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成唯識論巻第八

唐 · 护法等造,玄奘译 · 第38巻 / 39

此轉有漏八、七、六、五識相應品,如次而得。智雖非識,而依識轉,識為主故,說轉識得。又有漏位智劣識強,無漏位中,智強識劣。為勸有情依智捨識,故說轉八識而得此四智。

これは有漏の八・七・六・五の識の相応品を転じて、この次第に按して得る。智は識に非ざると雖も、しかし識に依って転ず。識は主と為るのゆえんに、識を転じて得と説く。また有漏位は智劣りて識強し。無漏位の中は智強くして識劣る。有情を勧めて智に依りて識を捨てしめんが為に、ゆえに八識を転じてこの四智を得と説く。

大圓鏡智相應心品,有義:菩薩金剛喻定現在前時,即初現起,異熟識種與極微細所知障種,俱時捨故;若圓鏡智爾時未起,便無能持淨種識故。

大圓鏡智相応心品は、一義有り:菩薩の金剛喩定の前に現ずる時に、すなわち初めて現起す。異熟識種と極微細の所知障種とは倶の時に捨てるのゆえん。もし圓鏡智はかの時未だ起こらざれば、便ち能く浄種識を持する無きのゆえん。

有義:此品解脫道時,初成佛故,乃得初起;異熟識種,金剛喻定現在前時,猶未頓捨,與無間道不相違故。

一義有り:此の品は解脱道の時に初めて仏を成ずるのゆえんに、乃ち初めて起こるを得。異熟識種は金剛喩定の前に現ずる時に猶ほ未だ頓捨せず。無間道と相違せざるのゆえん。

非障有漏、劣無漏法,但與佛果定相違故;金剛喻定無所燻識,無漏不增,應成佛故。由斯此品,從初成佛,盡未來際,相續不斷,持無漏種令不失故。

有漏・劣無漏の法を障らざるに非ず。ただ仏果と定めて相違するのゆえん。金剛喩定は薫ずる所の識無くして、無漏は増せず。まさに仏を成ずべきのゆえん。これに由って此の品は初めて仏を成ずるより、未来際を尽くして、相続断えず。無漏種を持して失わざらしむるのゆえん。

平等性智相應心品,菩薩見道初現前位,違二執故,方得初起。後十地中,執未斷故,有漏等位,或有間斷;法雲地後,與淨第八,相依相續,盡未來際。

平等性智相応心品は、菩薩の見道の初の現前位に、二執に違するのゆえんに、乃ち初めて起こるを得。後の十地の中は執未だ断ぜざるのゆえんに、有漏等の位はあるいは間断有り。法雲地の後は、浄の第八と相依りて相続して、未来際を尽くす。

妙觀察智相應心品,生空觀品,二乘見位,亦得初起。此後展轉至無學位,或至菩薩解行地終,或至上位,若非有漏,或無心時,皆容現起。

妙観察智相応心品は、生空観品は二乗の見位にても、もまた初めて起こるを得。此の後展転して無学位に至るまで、あるいは菩薩の解行地の終りに至るまで、あるいは上位に至るまで、もし有漏に非ざれば、あるいは無心の時は、倶に現起を容す。

法空觀品,菩薩見位,方得初起,此後展轉乃至上位,若非有漏,生空智果,或無心時,皆容現起。

法空観品は菩薩の見位に乃ち初めて起こるを得。此の後展転して乃至上位に至るまで、もし有漏に非ざれば、生空智の果は、あるいは無心の時は、倶に現起を容す。

成所作智相應心品,有義:菩薩修道位中,後得引故,亦得初起。

成所作智相応心品は、一義有り:菩薩の修道位の中に後得の引く所のゆえんに、もまた初めて起こるを得。

有義:成佛方得初起。以十地中,依異熟識所變眼等非無漏故,有漏不共,必俱同境,根發無漏識,理不相應故。此二於境,明昧異故。由斯此品,要得成佛,依無漏根,方容現起,而數間斷,作意起故。

