Libo

中孚卦(兌下巽上)・底本は経文のみ存す

唐 · 史徵 · 第14巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

兌下巽上。中孚:豚魚吉,利涉大川,利貞。彖曰:中孚,柔在內而剛得中,說而巽,孚乃化邦也。豚魚吉,信及豚魚也。利涉大川,乘木舟虛也。中孚以利貞,乃應乎天也。象曰:澤上有風,中孚。君子以議獄緩死。

中孚卦は下卦が兌、上卦が巽で、二陰が中に居りて四陽が外にあり、中心に誠信あり。ゆえに中孚と名づける。卦辞は言う、中孚は、誠信が小猪と魚に感及する、吉利、大河を渡るに宜しく、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、中孚卦は、陰柔が内に居りて陽剛が中位を得、和悦にして謙順、誠信がよって邦国を教化する。「豚魚吉」は、誠信が小猪と魚のごとき物にまで感動せしめる。「利渉大川」は、中間が虚空の木舟に乗るからだ。中孚にしてまた正を守りうるは、これは上に天道に応ず。《大象伝》は言う、沢上に風あり、これが中孚である、君子はこれに法り、獄案を審議し死刑を寛緩する、と。(按:史徴の元あった中孚卦の解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみ存す。)

初九,虞吉,有他不燕。象曰:初九虞吉,志未變也。九二,鳴鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾靡之。象曰:其子和之,中心願也。六三,得敵,或鼓或罷,或泣或歌。象曰:或鼓或罷,位不當也。六四,月幾望,馬匹亡,無咎。象曰:馬匹亡,絶類上也。九五,有孚攣如,無咎。象曰:有孚攣如,位正當也。上九,翰音登于天,貞凶。象曰:翰音登于天,何可長也。

初九の爻辞、預め審度すれば吉、もし他の求めあれば、安寧を得ず。《小象伝》は言う、初九が審度して吉は、その心志がまだ改変せざるからだ、と。九二の爻辞、白鶴が樹蔭の下で鳴く、それの幼雛が声に応えて和鳴する、我に一杯の好酒あり、爾と共に分享せん。《小象伝》は言う、幼雛が声に応えて和鳴するは、内心の意願に出るからだ、と。六三の爻辞、対手に遇う、ここにおいて時に鼓を撃ち進攻し時に疲れて兵を罷め、時に悲泣し時に歌唱す。《小象伝》は言う、忽ち鼓し忽ち罷むは、六三の居る位が当たらざるからだ、と。六四の爻辞、月がまさに満ちんとす、馬が配偶を失う、咎なし。《小象伝》は言う、馬が匹配を失うは、同類を断絶して上に九五を追随するからだ、と。九五の爻辞、誠信を懐きて牽繋し相連なる、咎なし。《小象伝》は言う、有孚攣如は、九五の居る位が正当だからだ、と。上九の爻辞、鶏の鳴声が天上に升る、固守すれば凶。《小象伝》は言う、翰音が天に登るは、どうして長久しえよう、と。

小過卦(艮下震上)

艮下震上。小過:亨,利貞,可小事,不可大事。飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉。彖曰:小過,小者過而亨也。過以利貞,與時行也。柔得中,是以小事吉也。剛失位而不中,是以不可大事也。有飛鳥之象焉,飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉,上逆而下順也。象曰:山上有雷,小過。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉。

小過卦は下卦が艮、上卦が震で、四陰が外にありて二陽が中に居り、過ぎる所は小、卦体もまた飛鳥が翼を展くに似る。ゆえに小過と名づける。卦辞は言う、小過は、亨通、正を守るに宜しく、小事はなすべく大事はなすべからず、飛鳥がその鳴声を遺す、上に宜しくず下に宜しい、大いに吉利、と。《彖伝》は言う、小過は、陰小の者が稍しく超過して亨通を得る。超過してなお正を守るに宜しきは、時勢に随いて行くからだ。六二・六五の二柔爻が中を得るので、小事を為せば吉利。九三・九四の陽剛は位を失してまた中に居らず、ゆえに大事を為すべからず。この卦に飛鳥の形象あり。飛鳥が鳴声を遺す、上に宜しくず下に宜しく大いに吉利は、向上が違逆で向下が順当だからだ。《大象伝》は言う、山上に雷あり、これが小過である、君子はこれに法り、行事を恭敬に稍しく過度にし、居喪を哀痛に稍しく過度にし、用度を倹省に稍しく過度にする、と。

初六,飛鳥以凶。象曰:飛鳥以凶,不可如何也。六二,過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎。象曰:不及其君,臣不可過也。九三,弗過防之,從或戕之,凶。象曰:從或戕之,凶如何也。九四,無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞。象曰:弗過遇之,位不當也;往厲必戒,終不可長也。六五,宻雲不雨,自我西郊,公弋取彼在穴。象曰:宻雲不雨,已上也。上六,弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災眚。象曰:弗遇過之,已亢也。

