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成唯識論巻第八

唐 · 护法等造,玄奘译 · 第37巻 / 39

九、智自在所依真如:謂若證得此真如已,於無礙解得自在故。

九、智自在の所依の真如とは、いわゆるもしこの真如を証得し已らば、無礙解に於て自在を得るのゆえん。

十、業自在等所依真如:謂若證得此真如已,普於一切神通作業、總持定門皆自在故。

十、業自在等の所依の真如とは、いわゆるもしこの真如を証得し已らば、普く一切の神通作業・総持の定門に於て倶に自在なるのゆえん。

雖真如性實無差別,而隨勝德假立十種。

真如性は実に差別無きと雖も、しかし勝徳に随って假に十種を立つ。

雖初地中已達一切,而能證行,猶未圓滿,為令圓滿,後後建立。

初地の中に已に一切を達するも、能証の行は猶ほ未だ圓滿せず。圓滿せしめんが為に後後に建立す。

如是菩薩於十地中,勇猛修行十種勝行,斷十重障,證十真如,於二轉依便能證得。

かくのごとき菩薩は十地の中に於て、勇猛にして十種の勝行を修行して、十重障を断じ、十真如を証して、二の転依に於て便ち能く証得す。

轉依位別,略有六種。

転依の位の別は略して六種有り。

一、損力益能轉:謂初、二位,由習勝解及慚、愧故,損本識中染種勢力,益本識內淨種功能,雖未斷障種,實證轉依,而漸伏現行,亦名為轉。

一、損力益能転とは、いわゆる初・二の位にて、勝解および慚・愧を習するに由るのゆえんに、本識の中の染種の勢力を損し、本識の内の浄種の功能を益す。未だ障種を断ぜず実に転依を証せざると雖も、しかし漸々現行を伏すれば、もまた名づけて転という。

二、通達轉:謂通達位,由見道力,通達真如,斷分別生二障麁重,證得一分真實轉依。

二、通達転とは、いわゆる通達位にて、見道力に由って真如を通達して、分別生の二障の麁重を断じて、一分の真実の転依を証得す。

三、修習轉:謂修習位,由數修習十地行故,漸斷俱生二障麁重,漸次證得真實轉依。《攝大乘》中說通達轉在前六地。有無相觀,通達真、俗間雜現前,令真、非真現、不現故。說修習轉在後四地。純無相觀長時現前,勇猛修習,斷餘麁重,多令非真不顯現故。

三、修習転とは、いわゆる修習位にて、数々十地の行を修習するに由るのゆえんに、漸く倶生の二障の麁重を断じて、漸次に真実の転依を証得す。《摂大乗》の中に通達転は前の六地に在りと説く。無相観有りて、真・俗を通達して間雑して現前せしめて、真・非真をして現・不現せしむるのゆえん。修習転は後の四地に在りと説く。純に無相観は長時現前して、勇猛に修習して余の麁重を断じて、多く非真をして顯現せざらしむるのゆえん。

四、果圓滿轉:謂究竟位,由三大劫阿僧企耶,修集無邊難行勝行,金剛喻定現在前時,永斷本來一切麁重,頓證佛果圓滿轉依,窮未來際利樂無盡。

四、果圓滿転とは、いわゆる究竟位にて、三大劫阿僧企耶(无数の時)に無辺の難行の勝行を修集して、金剛喩定の前に現ずる時に、本来の一切の麁重を永断して、頓に仏果の圓滿の転依を証して、未来際を窮めて利樂尽きること無し。

五、下劣轉:謂二乘位,專求自利,厭苦、欣寂,唯能通達生空真如,斷煩惱種,證真擇滅,無勝堪能,名下劣轉。

五、下劣転とは、いわゆる二乗位にて、専ら自利を求め、苦を厭い寂を欣い、ただ能く生空真如を通達し、煩悩種を断じ、真の択滅を証すのみ。勝の堪能無し。名づけて下劣転という。

