Libo

観卦(坤下巽上)

唐 · 史徵 · 第5巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

坤下巽上。觀:盥而不薦,有孚顒若。彖曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下。觀盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。觀天之神道,而四時不忒;聖人以神道設敎,而天下服矣。象曰:風行地上,觀。先王以省方觀民設敎。

観卦は下卦が坤、上卦が巽で、風が地上に行き届かないところなく、四陰が二陽を仰観する。ゆえに観と名づける。卦辞は言う、観は、祭祀の際にちょうど灌酒降神の礼を完成してまだ祭品を進献しないその一刻のように、誠信を懐き容色が荘厳である、と。《彖伝》は言う、偉大なる観らるべき者が上位に居り、柔順でありかつ謙遜、中正の徳をもって天下に昭示する。「観盥而不薦、有孚顒若」は、下の者がその徳を仰観して感化を受けると言う。天の神妙なる運行の道を観察すれば、四季の更替に絲毫の差錯もない。聖人はこの神妙の道に依って教化を設立すれば、天下はみな帰服する。《大象伝》は言う、風が大地の上に吹行する、これが観である、先王はこれに法り、四方を巡視し民風を観察して教化を設立する、と。

初六,童觀,小人無咎,君子吝。象曰:初六童觀,小人道也。六二,窺觀,利女貞。象曰:窺觀女貞,亦可醜也。六三,觀我生進退。象曰:觀我生進退,未失道也。六四,觀國之光,利用賓于王。象曰:觀國之光,尚賓也。九五,觀我生,君子無咎。象曰:觀我生,觀民也。上九,觀其生,君子無咎。象曰:觀其生,志未平也。

初六の爻辞、児童のように浅陋に観る、小人がこれなら咎なし、君子がこれなら憾惜あり。《小象伝》は言う、初六の童観は、小人の路数だ、と。六二の爻辞、門の隙間から偷看する、女子が正を守るに利あり。《小象伝》は言う、窺視して女子の正に合うも、男子にとってはまた可羞だ、と。六三の爻辞、自分の所行を観察して進退を決める。《小象伝》は言う、我生を観て進退を定めるは、正道を失わないからだ、と。六四の爻辞、一国の光輝盛徳を観仰する、君王の賓客となるに宜しい。《小象伝》は言う、国光を観るは、上賓に遇せられたいからだ、と。九五の爻辞、自分の施す教化を観察する、君子がこうすれば咎なし。《小象伝》は言う、我生を観るは、実は百姓の風俗を観ることだ、と。上九の爻辞、自分の外に現れる言行を観察する、君子がこうすれば咎なし。《小象伝》は言う、其生を観るは、心志がまだ安然と平定していないからだ、と。

觀盥而不薦者。觀謂王者道徳,民所觀看也。盥謂瓶罍灌洗之器物也,薦謂籩豆陳薦之屬也。今所觀王者施瓶盥之禮,為民祈福,還威儀嚴敬否,故不觀陳薦之物也。

卦辞「観、盥而不薦」。「観」は君王の道徳を指し、百姓の仰望観看する対象である。「盥」は祭祀の際に盛水灌洗に用いる瓶罍などの器具を指し、「薦」は籩豆を陳設して祭品を進献する類の儀節を指す。ここで観ようとするのは、君王が灌洗降神の礼を挙行し百姓のために福を祈る時、威儀が荘厳恭敬かどうかである。後の祭品を陳設する環節は、かえって観察の重点ではない。

有孚顒若者。孚,信也;顒是嚴整之貎,謂君子行禮潔信立誠,端敬顒然,若鬼神在,則下觀其徳,民順其化。故詩云:顒顒卬卬,如珪如璋,君徳之義也。

「有孚顒若」。「孚」は誠信、「顒」は荘厳整粛のさまである。君子が祭礼を挙行するに、心を潔め誠信を樹立し、端荘恭敬にして儀容粛穆とし、まるで鬼神が真に座に降臨したがごとくである。こうすれば下の人がその徳を観仰し、百姓はその教化に順従する。ゆえに《詩経》は言う、容貌が温和で気度が軒昂とし、徳は珪璋のように純潔、まさに君主の徳を講じている、と。