初六の爻辞、鳥の上に飛ぶがごとく、よって凶あり。《小象伝》は言う、飛鳥が凶を致すは、如何ともせんとするなし、と。六二の爻辞、祖父を越えて祖母に遇う、君主に及ばず、臣属に遇う、咎なし。《小象伝》は言う、君主に及ばざるは、臣子たる者は僭越すべからざるからだ、と。九三の爻辞、稍加防備せんと肯ぜず、人に跟従すれば殺害されることあり、凶険。《小象伝》は言う、跟従して殺害されるは、この凶険はまたどうしようもない、と。九四の爻辞、咎なし、超越せずして恰好相遇う、往けば危険あり、必ず戒慎せよ、長く固守すべからず。《小象伝》は言う、越えずして遇うは、九四の居る位が当たらざるからだ、往けば危厲に必ず戒備するは、この局面が終に長久しえぬを説明す、と。六五の爻辞、濃雲が密布して雨を降さず、雲気が我が西辺の郊野より飄来す、王公があの洞穴の中に隠る獲物を射取する。《小象伝》は言う、密雲して雨なきは、陰気がすでに上位に升ったからだ、と。上六の爻辞、相遇うを肯ぜず一味に超越す、飛鳥が遠く離れ去る、凶険、これを災殃と謂う。《小象伝》は言う、遇わずして過ぐるは、すでに亢極したからだ、と。

小過亨利貞者。小過者,過於小事,故謂小過也。以小事而濟用物,乃可通,故曰亨也。順時矯俗,利在歸正,故曰利貞也。

卦辞「小過、亨、利貞」。いわゆる「小過」は、小事の上で常度を稍しく超過するを指し、ゆえに小過と言う。小事に用いて人物を済助すれば、行き通れる。ゆえに亨通と言う。時勢に順応して流俗を矯正し、好処は最終に正道に帰するに在る。ゆえに正を守るに宜しいと言う。

可小事不可大事者。世既小通,即可正以小事,不可正以大事也。

「可小事、不可大事」。時世がすでに小さく通達するのみならば、小事をもってそれを端正するのみでき、大事をもってそれを端正すべからず。

飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉者。鳥之所棲,止於林澤。飛而向上,則入杳□,羽翮摧頺,遺其音響,哀以思處,願求所安,故不止則愈困;下則棲於林藪,故曰不宜上宜下大吉也。此論上乘剛逆也,下承陽順也。故君子為過矯之行,上則逆鱗,下則執柔守順,故以飛鳥上下而取義焉。

「飛鳥遺之音、不宜上宜下、大吉」。鳥の栖息する所は、ただ山林水沢。それが一味に上に飛べば、杳冥高遠の処に入り、羽翼が折損疲敝し、一路の哀鳴を遺すのみ。あの鳴声が悲切で、停歇せんを望み安身の所を求める心情を透して見せる。ゆえに止まらなければいっそう困頓する。下に飛べば、林莽草沢の中に栖息しうる。ゆえに上に宜しくず下に宜しく、大いに吉利と言う。ここで論ずる所は、上に向かえば陽剛を凌駕し、違逆に属す、下に向かえば陽剛を承順し、順当に属す。ゆえに君子が矯枉過正を要する時、上は逆鱗に触犯し、下は柔順を執守する。よって飛鳥の上飛と下落を借りて義を取る。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)

象曰:山上有雷,小過者。雷本出震於地上,今既出至山上,過其本處,故曰小過也。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉者。小過之世,戒其所過,小人居之,則慢易奢僣,故君子為過矯之行:過乎恭敬,喪孝之禮過乎哀慼,費用之宜過於儉約之謂也。

《大象伝》の言う「山上有雷、小過」――雷は本来地面上より震発するが、いま山頂の上に至って発した。それの本来の位置を超過した。ゆえに小過と言う。「君子以行過乎恭、喪過乎哀、用過乎倹」は、小さな超過の時世の中で、最も警戒すべきは過分である。この局面がもし小人に占められれば、軽慢放肆・奢侈僭越に流れる。ゆえに君子は矯枉過正の做法を取る。待人接物を恭敬に稍しく過度にし、居喪守孝の礼節を哀痛に稍しく過度にし、日常開支を倹約に稍しく過度にする、言う所はまさにこの意である。

初六飛鳥以凶者。小過之義,上逆下順。初應在四,若往就四,則是進於逆也,同於飛鳥上而無所措足,所以致凶。

初六の爻辞「飛鳥以凶」。小過卦の意義は向上を違逆とし向下を順当とする。初六は九四と相応する。もしそれが前に往きて九四に親就すれば、それは違逆の方向に向かい上進することで、ちょうど飛鳥が一味に上に飛んで落脚の処を見出せぬがごとし。よって凶険を招く。

六二過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎者。過而得之謂其遇也。六二居初之上而居中位,是過於初而遇六二也。祖,始也,謂初也;妣,母之稱也。六二居中履正,故謂之妣矣。已過初遇二位,遇母之內處,故曰過其祖,遇其妣。而得位處中,不至於僣,終守臣位,安可有咎,故曰不及其君,遇其臣,無咎也。

六二の爻辞「過其祖、遇其妣、不及其君、遇其臣、无咎」。ある処を越えてまた得る所あるを「遇」と謂う。六二は初六の上に居りてまた下卦の中に処る。これはすなわち初六を越えて恰好に六二という位置に停まった。「祖」は端緒で、初六を指す。「妣」は母の称呼――六二は中に居りて正位を得るので、「妣」をもってそれを称する。すでに初六を越えて第二爻という位置に遇うは、すなわち母の居る内位に遇った。ゆえに祖父を越えて祖母に遇うと言う。それはすでに正位を得てまた中道に処り、僭越に至らず、終始臣属の本分を守る。どこに咎あらん。ゆえに君主に及ばず臣属に遇う、咎なしと言う。

