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巽卦(巽下巽上)

唐 · 史徵 · 第13巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

巽下巽上。巽:小亨,利有往往,利見大人。彖曰:重巽以申命,剛巽乎中正而志行,柔皆順乎剛,是以小亨,利有攸往,利見大人。象曰:隨風,巽。君子以申命行事。

巽卦は上下両体とも巽で、風と風が相随い、その義は順・入である。ゆえに巽と名づける。卦辞は言う、巽は、稍しく亨通、往くところあるに宜しく、大人に見るに宜しい、と。(底本は「利有攸往」を「利有往往」と誤作し、いま照録して改めない。)《彖伝》は言う、二重の巽は反復して命令を申明するを象徴する。九二・九五の陽剛が中正の道に遜順し、よって心志が施行を得る。各柔爻がみな陽剛に順従するので、稍しく亨通、往くところあるに宜しく、大人に見るに宜しい。《大象伝》は言う、風と風が相随う、これが巽である、君子はこれに法り、反復して政令を申明して後に政事を推行する、と。

初六,進退,利武人之貞。象曰:進退,志疑也;利武人之貞,志治也。九二,巽在床下,用史巫紛若,吉,無咎。象曰:紛若之吉,得中也。九三,頻巽,吝。象曰:頻巽之吝,志窮也。六四,悔亡,田獲三品。象曰:田獲三品,有功也。九五,貞吉,悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉。象曰:九五之吉,位正中也。上九,巽在床下,喪其資斧,貞凶。象曰:巽在床下,上窮也;喪其資斧,正乎凶也。

初六の爻辞、進退が猶疑して定まらず、武人のように正固を守持するに宜しい。《小象伝》は言う、進退が定まらざるは、心志が疑惑するからだ、武人の正に宜しきは、心志を整治定当するからだ、と。九二の爻辞、恭順に床下に伏す、祝史巫覡を起用し、紛紛として多く祭祷する、吉利、咎なし。《小象伝》は言う、紛若の吉は、九二が中に居るからだ、と。九三の爻辞、一再勉强して恭順の様子を作る、憾惜あり。《小象伝》は言う、頻巽の憾惜は、心志がすでに窮困したからだ、と。六四の爻辞、悔恨が消える、田猟で三類の獲物を獲る。《小象伝》は言う、田で三品を獲るは、功効あるからだ、と。九五の爻辞、正を守れば吉利、悔恨が消える、利しないことなし、開頭は順ならざれど結局は成せる、庚日の前に三日、庚日の後に三日に号令を申明する、吉利。《小象伝》は言う、九五の吉は、その位に居りて中正だからだ、と。上九の爻辞、恭順に床下に伏す、自分の銭財と斧头を喪失す、これを守れば凶。《小象伝》は言う、床下に伏すは、上に居りて窮極するからだ、資斧を喪うは、これで往けばまさに凶、と。

巽小亨者。巽是卑順之名,和入為義,故謂之巽也。夫人用巽,必須恭儉莊敬,進退合宜。若過於卑巽,逾尊卑之分,敬恭不合禮,即所通非大,故曰小亨也。

卦辞「巽、小亨」。「巽」は卑下柔順の名称で、和順にして深入しうる意を取る。ゆえに巽と謂う。人が遜順の道を運用する時は、必ず恭敬倹朴・荘重厳粛で、進退がみな分寸に合わねばならない。もし謙卑遜順が頭を過ぎて、尊卑の應有の分際を越え、恭敬が礼数に合わなければ、通達しうる範囲は有限である。ゆえに小亨のみと言う。

利有攸往者。巽順以行,物不違拒,故曰利有攸往也。利見大人者,人用巽順,即無往不利;大人用巽,其道愈隆。巽順之美,上下皆須之,故曰利見大人也。

「利有攸往」。遜順の道をもって行事すれば、外物は違逆抗拒しない。ゆえに往くところあるに宜しいと言う。「利見大人」は、常人が遜順の道を用いれば、往いて利ならざるなし、大人が遜順の道を用いれば、その道業はいっそう隆盛となる。遜順という美徳は、上下各色の人がみなそれを要する。ゆえに大人に見るに宜しいと言う。

象曰:隨風,巽者。按說卦云:巽,入也。風之所入,物無不順,風相隨而行,故曰隨風巽也。君子以申命行事者,風行草偃,亦有王者風教行於天下意,故君子象此,申其命令,行其政教之事也。

《大象伝》の言う「随風、巽」――《説卦伝》に拠れば、巽は「入」の意あり。風の吹入する所、万物は順わざるなし。一陣の風がまた一陣の風と相随いて行く。ゆえに「随風巽」と言う。「君子以申命行事」は、風が一吹きすれば草は伏倒し、これはまた君王の風化教令が天下に通行するの意をも含む。ゆえに君子はこれに法り、反復して自分の命令を申明し、進んで政教の事を推行する。

