相辨微芒第二(鬼谷子)
大道無形無執著。人雖具形,來自無形;相本有法,拘法則泥。成和子云:夫人肖形天地,其本來面目無中生有,或得之而成飛禽之像,或得之而成走獸之像,色色種種,別何者為吉人,何者為匪人?磋夫,執形而論相,管中窺豹也。不離形,不拘法,視於無形,聽於無聲,其相之善者也。《風鑑》云:上相之士,不相身面,其意亦同。
大道本來形狀なく、亦た形狀に執着すべからず。人雖も一副の形體を長ずれど、この形體は卻って無形の中より來る。相法本來條例あるも、死に條例を摳ればかえって拘泥不通となる。成和子曰く:人の形貌は天地に取法し、本來面目は無の中より有を生出せしより來る。ある人は飛禽之氣を得て便ち禽鳥の相に長成し、ある人は走獸之氣を得て便ち走獸の相に長成し、形形色色なり。この許多の形色の裏に誰が吉人・誰が壞人かを分辨する要あり。嗚呼、もし死に形體を抓着して相を論ぜば、それは不過竹管の裏より豹を看るに一斑を見るのみ。既に形體を離れず、又た條例に拘泥せず、能く無形の處に看、無聲の處に聽くは、これ乃ち人を相する上手なり。《風鑑》曰く:高明の相士は專ら人の身と面を看ず、講ずるも亦た同一の意思なり。
秘訣云:以貌觀人,失之子羽;以言語觀人,失之宰子。宣尼猶然,庸術乎?蓋道能生形,形不能生道,知此道即知此形。形乎形乎,視聽冥冥,斯其至矣。
祕訣曰く:孔子は相貌を憑に人を看て、澹臺滅明(字は子羽、貌醜にして德高し)を看錯えり。言辭を憑に人を看て、宰予(字は子我、能言にして懈怠)を看錯えり。孔子のごとき聖人尚ほ且つ此のごとし、況んや平庸の術士をや。原因は在り:道は形を生出しうるを能くし、形は卻って道を生出し得ず。此の道を懂得せば、亦た此の形を懂得せり。形や形や、真の看と聽は皆杳冥無跡の處に在り。此の一步に到り得れば、相術は家に到るなり。
揣摩簡練出其下。學古人之成法,斤斤不失尺寸,此其下也。太沖子云:今得意於忘言之天,盡是棄糟粕已後。陳圖南云:揣其形,摩其骨,什分之間不失一。超於什一,揣摩中便是神仙下寰世。
一味に揣摩推敲・熟練技法の上に功夫を下すは、これ相術の下等なり。古人の現成の法則を學びて、一分一寸も敢えて差えざるは、這れ即ち下等なり。太衝子曰く:如今忘言の境界の裏に其意趣を得る能くするは、皆糟粕を丟開したる後の事なり。陳摶曰く:彼の形貌を揣量し、彼の骨相を摩挲すれば、十分の中一分を差えず。若し此の十分之一の精度を超過し得ば、那れ即ち神仙の凡間に下凡して來たるなり。
秘訣云:春秋伯樂善相馬,秦穆公謂伯樂之後無人己。伯樂舉九方皋,穆公乃使九方皋遍求馬於域中,數月而報得良馬,牡毛色畢呈。馬至則與前報者庚,穆公不悅口,化牡毛色不分,義何馬之能知?伯樂曰:若皋之所觀天機也,得其精而忘其粗,在其內而忘其外。驗之果良馬。夫君子之相,何異良馬。學者得九方皋之術化矣。
祕訣は一個の故事を講ず。春秋の時伯樂は馬を相するに善し。秦穆公は伯樂の後再び馬を相する人なしと認めり。伯樂は九方皐を舉薦し、穆公便ち九方皐を派して境內各處に馬を尋ねしむ。幾個月後回報して一匹の良馬を找到し、還た馬の公母と毛色を報ず。馬牽き來る時、先前の報じたる公母毛色と對せず。穆公很だ高興せず、曰く:公母毛色さえ分かち清めず、還た何の馬を懂せんや。伯樂曰く:九方皐の看る所は天機なり。彼は精微を抓住して粗跡を忘掉し、ただ内在を看て外表を忘掉す。後來一たび試せば、果然良馬なり。君子の相は、良馬を相するとなんの兩樣かあらん。學相の人若し九方皐此の一手に學び得ば、即ち化境に入るなり。
有時或在方寸間,理不越於方寸,常存主於一身。《聖凡論》云:心為身主,五行之先。麻衣云:末觀形貌先相心田。此□者皆方寸之說也。秘訣云:心者身之帥,心帥以正,幻形孰不正。形右不正者元論矣。即如伏羲人首蛇身,神農人身牛首,為三代之聖君。方寸之論,彰彰明矣。