九三弗過防之,從或戕之,凶者。小過之世,大者不能立徳,故令小者僣過驕慢陵上也。九三以陽當位,又處下卦之上,固合防遏小人,不令奢僣,而九三更應上六,與小人同情,反為小人所害也,故曰弗過防之,從或戕之,凶也。戕者,殺害之義也。

九三の爻辞「弗過防之、従或戕之、凶」。小過の時世において、大位に居る人が徳行を樹立できず、よってあの小人をして僭越過分・驕横傲慢にして在上者を陵辱せしめる。九三は陽爻が陽位に居り位に当たり、また下卦の最上に処り、本は小人を防范遏制して、彼らをして奢侈僭越せしめざるべきところ、それは偏えに上六と相応し、小人と同心して、反って小人に加害される。ゆえに稍加提防せんと肯ぜず、彼らに跟従すれば殺害されることありて凶を致すと言う。「戕」はすなわち殺害の意。

九四無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞者。居小過之世,小人有過差之行,須大德之人防閒遏絶,不令過差。今九四雖復陽爻而不居位,故其所過咎責不在已,故得無咎。九四所以得免咎者,以其失位在上卦之下,不為過厚之行,故得遇其無咎之宜,故曰無咎弗過遇之也。既無防止遏制之能,自守其位則免咎而已;若有所往,則致危厲,故曰往厲也。不交於物,物亦不親,既無人相親,是無援助,欲有所往,必致危厲,無所告救,故必自戒慎以全其身,故曰必戒也。既不能裁制小人,亦不可任用,以其如此,故不足長行其正,故曰弗用永貞也。

九四の爻辞「无咎、弗過遇之、往厲必戒、勿用永貞」。小過の時世に身を処し、小人が種種の越軌の行為をなすので、大徳の人を要して防范遏止し、彼らをして過分ならしめぬ必要ある。いま九四は陽爻なれど、正位に居らず。ゆえにあの過失の責任はその身にない。よって咎なしを得る。九四が咎責を免れうる所以は、それが位を失して上卦の最下方に処り、過分に厚重張揚の事をなさざるゆえ、ちょうど咎なきの分寸に碰上した。ゆえに咎なく、超越せずして恰好相遇うと言う。それはすでに小人を防止遏制する能なし。ならば本位を安守してこそ咎を免れうるのみ。もし往くところあれば、危険を招く。ゆえに往けば危厲ありと言う。それは外物と交往せず、外物もまた来てそれに親近せず。すでに親近する人なければ、援助なきに等しい。この時往くところあらんと欲すれば、必ず危境に陥りて求救する処なし。ゆえに必ず自ら戒慎して自身を保全せねばならない。よって必ず戒備せよと言う。それはすでに小人を裁制できず、自身もまた重用すべからず。この故に、それのいわゆる「正」は長く推行し続けるに足らず。ゆえに長く固守すべからずと言う。

六五密雲不雨,自我西郊,公弋取彼在穴者。小過者,小過於大也。陰居陽位,是小者過於大,陰之盛矣。陰止於上,陽氣不通,雖復至盛密雲,止在西郊,而不能降其雨。以人事明之,是陰柔之主以處尊位,未能施其風教恩惠及下,故曰密雲不雨,自我西郊也。公者,臣之極貴也,五極陰盛,故稱公也。小過之時,其過猶小,是不能大作,猶為隠伏。以小徳之才,治小過之失,能獲在穴隠伏之物,又如公之弋獵而獲隠伏之獸,故曰公弋取彼在穴也。

六五の爻辞「密雲不雨、自我西郊、公弋取彼在穴」。いわゆる小過は、陰小の者が陽大の者を稍しく超過した。六五は陰爻が陽位に居り、まさに小者が大者を超過し、陰気はすでに盛んである。陰気が上に壅塞し、陽気が通行できない。よって雲気は極めて濃く積っても、ただ西辺の郊野に停まり、終に雨を降らせられない。人事をもって説明すれば、これはすなわち陰柔の君が尊位を占めて、なお教化恩惠を下民に施及できざる。ゆえに濃雲が密布して雨を降らず、雲は我が西郊より来ると言う。「公」は臣子の中の最も尊貴の爵位。六五は陰気が極めて盛んで君と称するに足らないので、「公」と称する。小過の時に処り、過ぎる所はなお小、よって大きな作為できず、ただ隠伏細微の事を為すのみ。徳性の大ならぬ才具に凭って小さな過失を糾治すれば、獲得しうるもただ洞穴の中に隠れた隠伏の物のみ、ちょうど王公が射猟して藏匿の野獣を捕獲するがごとし。ゆえに王公があの洞穴の中に隠る獲物を射取すると言う。

