已斷故。云何聲聞及傍生等,知如來心?如來實心,等覺菩薩尚不知故。
もしこの如くに非ざれば、どうして如来は貪・瞋等を現ずるや。久しく已に断ぜたるのゆえん。どうして声聞および傍生等は如来の心を知るや。如来の実心は等覚の菩薩も尚ほ知らざるのゆえん。
由此經說,化無量類皆令有心;又說如來成所作智化作三業;又說變化有依他心,依他實心,相分現故。
これに由って経に説く、無量の類を化して倶に心有らしむ。また如来の成所作智は化して三業を作すと説く。また變化は他の心に依る有りて、他の実心に依りて相分現ずるのゆえんと説く。
雖說變化無根心等,而依餘說,不依如來。又化色根心、心所法,無根等用,故不說有。
變化は根の心等無しと説くと雖も、しかし其余に依って説きて如来に依らず。また色根の心・心所法を化するは根等の用無し。ゆえに有りと説かず。
如是三身,雖皆具足無邊功德,而各有異。謂自性身,唯有真實常、樂、我、淨,離諸雜染,眾善所依,無為功德,無色、心等差別相用。自受用身,具無量種妙色、心等真實功德;若他受用及變化身,唯具無邊似色、心等,利樂他用化相功德。
かくのごとき三身は倶に無辺の功徳を具足すと雖も、しかし各々異有り。いわゆる自性身はただ真実の常・樂・我・浄のみ有りて、諸々の雑染を離れて、衆善の依る所にして、無為の功徳にして、色・心等の差別相用無し。自受用身は無量種の妙なる色・心等の真実功徳を具す。もし他受用および變化身はただ無辺の色・心等に似たるを具えて、他を利樂する用の化相功徳なり。
又自性身,正自利攝,寂靜安樂無動作故;亦兼利他,為增上緣,令諸有情得利樂故;又與受用及變化身為所依止,故俱利攝。自受用身唯屬自利。若他受用及變化身,唯屬利他,為他現故。
また自性身は正しく自利の摂する所にして、寂静安樂にして動作無きのゆえん。もまた兼ねて他を利す。増上縁と為りて諸有情をして利樂を得せしむるのゆえん。また受用および變化身と依止する所と為る。ゆえに倶利の摂する所なり。自受用身はただ自利に属す。もし他受用および變化身はただ利他に属す。他の為に現ずるのゆえん。
又自性身,依法性土。雖此身、土體無差別,而屬佛、法,相、性異故。此佛身、土俱非色攝。雖不可說形量小、大;然隨事相其量無邊,譬如虛空,遍一切處。
また自性身は法性土に依る。この身・土は体は差別無きと雖も、しかし仏・法に属して相・性異なるのゆえん。この仏身・土は倶に色の摂する所に非ず。形量の小・大を説くべからざると雖も、しかし事相に随ってその量は無辺にして、譬えば虚空の一切處に遍するが如し。
自受用身,還依自土:謂圓鏡智相應淨識,由昔所修自利無漏純淨佛土因緣成熟,從初成佛,盡未來際,相續變為純淨佛土,周圓無際,眾寶莊嚴,自受用身常依而住。如淨土量,身量亦爾,諸根相好,一一無邊,無限善根所引生故。功德智慧既非色法,雖不可說形量大小,而依所證及所依身,亦可說言遍一切處。他受用身,亦依自土:謂平等智大慈悲力,由昔所修利他無漏純淨佛土,因緣成熟,隨住十地菩薩所宜變為淨土,或小或大,或劣或勝,前後改轉,他受用身依之而住。能依身量,亦無定限。若變化身,依變化土。謂成事智大慈悲力,由昔所修利他無漏淨穢佛土,因緣成熟,隨未登地有情所宜化為佛土,或淨或穢,或小或大,前後改轉,佛變化身依之而住。能依身量,亦無定限。
