Libo

告子(こうし)上

战国 · 孟轲 · 第10巻 / 14

告子曰:「性,猶杞柳也;義,猶桮棬也。以人性為仁義,猶以杞柳為桮棬。」

告子曰く、「性は猶ほ杞柳(きりゅう)のごとし。義は猶ほ桮棬(はいけん)のごとし。人之性を以て仁義と爲るは、猶ほ杞柳を以て桮棬と爲るがごとし」。

孟子曰:「子能順杞柳之性而以為桮棬乎?將戕賊杞柳而後以為桮棬也?如將戕賊杞柳而以為桮棬,則亦將戕賊人以為仁義與?率天下之人而禍仁義者,必子之言夫!」

孟子曰く、「子能く杞柳之性に順ひて以て桮棬と爲すか、將に戕賊(しょうぜつ)杞柳して而る後以て桮棬と爲すか。如かん、將に戕賊杞柳して以て桮棬と爲さば、則ち亦將に戕賊人以て仁義と爲さん。天下之人を率ゐて仁義を禍する者は、必ず子之言夫」と。

告子曰:「性猶湍水也,決諸東方則東流,決諸西方則西流。人性之無分於善不善也,猶水之無分於東西也。」

告子曰く、「性は猶ほ湍水(たんすい)のごとし。諸東方に決するは則ち東流し、西方に決するは則ち西流す。人性之無善無不善は、猶ほ水之無東無西のごとし」。

孟子曰:「水信無分於東西。無分於上下乎?人性之善也,猶水之就下也。人無有不善,水無有不下。今夫水,搏而躍之,可使過顙;激而行之,可使在山。是豈水之性哉?其勢則然也。人之可使為不善,其性亦猶是也。」

孟子曰く、「水信に東西無し、上下無き無し。人性之善は、猶ほ水之就下のごとし。人無不善、水無不下。今夫水、搏(はく)して之を躍らしめば、可使、顙(ひたい)を過ぎしめん。激して之を行かしめば、可使、山に在らしめん。是れ豈に水之性ならん哉。其の勢則ち然るなり。人之可使爲不善するは、其の性亦猶是なり」と。

告子曰:「生之謂性。」

告子曰く、「生之謂性」。

孟子曰:「生之謂性也,猶白之謂白與?」曰:「然。」

孟子曰く、「生之謂性は、猶ほ白之謂白と與」。曰く、「然」。

「白羽之白也,猶白雪之白;白雪之白,猶白玉之白與?」曰:「然。」

「白羽之白は、猶ほ白雪之白、白雪之白は、猶ほ白玉之白與」。曰く、「然」。

「然則犬之性,猶牛之性;牛之性,猶人之性與?」

「然らば則ち犬之性は、猶ほ牛之性、牛之性は、猶ほ人之性與」。

告子曰:「食色,性也。仁,內也,非外也;義,外也,非內也。」

告子曰く、「食色は、性なり。仁は、內なり、非外なり。義は、外なり、非內なり」。

孟子曰:「何以謂仁內義外也?」

孟子曰く、「何以て仁內義外と謂らんや」。

曰:「彼長而我長之,非有長於我也;猶彼白而我白之,從其白於外也,故謂之外也。」

告子曰く、「彼長して、我之を長とす。非長有り於我也。猶ほ彼白して、我之を白とするがごとし。其の白於外に從ふ。故に外と謂ふ」。

曰:「異於白馬之白也,無以異於白人之白也;不識長馬之長也,無以異於長人之長與?且謂長者義乎?長之者義乎?」

孟子曰く、「白馬之白に異ならざる、白人之白に異ならざる。識らず、長馬之長に異ならざる、長人之長に異ならざるか。且つ長者を謂ひて義乎、長する者を謂ひて義乎」。

曰:「吾弟則愛之,秦人之弟則不愛也,是以我為悅者也,故謂之內。長楚人之長,亦長吾之長,是以長為悅者也,故謂之外也。」

告子曰く、「吾弟は則ち之を愛し、秦人之弟は則ち不愛す。是れ我を以て悅と爲す者なり。故に內と謂ふ。楚人之長を長とし、亦吾之長を長とす。是れ長を以て悅と爲す者なり。故に外と謂ふ」。

