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成唯識論巻第八

唐 · 护法等造,玄奘译 · 第36巻 / 39

由斯三地說斷二愚及彼麁重:一、欲貪愚,即是此中能障勝定及修慧者,彼昔多與欲貪俱故,名欲貪愚,今得勝定及修所成,彼既永斷,欲貪隨伏,此無始來依彼轉故。二、圓滿聞持陀羅尼愚,即是此中能障總持、聞、思慧者。

これに由って三地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、欲貪愚とは、すなわちここの能く勝定および修慧を障るなり。それらは昔多く欲貪と倶のゆえんに名づけて欲貪愚という。今勝定および修の成ずる所を得て、それらはすでに永断して、欲貪は随って伏す。これは無始より来り彼に依って転ずるのゆえん。二、圓滿聞持陀羅尼愚とは、すなわちここの能く総持・聞・思慧を障るなり。

四、微細煩惱現行障,謂所知障中俱生一分,第六識俱身見等攝,最下品故,不作意緣故,遠隨現行故,說名微細。

四、微細煩悩現行障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、第六識に倶の身見等の摂する所にして、最下品なるのゆえん、作意して縁ぜざるのゆえん、遠く現行に随うのゆえんに、説いて名づけて微細という。

彼障四地菩提分法,入四地時便能永斷。

それらは四地の菩提分法を障る。四地に入る時に便ち能く永断す。

彼昔多與第六識中任運而生,執我見等同體起故,說煩惱名,今四地中既得無漏菩提分法,彼便永滅,此我見等亦永不行。

それらは昔多く第六識の中に任運に生じて、我見等を執して同体に起こるのゆえんに、煩悩の名を説く。今四地の中にすでに無漏の菩提分法を得れば、それらは便ち永滅して、この我見等もまた永く行ぜず。

初、二、三地行施、戒、修,相同世間,四地修得菩提分法方名出世,故能永害二身見等。

初・二・三の地は施・戒・修を行じて、世間と相同じ。四地は菩提分法を修得して乃ち名づけて出世という。ゆえに能く永く二の身見等を害す。

寧知此與第六識俱?

どうしてこれは第六識と倶なるを知る。

第七識俱執我見等,與無漏道性相違故,八地以去方永不行,七地已來猶得現起,與餘煩惱為依持故,此麁彼細,伏有前後,故此但與第六相應。

第七識に倶の執する我見等は、無漏道の性と相違するのゆえんに、八地に去るに乃ち永く行ぜず、七地已来は猶ほ現起を得。其余の煩悩と依持と為るのゆえん。此は麁く彼は細にして、伏するに前後有り。ゆえにこれはただ第六と相応す。

「身見等」言亦攝無始所知障攝定愛、法愛。彼定、法愛三地尚增;入四地時方能永斷,菩提分法特違彼故。

「身見等」の言はもまた無始の所知障の摂する所の定愛・法愛を収摂す。それらの定・法愛は三地に尚ほ増す。四地に入る時に乃ち能く永断す。菩提分法は殊にそれらに違するのゆえん。

由斯四地說斷二愚及彼麁重。一、等至愛愚,即是此中定愛俱者;二、法愛愚,即是此中法愛俱者。所知障攝二愚斷故,煩惱二愛亦永不行。

これに由って四地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、等至愛愚とは、すなわちここの定愛に倶の。二、法愛愚とは、すなわちここの法愛に倶の。所知障の摂する二愚を断ずるのゆえんに、煩悩の二愛もまた永く行ぜず。

五、於下乘般涅槃障,謂所知障中俱生一分,令厭生死樂趣涅槃,同下二乘厭苦欣滅。彼障五地無差別道,入五地時便能永斷。由斯五地說斷二愚及彼麁重:一、純作意背生死愚,即是此中厭生死者;二、純作意向涅槃愚,即是此中樂涅槃者。

五、下乗の般涅槃に於て障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、生死を厭い涅槃を楽わしめて、下の二乗の苦を厭い滅を欣うに同じ。それらは五地の差別無き道を障る。五地に入る時に便ち能く永断す。これに由って五地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、純に作意して生死を背く愚とは、すなわちここの生死を厭うなり。二、純に作意して涅槃に向かう愚とは、すなわちここの涅槃を楽うなり。

六、麁相現行障,謂所知障中俱生一分,執有染、淨麁相現行,彼障六地無染、淨道,入六地時便能永斷。

六、麁相現行障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、染・浄の麁相の現行有りを執す。それらは六地の染・浄無き道を障る。六地に入る時に便ち能く永断す。