一義有り:仏を成じて乃ち初めて起こるを得。十地の中は異熟識の変ずる所の眼等に依れば無漏に非ざるに因るのゆえん。有漏は不共にして必ず倶に同じ境にして、根は無漏識を發すれば理相応せざるのゆえん。この二は境に於て明・昧異なるのゆえん。これに由って此の品は要して仏を成ずるを得て、無漏根に依って乃ち現起を容す。しかし数々間断す。作意して起こるのゆえん。

此四種性雖皆本有,而要燻發方得現行,因位漸增,佛果圓滿,不增不減,盡未來際,但從種生;不燻成種,勿前佛德勝後佛故。

この四種性は倶に本有なると雖も、しかし薫發するを要して乃ち現行を得。因位は漸々増して、仏果は圓滿して、増せず減らずして、未来際を尽くして、ただ種より生ずのみ。薫じて種を成さず。前仏の徳は後仏に勝れりとせざらしめんが為のゆえん。

大圓鏡智相應心品,有義:但緣真如為境,是無分別,非後得智,行相、所緣不可知故。

大圓鏡智相応心品は、一義有り:ただ真如を縁じて境と為す。是れ無分別にして後得智に非ず。行相・所縁は知るべからざるのゆえん。

有義:此品緣一切法,《莊嚴論》說:大圓鏡智,於一切境,不愚迷故。《佛地經》說:如來智鏡,諸處、境、識,眾像現故。又此決定緣無漏種,及身、土等諸影像故,行、緣微細,說不可知,如阿賴耶,亦緣俗故。

一義有り:此の品は一切法に縁ず。《荘厳論》に説く:大圓鏡智は一切境に於て愚迷せざるのゆえん。《仏地経》に説く:如来の智鏡は諸々の處・境・識の衆像を現ずるのゆえん。またこれは決定して無漏種に縁じ、および身・土等の諸影像に縁ずるのゆえん。行・縁は微細にして不可知と説く。阿頼耶の如く、もまた俗に縁ずるのゆえん。

緣真如故,是無分別;緣餘境故,後得智攝。其體是一,隨用分二。了俗由證真,故說為後得。餘一分二,准此應知。

真如に縁ずるのゆえんには是れ無分別。其余の境に縁ずるのゆえんには後得智の摂する所。その体は是れ一にして、用に随って二を分かつ。俗を了するは真を証するに由る。ゆえに後得と説く。其余の一の二を分かつはこれに准じてまさに知るべし。

平等性智相應心品,有義:但緣第八淨識,如染第七緣藏識故。有義:但緣真如為境,緣一切法平等性故。有義:遍緣真、俗為境,《佛地經》說:平等性智,證得十種平等性故。《莊嚴論》說:緣諸有情自他平等,隨他勝解,示現無邊佛影像故。由斯此品,通緣真、俗,二智所攝,於理無違。

平等性智相応心品は、一義有り:ただ第八の浄識に縁ず。染の第七の蔵識に縁ずるが如きのゆえん。一義有り:ただ真如を縁じて境と為す。一切法の平等性に縁ずるのゆえん。一義有り:遍く真・俗を縁じて境と為す。《仏地経》に説く:平等性智は十種の平等性を証得するのゆえん。《荘厳論》に説く:諸有情の自他平等に縁じて、他の勝解に随って無辺の仏影像を示現するのゆえん。これに由って此の品は真・俗に通縁して、二智の摂する所にして、理に違する無し。

妙觀察智相應心品,緣一切法自相、共相,皆無障礙,二智所攝。

妙観察智相応心品は、一切法の自相・共相に縁じて倶に障碍無くして、二智の摂する所なり。

成所作智相應心品,有義:但緣五種現境,《莊嚴論》說:如來五根,一一皆於五境轉故。有義:此品亦能遍緣三世諸法,不違正理,《佛地經》說:成所作智,起作三業諸變化事,決擇有情心行差別,領受去來現在等義。若不遍緣,無此能故。然此心品,隨意樂力,或緣一法、或二、或多。且說五根於五境轉,不言唯爾,故不相違。隨作意生,緣事相境,起化業故,後得智攝。

