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成唯識論巻第八

唐 · 护法等造,玄奘译 · 第35巻 / 39

云何證得二種轉依?

どうして二種の転依を証得する。

謂十地中修十勝行、斷十重障、證十真如,二種轉依由斯證得。

いわゆる十地の中に十勝行を修し、十重障を断じ、十真如を証す。二種の転依はこれに由って証得す。

言十地者,一、極喜地,初獲聖性,具證二空,能益自、他,生大喜故。

十地を説く:一、極喜地とは、初めて聖性を獲て、具に二空を証して、能く自・他を益して、大いに喜を生ずるのゆえん。

二、離垢地,具淨屍羅,遠離能起微細毀犯煩惱垢故。

二、離垢地とは、具に浄尸羅(戒)にして、能く起こる微細の毀犯の煩悩垢を遠離するのゆえん。

三、發光地,成就勝定,大法總持,能發無邊妙慧光故。

三、發光地とは、勝定・大法の総持を成就して、能く無辺の妙慧の光を發するのゆえん。

四、焰慧地,安住最勝菩提分法,燒煩惱薪,慧焰增故。

四、焰慧地とは、最勝の菩提分法に安住して、煩悩の薪を焼きて、慧の焰増すのゆえん。

五、極難勝地,真、俗兩智行相互違,合令相應極難勝故。

五、極難勝地とは、真・俗の両智の行相は互いに違して、合して相応せしむるに極めて勝れ難きのゆえん。

六、現前地,住緣起智,引無分別最勝般若令現前故。

六、現前地とは、縁起の智に住して、無分別の最勝般若を引きて現前せしむるのゆえん。

七、遠行地,至無相住功用後邊,出過世間二乘道故。

七、遠行地とは、無相に住して功用の後辺に至りて、世間の二乗道を出過するのゆえん。

八、不動地,無分別智任運相續,相、用煩惱不能動故。

八、不動地とは、無分別智は任運に相続して、相・用の煩悩は動かすこと能わざるのゆえん。

九、善慧地,成就微妙四無閡解,能遍十方善說法故。

九、善慧地とは、微妙の四無礙解を成就して、能く十方に遍して善く法を説くのゆえん。

十、法雲地,大法智雲含眾德水,蔽如空麁重,充滿法身故。

十、法雲地とは、大法の智雲は衆徳の水を含みて、空の如き麁重を蔽いて、法身に充満するのゆえん。

如是十地,總攝有為、無為功德以為自性。

かくのごとき十地は、総じて有為・無為の功徳を摂して以って自性と為す。

與所修行為勝依持,令得生長,故名為地。

修する所の行と勝依持と為りて、生長を得しむ。ゆえに名づけて地という。

十勝行者,即是十種波羅蜜多。

十勝行とはすなわち十種の波羅蜜多なり。

施有三種:謂財施、無畏施、法施。戒有三種:謂律儀戒、攝善法戒、饒益有情戒。忍有三種:謂耐怨害忍、安受苦忍、諦察法忍。精進有三種:謂被甲精進、攝善精進、利樂精進。靜慮有三種:謂安住靜慮、引發靜慮、辦事靜慮。般若有三種:謂生空無分別慧、法空無分別慧、俱空無分別慧。方便善巧有二種:謂迴向方便善巧、拔濟方便善巧。願有二種:謂求菩提願、利樂他願。力有二種:謂思擇力、修習力。智有二種:謂受用法樂智、成熟有情智。

施は三種有り。いわゆる財施・無畏施・法施。戒は三種有り。いわゆる律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒。忍は三種有り。いわゆる耐怨害忍・安受苦忍・諦察法忍。精進は三種有り。いわゆる被甲精進・摂善精進・利樂精進。静慮は三種有り。いわゆる安住静慮・引發静慮・辦事静慮。般若是三種有り。いわゆる生空無分別慧・法空無分別慧・倶空無分別慧。方便善巧は二種有り。いわゆる回向方便善巧・拔済方便善巧。願は二種有り。いわゆる菩提を求むる願・他を利樂する願。力は二種有り。いわゆる思択力・修習力。智は二種有り。いわゆる法樂を受用する智・有情を成熟する智。

