成公(元年~十八年)
◇成公元年
◇成公元年
【經】元年春王正月,公即位。二月辛酉,葬我君宣公。無冰。三月,作丘甲。夏,臧孫許及晉侯盟於赤棘。秋,王師敗績於茅戎。冬十月。
【経】元年春、周天子の暦の正月、成公が即位した。二月辛酉、わが君宣公を葬った。氷がなかった。三月、丘甲の制を定めた。夏、臧孫許が晋侯と赤棘で盟した。秋、天子の軍が茅戎で大敗した。冬十月。
【傳】元年春,晉侯使瑕嘉平戎於王,單襄公如晉拜成。劉康公徼戎,將遂伐之。叔服曰:“背盟而欺大國,此必敗。背盟,不祥;欺大國,不義;神人弗助,將何以勝?”不聽,遂伐茅戎。三月癸未,敗績于徐吾氏。
【伝】元年春、晋侯は瑕嘉を派遣して天子のために戎と和睦し、単襄公が晋に行って事の成を拝謝した。劉康公は戎に利を求め、続けてこれを伐とうとした。叔服が言った、「盟約を背いて大国を欺くのは、必ず敗れます。盟約を背くは不祥、大国を欺くは不義、神も人も助けず、何をもって勝ちましょうか」と。聴かず、ついに茅戎を伐った。三月癸未、徐吾氏で大敗した。
為齊難故,作丘甲。
斉の難のため、丘甲の制を定めた。
聞齊將出楚師,夏,盟於赤棘。
斉が楚の軍を出そうとしていると聞き、夏、赤棘で盟した。
秋,王人來告敗。
秋、周人が敗戦を報告に来た。
冬,臧宣叔令修賦、繕完、具守備,曰:“齊、楚結好,我新與晉盟,晉、楚爭盟,齊師必至。雖晉人伐齊,楚必救之,是齊、楚同我也。知難而有備,乃可以逞。”
冬、臧宣叔は軍賦を整え城郭を修め守備を備えるよう命じて言った、「斉と楚が結び、われわれは新たに晋と盟を結びました。晋・楚が盟主を争えば、斉軍は必ず来ます。たとえ晋が斉を攻めても、楚は必ずこれを救い、これは斉・楚がともにわれわれに当たることです。難を知って備えがあってこそ、緩めることができます」と。
◇成公二年
◇成公二年
【經】二年春,齊侯伐我北鄙。夏四月丙戌,衛孫良夫帥師及齊師戰於新築,衛師敗績。六月癸酉,季孫行父、臧孫許、叔孫僑如、公孫嬰齊帥師會晉郤克、衛孫良夫、曹公子首及齊侯戰於鞍,齊師敗績。秋七月,齊侯使國佐如師。己酉,及國佐盟於袁婁。八月壬卒。宋公鮑卒。庚寅,衛侯速卒。取汶陽田。冬,楚師、鄭師侵衛。十有一月,公會楚公子嬰齊於蜀。丙申,公及楚人、秦人、宋人、陳人、衛人、鄭人、齊人、曹人、邾人、薛人、鄫人盟於蜀。
【経】二年春、斉侯がわが国の北部国境を攻めた。夏四月丙戌、衛の孫良夫が軍を率いて斉軍と新築で戦い、衛軍は大敗した。六月癸酉、季孫行父・臧孫許・叔孫僑如・公孫嬰斉が軍を率いて晋の郤克・衛の孫良夫・曹の公子首と会合し、斉侯と鞍で戦い、斉軍は大敗した。秋七月、斉侯は国佐を軍中に派遣した。己酉、国佐と袁婁で盟を結んだ。八月壬戌、宋公鮑が死去した。底本の「壬卒」は壬戌、宋公鮑が卒した。庚寅、衛侯速が死去した。汶水以北の田を得た。冬、楚軍・鄭軍が衛を侵伐した。十一月、成公が楚の公子嬰斉と蜀で会見した。丙申、成公が楚人・秦人・宋人・陳人・衛人・鄭人・斉人・曹人・邾人・薛人・鄫人と蜀で盟を結んだ。
【傳】二年春,齊侯伐我北鄙,圍龍。頃公之嬖人盧蒲就魁門焉,龍人囚之。
【伝】二年春、斉侯がわが国の北部国境を攻め、龍を包囲した。頃公の寵臣盧蒲就魁が城門を攻めると、龍人が彼を捕らえた。
齊侯曰:“勿殺!吾與而盟,無入而封。”弗聽,殺而膊諸城上。齊侯親鼓,士陵城,三日,取龍,遂南侵及巢丘。
斉侯は言った、「殺すな!あなたたちと盟を結び、あなたたちの封疆に入らないようにしよう」と。聴かず、彼を殺して城上に屍をさらした。斉侯は自ら鼓を撃ち、士卒が城壁に登り、三日で龍を取り、南に侵伐して巢丘に達した。
衛侯使孫良夫、石稷、寧相、向禽將侵齊,與齊師遇。石子欲還,孫子曰:“不可。以師伐人,遇其師而還,將謂君何?若知不能,則如無出。今既遇矣,不如戰也。”
衛侯は孫良夫・石稷・寧相・向禽将を派遣して斉を侵伐させ、斉軍と遭遇した。石子は帰ろうとしたが、孫子は言った、「だめです。軍をもって人を攻め、その軍に遭えば帰るとは、国君をどうするのですか。できないと知っていたなら、初めから出ないほうがよかった。すでに遭った以上、戦うに及びません」と。
夏,有。
夏、有った。
石成子曰:“師敗矣。子不少須,眾懼盡。子喪師徒,何以覆命?”皆不對。
石成子が言った、「軍が敗れました。あなたが少しお待ちにならなければ、衆は尽きてしまうでしょう。あなたが部衆を失って、何をもって復命しますか」と。皆答えなかった。
又曰:“子,國卿也。隕子,辱矣。子以眾退,我此乃止。”且告車來甚眾。齊師乃止,次於鞫居。新築人仲叔於奚救孫桓子,桓子是以免。