初六進退,利武人之貞者。出令之初,人未從化,心懷猶豫,進退遲疑。申命之初,人未信服,成命齊邦,莫過威武以整齊之,故曰進退利武人之貞也。

初六の爻辞「進退、利武人之貞」。政令がちょうど頒布された時、人々はまだ感化されず、心中猶豫して、進んでも可ならず退いても可ならず。命令を申明する初め、衆人はまだ信服しない。命令を貫徹し邦国を整斉するに、威武の力に凭って整粛するより効果的はない。ゆえに進退が定まらぬ時は武人のように正固を守持するに宜しいと言う。

九二巽在床下,用史巫紛若,吉無咎者。史謂祝史,巫謂巫覡,皆是接事鬼神之人。九二處巽之中,在下位而以陽居陰,卑巽而順,故曰巽在床下者,卑謙過甚,失於正道,咎過生焉。然鬼神無形,所在怠慢,九二卑恭如是,事神祗而獲多福,故曰用史巫紛若吉無咎也。紛者,盛多之貌也。

九二の爻辞「巽在床下、用史巫紛若、吉、无咎」。「史」は祝祷を主持する祝史を指し、「巫」は男女の巫覡を指し、いずれも鬼神と打交道する人。九二は下卦巽の中に処り、下位に居りかつ陽爻が陰位に居り、謙卑柔順。ゆえに恭順に床下に伏すと言う。この卑謙はすでに分寸を過ぎ、正道を偏離し、咎は本来ここから生ずべき。ただ鬼神に形体なく、人はそれに対して往々にして怠慢しがち。九二がこのように卑恭でき、神祇に奉事するに用いれば、かえって多くの福沢を獲る。ゆえに祝史巫覡を起用して紛紛と祭祷すれば吉で咎なしと言う。「紛」は繁多衆盛のさま。

九三頻巽吝者。頻是頻蹙不樂之貌也。九三體剛居正,為四所乘,志意窮屈,不得舒暢,故懷頻蹙,即是鄙吝之道,故曰頻巽吝。

九三の爻辞「頻巽、吝」。「頻」は眉を顰めて快からざるさま。九三は本体が陽剛で陽位に居り正を得るが、六四に上に騎られる。心志が困屈せしめられ、舒展暢達できず、よって満面に愁蹙して勉强に恭順の姿態を作る。これは鄙陋吝嗇の道。ゆえに頻巽して憾惜ありと言う。

六四悔亡,田獲三品者。六四乘九三之剛,所以有悔;然得位乘五,上奉君命,所以悔亡。親近至尊,即是權臣,以斯行命,必有功勞,譬之田獵而獲三品之物,故曰田獲三品也。一曰乾豆,為豆實以奉宗廟;二曰賓客,以助君明目達聰;三曰充君之庖廚,供君之費也。

六四の爻辞「悔亡、田獲三品」。六四は九三という剛爻の上に騎るので、本来悔恨あり。しかしそれは陰爻が陰位に居り位を得、また上に九五を承りて君命を奉行する。ゆえに悔恨が消える。それは至尊に親近く、まさに権を掌る大臣。この身分をもって政令を推行すれば、必ず功労を建てる。ちょうど田猟して三類の獲物を獲るがごとし。ゆえに田で三品を獲ると言う。第一类を「干豆」と言い、腊肉を制成して豆器に盛り宗廟に供奉する。第二类は賓客を款待するに用い、これを借りて君主の耳聡目明を助ける。第三类は君主の庖厨を充実させ、君主の日常用度に供給する。(底本は「乗五」を「承五」と作るべし、いま照録して改めない。)

九五貞吉,悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉者。五以剛居位,違于謙巽,故有憂悔;能用中正以宣命令,人不敢違,所以悔亡而無不利也。初施命令,新用剛直,人未從化,故曰無初;以中正之徳宣佈命令,人漸從化,故曰有終也。申命令謂之庚,以人迷既久,不可卒然而理,故先申三日,殷勤勸諭,使其變從善令。著之後,復再申三日;人若不從,即當誅罰,民服其罪,所以獲吉,故曰先庚三日後庚三日吉也。