自受用身は還って自土に依る。いわゆる圓鏡智相応の浄識は、昔の修する所の自利の無漏の純浄仏土の因縁成熟するに由って、初めて仏を成ずるより、未来際を尽くして、相続して変じて純浄の仏土と為りて、周圓して際無く、衆寶荘厳して、自受用身は常に依りて住す。浄土の量の如く、身量もまたこの如し。諸根相好は一一無辺にして、無限の善根の引生する所なるのゆえん。功徳智慧はすでに色法に非ざれば、形量の大小を説くべからざると雖も、しかし証する所および依る所の身に依って、もまた一切處に遍すと説くべし。他受用身もまた自土に依る。いわゆる平等智の大慈悲力は、昔の修する所の利他の無漏の純浄仏土の因縁成熟するに由って、十地に住する菩薩の宜しき所に随って浄土と変じて、あるいは小あるいは大、あるいは劣あるいは勝にして、前後改転して、他受用身はこれに依りて住す。能依の身量もまた定限無し。もし變化身は變化土に依る。いわゆる成事智の大慈悲力は、昔の修する所の利他の無漏の浄穢の仏土の因縁成熟するに由って、未だ地に登らざる有情の宜しき所に随って仏土と化して、あるいは浄あるいは穢、あるいは小あるいは大にして、前後改転して、仏の變化身はこれに依りて住す。能依の身量もまた定限無し。
自性身土,一切如來同所證故,體無差別;自受用身及所依土,雖一切佛各變不同,而皆無邊不相障礙。餘二身土,隨諸如來所化有情,有共、不共。所化共者,同處同時,諸佛各變為身、為土,形狀相似,不相障礙,展轉相雜為增上緣,令所化生,自識變現。謂於一土有一佛身,為現神通說法饒益。於不共者,唯一佛變。諸有情類無始時來,種性法爾更相繫屬,或多屬一,或一屬多,故所化生有共、不共。不爾,多佛久住世間,各事劬勞,實為無益,一佛能益一切生故。
自性身土は一切如来の同じく証する所なるのゆえんに体は差別無し。自受用身および依る所の土は一切仏は各々変じて同じからざると雖も、しかし倶に無辺にして相障碍せず。其余の二身土は諸如来の化する所の有情に随って、共・不共有り。化する所の共なるは、同じ處・同じ時に、諸仏は各々変じて身と為り土と為して、形状相似にして相障碍せず、展転して相雑じて増上縁と為りて、化する所の生をして自識の變現せしむ。いわゆる一土に於て一仏身有りて、神通を現じ法を説いて饒益せんが為。不共なるに於てはただ一仏変ずるのみ。諸有情類は無始の時より来り、種性法爾に更に相繫属して、あるいは多く一に属し、あるいは一は多に属す。ゆえに化する所の生は共・不共有り。この如くに非ずんば、多仏は久しく世間に住して各々劬勞を事として、実は益無し。一仏は能く一切の生を益するのゆえん。
此諸身、土若淨、若穢,無漏識上所變現者,同能變識,俱善無漏,純善無漏因緣所生。是道諦攝,非苦、集故。蘊等識相不必皆同,三法因緣雜引生故。
これらの身・土のもし浄もし穢なる、無漏識の上の變現する所は、能変の識と同じく倶に善無漏にして、純善無漏の因縁の生ずる所なり。是れ道諦の摂する所にして苦・集に非ざるのゆえん。蘊等の識相は必ずしも倶に同じからず。三法の因縁は雑りて引生するのゆえん。
有漏識上所變現者,同能變識,皆是有漏。純從有漏因緣所生,是苦、集攝,非滅、道故。善等識相,不必皆同,三性因緣雜引生故。蘊等同異,類此應知,不爾,應無五、十二等。
有漏識の上の變現する所は、能変の識と同じく倶に有漏なり。純に有漏の因縁に従って生ず。是れ苦・集の摂する所にして滅・道に非ざるのゆえん。善等の識相は必ずしも倶に同じからず。三性の因縁は雑りて引生するのゆえん。蘊等の同異はこれに類してまさに知るべし。この如くに非ずんばまさに五・十二等無かるべし。
然相分等依識變現;非如識性依他中實。不爾,唯識理應不成許識內境俱實有故。