此十性者,施以無貪及彼所起三業為性;戒以受學菩薩戒時三業為性;忍以無瞋、精進、審慧及彼所起三業為性;精進以勤及彼所起三業為性;靜慮但以等持為性;後五皆以擇法為性,說是根本、後得智故。有義:第八以欲、勝解及信為性,願以此三為自性故。

この十の性は、施は無貪およびそれらの起こす所の三業を以って性と為す。戒は菩薩戒を受学する時の三業を以って性と為す。忍は無瞋・精進・審慧およびそれらの起こす所の三業を以って性と為す。精進は勤およびそれらの起こす所の三業を以って性と為す。静慮はただ等持を以って性と為す。後の五は倶に択法を以って性と為す。根本・後得の智と説くのゆえん。一義有り:第八は欲・勝解および信を以って性と為す。願はこの三を以って自性と為すのゆえん。

此說自性,若並眷屬,一一皆以一切俱行功德為性。

これは自性を説く。もし眷属を併せば、一一は倶に一切の倶行功徳を以って性と為す。

此十相者,要七最勝之所攝受,方可建立波羅蜜多。

この十の相は、七最勝の摂受する所を要して、乃ち波羅蜜多を建立すべし。

一、安住最勝,謂要安住菩薩種性;二、依止最勝,謂要依止大菩提心;三、意樂最勝,謂要悲愍一切有情;四、事業最勝,謂要具行一切事業;五、巧便最勝,謂要無相智所攝受;六、迴向最勝,謂要迴向無上菩提;七、清淨最勝,謂要不為二障間雜。

一、安住最勝とは、いわゆる菩薩種性に安住するを要す。二、依止最勝とは、いわゆる大菩提心に依止するを要す。三、意樂最勝とは、いわゆる一切有情を悲愍するを要す。四、事業最勝とは、いわゆる一切の事業を具行するを要す。五、巧便最勝とは、いわゆる無相智の摂受する所を要す。六、回向最勝とは、いわゆる無上菩提に回向するを要す。七、清浄最勝とは、いわゆる二障の間雑せらるる為らざるを要す。

若非此七所攝受者,所行施等非到彼岸。

もしこの七の摂受する所に非ざれば、行ずる所の施等は到彼岸に非ず。

由斯施等十對波羅蜜多,一一皆應四句分別。

これに由って施等の十は波羅蜜多に対して、一一倶にまさに四句に分別すべし。

此但有十不增減者,謂十地中對治十障、證十真如,無增減故。

これはただ十のみ有りて増減せず。いわゆる十地の中に十障に対治し、十真如を証するに、増減無きのゆえん。

復次,前六不增減者,為除六種相違障故,漸次修行諸佛法故,漸次成熟諸有情故,此如餘論廣說應知。又施等三增上生道,感大財體及眷屬故;精進等三決定勝道,能伏煩惱、成熟有情及佛法故,諸菩薩道唯有此二。又前三種饒益有情,施彼資財、不損惱彼、堪忍彼惱而饒益故。精進等三對治煩惱,雖未伏滅,而能精勤修對治彼諸善加行,永伏永滅諸煩惱故。又由施等不住涅槃,及由後三不住生死,為無住處涅槃資糧,由此前六不增不減。