上六弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災眚者。處於小過之極,是小人過甚,不知限際,隨至穴極,過至穴無所復遇,故曰弗遇過之也。以小人之行,不守限量,過而不已,遂遭害網,亦如飛鳥飛而不已,無所棲托,必罹矰繳,所以凶矣,故曰飛鳥離之凶。過於亢極,以罹其凶,是謂不慎其身,災眚斯及,復何恨哉,故曰是為災眚。王注:過至於亢,將何所遇;飛而不已,將何所託也。

上六の爻辞「弗遇過之、飛鳥離之、凶、是謂災眚」。それは小過の極点に処り、まさに小人が過分にして極処に至り、界限の所在を知らず、一たび尽頭に至る。一味に超越して相遇うを肯ぜず、最後にもはや何にも遇わない。ゆえに相遇うを肯ぜず一味に超越すと言う。小人の行径に凭りて分寸を守らず、過分にして止まず、終に羅網に撞上する。これもまたちょうど飛鳥が一たび上に飛びて止まらんと肯ぜず、栖息依托すべき処を見出せず、必ず弋射の箭缴に傷されるがごとし。よって凶険。ゆえに飛鳥が遠く離れ去る、凶と言う。それは亢極に過度して凶禍に遭遇する。これを不謹慎に自身を保全せずと謂い、災殃が随いて至る。また何を怨恨せん。ゆえにこれを災殃と謂うと言う。王弼の注は言う、過分にして亢極に至れば、何に遇わん、一味に上に飛びて止まず、どこに依托せん、と。

既済卦(離下坎上)

離下坎上。既濟:亨小,利貞,初吉終亂。彖曰:既濟亨,小者亨也。利貞,剛柔正而位當也。初吉,柔得中也。終止則亂,其道窮也。象曰:水在火上,既濟。君子以思患而豫防之。

既済卦は下卦が離、上卦が坎で、水が火の上にあり、六爻が各々その位を得、事がすでに成就した。ゆえに既済と名づける。卦辞は言う、既済は、小者に至るもみな亨通、正を守るに宜しく、開頭は吉利、最終に禍乱あり、と。《彖伝》は言う、既済して亨は、細小の方面に至るも亨通を得るを言う。「利貞」は、剛爻と柔爻がともに正を得て位次が当を得るからだ。「初吉」は、六二という柔爻が中位を得るからだ。最後に停滞して止まれば乱を生ず、それはその道がすでに窮尽に至ったからだ。《大象伝》は言う、水が火の上にあり、これが既済である、君子はこれに法り、預めありうる禍患を思慮して事先に防備を加える、と。

初九,曳其輪,濡其尾,無咎。象曰:曳其輪,義無咎也。六二,婦喪其茀,勿逐,七日得。象曰:七日得,以中道也。九三,髙宗伐鬼方,三年克之,小人勿用。象曰:三年克之,憊也。六四,繻有衣袽,終日戒。象曰:終日戒,有所疑也。九五,東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。象曰:東鄰殺牛,不如西鄰之時也;實受其福,吉大來也。上六,濡其首,厲。象曰:濡其首厲,何可久也。

初九の爻辞、車輪を拖き止め、尾を沾湿する、咎なし。《小象伝》は言う、車輪を拖くは、理に照らせば咎なし、と。六二の爻辞、婦人が車帘首飾を丟失する、追尋する必ずしも要せず、七日後に自ずから失って復た得る。《小象伝》は言う、七日して復を得るは、六二が中道を守るからだ、と。九三の爻辞、殷の高宗が鬼方を征伐する、三年してようやくそれを克つ、小人は任用すべからず。《小象伝》は言う、三年してようやく克つは、すでに疲憊不堪だからだ、と。六四の爻辞、華美の衣裳も終には破絮と化す、終日戒備せよ。《小象伝》は言う、終日戒備するは、心中に疑慮する所有るからだ、と。九五の爻辞、東辺の隣国が牛を殺して盛祭するも、西辺の隣国の簡薄の禴祭に及ばず、後者が真に福沢を承受する。《小象伝》は言う、東隣が牛を殺すは、西隣が祭るに時宜に合するに及ばず、真に福を受くるは、吉慶が大いに来るからだ、と。上六の爻辞、頭を沾湿する、危険。《小象伝》は言う、其の首を濡らして危厲は、どうして長久しえよう、と。

既濟亨小利貞者。既,盡也;濟,渡也。剛柔得正,上下相應,故曰既濟也。萬物盡皆濟渡,若小者不通,則無盡濟之理。今小者猶尚通亨,則柔大之物自然獲濟,故曰亨小也。物既盡濟,非正不可,故曰利貞。

卦辞「既済、亨小、利貞」。「既」は全部・完畢、「済」は渡過。此卦は剛爻と柔爻が各々その正を得、上下が彼此相応ずる。ゆえに既済と言う。万物がことごとく済渡を得た以上、もし細小の一面までも通通ぜざれば、「全部済渡」とは言いえない。いま細小の一面に至るもなお亨通するならば、柔大の物は自ずから済渡を獲る。ゆえに小者に至るも亨通と言う。万物がすでにことごとく済渡すれば、正を守らねば維持できない。ゆえに正を守るに宜しいと言う。

初吉終亂者。此設戒之辭。當既濟之時,若能戒慎謙守,不為驕恣,則既濟無窮,安有危亂及已。若其不能居安慮危、慎終如始,則既濟其極,危亂至矣。故王云:終亂不如自亂由止,故亂是也。