象曰:風行地上,觀者。風如王者風敎,行於地上,人所觀也。先王省方觀民設敎者,先王以省視萬方,觀看民俗,施設敎化。故鄭眾云:從俗所為,順民之敎,故君子治人,不求變俗是也。如封太公於齊,五月報政,為簡其君臣禮,從俗不同;伯禽於魯,變其俗,易其禮,三年報政也。

《大象伝》の言う「風行地上、観」――風はちょうど君王の風化教令のごとく、大地の上に吹行し、誰もが見ることができる。「先王以省方観民設教」は、先王が四方を巡視し各地の民俗を考察し、これに拠って教化を施行すると言う。ゆえに後漢の鄭衆は言う、当地の習俗の做法に依循し、百姓の実情に順って教化する、ゆえに君子が人民を治めるに、わざと彼らの風俗を変えようとしない、まさにこの理である、と。例えば太公望が斉に封ぜられ、わずか五ヶ月で朝に回り政績を報告したのは、君臣の礼を簡約化し一切当地の旧俗に因循したからである。一方伯禽が魯に封ぜられ、当地の風俗を改変し元の礼制を更換したため、三年して初めて朝に回り政績を報告した。

初六童觀,小人無咎,君子吝者。觀之為體,下賤上貴也。最處於下而不近朝廷之美,所觀狹,如童稚之見,故云童觀也。大觀之時若如是,乃小人之見,才得無咎;君子居之,深可鄙吝也。

初六の爻辞「童観、小人无咎、君子吝」。観卦の体例は下位が卑賤で上位が尊貴である。初六は最も下に処り、朝廷の美善の気象に接することができず、見る範囲が狭小で、幼童の見識のようである。ゆえに「童観」と言う。この大いに観らるべき時にまだこのようなさまなら、それはただ小人の眼界で、辛うじて咎を免れる。もし君子がこの位置に処れば、実に鄙しく惜しい。

六二窺觀,利女貞者。居內處中,所見非大,猶窺竊而觀望,此乃利女之正,非丈夫之正。處大觀之時而為窺竊觀看,誠可醜也。

六二の爻辞「窺観、利女貞」。六二は内卦に居り下卦の中に処り、見るところは依然として広大ではなく、門の隙間からこっそり張望するがごとし。この方式は女子の守るべき正道に合うが、男子の守るべき正道には合わない。大いに観らるべき時に処りながら偷々窺視するしかないのは、実に可羞である。

六三觀我生進退者。生猶道也。六三處下卦之上,是可進之時;居上卦之下,又是可退之地。處此之時,可以觀風相幾,而不失其道也。

六三の爻辞「観我生進退」。ここの「生」は「道」に相当し、自身の行事の道を指す。六三は下卦の最上の爻に処り、向前して進取すべき時である。同時に上卦の最下に貼り、退守できる位置でもある。この種の進退両可の境地に処り、ちょうど風向を観て幾微を審度し、自分の正道を失わないようにできる。

六四觀國之光,利用賓于王者。處近君之尊,故可觀國之光華矣;習國家之禮儀,故可利為王賓也。

六四の爻辞「観国之光、利用賓于王」。六四は九五という尊位に緊鄰し、よって近くに一国の光輝盛美を観仰できる。それは国家の礼儀制度に熟習する。ゆえに君王の上賓に遇せられるに宜しい。

九五觀我生,君子無咎者。居得尊位,為觀之主,四海之內,皆由我化。我化若善,天下習君子之風;我化不善,天下有小人之俗。故我觀之道,有君子之風著,又何有咎也。

九五の爻辞「観我生、君子无咎」。九五は尊位に居り、全卦の仰観する主体で、四海の内の風気はみなその教化によって決まる。その教化がもし良善なら、天下は君子の風気に染まる。その教化がもし良善でなければ、天下は小人の習俗を成す。ゆえにそれが自我省察する道は、君子の風の風範を顕現できさえすれば、どこに咎があろうか。

上六觀其生,君子無咎者。觀其生,則是為人所觀者也。最上處極,為天下所觀。於已之道,若能自戒慎,高尚其事,著君子之風,故得無咎。王傳云:獨處異地,不易執持。此明上九但卓立其身,異於塵俗,何咎之有。故論語云:君子之過,如日月之食,過也人皆見之,更也人皆仰之。