相は時に方寸之心の上に在り。相理は此の方寸之地を出でず、心は常常に一身の主を做す。《聖凡論》曰く:心は身體の主宰にして、五行より還た先に在り。麻衣道者曰く:未だ形貌を看ずるに、先に心地を看よ。此の兩條講ずるは皆方寸之心なり(底本此處「二」の字を脱す)。祕訣曰く:心は一身の統帥なり。統帥端正なれば、此の變幻の形體に正ならざるあらんや。至って形體本來正ならざる人に至りては、那れ更に論ずるを須いず。伏羲が人頭蛇身を長じ、神農が人身牛頭を長ずるも、卻って皆上古の聖君なり。方寸之心の説法、道理は再び明白ならざるなしと見ゆ。
有時或在邦廓外。石蘊玉而山輝,珠藏淵而媚。《靈臺經》云:骨肉丰標為外邦,且於真實用工夫。《肘後經》云:吾人性上無一物,形生惟有外皮膚。《貧女心鏡》云:堯眉八彩,舜目重瞳,內秉聖德,外見神姿。以此推之,內德外形之征也。
相は時に又た身體此の外殼之外に顯る。山裏に玉を藏れば、整座の山皆光輝あり。深淵の裏に珠を藏れば、淵水も亦た嫵媚を顯す。《靈臺經》曰く:骨肉の豊滿標致はただ外面の一層の疆界のみ、真の工夫は内裏の真實の處に用いるを要す。《肘後經》曰く:人の本性の上に原本一物もなく、形體生成は不過外面此の層の皮膚のみ。《貧女心鏡》曰く:唐堯の眉毛は八種の彩色を現出し、虞舜の眼睛は一目雙瞳なり。これ内裏に聖德を禀有し、外面に乃ち神奇姿容を現出せり。此に由りて推せば、内在の德はかならず外形の上に徵驗を留下することを知るべし。
秘訣云:相有隱有顯,顯者易觀,隱者難見,在學者目力心思何如耳。假如有德者必有形,又有形者而無德,湯軀九尺而曹交類之,孔子河月而陽虎類之。一聖□狂,天淵之懸,是不可不辨。
祕訣曰く:相に隱の有り顯の有り。顯のは看出し易く、隱のは察覺し難く、全く相者の眼力と心思の何の地步に到るかを看る。譬えば德ある人はかならず相應の形貌あるも、然れども亦た形貌像ありて德なき有り。商湯は身高九尺、戰國の曹交も身量亦た九尺なり。孔子は額頭河目海口のごとく狀貌奇偉、魯國の陽虎も相貌孔子と相似たり。一つは聖人、一つは狂妄之徒(底本此處一字を脱し、當に「一聖一狂」を作るべし)。二者相去ること天と淵のごとし。これ辨ぜざるべからず。
空空洞洞本來真。空空,明鏡之衷;洞洞,無物之體。《心經》云:色即是空,空即是色。《通仙錄》云:洞洞不知天地隘,性靈遠是太虛真。白聞道者云:不論肉,不論骨,骨肉皮蘘殼漏子,空空洞洞有乾坤,即是太虛元化體。
空空洞洞、乃ち人の本來真面目なり。いわゆる「空空」は、明鏡のごとく心中空明なるを謂う。いわゆる「洞洞」は、虛空のごとく體内無物なるを謂う。《心經》曰く:色は即ち是れ空、空は即ち是れ色。《通仙錄》曰く:心地洞然通達の人は、天地の狹窄を覺えず、性靈深遠にして、正に太虛の真體に合す。白聞道者曰く:人を相するに肉を論ぜず、亦た骨を論ぜず。骨肉皮囊は不過會漏の殼子なり。能く空空洞洞に到り得れば、裏面自ら一片の天地あり。那れ即ち太虛元氣化生の本體なり。
秘訣云:血肉內氣化為生,性靈具十氣化之前,是以知本真則知眾體。此淪可與高明者道,難與庸俗者言也。
祕訣曰く:血肉の內、氣化流行して乃ち生命あり。而も人の性靈は卻って早く氣化之先に已に具足せり(底本「十」は「于」の訛)。故にただ此の本來真體を認得さえすれば、全身各處の相自然皆看明白ならん。此の一番の議論は高明の人に説き聽かすべく、庸俗之輩に對して講じ難し。
仿彷彿佛難測度。有相無心,有心無相。《神獅機》云:有形中之形,有形外之形。形中之形,由中生色,醉然見於面盎於背是也;形外之形,色厲內茬,似忠非忠,似信非信是也。此二者特踐形不踐形之間耳。
人相は仿佛難明にして、測度し難し。ある人は好相ありて好心なく、ある人は好心ありて好相なし。《神機經》曰く:形に「形中之形」あり、亦た「形外之形」あり。いわゆる形中之形とは、内裏より氣色を生出し來り、德性充盈にして潤澤に臉上に顯れ、豐厚に背上に布くを謂う(語《孟子》「睟然見於面、盎於背」に出づ、底本は「醉然」を作る)。いわゆる形外之形とは、外表嚴厲にして内裏怯懦(底本「内茬」は當に「内荏」を作るべし)、看れば忠厚のごとく然れど真に忠厚ならず、看れば誠信のごとく然れど真に誠信ならざるを謂う。此の兩種の分別は、ただ内德を能く真に形體の上に落實し得るか否かに在るのみ。
秘訣云:昔有人毀陳平於漢祖,曰陳平美如冠玉,未必中之有也。誠哉斯言乎,觀人之難也。