成所作智相応心品は、一義有り:ただ五種の現境に縁ず。《荘厳論》に説く:如来の五根は一一倶に五境に於て転ずるのゆえん。一義有り:此の品もまた能く遍く三世の諸法に縁ず。正理に違せず。《仏地経》に説く:成所作智は三業の諸變化事を起作して、有情の心行差別を決択して、去・来・現在等の義を領受す。もし遍く縁ぜざれば此の能無きのゆえん。しかし此の心品は意楽力に随って、あるいは一法に縁じ、あるいは二、あるいは多。且く五根は五境に於て転ずと説く。唯だ然りと言わず。ゆえに相違せず。作意に随って生じて、事相の境に縁じて、化業を起こすのゆえんに、後得智の摂する所なり。

此四心品,雖皆遍能緣一切法,而用有異:謂鏡智品,現自受用身、淨土相,持無漏種;平等智品,現他受用身、淨土相;成事智品,能現變化身及土相;觀察智品,觀察自、他功能過失,雨大法雨,破諸疑網,利樂有情。

この四心品は倶に能く遍く一切法に縁ずると雖も、しかし用は異有り。いわゆる鏡智品は自受用身・浄土の相を現じて、無漏種を持す。平等智品は他受用身・浄土の相を現ず。成事智品は能く變化身および土相を現ず。観察智品は自・他の功能過失を観察して、大法雨を雨らして、諸々の疑網を破りて、有情を利樂す。

如是等門,差別多種。

かくのごとき等の門は差別多種有り。

此四心品,名所生得。

この四心品を名づけて所生得という。

此所生得,總名菩提;及前涅槃,名所轉得。

この所生得は総じて名づけて菩提という。および前の涅槃を名づけて所転得という。

雖轉依義總有四種,而今但取二所轉得。頌說「證得轉依」言故。

転依の義は総じて四種有ると雖も、しかし今ただ二の所転得を取る。頌に「転依を証得す」と説く言のゆえん。

此修習位說能證得,非已證得,因位攝故。

この修習位は能く証得すと説く。已に証得せりに非ず。因位の摂する所なるのゆえん。

後究竟位,其相云何?

後の究竟位はその相いかん。

頌曰:

頌に説く:

30此即無漏界,不思議善常,

これすなわち無漏界なり。不思議・善・常なり。

安樂解脫身,大牟尼名法。

安樂解脱身なり。大牟尼は名づけて法という。

論曰:前修習位所得轉依,應知即是究竟位相。

論に説く:前の修習位の得る所の転依は、まさにすなわち究竟位の相と知るべし。

「此」謂此前二轉依果,即是究竟無漏界攝。

「此」とはいわゆる此の前の二転依果にて、すなわち究竟の無漏界の摂する所なり。

諸漏永盡,非漏隨增,性淨圓明,故名無漏。

諸漏は永く尽きて、漏の随増するに非ず。性は浄にして圓明なり。ゆえに名づけて無漏という。

「界」是藏義,此中含容無邊希有大功德故;或是因義,能生五乘世、出世間利樂事故。

「界」は是れ蔵の義にして、ここに無辺の希有の大功德を含容するのゆえん。あるいは是れ因の義にして、能く五乗の世・出世間の利樂事を生ずるのゆえん。

清淨法界,可唯無漏攝,四智心品,如何唯無漏?

清浄法界はただ無漏の摂する所のみとすべくして、四智心品はどうしてただ無漏のみ。

道諦攝故,唯無漏攝,謂佛功德及身、土等皆是無漏種性所生,有漏法種已永捨故。

道諦の摂する所なるのゆえんに、ただ無漏の摂する所のみ。いわゆる仏の功徳および身・土等は倶に無漏の種性の生ずる所にして、有漏の法種は已に永く捨てたるのゆえん。

雖有示現作生死身、業煩惱等,似苦、集諦,而實無漏,道諦所攝。

示現して生死身・業煩悩等を作す有りて苦・集諦に似たると雖も、しかし実に無漏にして道諦の摂する所なり。

《集論》等說:十五界等,唯是有漏,如來豈無五根、五識、五外界等?