九五の爻辞「貞吉、悔亡、无不利、无初有終、先庚三日、後庚三日、吉」。九五は陽剛をもって尊位に居り、謙遜柔順の義と違背する所があるので、本来憂愁悔恨あり。しかしそれは中正の道をもって政令を宣布でき、衆人が敢えて違抗しない。よって悔恨が消えて利しないことなし。政令がちょうど施行された時、新たに用いるは剛直の手段で、人々はまだ感化されない。ゆえに「无初」と言う。それが中正の徳をもって命令を頒布すれば、人々は漸々に教化に順従する。ゆえに「有終」と言う。政令を申明するを「庚」と称す。民衆の迷惑がすでに久しいので、一下子に理順できない。ゆえにまず庚日の前に三日に申告し、殷勤に勧導し暁諭して、彼らをして旧習を改め善令に聴従せしめる。政令が公布された後、さらに庚日の後に三日に重ねて申明する。この時もしなお服従しない人あれば、誅罰を加えるべく、百姓もその罪に心服する。よって吉利を獲る。ゆえに先庚三日、後庚三日すれば吉と言う。

上九巽在床下,喪其資斧,貞凶者。處巽之極,言巽過甚,似巽於床下。斧者,是斬之物,喻決威制。今既處上,固合威臨下,而乃過於謙,即是喪其威,是正道之失,故曰喪其資斧貞凶也。

上九の爻辞「巽在床下、喪其資斧、貞凶」。それは遜順の道の極点に処り、恭順が過度に過ぎたを言う、ちょうど床下に伏するがごとし。「斧」は砍伐の器具で、決断の威権を喩えるのに用いる。いまそれは最上に身を居し、本来威厳をもって下を臨駕すべきところ、謙卑が頭を過ぎた。これはすなわち自分の威権を喪失し、正道上の失誤である。ゆえに資斧を喪失し、これを守れば凶と言う。

兌卦(兌下兌上)

兌下兌上。兌:亨,利貞。彖曰:兌,說也。剛中而柔外,說以利貞,是以順乎天而應乎人。說以先民,民忘其勞;說以犯難,民忘其死。說之大,民勸矣哉。象曰:麗澤,兌。君子以朋友講習。

兌卦は上下両体とも兌で、二つの沢が相連わりて彼此滋潤し、その義は悦である。ゆえに兌と名づける。卦辞は言う、兌は、亨通、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、「兌」は喜悦である。陽剛が中に居りて陰柔が外にあり、喜悦の道をもってまた正を守りうる。よって上は天道に順い下は人心に応ず。喜悦の道をもって率先して百姓を帯引すれば、百姓は労苦を忘れる。喜悦の道をもって危難に赴けば、百姓は死亡を忘れる。喜悦の道はまことに偉大で、百姓はこれによって鼓舞される。《大象伝》は言う、二沢が相連なる、これが兌である、君子はこれに法り、朋友と共に講論研習する、と。

初九,和兌,吉。象曰:和兌之吉,行未疑也。九二,孚兌,吉,悔亡。象曰:孚兌之吉,信志也。六三,來兌,凶。象曰:來兌之凶,位不當也。九四,商兌未寧,介疾有喜。象曰:九四之喜,有慶也。九五,孚于剝,有厲。象曰:孚于剝,位正當也。上六,引兌。象曰:上六引兌,未光也。

初九の爻辞、平和の心をもって人と相悦する、吉利。《小象伝》は言う、和悦して吉は、行事がまだ猜疑を引起していないからだ、と。九二の爻辞、誠信をもって人と相悦する、吉利、悔恨が消える。《小象伝》は言う、孚兌の吉は、心志が信実だからだ、と。六三の爻辞、自ら来て人の欢心を求める、凶険。《小象伝》は言う、来兌の凶は、六三の居る位が当たらざるからだ、と。九四の爻辞、誰と相悦すべきかを反復斟酌して心が安寧を得ず、邪悪の患を隔絶すれば喜慶あり。《小象伝》は言う、九四の喜悦は、福慶あるからだ、と。九五の爻辞、あの陽剛を剝蝕する小人を信任する、危険あり。《小象伝》は言う、剝に孚するは、その居る位が正当にして尊極だからだ、と。上六の爻辞、人に牽引されて相悦する。《小象伝》は言う、上六が兌を引くは、その道がまだ光大せざるからだ、と。

兌亨利貞者。兌澤能潤悅萬物,故謂兌悅也。喻人君能以兌澤潤於萬人,惠流人悅,無所不通,故曰兌亨也。以悅相親,恐陷邪諂,其所利者在貞正,故曰利貞也。

卦辞「兌、亨、利貞」。兌は沢を象徴し、沢水は万物を滋潤して万物を欣悦せしめる。ゆえに兌は悦と謂う。これは君主が沢水のように万民を潤沢し、恩惠を流布して人人を喜ばせれば、通ぜざる所なしを喩える。ゆえに「兌、亨」と言う。ただ喜悦をもって彼此親近するは、邪僻諂媚に流れることもありうる。ゆえにその好処はただ貞正を守持するに在る。よって正を守るに宜しいと言う。

