成唯識論巻第一
成唯識論巻第二
護法等菩薩造
護法等の菩薩造。
三藏法師玄奘奉詔譯
三蔵法師玄奘詔を奉じて翻訳す。
復如何知,諸有為相異色、心等,有實自性?
またどうして諸々の有為相が色・心等に異なりて実自性有るを知らん。
契經說故。如契經說:有三有為之有為相,乃至廣說。
契経に説くに因る。契経に説けるが如く:三有為の有為相有り、乃至広く説くと。
此經不說異色、心等有實自性,為證不成。
この経は並びて色・心等に異なりて実自性有りと説かず。証として成立せず。
非第六聲便表異體,色、心之體即色、心故。
並びて第六声にて便ち異体を表示するに非ず。色・心の体はすなわち色・心なり。
非能相體定異所相,勿堅相等異地等故。
並びて能相の体は決定して所相に異なるに非ず。堅相等をして地等に異ならしむること莫れ。
若有為相異所相體,無為相體應異所相。
もし有為相は所相の体に異なれば、無為相の体もまさに所相に異なるべし。
又生等相,若體俱有,應一切時齊興作用;若相違故,用不頓興,體亦相違,如何俱有?又住、異、滅用不應俱。
また生等の相、もし体倶に有れば、まさに一切の時に斉しく作用を興すべし。もし相違するがゆえに用頓に興らずと説かば、体もまた相違して、どうして倶に有らん。また住・異・滅の用は倶にすべからず。
能相、所相體俱本有,用亦應然,無別性故。若謂彼用更待因緣,所待因緣應非本有。又執生等便為無用。
能相・所相の体は皆本有なれば、用もまた然るべし。別性無きが故に。もしその用は更に因縁を待つと説かば、待つ所の因縁はまさに本有に非ざるべし。また生等を執すれば便ち用無しと為る。
所相恆有而生等合,應無為法亦有生等,彼此異因,不可得故。
所相恒に有るに生等合するに、まさに無為法も生等有るべし。彼・此は因を異にす。求むるも得られず。
又去、來世,非現、非常,應似空花,非實有性。生名為有,寧在未來?滅名為無,應非現在。滅若非無,生應非有。又滅違住,寧執同時?住不違生,何容異世。故彼所執,進退非理。
また去・来世は現に非ず常に非ず。まさに空華の如く、実有性に非ざるべし。生は名づけて有という。どうして未来にあらん。滅は名づけて無という。まさに現在に非に非ざるべし。滅もし無に非ざれば、生もまさに有に非ざるべし。また滅は住に違す。どうして同時と執せん。住は生に違せず。どうして異世を許す。ゆえに彼らの所執は進・退理に合わず。
然有為法,因緣力故,本無今有,暫有還無,表異無為,假立四相。
しかして有為法は因縁力に因って、本無くして今有り、暫く有りて還って無し。無為に異なるを表示して、假に四相を立つ。
本無今有,有位名生;生位暫停,即說為住;住別前後,復立異名;暫有還無,無時名滅。
本無くして今有り。有る位を名づけて生という。生位暫く停まるを、すなわち説いて住と為す。住は前後に別れて、また異名を立つ。暫く有りて還って無し。無き位を名づけて滅という。
前三有故,同在現在,後一是無,故在過去。
前の三は有にして同じく現在に在り。後の一は無なるがゆえに過去に在り。
如何無法與有為相?表此後無,為相何失?生表有法先非有,滅表有法後是無,異表此法非凝然,住表此法暫有用。故此四相,於有為法,雖俱名錶,而表有異。
どうして無法は有為相とせん。これが後無を表示して相と為すに何の失かあらん。生は有法の先は非有なりしを表示し、滅は有法の後は無なりを表示し、異はこの法の凝然ならざるを表示し、住はこの法の暫く用有るを表示す。ゆえにこの四相は有為法に対して皆名づけて表というも、所表は異あり。
此依剎那假立四相,一期分位亦得假立。初有名生;後無名滅;生已相似相續名住;即此相續轉變名異。
これは刹那に依って假に四相を立つ。一期の分位もまた能く假立す。初め有るを名づけて生という。後に無きを名づけて滅という。生じ已って相似相続するを名づけて住という。すなわちこの相続の転変を名づけて異という。
是故四相皆是假立。
ゆえに四相は皆假立なり。
復如何知異色、心等,有實詮表名、句、文身?