上九の爻辞「観其生、君子无咎」。(底本はここで爻題を「上六」と作るが、実は上九を指す。いま照録して改めない。)いわゆる「観其生」は、それ自身が他人に観られる対象であると言う。上九は全卦最上の極位に処り、天下人が共同して瞻仰する所在である。その自分の立身の道について言えば、自ら警戒謹慎し、操守を一切より高く見て、君子の風範を顕出できさえすれば、咎がない。王弼の注は言う、独り異なった位置に処り、持守しやすくはない、と。これは上九がただ卓然として其身を自立し、流俗と異なることを説明する。どこに咎があろうか。ゆえに《論語》は言う、君子の過ちは日食月食のようで、過ちを犯せば人は皆それを見、改めれば人は皆それを仰ぐ、と。

周易口訣義巻第三・上経三(噬嗑より離まで)

噬嗑卦(震下離上)

上經三。震下離上。噬嗑:亨,利用獄。彖曰:頤中有物曰噬嗑,噬嗑而亨。剛柔分,動而明,雷電合而章。柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。象曰:雷電,噬嗑。先王以明罰勑法。

これは上経の第三巻である。噬嗑卦は下卦が震、上卦が離で、震は雷・動、離は電・明で、動いて威あり照らして明あり。ゆえに噬嗑と名づける。卦辞は言う、噬嗑は、亨通、刑獄を施用するに宜しい、と。《彖伝》は言う、口の中に物を含むを噬嗑と言い、咬合して後に通暢する。剛爻柔爻が上下に分布し、一動してまた明察、雷と電が相合して事理を彰明にする。六五という柔爻が中を得て上行し、陰が陽位に居り位に当たらないが、刑獄を処理するに宜しい。《大象伝》は言う、雷電が交作する、これが噬嗑である、先王はこれに法り、刑罰を申明し法度を整飭する、と。

初九,屨校滅趾,無咎。象曰:屨校滅趾,不行也。六二,噬膚滅鼻,無咎。象曰:噬膚滅鼻,乘剛也。六三,噬臘肉,遇毒,小吝,無咎。象曰:遇毒,位不當也。九四,噬乾胏,得金矢,利艱貞,吉。象曰:利艱貞吉,未光也。噬嗑至離。六五,噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。象曰:貞厲無咎,得當也。上九,何校滅耳,凶。象曰:何校滅耳,聰不明也。

初九の爻辞、脚に刑具を戴き、脚指を遮没する、咎なし。《小象伝》は言う、脚鎖を戴き脚趾を遮没するは、彼をして再び邪路を歩ませないためだ、と。六二の爻辞、柔嫩の肉を咬み、深くして鼻を遮没する、咎なし。《小象伝》は言う、噬膚して深く鼻を没するに至るは、六二が初九という剛爻の上に騎るからだ、と。六三の爻辞、乾腊肉を咬み、毒味に遇う、やや憾惜、咎なし。《小象伝》は言う、毒味に遇うは、六三の居る位が当たらないからだ、と。九四の爻辞、骨付きの乾肉を咬み、銅の矢じりを得る、艱難の中で正を守るに宜しく、吉利。《小象伝》は言う、利艱貞して吉は、その道がまだ光大していないと言うことだ、と。(ここの「噬嗑至離」の四字は原書の巻内の書眉の標目で、本巻が噬嗑卦から離卦まで講じることを標明し、経文ではない。)六五の爻辞、乾肉を咬み、黄銅を得る、正を守り危を知る、咎なし。《小象伝》は言う、貞厲して咎なきは、処置が適当だからだ、と。上九の爻辞、肩に枷鎖を担ぎ、耳を遮没する、凶。《小象伝》は言う、何校して耳を滅するは、聴覚はあれど事理に明らかでないからだ、と。

噬嗑亨,利用獄者。噬,齧也;嗑,合也。喻人口中有物,則隔人隔塞正法,使正法不行;如口中有物,間齧而必通。刑去奸邪,正法無礙,故曰利用獄也。

卦辞「噬嗑、亨、利用獄」。「噬」は咬嚙、「嗑」は合攏である。これは比喻で、人が口に異物を含めば、上下顎は合攏できない。ちょうど人が中から梗を作し、正当の法度を阻隔堵塞して法令を推行させられないがごとし。口の中に物があれば必ず咬み砕いて初めて通暢できるように、刑罰を用いて奸邪の徒を除き去れば、正当の法度は暢行無阻となる。ゆえに刑獄を施用するに宜しいと言う。