象曰:麗澤,兌者。麗猶連也。兩澤相連,上下俱悅,故曰麗澤兌也。君子以朋友講習者,先儒云:同處師門曰朋,共執一志曰友,友猶黨也。必須友者,學記云:獨學無友,即孤陋寡聞。謂朋友聚居,講解道義,修習文禮,相悅之盛,莫盛於此。故鄭眾云:樂耽於酒,則有沉酗之凶;志累於樂,則有傷性之患。所以君子樂之美者,莫過於尚詩書、敦習道義,教之盛矣,樂在斯焉。

《大象伝》の言う「麗沢、兌」――「麗」は相連に同じ。二つの沢が彼此相連わり、上下ともに滋潤を得て喜悦する。ゆえに「麗沢兌」と言う。「君子以朋友講習」は、先儒は言う、同じく一師の門下に処るを「朋」と言い、共に一つの志向を抱持するを「友」と言い、友はすなわち同党の意である。友を必ず要する所以は、《礼記・学記》に言う、一人で独自学習して切磋する友なければ、孤陋寡聞となる、と。これは朋友が聚まり居り、道義を講解し文章礼法を研習し、彼此欣悦する盛况は、これより盛んはないを言う。ゆえに東漢の鄭衆は言う、快楽を飲酒に寄託すれば、沈湎酗酒の凶険あり、心志を声色の楽に耗費すれば、本性を傷害する禍患あり。ゆえに君子の最も美好の快楽は、《詩》《書》を崇尚して道義を切実に研習するに過ぎず、教化の盛大の境界は、快楽はまさにその中に在る、と。

初九和兌吉者。處悅之初而無私應,與眾和悅,天下皆親,以斯而往,何所疑乎,所以獲吉也。

初九の爻辞「和兌、吉」。それは喜悦の道の端緒に処りて偏私の正応がなく、衆人と平和に相悦でき、天下人がみな来てそれに親近する。このような態度を帯びて往いて行事すれば、何か疑慮する所あらん。ゆえに吉利を獲る。

九二孚兌吉,悔亡者。以剛處中,是懐信實之人。悅而施信,則吉從之,故曰孚兌吉。失位而處,所以有悔;志在忠信,所以悔亡也。

九二の爻辞「孚兌、吉、悔亡」。それは陽剛をもって下卦の中に居り、信実を懐く人である。喜悦の道をもってまた誠信を施行すれば、吉利は自ずから随いて至る。ゆえに誠信をもって相悦すれば吉と言う。それは陽爻が陰位に居り位を失して処するので、本来悔恨あり。ただそれの心志は忠誠信実に在るので、悔恨が消える。

六三來兌凶者。以陰居陽位,是來求悅。以不正之身,妄來求悅,是佞邪之道,所以致凶也。

六三の爻辞「来兌、凶」。それは陰爻が陽位に居り、自ら走り来て人の欢心を取る。自身の位置が正しからざるの条件をもって、胡乱に来て人の喜悦を求めるは、これは奸佞邪僻の道。よって凶険を招く。

九四商兌未寧,介有喜者。商謂商量裁制之謂;介,隔也。六三以諂侫之身而近至尊,妄求乾寵。夫侫邪之人,國之患害。今九四既是權臣,為君委任,固宜與君商量裁制,介隔邪侫之人,內掌樞機以匡王室,經營倫理,未遑安寧,故曰商兌未寧也。介疾是隔邪與君除害,四方安靜,故有喜慶,故曰介有喜也。

九四の爻辞「商兌未寧、介疾有喜」。「商」は商量裁断の意、「介」は隔絶である。六三は諂佞の身をもって至尊に逼近し、胡乱に干求寵幸を謀る。奸佞の人は本は国家の禍患である。いま九四はすでに権を掌る大臣で、君主に委任されている。本は君主と商量裁断し、邪佞の徒を隔絶せしめ、内に於て機要を掌握して王室を匡扶すべき。こうして労しながら綱紀を経営すれば、安寧する暇なし。ゆえに反復斟酌して安寧を得ずと言う。「介疾」はすなわち邪佞を隔絶して君主の害を除き、四方を安定せしめること。よって喜慶あり。ゆえに邪患を隔絶すれば喜ありと言う。

九五孚于剝,有厲者。剝是小人道長之稱也。九五為悅之主,固宜中正自安,惟賢是任,而乃反親上六,暱狎小人,遂為小人所害,危厲,故曰孚于剝有厲。書曰:逺耆徳,比頑童,是為亂風也。