また言った、「あなたは国の卿です。あなたを失えば恥辱です。あなたは衆を率いて退き、私はここに留まります」と。そして後の兵車が多く来ていると伝告した。斉軍はそれで止まり、鞫居に駐屯した。新築人の仲叔于奚が孫桓子を救い、桓子はこれによって免れた。
既,衛人賞之以邑,辭。請曲縣、繁纓以朝,許之。仲尼聞之曰:“惜也,不如多與之邑。唯器與名,不可以假人,君之所司也。名以出信,信以守器,器以藏禮,禮以行義,義以生利,利以平民,政之大節也。若以假人,與人政也。
事後、衛人は城邑をもって彼に賞したが、辞退した。曲縣・繁纓をもって朝見することを請い、許された。仲尼がこれを聞いて言った、「惜しいことだ、城邑を多く与えるに如かず。礼器と名号だけは人に貸してはならない。国君の掌るところである。名号は信を出すため、信は礼器を守るため、礼器は礼を蔵するため、礼は義を行うため、義は利を生むため、利は百姓を安んずるためのもので、政事の大節である。もし人に貸せば、政事を人に与えることになる。
政亡,則國家從之,弗可止也已。”
(仲尼は続けて言う:)政事が亡べば国もこれに従って亡び、止めることができなくなる」と。
孫桓子還於新築,不入,遂如晉乞師。臧宣叔亦如晉乞師。皆主郤獻子。晉侯許之七百乘。郤子曰:“此城濮之賦也。有先君之明與先大夫之肅,故捷。克於先大夫,無能為役,請八百乘。”許之。郤克將中軍,士燮佐上軍,欒書將下軍,韓厥為司馬,以救魯、衛。臧宣叔逆晉師,且道之。季文子帥師會之。及衛地,韓獻子將斬人,郤獻子馳,將救之,至則既斬之矣。郤子使速以徇,告其僕曰:“吾以分謗也。”
孫桓子は新築から帰り、城に入らず、晋に行って出兵を請うた。臧宣叔も晋に行って出兵を請うた。皆、郤献子を主人とした。晋侯は七百乘を与えると許した。郤子は言った、「これは城濮の軍賦です。先君の明察と先大夫の敏捷があったから勝てたのです。克は先大夫に比べ、その役使にも堪えません。八百乘を請います」と。許された。郤克が中軍を率い、士燮が上軍を輔佐し、欒書が下軍を率い、韓厥が司馬となり、魯・衛を救いに来た。臧宣叔が晋軍を迎え、かつ嚮導を務めた。季文子が軍を率いて会合した。衛地に至り、韓献子が人を斬ろうとすると、郤献子は車を馳せて救いに行ったが、至った時にはすでに斬られていた。郤子は速やかに徇らせて衆に示させ、御者に言った、「私はこれをもって毀謗を分かち担うのだ」と。
師從齊師於莘。六月壬申,師至於靡笄之下。齊侯使請戰,曰:“子以君師,辱於敝邑,不腆敝賦,詰朝請見。”對曰:“晉與魯、衛,兄弟也。來告曰:‘大國朝夕釋憾於敝邑之地。’寡君不忍,使群臣請於大國,無令輿師淹於君地。
軍が莘で斉軍に追いついた。六月壬申、軍が靡笄山の下に至った。斉侯は人を遣わして戦を請わせて言った、「あなたが国君の軍を率いて辱くも敝邑に臨み、敝邑の豊かならざる軍賦を、明日の朝お目にかかりたい」と。答えて言った、「晋と魯・衛は兄弟です。彼らが来て告げて言う、『大国が朝夕敝邑の土地に憾みを発散しています』と。寡君は忍びず、群臣を派遣して大国に請い、衆多の軍を君王の土地に久留させないことを求めました。
能進不能退,君無所辱命。”齊侯曰:“大夫之許,寡人之願也;若其不許,亦將見也。”齊高固入晉師,桀石以投人,禽之而乘其車,系桑本焉,以徇齊壘,曰:“欲勇者賈餘餘勇。”
(行人は続けて言う:)進めるが退けず、君王の命令を辱めるところはありません」と。斉侯は言った、「大夫が許すのは寡人の願いです。もし許さなくても、相見ることになるでしょう」と。斉の高固が晋軍に突入し、石を挙げて人を投げ、その人を捉えてその車に乗り、桑の根を車に繋いで斉の営塁を徇行して言った、「勇気が欲しい者は、私の余った勇気を買いなさい」と。
癸酉,師陳於鞍。邴夏御齊侯,逢醜父為右。晉解張御郤克,鄭丘緩為右。
癸酉、軍が鞍で陣を布いた。邴夏が斉侯の御を務め、逢丑父が車右となった。晋の解張が郤克の御を務め、鄭丘緩が車右となった。
齊侯曰:“餘姑翦滅此而朝食。”不介馬而馳之。郤克傷於矢,流血及屨,未絕鼓音,曰:“餘病矣!”張侯曰:“自始合,而矢貫餘手及肘,餘折以御,左輪朱殷,豈敢言病。吾子忍之!”緩曰:“自始合,苟有險,餘必下推車,子豈識之?然子病矣!”張侯曰:“師之耳目,在吾旗鼓,進退從之。此車一人殿之,可以集事,若之何其以病敗君之大事也?擐甲執兵,固即死也。病未及死,吾子勉之!”左並轡,右援枹而鼓,馬逸不能止,師從之。齊師敗績。逐之,三週華不注。
