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隠公(元年~十一年)

春秋 · 左丘明(旧题) · 第7巻 / 56

公及齊大夫盟於蔇,齊無君也。

荘公は斉の大夫と蔇で盟約を結んだ、斉に国君がなかったからである。

夏,公伐齊,納子糾。桓公自莒先入。

夏、荘公は斉を討ち、子糾を送り帰した。桓公は莒より先に入った。

秋,師及齊師戰於乾時,我師敗績,公喪戎路,傳乘而歸。秦子、梁子以公旗闢於下道,是以皆止。

秋、我が軍は斉軍と乾時で戦い、我が軍は大敗し、荘公は戎車を棄て、別の車に乗りて帰国した。秦子・梁子は荘公の旗を打って小路に避けたので、ともに俘にされた。

鮑叔帥師來言曰:“子糾,親也,請君討之。管、召、仇也,請受而甘心焉。”

鮑叔は軍隊を率いて来て伝えて言った「子糾は、親なり、君にこれを討たしめんことを請う。管・召は、仇なり、我らに受けて心を甘んぜしめんことを請う」と。

乃殺子糾於生竇,召忽死之。管仲請囚,鮑叔受之,及堂阜而稅之。歸而以告曰:“管夷吾治於高傒,使相可也。”公從之。

そこで生竇で子糾を殺し、召忽は彼のために死した。管仲は囚たることを請い、鮑叔はこれを受け、堂阜に至って之を解いた。帰り桓公に告げて言った「管夷吾の治之才は高傒に過ぎたり、彼を宰相とするは可なり」と。桓公はこれに従った。

◇莊公十年

◇荘公十年

【經】十年春王正月,公敗齊師於長勺。二月,公侵宋。三月,宋人遷宿。

【経】十年春、周天子の暦の正月、荘公は長勺で斉軍を敗した。二月、荘公は宋を侵した。三月、宋人は宿を遷した。

夏六月,齊師、宋師次於郎。公敗宋師於乘丘。秋九月,荊敗蔡師於莘,以蔡侯獻舞歸。冬十月,齊師滅譚,譚子奔莒。

夏六月、斉軍・宋軍は郎に次した。荘公は乗丘で宋軍を敗した。秋九月、楚は莘で蔡軍を敗し、蔡侯献舞を連れて帰った。冬十月、斉軍は譚を滅し、譚子は莒に奔った。

【傳】十年春,齊師伐我。公將戰,曹劌請見。其鄉人曰:“肉食者謀之,又何間焉。劌曰:“肉食者鄙,未能遠謀。”乃入見。問何以戰。公曰:“衣食所安,弗敢專也,必以分人。”對曰:“小惠未遍,民弗從也。”公曰:“犠牲玉帛,弗敢加也,必以信。”對曰:“小信未孚,神弗福也。”公曰:“小大之獄,雖不能察,必以情。”對曰:“忠之屬也,可以一戰,戰則請從。”

【伝】十年春、斉軍が来て我が国を討った。荘公が戦わんとしたとき、曹劌は進見を請うた。その郷人は「肉食する者がこれを謀る、汝は何ぞ与ることを要せん」と言った。曹劌は「肉食する者は鄙陋、遠く謀る能わず」と言い、そこで入りて見えた。何を以て戦うかを問うた。荘公は「衣食の身を安んずる所は、敢えて専有せず、必ず人に分かつ」と言った。曹劌は答えて「小惠は遍からざれば、百姓は従わざらん」と。荘公は「犠牲玉帛は、敢えて加えず、必ず信を以てす」と言った。答えて「小信は神に孚せざれば、神は福を降さざらん」と。荘公は「小大の獄は、察する能わざると雖も、必ず情を以てす」と言った。答えて「是れ忠の属なり、以て一戦すべし。戦わば請う従わん」と。

公與之乘。戰於長勺。公將鼓之。劌曰;“未可。”齊人三鼓,劌曰:“可矣。”齊師敗績。公將馳之。劌曰:“未可。”下,視其轍,登,軾而望之,曰:“可矣。”遂逐齊師。

荘公は彼と乗を同じくした。長勺で戦った。荘公は鼓を撃てんとした。曹劌は「未だ可ならず」と言った。斉人は三たび鼓し、曹劌は「可なり」と言った。斉軍は敗績した。荘公は馳逐せんとした。曹劌は「未だ可ならず」と言った。車を下り、斉軍の轍を視、車に登りて軾に凭りて望み、「可なり」と言った。そこで斉軍を逐った。