象曰:雷電,噬嗑。雷動而威,電照而明,明動相合,故曰噬嗑也。先王以明罰勑法者,勑,整理也,謂先王以明鑑之德,刑罰兼施,整齊法度也。

《大象伝》の言う「雷電、噬嗑」――雷は一たび動けば威勢を帯び、電は一たび照らせば光明をもたらす。明察と威動の両者が相配合する。ゆえに噬嗑と言う。「先王以明罰勑法」の「勑」は整頓治理の意で、先王が明察洞鑑の徳性に拠り、一面で刑罰を申明し一面で法度を整斉し、両者を併用すると言う。

初九履校滅趾,無咎者。屨猶履也,滅,沒也,趾,足也。初九既居無位之地,是受刑之人,罪之尚微者也。若能於是時著械沒其趾足,而因懲戒,爾後改行修德,故終身無咎。故云小懲大戒,此小人之福也。

初九の爻辞「屨校滅趾、无咎」。「屨」は「履」のごとく、脚に穿戴するを指す。「滅」は遮没、「趾」は脚である。初九は最も下、爵位なきの地に居り、刑を受ける人で、しかも罪過はなお軽微である。もしこの時に脚鎖を戴かせ脚趾を遮らせ、それによって懲戒を受けさせ、今より後に行いを改め徳を修めさせれば、終身大きな罪咎はない。ゆえに《繋辞》は言う、小さな懲罰が大きな警戒をもたらす、これはまさに小人の福である、と。

六二噬膚滅鼻,無咎。二為得位處中,所刑者當,故曰噬膚滅鼻。膚是柔脆之物,喻伏罪之人。然乘剛用刑,即刑人深矣,噬過其分,以至滅鼻。雖復過深,而所刑者當,故曰無咎。

六二の爻辞「噬膚滅鼻、无咎」。六二は陰爻が陰位に居り位を得、また下卦の中に処る。ゆえにそれが刑を施す対象は適当である。よって「噬膚滅鼻」と言う。「膚」は柔軟脆嫩の物で、甘んじて罪に伏す人を喩える。ただ六二は初九という剛爻の上に騎って刑罰を動用するので、用刑は未免過度に深く、咬むのがあるべき分寸を超え、鼻まで陥入するに至った。用刑は深重に偏ったが、懲治する対象は確かに罰すべきだった。ゆえに咎なしと言う。

六三噬臘肉,遇毒,小吝,無咎者。以陰處陽不正,行刑罪人不伏,怨生。而不乘剛,不失順道,雖有小吝,於義無咎,故曰小吝無咎也。噬喻刑人,臘喻不伏,毒喻怨生。

六三の爻辞「噬腊肉、遇毒、小吝、无咎」。六三は陰爻が陽位に居り、それ自身正しくない。用刑の時に罪人が服しようとせず、よって怨恨を生ずる。しかしそれは剛爻の上に凌駕せず、柔順の道を失わない。ゆえにやや憾惜はあれど、理の上では咎がない。よって「小吝、无咎」と言う。ここの「噬」は人に刑を施すを喩え、「腊肉」は罪人が罪に伏そうとしないを喩え、「毒」はこれによって生じた怨恨を喩える。

九四噬乾胏,得金矢,利艱貞吉者。九四以陽失位,不正行刑,罪人不伏,故曰噬乾胏。乾胏,肉之幹者。得金矢,利艱貞吉,金,剛也;矢,直也。雖刑不伏物,而能得其剛直也。既剛且直,又利艱固,不失其正,可以獲吉也。

九四の爻辞「噬干胏、得金矢、利艱貞、吉」。九四は陽爻が陰位に居り位を失い、用刑が端正でなく、罪人が服しようとしない。ゆえに咬むのは骨付きの乾肉だと言う。「干胏」は骨を連ねた乾肉である。「得金矢、利艱貞、吉」の「金」は剛強を象徴し、「矢」は正直を象徴する。懲治する対象は服しようとしないが、それは剛強正直の原則を秉持できる。すでに剛強でかつ正直、加えて艱難の中で固守し正道を失わないに宜しい。よって吉利を得られる。

六五噬乾肉,得黃金,貞厲無咎。位既不正,有所刑人,人亦不伏,猶如噬齧乾堅之肉,物所以難噬也。得黃金,貞厲無咎者,黃,中也;金,剛也。以其居中履剛,得其剛正之道,剛勝也。位既不正,刑戮得當,然則居貞以危,亦免咎也。

