Libo

隠公(元年~十一年)

春秋 · 左丘明(旧题) · 第6巻 / 56

【經】十有八年春王正月,公會齊侯於濼。公與夫人姜氏遂如齊。夏四月丙子,公薨於齊。丁酉,公之喪至自齊。秋七月,冬十有二月己丑,葬我君桓公。

【経】十八年春、周天子の暦の正月、桓公は濼で斉侯と会見した。桓公は夫人姜氏とともに斉に往いた。夏四月丙子、桓公は斉で薨じた。丁酉、桓公の喪が斉より至った。秋七月、冬十二月己丑、我が国君桓公を葬った。

【傳】十八年春,公將有行,遂與姜氏如齊。申繻曰:“女有家,男有室,無相瀆也,謂之有禮。易此,必敗。”

【伝】十八年春、桓公が出行しようとして、姜氏とともに斉に往こうとした。申繻は言う「女には夫家あり、男には妻室あり、相褻(あいけが)すなかれ、これを礼ありという。これを易えれば、必ず敗亡す」と。

公會齊侯於濼,遂及文姜如齊。齊侯通焉。公謫之,以告。

桓公は濼で斉侯と会見し、文姜とともに斉に往いた。斉侯は文姜と通じた。桓公は彼女を譴責し、彼女は斉侯に告げた。

夏四月丙子,享公。使公子彭生乘公,公薨於車。

夏四月丙子、宴を設けて桓公を享した。公子彭生を遣わして桓公の乗車を助けさせたところ、桓公は車上で薨じた。

魯人告於齊曰:“寡君畏君之威,不敢寧居,來修舊好,禮成而不反,無所歸咎,惡於諸侯。請以彭生除之。”齊人殺彭生。

魯人は斉に告げた「寡君は君の威を畏れ、安んじて居ることを敢えてせず、来て旧好を修めた。礼は成れたが帰ることができず、罪を帰する者なし、諸侯の間に悪名を遺さん。彭生を以てこの事を除いてほしい」と。斉人は彭生を殺した。

秋,齊侯師於首止,子亹會之,高渠彌相。七月戊戌,齊人殺子亹而轘高渠彌,祭仲逆鄭子於陳而立之。是行也,祭仲知之,故稱疾不往。人曰:“祭仲以知免。”仲曰:“信也。”

秋、斉侯は軍を首止に駐め、子亹が往きて会見し、高渠弥が傧相となった。七月戊戌、斉人は子亹を殺し、高渠弥を轘(かん)し、祭仲は陳に往き鄭子(子儀)を迎えて国君に立てた。この出行は、祭仲が先に知っていたので、病を称して往かなかった。ある人曰く「祭仲は明知を以て禍を免れた」と。祭仲は「実に然り」と言った。

周公欲弒莊王而立王子克。辛伯告王,遂與王殺周公黑肩。王子克奔燕。

周公は荘王を弑して王子克を立てようとした。辛伯は荘王に告げ、そこで荘王とともに周公黒肩を殺した。王子克は燕に奔った。

初,子儀有寵於桓王,桓王屬諸周公。辛伯諫曰:“並後、匹嫡、兩政、耦國,亂之本也。”周公弗從,故及。

むかし、子儀は桓王に寵信され、桓王は彼を周公に託した。辛伯は諫めて言うには「妾と王后と並び、庶子と嫡子と敵し、政権を執る者が二つ、都が二つ立つは、動乱の源なり」と。周公は聞かず、だから禍に遇った。

荘公(元年~三十二年)

◇莊公元年

◇荘公元年

【經】元年春王正月。三月,夫人孫於齊。夏,單伯送王姬。秋,築王姬之館於外。冬十月乙亥,陳侯林卒。王使榮叔來錫桓公命。王姬歸於齊。齊師遷紀、郱、鄑、郚。

【経】元年春、周天子の暦の正月。三月、夫人が斉に出奔した。夏、単伯は王姫を送った。秋、城外に王姫の館を築いた。冬十月乙亥、陳侯林が亡くなった。天子は栄叔を遣わして来て桓公に命服を賜わせた。王姫は斉に嫁いだ。斉軍は紀の郱・鄑・郚を遷した。

【傳】元年春,不稱即位,文姜出故也。

【伝】元年春、『春秋』が即位を称しないのは、文姜が国を出たためである。

三月,夫人孫於齊。不稱姜氏,絕不為親,禮也。

三月、夫人が斉に出奔した。姜氏と称しないのは、絶して親と認めないため、これは礼に合う。

秋,築王姬之館於外。為外,禮也。

秋、城外に王姫の館を築いた。外の者のためだから、これは礼に合う。

◇莊公二年

◇荘公二年

【經】二年春王二月,葬陳莊公。夏,公子慶父帥師伐於餘丘。秋七月,齊王姬卒。冬十有二月,夫人姜氏會齊侯於禚。乙酉,宋公馮卒。

【経】二年春、周天子の暦の二月、陳荘公を葬った。夏、公子慶父は軍隊を率いて余丘を討った。秋七月、斉の王姫が亡くなった。冬十二月、夫人姜氏は禚で斉侯と会見した。乙酉、宋公馮が亡くなった。