祕訣曰く:從前人ありて漢高祖の面前に陳平を詆毀し、陳平の相貌漂亮にして帽子上に鑲める玉のごとく、内裏未だ必ずしも真才實德あるにあらずと曰う。此の話説きて實在せり。人を看ることの多難を見るべし――外表の美と内裏の實は、本來必ずしも相符せず。
消息只此箇中存。富貴貧賤,吳出此篇。太沖子云:箇中得此閒消息,了我優游物外身。秘訣云:邵子詩云:因探月窟方知物,為攝山根始識人。此與上文辭異而意同。不造其妙則何以知人,義何以知己也。
相術の全部の消息は此の裏頭に存在す。一人の富貴貧賤は、此の一篇の講ずる所の道理を出でず(底本「呉出」は當に「莫出」を作るべし)。太衝子曰く:此の裏頭の中に此の一點の閒消息を會得し得れば、我此の一身便ち物外に優游しうる。祕訣曰く:邵雍の詩の裏に説く:月窟を探到せしがために萬物を懂得し、山根を把握住せしがために人を認識す。此れ上文と説法同じからざれど意思一樣なり。深く其の精妙の處に入らずんば、怎んぞ人を知らん、又た怎んぞ己を知らん。
東周叔服豈欺我。叔服有人倫識鑑,學者當不讓於叔服。柳莊云:緊相人之有術兮,肇東周之叔服;監昭晰之幽隱兮,宜休咎之是卜。秘決云:叔服擅名於周,於卿唐舉繼之,孰謂子卿唐舉之後,義豈無人哉,欺我之言不誣矣。
東周の叔服難道我を騙さんや。叔服は人物を品鑑するに善し。學相の人は當に叔服に比べて差ならざるべし。柳莊(明代相士袁珙の子袁忠徹、號は柳莊)曰く:人を相する術の要緊なる所以は、東周の叔服より開創せり。彼は幽微隱晦の處を照見しうるを能くし、故に吉凶は彼一卜に由りて便ち準なり。祕訣曰く:叔服は周朝に相術をもって擅名せり。後來子卿・唐舉其の後を接續す。誰か子卿・唐舉の後便ち人なしと説かん。見れば「叔服豈欺我」此の句話並びに虛言にあらず。
相五德配五行第三(郭林宗)
五行水火木金土。太極生兩儀,兩儀生四象,四相生八卦,八卦生五行。陳圖南曰:天一生水,在人為腎,腎之竅為耳,又主骨齒;地二生火,在人為心,心之竅為舌,又主血氣毛髮;天三生木,在人為肝,肝之竅為眼,又主筋膜爪甲;地四生金,在人為肺,肺之竅為鼻,又主皮膚喘息;天五生土,在人為脾,脾之竅為唇,義主肉色。宋齊丘云:凡在五行懼有祿,只宜豐厚不宜偏。
五行とは即ち水・火・木・金・土なり。太極は陰陽兩儀を生出し、兩儀は四象を生出し、四象は八卦を生出し、八卦は再生して五行を生出す。陳摶曰く:天數一は水を生じ、人身上に腎に對應し、腎は耳に開竅し、又た骨骼と牙齒を主管す。地數二は火を生じ、人身上に心に對應し、心は舌に開竅し、又た血氣と毛髮を主管す。天數三は木を生じ、人身上に肝に對應し、肝は眼に開竅し、又た筋膜と指甲を主管す。地數四は金を生じ、人身上に肺に對應し、肺は鼻に開竅し、又た皮膚と呼吸を主管す。天數五は土を生じ、人身上に脾に對應し、脾は嘴唇に開竅し、又た肌肉と膚色を主管す。宋齊丘曰く:凡そ五行に屬する部位は皆各々一份の禄あり。ただ生じて豊滿厚實なるを宜とし、偏枯失衡を宜とせず。
秘訣云:人身具此五行,惟水火乃五行之最。水屆坎居腎,腎水旺能養之肝木,木得水濟而生離之心火,火得木助而生良之脾土,土得火益而生兌之肺金。此生生不息之機,乃水之化源無端也。
祕訣曰く:人身上に此の五行を具備す。その中水と火最も要緊なり。水は坎卦に屬し、人身に腎に居る。腎水旺なれば便ち屬木の肝を滋養し、肝木水の接濟を得て又た屬離卦の心火を生出し、心火木の幫助を得て又た屬艮卦の脾土を生出し(底本「良」は「艮」の訛)、脾土火の增益を得て又た屬兌卦の肺金を生出す。これ即ち一身生生不息の機關、根源は水の化生無窮無盡に在り。
中藏五德通臟腑。五德:仁、義、禮、智、信。臟腑:肺、心、腎、肝、脾。《玄神錄》云:甲木主仁,位居東;庚金為義,向西從;禮依丙火南方地,智於壬癸北方中。惟有戊土無方位,信立陰陽理則同。五者本非泛然物,隱於臟腑妙無窮。
五行之中に五德を藏め、又た五臟と相通ず。五德は仁・義・禮・智・信、五臟は肺・心・腎・肝・脾なり。《玄神錄》曰く:甲木は仁を主り、方位は東に在り。庚金は義を主り、方位は西に在り。禮は丙火に依託し、南方に在り。智は壬癸水に屬し、北方に在り。ただ戊土は哪の一方にも專屬せざるも、其の立つる所の「信」は、陰陽之中に道理皆一樣なり。此の五者本は空泛の東西にあらず、それらは人の臟腑の間に隱藏し、妙用無窮なり。