六五の爻辞「噬干肉、得黄金、貞厲、无咎」。六五は陰爻が陽位に居り、位が正しくない。よって人に刑を施すに、相手も服さず、ちょうど乾硬の肉を咬みに行くがごとく、咬み動かしがたい。「得黄金、貞厲、无咎」の「黄」は居中の正色、「金」は剛強を象徴する。六五は上卦の中に居り下に剛爻を履むので、剛健中正の道を得、剛強の一面が上風を占めた。その位置は正しくないが、刑罰の施用は適当である。よって正を守り常に危懼を懐けば、咎を免れられる。

上九何校滅耳凶。何,擔何也;校,枷鎖也;滅,沒也。上九喻人積惡之極,不能懲改,須至擔何枷鎖,以沒其耳,將至誅滅之凶。故云惡積而不可揜,罪大而不可解也。

上九の爻辞「何校滅耳、凶」。「何」は肩に担ぐこと、「校」は枷鎖の類の刑具、「滅」は遮没である。上九は悪行が極点まで積もり、また懲戒を受け入れて改過しようとしない人を喩えるのに用い、ついに枷鎖を肩に担ぎ耳まで遮られるに至り、誅戮の凶禍に直面せんとする。ゆえに《繋辞》は言う、悪行は積もって掩えず、罪過は重くして解けない、と。

賁卦(離下艮上)

離下艮上。賁:亨,小利有攸往。彖曰:賁亨,柔來而文剛,故亨;分剛上而文柔,故小利有攸往。天文也,文明以止,人文也。觀乎天文以察時變,觀乎人文以化成天下。象曰:山下有火,賁。君子以明庶政,無敢折獄。

賁卦は下卦が離、上卦が艮で、火が山下に照り、山色を斑斕たらしめる。ゆえに賁と名づけ、卦義は文飾である。卦辞は言う、賁は、亨通、やや往くところあるに宜しい、と。《彖伝》は言う、賁が亨通する所以は、柔爻が下りて剛爻を文飾するからである。剛爻を分かち上行して柔爻を文飾するので、やや往くところあるに宜しい。剛柔が交錯する、これは天の文采である。文明でありかつ節止できる、これは人の文采である。天の文采を観れば時序の変化を察知でき、人の文采を観れば教化して天下を成就できる。《大象伝》は言う、山下に火あり、これが賁である、君子はこれに法り、各種の政務を明察するが、敢えて文飾のみに拠って獄訟を果決に裁断しない、と。

初九,賁其趾,舎車而徒。象曰:舎車而徒,義弗乘也。六二,賁其須。象曰:賁其須,與上興也。九三,賁如濡如,永貞吉。象曰:永貞之吉,終莫之陵也。六四,賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾。象曰:六四當位疑也;匪寇婚媾,終無尤也。六五,賁于丘園,束帛戔戔,吝,終吉。象曰:六五之吉,有喜也。上九,白賁,無咎。象曰:白賁無咎,上得志也。

初九の爻辞、自分の脚趾を文飾する、車を捨てて徒歩する。《小象伝》は言う、車を捨て徒歩するは、道義の上でその車に乗るべきでないからだ、と。六二の爻辞、自分の鬚を文飾する。《小象伝》は言う、其須を賁するは、上の九三とともに行動するからだ、と。九三の爻辞、文飾して光潤神あり、長久に正を守れば吉利。《小象伝》は言う、永貞の吉は、終に彼を欺凌する者がいないからだ、と。六四の爻辞、文飾しようとしてなお一片素白、白馬が馳せて来る、来た者は強盗ではなく求婚の者だ。《小象伝》は言う、六四は位に当たるも心に疑慮を存す、来た者は寇ではなく婚配で、終に過失なし、と。六五の爻辞、文飾の対象は山丘園圃、用いるのは一小束の帛に過ぎず、鄙吝に見えるも終に吉。《小象伝》は言う、六五の吉利は、喜慶あり、と。上九の爻辞、素白をもって文飾とする、咎なし。《小象伝》は言う、白賁して咎なきは、上位に居て心志が実現を得たからだ、と。

賁亨,小利有攸往者。賁,飾也,以剛柔交雜而相文飾也。

卦辞「賁、亨、小利有攸往」。「賁」は文飾で、剛爻と柔爻が交錯相雑し、彼此が相手のために文采を添えることを指す。ゆえにそれは亨通できる。しかし文飾は畢竟根本ではない。ゆえにやや往くところあるに宜しいと言うのみである。