既克,公問其故。對曰:“夫戰,勇氣也,一鼓作氣,再而衰,三而竭。彼竭我盈,故克之。夫大國難測也,懼有伏焉。吾視其轍亂,望其旗靡,故逐之。”

すでに勝ち克りて、荘公はその故を問うた。曹劌は答えた「戦は、勇気なり。一鼓して気を作し、再びて衰え、三たびして竭く。彼竭れて我盈つ、故に克たり。大国は測りがたく、伏あるを惧れたり。我が其の轍の乱れ、旗の靡を見れば、故に逐たり」と。

夏六月,齊師、宋師次於郎。公子偃曰:“宋師不整,可敗也。宋敗,齊必還,請擊之。”公弗許。自雩門竊出,蒙皋比而先犯之。公從之。大敗宋師於乘丘。齊師乃還。

夏六月、斉軍・宋軍は郎に次した。公子偃は「宋軍は整わず、敗すべし。宋敗れれば斉は必ず帰らん、撃たんことを請う」と言った。荘公は許さなかった。公子偃は雩門より私出て、虎皮を蒙めて先に衝いた。荘公は彼に従った。乗丘で宋軍を大いに敗った。斉軍はそこで帰った。

蔡哀侯娶於陳,息侯亦娶焉。息媯將歸,過蔡。蔡侯曰:“吾姨也。”止而見之,弗賓。息侯聞之,怒,使謂楚文王曰:“伐我,吾求救於蔡而伐之。”楚子從之。秋九月,楚敗蔡師於莘,以蔡侯獻舞歸。

蔡哀侯は陳から妻を娶り、息侯もまた陳から妻を娶った。息嬀が嫁がんとして、蔡を過ぎた。蔡侯は「我が姨なり」と言い、留めて見た、賓礼を以てせず。息侯はこれを聞き、怒り、人を遣わして楚文王に告げて言った「来て我を伐て、我は蔡に救を求めん、子はまた蔡を伐て」と。楚子はこれに従った。秋九月、楚は莘で蔡軍を敗し、蔡侯献舞を連れて帰った。

齊侯之出也,過譚,譚不禮焉。及其入也,諸侯皆賀,譚又不至。冬,齊師滅譚,譚無禮也。譚子奔莒,同盟故也。

斉侯が出奔したとき、譚を過ぎたが、譚は礼を以てせず。彼が帰国するに及び、諸侯は皆賀しに来たが、譚はまた来ず。冬、斉軍は譚を滅した、譚の無礼に由る。譚子は莒に奔った、同盟のためである。

◇莊公十一年

◇荘公十一年

【經】十有一年春王正月。夏五月,戊寅,公敗宋師於鄑。秋,宋大水。

【経】十一年春、周天子の暦の正月。夏五月戊寅、荘公は鄑で宋軍を敗した。秋、宋に大水。

冬,王姬歸於齊。

冬、王姫は斉に嫁いだ。

【傳】十一年夏,宋為乘丘之役故侵我。公御之,宋師未陳而薄之,敗諸鄑。

【伝】十一年夏、宋は乗丘の役の故を以て我が国を侵した。荘公は禦ぎ、宋軍がまだ陣せざるに薄めて、鄑でこれを敗った。

凡師,敵未陳曰敗某師,皆陳曰戰,大崩曰敗績,得俊曰克,覆而敗之曰取某師,京師敗曰王師敗績於某。

およそ軍隊は、敵が未だ陣せざるを「某師を敗る」といい、皆陣するを「戦」といい、大崩するを「敗績」といい、敵の俊傑を俘にするを「克」といい、伏を以て敗るを「某師を取る」といい、天子の軍隊の敗を「王師敗績于某」という。

秋,宋大水。公使吊焉,曰:“天作淫雨,害於粢盛,若之何不弔?”對曰:“孤實不敬,天降之災,又以為君憂,拜命之辱。”臧文仲曰:“宋其興乎。禹、湯罪己,其興也悖焉,桀、紂罪人,其亡也忽焉。且列國有兇稱孤,禮也。言懼而名禮,其庶乎。”既而聞之曰公子御說之辭也。臧孫達曰:“是宜為君,有恤民之心。”