斉侯は言った、「私はひとまずこの輩を滅ぼしてから朝食を食べよう」と。馬に甲を被せず駆けさせた。郤克は矢に傷つき、血が履まで流れたが、鼓声は絶えず、言った、「私は傷ついた!」張侯は言った、「戦いの始めから、矢が私の手を肘まで貫き、私は矢を折って車を御し続け、左の車輪は殷紅に染まりました。あえて傷ついたとは言いません。お忍びください!」緩は言った、「戦いの始めから、険路があるたびに必ず車を降りて推しましたが、あなたはどこでご存じでしたか。しかしあなたは確かに傷ついています!」張侯は言った、「軍の耳目はわれわれの旗と鼓にあり、進退は皆これに従います。この車に一人鎮まる者がいれば事を成せます。どうして傷のために国君の大事を敗りましょうか。甲を着て兵器を執るは、もとより死に赴くことです。傷はまだ死に至らず、お励みください!」左手に轡を併せ持ち、右手に桴を取って鼓を撃つと、馬は奔って止まらず、軍がこれに従った。斉軍は大敗し、彼らを追って華不注山を三周した。
韓厥夢子輿謂己曰:“且闢左右。”故中御而從齊侯。邴夏曰:“射其御者,君子也。”公曰:“謂之君子而射之,非禮也。”射其左,越於車下。射其右,斃於車中,綦毋張喪車,從韓厥,曰:“請寓乘。”從左右,皆肘之,使立於後。
韓厥は夢に子輿が自分に「しばらく左右を避けよ」と言うのを見た。それで車の中間に立って御し、斉侯を追った。邴夏は言った、「あの御者を射よ、君子だ」と。斉侯は言った、「君子と言いながら射るは礼に合わない」と。車左を射ると車下に墜ちた。車右を射ると車中で死んだ。綦毋張は車を失い、韓厥に追いついて言った、「お乗せください」と。左右についてこようとするのを、韓厥は皆肘で退けて後ろに立たせた。
韓厥俯,定其右。逢醜父與公易位。將及華泉,驂絓於木而止。醜父寢於轏中,蛇出於其下,以肱擊之,傷而匿之,故不能推車而及。韓厥執縶馬前,再拜稽首,奉觴加璧以進,曰:“寡君使群臣為魯、衛請,曰:‘無令輿師陷入君地。’下臣不幸,屬當戎行,無所逃隱。且懼奔闢而忝兩君,臣辱戎士,敢告不敏,攝官承乏。”醜父使公下,如華泉取飲。鄭周父御佐車,宛伐為右,載齊侯以免。
韓厥は身を屈めて車右の屍を安んじて置いた。逢丑父は斉侯と位置を換えた。華泉に至らんとして、驂馬が木に絡まって止まった。丑父はかつて栈車の中で寝ていて、蛇が下から出たのを臂で打ち、傷ついたが隠していたので、車を推すことができず追いつかれた。韓厥は絆馬索を執って馬の前に進み、再拜稽首し、酒杯を捧げ玉璧を加えて進上して言った、「寡君は群臣を派遣して魯・衛のために請わせ、『衆多の軍を君王の土地に陥れてはならない』と言いました。下臣は不幸、ちょうど戎行に当たり、逃避する場所がありません。また奔走逃避して両国君を辱めることを恐れ、臣は戎士として愧じ、あえて不聡明を報告し、官を代理して欠員を補います」と。丑父は斉侯に車を降りさせ、華泉に水を取りに行かせた。鄭周父が副車を御し、宛伐が車右となり、斉侯を載せて免れた。
韓厥獻醜父,郤獻子將戮之。呼曰:“自今無有代其君任患者,有一於此,將為戮乎!”郤子曰:“人不難以死免其君。我戮之不祥,赦之以勸事君者。”乃免之。
韓厥は丑父を献じ、郤献子は彼を殺そうとした。丑父は呼んで言った、「今後国君に代わって患難を受ける者はいなくなります。ここに一人いるのに、殺されようとしているのですか!」郤子は言った、「人は死をもって国君を免れさせることを恐れない。私が彼を殺すのは不吉だ。赦して国君に事える者を励まそう」と。こうして彼を免した。
齊侯免,求醜父,三入三出。每出,齊師以帥退。入於狄卒,狄卒皆抽戈楯冒之。以入於衛師,衛師免之。遂自徐關入。齊侯見保者,曰:“勉之!齊師敗矣。”闢女子,女子曰:“君免乎?”曰:“免矣。”曰:“銳司徒免乎?”曰:“免矣。”曰:“苟君與吾父免矣,可若何!”乃奔。齊侯以為有禮,既而問之,闢司徒之妻也。予之石窌。
斉侯は免れ、丑父を求めて三度突入し三度突出した。出るたびに斉軍は皆主帥を衛護して退いた。狄人の歩卒の中に入ると、狄卒は皆戈楯を抽き出して彼を遮護した。また衛軍に入ると、衛軍は彼を過ぎさせた。こうして徐関から城に入った。斉侯は城を守る者を見て言った、「励め!斉軍は敗れた」と。一人の女子に避けさせると、女子は言った、「国君は免れましたか」と。「免れた」と。「鋭司徒は免れましたか」と。「免れた」と。言った、「国君と私の父が皆免れたなら、これ以上何を求めましょう」と。こうして走り去った。斉侯は彼女に礼ありとし、後に問うと、辟司徒の妻であった。彼女に石窌を与えた。