象曰:山下有火,賁。王廙云:山下有火,文明相照。夫山之為體,層峰峻嶺,巖巒峭麗,參差被日光照耀,如以雕飾而見文章,賁之象也。君子以明庶政,無敢折獄。庶,眾也;敢,果也;折,斷也。君子以明鑑之德,必須審察為眾庶之政,無直果敢折斷獄訟,當審慎用刑也。

《大象伝》の言う「山下有火、賁」――晋の人王廙は解釈する、山下に火あり、文采と光明が彼此輝映する、と。山の形体は、層巒畳嶂・高峰峻嶺、岩壑が峭抜秀麗で、参差錯落として日光に照耀され、彫琢文飾を経て花紋を顕すがごとし。これはまさに賁卦の形象である。「君子以明庶政、无敢折獄」の「庶」は衆多、「敢」は果決、「折」は裁断である。君子は明察洞鑑の徳性に拠り、必ず審慎に考察して各種の政務を処理しなければならない。しかし一時の果決に拠って軽率に獄訟を裁断してはならない。用刑は審慎であるべきである。

初九賁其趾,舎車而徒者。趾,足也。處無位之地,不尚華侈,所飾在於足趾,故曰賁其趾。以其執志耿介,不乘不義之車,而從有義徒步,故曰舎車而徒也。

初九の爻辞「賁其趾、舎車而徒」。「趾」は脚である。初九は最も下、爵位なきの地に処り、華奢を尚ばず、文飾できるのは自分の脚趾のみである。ゆえに「賁其趾」と言う。それは志節を持守して耿介として苟もせず、来路不義の車に乗ることを肯んぜず、むしろ道義に従って徒歩する。ゆえに「舎車而徒」と言う。

六二賁其須。須,須也。與三相近,情意相得,以下親上,猶如須之附面,修其所理,隨之興動,故小象云與上興也。

六二の爻辞「賁其須」。「須」は鬚である。六二は九三と位置が緊鄰し、彼此情意が相投じ、下の者が上の者に親附する。ちょうど鬚が面頬に附着するがごとく、面が動けば鬚が動き、鬚はただ自身の纹理を修飾するのみで、依附する一方に随って動く。ゆえに《小象伝》はそれを「与上興」と言う――上の九三とともに興起する。

九三賁如濡如,永貞吉者。與二相得,以飾以潤,故曰賁如濡如也。以其非應相親,永保其正,物莫能犯,故曰永貞吉也。

九三の爻辞「賁如濡如、永貞吉」。九三と六二は彼此投合し、文飾もあり潤沢も得る。ゆえに文飾して光潤神ありと言う。それらは正応ではなくただ相鄰相亲なので、さらに長久に正道を保たなければならない。こうできれば、外物はそれを侵犯できない。よって長久に正を守れば吉利と言う。

六四賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾者。四應在初,被三隔礙,志唯猶豫,或文或素,故曰賁如皤如。質素也。既不得前進,但鮮潔其馬,翰如徘徊以待之矣,故曰白馬翰如也。若非九三與己為寇難,即與初已為媾婚,故曰匪寇婚媾也。

六四の爻辞「賁如皤如、白馬翰如、匪寇婚媾」。六四が相応するのは初九だが、九三に中から阻隔され、心志がよって猶豫不定となり、ある時は文飾を思いある時は素朴に帰る。ゆえに「賁如皤如」と言う――「皤」は白浄質朴の意である。それはすでに前進できないので、馬を潔く鮮明に整え、徘徊して待つほかない。ゆえに「白馬翰如」と言う。もし九三が自分を阻む寇仇でなかったなら、それはとっくに初九と婚配を結んでいた。ゆえに来た者は強盗ではなく婚配の人だと言う。

六五賁于丘園,束帛戔戔,吝終吉者。處得尊位,為飾之主,不尚華飾,所賁質素,故其致飾如似丘園。丘園所生草木,質素而已,則不縻費。國之盈盛,乃束帛珍寶戔戔眾多,故曰賁于丘園,束帛戔戔。若能儉而約侈,費用得宜,處約之吝,乃得終吉,故曰吝終吉也。