秋、宋に大水。荘公は人を遣わして弔して言わせた「天は淫雨を降し、粢盛を害す、何ぞ弔せざらん」と。宋公は答えた「実に我が不敬にして、天は殃を降し、また以て君を憂えしむ、君の辱命を拜す」と。臧文仲は「宋は其れ興らんとするか。禹・湯は己に罪し、其の興り也勃焉。桀・紂は人に罪し、其の亡び也忽焉。且つ列国に凶あらば孤と称す、礼なり。言を戒惧して名称は礼なり、其れ庶幾ならん」と。ほどなく公子御の言なりと聞えた。臧孫達は「是の人は国君と為るに宜しき、恤民の心有り」と言った。

冬,齊侯來逆共姬。

冬、斉侯は来て共姫を娶った。

乘丘之役,公以金僕姑射南宮長萬,公右遄孫生搏之。宋人請之,宋公靳之,曰:“始吾敬子,今子,魯囚也。吾弗敬子矣。”病之。

乗丘の役、荘公は金僕姑を以て南宮長万を射中て、車右歂孫が之を生擒にした。宋人は之を帰すことを請い、宋公は彼を戲れて言った「始め我は子を敬せり、今は子は魯の囚、我は子を敬せざらん」と。南宮長万はこれを病にした。

◇莊公十二年

◇荘公十二年

【經】十有二年春王三月,紀叔姬歸於酅。夏四月。秋八月甲午,宋萬弒其君捷及其大夫仇牧。十月,宋萬出奔陳。

【経】十二年春、周天子の暦の三月、紀叔姫は酅に帰した。夏四月。秋八月甲午、宋万はその君捷およびその大夫仇牧を弑した。十月、宋万は陳に奔った。

【傳】十二年秋,宋萬弒閔公於蒙澤。遇仇牧於門,批而殺之。遇大宰督於東宮之西,又殺之。立子游。群公子奔蕭。公子御說奔亳。南宮牛、猛獲帥師圍亳。

【伝】十二年秋、宋万は蒙沢で閔公を弑した。門で仇牧に遇い、批して之を殺した。東宮の西で太宰督に遇い、また之を殺した。子游を立てた。群公子は蕭に奔った。公子御説は亳に奔った。南宮牛・猛獲は軍隊を率いて亳を包囲した。

冬十月,蕭叔大心及戴、武、宣、穆、莊之族以曹師伐之。殺南宮牛於師,殺子游於宋,立桓公。猛獲奔衛。南宮萬奔陳,以乘車輦其母,一日而至。

冬十月、蕭叔大心および戴・武・宣・穆・荘の族は曹軍を以て之を討った。軍中で南宮牛を殺し、宋都で子游を殺し、桓公を立てた。猛獲は衛に奔った。南宮万は陳に奔り、乗車を以てその母を輦して、一日にして至った。

宋人請猛獲於衛,衛人慾勿與,石祁子曰:“不可。天下之惡一也,惡於宋而保於我,保之何補?得一夫而失一國,與惡而棄好,非謀也。”衛人歸之。亦請南宮萬於陳,以賂。陳人使婦人飲之酒,而以犀革裹之。比及宋,手足皆見。

宋人は衛に猛獲を帰すことを請うた。衛人は与えざらんとしたが、石祁子は「不可なり。天下の悪は一なり、宋に悪を為して我に保たる、保って何の益かある。一夫を得て一国を失い、悪人と結びて好を棄つ、是れ謀に非ず」と言った。衛人は之を帰した。また陳に南宮万を帰すことを請い、財貨を以てした。陳人は婦人をして之に飲ませ、犀革を以て裹めた。宋に至るを及びて、手足みな見えた。