九五の爻辞「孚于剝、有厲」。「剝」は小人の勢力が増長するの称呼。九五は兌卦喜悦の道の主宰で、本は中を守り正を持して安然と自処し、ただ賢能の人を任用すべきところ、それは反って上六に親近し、小人と狎昵する。ここにおいて小人に害されて危厲に陥る。ゆえに陽剛を剝蝕する小人を信任すれば危険ありと言う。《尚書》は言う、年高徳劭の人を疎遠し、頑劣の童稚を親近するは、これがいわゆる「乱風」である、と。

上六引兌者。六以陰最居悅後,是自靜退,不妄求進,必須他人牽引,乃從眾悅,故曰引兌也。

上六の爻辞「引兌」。上六は陰柔をもって喜悦の道の最後に居り、よって安静退譲して胡乱に進を求めぬ一方である。それは必ず他人の牽引に由りて、随いて衆人と一同に欣悦する。ゆえに牽引されて相悦すると言う。

渙卦(坎下巽上)

坎下巽上。渙:亨,王假有廟,利渉大川,利貞。彖曰:渙亨,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。王假有廟,王乃在中也。利渉大川,乘木有功也。象曰:風行水上,渙。先王以享于帝立廟。

渙卦は下卦が坎、上卦が巽で、風が水上に行きて波瀾が四散する。その義は離散・解釈である。ゆえに渙と名づける。卦辞は言う、渙は、亨通、君王が宗廟に親臨し、大河を渡るに宜しく、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、渙が亨通する所以は、九二という剛爻が前来して窮困に至らず、六四という柔爻が外卦で位を得て上の九五と同心するからだ。「王假有廟」は、君王が中位に居るを言う。「利渉大川」は、巽木の成す舟に乗れば必ず功あるからだ。《大象伝》は言う、風が水面の上を行く、これが渙である、先王はこれに法り、上帝に祭享し宗廟を建立した、と。

初六,用拯馬壯,吉。象曰:初六之吉,順也。九二,渙奔其機,悔亡。象曰:渙奔其機,得願也。六三,渙其躬,無悔。象曰:渙其躬,志在外也。六四,渙其群,元吉,渙有丘,匪夷所思。象曰:渙其群元吉,光大也。九五,渙汗其大號,渙王居,無咎。象曰:王居無咎,正位也。上九,渙其血,去逖出,無咎。象曰:渙其血,逺害也。

初六の爻辞、健壯の馬を借りて拯救する、吉利。《小象伝》は言う、初六の吉利は、それが柔順だからだ、と。九二の爻辞、離散の際に凭倚すべき几案に奔る、悔恨が消える。《小象伝》は言う、渙して其の机に奔るは、自分の願望を実現したからだ、と。六三の爻辞、自身の私念を涣散する、悔恨なし。《小象伝》は言う、其の躬を涣するは、心志が外に在るからだ、と。六四の爻辞、朋党を涣散する、大いに吉利、涣散の中にまた丘陵のごとき隠憂あり、これは平常人の想い及ぶ所ではない。《小象伝》は言う、朋党を涣散して大吉は、その道が光明博大だからだ、と。九五の爻辞、汗を出すがごとく重大の号令を発布し、君王の積聚した財貨を散去する、咎なし。《小象伝》は言う、王居して咎なきは、その位に居りて端正だからだ、と。上九の爻辞、あの血光の災を涣散する、遥かに離れ去る、咎なし。《小象伝》は言う、其の血を涣するは、禍害を遠ざけるからだ、と。

渙亨,王假有廟者。渙者,離散之名,緩釋為義。然則小人遭難,奔走逃散,逃散方始獲濟;大徳之人處難之時,能建功立徳,散釋險難,以安時人,故謂之渙也。能釋險難,人皆獲濟,所以亨通。王能釋難而通,天下太平,至於建立宗廟,徳洽人神,雖復大川亦可濟涉。險難既釋,宜道化利物,聚人莫過於正,故曰利涉大川,利貞也。

卦辞「渙、亨、王假有廟」。「渙」は離散の名称で、消解释放の意を取る。小人が患難に遇えば、ただ奔走して逃散し、逃散に凭って辛うじて身を脱せられる。徳行宏大の人が患難に身を処する時は、功業と徳行を建立し、険難を消解し、もって当時の人を安定する。ゆえに「渙」と称する。すでに険難を解除しうれば、人人が済渡を得る。よって亨通。君王が患難を解除して天下を通泰太平ならしめ、進んで宗廟を建立し、徳沢が人と神に遍及すれば、たとえ大江大河であっても渡りうる。険難がすでに解除された以上、まさに正道の教化をもって万物に利を施すべし。人心を聚攏するに守正より緊要なるはない。ゆえに大河を渡るに宜しく、正を守るに宜しいと言う。