曰:「耆秦人之炙,無以異於耆吾炙。夫物則亦有然者也,然則耆炙亦有外與?」

孟子曰く、「秦人之炙を耆(こ)ふ、吾之炙を耆ふに異ならず。夫れ物則ち亦之然る者有り。然らば則ち炙を耆る亦外有る與」。

孟季子問公都子曰:「何以謂義內也?」曰:「行吾敬,故謂之內也。」

孟季子公都子に問ふて曰く、「何以て義內と謂らんや」。公都子曰く、「吾が敬を行ふを以て、故に之を內と謂ふ」。

「鄉人長於伯兄一歲,則誰敬?」曰:「敬兄。」

「鄉人伯兄に長する一歲、則ち誰を敬せん」。曰く、「兄を敬す」。

「酌則誰先?」曰:「先酌鄉人。」

「酌して則ち誰を先んせん」。曰く、「鄉人を先んず」。

「所敬在此,所長在彼,果在外,非由內也。」

「敬する所此に在り、長する所彼に在り。果として外に在り、非內由なり」。

公都子不能答,以告孟子。孟子曰:「敬叔父乎?敬弟乎?彼將曰『敬叔父』。曰:『弟為屍,則誰敬?』彼將曰『敬弟。』子曰:『惡在其敬叔父也?』彼將曰『在位故也。』子亦曰:『在位故也。庸敬在兄,斯須之敬在鄉人。』」

公都子答へる能はず、以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「敬叔父乎、敬弟乎。彼將に曰く、「敬叔父」。曰く、「弟尸と爲る、則ち誰を敬せん」。彼將に曰く、「敬弟」。子曰く、「惡に在りて其の敬叔父」。彼將に曰く、「位に在る故なり」。子亦曰く、「位に在る故なり」。庸敬は兄に在り、斯須之敬は鄉人に在り」。

季子聞之曰:「敬叔父則敬,敬弟則敬,果在外,非由內也。」

季子之を聞きて曰く、「敬叔父は則ち敬す、敬弟は則ち敬す。果として外に在り、非內由なり」。

公都子曰:「冬日則飲湯,夏日則飲水,然則飲食亦在外也?」

公都子曰く、「冬日則ち湯を飮み、夏日則ち水を飮む。然らば則ち飮食亦外に在る與」。

公都子曰:「告子曰:『性無善無不善也。』或曰:『性可以為善,可以為不善;是故文武興,則民好善;幽厲興,則民好暴。』或曰:『有性善,有性不善;是故以堯為君而有象,以瞽瞍為父而有舜;以紂為兄之子且以為君,而有微子啟、王子比干。』今曰『性善』,然則彼皆非與?」

公都子曰く、「告子曰く、「性は善無き不善無きなり」。或は曰く、「性は以て善を爲る可し、以て不善を爲る可し。是故に文武興れば、則ち民善を好み、幽厲興れば、則ち民暴を好む」。或は曰く、「有り、性善、有り、性不善。是故に堯君と爲るに象有り、瞽瞍父と爲るに舜有り、紂兄之子と爲り且つ以て君と爲るに、微子啓、王子比干有り」。今「性善」と曰ふは、然らば則ち彼皆非與」。

孟子曰:「乃若其情,則可以為善矣,乃所謂善也。若夫為不善,非才之罪也。惻隱之心,人皆有之;羞惡之心,人皆有之;恭敬之心,人皆有之;是非之心,人皆有之。惻隱之心,仁也;羞惡之心,義也;恭敬之心,禮也;是非之心,智也。仁義禮智,非由外鑠我也,我固有之也,弗思耳矣。故曰:『求則得之,舍則失之。』或相倍蓰而無算者,不能盡其才者也。《詩》曰:『天生蒸民,有物有則。民之秉夷,好是懿德。』孔子曰:『為此詩者,其知道乎!故有物必有則,民之秉夷也,故好是懿德。』」