六、廣大轉:謂大乘位,為利他故,趣大菩提。生死涅槃俱無欣、厭,具能通達二空真如,雙斷所知、煩惱障種,頓證無上菩提、涅槃。有勝堪能,名廣大轉。

六、広大転とは、いわゆる大乗位にて、他を利するが為のゆえんに大菩提に趣く。生死・涅槃は倶に欣・厭無くして、具に二空真如を通達する能くして、所知・煩悩の障種を双断して、頓に無上の菩提・涅槃を証す。勝の堪能有り。名づけて広大転という。

此中意說廣大轉依,捨二麁重而證得故。

ここに意は広大の転依を説く。二の麁重を捨てて証得するのゆえん。

轉依義別,略有四種:

転依の義の別は略して四種有り。

一、能轉道,此復有二:一、能伏道,謂伏二障隨眠勢力,令不引起二障現行,此通有漏、無漏二道,加行、根本、後得三智,隨其所應,漸頓伏彼。

一、能転道。これにまた二有り。一、能伏道とは、いわゆる二障の随眠の勢力を伏して、二障の現行を引起さざらしむ。これは有漏・無漏の二道・加行・根本・後得の三智に通じて、その応ずる所に随って漸頓にそれらを伏す。

二、能斷道,謂能永斷二障隨眠。此道定非有漏加行,有漏曾習、相執所引,未泯相故;加行趣求所證、所引,未成辦故。

二、能断道とは、いわゆる能く永く二障の随眠を断ず。この道は定めて有漏の加行に非ず。有漏の曽習・相執の引く所にして、未だ相を泯せざるのゆえん。加行は証する所・引く所を趣求して、未だ成辦せざるのゆえん。

有義:根本無分別智,親證二空所顯真理,無境相故,能斷隨眠;後得不然,故非斷道。

一義有り:根本の無分別智は親しく二空の顯す所の真理を証して、境の相無きのゆえんに、能く随眠を断ず。後得はこの如ならず。ゆえに断道に非ず。

有義:後得無分別智,雖不親證二空真理,無力能斷迷理隨眠,而於安立、非安立相,明瞭現前,無倒證故,亦能永斷迷事隨眠。

一義有り:後得の無分別智は親しく二空の真理を証せざると雖も、理に迷う随眠を断ずる力無きと雖も、しかし安立・非安立の相に対して明了現前して、倒れずして証するのゆえんに、もまた能く永く事に迷う随眠を断ず。

故《瑜伽》說:修道位中,有出世斷道;世、出世斷道。無純世間道,能永害隨眠。是曾習故,相執引故。

ゆえに《瑜伽》に説く:修道位の中に出世の断道有り。世・出世の断道有り。純の世間道は能く永く随眠を害すること無し。是れ曽習なるのゆえん、相執の引くのゆえん。

由斯理趣,諸見所斷,及修所斷,迷理隨眠,唯有根本無分別智,親證理故,能正斷彼;餘修所斷迷事隨眠,根本、後得俱能正斷。

この理趣に由って、諸々の見の断ずる所および修の断ずる所の理に迷う随眠は、ただ根本の無分別智のみ親しく理を証するのゆえんに、能く正しくそれらを断ず。其余の修の断ずる所の事に迷う随眠は、根本・後得は倶に能く正しく断ず。

二、所轉依,此復有二:一、持種依,謂本識。由此能持染、淨法種,與染、淨法俱為所依,聖道轉令捨染得淨;餘依他起性,雖亦是依,而不能持種,故此不說。

二、所転依。これにまた二有り。一、持種依とはいわゆる本識。これに由って能く染・浄法の種を持して、染・浄法と倶に所依と為りて、聖道は転じて染を捨て浄を得しむ。其余の依他起性はもまた依なると雖も、しかし能く種を持せず。ゆえにここに説かず。

二、迷悟依,謂真如。由此能作迷、悟根本,諸染、淨法依之得生,聖道轉令捨染得淨。餘雖亦作迷悟法依,而非根本,故此不說。

二、迷悟依とは、いわゆる真如。これに由って能く迷・悟の根本を作して、諸々の染・浄法はこれに依って生ずるを得て、聖道は転じて染を捨て浄を得しむ。其余はもまた迷悟の法の依を作すと雖も、しかし根本に非ず。ゆえにここに説かず。