秘訣云:水火木金土,肝肺心腎脾。五德配五行,仁義禮智信。發而為四端,信則居其一。生相若無信,虛負軀殼體。吾見世間人,致淆於外矣。不知無文中,舍有真實理。真實即為信,四時不衍期。相中全在信,相得壽須彌。四端豈假借,各具其一理。倍寄四端中,有用無方體。
祕訣曰く:水火木金土、肝肺心腎脾に配す。五德は五行に配すれば、即ち仁義禮智信なり。此の五者發出せば惻隱・羞惡・辭讓・是非の四端を為し、而も「信」其の中を貫穿して一份を占む。人一副の相を生じて、もし「信」此の一項なければ、白白に此の軀殼を頂くなり。我世間の人を看るに、大多外表に迷亂されて、文飾なき樸素の中に在りて乃ち真實の道理あるを知らず。真實は即ち信なり。譬えば四季更替の從來失期せざるがごとし。相法の關鍵は全く一個の信字に在り。信此の一相を得れば、壽命便能ち須彌山のごとき久長を得ん。四端は外より借來するにあらず、各自皆自身の道理を具備す。「信」は四端之中に寄託して加倍發用す。它は實實在在の作用あり、然れど固定の形體方所なし。
水圓本是智之神。水性周流無滯,智之體似之。《風鑑》云:肩粗並眼大,城廓更閉圓,此相名真水,平生福自然。成和子云:水形主閱,得其五圓,氣色不雜,精神不亂,動止寬容,行久而輕也。語云智者樂水,又云智者動。秘訣云:水先天之氣耳,貫通於六合,化機不息,口古如常。圓融似智,得其形並得其性,是為真水,主聰明敏達,定賢愚也。經云:似水得水文學貴。
水形は圓を以て主と為し、本來「智」此の一德の神采に對應す。水の性子は周流不停・無所滯礙、智の本體正に它と相像す。《風鑑》曰く:肩膀粗厚、眼睛大、耳朵の輪廓(城廓)又た閉合して圓整なるは、此の相を真水形と曰い、一生の福自然に來る。成和子曰く:水形は圓を主り、全身五處(頭・面・身・手・足)皆圓を要し、氣色駁雜せず、精神散亂せず、擧止寬厚從容、走得て久しければ身法かえって輕捷なり。古語に智者は水を喜好し、又た智者は動を好むと曰う。祕訣曰く:水は先天之氣にして、上下四方を貫通し、化育之機永く停歇せず、亘古如常なり(底本「口古」は當に「亘古」を作るべし)。人と為り圓融通達して「智」のごとく、既に水の形を得又た水の性を得、これ乃ち真水形なり。聰明敏捷通達を主り、以て一人の賢か愚かを判定するに用いうる。相經曰く:水形のごとくして又た水の氣色を得れば、文學をもって顯貴しうる。
火有文武禮之附。火之用有文武,禮之體似之。《風鑑》云:欲識火形貌,下闊上頭尖,舉止全無定,頤邊更少須。成和子云:火形主明,得其五露,氣色不雜,精神不亂,動止敦厚,臥久而安也。秘訣云:以火為種,水作精。精全面後神方生,神全而後氣方備,氣備而後色方成。火之在人為禮,得其形並得其智,是為真火,主威勢勇烈,定剛柔也。經云:似火得火見機果。
火形は「禮」に對應し、而も火の用處に文あり武あり。火の功用一面は照明取暖(文)、一面は焚燒摧折(武)、禮の本體は它と相像す。《風鑑》曰く:火形の相貌を認るを要するに、下面闊・上頭尖・擧止不安定・兩腮邊胡須稀少なり。成和子曰く:火形は明を主り、全身五處皆一點の外露之勢を帶び、氣色駁雜せず、精神散亂せず、擧止敦厚、躺得て久しければかえって安穩なり。祕訣曰く:火を以て種子と為し、水を以て精華と為す。精完足して乃ち神生出し、神完足して乃ち氣具備し、氣具備して乃ち氣色成形す。火は人身上に禮に對應す。既に火の形を得又た火の性を得(底本は「智」を作る)、これ乃ち真火形なり。威勢勇猛剛烈を主り、以て一人の剛か柔かを判定するに用いうる。相經曰く:火形のごとくして又た火の氣色を得れば、事に遇うに見機果斷す。
木居東位仁發生。木之德為仁,舍生生之機。《風鑑》云:稜稜形瘦骨,凜凜更修長,秀氣生眉眼,須知晚景光。成和子云:木形主長,得其五長,氣色不雜,精神不亂,動止溫柔,涉久而清也。秘訣云:木之枝幹發於甲木,位天地長生之府,配於五德居其首,在人為仁。得其形,外得其性,是為真木,主精華茂秀,定貴賤也。經云:似木得木貸財足。