【傳】二年冬,夫人姜氏會齊侯於禚。書,奸也。

【伝】二年冬、夫人姜氏が禚で斉侯と会見した。『春秋』に記すのは、淫乱である。

◇莊公三年

◇荘公三年

【經】三年春王正月,溺會齊師伐衛。夏四月,葬宋莊公。五月,葬桓王。

【経】三年春、周天子の暦の正月、溺は斉軍と会して衛を討った。夏四月、宋荘公を葬った。五月、桓王を葬った。

秋,紀季以酅入於齊。冬,公次於滑。

秋、紀季は酅を以て斉に帰入した。冬、荘公は滑に次した。

【傳】三年春,溺會齊師伐衛,疾之也。

【伝】三年春、溺が斉軍と会して衛を討った。『春秋』がこのように書くのは、彼を憎んだからである。

夏五月,葬桓王,緩也。

夏五月、桓王を葬ったのは、遅れたのである。

秋,紀季以酅入於齊,紀於是乎始判。

秋、紀季が酅を以て斉に帰入したのは、紀がここに分裂を始めたのである。

冬,公次於滑,將會鄭伯,謀紀故也。鄭伯辭以難。凡師,一宿為舍,再宿為信,過信為次。

冬、荘公が滑に次したのは、鄭伯と会見し、紀国の事を謀議しようとしたのである。鄭伯は国内に難ありを以て辞した。およそ軍隊は、一夜止まるを舎といい、二夜止まるを信といい、信を過ぐれば次という。

◇莊公四年

◇荘公四年

【經】四年春王二月,夫人姜氏享齊侯於祝丘。三月,紀伯姬卒。夏,齊侯、陳侯、鄭伯遇於垂。紀侯大去其國。六月乙丑,齊侯葬紀伯姬。秋七月。冬,公及齊人狩於禚。

【経】四年春、周天子の暦の二月、夫人姜氏は祝丘で斉侯を饗した。三月、紀伯姫が亡くなった。夏、斉侯・陳侯・鄭伯は垂で遇した。紀侯は大きく其の国を去った。六月乙丑、斉侯は紀伯姫を葬った。秋七月。冬、荘公は斉人と禚で狩した。

【傳】四年春,王三月,楚武王荊尸,授師孑焉,以伐隨。將齊,入告夫人鄧曼曰:“餘心蕩。”鄧曼嘆曰:“王祿盡矣。盈而蕩,天之道也。先君其知之矣,故臨武事,將發大命,而蕩王心焉。若師徒無虧,王薨於行,國之福也。”

【伝】四年春、周暦三月、楚武王は荊尸の法に従い、戟を軍隊に授け、随を討ちに行った。斎戒しようとして、入って夫人鄧曼に告げた「余の心が蕩う」と。鄧曼は嘆して言った「王の禄は尽きた。満盈すれば蕩くは、天の道なり。先君は之を知れるが故に、武事に臨み大命を発せんとして、王の心を蕩かせたのであろう。もし師に損なく、王が行に薨ずれば、国の福なり」と。

王遂行,卒於樠木之下。令尹鬥祁、莫敖屈重除道梁溠,營軍臨隨。隨人懼,行成。莫敖以王命入盟隨侯,且請為會於漢汭而還。濟漢而後發喪。

王はすなわち行き、檹木の下で薨じた。令尹鬬祁・莫敖屈重は道を除き、溠水に橋を架け、営を伴せて随に進み臨んだ。随人は惧れ、和を求めた。莫敖は王命を以て入り随侯と盟約を結び、漢水之汭で会見することを請い、それから帰国した。漢水を渡り済みてのち、発喪した。