「初吉終乱」。これは誥戒を設ける言である。ちょうど事がすでに成就した時、もし戒慎謙遜して本分を持守し、驕縦放肆しなければ、既済の局面は無窮に延续しうる。どこに危乱が身に波及せん。反って、もし安に居りて危を思い、終を慎んで始のごとくできなければ、既済が一たび極点に至れば、危乱が来る。ゆえに王弼は言う、いわゆる「終乱」は、外来の禍乱と言うよりは自分の造ったもの――停滞して進まざるがゆえに乱を生ず、まさにこの意である、と。

象曰:水在火上,既濟者。孔義云:水在火上,炊之象。飲食以之而成,性命以之而濟,是故既濟象也。君子以思患豫防之者。處既濟之時,舉事合宜,恣情所欲,固當恭儉保守,存不忘亡,思慮後患,豫為防慎。故書云:制治於未亂,保邦於未危是也。

《大象伝》の言う「水在火上、既済」――孔穎達の義疏は言う、水を火の上に置くは、これは焼煮の形象。飲食はこれに依って成り、性命はこれに依って保养を得る。ゆえに既済の形象である。「君子以思患而豫防之」は、事がすでに成就した時に処り、事を弾するにみな合宜順手で、自分の欲望を放纵しがち。この時本は恭敬倹約して成業を持守し、安存の中に覆亡の可能を忘れず、日後の禍患を思慮し、預め防範謹慎を加えるべきを言う。ゆえに《尚書》は言う、禍乱がまだ発生せぬ時に治めておき、国家がまだ危殆に至らぬ時にそれを保全する、まさにこの理である、と。

初九曳其輪,濡其尾,無咎者。初九處既濟之初,是始濟渡也。始濟險難,未至乾燥之地,猶拖曳其輪,濡溼其尾,言其勞苦方始獲濟,其於義理,安有咎哉,故曰無咎也。

初九の爻辞「曳其輪、濡其尾、无咎」。初九は既済の端緒に処り、まさに河を渡り始めた時。それはちょうど険難を脱出し、まだ乾燥の岸に至らない。ゆえに車輪を拖き、尾を沾湿する。これはそれが労苦を歴尽してようやく渡り得たを言う。道理から言えば、これはどこに咎あると言えよう。ゆえに咎なしと言う。

六二婦喪其茀,勿逐,七日得者。茀者,婦人之首飾也。六二居中履正而應於五,雖與初三相近,情不相得,遂被初三相奪。以人事明之,其猶貞潔之婦,容儀光麗,夫暫不在,遂被他人侵陵,頭上花飾強為竊奪,故曰婦喪其茀。稱婦者,明已自有夫而被見侵。當既濟之時,法令明峻,不容邪道,婦既執貞如此,眾尚節志,皆願助之。假使逃竄,勢不能久,不過七日,必見執獲,故曰勿逐七日得也。

六二の爻辞「婦喪其茀、勿逐、七日得」。「茀」は婦人の頭上の首飾。六二は下卦の中に居りてまた正位を得、九五と相応する。初九・九三と位置が緊隣するも、彼此の情意が投合せず、よって初九・九三に侵奪される。人事をもって説明すれば、これはちょうど一位の貞潔の婦人で、容貌儀態が光彩照人、夫が一時不在家なれば、他人に欺凌され、頭上の花飾を強いて窃取されるがごとし。ゆえに婦人が首飾を丟失したと言う。あえて「婦」と称するは、彼女が本来すでに夫あるも侵犯に遭ったを表明する。ちょうど既済の時、法令が厳明峻切で、邪僻の事を容れない。この婦人はすでにこのように貞を執り、衆人もまた節操を崇尚し、みな彼女を助けんを願う。あの盗竊者はたとえ逃亡藏匿しても、形勢上長くは躲えられず、七日を出ずして必ず抓獲される。ゆえに追う必ずしも要せず、七日後に自ずから失って復た得ると言う。

九三髙宗伐鬼方,三年克之,小人勿用者。處既濟之時,居文明之末,將入險難,是居衰而能濟。其猶殷王髙宗諒陰三年,盛德中興,克伐鬼方。以其盛德始興,不能即勝,故三年已後乃始克勝,故曰三年克之也。髙宗者,武丁之號,殷之賢王,挺濟衰世,能伐逺方。若小人居之,必致危亂,不可任用,故曰小人勿用也。

九三の爻辞「高宗伐鬼方、三年克之、小人勿用」。それは既済の時に処り、下卦離という文明の体の末端に居り、まさに上卦坎の険難に入らんとする。ちょうど衰頽の際に身を処しながらなお有所済渡しうる。これはちょうど殷王高宗が守喪三年して言を発せず、この後に盛徳で中興し、兵を出して鬼方を討伐するがごとし。その盛徳がちょうど興起したばかりなので、すぐには勝ちえず。ゆえに三年を経て後にようやく克勝しえた。よって三年してようやくそれを克つと言う。「高宗」は武丁の廟号で、殷代の賢明君主、衰敗の時世を振拔し遠方を征伐しえた。もし小人がこの位置を占めれば、必ず危乱を招く。よって任用すべからず。ゆえに小人は任用すべからずと言う。