三、所轉捨,此復有二:一、所斷捨,謂二障種。真無間道現在前時,障、治相違,彼便斷滅,永不成就,說之為捨。彼種斷故,不復現行妄執我、法。

三、所転捨。これにまた二有り。一、所断捨とはいわゆる二障種。真の無間道の前に現ずる時に、障・治は相違して、それらは便ち断滅して、永く成就せず。それを説いて捨と為す。かの種を断ずるのゆえんに、復た妄執の我・法を現行せず。

所執我、法,不對妄情,亦說為捨。由此名捨遍計所執。

執する所の我・法は妄情に対せざれば、もまた説いて捨と為す。これに由って名づけて遍計所執を捨つるという。

二、所棄捨,謂餘有漏、劣無漏種。金剛喻定現在前時,引極圓、明純淨本識,非彼依故,皆永棄捨。

二、所棄捨とは、いわゆる其余の有漏・劣無漏の種。金剛喩定の前に現ずる時に、極めて圓・明の純浄の本識を引く。それらの依に非ざるのゆえんに、倶に永く棄捨す。

彼種捨已,現有漏法及劣無漏,畢竟不生;既永不生,亦說為捨。由此名捨生死劣法。

かの種を捨て已って、現の有漏法および劣無漏は畢竟に生ぜず。すでに永く生ぜざれば、もまた説いて捨と為す。これに由って名づけて生死の劣法を捨つるという。

有義:所餘有漏法種及劣無漏,金剛喻定現在前時,皆已棄捨,與二障種俱時捨故。

一義有り:余る所の有漏法の種および劣無漏は、金剛喩定の前に現ずる時に、倶に已に棄捨す。二障種と時を倶にして捨てるのゆえん。

有義:爾時猶未捨彼,與無間道不相違故。菩薩應無生死法故;此位應無所燻識故,住無間道應名佛故;後解脫道應無用故。

一義有り:かの時は猶ほ未だそれらを捨てず。無間道と相違せざるのゆえん。菩薩はまさに生死法無かるべきのゆえん。この位はまさに薫ずる所の識無かるべきのゆえん。無間道に住してまさに名づけて仏というべきのゆえん。後の解脱道はまさに用無かるべきのゆえん。

由此應知,餘有漏等,解脫道起,方棄捨之。第八淨識,非彼依故。

これに由ってまさに知るべし、其余の有漏等は解脱道の起こりて乃ちそれを棄捨す。第八の浄識はそれらの依に非ざるのゆえん。

四、所轉得,此復有二:

四、所転得。これにまた二有り。

一、所顯得,謂大涅槃。此雖本來自性清淨,而由客障覆令不顯。真聖道生,斷彼障故,令其相顯名得涅槃。此依真如離障施設,故體即是清淨法界。

一、所顯得とはいわゆる大涅槃。これは本来自性は清浄なると雖も、しかし客障の覆して顯ならざらしむるに由る。真の聖道生じて、彼の障を断ずるのゆえんに、その相をして顯ならしめて名づけて涅槃を得という。これは真如の障を離るるに依って施設す。ゆえに体はすなわち清浄法界なり。

涅槃義別,略有四種:

涅槃の義の別は略して四種有り。

一、本來自性清淨涅槃,謂一切法相真如理,雖有客染而本性淨,具無數量微妙功德,無生無滅,湛若虛空,一切有情平等共有,與一切法不一不異。離一切相、一切分別,尋思路絕,名言道斷,唯真聖者自內所證,其性本寂,故名涅槃。

一、本來自性清浄涅槃とは、いわゆる一切法の相の真如理は、客染有ると雖もしかし本性は浄にして、数量無き微妙の功徳を具え、生無く滅無く、湛然として虚空の若く、一切有情は平等に倶に有して、一切法と一に非ず異に非ず。一切相・一切分別を離れて、尋思の路絶え、名言の道断えて、唯だ真の聖者の自内の証する所にして、その性は本寂なり。ゆえに名づけて涅槃という。