孟子曰く、「乃ち其の情と爲れば、則ち以て善を爲る可きなり。是れ乃ち所謂善なり。若し夫れ不善を爲るは、非才之罪なり。惻隱之心は、人皆有り。羞惡之心は、人皆有り。恭敬之心は、人皆有り。是非之心は、人皆有り。惻隱之心は、仁なり。羞惡之心は、義なり。恭敬之心は、禮なり。是非之心は、智なり。仁義禮智は、非外繫(げき)を以て我に由る、我固有するなり。弗思のみ。故曰く、「求めれば則ち之を得、舍すれば則ち之を失ふ」。或は相倍蓰(ばいし)して算ふる能はずるは、其の才を盡す能はざる者なり。《詩・大雅・烝民》に曰く、「天衆民を生じ、物有れば則ち則有り。民彝を秉(へい)して、是懿德を好む」。孔子曰く、「此の詩を爲る者は、其の道を知る乎。故に物有れば必ず則有り、民彝を秉するは、故に是懿德を好むなり」と。」

孟子曰:「富歲,子弟多賴;凶歲,子弟多暴,非天之降才爾殊也,其所以陷溺其心者然也。今夫麰麥,播種而耰之,其地同,樹之時又同,浡然而生,至於日至之時,皆熟矣。雖有不同,則地有肥磽,雨露之養,人事之不齊也。故凡同類者,舉相似也,何獨至於人而疑之?聖人與我同類者。故龍子曰:『不知足而為屨,我知其不為蕢也。』屨之相似,天下之足同也。口之於味,有同耆也。易牙先得我口之所耆者也。如使口之於味也,其性與人殊,若犬馬之與我不同類也,則天下何耆皆從易牙之於味也?至於味,天下期於易牙,是天下之口相似也惟耳亦然。至於聲,天下期於師曠,是天下之耳相似也。惟目亦然。至於子都,天下莫不知其姣也。不知子都之姣者,無目者也。故曰:口之於味也,有同耆焉;耳之於聲也,有同聽焉;目之於色也,有同美焉。至於心,獨無所同然乎?心之所同然者何也?謂理也,義也。聖人先得我心之所同然耳。故理義之悅我心,猶芻豢之悅我口。」

孟子曰く、「富歲子弟多く賴(らい)し、凶歲子弟多く暴す。非天之降才爾殊なる、其の所以陷溺其の心する者然るなり。今夫麰麥(ばくばく)、播種して之を耰(う)ぐ。其の地同じく、樹する之時又同じく、浡然として生じ、日至之時に至りて、皆熟す。雖し同じからざる有れば、則ち地肥瘠有り、雨露之養、人事之不齊なり。故に凡そ同類者は、舉相似なり。何ぞ獨り人に於て之を疑はんや。聖人と我とは同類者なり。故に龍子曰く、「足を知らずして屨を爲るは、吾其の蕢(き)と爲るを知らざるなり」。屨之相似は、天下之足同じきなり。口之味に於ては、同耆(し)有り。易牙先に我が口之耆する所を得たり。如かん、口味に於て、其の性人と殊なる、猶ほ犬馬之我と同類ならざるが如きは、則ち天下何ぞ耆を易牙之味に從ふや。味に於ては、天下易牙に期するは、是れ天下之口相似なるなり。耳亦然り。聲に於ては、天下師曠に期するは、是れ天下之耳相似なるなり。目亦然り。子都に至りては、天下莫し其の姣(かう)を知らざる。子都之姣を知らざるは、目無き者なり。故曰く、口之味に於ては、同耆有り。耳之聲に於ては、同聽有り。目之色に於ては、同美有り。心に於ては、獨り同然無き無し。心之同然する者は、何ぞや。理と謂ひ、義と謂ふ。聖人先に我心之同然するを得たり。故に理義之我心を悅ぶや、猶ほ芻豢(すうかん)之我が口を悅ぶがごとし」と。

孟子曰:「牛山之木嘗美矣,以其郊於大國也,斧斤伐之,可以為美乎?是其日夜之所息,雨露之所潤,非無萌櫱之生焉,牛羊又從而牧之,是以若彼濯濯也。人見其濯濯也,以為未嘗有材焉,此豈山之性也哉?雖存乎人者,豈無仁義之心哉?其所以放其良心者,亦猶斧斤之於木也,旦旦而伐之,可以為美乎?其日夜之所息,平旦之氣,其好惡與人相近也者幾希,則其旦晝之所為,有梏亡之矣。梏之反覆,則其夜氣不足以存;夜氣不足以存,則其違禽獸不遠矣。人見其禽獸也,而以為未嘗有才焉者,是豈人之情也哉?故苟得其養,無物不長;苟失其養,無物不消。孔子曰:『操則存,舍則亡;出入無時,莫知其鄉。』惟心之謂與?」