六四繻有衣袽,終日戒者。繻宜曰濡,是沾溼之義;袽者,衣敝爛者,可以塞漏舟也。六四處得其位,而與三五相近,情不相得,常慮危患及身。如舟之穿漏而能得濟渡者,必須敝爛之衣塞之,免為濡溺,方遂獲濟,故曰濡有衣袽也。鄰不親而得全者,須防戒得免,故曰終日戒也。

六四の爻辞「繻有衣袽、終日戒」。「繻」は「濡」と読むべく、沾湿の意。「袽」は破爛の旧衣で、漏れる船を堵塞するに用いうる。六四は陰爻が陰位に居り位を得るが、それは九三・九五とともに緊隣して情意が合わず。よってつねに危難が身に降臨せんを憂慮する。ちょうど船がすでに水漏れしてなお渡らんと欲するがごとく、必ず破舊の衣物をもって漏洞を塞ぎ、水に浸没せられるを免れ、こうしてこそ終に渡り得る。ゆえに水に沾湿して旧絮を備えて漏を堵ぐと言う。隣爻がすでに親近せざるにそれがなお保全しえたは、防範戒備に靠って禍を免れたからだ。ゆえに終日戒備せよと言う。

九五東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福者。牛,祭之盛也;禴是殷時春祭之名,四時最薄之祭也。九五處既濟之時,得居尊位,天下盡皆獲濟,亦何所營為,喻天下太平,不勞思慮。其所務者莫過祭祀,祭祀之本莫過修徳。今九五履正居中,修徳如此,但可禴祭省薄,精誠致敬,合時之宜,則神明降福。假使東鄰殺牛豐厚之盛,神靈不饗,不如西鄰薄祭,吉福大來,此蘋蘩可薦之義,故惟徳是馨矣。

九五の爻辞「東鄰殺牛、不如西鄰之禴祭、実受其福」。牛は祭品の中の最も隆盛のもの。「禴」は殷代の春祭の名称で、四時の祭の中で最も簡薄。九五は既済の時に処りて尊位に居り、天下はすでにことごとく済渡を得た。さらに何を経営せんと要す――これは天下太平で、もはや心を労し神を費す要なしを喩える。それの務むべき事は、祭祀より重要なるはなし。祭祀の根本は、また徳行の修養より大なるはなし。いま九五は位に居りて正を得てまた中を守り、徳行をこの地步に修養すれば、たとえ簡薄の禴祭のみ用いるも、精誠恭敬して時宜に合せば、神明は福沢を降す。反って、東辺の隣国はたとえ牛を殺して祭品が極めて豊盛でも、神霊は歆享せず、かえって西辺の隣国の薄祭が大きな吉福を帯来するに及ばない。これはまさに《詩経》の言う蘋を采り蘩を采りても神に荐めるべしの意。ゆえに《尚書》は言う、徳のみがまさに真の芬芳である、と。

上六濡其首厲者。處既濟之極,物極則反,遂至於未濟者,則首先犯焉。若既濟之時,守謙保位,無為無事,安能有咎。今既進而不已,遂遇危難,故濡其首也。既被濡者,將□於難,危莫甚焉,故曰濡其首厲也。

上六の爻辞「濡其首、厲」。それは既済の極点に処る。事物が極点に至れば反転し、ここにおいて未済に転向するに、それは首をもって其の衝に当たる。もし既済の時に謙遜を持守し本位を保ち、清浄無為にして事端を生ぜなければ、どうして咎あらん。いまそれは前進して止まず、終に危難に遭遇する。ゆえに頭まで水に浸湿した。すでに水に浸没せらるれば、危難の中に陥溺せんとする。これより危険なるはなし。ゆえに頭を沾湿して危険と言う。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)

未済卦(坎下離上)

坎下離上。未濟:亨,小狐汔濟,濡其尾,無攸利。彖曰:未濟亨,柔得中也。小狐汔濟,未出中也。濡其尾,無攸利,不續終也。雖不當位,剛柔應也。象曰:火在水上,未濟。君子以慎辨物居方。

未済卦は下卦が坎、上卦が離で、火が水の上にあり、二者が相用いず、六爻がみな位に当たらず、事がまだ成らず。ゆえに未済と名づける。卦辞は言う、未済は、亨通、小狐がまさに河を渡らんとして、尾を沾湿す、利する所なし、と。《彖伝》は言う、未済して亨は、六五という柔爻が中位を得るからだ。「小狐汔済」は、それがまだ険中を出でざるを言う。「濡其尾、无攸利」は、事を底まで接続できぬを言う。此卦の各爻は位に当たらざれど、剛柔が両両として相応ず。《大象伝》は言う、火が水の上にあり、これが未済である、君子はこれに法り、謹慎に事物を分辨し、彼らを各々その所に安んぜしめる、と。

初六,濡其尾,吝。象曰:濡其尾,亦不知極也。九二,曳其輪,貞吉。象曰:九二貞吉,中以行正也。六三,未濟,征凶,利渉大川。象曰:未濟征凶,位不當也。九四,貞吉,悔亡,震用伐鬼方,三年有賞于大國。象曰:貞吉悔亡,志行也。六五,貞吉,無悔,君子之光,有孚,吉。象曰:君子之光,其暉吉也。上九,有孚于飲酒,無咎,濡其首,有孚失是。象曰:飲酒濡首,亦不知節也。