木は東方に居り、「仁」に對應し、生發之氣なり。木の德は即ち仁、生生不已の機括を含む。《風鑑》曰く:骨骼棱角分明にして身形清瘦、氣度凛然にして身材修長、眉眼の間に一段の秀氣を生出すは、當に知るべし此種の人は晚景光彩なり。成和子曰く:木形は長を主り、全身五處(頭・面・身・手・足)皆長を要し、氣色駁雜せず、精神散亂せず、擧止溫柔、相處久しければ愈々清爽を覺ゆ。祕訣曰く:樹木の枝幹は甲木に發端し、天地長生之位に居り、五德之中に首位に排し、人身上に仁に對應す。既に木の形を得、又た木の性を得、これ乃ち真木形なり。人才華茂盛秀發を主り、以て一人の貴賤を判定するに用いうる。相經曰く:木形のごとくして又た木の氣色を得れば、錢財充足す(底本「貸財」は當に「資財」を作るべし)。
金方斷制義白然。金之性有樽節裁處之宜。《風鑑》云:部位要中正,三停又帶方,金形人入格,自是有名揚。成和子云:金形主方,得其五方,氣色不雜,精神不亂,動止規模,坐久而重也。秘訣云:金之位於乾兌,舍西方肅殺之氣,秉堅剛之體,在人為義。得其形,並得其性,是為真金,主刑誅厄難,定壽夭也。經云:似金得金剛毅深。
金形は方を以て主と為し、善く決斷裁制し、「義」自然其の中に在り(底本「白然」は當に「自然」を作るべし)。金の性子は節制と裁斷得宜を講究す。《風鑑》曰く:面上部位は端正居中を要し、三停又た皆方を帶び、金形人格局に合せば、自然名聲傳揚す。成和子曰く:金形は方を主り、全身五處皆方を要し、氣色駁雜せず、精神散亂せず、擧止法度あり、坐得て久しければ愈々穩重を顯す。祕訣曰く:金の方位は乾卦・兌卦に在り、西方肅殺之氣を含み、堅硬剛強之體を禀受し、人身上に義に對應す。既に金の形を得、又た金の性を得、これ乃ち真金形なり。ただし金は刑罰誅戮と厄難を主り、故に以て一人の壽夭を判定するに用いうる。相經曰く:金形のごとくして又た金の氣色を得れば、性情剛毅にして城府深し。
土定不移信常足。士之信定性立剛維。《風鑑》云:端厚仍深重,安詳若泰山,心謀難測度,信義動人間。成和子云:土形主厚,得其五厚,氣色不雜,精神不亂,動止敦龐,處久而靜也。秘訣云:上浮游於四季,旺在辰戊丑末,寄在丙子。一季主事十八日,其德能生萬物,在人為性。得其形,並得其性,是為真土,主載育有容,定貧富也。經云:似土得土厚櫃庫。
土性安定不移、故に「信」常常に充足す。土の主る所の信は、性情を定住し綱維を立起しうる。《風鑑》曰く:端厚にして且つ深沈穩重、安詳なること泰山のごとく、心裏の謀劃は他人揣測し難く、信義世人を感動す。成和子曰く:土形は厚を主り、全身五處皆厚を要し、氣色駁雜せず、精神散亂せず、擧止敦實龐大、相處久しければ愈々安靜を顯す。祕訣曰く:土(底本「上」は「土」の訛)は游走寄旺して四季に在り、旺は辰・戌・丑・未の四個月に在り、又た丙・子の間に寄す。每一季末各々十八天を主事し、其の德は萬物を生養し、人身上に本性に對應す。既に土の形を得、又た土の性を得、これ乃ち真土形なり。承載化育・器量能容を主り、以て一人の貧富を判定するに用いうる。相經曰く:土形のごとくして又た土の氣色を得れば、倉庫厚實す。
此為五德配五行。總結上文而言之。《風鑑》云:木要瘦,金要方,水肥火厚土尖長。形體相生便為吉,忽然相剋定為殃。秘訣云:蒼松翠柏,歲寒不凋,可以觀仁;精金美玉,百鍊成剛,可以觀意;火風烹飪,鼎養聖賢,可以觀禮;長江大河,天機動流,可以觀智;名山大川,載重洩,可以觀信。人與天地並立,天地,人也;人天地地也。知此五德配五行之說。
以上即ち五德配五行の道理、此の一句は上文を總結す。《風鑑》曰く:木形は瘦を要し、金形は方を要し、水形は肥を要し、火形は厚を要し、土形は長厚を要す(此句底本文字錯亂あり、火形本尖、土形本厚なり)。形體の間互相生助すれば便ち吉、忽然相克出現せばかならず災を成さん。祕訣曰く:蒼松翠柏嚴寒を經て凋まざるは、以て其の中より「仁」を看出しうる。精純の金・美好の玉百煉して剛を成すは、以て其の中より決斷之意を看出しうる。火と風を用いて烹調し、鼎中の食は聖賢を供養するは、以て其の中より「禮」を看出しうる。長江大河天機に順いて流動不息するは、以て其の中より「智」を看出しうる。名山大川厚重を承載し宣洩有度なるは、以て其の中より「信」を看出しうる。人と天地並び立ちて三才を為し、天地即ち人、人即ち天地なり。これらを懂得せば、乃ち五德配五行の説法を懂したりと算す。
