Libo

成唯識論 巻第一

唐 · 护法等造,玄奘译 · 第3巻 / 39

然因心故,識變似聲,生滅相續,似有表示,假名語表,於理無違。

しかして心に因って、識は声の如きを変起して、生滅相続して、表示有るが如し。假に名づけて語表という。理において違背無し。

表既實無,無表寧實?然依思願善惡分限,假立無表,理亦無違。謂此或依發勝身、語善惡思種增長位立;或依定中止身、語惡現行思立,故是假有。

表すでに実無ければ、無表どうしてか実ならん。しかして思願の善悪分限に依って、假に無表を立つ。理もまた違背無し。いわゆるこの或いは勝れたる身・語の善悪思を発する種の増長位に依って安立し、或いは定中において身・語の悪の現行思を止むるに依って安立す。ゆえに假有なり。

世尊經中說有三業,撥身、語業豈不違經?

世尊は経の中に三業有りと説く。身・語の業を無しと撥することあに経に違せずや。

不撥為無,但言非色。

並びて無と撥するに非ず。ただ色に非ずと説くのみ。

能動身思說名身業,能發語思說名語業。審、決二思,意相應故,作動意故,說名意業。

能く身を動かす思を名づけて身業という。能く語を発する思を名づけて語業という。審・決の二思は意と相応して、意を作動するに因って、名づけて意業という。

起身、語思,有所造作,說名為業,是審、決思所遊履故;通生苦、樂異熟果故,亦名為道。故前七業道,亦思為自性,或身、語表由思發故,假說為業,思所履故,說名業道。

身・語を起こす思は造する所有れば、すなわち名づけて業という。審・決の思の遊履する所なるが故に。苦・楽の異熟果を通生するも、また名づけて道という。ゆえに前の七の業道もまた思を以って自性と為す。あるいは身・語の表は思に由って発して、假に業と説く。思の履む所なるがゆえに、名づけて業道という。

由此應知實無外色,唯有內識變似色生。

これに由ってまさに知るべし、実に外色無く、ただ内識が色の如きを変起して生ず。

不相應行亦非實有,所以者何?

不相応行もまた実有に非ず。何故か。

得、非得等,非如色、心及諸心所體相可得;非異色、心及諸心所作用可得,由此故知定非實有,但依色等分位假立。

得・非得等は、並びて色・心および諸心所の体相の如く得るべからず。並びて色・心および諸心所に異ならずして作用得るべからず。これに由って故に決定して実有に非ずと知る。ただ色等の分位に依って假立す。

此定非異色、心、心所,有實體用,如色、心等,許蘊攝故。

これ決定して色・心・心所に異ならずして実体用有ること非ず。色・心等の如く、蘊の摂と許すが故に。

或心、心所及色、無為所不攝故,如畢竟無,定非實有。或餘實法所不攝故,如餘假法,非實有體。

あるいは心・心所以及色・無為の摂せざる所なれば、畢竟無の如く、決定して実有に非ず。あるいは其余の実法の摂せざる所なれば、其余の假法の如く、実有の体に非ず。

且彼如何知得、非得,異色、心等,有實體用?

且く彼らはどうして得・非得が色・心等に異なりて実体用有るを知る。

契經說故。如說:如是補特伽羅成就善、惡,聖者成就十無學法。又說:異生不成就聖法,諸阿羅漢不成就煩惱,成、不成言,顯得、非得。

契経に説くに因る。説けるが如く:かくのごとき補特伽羅(数取趣。有情を指す)は善・悪を成就し、聖者は十無学法を成就すと。また説く:異生は聖法を成就せず、諸阿羅漢は煩悩を成就せずと。成・不成の言は、得・非得を顕すと。

經不說此異色、心等有實體用,為證不成。

経は並びてこれが色・心等に異なりて実体用有りと説かず。証として成立せず。

亦說:輪王成就七寶。豈即成就他身、非情?

また説く:転輪王は七宝を成就すと。あにすなわち他身・非情を成就するや。

若謂於寶有自在力,假說成就,於善、惡法,何不許然,而執實得?

もし宝に対して自在力有りて、假に成就と説くと言わば、善・悪の法に対して、なんぞかくあるを許さずして、しかも実得を執する。

若謂七寶在現在,故可假說成,寧知所成善、惡等法離現在有?離現實法,理非有故。

もし七宝は現在に在るがゆえに假に成と説くべしと言わば、どうして成する所の善・悪等の法は現在を離れて有りと知る。現在を離れた実法は、理において有に非ず。

現在必有善種等故。

現在は必ず善種等有るが故に、と。

又得於法有何勝用?

また得は法に対していかなる勝用有るや。

若言能起,應起無為,一切非情應永不起,未得、已失應永不生。

もし能く起こすと説かば、まさに無為を起すべくして、一切の非情はまさに永く起たざるべく、未得・已失はまさに永く生ぜざるべし。

若俱生得為因起者,所執二生便為無用。又具善、惡、無記得者,善、惡、無記應頓現前,若待餘因,得便無用。

もし倶生の得を因として起こるならば、所執の二生は便ち用無しと為る。また善・悪・無記の得を具えたる人は、善・悪・無記がまさに頓に現前すべし。もし其余の因を待てば、得は便ち用無し。

若得於法是不失因,有情由此成就彼故,諸可成法不離有情,若離有情實不可得,故得於法俱為無用。

もし得は法に対して不失の因なれば、有情はこれに由ってそれを成就す。諸々の成すべき法は有情を離れず。もし有情を離れば実に得るべからず。ゆえに得は法に対して都て用無し。

得實無故,非得亦無。

得は実に無し。非得もまた無し。

然依有情可成諸法分位,假立三種成就:一、種子成就;二、自在成就;三、現行成就。翻此假立不成就名,此類雖多,而於三界見所斷種未永害位,假立非得,名異生性,於諸聖法未成就故。

しかして有情の成すべき諸法の分位に依って、假に三種の成就を立つ。一、種子成就。二、自在成就。三、現行成就。翻って假に不成就の名を立つ。この類は多きと雖も、しかして三界において見の断ぜんとする所の種が未だ永く害せざる位に、假に非得を立て、名づけて異生性という。諸々の聖法に対して未成就なるが故に。

復如何知異色、心等有實同分?