六五の爻辞「賁于丘園、束帛戔戔、吝、終吉」。六五は尊位に身を居し、全卦の文飾の主宰であるが、華麗な装点を尚ばず、文飾するものはみな質朴に帰する。ゆえにそれが営造する装飾は山丘園圃のようである。丘園に生ずるは草木に過ぎず、質朴無華で、よって浪費しない。国家の富足充盈は、まさに束帛珍宝が積聚繁多することに現れる。ゆえに「賁于丘園、束帛戔戔」と言う。もし節倹して奢侈を約束し、費用支出を得宜にすれば、倹約によって鄙吝に見えても、最終的にはかえって吉利を得る。ゆえに「吝、終吉」と言う。

上九白賁無咎者。處飾之終,終乃反素矣。他人以色為飾,而我以素為飾,守志任真,得其夲性,何咎之有哉。

上九の爻辞「白賁、无咎」。それは文飾の終点に処り、文飾は尽きれば質朴に返る。他人は彩色を取って装飾とするが、我は純白素浄をもって装飾とする。自分の志節を守り本真に任せるので、自分の本性を保全した。どこに咎があろうか。

剥卦(坤下艮上)

坤下艮上。剝:不利有攸往。彖曰:剝,剝也,柔變剛也。不利有攸往,小人長也。順而止之,觀象也。君子尚消息盈虛,天行也。象曰:山附於地,剝。上以厚下安宅。

剥卦は下卦が坤、上卦が艮で、五陰が下にあり一陽が上にあり、衆陰が孤陽を侵剥する。ゆえに剥と名づける。卦辞は言う、剥は、往くところあるに利せず、と。《彖伝》は言う、剥は剥落で、陰柔が陽剛を改変する。往くところあるに利せざるは、小人の勢力がまさに増長しているからである。柔順に対し時に止まる、これは卦象を観て得た理である。君子は消退・生息・盈満・亏虚の循環を崇尚する、これはまさに天道の運行規律である。《大象伝》は言う、山が大地の上に依附する、これが剥である、上位の者はこれに法り、下民を厚待して自分の居所を安定させる、と。

初六,剝床以足,蔑貞凶。象曰:剝床以足,以滅下也。六二,剝床以辨,蔑貞凶。象曰:剝床以辨,未有與也。六三,剝之,無咎。象曰:剝之無咎,失上下也。六四,剝床以膚,凶。象曰:剝床以膚,切近災也。六五,貫魚,以宮人寵,無不利。象曰:以宮人寵,終無尤也。上九,碩果不食,君子得輿,小人剝廬。象曰:君子得輿,民所載也;小人剝廬,終不可用也。

初六の爻辞、床を剥蝕する、床脚から始め、正道を削滅する、凶。《小象伝》は言う、床を剥して脚より始まるは、下より毀滅を始めるからだ、と。六二の爻辞、床を剥蝕し、床身と床脚の交接の処に至り、正道を削滅する、凶。《小象伝》は言う、床辨に剥るは、まだ依拠すべき伙伴がないからだ、と。六三の爻辞、剥落の中に処るも、咎なし。《小象伝》は言う、剥之して咎なきは、上下の衆陰を離れて独り上九に応ずるからだ、と。六四の爻辞、床を剥蝕し、すでに人の肌膚に傷を及ぼす、凶。《小象伝》は言う、肌膚に剥るは、災禍がすでに身に貼りついたからだ、と。六五の爻辞、串に穿った魚のように、宮人を率いて寵幸を承ける、利しないことなし。《小象伝》は言う、宮人の身分で寵を受けるは、終に過失なし、と。上九の爻辞、碩大の果実が食されなかった、君子はこれによって車輿を得、小人は屋舎まで剥毀される。《小象伝》は言う、君子が輿を得るは、百姓に擁戴されるからである、小人が廬を剥るは、小人が終に任用できないことを説明する、と。

剝不利有攸往者。剝,落也。以陰剝陽,以小人損君子,是小人道長,君子道消,小人侵害君子,故君子不利有攸往。

卦辞「剥、不利有攸往」。「剥」は剥落である。この卦は陰柔をもって陽剛を剥蝕し、小人をもって君子を損害する。まさに小人の勢力が増長し君子の勢力が消退する時で、小人が到る処で君子を侵害する。ゆえに君子は往くところあるに利せず。