晉師從齊師,入自丘輿,擊馬陘。齊侯使賓媚人賂以紀甗、玉磬與地。不可,則聽客之所為。賓媚人致賂,晉人不可,曰:“必以蕭同叔子為質,而使齊之封內盡東其畝。”對曰:“蕭同叔子非他,寡君之母也。若以匹敵,則亦晉君之母也。吾子布大命於諸侯,而曰:‘必質其母以為信。’其若王命何?且是以不孝令也。《詩》曰:‘孝子不匱,永錫爾類。’若以不孝令於諸侯,其無乃非德類也乎?先王疆理天下物土之宜,而布其利,故《詩》曰:‘我疆我理,南東其畝。’今吾子疆理諸侯,而曰‘盡東其畝’而已,唯吾子戎車是利,無顧土宜,其無乃非先王之命也乎?反先王則不義,何以為盟主?其晉實有闕。四王之王也,樹德而濟同欲焉。五伯之霸也,勤而撫之,以役王命。今吾子求合諸侯,以逞無疆之慾。《詩》曰‘佈政優優,百祿是遒。’子實不優,而棄百祿,諸侯何害焉!不然,寡君之命使臣則有辭矣,曰:‘子以君師辱於敝邑,不腆敝賦,以犒從者。
晋軍は斉軍に追いつき、丘輿から入って馬陘を攻めた。斉侯は賓媚人を遣わし、紀の甗・玉磬と土地をもって賂を行わせた。もし許されなければ、客人のなすがままに任せることとした。賓媚人が財貨を進上すると、晋人は許さず言った、「必ず蕭同叔子を人質とし、かつ斉国の境内の田畝をすべて東向きにせよ」と。賓媚人は答えて言った、「蕭同叔子は他の人ではなく、寡君の母です。対等に言えば、晋君の母でもあります。あなたが諸侯に大命を布きながら、『必ず人の母を人質として信を取れ』とは、王命をどうするのですか。しかもこれは不孝をもって命ずることです。《詩》に言う、『孝子の孝は匱せず、永く爾の同類に賜る』と。もし不孝をもって諸侯に命ずれば、おそらく徳の同類ではないでしょう。先王は天下の疆界を划し土地を理め、土宜に従って利益を布いた。故に《詩》に言う、『我が疆を划り我が理め、田畝に南あり東あり』と。今あなたは諸侯の疆理を划定しながら、ただ『田畝をすべて東に』と言い、あなたの兵車の便利のみを図り、土地の宜しきを顧みない。おそらく先王の命令ではないでしょう。先王に背くは不義であり、何をもって盟主となりましょうか。晋は実に失があります。四王が王と為ったのは、徳を樹てて共同の願いを成し遂げたからです。五伯が覇したのは、勤労して安んじ、王命のために服役したからです。今あなたは諸侯を会合しようとして、際限なき欲望を満たそうとしています。《詩》に言う、『政を施すこと寛和なれば、百の福禄皆聚まる』と。あなたは実に寛和でなく、百の福禄を棄てています。諸侯に何の害がありましょうか。さもなければ、寡君が使臣に命じた言がまだあります。『あなたが国君の軍を率いて辱くも敝邑に臨み、敝邑の豊かならざる軍賦をもって従者を犒います。
畏君之震,師徒橈敗,吾子惠徼齊國之福,不泯其社稷,使繼舊好,唯是先君之敝器、土地不敢愛。子又不許,請收合餘燼,背城借一。敝邑之幸,亦云從也。
(賓媚人は続けて転述する:)君王の威を畏れて軍が挫敗したのに、あなたが恵みて斉のために福を求め、社稷を滅ぼさず旧日の友好を続けさせてくださるなら、先君の破れた器物・土地のみ、あえて惜しみません。それでもなお許されなければ、残りを収集して城壁を背に死を決して戦います。敝邑に幸あれば、なお従います。
況其不幸,敢不唯命是聽。’”魯、衛諫曰:“齊疾我矣!其死亡者,皆親暱也。
(賓媚人は続けて転述する:)しかも不幸にして、あえて命に従わざりえましょうか』と」。魯・衛は勧めて言った、「斉はわれわれを恨んでいます!亡んだ者は皆親しい人でした。
子若不許,仇我必甚。唯子則又何求?子得其國寶,我亦得地,而紓於難,其榮多矣!齊、晉亦唯天所授,豈必晉?”晉人許之,對曰:“群臣帥賦輿以為魯、衛請,若苟有以藉口而復於寡君,君之惠也。敢不唯命是聽。”
(魯・衛は続けて言う:)あなたが許されなければ、われわれへの恨みは必ずさらに深まります。あなたはまだ何を求めるのですか。あなたは国宝を得、われわれも土地を得て、かつ患難を緩められました。光栄はすでに多いです!斉・晋も皆ただ天が誰に授けるかを見るだけで、どうして必ず晋でありましょうか」と。晋人は許し、答えて言った、「群臣が軍賦の兵車を率いて魯・衛のために請い、もし言うべきことがあれば寡君に復命します。これが君王の恵みです。あえて命に従わざりえましょうか」と。
禽鄭自師逆公。
禽鄭が軍中から成公を迎えた。
秋七月,晉師及齊國佐盟於爰婁,使齊人歸我汶陽之田。公會晉師於上鄍,賜三帥先路三命之服,司馬、司空、輿帥、候正、亞旅,皆受一命之服。
秋七月、晋軍は斉の国佐と爰婁で盟を結び、斉人にわが国の汶水以北の田を返還させた。成公は上鄍で晋軍に会見し、三位の主帥に先路と三命の礼服を賜い、司馬・司空・輿帥・候正・亜旅は皆一命の礼服を受けた。
八月,宋文公卒。始厚葬,用蜃炭,益車馬,始用殉。重器備,槨有四阿,棺有翰檜。
八月、宋文公が死去した。初めて厚葬し、蜃灰を用い、車馬を増やし、初めて生人を殉葬に用いた。器物の装備を増やし、槨に四阿があり、棺に翰と檜があった。