またどうして色・心等に異なりて実の同分有るを知る。

契經說故。如契經說:此天同分、此人同分,乃至廣說。

契経に説くに因る。契経に説けるが如く:此の天同分、此の人同分、乃至広く説くと。

此經不說異色、心等有實同分,為證不成。

この経は並びて色・心等に異なりて実同分有りと説かず。証として成立せず。

若同智、言,因斯起故,知實有者,則草、木等應有同分。

もし同智・言はこれに因って起こりて、実有を知るならば、則ち草・木等もまさに同分有るべし。

又,於同分起同智、言,同分復應有別同分,彼既不爾,此云何然?

また、同分に対して同智・言を起こせば、同分もまたまさに別の同分有るべし。彼辺すでに然らざれば、ここにどうして然らん。

若謂為因起同事、欲,知實有者,理亦不然。宿習為因,起同事、欲,何要別執有實同分?

もし因と為して同事・欲を起こして、実有を知ると説かば、理また然らず。宿習を因と為して、同じ事・欲を起こす。なんぞ必ず別に実同分有りと執せん。

然依有情身、心相似,分位差別,假立同分。

しかして有情の身・心相似の分位差別に依って、假に同分を立つ。

復如何知異色、心等,有實命根?

またどうして色・心等に異なりて実命根有るを知る。

契經說故。如契經說:壽、煖、識三,應知命根說名為壽。

契経に説くに因る。契経に説けるが如く:寿・暖・識の三、まさに命根を名づけて寿と為すべしと。

此經不說異色、心等有實壽體,為證不成。

この経は並びて色・心等に異なりて実寿の体有りと説かず。証として成立せず。

又,先已成色不離識,應此離識無別命根。

また、先にすでに色は識を離れずと成せり。まさにこの識を離れて別の命根無かるべし。

又,若命根異識實有,應如受等,非實命根。

また、もし命根は識に異なりて実有なれば、まさに受等の如く、実命根に非ざるべし。

若爾,如何經說三法?義別說三,如四正斷。住無心位,壽、煖應無。豈不經說識不離身。既爾,如何名無心位?彼滅轉識,非阿賴耶。有此識因,後當廣說。此識足為界、趣、生體,是遍、恆、續。異熟果故,無勞別執有實命根。

もし然らば、どうして経に三法を説く。義に別して三を説く。四正断の如し。無心位に住すれば、寿・暖はまさに無かるべし。あに経に説ける識は身を離れずとするに非ずや。すでに然らば、どうして名づけて無心位という。彼らの滅する所は転識にして、並びて阿頼耶(蔵識。すなわち前に説ける異熟の能変)に非ず。この識の因有り。後まさに広く説くべし。この識は足らく界・趣・生の体と為し、遍・恒・続なり。異熟果なるがゆえに、必ずしも別に実命根有りと執するを要せず。

然依親生此識種子,由業所引功能差別,住時決定,假立命根。

しかしてこの識を親生する種子に依って、業の引く所の功能差別にて、住時決定して、假に命根を立つ。

復如何知二無心定、無想異熟,異色、心等有實自性?

またどうして二の無心定・無想異熟が、色・心等に異なりて実自性有るを知る。

若無實性,應不能遮心、心所法,令不現起。

もし実性無ければ、能く心・心所法を遮って現起せしめざるべからず。

若無心位,有別實法,異色、心等,能遮於心,名無心定。

もし無心位に別の実法有りて、色・心等に異なりて、能く心を遮るを、名づけて無心定という。

應無色時,有別實法,異色、心等,能礙於色,名無色定。彼既不爾,此云何然?

それが無色の時、別の実法有りて、色・心等に異なりて、能く色を碍ぐるを、名づけて無色定という。彼辺すでに然らざれば、ここにどうして然らん。

又,遮礙心何須實法,如堤塘等,假亦能遮。

また心を遮碍するに何ぞ実法を要せん、堤塘等の如く、假もまた能く遮る。

謂修定時,於定加行,厭患麁動心、心所故,發勝期願,遮心、心所。令心、心所漸細漸微,微微心時,燻異熟識,成極增上厭心等種。由此損伏心等種故,麁動心等暫不現行,依此分位,假立二定。此種善故,定亦名善。

いわゆる定を修する時、定の加行にて、麁動の心・心所を厭患するに因って、勝れたる期願を発し、心・心所を遮る。心・心所をして漸細漸微ならしめ、微微たる心の時、異熟識に薫習して、極めて増上なる心を厭う等の種を成す。これに由って心等の種を損伏し、麁動の心等は暫く現行せず、この分位に依って假に二定を立つ。この種の善なるがゆえに、定もまた名づけて善という。

無想定前,求無想果,故所燻成種,招彼異熟識。依定麁動想等不行,於此分位,假立無想。依異熟立,得異熟名,故此三法,亦非實有。

無想定は前に無想の果を求むるがゆえに、薫成する所の種はかの異熟識を招く。定に依って麁動の想等は行わざるに、この分位にて假に無想を立つ。異熟に依って立つるがゆえに異熟の名を得、しかしてこの三法もまた実有に非ず。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.