孟子曰く、「牛山之木嘗て美なりし。其の郊大國に於て、斧斤之を伐れば、以て美ならん可きか。是れ其の日夜之息する所、雨露之潤する所、非萌蘖之生ずる無し。牛羊又從而之を牧す。是を以て彼濯濯(たくたく)の若きなり。人其の濯濯を見て、以て未だ嘗て材有らざると爲す。是れ豈に山之性ならん哉。雖し人に存する乎は、豈に仁義之心無からん哉。其の所以其の良心を放ずる者は、亦猶ほ斧斤之木に於けるがごとし。旦旦而之を伐つ。以て美ならん可きか。其の日夜之息する所、平旦之氣、其の好惡人と相近き者幾希。則ち其の旦晝之爲する所、之を梏亡(こくぼう)する有り。梏之反覆するは、則ち其の夜氣以て存するに足らず。夜氣以て存するに足らざれば、則ち其の禽獸に違はざる遠からず。人其の禽獸を見て、以て未だ嘗て才有らざると爲す。是れ豈に人之情ならん哉。故に苟くも其の養を得れば、物長ずる無き無し。苟くも其の養を失へば、物消ゆる無き無し。孔子曰く、「操れば則ち存り、舍すれば則ち亡ぶ。出入時無し、其の鄉を知る莫し」。惟れ心之謂與」と。

孟子曰:「無或乎王之不智也,雖有天下易生之物也,一日暴之、十日寒之,未有能生者也。吾見亦罕矣,吾退而寒之者至矣,吾如有萌焉何哉?今夫弈之為數,小數也;不專心致志,則不得也。弈秋,通國之善弈者也。使弈秋誨二人弈,其一人專心致志,惟弈秋之為聽。一人雖聽之,一心以為有鴻鵠將至,思援弓繳而射之,雖與之俱學,弗若之矣。為是其智弗若與?曰非然也。」

孟子曰く、「王の不智を怪しむ無かれ。雖し天下易生之物有りて、一日之を暴(さら)し、十日之を寒らしめば、未有り能生ずる。吾見る亦罕(まれ)なり。吾退けて、之を寒らす者至らば、吾何ぞ彼の萌蘖有らん哉。今夫弈之數を爲るは、小數なり。專心致志せざれば、得ざるなり。弈秋は、通國之善く弈する者なり。弈秋に使へり二人を誨え弈さしむ。其の一人專心致志して、惟れ弈秋之聽を爲す。一人雖し之を聽きて、一心以て鴻鵠將に至らんと爲し、思援弓繳(えんきゅうしゃく)して之を射らんとす。雖し之と倶に學ぶも、弗若なり。爲れ其の智弗若か。曰く、非然なり」と。

孟子曰:「魚,我所欲也;熊掌,亦我所欲也,二者不可得兼,舍魚而取熊掌者也。生,亦我所欲也;義,亦我所欲也,二者不可得兼,捨生而取義者也。生亦我所欲,所欲有甚於生者,故不為苟得也;死亦我所惡,所惡有甚於死者,故患有所不闢也。如使人之所欲莫甚於生,則凡可以得生者,何不用也?使人之所惡莫甚於死者,則凡可以闢患者,何不為也?由是則生而有不用也,由是則可以闢患而有不為也。是故所欲有甚於生者,所惡有甚於死者,非獨賢者有是心也,人皆有之,賢者能勿喪耳。一簞食,一豆羹,得之則生,弗得則死。嘑爾而與之,行道之人弗受;蹴爾而與之,乞人不屑也。萬鍾則不辨禮義而受之。萬鍾於我何加焉?為宮室之美、妻妾之奉、所識窮乏者得我與?鄉為身死而不受,今為宮室之美為之;鄉為身死而不受,今為妻妾之奉為之;鄉為身死而不受,今為所識窮乏者得我而為之,是亦不可以已乎?此之謂失其本心。」