復た次に、前の六は増減せず。六種の相違の障を除かんが為のゆえん。漸次に諸仏法を修行するのゆえん。漸次に諸有情を成熟するのゆえん。これは其余の論の広く説けるが如くまさに知るべし。また施等の三は増上の生道にて、大きの財体および眷属を感ずるのゆえん。精進等の三は決定の勝道にて、能く煩悩を伏し、有情および仏法を成熟するのゆえん。諸菩薩道はただこの二のみ有り。また前の三種は有情を饒益す。彼に資財を施し、彼を損惱せず、彼の惱に堪忍して饒益するのゆえん。精進等の三は煩悩に対治す。未だ伏滅せざると雖も、しかし能く精勤して彼に対治する諸善加行を修して、永伏・永滅して諸煩悩を断ずるのゆえん。また施等に由って涅槃に住せず、および後の三に由って生死に住せず。無住処涅槃の資糧と為る。これに由って前の六は増さず減らず。

後唯四者,為助前六令修滿足不增減故,方便善巧助施等三,願助精進,力助靜慮,智助般若,令修滿故,如《解深密》廣說應知。

後はただ四のみ。前の六を助けて修をして満足せしめんが為に増減せざるのゆえん。方便善巧は施等の三を助け、願は精進を助け、力は静慮を助け、智は般若を助けて、修をして満たせしむるのゆえん。《解深密》の広く説けるが如くまさに知るべし。

十次第者,謂由前前引發後後,及由後後持淨前前。又前前麁,後後細故,易難修習次第如是。

十の次第とは、いわゆる前前に由って後後を引發し、および後後に由って前前を持浄す。また前前は麁く、後後は細なるのゆえんに、易・難の修習の次第はこの如し。

釋總別名如餘處說。

総別の名を釋するは其余の処の説くが如し。

此十修者有五種修:一、依止任持修;二、依止作意修;三、依止意樂修;四、依止方便修;五、依止自在修。依此五修,修習十種波羅蜜多皆得圓滿,如《集論》等廣說其相。

この十の修は五種の修有り。一、依止任持修。二、依止作意修。三、依止意樂修。四、依止方便修。五、依止自在修。この五修に依って、十種の波羅蜜多を修習して倶に圓滿を得。《集論》等のその相を広く説けるが如し。

此十攝者,謂十一一皆攝一切波羅蜜多,互相順故,依修前行而引後者,前攝於後,必待前故,後不攝前,不待後故。依修後行,持淨前者,後攝於前,持淨前故,前不攝後,非持淨故。若依純雜而修習者,展轉相望應作四句。

この十の摂とは、いわゆる十一一は倶に一切の波羅蜜多を摂す。互相順するのゆえん。前行を修して後を引くに依るは、前は後を摂す。必ず前を待つのゆえん。後は前を摂せず。後を待たざるのゆえん。後行を修して前を持浄するに依るは、後は前を摂す。前を持浄するのゆえん。前は後を摂せず。持浄に非ざるのゆえん。もし純雑に依って修習するは、展転して相望みてまさに四句を作すべし。

此實有十而說六者,應知後四第六所攝,開為十者,第六唯攝無分別智,後四皆是後得智攝,緣世俗故。

これは実に十有りて六と説く。まさに知るべし、後の四は第六の摂する所なり。開いて十と為すは、第六はただ無分別智を摂し、後の四は倶に後得智の摂する所にして、世俗に縁ずるのゆえん。

此十果者,有漏有四,除離繫果;無漏有四,除異熟果。而有處說具五果者,或互相資或二合說。

この十の果は、有漏は四有りて離繫果を除き、無漏は四有りて異熟果を除く。しかし処有りて五果を具すと説くは、あるいは互いに資すかあるいは二を合して説く。

十與三學互相攝者,戒學有三:一、律儀戒,謂正遠離所應離法;二、攝善法戒,謂正修證應修證法;三、饒益有情戒,謂正利樂一切有情。此與二乘有共、不共,甚深廣大,如餘處說。

十と三学とは互いに相摂す。戒学は三有り。一、律儀戒とは、いわゆる正しく離るべき所の法を遠離す。二、摂善法戒とは、いわゆる正しく修証すべき所の法を修証す。三、饒益有情戒とは、いわゆる正しく一切有情を利樂す。これは二乗と共・不共有りて、甚深広大なり。其余の処の説くが如し。