由斯六地說斷二愚及彼麁重。一、現觀察行流轉愚,即是此中執有染者,諸行流轉染分攝故;二、相多現行愚,即是此中執有淨者。

これに由って六地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、現に諸行の流転を観察する愚とは、すなわちここの染有りを執するなり。諸行の流転は染分の摂する所なるのゆえん。二、相多く現行する愚とは、すなわちここの浄有りを執するなり。

取淨相故,相觀多行,未能多時住無相觀。

浄相を取るのゆえんに、相を観ずるに多く行じて、未だ多くの時に無相観に住すること能わず。

七、細相現行障,謂所知障中俱生一分,執有生滅細相現行,彼障七地妙無相道,入七地時便能永斷。

七、細相現行障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、生滅の細相の現行有りを執す。それらは七地の妙なる無相道を障る。七地に入る時に便ち能く永断す。

由斯七地說斷二愚及彼麁重。一、細相現行愚,即是此中執有生者,猶取流轉細生相故;二、純作意求無相愚,即是此中執有滅者,尚取還滅細滅相故。

これに由って七地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、細相現行愚とは、すなわちここの生有りを執するなり。猶ほ流転の細生相を取るのゆえん。二、純に作意して無相を求むる愚とは、すなわちここの滅有りを執するなり。尚ほ還滅の細滅相を取るのゆえん。

純於無相作意勤求,未能空中起有勝行。

純に無相に於て作意して勤求して、未だ空の中に有の勝行を起こすこと能わず。

八、無相中作加行障,謂所知障中俱生一分,令無相觀不任運起。

八、無相の中に加行を作す障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、無相観をして任運に起こらざらしむ。

前之五地,有相觀多,無相觀少;於第六地,有相觀少,無相觀多;第七地中純無相觀,雖恆相續而有加行,由無相中有加行故,未能任運現相及土,如是加行障八地中無功用道;故若得入第八地時便能永斷。彼永斷故,得二自在。

前の五地は有相観多くして無相観少し。第六地に於ては有相観少なくして無相観多し。第七地の中は純に無相観にして、恒に相続すると雖もしかし加行有り。無相の中に加行有るに由るのゆえんに、未だ任運に相および土を現ずること能わず。かくのごとき加行障は八地の中の無功用道を障る。ゆえにもし第八地に入るを得れば便ち能く永断す。それら永断するのゆえんに、二の自在を得。

由斯八地說斷二愚及彼麁重。一、於無相作功用愚;二、於相自在愚,令於相中不自在故,此亦攝土、相一分故。

これに由って八地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、無相に於て功用を作す愚。二、相に於て自在なる愚とは、相の中に於て自在ならざらしむるのゆえん。これはもまた土・相の一分を収摂するのゆえん。

八地以上純無漏道任運起故,三界煩惱永不現行,第七識中細所知障猶可現起,生空智果不違彼故。

八地已上は純に無漏道は任運に起こるのゆえんに、三界の煩悩は永く現行せず。第七識の中の細き所知障は猶ほ現起すべし。生空智の果はそれらに違せざるのゆえん。

九、利他中不欲行障,謂所知障中俱生一分,令於利樂有情事中,不欲勤行,樂修己利。

九、利他の中に行ぜんことを欲せざる障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、有情を利樂する事に於て、勤めて行ぜんことを欲せずして、己の利を修するを楽わしむ。

彼障九地四無閡解,入九地時便能永斷。

それらは九地の四無礙解を障る。九地に入る時に便ち能く永断す。

由斯九地說斷二愚及彼麁重。

これに由って九地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。

一、於無量所說法、無量名句字、後後慧辯陀羅尼自在愚。

一、無量の説く所の法・無量の名句字・後後の慧辯の陀羅尼の自在に於て愚。

於無量所說法陀羅尼自在者,謂義無閡解,即於所詮總持自在,於一義中現一切義故;於無量名句字陀羅尼自在者,謂法無閡解,即於能詮總持自在,於一名句字中現一切名句字故;於後後慧辯陀羅尼自在者,謂詞無閡解,即於言音展轉訓釋總持自在,於一音聲中現一切音聲故。

無量の説く所の法の陀羅尼の自在に於てとは、いわゆる義無礙解にて、すなわち詮する所に於て総持自在なり。一義の中に一切義を現ずるのゆえん。無量の名句字の陀羅尼の自在に於てとは、いわゆる法無礙解にて、すなわち能く詮するに於て総持自在なり。一名句字の中に一切名句字を現ずるのゆえん。後後の慧辯の陀羅尼の自在に於てとは、いわゆる詞無礙解にて、すなわち言音の展転の訓釋に於て総持自在なり。一音声の中に一切音声を現ずるのゆえん。