二、有餘依涅槃,謂即真如出煩惱障,雖有微苦所依未滅,而障永寂,故名涅槃。

二、有余依涅槃とは、いわゆるすなわち真如は煩悩障を出でたり。微苦の依る所未だ滅せざる有ると雖も、しかし障は永寂す。ゆえに名づけて涅槃という。

三、無餘依涅槃,謂即真如出生死苦,煩惱既盡,餘依亦滅,眾苦永寂,故名涅槃。

三、無余依涅槃とは、いわゆるすなわち真如は生死苦を出でたり。煩悩すでに尽きて余依もまた滅し、衆苦は永寂す。ゆえに名づけて涅槃という。

四、無住處涅槃,謂即真如出所知障,大悲般若常所輔翼。由斯不住生死涅槃,利樂有情,窮未來際,用而常寂,故名涅槃。

四、無住處涅槃とは、いわゆるすなわち真如は所知障を出でたり。大悲・般若は常に輔翼する所なり。これに由って生死・涅槃に住せずして、有情を利樂して、未来際を窮めて、用いて常に寂なり。ゆえに名づけて涅槃という。

一切有情,皆有初一,二乘無學,容有前三,唯我世尊可言具四。

一切有情は倶に初の一有り。二乗の無学は前三を有るを容す。ただ我が世尊のみ具に四有りと説くべし。

如何善逝有有餘依?雖無實依,而現似有;或苦依盡,說無餘依,非苦依在,說有餘依。是故世尊可言具四。

どうして善逝は有余依有る。実の依無きと雖も、しかし有に似て現ず。あるいは苦依の尽きるを説いて無余依と為す。苦依の在るを説いて有余依と為すに非ず。ゆえに世尊は具に四有りと説くべし。

若聲聞等有無餘依,如何有處說彼非有?

もし声聞等は無余依有れば、どうして処有りてそれらは有に非ずと説く。

有處說彼都無涅槃,豈有餘依彼亦非有?

処有りてそれらは倶に涅槃無しと説く。あに有余依はそれらにもまた有に非ずや。

然聲聞等身、智在時,有所知障,苦依未盡,圓寂義隱,說無涅槃;非彼實無煩惱障盡所顯真理有餘涅槃,爾時未證無餘圓寂,故亦說彼無無餘依;非彼後時滅身、智已,無苦依盡無餘涅槃。或說二乘無涅槃者,依無住處,不依前三。

しかし声聞等の身・智の在る時は所知障有りて、苦依未だ尽きず、圓寂の義隱れて、涅槃無しと説く。それらは実に煩悩障尽きたるの顯す真理の有余涅槃無きに非ず。かの時未だ無余の圓寂を証せず。ゆえにもまたそれらは無余依無しと説く。それらの後の時に身・智を滅し已って苦依尽きたる無余涅槃無きに非ず。あるいは二乗は涅槃無しと説くは無住處に依る。前三に依らず。

又說彼無無餘依者,依不定性二乘而說,彼才證得有餘涅槃,決定迴心求無上覺,由定願力留身久住,非如一類入無餘依。謂有二乘深樂圓寂,得生空觀親證真如,永滅感生煩惱障盡,顯依真理有餘涅槃,彼能感生煩惱盡故,後有異熟無由更生,現苦所依任運滅位。餘有為法既無所依,與彼苦依同時頓捨,顯依真理無餘涅槃,爾時雖無二乘身智,而由彼證可說彼有。此位唯有清淨真如,離相湛然寂滅安樂,依斯說彼與佛無差,但無菩提利樂他業,故復說彼與佛有異。