象曰:風行水上,渙者。風行水上,激揚波濤,散釋之象。先王以享于帝立廟者,先王既釋險難,民泰時安,可以享獻上帝,建立宗廟,祭祀祖考,告以太平也。

《大象伝》の言う「風行水上、渙」――風が水面上を吹行して、波涛を激起し四散する。これはまさに消散解釈の形象である。「先王以享于帝立廟」は、先王がすでに険難を解除し、百姓が安泰し時世が安寧なれば、上帝に祭享する大礼を挙行し、宗廟を建立し、祖先を祭祀して、天下太平の消息を彼らに禀告できるを言う。

初六用拯馬壯吉者。拯,拔也。初六處難之初,乖散未甚,可以用馬拯拔,得其志而逺難。難初未至危劇,相時而行,是壯而獲吉也。

初六の爻辞「用拯馬壯、吉」。「拯」は拔救である。初六は患難の端緒に処り、離散の程度はまだ厳重でない。この時馬力を借りて身を拔出し、自分の心願を実現して禍難を遠ざけられる。患難が初起の段階にあってまだ危急の地步に至らず、それが時機を審察して行動できれば、これは力あって吉を獲る。

九二渙奔其機,悔亡者。機是案機,以承物也。謂初與二俱無應相得,既托於初,得其所安,逃難離散而奔,故曰渙奔其機悔亡也。

九二の爻辞「渙奔其机、悔亡」。「机」はすなわち几案で、物を承托するに用いる。これは初六と九二がともに相応の爻がなく、よって彼此投合したを言う。九二はすでに初六に身を托せば、安頓すべき所を見出した。それが患難を逃避し四散奔走する中にこの依托あれば、ゆえに離散の際に凭倚すべき几案に奔って悔恨が消えると言う。

六三渙其躬,無咎者。渙之為義,內險外安。六三有應於外,不顧所守,脫身而出,與剛合志,故得悔亡,故曰渙其躬無悔也。

六三の爻辞「渙其躬、无悔」。渙卦の意義は内卦を険とし外卦を安とする。六三は外卦に上九とそれに応ずる相手あり。よって自分の元来守った位置を顧惜せず、身を抽き出て、陽剛の一方と心志相合する。ゆえに悔恨を消除できる。よって自身を涣散して悔恨なしと言う。

六四渙其群,元吉,渙有丘,匪夷所思者。六四既在險外,即是已險難之人,近於至尊,為君委任,內主樞宻,外宣王命,而能散群眾之難,以安綏萬人也,而獲其大功,所以元吉,故渙其群元吉。然為君所任,任重憂深,雖能散眾之難,猶疑散難之中恐有未平丘墟之險,恆懷思慮,心未得安,故曰渙有丘匪夷所思也。丘,丘墟也;夷,平也。

六四の爻辞「渙其群、元吉、渙有丘、匪夷所思」。六四はすでに険境の外に処り、まさに険難を脱出した人である。それは至尊の位に接近し、君主に委任され、内に於て機要を主持し、外に於て王命を宣布する。よって衆人の患難を消散し万民を安撫し、もって大功を建立する。ゆえに大いに吉利。よって朋党を涣散して大吉と言う。ただそれはすでに君主に重托を受け、責任が重大で憂慮が深遠、衆人の患難を消解しえても、なお消散患難の過程中にまだ平定せざる丘陵のごとき険阻があるを疑慮し、時時に思慮を懐き、心中に安定を得られない。ゆえに涣散の中になお丘のごとき憂あり、これは平常人の想い及ぶ所ではないと言う。「丘」は丘陵廃墟を指し、「夷」は平坦である。

九五渙汗其大號,渙王居,無咎者。人之驚怖,既汗從體流,故以訓釋為汗也。九五處於尊位,而能發號施令,大散天下之險危,故曰渙汗其大號也。為渙之主,能散險難,若非王者正位,則不能然。正位不可假人,故王居無咎也。上九渙其血,去逖出,無咎者。血,傷害之義;逖,逺也。上九所居最是險外,是不為物之侵傷,逖逺而去,拔出險外,故曰渙其血也。散患於逺害之地,誰能與我為咎也。