相神氣第四(唐舉)
賊形天地超過萬靈。天地生人,性靈異於萬物。《無形歌》云:道為貌,大力形,默受陰陽稟性情。陰陽之氣天地造,化出比塵凡幾樣人。《靈樞經》云:人稟天地之氣,肖清濁之形,為萬物至靈也。王元君云:人道九形而生行形,舒之彌六合,卷之個盈據,包絡大地,稟受群生者也,故云賦形天地超萬靈。
天地は人に形體を賦與し、人をして萬物之靈を超過せしむ(底本「賊形」は「賦形」の訛)。天地は人を生出し來り、人の性靈は其他の萬物と同じからず。《無形歌》曰く:道は人の相貌と顯現し、大力は人の形體と凝聚し、人は默默に陰陽二氣を承受して各々の性情を禀得す。陰陽之氣は天地造化に由り、化生して此の塵世上の形形色色の人を出す。《靈樞經》曰く:人は天地之氣を禀受し、清濁を取法して形を成し、萬物之中最も靈なるものなり。王元君曰く:人は道に循って種種の形體を生成し、展開する時は上下四方に充滿し、收攏する時は又た多少の地方を占めず、大地を包裹籠絡し、衆生を化育するを承受す。故に人は天地より形を受けて萬物之靈を超出すと曰う。
秘訣云:人生之道,真精融合,二五凝成,賦其形即賦其理。雖萬物皆具生成之道,蠢然而巴,未有如人最靈也。
祕訣曰く:人生成の道理は、先天真精交融匯合し、陰陽二氣と五行之精凝聚して成るなり。天は人に形體を賦する同時に、便ち人に此の一副の道理を賦えり。萬物雖も皆生成之道を具備するも、然れどそれら蠢蠢然として無知無覺なるのみ、一樣も人のごとく最も靈性あるはなし。
氣似油兮神似燈。形資氣以養之。《清鑑》云:大都神氣賦於人,有若油兮又似燈。人平卻自精之實,油清然後燈方明。柳莊云:古者方伎之道,有聞人之警格而知其必貴者,得之於人也;有察人之喜怒而知其必貴者,得之於氣也。陳圖南云:形以養血,血以養氣,氣以養神,故形全則氣今,氣全則神全。又云:神完則氣寬,神安則氣靜。得失不足以暴其氣,喜怒不足以驚其神,其為君子乎,福祿永其終矣一。
氣は譬えば燈裏の油のごとく、神は譬えば燈上の火焰のごとし。形體は氣をもって養うを要す。《清鑑》曰く:大凡そ神と氣が人身上に賦するは、一つは油のごとく、一つは燈のごとし。人自身精氣充實すれば、譬えば油清きがごとく、油清ければ燈乃ち亮ん。《柳莊》曰く:古時方術之道、あるは一人の言談警策・格調不凡なるを聞きて便ち彼がかならず貴なるを知る。それは人身上より得たり。あるは一人の喜怒變化を察看して便ち彼がかならず貴なるを知る。それは氣上より得たり。陳摶曰く:形體は以て血を養い、血は以て氣を養い、氣は以て神を養う。故に形體完備せば氣便ち完足し(底本「氣今」は當に「氣全」を作るべし)、氣完足せば神便ち完足す。又た曰く:神完足の人は氣度寬舒、神安定の人は氣息平静す。得失は彼の氣を動搖しえず、喜怒は彼の神を驚擾しえず。これ即ち君子ならん。福禄能く到底を保持せん。
秘訣云:令人論神,必曰眼有精神。殊不知神之元,大一生水為精,地二生火為神,精合者然後神從之。內有充足之精則外有澄徹之神。如行不動色,坐不隨語,睡易醒覺,作事終,皆精神也。
祕訣曰く:如今の人神を談ずれば、口を開く一開して便ち某人眼睛に精神ありと説く。卻って知らず神の本源は在りて:天一水を生じ、人に在りて精と為す。地二火を生じ、人に在りて神と為す。先ず精凝聚ありて、神乃ち之に随いて至る。内裏に充足の精あれば、外面に乃ち澄澈の神あり。譬えば走路の時臉色變えず、坐る時口に随いて他人の話に附和せず、睡下して醒覺し易く、事を做すに始有り終有り。これら皆精神足るの表現なり。
淪氣必曰:神氣固是,殊不知氣有三,有自然之氣,有所養之氣,有暴之氣。自然之氣乃胎元,□呼一吸定生人之貴賤也。所養之氣,乃浩然塞乎兩間,定人之賢愚也。暴之氣乃仲仲自好,定人之善惡也。要之神氣之子,氣神之母,神能留氣,氣個能留神。定訣曰:妙相之法在何方,觀其神氣在學堂。氣者有之最是良,若人認得神與氣,富貴貧賤是審量。