君子謂:“華元、樂舉,於是乎不臣。臣治煩去惑者也,是以伏死而爭。今二子者,君生則縱其惑,死又益其侈,是棄君於惡也。何臣之為?”九月,衛穆公卒,晉二子自役吊焉,哭於大門之外。衛人逆之,婦人哭於門內,送亦如之。遂常以葬。
君子は思う、「華元・楽挙は、この事において臣に似ていない。臣とは煩乱を治め迷惑を去る者で、それゆえ死を賭して争諫する。今この二人は、国君の生きている時はその迷惑を放縦にし、死してまた奢侈を増した。国君を悪の中に置いたのだ。何の臣か」と。九月、衛穆公が死去し、晋の二位の主将が軍役から弔いに来て大門の外で哭いた。衛人は彼らを迎え、婦人が門内で哭き、送る時もこのようであった。これより葬礼の常制となった。
楚之討陳夏氏也,莊王欲納夏姬,申公巫臣曰:“不可。君召諸侯,以討罪也。今納夏姬,貪其色也。貪色為淫,淫為大罰。《周書》曰:‘明德慎罰。’文王所以造周也。明德,務崇之之謂也;慎罰,務去之之謂也。若興諸侯,以取大罰,非慎之也。君其圖之!”王乃止。子反欲取之,巫臣曰:“是不祥人也!是夭子蠻,殺御叔,弒靈侯,戮夏南,出孔、儀,喪陳國,何不祥如是?人生實難,其有不獲死乎?天下多美婦人,何必是?”子反乃止。王以予連尹襄老。襄老死於邲,不獲其屍,其子黑要烝焉。巫臣使道焉,曰:“歸!吾聘女。”又使自鄭召之,曰:“屍可得也,必來逆之。”姬以告王,王問諸屈巫。對曰:“其信!知犖之父,成公之嬖也,而中行伯之季弟也,新佐中軍,而善鄭皇戌,甚愛此子。其必因鄭而歸王子與襄老之屍以求之。鄭人懼於邲之役而欲求媚於晉,其必許之。”王遣夏姬歸。將行,謂送者曰:“不得屍,吾不反矣。”巫臣聘諸鄭,鄭伯許之。及共王即位,將為陽橋之役,使屈巫聘於齊,且告師期。巫臣盡室以行。申叔跪從其父將適郢,遇之,曰:“異哉!夫子有三軍之懼,而又有《桑中》之喜,宜將竊妻以逃者也。”及鄭,使介反幣,而以夏姬行。將奔齊,齊師新敗,曰:“吾不處不勝之國。”遂奔晉,而因郤至,以臣於晉。晉人使為邢大夫。子反請以重幣錮之,王曰:“止!其自為謀也,則過矣。其為吾先君謀也,則忠。忠,社稷之固也,所蓋多矣。且彼若能利國家,雖重幣,晉將可乎?若無益於晉,晉將棄之,何勞錮焉。”
楚が陳の夏氏を討った時、荘王は夏姫を納れようとしたが、申公巫臣は言った、「いけません。君王が諸侯を召集したのは罪を討つためです。今夏姫を納れるはその美色を貪ることです。色を貪るは淫、淫は大罰です。《周書》に言う、『徳を明らかにし刑を慎しむ』と。文王が周を創った所以です。徳を明らかにするとは務めてこれを崇めること、刑を慎しむとは務めてこれを去ることです。もし諸侯を動かして大罰を取れば、慎しむことではありません。君王のお考えを請います!」荘王はこうして止めた。子反が彼女を娶ろうとすると、巫臣は言った、「これは不吉な人です!彼女は子蛮を夭折させ、御叔を殺し、霊侯を弑し、夏南を殺し、孔寧・儀行父を奔らせ、陳国を亡ぼしました。これほど不吉なものがあるでしょうか。人生は実に難しく、おそらく好い死を得られないでしょう。天下に美婦人は多いのに、どうして必ず彼女でなければなりませんか」と。子反はこうして止めた。荘王は彼女を連尹襄老に与えた。襄老は邲で死に、屍を得られず、その子の黒要が彼女と烝した。巫臣は人を遣わして彼女を導かせて言った、「帰れ!私があなたを聘娶する」と。また人を遣わして鄭国から彼女を召して言った、「屍は得られる。必ず迎えに来い」と。夏姫は楚王に告げ、楚王は屈巫に問うた。答えて言った、「それは信じられます!知䓨の父は成公の寵臣であり、また中行伯の小弟弟で、新たに中軍を輔佐し、鄭の皇戌と交好し、この子を大変愛しています。必ず鄭国を借りて王子と襄老の屍を返し知䓨を求めるでしょう。鄭人は邲の役を恐れ、晋に媚びようとして、必ず許すでしょう」と。楚王は夏姫を帰した。行かんとして、彼女は送る人に言った、「屍を得られなければ、私は帰りません」と。巫臣は鄭国で彼女を聘し、鄭伯は許した。共王が即位するに及び、陽橋の役を行おうとして屈巫を斉国に聘問させ、かつ出兵の日を告げさせた。巫臣は家室をすべて携えて行った。申叔跪は父に従って郢に行かんとして彼に遇い、言った、「怪しいな!この人は三軍の戒懼がありながら、また《桑中》の喜びがある。まさに妻を盗んで逃げようとしているのだ」と。鄭国に至り、副使に聘礼を返させ、夏姫を連れて行った。斉国に奔ろうとしたが、斉軍は新たに敗れたばかりで、言った、「私は勝つことのできない国には住まない」と。こうして晋に奔り、郤至を通じて晋で臣となった。
晉師歸,範文子後入。武子曰:“無為吾望爾也乎?”對曰:“師有功,國人喜以逆之,先入,必屬耳目焉,是代帥受名也,故不敢。”武子曰:“吾知免矣。”