定學有四:一、大乘光明定,謂此能發照了大乘理、教、行、果,智光明故;二、集福王定,謂此自在集無邊福,如王勢力無等雙故;三、賢守定,謂此能守世、出世間賢善法故;四、健行定,謂佛菩薩大健有情之所行故。此四所緣、對治、堪能、引發、作業,如餘處說。

定学は四有り。一、大乗光明定とは、いわゆるこれは能く大乗の理・教・行・果を照了する智の光明を發するのゆえん。二、集福王定とは、いわゆるこれは自在に無辺の福を集めて、王の勢力の等双無きが如きのゆえん。三、賢守定とは、いわゆるこれは能く世・出世間の賢善法を守るのゆえん。四、健行定とは、いわゆる仏・菩薩の大健の有情の行ずる所なるのゆえん。この四の所縁・対治・堪能・引發・作業は其余の処の説くが如し。

慧學有三:一、加行無分別慧;二、根本無分別慧;三、後得無分別慧。此三自性、所依、因緣、所緣、行等,如餘處說。

慧学は三有り。一、加行無分別慧。二、根本無分別慧。三、後得無分別慧。この三の自性・所依・因縁・所縁・行等は其余の処の説くが如し。

如是三慧,初二位中種具有三,現唯加行,於通達位現二種三,見道位中無加行故,於修習位七地已前,若種若現俱通三種。八地以去現二種三,無功用道違加行故,所有進趣皆用後得,無漏觀中任運起故,究竟位中現、種俱二,加行現、種俱已捨故。

かくのごとき三慧は、初の二位の中にて種は具に三有りて、現はただ加行のみ。通達位に於て現は二種三。見道位の中に加行無きのゆえん。修習位に於て七地已前は、もし種もし現なるも倶に三種に通ず。八地に去れば現は二種三。無功用道は加行に違するのゆえん。所有の進趣は倶に後得を用いる。無漏観の中に任運に起こるのゆえん。究竟位の中に現・種は倶に二。加行の現・種は倶に已に捨てたるのゆえん。

若自性攝,戒唯攝戒,定攝靜慮,慧攝後五。若並助伴,皆具相攝。若隨用攝,戒攝前三,資糧、自體、眷屬性故,定攝靜慮,慧攝後五,精進三攝,遍策三故。若隨顯攝,戒攝前四,前三如前,及守護故,定攝靜慮,慧攝後五。

もし自性の摂なれば、戒はただ戒を摂し、定は静慮を摂し、慧は後の五を摂す。もし助伴を併せば、倶に具に相摂す。もし用に随って摂せば、戒は前の三を摂す。資糧・自体・眷属の性なるのゆえん。定は静慮を摂し、慧は後の五を摂す。精進は三を摂す。三を遍策するのゆえん。もし顯に随って摂せば、戒は前の四を摂す。前の三は前の如くおよび守護するのゆえん。定は静慮を摂し、慧は後の五を摂す。

此十位者,五位皆具,修習位中其相最顯,然初二位,頓悟菩薩種通二種,現唯有漏,漸悟菩薩若種、若現俱通二種,已得生空無漏觀故。通達位中,種通二種,現唯無漏。於修習位七地已前,種、現俱通有漏無漏,八地以去種通二種,現唯無漏。究竟位中,若現、若種俱唯無漏。

この十の位は、五位倶に具す。修習位の中にその相最も顯なり。しかし初の二位は、頓悟の菩薩は種は二種に通じて、現はただ有漏のみ。漸悟の菩薩はもし種もし現なるも倶に二種に通ず。已に生空の無漏観を得たるのゆえん。通達位の中に種は二種に通じて、現はただ無漏のみ。修習位に於て七地已前は種・現は倶に有漏無漏に通じて、八地に去れば種は二種に通じて、現はただ無漏のみ。究竟位の中にはもし現もし種なるも倶にただ無漏のみ。