二、辯才自在愚,辯才自在者,謂辯無閡解,善達機宜巧為說故。

二、辯才自在愚とは、辯才自在とはいわゆる辯無礙解にて、善く機宜を達して巧みに説を為すのゆえん。

愚能障此四種自在,皆是此中第九障攝。

愚は能くこの四種の自在を障る。倶に是れここの第九障の摂する所なり。

十、於諸法中未得自在障,謂所知障中俱生一分,令於諸法不得自在。

十、諸法の中に於て未だ自在を得ざる障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、諸法に於て自在を得ざらしむ。

彼障十地大法智雲及所含藏、所起事業。

それらは十地の大法智雲および含蔵する所・起こす所の事業を障る。

入十地時便能永斷。由斯十地說斷二愚及彼麁重。一、大神通愚,即是此中障所起事業者;二、悟入微細秘密愚,即是此中障大法智雲及所含藏者。

十地に入る時に便ち能く永断す。これに由って十地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、大神通愚とは、すなわちここの起こす所の事業を障るなり。二、微細の秘密に悟入する愚とは、すなわちここの大法智雲および含蔵する所を障るなり。

此地於法雖得自在,而有餘障,未名最極。

この地は法に於て自在を得ると雖も、しかし余障有りて、未だ最極と名づけず。

謂有俱生微所知障,及有任運煩惱障種,金剛喻定現在前時,彼皆頓斷,入如來地。

いわゆる倶生の微き所知障有り、および任運の煩悩障種有りて、金剛喩定の前に現ずる時に、それらは倶に頓断して、如来地に入る。

由斯佛地說斷二愚及彼麁重:一、於一切所知境極微細著愚,即是此中微所知障;二、極微細礙愚,即是此中一切任運煩惱障種。

これに由って仏地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、一切の所知境に於て極微細なる著の愚とは、すなわちここの微き所知障。二、極微細なる礙の愚とは、すなわちここの一切の任運の煩悩障種。

故《集論》說:得菩提時頓斷煩惱及所知障,成阿羅漢及成如來,證大涅槃、大菩提故。

ゆえに《集論》に説く:菩提を得る時に煩悩および所知障を頓断して、阿羅漢を成じおよび如来を成ず。大涅槃・大菩提を証するのゆえん。

成唯識論巻第九

成唯識論巻第十

護法等菩薩造

護法等の菩薩造。

三藏法師玄奘奉詔譯

三蔵法師玄奘詔を奉じて翻訳す。

此十一障,二障所攝。

この十一障は二障の摂する所なり。

煩惱障中見所斷種,於極喜地見道初斷。彼障現起,地前已伏。

煩悩障の中の見の断ずる所の種は、極喜地の見道に於て初めて断ず。それらの障の現起は地前に已に伏す。

修所斷種,金剛喻定現在前時,一切頓斷。彼障現起,地前漸伏,初地以上,能頓伏盡,令永不行,如阿羅漢。由故意力,前七地中雖暫現起,而不為失。八地以上,畢竟不行。

修の断ずる所の種は、金剛喩定の前に現ずる時に一切頓断す。それらの障の現起は地前に漸伏して、初地已上は能く頓に伏尽して、永く行ぜざらしむ。阿羅漢の如し。故意力に由って前の七地の中に暫く現起すと雖も、しかし失と為らず。八地已上は畢竟に行ぜず。

所知障中見所斷種,於極喜地見道初斷。彼障現起,地前已伏。

所知障の中の見の断ずる所の種は、極喜地の見道に於て初めて断ず。それらの障の現起は地前に已に伏す。

修所斷種,於十地中,漸次斷滅;金剛喻定現在前時,方永斷盡。彼障現起,地前漸伏;乃至十地,方永伏盡。

修の断ずる所の種は、十地の中に於て漸次に断滅し、金剛喩定の前に現ずる時に乃ち永く断尽す。それらの障の現起は地前に漸伏して、乃至十地に乃ち永く伏尽す。

八地以上,六識俱者,不復現行,無漏觀心,及果相續,能違彼故;第七俱者,猶可現行,法空智果起位方伏。

八地已上は六識に倶のは復た現行せず。無漏の観心および果の相続は能くそれらに違するのゆえん。第七に倶のは猶ほ現行すべし。法空智の果の起こる位に乃ち伏す。

前五轉識,設未轉依,無漏伏故,障不現起。

前五の転識は設し未だ転依せざるも、無漏の伏する所なるのゆえんに、障は現起せず。

雖於修道十地位中,皆不斷滅煩惱障種,而彼麁重,亦漸斷滅,由斯故說二障麁重,一一皆有三位斷義。

修道の十地位の中に於て倶に煩悩障種を断滅せざると雖も、しかしそれらの麁重もまた漸々断滅す。これに由ってゆえに二障の麁重は一一に倶に三位の断義有りと説く。

雖諸位中,皆斷麁重,而三位顯,是故偏說。

諸位の中に倶に麁重を断ずると雖も、しかし三位は顯なり。ゆえに偏りて説く。

斷二障種,漸、頓云何?