またどうして色・心等に異なりて実の詮表たる名・句・文身有るを知らん。
契經說故。如契經說,佛得希有名、句、文身。
契経に説くに因る。契経に説けるが如く、仏は希有の名・句・文身を得たりと。
此經不說異色、心等有實名等,為證不成。
この経は並びて色・心等に異なりて実の名等有りと説かず。証として成立せず。
若名、句、文異聲實有,應如色等,非實能詮。
もし名・句・文は声に異なりて実有なれば、まさに色等の如く、実の能詮に非ざるべし。
謂聲能生名、句、文者,此聲必有音韻屈曲,此足能詮,何用名等。
いわゆる声は能く名・句・文を生ず。しかしてこの声は必ず音韻の屈曲有り。これすでに足らく能詮す。更に名等を用いて何をかせん。
若謂聲上音韻屈曲即名、句、文,異聲實有,所見色上形量屈曲,應異色處別有實體。
もし声上の音韻屈曲がすなわち名・句・文にして声に異なりて実有と説かば、見る所の色上の形量屈曲はまさに色処に異なりて別に実体有るべし。
若謂聲上音韻屈曲,如絃管聲非能詮者,此應如彼聲,不別生名等。又誰說彼定不能詮?聲若能詮,風鈴聲等應有詮用,此應如彼不別生實名、句、文身。若唯語聲能生名等,如何不許唯語能詮。
もし声上の音韻屈曲は、弦管の声は詮せざるが如く、これはまさにかの声の如く別に名等を生を生ぜざるべしと説かば、また誰かその決定して詮せざるを説く。声もし能詮なれば、風鈴の声等はまさに詮の用有るべし。これはまさにかの如く別に実の名・句・文身を生ぜず。もし只だ語声のみ能く名等を生ずれば、どうして只だ語のみ能詮と許さざる。
何理定知能詮即語?寧知異語別有能詮?語不異能詮,人天共了,執能詮異語,天愛非餘。
何の理にか決定して能詮はすなわち語と知る。どうして語に異なりて別に能詮有るを知る。語は能詮に異ならず、人天共に了とす。能詮は語に異なりと執するは、ただ天愛(愚かな執への譏りの称)にして、其余に非ず。
然依語聲分位差別,而假建立名、句、文身。
しかして語声の分位差別に依って、假に名・句・文身を建立す。
名詮自性;句詮差別;文即是字,為二所依。
名は自性を詮す。句は差別を詮す。文はすなわち字にして、二の依と為る所なり。
此三離聲雖無別體,而假、實異,亦不即聲。由此法、詞二無礙解,境有差別;聲與名等,蘊、處、界攝亦各有異。
この三は声を離れて別体無きと雖も、しかして假・実の異有れば、またすなわち声に非ず。これに由って法・詞の二無礙解の境は差別有り。声と名等とは蘊・処・界の摂する所も各々異あり。
且依此土說名、句、文依聲假立,非謂一切;諸餘佛土亦依光明、妙香、味等假立三故。
且く此の土に依って名・句・文は声に依って假立と説く。並びて一切を説くに非ず。其余の諸仏土もまた光明・妙香・味等に依って三を假立す。
有執隨眠異心、心所,是不相應行蘊所攝。
人有りて随眠は心・心所に異なりて、不相応行蘊の摂する所と執す。
彼亦非理,名貪等故,如現貪等,非不相應。
彼らもまた理に合わず。貪等と名づくるがゆえに、現起の貪等の如く、並びて不相応に非ず。
執別有餘不相應行,準前理趣皆應遮止。
別に其余の不相応行有りと執すれば、前の理趣に准じて皆まさに遮止すべし。
諸無為法離色、心等決定實有,理不可得。且定有法,略有三種:一、現所知法,如色、心等。二、現受用法,如瓶、衣等,如是二法,世共知有,不待因成。三、有作用法,如眼、耳等,由彼彼用證知是有。無為非世共知定有,又無作用,如眼、耳等。設許有用,應是無常,故不可執無為定有。然諸無為所知性故,或色、心等所顯性故,如色、心等,不應執為離色、心等實無為性。
諸々の無為法は色・心等を離れて決定して実有なること、理上求むるも得られず。且く定有の法を説けば略して三種有り。一、現に知る所の法。色・心等の如し。二、現に受用する所の法。瓶・衣等の如し。この二法は世人共に有と知る。因成を待たず。三、作用有るの法。眼・耳等の如し。かの用に由って有りと証知す。無為は並びて世人共に定有と知るに非ず。また作用無くして眼・耳等の如し。たとえ用有りを許すも、まさに無常ならん。ゆえに無為を定有と執すべからず。しかして諸無為は所知性なるが故に、あるいは色・心等の顕す所の性なるが故に、色・心等の如く、色・心等を離れて実の無為性と執すべからず。
又虛空等為一、為多?