しかし相分等は識に依って變現す。識性の依他の中に実なるが如ならず。この如くに非ずんば唯識の理はまさに成らざるべし。識内の境は倶に実有と許するのゆえん。
或識相、見等從緣生,俱依他起,虛實如識,唯言遣外,不遮內境。不爾,真如亦應非實。內境與識,既並非虛,如何但言唯識非境?識唯內有,境亦通外,恐濫外故,但言唯識。或諸愚夫,迷執於境,起煩惱業,生死沈淪,不解觀心,勤求出離,哀愍彼故,說唯識言,令自觀心,解脫生死,非謂內境如外都無。
あるいは識の相・見等は縁に従って生じて、倶に依他起なり。虚実は識の如く、唯の言は外を遣りて、内境を遮らず。この如くに非ずんば真如もまたまさに実に非ざるべし。内境と識とはすでに倶に虚に非ざれば、どうしてただ唯識は境に非ずと説かん。識はただ内に有りて、境もまた外に通ず。外に濫るを恐るるのゆえんに、ただ唯識と説く。あるいは諸愚夫は境に於て迷執して、煩悩の業を起こして生死に沈淪して、心を観ずるを解せずして、勤めて出離を求めず。それらを哀愍するのゆえんに、唯識の言を説いて、自ら心を観じて生死を解脱せしむ。内境は外の如く倶に無しと説くに非ず。
或相分等,皆識為性,由燻習力,似多分生。真如亦是識之實性。故除識性,無別有法。此中識言,亦說心所,心與心所,定相應故。
あるいは相分等は倶に識を以って性と為す。薫習力に由って多くの分に似て生ず。真如もまた是れ識の実性なり。ゆえに識性を除きて別に法有ること無し。ここに識の言はもまた心所を説く。心と心所とは定めて相応するのゆえん。
此論三分成立唯識,是故說為《成唯識論》。
此の論は三分にて唯識を成立す。ゆえに説いて《成唯識論》と為す。
亦說此論名淨唯識,顯唯識理極明淨故。
もまた此の論を説いて名づけて浄唯識という。唯識の理は極めて明浄なるを顯すのゆえん。
此本論名唯識三十,由三十頌,顯唯識理,乃得圓滿,非增減故。
この本論を名づけて唯識三十という。三十頌に由って唯識の理を顯して乃ち圓滿を得。増減に非ざるのゆえん。
已依聖教及正理,分別唯識性相義,
すでに聖教および正理に依拠して、唯識の性相の義を分別し、
所獲功德施群生,願共速登無上覺。
獲る所の功徳は群生に施し給う。願くは共に速やかに無上の覚に登らん。
成唯識論巻第十
成唯識論後序
成唯識論後序
吳興沈玄明撰
吳興の沈玄明撰す。
原夫覺海澂玄,涵萬流而濬宗極;神幾闡妙,被眾象而凝至真。朗慧日而鏡六幽,洩慈雲而清八㝢,演一音而懸解,逸三乘以遐騖。體陳如之半器,津有有於鹿園;照善現之滿機,繹空空於鷲嶺。雖絕塵於常斷,詎遺筌於有空?顯無上之靈宗,凝中道於茲教。逮金河滅景,派淳源而不追;玉牒霏華,緒澆風而競扇。於是二十八見迷桑鴈於五天,一十六師亂雲牛於四主。半千將聖,茲惟世親寔賢劫之應真,晦生知以提化,飛光毓彩誕暎資靈。曜常明於八蘊、藻初情於六足,秀談芝於俱舍、摽說有之餘宗,攝玄波於大乘,賁研空之至理,化方昇而照極,湛沖一於斯頌。唯識三十偈者,世親歸根之遺製也。理韜淵海,泛浮境於榮河;義欝煙飈,麗虹章於玄圃。言含萬象、字苞千訓,妙旨天逸、邃彩星華,幽緒未宣冥神絕境,孤明斂暎秘思潛津。後有護法、安慧等十大菩薩,韞玄珠於八藏、聳層搆於四圍,宅照二因、捿清三觀,升暉十地,澄智水以潤賢林;隣幾七覺,皎行月而開重夜。優柔芳烈、景躅前修,箭湧泉言、風飛寶思,鹹觀本頌各裁斯釋,名曰「成唯識論」,或名「淨唯識論」。空心外之二取,息滯有之迷塗;有識內之一心,遣歸空之妄執。晦斯心境,苦海所以長淪;悟彼有空,覺岸於焉高蹈。九十外道,亂風轍而靡星旗;十八小乘,軔羬軒而扶龍轂。窮神體妙、詣賾探機,精貫十支、洞該九分,顧十翼而搏仙羽、頫九流以濬瓊波,盡邃理之希微、闡法王之奧典,稱謂雙絕、筌象兼忘,曜靈景於西申、閟虹光於震旦,濟物弘道、眇歸宗德。