初六の爻辞、尾を沾湿す、憾惜あり。《小象伝》は言う、尾を沾湿するは、限度を知らざるでもある、と。九二の爻辞、車輪を拖き止める、正を守れば吉利。《小象伝》は言う、九二が正を守りて吉は、中に居りて正道を行くからだ、と。六三の爻辞、事がまだ成就せざる時、この時出征すれば凶あり、大河を渡るに宜しい。《小象伝》は言う、未済にして征すれば凶は、六三の居る位が当たらざるからだ、と。九四の爻辞、正を守れば吉利、悔恨が消える、威勢を奮起して鬼方を討伐するに、三年の後に大国に封ぜられる賞を受くる。《小象伝》は言う、貞吉悔亡は、心志が施行を得るからだ、と。六五の爻辞、正を守れば吉利、悔恨なし、これは君子の光輝、誠信を懐く、吉利。《小象伝》は言う、君子の光輝は、その光暉が吉慶を帯来するからだ、と。上九の爻辞、誠信を懐きて飲酒作楽する、咎なし、ただ沈湎して頭を沾湿するに至れば、あの誠信もまた正当を失う。《小象伝》は言う、飲酒して頭を浸湿するは、節制を知らざるでもある、と。

未濟亨者。未濟是未能濟渡之名,喻人徳薄居位,才徳劣小,不能拔濟危難,必須任之於賢,委之於徳,則有可濟之理,故曰未濟亨也。

卦辞「未済、亨」。「未済」はまだ渡過できぬの名称で、徳行浅薄の人が高位を占め、才具徳望がともに低微渺小で、危難を拯拔できぬを喩えるに用いる。この種の人は必ず事を賢者に交托し徳ある人に委任してこそ、難関を渡る理あり。ゆえに未済でも亨通しうると言う。

小狐汔濟,濡其尾,無攸利者。汔,將盡之名。其猶小才之人,不能濟拔險難;譬之小狐渡水,智力羸劣,必須待水乾淺方可涉川。未及於岸,力已疲憊,遂濡溼其尾,幾至沒溺,豈有利焉,故曰濡其尾無攸利也。

「小狐汔済、濡其尾、无攸利」。「汔」はまさに窮尽せんの意。これはちょうど才具短小の人が、険難を拯拔できぬがごとし。小狐の河渡りを喩えとすれば、それは智力が孱弱で、必ず水が干浅するを待ちてこそ敢えて河を過ぐる。まだ岸に至らずして、力はすでに耗尽し、ここにおいて尾を水に浸湿し、危うく淹没せんとす。どこに好処あらん。ゆえに尾を沾湿して利する所なしと言う。

象曰:火在水上,未濟者。夫水火之用,相合而成,即能濟人之性命。今火居其上而上炎,水流於下而下注,火水各抗,焉能烹飪,故為未濟也。君子以慎辨物居方者,君子見未濟之患,以謹慎為用,故分辨事物,各安其居也。

《大象伝》の言う「火在水上、未済」――水と火の功用は、本来互相配合してこそ事を成し、そうすれば人の性命を養活しうる。いま火は上に居りて上に向かい燃え、水は下に在りて下に向かい流瀉し、水火が各々相反の方向に背離する。どうして物を烹煮できよう。ゆえに未済となる。「君子以慎辨物居方」は、君子が未済の帯来する禍患を見て、謹慎をもって立身の用とし、よって仔細に各種の事物を分辨し、彼らを各々その位に安んぜしめるを言う。

初六濡其尾吝者。初六處未濟之初,最居險下,而欲強進求濟,其如力薄何。所以進未達岸,濡溼其尾,故曰濡其尾也。然體雖陰柔,不為剛狠之性,而乃猶不思反,以斯而往,頑亦甚矣,故曰吝也。

初六の爻辞「濡其尾、吝」。初六は未済の端緒に処り、坎険の最下に位するのに、勉强に上進して済渡を求めんと欲する。自らの力量が薄弱なるを奈何せん。ゆえにまだ岸に至らずして尾を湿せた。よって尾を沾湿すと言う。それは本体は陰柔の質なれど、性情は剛愎狠戾と算うるに足らざれど、なお回頭を知らず。この態度を帯びて往くは、また未免あまりに頑固。ゆえに憾惜ありと言う。

九二曳其輪,貞吉者。九二以剛居中而應於五,為君委任,即是救難之人。然二雖處險中,不為難之所溺,故經綸屯蹇,任重憂深,所以曳拔其輪以出險外,故曰曳其輪也。救難濟危,莫過於正,故曰貞吉也。

九二の爻辞「曳其輪、貞吉」。九二は陽剛をもって下卦の中に居りて六五と相応し、君主に委任され、まさに難を救いうる人である。それは身は険中に在れど、険難に淹没されず、よって艱難困頓の中に於て経営治理しうる。任務が重大で憂慮が深遠なので、車輪を拖曳してそれを険境の外に拔出する。ゆえに車輪を拖くと言う。難を救い危を済するに、正を守るより緊要なるはなし。ゆえに正を守れば吉利と言う。