象曰:山附於地,剝者。山本高峻,今附於地,是剝落之象也。上以厚下安宅者,宅,人居者也。剝之為體,自下而起,為乾,從初九而至剝也,即是小人在下而起,上侵於君子。君子即可敦厚為徳,制伏下人,各令安其居也。

《大象伝》の言う「山附于地、剥」――山はもともと高聳険峻だが、いま地面に依附貼伏する。これはまさに剥落された形象である。「上以厚下安宅」の「宅」は人の居住する処所である。剥卦の体勢は下より上へ逐層剥落し、もと乾体で、初九の一爻より剥蝕され始めた。これはまさに小人が下より興り、一歩ずつ上に向かい君子を侵犯することを示す。君子はこれに対し敦厚を徳とし、在下の人を安撫駕御し、彼らを各々安居楽業させるべきである。

初六剝床以足,蔑貞凶。蔑,削也;床者,人所安之物也。今剝道自下而起,似侵剝床足,人漸不安,處削除中正之道,所以凶也。

初六の爻辞「剥床以足、蔑貞凶」。「蔑」は削損、「床」は人が身を安んずるに頼る器物である。いま剥落の勢いが最も下より興り、ちょうど先に床脚を侵蝕するがごとく、人も次第に安穏でいられなくなる。このように中正の道を削除する局面に処するので、凶。

六二剝床以辨,蔑貞凶。是床梐之間,床足之上,分辨之處也。剝之漸盛,削不已,至於床梐之間分辨之處,削去正道,正道陵夷,所以凶也。

六二の爻辞「剥床以辨、蔑貞凶」。いわゆる「辨」は、床身と床架の間、床脚の上の上下分界の部位である。剥落の勢いは次第に加劇し、削蝕が止まず、すでに床身と床脚の交界の処に至った。正道が一歩ずつ削り去られ、日に衰頽崩壊する。ゆえに凶。

六三剝之無咎。眾皆剝陽,唯六三與上九相應,是獨親狎於君子,雖當剝時,可以無咎也。六四剝床以膚,凶。床既削盡,以至人膚,身體被其侵剝,切近於災,故為凶矣。

六三の爻辞「剥之、无咎」。衆多の陰爻がみな陽爻を剥蝕する中、ただ六三のみが上九と相応し、単独で君子に親近依附するに等しい。ゆえに剥落の世に身を処しても、咎がなくいられる。六四の爻辞「剥床以肤、凶」。床はすでに削蝕し尽され、進んで人の肌膚に傷を及ぼし、身体が直接侵害を受け、災禍がすでに身に貼りついた。ゆえに凶。

六五貫魚,以宮人寵,無不利者。獨處於尊,為剝之主,眾陰皆歸,騈頭相次,如貫穿之魚。小人得寵以消君子,若接待眾陰而似宮人在內,未能害於外政矣。既不預政事,故云無不利也。

六五の爻辞「貫魚、以宮人寵、无不利」。六五は独り尊位に居り、剥卦の主爻で、衆多の陰爻がみなそれに帰附し、一つずつ並んで相次ぐ。ちょうど繩で穿った一連の魚のようである。小人が寵を得るのは本来君子を消滅するためだが、もし六五が衆陰に接する方式が、後宮の嬪妃が各々内廷に安んずるがごときなら、外朝の政事に危害を及ぼすに至らない。それらがすでに政務に干預しないので、利しないことなしと言う。

上九碩果不食,君子得輿,小人剝廬者。處剝之上,獨處不落,猶碩果之不食。若君子處於此位,似車輿運載下人,令其獲安,故云君子得輿,民所載也。小人處此上位,即侵削下人廬舎,民何以安,故曰小人不可用為君長,故曰小人剝廬,終不可用也。

上九の爻辞「碩果不食、君子得輿、小人剥廬」。上九は剥卦の最上に処り、剥落されなかった唯一の陽爻で、ちょうど樹梢のあの碩大で摘食されなかった果実のようである。もし君子がこの位置に居れば、ちょうど一台の大車が下の人を載せて運び、彼らを安頓させるがごとし。ゆえに君子が車輿を得るは百姓に擁戴されるからだと言う。もし小人がこの上位を占めれば、下の百姓の房舎を侵奪削毀せんとする。百姓は何によって身を安んずるか。ゆえに小人は君長にしてはならないと言い、よって小人が屋廬を剥毀し終に任用できないと講じる。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Hexagrams in this volume