《集論》等に説く:十五界等はただ有漏のみ。如来はあに五根・五識・五外界等無からんや。

有義:如來功德、身、土,甚深微妙,非有非無,離諸分別,絕諸戲論,非界、處等法門所攝,故與彼說理不相違。

一義有り:如来の功徳・身・土は甚深微妙にして、有に非ず無に非ず、諸々の分別を離れて、諸々の戯論を絶して、界・處等の法門の摂する所に非ず。ゆえにかの説と理は相違せず。

有義:如來五根、五境妙定生故,法界色攝,非佛五識,雖依此變,然麁、細異,非五境攝。如來五識,非五識界,經說佛心恆在定故,論說五識性散亂故。

一義有り:如来の五根・五境は妙定の生ずる所のゆえんに、法界色の摂する所なり。仏の五識に非ず。これに依って変ずると雖も、しかし麁・細異なりて、五境の摂する所に非ず。如来の五識は五識界に非ず。経に仏心は恒に定に在りと説くのゆえん。論に五識は性は散乱と説くのゆえん。

成所作智何識相應?

成所作智は何の識と相応する。

第六相應,起化用故。與觀察智性有何別?彼觀諸法自、共相等,此唯起化,故有差別。此二智品應不並生,一類二識不俱起故。許不並起,於理無違;同體用分,俱亦非失。

第六と相応す。化用を起こすのゆえん。観察智と性は何の分別有る。それらは諸法の自・共相等を観ず。これはただ化を起こすのみ。ゆえに差別有り。この二智品はまさに並びて生ぜざるべし。一類の二識は倶に起こらざるのゆえん。並びて起こらずと許せば理に違する無し。同体にして用を分かつて、倶なるももまた過失に非ず。

或與第七淨識相應,依眼等根,緣色等境,是平等智作用差別,謂淨第七起他受用身土相者,平等品攝,起變化者,成事品攝。

あるいは第七の浄識と相応して、眼等の根に依りて色等の境に縁ずるは、是れ平等智の作用差別にして、いわゆる浄の第七は他受用身土相を起こすは平等品の摂する所、變化を起こすは成事品の摂する所。

豈不此品,轉五識得?

あに此の品は五識を転じて得るに非ざらんや。

非轉彼得,體即是彼。如轉生死言得涅槃,不可涅槃同生死攝,是故於此,不應為難。

それらを転じて得るに非ず。体はすなわちそれらなり。生死を転じて涅槃を得と説くが如く、涅槃をして生死の摂する所と同じくすべからず。ゆえにここに於てまさに難を為すべからず。

有義:如來功德、身、土,如應攝在蘊、處、界中,彼三皆通有漏、無漏。

一義有り:如来の功徳・身・土は、応ずるが如く蘊・處・界の中に摂す。かの三は倶に有漏・無漏に通ず。

《集論》等說:十五界等唯有漏者,彼依二乘麁淺境說,非說一切。謂餘成就十八界中,唯有後三,通無漏攝,佛成就者,雖皆無漏,而非二乘所知境攝。

《集論》等の説く:十五界等はただ有漏のみとは、それらは二乗の麁浅の境に依って説く。一切を説くに非ず。いわゆる其余の成就する十八界の中に、ただ後の三のみ有漏に通じて無漏の摂する所なり。仏の成就するは倶に無漏なると雖も、しかし二乗の知る所の境の摂する所に非ず。

然餘處說,佛功德等非界等者,不同二乘劣智所知界等相故,理必應爾。

しかし其余の処の説く、仏の功徳等は界等に非ずとは、二乗の劣智の知る所の界等の相と同じからざるのゆえん。理必ずまさに然るべし。

所以者何?說有為法皆蘊攝故;說一切法界、處攝故;十九界等,聖所遮故;若絕戲論,便非界等。亦不應說,即無漏界、善、常、安樂、解脫身等。又處處說:轉無常蘊,獲得常蘊,界、處亦然;寧說如來非蘊、處、界?故言非者,是密意說。