晋軍が帰ると、范文子は後から城に入った。武子は言った、「私があなたを望んでいたのではないか」と。答えて言った、「軍に功あれば国人が喜んで迎えます。先に城に入れば必ず耳目の注ぐところとなり、主帥に代わって名声を受けることになります。だから敢えてしませんでした」と。武子は言った、「私はこれで禍を免れられると知った」と。
郤伯見,公曰:“子之力也夫!”對曰:“君之訓也,二三子之力也,臣何力之有焉!”范叔見,勞之如郤伯,對曰:“庚所命也,克之制也,燮何力之有焉!”欒伯見,公亦如之,對曰:“燮之詔也,士用命也,書何力之有焉!”宣公使求好於楚。莊王卒,宣公薨,不克作好。公即位,受盟於晉,會晉伐齊。衛人不行使於楚,而亦受盟於晉,從於伐齊。故楚令尹子重為陽橋之役以求齊。將起師,子重曰:“君弱,群臣不如先大夫,師眾而後可。《詩》曰:‘濟濟多士,文王以寧。’夫文王猶用眾,況吾儕乎?且先君莊王屬之曰:‘無德以及遠方,莫如惠恤其民,而善用之。’”乃大戶,已責,逮鰥,救乏,赦罪,悉師,王卒盡行。彭名御戎,蔡景公為左,許靈公為右。二君弱,皆強冠之。
郤伯が進見すると、晋侯は言った、「あなたの力ですね」と。答えて言った、「君王の教訓、幾人かの力です。臣に何の力がありましょうか」と。范叔が進見すると、郤伯を慰労したように彼を慰労し、答えて言った、「庚の命するところ、克の制するところです。燮に何の力がありましょうか」と。欒伯が進見すると、晋侯も同じようにし、答えて言った、「燮の指示し、士卒が命令に従いました。書に何の力がありましょうか」と。宣公は人を遣わして楚に好を求めた。荘王が死去し、宣公が死去し、結好できなかった。成公が即位し、晋で盟を受け、晋と会合して斉を攻めた。衛人は楚に使者を遣わさず、晋で盟を受け、従って斉を攻めた。それで楚の令尹子重が陽橋の役を発動して斉を救った。出兵しようとして子重は言った、「国君は年幼く、群臣は先大夫に及ばず、軍は人多くしてこそ行えます。《詩》に言う、『済済たる多士、文王これによって寧し』と。文王尚且衆を用いた。ましてわれわれの輩をや。しかも先君荘王が嘱して言った、『徳が遠方に及ばないなら、百姓に恵み体恤するに如かず、善く彼らを用いよ』と」。こうして大いに戸口を登録し、債務を免除し、鰥夫に施し、困乏を救済し、罪人を赦し、軍を尽くして出し、楚王の直属部隊は皆出行した。彭名が戎車を御し、蔡景公が左に、許霊公が右にいた。二国の君は年幼く、皆強いて冠礼を行った。
冬,楚師侵衛,遂侵我,師於蜀。使臧孫往,辭曰:“楚遠而久,固將退矣。
冬、楚軍が衛を侵伐し、続けてわが国を侵伐し、蜀に駐軍した。臧孫を遣わして往かせると、辞退して言った、「楚は路遠くかつ長く留まり、もともと退こうとしています。
無功而受名,臣不敢。”楚侵及陽橋,孟孫請往,賂之以執斫、執針、織紝,皆百人。公衡為質,以請盟,楚人許平。
(臧孫は続けて言う:)功なくして名を受けるは、臣が敢えてしません」と。楚軍が侵伐して陽橋に至ると、孟孫は往かんことを請い、執斫・執針・織紝各百人をもって賂を行った。公衡が人質となり、盟を請い、楚人は講和を許した。
十一月,公及楚公子嬰齊、蔡侯、許男、秦右大夫說、宋華元、陳公孫寧、衛孫良夫、鄭公子去疾及齊國之大夫盟於蜀。卿不書,匱盟也。於是乎畏晉而竊與楚盟,故曰匱盟。蔡侯、許男不書,乘楚車也,謂之失位。君子曰:“位其不可不慎也乎!蔡、許之君,一失其位,不得列於諸侯,況其下乎?《詩》曰:‘不解於位,民之攸塈。’其是之謂矣。”
十一月、成公は楚の公子嬰斉・蔡侯・許男・秦の右大夫説・宋の華元・陳の公孫寧・衛の孫良夫・鄭の公子去疾および斉国の大夫と蜀で盟を結んだ。卿の名を《春秋》に記さないのは、これが内容を欠いた盟だからです。この時晋を恐れてこっそり楚と盟を結んだので、匱盟と言う。蔡侯・許男を《春秋》に記さないのは、楚の車に乗ったからで、失位と言う。君子は言った、「地位は慎まなければならないでしょう!蔡・許の君は、一旦位を失えば諸侯に列することができない。ましてその下の者をや。《詩》に言う、『位に在りて懈らざれば、百姓これによって安息す』と。これを言うのです」と。
楚師及宋,公衡逃歸。臧宣叔曰:“衡父不忍數年之不宴,以棄魯國,國將若之何?誰居?後之人必有任是夫!國棄矣。”
楚軍が宋国に至ると、公衡が逃げ帰った。臧宣叔は言った、「衡父は数年の不安に耐えられず、魯国を棄てた。国はどうするのか。誰が留まるのか。後の者は必ずこの任を負う者がいる!国が棄てられたのだ」と。