宋人皆醢之。

宋人は皆彼らを醢にした。

◇莊公十三年

◇荘公十三年

【經】十有三年春,齊侯、宋人、陳人、蔡人、邾人會於北杏。夏六月,齊人滅遂。秋七月。冬,公會齊侯盟於柯。

【経】十三年春、斉侯・宋人・陳人・蔡人・邾人は北杏で会した。夏六月、斉人は遂を滅した。秋七月。冬、荘公は斉侯と会見し、柯で盟約を結んだ。

【傳】十三年春,會於北杏,以平宋亂。遂人不至。

【伝】十三年春、北杏で会したのは、宋の乱を平ぐるためである。遂人は来ず。

夏,齊人滅遂而戍之。

夏、斉人は遂を滅して之を戍った。

冬,盟於柯,始及齊平也。

冬、柯で盟約を結んだのは、斉との媾和を始めたのである。

宋人背北杏之會。

宋人は北杏の会に背いた。

◇莊公十四年

◇荘公十四年

【經】十有四年春,齊人、陳人、曹人伐宋。夏,單伯會伐宋。秋七月,荊入蔡。冬,單伯會齊侯、宋公、衛侯、鄭伯於鄄。

【経】十四年春、斉人・陳人・曹人は宋を討った。夏、単伯は会して宋を討った。秋七月、楚は蔡に入った。冬、単伯は鄄で斉侯・宋公・衛侯・鄭伯と会見した。

【傳】十四年春,諸侯伐宋,齊請師於周。夏,單伯會之,取成於宋而還。

【伝】十四年春、諸侯は宋を討ち、斉は周に出兵を請うた。夏、単伯は彼らと会し、宋と和を成して帰国した。

鄭厲公自櫟侵鄭,及大陵,獲傅瑕。傅瑕曰:“苟舍我,吾請納君。”與之盟而赦之。六月甲子,傅瑕殺鄭子及其二子而納厲公。

鄭厲公は櫟より鄭都を侵し、大陵に至り、傅瑕を獲た。傅瑕は「若し我を舎めば、君を帰さんことを請う」と言った。彼と盟約して赦した。六月甲子、傅瑕は鄭子およびその二子を殺し、厲公を送り帰した。

初,內蛇與外蛇鬥於鄭南門中,內蛇死。六年而厲公入。公聞之,問於申繻曰:“猶有妖乎?”對曰:“人之所忌,其氣焰以取之,妖由人興也。人無釁焉,妖不自作。人棄常則妖興,故有妖。”

むかし、内蛇と外蛇は鄭の南門の中で闘い、内蛇は死んだ。六年経て厲公が入った。厲公はこれを聞き、申繻に問うた「なお妖あらんや」と。申繻は答えた「人の忌む所は、其の炎は人より起こる。人に釁なくば、妖は自作せざらん。人が常を棄てれば、妖は興る、故に妖あり」と。

厲公入,遂殺傅瑕。使謂原繁曰:“傅瑕貳,周有常刑,既伏其罪矣。納我而無二心者,吾皆許之上大夫之事,吾願與伯父圖之。且寡人出,伯父無裡言,入,又不念寡人,寡人憾焉。”對曰:“先君桓公命我先人典司宗祏。社稷有主而外其心,其何貳如之?苟主社稷,國內之民其誰不為臣?臣無二心,天之制也。子儀在位十四年矣,而謀召君者,庸非二乎。莊公之子猶有八人,若皆以官爵行賂勸貳而可以濟事,君其若之何?臣聞命矣。”乃縊而死。

厲公が入り、ついに傅瑕を殺した。人を遣わして原繁に告げて言わせた「傅瑕は貳心あり、周に常刑あり、已に罪に服せり。我を帰して貳心なき者は、我は皆上大夫の職事を許さん、我は伯父とともに謀らんと欲す。且つ我が出の時、伯父は里の言を通ぜず、我が帰るや、また我を念わず、我は憾と為す」と。原繁は答えた「先君桓公は我が先人に命じて宗廟の石室を典せしめり。社稷に主有りて其心外有らば、亦た何ぞ貳の如からん。苟に社稷を主れば、国内の民は誰か臣ならざらん。臣に貳心なきは、天之制なり。子儀の位に在るや十四年、而して召君の計を為す者は、庸く貳にあらずや。荘公の子は猶八人有り、若し皆以官爵行賂して貳を勧めて済らば、君は則ち若何。臣は命を聞けり」と。乃ち縊れて死した。

蔡哀侯為莘故,繩息媯以語楚子。楚子如息,以食入享,遂滅息。以息媯歸,生堵敖及成王焉,未言。楚子問之,對曰:“吾一婦人而事二夫,縱弗能死,其又奚言?”楚子以蔡侯滅息,遂伐蔡。秋七月,楚入蔡。

蔡哀侯は莘の役の故を以て、楚子の前で息嬀を誉した。楚子は息に往き、食を將して入りて饗し、そこで息を滅した。息嬀を連れて帰り、堵敖と成王を生んだが、彼女は言わなかった。楚子は彼女に問う、彼女は答えて言った「吾一婦人として二夫に事え、縦に死する能わざるも、また何を言うことを得ん」と。楚子は蔡侯の故を以て息を滅し、そこで蔡を討った。秋七月、楚は蔡に入った。