此十因位有三種名:一名遠波羅蜜多,謂初無數劫,爾時施等勢力尚微,被煩惱伏,未能伏彼,由斯煩惱不覺現行。二名近波羅蜜多,謂第二無數劫,爾時施等勢力漸增,非煩惱伏,而能伏彼,由斯煩惱故意方行。三名大波羅蜜多,謂第三無數劫,爾時施等勢力轉增,能畢竟伏一切煩惱,由斯煩惱永不現行,猶有所知微細現種及煩惱種,故未究竟。

この十は因位に於て三種の名有り。一は名づけて遠波羅蜜多という。いわゆる初の無数劫にて、かの時施等の勢力は尚ほ微にして、煩悩の伏する所にして、未だ彼を伏する能わず。これに由って煩悩は覚らずして現行す。二は名づけて近波羅蜜多という。いわゆる第二の無数劫にて、かの時施等の勢力は漸々増して、煩悩の伏する所に非ずして、能く彼を伏す。これに由って煩悩は故に行うのみ。三は名づけて大波羅蜜多という。いわゆる第三の無数劫にて、かの時施等の勢力は転じて増して、能く畢竟に一切煩悩を伏す。これに由って煩悩は永く現行せず。猶ほ所知の微細の現種および煩悩種有るを以って、ゆえに未だ究竟せず。

此十義類差別無邊,恐厭繁文,略示綱要。

この十の義類は差別辺無し。繁文を厭わんことを恐れて、略して綱要を示す。

十於十地雖實皆修,而隨相增,地地修一。

十は十地に於て実は倶に修すると雖も、しかし相の増するに随って、地地に一を修す。

雖十地行有無量門,而皆攝在十到彼岸。

十地の行は無量門有ると雖も、しかし倶に十の到彼岸に収攝す。

十重障者:

十重障:

一、異生性障,謂二障中分別起者,依彼種立異生性故。

一、異生性障とは、いわゆる二障の中の分別起なり。彼の種に依って異生性を立つのゆえん。

二乘見道現在前時,唯斷一種,名得聖性;菩薩見道現在前時,具斷二種,名得聖性。

二乗の見道の前に現ずる時は、ただ一種を断じて、名づけて聖性を得と為す。菩薩の見道の前に現ずる時は、具に二種を断じて、名づけて聖性を得と為す。

二真見道現在前時,彼二障種必不成就,猶明與闇定不俱生,如秤兩頭低昂時等,諸相違法理必應然,是故二性無俱成失。

二の真見道の前に現ずる時は、かの二障種は必ず成就せず。猶ほ明と暗との定めて倶生せざるが如く、秤の両頭の低昂は時を同じくするが如し。諸々の相違法は理必ずまさに然るべし。ゆえに二性は倶成の過失無し。

無間道時已無惑種,何用復起解脫道為?

無間道の時に已に惑種無ければ、何の用にか更に解脱道を起こさん。

斷惑證滅,期心別故。

惑を断じて滅を証するは、心の分別に期するのゆえん。

為捨彼品麁重性故,無間道時雖無惑種,而未捨彼無堪任性,為捨此故,起解脫道,及證此品擇滅無為。

彼の品の麁重性を捨てんが為のゆえん。無間道の時は惑種無きと雖も、しかし未だかの堪任無き性を捨てず。これを捨てんが為のゆえんに解脱道を起こし、および此の品の択滅無為を証す。

雖見道生亦斷惡趣諸業果等,而今且說能起煩惱是根本故,由斯初地說斷二愚及彼麁重。

見道の生ずるもまた悪趣の諸業果等を断ずると雖も、しかし今且く能く煩悩を起こすを説く。是れ根本なるのゆえん。これに由って初地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。