是行也,晉闢楚,畏其眾也。君子曰:“眾之不可以已也。大夫為政,猶以眾克,況明君而善用其眾乎?《大誓》所謂商兆民離,周十人同者眾也。”
この度の出行で、晋は楚を避けた。その人の多さを恐れたのだ。君子は言った、「人衆は止められない。大夫が政を執るも尚且人衆を恃って勝つ。まして明君が衆を善く用いるをや。《大誓》に言う、商の億万の民は心を離れ、周の十人は心を同じくす、とは人衆のことだ」と。
晉侯使鞏朔獻齊捷於周,王弗見,使單襄公辭焉,曰:“蠻夷戎狄,不式王命,淫湎毀常,王命伐之,則有獻捷,王親受而勞之,所以懲不敬,勸有功也。
晋侯は鞏朔を遣わして周室に斉の俘虜を献じさせた。天子は見ず、単襄公を遣わして辞退させて言った、「蛮夷戎狄は王命を遵行せず、淫湎して常道を毀る。王が命じて彼らを討てば献捷があり、天子が自ら受けて慰労する。これは不敬を懲戒し功あるを勧めるためです。
兄弟甥舅,侵敗王略,王命伐之,告事而已,不獻其功,所以敬親暱,禁淫慝也。
(単襄公は続けて言う:)兄弟甥舅の国は、王の法度を侵敗しても、王が命じて討てば事を報告するのみで功を献じない。これは親近を敬し淫邪を禁ずるためです。
今叔父克遂,有功於齊,而不使命卿鎮撫王室,所使來撫餘一人,而鞏伯實來,未有職司於王室,又奸先王之禮,餘雖欲於鞏伯、其敢廢舊典以忝叔父?夫齊,甥舅之國也,而大師之後也,寧不亦淫從其欲以怒叔父,抑豈不可諫誨?”士莊伯不能對。王使委於三吏,禮之如侯伯克敵使大夫告慶之禮,降於卿禮一等。王以鞏伯宴,而私賄之。使相告之曰:“非禮也,勿籍。”
(単襄公は続けて言う:)今叔父は順に功を成し、斉に功があったのに、職命ある卿を遣わして王室を鎮撫させず、遣わして我一入を撫慰する所は実は鞏伯が来たことで、王室に職司がなく、また先王の礼を干犯しました。私は鞏伯を好むが、あえて旧典を廃して叔父を辱めましょうか。斉国は甥舅の国で、また太師の後裔です。欲望を放縦にして叔父を激怒させたのではないか、それとも誡め教えることができないのか」と。士荘伯は答えることができなかった。天子は事を三吏に委託し、侯伯が敵に勝って大夫を遣わして慶を報じる礼をもって接待し、卿礼より一等降らせた。天子は鞏伯と宴飲し、私に財貨を与えた。相礼の者に彼に告げさせた、「これは礼に合わない。記すな」と。
◇成公三年
◇成公三年
【經】三年春王正月,公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯伐鄭。辛亥,葬衛穆公。
【経】三年春、周天子の暦の正月、成公は晋侯・宋公・衛侯・曹伯と会合して鄭を攻めた。辛亥、衛穆公を葬った。
二月,公至自伐鄭。甲子,新宮災。三日哭。乙亥,葬宋文公。夏,公如晉。鄭公子去疾帥師伐許。公至自晉。秋,叔孫僑如帥師圍棘。大雩。晉郤克、衛孫良夫伐嗇咎如。冬十有一月,晉侯使荀庚來聘。衛侯使孫良夫來聘。丙午,及荀庚盟。丁未,及孫良夫盟。鄭伐許。
二月、成公は鄭を攻めたところから帰った。甲子、新宮が火災に遭った。三日哭いた。乙亥、宋文公を葬った。夏、成公は晋に行った。鄭の公子去疾が軍を率いて許を攻めた。成公は晋から帰った。秋、叔孫僑如が軍を率いて棘を包囲した。大雩を行った。晋の郤克・衛の孫良夫が啬咎如を攻めた。冬十一月、晋侯は荀庚を遣わして聘問させた。衛侯は孫良夫を遣わして聘問させた。丙午、荀庚と盟を結んだ。丁未、孫良夫と盟を結んだ。鄭が許を攻めた。
【傳】三年春,諸侯伐鄭,次於伯牛,討邲之役也,遂東侵鄭。鄭公子偃帥師御之,使東鄙覆諸鄤,敗諸丘輿。皇戌如楚獻捷。
【伝】三年春、諸侯が鄭を攻め、伯牛に駐屯した。邲の役を討ったので、こうして東に鄭を侵伐した。鄭の公子偃が軍を率いてこれを禦ぎ、東部の国境に鄤で伏兵を設け、丘輿で彼らを破った。皇戌が楚に俘虜を献じに行った。
夏,公如晉,拜汶陽之田。
夏、成公は晋に行き、汶水以北の田を拜謝した。
許恃楚而不事鄭,鄭子良伐許。
許は楚を恃んで鄭に事えなかったので、鄭の子良が許を攻めた。
晉人歸公子谷臣與連尹襄老之屍於楚,以求知罃。於是荀首佐中軍矣,故楚人許之。王送知罃,曰:“子其怨我乎?”對曰:“二國治戎,臣不才,不勝其任,以為俘馘。執事不以釁鼓,使歸即戮,君之惠也。臣實不才,又誰敢怨?”王曰:“然則德我乎?”對曰:“二國圖其社稷,而求紓其民,各懲其忿以相宥也,兩釋累囚以成其好。二國有好,臣不與及,其誰敢德?”王曰:“子歸,何以報我?”對曰:“臣不任受怨,君亦不任受德,無怨無德,不知所報。”王曰:“雖然,必告不穀。”對曰:“以君之靈,累臣得歸骨於晉,寡君之以為戮,死且不朽。若從君之惠而免之,以賜君之外臣首;首其請於寡君而以戮於宗,亦死且不朽。若不獲命,而使嗣宗職,次及於事,而帥偏師以修封疆,雖遇執事,其弗敢違。其竭力致死,無有二心,以盡臣禮,所以報也。”王曰:“晉未可與爭。”