紀侯不能下齊,以與紀季。夏,紀侯大去其國,違齊難也。

紀侯は斉の下に屈することができず、国を紀季に与えた。夏、紀侯が大きく其の国を去ったのは、斉の禍難を避けたのである。

◇莊公五年

◇荘公五年

【經】五年春王正月。夏,夫人姜氏如齊師。秋,郳犁來來朝。冬,公會齊人、宋人、陳人、蔡人伐衛。

【経】五年春、周天子の暦の正月。夏、夫人姜氏は斉軍に往いた。秋、郳犂来が来て朝見した。冬、荘公は斉人・宋人・陳人・蔡人と会して衛を討った。

【傳】五年秋,郳犁來來朝,名,未王命也。

【伝】五年秋、郳犂来が来て朝見した。『春秋』がその名を書くのは、まだ周天子の爵命を得ていないからである。

冬,伐衛,納惠公也。

冬、衛を討ったのは、恵公を送り帰すためである。

◇莊公六年

◇荘公六年

【經】六年春王正月,王人子突救衛。夏六月,衛侯朔入於衛。秋,公至自伐衛。螟。冬,齊人來歸衛俘。

【経】六年春、周天子の暦の正月、王室の人子突が衛を救った。夏六月、衛侯朔は衛に入った。秋、荘公は伐衛から帰った。螟の災いがあった。冬、斉人が来て衛の俘を帰した。

【傳】六年春,王人救衛。

【伝】六年春、王室の人は衛を救った。

夏,衛侯入,放公子黔牟於周,放寧跪於秦,殺左公子洩、右公子職,乃即位。

夏、衛侯が入り、公子黔牟を周に放ち、寧跪を秦に放ち、左公子泄・右公子職を殺して、それから即位した。

君子以二公子之立黔牟為不度矣。夫能固位者,必度於本末而後立衷焉。不知其本,不謀。知本之不枝,弗強。《詩》云:“本枝百世。”

君子は二公子が黔牟を立てたのは度量がなかったと考える。君位を固くしうる者は、必ず本末を度量し、それからその中に立てる。その本を知らなければ、謀ることなかれ。本を知って枝葉を生ぜしむべからざれば、強うるなかれ。『詩』に『本枝百世』とある。

冬,齊人來歸衛寶,文姜請之也。

冬、斉人が来て衛の宝器を帰したのは、文姜が請うたからである。

楚文王伐申,過鄧。鄧祁侯曰:“吾甥也。”止而享之。騅甥、聃甥、養甥請殺楚子,鄧侯弗許。三甥曰:“亡鄧國者,必此人也。若不早圖,後君噬齊。

楚文王は申を討ち、鄧を過ぎた。鄧祁侯は「我が甥なり」と言い、留めて饗した。騅甥・聃甥・養甥は楚子を殺すよう請うたが、鄧侯は許さなかった。三甥は言った「鄧国を亡ぼすは、必ずこの人。早く図らずんば、君は後に其の臍を噛むも及ばず。

其及圖之乎?圖之,此為時矣。”鄧侯曰:“人將不食吾餘。”對曰:“若不從三臣,抑社稷實不血食,而君焉取餘?”弗從。還年,楚子伐鄧。十六年,楚復伐鄧,滅之。

(三甥は続けて言う)なお彼を図るに及ぶか。彼を図るは、此の時なり」と。鄧侯は「人は将に我が餘を食わざらん」と言った。彼らは答えた「若し三臣に従わずんば、社稷は実に血食を得ざらんと、君は焉んぞ餘を取らん」と。鄧侯は聞かなかった。楚子が申を伐ちて帰った年、鄧を討った。十六年、楚は再び鄧を討ち、之を亡ぼした。

◇莊公七年

◇荘公七年

【經】七年春,夫人姜氏會齊侯於防。夏四月辛卯,夜,恆星不見。夜中,星隕如雨。秋,大水。無麥苗。冬,夫人姜氏會齊侯於谷。

【経】七年春、夫人姜氏は防で斉侯と会見した。夏四月辛卯、夜、恒星が見えなかった。夜半、星が雨のごとく隕れた。秋、大水。麦苗なし。冬、夫人姜氏は穀で斉侯と会見した。

【傳】七年春,文姜會齊侯於防,齊志也。

【伝】七年春、文姜が防で斉侯と会見したのは、斉の志である。

夏,恆星不見,夜明也。星隕如雨,與雨偕也。

夏、恒星が見えなかったのは、夜空が明るかったからである。星が雨のごとく隕れたのは、雨とともに下ったのである。

秋,無麥苗,不害嘉穀也。

秋、麦苗はなかったが、黍稷の好穀を害さなかった。

◇莊公八年

◇荘公八年

【經】八年春王正月,師次於郎,以俟陳人,蔡人。甲午,治兵。夏,師及齊師圍郕,郕降於齊師。秋,師還。冬十有一月癸未,齊無知弒其君諸兒。

【経】八年春、周天子の暦の正月、軍隊は郎に次し、陳人・蔡人を俟った。甲午、治兵した。夏、我が軍と斉軍は郕を包囲し、郕は斉軍に降った。秋、軍隊は帰国した。冬十一月癸未、斉の無知がその君諸児を弑した。