氣に論じ至れば、人皆神氣自然に要緊なるを説くも、卻って知らず氣に三種あるを。一は自然之氣、二は所養之氣、三は暴戾之氣なり。自然之氣は即ち胎裏より帶來の元氣、一呼一吸の間に便ち此人の貴賤を定出す(底本此處「一」の字を脱す)。所養之氣は即ち孟子の説く浩然之氣、天地之間に充塞して、此人の賢と愚を定出す。暴戾之氣は氣冲冲として自ら是と為し、此人の善と惡を定出す。總じて、神は氣の生める儿子、氣は神の母親なり。神は氣を留住しえれど、氣は卻って神を留住しえず。定訣曰く:精妙の相法は哪裏より下手す。ただ彼の神氣が「學堂」(眼・耳・額等の聰明文才を主る部位)に聚まるか否かを看よ。氣此の一樣ありて最も好し。一人もし神と氣を認得し得ば、富貴貧賤便ち此に由りて審量し出さるべし。
油若竭今燈焰熄。氣喪則神亡。《神解》云:將全其形,先須其理。精實氣固,則神安;血枯氣散,則神亡。《風鑑》云:氣壯血和則安固,血枯氣散神失奔。謝靈運云:夭壽之人神離睫,泛而不救無所守也。圖南云:氣冷形榮壽豈宜。又云:氣短精神慢,那得有長年。
油もし耗乾すれば、燈焰便ち熄滅す。同様に、氣一たび喪失すれば、神も亦た消亡す。《神解》曰く:形體を保全せんと欲せば、先に内在の條理を理順するを要す。精充實・氣固密せば、神便ち安穩す。血枯竭・氣涣散せば、神便ち消亡す。《風鑑》曰く:氣壯血和なれば、一身便ち安穩牢固す。血枯氣散せば、神便ち守を失いて奔逸す。謝靈運曰く:短命の人は神眼睫の間より游離出去して、浮泛にして挽救するに從なし。是れ神の宅舍を守れざるがゆえなり。陳摶曰く:氣已に冷たくして形貌還た榮華を顯す、かかる人の壽命哪裏か長からん。又た曰く:氣短促・精神遲緩、怎んぞ長壽有らん。
秘訣云:沖氣乃相須者也,氣既喪,神安得獨存。經云:神散氣聚,少孤破家;氣聚神散,作事不定;神與氣合,深遠主壽,清秀主貴。
祕訣曰く:神と沖和之氣は本は互相依存するなり。氣已に喪失したり、神哪にか單獨存在せん。相經曰く:神涣散して氣還た聚まる人は、年少孤苦・家業を敗破す。氣聚まりて神涣散する人は、事を做すに定準なし。神と氣配合して好ければ、氣象深遠のは長壽を主り、氣象清秀のは顯貴を主る。
燈若明今油潤之。神若秀發由氣助之。《風鑑》云:神居形內不可見,氣以養神為命根。又云:英標清秀心神爽,氣血調和神不昏。白閣道者云:神者百閱之秀氣也。如陽氣舒而山川秀發,日月現而田地清明。
燈の亮んを得る所以は、油ありてそれを滋潤するがためなり。同様に、神の秀發外揚しうる所以は、氣に頼りてそれを幫助するに在り。《風鑑》曰く:神は形體之內に藏れ、肉眼は見えず。氣は以て神を養い、性命の根本なり。又た曰く:儀表英挺清秀の人は心神爽朗、氣血調和の人は神昏昧せず。白閣道者曰く:神は百體を遍歷したる後凝出したる那一段の秀氣なり。陽氣舒展開來して山川便ち秀色を生出し、日月顯現して田地便ち一片清明なるがごとし。
秘訣云:形能養神,托氣而安。氣不多則神暴,而不安。欲安其神,先養其氣。故盂子不顧萬鍾之祿,能養其氣者也。
祕訣曰く:形體は神を養う能くし、而も神は氣に依託して乃ち安定を要す。氣充足せざれば、神便ち躁動安からず。神を安定せんと欲せば、先ず氣を養住するを得んを要す。故に孟子萬鍾の俸禄を看不上とは、正に彼が自らの浩然之氣を養住しうるがためなり(底本「盂子」は「孟子」の訛)。
落落失常無宅守。落落,不得志之意。《後經》云:神衰血敗氣將凋,失志落落不支持。《鬼箭》云:荒唐失志神無宅,不到到中途則夭亡。來和子云:維維失志,失志改常神已去。
神情落落寡合・擧止失常は、これ神に宅舍守るべきなし。「落落」は不得志の意思なり。《後經》曰く:神衰弱・血敗壞・氣將に凋殘せんとする人は、意志消沉・落落寡歡にして、支撐し住む能わず。《鬼箭》曰く:行事荒唐・意志頹喪の人は、神已に宅を安ずる處なく、半路に走到らずして便ち夭亡せん。來和子曰く:委頓失志の人は、一旦失志すれば便ち擧止反常す。那れは神已に離去せり。