君子曰:“《商書》所謂‘惡之易也,如火之燎於原,不可鄉邇,其猶可撲滅’者,其如蔡哀侯乎。”

君子曰く「『商書』の謂う『悪の延びるや、火の原野を焼くが如く、近づくべからず、尚ほ克く撲滅せんや』とは、蔡哀侯の如きなり」と。

冬,會於鄄,宋服故也。

冬、鄄で会したのは、宋が服したからである。

◇莊公十五年

◇荘公十五年

【經】十有五年春,齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯會於鄄。夏,夫人姜氏如齊。秋,宋人、齊人、邾人伐郳。鄭人侵宋。冬十月。

【経】十五年春、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯は鄄で会した。夏、夫人姜氏は斉に往いた。秋、宋人・斉人・邾人は郳を討った。鄭人は宋を侵した。冬十月。

【傳】十五年春,復會焉,齊始霸也。

【伝】十五年春、また彼の地で会し、斉は覇を始めた。

秋,諸侯為宋伐郳。鄭人間之而侵宋。

秋、諸侯は宋のために郳を討った。鄭人は間に乗じて宋を侵した。

◇莊公十六年

◇荘公十六年

【經】十有六年春王正月。夏,宋人、齊人、衛人伐鄭。秋,荊伐鄭。冬十有二月,會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、滑伯、滕子同盟於幽。邾子克卒。

【経】十六年春、周天子の暦の正月。夏、宋人・斉人・衛人は鄭を討った。秋、楚は鄭を討った。冬十二月、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・滑伯・滕子と会し、幽で同盟した。邾子克が亡くなった。

【傳】十六年夏,諸侯伐鄭,宋故也。

【伝】十六年夏、諸侯が鄭を討ったのは、宋のためである。

鄭伯自櫟入,緩告於楚。秋,楚伐鄭,及櫟,為不禮故也。

鄭伯は櫟より国都に入り、楚への報告が遅れた。秋、楚は鄭を討ち、櫟に及んだ、鄭が礼を以てせざるに由る。

鄭伯治與於雍糾之亂者。九月,殺公子閼,刖強鉏。公父定叔出奔衛。三年而復之,曰:“不可使共叔無後於鄭。”使以十月入,曰:“良月也,就盈數焉。”

鄭伯は雍糾の乱に与った者を治めた。九月、公子閼を殺し、強鉏の足を刖した。公父定叔は衛に奔った。三年して彼を帰し、曰く「共叔を鄭に後無からしむべからず」と。彼を十月に入れ、曰く「良月なり、盈数に就かんとす」と。

君子謂:“強鉏不能衛其足。”

君子は「強鉏は其の足を衛る能わず」と考えた。

冬,同盟於幽,鄭成也。

冬、幽で同盟したのは、鄭が媾和したからである。

王使虢公命曲沃伯以一軍為晉侯。

天子は虢公を遣わして曲沃伯に命じ、一軍の為に晋侯とならしめた。

初,晉武公伐夷,執夷詭諸。蒍國請而免之。既而弗報。故子國作亂,謂晉人曰:“與我伐夷而取其地。”遂以晉師伐夷,殺夷詭諸。周公忌父出奔虢。惠王立而復之。

むかし、晋武公は夷を討ち、夷詭諸を執えた。𫇭国は彼のために請い赦さしめた。過ぎて報いず。だから子国は乱を作し、晋人に言って曰く「我とともに夷を討ちて其の地を奪わん」と。そこで晋軍を帥いて夷を討ち、夷詭諸を殺した。周公忌父は虢に奔った。恵王が即位して彼を帰した。

◇莊公十七年

◇荘公十七年

【經】十有七年春,齊人執鄭詹。夏,齊人殲於遂。秋,鄭詹自齊逃來。冬,多麋。

【経】十七年春、斉人は鄭詹を執えた。夏、斉人は遂で殲めされた。秋、鄭詹は斉より奔りて来た。冬、麋多し。

【傳】十七年春,齊人執鄭詹,鄭不朝也。

【伝】十七年春、斉人が鄭詹を執えたのは、鄭が朝見せざるに由る。

夏,遂因氏,頜氏、工婁氏、須遂氏饗齊戍,醉而殺之,齊人殲焉。

夏、遂の因氏・頜氏・工婁氏・須遂氏は斉の戍卒を饗し、醉わせて之を殺した。斉人は遂族を殲め尽した。

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