【傳】八年春,治兵於廟,禮也。

【伝】八年春、太廟で兵を治めた、これは礼に合う。

夏,師及齊師圍郕。郕降於齊師。仲慶父請伐齊師。公曰:“不可。我實不德,齊師何罪?罪我之由。《夏書》曰:‘皋陶邁種德,德,乃降。’姑務修德以待時乎。”秋,師還。君子是以善魯莊公。

夏、我が軍と斉軍は郕を包囲した。郕は斉軍に降った。仲慶父は斉軍を攻撃するよう請うた。荘公は「いけない。実に我が徳を修めざるに由る、斉軍に何の罪かある。罪は我より来る。『夏書』に『皐陶邁種德すれば、德あれば降す』とある。しばらく徳を修めるに務めて時を俟とう」と言った。秋、軍隊は帰国した。君子はこれによって魯荘公を美した。

齊侯使連稱、管至父戍葵丘。瓜時而往,曰:“及瓜而代。”期戍,公問不至。請代,弗許。故謀作亂。

斉侯は連称・管至父を遣わして葵丘を戍守させた。瓜熟の時に往き、「来年の瓜熟に至れば人を遣わして替えよう」と言った。戍守一年満ちて、斉侯の命が至らなかった。替えることを請うたが、許さなかった。だから乱を謀った。

僖公之母弟曰夷仲年,生公孫無知,有寵於僖公,衣服禮秩如適。襄公絀之。

僖公の同母弟は夷仲年といい、公孫無知を生み、僖公に寵信され、衣服礼秩は嫡子のごとくであった。襄公は彼を黜した。

二人因之以作亂。連稱有從妹在公宮,無寵,使間公,曰:“捷,吾以女為夫人。”

二人は彼に依って乱を起こした。連称に従妹が公宮にあり、寵を受けず、彼女に襄公を窺わせて「事が成れば、汝を夫人としよう」と言った。

冬十二月,齊侯遊於姑棼,遂田於貝丘。見大豕,從者曰:“公子彭生也。”

冬十二月、斉侯は姑棼で遊び、続いて貝丘で田獵した。大きな猪を見て、従者は「公子彭生です」と言った。

公怒曰:“彭生敢見!”射之,豕人立而啼。公懼,墜於車,傷足喪屨。反,誅屨於徒人費。弗得,鞭之,見血。走出,遇賊於門,劫而束之。費曰:“我奚御哉!”袒而示之背,信之。費請先入,伏公而出,鬥,死於門中。石之紛如死於階下。遂入,殺孟陽於床。曰:“非君也,不類。”見公之足於戶下,遂弒之,而立無知。

斉侯は怒って「彭生が敢えて見るか!」と言い、それを射ると、猪は人のごとく立って啼いた。斉侯は惧れ、車から墜ちて、足を傷め履を失った。帰り、徒人費に履を責めた。得られず、彼を鞭ちて、血を出した。費は走り出て、門で賊人に遇い、劫えられ縛された。費は言った「我は何ぞ汝らに御まん。衣を解いて背の傷を見せれば、賊人は信じた。費は先に入ることを請い、襄公を蔵して出て、搏ち、門の中に死した。石之紛如は階下に死した。賊人はそこで入り、床上で孟陽を殺した。「国君ではない、貌が似ない」と言い、襄公の足を門扇の下に見て、そこで彼を弑し、無知を立てた。

初襄公立,無常。鮑叔牙曰:“君使民慢,亂將作矣。”奉公子小白出奔莒。

むかし襄公が即位し、政令に常がなかった。鮑叔牙は「君は百姓を怠らせ、乱は将に起こらんとす」と言い、公子小白に事えて莒に奔った。

亂作,管夷吾、召忽奉公子糾來奔。

乱が起きると、管夷吾・召忽は公子糾に事えて魯に奔った。

初,公孫無知虐於雍廩。

むかし、公孫無知は雍廪を虐にした。

◇莊公九年

◇荘公九年

【經】九年春,齊人殺無知。公及齊大夫盟於既。夏,公伐齊納子糾。齊小白入於齊。秋七月丁酉,葬齊襄公。八月庚申,及齊師戰於乾時,我師敗績。九月,齊人取子糾殺之。冬,浚洙。

【経】九年春、斉人は無知を殺した。荘公は斉の大夫と既で盟約を結んだ。夏、荘公は斉を討ち、子糾を送り帰した。斉小白は斉に入った。秋七月丁酉、斉襄公を葬った。八月庚申、斉軍と乾時で戦い、我が軍は大敗した。九月、斉人は子糾を取って殺した。冬、洙水を濬えた。

【傳】九年春,雍廩殺無知。

【伝】九年春、雍廪は無知を殺した。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.