九五の爻辞「渙汗其大号、渙王居、无咎」。人が惊恐を受けた時、汗は身上より流出する。ゆえに「汗」をもって号令が一たび発せられれば收回不可を訓釈する。九五は尊位に身を居して号令を発施し、大力して天下の険難危局を消散する。ゆえに汗を出すがごとく重大の号令を発布すると言う。それは渙卦の主宰で、険難を消解しうる。君王が正位に居らざれば、これをなしえない。そしてこの正位は他人に假借すべからず。ゆえに君王がその位に安居すれば咎なしと言う。上九の爻辞「渙其血、去逖出、无咎」。「血」は傷害を表示し、「逖」は遠である。上九の処する位置は最も険境の外に在るので、外物に侵害されない。それは遥かに離れ去り、身を抽きて険境を脱出する。ゆえにあの血光の災を消散すると言う。それが禍患を危害を遠ざけた処に消散すれば、誰が我に咎を加ええよう。

節卦(兌下坎上)

兌下坎上。節:亨,苦節不可貞。彖曰:節亨,剛柔分而剛得中。苦節不可貞,其道窮也。說以行險,當位以節,中正以通。天地節而四時成,節以制度,不傷財,不害民。象曰:澤上有水,節。君子以制數度,議徳行。

節卦は下卦が兌、上卦が坎で、沢上に水ありて水量が有限、節制を要す。ゆえに節と名づける。卦辞は言う、節は、亨通、苦渋の節制は固守すべからず、と。《彖伝》は言う、節が亨通する所以は、剛爻と柔爻が各々半分で陽剛が中位を得るからだ。「苦節不可貞」は、あの路がすでに窮尽に至ったと言う。和悦の態をもって険中に行き、位に居りて当たりて節制あり、中正によって通達する。天地に節度あって四季が形成される。制度をもって節制すれば、財貨を損傷せず百姓を危害しない。《大象伝》は言う、沢上に水あり、これが節である、君子はこれに法り、礼数法度を制定し、徳行の高下を評議する、と。

初九,不出戸庭,無咎。象曰:不出戸庭,知通塞也。九二,不出門庭,凶。象曰:不出門庭凶,失時極也。六三,不節若,則嗟若,無咎。象曰:不節之嗟,又誰咎也。六四,安節,亨。象曰:安節之亨,承上道也。九五,甘節,吉,往有尚。象曰:甘節之吉,居位中也。上六,苦節,貞凶,悔亡。象曰:苦節貞凶,其道窮也。

初九の爻辞、内室の庭院を出ない、咎なし。《小象伝》は言う、戸庭を出ざるは、いつ通していつ塞ぐべきかを知るからだ、と。九二の爻辞、大門の庭院を出ない、凶険。《小象伝》は言う、門庭を出ざれば凶は、時機を失する極点だからだ、と。六三の爻辞、自ら節制を知らざれば、嘆息するのみ、人に帰咎すべきなし。《小象伝》は言う、節制を知らざるに嘆息するは、また誰を咎めよう、と。六四の爻辞、安然として節制を守る、亨通。《小象伝》は言う、安節が亨する所以は、それが上に在る者の道を順承するからだ、と。九五の爻辞、甘美の節制、吉利、往けば嘉許を受ける。《小象伝》は言う、甘節の吉は、その位に居りて中を守るからだ、と。上六の爻辞、苦渋の節制、固守すれば凶、ただ悔恨は消失しうる。《小象伝》は言う、苦節して貞に凶は、その路がすでに窮尽に至ったからだ、と。

節亨者。節,制度之名,節止之義,故謂之節也。節制要在得宜,尊卑有別,其道乃通,故曰節亨也。

卦辞「節、亨」。「節」は制度の名称で、節制約束の意を含む。ゆえに節と謂う。節制の要は恰好得宜に在り、尊卑に各々分別あらしめれば、その道が通行しうる。ゆえに「節、亨」と言う。

苦節不可貞者。為節之道,必須當理。若過刻薄,傷於物情,物所不堪,非為節道,不可為正,故苦節不可貞也。

「苦節不可貞」。節制の道を施行するに、必ず情理に合せねばならない。もし節制が過度に刻薄で、人情物理を傷害し、衆人が承受できなければ、それは真の節制の道ではなく、それを正道として固守し続けるべからず。ゆえに苦渋の節制は固守すべからずと言う。

象曰:澤上有水,節者。澤,陂陷之處也。澤之大小,各有區別,今水居節上,隨其大小得宜,各有止節,故為節象也。君子以制數度、議徳行者。數謂禮數等差也,度謂上下優劣也。議人徳行,輕重得宜,是皆節制度數之義。所以周禮五等諸侯所受錫命,皆有度數是也。