秘訣云:神氣欲散,福祿將艾,雖處得意之時,無異君迫之際。此乃神已去舍,觀之何知。歌曰:何知為官多災難,坐時眉攢口門常嘆。問知其人必此亡,塵埃面色言失常。正無守宅也。
祕訣曰く:神氣將に涣散せんとすれば、福禄も亦た便ち盡きんとす。この種の人はたとえ正に得意の時に處すれども、氣象は窮途受逼の時と兩樣なし。これは神已に宅舍を離れたり。外面より怎んぞ看出來せん。歌訣曰く:怎んぞ知る一人の做官が多災多難なるを。彼が坐る時眉頭緊攅し嘴裏常常に嘆氣するを看よ。此人かならず敗亡せんと斷定せんと欲せば、彼の面色が塵土を蒙りたるがごとく說話顛三倒四して常度を失うを看よ。これ正に神に宅舍守るべきなき樣子なり。
謂澄澄絕俗有根株。澄澄,瑩靜無雜;絕俗,出眾異常;根株,苗裔行木也。陳圖南云:精神澄徹,如止水之淵,驚之不懼,折之不回,君子之人也。《神解》云:虛化神,神化氣,氣為骨之苗裔,骨為神之根株矣。《肘後經》云:骨肉相滋不相返,精神湛粹壽康寧。
いわゆる神氣澄澈・超絕流俗は、那れは根柢あるなり。「澄澄」は晶瑩安靜にして雜色なし。「絕俗」は出衆にして常人と異なり。「根株」は草木の本根と枝苗に就いて比方を打つなり。陳摶曰く:精神澄澈なること一潭の靜水のごとく、彼を驚嚇するも害怕せず、彼を挫折するも回頭せず。これ即ち君子なり。《神解》曰く:虛空は神を化生し、神は氣を化生し、氣は骨の枝苗、骨は神の根柢なり。《肘後經》曰く:骨と肉互相滋養して互相背離せず、精神湛然純粹なれば、便能ち長壽康寧せん。
秘訣云:峨峨怪石迷閒云,崑山片玉已琢出。此至精之寶發於外,而蘊於內,非天地之鐘,道之涵養,而能有此乎。
祕訣曰く:高聳の怪石は閒雲之中に隱沒し、崑崙山裏の一塊の美玉已に琢磨して出來たり。これは最も精粹の寶物雖も發露外に在れど、根柢は卻って内に蘊藏すを説く。若し天地の鍾愛・大道の涵養せるに非ざれば、怎んぞかかる人有らん。
縱然形肉充盈實,雖有形肉,不如神氣。來和子云:形亦厚肉亦充,無神元氣怨天公。陳圖南云:有肉而元氣,猶如蟲木內已空虛,雖外有皮膚,暴風迅雨鮮有不摧者也。
縱い形體肌肉長じて充實飽滿するも、還た是れ次要なり。光に形あり肉あるは、神あり氣あるに如かず。來和子曰く:形體も亦た厚、肌肉も亦た滿、然れど神なく元氣なきは、此種の人は只好老天を埋怨するのみ。陳摶曰く:肉ありて元氣なきは、譬えば蟲に蛀空られたる樹のごとく、裏面已に空しく、外面雖も還た一層の皮あり、一遇暴風急雨すれば、少なからずして摧折せざる鮮し。
秘訣云:有神氣無形肉者,有根蒂而無九枝葉,非時不茂。昔人有相諸葛孔明者曰:外稟松柏枯槁之姿,內有文理根蒂之實,風閒不摧折,日華秀名滿天下。
祕訣曰く:神氣ありて形肉豐ならざる人は、譬えば樹に根蒂ありて枝葉繁ならざるがごとく、ただ時候に到らず、茂盛すべからざるのみ。從前人ありて諸葛亮に相面し、彼外表に松柏のごとき枯槁清瘦の姿態を帶び、内裏に卻って紋理堅實の根柢ありと曰う。狂風吹き來るも彼を摧折しえず、一旦陽光照耀すれば、便ち秀發して名天下に滿つ。
氣散神枯虛殼子。神氣俱亡命,虛有幻軀。《無形》云:神也無氣也元,空空遺下這皮膚。殼子若值風霜損,谷神先已向秋枯。
氣一たび涣散し神一たび枯竭すれば、人便ちただ一個の空殼子を剩すのみ。神と氣皆亡失せば、性命も亦た不過虛に一副の幻化の軀殼を頂くのみ。《無形歌》曰く:神も亦たなし、氣も亦たなし、空空として此の一層の皮膚を剩す。此の軀殼若し再び風霜の摧損に遇上せば、那の生機を主宰する谷神早や秋氣に随いて枯萎せり。
秘訣云:氣毛以血養而助神,氣散則神枯,由心不能生血故也。心何為而不生血,由思慮勞傷,揣摩計較,斷喪心之虛靈,所以損耗神氣元神,元神耗則神氣亡。神氣亡幻,軀能久乎。
祕訣曰く:氣は血に頼りて滋養され、從りて神を幫助す。氣一たび散すれば則ち神便ち枯す。根源は心の血を生ぜざる能わずに在り。心何を以てか血を生ぜざる。是れ思慮過度・勞心傷神し、處處揣摩計較して、心裏の那點の虛明靈覺を斷送したればなり。因りて神氣と元神を損耗し、元神耗盡せば、神氣も亦た亡失す。神氣一旦亡失せば、此の幻化の軀殼還た幾多久を維持しえん。