一、執著我法愚,即是此中異生性障;二、惡趣雜染愚,即是惡趣諸業果等。應知愚品總說為愚,後准此釋。或彼唯說利、鈍障品俱起二愚。

一、我法を執著する愚とは、すなわちここの異生性障。二、悪趣の雑染愚とは、すなわち悪趣の諸業果等。まさに知るべし、愚品は総じて愚と説く。後にはこれに准じて釋す。あるいはそれらはただ利・鈍の障品の倶起する二愚を説く。

彼麁重言,顯彼二種,或二所起無堪任性,如入二定說斷苦根,所斷苦根雖非現、種而名麁重,此亦應然,後麁重言,例此應釋。

かの麁重の言はかの二種を顯す。あるいは二の起こす所の堪任無き性。二定に入りて苦根を断ずと説くが如く、断ずる所の苦根は現・種に非ざると雖も、しかし名づけて麁重という。これもまたまさに然るべし。後の麁重の言はこれに例してまさに釋すべし。

雖初地所斷實通二障,而異生性障意取所知,說十無明非染汙故;無明即是十障品愚。

初地の断ずる所は実は二障に通ずると雖も、しかし異生性障は意は所知を取る。十の無明は染汚に非ずと説くのゆえん。無明はすなわち十障品の愚なり。

二乘亦能斷煩惱障,彼是共故,非此所說。又十無明不染汙者,唯依十地修所斷說。

二乗もまた能く煩悩障を断ず。それらは是れ共なるのゆえんに、ここの説く所に非ず。また十の無明の染汚ならざるは、ただ十地の修の断ずる所に依って説く。

雖此位中亦伏煩惱、斷彼麁重,而非正意,不斷隨眠,故此不說。

この位の中にもまた煩悩を伏し、それらの麁重を断ずると雖も、しかし正意に非ず。随眠を断を断ぜざるを以って、ゆえにここに説かず。

理實初地修道位中,亦斷俱生、所知一分,然今且說最初斷者,後九地斷,准此應知。

理実は初地の修道位の中にもまた倶生・所知の一分を断ず。しかし今且く最初の断ずる所を説く。後の九地の断ずるはこれに准じてまさに知るべし。

住、滿地中時既淹久,理應進斷所應斷障,不爾三時道應無別,故說菩薩得現觀已,復於十地修道位中,唯修永滅所知障道,留煩惱障助願受生,非如二乘速趣圓寂,故修道位不斷煩惱,將成佛時方頓斷故。

住・満の地中の時はすでに淹久なれば、理まさに進んで断ずべき所の障を断ずべし。然らずんば三時の道はまさに分別無かるべし。ゆえに菩薩は現観を得已りて、また十地の修道位の中に於て、ただ永く所知障を滅する道を修して、煩悩障を留めて願を助けて生を受く。二乗の速やかに圓寂に趣くが如ならず。ゆえに修道位には煩悩を断ぜず。将に仏を成らんとする時に乃ち頓断するのゆえん。

二、邪行障,謂所知障中俱生一分及彼所起悞犯三業。

二、邪行障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分およびそれらの起こす所の誤犯の三業。

彼障二地極淨屍羅,入二地時便能永斷,由斯二地說斷二愚及彼麁重:一、微細悞犯愚,即是此中俱生一分;二、種種業趣愚,即彼所起悞犯三業,或唯起業、不了業愚。

それらは二地の極浄の尸羅を障る。二地に入る時に便ち能く永断す。これに由って二地に二愚およびそれらの麁重を断ずと説く。一、微細誤犯愚とは、すなわちここの倶生の一分。二、種種業趣愚とは、すなわちそれらの起こす所の誤犯の三業、あるいはただ業を起こして業を了せざる愚。

三、闇鈍障,謂所知障中俱生一分,令所聞、思、修法忘失。

三、闇鈍障とは、いわゆる所知障の中の倶生の一分にて、聞・思・修する所の法を忘失せしむ。

彼障三地勝定、總持及彼所發殊勝三慧,入三地時便能永斷。

それらは三地の勝定・総持およびそれらの發する所の殊勝の三慧を障る。三地に入る時に便ち能く永断す。

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