なんの故か。有為法は倶に蘊の摂する所と説くのゆえん。一切法界・處の摂する所と説くのゆえん。十九界等は聖の遮る所のゆえん。もし戯論を絶せば便ち界等に非ず。もまた説くべからず。すなわち無漏界・善・常・安樂・解脱身等なり。また處處に説く:無常の蘊を転じて、常蘊を獲得す。界・處もまたこの如し。どうして如来は蘊・處・界に非ずと説かん。ゆえに「非」と説くは、是れ密意の説なり。

又說五識性散亂者,說餘成者,非佛所成。

また五識は性は散乱と説くは、其余の成ずる所を説く。仏の成ずる所に非ず。

故佛身中,十八界等,皆悉具足,而純無漏。

ゆえに仏身の中には十八界等は倶に悉く具足して、しかし純に無漏なり。

此轉依果,又不思議,超過尋思言議道故;微妙甚深自內證故;非諸世間喻所喻故。

この転依果はまた不思議なり。尋思言議の道を超過するのゆえん。微妙甚深にして自内証なるのゆえん。諸々の世間の喩の喩すること能くする所に非ざるのゆえん。

此又是善,白法性故;清淨法界,遠離生滅,極安隱故;四智心品,妙用無方,極巧便故;二種皆有順益相故;違不善故俱說為善。

これまた善なり。白法性なるのゆえん。清浄法界は生滅を遠離して極めて安隱なるのゆえん。四智心品は妙用方無くして極めて巧便なるのゆえん。二種は倶に順益の相有るのゆえん。不善に違するのゆえんに倶に説いて善と為す。

論說處等,八唯無記,如來豈無五根、三境?此中三釋,廣說如前。一切如來身、土等法皆滅道攝,故唯是善,聖說滅道唯善性故,說佛土等,非苦、集故;佛識所變有漏、不善、無記相等,皆從無漏善種所生,無漏善攝。

論に處等を説くに八はただ無記のみ。如来はあに五根・三境無からんや。ここに三の釋有り。広くは前の如く説く。一切の如来の身・土等の法は倶に滅道の摂する所なり。ゆえにただ是れ善のみ。聖は滅道はただ善性と説くのゆえん。仏土等を説いて苦・集に非ざるのゆえん。仏識の変ずる所の有漏・不善・無記の相等は倶に無漏善種の生ずる所にして、無漏善の摂する所なり。

此又是常,無盡期故。清淨法界,無生無滅,性無變易,故說為常;四智心品所依常故,無斷盡故,亦說為常。非自性常,從因生故,生者歸滅,一向記故。不見色心,非無常故。然四智品,由本願力,所化有情,無盡期故,窮未來際無斷、無盡。

これまた常なり。尽きる期無きのゆえん。清浄法界は生無く滅無く、性は變易無し。ゆえに説いて常と為す。四智心品は依る所は常なるのゆえん、断尽無きのゆえんに、もまた説いて常と為す。自性常に非ず。因に従って生ずるのゆえん。生ずるは滅に帰するを一向に記するのゆえん。色心を見ざれば無常に非ざるのゆえんに非ず。しかし四智品は本願力に由って、化する所の有情は尽きる期無きのゆえんに、未来際を窮めて断無く尽無し。

此又安樂,無逼惱故。清淨法界,眾相寂靜,故名安樂。四智心品永離惱害,故名安樂。此二自性,皆無逼惱,及能安樂一切有情,故二轉依,俱名安樂。

これまた安樂なり。逼惱無きのゆえん。清浄法界は衆相寂静なり。ゆえに名づけて安樂という。四智心品は永く惱害を離る。ゆえに名づけて安樂という。この二の自性は倶に逼惱無くして、および能く一切有情を安樂す。ゆえに二の転依は倶に名づけて安樂という。