《大象伝》の言う「沢上有水、節」――「沢」は低窪して水を積する処所。沢に大小あり、各々相異なる。いま水が沢中に積して、沢の大小に随って各々その宜を得、各々蓄止の限度ある。ゆえに節の形象となる。「君子以制数度、議徳行」の「数」は礼数の等級差別を指し、「度」は上下高低の分限を指す。人の徳行を評議して軽重を恰好ならしめるは、みな節制度数の意義に属す。ゆえに《周礼》に公・侯・伯・子・男の五等諸侯が受ける冊命賞賜は、みな各々一定の等級数目ある、まさにこの意である。

初九不出戶庭,無咎者。節者,制度之義。今初九處節之初,即是初制法度,宜其慎宻,不令洩露。若教令未宣而乃洩露,即人心多險,奸詐生焉。若慎宻不失,施制合宜,應時無偽,乃得無咎,知通塞矣。

初九の爻辞「不出戸庭、无咎」。「節」の意義は制度に在る。いま初九は節卦の端緒に処り、まさに法度を制定し始めた時で、慎密に重んじて内容を外泄せしめぬべき。もし教令がまだ正式に頒布せざるに先んじて風声を走漏せば、人心は本多く険詐で、奸巧欺騙がこれによって生ずる。もし慎密にして失せず、制度の施行が当を得、時宜に順応して虚偽なければ、咎なしを得る。これはすなわちいつ通すべきかいつ塞ぐべきかを知る。

九二不出門庭凶者。初為制度之始,法制未成,固宜慎宻。今至九二,是法制已成,而猶溺之,失時之中,乃乖於理,失時之極,所以致凶,故曰不出門庭凶也。

九二の爻辞「不出門庭、凶」。初九は制度の草創の始に処り、法制はまだ完成せず、本は慎密に宣らざるべき。いま九二に至り、法制はすでに完成したのに、それはなおあの閉守の做法に沈溺し、施行すべき時機を錯失する。ここにおいて事理に違背し、時機を失するに極点に至る。よって凶険を招く。ゆえに門庭を出ざれば凶と言う。

六三不節若,則嗟若,無咎者。處節之時,故宜各得其序,不相乖越。今六三以陰居陽,以柔乘剛,以為驕僣而不為節,禍將及身,以至哀嗟,故曰不節若也。禍自已招,非人所與,無所怨咎於人,故曰無咎。

六三の爻辞「不節若、則嗟若、无咎」。節制を講求する時に処り、本は人人が各々次序を守り、彼此僭越せざるべき。いま六三は陰爻が陽位に居り、また柔弱をもって九二という剛爻の上に騎る。よって驕矜僭越して自ら節制せんと肯ぜず、禍患がまさに身に臨まんとし、悲哀嘆息に至る。ゆえに自ら節制を知らざると言う。この禍は自ら招いたので、他人の与えたのではない。よって他人に怨咎する由なし。ゆえに帰咎すべきなしと言う。

六四安節亨者。以柔得位,承順於君,是得節之道。但稱安行此節而不改變,則何往不通,故曰安節亨也。

六四の爻辞「安節、亨」。それは陰柔にして陰位に居り位を得、また九五の君に承順しうる。これは節制の道を得た。ただ安穏にこの節制を奉行して改変せざれば、どこに往いても通達しないことなし。ゆえに節制に安んずれば亨通と言う。

九五甘節吉,往有尚者。不苦而美謂之甘也。九五為節之主,履正居中,節以制度,不傷財,不害人。為節而無傷,即是不苦而甘,所以甘吉矣。為節不傷,苦而能甘,以此而往,人所嘉尚,故曰往有尚也。

九五の爻辞「甘節、吉、往有尚」。苦渋ならずして味美を「甘」と謂う。九五は節卦の主宰で、位に居りて正を得てまた中を守り、制度をもって節制し、財貨を損傷せず百姓を危害しない。節制して損傷を造らざれば、これはすなわち苦ならずして甘。ゆえに甘節して吉を獲る。節制して傷害する所なく、本は苦渋しえたが甘美をなした。この做法を帯びて往いて行事すれば、自ずから人々に讃許される。ゆえに往けば嘉許を受けると言う。

上六苦節貞凶,悔亡者。居節之極,是過節之中,傷於為正,物所不堪,正之凶矣,故曰苦節貞凶。若以施人,則是正道凶;若以苦節於身,修已自厲,則可以悔亡矣。

上六の爻辞「苦節、貞凶、悔亡」。それは節卦の極点に居り、節制が適中の限度を超過した。よって正を守る上で反って傷害となり、衆人が承受できない。これは正を守りて凶を致す。ゆえに苦節を固守すれば凶と言う。ただ分かちて見るべし。もしこの苛刻の節制を他人に施加すれば、それは正なるも凶。もしただ苦節をもって自身を約束し自分を修養し操行を砥礪すれば、悔恨を消失せしめうる。

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