もとより覚悟の海は澄澈して玄深にして、万流を涵容して宗極を疏通し、神機は妙義を開顯して、衆象を覆いて至真を凝成す。慧日を朗照して六幽を鑑照し、慈雲を泄放して八㝢(すなわち八宇、天下を指す)を澄清し、一音を演じて人をして頓解せしめ、三乘を放逸して遠く馳す。憍陳如の半器の根機を體察して、鹿野苑に於て「有有」を済渡し、善現(須菩提)の満機を照見して、霊鷲山に於て「空空」を演繹す。すでに常・断の両辺の塵垢を超絶すと雖も、あに有・空の筌蹄を抛弃せんや。無上の霊宗を顯して、中道をこの教に凝す。金河の影を滅する(仏涅槃に入る)に及んで、淳源は派を分かちて追い回る人無く、玉牒は花を飛ばして、澆薄の風は競い扇ぐ。ここに於て二十八種の見は五天竺に於て桑雁を迷乱せしめ、一十六師は四主に於て雲牛を攪乱す。五百年将に出でんとする聖人はすなわちこの世親なり。実に是れ賢劫の応真にして、生知を隱晦して提携教化し、光を飛ばし彩を毓して、誕生して資靈を映照す。八蘊の上に輝曜常明にして、六足の上に初情を藻飾し、倶舎の裏に芝を談じて秀出して、有を説く余宗を標挙して、玄波を大乗に收攝して、空を研ずる至理を賁飾す。教化方に升りて極りに照るを、冲一湛然としてこの頌に寄す。《唯識三十頌》は是れ世親の帰根の遺制なり。理は淵海の如く韜藏して、浮境を榮河に泛べ、義は烟飆の如く鬱して、虹章を玄圃に麗す。言は万象を含み、字は千訓を包み、妙旨は天に逸して、邃彩は星に華し、幽緒は未だ宣べず、冥神は境を絶ち、孤明は収敛して映照し、祕思は津渡に潜蔵す。後に護法・安慧等の十大菩薩有りて、玄珠を八藏に蘊え、層構を四圍に聳え、二因の照に宅を安んじ、三観の清に栖止して、十地に暉を升り、智水を澄めて賢林を潤し、七覚の幾に近づきて、行月を皎潔して重夜を開く。優柔芳烈にして前修を景行して、言は箭の湧泉の如く、思は風の飛寶の如くして、倶に本頌を観て各々裁してこの釋を成し、名づけて「成唯識論」といい、あるいは名づけて「浄唯識論」という。心外の二取を空じて、有に滞る迷途を止息し、識内の一心を承認して、空に帰する妄執を遣除す。この心境を晦昧すれば、苦海は長淪するゆえん。かの有空を悟れば、覚岸はここに高蹈す。九十の外道は風轍を乱りて星旗を靡かし、十八の小乗は羬軒を轫して龍轂を扶く。神を窮め妙を體して、賾に詣り機を探り、精は十支を貫き、洞は九分を該し、十翼を顧みて仙羽を搏み、九流を俯して瓊波を疏浚す。邃理の希微を尽くし、法王の奥典を闡きて、称謂双絶にして筌象兼ね忘れ、西申に霊景を曜し、震旦に虹光を閟し、物を済い道を弘めて、眇然として宗徳に帰す。
粵若大和上三藏法師玄奘,體睿舍真、履仁翔慧,九門禪宴證靜於融山、八萬玄津騰流於委海,疊金牆而月曜、峻玉宇而霞騫,軼芳粹於澄蘭、孕風華於龍翼。悼微言之匿彩、嗟大義之淪暉,用啟誓言、肆茲遙踐,泳祥河之輟水、攀寶樹之低枝、循鏤槓以神遊、𨈆霙峰而安步,昇紫階而證道、瞰玄影以嚴因。採奧觀奇,徙蒼龍於二紀;緘檀篆貝,旋白馬於三秦。我
大和上三藏法師玄奘に至るや、睿を體して真を舎て、仁を履んで慧飛んで、九門の禅定は融山に静を証し、八万の玄津は委海に騰流し、金牆を曡ねて月照らし、玉宇を峻として霞舉し、芳粹は澄蘭を超越して、風華は龍翼を孕育す。微言の彩を隱すを痛悼し、大義の暉を淪するを感嘆して、ここに誓言を發して、遠く行きて踐履し、祥河の已に停まる水を泳ぎ、寶樹の低垂の枝を攀ぢ、鏤杠に循って神遊し、𨈆霙峰に安歩して、紫階に升って道を証し、玄影を瞰いて以って因を嚴す。奥を採り奇を観して、蒼龍を二紀に遷し、檀を緘して篆貝し、白馬を三秦に旋す。我が