孟子曰く、「魚は、我が欲する所なり。熊掌は、亦我が欲する所なり。二者兼ねて得可からざれば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生は、亦我が欲する所なり。義は、亦我が欲する所なり。二者兼ねて得可からざれば、生を舍てて義を取る者なり。生は亦我が欲する所、欲する所生に甚だしき有り。故に苟得を爲さざるなり。死は亦我が惡する所、惡する所死に甚だしき有り。故に患辟(ひ)かざる所有り。如かん、人之欲する所生に甚だしき莫くんば、則ち凡そ以て生を得可き者、何ぞ用ゐざらんや。如かん、人之惡する所死に甚だしき莫くんば、則ち凡そ以て患を辟可き者、何ぞ爲さざらんや。是に由りて則ち生有りて用ゐざる有り。是に由りて則ち患を辟る可くて爲さざる有り。是故に欲する所生に甚だしき有り、惡する所死に甚だしき有り。非獨り賢者之心有り是なり、人皆有り。賢者能く喪はざるのみ。一簞食、一豆羹、之を得れば則ち生き、弗得れば則ち死ぬ。嘑爾(こに)して之と與ふれば、行道之人受けず。蹴爾(しゅくに)して之と與ふれば、乞人屑(せつ)とせず。萬鍾則ち禮義を辯ぜずして之を受く。萬鍾我に於て何の加ふある。爲れ宮室之美、妻妾之奉、所識窮乏者我を得たりと爲すか。鄕(さき)に身を死するに受けざりし、今爲れ宮室之美之を爲す。鄕に身を死するに受けざりし、今爲れ妻妾之奉之を爲す。鄕に身を死するに受けざりし、今爲れ所識窮乏者我を得たりと爲して之を爲す。是れ亦以て已乎可からざるか。此れ之を其の本心を失ふと謂ふ」と。

孟子曰:「仁,人心也;義,人路也。舍其路而弗由,放其心而不知求,哀哉!人有雞犬放,則知求之;有放心,而不知求。學問之道無他,求其放心而已矣。」

孟子曰く、「仁は、人心なり。義は、人路なり。其の路を舍てて由らず、其の心を放して求むるを知らず。哀なる哉。人鷄犬放つ有れば、則ち之を求むるを知る。放心有れば、而して之を求むるを知らず。學問之道他無し、其の放心を求むるのみ」と。

孟子曰:「今有無名之指,屈而不信,非疾痛害事也,如有能信之者,則不遠秦楚之路,為指之不若人也。指不若人,則知惡之;心不若人,則不知惡,此之謂不知類也。」

孟子曰く、「今無名之指有りて、屈して信(の)ばず。非疾痛事を害するなり。如かん、能く之を信する者有れば、則ち秦楚之路を遠と爲さず。指人に不若なるを以てなり。指人に不若なれば、則ち之を惡むるを知る。心人に不若なれば、則ち之を惡むるを知らず。此れ之を類を知らざると謂ふ」と。

孟子曰:「拱把之桐梓,人苟欲生之,皆知所以養之者。至於身,而不知所以養之者,豈愛身不若桐梓哉?弗思甚也。」

孟子曰く、「拱把之桐梓、人苟くも其の生せんと欲すれば、皆知る、所以之を養ふ者。身に至りては、而して所以之を養ふ者を知らず。豈に身を愛する桐梓に不若か。思ふこと弗思甚し」。

孟子曰:「人之於身也,兼所愛。兼所愛,則兼所養也。無尺寸之膚不愛焉,則無尺寸之膚不養也。所以考其善不善者,豈有他哉?於己取之而已矣。體有貴賤,有小大。無以小害大,無以賤害貴。養其小者為小人,養其大者為大人。今有場師,舍其梧檟,養其樲棘,則為賤場師焉。養其一指而失其肩背,而不知也,則為狼疾人也。飲食之人,則人賤之矣,為其養小以失大也。飲食之人無有失也,則口腹豈適為尺寸之膚哉?」

孟子曰く、「人之身に於ては、兼愛する所なり。兼愛する所は、則ち兼養する所なり。尺寸之膚愛する莫き無し。則ち尺寸之膚養ふ莫き無し。所以其の善不善を考するは、豈に他あらんや。己に取るのみ。體貴賤有り、小大有り。小を以て大を害する無かれ。賤を以て貴を害する無かれ。其の小を養ふは小人なり、其の大を養ふは大人なり。今場師有りて、其の梧檟(ごか)を舍てて、其の樲棘(じきょく)を養ふは、則ち賤場師焉(えん)。其一指を養ひて其の肩背を失ふて、而して之を知らざるは、則ち狼疾人なり。飮食之人は、則ち人之賤之矣、其の小を養ひて以て大を失ふを爲す。飮食之人失ふ無ければ、則ち口腹豈に適(てき)尺寸之膚を爲さん哉」と。