またそれらは無余依無しと説くは、是れ不定性の二乗に依って説く。それらは纔めて有余涅槃を証得して、決定して心を回して無上の覚を求めて、定願力に由って身を留めて久しく住す。一類の無余依に入るに非ざるが如し。いわゆる二乗有りて深く圓寂を樂しみ、生空観を得て親しく真如を証して、永く能く生を感ずる煩悩障を滅し尽くして、真理に依る有余涅槃を顯す。それらの能く生を感ずる煩悩尽きたるのゆえんに、後有の異熟は更に生ずる由無し。現の苦の依る所の任運に滅する位。其余の有為法はすでに依る所無くして、かの苦依と時を同じくして頓捨して、真理に依る無余涅槃を顯す。かの時は二乗の身智無きと雖も、しかしそれらの証する所に由ってそれらは有りと説くべし。この位はただ清浄の真如のみ有りて、相を離れて湛然として寂滅安楽なり。これに依ってそれらは仏と差無しと説く。ただ菩提の他を利樂する業無きのみ。ゆえにもまたそれらは仏と異有りと説く。

諸所知障,既不感生,如何斷彼,得無住處?彼能隱覆法空真如,令不發生大悲般若,窮未來際,利樂有情。故斷彼時顯法空理,此理即是無住涅槃,令於二邊,俱不住故。

諸々の所知障はすでに生を感ぜざれば、どうしてそれらを断じて無住處を得る。それらは能く法空真如を隱覆して、大悲般若を發生せざらしめて、未来際を窮めて有情を利樂す。ゆえにそれらを断ずる時に法空の理を顯す。此の理はすなわち無住涅槃にして、二辺に於て倶に住せざらしむるのゆえん。

若所知障,亦障涅槃,如何斷彼,不得擇滅?

もし所知障もまた涅槃を障れば、どうしてそれらを断じて択滅を得ざる。

擇滅離縛,彼非縛故。

択滅は縛を離る。それらは縛に非ざるのゆえん。

既爾,斷彼寧得涅槃?

すでにこの然り、それらを断じてどうして涅槃を得る。

非諸涅槃皆擇滅攝。不爾,性淨應非涅槃。能縛有情住生死者,斷此說得擇滅無為。諸所知障不感生死,非如煩惱能縛有情,故斷彼時不得擇滅;然斷彼故,法空理顯,此理相寂,說為涅槃,非此涅槃擇滅為性。故四圓寂諸無為中,初、後即真如,中二擇滅攝。

諸々の涅槃は倶に択滅の摂する所に属するに非ず。然らずんば性浄はまさに涅槃に非ざるべし。能く有情を縛して生死に住せしむるは、このを断じて択滅無為を得と説く。諸所知障は生死を感ぜず。煩悩の能く有情を縛するに非ざるが如し。ゆえにそれらを断ずる時に択滅を得ず。しかしそれらを断ずるのゆえんに、法空の理顯なり。此の理は相寂にして、説いて涅槃と為す。この涅槃は択滅を以って性と為すに非ず。ゆえに四の圓寂の諸無為の中に、初・後はすなわち真如、中の二は択滅の摂する所に属す。

若唯斷縛得擇滅者,不動等二,四中誰攝?

もしただ縛を断じて択滅を得れば、不動等の二は四中の誰の摂する所か。

非擇滅攝,說暫離故;擇滅無為,唯究竟滅。有非擇滅,非永滅故。

択滅の摂する所に非ず。暫く離ると説くのゆえん。択滅無為はただ究竟の滅。非択滅有りて、永滅に非ざるのゆえん。

或無住處亦擇滅攝,由真擇力,滅障得故。擇滅有二:一、滅縛得,謂斷感生煩惱得者;二、滅障得,謂斷餘障而證得者。故四圓寂諸無為中,初一即真如,後三皆擇滅,不動等二,暫伏滅者,非擇滅攝;究竟滅者,擇滅所攝。

あるいは無住處もまた択滅の摂する所に属す。真の択力に由って障を滅して得るのゆえん。択滅は二有り。一、滅縛の得とは、いわゆる生を感ずる煩悩を断じて得るなり。二、滅障の得とは、いわゆる其余の障を断じて証得するなり。ゆえに四の圓寂の諸無為の中に、初の一はすなわち真如、後の三は倶に択滅なり。不動等の二は暫伏の滅は択滅の摂する所に非ず。究竟の滅は択滅の摂する所なり。