大唐慶表金輪、禎資樞電,奄大千而光宅、御六辯以天飛,神化潛通、九仙賮寶,玄猷旁闡、百靈聳職,凝旒邃拱,杳通夢於宵暉;掞組摛華,煥騰文以幽贊。爰降綸旨,溥令翻譯,勅尚書左僕射燕國公於志寧、中書令高陽公許敬宗等潤色,沙門釋神泰等證義,沙門釋靖邁等質文。肇自貞觀十九年,終於顯慶之末,部將六十,卷出一千。韜軼蓬萊、池湟環㴾,載隆法寶、大啟群迷,頌德序經並紆宸藻,玄風之盛未之前聞。粵以顯慶四年龍捿葉洽,玄英應序,厥閏惟陽,糅茲十釋四千五百頌,彙聚群分各遵其本,合為一部勒成十卷。月窮於紀,銓綜雲畢,精括詁訓、研詳夷夏,調驚韶律、藻掞天𨓍,白鳳甄奇、紫微呈瑞,遂使文同義異若一師之製焉,斯則古聖今賢其揆一也。
(沈玄明続けて曰く:)大唐は慶して金輪を表し、禎して樞電を資して、大千を奄有して光宅し、六辯を御して天飛し、神化は潜かに通じて九仙は寶を賮り、玄猷は旁ら闡きて百靈は職を聳え、凝旒邃拱して、宵暉に夢を杳通す。組を掞いて華を摛いて、文を焕騰して以って幽贊す。ここに綸旨を降して、普く翻訳せしめて、尚書左僕射燕國公于志寧・中書令高陽公許敬宗等に潤色を敕し、沙門釋神泰等に義を証せしめ、沙門釋靖邁等に文を質せしむ。貞観十九年より起こりて顯慶の末年に至るまで、部は将に六十、卷は一千を出だす。蓬萊を韜軼して、環㴾を池湟して、法寶を隆く載せて、群迷を大いに啓きて、徳を頌し経を序するは倶に宸藻を紆回す。玄風の盛んなるは前未だ聞かず。顯慶四年に至りて、歳は叶洽に在り、玄英は序に応じて、その閏は惟陽なり。この十釋の四千五百頌を糅めて、群分を匯聚して各々その本を遵りて、合して一部と為して勒して十巻と成す。月は紀に窮まりて、銓綜は畢りて、詁訓を精括し、夷夏を研詳して、韶律に驚きて藻掞して天𨓍に調え、白鳳は奇を甄して紫微は瑞を呈す。ここに文同じく義異なるをして一師の制する所の若くせしむ。これすなわち古聖今賢、その揆は一なり。
三藏弟子基,鼎族高門、玉田華胄,壯年味道、綺日參玄,業峻林遠、識清雲鏡,閑儀玉瑩,陵道邃而澄明;逸韻蘭芳,掩法汰而飛辯。緒僊音於八梵,舞霄鶴以翔禎;摛麗範於九章,影桐鸞而絢藻。昇光譯侶,俯潛叡而融暉;登彩義徒,顧猷暢而高視。秀初昕之琁景,晉燭玄儒;矯彌天之絕翰,騰邁真俗。親承四辯、言獎三明,䟽發戶牖、液導津涉,繢功資素、通理寄神,綜其綱領、甄其品第,兼撰義䟽傳之後學。庶教蟠黃陸,跨合璧於龜疇;祥浮紫宮,掩連珠於麟籀。式罄庸謏,敘其宗致雲。
三藏の弟子基(窺基)は、鼎族高門にして玉田の華胄、壮年にして道を味い、綺日に玄に參して、業は峻く林遠にして、識は清く雲鏡、閑儀は玉の瑩とし、道を陵して邃く澄明なり。逸韻は蘭の芳にして、法汰を掩いて辯を飛ばす。仙音を八梵に緒して、霄鶴を舞して以って禎に翔り、麗範を九章に摛いて、桐鸞を影して絢藻す。光を升るる訳侶は、潜叡を俯して暉を融し、彩を登るる義徒は、猷暢を顧みて高視す。初昕の璇景を秀でて、玄儒を晉燭し、弥天の絕翰を矯めて、真俗を騰邁す。親しく四辯を承けて、言は三明を獎し、戸牖を疏發して、津渉を液導し、功を繪して素を資し、理を通じて神に寄して、その綱領を綜え、その品第を甄し、兼ねて義疏を撰して後学に傳う。庶くは教は黄陸に蟠して、合璧を龜疇に跨ぎ、祥は紫宮に浮かびて、連珠を麟籀に掩わん。聊か浅陋を尽くして、その宗旨を叙述することこの如し。