公都子問曰:「鈞是人也,或為大人,或為小人,何也?」

公都子問ふて曰く、「鈞(いず)れも是れ人なり。或は大人と爲り、或は小人と爲るは、何ぞや」。

孟子曰:「從其大體為大人,從其小體為小人。」

孟子曰く、「其の大體に從ふは大人なり、其の小體に從ふは小人なり」。

曰:「鈞是人也,或從其大體,或從其小體,何也?」

曰く、「鈞れ是れ人なり。或は其の大體に從ふ、或は其の小體に從ふは、何ぞや」。

曰:「耳目之官不思,而蔽於物,物交物,則引之而已矣。心之官則思,思則得之,不思則不得也。此天之所與我者,先立乎其大者,則其小者弗能奪也。此為大人而已矣。」

曰く、「耳目之官は思はずて、物に蔽はる。物物を交へて、則ち之を引くのみ。心之官は則ち思ふ。思ふれば則ち之を得、不思ふれば則ち不得る。此れ天之我と與ふる所なり。先に其の大者を立てば、則ち其の小者奪ふ能はず。此れ大人已矣」と。

孟子曰:「有天爵者,有人爵者。仁義忠信,樂善不倦,此天爵也;公卿大夫,此人爵也。古之人修其天爵,而人爵從之。今之人修其天爵,以要人爵;既得人爵,而棄其天爵,則惑之甚者也,終亦必亡而已矣。」

孟子曰く、「有り、天爵、有り、人爵。仁義忠信、善を樂しんで倦まず。此れ天爵なり。公卿大夫。此れ人爵なり。古之人其の天爵を修めて、人爵之に從ふ。今之人其の天爵を修めて、以て人爵を要る。既に人爵を得て、而して其の天爵を棄つ。則ち惑甚だしき者也。終亦必ず亡(な)くのみ」と。

孟子曰:「欲貴者,人之同心也。人人有貴於己者,弗思耳。人之所貴者,非良貴也。趙孟之所貴,趙孟能賤之。《詩》云:『既醉以酒,既飽以德。』言飽乎仁義也,所以不願人之膏粱之味也;令聞廣譽施於身,所以不願人之文繡也。」

孟子曰く、「貴を欲するは、人之同心なり。人人己に貴き有り、弗思のみ。人之貴き所は、非良貴なり。趙孟之貴くる所は、趙孟能く之を賤しく。《詩・大雅・既醉》に曰く、「既に酒に醉ひ、既に德に飽く」といふ。言ふ、仁義に飽く、所以人の膏粱之味を願はざるなり。令聞廣譽身に施さる、所以人の文繡を願はざるなり」と。

孟子曰:「仁之勝不仁也,猶水勝火。今之為仁者,猶以一杯水,救一車薪之火也;不熄,則謂之水不勝火,此又與於不仁之甚者也。亦終必亡而已矣。」

孟子曰く、「仁之不仁に勝るは、猶ほ水之火に勝るがごとし。今仁を爲る者は、猶ほ一杯之水を以て車薪之火を救ふがごとし。熄(そく)めざれば、則ち水の火に勝たざるを謂ふ。此れ亦與(くみ)して不仁之甚者を助長す。亦終必ず亡(な)くのみ」と。

孟子曰:「五穀者,種之美者也;苟為不熟,不如荑稗。夫仁亦在乎熟之而已矣。」

孟子曰く、「五穀者は、種之美者也。苟くも熟せざれば、荑稗(ていはい)に如かず。夫れ仁は、亦其の之を熟するに在るのみ」と。

孟子曰:「羿之教人射,必志於彀;學者亦必志於彀。大匠誨人,必以規矩;學者亦必以規矩。」

孟子曰く、「羿之人に敎へて射るは、必ず彀率(こうりつ)に志す。學者亦必ず彀率に志す。大匠人を誨ゆるは、必ず規矩を以てす。學者亦必ず規矩を以てす」と。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.