また虚空等は一か多か。
若體是一,遍一切處,虛空容受色等法故,隨能合法,體應成多,一所合處餘不合故。不爾,諸法應互相遍。若謂虛空不與法合,應非容受,如餘無為。又色等中有虛空不?有應相雜,無應不遍。一部、一品結法斷時,應得餘部、餘品擇滅;一法緣闕得不生時,應於一切得非擇滅。執彼體一,理應爾故。
もし体これ一なれば、一切処に遍し。虚空は色等の法を容受して、合する能の法に随って、体まさに多を成すべし。一の合する処に其余は合せざるが故に。然らずんば諸法はまさに互いに遍すべし。もし虚空は法と合せずと説かば、まさに容受に非ざるべし。其余の無為の如し。また色等の中に虚空有るや無きや。有ればまさに相雑すべし。無ければまさに遍せざるべし。一部・一品の結法を断ずる時、まさに其余の部・其余の品の択滅を得べし。一法の縁缺けて不生を得る時、まさに一切に対して非択滅を得べし。それが体一と執すれば、理まさに然るべし。
若體是多,便有品類,應如色等,非實無為。虛空又應非遍容受。
もし体これ多なれば、便ち品類有りて、まさに色等の如く、実の無為に非ざるべし。虚空もまたまさに遍く容受に非ざるべし。
餘部所執離心、心所實有無為,準前應破。
其余の部の所執の心・心所を離れたる実無為は、前に准じてまさに破るべし。
又諸無為許無因果故,應如兔角,非異心等有。
また諸無為は因・果無しと許せば、まさに兎角の如く、心等に異なる有に非ざるべし。
然契經說,有虛空等諸無為法,略有二種:
しかして契経に虚空等の諸無為法有りと説く。略して二種有り。
一、依識變假施設有。謂曾聞說虛空等名,隨分別有虛空等相,數習力故,心等生時,似虛空等無為相現。此所現相,前後相似,無有變易,假說為常。
一、識変に依って假施設の有。いわゆる曽て虚空等の名を説くを聞きて、随って分別して虚空等の相有り。数習の力に因って、心等生ずる時、虚空等の無為相の如きを現ず。この現ずる所の相は前後相似にして変易無し。假に常と説く。
二、依法性,假施設有。
二、法性に依って假施設の有。
謂空、無我所顯真如,有、無、俱非,心言路絕,與一切法非一、異等,是法真理,故名法性。
いわゆる空・無我の顕す所の真如は、有・無・倶非にして、心言の路絶え、一切法と非一・非異等なり。これ法の真理なるがゆえに名づけて法性という。
離諸障礙,故名虛空;由簡擇力,滅諸雜染,究竟證會,故名擇滅;不由擇力,本性清淨,或緣闕所顯,故名非擇滅;苦、樂受滅,故名不動;想、受不行,名想受滅。
諸々の障碍を離るるがゆえに名づけて虚空という。簡択の力に由って諸雑染を滅し、究竟して証会するがゆえに名づけて択滅という。択力に由らずして本性清浄なり、あるいは縁缺けて顕す所なるがゆえに名づけて非択滅という。苦・楽の受滅するがゆえに名づけて不動という。想・受行わざるを名づけて想受滅という。
此五皆依真如假立,真如亦是假施設名。
この五は皆真如に依って假立す。真如もまた假施設の名なり。
遮撥為無,故說為有;遮執為有,故說為空;勿謂虛、幻,故說為實;理非妄倒,故名真如。不同餘宗離色、心等有實常法名曰真如。