六三未濟征凶,利涉大川者。六三處未濟之時,以陰柔之質,失位之正,安能自濟。若征而求濟,必致凶危,故曰未濟征凶也。然九二剛陽為君委任,即是能救難之人,六三若能委質親二,即不慮沒溺,自然獲濟,故曰利涉大川也。

六三の爻辞「未済、征凶、利渉大川」。六三は事がまだ成就せざる時に処り、自身は陰柔の質で、居る位がまた正しからず。どうして自らを頼って難関を渡りえよう。それがもし贸然と出征して済渡を求めれば、必ず凶険を招く。ゆえに未済にして出征すれば凶と言う。ただ九二は陽剛にして君主に委任され、まさに難を救いうる人。六三がもし誠心をもって帰附し九二に親近すれば、沉溺を憂慮する要なく、自ずから渡りうる。ゆえに大河を渡るに宜しいと言う。

九四貞吉悔亡,震用伐鬼方,三年有賞于大國者。九四履失其位,所以有悔。然出險難之外,居文明之初,接近於君,志行其正,所以獲吉,憂悔乃亡,故曰貞吉悔亡也。為君所任,正志既行,靡有禁其威者,故震發威怒以伐逺方,故曰震用伐鬼方。鬼方者,興衰之征也,每至興衰取義焉。四方文明之初,其徳未盛,不能即服,故曰三年也。五處中位,體包明徳,既居尊位,不奪物功,九四既有功勞,而乃以百里之國賞之,謂封以茅土,故曰有賞于大國也。

九四の爻辞「貞吉、悔亡、震用伐鬼方、三年有賞于大国」。九四は陽爻が陰位に居り位を失すので、本来悔恨あり。しかしそれはすでに坎険の外に脱出し、上卦離という文明の体の端緒に処り、また君主に接近し、心志の行く所が端正。よって吉利を獲て憂悔が随いて消失する。ゆえに正を守れば吉利、悔恨が消えると言う。それは君主に委任され、端正の心志がすでに施行されれば、その威勢を約束するものなし。よって威怒を奮発して遠方を討伐する。ゆえに威勢を奮起して鬼方を征伐すると言う。「鬼方」という言は、国運の興衰の征験で、興衰の際に遇う毎に《易》がそれを取って義を立てる。九四は文明の体の初起の段階に処り、徳沢がなお盛大ならず、すぐには相手を降服せしめられない。ゆえに三年を要すと言う。六五は上卦の中に居り、本体が光明の徳を涵容する。それはすでに尊位に居りて他人の功労を掠奪せず、九四がすでに戦功を立てれば、方円百里の封国をもって彼を賞する。すなわち土地を分封して諸侯国を建立する。ゆえに大国に封ぜられる賞を受くると言う。

六五貞吉無悔,君子之光,有孚吉者。以柔居尊,所以有悔。然以文明之質,為未濟之主,故必貞正,所以獲吉,憂悔乃亡,故曰貞吉無悔也。以文明之質,居於尊位,不自任察而委於二,是使武以文,御剛以柔,故有君子之光輝也。委其權於有能之人而心不疑,則人皆竭其誠信,功勞克濟,故曰有孚吉也。

六五の爻辞「貞吉、无悔、君子之光、有孚、吉」。それは陰柔をもって尊位に居るので、本来悔恨あり。しかしそれは離体文明の資質に凭って未済卦の主宰となる。よって必ず貞正を持守する。ゆえに吉利を獲て憂悔が随いて消失する。よって正を守れば吉利にして悔恨なしと言う。それは文明の質をもって尊位に居り、自ら聡明を恃みて事毎に躬親せず、事を九二に委托する。これはすなわち文徳をもって武力を駕御し、柔順をもって剛強を御制する。ゆえに君子の光輝を顕す。それは権柄を才能ある人に交し而して心中に猜疑を加えざれば、衆人はみな自分の誠信を竭尽し、功業が成就を得る。ゆえに誠信を懐きて吉と言う。

上九有孚于飲酒,無咎,濡其首,有孚失是者。處未濟之極,即入於既濟,既得濟矣,任人又當,心即無疑。信任得人,自取逸樂,飲酒而已,不慮危咎,故曰有孚于飲酒無咎也。飲酒不節,樂過淫荒,所以濡首之難,還復及之,故曰濡其首也。所以濡首之難及之者,良由信任於人,不憂禍患,失於所是,故曰有孚失是。

上九の爻辞「有孚于飲酒、无咎、濡其首、有孚失是」。それは未済の極点に処り、すなわち既済に入った。事がすでに済成し、任用の人がまたみな恰当なれば、心中に疑慮する所なし。すでに信任する所がみな合適の人なれば、自ずから安享して閑逸の楽を取り、飲酒作楽するのみ、もはや危難咎を憂慮する要なし。ゆえに誠信を懐きて飲酒すれば咎なしと言う。ただ飲酒に節制なければ、歓楽が過度にして荒淫に流れ、頭頂を淹没する禍難がまた自分の身に回帰する。ゆえに頭を沾湿すと言う。この没頂の患を招来する所以は、まさに一味に他人を信任してもはや禍患を憂慮せざるに由り、よって「是」の一点の上で分寸を失った。ゆえに誠信あるも正当を失うと言う。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Hexagrams in this volume