二障種を断ずるに漸・頓はいかん。

第七識俱煩惱障種,三乘將得,無學果時,一剎那中,三界頓斷。所知障種,將成佛時,一剎那中,一切頓斷,任運內起,無麁細故。

第七識に倶の煩悩障種は、三乗の将に無学果を得んとする時に、一刹那の中に三界頓断す。所知障種は将に仏を成らんとする時に、一刹那の中に一切頓断す。任運に内に起こりて麁細無きのゆえん。

餘六識俱煩惱障種,見所斷者,三乘見位真見道中,一切頓斷;修所斷者,隨其所應:一類二乘,三界九地,一一漸次,九品別斷;一類二乘,三界九地,合為一聚,九品別斷;菩薩要起金剛喻定,一剎那中,三界頓斷。

其余の六識に倶の煩悩障種の見の断ずる所は、三乗の見位の真見道の中に一切頓断す。修の断ずる所はその応ずる所に随う。一類の二乗は三界九地を一一に漸次に九品に別断す。一類の二乗は三界九地を合して一聚と為し、九品に別断す。菩薩は要して金剛喩定を起こして、一刹那の中に三界頓断す。

所知障種,初地初心,頓斷一切見所斷者。修所斷者,後於十地修道位中,漸次而斷,乃至正起金剛喻定,一剎那中方皆斷盡。通緣內外麁細境生,品類差別有眾多故。

所知障種は初地の初心に一切の見の断ずる所を頓断す。修の断ずる所は後に十地の修道位の中に漸次に断じて、乃至正しく金剛喩定を起こして、一刹那の中に乃ち倶に断尽す。内外の麁細の境を通縁して生ず。品類の差別に众多有るのゆえん。

二乘根鈍,漸斷障時,必各別起無間、解脫;加行、勝進,或別或總。

二乗は根鈍くして、漸く障を断ずる時は、必ず各別に無間・解脱を起こす。加行・勝進はあるいは別あるいは総なり。

菩薩利根,漸斷障位,非要別起無間、解脫,剎那剎那能斷證故。加行等四,剎那剎那前後相望,皆容具有。

菩薩は利根にして、漸く障を断ずる位は、別に無間・解脱を起こすことを要せず。刹那・刹那に能く断証するのゆえん。加行等の四は刹那・刹那の前後の相望みて倶に具有を容す。

十真如者:

十真如:

一、遍行真如:謂此真如二空所顯,無有一法而不在故。

一、遍行真如とは、いわゆるこの真如は二空の顯す所にて、一法有りて在らざる無きのゆえん。

二、最勝真如:謂此真如具無邊德,於一切法最為勝故。

二、最勝真如とは、いわゆるこの真如は無辺の徳を具えて、一切法に於て最も勝れるのゆえん。

三、勝流真如:謂此真如所流教法,於餘教法極為勝故。

三、勝流真如とは、いわゆるこの真如の流る所の教法は、其余の教法に於て極めて勝れるのゆえん。

四、無攝受真如:謂此真如無所繫屬,非我執等所依取故。

四、無摂受真如とは、いわゆるこの真如は繫属する所無くして、我執等の依りて取る所に非ざるのゆえん。

五、類無別真如:謂此真如類無差別,非如眼等類有異故。

五、類無別真如とは、いわゆるこの真如は類は差別無くして、眼等の類の異有るに非ざるが如きのゆえん。

六、無染淨真如:謂此真如本性無染,亦不可說後方淨故。

六、無染浄真如とは、いわゆるこの真如は本性は染無くして、もまた後に浄なりと説くべからざるのゆえん。

七、法無別真如:謂此真如雖多教法,種種安立而無異故。

七、法無別真如とは、いわゆるこの真如は多くの教法・種種の安立有ると雖も、しかし異無きのゆえん。

八、不增減真如:謂此真如離增減執,不隨淨染有增減故。即此亦名相土自在所依真如,謂若證得此真如已,現相、現土俱自在故。

八、不増減真如とは、いわゆるこの真如は増減の執を離れて、浄染に随って増減有らざるのゆえん。すなわちこれはもまた名づけて相土自在の所依の真如という。いわゆるもしこの真如を証得し已らば、相を現じ土を現ずるも倶に自在なるのゆえん。

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