晋人は公子穀臣と連尹襄老の屍を楚に帰し、知䓨を求めた。この時荀首はすでに中軍を輔佐していたので、楚人は許した。楚王は知䓨を送って言った、「あなたは私を怨みますか」と。答えて言った、「両国が兵を交え、臣は才能なく任に堪えず、俘虜となりました。執事が臣の血をもって鼓を塗らず、臣を帰して刑に就かせたのは君王の恵みです。臣は実に才能なく、また敢えて誰を怨みましょうか」と。楚王は言った、「では私を感じますか」と。答えて言った、「両国はその社稷のために謀り、百姓の緩を求め、各々その忿恨を懲めて相宥め、両辺の囚を釈放して友好を成し遂げました。両国に友好あれば、臣はその辺に及ばず、また敢えて誰を感じましょうか」と。楚王は言った、「あなたが帰れば、何をもって私に報いますか」と。答えて言った、「臣は怨を担うに堪えず、君王も徳を担うに堪えず、怨なく徳なし。何を報いるか知りません」と。楚王は言った、「それでも必ず不穀に告げよ」と。答えて言った、「君王の威霊に藉り、囚の臣が骨を晋に帰することができ、寡君が私を殺せば、死しても栄です。もし君王の恵みによって死を免れ、私を君王の外臣首に賜い、首が寡君に請いて宗廟で私を殺せば、これも死して栄です。もし許されず、私に宗族の職事を継がせ、次序に従って軍職に当たらせ、偏師を率いて封疆を整治せしめるなら、たとえ執事に遇うとも敢えて回避しません。力を竭くして死に致し、二心なく臣礼を尽くす。これが報いです」と。楚王は言った、「晋は争えない」と。
重為之禮而歸之。
隆盛に礼を設けて彼を帰した。
秋,叔孫僑如圍棘,取汶陽之田。棘不服,故圍之。
秋、叔孫僑如が棘を包囲し、汶水以北の田を取った。棘が服従しなかったので包囲したのだ。
晉郤克、衛孫良夫伐嗇咎如,討赤狄之餘焉。嗇咎如潰,上失民也。
晋の郤克・衛の孫良夫が啬咎如を攻めた。赤狄の残りを討ったのだ。啬咎如は潰散した。上が百姓を失ったからだ。
冬十一月,晉侯使荀庚來聘,且尋盟。衛侯使孫良夫來聘,且尋盟。公問諸臧宣叔曰:“中行伯之於晉也,其位在三。孫子之於衛也,位為上卿,將誰先?”對曰:“次國之上卿當大國之中,中當其下,下當其上大夫。小國之上卿當大國之下卿,中當其上大夫,下當其下大夫。上下如是,古之制也。衛在晉,不得為次國。晉為盟主,其將先之。”丙午,盟晉,丁未,盟衛,禮也。
冬十一月、晋侯は荀庚を遣わして聘問し、かつ盟を重温させた。衛侯は孫良夫を遣わして聘問し、かつ盟を重温させた。成公は臧宣叔に問うて言った、「中行伯は晋で位が第三です。孫子は衛で位が上卿です。誰を先にしましょうか」と。答えて言った、「次国の上卿は大国の中卿に当たり、中卿はその下卿に当たり、下卿はその上大夫に当たります。小国の上卿は大国の下卿に当たり、中卿はその上大夫に当たり、下卿はその下大夫に当たります。上下がこのようであるのは古の制度です。衛は晋に対して次国と言えません。晋は盟主です。これを先にします」と。丙午、晋と盟を結び、丁未、衛と盟を結んだ。これは礼に合う。
十二月甲戌,晉作六軍。韓厥、趙括、鞏朔、韓穿、荀騅、趙旃皆為卿,賞鞍之功也。
十二月甲戌、晋は六軍を設置した。韓厥・趙括・鞏朔・韓穿・荀騅・趙旃が皆卿となった。鞍の功を賞したのだ。
齊侯朝於晉,將授玉。郤克趨進曰:“此行也,君為婦人之笑辱也,寡君未之敢任。”晉侯享齊侯。齊侯視韓厥,韓厥曰:“君知厥也乎?”齊侯曰:“服改矣。”韓厥登,舉爵曰:“臣之不敢愛死,為兩君之在此堂也。”
斉侯が晋に朝見した。玉を授けようとすると、郤克が歩を進めて言った、「この度の出行は、君王は婦人の笑いのために辱を受けました。寡君は敢えて当たりません」と。晋侯は享礼を設けて斉侯を招待した。斉侯は韓厥を見て、韓厥は言った、「君王は厥を識りますか」と。斉侯は言った、「衣服が変わった」と。韓厥は堂に登り、爵を挙げて言った、「臣は一死を惜しまないのは、二国君がこの堂に在るからです」と。
荀罃之在楚也,鄭賈人有將置諸褚中以出。既謀之,未行,而楚人歸之。
荀䓨が楚にいた時、鄭の商人のある者が彼を袋の中に藏して連れ出そうとした。すでに相談が定まり、まだ行わないうちに、楚人が彼を送り帰した。
賈人如晉,荀罃善視之,如實出己,賈人曰:“吾無其功,敢有其實乎?吾小人,不可以厚誣君子。”遂適齊。
商人は晋に至ると、荀䓨は彼を善く遇し、まことに彼が自分を連れ出したかのようにした。商人は言った、「私にその功はなく、あえてその実恵を受けましょうか。私は小人で、君子を厚く誣いてはなりません」と。こうして斉に行った。