撥して無と為すを遮るがゆえに説いて有と為す。執して有と為すを遮るがゆえに説いて空と為す。虚・幻と謂わしめざるがゆえに説いて実と為す。理は妄倒に非ざるがゆえに名づけて真如という。其余の宗の色・心等を離れて実常の法有りて名づけて真如というに同じからず。
故諸無為非定實有。
ゆえに諸無為は並びて定めて実有に非ず。
外道、餘乘所執諸法異心、心所非實有性,是所取故,如心、心所。
外道・其余の乗の所執の諸法は心・心所に異なりて実有性に非ず。所取なるが故に、心・心所の如し。
能取彼覺亦不緣彼,是能取故,如緣此覺。
能取のかの覚もまたそれに縁せず。能取なるが故に、これに縁する覚の如し。
諸心、心所依他起故,亦如幻事,非真實有。
諸々の心・心所は他依って起こり、幻事の如く、真実の有に非ず。
為遣妄執心、心所外實有境故,說唯有識。
妄執の心・心所外の実有境を遣除する為に、唯有識と説く。
若執唯識真實有者,如執外境,亦是法執。
もし唯識を執して真実有と為さば、外境を執するが如く、これもまた法執なり。
然諸法執略有二種:
しかして諸々の法執は略して二種有り。
一者俱生;二者分別。
一つには倶生。二つには分別。
俱生法執,無始時來虛妄燻習,內因力故,恆與身俱,不待邪教及邪分別,任運而轉,故名俱生。
倶生の法執は無始より来り、虚妄に薫習して内因力に因りて、恒に身と倶に在り。邪教および邪分別を待たずして任運に転ず。ゆえに名づけて倶生という。
此復二種:一、常相續,在第七識,緣第八識,起自心相,執為實法;二、有間斷,在第六識,緣識所變蘊、處、界相,或總、或別,起自心相,執為實法。
これもまた二種有り。一、常に相続して、第七識に在り、第八識に縁じて、自心の相を生起して、執して実法と為す。二、間断有りて、第六識に在り、識の変ずる所の蘊・処・界の相に縁じて、或いは総に或いは別に、自心の相を生起して、執して実法と為す。
此二法執細故難斷,後十地中數數修習勝法空觀,方能除滅。
この二種の法執は細なるがゆえに断じ難し。後に十地の中にて数々殊勝の法空観を修習して、乃ち能く除滅す。
分別法執,亦由現在外緣力故,非與身俱,要待邪教及邪分別然後方起,故名分別。
分別の法執もまた現在の外縁力に由りて、並びて身と倶に在らず。邪教および邪分別を待ちて然る後に起こる。ゆえに名づけて分別という。
唯在第六意識中有。此亦二種:一、緣邪教所說蘊、處、界相,起自心相,分別、計度,執為實法。二、緣邪教所說自性等相,起自心相,分別、計度,執為實法。
唯だ第六意識の中に在り。これもまた二種有り。一、邪教の説く所の蘊・処・界の相に縁じて、自心の相を生起して、分別・計度して、執して実法と為す。二、邪教の説く所の自性等の相に縁じて、自心の相を生起して、分別・計度して、執して実法と為す。
此二法執麁故易斷,入初地時,觀一切法,法空真如,即能除滅。
この二種の法執は麁なるがゆえに断じ易し。初地に入る時、一切法の法空真如を観ずれば、便ち能く除滅す。