二乘所得二轉依果,唯永遠離煩惱障縛,無殊勝法故,但名解脫身。

二乗の得る所の二転依果は、ただ永く煩悩障の縛を離るるのみ。殊勝の法無きのゆえんに、ただ名づけて解脱身という。

大覺世尊,成就無上寂默法,故名大牟尼。此牟尼尊所得二果,永離二障,亦名法身。無量無邊力無畏等,大功德法所莊嚴故。

大覚世尊は無上の寂默法を成就す。ゆえに名づけて大牟尼という。この牟尼尊の得る所の二果は永く二障を離れて、もまた名づけて法身という。無量無辺の力・無畏等の大功德法の荘厳する所なるのゆえん。

體、依、聚義,總說名身。故此法身,五法為性,非淨法界獨名法身,二轉依果,皆此攝故。

体・依・聚の義を総じて名づけて身という。ゆえにこの法身は五法を性と為す。浄法界のみ独り法身と名づくるに非ず。二転依果は倶に此の摂する所なるのゆえん。

如是法身,有三相別:一、自性身,謂諸如來真淨法界,受用、變化平等所依,離相寂然,絕諸戲論,具無邊際真常功德,是一切法平等實性,即此自性,亦名法身,大功德法所依止故。

かくのごとき法身は三相の分別有り。一、自性身とは、いわゆる諸如来の真浄の法界にて、受用・變化の平等の所依にして、相を離れて寂然として、諸々の戯論を絶して、無辺際の真常功徳を具え、是れ一切法の平等の實性なり。すなわちこの自性をもまた名づけて法身という。大功德法の依止する所なるのゆえん。

二、受用身,此有二種:一、自受用,謂諸如來三無數劫,修集無量福慧資糧,所起無邊真實功德,及極圓、淨、常、遍色身,相續湛然,盡未來際,恆自受用廣大法樂。

二、受用身。これに二種有り。一、自受用とは、いわゆる諸如来は三無数劫に無量の福慧資糧を修集して、起こす所の無辺の真実功徳および極めて圓・浄・常・遍の色身にて、相続湛然として、未来際を尽くして、恒に自ら広大の法樂を受用す。

二、他受用,謂諸如來由平等智,示現微妙淨功德身,居純淨土,為住十地諸菩薩眾,現大神通,轉正法輪,決眾疑網,令彼受用大乘法樂。合此二種,名受用身。

二、他受用とは、いわゆる諸如来は平等智に由って、微妙の浄功徳身を示現して、純浄土に居して、十地に住する諸菩薩衆の為に、大神通を現じ、正法輪を転じ、衆の疑網を決して、それらをして大乗の法樂を受用せしむ。この二種を合して名づけて受用身という。

三、變化身:謂諸如來由成事智,變現無量隨類化身,居淨、穢土,為未登地諸菩薩眾、二乘、異生,稱彼機宜,現通說法,令各獲得諸利樂事。

三、變化身とは、いわゆる諸如来は成事智に由って、無量の類に随う化身を變現して、浄・穢の土に居して、未だ地に登らざる諸菩薩衆・二乗・異生の為に、彼の機宜に称して、通を現じ法を説いて、各々諸々の利樂事を獲得せしむ。

以五法性攝三身者,有義:初、二攝自性身,經說真如是法身故。論說轉去阿賴耶識,得自性身;圓鏡智品,轉去藏識,而證得故。中二智品,攝受用身,說平等智,於純淨土,為諸菩薩現佛身故;說觀察智,大集會中,說法斷疑現自在故;說轉諸轉識得受用身故。後一智品,攝變化身,說成事智,於十方土,現無量種難思化故。又智殊勝,具攝三身,故知三身,皆有實智。

五法性を以って三身を摂するは、一義有り:初・二は自性身を摂す。経に真如は法身と説くのゆえん。論に阿頼耶識を転去して自性身を得と説く。圓鏡智品は蔵識を転去して証得するのゆえん。中の二智品は受用身を摂す。平等智は純浄土に於て諸菩薩の為に仏身を現ずと説くのゆえん。観察智は大集会の中に法を説き疑を断じて自在を現ずと説くのゆえん。諸転識を転じて受用身を得と説くのゆえん。後の一智品は變化身を摂す。成事智は十方土に於て無量種の難思の化を現ずと説くのゆえん。また智は殊勝にして具に三身を摂す。ゆえに三身は倶に実の智有りと知る。

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