既所知障亦障涅槃,如何但說是菩提障?說煩惱障但障涅槃,豈彼不能為菩提障?應知聖教依勝用說,理實俱能通障二果。

すでに所知障もまた涅槃を障れば、どうしてただ是れ菩提の障と説く。煩悩障はただ涅槃を障ると説くは、あにそれらは能く菩提の障と為らざらんや。まさに知るべし、聖教は勝用に依って説く。理実は倶に能く二果に通じて障る。

如是所說四涅槃中,唯後三種,名所顯得。

かくのごとき説く所の四涅槃の中に、ただ後の三種のみ、名づけて所顯得という。

二、所生得,謂大菩提。此雖本來有能生種,而所知障礙故不生;由聖道力,斷彼障故,令從種起,名得菩提。起已相續,窮未來際。此即四智相應心品。

二、所生得とはいわゆる大菩提。これは本来に能く生ずる種有ると雖も、しかし所知障の礙するのゆえんに生ぜず。聖道力に由って、彼の障を断ずるのゆえんに、種に従って起こらしめて、名づけて菩提を得という。起こり已って相続して、未来際を窮む。これすなわち四智相応の心品なり。

云何四智相應心品?

何をか四智相応の心品と謂う。

一、大圓鏡智相應心品:謂此心品,離諸分別,所緣、行相,微細難知,不忘不愚,一切境相,性相清淨,離諸雜染,純淨圓德,現種依持,能現、能生身、土智影,無間無斷,窮未來際,如大圓鏡,現眾色像。

一、大圓鏡智相応心品とは、いわゆる此の心品は諸々の分別を離れて、縁ずる所・行相は微細にして知り難く、忘れず愚ならず、一切の境相に於て性相清浄にして、諸々の雑染を離れて、純浄の圓徳にして、現・種の依持にして、能く身・土の智影を現じ生じて、無間無断にして、未来際を窮めて、大圓鏡の衆色の像を現ずるが如し。

二、平等性智相應心品:謂此心品,觀一切法,自、他有情,悉皆平等。大慈悲等,恆共相應,隨諸有情所樂,示現受用身、土,影像差別。妙觀察智不共所依,無住涅槃之所建立,一味相續,窮未來際。

二、平等性智相応心品とは、いわゆる此の心品は一切法・自・他の有情を観じて、悉く皆平等なり。大慈悲等は恒に共に相応して、諸有情の樂む所に随って、受用身・土・影像の差別を示現す。妙観察智の共ならざる所依にして、無住涅槃の建立する所にして、一味相続して、未来際を窮む。

三、妙觀察智相應心品:謂此心品,善觀諸法自相、共相,無礙而轉。攝觀無量總持定門,及所發生功德珍寶。於大眾會,能現無邊作用差別,皆得自在,雨大法雨,斷一切疑,令諸有情皆獲利樂。

三、妙観察智相応心品とは、いわゆる此の心品は善く諸法の自相・共相を観じて、無礙にして転ず。無量の総持定門を摂観し、および發生する所の功徳の珍寶を。大衆会に於て能く無辺の作用差別を現じて、倶に自在を得て、大法雨を雨らして、一切の疑を断じて、諸有情をして皆利樂を獲らしむ。

四、成所作智相應心品:謂此心品,為欲利樂諸有情故,普於十方,示現種種變化三業,成本願力所應作事。

四、成所作智相応心品とは、いわゆる此の心品は要して諸有情を利樂せんが為のゆえんに、普く十方に於て種種の變化の三業を示現して、本願力の作すべき所の事を成ず。

如是四智相應心品,雖各定有二十二法,能變、所變種現俱生,而智用增,以智名顯。

かくのごとき四智相応心品は、各々定めて二十二法有ると雖も、能変・所変の種・現は倶に生ず。しかし智の用増すれば、智の名を以って顯す。

故此四品,總攝佛地一切有為功德皆盡。

ゆえにこの四品は、総じて仏地の一切有為の功徳を摂して皆尽くす。

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